← 史料目録へ

ARCHIVE DIRECTORY

追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 2801~2900件・29 / 30ページ

  1. 追録7-No.2614 佐川消息

    佐川から濱江様人々御中への消息。上の方々の機嫌がよいことを喜び、昨日の飛鳥井・花町からの内々の贈物を早速申し伝えたところ、殊のほか喜ばれたとして厚い礼を頼む。自分も拝領物をいただき、至極ありがたいと述べ、詳しい礼は後で申し上げるとし、長寿を祝って結ぶ。署名佐川、朱書天保三年を保持する。No.2613…

  2. 追録7-No.2615 たき山外二名連署消息

    花町・梅溪・たき山がまつ平栄翁様人々御中へ送った連署の返事。手紙を受け取ったことを伝え、上様の機嫌がいよいよよいことを祝う。昨日、御台様が相手の不快について内々に尋ね、ありがたく思っている旨を述べ、その礼を手紙の通り申し上げたと知らせる。本文末の祝辞、朱書天保三年、御返事の表示と三名の署名まで確認す…

  3. 追録7-No.2616 瀧山外二名連署消息

    花町・梅溪・瀧山が松たいら栄翁様人々御中へ送った連署消息。寒さがことのほか強い時節に支障なく過ごしているかを尋ね、何もよろしく申すようにとの言葉を伝えて長寿を祝う。上様方の機嫌がよいことを知らせ、寒中につき御台様から八丈五反が内々に贈られたと伝え、何も心得てよく申すよう命じられた旨を述べる。朱書の天…

  4. 追録7-No.2617 瀬やま外三名連署消息

    飛鳥井・花その・野むら・瀬やまが松たいら栄翁様人々御中へ送った歳暮の祝儀に関する連署消息。両御所・大納言・御台・御簾中がいよいよ機嫌よく、歳暮を祝っていることを伝え、目録の通り贈った品を受け取ってほしいと述べる。引き続き機嫌よく長久繁昌するよう祝って結ぶ。朱書天保三年の後に宛先と四名の署名を置き、「…

  5. 追録7-No.2618 島津斉興位階昇進官物書上

    薩摩中将源斉興朝臣が正四位下となる際の官物を、禁裏・仙洞・大宮・准后・内侍所と関係役職別に書き上げた資料。禁裏に黄金一枚、仙洞・大宮・准后にそれぞれ白銀三枚を挙げ、御局・御乳人・執次などへの銀子を列記する。内侍所は白銀四十目、御太刀代は銀子五文目。上卿と職事は各銀子六十目、位記は銀子五枚、御請印・中…

  6. 追録7-No.2619 大久保忠真書状

    大久保忠真が松平栄翁に宛て、今朝献上された鰹節一箱を披露したところ、首尾よく済んだ旨を知らせる書状。十二月六日付、忠真判。口裏の朱書に大久保加賀守忠真とあり、差出人の官称と名を確認できる。天保三年は朱書の年次で、出典は重豪公御譜中、正文在文庫。献上品の数量、披露の時点「今朝」、通知の趣旨を保持し、次…

  7. 追録7-No.2620 本荘宗発書状

    本荘宗発が松平栄翁に宛て、今朝献上された鰹節一箱を披露し、首尾よく済んだ旨を知らせる書状。十二月六日付、宗發判。口裏の朱書は松平伯耆守宗發とし、天保三年も朱書で補われる。出典は前の重豪公御譜中・正文在文庫を「全上」で受ける。No.2619の大久保忠真書状と本文の用件・日付・宛先を共通にするが、署名と…

  8. 追録7-No.2621 島津久長外二名家老連署書状

    二階堂主計・川田信濃・嶋津丹波が琉球の三司官へ宛てた連署書状。国王からの尊書を拝見し、三位様への年首祝儀として目録の通り差し上げられた品を江戸へ届けて披露したところ、満足の思召であったと知らせ、これを伝達するよう求める。十二月十五日付、年次は朱書天保三年。署名の補記は二階堂主計に行典、川田信濃に佐模…

  9. 追録7-No.2622 島津久長外二名家老連署書状

    二階堂主計・川田信濃・嶋津丹波が三司官へ宛て、前国王からの尊書を拝見したと述べる連署書状。三位様への年首の祝儀として目録の通り差し上げられた品を江戸へ届けて披露し、満足の思召であったことを知らせ、この旨を伝達するよう求める。十二月十五日付、朱書天保三年。署名は二階堂主計・川田信濃・嶋津丹波の各實名判…

  10. 追録7-No.2623 島津久長外二名家老連署書状

    国王からの尊書を拝見した旨を述べ、当春の御鷹之鶴の拝領に対する祝儀を報告する三家老の連署書状。拝領について本文は「太守様以宿次御奉書御鷹之鶴被遊御拝領」と記す。三位様へ上間親方を介して太刀一腰・馬代白銀百両と目録の通り品物が差し上げられ、江戸へ届けて披露したところ満悦であったことを伝え、三司官からこ…

  11. 追録7-No.2624 島津久長外二名家老連署書状

    前国王からの尊書を拝見した旨を述べ、当春の御鷹之鶴の拝領に対する祝儀を報告する三家老の連署書状。本文は拝領を「太守様以宿次御奉書御鷹之鶴被遊御拝領」と記す。三位様へ上間親方を介し太刀一腰・馬代白銀五十両と目録の通り品物が差し上げられ、江戸へ届けて披露したところ満悦であったと知らせ、この旨の伝達を求め…

  12. 追録7-No.2625 島津久長外二名家老連署書状

    国王からの尊書を拝見したと述べる三家老の連署書状。「去々秋」の参府使者延期に関し、早速参勤すべきところ持病の加積等で十分に調わず、願いによって出発を延期し、今年参府するよう命じられた事情を記す。その祝儀として、三位様へ上間親方を介し太刀一腰・馬代白銀百両と目録の通り品物が差し上げられたと述べ、江戸へ…

