ARCHIVE DIRECTORY
追録7の目録
暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。
全2,939件中 2301~2400件・24 / 30ページ
追録7-No.2118 島津重豪書状
重豪が花町・梅その・梅溪・たき山の四名へ、御台所が機嫌よく、先に神田橋屋敷へ立ち寄ったことを喜び、御序に機嫌を伺う旨をよろしく取り成して伝えるよう頼む消息。文政九年朱注、本文月日なし。前2117の立寄り予定と出席指図への謝礼とは、すでに立寄ったとする本文の時点を分けて整理する。
追録7-No.2119 島津重豪覚書
四月十三日、越中守夫婦・寧太郎夫婦の衆と同道して、婚姻後初めて楽翁の築地屋敷を訪れた際の贈答覚書。寧太郎夫婦から楽翁へ肴一折、楽翁奥方へ絵絹三端、楽翁へ藤色縮緬一疋を贈り、お孝から国焼植もの鉢五・朱塗食籠一箱、奥方へ香はん十枚・国焼とひん二、お信へ短冊かけ一、貞四郎へ同人から風鈴一箱を贈ったと記す。…
追録7-No.2120 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、若君に使者を通じ献上された菖蒲御兜一飾が首尾よく披露されたと伝える書状。四月二十八日付、文政九年は朱注。菖蒲御兜の数量一飾と、本文の若君という献上先を保持する。
追録7-No.2121 徳川家斉御内書
家斉が松平榮翁へ、端午の祝儀として帷子の単物が到来したことを喜び、詳しいことは水野出羽守から伝えさせるとした御内書。五月二日付で家斉公黒印を備え、文政九年は朱注による。本文・日付・黒印・宛名を次の片段まで照合する。
追録7-No.2122 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、端午の祝儀として使者を通じ献上された帷子の単物を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。五月二日付、文政九年は朱注。2121の御内書とは別の献上披露返書として整理する。
追録7-No.2123 松平乗寛書状
松平和泉守乗寛が松平榮翁へ、今朝献上された一箱の品を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。品名の魚偏字は鯣候補として留保する。六月十九日付、文政九年は朱注。署判と口裏により差出人を乗寛と確認し、一箱の数量を保持する。
追録7-No.2124 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、今朝献上された一箱の品を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。品名の魚偏字は鯣候補として留保する。六月十九日付、文政九年は朱注。2123と同日の献上披露でも、差出人を忠進として別文書に整理する。
追録7-No.2125 水野忠成書状
水野出羽守が松平榮翁へ、端午に関する御内書を渡すため、翌日五半時に家来を城へ差し出すよう求める通知。六月二十四日付、文政九年は朱注。御内書受渡の指示であり、五月の帷子祝儀の到来・披露返書とは区別する。
追録7-No.2126 水野忠成書状
水野出羽守忠成が松平榮翁へ、生見玉の祝儀として献上された黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。七月六日付、文政九年は朱注。本文の生見玉という表記と黄金十両の数量を保持し、署判・口裏を次片段まで確認する。
追録7-No.2127 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、生見玉の祝儀として献上された黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。七月六日付、文政九年は朱注。2126と同じ祝儀を扱うが差出人は忠進で、独立書状として署判・口裏を記録する。
追録7-No.2128 重豪御鷹の雲雀を拝領す
八月九日、幕府が使番永田幾太郎直道を遣わして重豪へ御鷹の雲雀を下賜した記事。重豪には微恙があったため、斉彬が代理で受け取った。使番・受給者・拝領品・病による代受者を区別し、前年の雲雀拝領記事から分ける。
追録7-No.2129 たき山外三名連署消息
花町・梅その・梅溪・たき山の四名が松平榮翁へ、受け取った文と上々様の機嫌を伝え、重豪が目録どおり差し上げた品を披露したところ御台所が満足したことを知らせる返信。文政九年朱注、本文に月日はなく、具体的な品名・数量を補わない。正文は文庫にあるとし、御返事の表示を伴う。
追録7-No.2130 島津久風・北郷久珉家老連署申渡書
