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追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 2201~2300件・23 / 30ページ

  1. 追録7-No.2023 野むら外四名連署消息

    飛鳥井・花その・瀬川・梅田・野むらの五名が松平榮翁へ、歳暮の祝儀を祝い、両御所様・御臺様・御簾中様の機嫌がよいことを喜ぶ消息。歳暮の祝儀としてこの目録どおり拝領を受けたことを述べ、来年も健やかに、長久で変わりなくあるよう祝意を伝える。文政七年の朱注があるが、月日は記さない。

  2. 追録7-No.2024 島津久風外二名家老連署書状

    島津但馬久風・町田監物久視・新納内蔵久命が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見したうえで、大御隠居重豪への年首祝儀として目録どおり差し上げた品が江戸で披露され、重豪が満足した旨を伝える連署書状。朱書は文政七年十二月十五日。

  3. 追録7-No.2025 島津久風外二名家老連署書状

    三家老が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、斉興が宿次の奉書により御鷹の鶴を拝領した祝儀として、小波津親方を通じ大御隠居重豪へ太刀一腰・御馬代白銀百両と目録記載品が差し上げられたことを伝える。品は江戸で披露され、重豪が満足したとする。朱書は文政七年十二月十五日。

  4. 追録7-No.2026 島津久風外二名家老連署書状

    三家老が羽地王子・三司官へ、重豪が八十歳を迎えた内々の祝儀と、公方様・御臺様から拝領物を受けた祝儀として、小波津親方を通じ太刀一腰・御馬代白銀五十両と目録記載品が差し上げられたことを伝える。江戸で披露され、重豪が満足したとする。朱書は文政七年十二月十五日。

  5. 追録7-No.2027 島津久風外二名家老連署書状

    三家老が羽地王子・三司官へ、御臺様が吹上御庭から神田橋御屋敷へ立ち寄り、重豪が伺候して懇ろな扱いと拝領物を受けた祝儀として、小波津親方を通じ太刀一腰・御馬代白銀三十両と目録記載品が献上されたことを伝える。江戸で披露され、重豪が満足したとする。朱書は文政七年十二月十五日。

  6. 追録7-No.2028 島津久風外二名家老連署書状

    三家老が羽地王子・三司官へ、重豪の娘淑姫について縁組と追っての婚姻を整えたいとの願いが許可された祝儀として、小波津親方を通じ大御隠居重豪へ目録記載品が差し上げられたことを伝える。品は江戸で披露され、重豪が満足したとする。朱書は文政七年十二月十五日。

  7. 追録7-No.2029 島津久風外二名家老連署書状

    三家老が羽地王子・三司官へ、斉宣の娘聡姫について縁組と追っての婚姻を整えたいとの願いが許可された祝儀として、小波津親方を通じ大御隠居重豪へ目録記載品が差し上げられたことを伝える。品は江戸で披露され、重豪が満足したとする。朱書は文政七年十二月十五日。

  8. 追録7-No.2030 島津久風外二名家老連署書状

    三家老が羽地王子・三司官へ、斉興の娘祝姫について縁組の願いが許可された祝儀として、小波津親方を通じ大御隠居重豪へ目録記載品が差し上げられたことを伝える。品は江戸で披露され、重豪が満足したとする。朱書は文政七年十二月十五日。

  9. 追録7-No.2031 斉興御鷹の鶴を拝領す

    十二月二十二日、幕府が上使岡部内記を遣わし、斉興へ御鷹の鶴を下賜したことを記す斉興公御譜中の記事。

  10. 追録7-No.2032 重豪御鷹の鶴を拝領す

    十二月二十五日、幕府から使番阿部伊織正永が重豪邸へ遣わされ、重豪に御鷹の鶴が下賜された記事。重豪はわずかに病んでいたため、秋月筑前守種任が代理で受け取ったと記す。

  11. 追録7-No.2033-1 島津斉彬任侍従口宣案

    上卿徳大寺大納言のもと、従四位下源斉彬朝臣を侍従に任じる口宣案。文政七年十二月二十六日付で、蔵人頭左中弁藤原共福が奉じる。旧御番所御文書三番箱中に収められる。次の2033-2は侍従任官の宣旨であり、本項には含めない。

  12. 追録7-No.2033-2 島津斉彬任侍従宣旨

    正三位行権大納言兼皇太后宮大夫藤原実堅が宣し、大外記兼掃部頭造酒正助教中原師徳が奉じて、従四位下源斉彬朝臣を侍従に任じる宣旨。文政七年十二月二十六日付。前の2033-1は同じ任官の口宣案であり、本項は宣旨として分ける。

