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追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 501~600件・6 / 30ページ

  1. 追録7-No.352 斉宣、鶴寿丸の霊牌を安置す(目録352・原印刷352)

    幻生君について、十代の祖松齢公(島津義弘の注)の長男で、永禄12年に生まれ幼名鶴寿丸、天正4年11月22日に亡くなり法号涼山幻生とする御譜記事。遺骨の蔵所が不詳であったが、寛政8年2月、寺社奉行から日向加久藤郷不動寺の仏壇下へ納められているのではないかと報告があり、その修理を以下の通り命じたと述べる…

  2. 追録7-No.353 山田明遠申渡書(目録353・原印刷353)

    幻生の霊骨納所について、不動寺仏壇上の位牌厨子下箱の内に納められているとの寺社奉行報告を受け、仏壇下の地上に別紙絵図通り石棺を置き、その内に納め、由緒を石棺へ記すよう命じる。位牌は当分のまま安置し、調え方や寺家の造替は別紙吟味通り、費用のかからないよう取り計らい、記置の文言は追って指示するとする。2…

  3. 追録7-No.354 菱刈実祐書状(目録354。本文署名菱刈大炊)

    高輪御屋敷の作事が済みかねるため、去る朔日を予定した移転が延期となったことを、菱刈大炊が家老七名へ伝える書状。先便でも延期の模様を伝えたが、いよいよ延期し、作事がいつ完成するか分からないので、移転の日限を出さなかったと知らせる。各々の心得として報告する文面であり、実際の移転を当日済ませたとの届書では…

  4. 追録7-No.355 松平信明書状(目録355・原印刷355)

    松平伊豆守信明が上総介へ、歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ差し出すよう通知する短い書状。寛政8年の朱注、本文2月20日付、松平伊豆守署名と信明の人物注、松平上総介宛を伴う。歳暮の御内書を受け取るための家来派遣通知であり、御内書本文や歳暮贈答の品物・数量をここから補わない。五半時は原記…

  5. 追録7-No.356 島津斉宣届書(目録356・原印刷356)

    松平豊後守が、芝居屋敷が手狭なため同氏上総介が高輪下屋敷へ移りたいと申し越したことを届ける。実際に移る時には家来から届けるとして、この段階では移転希望を聞き置くよう求める。3月3日付、松平豊後守署、寛政8年朱注、扣正文は右筆所に所在。次の印刷357に二通とも日付当日に御留守居から御用番松平伊豆守へ差…

  6. 追録7-No.357 島津斉宣届書(目録357・原印刷357)

    同氏上総介が高輪下屋敷へ移ることに伴い、今後何事かについて上使を下される際は、芝居屋敷でその命令を承る心得であると豊後守が届ける。寛政8年朱注、3月3日付、松平豊後守署。朱注は、前の届と本届の二通を日付当日、御留守居から御用番松平伊豆守へ提出したと記す。実際の移転完了報告ではなく、移転後に上使を受け…

  7. 追録7-No.358 斉宣、御鷹の鶴を拝領す(目録358・原印刷358)

    斉宣公御譜中に、3月9日、幕府が駅逓によって鷹の捕えた鶴を賜ったと記す短い記事。品は鶴で、数量・使者個人名・代受・拝謝の詳記はない。目録358は鶴拝領の記事として掲げ、独立日付を記さない。年次は同巻と目録による。

  8. 追録7-No.359 重豪、隠居し高輪邸に移る(目録359・原印刷359)

    重豪が隠居所を高輪へ移した経緯と、移転後の屋敷規律を記す。天明丁未に告老して芝邸内に隠室を営んだが、公務を辞しても世塵の煩いがあり、建物も手狭で久居に堪えないため、去冬に私蔵の金を出して荒地を整え、江府城南高輪邸に隠館を建てたとする。高輪邸は曩昔覺陽公の隠栖所で、淨國公の初年に邸宅が折損し後の修覆を…

  9. 追録7-No.360 西郷八郎次届書(目録360・原印刷360)

    松平豊後守内の西郷八郎次が、上総介が今日、豊後守の高輪下屋敷へ移ったので報告すると届ける短い書状。3月13日付、松平豊後守内・西郷八郎次の署名、寛政8年の朱注を伴う。出典全上、扣正文は家老座に所在。本書は移転済みの報告だけであり、原印刷359の隠居経緯・私蔵金・家老令を西郷の届書本文としない。

  10. 追録7-No.361 西郷八郎次届書(目録361・原印刷361)

    上総介が豊後守の高輪下屋敷へ移ることと、今後上使を下される際は芝居屋敷でその命令を承ることを御用番へ届け、今日移転を済ませたと西郷八郎次が報告する。国元から、この段を申し上げるよう命じ越したための届出であると記す。3月13日付、松平豊後守内・西郷八郎次署名、寛政8年朱注。前360が移転済みの短報、本…

  11. 追録7-No.362 重豪、将軍家男子降誕を祝す(目録362・原印刷362)

    同年3月19日、家斉の男子が誕生し敦之助君と称したと記す。御生母は御臺所との注。岡野肥前守知暁が幕目の役、岡野能登守知郭が矢取、酒井因幡守忠敬が箆刀(原表記)を務めたとする。25日に番頭・物頭を登営させ、家斉・敏次郎君・御臺所へ各一種300匹を献じ、令子降誕を祝した。また女使で御臺所へ縮緬10巻・鯛…

  12. 追録7-No.363 松平信明書状(目録363・原印刷363)

    信明が上総介へ、御臺様の安産祝儀として使者をもって目録の通り献上された品を披露したところ、一段の御仕合だったと伝える返書。3月25日付、信明署判、寛政8年の朱注を伴う。下段の口裏に松平伊豆守信明と松平上総介殿宛を記す。品物・数量はこの返書では目録通りとのみ示すため、前の祝賀記事の各一種300匹、縮緬…

