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追録7の目録
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追録7-No.945 重豪諭達(派閥・夜行辻立の禁止と役人親兄弟の責任)
領国の風俗について先年から度々命じたが、今なお効果がなく、城下では向きと奥が対立し、もとは同じ仲間なのに他所の者のように隔たり、若い者の夜行・辻立も止まっていないと指摘する。このため一体の和が失われ党を結び、仕置きの妨げとなるのは不届きとする。大身小身とも定めた作法を守り、身分・分限に応じて慎み、国…
追録7-No.946 重豪諭達(国用難渋下の取調・処理・遅延防止)
江戸・国許双方から下知を求める事情は承知したが、所帯向きが極めて難渋しており、放置できない急務だとする。省略の5年間にさらに厳しく取締る工夫をし、差し当たり担当者から取調べを申し出るようすでに命じ、順次省略も行っているが、一通りの調査だけではその場の差支えや手立てしか付かず、おろそかになる恐れがある…
追録7-No.947 将監・信濃・典膳連署達(難渋急務と精勤取調)
江戸・国元とも隠居様が下知した件について、所帯向きの困難は放置できない急務で、省略中の当年から5年間厳しく取締ることを命じられ、是非その効果を上げるよう求められたと伝える。一方で当然の差し当たりが諸人の迷惑になる場合は用捨し、速やかに所帯向きを立て直し、諸人を身分相応に暮らさせることが本意であるため…
追録7-No.948 土井大炊頭書状(端午内書の翌日受取り)
端午の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう通知する。6月廿四日、土井大炊頭署、松平榮翁宛、文化5年の朱注。出典は全上で前件の重豪公御譜中を承け、正文在文庫の表示を付す。通知日の24日と翌日の受取指定を分け、本文官名と目録実名利厚を区別する。
追録7-No.949 土井利厚書状(鰹一箱献上披露)
今朝鰹1箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。6月廿七日、利厚判、次頁に松平榮翁宛名と口裏の土井大炊頭利厚の表示が続く。文化5年の朱注、出典全上。贈品は本文どおり鰹1箱であり、他の書状の鰹節に合わせて品名を変えない。献上・披露・結果、署判と口裏を採録する。
追録7-No.950 安藤信成書状(鰹一箱献上披露)
今朝鰹1箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。6月廿七日、信成判、松平榮翁宛。口裏に安藤對馬守信成の表示、文化5年の朱年注。949土井書状と同日同品目だが、差出人・署判・口裏の異なる返書として保持する。品名は鰹であり、本文にない鰹節へ置き換えない。
追録7-No.951 将監・信濃・典膳申渡(隠居介助の名目と今後の下知)
隠居様について、当分の御介助は名目まで断ることとなっていたが、今節の一件により、今後江戸・国元双方へ下知するので、この旨が各向きに洩れないよう通達することを命じる。将監・信濃・典膳署、文化5年閏6月の朱注、重豪公御譜中、写正文在文庫。介助の形式上の名目と、今回以後の江戸・国元への下知・周知を別に採録…
追録7-No.952 将監・信濃・典膳申渡(太守手筆の風俗教導・咎目)
領国の風俗等について、今回江戸で隠居様の意向を信濃が直に承知し、別紙写のとおり太守様が手筆をもって命じた旨を知らせる。太守も、その趣意を人々が厚く受け、十分に効果を上げることを求めている。風俗について先年から度々申し渡し、当代にも追って沙汰したが、今日なお効果がないのは甚だ不届きとする。今節隠居様が…
追録7-No.953 松平信明書状(生見玉黄金十両献上披露)
生見玉の祝儀として黄金10両を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。7月6日、信明判、松平榮翁宛。口裏に松平伊豆守信明の表示、文化5年の朱年注、重豪公御譜中、正文在文庫の表示を付す。本文の金額は10両である。祝儀名・金額・披露結果と署判を採録し、馬代など本文にない品目へ置き換えな…
追録7-No.954 安藤信成書状(生見玉黄金十両献上披露)
生見玉祝儀として黄金10両を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。7月6日、信成判、松平榮翁宛。口裏に安藤對馬守信成の表示、文化5年の朱年注。出典表示は全上で前件の重豪公御譜中・正文在文庫を承ける。金額は10両で、No.953松平信明書状と同日同額だが、別の差出人・署判の返書であ…
追録7-No.955 重豪、毎年隠居料千両を減じ更に二千両で国費を助ける
父公が国費の用途の多さと財政窮困を察し、年々隠居料の金1,000両を減じて表方へ送り不足を補っていたことを記す。今茲文化5年にも憂念し、以後5年間自ら費用を省き節用して、さらに2,000両を送り国費を助けることを命じたとする。家老が旨を奉じて命令を下した書は父公譜にあると表示する。出典は斉宣公御譜中…
追録7-No.956 登(島津久兼)申渡(隠居方から金二千両差出)
冒頭に金2,000両を掲げる。隠居様から何とか下知をしようとして差し当たり所帯向きを相談した際、現在の難渋について詳しく聞き、ことさらに気の毒に思われたと伝える。隠居方の続料はこれまでも追々減額していて余計はないが、御用分をできる限り差し欠き、当時の御用金を見積もって余計金をこのたび表へ差し出すとの…