  13. 追録7-No.2034 島津斉彬叙従四位下位記

    従五位下源朝臣斉彬を従四位下に叙する正式な位記。中務・兵衛の職務に精誠を尽くし、夙夜公に在って懈らなかったため栄級を進める旨を記す。文政七年十二月二十六日付で、朝廷官人の列名と天皇御璽欄を備える。

  14. 追録7-No.2035 上卿職事等書立

    松平兵庫頭について、従四位下叙位の上卿を醍醐大納言、職事を柳原左中弁、侍従任官の上卿を徳大寺大納言、職事を清閑寺頭左中弁とする書立。前後の口宣案・宣旨・位記に関係する担当者一覧で、独立した年月日は記さない。

  15. 追録7-No.2036-1 島津斉彬任兵庫頭口宣案

    上卿三条西中納言のもと、従五位下源斉彬を兵庫頭に任じる口宣案。文政七年十二月二十六日付で、蔵人左少弁兼左衛門権佐皇太后宮権大進藤原正房が奉じる。

  16. 追録7-No.2036-2 島津斉彬叙従四位下口宣案

    上卿醍醐大納言のもと、従五位下源斉彬を従四位下に叙する口宣案。文政七年十二月二十六日付で、蔵人右中弁兼右衛門権佐皇太后宮大進藤原隆光が奉じる。

  17. 追録7-No.2037-1 島津斉彬叙従五位下口宣案

    上卿清水谷中納言のもと、源斉彬を従五位下に叙する口宣案。文政七年十二月二十六日付で、蔵人権右少弁藤原光暉が奉じる。

  18. 追録7-No.2037-2 上卿職事等書立

    松平兵庫頭について、従五位下叙位の上卿を清水谷中納言、職事を日野西権右少弁、兵庫頭任官の上卿を三条西中納言、職事を万里小路左少弁とする書立。関連文書の担当者一覧として整理する。

  19. 追録7-No.2037-3 島津斉彬任兵庫頭宣旨

    正三位行権中納言藤原朝臣実勲が宣し、中原朝臣師徳が奉じて、従五位下源朝臣斉彬を兵庫頭に任じる宣旨。文政七年十二月二十六日付。2036の1の口宣案とは別の宣旨である。

  20. 追録7-No.2037-4 島津斉彬叙従五位下位記

    源朝臣斉彬を従五位下に叙する正式な位記。中務・兵衛の職務に精誠を尽くし、夙夜公に在って懈らなかった旨の叙位理由を記す。文政七年十二月二十六日付で、朝廷官人の列名と天皇御璽欄を備える。

  21. 追録7-No.2038 飛鳥井雅光紫組冠懸免許状

    飛鳥井雅光が、蹴鞠の門弟である薩摩侍従斉彬に紫組冠懸の着用を許した免許状。文政七年十二月二十六日付。白木文書箱九の十に収められ、外包・箱書には薩摩侍従殿、松平兵庫頭殿、飛鳥井中納言等の表示がある。

  22. 追録7-No.2039 徳川家斉御内書

    徳川家斉が重豪へ、歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは松平和泉守から伝えさせるとした御内書。文政七年十二月二十七日付で家斉公黒印を備える。

  23. 追録7-No.2040 酒井忠進書状

    酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、歳暮の祝儀として使者を通じ献上された小袖一重を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。文政七年十二月二十七日付。

  24. 追録7-No.2041 松平輝延書状

    松平右京大夫輝延が松平榮翁へ、若菜の祝儀として献上された鯛一折を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。文政八年正月七日付。本文と署判・口裏は二つの原本片段にまたがる。

  25. 追録7-No.2042 酒井忠進書状

    酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、若菜の祝儀として献上された鯛一折を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。文政八年正月七日付。

  26. 追録7-No.2043 島津斉興吉書

    斉興が年頭の吉書として、神社仏閣の修造・興行、農業の奨励、国々の年貢の徴納という三か条を掲げ、その趣旨に従って沙汰するよう命じた文書。文政八年正月十一日付で斉興の御判を備え、白木御文書九番箱中二番に収められる。

  27. 追録7-No.2044 松平輝延書状

    松平右京大夫輝延が松平榮翁へ、年頭の祝儀として使者を通じ献上された太刀一腰と御馬代黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。文政八年正月十一日付。

  28. 追録7-No.2045 酒井忠進書状

    酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、年頭の祝儀として使者を通じ献上された太刀一腰と御馬代黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。文政八年正月十一日付。

  29. 追録7-No.2046 瀧やま外三名連署消息

    花町・梅その・梅溪・瀧やまの四名が松平榮翁こと重豪へ、年頭の長寿を祝い、上々様方と重豪の機嫌を尋ねたうえで、老年であることへの御台所の思召により、御納戸金の内から内々に三百両が例年どおり贈られたことを伝える消息。文政八年と記すが月日はない。