斉興の家督初の国許での御暇を許された際、文化八年四月十九日の登城御礼で家斉から拝領した刀・道具を、御納戸で格護し、後年紛失しないよう帳面に記録させる申渡書。刀一腰は備後国正近、象眼銘、折紙あり、代金二十枚、長二尺二寸六部半と記す。二重上下金着の鎺・金着切羽、赤銅磨の鍔、赤銅七子の縁、角黒塗柄頭、大之…
追録7-No.2131 斉興御鷹の雲雀を拝領す
斉興公御譜中の記事。文政九年秋八月十五日、上使永田幾太郎によって斉興へ御鷹の雲雀が下賜された。前2128の重豪への雲雀下賜・斉彬代受とは受給者と日付が異なるため、別件として記録する。
追録7-No.2132 青山忠裕書状
青山下野守忠裕が松平榮翁へ、浅姫君の七夜の祝儀として献上された鯛一折を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。浅姫には家斉女の傍注がある。八月二十三日付、文政九年は朱注。祝儀理由と鯛一折の数量、署判・口裏を保持する。
追録7-No.2133 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、浅姫君の七夜の祝儀として献上された鯛一折を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。八月二十三日付、文政九年は朱注。2132と同日の同じ祝儀でも、差出人を忠進として別文書に整理する。
追録7-No.2134 徳川家斉御内書
家斉が松平榮翁へ、重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは青山下野守から伝えさせるとした御内書。九月七日付で家斉公黒印を備え、文政九年は朱注による。
追録7-No.2135 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、重陽の祝儀として使者を通じ献上された小袖一重を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。九月七日付、文政九年は朱注。2134の家斉御内書とは別の披露返書として整理する。
追録7-No.2136 青山忠裕書状
青山下野守が松平榮翁へ、重陽に関する御内書を渡すため、翌日五半時に家来を城へ差し出すよう求める通知。十月二十日付、文政九年は朱注。受渡時刻と家来の登城指示を記録し、九月の祝儀披露返書とは区別する。
追録7-No.2137 大久保忠真書状
大久保加賀守忠真が松平榮翁へ、若君の髪置の祝儀として、使者を通じ目録どおり献上された品を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十一月朔日付、文政九年は朱注。具体的品目・数量と若君の実名は本文にないため補わない。
追録7-No.2138 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、若君の髪置の祝儀として、内府様・若君に使者を通じ目録どおり献上された品を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十一月朔日付、文政九年は朱注。2137と同じ祝儀だが、本項では内府様・若君の両献上先を明記する。品目・数量や若君の実名は補わない。
追録7-No.2139 斉興、斉彬の婚姻を拝謝す
近秘野抄中の斉彬公記事。文政九年十一月六日に結納、二十七日に婚姻したことを記し、十二月朔日に斉興が登城し、家斉・内府・御台所・御簾中へ品を献じて婚姻の恩を謝したとする。結納・成婚・謝礼の日付を分け、目録の斉興による拝謝と本文の斉彬公記事という出典表示を区別する。
追録7-No.2140 島津重豪覚書
虎之助について来る十五日に内輪の高輪取計で角入・袖留の祝いを行い、大奥の休息所では平服で盃角入と着替えをして祝い合う予定を記す覚書。お種は当日の鉄漿初めと、かねて依頼していた茜染めの扱いに関して、楽翁奥方へ鉄漿筆の箱入二対・千たい一折・樽代三百疋を贈り、目録を添えた。楽翁夫婦の衆からお種へ祝いの文と…
追録7-No.2141 青山忠裕書状
青山下野守忠裕が松平榮翁へ、盛姫君の婚礼の祝儀として目録どおり献上された品を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十一月二十八日付、文政九年は朱注。具体的な品目・数量は本文に記さないため補わない。
追録7-No.2142 島津久風外三名家老連署書状
北郷内記・島津丹波・川上久馬・島津但馬の四家老が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、大御隠居重豪への年首祝儀として目録どおり差し上げられた品を江戸で披露したところ、重豪が満足したと伝える。国王へこれを伝達するよう求める。十二月十五日付。四名の人物構成を前の家老連署書状と分ける。
