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追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 1~100件・1 / 30ページ

  1. 追録7-No.1 松平信明書状

    島津重豪が若菜の祝儀として鯛一折を献上したことについて、松平信明が披露を済ませた旨を重豪に知らせる返書。「一段之御仕合」と述べる。朱注は寛政2年1月7日。信明署、宛名は松平上総介殿(重豪)、包紙には松平伊豆守信明とある。

  2. 追録7-No.無番号_0001 菱刈実祐書状

    菱刈大炊が家老四名へ、中根半平の息女を島津伊賀の養女とする取結びの成立と、その後の処置を報告した書状。半平は武田河内守支配の小普請で、娘は大奥に召し仕えている。前年に御廣鋪御用人から半平へ示談して承知を得ており、当年の発駕前に取結びを済ませるよう橋口與三次が掛け合った。4月18日に伊賀側が願書を出し…

  3. 追録7-No.2 斉宣帰国シテ二丸ヲ造営ス

    島津斉宣の帰国と二丸造営の経緯を記す。天明7年、家老二階堂主計に造営を命じて11月25日に着工し、翌年8月24日に広間・書院等ができた。そのころ京都の大火で内裏・二条城が焼失し、斉宣には幕府から20万金の拠出を命じられるとの知らせがあり、国用不足のもとでの造営が問題となった。江府にいた重豪も国政を助…

  4. 追録7-No.無番号_0002 橋口与三次首尾書

    橋口與三次が谷村孫右衛門へ、中根半平の息女を島津伊賀の養女とする手続について、掛け合いの経緯と届出の済んだことを報告する首尾書。大奥奉公中の息女から早く支配頭へ届けるよう半平へ求めがあり、半平が橋口へ手紙で照会した。橋口は以前の示談を知らなかったため伊賀へ照会し、前年に御廣鋪御用人小嶋甚兵衛を介して…

  5. 追録7-No.3 島津斉宣吉書

    島津斉宣の御判を据えた吉書。神社・仏閣の修造興行、農事への専念、国々の年貢の徴納を三箇条に掲げ、その趣旨を沙汰するよう命じる。寛政2年正月11日付。付記では、右膳殿から平田貞太郎へ渡され、白木御文書六番箱へ納められたとする。

  6. 追録7-No.無番号_0003 中根正房届書案文

    中根半平名義で娘の養女縁組を届ける案文と、その前に載る養女取計いの追記。届書案文は、娘を松平豊後守の家来島津伊賀の養女としたいこと、伊賀が豊後守へ願い、幾日に願書を差し出した旨を聞いたので届けることを述べる。日付は「月日」、願書の日は「昨幾日」と未記入で、末尾は中根半平とする。前置された「追而」は、…

  7. 追録7-No.4 松平信明書状

    島津重豪が年頭の祝儀として使者を通じ太刀一腰と御馬代黄金十両を献上したことについて、松平信明が披露を済ませた旨を重豪に知らせる返書。「一段之御仕合」と述べる。朱注は寛政2年1月11日。信明署、宛名は松平上総介殿(重豪)、包紙には松平伊豆守信明とある。

  8. 追録7-No.無番号_0004 中根正房届書例書

    中根半平名義で、娘を島津伊賀の養女として送り出したことを届ける例書。先に届けた通り、娘を松平豊後守の家来伊賀の養女としたい旨を伊賀側から豊後守へ願い、幾日に願いの通り認められたので、今幾日に伊賀方へ差し遣わしたと記す。末尾は「月日 中根半平」で、許可日・送出日とも未記入である。前の届書案文が願書提出…

  9. 追録7-No.5 刀工奥元平・伊地知正幸任官ス

    刀工の伊地知平覚(名は正幸)と奥孝左衛門(名は元平)の任官を記す記事。両家は刀鍛冶を世業とし、正幸・元平の刀剣は鋭利で名声が天下に及んだと評する。朝廷への奏請を経て、正幸は伯耆守、元平は大和守に任じられ、朝臣の称も授けられたとする。

  10. 追録7-No.無番号_0005 中根正房書状

    中根半平が橋口與三次・伊藤専太夫へ、娘を島津伊賀の養女とする届書の振合について尋ねる書状。太守の発駕前に願いを出すよう内慮があると娘から聞き、願書の書き方を照会したところ、半平側の届出と伊賀側の願出を早く済ませることになったので、別紙二通の届書を送って見てもらうと記す。伊賀側の詰合がない場合でも内慮…

  11. 追録7-No.6 重豪御鷹ノ鶴ヲ拝領ス

    島津重豪が寛政2年正月28日、徳川家斉から鷹狩で捕らえた鶴一隻を拝領した記事。大河内善兵衛政寿が芝邸へ届けた。久留島帯刀通同が重豪に代わって恩旨を受け、さらに「各老邸」へ赴いて拝謝したと記す。

  12. 追録7-No.無番号_0006 中根正房首尾書

    中根半平が橋口與三次の手紙に答え、翌日の養女関係の内談へ赴く予定を知らせる首尾書。橋口から、明日自宅へ来て内談すること、喜人役で都合が悪い場合は桑山甚助を訪ねることを伝えられ、承知したと記す。半平は通屋敷替を命じられて以来、普請がまだ出来上がらず、取繕いに取り掛かっていて、対談の席を設けられない事情…

  13. 追録7-No.7 斉宣関狩ニ臨ミ又犬追物ヲ観ル

    島津斉宣が寛政2年2月15日、城北の吉野で行われた関狩に親臨した記事。同月28日には演武館内の場で犬追物を観覧した。注記では、初めて国元に就く際に犬追物を行う典を「御代始犬追物」と称するが、その手組は失われていると説明する。

