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追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 101~200件・2 / 30ページ

  1. 追録7-No.51 斉宣琉国慶賀使ヲ従へ登営ス(斉宣従四位上中将ニ昇進ス)

    徳川家治の薨去と家斉の将軍就任を受け、中山王尚穆が寛政2年に慶賀使を遣わし、島津斉宣が使節を伴って登営した経緯を記す記事。正使宜野湾王子朝陽は6月14日、副使幸地親方良篤は7月21日に鹿児島へ着き、9月6日に斉宣が参勤で府城を発ち、11月21日に使節と江府へ到着した。22日に松平和泉守乗完が将軍の懇…

  2. 追録7-No.無番号_0051 本田孫九郎ら連署首尾書(お長母附吟味)(原本・目録706の3)

    706の3。お長の母は永田閑龍養女、実は清水源左衛門家来の青木休右衛門女との申出を受け、系図の母附をどう書くか吟味する。史料は休右衛門の身分を理由に名前を書かず閑龍養女とのみ記す案を挙げ、寛陽院(島津光久)の子女の先例では家の女房とし父の姓名を省いた例と、士以上の女子は父兄の姓名を書く例があると比較…

  3. 追録7-No.52 重豪、斉宣ノ官位昇進ヲ謝ス

    島津斉宣が従四位上・左中将へ叙任されたことを受け、島津重豪が寛政2年12月朔日に御礼の献上を行った記事。家斉へ巻物五と二種一荷、御臺所へ一種一荷を献じて謝したと記す。官職の表記は本条では左中将である。

  4. 追録7-No.無番号_0052 側用人問合書(お長母の養女時期)(原本・目録706の4)

    706の4。本書は、お長実母が永田閑龍養女というが何年何月に養女になったのか、用件上必要なので返答を求める。閑龍方にも問うたが取扱の経緯は不明とする。小姓を命じられた際には閑龍養女と書付に見えるため、その時点で養女となったことかも知らせてほしいとする。8月15日、広敷用人衆、記録奉行衆宛。同面に70…

  5. 追録7-No.53 島津重豪御礼献上物次第

    豊後守(島津斉宣)の中将叙任への御礼として、島津重豪が献上する品と手続を記す次第。公方様へ巻物五・二種一荷を留守居使者を通じて献上し、牧野備前守が出席、本城源七郎が御本丸檜之間の奏者番へ目録を差し出して、追って披露する旨を伝えられたとする。御臺様へ一種一荷、蓮光院へ一種を差し上げる旨も記す。朱注には…

  6. 追録7-No.無番号_0053 広敷用人返書(帳留写送付)(原本・目録706の5)

    706の5、706の4本書上に重なる朱書返答。「本文御間合之趣相達、別紙帳留写差遣候、以上」とし、問合せの趣旨を伝え別紙帳留写を送る。亥8月16日、御広敷御用人、御記録奉行衆宛。本問合せと同面帳留写706の6を含む紙面全体を共用参照とし、返答自体はこの朱書・日付・署宛で区別する。短い返答だけから養女…

  7. 追録7-No.54 島津重豪書状

    島津重豪がはな町・御つほね・とみたへ、豊後守の官位が仰せ付けられたことに対して内々に祝いを受け、目録どおりの品を拝領した謝意を伝える返書。上ミ様の機嫌がよいことを喜び、ありがたいことだとして取成しを頼む。本文に個別の拝領品名・数量は記されない。年次は朱注による。

  8. 追録7-No.無番号_0054 広敷用人連署返書(小姓任用帳留写)(原本・目録706の6)

    706の6、朱注は寛政10年午9月・帳留写。鹿児島下中町名頭青木嘉右衛門の女子、札名きくとを、思召によって奥医師永田閑龍の養女に仰せ付け、今日大奥の小姓に召し抱えたので承知し、諸向へ渡達等するよう求める。午9月6日、広敷用人連名、記録奉行本田孫九郎殿宛の朱注。「ここ」は朱線の消印との説明を伴う。同面…

  9. 追録7-No.55 とみた外二名連署口上書

    花町・つほね・とみたの三名が松平上総介様へ伝える口上の覚書。松平豊後守の官位の御礼として御臺様へ目録どおり進上し、披露したところ満足され、皆によろしく伝えるよう仰せがあったと報告する。個別の進上品名・数量は本文に記されない。年次は朱注による。

  10. 追録7-No.無番号_0055 岡元定好首尾書(母附帳面直し)(原本・目録706の7)

    706の7朱書。右のとおり申し出たところ、裏書に左のとおり仰せ渡されたとする。表の帳面直し方等も例のとおり申し渡すよう幡磨殿の差図があった旨を伝える。午9月8日、岡元千右衛門印、定好の注。宛先は本文末の勘定奉行衆・小姓興番頭衆に加え、次頁上段右端の町奉行衆・広敷用人まで続く。寛政10年午9月の帳留写…

  11. 追録7-No.56 島津重豪書状

    島津重豪が平松三位(時章)へ、子息の元服が首尾よく整ったことを喜び、これに関して先に内密に申し合わせた件を調進したと伝える書状。相手の挨拶を受け、家伝の法皇の宸翰一軸を贈られたことへの謝意も述べる。追而書では端書の趣旨を承知したとする。子息や法皇の実名、内密の件の具体的内容は本書に記されない。

  12. 追録7-No.無番号_0056 献上物例書(元服時と初御目見時の祖父献上)(原本・目録764の1)