  13. 追録7-No.2626 島津久長外二名家老連署書状

    前国王からの尊書を拝見したと述べる三家老の連署書状。「去々秋」の参府使者延期、早速参勤すべきところ持病の加積等で十分に調わなかったこと、願いによる出発延期と今年参府の命令を記す。その祝儀として、三位様へ上間親方を介し太刀一腰・馬代白銀五十両と目録の通り品物が差し上げられたと述べ、江戸へ届けて披露した…

  14. 追録7-No.2627 島津久長外二名家老連署書状

    国王からの尊書を拝見した旨を述べ、報七郎の件を祝う三家老の連署書状。報七郎には斉宣男との本文注があり、御隠居様の十二男としての届が済んだことに対する祝儀を記す。三位様へ上間親方を介し太刀一腰・馬代白銀百両と目録の通り品物が差し上げられ、江戸へ届けて披露したところ満悦であったと知らせ、三司官からこの旨…

  15. 追録7-No.2628 島津久長外二名家老連署書状

    前国王からの尊書を拝見した旨を述べ、報七郎について御隠居様の十二男としての届が済んだことに対する祝儀を報告する三家老の連署書状。三位様へ上間親方を介し太刀一腰・馬代白銀五十両と目録の通り品物が差し上げられ、江戸へ届けて披露したところ満悦であったと知らせ、三司官からこの旨を伝達するよう求める。十二月十…

  16. 追録7-No.2629 島津久長外二名家老連署書状

    国王からの尊書を拝見した旨を述べる三家老の連署書状。濤姫の死去につき、三位様へ機嫌を問うため上間親方が伝えた手紙の趣旨を江戸へ届けて披露したと知らせ、その旨を伝達するよう三司官へ求める。濤姫には斉興女との本文注がある。十二月十五日付、朱書天保三年、二階堂主計・川田信濃・嶋津丹波の各實名判。品物や金額…

  17. 追録7-No.2630 島津久長外二名家老連署書状

    前国王からの尊書を拝見した旨を述べ、濤姫の死去につき三位様へ機嫌を問うため上間親方が伝えた手紙の趣旨を、江戸へ届けて披露したと知らせる連署書状。その旨を三司官から伝達するよう求め、恐謹言で結ぶ。十二月十五日付、朱書天保三年、二階堂主計・川田信濃・嶋津丹波の各實名判。前の「全上」を受け、No.2629…

  18. 追録7-No.2631 島津久長申渡書

    肝付新太夫の家の文書が紛失したため、写し作成の願いを嶋津但馬久風・川田信濃佐模と相談し、記録所で臨写を命じ、後代まで格護するよう嶋津丹波久長が申し渡した書。天保三年辰十二月十七日付、久長判。覚に、建武三年三月二十八日将軍尊氏教書、四月十三日将軍義教教書(年号なし・外添書一通)、建武三年四月二十八日貞…

  19. 追録7-No.2632 重豪病ム

    重豪が前年夏から病み、その程度が日ごとに増したことを記す記事。初冬に官医杉本宗春院の薬を服しても効かず、臘月中旬から舌が乾燥し睡眠・食事も通常ではなかったという。天保四年癸巳春正月五日、官医野間廣春院も高輪邸で診察・治療したが効験なく、老病が重くなったため斉宣が「大家」へ報告したと記す。八日には白銀…

  20. 追録7-No.2633 佐川消息

    佐川から濱江様への消息。上様方の機嫌がよいことを喜び、栄翁の具合はその後いかがか、余寒の障りがないかを尋ねる。「此御臺積の御品」は誠に粗末な品だが、栄翁を慰めるため内々に贈ったと述べ、この段を年寄衆に伝え、よろしく申し入れてほしいと頼む。朱書天保四年、佐川署、濱江様人々宛。前の記事の出典を全上で受け…

  21. 追録7-No.2634 たき山外二名連署消息

    花町・梅溪・たき山が松たいら栄翁様人々御中へ送った連署消息。寒さが強い時節ながら、不快が次第に快くなっている様子を詳しい返事で知ったと喜ぶ。上様方の機嫌がよいことを知らせ、雪後の余寒にも障りなく過ごしているかと気遣い、容体を尋ねたことに続けて、御台様から塗重一組・鯛一折を贈り、何も心得てよく申すよう…

  22. 追録7-No.2635 瀧山外二名連署消息

    花町・梅溪・瀧山からまつ平栄翁様人々御中への初春の連署消息。障りなく越年したことを祝い、長寿を願う。上様方も機嫌よく甲斐ある春に移り、年始の規式をめでたく祝っていると述べる。御台様から「御文庫のうち御肴一折」を年玉として内々に贈り、何も心得てよく申すよう命じられた旨を伝え、長久繁昌を祝って結ぶ。本文…

  23. 追録7-No.2636 松平乗寛書状

    松平乗寛が松平栄翁へ宛て、若菜の祝儀として献上された鯛一折を披露し、首尾よく済んだ旨を知らせる書状。正月七日付、乗寛判。口裏の朱書は松平和泉守乗寛とし、差出人の官称と名を確認できる。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。年次朱書は天保三年にママの注を添え、同じ用件を記すNo.2637の朱書は天保四年である…

  24. 追録7-No.2637 本荘宗発書状

    本荘宗発が松平栄翁に宛て、若菜の祝儀として献上された鯛一折を披露したところ、首尾よく済んだ旨を知らせる書状。正月七日付、宗發判。口裏の朱書は松平伯耆守宗發とあり、年次は朱書天保四年。出典は前の重豪公御譜中・正文在文庫を全上で受ける。同じ若菜祝儀についてのNo.2636松平乗寛書状とは署名・口裏を分け…

  25. 追録7-No.2638 島津斉興伺書

    松平大隅守斉興が、同氏栄翁の前年以来の長い不調と、当春になって格別に重くなった病状を述べる伺書。栄翁には重豪、溪山には斉宣との本文注がある。老病でたいへん心許ないため、溪山を栄翁の籠居する高輪屋敷へ昼夜の泊まり込みで看病に行かせたいと申し出て、これを伺う。正月八日付、松平大隅守署、天保四年の挿入表記…