追録7-No.2143 島津久風外三名家老連署書状
四家老が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、又次郎が島津出雲殿の養子とするよう仰せ出された祝儀として、座喜味親方を通じ大御隠居重豪へ太刀一腰・御馬代白銀三十両と目録記載品が差し上げられたことを伝える。又次郎には島津久光、出雲殿には忠公・越前家の注がある。江戸で披露され重豪が満悦したため、国王…
追録7-No.2144 島津久風外三名家老連署書状
四家老が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、閑姫の縁組願いが願いどおり許された祝儀として、座喜味親方を通じ大御隠居重豪へ目録記載品が差し上げられたことを伝える。閑姫には斉宣女の傍注がある。江戸で披露され重豪が満悦したため、国王へ伝達するよう求める。十二月十五日付。本文にない品目・数量や成婚済…
追録7-No.2145 青山忠裕書状
青山下野守忠裕が松平榮翁へ、今朝献上された鰹節一箱を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十二月十八日付、文政九年は朱注。数量一箱・署判・口裏を保持し、本文にない具体的な献上先を補わない。
追録7-No.2146 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、今朝献上された鰹節一箱を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十二月十八日付、文政九年は朱注。2145と同日の献上披露でも、差出人を忠進として別書状に整理する。
追録7-No.2147 むめ田外五名連署消息
歌はし・あすか井・花その・瀬川・八十瀬・むめ田の六名が松平榮翁へ、御台所・御簾中の機嫌を伝え、歳暮の祝儀として目録どおり贈られた品を重豪が拝領したことを祝う消息。重豪の長久を願い、変わらぬ交際を求める言葉を添える。文政九年朱注、本文月日なし。目録のむめ田外五名という六名連署と各署名を照合し、品目・数…
追録7-No.2148 瀧山外三名連署消息
花まち・梅その・むめ溪・瀧山の四名が松平榮翁へ、寒さが厳しくとも障りがないことを喜び、上々様の機嫌を伝える消息。寒中のため御台所から嶋縮緬五反を内々に贈るので、心得るよう伝えてほしいとする。文政九年朱注、本文月日なし。前2147の歳暮目録品拝領の消息から分け、内々の贈与品と五反の数量を明記する。
追録7-No.2149 徳川家斉御内書
家斉が松平榮翁へ、歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは大久保加賀守から伝えさせるとした御内書。十二月二十七日付で家斉公黒印を備え、文政九年は朱注による。
追録7-No.2150 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、歳暮の祝儀として使者を通じ献上された小袖一重を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十二月二十七日付、文政九年は朱注。2149の家斉御内書とは別の披露返書として、署判・宛名を次片段まで確認する。
追録7-No.2151 酒井忠進書状
若君へ使者を通じ献上された御破魔弓一飾が首尾よく披露されたと松平榮翁へ伝える書状。十二月二十八日付、文政九年は朱注。口裏は酒井若狭守忠進だが、署判位置は「本マ、判」と印刷されるため、この表記をそのまま留保し、署判本文に忠進の名があるとは扱わない。若君の実名や献上日も補わない。
追録7-No.2152 大久保忠真書状
大久保加賀守忠真が松平榮翁へ、若菜の祝儀として献上された鯛一折を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月七日付、文政十年は朱注。前年末の歳暮・破魔弓の書状とは年次・祝儀名・品目を分けて整理する。
追録7-No.2153 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、若菜の祝儀として献上された鯛一折を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月七日付、文政十年は朱注。2152と同じ祝儀を扱うが、署判・口裏の差出人を忠進として別文書に整理する。
追録7-No.2154 島津斉興吉書
斉興が年頭の吉書として、神社仏閣の修造・興行、農業の奨励、国々の年貢の徴納という三か条を掲げ、その趣旨に従って沙汰するよう命じた文書。文政十年正月十一日付で斉興御判を備え、白木御文書九番箱中十二番に収める。前年度の吉書とは年次・収納番号を区別する。