  14. 追録7-No.無番号_0007 中根正房首尾書

    中根半平が橋口與三次へ、娘を島津伊賀の養女とする届出の経過を知らせる首尾書。先日の面談への礼を述べ、4月18日に伊賀が願書を出したため半平も同日に届けたこと、21日に伊賀の願い通り命じられたことを伝える。翌23日に娘を差し遣わす旨の届書を出す予定なので、承知しておくよう頼む。4月22日付、中根半平署…

  15. 追録7-No.8 島津斉宣公辺記事

    近秘野帥の記した寛政2年の島津斉宣の公辺記事。2月21・25日に上・下の武士の踊躍を観覧し、27日には上市の人々の踊躍、28日には犬追物を見たこと、3月3日に鷹の捕らえた鶴を贈られたこと、18日の市来行き、4月朔日の諸役座観覧などを列記する。また、中山王尚穆が徳川家斉の大統承継を賀するため宜野湾王子…

  16. 追録7-No.無番号_0008 使番某首尾書

    御使番が、養女取結びに伴う伊賀から中根半平への贈物の仕出しについて申し上げる首尾書。本文の調べを仰せ渡されたので、伊賀から半平へ一種三百疋を御物の取仕立によって送るのがよいと吟味して申し上げ、その通り命じられたという。往返の上で仕出方を取り計らう旨を報告する。4月晦日付、署名は役名「御使番」のみで実…

  17. 追録7-No.9 松平定信書状

    松平定信が島津重豪に、歳暮に関する御内書を渡すため、翌日の「五半時」に家来を御城へ差し出すよう求める書状。署名は「松平越中守」で、人物注に定信とある。年次は朱注による。時刻は「五半時」と記され、歳暮の具体的な品目は記されない。

  18. 追録7-No.無番号_0009 島津斉宣内意書(目録345の1)

    お八百の奉公届と実の由緒が異なった件について、母・清七夫婦の一世養料と今後の取扱いを命じる内意を御取次が伝えた写し。初めは書院組同心佐野善次郎の実子として奉公を願って抱えられたが、実際には父甚五郎の娘で、五歳の時父を失い、母がその弟清七へ再縁したと判明した。清七は叔父で、再縁後に妹りんが生まれたと説…

  19. 追録7-No.10 斉宣一門元服ノ礼ヲ古例ニ復ス

    島津斉宣の犬追物観覧と、一門の元服衣装を古例へ戻したことを記す記事。2月4日に幕府から鷹の捕らえた鶴を贈られ、21日には演武館内で犬追物を催して斉宣の生母提氏が観覧したとする。続く記事では、一門の元服にはかつて素袍を用いたが、浄国公(島津吉貴)の時に幕府の礼に倣って長袴へ替えたと述べる。自家の記録で…

  20. 追録7-No.無番号_0010 川上久致外六名家老連署申渡書(目録345の2)

    お八百由緒の件の別紙命令を受け、清七は今後八百の家本として取り立てるべき者ではないことを家老同席で承知し、記録・後年継承を指示する申渡書。誰がどのように申し立てても取り上げず、将来若殿様が成長して仮に沙汰をした場合も、今回の趣旨を申し上げて命令と違わないようにする旨を記す。御記録奉行への命令に添書で…

  21. 追録7-No.11 島津久邦書状

    「重豪公御譜中」「正文在家老座」とだけ記す所在表示。目録は寛政2年3月6日付「島津久邦書状」とするが、この箇所には書状本文が収録されていないため、宛先と具体的用件は確認できない。

  22. 追録7-No.無番号_0011 八百続書(目録345の3)

    お八百の家族の続柄を一覧にした書。父は浪人で亡くなった甚五郎、家跡はないとする。母は鈴木清七の妻で、甚五郎死後に再縁したとの注を伴う。叔父は浪人鈴木清七、妹は同人の娘りんと記す。末尾は右の通りとする短文で、独立日付・署名・宛名はない。口裏はお八百続書。八百の父甚五郎と、母の再婚相手で叔父でもある清七…

  23. 追録7-No.12 菱刈実祐返書

    元服後の長袴・素袍着用をめぐる照会と朱書返答。主書は島津石見(久邦)から菱刈大炊へ宛て、加治木・垂水両家も同様に扱う指示、辰年9月に示された総州様の意向、太守家に伝わる元服式を取り上げる。記録奉行が家伝の礼法を調べ、書抜を添えて報告したことを述べ、相手の意見を求める。朱書では、中将様への上聞と張紙の…

  24. 追録7-No.無番号_0012 市田盛常添書(目録345の4)

    お八百由緒の件について、後年に取り違えがないよう、別紙の命令・家老添書・別冊の内容を承知して帳面へ記すよう命じる添書。家老中の添書等が別紙と別冊の通りであることを伝え、その趣意を承知して記置するよう指示する。寛政8年辰2月、勘解由の署名、御記録奉行宛。外又添書左之通の注を伴い、個々の人物関係を新たに…

  25. 追録7-No.13 島津斉宣内意書

    元服後の礼装、とくに素袍と長袴の先例を扱う内意書。越前家・今和泉家では髪をそいだ後の御礼に長袴を着用する定めがあったとし、明和7年の若狭殿の元服支度に関する中将様の指示、元文5年の総州様の意向を記録奉行の申出書付から取り上げる。これらを踏まえ、今後家来の元服の際には長袴を着用する意向を伝える。朱書は…

  26. 追録7-No.無番号_0013 桑山甚助届書(目録345の5)