    764の1。元文4年未12月、故薩摩守の元服時、祖父上総入道から使者をもって公方様へ二種1荷及び巻物10、大納言様へ二種1荷を献上した先例を示す。薩摩守に島津宗信、上総入道に島津吉貴の注。続いて当6月の又三郎御目見時、栄翁から使者をもって御臺様へ一種1荷を献上した例を示す。九月・文化元年の朱注。古い…

  13. 追録7-No.57 松平乗完書状

    島津重豪が今朝「鯣」とみられる品一箱を献上したことについて、松平乗完が披露済みである旨を重豪に知らせる返書。「一段之御仕合」と述べる。品名は魚偏に易または昜に似た字で記され、字形は未確定。署名は乗完、宛名は松平上総介殿で、包紙に松平和泉守乗完とある。年次は朱注による。

  14. 追録7-No.無番号_0057 登城令書(印刷849の1)(原本・目録無番号_0057)

    御用があるので、明26日の四時に、薩摩守の名代として一類中の一人が登城するよう命ずる。3月25日、右一通、口裏は松平薩摩守家来何、白木御文書七番箱中23番。印刷表示は849の1で、入力の無番号0057ラベルは保持する。年記は本文にないため文化3年類焼・借金一件との対応として記し、家来何の実名や名代を…

  15. 追録7-No.58 島津為次郎系譜抄(重豪男)

    大信公(島津重豪)の第七男為次郎の生没を記す系譜抄。寛政2年12月21日に江府で生まれ、母は茂姫の母と同じで、実母は有川十右衛門貞寛の養女との注記を伴う。寛政8年7月5日に亡くなり、法号は麗珠院殿本光慧明大禅童子とする。恵燈院と江府大円寺に墓を建てたと記す。三日を忌日とする旨の付記があり、没日とは区…

  16. 追録7-No.無番号_0058 幕府指図書(印刷849の2・一万両拝借)(原本・目録無番号_0058)

    琉球人を召し連れて参府する期が迫る折に、屋敷3か所が類焼して難儀であろうとの思召しにより、別段の計らいで金1万両の拝借を仰せ出す。返納は10年賦とし、御勘定奉行と相談するよう指示する。松平薩摩守宛、右一通、印刷表示は849の2。本文は冊子264頁上段右端へ続く。独立日付はないため前849の1の3月2…

  17. 追録7-No.59 島津為次郎系譜抄(重豪男)

    近秘野帥の重豪公御子に収める為次郎の系譜抄。寛政2年12月21日に芝邸で生まれ、母を市田氏と記す。小字では母は有川十右衛門貞寛の養女、松元盤右衛門の妹、名は里江とし、寛政3年3月に年寄格へ進んで房方下に列し、同年9月5日に芝邸で26歳で没したこと、大円寺に葬り清観院殿正月體光大姉の法名を付したことを…

  18. 追録7-No.無番号_0059 島津斉宣家来伺書(印刷849の3・借金御礼)(原本・目録無番号_0059)

    薩摩守の名代として豊後守が登城したところ、琉球人参府が迫り屋敷3か所が類焼したため、別段の計らいで金1万両拝借を命じられた。薩摩守が承知して礼勤するとともに、公方様・大納言様・御臺様へ御礼の献上物をどうすべきかと伺う。3月27日、松平薩摩守内桑山仲太夫署。印刷は849の3、入力の無番号0059を保持…

  19. 追録7-No.60 徳川家斉御内書

    徳川家斉が島津重豪に、歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは松平越中守(定信)が述べると伝える御内書。宛名は松平上総介殿で、家斉公の墨印を伴う。年次は朱注による。

  20. 追録7-No.無番号_0060 市田盛常書状(906の1・実母暇相談)(原本906の1)

    子様出生の実母へ暇を下す旨の内沙汰を承知したが、自分一存で可否を申し上げ難いので国許同役へ知らせ一統の評議を求める。召し仕える女中の暇は内外の道理では夫婦離縁に類し、不心得の方だけでなく差支えない場合も家の都合で縁を絶つ例があるが、女中の立場では両親の存意だけを押して扱えないという史料の判断を述べる…

  21. 追録7-No.61 松平信明書状

    島津重豪が若菜の祝儀として鯛一折を献上したことについて、松平信明が披露済みである旨を重豪に知らせる返書。「一段之御仕合」と述べる。署名は信明、宛名は松平上総介殿で、包紙に松平伊豆守信明とある。年次は朱注による。

  22. 追録7-No.無番号_0061 頴娃久喬外四名家老連署返書(906の2)(原本906の2)

    本書の趣旨を委曲承知して申し談じ、当分は期限を定めず従来どおり召し置くこと、国許へ遣わす命があれば永の暇は申し上げ難く、先例もないので容易に請い難いと返す。浄国院・有邦院の子様出生時に実母を引越させた例を照合し、実母が縁付となった例は見えず、子を御前が養う件や家の継続・扶助との関係も考える。下屋敷な…

  23. 追録7-No.62 島津斉宣吉書

    島津斉宣の御判を伴う寛政3年正月11日付の吉書。神社・仏閣の修造興行、農事への専念、国々の年貢徴納を三箇条として掲げ、その趣旨どおりに沙汰するよう命じる。本文に独立の宛名は記されない。

  24. 追録7-No.無番号_0062 市田盛常再答(906の3・当分据置き)(原本906の3)

    張紙本文朱書の返答を承知して貴聞へ達したところ、各々の評議どおり先ず当分はこれまでのまま差し置く旨を承知し、自分も安心したので納得のため再答すると述べる。2月3日、市田勘解由署。共用紙面には五家老宛と7月25日本書、市田に盛常など各実名の注、朱上/下の表示を伴う。本書・行間朱評議・再答を別段として採…

