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追録7-No.2697記事旧記雑録暫定版・確認中

重豪の遺骸本国福昌寺に入る

天保4年2月4日~4月6日ほか(年次目録、月日本文)/整理ID 旧記雑録追録7_文書2697

確認度高
この文書は暫定版です

現在、内容を確認中です。概要・人物・宛先・キーワード等は後日修正される可能性があります。

概要

重豪公御譜中の記事。重豪が当初川上久芳・伊集院兼當に瑞聖寺での埋葬を命じた後、病中に溪山へ国元福昌寺への帰葬を遺言した経緯を記す。分注は島津の長い継承と世の変化、先君の帰葬の例を論じ、遺言に従う意義と当時の家臣の責任を史臣が評したもので、事実経過と編纂者の論評を分ける。二月四日に斉興が帰葬を願って許され、十日、大圓寺和尚昌隆・猪飼央尚敏・本田親前・早川男破魔兼敬らが霊柩に従い高輪邸を発った。東海道・山崎路・中国の駅路を経て伏見で二日滞棺し、三月三日発、十九日赤間関、翌日豊前大里から九州路を進む。四月朔日出水、二日阿久根、三日向田、四日伊集院の別館等を経て、五日午刻に鹿児島福昌寺へ入った。一門・家老等の礼、諸士・組与力の道路での跪拝、近習による棺の安置を記し、五日・六日に斉興・溪山・斉彬が一門の代として焼香した。六日夜、家老・寺社奉行・側役・住持等が遺骸を西玄院から廟所へ葬る。既読No.2640の八日の葬儀との日付・儀礼の関係は留保し、各代参と道中の詳細は精読記録に保持した。

登場人物

島津重豪、川上久芳、伊集院兼當、溪山(斉宣)、斉興、平川常経、田原容、黒田清直、大圓寺和尚昌隆、猪飼央尚敏、本田六左衛門親前、早川男破魔兼敬、斉彬

宛先

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キーワード

島津重豪、福昌寺帰葬、瑞聖寺、遺言変更、川上久芳、伊集院兼當、溪山、島津斉宣、史臣論評、平川常経、田原容、黒田清直、二月四日許可、二月十日発高輪、大圓寺昌隆、猪飼尚敏、本田親前、早川男破魔兼敬、東海道、山崎路、中国駅路、伏見、三月三日、赤間関、大里、出水、阿久根、向田、伊集院、四月五日入寺、代焼香、六日夜廟所埋葬、八日記事との異同、西玄院

冊子頁

962~963頁

読込量

中

面白さ

★★★★☆

原文を確認

(6)929~1076頁(天保4~天保6・花押集・文書・記事目録)・奥付.pdf