    鈴木清七妻ぎんの訴えを聴取し、佐野善次郎側にも問い合わせた経緯と、双方の説明の不一致を報告する届書。寛政4年11月の鈴木清七一件書抜に含まれる。ぎんは、実娘嘉代を屋敷へ奉公に出し、善次郎を当宿としたが取次が途絶え、実の親と違う関係で扱われていると訴える。桑山は善次郎側に問い合わせ、嘉代を幼年時に引き…

  27. 追録7-No.14 斉宣太刀進献ノ礼式ヲ定ム

    島津斉宣が太刀進献の礼式を改めた記事。年頭と八朔に世臣が太刀を献じる礼は古くからあったが、年頭には本人が太刀を捧げて席上に置き拝謁するのに対し、八朔は使者による献上だけであった。寛政2年5月、八朔にも太刀を持参する礼を行わせ、ほかの進献作法も年頭の例に倣うよう定めたと記す。

  28. 追録7-No.無番号_0014 家主吉兵衛願書(目録345の6)

    麻布山谷町吉兵衛店の浪人鈴木清七方の願いを、妻ぎんが申し立て、家主吉兵衛が添印した願書。実の娘かよが当年22才であり、書院御番頭長谷川丹後守組の佐野善次郎を当宿として御屋敷奥へ奉公に出したが、以後の安否が分からないと訴える。善次郎へたびたび取次を頼んでも便りがなく、役人衆を通じてかよの安否を知りたい…

  29. 追録7-No.15 島津久邦申渡書

    島津石見(久邦)が記録奉行に、一門四家の元服礼装を帳面へ記しておくよう命じる申渡書。髪をそいだ後の御礼には長袴を用いる定めがあったが、加治木家の島津兵庫の嫡子善次郎の元服では素袍を着用させ、越前家の若狭、垂水家の備前、今和泉家も同様としたことを伝える。長袴についての総州様の意向はあるものの、公儀の差…

  30. 追録7-No.無番号_0015 橋口与三次届書(目録345の7)

    大奥女中嘉代の件で、麻布山谷町の浪人鈴木清七の妻から出された願書について、御留守居付役桑山甚助の報告を橋口與三次が受け、処置を吟味するに先立って願書を差し上げる届書。願書に対する取計いは吟味中として述べ、既に面会や扶持を許したとする文面ではない。11月26日、橋口與三次署名。張紙であり、朱注に本文を…

  31. 追録7-No.16 島津久邦申渡書

    島津兵庫の嫡子善次郎の元服に伴う進上物と拝領物を記録する申渡書。家柄への格別の取分として、従来の進上品に刀を加えるよう命じる。従来は脇差を拝領していたが、この元服から刀の拝領へ改めることも伝え、記録奉行に帳面へ記すよう指示する。書付の署名は求馬で、人物注は島津久親とする。包紙注では、寛政2年4月28…

  32. 追録7-No.無番号_0016 佐野善次郎約状(目録345の8)

    佐野善次郎が清七へ出した一札。清七の娘かよを自分の姪分として、去る戌7月に松平豊後守方の抱奉公へ差し出したと述べる。結構に召し使われて御手当や御合力などが下される場合は、何事も清七へ相談し、自分だけで取り扱わないと約束する。等閑にした時は、どのように申し立てられても異存ない旨を記す。寛政3年亥11月…

  33. 追録7-No.17 島津重豪内意書

    中将様への八朔の進上物について、一門方、日置家の島津左衛門、花岡家の島津美濃、宮之城家の島津図書、都城家の島津筑後を対象として取扱いを伝える内意書。今後は江戸で名代を立てて太刀を進上し、年頭と同じように扱うとする。そのうち江戸詰の者には年頭に準じた扱いを定め、家格・地頭職により太守様へ八朔の進上物を…

  34. 追録7-No.無番号_0017 桑山甚助届書(目録345の9)

    嘉代をめぐる清七妻ぎんの願いについて、去冬の報告後の聴取と再提出を桑山甚助が報告する。ぎんが度々訪れ、善次郎の不埒な取扱いを公訴として取り上げたいと訴える一方、桑山は清七夫妻の浪人暮らしと困窮を考慮し、願いを放置すれば外聞にも関わると述べる。正月18日に夫婦を呼び、嘉代が国元で結構に暮らすと聞いて有…

  35. 追録7-No.18 島津久邦申渡書

    島津石見(久邦)が記録奉行に、八朔の進上物に関する新しい取扱いを記録するよう命じる申渡書。これまでは使者を通じて差し上げていたが、今後は太刀等を持参するよう命じられたため、別紙二通の指示どおりに書き留めておくよう伝える。日付は5月で、本文に年の記載はない。

  36. 追録7-No.無番号_0018 橋口与三次届書(目録345の10)

    清七妻の願いを都合よく取り計らうよう命じられたことを受け、橋口與三次が桑山を通じ夫妻に伝えた結果、謝意と別紙願書が出たと報告する。夫妻への手当と善次郎への吟味・取扱いを共に整え、嘉代については一生の養子取扱いをしても双方に問題がないようにするという意見を述べる。なお何も取り扱わずには済まないとし、当…

  37. 追録7-No.19 八朔進上太刀并中紙進上次第

    八月朔日の太刀および中紙目録進上の作法を、在国・在府と身分別に定めた次第。一門方は御座之間で、太刀を二之間上の敷居から下二畳目に側御用人が備え、その下で礼をした後、縁頬側に着座して祝儀を述べ、家老の取合を受けて退座する。若年寄・大目付は太刀一腰、島津藤馬・相馬・多門、伊集院伊膳、畠山内膳、鎌田蔵人は…

  38. 追録7-No.無番号_0019 鈴木清七願書(目録345の11)

