← 史料目録へ

ARCHIVE DIRECTORY

追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 701~800件・8 / 30ページ

  1. 追録7-No.552 川上久致外四名家老連署書状(太守婚姻祝儀)(目録552)

    前年、太守様の婚姻が首尾よく整った祝儀として、小波津親方を介して中将様へ太刀1腰・馬代白銀50両および目録通りの品々を差し上げた件は、江府到着後に披露され御満足だったと伝え、伝達を求める。山田伯耆・高橋縫殿に続き次頁の伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の五名連署・各実名判、義村王子・三司官宛。出典は全上。…

  2. 追録7-No.553 川上久致外四名家老連署書状(御暇・参府時期許可)(目録553)

    太守様の例年の御暇時期は、暑中に持病の障りがあるため、3月中の御暇と参府について願い通りに仰せ出されたと述べる。この祝儀として小波津親方を介し中将様へ申し上げた書面の趣旨を、江府到着後に披露したと伝え、伝達を求める。山田伯耆・高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の五名連署、義村王子・三司官宛。下段…

  3. 追録7-No.554 川上久致外四名家老連署書状(省之進養子・引越祝儀)(目録554)

    省之進殿が嶋津又八郎殿の養子と命じられ引越した祝儀として、小波津親方を介し中将様へ太刀1腰・馬代白銀10両および目録通りの品々を差し上げた件は、江府到着後に披露され御満悦だったと伝え、その旨の伝達を求める。省之進に島津久徳、又八郎に久照・加治木家の注。山田伯耆・高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬…

  4. 追録7-No.555 松平信明献上返書(魚偏品名一箱)(目録555)

    今朝献上された魚偏品名1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す。品名は鯣候補として字形を留保する。信明署判、口裏に松平伊豆守信明・上総介宛、寛政11年12月18日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。次556も同日信明返書だが大納言様への献上を明記する別書状。

  5. 追録7-No.556 松平信明大納言様献上返書(魚偏品名一箱)(目録556)

    今朝、大納言様へ献上された魚偏品名1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す。品名は鯣候補として留保する。信明署判、口裏に松平伊豆守信明・上総介宛、寛政11年12月18日の朱注がある。出典は全上。献上先の大納言様と書状宛先の上総介殿を分け、前555と同日同署でも別文書として整理する。

  6. 追録7-No.557 徳川家斉歳暮御内書(目録557)

    歳暮の祝儀として小袖1重が到来したことを歓覧し、詳しくは松平伊豆守が述べるとする家斉の御内書。家斉公墨印、上総介宛、寛政11年12月27日の朱注がある。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。伊豆守は委曲を伝える担当者で、発給者は家斉。

  7. 追録7-No.558 水野忠友歳暮祝儀返書(目録558)

    歳暮の祝儀として使者により献上された小袖1重を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、水野出羽守・上総介宛、寛政11年12月27日の朱注がある。出典は全上。前557の家斉御内書と、次559の12月28日付破魔弓返書を分ける。

  8. 追録7-No.559 水野忠友破魔弓献上返書(目録559)

    大納言様へ使者により献上された破魔弓1飾を首尾よく披露したと忠友が返す。前頁下段に本文・日付・忠友署判、次頁上段に水野出羽守忠友・上総介宛の口裏が続く。寛政11年12月28日の朱注。出典は全上。前558の小袖献上返書と贈答対象・品物・日付を分ける。

  9. 追録7-No.560 戸田氏教若菜祝儀返書(目録560)

    若菜の祝儀として献上された鯛1折を披露したところ、一段の御仕合だったと氏教が返す。氏教署判、口裏に戸田采女正氏教・上総介宛、寛政12年正月7日の朱注がある。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。No.561の忠友同日返書とは署判・発給者が異なる。

  10. 追録7-No.561 水野忠友若菜祝儀返書(目録561)

    若菜の祝儀として献上された鯛1折を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛、寛政12年正月7日の朱注。出典は全上。前560の氏教同日返書と、次562の正月11日年頭祝儀返書を分ける。

  11. 追録7-No.562 戸田氏教年頭祝儀返書(目録562)