追録7-No.2155 大久保忠真書状
大久保加賀守忠真が松平榮翁へ、年頭の祝儀として使者を通じ献上された太刀一腰・御馬代黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月十一日付、文政十年は朱注。数量と署判・口裏・宛名を次片段まで確認する。
追録7-No.2156 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、年頭の祝儀として内府様・若君に使者を通じ献上された御太刀・御馬代黄金を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月十一日付、文政十年は朱注。両献上先を保持し、本文にない数量を前2155から補わない。
追録7-No.2157 瀧山外三名連署消息
花町・梅その・梅溪・瀧山の四名が松平榮翁へ、年頭の長寿と上々様の機嫌を祝い、老年であることへの御台所の思召によって、御納戸金から内々に三百金が例年どおり贈られたことを伝える消息。文政十年朱注、本文月日なし。本文の三百金という数量表現と御納戸金の出所を保持する。
追録7-No.2158 瀧山外三名連署消息
花町・梅その・梅たに・瀧山の四名が松平榮翁へ、重豪からの文を受け、上々様の機嫌を伝える返信。老年の重豪へ御台所の思召で御納戸金から内々に金三百両が贈られたことに対する礼を受け、厚い礼の言葉をよろしく伝えれば満足する旨を記す。文政十年朱注、本文月日なし。2157の贈与通知とは別の返信で、署名の梅たにを…
追録7-No.2159 島津重豪伺書並例書
御簾中への機嫌伺いの献上物を差し上げるよう御付札を受け、松平榮翁からも同様の品を献上したいとする伺書。二月二十四日朱注、松平豊後守署名、正文控は右筆所にある。続く例書は文化十三年九月の徳川民部卿斉敦逝去の際、榮翁・溪山の献上を不要とした例を示す。今回も一橋の薨去に伴い、公方は定式の忌服、内府は半減の…
追録7-No.2160 大久保忠真書状
大久保加賀守が松平榮翁へ、歳暮に関する御内書を渡すため、翌日五半時に家来を城へ差し出すよう求める通知。三月二十八日付、文政十年は朱注。御内書の受渡時刻と家来登城の指示を記録する。
追録7-No.2161 斉興、将軍父子の叙任を賀す
斉興公御譜中の記事。三月十五日、敕使廣橋胤定・甘露寺国長が江戸へ向かい、十八日に家斉を左大臣から太政大臣へ任じ、家慶を正二位から従一位へ叙した。斉興は献上品で叙任を祝い、二十九日に上使松平和泉守乗寛から祝意と例の賜品を受け、家慶からも酒井若狭守忠進を上使とする例の賜品を受けた。四月朔日に登城して謝礼…
追録7-No.2162 重豪、将軍父子の叙任を賀す
重豪公御譜中の家斉・家慶叙任祝賀記事。四月十二日、物頭有川六右衛門貞聲を本丸へ遣わし、家斉へ太刀一腰・馬代金一枚と同品を贈った。岩切彦太夫貞門は西丸へ遣わされ、家慶へ太刀一腰・馬代金一枚と同品を贈り、御台所・御簾中へも干鯛各一箱を献じた。二十二日、上使丹羽長門守氏昭から重豪へ縮緬十巻、家慶の使者から…
追録7-No.2163 青山忠裕書状
青山下野守忠裕が松平榮翁へ、位階昇進の祝儀として使者を通じ献上された御太刀・御馬代を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。四月十三日付、文政十年は朱注。本文にない数量・具体的な献上先を補わず、署判と口裏を確認する。
追録7-No.2164 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、位階昇進の祝儀として使者を通じ献上された御太刀・御馬代を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。四月十三日付、文政十年は朱注。本文にない数量・具体的な献上先を補わず、署判と口裏を確認する。
追録7-No.2165 斉興帰国す
斉興公御譜中の帰国記事。夏四月十五日に斉興が江戸を発ち、六月七日に鹿児島へ到着したと記す。次2166の近秘野抄は六月六日府城着とするため、同じ帰国でも帰着日の一日の違いを留保する。
追録7-No.2166 斉興帰国す
近秘野抄中の記事。文政十年四月十五日に斉興が芝邸を発ち、六月六日に府城へ到着した。出発前に家斉の太政大臣任官・家慶の従一位叙位があり、二十二日に使者を通じ斉興と両大公へそれぞれ品が賜られたとする。前2165は六月七日鹿児島着とするので、帰着日を出典どおり分ける。
追録7-No.2167 島津斉興伺書並幕府指図書
白木御文書九番箱中十三番の伺書と幕府指図書。上使豊後守・榮翁・溪山に拝領物が仰せ付けられたため、豊後守が承知したうえで謝礼をどのように行うべきか伺う。四月二十二日、豊後守内早川環と記す。添紙は豊後守の謝礼を飛札とし、榮翁・溪山は近い能の節に折一合を献上するよう求める。三月付の指図は位階昇進時に白書院…