  30. 追録7-No.2047 郁姫、近衛忠熈と成婚す

    斉興が郁姫を近衛内大臣忠熈に嫁がせたいと願い、幕府の許可を得て、文政8年2月6日に成婚した記事。3月11日には上使水野出羽守忠成が幕府の祝意と例の賜品を伝え、家慶も上使松平能登守乗保を通じ例の品を贈った。3月15日、斉興は登城して謝礼し、饗応と馬を賜る。3月21日に江戸を発ち、4月4日に鹿児島へ着き…

  31. 追録7-No.2048 重豪、郁姫・近衛忠熈の成婚を謝す

    郁姫と近衛内大臣忠熈の婚姻が許可され、文政八年二月に成婚したため、重豪が物頭石黒戸後左衛門兼明(名乗り字形候補)を使者として祝謝の品を献じた記事。家斉へ干鯛一箱・樽一荷を、御台所・家慶・御簾中へ干鯛各一箱を贈り、成婚への謝意を表した。

  32. 追録7-No.2049 松平乗寛書状

    松平和泉守が松平榮翁へ、歳暮に関する御内書を渡すため、翌日五半時に家来を城へ差し出すよう求める書状。二月二十二日付で、文政八年は朱注による。御内書の受渡日時と差出す者を指定する通知であり、祝儀品の到来を伝える返書とは区別する。

  33. 追録7-No.2050 仁孝天皇女房奉書

    薩摩侍従から今回の任官・叙位の御礼として黄金百両と御きぬ二十疋が進上されたことを伝える女房奉書。披露したところ面白く思召したので、よく心得て伝えるよう求める。右箱蓋には「斉彬公従四位下侍従御任官女房奉書」とあり、任官叙位の礼物を斉彬に結び付ける。口裏の文政八年二月二十八日と、本文の申給へという伝達先…

  34. 追録7-No.2051 松平乗保書状

    松平能登守乗保が松平榮翁へ、若君の御弘が仰せ出された祝儀として、内府様・若君へ使者を通じ献上された御太刀と御馬代を披露し、一段の御仕合であったと伝える書状。若君には家定の傍注がある。三月二十一日付、文政八年は朱注。御太刀・御馬代の数量は記さない。

  35. 追録7-No.2052 水野忠成書状

    水野出羽守忠成が松平榮翁へ、若君の御弘が仰せ出された祝儀として、使者を通じ献上された御太刀と御馬代を披露し、一段の御仕合であったと伝える書状。三月二十一日付、文政八年は朱注。口裏を次の片段まで確認し、旧文字層の忠精を忠成に訂正する。

  36. 追録7-No.2053 重豪、師久の法事を修す

    三月二十一日、師久(定山公)の四百五十年忌法事を城の称名寺で修した記事。重豪は家老新納内蔵久命を遣わし、香奠金三百疋を献じて拝礼させた。重豪公御譜中の記事で、斉興公御譜中にもあるとの所在注を伴う。

  37. 追録7-No.2054 島津重豪覚書

    重豪公御譜中の贈答覚書。四月九日、お種(重豪の娘)が戸田采女正氏庸方へ引移った際の贈物を列挙し、お種から采女正へ嶋縮緬二反、奥方へ縮緬二反、夫婦の衆へ鯛一折などを送ったことを記す。各人への鯛・嶋ちりめんの土産、重豪側からの鯛・交肴・塗重一組、御台所からの内々鯛一折、各家からの初鰹・筍・蕗等の到来と返…

  38. 追録7-No.2055 川上久芳申渡書

    印刷本文は「重豪公御譜中」「扣正文在家老座」と、次の不斷光院に関する文書群の表示を収録するのみで、申渡書の正文を載せない。目録は四月十日付の川上久芳申渡書とするが、その用件・差出人・宛先を本文から確認することはできない。正文未収録の所在表示として整理する。

  39. 追録7-No.2056 島津久風外二名連署返書

    不斷光院の再興について、川上久芳が四月十日に伝えた申渡の写と、島津但馬・町田監物・新納内蔵の三家老が六月十五日に返した返書を収める。重豪が二十九年前に増上寺宿坊源寿院を園成と改め、堂を造営した由来を述べ、不斷光院が往年の厚意を忘れず重豪の尊影一躰を源寿院の費用で安置し、新たに奉拝したいと願ったことを…

  40. 追録7-No.2057 町田久視申渡書

    町田監物が四月十五日、安藝殿の嫡子島津三次郎を養子とする旨が仰せ出されたため、帳面に記載しておくよう御記録奉行へ伝える申渡書。三次郎には忠徳の傍注がある。包紙は同日付で、監物から相良新大夫へ渡し、白木御文書九番箱に収める旨を記す。包紙の宛表示は斉宣の男啓之助様で、本文の御記録奉行への記録指示とは区別…