  25. 追録7-No.63 松平信明書状

    島津重豪が年頭祝儀として使者を通じ太刀一腰・御馬代黄金十両を献上したことについて、松平信明が披露済みである旨を重豪に知らせる返書。「一段之御仕合」と述べる。署名は信明、宛名は松平上総介殿で、包紙に松平伊豆守信明とある。年次は朱注による。

  26. 追録7-No.無番号_0063 記録奉行調書(906の4・出産女中の後歴先例)

    大奥で召し仕えた女中が子を産んだ後に縁付を命じられた例、また子へ直接召し付けられた者があるか調べるよう命じられたことへの先例調書。浄国院(島津吉貴)の妾、郷田仲兵衛兼近女お幾・後霜林は子を産み、後に重富屋敷へ移った。重富留守居へ照会すると、当若狭殿の祖父周防殿(忠紀・注)が享保19寅9月に磯で生まれ…

  27. 追録7-No.64 重豪御鷹ノ鶴ヲ拝領ス

    徳川家斉が寛政3年正月27日、木原兵三郎を芝邸へ遣わし、鷹の捕らえた鶴を島津重豪に贈った記事。斉宣が代わって恩旨を受け、島津又吉郎が各老邸へ赴いて重豪のために謝恩したと記す。鶴の数量は本文に記されない。

  28. 追録7-No.無番号_0064 記録奉行調書(906の5・実母永久暇後の差支え)

    子様の実母が他所の家元から当方家臣の養女となっている場合、永の暇を下して家元へ返した後に差支えが生じないか内々に調べるよう命じられたことへの報告。これまでその先例がないため検討したところ、実母から生まれた子と系図へ母何某養女、実は何方の何某女と載せ、暇を下した経緯も後年紛れないよう記録する必要がある…

  29. 追録7-No.65 松平定信書状

    松平越中守(定信)が島津重豪に、歳暮の御内書を渡すため、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう求める書状。宛名は松平上総介殿。年次は朱注による。本文に家来の氏名や歳暮の個別品目は記されない。

  30. 追録7-No.無番号_0065 市田出雲申渡書(906の6・年寄格蘭永暇)

    蘭の暇について度々掛合いがあり、伺ったうえで左のとおり命じられたと通知する。年寄格蘭は先年以来多病で、今節願いがあったため永の暇を下し、今後は御機嫌伺い等を申し上げるよう命ずる。ただし御子様方の入輿先へ行くことはもちろん、その先へ御機嫌等を申し上げることも許されない。また嶋津嘯山の養女を違変すること…

  31. 追録7-No.66 重豪、斉宣ノ婚姻ヲ謝ス

    島津斉宣の婚姻に伴う祝いと重豪の御礼を記す記事。寛政3年2月13日、斉宣が佐竹右京大夫義和の妹を娶る願いを提出して許され、27日に婚儀を整えたとする。同日に御臺所から女使を通じて鯛一折を重豪に贈られ、3月21日には重豪が家斉へ縮緬五巻、御臺所へ白銀三枚を献じ、斉宣の婚姻について御礼を述べたと記す。妹…

  32. 追録7-No.無番号_0066 市田出雲書状(907の1・蘭永暇と六百両下付)

    蘭に暇を下す件は表向きの通知どおりだが、今後どのような事情があっても構わずに済むよう取決める必要があるとして内用で通知する。相手方から生涯の片付け料として金600両を下す内願があり、留守居に吟味させた。年寄その他通常の奉公人に一世の養料を下すことは事情によりあるが、千石の旗本の娘が最初外へ縁組して一…

  33. 追録7-No.67 とみた外二名連署消息

    花町・つほね・とみたの三名が松平上総介様へ、豊後守の婚姻がよい日柄に整ったことを祝い、御臺様が内々に祝いの鯛一折を贈ることを伝える連署消息。上ミ様の機嫌がよいことを喜び、幾千歳・万年のほかにも長久繁昌を願う仰せだとして、皆によろしく伝えるよう求める。年次は朱注で、本文に月日は記されない。

  34. 追録7-No.無番号_0067 中根傳七郎・中根若水連署願(907の2・蘭永暇)

    包紙には中根若水・中根傳七郎の証文二通とある。奉願覚では娘蘭が年来恩命を受けていることを述べ、6年前に暫く国元へ差し遣わす沙汰があった際に辞退し、さらに当時の病気を申し出て5年間手元で預かる趣旨を伝えられ、療養させた経緯を記す。なお全快せず再度差し上げ難く、預かりの身なので容易に外出できず、手狭な住…

  35. 追録7-No.68 斉宣、佐竹義和妹ト婚儀整フ

    島津斉宣と佐竹右京大夫義和の妹との婚姻成立を記す記事。寛政3年2月13日に斉宣が幕府へ書を出して婚姻を願い、許可を受け、27日に婚儀を整えたとする。義和には出羽国久保田城主という注がある。妹の実名は本文に記されない。

  36. 追録7-No.無番号_0068 中根傳七郎・中根若水連署請裏書(907の3・蘭永暇許可)

    裏書ニ左ノ通と掲げる請書。表の願いどおり蘭に暇を下されたことに謝意を述べ、表書の条件をすべて心得て守り、ほかいかなる筋についても今後申し立てることは全くないと請け合う。蘭も同じ心底であり、一同安堵したとして、請裏書を差し出す。卯6月、中根傳七郎・中根若水署、両名に印の表示。5月の永暇願そのものとは区…

