ARCHIVE DIRECTORY
追録7の目録
暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。
全2,939件中 1401~1500件・15 / 30ページ
追録7-No.1244 徳川家斉御内書(歳暮小袖一重到来)
重豪公御譜中・正文在文庫。歳暮祝儀として小袖1重が到来したことを喜び、委曲は牧野備前守が述べると伝える。文化9年朱注、12月廿七日、家斉公墨印表示、松平榮翁宛。1245の使者による献上披露返書とは文型・送り手を分ける。
追録7-No.1245 松平乘保書状(使者小袖一重献上)
全上。歳暮祝儀として使者により小袖1重を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。本文は395頁に始まり、396頁上段の文化9年朱注、12月廿七日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛へ続く。本書本文に続き、次頁に日付・署宛が記される。巻149表紙の文化10年正月~11年7月は本件の年月日には採用し…
追録7-No.1246 信順父子系譜抄(大信公重豪十男・女子於朝)
大信公御子・御十男、信順と掲げ、父公に島津重豪との注。初久命、虎之助、篤之丞、伊勢守、遠江守、従四位の名乗り位階を記す。文化10年癸酉正月6日生、母は乘之助と同母で杉浦氏との注。奥州八戸城主の南部左衛門尉信眞の養子。明治5年2月廿日卒、神道祭のため法号を用いず、忌日は陽暦4月6日とする注がある。続く…
追録7-No.1247 牧野忠精書状(若菜鯛一折献上)
重豪公御譜中・正文在文庫。若菜祝儀として鯛1折を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化10年朱注、正月7日、忠精判、松平榮翁宛、口裏に牧野備前守忠精と在口裏朱注。品数量・本文署と口裏官姓名を採録し、1248乘保返書と分ける。
追録7-No.1248 松平乘保書状(若菜鯛一折献上)
全上。若菜祝儀として鯛1折を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化10年朱注、正月7日、乘保判、松平榮翁宛。口裏に松平能登守乘保、在口裏朱注。1247と同日同品でも送り手を各文書の表示で保持する。
追録7-No.1249 島津斉興吉書(社寺修造・勧農・国々年貢)
白木御文書7番箱68番・吉書。三箇条は神社仏閣の修造興行、専ら農事を勧めること、国々の年貢を徴納すること。右の三箇条に従い沙汰するよう命ずる。文化10年正月11日、斉興御判・花押No4表示。三条の内容と命令を採録し、個別寺社名や納税額・収納実績は本文にないため補わない。
追録7-No.1250 牧野忠精書状(太刀一腰・馬代黄金十両)
重豪公御譜中・正文在文庫。年頭祝儀として使者により太刀1腰・御馬代黄金10両を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化10年朱注、正月11日、忠精判、松平榮翁宛、口裏に牧野備前守忠精と在口裏朱注。馬代と太刀を保持し実馬へ置換しない。
追録7-No.1251 松平乘保書状(太刀一腰・馬代黄金十両)
全上。年頭祝儀として使者により太刀1腰・御馬代黄金10両を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。上段本文から下段の文化10年朱注、正月11日、乘保判、松平榮翁宛へ連結。口裏は松平能登守と在口裏朱注を記す。署に乘保とあるが口裏に実名を補わず、それぞれの表示を分ける。1250牧野返書と送り手…
追録7-No.1252 島津重豪書状(御酒湯御祝儀・肴一折拝領)
重豪公御譜中・扣正文在文庫。なおよく取り計らうよう願い、御意の手紙を拝見し上々様の機嫌を喜ぶ。御臺の水痘後の肥立ちが順調で、今日御酒湯御祝儀を行ったため、肴1折を内々に拝領してありがたいと述べ、よく取り成すよう求める。文化10年朱注、花町・はな園・梅園の三宛に、次頁右端のはな崎・御返事が続く。旧媒体…
追録7-No.1253 島津重豪書状(ちり綿五まき・鯛一折拝領)
全上。御意の手紙を拝見し上々様の機嫌を喜ぶ。御臺の水痘が済み床揚の祝儀が行われたことを喜び、ちり綿5まき・鯛1折を拝領するよう仰せ付けられた恩をありがたく述べ、よく取り成すよう願う。文化10年朱注、花町・はな園・梅その・花さきの四宛、御返事表示。ちり綿の仮名混じり原品名と五まき・鯛一折を保持し、12…
追録7-No.1254 島津重豪書状(内々進上物への八丈織五反返礼)
全上の見出しから下段本文へ続く。御意の手紙を拝見し上々様の機嫌を喜ぶ。御臺の水痘に際し内々からたびたび進上物を送り慰めとなって満足されたため、その返礼として八丈織5反を内々に拝領しありがたいと述べ、よく取り成すよう願う。文化10年朱注、花まち・はな園の二宛、御返事。進上物の品名・数量はないため補わず…
追録7-No.1255 重豪御鷹の鶴を拝領する記事(小出宮内上使)
重豪公御譜中。文化10年癸酉春2月6日、大家が小出宮内を使者として芝邸へ派遣し、重豪に御鷹の鶴を賜った。上使に実名闕の注。斉興が代わって恩旨を承り、同日に老中各第へ赴いて謝礼したと記す。鶴の数量は記さず補わない。斉興は恩旨の代受・謝礼を担い、拝領者重豪と分けて採録する。