追録7-No.957 重豪、御鷹の雲雀を拝領し斉興が代奉・礼謝
同年秋7月23日、大家が使者榊原左衛門を芝邸へ遣わし、重豪に御鷹の雲雀を賜ったと記す。榊原左衛門には実名闕の注がある。斉興が代わって恩旨を奉じ、ただちに老中の各邸で礼謝した。文化5年の朱注、出典表示は全御譜中。拝領主体の重豪と、代奉・礼謝の斉興を分け、旧人物欄の柳原左衛門を本文の榊原左衛門へ訂正する…
追録7-No.958 斉宣、病で参勤を延期し着府後も本人登城できず
斉宣は今年の参勤期が6月中であったが、病にかかり出発できなかったので上書して延期を願い、幕府が許可した。秋7月21日に鹿城を発ち、9月9日に江府へ着いた。家斉は上使土井大炊頭(利厚の注)を遣わして恩命を伝えた。斉宣は登城して参勤の礼を述べようとしたが、なお病があって朝廷へ赴くことができず、使者をもっ…
追録7-No.959 清国嘉慶帝の冊使斉鯤・費錫章が来琉
今茲文化5年戊辰夏、清国嘉慶帝の冊使である翰林院編修斉鯤と、副使の工科給事中費錫章が琉球国へ来た。吉日を選んで敕書を授与し、冬に帰ったことを記す。出典表示は全御譜中。正副使の官職・人名、夏の来琉・敕書授与・冬の帰国を採録し、本文にない具体的来航日や儀礼日、被冊封者名を補わない。
追録7-No.960 於寶系譜(出生・肝付米鶴との約婚・早世)
御系図中、斉興・男女14人の表示に続いて女子於寶を掲げる。文化5年戊辰7月26日生、母は青木盛晏の女。同年、肝付帯刀兼般の嫡子肝付米鶴との婚姻を命じて約婚し、12月に肝付氏へ入ったと記す。文化12年乙亥11月15日に早世し、法名は寶雲幻真。出生・母の出自・同年の約婚と肝付氏入り・後年早世を順に分ける…
追録7-No.961 徳川家斉内書(重陽小袖一重到来)
重陽祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、委細は青山下野守が述べると伝える内書。9月7日、家斉公墨印の表示、松平榮翁宛、文化5年の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。祝儀名・小袖一重の数量・到来歓喜と取次官名を採録し、次の安藤返書と役割を分ける。
追録7-No.962 安藤信成書状(重陽小袖一重献上)
重陽祝儀として使者により小袖一重を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。9月7日、安藤對馬守信成判、松平榮翁宛、文化5年の朱注。出典表示は全上で、前件の重豪公御譜中・正文在文庫を承ける。961の将軍内書とは別の献上披露返書として保持し、小袖の数量は一重を採録する。
追録7-No.963 重豪諭達(借金・積金・給金削減と国家立直し)
所帯向きが極めて難渋し、江戸・京・大坂の借金が増え、利物・諸用金やこれまでの産物料も大きく不足し、大坂の積金が滞っていることを指摘する。今のままでは年々困窮して国家が立ち行かず、公私に格段の入価に及ぶ事態が来れば必ず差し支え、取り計らう段取りもないという重大な時節なので、1日も放置せず担当へ命じて諸…
追録7-No.964 将監・典膳申渡(節減効果・役場運用・精勤)
隠居様が介助を引き受けているものの所帯方は極めて難渋しているため、省略中でも年限を設けて厳しく取締るよう江戸表にも夫々役を掛けて吟味させ、速やかに1万両ほどの出目を出し、さらに効果を上げることを望んでいると伝える。老年の隠居を安心させるには一統の心を合わせる必要があり、以前の介助とは意味が変わり、江…
追録7-No.965 大信公女子富姫の出生・死去・法号・墓所
大信公御子、女子富姫を掲げる系譜抄。文化5年戊辰10月6日、江府で生まれ、母は松平藤十郎の家臣谷周右衛門政相の女とする。八年辛未正月8日に死去し、法号は麗岱院殿紅露雪顔童女、墓は惠燈院・大圓寺に建つと記す。八年の年記は、文化5年から続く記事の文化8年と読む。父の呼称は抄の大信公を保持し、母の家臣関係…
追録7-No.966 青山下野守書状(重陽内書の翌日受取り)
重陽の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう通知する。10月廿日、青山下野守署、松平榮翁宛、文化5年の朱注。重豪公御譜中、正文在文庫の表示。祝儀の種類を重陽と具体化し、書状日と翌日の受取指定、本文署名の官名と目録の実名忠裕を分ける。
追録7-No.967 安藤對馬守書状(重陽奉書の翌日西丸受取り)
重陽の奉書を渡すので、明日の四時に西丸へ家来を差し出すよう通知する。11月10日、安藤對馬守署、松平榮翁宛、文化5年の朱注。重豪公御譜中、正文在文庫の表示。966の御内書・御城・五半時指定と区別し、この書状は奉書・西丸・四時指定として採録する。
追録7-No.968 鎌田典膳・頴娃信濃・嶋津将監書状(隠居年首祝儀)
国王の尊書を拝見し、隠居様への年首祝儀として目録のとおり差し上げられたものを江府到着後披露したところ、隠居様が満足されたので、その旨を伝えるよう求める。11月15日、鎌田典膳・頴娃信濃・嶋津将監の三名署にそれぞれ実名判の表示、讀谷山王子・三司官宛。文化5年朱注、重豪公御譜中、写正文在琉球国司の表示。…
追録7-No.969 家老連署書状(参勤時節用捨の祝儀・大宜見親方進物)