    清七と妻きんが、実の娘と申し立てる嘉代の奉公後の消息と、困窮する自分たちの処置を願う書。去る戌7月に佐野善次郎を当宿として娘を屋敷へ奉公に出したが、便りがなく、善次郎にもたびたび頼んだと訴える。三、四年音信がないことから急に面会を願ってもかなわない事情を受け、国元で結構に暮らすと知った謝意と、機会が…

  39. 追録7-No.20 島津重豪書状

    島津重豪が「上ミ様」に、豊後守が奉書を通じて鷹の鶴を拝領したことへの御礼を申し上げたいと伝える書状。上ミ様の機嫌がよいことを喜び、取り成しを頼む。追而書でも御表の御礼に言及し、よろしく沙汰してほしいと求める。末尾には高をか・常盤井・萬里小路・梅の井・たき川・野むら・高はしの名列に「申給へ」とある。鶴…

  40. 追録7-No.無番号_0020 鈴木清七家内人数書(目録345の12)

    麻布山谷町吉兵衛店にいる浪人鈴木清七の家内を、清七印、同妻きん、同娘嘉代、同りんの順で列記し、右の通りと届ける人数書。丑正月21日付。張紙として載せられ、年次は同一件の寛政5年による。嘉代を清七の娘とするのはこの提出書の続柄記載であり、後の調査で示す兄甚五郎の娘という説明を消して親子関係を統一しない…

  41. 追録7-No.21 徳川家斉御内書

    徳川家斉が島津重豪に、端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、詳しいことは松平伊豆守(信明)が述べると伝える御内書。宛名は「松平上総介殿」で、家斉公の墨印を伴う。年次は朱注による。

  42. 追録7-No.無番号_0021 小野半次届書(目録345の13)

    清七の身分を内々に調べるため、小野半次が本人・妻きんを訪ねて聞いた内容を桑山へ報告する。清七によれば、亡父代は土井周防守家来であったが暇を得て浪人し、兄甚五郎は江戸に住んだ。清七は三州刈屋の土井兵庫頭家の伯父に実子がないため養子となったが、兄の病中世話で江戸へ出た後、伯父に子が生まれて離縁となり、甚…

  43. 追録7-No.22 重豪、将軍家斉ニ馬ヲ献ズ

    島津重豪が寛政2年5月4日、自ら調練した馬一匹を将軍徳川家斉へ内々に献上した記事。あらかじめ求めがあったことによると記す。馬には青毛・三歳・四寸と奥州三春産の注記があり、立具を添えたとする。

  44. 追録7-No.無番号_0022 桑山甚助届書(目録345の14)

    小野半次の直前の身分調査を受け、清七の身分について御見合のため内々に承り合せたことを、桑山甚助が橋口與三次へ届ける短い書。正月21日付、桑山署名、橋口宛。朱注には、本文を橋口から岩下佐次右衛門へ差し出したとある。清七の由緒を新たに裁定する書ではなく、調査結果の取次である。年次は同一件の寛政5年による…

  45. 追録7-No.23 島津重豪覚書(献上馬具目録)

    献上馬具を列挙する覚書。馬巾一通は表を空色沙綾、裏を紺沙綾とし、押掛には「仙臺」と記す。轡一間、紅糸の手助一掛、手綱一筋、紫革裏付の鼻革一間、「とちかね」一(磨)、添縄一、洗轡一間を掲げる。本文に独立した日付・署名・宛名はなく、目録は島津重豪の覚書とする。

  46. 追録7-No.無番号_0023 桑山甚助届書(目録345の15)

    嘉代の件の願書と再願について吟味した処置案を、桑山甚助が橋口へ上申する。何も取り扱わなければ公訴・外聞にも関わるとし、当初は生涯の養女として宿元に置き、金子と永続的な暇遣いを行う案も考えたが、従前の内意とは違い、妹の取扱いを特別手厚くすると振合が難しいと論じる。清七夫妻はまず町御屋敷内に召し置き、浪…

  47. 追録7-No.24 馬献上首尾書

    馬一疋を内々に献上する首尾を記した書付。毛附書付一通・立具附一通を添え、馬預見習の西郷八郎次と留守居の本城源七郎が同道して、本丸御馬預の諏訪部文九郎宅へ赴いた。井伊兵部少輔が差図した献上馬であることを長谷川藤太郎から伝え、馬見分のうえ受け取られたと報告する。同日、源七郎が松平越中守(定信)宅へ目録一…

  48. 追録7-No.無番号_0024 橋口与三次届書(目録345の16)

    桑山の吟味を受け、橋口與三次が清七夫妻と佐野父子の処置について上申する。夫妻の願いに対し嘉代が実娘であると述べ、何らかの取扱いが必要だが、外方へ置いて手当だけを与えると万端の面倒にも関わるため、当面は内願に応じ八官町・高輪町または御屋敷裏地面に召し置き、浪人分の扶持を見合って与え、後の処置を追って吟…

  49. 追録7-No.25 島津久邦外五名家老連署申渡書

    島津久邦ら六名が、根拠のない浮説を言い触らすことを禁じ、その取扱いを各方面へ漏れなく申し渡すよう命じた連署申渡書。安永4年以来たびたび禁止が伝えられ、初めての入国を機に静謐を心掛けるべきところ、浮説がなお聞こえ、根拠のない議論が上の政事を妨げ、他所からの問い合わせも生じるとして不届きを指摘する。露顕…

  50. 追録7-No.無番号_0025 二階堂行智申渡書(目録345の17)