追録7-No.2168 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、若君に使者を通じ献上された菖蒲御兜一飾が首尾よく披露されたと伝える書状。四月二十八日付、文政十年は朱注。署判・宛名・口裏を次片段まで確認し、若君の実名や本文にない献上日を補わない。
追録7-No.2169 徳川家斉御内書
家斉が松平榮翁へ、端午の祝儀として帷子の単物が到来したことを喜び、詳しいことは松平和泉守から伝えさせるとした御内書。五月三日付で家斉公黒印を備え、文政十年は朱注による。
追録7-No.2170 植村家長書状
植村駿河守家長が松平榮翁へ、端午の祝儀として使者を通じ献上された帷子の単物を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。五月三日付、文政十年は朱注。2169の御内書とは別の披露返書として、差出人・署判を記録する。
追録7-No.2171 座喜味盛珍起請文前書
前年に三司官役を仰せ付けられた座喜味親方盛珍が、役への感謝と忠誠を誓う起請文前書。国許の奉公にいっそう精勤し、斉興・重豪・斉宣・斉彬に少しも疎意を抱かないとする。国許からの条書を堅く守り、悪意・邪儀があれば披露すること、国王には二心なく忠勤すること、国内の掟や諸事を親疎なく取り扱うことを誓う。文政十…
追録7-No.2172 松平乗寛書状
松平和泉守が松平榮翁へ、端午に関する御内書を渡すため、翌日五半時に家来を城へ差し出すよう求める書状。六月二十八日付、文政十年は朱注。五月の帷子祝儀への御内書・返書とは別の受渡通知として整理する。
追録7-No.2173 水野忠成書状
水野出羽守忠成が松平榮翁へ、今朝献上された一箱の品を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。品名の魚偏字は鯣候補として留保する。閏六月三日付、文政十年は朱注。数量一箱と献上披露の方向を確認し、同日付でも各差出人の書状を別に整理する。
追録7-No.2174 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、今朝献上された一箱の品を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。品名の魚偏字は鯣候補として留保する。閏六月三日付、文政十年は朱注。数量一箱と献上披露の方向を確認し、同日付でも各差出人の書状を別に整理する。
追録7-No.2175 知姫系譜抄
御系図中の知姫の系譜抄。斉興の子女二十五人の図から女子知姫へ続き、文政十年閏六月十五日生、母は島津久尹の養女、文政十二年四月七日夭亡と記す。法名は「光前院殿智見紹後大禅童女」と印刷する。後年の夭亡記事を含む系譜であり、文政十年当時の書状日付とは分けて整理する。
追録7-No.2176 大久保忠真書状
大久保加賀守忠真が松平榮翁へ、生見玉の祝儀として内府様に献上された黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。七月六日付、文政十年は朱注。内府様という献上先と黄金十両の数量を保持する。
追録7-No.2177 松平康任書状
松平周防守康任が松平榮翁へ、生見玉の祝儀として献上された黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。七月六日付、文政十年は朱注。康任の署判・口裏と宛名を次片段まで確認し、本文にない献上先を補わない。
追録7-No.2178 植村家長書状
植村駿河守が松平榮翁へ、端午の奉書を渡すため、翌日四時に家来を西丸へ差し出すよう求める書状。七月二十四日付、文政十年は朱注。奉書・西丸・四時という本文の指定を保持し、他の御内書受渡通知の五半時・城という表現へ統一しない。
追録7-No.2179 川上久芳申渡書
川上久馬が御記録奉行へ、中山王尚灝は近年の持病で務めを果たし難いため隠居し、嫡子中城王子尚育へ継承したいとの願いが認められたことを伝える申渡書。尚育はこの意を心得て養生し、万事中城として務めるよう命じられたとし、その旨を帳面に記録させる。八月付、白木御文書九番箱中十六番。
追録7-No.2180 徳川家斉御内書
家斉が松平榮翁へ、重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは松平周防守から伝えさせるとした御内書。九月七日付で家斉公黒印を備え、文政十年は朱注。次2181の返書は十月七日と印刷するが、本書日付は九月七日として保持する。