追録7-No.1256 斉興御鷹の鶴を拝領する記事(小出宮内上使)
斉興公御譜中の見出しから次頁本文へ続く。文化10年癸酉春2月11日、上使小出宮内によって斉興に御鷹の鶴を賜ったと記す。鶴の数量や拝領場所、謝礼は本件には記載しない。前1255は同年2月6日に重豪が拝領し斉興が恩旨を代受した別記事であり、本件の受領者・日付を区別する。
追録7-No.1257 牧野忠精書状(明日五半時家来登城)
重豪公御譜中・正文在文庫。歳暮御内書を渡すので明日五半時に家来を御城へ出すよう命ずる。文化10年朱注、2月廿日、牧野備前守署、松平榮翁宛。目録の牧野忠精書状を注記して採録し、本文署に実名はないことを分ける。翌日の指示であり登城受領の結果は記さない。
追録7-No.1258 島津重豪内意書(黄檗改宗と後事取計らい)
白木御文書8番箱34番、御筆寫とあり、口裏大御隠居様。壮年のころから万年後は当地で安置してほしいと願い、先年一世黄檗に改宗し白金瑞聖寺へ逆牌等を設け、瑞聖寺にも内約したと述べる。この意向を神田橋大納言へ内々届け聞き届けられ、万年後は願いどおり差図するとの内意を承知して安心したため、豊後守・修理大夫・…
追録7-No.1259 斉興が御暇を将軍父子に拝謝する記事
斉興公御譜中。夏4月18日、上使土井大炊頭利厚から御暇を伝えられ、贈品は例どおりとする。亜相家慶公も上使松平能登守乘保によって例どおりの品を賜った。22日に斉興が登営拝謝し、懇命を受け馬1匹を賜る。その後持疾により出発できず、秋まで滞府したいと願い、大家が許したと記す。本文独立年はなく文化10年の配…
追録7-No.1260 徳川家斉御内書(帷子単物到来)
重豪公御譜中・正文在文庫。端午祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、委曲は松平伊豆守が述べると伝える。上段本文から下段の文化10年朱注、5月2日、家斉公墨印表示、松平榮翁宛へ連結。数量はなく補わない。1261の使者による献上披露返書と分ける。
追録7-No.1261 松平乘保書状(使者帷子単物献上)
全上。端午祝儀として使者により帷子・単物を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化10年朱注、5月2日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。数量は記されず、1260の内書到来と送り手・文型を分ける。
追録7-No.1262 伊集院兼当書状(老年下賜品一覧・家老沙汰)
重豪公御譜中・寫正文在文庫。下賜一覧を掲げる。諸大身分寄合並以上は紗綾2巻ずつ・吸物酒、妻女も紗綾2巻、右70歳以上・100歳以上は銀2枚ずつの表示。二男三男は太平布2反、直触以上は酒肴。奥表役人は芭蕉布2反・酒肴、右70歳以上・100歳以上は銀1枚。小番新番は銀3両、婦人2両。御小姓與は銀2両、婦…
追録7-No.1263 青山忠裕書状(今朝鰑一箱献上)
重豪公御譜中・正文在文庫。今朝鰑1箱を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。前頁本文末の恐々から次頁の謹言、文化10年朱注、6月廿三日、忠裕判、松平榮翁宛、口裏の青山下野守忠裕と在口裏朱注へ連結する。魚偏に昜の原字品名と1箱を保持し、別の魚名へ置換しない。
追録7-No.1264 松平乘保書状(今朝鰑一箱献上)
全上。今朝鰑1箱を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化10年朱注、6月廿三日、乘保判、松平榮翁宛。口裏に松平能登守乘保と在口裏朱注。1263と同日同品でも各送り手の返書として分け、魚偏に昜の原字と数量を保持する。
追録7-No.1265 松平信明書状(明日五半時家来登城)
全上。端午御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ出すよう指示する。文化10年朱注、6月廿四日、松平伊豆守署、松平榮翁宛。目録の信明書状を人物欄に注記し本文署にない実名と分ける。翌日登城・受領の指示であり、受領済との結果は記さない。
追録7-No.1266 重豪が帰国の恩賜を拝謝し下国する記事
重豪公御譜中。同年7月3日、斉興が重豪の帰国・温泉療養を願い、8日有馬肥前守一純が登城、白書院外で老中列座なしのもと月直松平伊豆守信明から許可の台命を伝えられ、道服3領を賜る。西城でも道服2領、松平能登守保乘が伝達(保乘にママ注)。15日命刀3を拝賜し、さらに老女頴川を通じ親服の道服も賜る特恩。8月…
追録7-No.1267 島津斉興願書(国元温泉・約6か月の御暇)
全上・扣正文在右筆所。同氏榮翁には持病の疝積と脚痛があり、去々年願いにより摂州有馬で湯治して快方であったが、近頃また発作があり難儀していると述べる。天明7年・寛政4年にも二度願い国元温泉で湯治が相応したため、今回は約6か月の御暇を願う。8月初旬に当地を発ち、御暇内に快方なら参府したいという希望を付す…
追録7-No.1268 幕府指図書(約6か月・御暇内快方なら参府可)
寫正文在右筆所。豊後守宛表示から下段指図本文へ続く。榮翁が国元へ越し温泉へ入湯して養生したいという願いどおり御暇を与えるので、約6か月滞在して参府するよう命ずる。御暇内に快方となり参府したい場合は勝手次第にしてよいとする。文化10年朱注、独立月日・署名なし。願の期間と通常の参府指図、快方時の早期参府…