    清七夫妻と佐野父子への処置を、主計(二階堂行智注)から谷村孫右衛門取次で伝え、橋口與三次宅へ呼び出して桑山が申し渡した書付写。清七夫妻・善次郎父子はいずれも難有いと請礼したと記す。清七と妻には当分の容として高輪御下屋敷御借店裏明地に家を造り、住まわせる命令を示す。家作は自分調いとし、清七に年々金27…

  51. 追録7-No.26 嶋岡俊在証書

    有栖川中務卿織仁親王の染筆について、嶋岡掃部俊在が取次を証する書付と額字・受渡注を収める。額字は「赫威霊」で、裏書は寛政2年仲夏、中務卿織仁親王の名を記す。俊在の証書は6月朔日付で、願いに応じて染筆を取り次いだとする。包紙は「大雄山随神門」の額文字とし、親王染筆一枚、額裏の御名書一枚、嶋岡掃部証文一…

  52. 追録7-No.無番号_0026 二階堂行智申渡書(目録345の18)

    新規に召し出され中小姓に付けられた佐野縫右衛門へ、当分の大奥奉公を命じる申渡書。かよが初めて抱えられた時の、父善次郎の不束な取究めが後になって分かったので処罰・申渡しの趣旨はあり得るが、善次郎の世話でかよが奉公するに至ったことを考え、当分はこの取訳で召し置くので有難く承知するよう伝える。また善次郎を…

  53. 追録7-No.27 松平乗完書状

    島津重豪が今朝の鰹節一箱を献上したことについて、松平乗完が披露済みである旨を重豪に知らせる返書。「一段之御仕合」と述べる。署名は「乗完」、宛名は「松平上総介殿」で、包紙には松平和泉守乗完とある。年次は朱注による。

  54. 追録7-No.無番号_0027 桑山甚助届書(目録345の19)

    先の命令で清七夫妻へ年中御給金30両と御扶持米代金27両を下し、高輪御下屋敷御借店裏明地へ召し置くことが決まっていたところ、家ができたため勝手次第に転居するよう伝え、本日家内全てが移転を済ませたと桑山甚助が報告する。今後の居所については借店同様に扱い、御留守居付役から差引きをするよう命じたことも清七…

  55. 追録7-No.28 松平信明書状

    松平伊豆守(信明)が島津重豪に、端午の御内書を渡すため、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう求める書状。宛名は「松平上総介殿」。端午の御内書を受け取る手続を伝え、年次は朱注による。時刻は「五半時」と記される。

  56. 追録7-No.無番号_0028 池田治道続書(目録381の1)

    相模守の続柄を、直系家族から叔父母・従弟・縁家・一統まで配列した一覧。祖母桂香院は紀伊故大納言宗直の娘、紀伊中納言治宝の叔母とする。奥方政姫、嫡子銀之進、二男永之進、雄五郎、四男寬之丞、娘お彌・お三津・お儔・お庸・お住を列記する。妹お糸は池田斉政の縁女、同お本は鷹司信茂の縁女。弟豊前守、同越中守・隠…

  57. 追録7-No.29 斉宣、有栖川宮ニ染筆ヲ請フ

    島津斉宣が寛政2年6月、大雄山の隨身門に掲げる匾額の書を有栖川織仁親王へ請うたことを記す記事。出典注は、白木御文書六番箱三十九号に親王の筆があることを示す。No.26には取次証書と額字「赫威霊」が収められる。

  58. 追録7-No.無番号_0029 銀之進続書(目録381の2)

    銀之進を本人として家族関係を示す続書。父は松平相模守、養母は相模守の奥方、曽祖母は相模守の祖母桂香院と記す。妹お彌、弟永之進、妹お三津・お儔・お庸、弟雄五郎、妹お住、弟寬之丞を並べる。伯母お糸と同お本、伯父松平豊前守、一繼、叔母政所、紀伊中納言の叔母備姫、松平左京大夫の奥方保姫、従弟紀伊中納言を列記…

  59. 追録7-No.30 松平信明書状

    島津重豪が「生見玉」の祝儀として黄金十両を献上したことについて、松平信明が披露済みである旨を重豪に知らせる返書。「一段之御仕合」と述べる。署名は信明、宛名は松平上総介殿で、包紙には松平伊豆守信明とある。年次は朱注による。生見玉の対象者や儀礼の具体的な内容は本書に記されない。

  60. 追録7-No.無番号_0030 相模守精進日書(目録381の3)

    公義の定め以外の相模守の精進日を列記する書。毎月4日・7日・12日・20日・21日は朝夕に精進し、4月9日と5月6日はその月だけ朝夕に精進すると記す。前二件の相模守・銀之進の続書とは別の一覧で、独立した日付・署名・宛名はない。表に載る月日を本書の発給年月日としない。

  61. 追録7-No.31 重豪御鷹ノ雲雀ヲ拝領ス

    徳川家斉が寛政2年7月19日、浅野隼人長盈を遣わし、鷹が捕らえた雲雀を島津重豪へ贈った記事。久留島帯刀通同が重豪に代わって恩旨を受け、各老邸へ赴いて拝謝したと記す。雲雀の数量は記されない。

  62. 追録7-No.無番号_0031 伊勢貞矩申渡書(目録522の1)

    圓徳院・浄信院の忌日を実際の日へ改める趣意は別紙の通りなので、後年に紛れが生じないよう帳面へ記しておくことを御記録奉行に命じる。署名は正月・播磨。独立した日や年の明記はなく、一件包紙の年月日と区別する。印刷の522の1、目録同番号に対応し、固定管理名の無番号_0031を保持する。