  13. 追録7-No.364 松平信明書状(目録364・原印刷364)

    信明が上総介へ、御臺様の安産祝儀として若君様に使者で目録通り献じた品を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。3月25日付、信明署判、寛政8年朱注、口裏に松平伊豆守信明・上総介宛を記す。前363は若君明記がない返書、本364は若君様への献上を明記するので別件として保持する。品名・数量は目録…

  14. 追録7-No.365 高輪御殿地面等の命名書(原印刷365)

    当分の高輪御殿の地面を蓬山(ヨモギヤマ)、御本門から南方稲荷坂下までを鶴之渡(ツルノワタリ)、同所向かいの御屋敷を環江(タマエ)とする三項の一覧。出典は重豪公御譜中、写正文は家老座所在。独立した日付・署名・宛名はない。次366が右の通り唱えるよう命じられたことを通知し朱返答を伴うため、その一覧として…

  15. 追録7-No.366 市田盛常書状・家老返答(目録365・366、原印刷366)

    前365の三項の通り呼ぶよう命じられ、こちらでは各方面へ通達したので、国元への申渡しも取り計らうよう伝える書状。本書は3月28日、寛政8年朱注、上と記す市田勘解由の署名、五名宛を伴い、伊勢播磨に下の朱注がある。朱書には本文を承知して向々へ申し渡したとの返答、5月13日を記す。目録365の市田盛常3月…

  16. 追録7-No.367 富田外三名連署消息(目録367・原印刷367)

    高輪へ移った上総介からの文を受け、昨日御臺様から拝領物があったことと、その礼を申し上げたことを承知し、御文の通り伝えたところ御満足であると返す消息。上ミ様の御機嫌も祝し、よろしく伝える追而書を伴う。花町・華園・つぼね・富田の四名、松たいら上総介様人々御中、御返事。寛政8年の朱年次のみで月日を記さない…

  17. 追録7-No.368 太田資愛書状(目録368・原印刷368)

    敬之助が尾張殿の養子に命じられたことへの祝儀として、上総介から使者をもって目録通り献じた品を披露し、一段の御仕合であったと資愛が返す。4月朔日、資愛署判、寛政8年朱注。口裏に太田備中守資愛・松平上総介宛を記す。本書は若君への献上とは明記せず、次369の若君明記返書と分ける。目録通りという記載以上に祝…

  18. 追録7-No.369 太田資愛書状(目録369・原印刷369)

    敬之助が尾張殿の養子に命じられたことへの祝儀として、若君様へ使者をもって目録通り献じられた品を披露し、一段の御仕合だったと資愛が伝える返書。4月朔日、資愛署判、寛政8年朱注。次頁に太田備中守資愛・上総介宛の口裏を伴う。若君は献上の受け手、返書は上総介宛であり、両者を宛先欄で混同しない。品目・数量はこ…

  19. 追録7-No.370 重豪、生母の斎料を長年寺に献ず(目録370・原印刷370)

    夏4月、重豪が側役を隅州加治木長年寺へ遣わし、銀100枚を寄附して正覺院殿の斎食に供させたと記す短い記事。正覺院には重年室の注を付す。出典は重豪公御譜中、目録370は重豪生母の斎料を長年寺へ献ずとする。銀100枚の額と供養の対象を保持し、次371以降の寺への申渡し・出金元・勤行維持の命令を本記事の独…

  20. 追録7-No.371 川上久致申渡書(目録371・原印刷371)

    中将の思召しにより御附御側役を通じ、加治木長年寺の正覺院様御霊前へ銀100枚を進納したので備えるよう命じる申渡し。長年寺は現状では取り続け難いと聞き、祠堂銀の趣意で納め置いたため、今後はその余勢によって寺を維持し、仏餉・勤行等を滞りなく執行するよう指示する。長年寺へは寺社奉行から申し渡させる旨を付す…

  21. 追録7-No.372 川上久致申渡書(目録372・原印刷372)

    中将から長年寺へ進納した銀100枚については別段の申渡し通りとした上で、その銀を国元の御隠居御納戸金の内から出すよう命じる。承向へこの旨を申し渡すとの指示。四月久馬署、寛政8年朱注、正文は寺社奉行所の扣。前371が寺における銀の用途・勤行維持を命じるのに対し、本書は財源と出金を指定する別の申渡し。旧…

  22. 追録7-No.373 寺社奉行所達書(目録373・原印刷373)

    中将の思召しによって御附御側役から加治木長年寺の正覺院様御霊前へ進納された銀100枚を備えるよう、寺社奉行所が長年寺へ達する書。寺は現状では維持が難しいと聞いたため、祠堂銀の趣意で納め置き、今後は余勢で取り続け、仏餉・勤行等を滞りなく執行するよう命じる。次頁に、右の通り久馬から鎌田源左衛門取次で命じ…

  23. 追録7-No.374 重豪、御台所の三七夜を慶賀す(目録374・原印刷374)

    同年夏4月11日、侯伯が登朝して御臺所の三七夜を賀した日に、重豪も留守居を老中各邸へ遣わして祝詞を伝えたと記す。また女使で御臺所へ羽二重10匹・鯛1折を献じ、御臺所からも羽二重10匹・緞子3巻・鯛1折を賜った。重豪は宮中へ書を上げて恩を謝したとする。献上と拝領を別方向で記録し、緞子3巻を重豪からの献…

  24. 追録7-No.375 とみ田外三名連署消息(目録375・原印刷375)

    上総介からの文を受け、今日の御枕直し祝儀に羽二重10疋・鯛1折を上げたことと、同氏豊後守からも献上があったことを承知して、よろしく披露したところ御満足であると伝える返事。御臺様の御機嫌を祝し、よろしく伝える追而書を伴う。花町・はなその・つぼね・とみ田の四名、まつ平上総介様人々御中宛。寛政8年朱注のみ…