国王の尊書を拝見し、去年讀谷山王子を江府へ召し連れたことにより、参勤時期を用捨して6月中に参府するよう命じられた件への祝儀として、隠居様へ大宜見親方を通じて太刀1腰・御馬代白銀100両と目録のとおりの品を差し上げられたことを述べる。江府到着後に披露したところ、隠居様は満悦されたので、この旨を伝えるよ…
追録7-No.970 将監・信濃・登・典膳申渡(年額二千両を五年差出)
冒頭に金2,000両を掲げる。所帯方難渋のため先年、隠居方続料から年1,000両ずつ表方へ差し出していたが、今回も極めて難渋する事情を詳しく聞き、当6月に金2,000両を差し出して置いたと知らせる。厳しく取縮めを命じてはいるがさらに効果を上げる必要があり、2万両ほどの出方へ及ぶことを是非望んで昼夜工…
追録7-No.971 典膳申渡控(於寶殿と肝付米鶴の縁組記帳)
白木御文書七番箱中三十九番の文書で、於寶殿の表示を付す。今日、帯刀の嫡子肝付米鶴との縁組を命じられた旨を申し渡されたので、帳面に記して置くよう求める。11月廿八日、典膳署、文化5年辰の朱注。於寶の系譜960にある同年約婚・12月肝付氏入りと、この申渡し作成日を分ける。本文に宛名肝付帯刀家の記載はなく…
追録7-No.972 青山忠裕書状(鰹節一箱献上披露)
今朝鰹節1箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。12月6日、忠裕判、松平榮翁宛、口裏に青山下野守忠裕の表示、文化5年朱年注。重豪公御譜中、正文在文庫。949・950の鰹と異なり、ここは本文どおり鰹節として品名を採録し、献上・披露・結果と署判を分ける。
追録7-No.973 安藤信成書状(鰹節一箱献上披露)
今朝鰹節1箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。12月6日、信成判、松平榮翁宛、口裏に安藤對馬守信成の表示、文化5年朱注。出典全上は前件の重豪公御譜中・正文在文庫を承ける。同日同品目の972青山返書とは差出人・署判・口裏を区別して保持する。
追録7-No.974 徳川家斉内書(歳暮小袖一重到来)
歳暮祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、委細は牧野備前守が述べると伝える内書。次頁に12月廿七日、家斉公墨印の表示、松平榮翁宛名を掲げ、文化5年朱注を付す。重豪公御譜中、正文在文庫の表示。本文の贈品・数量、到来歓喜と取次官名、次頁の日付・印・宛名を連結し、975安藤返書と役割を分ける。
追録7-No.975 安藤信成書状(歳暮小袖一重献上)
歳暮祝儀として使者により小袖一重を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であると返す。12月廿七日、安藤對馬守信成判、松平榮翁宛、文化5年朱注。全上は前件の重豪公御譜中・正文在文庫を承ける。将軍内書とは別の老中返書として、献上・披露・結果と署判を採録する。
追録7-No.976 土井利厚書状(若菜祝儀鯛一折)
若菜祝儀として鯛1折を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。正月7日、利厚判、松平榮翁宛、口裏に土井大炊頭利厚の表示。文化6年の朱年注、重豪公御譜中、正文在文庫を掲げる。年の切替わりと祝儀名・贈品数量を確認し、同日の977安藤返書と差出人を分ける。
追録7-No.977 安藤信成書状(若菜祝儀鯛一折)
若菜祝儀として鯛1折を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。正月7日、信成判、松平榮翁宛、口裏に安藤對馬守信成の表示、文化6年朱注。出典全上。同日同品目の土井返書と異なる差出人・署判・口裏を保持し、信成自身が鯛を献上したとの主語補充をしない。
追録7-No.978 斉宣吉書(三箇条と後日受渡・収納)
白木御文書七番箱中40番、吉書と掲げる。神社仏閣の修造を興行すること、農事を専ら勧めること、国々の年貢を徴納することの三箇条を命じ、右三条に任せて沙汰するよう告げる。文化6年正月11日、斉宣御判。外包には文化6年己2月廿八日、将監から相良甚大夫へ渡され、御文書七番箱へ納め置いた旨を記す。正文の作成日…
追録7-No.979 土井利厚書状(年頭太刀一腰・馬代黄金十両)
年頭祝儀として使者により太刀1腰・御馬代黄金10両を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。正月11日、利厚判、松平榮翁宛、口裏に土井大炊頭利厚の表示、文化6年朱注。前頁の重豪公御譜中・正文在文庫見出しと正文を連結する。太刀と馬代を別品目に分け、実馬献上とはしない。
追録7-No.980 安藤信成書状(年頭太刀一腰・馬代黄金十両)
年頭祝儀として使者により太刀1腰・御馬代黄金10両を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。正月11日、信成判、松平榮翁宛、口裏に安藤對馬守信成の表示、文化6年朱注、出典全上。安藤信成は、献上品の披露結果を伝える差出人である。同日同品目の979土井返書と別に保持する。
追録7-No.981 重豪諭達(私的夜会・講読稽古の停止と門人教導)
若い者は学問・武芸を第一に励むべきで、造士館・演武館もそのために設け、油断なく修練するよう命じてあると述べる。ところが、かねて懇意の者同士で夜会を企て、私的な寄集まりの中で講読や武術の稽古を行っていると聞いたので、国中一統でこれを厳しく停止する。夜会だけでなく、自宅へ人を集めることも一切行わず、師家…