    年頭の祝儀として使者により献上された太刀1腰・馬代黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと氏教が返す。氏教署判、口裏に戸田采女正氏教・上総介宛、寛政12年正月11日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。次563の忠友同日返書とは発給者を分ける。

  12. 追録7-No.563 水野忠友年頭祝儀返書(目録563)

    年頭の祝儀として使者により献上された太刀1腰・馬代黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛、寛政12年正月11日の朱注を記す。出典は全上。前562の氏教同日返書と分け、次564の鶴拝領記事の標題を転用しない。

  13. 追録7-No.564 重豪御鷹の鶴拝領(目録564)

    大家が内藤重三郎を芝邸へ遣わし、御鷹の鶴1隻を賜った。島津淡路守忠持が代わって恩旨を奉じ、各老邸へ赴き謝恩したと記す。本文は前頁下段から次頁上段へ続く。出典は重豪公御譜中、目録も重豪の拝領記事。本文の1隻を保持し、使者実名や代受理由は補わない。

  14. 追録7-No.565 松平信明書状(歳暮御内書受取通知)(目録565)

    歳暮の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう松平伊豆守が求める。寛政12年2月22日の朱注、伊豆守署名、上総介宛。目録565は松平信明書状。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。通知日と翌日の受取指定を分け、次566の遠忌献銀記事と混同しない。

  15. 追録7-No.566 重豪が家光の遠忌に献銀(目録566)

    同年4月、大家が東叡山で大猷廟の百五十年忌法事を修した。21日、重豪が使者を遣わして香奠銀2枚を献じ拝礼させたと記す。出典は重豪公御譜中。目録は重豪が家光の遠忌に献銀する記事とする。法事の月と重豪側の献銀日、使者を介する行為と銀の数量を分ける。

  16. 追録7-No.567 清冊封使趙文楷・李鼎元が来琉(目録567)

    寛政12庚申年夏、清国嘉慶帝の冊使である翰林院修撰趙文楷と、副使内閣李鼎元が琉球国へ来た。吉日を選び勅書を授けたことを述べ、冬に帰還したと記す。出典は斉宣公御譜中。使者二人の官職・正副を区別し、来琉・授勅・帰還の順を残す。本文には夏冬の具体日付や受領者の実名を明記しないため補わない。

  17. 追録7-No.568 琉球王尚温起請文前書(目録568)

    白木御文書七番箱7、敬白天罰霊社起請文。中山王尚温が三箇条を誓う。先国王の跡職を命じられ筋目を変えず国を相続できた厚恩を生涯忘れないこと、琉球の安泰は貴国の恵みによるので親子兄弟でも逆意を企てれば自分は下知を守り別心を持たないこと、誓文を子孫へ譲り末代まで守らせ、嫡子孫でも国法に背く悪意があれば披露…

  18. 追録7-No.569 徳川家斉端午御内書(目録569)

    端午の祝儀として帷子単物が到来したことを歓覧し、詳しくは太田備中守が述べるとする家斉の御内書。本文は前頁下段から次頁上段へ続き、家斉公墨印、上総介宛、寛政12年5月2日の朱注を記す。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。数量は明記されず、太田は委曲を伝える担当者で発給者は家斉。

  19. 追録7-No.570 水野忠友端午祝儀返書(目録570)

    端午の祝儀として使者により献上された帷子単物を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、水野出羽守・上総介宛、寛政12年5月2日の朱注を記す。品物数量は明記されない。出典は全上。前569の御内書と次571の嵩原誓詞は発給者・形式・年次を区別する。

  20. 追録7-No.571 嵩原安執起請文前書(目録571)

    白木御文書七番箱6、敬白天罰霊社起請文前書。嵩原親方安執が六箇条を誓う。若輩ながら前年三司官役を命じられた謝意と国許奉公、御三殿様への疎意を持たないこと、国許から命じられた諸事条書を守り悪意・邪事があれば披露すること、国王に別心なく忠勤すること、国中の掟・諸事を貪欲や親疎に左右されず沙汰することを掲…

  21. 追録7-No.572 与那原良頭起請文前書略文(目録572)