  25. 追録7-No.376 富田外三名連署消息(目録376・原印刷376)

    昨日の御臺様御枕直し祝儀について、目録通りのほか純子3巻を拝領したこと、同氏豊後守と奥方も拝領物を受けたことを承知し、まことに有難いとの思いとその礼を御文の通り伝えたところ御満足であると返す消息。上ミ様の御機嫌も祝い、よろしく伝える追而書を伴う。花町・華園・つぼね・富田の四名、松たいら上総介様人々御…

  26. 追録7-No.377 瀬かわ外四名連署消息(目録377・原印刷377)

    昨日御枕直しの祝儀を申し上げた際、小野嶋を差し上げたところ、御臺様から小野嶋へ紗綾2巻を拝領するよう命じられたことを有難く思い、その礼を御臺様へ申し上げたという文を受け、御文の趣旨を伝えると返す五名消息。上ミ様の御機嫌を祝し、追而によろしく伝える旨を記す。常盤井は上段末、あすか井・野むら・峯野・瀬か…

  27. 追録7-No.378 戸田氏教書状(目録378・原印刷378)

    若君様に使者をもって献じた菖蒲御兜1飾を、首尾よく披露したと氏教が上総介へ伝える返書。4月28日氏教署判、寛政8年朱注、口裏に戸田采女正氏教・松平上総介宛を記す。若君は献上の受け手、本書の宛名は上総介であり、家斉御内書や5月2日の端午帷子単物到来書とは別の文書として整理する。

  28. 追録7-No.379 徳川家斉御内書(目録379・原印刷379)

    端午祝儀として帷子・単物が到来し歓覧したと伝える家斉の御内書。委曲は太田備中守が述べると記す。5月2日付、寛政8年朱注、家斉公墨印、次頁に松平上総介殿宛と島津重豪の人物注を伴う。太田備中守は詳しい説明をする人物で、御内書の差出人ではない。品目は帷子・単物、数量は記さない。

  29. 追録7-No.380 太田資愛書状(目録380・原印刷380)

    端午祝儀として若君様へ使者で献じた帷子・単物を披露したところ、一段の御仕合だったと資愛が伝える返書。寛政8年朱注、5月2日、太田備中守資愛署判、松平上総介殿宛。前379の家斉墨印御内書と、本380の資愛署判・若君明記返書を分け、若君への献上と返書宛先を混同しない。帷子・単物の数量は記載なし。

  30. 追録7-No.381 記録所覚書(目録381・原印刷381)

    白木御文書六番箱64の一冊の蓋紙。寛政8年丙辰5月18日、松平相模守の続書1通、嫡子銀之進の続書1通、相模守の精進日書1通の写しを収めると記す。相模守には池田治道の人物注、御記録所の記載と六十四の朱番号を伴う。これは収録書類三通を示す蓋紙で、相模守の系譜全体や銀之進の続柄を本欄だけに転記せず、後の「…

  31. 追録7-No.382 瀬川外四名連署消息(目録382)

    豊後守奥方の病気見舞いとして公方様・御臺様から奉文で言葉を遣わされ、御臺様から魚と塗重を拝領したことを承知し、有難いとの思いとその礼を伝える消息。若君様にもよろしく申し上げる旨を付し、若君には敏次郎・家慶の人物注を伴う。寛政8年朱注のみ、月日なし。常盤井・飛鳥井・野むらに続き次頁にみねの・瀬川が載る…

  32. 追録7-No.383 せ川外四名連署消息(目録383)

    豊後守奥方の病気見舞いとして、公方様・御臺様から奉文で言葉を遣わされ、御臺様から塗重1組と肴を拝領して有難く思ったことを承知する。礼を御臺様へ申し上げたとの文の通り伝え、淑姫君にも伝えたところ御満足であると返す。淑姫に家斉女の人物注。年次は寛政8年朱注、月日なし。常盤井・飛鳥井・野むらに続く下段の峯…

  33. 追録7-No.384 瀬川外四名連署消息(目録384)

    豊後守奥方の病気見舞いとして御臺様から奉文で言葉を遣わされたことを有難く思い、その礼を申し上げたとの文を受け、御文の趣をよろしく伝えると返す。若君様へもよろしく申し上げる旨を記す。常盤ゐ・飛鳥井・野むら・みねの・瀬川の五名、上総介様人々御中宛、御返事。寛政8年朱注のみで月日なし。本書には魚・塗重等の…

  34. 追録7-No.385 せ川外四名連署消息(目録385)

    豊後守奥方の病気見舞いとして御臺様から奉文で言葉を遣わされ、有難く思ったとの文を承知し、その礼を御臺様へ伝えると返す。淑姫君にも申し上げ、御満足である旨を記す。常盤井・飛鳥井・野むら・峯の・せ川の五名、上総介様人々御中宛。寛政8年朱注、月日なし。若君への伝言を記す前384と、淑姫への伝言を記す本書を…

  35. 追録7-No.386 斉宣夫人佐竹氏卒す(目録386)

    寛政8年夏6月11日、斉宣夫人佐竹氏が亡くなったと記す記事で、日付に後改8日との注を付す。法号は芳蓮院殿華萼清心大姉、墓を江府大圓寺に、廟を薩府福昌寺に建てたとする。本文11日と訂正注8日を区別して残し、訃報の日など本文にない意味付けをしない。夫人の実名を外部から補充せず佐竹氏の呼称を保持する。

  36. 追録7-No.387 安藤信成書状(目録387)