  41. 追録7-No.2058 松平乗保書状

    松平能登守乗保が松平榮翁へ、若君に使者を通じ献上された菖蒲御兜一飾が首尾よく披露されたことを伝える書状。四月二十八日付、文政八年は朱注。端午の季節の献上品を扱うが、本文にない若君の名や献上日を補わない。

  42. 追録7-No.2059 徳川家斉御内書

    家斉が松平榮翁へ、端午の祝儀として帷子の単物が到来したことを喜び、詳しいことは青山下野守から伝えさせるとした御内書。五月二日付で家斉公黒印を備え、文政八年は朱注による。

  43. 追録7-No.2060 酒井忠進書状

    酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、端午の祝儀として使者を通じ献上された帷子の単物を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。五月二日付で、文政八年は朱注。御内書2059とは別の披露通知として整理する。

  44. 追録7-No.2061 島津重豪覚書

    五月七日、隠居・家督の願いが願いどおり許された旨の御付札が汐留へ届いたことを記す覚書。大膳大夫(奥平昌高の傍注)の改名を左衛門尉、美作守の改名を大膳大夫と記し、これを祝って側役を使者に鯛一折ずつを贈った。交肴一折ずつも、左近の初子供の相中から祝儀として贈ったとする。末尾は文政八年朱注。各人の改名と祝…

  45. 追録7-No.2062 大久保忠真書状

    大久保加賀守忠真が松平榮翁へ、今朝献上された一箱の品を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。品名の魚偏字は鯣候補として留保する。六月十一日付で、文政八年は朱注。署判と口裏の大久保加賀守忠真を確認し、若君への献上など本文にない相手を補わない。

  46. 追録7-No.2063 松平乗保書状

    松平能登守乗保が松平榮翁へ、今朝献上された一箱の品を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。品名の魚偏字は鯣候補として留保する。六月十一日付で、文政八年は朱注。2062と同日の献上披露を扱うが、差出人を乗保として別文書に整理する。

  47. 追録7-No.2064 青山忠裕書状

    青山下野守が松平榮翁へ、端午に関する御内書を渡すため、翌日五半時に家来を城へ差し出すよう求める通知。六月十四日付で、文政八年は朱注。端午の祝儀品への返書ではなく、御内書を受け取るための家来登城指示として整理する。

  48. 追録7-No.2065 松平乗寛書状

    松平和泉守乗寛が松平榮翁へ、生身玉の祝儀として献上された黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。七月六日付で、文政八年は朱注。黄金十両の数量と、生身玉という本文の祝儀名を保持する。

  49. 追録7-No.2066 酒井忠進書状

    酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、生見玉の祝儀として献上された黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。七月六日付で、文政八年は朱注。2065は生身玉、本項は生見玉と印刷するため、同じ祝儀の返書でも本文表記を推定統一しない。

  50. 追録7-No.2067 重豪御鷹の雲雀を拝領す

    七月二十九日、幕府が使番戸田七内光紹を遣わし、重豪へ御鷹の雲雀を下賜した記事。重豪には少し病があったため、遠山美濃守友壽が代理で受け取った。拝領品、使者、病による代受者を区別して記録する。

  51. 追録7-No.2068 斉興宝島の諸士の功を賞す

    近秘野抄中の斉興公記事。文政8年9月朔日、斉興は町田久視に宝島の功労者への褒賞を命じ、島津権五郎を当番頭・領御用人に任じた(当番頭に百苞の小注)。吉村九助には歳俸50苞を終身給付して功績を賞する。本田助之丞を種子島へ移し、九助に従って功を成したことを嘉し、罪を特に赦す。種子島伊勢輔時に安置を命じ、御…

  52. 追録7-No.2069 徳川家斉御内書

    家斉が松平榮翁へ、重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは大久保加賀守から伝えさせるとした御内書。九月七日付で家斉公黒印を備え、文政八年は朱注による。

  53. 追録7-No.2070 酒井忠進書状

    酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、重陽の祝儀として使者を通じ献上された小袖一重を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。九月七日付、文政八年は朱注。2070は献上披露の返書で、2069の御内書とは別文書に整理する。

  54. 追録7-No.2071 重豪不斷光院を再興す

    重豪が城下の不斷光院を旧制より拡張して再興し、寺班を福昌寺の次とした記事。住持明馨は源寿院住持園成と江戸で相談し、重豪の寿像を不斷光院に安置する許可を願い、仏工梶田武助が像を彫った。増上寺大僧正は国家鎮護・武運長久の法文を記し、重豪も実名・花押を添えた。九月三日に像が完成し、五日に増上寺の僧らが祈願…