    白木御文書七番箱6。前文前書は嵩原親方と同文として略すと記し、神文も略す。寛政11年己未5月8日、与那原親方良頭署判を採録する。参照先571は三司官任命謝意・国許奉公、御三殿への忠義、条書遵守、悪邪披露、国王忠勤、貪欲と親疎に偏らない沙汰の六箇条だが、本件紙面に六条全文が印刷されているわけではない。…

  22. 追録7-No.573 喜屋武朝規起請文前書(目録573)

    白木御文書七番箱8、天罰霊社起請文前書。喜屋武親方朝規が六箇条を誓う。若輩ながら前年三司官役を命じられた謝意と国許奉公、御三殿様へ疎意を持たないこと、国許の諸事条書を守ること、悪意邪事があれば披露すること、国王に別心なく忠勤すること、国中の掟・諸事を貪欲・親疎に偏らず沙汰すること。神文略、享和2年壬…

  23. 追録7-No.574 戸田氏教鰹節献上返書(目録574)

    今朝献上された鰹節1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと氏教が返す。氏教署判、口裏に戸田采女正氏教・上総介宛、寛政12年6月4日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。前573の享和2年誓詞と年次を分ける。

  24. 追録7-No.575 松平信明大納言様鰹節献上返書(目録575)

    今朝、大納言様へ献上された鰹節1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す。信明署判、口裏に松平伊豆守信明・上総介宛、寛政12年6月4日の朱注。出典は全上。献上対象の大納言様と書状宛先の上総介殿、前574の氏教返書を分ける。

  25. 追録7-No.576 重豪が吉宗五十年忌に献銀(目録576)

    同年6月、大家が東叡山で有徳廟の五十年忌法事を修した。21日に重豪が使者を遣わし、香奠銀2枚を献じ拝礼させた。有徳廟には徳川吉宗の人物注。出典は重豪公御譜中。法事の月と献銀日、使者を介した拝礼と数量を分ける。

  26. 追録7-No.577 太田資愛書状(端午御内書受取通知)(目録577)

    端午の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう求める通知。寛政12年6月24日の朱注、太田備中守署名。目録は太田資愛書状。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。本件に独立宛名は印刷されていないため、他の受取通知から上総介宛を補わない。

  27. 追録7-No.578 安藤信成生見玉祝儀返書(目録578)

    生見玉の祝儀として献上された黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと信成が返す。信成署判、口裏に安藤対馬守信成・上総介宛、寛政12年7月6日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。祝儀名の制度的意味は既存留保を引き継ぎ原語を保持し、次579の忠友同日返書と分ける。

  28. 追録7-No.579 水野忠友生見玉祝儀返書(目録579)

    生見玉の祝儀として献上された黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛、寛政12年7月6日の朱注。出典は全上。祝儀名の原語と金額を保持し、前578とは発給者を分け、次580の職之助系譜とは別文書とする。

  29. 追録7-No.580 職之助斉宣系譜抄(目録580)

    御系図中の職之助の記事。図には斉興・女子二人・男二人女一人・職之助を並列表示する。寛政12庚申年7月17日生、母は林安右衛門昌世の妹、享和元辛酉年4月12日夭亡、法名は寶池院殿蓮岸清心大禅童子と記す。出生・母・翌年の夭亡・法名を分け、図の斉興を職之助の父と読み替えない。

  30. 追録7-No.581 職之助系譜抄(目録581)

    近秘野帥の斉宣公御子、職之助の系譜。寛政12庚申年7月17日に府城で生まれ、母は林権太夫(或安右衛門)昌世の妹、名は伊尾と記す。享和元年4月12日に夭亡、僅か2歳、法号寶池院殿蓮岸清心大禅童子、安牌は恵燈院との注を付す。前580の御系図とは出典を分け、本文にある父・出生地・母名・年齢・安牌所在を追加…

  31. 追録7-No.582 重豪御鷹の雲雀拝領(目録582)

    大家が斉藤次左衛門(利道の注)を芝邸へ遣わし、御鷹の雲雀を賜った。斉宣が記事の語り手に代わって恩旨を奉じ、老中邸へ赴いて謝恩したと記す。出典は重豪公御譜中、目録も重豪の拝領記事。鳥数や代受理由は明記されないため補わない。