追録7-No.982 重豪、御鷹の鶴を拝領し斉興が代奉・謝礼
文化6年己巳春正月27日、大家が使者織田圖書を芝邸へ遣わし、重豪へ御鷹の鶴を賜った。織田圖書には実名闕の注。斉興が代わって恩旨を奉じ、ただちに老中の各邸で謝礼したと記す。前頁は982と重豪公御譜中の見出しのみで、本文は次頁へ続く。前の981諭達の末尾・包紙を含まないことを確認した。数量は本文に明記さ…
追録7-No.983 於幹・範之進系譜(出生・約婚養育・養子・早世)
御系図中、斉興・男女15人の表示に続いて女子於幹を掲げる。文化6年己巳正月晦日生、母は島津仲久建の女との原表記。3月、島津安藝忠厚の嫡子島津三次郎忠皎との約婚を命じ、忠厚の家で養育された。8月14日に死去し、法名を華質幻(末字舞・舜候補で留保)と記す。近秘野呂の注も同日死去とし、香雲院殿に続く同法名…
追録7-No.984 牧野備前守書状(歳暮御内書受取のため翌日登城)
歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう通知する。2月廿日、牧野備前守、松平榮翁宛、文化6年朱注。重豪公御譜中、正文在文庫の表示。通知日と翌日の受取予定、登城する者が家来であることを区別し、重豪本人の登城済みとはしない。
追録7-No.985 於幹の入輿・範之進の養子を帳面記置する申渡し
白木御文書七番箱中42番。於幹について安藝の嫡子嶋津三次郎への入輿、範之進について嶋津圖書の養子とすることを命じたので、その旨を帳面へ記しておくよう申し渡す。3月廿八日、典膳。外包には文化6年己3月廿八日、典膳から橋口善兵衛へ渡され、御文書七番箱へ納め置いた旨を記す。本文は縁組・養子の命令と記帳指示…
追録7-No.986 斉宣・斉興の婚姻許可と成婚後の幕府謝礼
斉宣公御譜中。斉宣が幕府に請い、松平相模守斉邦の妹を豊後守斉興の妻に迎えることを許されたと記す。斉邦には因州鳥取城主、妹には弥姫と称すとの注を付す。文化6年己巳夏4月28日に成婚し、5月15日、九鬼和泉守隆國が斉宣の代わりに登城して謝婚した。大家家斉へ巻物10、世子家慶へ白銀10枚、御臺所へ白銀5枚…
追録7-No.987 斉興婚礼と御縁女様・若御前様の呼称
近秘野呂。文化6年己巳4月28日に婚礼を行ったと記し、このときから御縁女様と称し、若御前様と奉称したとの小字注を付す。短い記事と呼称注の双方を採録する。後続の別記事にある呼称変更や日付をこの欄へ混入させない。
追録7-No.988 斉宣書付(榮翁からの婚姻謝礼献上と幕府指図)
同氏豊後守の婚姻が整ったので御礼を申し上げる際、公方・大納言・御臺へ同氏榮翁から献上物を贈り、峰姫・浅姫にも贈物を差し上げたいとして、指図を求める。4月廿九日、松平薩摩守署、文化6年朱注。重豪公御譜中、正文在文庫。朱貼紙は公方へ一種一荷、大納言へ一種、御臺へ同断と指示し、このとおり使者をもって献上し…
追録7-No.989 斉宣書付(本人・豊後守の婚姻謝礼献上と指図)
白木御文書七番箱中43番。豊後守の婚姻が昨日整ったので、御序の節に御礼を申し上げ、豊後守も御礼を申し上げたいと述べる。その際、公方・大納言・御臺へ私と豊後守から献上物を贈り、峰姫・浅姫および御附女中にも贈物をしたいとして指図を求める。4月廿九日、松平薩摩守署。右の貼紙は公方へ巻物10、大納言へ白銀1…
追録7-No.990 斉宣書付(妻・豊後守妻からの献上願と不要の貼紙)
全七番箱中。豊後守の婚姻が整ったため御礼を申し上げる際、公方・大納言・御臺へ私の妻と豊後守の妻から御礼の献上物を贈り、峰姫・浅姫および御附女中にも贈物をしたいとして指図を求める。本文は次段右端へ続き、4月廿九日、松平薩摩守署。右の貼紙は「不及此儀」として、この贈答は不要と指示する。妻たちからの献上願…
追録7-No.991 斉宣書付(女使による献上願・大奥老女照会と四通収納)
全七番箱中。豊後守の婚姻の御礼を申し上げる際、御内証から女使をもって、公方・大納言・御臺へ私・榮翁・豊後守ならびに私の妻・豊後守の妻から献上物を贈り、峰姫・浅姫にも贈物をしたいとして指図を求める。4月廿九日、松平薩摩守署。右の貼紙は大奥老女へ伺うよう指示する。各通の包紙は朱43番を付し、豊後守の婚姻…
追録7-No.992 徳川家斉内書(端午帷子・単物到来)
端午祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、委曲は松平伊豆守が述べると伝える内書。5月3日、家斉公墨印の表示、松平榮翁宛、文化6年朱注。前頁の重豪公御譜中・正文在文庫の見出しと次頁の本文を連結する。贈品の数量は記されないため補わず、同日の993安藤書状と将軍内書を分ける。
追録7-No.993 安藤信成書状(端午帷子・単物献上)
端午祝儀として使者により帷子・単物を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。5月3日、安藤對馬守信成判、松平榮翁宛、文化6年朱注、全上の出典表示。献上者と披露結果を返す差出人を区別し、本文にない贈品数量を補わない。
追録7-No.994 斉興成婚と斉宣・重豪の代理による登城・贈幣
文化6年己巳夏4月28日に斉興が成婚し、5月15日に九鬼和泉守隆國が父公の代理で登営して贈幣し謝婚したと記す。大父公には重豪公であるとの注を付し、重豪も物頭の相良典禮長元を城へ遣わして、大家へ一種一荷、儲君および御臺へ各一種を献じ、婚姻の礼を謝した。末注はこの時の重豪・斉宣の献品が重豪公譜に載る一方…