  37. 追録7-No.69 斉宣婚儀成ルヲ幕府ニ謝ス

    島津斉宣の婚儀と、その後の宣旨受領・幕府への御礼を記す記事。寛政3年2月27日に佐竹氏との結納・婚姻礼を行い、3月9日に京から口宣・宣旨が届いて斉宣が受けたとする。21日には久留島帯刀が斉宣に代わって登城し、品を献じて婚姻の恩に謝した。献上品の具体的な品目・数量は本条には記されない。

  38. 追録7-No.無番号_0069 中根傳七郎・中根若水連署別紙願(907の4・六百両手当金)

    別紙願書にある文言。願いどおり永の暇を下されれば手切りとなり、少身の自分らだけで世話することは難しく、相応の縁談があってもなお相談し難いため、この機に手当を願う。最初に蘭を差し上げた際、縁がなくなった時は自分らから相談すれば片付けの処置を下す旨を御部屋様より厚く仰せられたとして、今般過分の手当を願い…

  39. 追録7-No.70 島津久親書状

    島津求馬(久親)が琉球の三司官に、公方様の御代替の祝儀について返答する書状。宜野湾王子を通じ、中将様へ太刀一腰・御馬代白銀百両と目録所載の品を差し上げ、江府で披露したところ満悦されたと伝える。その旨を先方へ知らせるよう求める。署名は嶋津求馬、宛名は三司官で、年次は朱注による。

  40. 追録7-No.無番号_0070 蘭・中根傳七郎・中根若水連名裏書(907の5・六百両受領)

    裏カキ左ノ如シと掲げる契約。表の願いどおり御手当金600両を下され、受領したことに一同謝意を述べる。これについて表書の条件に少しも違背しないと約す。今後難渋する事情が生じても、万一他方の取持ち等によって数々の訴詔を申し上げたりすれば、取り上げてもらわないのはもちろん、その際は少しも恨まないと請け合う…

  41. 追録7-No.71 島津斉宣忌服届書

    松平豊後守(島津斉宣)が、同氏上総介(重豪)の母方祖父である島津静山の死去に伴う忌服を届ける書付。静山が国元で先月10日に死去したため、上総介の当時の続柄による半減の忌服として、忌十日は3月10日から19日まで、服四十五日は3月10日から4月24日までと記す。忌の残日数がないため遠慮一日とする。日付…

  42. 追録7-No.無番号_0071 嶋津安房問合書(939の1・御目見先例と不許可)

    江戸詰・留守詰を命じられた安房の公儀御目見願を先例により差し出したが、書面が不十分として書き替えを命じられ、15日に御用番松平伊豆守へ桑山仲太夫が持参し、翌16日便の朱返答どおり通知されたと述べる。19日に伊豆守の用人から留守居へ切紙が届き、留守家来の退役により代わりの者が御目見する正徳の先例はある…

  43. 追録7-No.72 島津重豪届書

    島津静山が国元で3月10日に死去したことに伴い、忌服届を御用番松平和泉守へ、留守居助の伊木喜兵衛を通じて差し出したことを記す届書。忌の残日数がないので一日の遠慮を行ったとする。年次は朱注、日付は4月6日。目録は島津重豪の届書とするが、本文に独立の署名はない。

  44. 追録7-No.無番号_0072 松平薩摩守願書(939の2・市田出雲退役後の安房御目見)

    国元への暇を下された御礼を申し上げる際、留守差置家老市田出雲の御目見を命じられていたが、今節退役させ、代わりに島津安房という者を差し出すので、先例どおり御目見を命じてもらいたいと願う。その際、公方様・大納言様への献上物も差し上げたいので、よく取り計らうよう求める。2月9日、松平薩摩守署。正文には独立…

  45. 追録7-No.73 島津重豪書状

    島津重豪がおつほねへ返答し、豊後守が今日国元へ出発したことに関連して、御臺様から内々に塗重一組を拝領した謝意を伝える書状。上ミ様の息災を喜び、ありがたいことだとして取成しを頼む。年次は朱注。本文は今日と記すが、具体的な月日は記されない。

  46. 追録7-No.無番号_0073 留守家老交替の御目見先例(939の3・嶋津内記と大蔵・帯刀)

    正徳2年8月、故薩摩守吉貴が留守差置家老嶋津内記の代わりとして嶋津大蔵を国元から差し越し、御目見願のとおり命じられた例を記す。内記に久貫、大蔵に久明の注がある。また正徳3年11月、その大蔵の代わりとして嶋津帯刀を国元から差し越し、同様であったと掲げ、帯刀に仲休の注を付す。末に2月の記載。現行標題の嶋…

  47. 追録7-No.74 斉宣帰国ス

    島津斉宣の帰国を記す記事。4月15日に幕府から上使による告を受け、諸事は先例どおりとし、5月朔日に江府を発った。6月25日の午上刻に鹿城へ着いたと記す。時刻は原文の午上刻である。

  48. 追録7-No.無番号_0074 留守家老御目見時の自分献上物先例(939の4)

    留守差置家老が御目見を命じられた際、自分から献じる物の覚。公方様へは御太刀1腰、縮緬の内・紗綾の表示を付した織物2巻、御馬代銀1枚。大納言様へは御太刀1腰、御馬代銀1枚を掲げる。右のとおり献上してきたと記し、末に2月。織物の材質表記は原文どおりに保ち、縮緬と紗綾を各2巻ずつと数えたり、馬代銀を実馬に…

  49. 追録7-No.75 島津斉宣寛政三年公辺記事

    寛政3年の島津斉宣の公辺記事。4月15日に戸田采女正を使者として巻物三十・白銀百枚を贈られ、18日に登城して帰国の挨拶をし、例どおり馬を賜ったことを記す。5月朔日に邸を発ち、6月25日に府城へ着いた。11月には琉球人を率いた労を念われ、翌年の参勤を7月に行うよう特命されたことを特恩として記す。同月9…