  32. 追録7-No.583 徳川家斉重陽御内書(目録583)

    重陽の祝儀として小袖1重が到来したことを歓覧し、詳しくは安藤対馬守が述べるとする家斉の御内書。家斉公墨印、上総介宛、寛政12年9月7日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。安藤は委曲担当で発給者は家斉。

  33. 追録7-No.584 水野忠友重陽祝儀返書(目録584)

    重陽の祝儀として使者により献上された小袖1重を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、水野出羽守・上総介宛、寛政12年9月7日の朱注。出典は全上。前583の家斉御内書と次585の忌日変更書付を分ける。

  34. 追録7-No.585 伊勢貞矩申渡書(芙容院忌日変更)(目録585)

    白木御文書六番箱79号、播磨殿から渡された書付の写。芙容院の忌日は29日だが、内輪では26日に立て、代参等もその通りにしてきたため、今後は内外とも26日に改めると命じる。芙容院には牧姫・重豪女の注があり、福昌寺・恵燈院へ知らせ、寺社奉行から御記録奉行その他関係先へ申渡すよう求める。10月播磨署。包紙…

  35. 追録7-No.586 川上久致外三名家老連署書状(年首祝儀)(目録586)

    中将様へ年首祝儀として目録通り差し上げた品々を、江府到着後に披露し御満足だった旨を伝え、伝達を求める。品々の内訳や実名不記の差上人を補わない。高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の四名連署・各実名判、義村王子・三司官宛。出典は重豪公御譜中、写正文在琉球国司。

  36. 追録7-No.587 川上久致外三名家老連署書状(御鷹鶴拝領祝儀)(目録587)

    当春、宿次の奉書によって太守様が御鷹の鶴を拝領した祝儀として、宜寿次親方を介し中将様へ太刀1腰・馬代白銀50両および目録通りの品々を差し上げた件は、江府到着後に披露され御満悦だったと伝え、伝達を求める。鶴の拝領と祝儀献上の方向を分ける。高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の四名連署・各実名判、義村…

  37. 追録7-No.588 川上久致外三名家老連署書状(若殿疱瘡快復祝儀)(目録588)

    若殿様が軽く疱瘡を患い、酒湯まで済んだ祝儀として、宜寿次親方を介し中将様へ目録通り差し上げた品々を、江府到着後に披露して御満悦だった旨を伝え、伝達を求める。病状・酒湯という儀礼の原記を残し、若殿の実名や治療の内容・日付を補わない。高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の四名連署・各実名判、義村王子・…

  38. 追録7-No.589 川上久致外三名家老連署書状(因幡今和泉家相続祝儀)(目録589)

    嶋津因幡殿が今和泉家の相続を命じられ、そちらへ引越した祝儀として、宜寿次親方を介し中将様へ太刀1腰・馬代白銀10両および目録通りの品々を差し上げた件は、江府到着後に披露され御満悦だったと伝え、伝達を求める。因幡に忠厚の注。宛名は次頁上段に続く。高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の四名連署・各実名…

  39. 追録7-No.590 川上久致外三名家老連署書状(寛二郎三男届祝儀)(目録590)

    寛二郎様の三男としての届出が済んだ祝儀として、宜寿次親方を介し中将様へ太刀1腰・馬代白銀50両および目録通りの品々を差し上げた件は、江府到着後に披露され御満悦だったと伝え、伝達を求める。公的な三男の届出と、次591の出生・命名祝儀を別用件として整理する。高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の四名連…

  40. 追録7-No.591 川上久致外三名家老連署書状(寛二郎出生・命名祝儀)(目録591)

    前年男子が誕生し寛二郎様と命名されたため、中将様へ申し上げた祝儀の書面の趣旨は、江府到着後に披露したと伝え、伝達を求める。本文は上段から下段へ続く。品物の目録・取次親方を明記しないため他件から補わず、出生・命名と三男届出を分ける。高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の四名連署・各実名判、義村王子・…

  41. 追録7-No.592 川上久致外三名家老連署書状(英姫出生・命名祝儀)(目録592)