追録7-No.2181 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、重陽の祝儀として使者を通じ献上された小袖一重を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。日付は十月七日と印刷し本マ注を伴う。前2180の九月七日付御内書との違いを留保し、推定訂正しない。文政十年は朱注。
追録7-No.2182 町田久視申渡書
斉宣の男を本日石見の嫡子島津播磨の養子とする旨が仰せ出され、下向のことは追って指示するため、帳面に記録しておくよう御記録奉行へ伝える申渡書。本人名は夙之丞候補として採録し、石見には久続、播磨には久本の小字注がある。九月十五日の文政十年注、前用久視・臨物の表示と出生年等の朱補注を伴う。本文の養子許可・…
追録7-No.2183 松平康任書状
松平周防守が松平榮翁へ、重陽に関する御内書を渡すため、翌日五半時に家来を城へ差し出すよう求める通知。十月二十日付、文政十年は朱注。献上披露の返書とは別の受渡通知として記録する。
追録7-No.2184 鶴首茶入由緒調書(表紙)
白木御文書九番箱中十七番に収める一冊の表紙。文政十年十月の注と、鶴首茶入を献上するに当たり由緒を調べた旨、御記録所という表示がある。右一冊の蓋紙と明記された表紙である。後続の無番号四書状は個別の文書として続く。
追録7-No.2185 大久保忠真書状
大久保加賀守忠真が松平榮翁へ、文姫君の婚礼祝儀として目録どおり献上された品を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十一月二十八日付、文政十年は朱注。品目・数量は記さないため補わず、口裏と宛名を次片段まで確認する。
追録7-No.2186 町田久視申渡書
町田監物が御記録奉行へ、島津啓之助を御内証の養子とする思召があるとして、その旨を帳面へ記録するよう命じる申渡書。十二月付、白木御文書九番箱中十八番。啓之助には斉宣男・剛忠の小字注があり、正文の御内証養子と注による人物説明を分ける。前の啓之助の記事にある出自注を本項へ推定統一しない。
追録7-No.2187 北郷久珉申渡書
北郷内記が御記録奉行へ、中山王尚灝は持病で務め難いため隠居し、嫡子中城王子尚育への継承願いが許されたことを伝える申渡書。尚育は心得て養生し、万事中城の名代として務めるよう命じ、さらに国内の仕置きを入念にするよう指示する。その旨を帳面に記録させる。十一月付、白木御文書九番箱中十九番。八月の2179より…
追録7-No.2188 青山忠裕書状
青山下野守忠裕が松平榮翁へ、今朝献上された鰹節一箱を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十二月七日付、文政十年は朱注。数量一箱と署判・口裏を保持し、同日の各差出人の書状を分けて整理する。
追録7-No.2189 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、今朝献上された鰹節一箱を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十二月七日付、文政十年は朱注。数量一箱と署判・口裏を保持し、同日の各差出人の書状を分けて整理する。
追録7-No.2190 島津重豪覚書
お淑の当日の鉄漿初めに伴う贈答覚書。祝いはかねて築地に頼んであり、先方から鉄漿筆二対・千たい一折・樽代三百疋と目録が届いた。楽翁夫婦からの交肴一折・肴一折・さかな代二百疋、左近・お孝・虎之助からの肴一折、お種・お貢からの琉球紬一反・朱塗沈金重一組も記す。お淑から築地奥方へ二千鯛一箱を贈り、奥方の礼状…
追録7-No.2191 島津久風外二名家老連署書状
北郷内記・町田監物・島津但馬の三家老が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、大御隠居重豪への年首祝儀として目録どおり差し上げられた品を江戸で披露したところ、重豪が満足したと伝える。国王へこれを伝達するよう求める。十二月十五日付、具体的品目・数量は本文に記さない。
追録7-No.2192 島津久風外二名家老連署書状
三家老が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、前年に若殿の結納・婚姻が首尾よく整った祝儀として、与那原親方を通じ大御隠居重豪へ太刀一腰・御馬代白銀百両と目録記載品が差し上げられたことを伝える。江戸で披露され重豪が満悦したため、国王へ伝達するよう求める。十二月十五日付。前年の婚姻と本書の日付を分…
追録7-No.2193 島津久風外二名家老連署書状