  50. 追録7-No.無番号_0075 桑山仲太夫首尾書(939の5・正徳後の御目見交替先例照会)

    留守に置く家来が退役し、代わりの者の御目見を願う件は正徳の先例があると承知したが、その後も同じ例があるか調べるよう求める手控書1通を掲げる。照会は松平薩摩守名で、御用番松平伊豆守の用人新藤善八郎へ向けられる。続く桑山仲太夫の首尾書は、右の達しにより今日中に1人出頭するよう用人の切紙が届き、自分が出た…

  51. 追録7-No.76 徳川家斉御内書

    徳川家斉が島津重豪に、端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、詳しいことは戸田采女正が述べると伝える御内書。宛名は松平上総介殿で、家斉公の墨印を伴う。年次は朱注による。

  52. 追録7-No.無番号_0076 桑山仲太夫回答写(939の6・近例なしと古帳焼失)

    留守差置の家来が退役した際、代わりの者の御目見を願う件について、正徳にその例があるが、その後も同様の例があるか尋ねられたことを承知したと答える。調べたところ近例はないと申し上げる。また年月が古く、去る寅年に屋敷が類焼した際、当地に置いた古帳も過半を焼失したので、十分に分からないことを説明する。今節こ…

  53. 追録7-No.77 戸田氏教書状

    島津重豪が今朝の鰹節一箱を献上したことについて、戸田氏教が披露済みである旨を重豪に知らせる返書。「一段之御仕合」と述べる。署名は氏教、宛名は松平上総介殿で、包紙に戸田采女正とある。年次は朱注による。

  54. 追録7-No.無番号_0077 桑山仲太夫首尾書(939の7・書付一通を用人へ提出)

    書付1通という内訳を掲げ、その書付は、留守差置の家来退役後に代わりの者の御目見を願う件について、正徳の例を承知しているが以後にも同様の例があるか、回答を出すよう尋ねられたことへの桑山仲太夫名の書付と説明する。御用番松平伊豆守・御用人關屋斧右衛門の表示。右の書付を持参して説明したうえで差し出したところ…

  55. 追録7-No.78 戸田氏教書状

    戸田采女正(目録は氏教)が島津重豪に、端午の御内書を渡すため、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう求める書状。宛名は松平上総介殿で、家来の氏名は本文に記されない。年次は朱注による。

  56. 追録7-No.無番号_0078 桑山仲太夫首尾書(939の8・書付一通例書二通の返却と再照会)

    添付内訳として書付1通と例書2通を掲げる。書付は当地留守の市田出雲退役により代わりの家老を差し越すための御目見と、公方様・大納言様への自分献上物に関するもの。例書2通の内1通はその御目見時の献上物品書、もう1通は正徳年中に家老を代わりとして当地へ遣わした先例である。伊豆守用人關屋斧右衛門の切紙で今日…

  57. 追録7-No.79 鳥居忠意書状

    島津重豪が生見玉の祝儀として黄金十両を献上したことについて、鳥居忠意が披露済みである旨を重豪に知らせる返書。「一段之御仕合」と述べる。署名は忠意、宛名は松平上総介殿で、包紙には鳥居丹波守忠意とある。年次は朱注。生見玉の対象者や儀礼の具体的な内容は本書に記されない。

  58. 追録7-No.無番号_0079 嶋津安房報告(939の9・青木忠左衛門への内々照会)

    出府に伴う公儀御目見願を差し出して返された件を別紙どおり知らせ、去る22日に桑山仲太夫を青木忠左衛門のもとへ遣わし、正徳の先例により申請したが御用番から口達だけで返答されたため、国元へ説明する際に意味が分かりにくいとして、極内々に理由を尋ねたと報告する。忠左衛門は、留守家来の代わりの者に御目見を命じ…

  59. 追録7-No.80 献上物覚書

    彰君様の婚礼に当たり、御臺様へ煙草盆一通を献上したことを記す覚書。あらかじめ掛御老中の松平越中守から献上するよう申し渡されており、今朝、留守居助伊木喜兵衛を使者として差し上げたとする。本文に独立の署名・宛名はなく、年次は朱注による。

  60. 追録7-No.無番号_0080 桑山仲太夫首尾書(939の10・不許可理由の内々聴取)

    御手前の公儀御目見願は、ほかに後例がないため不許可と去る21日に御用番から申し渡されたが、口達だけなので国元へ説明する際に意向が分かりにくかったとして、昨日青木忠左衛門を訪ね、どのような趣旨による申し渡しなのか極内々に尋ねた首尾書。忠左衛門は、留守家来が代わるごとに御目見を認めると2度3度の交替にも…

  61. 追録7-No.81 重豪御鷹ノ雲雀ヲ拝領ス

    徳川家斉が寛政3年8月朔日、木原兵三郎を遣わし、鷹の捕らえた雲雀を島津重豪へ贈った記事。島津淡路守忠持が重豪に代わって恩旨を受け、老中の邸へ赴いて拝謝したと記す。雲雀の数量は本文に記されない。木原兵三郎の名に続く二字は字形未確定。

  62. 追録7-No.無番号_0081 西郷八郎次の内意伺(隠居者の御暇と新当主の殿中見習い)

    1033の1に当たる内意書付。修理太夫が当年国元への御暇を許される順年にあるところ、今回隠居して豊後守へ家督が命じられたため、遠国で来年の参勤時節にも間に合わず、新当主の殿中勤向もまだ見習いが必要だとして、そのまま江戸滞在し、家督後の表向の申上げ方について内意を伺う。御暇を願わなければ当年は許可され…