    前年女子が誕生し英姫様と命名されたため、中将様へ申し上げた祝儀の書面の趣旨は、江府到着後に披露したと伝え、伝達を求める。英姫には斉宣女の人物注。本文は前頁下段から次頁上段の署宛へ続き、品目や取次親方を補わない。高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の四名連署・各実名判、義村王子・三司官宛。出典は全上…

  42. 追録7-No.593 川上久致外三名家老連署書状(格姫君様弔慰)(目録593)

    格姫君様の逝去に際し、中将様の機嫌を伺うため宜寿次親方を介して申し上げた書面の趣旨を、江府到着後に披露したと伝え、その旨の伝達を求める。亡人には家斉女の人物注。高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の四名連署・各実名判、義村王子・三司官宛。出典は全上。亡人と機嫌伺いの対象、連署者と宛先を分け、返書の…

  43. 追録7-No.594 川上久致外三名家老連署書状(敦之助様弔慰)(目録594)

    敦之助様の逝去に際し、中将様の機嫌を伺うため宜寿次親方を介して申し上げた書面の趣旨を、江府到着後に披露したと伝え、その旨の伝達を求める。亡人には家斉男の人物注。高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の四名連署・各実名判、義村王子・三司官宛。出典は全上。亡人と機嫌伺いの対象、連署者と宛先を分け、返書の…

  44. 追録7-No.595 川上久致外三名家老連署書状(蓬之進様弔慰)(目録595)

    蓬之進様の逝去に際し、中将様の機嫌を伺うため宜寿次親方を介して申し上げた書面の趣旨を、江府到着後に披露したと伝え、その旨の伝達を求める。亡人には重豪男の人物注。高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の四名連署・各実名判、義村王子・三司官宛。出典は全上。亡人と機嫌伺いの対象、連署者と宛先を分け、返書の…

  45. 追録7-No.596 安藤信成書状(重陽御内書受取通知)(目録596)

    重陽の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう求める通知。安藤対馬守に信成、上総介に島津重豪の人物注があり、寛政12年10月20日の朱注を記す。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。翌日の指定時刻と通知日を分ける。

  46. 追録7-No.597 重豪総髪・栄翁改名許可(目録597)

    同年11月14日、斉宣が重豪のため願状を上げ、総髪と栄翁への改称を請い、許可されたと記す。出典は重豪公御譜中。斉宣は代願の主体、重豪は総髪・改名の対象であり、次598の正文願書・付札許可とは別記事として整理する。

  47. 追録7-No.598 島津斉宣願書(重豪総髪・栄翁改名)(目録598)

    同氏上総介が病気の養生のため総髪し、栄翁と改名したいと松平豊後守が願う。豊後守には島津斉宣の人物注、寛政12年11月14日の朱注がある。付札は願いの通りと許可する。注は同日朝に留守居を介して御用番安藤対馬守へ提出し、即日、用人から付札通りの命令を受けたと説明する。出典は全上、正文在文庫。願いの正文、…

  48. 追録7-No.599 戸田氏教献上返書(魚偏品名一箱)(目録599)

    今朝献上された魚偏品名1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと氏教が返す。品名は鯣候補として留保する。署判、口裏に戸田氏教・松平栄翁宛、寛政12年12月9日の朱注を記す。栄翁には島津重豪の注がある。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。改名前の上総介宛へ置換せず、二通の発給者を分ける。

  49. 追録7-No.600 水野忠友献上返書(魚偏品名一箱)(目録600)

    今朝献上された魚偏品名1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。品名は鯣候補として留保する。署判、口裏に水野忠友・松平栄翁宛、寛政12年12月9日の朱注を記す。本文は前頁下段から次頁上段へ続く。出典は全上。改名前の上総介宛へ置換せず、二通の発給者を分ける。

  50. 追録7-No.601 島津重豪明細書(目録601)

    本国薩摩、故薩摩守重年嫡子、従四位上中将松平栄翁重豪、生国薩摩・申56、天明7年正月29日隠居、寛政12年11月14日改名という明細を掲げる。出典は重豪公御譜中、控正文在右筆所。料紙は中奉書、長1尺5分・横3寸5分、御名の行を真中にし、包紙は小奉書折掛、明細書2枚を調えると記す。改名に伴う提出との注…