    今朝献じた鰹節1箱を披露したところ、一段の御仕合であったと信成が上総介へ伝える返書。6月23日信成署判、寛政8年朱注、口裏に安藤対馬守信成・松平上総介宛を記す。若君への献上は明記しないため、若君を明記する次388と分ける。対馬守の官途に含む馬を品目や用件へ採らない。

  37. 追録7-No.388 安藤信成書状(目録388)

    今朝、若君様に献じた鰹節1箱を披露したところ、一段の御仕合であったと信成が伝える返書。6月23日、信成署判、寛政8年朱注、口裏の安藤対馬守信成・松平上総介宛を伴う。若君は献上の受け手、本書の宛先は上総介。旧資愛標題・6月24日を、正文署判と目録388に合わせて修正する。

  38. 追録7-No.389 太田資愛書状(目録389)

    端午の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ差し出すよう太田備中守が上総介へ通知する短い書状。6月24日付、寛政8年朱注、太田備中守署名、松平上総介宛。御内書の受取方法の通知であり、御内書そのものの差出人を太田として置換しない。原五半時を保持し、端午祝儀の品目・数量をここへ補わない。

  39. 追録7-No.390 富田外三名連署消息(目録390)

    為次郎の卒去を御臺様が聞き、痛ましく不憫に思い、残念であると伝える四名消息。御障りもないよう心得る旨の言葉を記す。花町・花園・つぼね・富田の四名、まつ平上総介様人々御中宛。年次は寛政8年朱注で本文に月日なし。朱注には為次郎が当年7月5日に夭亡、7歳であったことと参考のため記す旨を付し、届出に関する三…

  40. 追録7-No.391 富田外三名連署消息(目録391)

    このほど末子嶋津為次郎が亡くなったため、御臺様から見舞いの奉文で懇ろな言葉を受け、有難く思ったことを承知する消息。今日遠慮が明けたのでその礼を申し上げたとの文の通り、よろしく伝えると返す。花町・華園・つぼね・富田の四名、上総介様人々御中宛、御返事。寛政8年朱注のみで月日はないため、遠慮明けの今日を7…

  41. 追録7-No.392 松平信明書状(目録392)

    生見玉の祝儀として献じた黄金10両を披露したところ、一段の御仕合であったと信明が上総介へ伝える返書。7月9日信明署判、寛政8年朱注、口裏に松平伊豆守信明・松平上総介宛。本書は若君への献上を明記せず、若君を明記する次393と分ける。生見玉は原語を保持し、具体的な儀礼内容を推定して補わない。

  42. 追録7-No.393 松平信明書状(目録393)

    生見玉の祝儀として若君様に献じた黄金10両を披露したところ、一段の御仕合であったと信明が返す書状。7月9日信明署判、寛政8年朱注、口裏に松平伊豆守信明・上総介宛を記す。若君は献上の受け手、本書宛先は上総介。原語生見玉を保持し、次の雲雀拝領記事を本書の内容へ混ぜない。

  43. 追録7-No.394 重豪、御鷹の雲雀を拝領す(目録394)

    同年8月3日、大家が石谷周防守を芝邸へ遣わし、御鷹の雲雀を重豪に賜ったと記す。石谷には清豊の人物注。重豪が微恙のため織田筑前守秀綿が代わって恩旨を承り、老中各邸へ出向いて謝恩したとする。雲雀の数量は本文にない。

  44. 追録7-No.395 斉宣、参勤す(目録395)

    寛政8年秋9月朔日、参勤のため鹿城を発ち、冬10月13日に江府へ着いたと記す斉宣公御譜の記事。27日には幕府が上使を遣わして懇命を伝えたとし、上使に姓名闕の注を付す。出発日・到着日・上使の三段階を分け、使者名を他の参府記事から補わない。

  45. 追録7-No.396 徳川家斉御内書(目録396)

    重陽祝儀として小袖1重が到来し歓覧したと伝える家斉の御内書。詳しくは安藤対馬守が述べるとする。9月7日付、寛政8年朱注、家斉公墨印、上総介宛。安藤は委曲を述べる担当者で差出人ではない。小袖の数量1重を保持し、若君への献上を記す次397の返書とは分ける。

  46. 追録7-No.397 安藤信成書状(目録397)

    重陽祝儀として若君様へ使者をもって献じた小袖1重を披露したところ、一段の御仕合だったと信成が伝える返書。9月7日安藤対馬守信成署判、寛政8年朱注、上総介宛。若君は献上の受け手であり本書の宛先ではない。旧家老連署標題・9月28日を署判と目録397に合わせて修正する。

  47. 追録7-No.398 川上久致外二名家老連署書状(目録398)

    尊書を拝見し、中将様へ年首祝儀として目録通り差し上げた品が江府へ届いて披露され、御満足であったと琉球側へ伝える三名連署書状。この旨を漏達するよう求める。9月28日、寛政8年朱注。名越右膳宿忠・伊勢播磨貞矩・川上久馬久致の人物注と各実名判、浦添王子・三司官宛を伴う。品名・数量は目録通りとのみ記すため、…

  48. 追録7-No.399 川上久致外二名家老連署書状(目録399)

    若殿様が虎壽丸と称して嫡子の届を済ませたことへの祝儀として、伊是名親方をもって中将様へ太刀1腰・馬代黄金10両と目録通りの品を献じた件を、尊書を拝見して返答する。江府で披露したところ御満悦であったので、その旨を漏達するよう求める。9月28日、寛政8年朱注、三官途各実名判、浦添王子宛に次段の三司官を連…

  49. 追録7-No.400 川上久致外二名家老連署書状(目録400)

    若殿様の縁組が命じられた祝儀として、伊是名親方を通じ中将様へ太刀1腰・馬代白銀50両と目録通りの品を差し上げたことに返答する書状。江府へ到来して披露し御満悦であった旨を漏達するよう求める。9月28日、寛政8年朱注、三官途各実名判、浦添王子・三司官宛。前399の黄金10両と、本400の白銀50両を区別…