追録7-No.1269 重豪の帰国湯治を許される記事(斉興公御譜)
斉興公御譜中。文化10年秋7月3日、斉興が大父公の帰国・温泉での旧病療養を幕府へ願い、8日に有馬肥前守一純を登城させ、大父公の帰国許可を拝したと記す。願出と許可の日・代わって登城した人を分ける。1266重豪公御譜の同許可記事と対応するが、本件にない衣服等の贈品や長い実旅程は転記しない。
追録7-No.1270 松平信明書状(生見玉黄金十両献上)
重豪公御譜中・正文在文庫。生見玉祝儀として黄金10両を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化10年朱注、7月6日、信明判、松平榮翁宛、松平伊豆守信明の官姓名表示も付す。在口裏の朱表示は本件にないため、別件の口裏注を移さない。生見玉の具体対象者名は記載しない。
追録7-No.1271 松平乘保書状(生見玉黄金十両献上)
全上。生見玉祝儀として黄金10両を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化10年朱注、7月6日、乘保判、松平榮翁宛、口裏に松平能登守乘保と在口裏朱注。1270と同日同額でも各差出人の返書として保持し、対象者名を補わない。
追録7-No.1272 有馬一純請書(榮翁不快による名代御礼)
重豪公御譜中・扣正文在右筆所。榮翁に痛所があるため、豊後守の願による国元湯治の御暇が願いどおり許され、御羽織を拝領し大納言からも拝領した重ねての恩をありがたく述べる。豊後守・榮翁には不快があるので、自分を名代として御礼申し上げるとする。文化10年朱注、7月8日、有馬肥前守署、一純の実名注。御暇許可・…
追録7-No.1273 島津重豪書状(歌橋等五宛・御暇羽織の礼)
全上・扣正文在文庫。なおよく取り計らうよう願う上段冒頭から下段本文へ続き、上々様の機嫌を喜ぶ。自分に痛所があるため同氏豊後守が国元湯治の御暇を願い、願いどおり許されたうえ御羽織を拝領し、大納言からも拝領した恩をありがたく述べる。御礼を申し上げたいので機会に御前でよく取り成すよう求める。文化10年朱注…
追録7-No.1274 島津重豪書状(萬里小路等三宛・御暇羽織の礼)
全上。なおよく取り計らうよう願う前頁冒頭・上々様の機嫌伺から次頁へ続く。自分に痛所があるので豊後守が国元へ湯治御暇を願い、願いどおり許され、御羽織と大納言からの拝領もあって重ねてありがたいと述べる。礼を申し上げたいので機会に御前でよく取り成すよう求める。文化10年朱注、萬里小路・濱をか・むめたの三宛…
追録7-No.1275 島津斉興伺書(京都二三日逗留と近衛家立寄り)
全上・扣正文在右筆所。同氏榮翁の国元湯治御暇が願いどおり許されたので、往来に京都へ立ち寄り2・3日逗留したいと伺う。近衛殿には由緒があるため、差支えなければ同公への伺候も望む。文化10年朱注、7月11日、松平豊後守署。御付紙は勝手次第とする一方、近衛殿へ越す件は酒井讃岐守へ伺い、その差図に従うよう命…
追録7-No.1276 島津重豪書状(御もく禄拝領への御返事)
重豪公御譜中・扣正文在文庫。上様の機嫌がよいという便りを喜び、自分は国元湯治の御暇を賜り近く出立する旨を述べる。御臺様から内々に御もく禄のとおり拝領したことをありがたく申し、謝意が伝わるよう取成を願う。文化10年朱注のみで独立月日はない。四宛を全文採録し、贈品の具体名・数量は書かれていないため補わず…
追録7-No.1277 鎌田政輿書状(家老四名への内用連絡)
重豪公御譜中・扣正文在家老座。大御隠居の国元温泉御暇が願いどおり許され、下向に伴う取締等について、別紙写のとおり有馬左兵衛佐へ内々に仰せ、同人から老中へ内沙汰するよう求めた思召を伊集院隼衛から承知したと述べる。その書面と趣意を各家老が承知し、諸向へ申し渡す件も承知したため、内用で伝える。申渡しはおお…
追録7-No.1278 川上久芳外三名家老連署返書(本書行間の朱返答)
1277本書の行間朱注に載る返答。本文を委曲に承知し、さらに吟味して差し越された別紙の趣により諸向へ申し渡すと述べる。途中での内沙汰の趣も承知し、受けは伊集院隼衛へ申し越し、別紙の御書面写等2通を控え置いて返答するという。下印・朱8月19日が返答日。川上右近・嶋津将監・嶋津安房・頴娃信濃の四名(久芳…
追録7-No.1279 島津重豪書状(有馬誉純への内用)
扣正文在家老座。暑中の安寧を祝い、薩州温泉へ御暇を願いどおり許され国元へ越すことを述べる。久しく国元に行かず、豊後守もまだ若年なので政事等へ介助・相談を加えたいが、年来勝手向が充実せず難儀しているという。先に相手から内沙汰があった以上、その筋の役人に厚く申し含め永久の取締をよく示談したいとし、豊後守…
追録7-No.1280 島津重豪・斉宣子女の母書上(附書二通)
白木御文書6番箱102。重豪男豹治郎を掲げ、富姫の産婦は會美、壽姫は千佐、右三方の産婦の親姓名・他人の養女等の関係は不知と記す。斉宣男泰之進と啓之助は青木休右衛門盛晏娘こと、謙次郎は荒田八右衛門常明娘たつ。斉宣女於郁もことと記したが、実母は林安右衛門昌世妹い尾出生と仰付けられたとの訂正注があり、於寶…
追録7-No.1281 重豪が累世系譜を改訂して献呈する記事