  55. 追録7-No.2072 島津重豪実名・花押札

    「正文在不斷光院」と記し、枠内に重豪の実名・花押を示す「重豪(花押)No.5」の参照表示を置く資料。寿像安置に関係する札の所在と花押参照番号を確認できるが、掲載画像には花押の実際の字形が印刷されていない。実物の花押を精査した扱いにはせず、実名・花押札の所在表示として整理する。

  56. 追録7-No.2073 増上寺大僧正法文札

    不斷光院に正文があるとする増上寺大僧正の法文札。表は「南無阿弥陀佛」と増上寺五十九主大僧正寶譽の花押表示、裏は天下和順・日月清明・風雨以時・災厲不起・国豊民安・兵戈無用等を願う祈願の文を収録する。重豪寿像に関係する法文札の表裏の内容を示すが、花押そのものは文字表示であり字形を確定しない。

  57. 追録7-No.2074 家老座達書

    不斷光院寺中の源寿院が、重豪寿像の安置を願って許可されたことを伝える達書。寿像は仏師へ内々に調達させ、増上寺から国家鎮護・武運長久の法文を受け取ったので、別紙図面どおり神殿を造立するよう命じる。完成時には家老が代理参詣し、以後の修覆等は寺が請け持つとする。十月付、文政八年は朱注。家老座に正文控があり…

  58. 追録7-No.2075 大久保忠真書状

    大久保加賀守が松平榮翁へ、重陽に関する御内書を渡すため、翌日五半時に家来を城へ差し出すよう求める書状。十月二十日付、文政八年は朱注。祝儀品の披露返書ではなく、御内書の受渡に必要な家来登城を指示する。

  59. 追録7-No.2076 島津久風外三名家老連署知行目録

    堀殿衛へ高五十斛を授与する四家老連署の知行目録。川邊古殿村、伊集院郡村、同所上神殿村、谷山下福元村中大窪門の内を挙げ、名寄帳は別冊にあると記す。唐物御商法の発起以来、骨折って精勤し、とくに今回の御品増の一件に尽力したことへの褒美として授与する。十月二十八日付で、久風・久芳・久視・久命が署判し、所務を…

  60. 追録7-No.2077 川上久馬申渡書

    又次郎(久光)を本日、出雲殿(越前島津家・忠公の傍注)の養子とする旨が仰せ出されたことを御記録奉行へ伝える申渡書。改名する必要はなく、以後は家付きの子孫も永く「又」の字を用いるよう命じ、その旨を帳面に記録させる。十一月朔日、久馬署名、白木御文書九番箱中四番に収められる。

  61. 追録7-No.2078 町田久視申渡書

    大乗院の寺格変更を御記録奉行へ伝える十一月付の申渡書。従来は不斷光院の次に置かれ、嵯峨御所から許可された願所の進物等もあったが、今回の願いが許され、南泉院の次の寺格とする。南泉院・大乗院・一乗院の三寺がともに僧正となる際は順席とする。下乗所は御楼門橋涯、扣所は杉之間、年頭進上物は臺束臺本、入院御礼と…

  62. 追録7-No.2079 斉彬御鷹の鶴を拝領す

    近秘野抄中の斉彬公記事。文政八年十一月二十七日、幕府が佐橋市左衛門を遣わし、世子斉彬へ鶴を下賜した。鶴は御鷹が捕らえたものと記す。使者・受給者・鳥の由来を区別し、斉興や重豪への別の鶴拝領記事と混同しない。

  63. 追録7-No.2080 島津久風外三名家老連署書状

    四家老が羽地王子、三司官へ、琉球国王の尊書を拝見したうえで、大御隠居重豪への年首祝儀として目録どおり差し上げられた品が江戸へ到着し、披露したところ重豪が満足したと伝える。これを国王へ伝達するよう求める。十二月十五日付。

  64. 追録7-No.2081 島津久風外三名家老連署書状

    四家老が羽地王子、三司官へ、琉球国王の尊書を拝見したうえで、太守の御礼席御着座が仰せ出された祝儀として、大山親方を通じ大御隠居重豪へ太刀一腰・御馬代黄金十両と目録記載品が差し上げられたことを伝える。品は江戸で披露され、重豪が満悦したとする。これを国王へ伝えるよう求める。十二月十五日付。

  65. 追録7-No.2082 島津久風外三名家老連署書状

    四家老が羽地王子、三司官へ、琉球国王の尊書を拝見したうえで、太守の二月中の御暇願が願いどおり仰せ出された祝儀として、大山親方を通じ大御隠居重豪へ差し上げられた旨が書面で通知された品を、江戸で披露したと伝える。十二月十五日付。