  63. 追録7-No.32 島津久金申渡書

    島津伊賀(久金)が、財政難に対する金納・出銀と節約の取扱いを伝え、表方・奥掛・勝手方から支配下の役人や諸郷地頭へ漏れなく申し渡すよう命じた書付。慶事その他の臨時支出が相次ぎ、領内産物料の融通にも限界があるなか、去年まで二ヶ年分の金納は済んだが、残る二ヶ年分の財源が見えないとする。三ヶ年目の金納に加え…

  64. 追録7-No.無番号_0032 市田盛常首尾書(目録522の2)

    圓徳院の逝去は6月16日と公表されたが、実際は11日で、中将様は毎月11日に主な祭祀、16日に表向きの祭祀を行い両日が内外の忌日となっていた。心掛かりのため実日に改める件を他家へ照会。尾州・紀州・松平大膳太夫は改日を公儀へ届けて親族へ通知、松平政千代・松平相摸守・丹羽左京太夫は届出なしで親族に通知し…

  65. 追録7-No.33 斉宣諸役へ施政ヲ厳命ス

    島津斉宣が9月に参勤のため国元を発とうとし、留守中の施政について家老・若年寄・大目付に厳しく命じたことを記す記事。後続No.34に領内取締りや役人の職務・風俗・学文武芸・財政管理を定める申渡書が収められる。

  66. 追録7-No.無番号_0033 男子出生届振問合書并答書(目録535の1)

    二男を丈夫として届けた後に病死し、その後生まれた男子を三男と届けるか、男上りとして届けるかを問う。貼紙回答は三男のまま届けてよいとし、三男以下の末子も同断とする。次に、嫡子を届けた後、二男が虚弱または家中養子となり未届のまま、後の三男を届ける方法を問う。貼紙は虚弱な二男を届出に入れず三男を丈夫として…

  67. 追録7-No.34 島津斉宣申渡書

    島津斉宣が家老・若年寄・大目付に、留守中の領内統治を命じる申渡書。先代以来の取締りを緩めず、近年の中将様の下向と寛大な沙汰に甘えてはならないとして、役々に厳しい取締りを徹底させる。重役から下役まで私曲なく精勤し、役職への任命を重く受け止め、職場の仁義・取計らいで奉公が損なわれないよう申し合わせること…

  68. 追録7-No.無番号_0034 島津重豪男子届順書(目録535の2)

    男子の届出は以前一定しておらず、届出済みの子だけで届順を数え、夭亡等の子は抜いて扱ってきたと説明する。朱注は、養子に遣わした未届の子は表向きの子として数えられず、内々の実際の順位と公的届順を分ける趣旨を記す。列記は二男大膳太夫(昌高)、三男雄五郎(忠厚)、四男時之丞(久照)、五男は名なし、六男為次郎…

  69. 追録7-No.35 斉宣琉球慶賀使ヲ従へ登営ス

    琉球使節を伴う島津斉宣の参府と登営・朝謁を記す記事。寛政2年9月6日に府城を発ち、斉宣は向田から陸路、琉球使節は船で赤間関へ向かう例に従い、定めた日に大坂で合流した。11月21日に使節を連れて芝邸へ入り、将軍は松平和泉守を遣わして慰労した。25日に朝覲の礼を行い、27日には松平伊豆守信明から官位の昇…

  70. 追録7-No.無番号_0035 市田盛常申渡書(目録535の3)

    男子届振の取扱いは以前不同だったため、他所へ照会し相談して別紙の通り報告したところ、今後も吟味した通りに扱うよう仰せ出されたと伝える。問合書を添え内用で通知し、書留等を命じて残すよう求める。本文3月25日市田勘解由署、五家老宛。末注は御記録奉行に申し聞かせ、爰許でその通り取り扱うことを記す。日付は本…

  71. 追録7-No.36 徳川家斉御内書

    徳川家斉が島津重豪に、重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは鳥居丹波守が述べると伝える御内書。宛名は松平上総介殿で、家斉公の墨印を伴う。年次は朱注による。

  72. 追録7-No.無番号_0036 市田盛常申渡書(目録535の4)

    嫡子が亡くなるか養子に遣わす際、二男を嫡子に願うことや、家柄により三男以下を男上りさせる願いはあったが、今後は生まれの通りに扱い、二男を末子に至るまで男上りさせないと命じる。二男が御目見前に亡くなれば三男は三男の形で御目見を命じ、進上物も三男通りとする。一方、何男でも嫡子に願うことは従来通りとし、格…

  73. 追録7-No.37 島津重豪覚書

    豊後守(島津斉宣)と佐竹右京大夫(義和)の妹との縁組願いが許可された経緯を記す覚書。寛政2年9月28日、願いどおり仰せ出されたため、年寄衆同格の本多弾正大弼(忠籌)へ留守居の使者を通じて御礼を伝えたとする。注記では8月25日に願いを提出し、9月27日に翌日類中の一人を登城させるよう剪紙が届いたので久…

  74. 追録7-No.無番号_0037 市田盛常申渡書(目録535の5)

    家柄によって二男以下を男上りさせてきたが、今後は天倫のまま扱い、嫡子にする場合以外は男上りさせないとの別紙趣旨を承知し、爰許で申渡しを済ませて送ったので、そちらでの申渡しも適宜取り扱うよう求める。3月25日市田勘解由署、五家老宛。朱注は右五通を寛政11年未4月22日に播磨殿から渡され、帳留すべき旨を…

  75. 追録7-No.38 高はし外四名連署消息

    常盤井・萬里小路・梅之井・野むら・高はしの五名が、松平上総介様へ送った連署消息。家斉の娘と注記される瓊岸院様(院号第一字は字形未確定)の御一七日に当たり、相手からの書状で機嫌を伺った趣旨をよろしく申し上げたと返答する。宛名は「松平上総介様 人々御中」。朱注は寛政2年とするが、本文に月日は記されない。