三家老が羽地王子へ、琉球国王の尊書を拝見し、大御隠居重豪の十二男勝之進に関する祝儀として、与那原親方を通じ太刀一腰・御馬代白銀百両と目録記載品が差し上げられたことを伝える。該当箇所は「御十二男之御居被為済」と見える印字を留保し、江戸で披露され重豪が満悦した旨を採録する。国王へ伝達するよう求める十二月…
追録7-No.2194 島津久風外二名家老連署書状
三家老が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、孝姫の婚姻が首尾よく整った祝儀として、与那原親方を通じ大御隠居重豪へ太刀一腰・御馬代白銀百両と目録記載品が差し上げられたことを伝える。江戸で披露され重豪が満悦したため、国王へ伝達するよう求める。十二月十五日付。
追録7-No.2195 島津久風外二名家老連署書状
三家老が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、伊豫守を松平上総介の養子とする願いが許され、引越し等が済んだ祝儀として、与那原親方を通じ大御隠居重豪へ太刀一腰・御馬代白銀百両と目録記載品が差し上げられたことを伝える。江戸で披露され重豪が満悦したため、国王へ伝達するよう求める。十二月十五日付。
追録7-No.2196 島津久風外二名家老連署書状
三家老が羽地王子へ、琉球国王の尊書を拝見し、信八郎の夭亡(印刷は天亡)に伴う重豪への御機嫌伺いとして、与那原親方が書面で伝えた旨を江戸で披露したと知らせる。十二月十五日付。本文にない弔慰品の品目・数量や信八郎の父母を補わず、羽地王子のみの宛名を保持する。
追録7-No.2197 徳川家斉御内書
家斉が松平榮翁へ、歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは水野出羽守から伝えさせるとした御内書。十二月二十七日付で家斉公黒印を備え、文政十年は朱注による。
追録7-No.2198 植村家長書状
植村駿河守家長が松平榮翁へ、歳暮の祝儀として使者を通じ献上された小袖一重を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十二月二十七日付、文政十年は朱注。2197の家斉御内書とは別の披露返書として整理する。
追録7-No.2199 植村家長書状
植村駿河守家長が松平榮翁へ、若君に使者を通じ献上された御破魔弓一飾が首尾よく披露されたと伝える書状。十二月二十八日付、文政十年は朱注。日付・署判・口裏・宛名を次片段まで確認し、若君の実名や献上日を補わない。
追録7-No.2200 松平康任書状
松平周防守康任が松平榮翁へ、若菜の祝儀として献上された鯛一折を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月七日付、文政十一年は朱注。前の文政十年末の歳暮・破魔弓とは年次と祝儀品を分けて整理する。
追録7-No.2201 大久保忠真書状
大久保加賀守忠真が松平榮翁へ、若菜の祝儀として内府様に献上された鯛一折を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月七日付、文政十一年は朱注。内府様という献上先を明記し、2200の同日付返書から分ける。
追録7-No.2202 瀧やま外三名連署消息
花町・梅その・梅溪・瀧やまの四名が松平榮翁へ、初春と上々様の機嫌を祝い、御台所から酒二箱・魚一折を年玉として内々に贈るので、よろしく伝えるよう求める消息。重豪の長久を願う言葉を添える。文政十一年朱注、本文に月日はない。定例の三百両の贈与消息とは別の年玉の酒・魚として数量を保持する。
追録7-No.2203 松平康任書状
松平周防守康任が松平榮翁へ、年頭の祝儀として使者を通じ献上された太刀一腰・御馬代黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月十一日付、文政十一年は朱注。太刀・馬代の数量と署判・口裏を保持する。
追録7-No.2204 植村家長書状
植村駿河守家長が松平榮翁へ、年頭の祝儀として内府様・若君に使者を通じ献上された御太刀・御馬代黄金を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。内府様には徳川家慶、若君には徳川家定の小字注がある。正月十三日付、文政十一年は朱注。両献上先と人物注を分け、品目にない数量を2203から補わない。
追録7-No.2205 水野忠成書状
水野出羽守忠成が松平榮翁へ、若君の着袴の祝儀として使者を通じ目録どおり献上された品を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月二十一日付、文政十一年は朱注。署判・口裏・宛名を下段まで確認し、本文にない献上品の種類・数量や若君の実名を補わない。