重豪公御譜中。寛永19年壬午春3月に献じた系図には遺漏誤失が多いため、重豪が累世系譜を改訂して代えようと諸奏者堀田豊前守正穀へ私請し、承諾を得て国史館に和語で撰定させた。繕写完成後7月25日、留守居種子島次右衛門政苗を遣わし堀田を通して系譜11冊・家乗3冊・櫻田臨邸賜品状1通を献じた。同日堀田は奥右…
追録7-No.1282 斉興が累世系譜を献呈する記事(大父の意による)
斉興公御譜中。寛永19年壬午3月に幕府へ献じた系図には遺漏誤失が多いので、大父公が累世系譜を改訂して代えたいと奏者堀田豊前守正穀へ私請、承諾により国史館へ和語撰定を命じた。今茲癸酉7月25日に繕写を終え、斉興が留守居種子島次右衛門政苗を遣わし堀田を通じて系譜11冊・家乗3冊・櫻田邸賜品状1通を献じ、…
追録7-No.1283 重豪帰国の記事(武村五本松仮館)
全御譜中。8月4日に大父公が江府を発ち、9月14日に鹿児島へ着いて武村五本松仮館へ入ったと記す。年次は目録の文化10年配列による。発日と帰着日、江府・鹿児島・武村五本松仮館を採録し、1266の長旅程や帰国告官13日注をこの短記事の本文に移さない。
追録7-No.1284 家老四名連署知行目録(伊集院隼衛宛)
白木御文書7番箱68番。高30斛、志布志月野村の内、名寄帳は別冊とする。大御隠居付として多年出精して勤め役立ったため、思召により右のとおり拝領を命じたので所務するよう通知する。文化10年8月3日、頴信濃久喬判・嶋安房久備判・嶋将監久泰判・川右近久芳判、伊集院隼衛宛。包紙には知行目録写とある。額・場所…
追録7-No.1285 島津斉興伺書(榮翁旅中の御礼勤向)
重豪公御譜中・扣正文在右筆所。昨日、上使により同氏修理太夫が御鷹の雲雀を拝領するよう仰せ付けられた件につき、同氏榮翁は旅中で承知した上の御礼勤向を知らないため、先例や差図を求める。文化10年朱注、8月16日、松平豊後守署。御付紙の飛札を差し越すようにとの指図を独立記録する。本文の修理太夫表記を保持し…
追録7-No.1286 川上久芳外三名家老連署申渡書(表方から奥掛御勝手方へ)
重豪公御譜中・写正文在文庫。大御隠居が下向し当時介助中であるので、取締はもちろん省略筋旁の儀について、御内書により有馬左兵衛佐へ、同人から老中へ内達された趣意があると述べる。以前からの仰せを忘れず精勤すべきところ、程過・等閑の段が聞こえ御内沙汰があるため恐れ入るべきとし、さらに各人が心掛け精勤するよ…
追録7-No.1287 島津重豪書状(老中・西丸五名へ御前取成依頼)
重豪公御譜中・扣正文在右筆所。公方・大納言の機嫌を喜び、先月15日に上使山口勘兵衛から御鷹の雲雀を同氏修理大夫が拝領した旨の知らせがあり、自分もありがたく思うので、御礼の飛札を送り、御前への然るべき取成を依頼する。文化10年朱注、9月4日、五宛を採録。独立差出人署はなく、重豪書状の名義は目録による。…
追録7-No.1288 波江消息(園川・初瀬への年内帰府取成依頼)
重豪公御譜中・写正文在家老座。残暑の挨拶と上様方・御館様の機嫌を述べ、榮翁が国許へ發駕したことを祝う。先達にこの冬当地へ帰府するよう御前から申されたこと、国元に長く滞在するのは無用との沙汰があること、当年中に帰ると本人からの申出もあることを挙げ、必ず当年中にこちらへ帰るよう求める。万一翌春まで逗留す…
追録7-No.1289 徳川家斉御内書(重陽小袖一重到来)
重豪公御譜中・正文在文庫。重陽祝儀として小袖1重が到来したことを喜び、委曲は土井大炊頭が述べると伝える。文化10年朱注、9月7日、家斉公墨印の表示、松平榮翁宛。小袖の種類・数量を採録し、同日1290の使者献上披露返書と差出人・文型を分ける。
追録7-No.1290 松平乘保書状(使者小袖一重献上)
全上。重陽祝儀として使者により御小袖1重を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化10年朱注、9月7日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。使者献上・披露・返書という構造と数量を保持し、1290を家斉自身の御内書とはしない。
追録7-No.1291 鎌田政輿書状(系譜提出経過・附書十一通)
写正文在文庫。寛永以来公儀へ差出した系図に書損・誤りがあり改訂して引替する件は、去未9月に堀田豊前守へ内意済。今回編纂完了後、記録奉行が再吟味し堀田が内見、記録掛同行を求める。堀田留守居園田庄助→種子島次右衛門に連絡し木場次右衛門同行、下書の御尋と応御尋書の調整を経る。中納言へ新譜差出の際に旧譜返却…
追録7-No.1292 島津重豪書状(嶋津内膳を介する御礼献上)
重豪公御譜中・扣正文在文庫。公方・大納言の機嫌を喜び、湯治御暇を願いどおり許され、御羽織を拝領し大納言からも拝領した恩に謝意を述べる。今日、同氏豊後守の国元に到着したので、御礼として嶋津内膳をもって目録のとおり献上し、然るべく披露するよう求める。文化10年朱注、9月13日、松平榮翁署、五宛。豊後守国…
追録7-No.1293 島津重豪書状(帰着御礼の使札)
全上・扣正文在右筆所。公方・大納言の機嫌を喜び、願いどおり湯治御暇を与えられ、今日同氏豊後守の国元に到着した謝意を述べる。御礼に使札を送るので、随って目録のとおり進覧したと伝える。文化10年朱注、9月13日、次頁に五宛各人々、独立差出署名なしで重豪の名義は目録。榮翁の帰着先豊後守国元と読んで豊後守自…
追録7-No.1294 土井利厚書状(干鯛一箱献上)