  76. 追録7-No.無番号_0038 市田盛常申渡書(目録535の6)

    男子届振の取扱いは、今後別紙の吟味書の通りにするよう命じられたので、帳面に記しておくことを御記録奉行へ命じる。署名は4月・勘解由。本文には独立した年・日を記さないため、一件注の寛政11年と区別する。

  77. 追録7-No.39 島津重豪書状

    島津重豪が堤二位(敬長)に、来月の遷幸への供奉を子息が命じられたとの知らせを喜び、これに関する合力の依頼に答える書状。当分は厳しく倹約し、どちらからの依頼も断っているが、今回は時節柄格別のこととして、申し示された額を調進するよう留守居へ命じたと伝える。詳細は相手方に置く留守居の者から申し入れるとする…

  78. 追録7-No.無番号_0039 島津重豪男子届書(目録535の7)

    従前の男子届出は一定せず、届出済みの子だけで届順を数え、夭亡等の子を抜いたため、二男大膳太夫、三男雄五郎、四男時之丞、名のない五男、六男為次郎、七男乗之助、蓬之進という順になったと列記する。未届で亡くなった子は公的届順と系図が異なるため、他所へ照会した結果、届の有無と実際の順位をそのまま書き出してよ…

  79. 追録7-No.40 鳥居忠意書状

    鳥居丹波守(人物注は忠意)が島津重豪に、重陽の御内書を渡すため、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう求める書状。宛名は松平上総介殿。年次は朱注による。御内書の受取手続を伝えるもので、家来の氏名は記されない。

  80. 追録7-No.無番号_0040 市田盛常書状(目録605の1)

    御縁女様の親族続書を別紙の通り送るので、御使番と御記録奉行へ知らせておくよう求める。12月朔日市田勘解由署、五家老宛。署宛の人物注は市田盛常、川上久致、菱刈隆邑、川田佐賢、伊勢貞矩、高橋種央。口裏朱注は御使番・記録奉行へ知らせる件と、正月14日夜到来、禰寝周右衛門・西之原源左衛門便を記す。独立年次は…

  81. 追録7-No.41 島津重豪書状

    島津重豪が平松三位(時章)へ、寒さが増すなか相手の息災を喜び、密啓の趣旨を承知したと返答する書状。詳しいことは相手方に置く留守居から申し上げるよう指示したと伝える。当時は取り込み中で代筆による返答とし、追而書にも大意だけを記したと断る。密啓の具体的な用件は本文に記されない。署名は松平上総介、年次は朱…

  82. 追録7-No.無番号_0041 於弥池田治道女続書(目録605の2)

    於弥様(斉興室注)の親族を父方・母方に分ける一冊。父方は兄相摸守、弟永之進、妹於三津(伊賀守嫡子である幸之助の縁女)、於唐、於寿(肥前守嫡子である左衛門佐の縁女)、弟雄五郎、妹於住(縫殿頭娘・悦次郎縁女)、弟寛之丞、叔母於絹(上総介奥方)と輪笙院(左兵衛督母)、従弟欄に豊前守、新之丞(実叔父上総介嫡…

  83. 追録7-No.42 島津久親書状

    島津求馬(久親)が琉球の三司官に、中将様への年首の祝儀を目録どおり差し上げ、江府に届いて披露したところ満足されたと伝える書状。この旨を先方へ知らせるよう求める。本文に祝儀の個別品目・数量は記されない。署名は島津求馬、宛名は三司官で、年次は朱注による。

  84. 追録7-No.無番号_0042 犬追物上覧旧記大概(目録621の1)

    大猷院の代、大隅守光久が家伝犬追物の上覧を願い、正保4年11月13日に武州王子村で行った旧記を、享和元年5月にまとめる。前年4月7日には試しとして老中・大名・旗本を芝屋敷へ招き二手組で実施。正保3年4月18日の国元への暇と帰国挨拶、翌年3月射手参府、9月12日の上覧命令・13日光久登城、18日会場普…

  85. 追録7-No.43 島津久親書状

    島津求馬(久親)が三司官に、太守様が御礼席に着座することを命じられた祝儀について返答する書状。宜野湾王子を通じ、中将様へ太刀一腰・御馬代黄金十両と目録所載の品を差し上げ、江府に届いて披露したところ満悦されたと伝える。その旨を先方へ知らせるよう求める。宛名は三司官で、年次は朱注による。

  86. 追録7-No.無番号_0043 平田次郎八添書(目録621の2)

    松平豊後守家伝犬追物の上覧式について旧記を提出するよう先に命じられたが、当地では分からずその旨を申し上げ国元へ照会し、今回取調べたものが届いたので別冊で差し上げると記す。5月19日、御名内・平田次郎八署。後続の一覧は御書付1冊(犬追物上覧式)と添書1通(平田次郎八名前)を、大御目付井上美濃守へ添える…

  87. 追録7-No.44 島津久親書状

    島津求馬(久親)が三司官に、姫君様の婚礼が整い御臺様と称されることになった祝儀について返答する書状。宜野湾王子を通じ、中将様へ太刀一腰・御馬代黄金十両と目録所載の品を差し上げ、江府で披露したところ満悦されたと伝える。その旨を先方へ知らせるよう求める。姫君の実名は本書に記されない。

  88. 追録7-No.無番号_0044 萩原龍右衛門留守居役首尾書(目録621の3)

    犬追物上覧式の旧記があれば書き出すよう、前年12月に井上美濃守から命令があった。当地では分からず国元へ照会し、今回届いたので当日、留守居附役平田次郎八が持参、用人・手又と藏で面会して説明し差し出したと報告する。美濃守は登城中なので帰宅時に申し上げるとの返答を受け、添書写を付して届ける。5月19日萩原…