  26. 追録7-No.2639 島津斉興伺書

    松平大隅守斉興が、同氏栄翁の前年以来の長い不調が当春になって格別に重く、老病ゆえ心許ないと述べる伺書。斉興は栄翁の籠居する高輪屋敷へ日々看病に通っているが、万一危急の状態になった際には泊まりたいと申し出る。同氏豊後守も同様にしたいとして、これを伺う。正月八日付、松平大隅守署、朱書天保四年。No.26…

  27. 追録7-No.2640 重豪薨ス、斉宣・斉興重豪ノ中陰法事ヲ修ス

    斉宣公御譜中に基づく重豪の病状・薨去と葬祭の記事。前年夏からの病が正月に重くなり、八日に白銀邸から高輪邸へ移って昼夜病床に付き添ったが、医薬に効験なく二十五日に高輪邸の正寝で薨じたと記す。幕府への報告は二月三日、十日に遺体が邸を発ち、四月五日に鹿児島福昌寺へ入り、八日に葬儀を行った。斉宣は江戸で告老…

  28. 追録7-No.2641 重豪江府高輪邸ニ薨ズ

    斉宣公御譜中の記事。重豪を「大父公」と記し、前年夏から病み医薬に効験なく、本年正月に病がさらに重くなり、天保4年正月15日に江戸高輪邸の正寝で薨じたとする。幕府への報告は2月3日で、その日に邸中で初めて喪を発した。2月10日に遺骸が高輪邸を発ち、4月5日に鹿児島福昌寺へ入ったと述べ、葬祭の詳細はその…

  29. 追録7-No.2642 猪飼尚敏書状

    猪飼央が三家老へ送った重豪の病状報告。前年夏以来の頻尿、夏からの食欲低下、初冬からの杉本宗春院の薬が効かなかったこと、旧臘中旬以来食事が進まず舌が乾燥したことを述べる。去る五日に野間廣春院が診察したが病根に大きな障害はなく、早くから高齢に及んでいるためで格別の難儀ではなく、暖かくなれば次第に順快とな…

  30. 追録7-No.2643 たき山外二名連署消息

    花町・梅溪・たき山がまつ平栄翁様人々御中へ送った連署消息。返事で不快がよくなっていると聞いて喜び、上様方も機嫌がよいことを伝える。度々の雪で余寒が強いが支障なく過ごしているかを問い、容体を尋ねる。内々に行器二荷・添重一組を贈り、何も心得てよく申すようにとの言葉を伝えて結ぶ。朱書天保四年、三名の署名と…

  31. 追録7-No.2644 瀧やま外二名連署消息

    花町・梅溪・瀧やまがまつ平栄翁様人々御中へ送った返事。手紙を受け取ったことを伝え、上様の機嫌がいよいよよいことを喜ぶ。昨日、御台様が内々の見舞いとして行器二荷・添重一組を贈ったことをありがたく思っているとし、その礼を手紙の通り申し上げたと知らせる。朱書天保四年、三名の署名、御返事の表示と宛先を保持す…

  32. 追録7-No.2645 瀧山外二名連署消息

    花町・梅溪・瀧山から松たいら栄翁様人々御中への連署消息。長寿を祝い、上様方の機嫌がよいことを知らせる。相手が高齢であることにより、思召をもって御納戸金の内から三百両を例年通り内々に贈ったと述べる。病中でもあるため慰めになるよう、例年より早く贈った旨を伝え、めでたく受け取ってほしいとして結ぶ。朱書天保…

  33. 追録7-No.2646 瀧山外二名連署消息

    花町・梅溪・瀧山が松たいら栄翁様人々御中へ送った返事。手紙を受け取ったことと上様の機嫌がいよいよよいことを伝え、昨日、相手が高齢であるため御台様の思召により御納戸金の内から三百両が内々に贈られたことをありがたく思っていると述べる。病中につき厚い思召で例年より早く贈られたことを特にありがたく受け止め、…

  34. 追録7-No.2647 瀧山外二名連署消息

    花町・梅溪・瀧山から松たいら栄翁様人々御中への連署消息。返事で不快の様子を詳しく聞いたことと上様方の機嫌がよいことを喜ぶ。余寒が去った時節に障りなく過ごしているかを問い、病状がいかなる様子か、快方との噂があることを伝えて尋ねる。御台様から塗重一組・鯛一おりを内々に贈り、何もよく申すようにとの言葉を伝…

  35. 追録7-No.2648 重豪高輪邸ニ薨ズ

    重豪公御譜中に基づく薨去の記事。病が日ごとに重くなり、心下の痞鞭で飲食が下らず、薬を服しても効験なく、同年春正月十五日卯刻に江戸高輪邸の正寝で世を去ったと記す。享年八十九、諡は大信院殿栄翁如證大居士。この日、留府家老猪飼央尚敏が急使二人を遣わし、国元の家老へ書を贈って凶報を伝えた。ただし事情によりま…

  36. 追録7-No.2649 猪飼尚敏書状

    猪飼央から三家老へ送った重豪の病状悪化の報告と奥医師の別紙。去る十日に飛脚で報告した後、疲労が増して食事が減り、昨夜半ごろから格別に衰弱したと知らせる。今朝六時に脈等を診察し、詳細は奥医師の別紙の通りであるとして、内談のうえ申し上げるよう依頼する。正月十五日付、猪飼央署。添付の医師記録は十日以後の心…

  37. 追録7-No.2650 猪飼尚敏書状

    猪飼央から三家老へ送った重豪の病状と内々の死去の通知。十日に急飛脚で病状を報じ、その後食事が減り、十三日昼に塞いで再び開いたものの漸次悪化し、今暁七ツ時頃からさらに容体が悪くなったと述べる。そのうえで、実際には今朝六時に逝去したと内々に知らせ、何とも絶言する言葉がないと記す。表向きは病気として申し送…