重豪公御譜中・正文在文庫。書札を披見し、公方・大納言の機嫌伺いに対し、ますます勇健なので安心するよう返す。随って干鯛1箱を献じられた件を各申し談じ披露し、一段の御仕合であったという。文化10年朱注、9月16日、土井大炊頭利厚判、松平榮翁宛。公方大納言の機嫌・勇健への返答・干鯛1箱の披露を分け、品名を…
追録7-No.1295 松平乘保書状(干鯛一箱献上)
全上。書札を披見し、公方・大納言の機嫌伺いに対し、ますます勇健なので安心するよう返す。随って干鯛1箱を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったという。文化10年朱注、9月16日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。上段から下段の結び・日付・署宛まで連結して採録し、1294土井利厚返書と同日同品でも差出人…
追録7-No.1296 土井利厚書状(先月十五日の雲雀拝領)
重豪公御譜中・正文在文庫。書札を披見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びをもっともとする。さらに同氏修理太夫が先月15日に上使により御鷹の雲雀を拝領した件への謝意を承知し、紙面の趣は各々が一覧したと返す。修理太夫に斉宣の人物注。文化10年朱注、9月廿二日、土井大炊頭利厚判、松平榮翁宛。拝領日・謝…
追録7-No.1297 松平乘保書状(雲雀拝領への紙面承知)
全上。書札を披見し、公方・大納言の機嫌がよいという喜びをもっともとする。公方から上使をもって同氏修理大夫が御鷹の雲雀を拝領した件への謝意を承知し、紙面の趣を了承したと返す。文化10年朱注、9月廿二日、次頁に松平能登守乘保判・松平榮翁宛。1296には先月15日・斉宣人物注があるが、本件にはその記載を移…
追録7-No.1298 重豪の国政介助と厳令を記す記事(斉興公御譜)
斉興公御譜中。大父公は隠退して老いても、斉興がなお弱冠なので国政を助けると記す。本年は温泉で宿病を療すため帰藩を願ったが、実は国政・風俗を自ら見たい意があったとする。教化が行われず国用が足りず、士民の言語・容貌を野鄙と評して深く憂え、9月に同族・家老・若年寄・大目附へ厳令を下したと述べる。その文は大…
追録7-No.1299 重豪帰藩後の厳令導入記事(重豪公御譜)
重豪公御譜中。今茲、温泉療病を理由に帰藩を願ったが、実は国政を聴くためであるとの注を付す。自分は隠退して老いたが、今また国政をともに聴くと述べ、以前から教化不行・国用不足・言語容貌なお野であることを憂え、同族・家老・若年寄・大目附へ以下の具令を出すと導入する。年・月は目録文化10年9月配列による。1…
追録7-No.1300 島津重豪達書(一門方宛)
扣正文在家老座。家督中から順次申渡した趣があり、殊に当時国政介助中で幸い入湯御暇を願ったため、大目附以上へさらに委しく趣意・事品を申し聞かせるという。一門各々が専ら気を付け、心付いた事は差し置かず家老中へ示談するよう命ずる。従来の国風について物毎最通兼と述べ、永く長久の基を念頭に万端等閑にならぬよう…
追録7-No.1301 島津重豪達書(一門家四名・四家四名と大目付以上)
全上・扣正文在家老座。①一門家の重富・加治木・垂水・今和泉と四家の日置・宮之城・花岡・都城は格別の家柄で名代等も任せるが、身分を慎まぬとの聞きを戒め先年の細達を遵守させる。世間徘徊は忍たりとも駕籠・乗馬・歩行に相応の家来を召列し、相当の家柄・間柄の者を差し越す。身分違いの向きは縦令間柄迚もと記し家老…
追録7-No.1302 島津重豪達書(家老・若年寄・大目付へ三条)
全上・扣正文在家老座。①蔵方勤の者が近年附属料を過分に申し談じ百姓を迷惑させ、目先の利徳に迷い不正取計もあると聞く。当分の仕向は他国への外聞も問題で、第一に士風が宜しくないとして今後の仕向を吟味させる。②諸郷が一統に疲弊し、公人入込のため雑費が多いので取締を命じ、その所の馳走・贈物等を一切停止。受け…
追録7-No.1303 島津重豪諭達(財政立直・極難者救済)
全上・扣正文在家老座。先年以来世帯方が極難で、厳しい倹約・出銀米等を命じても成果が見えぬ訳を、銘々身構えて子孫後栄を思い、自分だけ富饒なら落度で退役しても頓着しないためだと述べる。当面の取締が宜しくなく務める筋を弁えず金銭計のみで自分勝手にし、上の倹約筋を等閑にすることも批判する。不正の富饒は一時の…
追録7-No.1304 島津重豪達書(家督・頭立の請書提出)
全上・扣正文在家老座。今般の申付の趣が領国中津々浦々まで漏れなく申渡し済んだ際は、四家・家老をはじめ家督の者一統から銘々請書血判を差し出すよう命じる。末々も各頭立の者から同様に提出させ、この趣を家々に書留し後代まで忘れぬよう急度申付けることを求める。朱但書は血判が済んだら取揃えて家老座に格護しておく…
追録7-No.1305 島津重豪諭達(家老・若年寄・大目付宛)
扣正文在家老座。①旧条目・追加制法の一時遵守・下々への周知不足を指摘し、軽微違反も禁じ、役所壁書・家毎書留・朝夕確認・親族相互戒めを要求。頭人は中間小者・名代へ細達、長病人等も個別伝達。軽微な違反も罰し、誠実遵守者に厚賞。家老頭人と下役双方の不行届を吟味し、公辺へ願い国元へ来た今回、一門・家老から末…
追録7-No.1306 重豪・斉興が師久・勝久の墓地を定める記事