追録7-No.995 重豪御譜(斉興婚姻謝礼と家慶・姫宮の納幣婚儀賀品)
斉宣が幕府に請い、松平相模守斉邦の妹弥姫を豊後守斉興の妻とすることを許された。文化6年己巳4月28日に成婚し、5月15日、九鬼和泉守隆國が斉宣の代わりに登営し贈幣して謝婚した。重豪も物頭相良典禮長元を遣わし、大家へ一種一荷、儲君と御臺へ各一種を献じて謝した。続く別件は、大家が有栖川中務卿織仁親王の令…
追録7-No.996 土井利厚書状(大納言・姫宮結納の祝儀献上)
大納言・姫宮の結納の祝儀として、使者により目録のとおり献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。5月廿一日、利厚判、松平榮翁宛、朱口裏に土井大炊頭利厚、文化6年朱注、全上・正文在文庫の表示。正文は目録どおりとのみ記すため、別記事995の品目数量を本書の明細として断定転記しない。
追録7-No.997 安藤信成書状(大納言・姫宮結納の祝儀献上)
大納言・姫宮の結納の祝儀として目録どおり献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。5月廿一日、信成判、松平榮翁宛、朱口裏に安藤對馬守信成、文化6年朱注、全上。996土井返書とは別の差出人・署判・口裏を保持する。本文に目録の個別品目数量は書かれないため、既存概要の推定明細を除く。
追録7-No.998 松平信明書状(今朝の鰯一箱献上)
今朝、鰯1箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。6月11日、信明判、松平榮翁宛、朱口裏に松平伊豆守信明、文化6年朱注。前段の重豪公御譜中の見出しと下段の正文在文庫・本文を連結する。品名は鰯であり、鯛や鰹へ置き換えず、同日の次件999安藤返書と別に採録する。
追録7-No.999 安藤信成書状(今朝の鰯一箱献上)
今朝、鰯1箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。6月11日、信成判、松平榮翁宛、朱口裏に安藤對馬守信成、文化6年朱注、全上。同日の998松平信明書状と差出人・署判・口裏を分ける。贈品は鰯であり鯛へ変えない。
追録7-No.1000 重豪御譜(斉宣隠居・斉興襲封の許可と重豪の謝礼)
同年夏6月13日、斉宣が上願して隠居と豊後守斉興への国の継承を請うた。17日、老中が旨を奉じて豊後守と有馬肥前守一純を召した。一純が登城し、豊後守の襲封と斉宣の隠居許可を伝えられ、一純が斉宣に代わって命を承けた。そこで重豪は留守居を老中・若年寄の各邸へ遣わし謝礼したと記す。本文は次頁右端へ続く。同年…
追録7-No.1001 重豪書状(本丸・西丸御附老女への取成し依頼)
同氏薩摩守が願いどおり隠居を許され、豊後守へ家督が間違いなく命じられたことをありがたい仕合と述べる。その御礼を申し上げたいので、御序の折に御前でよく取り成してほしいと頼む。冒頭・末尾に相手の機嫌を尋ねる書札文言を記し、朱文化6年注を付す。御本丸御附と西丸御附の御老女衆連名宛をそれぞれ掲げる。全上・扣…
追録7-No.1002 重豪書状(御臺・峰姫・浅姫への御礼取成し依頼)
同氏薩摩守が願いどおり隠居を許され、豊後守へ家督が間違いなく命じられたことをありがたい仕合と述べる。御臺へその御礼を申し上げたいとし、峰姫・浅姫にも伝え、御序の折によく取り成してほしいと頼む。歌はし・あすか井・野むら・うら尾・せ川・八十瀬の六宛を原表記で採録する。全上・扣正文在右筆所、文化6年朱注。…
追録7-No.1003 重豪書状(鯛一折拝領と妻たちの謝礼取成し依頼)
同氏修理太夫が願いどおり隠居し、豊後守へ家督が命じられたことを伝える。その件につき昨日、御臺から鯛1折を拝領し、豊後守と修理太夫の妻へも拝領が命じられたので、ありがたい仕合と述べる。これらの御礼を申し上げたいとして、御序の折によく取り成してほしいと頼む。本文中のたい一おりは鯛1折として採録し、妻たち…
追録7-No.1004 重豪御譜(斉興襲封後も重豪が国政を聴く)
同月17日、斉興が襲封し斉宣が隠居したが、斉興がまだ長じていないため、同17日に重豪が引き続き国政を聴くことを請い、許されたと記す。それゆえ百官が重豪に命を聴いたと結ぶ。朱按にはこの時斉宣37歳、斉興19歳とある。年は一連の文化6年記事を承ける。重豪の国政継続の申請と許可、家臣の命令受領先を採録し、…
追録7-No.1005 斉宣御譜(上書・一純代理登城・隠居許可と修理太夫改名)
6月13日、斉宣が上書して隠居と豊後守斉興への国の継承を請うた。17日、老中の奉書に応じ、有馬肥前守一純が斉宣の代理として斉興とともに登城し、隠居許可・斉興の襲封の命を受けた。翌18日、斉宣が修理太夫と改名したと記す。斉宣公御譜中の独立記事として、同件を重豪側から記す1000と区別する。年は文化6年…
追録7-No.1006 斉興・斉宣明細書写二枚(石高・官位・本国生国・家督隠居)
白木御文書七番箱中46番、斉興と斉宣の明細書写2枚。冒頭から次頁にまたがり、薩摩国一円、石高60万5千石余と大隅国一円・日向国之内、別に12万3千7百石と琉球国を掲げる。斉興は本国・生国とも薩摩、文化元年甲子10月4日元服、従四位下侍従、文化6年己巳6月17日家督、居城薩州鹿児嶋、松平豊後守斉興、年…
追録7-No.1007 斉宣致仕謝礼(世子への受命伝達と一純代理登城の献品)