  50. 追録7-No.401 川上久致外二名家老連署書状(目録401)

    当春太守様が御鷹の鶴を拝領したことへの祝儀として、伊是名親方を通じ中将様へ目録通り献じた品が江府へ届き、披露すると御満悦であったと返す書状。その旨を漏達するよう求める。9月28日、寛政8年朱注、三官途各実名判と浦添王子・三司官宛が次頁に続く。鶴の数量や祝儀の品名・金額は本書に詳記されないので、前39…

  51. 追録7-No.402 重豪、吉貴の五十年忌を修す(目録402)

    同年10月8日から10日までの三日間、淨光明寺で淨國公の五十年忌法事を修したと記す。重豪は家老伊勢播磨貞矩を遣わし、香奠銀3枚を献じて拝させた。出典は重豪公御譜中で、斉宣公御譜中にもあるとの付記を伴う。目録は吉貴五十年忌とするため原呼称淨國公と分けて示し、奉納額の枚を両へ換算しない。

  52. 追録7-No.403 安藤信成書状(目録403)

    重陽の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ差し出すよう、安藤対馬守が上総介へ通知する。10月22日、寛政8年朱注、安藤対馬守署名・上総介宛。これは御内書の受取方法を知らせる書状で、御内書本文の差出人を安藤とする文面ではない。原五半時を保持し、重陽献上の品目をこの通知へ補わない。

  53. 追録7-No.404 重豪、淑姫君の結納を賀す(目録404)

    家斉の娘淑姫は尾張宰相治行の男五郎太との婚約を許されたが、五郎太の卒去後、一橋中将斉敦の男徳川愷千代(名の字形候補)と再び婚約したとする。人物注は実父治國、斉敦の養子、家斉の甥、後の尾張宗睦養子の関係を記す。11月15日に愷千代から家臣飯田能登守易信を遣わし大城へ納聘した。翌日重豪は留守居を登営させ…

  54. 追録7-No.405 松平信明書状(目録405)

    淑姫君の結納祝儀として使者をもって目録通り献じられた品を披露し、一段の御仕合だったと信明が上総介へ伝える返書。11月16日信明署判、寛政8年朱注、口裏に松平伊豆守信明・上総介宛。本書は若君への献上とは明記せず、次406の若君明記返書と分ける。具体的品目・数量はこの返書で記さないので前の記事から補充し…

  55. 追録7-No.406 松平信明書状(目録406)

    淑姫君の結納祝儀として若君様へ使者で目録通り献じた品を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す。11月16日信明署判、寛政8年朱注、口裏伊豆守信明・上総介宛が次頁に続く。若君は献上の受け手で、本書宛先は上総介。前405と、若君明記の有無を区別して別件として保持する。

  56. 追録7-No.407 せ川外四名連署消息(目録407)

    昨日、右衛門督様の婚礼が首尾よく済んでめでたく思ったことを承知し、祝儀の言葉を若君様へ申し上げ、文の趣をよろしく伝えると返す消息。右衛門督に田安斉匡の人物注を付す。寛政8年朱注のみで月日はないため、昨日を淑姫結納の日付に当てはめない。常盤井・飛鳥井・野むらに続く下段のみね野・せ川まで五名、上総介様人…

  57. 追録7-No.408 瀬川外四名連署消息(目録408)

    昨日、右衛門督様の婚姻が首尾よく済んでめでたく思ったことを承知し、その祝意を御臺様へ申し上げたところ御満足であると返す五名消息。上ミ様の御機嫌を祝し、よろしく伝える旨を記す。寛政8年朱注、月日なし。常盤井・あすか井・野むら・みね野・瀬川、上総介様人々御中宛。前407の若君への伝言と、本書の御臺様への…

  58. 追録7-No.409 斉宣、琉球謝恩使を率いて参勤す(目録409)

    中山王尚穆の卒去後に尚温が王統を継ぎ、寛政8年、幕府への謝恩使として正使大宜見王子朝規・副使安村親方良頭を遣わしたと記す。7月17日に鹿児島へ着き、斉宣は使節を率いて参勤する予定だったが、領内だけを率い、その後は自分が先行して江府へ至ることをあらかじめ願い、幕府が許した。琉使は後から斉宣に続いて11…

  59. 追録7-No.410 重豪、敏次郎の改名を朝賀す(目録410)

    同年冬12月朔日、大家が敏次郎を家慶と名付け、翌日侯伯が皆朝賀したと記す。その日に重豪は留守居を老中・若年寄各邸へ遣わし、祝詞を伝えた。出典は重豪公御譜中。改名当日と翌日の朝賀・祝詞伝達を分け、次411の二十五年忌法事と混同しない。

  60. 追録7-No.411 斉宣、淨岸院の二十五年忌を修す(目録411)

    12月5日に淨岸院殿の二十五年忌に当たり、斉宣が福昌寺で三日間法事を修したと記す。淨岸院には継豊継室・竹姫の人物注を付す。重豪は家老伊勢播磨貞矩を遣わし、白銀2枚を献じて代拝させた。出典全御譜中、斉宣公御譜中にもあるとの付記。供養対象・法事主体斉宣・重豪の使者奉納を分け、旧氏教書状の標題や12月15…

  61. 追録7-No.412 戸田氏教書状

    今朝献じた一箱の品を披露したところ、一段の御仕合だったと氏教が上総介へ伝える返書。品名の魚偏字は鯣候補として留保し、一箱という数量を保持する。12月15日、氏教署判、寛政8年朱注、口裏戸田采女正氏教・上総介宛が下段に続く。若君への献上は明記しないため、次413の若君明記返書と分ける。