  66. 追録7-No.2083 島津久風外三名家老連署書状

    四家老が羽地王子へ、琉球国王の尊書を拝見したうえで、御台所が吹上御庭から神田橋御屋形へ立ち寄り、重豪が出て機嫌を伺い、懇ろな扱いと拝領物を受けた祝儀として、大山親方を通じ太刀一腰・御馬代白銀三十両と目録記載品が重豪へ差し上げられたことを伝える。江戸で披露され重豪が満悦したため、国王へ伝達するよう求め…

  67. 追録7-No.2084 島津久風外三名家老連署書状

    四家老が羽地王子、三司官へ、琉球国王の尊書を拝見したうえで、若殿の元服、御一字・御道具の拝領、官位の仰出と改名への祝儀として、大山親方を通じ大御隠居重豪へ太刀一腰・御馬代黄金十両と目録記載品が差し上げられたことを伝える。江戸で披露され重豪が満悦したため、国王へ伝達するよう求める。十二月十五日付。

  68. 追録7-No.2085 島津久風外三名家老連署書状

    四家老が羽地王子、三司官へ、琉球国王の尊書を拝見したうえで、若殿の初御目見が首尾よく済んだ祝儀として、大山親方を通じ大御隠居重豪へ太刀一腰・御馬代白銀百両と目録記載品が差し上げられたことを伝える。江戸で披露され重豪が満悦したため、国王へ伝達するよう求める。十二月十五日付。

  69. 追録7-No.2086 島津久風外三名家老連署書状

    四家老が羽地王子、三司官へ、琉球国王の尊書を拝見したうえで、郁姫の婚姻が首尾よく整った祝儀として、大山親方を通じ大御隠居重豪へ太刀一腰・御馬代白銀百両と目録記載品が差し上げられたことを伝える。郁姫には斉興の娘・近衛忠熈室の傍注がある。江戸で披露され重豪が満悦したため、国王へ伝達するよう求める。十二月…

  70. 追録7-No.2087 島津久風外三名家老連署書状

    四家老が羽地王子へ、琉球国王の尊書を拝見したうえで、聡姫の婚姻が首尾よく整った祝儀として、大山親方を通じ大御隠居重豪へ太刀一腰・御馬代白銀百両と目録記載品が差し上げられたことを伝える。聡姫には重豪の娘・阿部正寧室の傍注がある。江戸で披露され重豪が満悦したため、国王へ伝達するよう求める。十二月十五日付…

  71. 追録7-No.2088 島津久風外三名家老連署書状

    四家老が羽地王子、三司官へ、琉球国王の尊書を拝見したうえで、松平美濃守が養家へ引越したことへの祝儀品を、大御隠居重豪へ差し上げた旨を受け、江戸で披露したと伝える。美濃守には黒田斉溥の傍注がある。十二月十五日付。

  72. 追録7-No.2089 島津久風外三名家老連署書状

    四家老が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、啓之助が島津伯耆の養子とするよう仰せ出された祝儀として、大山親方を通じ大御隠居重豪へ太刀一腰・御馬代白銀三十両と目録記載品が差し上げられたことを伝える。啓之助には重豪の男、伯耆には忠寛の傍注がある。品は江戸で披露され重豪が満悦したため、国王へ伝達す…

  73. 追録7-No.2090 島津久風外三名家老連署書状

    四家老が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、賢章院の逝去に伴い、大山親方を通じ大御隠居重豪へ御悔が差し上げられた旨を受け、江戸で披露したと伝える。賢章院には斉興室の傍注がある。十二月十五日付で、具体的な弔慰品の品目・数量は記さない。

  74. 追録7-No.2091 川上久芳外二名家老連署書状

    川上久馬・町田監物・新納内蔵の三家老が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、賢章院の逝去に伴う重豪への御機嫌伺いとして、大山親方を通じ目録どおり差し上げられた品を江戸で披露したと伝える。十二月十五日付。前2090の御悔を伝える四名連署書状とは、用件の表現と差出人の人数を区別する。

  75. 追録7-No.2092 青山忠裕書状

    青山下野守忠裕が松平榮翁へ、今朝献上された鰹節一箱を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十二月十六日付、文政八年は朱注。末尾の謹言・署判は次の片段へ続き、口裏の青山下野守忠裕と宛名を照合する。

  76. 追録7-No.2093 松平乗保書状

    松平能登守乗保が松平榮翁へ、今朝献上された鰹節一箱を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十二月十六日付、文政八年は朱注。2092と同日の献上披露を扱うが、差出人を乗保として別文書に整理する。