重豪公御譜中、斉興公御譜にも載る。六代主定山公師久・十四代主大翁公勝久の墳墓が廃れて詳らかでなく久しく憂えていたため、本年冬10月5日川内隈之城郷称名寺を定山公の墓地とする。氏は家をいうとの注。明年11月25日に宗久公廟中(向田仮館の側、称名寺領地の注)へ定山公石塔を再建し、斉興は若年寄島津相馬久謨…
追録7-No.1307 川上久芳申渡書(称名寺・隆盛院へ)
正文在文庫。大御隠居の思召により、右の二寺を師久公・勝久公の葬地に仰せ付けたので、諸書付等にはそのとおり記載するよう命じる。本文に独立署日なし。前置注に文化10年酉10月4日、右近殿から得能正助へ渡し、白木御文書7番箱へ納置、朱69番とある。川上久芳の名義は目録による。二寺への葬地指定・記録指示と、…
追録7-No.1308 川上久芳申渡書(石塔・塔銘の再興指示)
正文在文庫。大御隠居の思召により師久公・勝久公の石塔御銘を今回再興する旨が命じられたため、寺社奉行・御記録奉行へ申渡し、承向へ伝達するよう二寺に通知する。御石塔の格好は御記録奉行と申談じ、吟味して早く申し出るよう付す。文化10年朱注10月、右近署・川上久芳人物注。末注に一通を同年酉10月5日桂太郎兵…
追録7-No.1309 伊集院兼当申渡書(千眼寺宛の将来内定)
神社佛閣調中。大御隠居は黄檗門に帰依する思召が以前からあり、万年後は江戸白金瑞聖寺へ入れ、その時期には遺髪塔を千眼寺に建てるという内定があるため、前もって承知するよう通知する。格・禄等はその節に追って沙汰すると付す。文化10年朱注10月、伊集院隼衛署・兼当注、千眼寺宛。本人在世中の没後計画と寺院への…
追録7-No.1310 順姫系譜抄(紫雲院・順貞、本多康融夫人)
御系図・斉興公御子の男女四人から女子を掲げ、順姫、紫雲院、順貞、本多隠岐守康融夫人と記す。康融には近江国膳所領主の注。文化10年癸酉10月12日生、母は斉彬と同じで、実母関根助右衛門常忠女の注がある。明治24年3月4日卒、法名は紫雲院殿観蓮社瑞馨顕室順貞大姉とし、末尾の順と次列貞大姉を連結して採録す…
追録7-No.1311 重豪が帰国中に高齢者へ帛・酒肴・銀青銅を施す記事
重豪公御譜中。病の療養のため大家へ帰国を願い帰府期日もまだ近くないため、老人を優待しようと有司に選ばせた。大身分から農民まで、屋久島農民にも及ぶ注、古稀以上男女1700人余。人数脇の爵位各・頒闕云という注は読字語義留保。同月9日、一門一族諸有司を梅之間へ召し帛・吸羹酒肴を分け与え、諸士与力には敷舞台…
追録7-No.1312 伊集院兼当届書(寺社奉行への申渡済報告)
全上・写正文在家老座。野田感應寺の位牌殿取建・御五代様位牌安置、霊膳道具ほか作足・取繕、米之津天神社の石灯篭建立・神垣仕調、飯野満足寺同所狗留孫山造立、その他寺方神社の取繕をするよう命じられたので、寺社奉行へ申渡して置いたと報告する。文化10年朱注10月17日、伊集院隼衛署、将監宛・島津久泰注。兼当…
追録7-No.1313 重豪参府記事(伊集院兼当随行)
重豪公御譜中。同年10月21日昧爽に国を発ち江戸へ向かい、当番頭兼側用人側役伊集院隼衛兼当ら諸司が随行。九州の駅を経て同晦日豊州大里で乗船、11月6日播州室に至り数駅を経て10日大坂、仮邸に2日留まる。13日遡流して翌日伏見。會有微志の語(微恙候補、読字留保)により京都へ行けず、伊勢路・東海道を経て…
追録7-No.1314 島津斉興伺書(御簾中への献上物)
重豪公御譜中・扣正文在右筆所。同氏榮翁の参府御礼を申し上げる節に、御簾中へ献上物をしたいが先例がないため指図を求める。朱御付紙は白銀5枚を差し上げるよう命じる。文化10年朱注、10月廿九日、松平豊後守署。御簾中の原呼称を保持し、献上希望・先例不明の伺いと白銀5枚の指図を分け、実際の献上済とは記さない…
追録7-No.1315 島津斉興届書(榮翁の当月中発足予定)
全上・扣正文在家老座。同氏榮翁が国元で入湯し痛所が快方になったので、参府のため当月中に発足する旨を申し越したことを届ける。文化10年朱注、10月廿九日、下段に松平豊後守署。上段本文から下段の日付署名まで連結し、申越しによる予定届を実出発の完了報告へ変えない。1313の10月21日実出発・11月28日…
追録7-No.1316 松平信明書状(山王社参詣承知・上聞)
重豪公御譜中・正文在文庫。書札を披見し、公方の機嫌がよいこと、9月3日の山王社参詣を承知して喜ぶ趣旨をもっともと返す。紙面の趣を各申し談じ上聞したとする。文化10年朱注、11月4日、松平伊豆守信明判、松平榮翁宛。公方の参詣と榮翁の喜意・その上聞を分け、9月3日を返書日、また榮翁本人の参詣日へ変えない…
追録7-No.1317 青山忠裕書状(東叡山御霊前参詣)
全上。書札を披見し、公方の機嫌がよいこと、9月8日に東叡山御霊前へ参詣したことへの喜意を承知し、紙面の趣を各申し談じ上聞したと返す。文化10年朱注、11月6日、青山下野守忠裕判、松平榮翁宛。参詣先と9月8日・返書11月6日・差出人を採録し、1316の山王社9月3日の別参詣と混同しない。
追録7-No.1318 重豪が竹千代七夜祝儀を賀す記事
重豪公御譜中。同年10月晦日竹千代が生まれ、11月6日に諸侯が朝賀、重豪も使者により大樹家斉・儲君家慶・御臺・御簾中へ各一種千疋を献じ七夜の慶を賀す。11日、家斉は奏者松平伯耆宗発、家慶は奏者高木主水正正剛、御簾中は用人長崎源之助(実名注は広敲候補、読字留保)を芝邸へ遣わし、各一種千疋を賜る。さらに…