追録7-No.2206 植村家長書状
植村駿河守家長が松平榮翁へ、若君の着袴の祝儀として内府様・若君に使者を通じ目録どおり献上された品を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月二十五日付、文政十一年は朱注。二人の献上先を明記し、目録品の内容・数量を補わない。
追録7-No.2207 安山大中寺住職トナリ重豪ノ寿像ヲ福昌寺ニ安置ス
重豪公御譜の記事。文政十一年二月三日、福昌寺住持安山が幕府により大中寺住持となる。大中寺・総寧寺・龍穏寺を三関三箇寺とし、大中寺を下野、総寧寺を下総国葛飾郡国府臺、龍穏寺を武州高麗郡越生に置き、各寺の所領・管轄国と遠州の睡齋領を列記する。安山は重豪の特恩に報いるため寿像を本国福昌寺に安置したいと願い…
追録7-No.2208 斉興、重豪ノ寿像ヲ代拝セシム
斉興公御譜の記事。文政十一年二月三日、幕府が福昌寺住持安山を大中寺住持とする。重豪との縁により幕府へ願って任命を得たとし、安山は報恩のため重豪の寿像を福昌寺に安置することを願う。重豪が許し、仏匠梶田武助に彫刻させる。夏五月二十八日に寿像が福昌寺へ入り、翌年夏五月に仏室が完成、十五日に像を仏室へ遷す。…
追録7-No.2209 瀧山外三名連署消息
花町・梅その・梅たに・瀧山の四名が松平榮翁へ、上々様の機嫌を祝い、重豪の老年に対する御台所の思し召しにより、御納戸金から内々に三百両を例年どおり贈ると伝える消息。文政十一年は朱注で、本文に月日はない。署名を原本どおり保持し、2210の梅溪表記と区別する。
追録7-No.2210 たき山外三名連署消息
花町・梅その・梅溪・たき山の四名が松平榮翁へ、文を受け取ったことを伝え、上々様の機嫌を祝う。昨日、老年の重豪へ御台所の思し召しによって御納戸金から内々に三百両が贈られた件につき、重豪のありがたい思いと満足した旨を承り、その礼を上様へよろしく伝えるとした返事。文政十一年朱注、本文月日なし。2209への…
追録7-No.2211 水野忠成書状
水野出羽守が松平榮翁へ、歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に城へ家来を差し出すよう知らせる書状。二月二十六日付、文政十一年は朱注。目録の水野忠成書状と本文の官途署名を照合し、五半時を現代時刻へ換算せず保持する。
追録7-No.2212 島津久風外四名家老連署申渡書
内記・監物・丹波・久馬・但馬の五家老が、大中寺当住安山へ申し渡す。大中寺は御国僧の法脈相続に関わる寺であるが、先住透明が咎を受けて上り寺となり、国僧の脈絡が断絶するところを、厚い配慮により安山を住職に任じたとする。寺務を厳重に怠りなく勤め、国僧の系脈継続を専要とすること、今後の後住は識徳ある国僧から…
追録7-No.2213 島津久風外四名家老連署申渡書
五家老が安山和尚へ、大中寺は取扱格別の寺格で、薩摩側から直接指揮し難い寺である一方、いま上り寺となっており、国僧の法脈相続を担う役寺としてその脈絡を断絶させず国僧を取り扱うことを第一に考えるよう申し渡す。別紙の安山への沙汰によって大中寺そのものに対して措置を行う趣旨ではないため、取り違えないよう求め…
追録7-No.2214 島津久風外四名家老連署申渡書
目録題は五家老連署申渡書だが、本文は大中寺安山から御家老中への請書。先住透明の咎による上り寺化と国僧法脈断絶の危機、安山住職任命、寺務厳重、国僧の系脈継続、後住の適任国僧選任・上聞・公儀申出、格別の配慮への服膺、私曲の禁止、後代住持への遺訓伝達という2212の申渡を引用したうえで、その趣旨を委曲承知…
追録7-No.2215 島津久風申渡書
但馬が、福昌寺前住安山の大中寺住持就任について、大御隠居重豪の格別の配慮により実現したと述べ、先年の福昌寺造営も重豪の高恩によるとする。今回、重豪寿像を福昌寺に安置したいと安山が願い出たことを伝える。寿像は既に不斷光院千眼寺に安置されており、他郡であることを踏まえた重豪の配慮を記すが、願いの趣旨は余…
追録7-No.2216 重豪、家祥ノ元服叙任ヲ賀ス
重豪公御譜の記事。勅使廣橋一位胤定卿・甘露寺一位國長卿、院使日野前大納言資愛卿が江府へ下向し、四月四日、家祥(家定注)が営中で元服し正二位大納言に叙任される。加冠は井伊掃部頭直亮、理髪は松平肥後守容敬、烏帽子役は水野出羽守忠成。重豪は使者を遣わし、大樹家斉・儲后家慶・大納言家祥それぞれに太刀・馬代を…
追録7-No.2217 水野忠成書状
水野出羽守忠成が松平榮翁へ、大納言様の元服・官位の祝儀として、使者を通じ献上された御太刀・御馬代を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。四月十五日付、文政十一年は朱注。太刀・馬代の数量を補わず、2216の記事と書状を分けて保持する。