  38. 追録7-No.2651 猪飼尚敏書状

    猪飼央が三家老へ、重豪の葬所についての遺言を内用として伝える書状。「万歳之後」は瑞聖寺に入る旨が仰せ置かれていたが、没後は福昌寺に入るようにという遺言を旧臘に御隠居様へ述べたと知らせる。その書留の写しを今朝直接受け取ったので、心得として内々に送るという。正月十五日付、年次朱書天保四年、猪飼央署、嶋津…

  39. 追録7-No.2652 家老座伺書

    重豪の病気・危篤・逝去の届出と通知の段取りを条書きして伺う家老座の資料。病気の公辺への届を来る二十六日夕に出し、親類への通知、三殿様の月次御礼の罷出、若殿様の御機嫌伺、諸士への通知と大奥への申上げを手配し、極急飛脚を立てる旨を記す。十八日ではなく二十八日夕に届を出すこと、公方様・内府様からの御尋によ…

  40. 追録7-No.2653 島津久長外二名家老連署書状

    国王からの尊書を拝見した旨を述べる三家老の連署書状。先の三位様の位階昇進に対する祝儀として、豊見城王子を介し太刀一腰・馬代黄金十両と目録の通り品物が差し上げられたことを述べる。江戸へ届けて披露したところ満悦であったと知らせ、この旨を伝達するよう三司官へ求める。正月十五日付、朱書天保四年、二階堂主計・…

  41. 追録7-No.2654 島津久長外二名家老連署書状

    前国王からの尊書を拝見した旨を述べる三家老の連署書状。先の三位様の位階昇進を祝って、豊見城王子を介し太刀一腰・馬代黄金十両と目録の通り品物が差し上げられたことを述べる。江戸へ届けて披露したところ満悦であったと知らせ、この旨を伝達するよう三司官に求める。本文は正月十五日付、朱書天保四年、二階堂主計・川…

  42. 追録7-No.2655 島津斉興伺書

    松平大隅守が同氏栄翁について、以前から不快があり最近も具合がよくならないと届け出る伺書。正文には同氏栄翁の病気の届として短い本文を置き、天保四年正月二十六日付と松平大隅守の署名を記す。朱書の注記によれば、同日に留守居本田六左衛門を通じて御用番松平和泉守へ差し出し、取次今井彌太夫から受け取られた旨を伝…

  43. 追録7-No.2656 猪飼尚敏書状

    猪飼央が四家老へ送った重豪の病気届についての通知。十五日に極急飛脚で知らせた後も次第に疲労が増したため、本日、別紙案文の写しの通り病気の届書を留守居が御用番松平和泉守へ持参し、落手した旨を取次から伝えられたと報告する。月次御礼の罷出、三殿様・若殿様への御機嫌伺、諸士への通知、大奥への申上げは従来通り…

  44. 追録7-No.2657 猪飼尚敏書状

    猪飼央が四家老へ内用として送った、重豪の死去と遺骸の国元移送の準備に関する書状。表向きは難症の病状と公辺の届出を急飛脚で知らせているが、内実はすでに極まった旨を先便で伝えていると述べる。来月三日に御極御届を出す予定で、その後、遺骸を国元へ移して福昌寺に入れるため、下国の手当や取調べを進め、来月十日頃…

  45. 追録7-No.2658 猪飼尚敏書状

    猪飼央が四家老へ内用として送った、重豪の葬祭の先例と国元への通知についての書状。死去の内実につき、何事も通常の例より少し手厚く取り調べると承知した旨を伝える。国元には隠居の死去の例がなく、宥邦院様(島津継豊)の逝去の例をもとに、国元への下国については圓徳院様(島津重年)の例をもとに、それぞれ少し手厚…

  46. 追録7-No.2659 猪飼尚敏書状

    猪飼央が四家老へ送った弔問・使者の取扱いについての書状。重豪の死去につき御内證様から見廻り等の使者を出すかについて、賢章院様(島津斉興室)が亡くなった際も使者が差し越されたため、そのように吟味して指示されたと述べる。圓徳院様の逝去時には寄合以上の相中使や馬廻などに小姓を付けて差し越し、一門方では自分…

  47. 追録7-No.2660 猪飼尚敏書状

    猪飼央から四家老への内用書状。重豪の遺骸を福昌寺へ入れるため、位牌の安置場所と墓所を国元で吟味して定めてよいか伺ったところ、位牌は「御位牌殿御一所」に安置するよう指示されたと記す。墓所については、中納言様(島津家久)の御影堂の後方か、浄岸院様(竹姫・継豊後室)の墓所の左脇を候補とし、いずれか都合のよ…

  48. 追録7-No.2661 猪飼尚敏書状

    猪飼央が四家老へ内用として送った遺骸輸送用の船についての書状。関から大里へ渡り、久見崎へ回航させる船の件を申し送っているが、急を要し、その間に船が回っている都合は見込みにくいと述べる。このため江戸では、奥平様(昌高・重豪男との本文注)の留守居と内談し、奥平方にある船を借り受ける内定があることを知らせ…

  49. 追録7-No.2662 仁孝天皇女房奉書

    仁孝天皇の女房奉書。さつまの中将から今回の昇進への謝礼として黄金百両・絹三十疋を進上したことを披露したところ、喜ばしく思われた旨をよく心得て伝えるようにとの仰せがあったと記す。御いまの御局に対し、その趣旨を心得て伝達するよう求め、「かしく」で結ぶ。朱書は天保四年正月二十七日。出典は旧御番所御文書三番…

  50. 追録7-No.2663 将軍父子、重豪の病を問わしむ

    重豪公御譜中の記事。正月二十八日、重豪の病気を月直老中松平和泉守乗寛に告げたと記す。翌二十九日、将軍から堀田相模守正篤を高輪邸へ遣わして病気を問わせ、儲后家慶公も慰問の意を示し、秋月筑前守種任を公への送迎の礼のために遣わした。前日にすでに申し入れを済ませていたため、この日は登城せず、本丸・西丸の老中…

  51. 追録7-No.2664 島津斉興届書

    松平大隅守が、同氏栄翁の病気の悪化を届けた書。栄翁が病気で養生しているが、臥床が増した旨は一昨日届けた通りであり、今朝に至っても快方に向かわず、軽くない容体であることを申し上げる。正月二十八日付、朱書天保四年、松平大隅守署。控えの正文は家老座にあるとの出典注を伴う。末尾の朱書注によれば、書付はその日…