追録7-No.1319 島津重豪書状(老中・西丸五名への使札)
重豪公御譜中・扣正文在右筆所。公方・大納言・竹千代の機嫌がよいことを喜び、去6日の竹千代七夜御祝儀が首尾よく相済んだ旨を承知し、目出度いので喜意を申し上げるため差し上げる使者があると伝える。文化10年朱注、11月15日、五宛各人々、独立差出署名なしで重豪名義は目録。上段本文から下段の結び・日付・五宛…
追録7-No.1320 松平信明外三名幕府老中連署状(縮緬五巻・樽肴)
全上・正文在文庫。書札を披見し、公方・大納言の機嫌に喜ぶ旨をもっともとする。御暇を与えられ御羽織を頂戴し、大納言からも拝領物があった重恩への謝意を承知する。国元到着の礼に嶋津内膳(久長注)を介して縮緬5巻・御樽肴を献じた件を披露したところ、御前へ召し出され、入念の段に御喜色があったと返す。文化10年…
追録7-No.1321 松平乘保書状(国元到着礼の御樽肴)
全上。書札を披見し、公方・大納言の機嫌への喜意をもっともとする。御暇・御羽織・大納言からの拝領物に対する謝意を承知し、国元到着の礼に嶋津内膳を介して御樽肴を献じた件を披露したところ、御前へ召し出され入念の段に喜色があったと返す。文化10年朱注、11月16日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。1320は縮…
追録7-No.1322 斉敏・順姫系譜抄(近秘野抄)
近秘野抄・斉興公御子。斉敏は初名久寧(ヤス)、小字治五郎、文之助と称し又伊予守に改む。出生正文は文化10年癸酉11月16日芝邸、実注は文化8年辛未4月8日、母同上とあり両日を並記する。次段に称治五郎の付記。文政9年丙戌4月文之助へ改名、10月2日松平上総介斉政(池田注)が自女を妻とする嗣子の養子願を…
追録7-No.1323 島津重豪書状(私・豊後守・修理太夫の贈品礼)
重豪公御譜中・扣正文在右筆所。公方・大納言・竹千代の機嫌を喜び、竹千代七夜祝儀について去11日、公方・大納言から上使により私と同氏豊後守・修理太夫に拝領物が命じられ、さらに御臺・御簾中からも上使をもって同じ三人へ拝領物があった重恩に謝意を述べる。御礼の飛札を送り御前への然るべき取成を依頼する。文化1…
追録7-No.1324 松平信明書状(増上寺御霊屋参詣)
重豪公御譜中・正文在文庫。書札を披見し、公方の機嫌がよいこと、去月14日に増上寺御霊屋へ参詣したことへの喜意を承知して、紙面の趣を各申し談じ上聞したと返す。文化10年朱注、11月廿一日、松平伊豆守信明判、松平榮翁宛。本文の去月14日と返書日を分け、参詣先は1316山王社・1317東叡山御霊前と別に採…
追録7-No.1325 島津重豪書状(国元帰着礼・巻物拝領謝)
全上・扣正文在文庫。公方・大納言・竹千代の機嫌を喜び、自分が御暇を賜り鹿児島に到着したため差し上げた嶋津内膳が御前へ召し出されたことを述べる。続いて自分の御礼と、御暇を賜った節に巻物を拝領したありがたさを申し、御礼のため書札を送るという。文化10年朱注、11月廿一日、松平榮翁署、五宛。巻物は原語で種…
追録7-No.1326 松平信明書状(安産誕生の喜意・使者書札)
重豪公御譜中・正文在文庫。書札を披見し、公方・大納言の機嫌への喜意をもっともとする。今回御簾中が安産し若君が誕生したことを承知して目出度いとする趣旨を了承し、そのため差し越された使者の紙面の趣を各申し談じ上聞したと返す。文化10年朱注、11月廿五日、松平伊豆守信明判、松平榮翁宛。御簾中・若君の原呼称…
追録7-No.1327 松平乘保書状(御安産・御誕生承知)
全上。書札を披見し、公方・大納言の機嫌への喜意をもっともとする。御簾中安産・若君誕生を承知して目出度いとする趣旨を了承し、そのため差し越された使者の紙面の趣を言上したと返す。文化10年朱注、11月廿五日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。1326は各申談及上聞、本件は及言上の文型を保持し、同日同主題でも…
追録7-No.1328 島津重豪書状(七夜祝儀去廿一日の喜意)
全上・扣正文在右筆所。公方・大納言・竹千代の機嫌を喜び、去廿一日に御簾中・竹千代の七夜御祝儀が首尾よく相済んだ旨を承知し、誠に目出度いので喜意を申し上げるため飛札を送り、御序に御前へ然るべく取成を願う。文化10年朱注、11月廿五日、五宛、独立差出署名なしで重豪名義は目録。本文の去廿一日を保持する。1…
追録7-No.1329 島津氏留守居某届書(京都不立寄報告)
全上・扣正文在文庫。榮翁は豊後守の国元湯治御暇を願いどおり許され、往来に京都へ立ち寄って2・3日逗留したいという願いも、御付札で勝手次第と指図されていたと述べる。しかし不快のため立ち寄らなかった旨を旅中から申し越したので、豊後守が届けるよう申し聞かせたことを報告する。文化10年朱注、11月廿六日、御…
追録7-No.1330 島津重豪書状(歌橋ほか五宛の機嫌伺い)
全上・扣正文在文庫。上様がますます安全であることを喜び、自分は昨日参府したので御機嫌を伺いたいと述べ、御序に御前へ然るべく取成するよう頼む。文化10年朱注のみで独立月日・差出署名なし。上段の歌橋宛から下段の飛鳥井・うら尾・瀬川・八十瀬及び申し給へへ連結した五宛を採録する。目録も本件の月日を記していな…
追録7-No.1331 川上久芳書状(加世田日新寺大中公位牌形の採用伺)