  63. 追録7-No.82 徳川家斉御内書

    徳川家斉が島津重豪に、重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは松平和泉守が述べると伝える御内書。宛名は松平上総介殿で、家斉公の墨印を伴う。年次は朱注による。

  64. 追録7-No.無番号_0082 西郷八郎次首尾(書付提出受領・用人経由の追答予定)

    1033の2、書付1通の見出し。隠居者が当年御暇の順年にあるが家督交代で江戸にそのまま滞在するため表向の伺いを差し出すべきか、八郎次名の内意書付を掲げる。御用番牧野備前守の用人槇十右衛門宛で、御勝手へ持参し事情を説明して差し上げたところ、請け取って置き、追って挨拶すると伝えられた。用人を介して聞いた…

  65. 追録7-No.83 松平乗完書状

    松平和泉守(目録は乗完)が島津重豪に、重陽の御内書を渡すため、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう求める書状。宛名は松平上総介殿。家来の氏名は記されず、年次は朱注による。

  66. 追録7-No.無番号_0083 桑山仲太夫首尾(御暇願と表向伺は不要との回答)

    1033の3、手控書1通。隠居者の代から当年は国元御暇の順年に当たるが、御暇を願わなければ御暇は給されないため、表向の伺いを差し出す必要はないという伝達を記す。御用番牧野備前守の用人萩原要人を掲げる。用人からの切紙が到来したので今日、自分が御勝手へ出頭したところ、一昨日差し出した西郷八郎次名の内意書…

  67. 追録7-No.84 憲之助斉興誕生ス

    斉宣の側室於八(百の小字注あり)が、寛政3年11月6日の亥刻に鹿児島で男児を生んだことを記す記事。15日に七夜の賀を行い、斉宣が幼名を命じて憲之助と称したとする。長子であるが、まだ幕府へ届けていないので島津氏を用いたと記す。目録は後の斉興の誕生記事として掲げる。

  68. 追録7-No.無番号_0084 1136の1御目見例書(病気の愛太夫を谷村孫右衛門が代行)

    1136に続く印刷の1、例書。天明7年未2月、同氏修理大夫(島津斉宣注)の家督御礼を申し上げた際、御目見が決まっていた家来の鎌田愛太夫が病気であったため、谷村孫右衛門を代りに出す旨を届出て召し連れたところ御目見を仰せ付けられたと記す。4月の表示。今回の右近病気代人願の参考に付けた過去例として採録し、…

  69. 追録7-No.85 斉興系譜抄

    斉興公御譜中の系譜抄。初名忠温、幼名憲之助・虎寿丸、又三郎、豊後守の名と、従四位下侍従・左近衛少将から従三位に至る官位を列記する。寛政3年11月6日の亥刻に鹿児島で生まれ、母の欄に佐竹右京大夫義和の妹を掲げる。その注は保姫の寛政8年6月11日の薨去・法号と、忌日を同月8日へ改めたことを記す。別に実母…

  70. 追録7-No.無番号_0085 1136の2斉興願書(川上右近病気につき伊勢雅楽を代人に)

    1136に続く印刷の2。御暇を賜い御礼を申し上げる際、留守の家老を御目見させ自分の献上品も家老が携える先格により川上右近を出すよう命じていたが、内々病気が差し発したので、伊勢雅楽を代人として差し出すことを聞き届けるよう願う。4月18日、御名(島津斉興注)。次頁の包紙は55番、留守詰家老川上右近の病気…

  71. 追録7-No.86 斉興系譜抄

    近秘野帥の斉興公に収める系譜抄。初名忠温から斉興への改名、幼名憲之助・虎寿丸、又三郎、豊後守から大隅守への改称と、侍従・左近衛少将・中将・宰相等の官位を列記する。寛政3年11月6日に府城で生まれ、母は佐竹義和の妹と記す。小字は別に実母を鈴木甚五郎の女、於八百方とし、文化4年8月に殿の字を加え、文政2…

  72. 追録7-No.無番号_0086 川上久芳添書(印刷1258の1・御筆写と家老添書)

    印刷の1、1258の添書として照合。今日、大御隠居の御前に自分と伊集院隼衛が呼ばれ、先年黄檗へ改宗して白金瑞聖寺への万年後の安置を約し、神田橋大納言も内々承知した意向を直接聞いたと述べる。太守その他へも直に言い置いたので万一の場合は意向どおり、先格もあり本人限りのことなので定めどおり承知せよとの指示…

  73. 追録7-No.87 桑山甚助問合書

    桑山甚助が、長谷川丹後守組の同心佐野善次郎の養女嘉代の実父母・素性を内々に問い合わせた結果を報告する書付。初めは手寄を通じても判然としなかったが、善次郎本人の説明が得られたとする。善次郎は牧野嘉平次の子で、16歳で佐野勘助の養子となった。勘助の実子は病身で家督を継げず町医となって佐野養伯と称し、甲府…

  74. 追録7-No.無番号_0087 種子島次右衛門届書(1335の1・別紙)

    印刷(の1)・別紙。榮翁が今回参府したが旅中から病があり今も同偏で、御尋により届ける。文化10年朱注閏11月4日、松平豊後守内種子島次右衛門署。備前守へ差し出す際、天明7年未・寛政5年の参府後病気につき機嫌伺いの使者を差し上げ上使を受けた二例の書付も持参する。今回は上使を願う筋ではなく参考の御見合と…

  75. 追録7-No.無番号_0088 鎌田政輿書状(1380の1・減供願出首尾)