  52. 追録7-No.2665 猪飼尚敏書状

    猪飼央が四家老へ送った、三位様の病状についての書状。重豪の不例については追々申し送った通りであり、なお快方に向かわず、臥床が増しているので恐縮していると伝える。そのため御惣方様には格別に心配されているが、御機嫌をはじめ何の支障もないと述べ、この趣旨を御内證様にも申し上げるよう求める。正月二十九日付、…

  53. 追録7-No.2666 猪飼尚敏書状

    猪飼央が四家老へ送った、病状関係の書類を添付する書状。先月二十九日に上使が来た際、容体書など別紙四通の通り、御坊主組頭を通じて差し出したと述べる。心得のため、それらを添えてこの趣旨を申し送るとする。二月三日付、朱書天保四年、猪飼央署。出典は重豪公御譜中で、控えの正文は家老座にあるとの注を伴う。本文は…

  54. 追録7-No.2667 島津斉興届書

    松平大隅守が同氏栄翁の病状を記した容体書。栄翁の病気は快方に向かわず、食事をとることも困難で、臥床が増していると申し上げる。正月二十九日付、朱書天保四年、松平大隅守署。前項に続く「全上」により重豪公御譜中の一連の書類として収録される。短い本文は不相勝、食事給兼、草臥相増の三点を記し、薬方・診断や死亡…

  55. 追録7-No.2668 島津斉興覚書

    松平大隅守が重豪の容体を見た医師等を列記した覚書。御醫師の見出しに続いて杉本宗春院・野間廣春院・中川隆玄・杉本忠温、さらに多紀安叔の名を記し、家来醫師として喜多村良宅、「右同」として河村宗膳を記す。本文に「右四人薬服用仕候」とあり、続いて「右容体為見申候」と記す。正月二十九日付、朱書天保四年、松平大…

  56. 追録7-No.2669 島津斉興覚書

    松平大隅守が、詰め籠もっている医師を列記した覚書。御醫師として杉本宗春院と中川隆玄、家来醫師として喜多村良宅、その次の「同」の名列に河村宗膳を記す。「右相詰籠居候」と結び、正月二十九日付、朱書天保四年、松平大隅守署。原本上段の杉本宗春院・中川隆玄と家来醫師の見出しに続き、下段に喜多村良宅・河村宗膳、…

  57. 追録7-No.2670 島津久長一類名書

    重豪の病状関係書類に続く、「相詰罷在候一類共」の名書。松平大隅守、松平溪山、松平豊後守、松平伊豫守、松平美濃守、奥平左衛門尉、松平刑部大輔、戸田伊賀守、戸澤能登守、島津又吉郎の十名を列記する。本文注で大隅守に島津斉興、溪山に斉宣、豊後守に斉彬、伊豫守に池田斉敏、美濃守に黒田斉溥、奥平左衛門尉に昌高、…

  58. 追録7-No.2671 将軍父子、重豪の病を問わしむ

    重豪公御譜中の記事。同年二月二日、将軍と亜相公が再び重豪の病気を問い、内藤大和守頼寧を高輪邸へ遣わして慰問の仰せを伝えた。御肴も賜り、秋月筑前守種任が重豪に代わってその恩旨を受けたと記す。この日はすでに哺時を過ぎていたため登城せず、本丸・西丸の老中へそれぞれ謝恩した。また留守居を若年寄および田沼玄蕃…

  59. 追録7-No.2672 猪飼尚敏書状

    猪飼央が四家老へ送った、重豪の重病届と見舞い・礼の取扱いについての書状。一昨朔日夕、留守居が差重・大切の容体を記す案文写を御用番松平周防守へ提出し、受領されたと記す。昨二日には公方の上使内藤大和守が来て肴を拝領し、名代秋月筑前守種任が受け、高輪で出迎え・案内した。内府の上意も伝えられ、家老・側役・名…

  60. 追録7-No.2673 島津斉興届書

    松平大隅守が同氏栄翁の容体について届けた書。栄翁の病気が重くなり、大切の容体となったため、この趣旨を申し上げると記す。二月朔日付、朱書天保四年、松平大隅守署。重豪公御譜中に続く「全上」の出典を伴う。短い本文は「病気段々差重」「大切之容体」の二点を記し、実際の死亡を記す届ではない。No.2672は一昨…

  61. 追録7-No.2674 島津斉興届書

    松平大隅守が同氏栄翁の重病を記した容体書。栄翁の病気が重くなっていることは昨日申し上げた通りであり、極めて大切の容体に至ったと記す。二月二日付、朱書天保四年、松平大隅守署。重豪公御譜中の一連の資料に続く「全上」を付す。前日のNo.2673の差重・大切の届を受け、翌日の容体を「至極大切」として記す短い…

  62. 追録7-No.2675 島津斉興覚書

    松平大隅守の覚書。「相詰罷在候一類共」として、松平大隅守・溪山・豊後守・伊豫守・美濃守、奥平左衛門尉、松平刑部大輔、戸田采女正、戸澤能登守、島津又吉郎の十名を列記する。続いて御醫師杉本宗春院を記し、次の上段に野間廣春院・中川隆玄・杉本忠温・多紀安叔、家来醫師喜多村良宅・同河村宗膳が続く。本文には「右…

  63. 追録7-No.2676 島津斉興覚書

    松平大隅守が詰め籠もる医師を列記した覚書。御醫師として野間廣春院・杉本忠温、家来醫師として喜多村良宅、続く「同」として河村宗膳を記し、「右相詰籠居候」と結ぶ。二月二日付、補注天保四年、松平大隅守署。原本上段に名列と詰籠の本文、下段の右端に日付と署名が続くため、通常・AI各二頁を一件として確認した。前…