  89. 追録7-No.45 島津久親書状

    島津求馬(久親)が三司官に、太守様が前年に御肴を拝領した祝儀について返答する書状。幸地親方を通じ、中将様へ太刀一腰・御馬代白銀百両と目録所載の品を差し上げ、江府で披露したところ満悦されたと伝える。その旨を先方へ知らせるよう求める。御肴の具体的な品名は本書には記されない。

  90. 追録7-No.無番号_0045 菱刈実祐申渡書(目録621の4)

    犬追物上覧の式を別冊の通り公儀へ書き出したので、帳面に記しておくよう命じる。川上十郎左衛門には書留を命じたため写を渡すこと、別冊と別紙は用事が済み次第提出すべきことを記す。7月大炊署。目録は菱刈実祐申渡書。本文に実名は明記されないため目録の標題と月署を区別する。

  91. 追録7-No.46 島津久親書状

    島津求馬(久親)が三司官に、太守様が当春に鷹の捕らえた鶴を拝領した祝儀について返答する書状。幸地親方を通じ、中将様へ太刀一腰・御馬代白銀百両と目録所載の品を差し上げ、江府で披露したところ満悦されたと伝える。その旨を先方へ知らせるよう求める。

  92. 追録7-No.無番号_0046 記録奉行覚書(目録621の5)

    別冊の通り享和元年7月16日に月番市正から直に渡され、当座で写して川上十郎左衛門へ渡す旨を本田孫九郎が承知、写1冊を作り同月晦日に孫九郎から十郎左衛門へ渡したとの覚書。続く7月29日御記録奉行署の送付書は、公儀へ提出した家伝犬追物上覧式の控え、平田次郎八添書、萩原龍右衛門首尾書、大炊の書付写を、後年…

  93. 追録7-No.47 島津久親書状

    島津求馬(久親)が三司官に、明姫の婚姻が整った祝儀について返答する書状。幸地親方を通じ、中将様へ太刀一腰・御馬代白銀百両と目録所載の品を差し上げ、江府で披露したところ満悦されたと伝える。その旨を先方へ知らせるよう求める。本文は明姫の名を記すが、婚姻の相手は記されない。

  94. 追録7-No.無番号_0047 赤松則決申渡書(元服改名報告)(目録678の1)

    若殿様は先月9日、太守様が加冠して御家伝来の元服式を行い、名を又三郎、実名を忠温と称した。作法は万端先格のとおり首尾よく済み、祝の次第は別紙のとおりと申してきたので、帳面へ記録するよう命じる。十二月・市正署。原本の678の1で、目録は赤松則決申渡書。先月の元服実施と十二月の報告・記録命令を分け、宛先…

  95. 追録7-No.48 島津重豪書状

    島津重豪が、豊後守が琉球人を召し連れたことに関連して、上使によって御米を拝領した謝意を御臺様へ取り成してほしいと頼む書状。上ミ様の機嫌がよいことを喜び、豊後守にとってありがたいことだと述べ、御序の折によろしく申し上げるよう求める。末尾に常盤井・萬里小路・梅の井・野むら・高はしの名列を掲げて申給へと記…

  96. 追録7-No.無番号_0048 島津斉興元服作法書(目録678の2)

    678の2、御家伝来の元服式次第。大御書院南の2畳目障子涯で若殿の理髪を市田勘解由、打乱を奥御小姓鷲頭(毎の付記)が担当し、当日午刻を吉時とする。太守が上段へ出座し乱箱へ笄刀・押板・打乱を備える。若殿は小座敷で髪を揃え熨斗目・長袴となり、勘解由が付き添って南縁から上段南1畳目へ向かう。太守が会釈して…

  97. 追録7-No.49 島津重豪書状

    島津重豪が御つほねへ返答し、御手飼の鶴一羽を御表から贈られて拝領することになり、御臺様から内々に拝領を命じられたことを喜ぶ書状。上ミ様の機嫌がよいことを喜び、ありがたいことだとして取成しを頼む。末尾は御つほねさま御返事とする。御手飼の鶴であり、鷹が捕らえた鶴とは別の表現である。

  98. 追録7-No.無番号_0049 島津斉宣子女実母書付(原本・目録706の1)

    706の1。お隣・剛之進・武五郎の母は嶋津久山(久建注)娘、職之助・お美壽の母は林玄長娘、お長の母は永田閑龍(利安)の養女で実は清水源左衛門(盛之)家来の青木休右衛門娘と記す。記録奉行から子女の実母附について申出があり、吟味を命じられて調べたところ右のとおりだったと報告する。亥5月9日、御側御用人・…

  99. 追録7-No.50 島津重豪書状

    島津重豪が花まち・御つほね・とみたへ、御臺様の御袖留の祝いに贈られた目録どおりの品を拝領したことへの謝意を伝える返書。上ミ様の機嫌がよいことを喜び、御臺様の祝いを千秋万歳めでたい儀だと述べる。目録所載の品の個別品目・数量は本書に記されない。取成しを頼む追而書を伴い、年次は朱注による。

  100. 追録7-No.無番号_0050 島津重豪子女実母書付(原本・目録706の2)

    706の2。寛二郎は御前様が養ったことを付記し、実母を武田河内守(信親)の支配に属する小普請中根半平(正房)娘、嶋津伊賀(久金)の養女とする。籌姫の実母は浪人鈴木甚五郎娘、甚五郎の家跡は断絶したとの但書を伴う。祀姫の実母は寛二郎と同腹と記す。出生年月等は記録奉行が申し出たとおり相違ないとする。独立し…