文化6年己巳6月17日、命を請いその事を世子へ伝えたと記し、世子には斉興公との注を付し、斉宣が自ら隠居したと続く。18日に修理太夫と改名。7月9日、有馬肥前守一純が大公に代わって登城し、御太刀1腰、御馬代黄金10両、縮緬10巻を献じ、大家家斉にまみえて致仕を謝した。近秘野呂・斉宣公の見出しと次段の全…
追録7-No.1008 斉興袖判達書(領国の重責と公儀政道・先規遵守)
白木御文書六番箱中98番、島津斉興の花押No.4表示。斉宣が願いによって隠居し、自分へ家督を間違いなく命じられたので、領国の重責については公儀の政道を万端慎み、国家の仕置は先規のとおり申し付けたことを忘れず、堅固に守るべきだと諭す。文化6年6月17日、右上包に御袖判ありの注。前頁の見出し・花押表示と…
追録7-No.1009 斉宣仰出(斉興家督後の精勤と国中への周知)
自分が隠居して豊後守に家督を付すことになったので、引き続き万事に励み精勤するよう家老中に申し付ける。またその趣旨を国中の末々まで行き届かせるよう命じる。全包内左のとおりとの表示、右包紙に御隠居様御筆・仰出とある。二通の包紙は朱98番、御袖判1通と御隠居から家老中への仰出1通を記す。さらに文化7年午7…
追録7-No.1010 重物目録(文書・由緒品・刀剣・像・茶器・旗・鞍の全六頁)
白木御文書六番箱中99番、重物目録。系図、文書5帖・同巻物数十軸、家康御墨印1通、秀忠御感状1通、御判物8通・附領知目録7通、記録623冊を掲げる。源氏重代膝丸の太刀1腰(改小十文字・光世作)、頼朝の太刀1腰(大十文字・無銘)と守脇指1腰(鳩作・無銘)、頼朝本尊の五指量愛染明王像1体(弘法大師一刀三…
追録7-No.1011 斉宣家宝譲与状(家督継承に伴い子孫万代へ伝える)
今回、家督を首尾よく命じられたので、相伝の家宝を別録のとおり譲与し、子孫万代へ譲り渡すべきことを記す譲与状。文化6年6月17日、薩摩守斉宣御判、松平豊後守殿宛。全一包の内に左の一通があると掲げ、包紙に覚の表示。右包紙は松平豊後守殿とあり、二通の上包は朱99番、文化7年午7月廿三日、安房から本田休七へ…
追録7-No.1012 毎朔御条書(公儀政務・宗門・奉公・武芸・規律・農政・関所等)
白木御文書六番箱中100号、掟。公儀政務を堅固に守り、常々の仰出条目を謹んで受け止めるよう命じる。幾里志丹宗門は公儀禁制として領内でも禁止、不審者を申し出れば公儀の褒美に加え当主も賞する。一向宗も当家代々禁じ、違反者を貴賤によらず宗門改人・支配頭へ届ける。代々の政法・参勤交替と国家の仕置を怠らず忠義…
追録7-No.1013 斉興近秘記事(婚礼・襲封謝礼献品と左近衛少将任官)
文化6年己巳4月28日婚礼を行い、この時から御縁女様・若御前様と称すとの注を付す。6月17日に世子が襲封したのは父公の隠居願によると記し、7月9日に登城して大家へ太刀1腰・濃州兼常の御刀1腰・縮緬20巻・白銀100枚・御馬2疋、儲君へ太刀1腰・越中國房の御刀1腰・白銀100枚・御馬1疋を献じた。二公…
追録7-No.1014 斉興御譜(幕府許可・家宝譲与と重豪の国政介助)
文化6年6月13日、父公が幕府へ上書して隠居し国を斉興へ伝えることを請うた。16日、老中が奉書をもって斉興と有馬肥前守一純を召し、翌17日に二人が登城し、松平伊豆守信明が台命を伝えて斉興の襲封・父公の隠居を命じた。この日、父公は家世所伝の譜牒・重器を譲り、斉興が袖判書と条書による命令を下した。続く別…
追録7-No.1015 斉興袖判(家督継承・公儀政道と先規遵守、隠居人名の注)
斉興公御袖判と掲げる。正文は「斉興公」が願いにより隠居し、自分へ家督を間違いなく命じられたとして、領国の重責にあたり公儀の政道を万端慎み、国家の仕置を先規のとおり忘れず堅固に守るよう命じる。文化6年6月17日。隠居者の正文斉興公には宣ノ誤カの注があるため、本文の字を斉宣へ黙って直さず、注とともに採録…
追録7-No.1016 斉宣から家老中への指示(精勤と国中末々への周知)
斉宣公より家老中への見出し。自分が隠居して豊後守へ家督を付すことになったので、引き続き万事に励み精勤するよう命じ、その趣旨を国中の末々まで伝えるよう指示する。文化6年6月。見出しと次頁本文を連結する。1009の類文には独立月日がないが本件には6月を記すため、出典ごとの日付表示を保持し、正文にない17…
追録7-No.1017 将監・信濃・登の達書(代替時の先規・風俗と精勤)
願いどおり隠居・家督が命じられ、袖判と御隠居の仰出により領国の重責を承知したと述べる。公儀の政道、当家の作法を先規のとおり命じられた趣旨を受け止め、代替の時には他所の見聞もあるため、万端風俗を乱さず慎み精勤するよう伝える。文化6年己7月、将監・信濃・登の三名を掲げる。署名は役称のまま保持し、1020…
追録7-No.1018 将監・信濃・登の達書(隠居御附以外は新当主へ奉仕)
隠居の御附以外の者は、すべてこれまでどおり新たな家督の側へ相勤めるよう命じられたので、ありがたく承知するよう伝える。文化6年己7月、将監・信濃・登。対象外となる隠居御附を明示した奉仕先の指示として、全員を隠居方へ移す命令と取り違えず、1017の風俗・先規諭達とも分ける。
追録7-No.1019 安藤信成書状(目録題、正文は家老座所在表示のみ)
印刷1019には重豪公御譜中・扣正文在家老座の出典・所在表示のみを載せ、書状本文は掲載しない。目録110頁下段の同列は文化6年6月廿七日、安藤信成書状とする。原本174頁下段と通常AIで表示範囲を確認した。本文の献上・披露・署宛は確認できないため、目録題から用件を作らない。続く印刷1020の国政介助…