  64. 追録7-No.2677 猪飼尚敏・調所広郷連署書状

    猪飼央・調所笑左衛門が四家老へ送った、重豪の死去通知と忌服等の取扱いを伝える連署書状。病気・養生の経過を急飛脚で伝えていたが、今朝卯刻に逝去したと記す。二月三日付の表向きの通知として、先行する正月十五日の実際の内報と区別する。用人・記録奉行が調べた親族ごとの忌服を列記し、死去届と忌服の案文を御用番松…

  65. 追録7-No.2678 島津斉興届書

    松平大隅守が同氏栄翁の死去と祖父に対する忌服を届けた書。栄翁は病気で養生がかなわず、今三日卯刻に死去したと記す。表向きの二月三日の死去届として、正月十五日の実際の内報とは分ける。続いて溪山にとっては父、豊後守にとっては曾祖父に当たることを記し、各人の忌服を表に示す。大隅守は忌三十日(同日から三月二日…

  66. 追録7-No.2679 将軍父子、重豪の死を哀惜し香奠を賜う

    御譜中の記事。二月三日、重豪の死去を将軍に告げ、この日邸中で初めて発喪したと記す。六日、将軍が堀田相模守正篤を高輪邸へ遣わし、重豪の死を悼んで香奠銀五十枚を賜り、斉興・溪山に弔意を示した。儲后家慶公も哀惜の言葉を加え、秋月筑前守種任が送迎の礼を行った。同日、本丸・西丸の老中へ謝恩し、留守居を田沼玄蕃…

  67. 追録7-No.2680 島津斉興伺書

    松平大隅守が、亡祖父栄翁の遺骸を先例通り国元へ送ることを願った伺書。遺骸を国元へ差し越したいので指示してほしいと求める。二月四日付、朱書天保四年、松平大隅守署。朱書の御付紙には「可為勝手次第候」とあり、希望通りに扱ってよい旨の返答を伴う。出典は重豪公御譜中、控えの正文は家老座にあるとの注を付す。末尾…

  68. 追録7-No.2681 島津斉興伺書

    松平大隅守が、亡祖父栄翁の遺骸を国元へ送る際の通行と人馬について願った伺書。東海道・美濃路を通行する予定であり、城州伏見の駅から西之宮までの通人馬については山崎道を通じて差し遣わしたいと求める。二月五日付、朱書天保四年、松平大隅守署。朱書の御付紙は「可為勝手次第候」であり、希望通りに扱ってよい旨の返…

  69. 追録7-No.2682 西筑右衛門願書

    松平大隅守内の西筑右衛門が、重豪の遺骸を国元へ送るための人馬継立を願った書。継人足七十五人・継馬七十五疋を掲げ、国元が遠境で、通常の太守旅行の定人馬でも不足し、今回は三位の身柄を送る特別な旅であるため、東海道・美濃路で当日継立と同様の定価銭による通継立を認めてほしいと求める。出格の評議による取扱いを…

  70. 追録7-No.2683 関所通行手形

    松平大隅守の祖父隠居栄翁が病死したため、遺骸を棺に納め、江戸から薩摩国鹿児島の菩提所福昌寺へ送ることを証明し、箱根・今切の関所を支障なく通すよう命じた手形。大隅守殿内の半田嘉藤次が申し立てた通りであると記す。天保四年巳二月七日付。内匠・土佐・信濃・左近・甲斐の五つの印の表示を列記し、箱根・今切の人改…

  71. 追録7-No.2684 調所広郷書状

    調所笑左衛門が四家老へ送った、重豪の死去に対する香奠の下賜と国元での取扱いを伝える書状。去る六日、上使堀田相模守正篤を介して香奠銀五十枚を拝領し、太守・御隠居に公方・内府の弔意が伝えられ、名代秋月筑前守種任が引請けたと記す。両御丸老中への廻勤、留守居・表方使者・番頭による謝礼は先例通りに済み、大奥御…

  72. 追録7-No.2685 猪飼尚敏書状

    猪飼央が四家老へ送った、重豪の遺骸に供奉して国元へ下る者の長髪の取扱いについての書状。大信院様の下国に際し長髪で供奉することの間数や先例を調べたが、帳留等では全く見いだせず、留守居を通じて問い合わせたと述べる。松平讃岐守方では遺骸の下国の際、供方が長髪のまま忌明けとなってもそのまま下国したとの申し出…

  73. 追録7-No.2686 猪飼尚敏書状

    猪飼央が四家老へ送った、瑞聖寺の祠堂金についての書状。金二百両を掲げ、大信院様の位牌を近日瑞聖寺へ安置するため、この金を祠堂金として用いる旨が仰せ出されたと記す。大信院が生前に金三百両を寺へ納めた際と同じ取扱いで御物方が借り入れ、七朱の利金を毎年七月と十二月の二季に渡すよう申し渡したことを、心得とし…

  74. 追録7-No.2687 重豪の中陰法事を瑞聖寺に修す

    重豪公御譜中の記事。大信公の木主を江戸の瑞聖寺に安置し、二月十四日から十六日まで同寺で中陰法事を行ったと記す。斉興は白銀百枚・米六十俵を寺へ納めて法事の費用とし、斉宣は白銀五枚、斉彬は三枚、英姫君は二枚を納めた。調所笑左衛門広郷が家老格として代わって焼香・拝礼し、英姫君は別に広敷の用人を遣わした。三…

  75. 追録7-No.2688 重豪の喪を領国に発す

    重豪公御譜中の、江戸からの凶報と領国での発喪の記事。本文は「二月二十日夜」、江戸から飛報が届いて重豪の凶信を伝えたと記す。その夜に家老・若年寄・大目付と家老座書吏等が登城し、翌日発喪して国中で密八音を奏した。二十四日、斉興の生母を江戸へ遣わすため、広敷番の頭田尻小次郎種常を派遣したと記す。一門・一族…

  76. 追録7-No.2689 諏訪武兼書状

    諏訪治部が調所笑左衛門へ送った、重豪の死去通知の到着、機嫌伺と慎の取扱いについての書状。三日の逝去を同日の極急飛脚で伝えた詳細が一昨十日夜に届き、すぐ御内證へ申し上げたと記す。内證の機嫌に支障はなく、田尻小次郎・近藤彦左衛門・中小姓廻新蔵を機嫌伺の使に充て、明後十四日に遣わす。一門・大身分・奥表役人…