  62. 追録7-No.413 戸田氏教書状

    今朝若君様へ献じた一箱の品を披露したところ、一段の御仕合であったと氏教が返す書状。品名の魚偏字は前412と同型で鯣候補として留保する。12月15日氏教署判、寛政8年朱注、口裏戸田采女正氏教・上総介宛。若君は献上の受け手で、返書は上総介宛。旧家斉御内書・12月27日の属性を次414と分離する。

  63. 追録7-No.414 徳川家斉御内書

    歳暮の祝儀として小袖1重が到来し歓覧したと伝える家斉の御内書。詳しくは戸田采女正が述べるとする。12月27日付、寛政8年朱注、家斉公墨印・上総介宛が次頁に続く。戸田采女正は委曲担当で差出人ではない。旧水野忠友標題を次415と分け、御内書と返書を統合しない。

  64. 追録7-No.415 水野忠友書状

    歳暮祝儀として使者で献じた小袖1重を披露し、一段の御仕合であったと忠友が上総介へ返す書状。12月27日、水野出羽守忠友署判、寛政8年朱注、上総介宛。前414は家斉の墨印御内書、本415は忠友の署判返書で、差出人と形式を分けて保持する。

  65. 追録7-No.416 水野忠友書状

    若君様へ使者で献じた御破魔弓1飾を、首尾よく披露したと忠友が上総介へ伝える返書。12月28日、忠友署判、寛政8年朱注、口裏水野出羽守忠友・上総介宛。若君は献上の受け手。旧資愛・正月7日という次文書の属性を除き、年末の本書と翌年の若菜返書を分ける。

  66. 追録7-No.417 太田資愛書状

    若菜の祝儀として献じられた鯛1折を披露し、一段の御仕合だったと資愛が伝える返書。正月7日、資愛署判、寛政9年朱注、口裏太田備中守資愛・上総介宛。年次が寛政9年に移ることを朱注で確認し、前416の寛政8年年末日付を引き継がない。

  67. 追録7-No.418 水野忠友書状

    若菜祝儀として献じた鯛1折を披露したところ、一段の御仕合であったと忠友が返す書状。正月7日忠友署判、寛政9年朱注、口裏水野出羽守忠友・上総介宛。同日同品の前417は資愛返書であるため、差出人を分ける。次419の吉書・正月11日を本書に混ぜない。

  68. 追録7-No.419 島津斉宣吉書

    神社仏閣の修造興行、勧農、国々の年貢徴納の三箇条について、その趣旨通り沙汰するよう命じる吉書。寛政9年正月11日、斉宣御判。上包は吉書、外包は寛政9年巳正月で、白木御文書六番箱中66号の所在を示す張紙を伴う。包紙に、この吉書1通を同年3月15日、縫殿から篠原善之進へ渡し、六番箱へ納置したと記す。発給…

  69. 追録7-No.420 太田資愛書状

    年頭祝儀として使者で献じた太刀1腰・馬代黄金10両を披露し、一段の御仕合だったと資愛が上総介へ伝える返書。正月11日、資愛署判、寛政9年朱注、口裏太田備中守資愛・上総介宛。馬代は金銭で、実馬の献上と読み替えない。次421の同日同品の返書は忠友署判なので差出人を分ける。

  70. 追録7-No.421 水野忠友書状

    年頭祝儀として使者で献じた太刀1腰・馬代黄金10両を披露し、一段の御仕合であったと忠友が伝える返書。正月11日忠友署判、寛政9年朱注、口裏水野出羽守忠友・上総介宛が下段に続く。前420の資愛返書と、署判・官途を区別する。旧虎寿丸犬追物標題は次422の記事で、本書には犬追物の記載はない。

  71. 追録7-No.422 虎寿丸、犬追物を観覧す(目録422)

    寛政9年丁巳春正月15日、虎壽丸と斉宣の生母堤氏が犬追物を観覧したと記す短い記事。出典は斉宣公御譜中。観覧者二人と日付を保持し、開催場所・実演者・射手人数を前後の犬追物記事から補わない。旧家慶着袴標題は次423の記事に属する。

  72. 追録7-No.423 重豪、家慶の着袴初めを賀す(目録423)

    寛政9年春正月21日、家慶が初めて袴を着けた日に、重豪は人を遣わして家斉・御臺所・家慶へ各二種1000匹を献じて祝賀した。翌日家慶は奏者水野壱岐守を芝邸へ遣わし、重豪へ二種1000匹を賜った。秋月山城守種徳が代わって恩旨を承り、老中各邸へ謝恩したと記す。水野の官途後に続く実名部は字形を確定せず官途呼…

  73. 追録7-No.424 太田資愛書状(目録424)

    若君様の着袴祝儀として使者で目録通り献じた品を披露し、一段の御仕合であったと資愛が上総介へ伝える返書。正月21日資愛署判、寛政9年朱注、口裏太田備中守資愛・上総介宛が次頁へ続く。品物・数量は目録通りとのみ記すため、前記事の二種1000匹を本書本文の独立記載として補わない。

  74. 追録7-No.425 水野忠友書状(目録425)

    若君様の着袴祝儀として使者で目録通り献じた品を披露し、一段の御仕合だったと忠友が返す。正月21日忠友署判、寛政9年朱注、口裏水野出羽守忠友・上総介宛。同日同用件の前424は資愛返書であるため、二通の差出人を混同しない。次426の虎壽丸参府記事とは別件。

  75. 追録7-No.426 虎寿丸、参府す(目録426)

    正月晦日に虎壽丸が鹿児島を発ち、夏4月13日に江府へ着いたと記す斉宣公御譜の記事。年次は同巻の前後と目録による寛政9年。次427・428に同じ旅程の別出典記事があるが、本記事には年齢・同行者・芝邸の記載がないため、それらを独立本文へ補わない。