  77. 追録7-No.2094 徳川家斉御内書

    家斉が松平榮翁へ、歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは松平和泉守から伝えさせるとした御内書。十二月二十七日付で家斉公黒印を備え、文政八年は朱注による。

  78. 追録7-No.2095 松平乗保書状

    松平能登守乗保が松平榮翁へ、歳暮の祝儀として使者を通じ献上された小袖一重を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十二月二十七日付、文政八年は朱注。2094の家斉御内書とは別の披露返書として整理する。

  79. 追録7-No.2096 松平乗保書状

    松平能登守乗保が松平榮翁へ、若君に使者を通じ献上された御破魔弓一飾が首尾よく披露されたと伝える書状。十二月二十八日付、文政八年は朱注。本文にない若君の実名を補わず、破魔弓一飾の数量と献上先を保持する。

  80. 追録7-No.2097 島津久風外三名家老連署達書

    家斉が文政七年十一月二十一日の斉彬の黒書院での元服時に与えた刀・道具を、御納戸で格護し、後年紛失しないよう帳面に記録させる達書の写。刀一腰は美濃国兼明、長二尺三寸五分、添樋・少し磨上げ、代金五十枚と記し、鎺・切羽の金着、赤銅の鍔・縁・七子地の三所物、黒塗柄頭などの拵を列挙する。白糸巻の柄鮫、寶壽の小…

  81. 追録7-No.2098 大久保忠真書状

    大久保加賀守忠真が松平榮翁へ、若菜の祝儀として献上された鯛一折を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月七日付、文政九年は朱注。署判・口裏を確認し、本文の若菜・鯛一折・披露という用件を保持する。

  82. 追録7-No.2099 酒井忠進書状

    酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、若菜の祝儀として献上された鯛一折を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月七日付、文政九年は朱注。前2098の大久保忠真返書と同じ祝儀を扱うが、署判・口裏の差出人を忠進として別文書に整理する。

  83. 追録7-No.2100 島津斉興吉書

    斉興が年頭の吉書として、神社仏閣の修造・興行、農業の奨励、国々の年貢の徴納という三か条を掲げ、その趣旨に従って沙汰するよう命じた文書。文政九年正月十一日付、斉興御判、白木御文書九番箱中八番に収められる。前年度の吉書とは年次と番号を区別する。

  84. 追録7-No.2101 大久保忠真書状

    大久保加賀守忠真が松平榮翁へ、年頭の祝儀として使者を通じ献上された太刀一腰・御馬代黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月十一日付、文政九年は朱注。品目・数量と署判・口裏を確認する。

  85. 追録7-No.2102 酒井忠進書状

    酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、年頭祝儀として内府様・若君に使者を通じ献上された御太刀・御馬代黄金が披露され、一段の御仕合であったと伝える返書。正月十一日付、文政九年は朱注。本文の内府様・若君という献上先を保持し、御太刀・黄金に記されていない数量を前2101から補わない。

  86. 追録7-No.2103 斉興参勤す

    斉興公御譜中の参勤記事。文政九年春正月二十五日に斉興が鹿児島を発ち、三月十四日に江戸へ到着したと記す。次2104と日付は共通するが、本項は御譜の短い出発・到着記事として分けて採録する。

  87. 追録7-No.2104 斉興参勤す

    近秘野抄中の斉興参勤記事。文政九年正月二十五日に府城を発ち、三月十四日に芝邸へ着く。二十九日には幕府が青山下野守忠裕を斉興の邸へ遣わして労をねぎらい、四月朔日に例のとおり朝覲した。前2103の御譜記事にない慰労使者・朝覲を明記する。

  88. 追録7-No.2105 島津重豪覚書

    松平寧太郎(定和)の結納に伴い、正月二十九日に祝物を取り交わした覚書。高輪へ回した結納品、越中守からお孝(重豪女)への塩鯛一箱・樽代五百疋、楽翁奥方からの二千鯛一箱・樽代三百疋、寧太郎からお孝への十二重一臺、内唐綾・紅唐綾・白羽二重の下着・帯二筋等を列挙する。末廣二本、塩鯛十二尾、昆布・するめ・樽二…

  89. 追録7-No.2106 たき山外三名連署消息

    花町・梅その・梅溪・たき山の四名が松平榮翁へ、年頭の長寿と上々様の機嫌を祝い、老年であることへの御台所の思召により、御納戸金から内々に金三百両が例年どおり贈られたことを伝える消息。文政九年朱注、本文に月日はない。三百両の出所・贈与理由・例年の扱いを保持する。