  77. 追録7-No.2690 諏訪武兼書状

    諏訪治部が調所笑左衛門へ送った、重豪の法号の伝達と法式についての書状。本日家老座で寺社奉行へ法号を渡し、松之間で福昌寺に引き渡したと記す。住持が拝守し、先例通りの取扱いを申し渡したうえ、寺社奉行の跡上から福昌寺へ持参し、毎朝仏餉・茶湯を供えて回向し、初めての忌日には先祖の忌日と同様の霊膳等の法式を行…

  78. 追録7-No.2691 調所広郷書状

    調所笑左衛門が四家老へ送った、中陰法事と寺納物・代香についての書状。重豪の中陰法事を二月十四日から十六日まで瑞聖寺で行い、御隠居・若殿・御前から附法事を命じられ、香奠ではなく供えや寺納物があったと記す。両殿・若殿の代香は抽者、御前の代香は広敷用人が務めた。中陰法事料として銀百枚・米六十俵を渡し、附法…

  79. 追録7-No.2692 猪飼尚敏書状

    猪飼央が五名へ送った、重豪の入寺に伴う行列と途中の棺の置き場所についての書状。行列・道具の連絡を承知したが、一門から諸士まで供が多く混雑が心配なため、途中も協議し、水上から続く行列では供役が人数等を吟味し、別紙により先例通りに申し渡すとする。出水から伊集院までの泊まり・休みは寺に手当てする旨の連絡が…

  80. 追録7-No.2693 猪飼尚敏書状

    猪飼央が五名へ送った、重豪の官服を納める場所と収納箱の手配についての書状。大信院の入寺後、遺体は先に内葬するため、葬式では官服を用いた儀式があり、鬢髪は以前の剃髪の際に瑞聖寺へ納めてあるが、官服は直接福昌寺へ納める予定だと述べる。福昌寺その他への申渡しと取計らいを求める。官服は広蓋で受け、服紗包の用…

  81. 追録7-No.2694 調所広郷書状

    調所笑左衛門が六名へ送った、重豪の三十五日・四十九日法事の報告書状。三十五日法事は去る七日に瑞聖寺の寺内僧が行い、四十九日法事も同月二十一日に実施したと記す。御隠居・若殿・御前から附法事を命じられ、香奠ではなく供えや寺納物があり、両殿・若殿の代香は抽者、御前は広敷用人が務めた。各法事料は銀十枚・米十…

  82. 追録7-No.2695 諏訪武兼書状

    諏訪治部が調所笑左衛門へ送った、重豪の入寺と内葬の予定についての書状。来る五日に大信院が入寺し、棺を入れる儀式を済ませた後、翌六日夜に密かに内葬する予定と記す。その際は住持と抽者だけでなく嶋津但馬・猪飼央も詰め、さらに寺社奉行一人を置き、奥向の者が守って廟所に納める手配とする。表向きの葬送については…

  83. 追録7-No.2696 諏訪武兼書状

    諏訪治部が調所笑左衛門へ内用として送った、葬式で遺髪に代わる品を用いる取扱いについての書状。大信院の遺体は明六日夜に内葬する予定であり、葬式は先例通り遺髪によることとしていたが、以前の剃髪の際の鬢髪は瑞聖寺へ納めてあると述べる。このため代わりに奉納できる品を極内に礼方へ問い合わせたところ、内匠殿の家…

  84. 追録7-No.2697 重豪の遺骸本国福昌寺に入る

    重豪公御譜中の記事。重豪が当初川上久芳・伊集院兼當に瑞聖寺での埋葬を命じた後、病中に溪山へ国元福昌寺への帰葬を遺言した経緯を記す。分注は島津の長い継承と世の変化、先君の帰葬の例を論じ、遺言に従う意義と当時の家臣の責任を史臣が評したもので、事実経過と編纂者の論評を分ける。二月四日に斉興が帰葬を願って許…

  85. 追録7-No.2698 重豪の遺骸を客殿に安置し法筵を展ぶ

    重豪公御譜中の記事。同月八日、遺骸を仮棺から本棺へ移して客殿に安置し、法筵を開いたと記す。起龕を南林寺代鶚、鎖龕を妙谷寺音充、奠茶を興國寺怨源、奠湯を日新寺曹受が担当し、それぞれ法語を唱えた。維那は大翁軒寛山、大衆が読経し、島津内匠久徳が斉宣の代わりに焼香して祭文を献じ、梅春院圓州も法語を唱えたとす…

  86. 追録7-No.2699 島津斉宣代祭文

    斉宣が父重豪の霊を祭るために久徳を代役として遣わした祭文。天保四年癸巳の春、重豪を故従三位左近衛中将、薩隅日三州主兼領琉球国源公・大信院殿栄翁如證大居士と称し、高輪邸で病に伏し、二月三日に正寝で死去、十日に江戸から霊柩を発して国元へ戻し、四月八日戊申に福昌寺で仏式による殯葬の礼を行うと記す。嗣子斉宣…

  87. 追録7-No.2700 重豪の遺骸を福昌寺廟所に葬る

    重豪公御譜中の記事。同日夜酉刻、客殿から霊棺を下ろして葬場へ出し礼式を行ったと記す。葬馬二疋、灯籠、幢、香炉、茶・湯の碗、花瓶、燭台、松明、茶湯提子などの役と供人を列記する。島津内匠久徳が斉宣の代として神主を奉じて棺前に並び、三回拝礼した。棺の前後の轅、太刀・脇刀・天蓋の役、一門・家老・若年寄・大目…

  88. 追録7-No.2701 猪飼尚敏申渡書

    央が福昌寺へ伝えた、住持の病気と後住の公辺御目見についての申渡書。住持崑山が病気で御目見できず、一代にかかわる後住の御目見に支障があるという事情を、三位様が寺社奉行脇坂中務大輔安董へ内談したと記す。寺格による御目見ではなく浄岸院の由緒によって仰せ付けられたものなので、世代にかかわる支障について同席で…