重豪公御譜中・写正文在家老座。野田感應寺へ御五代様の位牌を安置するよう大御隠居が仰せ付けたため、厨子・位牌を加世田日新寺安置の大中様(島津貴久注)の位牌の形により、別紙絵図面のとおりにしてよいか、寺社奉行が吟味して申し出たと伝える。そのとおり命じてよいか御意を伺い、趣を知らせるよう求める。文化10年…
追録7-No.1332 鎌田政輿返書(共用本書の朱答)
1331本書の行間朱注に載る返書。本文の趣を御両殿様へ達して聞いたところ、可為伺之通旨被仰出候と読む候補の返答を記す(伺が何に見える細字を留保)。下印鎌田典膳が返書差出人、上印川上右近が返書宛となる。朱2月10日の返答日には独立年がなく、文化10年11月廿九日という上印本書日付と別に記す。目録も二月…
追録7-No.1333 感應寺位牌書立(御牌写)
扣正文在家老座・感應寺御牌写。次頁に五項を列記する。得佛大禅定門の裏は嘉禄3年丁亥6月18日、道佛大禅定門は文永9年壬申4月10日、道忍大禅定門は弘安7年甲申閏4月21日、道義大禅定門は正中2年乙丑11月12日、道鑑大禅定門は貞治2年癸卯7月3日とある。表面の法号と裏書年・干支・閏月・日を各項対応さ…
追録7-No.1334 後桜町上皇崩御に重豪が香奠を献ずる記事
重豪公御譜中。同年閏11月3日に仙洞が崩御し、謚を後櫻町院というと記す。12月26日、重豪も馬廻四本甚七兼方を仮に物頭として遣わし、泉涌寺の霊床前へ香奠銀3枚を献じた。これは大家が諸侯に来献を命じていたためとする。年は目録文化10年。崩御日・閏月と献奠日、使者の馬廻という本役・仮物頭の役割、銀3枚・…
追録7-No.1335 種子島次右衛門首尾書(榮翁の病状問答)
全上・扣正文在文庫。閏11月4日、御用番の切紙で留守居1人が勝手へ召され、今回出府の病はなお同偏か快方か、今朝の御登城前までに口達・書面で病状を報告せよと用人を通じ命じられる。なお同偏とする書付を差し出すと病名を尋ねられ、疝積と答え、備前守へ伝えるよう命じられた。用人が引き入り再び出て書面御落手の旨…
追録7-No.1336 参府登城例書(天明七・寛政五の上使例)
全上・扣正文在文庫、例書。松平上総介が隠居後薩州湯治御暇を賜った天明7年未、10月27日に参府到着し当日使者で届出、翌朝登城前の見廻・機嫌伺いを行う。不快のため28日朝御用番牧野備前守が使者で機嫌を伺い、29日阿部伊勢守が上使として来た例。次に寛政5年丑10月3日の国元から出府・翌朝の登城前見廻機嫌…
追録7-No.1337 島津重豪書状(崩御に伴う機嫌伺い)
重豪公御譜中・扣正文在文庫。仙洞御所が去3日に崩御したことを承知し言語に堪えぬと述べ、そのため御機嫌を伺いたいと頼む。大納言・御臺・御簾中の機嫌も伺いたいので御序に取成を求める。文化10年朱年注、独立月日・署名なし、閏11月は目録。五宛・申し給へを採録し、せかわの仮名を原表記で保持する。崩御日3日を…
追録7-No.1338 重豪が参府を礼謝し献物する記事
重豪公御譜中。閏11月13日、大家が老中土井大炊頭利厚を芝邸へ遣わし参府を労問した。宿痾がなお癒えない重豪は松平飛弾守仲雅に代わって恩旨を拝させ、老中各邸へ礼謝し、自身は病のため登城できないとする。15日に島津内膳久長を城へ遣わし、大家へ太刀1腰・縮緬10巻・白銀30枚、儲君へ太刀1腰・白銀30枚、…
追録7-No.1339 松平仲雅書状(名代での恩旨・御礼)
扣正文在文庫。榮翁が参府したので上使の慰労という上意を受けありがたく述べる。榮翁に不快があるため自分を名代として申し上げ、豊後守にも不快があるので御礼を自分が申し上げるという。文化10年朱注、閏11月13日、松平飛弾守署、仲雅の名は目録。本書の両名の不快と名代御礼を採録し、独立宛名や症状診断は補わず…
追録7-No.1340 松平信明外三名幕府老中連署状(明十五日五時登城)
重豪公御譜中・正文在文庫。明15日五時に登城し参府の御礼を申し上げるよう指示する。上段の明十五日五時登を下段の城・御礼指示へ連結する。文化10年朱注、閏11月14日、青山下野守・土井大炊頭・牧野備前守・松平伊豆守の四署、松平榮翁宛。信明外三名という名義は目録により、本文四署に実名判はないので実名を無…
追録7-No.1341 島津重豪届書(明十五日の登城辞退)
全上・扣正文在右筆所。明15日に登城して参府御礼を申し上げるよう命じられたが、自分には疝積があるため登城できず断りを申し上げる。文化10年朱注、閏11月14日、松平榮翁署。指示された日と断り届の日、原病名疝積を採録し、現代診断名へ変えず、病状の軽重や快方日も補わない。1340の日時指示を受けた本人の…
追録7-No.1342 島津重豪伺書(御礼献上物を使者で)
全上。明日の登城を断ったため、参府御礼の献上物を使者で差し上げたいと伺う。文化10年朱注、閏11月14日、松平榮翁署。本人の断りと献上方法の伺いを分け、本書にない使者名・礼品内訳・許可返答を補わない。1338の15日久長献上記事を参照しても、伺書の段階を献上済としない。
追録7-No.1343 鎌田政輿書状(出生届の兼帯・後年誤り防止)
白木御文書7番箱70番。先月16日夜御前様安産・女子出生という表向報告に対し、内実は同月4日生と述べる。産穢の届が必要だが竹千代七夜祝儀6日の献上等に差支えがあるため出生を極内々とし、一件が済んでから届けるよう留守居が吟味し伺って命じられたという。去る未8月4日生の治五郎(斉敏注)はこれまで届をせず…