  90. 追録7-No.2107 瀧山外三名連署消息

    花町・梅その・梅溪・瀧山の四名が松平榮翁へ、重豪からの文を受けたことと上々様の機嫌を伝える消息。老年の重豪へ御台所の思召で御納戸金から内々金三百両が贈られたことを難有いとする重豪の礼を受け、よろしく伝える旨を記す。文政九年朱注、本文月日なし。前2106と同じ三百両を扱うが、贈与通知と受礼後の返信を別…

  91. 追録7-No.2108 重豪御鷹の鶴を拝領し忠久の六百年忌法事を修す

    文政九年二月六日、幕府が使番阿部伊織正永を遣わして重豪へ御鷹の鶴を下賜した記事。重豪は微恙のため斉彬が代受した。同月、得佛公(島津忠久)の六百年忌法事を浄光明寺で三日間修し、日付注は十六日から十八日とする。重豪は家老新納内蔵久命を遣わし香奠銀三枚を献じて拝礼させた。忠久は嘉禄三年六月十八日に薨じたと…

  92. 追録7-No.2109 松平乗寛書状

    松平和泉守が松平榮翁へ、歳暮に関する御内書を渡すため、翌日五半時に家来を城へ差し出すよう求める書状。二月二十日付、文政九年は朱注。御内書の受渡時刻と、家来を登城させる指示を採録する。

  93. 追録7-No.2110 北郷久秖書状

    印刷2110は「重豪公御譜中」「扣正文在家老座」という所在表示のみで、書状正文を収録しない。目録は三月五日付北郷久秖書状とするが、本文から独立した用件・差出人・宛先を確定できないため、正文未収録の所在表示として整理する。隣2111に入る寿像安置の返書内容は本項へ補わない。

  94. 追録7-No.2111 島津久風外二名家老連署返書

    重豪寿像を不斷光院山内に神殿を造って安置する願いについて、北郷内記が伝えた許可と三家老連署返書の対応を収録する。源寿院当住持が、不斷光院・増上寺宿坊の双方から願い、願いどおり許されたため、諸人の拝礼と寄進物を勝手次第とすることを認めた。重豪の沙汰を別紙に示して送るので、印を許した場所で取扱いを整える…

  95. 追録7-No.2112 猪飼尚敏書状

    猪飼央(尚敏の傍注)が北郷内記へ、重豪寿像を国元不斷光院山内に神殿を造って安置する願いが許されたことを伝える書状。不斷光院・増上寺宿坊源寿院の当住持からの願いにより、諸人の拝礼・寄進物を勝手次第とする許可があり、重豪の沙汰もあるとする。二月十一日付。

  96. 追録7-No.2113 斉興参府す

    斉興公御譜中の記事。文政九年三月二十九日、幕府が上使青山下野守忠裕を遣わし、斉興の参府について尋ねた。四月朔日には斉興が登城して参府の礼を述べ、饗応を受けた。参府に伴う使者訪問・登城礼・饗応を日付別に採録する。

  97. 追録7-No.2114 島津重豪覚書

    四月朔日の婚姻成立と十三日の里入・里抜に伴う祝物交換の覚書。双方の届と女房奉文を交換し、略式・口上を中心に、当日は使者を通じ祝物を取り交わしたとする。むね守・鈴子・犬張子・紅白腰巻・箱絵屏風一双・簾絹張・白ねり等を挙げ、重豪や豊後守への千鯛一箱ずつ、越中守夫婦・寧太郎夫婦からの塩鯛、豊後守から寧太郎…

  98. 追録7-No.2115 幕府指図書

    御台所が来る十三日に吹上御庭から兵部卿の神田橋屋敷へ立ち寄るため、松平榮翁も同屋敷へ出て機嫌を伺うよう命じる指図書。兵部卿には橋斉礼の傍注がある。文政九年四月朱注で、重豪公御譜中・正文在文庫とする。予定と指図を記し、実際に重豪が出席したとはしない。

  99. 追録7-No.2116 島津重豪書状

    御台所が十三日に神田橋屋敷へ立ち寄る際の出席指図を受け、重豪が病による歩行不自由のため出席を辞退する書状。機嫌を伺うよう命じられたことは難有いとしながら、このところ痛所があって罷出が難しいため断りを申し上げる。四月十一日付、松平榮翁署名、正文控は右筆所にある。

  100. 追録7-No.2117 島津重豪書状

    重豪が女房五名へ、上々様の機嫌を祝ったうえで、御台所の十三日の神田橋屋敷立寄りに際して自分も出席し機嫌を伺うよう命じられたことへの礼を、御前でよろしく取り成して伝えるよう頼む書状。内府様・御台所・御簾中へも礼を申し上げるよう求める。文政九年朱注、本文に月日はない。正文控は右筆所にあり、あすか井・はな…