  89. 追録7-No.2702 斉興帰国す

    斉興公御譜中の記事。天保四年癸巳三月十三日、上使松平和泉守乗寛から伝達があり、例の通り品物を賜ったと記す。内府家慶公からも、上使松平伯耆守宗発を介して例の通り賜品があった。十五日、斉興は登城して礼を述べ、懇命を受けて御目見し、例の通り馬を賜ったと記す。目録の表題は斉興の帰国を掲げるが、この短い本文は…

  90. 追録7-No.2703 斉興、重豪の中陰法事を修す

    斉興公御譜中の記事。祖父重豪(原文「大父公」)の木主を江戸の瑞聖寺へ納め、二月十四日から十六日まで中陰法事を行った。斉興は白銀百枚・米六十俵を同寺へ附して法事の費用とし、家老調所笑左衛門広郷が焼香・代拝したと記す。三十五日・四十九日の法事も瑞聖寺で行い、斉興は白銀十枚・米十俵を附して費用とした。四月…

  91. 追録7-No.2704 奥平昌高・黒田斉溥等が使者を遣わす

    重豪公御譜中の記事。三月二十二日に奥平昌高の使者黒瀬市兵衛が下町会所へ、四月四日に松平美濃守斉溥の使者山内仁太夫ほか計三十四人が上町会所へ来館した。重豪葬送の日、両方の使者が福昌寺に香奠銀を献じて焼香し、斉興は各使者に銀十枚を贈って労をねぎらったと記す。使事の後は各々の本府へ帰った。四月十三日から二…

  92. 追録7-No.2705 斉興帰国す

    斉興公御譜中の帰国の記事。四月十五日に斉興が江府を発ち、六月三日に鹿児島へ到着したと記す。短い本文は出発日と到着日の二点を示す。No.2702の上使・賜品・登城・謝礼の記事とは別に、実際の江戸出発と国元到着を記す資料として整理する。年次は目録の天保四年による。途中の宿泊地、同行者、所要日数や重豪の霊…

  93. 追録7-No.2706 諏訪武兼書状

    諏訪治部が調所笑左衛門へ送った、重豪への代香使者と香奠・謝礼の取扱いについての書状。奥平左衛門尉の使者黒瀬市兵衛は上下三十人で先月二十二日、松平美濃守の御番頭山内仁太夫は上下三十四人で去る四日に到着し、上町・下町会所に旅宿を付けて会釈等を先例通りに申し渡したと記す。八日の葬送では、奥平左衛門尉から香…

  94. 追録7-No.2707 諏訪武兼書状

    諏訪治部が調所笑左衛門へ送った、中陰法事と供え・代参の報告書状。寺社奉行が取り調べ、十三日から昨日十七日まで五日間法事を行い、初日に太守・若殿の祭文を名代の島津安藝忠喬・啓之助忠剛が献じた。御隠居は白銀十枚、御前は五枚、淑姫は二枚、隨姫・幸姫は各金子二百疋、御内證は白銀二枚、左近・虎之助は白銀二枚、…

  95. 追録7-No.2708 重豪の中陰法事に二寺の使僧が来る

    重豪公御譜中の記事。長州萩の東光寺から代僧泰法院惠雲、防州三田尻の眠湖寺から使僧が薩府に来て、福昌寺の中陰法筵に参列したと記す。それぞれ香奠銀を献じ、焼香・拝礼した。重豪が黄檗宗へ帰依していたための礼であると理由を述べる。本文は二寺の来訪と供養を記すが、眠湖寺の使僧の実名、各香奠銀の数量、具体的な来…

  96. 追録7-No.2709 諏訪武兼書状

    諏訪治部が調所笑左衛門へ送った、入寺後の代参についての書状。大信院の入寺の翌六日、霊前へ太守から島津讃岐殿、御隠居から島津石見、若殿から島津圖書を代参させるよう命じられ、それぞれ務めたことを伝える。御隠居・若殿にも報告するよう求める。四月十八日付、朱書天保四年、諏訪治部署。控えの正文は家老座にあると…

  97. 追録7-No.2710 諏訪武兼書状

    諏訪治部が調所笑左衛門へ送った、六日夜の入棺と内葬が済んだことを伝える書状。大信院の遺体は去る六日夜に行水・入棺の儀式を行い、抽者、寺社奉行一人、御側役二人が詰め、住持が法式通りに務めたと記す。その夜、密かに西玄院から出し、但馬・央・抽者・側役・側廻・住持・惠燈院三塔司等が供を務め、遺体を廟所へ奉納…

  98. 追録7-No.2711 諏訪武兼書状

    諏訪治部が調所笑左衛門へ送った、重豪の入棺・葬送と名代・参列の報告書状。入寺は先便で伝えた通り、翌六日夜に入棺し、八日夜に葬送を滞りなく済ませたと記す。御隠居の代祭文・焼香と葬送時の位牌守は島津内匠、太守の焼香は島津啓之助、若殿の焼香は島津遠江が名代を務めた。御前・淑姫・隨姫・幸姫・御内證は広敷用人…

  99. 追録7-No.2712 重豪の忌日を改める

    重豪公御譜中の記事。大信公は実際にはこの年の正月十五日に薨じたが、事情があって二月三日に発喪したため、初めは二月三日を忌日としたと記す。その後、四月に至って忌日を正月二十日へ改めたと述べる。実際の死去日、発喪した日、当初の忌日、改定後の忌日を明確に分けて保持する。発喪を遅らせた事情の具体的内容や、正…

  100. 追録7-No.2713 調所広郷書状

    調所笑左衛門が五人へ送った、重豪の忌日変更の通知書状。大信院の忌日は二月三日としていたが、内々・表向きとも正月二十日に改めるよう仰せ出されたため、御方々へ伝え、関係先へそれぞれ申し渡すよう求める。御内證にも伝え、宛先側での申渡しは適切に取り計らうよう依頼する。四月二十九日付、朱書天保四年、調所笑左衛…