  76. 追録7-No.427 虎寿丸、江府に着す(目録427)

    斉興公御譜に、寛政9年正月晦日、七歳の虎壽丸が鹿児島を発ち、夏4月13日に江府へ着いたと記す。前426と旅程は一致するが、七歳の記載と出典が異なる。次428の同行者と芝邸という到着場所の詳記は本記事にはないため、三件を一つの本文として統合しない。

  77. 追録7-No.428 斉興、江戸芝邸に着す(目録428)

    近秘の斉興公の記事に、寛政9年丁巳正月晦日、七歳で府城を発って江戸へ向かい、国老名越右膳盛震らが従い、4月13日に芝邸へ至ったと記す。前二件と同じ旅程を伝えるが、本記事には同行者・芝邸が明記される。原出典表示は近秘野帥とする呼称を保持し、本文の府城を外部の現代所在地へ置換しない。

  78. 追録7-No.429 重豪、御鷹の鶴を拝領す(目録429)

    同年2月13日、家斉が石谷周防守を芝邸へ遣わし、御鷹の鶴を賜ったと記す。周防守には清豊の人物注。斉宣が重豪に代わって恩旨を承り、老中各邸へ拝謝した。鶴の数量や重豪の代受理由は本文に記さないため補わない。旧氏教書状・2月20日という次430の属性を除いて整理する。

  79. 追録7-No.430 戸田氏教書状(目録430)

    歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ差し出すよう、戸田采女正が上総介へ通知する書状。2月20日付、寛政9年朱注、戸田采女正署・上総介宛。御内書の受取方法の通知であり、御内書本文や贈答品・数量を補わない。原五半時を保持する。

  80. 追録7-No.431 重豪、家慶の元服任官を賀す(目録431)

    同年3月朔日、家慶が元服し従二位権大納言に任じられた。重豪は11日に人を遣わし、家斉と家慶へそれぞれ太刀・馬代、御臺所へ白銀2枚と一種を献じて賀した。侯伯は9日に祝賀したが重豪は事情があって今日に及んだとの挿注がある。同日家慶は奏者松平能登守乗保を遣わし重豪へ一種1000匹を賜り、斉宣が代わって拝し…

  81. 追録7-No.432 富田外三名連署消息(目録432)

    御臺様からの言葉として、乗之助の死去を聞いて痛ましく残念に思い、強い障りがないか尋ね、よく心得て伝えるよう命じられたと知らせる四名消息。花町・はな園・つぼね・とみ田、上総介宛。寛政9年の朱注のみで本文に月日なし。亡くなった乗之助と、弔慰の受け手上総介を混同せず、別文書の卒去日を本消息の発給日にしない…

  82. 追録7-No.433 富田外三名連署消息(目録433)

    乗之助の療養がかなわず卒去したと聞き、驚き残念に思い、愁傷を察すると述べる四名の悔み消息。強い障りや悔みの取扱いを気遣い、同じ類例により申し入れたいので中年寄佐川の表使もよろしく取り計らうよう記す。はな町・花その・つぼね・富田、上総介宛。寛政9年朱注のみで本文月日なし。右端朱注は乗之助が同年3月7日…

  83. 追録7-No.434 太田資愛書状(目録434)

    大納言様の元服・官位を祝して使者で献じた太刀・馬代を披露したところ、一段の御仕合だったと資愛が伝える返書。3月11日資愛署判、寛政9年朱注、口裏太田備中守資愛・上総介宛が次頁に続く。太刀・馬代の数量や金額は記載されず、前の年頭祝儀から補わない。

  84. 追録7-No.435 水野忠友書状(目録435)

    大納言様の元服・官位への祝儀として使者で献じた太刀・馬代を披露し、一段の御仕合だったと忠友が返す。3月11日忠友署判、寛政9年朱注、口裏水野出羽守忠友・上総介宛。前434と同用件だが別の署判返書であり、資愛・忠友を入れ替えない。数量・金額は独立記載なし。

  85. 追録7-No.436 せ川外四名連署消息(目録436)

    元服・官位の祝儀として大納言様から上使をもって同氏豊後守へ拝領物が下され、有難く思い礼を申し上げたとの文を承知する消息。文の趣をよろしく伝え、大納言様へも礼を申し上げた由を伝えると記す。ときわ井・飛鳥井・野むら・みねの・せ川の五名、上総介宛。寛政9年朱注のみで月日なし。拝領物の品名・数量を前の元服記…

  86. 追録7-No.437 瀬川外四名連署消息(目録437)

    元服・官位祝儀として大納言様から上使により同氏豊後守へ拝領物があり、有難く思って礼を述べたという文を承知し、その礼を御臺様へ申し上げたところ御満足であると返す。淑姫君にもよろしく申し上げる旨を付す。常盤井・飛鳥井・野村・峯の・瀬川の五名、上総介宛、寛政9年朱注のみ。前436は大納言へ礼を伝える消息、…

  87. 追録7-No.438 瀬川外四名連署消息(目録438)

    今日が瑞巖院様の一七日に当たるため機嫌を伺ったとの文を受け、文の趣をよろしく申し上げると返す五名消息。瑞巖院に敬之助・家斉男の人物注を伴う。ときわ井・飛鳥井・野むら・みねの・瀬川、上総介宛、寛政9年朱注のみ。独立月日がないため一七日から発給日を算定せず、亡くなった人を機嫌伺いの受け手として書き換えな…

  88. 追録7-No.439 富田外三名連署消息(目録439)

    今日が瑞巖院様の一七日に当たるので機嫌のほどを伺いたいとの文を承知し、文の通りよろしく申し上げると返す消息。花町・華園・つぼね・富田の四名、上総介宛、寛政9年朱注のみで月日なし。前438は五名、本書は四名で、同日同件と推定して統合しない。敬之助の人物注は前文書の注として区別する。