追録7-No.1020 家督交代・重豪介助の幕府承知と別紙伝達書状
隠居・家督交代と政事向、大御隠居の介助について、改めて願いを進めたいとの太守・御隠居の意向を承知したので、去19日、典膳が使者として高輪へ伺い、黒田嘉右衛門(清卿注)から詳しく申し上げた。返答承知への御礼と、さらに自分たちから願った趣旨も嘉右衛門に申し上げたところ承知を得たと伝える。両殿が聞き届け、…
追録7-No.1021 安房・典膳書写(隠居・家督交代・国政介助承知の周知)
隠居・家督交代、政事向などと、大御隠居の介助について改めて願った趣旨を承知したので、その旨を向々へ承知させるよう通達する。文化6年6月の朱注、安房・典膳の表示。前頁の全上・写の見出しと次頁全文を連結し、1020書状で述べる別紙伝達の関係文として扱う。6月27日や朱7月19日の具体日付は本件本文にはな…
追録7-No.1022 斉宣御筆仰出(公儀政道・琉球までの政事と忠孝)
白木御文書七番箱中64番。自分が隠居し、その方が家督を命じられたので、第一に公儀の政道を重くし、領国から琉球国に至るまで政事に油断なく、家中の者も忠孝を励むよう取り計らうことが肝要だと諭す。6月、薩摩守、松平豊後守殿宛。外包に斉宣公御筆仰出1通の表示。正文は月のみを掲げるため17日などの具体日を補わ…
追録7-No.1023 登書状(貫明二百年回忌と功徳・恩赦先例の再吟味)
重豪公御譜中・扣正文在家老座。来正月二十一日の貫明(島津義久)二百年回忌について、百五十回忌には寺役を勤めた先例があり、今回の取扱いを妙谷寺が申し出た。寺社奉行を通じ記録奉行に調査させると、寛政5年に、五廟に当たる先祖の遠忌には供物・法事を行い、六代以前の格別な功徳のある先祖については供物または寺役…
追録7-No.1024 重豪側指図(先祖法事・代参・香奠の再吟味、1023行間朱書)
大御隠居が聞き届け、格別の功徳がある先祖について吟味どおり法事を行う件を指示する。今般の法事により他の遠祖の年忌に行う寺役法事・代参・香奠の取扱いも決めることになるが、功徳の差別により他の遠祖への取扱いをすぐ決め難いので、まず従来どおり寺役法事を行い、代参人を替え、香奠を重くするか等を吟味するよう求…
追録7-No.1025 重豪御譜の再吟味承知短文
重豪公御譜中・扣正文在家老座、文脱の注を掲げる。「右伺ニ相付再吟味」「本文致承知」と短く記し、前件の先祖法事取扱いの伺いにより再吟味し正文を承知する関係表示とする。掲載文は短く、正文に欠脱の注がある。独立した署日・宛先は記されない。 原目録の文書番号・標題・日付と当該本文の対応は未確定。
追録7-No.1026 安房書状(寺役日数・香奠・名代先例と五廟別扱い)
先の指示を受けて記録奉行に再調査させ、寺役法事の日数・香奠銀を重くする相当の取扱いを別紙どおり申し出る書状。従来一日・二日・三日と不同だった法事の日数を、今回、重い三日にそろえる。香奠は従来一日・二日執行の際に寺へ三枚を納めていたものを、五枚へ増す案とし、家老の代参を求める。天明6年の節岳(島津氏久…
追録7-No.1027 松平伊豆守書状(端午御内書受取のため翌日登城)
端午の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう通知する。7月4日、松平伊豆守、松平榮翁宛、文化6年朱注、重豪公御譜中・正文在文庫。通知日・翌日の受取予定と登城者が家来であることを分け、重豪本人が登城したとしない。
追録7-No.1028 牧野忠精書状(生見玉祝儀黄金十両)
生見玉の祝儀として黄金10両を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。7月6日、忠精判、松平榮翁宛、朱口裏に牧野備前守忠精、文化6年朱注。前頁重豪公御譜中の見出しと次頁正文在文庫・本文を連結する。祝儀名を原表記で保ち、差出人忠精が自分で献上したという主語を補わない。
追録7-No.1029 安藤信成書状(生見玉祝儀黄金十両)
生見玉の祝儀として黄金10両を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。7月6日、信成判、松平榮翁宛、朱口裏に安藤對馬守信成、文化6年朱注、全上。1028と同日同品目でも署判・差出人が異なる独立書状として保持する。
追録7-No.1030 重豪御譜(斉興登城献品・斉宣代理謝礼・使者女使の賀品)
今茲秋7月9日、斉興が召しに応じ登城し、黒書院で大家へ太刀1腰・美濃兼常の刀1腰・縮緬20巻・銀100枚・馬2疋、亜相へ太刀1腰・越中國房の刀1腰・銀100枚・馬1疋を献じて襲封の恩を謝し、陪臣9人が先例どおり謁見した。同日、一純が斉宣の代理で登城し、大家へ太刀1腰・馬代金10両・縮緬10巻、亜相へ…
追録7-No.1031 斉宣御譜(一純代理登城による告老謝礼と献品)
秋7月9日、有馬肥前守一純が斉宣の代理で登城し、大樹家斉へ太刀1腰・馬代金10両・縮緬10巻、世子家慶へ太刀1腰・馬代金10両を献じ、隠居許可の恩を謝したと記す。年は一連の文化6年記事を承ける。1030重豪御譜中の代理登城の一節と照合しつつ、斉宣御譜として独立に保持する。献品に実馬を補わず、斉興本人…
追録7-No.1032 斉興御譜(襲封献品と父斉宣の代理謝礼)