    印刷(の1)。領内の損毛・城下二度の大火、御隠居家督中以来の琉球人召連参府、去寅年の火災で屋敷土蔵3箇所まで過半焼失し同年琉球人参府に伴う家作、江戸・京・大坂の借財増を財政難の事情として述べる。家中宛行減少の年限、諸事省略等を続けても急回復は困難で、臨時用の手当不足を挙げる。当戌年から10ヶ年余の格…

  76. 追録7-No.88-1 面高善右衛門覚書

    面高善右衛門が、大炊殿からの口達を記した覚書。6日に大奥で生まれた男子について、前日の七夜の祝いに中将様が名を進め、憲之助と称することになったと伝える。当面は内分の取扱いとするため、この旨を承知して申し聞かせておくよう指示されたとする。日付は11月16日。

  77. 追録7-No.88-2 面高善右衛門覚書

    面高善右衛門が、憲之助の氏姓の取扱いについて大炊殿の口達を記す覚書。当面は内々の取扱いであるため、島津の姓号を用いる旨を申し聞かせておくよう命じられたとする。本文の日付は11月6日。包紙は同日に生まれた男子を憲之助と称し、内分の扱いのため島津の称号を用いることを記し、御口達書二通が面高善右衛門の取次…

  78. 追録7-No.89 島津斉興仮名書上

    斉興の幼名憲之助に仮名ノリを添えた書上。包紙は御誕生の節に進められた御名と記し、箱蓋の裏には憲之助様の御名仮名付の目録一通との表示がある。外包紙の朱番号は三十二番。編者の朱注はこれを斉興公の幼名とし、寛政3年11月6日の誕生を説明する。日付・署名・宛名を備えた書状ではない。

  79. 追録7-No.無番号_0089 島津斉興届書(1380の2・減供願)

    印刷(の2)。先年以来の勝手向不如意、領内損毛・城下二度の火災、修理大夫家督中の琉球人召連参府、去寅年火災で居屋敷土蔵3箇所まで過半焼失し同年参府に伴う家作、三都借財増を述べる。家中宛行の年限付き減少と倹約を続けても急回復は難しく、臨時用の手当不足を申し述べる。倹約は手元の上では恐れ入るとしつつ、当…

  80. 追録7-No.90 島津久親書状

    島津求馬(久親)が琉球の三司官に、中将様への年首祝儀を目録どおり差し上げ、江府に届いて披露したところ満足されたと伝える書状。この旨を先方へ知らせるよう求める。本文に祝儀の個別品目・数量は記されない。署名は嶋津求馬、宛名は三司官で、年次は朱注による。

  81. 追録7-No.無番号_0090 早川兼備届書(1380の3・豊後守所帯向の写)

    印刷(の3)・写。豊後守所帯向は先代以来の災殃、去寅年の3屋敷焼失と同年琉球人参府、格外の臨時用金で難渋していると述べ、倹約追加・家中宛行と供人数の一部減少を届ける。領内疲敝で倹約が成り立たず、豊後守の参勤等も調え難いため、榮翁の介助を必要とした。去秋国許へ下って種々の趣法を用い、帰府の際京・大坂銀…

  82. 追録7-No.91 島津久親書状

    島津求馬(久親)が三司官に、太守様の官位昇進の祝儀について返答する書状。盛嶋親方を通じ、中将様へ太刀一腰・御馬代黄金十両と目録所載の品を差し上げ、江府で披露したところ満足されたと伝える。その旨を先方へ知らせるよう求める。年次は朱注による。

  83. 追録7-No.無番号_0091 河野新太夫届書(1380の4・豊後守所帯向)

    印刷(の4)。豊後守所帯向について、先代以来の災殃、去寅年3屋敷焼失、同年琉球人参府や格外の臨時用金で難渋していると述べる。倹約追加・家中宛行及び供立ての一部減少は豊後守家督中にも同様に届けているが、領内の疲敝で倹約が成り立たず現在のままでは参勤等を調え難いという。そこで供立てを一部減らし、10ヶ年…

  84. 追録7-No.92 島津久親書状

    島津求馬(久親)が三司官に、太守様の縁組が仰せ出された祝儀について返答する書状。盛嶋親方を通じ、中将様へ太刀一腰・御馬代白銀五十両と目録所載の品を差し上げ、江府で披露したところ満悦されたと伝える。その旨を先方へ知らせるよう求める。縁組の相手の実名は本書に記されない。

  85. 追録7-No.無番号_0092 早川兼備届書(1380の5・届書受領首尾)

    印刷(の5)。所帯向難渋につき供連の一部を減らしたい届の書付1通と、自分名義の内意書1通を列記する。勝手へ持参して内見後表向差し出したところ牧野備前守が御落手したと用人から伝えられ、内意書も勝手で同じ用人へ渡し受領されたとする。用人名は名兒耶寛左衛門候補として読字を留保する。今夕自分が行った首尾とし…

  86. 追録7-No.93 島津久親書状

    島津求馬(久親)が三司官に、太守様の結納・婚姻が整った祝儀について返答する書状。盛嶋親方を通じ、中将様へ太刀一腰・御馬代白銀五十両と目録所載の品を差し上げ、江府で披露したところ満悦されたと伝える。その旨を先方へ知らせるよう求める。婚姻相手の実名は本書には記されない。

  87. 追録7-No.無番号_0093 河野新太夫首尾書(1380の6・大目付届)

    印刷(の6)。所帯向難渋につき供連の一部減少を届ける、自分名義の書付1通を掲げ、宛先の大御目付井上美濃守を御用御頼と表示する。今日持参し用人西金太夫と出会い事情を述べて書付を差し出したところ、美濃守が登城中なので帰宅後申し上げるという旨を用人から聞いたと報ずる。書付の写を添える。7月廿日、御留守居付…