  89. 追録7-No.440 於隣系譜抄(目録440)

    御系図中の抄。図の上に斉興、下に女子の二列を示し、一方に於隣と記す。於隣にはチカ・ムラの読み、松樹院・松壽院、種子島伊勢久道室の記載を伴う。寛政9年丁巳3月18日生、母は島津仲久建女、慶應元年乙丑8月20日卒、法名妙悟日全とする。次441は斉宣公御子とするため、この図の斉興表示と同一の父系説明へ推定…

  90. 追録7-No.441 於隣系譜抄(目録441)

    近秘野帥斉宣公御子・女子の抄に、於隣(チカ・ムラ)を種子島伊勢輔時室と記し、輔時死後松樹院と号し、後に松壽院へ改めたという注を付す。寛政9年丁巳3月18日府城生、母は島津仲久建女とする。母には寿賀の名、御年寄格、文化10年4月3日卒、光台院殿心珠浄臨大姉という法名(院号首部は字形候補)、是年7月に級…

  91. 追録7-No.442 斉宣、御台所の叙位を賀す(目録442)

    3月、御臺所が従三位に叙され、28日斉宣が登城して老中に謁し祝賀した。翌日、斉宣は番頭を登城させ、家斉と御臺所へ各二種1000匹、世子家慶へ一種1000匹を献じたとする斉宣公御譜の記事。年次は同巻の寛政9年。次443が同じ叙位祝賀を重豪側の行動も含めて記すのに対し、本記事の祝賀主体と献上額は斉宣とし…

  92. 追録7-No.443 重豪、御台所の叙位を賀す(目録443)

    御臺所が従三位に叙された3月、28日に斉宣が登営して老中へ祝賀し、重豪も留守居を月直老中・西丸老中の邸へ遣わして祝詞を述べたと記す。翌日、斉宣は番頭を登城させ、家斉・御臺所へ各二種1000匹、家慶へ一種1000匹を献じた。重豪も物頭を使い家斉・御臺所へ各二種500匹、家慶へ一種500匹を献じ、女使で…

  93. 追録7-No.444 太田資愛書状(目録444)

    御臺様の叙位への祝儀として、使者で献じた樽肴を披露したところ、一段の御仕合だったと資愛が返す。3月29日資愛署判、寛政9年朱注、口裏太田備中守資愛・上総介宛。樽肴の数量は記さないため、前の御譜記事の鯛1折を本書の品目数量として補わない。

  94. 追録7-No.445 水野忠友書状(目録445)

    御臺様の叙位を祝して使者で献じた樽肴を披露し、一段の御仕合であったと忠友が返す書状。3月29日忠友署判、寛政9年朱注、口裏水野出羽守忠友・上総介宛。同日同用件の資愛返書444とは差出人を分ける。品名は樽肴で数量なし。旧四名消息標題は次446の文書に属する。

  95. 追録7-No.446 とみた外三名連署消息(目録446)

    御臺様の叙位を祝し鯛1折を献じたとの文を受け、よろしく披露したところ御満足であると返す消息。御臺様の御機嫌がよいことを祝し、追而によろしく伝える旨を記す。花町・はな園・つぼね・とみたの四名、上総介宛、寛政9年朱注のみで月日なし。披露の内容は鯛1折であり、前二書の樽肴を同一の記載としない。

  96. 追録7-No.447 とみた外三名連署消息(目録447)

    叙位に際して改めて祝儀を申し上げ、縮緬10巻・鯛1折を献じたとの文を受け、よろしく披露して御満足であると伝える返事。御臺様の御機嫌を祝い、追而によろしく伝えると記す。花町・はなその・つぼね・とみたの四名、上総介宛、寛政9年朱注のみ。前446の鯛1折の消息と、本書の縮緬10巻を伴う再祝儀を分ける。旧市…

  97. 追録7-No.448 市田盛常書状(目録448)

    重豪の明細書写を先頭に掲げ、本国・生国薩摩、故重年嫡子、従四位上中将松平上総介重豪、53歳、天明7年正月29日隠居と記す。その後、西丸へ明細書短冊を各一通出すよう水野出羽守から命じられ、同月3日に池田筑後守宅で両殿の明細書を各一枚、留守居付役が持参したが、追って報告するよう指示されたと説明する。別紙…

  98. 追録7-No.449 水野忠友書状(目録449)

    大納言様の西丸移転祝儀として、使者で目録通り献じた品を披露し、一段の御仕合だったと忠友が上総介へ伝える返書。4月22日忠友署判、寛政9年朱注、口裏水野出羽守忠友・上総介宛。品目数量を前431の記事から本書へ補充せず、斉宣成婚への謝礼を記す次450と分ける。

  99. 追録7-No.450 重豪、斉宣の成婚を謝す(目録450)

    正月23日、幕府士武藤荘兵衛が斉宣のため願書を上げ、丹羽左京大夫長祥の妹を聘する許可を求めて許されたと記す。荘兵衛に安致の人物注。本文では4月25日に成婚し、5月朔日斉宣が登城して婚姻を謝したとする。同日重豪も物頭を遣わし巻物5巻を家斉へ、白銀5枚を家慶へ、白銀3枚を御臺所へ献じて謝礼した。次451…

  100. 追録7-No.451 斉宣、丹羽長祥妹と婚姻す(目録451)

    正月23日、武藤荘兵衛が幕府へ上書し、斉宣が丹羽長祥妹を娶る許可を得たことを記す。分注は重豪公譜を引用して4月25日成婚・5月朔日登城謝礼を掲げた上で、国元役所の登録日を史とする事情を検討する。2月19日の婚姻願・奉賀命令、4月28日の婚姻と幕府許可報、5月8日の許可報・奉賀命令、江戸での4月15日…