文化6年秋7月9日、斉興が召しに応じ登城し黒書院で、大樹家斉へ太刀1腰・美濃兼常の刀1腰・縮緬20巻・銀100枚・馬2疋、家慶へ太刀1腰・越中國房の刀1腰・銀100枚・馬1疋を献じ襲封の恩を謝した。家臣9人が先例どおり拝謁。同日、有馬肥前守一純が父公に代わって登城し、家斉へ太刀1腰・馬代金10両・縮…
追録7-No.1033 斉興御暇順年一件の表紙(内意書付・手控・首尾書の内訳)
白木御文書七番箱中47番、文化6年己年。太守が当年国元への御暇を許される順年にあったが、家督を命じられたためそのまま江戸滞在となる件を掲げる。この件につき留守居西郷八郎次名の内意書付1通、御用番牧野備前守から伝えられた手控書1通と留守居の首尾書2通を収めると記す。右一冊の蓋紙との表示。正文は後続附書…
追録7-No.1034 重豪の御鷹雲雀拝領と斉興の代奉・東西謝礼
同年秋7月25日、大家が使者小出助四郎を芝邸へ遣わし、重豪へ御鷹の雲雀を賜った。小出助四郎には実名闕の注。斉興が代わって恩旨を奉じ、ただちに登営して陵之間で就奏者大岡主膳正忠正へ謝礼した。西営にも登り、就奏者有馬左兵衛佐譽純にも同様に謝し、退出後は老中の各邸で謝礼したと記す。賜物の主体重豪と代奉・謝…
追録7-No.1035 徳川家斉内書(重陽小袖一重到来)
重陽祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、委曲は土井大炊頭が述べると伝える。前頁の重豪公御譜中・正文在文庫・本文と次頁の9月7日、家斉公墨印の表示、松平榮翁宛を連結する。文化6年朱注。同日の1036安藤書状と将軍内書を別に保持する。
追録7-No.1036 安藤信成書状(重陽小袖一重献上)
重陽祝儀として使者により小袖一重を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。9月7日、安藤對馬守信成判、松平榮翁宛、文化6年朱注、全上。差出人は披露結果を伝える側として整理し、信成自身の献上としない。
追録7-No.1037 重豪、有邦院殿五十年忌へ家老を遣わし香奠銀三枚奉納
同年9月20日、有邦院殿の五十年忌法事を福昌寺で修したと記し、有邦院殿には島津継豊との注、法事は18日から20日までの3日間との表示を付す。重豪も家老島津将監久美を遣わし、香奠銀3枚を進献し拝礼した。久美には泰カの注。斉興公御譜中にもあると付記する。正文の久美と注の久泰候補を分け、将監名を黙って久泰…
追録7-No.1038 豊後守の忌服届(榮翁母方叔母、淡路守母の死去)
同氏榮翁の母方叔母で、島津淡路守の母が死去したため忌服を届ける覚。淡路守には忠持・佐土原城主の注。忌10日、9月26日から10月5日まで、服30日、9月26日から10月15日までと記す。9月27日、松平豊後守、文化6年朱注、重豪公御譜中・扣正文在家老座。本文・忌期間と次段の服期間・届出署日を連結する…
追録7-No.1039 重豪親族忌服・公辺届集(美作死去、善次郎・又三郎届と後年再吟味)
重豪公御譜中・写正文在文庫。文化4年4月2日、榮翁の母方叔父嶋津美作(貴澄・垂水家)が国元で先月5日に死去したため、続半減の忌服を届ける。忌5日・3月5~9日、服15日・3月5~19日、日数が過ぎ残日数がないので遠慮1日とする貼紙を付す。本丸の書留には日限がなく老中側の扱い、ほかの書留は見当たらない…
追録7-No.1040 重豪御譜(斉興男子邦丸の出生・賀儀と姫宮入輿賀品)
今茲秋9月28日、斉興の男子が江戸芝邸で生まれ、10月6日に七夜賀儀を行う。重豪は側役を遣わし邦丸と命名し佳肴1折を贈る。幕府・国中への出生申告をせず島津称号を仮用したことを記す。分注を拡大すると文化9年壬申8月15日に嫡子を宸宮へ告げ、実4歳を事情により3歳として扱い、文化7年庚午2月28日を誕生…
追録7-No.1041 松平信明書状(姫宮入輿祝儀の廣蓋一組)
姫宮の入輿に際し廣蓋1組を献じられた趣旨について、各々申し談じ上聞に及んだと返す。10月7日、信明判、松平榮翁宛、朱口裏に松平伊豆守信明、文化6年朱注。全上・正文在文庫。前件1040の姫宮へ廣蓋を献じた記事と照合し、差出人信明自身が献上したとの主語を補わない。
追録7-No.1042 斉興御譜(弥姫男子出産・邦丸命名と老中への期日照会)
文化6年9月28日、夫人松平氏弥姫が江府芝邸で男子を産み、10月6日七夜賀儀を行う。大父公が側役を遣わして邦丸と名付け佳肴1折を贈る。幕府・国内に出生を告げていないため島津称号を仮用したのは大父公の意とする。生年月日を文化7年3月28日に改めたとの分注を付し、文化9年8月15日の記事を参照する。本件…
追録7-No.1043 邦丸命名資料三折(惟馨・子徳等の名字紙と祝文・保管注)
白木御文書十番箱中79番、包紙袋に邦丸様の御名目録・御名御字目録三折と記す。誕生は文化6年己巳9月28日乙酉・亥刻。10月6日の祝文は正八幡大菩薩、寿算は東方朔に等しく福佑は西王母と同じくする趣旨と、急々如律令を掲げる。次頁の折紙は御名惟馨(イケイ)・御字子徳、書経明徳惟馨の出典を示すもの、邦丸・惟…
追録7-No.1044 将監申渡し(男子出生内分・島津から松平称号への段階)
白木御文書七番箱中44番、口裏に将監へ渡された書付の写と表示。先月28日夜に御前が安産し男子が誕生したので、先に内分で取り計らい、島津称号を今後用い、追って届出が済めば松平称号とその文字を用いるよう命じられたことを、向々へ内分で伝える。10月、将監。包紙は文化6年己9月28日、江戸大奥での安産・男子…