  88. 追録7-No.94 島津久親書状

    島津求馬(久親)が三司官に、時之丞様の御四男の届が済んだ祝儀について返答する書状。盛嶋親方を通じ、中将様へ太刀一腰・御馬代白銀五十両と目録所載の品を差し上げ、江府で披露したところ満悦されたと伝える。その旨を先方へ知らせるよう求める。時之丞様の人物比定や御四男の詳細は、本書本文だけでは確定できない。

  89. 追録7-No.無番号_0094 早川兼備首尾書(1380の7・一冊帳留)

    印刷(の7)。右の通り行ったとする申出を承知したので別紙を添えて報告すると記す。前頁末の以から次頁上段の上へ連結し、7月廿日、早川渡、典膳様宛まで採録する。朱注は問合書その他都て6通が文化11年戌9月4日に右近から渡され、拝見し帳留して置くよう命じられたことを平山五郎右衛門が承知したとし、「以上一冊…

  90. 追録7-No.95 重豪、御台所ニ煙草盆ヲ献ズ

    徳川刑部卿治国が一橋邸で婚儀を整えた日に、島津重豪が御臺所へ煙盤一を献上した記事。日付は12月15日。治国を将軍家斉の舎弟とする人物注を伴い、献上は老中の命によったと記す。

  91. 追録7-No.無番号_0095 島津斉興届書(1402の1・御付札付き減供願)

    印刷(の1)。勝手向不如意、領内損毛・城下二度の大火、修理大夫(島津斉宣注)家督中の琉球人召連参府、去寅年火災で居屋敷土蔵3箇所まで過半焼失し同年参府に伴う家作、江戸・京・大坂借財増を述べる。家中宛行の年限付き減少と倹約を続けても急回復は難しく臨時用の手当不足を届け、当戌年から10ヶ年余の格外省略、…

  92. 追録7-No.96 島津重豪書状

    島津重豪が、刑部卿殿(人物注は徳川治国)の婚姻が今日首尾よく整ったことを喜び、その祝いを御序の折に取り成して申し上げてほしいと頼む書状。上ミ様の息災を喜ぶ文言と、常盤井・萬里小路・梅の井・野むら・高はしの名列に申給へと記す末尾を持つ。編者朱注は、祝いについて伺ったうえ当日に差し出したこと、今回は諸事…

  93. 追録7-No.無番号_0096 種子島次右衛門首尾書(1402の2・御付札受取)

    印刷(の2)・御付札有。倹約年限中の供人数と道中持道具の一部を減らしたい書付1通を掲げ、七月御用番牧野備前守の御用人菅沼助八郎を表示する。向こうから達しがあり今日中に1人出るよう用人から切紙が来たので、自分が出向いたところ右書付に御付札を付けて用人を通じ渡されたと報告する。10月6日、種子嶋次右衛門…

  94. 追録7-No.97 松平信明書状

    島津重豪が今朝、鯣とみられる品一箱を献上したことについて、松平信明が披露済みである旨を重豪に知らせる返書。「一段之御仕合」と述べる。署名は信明、宛名は松平上総介殿で、包紙に松平伊豆守信明とある。年次は朱注による。 品名は鯣とみられるが字形は未確定。

  95. 追録7-No.無番号_0097 鎌田政輿書状(1402の3・減供御付札の報告)

    印刷(の3)。勝手向不如意で当戌年から10ヶ年余の格外省略を用い、供人数・道中携帯道具の一部減少と後日の先規通り召連を願う届を当7月19日牧野備前守へ留守居から差し出し、内々の窮迫内意書も提出した経過を記す。先月6日留守居が呼ばれ、供連減少を承置き、古格に復する際は当分先供共25人を限り召連し、道中…

  96. 追録7-No.98 徳川家斉御内書

    徳川家斉が島津重豪に、歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは松平伊豆守が述べると伝える御内書。宛名は松平上総介殿で、家斉公の墨印を伴う。年次は朱注による。

  97. 追録7-No.無番号_0098 早川兼備首尾書(1416の1・続合届)

    印刷(の1)。御用人から昨日夕方届いた切紙により今日中に1人出るよう指示され、自分が出向いた。大御隠居と甘露寺大納言との続合手扣書を確認し、明朝の御登城前までに差し出すよう用人から告げられ、承知と申し述べたという。取調後手扣書が下がったので今朝持参して差し出し、下野守が御落手したと用人から聞いた首尾…

  98. 追録7-No.99 松平乗完書状

    島津重豪が若菜の祝儀として鯛一折を献上したことについて、松平乗完が披露済みである旨を重豪に知らせる返書。「一段之御仕合」と述べる。署名は乗完、宛名は松平上総介殿で、包紙には松平和泉守乗完とある。年次は朱注による。

  99. 追録7-No.無番号_0099 近藤隆左衛門首尾書(1416の2・御付札返付)

    印刷(の2)。御書付1通・御付札有と掲げ、当4月の日光法会に付き甘露寺大納言が参向するため、芝・高輪両御屋敷での御扣の件とする。用人の切紙により今日中に1人出るよう指示され、自分が出向いたところ書付へ御付札を付け用人を通じ渡されたので差し上げると報告する。御用番青山下野守・用人那波七左衛門を表示。3…

  100. 追録7-No.100 松平乗完書状

    島津重豪が年頭祝儀として使者を通じ太刀一腰・御馬代黄金十両を献上したことについて、松平乗完が披露済みである旨を重豪に知らせる返書。「一段之御仕合」と述べる。署名は乗完、宛名は松平上総介殿で、包紙に松平和泉守乗完とある。年次は朱注による。