  51. 追録7-No.602 重豪御鷹の鶴拝領(目録602)

    同年12月22日、大家が小菅猪右衛門(正容の注)を芝邸へ遣わし、御鷹の鶴を賜った。相良壱岐守長寛が代わって恩旨を奉じ、各老邸へ赴いて拝謝したと記す。鶴下賜に続く短句の字形は未確定として留保する。出典は全御譜中。鶴の数量は明記されないため補わず、使者と代受・謝恩者を分ける。

  52. 追録7-No.603 徳川家斉歳暮御内書(目録603)

    歳暮の祝儀として小袖1重が到来したことを歓覧し、詳しくは戸田采女正が述べるとする家斉の御内書。家斉公墨印、松平栄翁宛、寛政12年12月27日の括弧表示。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。戸田は委曲担当で発給者は家斉。

  53. 追録7-No.604 水野忠友歳暮祝儀返書(目録604)

    歳暮の祝儀として使者により献上された小袖1重を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、水野出羽守・松平栄翁宛、寛政12年12月27日の朱注。出典は全上。前603の御内書と次605の親族続書一冊の表紙を分ける。

  54. 追録7-No.605 弥姫池田治道女親族続書(目録605)

    白木御文書六番箱81号、寛政13年酉正月御下渡、御縁女様御続書という一冊の蓋紙記載。後続の送付書と於弥様の父方・母方親族一覧を案内する表紙であり、表紙の年月を各文書の独立日付へ転用しない。

  55. 追録7-No.606 松平信明若菜祝儀返書(目録606)

    若菜の祝儀として献上された鯛1折を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す。署判、口裏に松平伊豆守信明・松平栄翁宛、寛政13年正月7日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。同日同品の二通の発給者を分け、親族続書と別文書として整理する。

  56. 追録7-No.607 水野忠友若菜祝儀返書(目録607)

    若菜の祝儀として献上された鯛1折を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。署判、口裏に水野出羽守忠友・松平栄翁宛、寛政13年正月7日の朱注。出典は全上。本文は前頁下段から次頁上段へ続く。同日同品の二通の発給者を分け、親族続書と別文書として整理する。

  57. 追録7-No.608 島津斉宣吉書(目録608)

    斉宣署判の吉書で、神社仏閣修造興行、専ら勧農すること、国々の年貢徴納の三箇条を命じる。本文は寛政13年正月11日、白木御文書六番箱82号。上包に吉書、外包に寛政13年酉正月11日・斉宣公御吉書1通とある。包紙注は同年2月28日、大炊殿から八田孝之進へ渡し六番箱へ納置と記す。正文の政策条項、吉書の日付…

  58. 追録7-No.609 松平信明年頭祝儀返書(目録609)

    年頭の祝儀として使者により献上された太刀1腰・馬代黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す。署判、口裏に松平伊豆守信明・松平栄翁宛、寛政13年正月11日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。同日同品でも発給者・署判を分ける。

  59. 追録7-No.610 水野忠友年頭祝儀返書(目録610)

    年頭の祝儀として使者により献上された太刀1腰・馬代黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。署判、口裏に水野出羽守忠友・松平栄翁宛、寛政13年正月11日の朱注。出典は全上。同日同品でも発給者・署判を分ける。

  60. 追録7-No.611 斉興・弥姫許婚(斉興御譜)(目録611)

    先に松平相摸守斉邦の妹弥姫と虎寿丸の婚約を幕府に願い、この正月に許されたと記す。相摸守には池田・因州鳥取城主、虎寿丸には島津斉興の注がある。出典は斉興公御譜中。年内改元の注を伴うが、正月の本文年次は寛政13年のまま保持し、許婚の許可を婚礼実施へ読み替えない。

  61. 追録7-No.612 斉興・弥姫許婚(近秘野帥)(目録612)

    近秘野帥の斉興公の記事で、寛政13辛酉年正月、松平相摸侯斉邦の妹を娶ることが許されたと記し、名は弥姫との注を付す。前611の斉興御譜記事とは別出典で、独立宛名・署判はない。許婚許可の記事として整理し、婚礼済みとはしない。

  62. 追録7-No.613 享和改元(目録613)

    この年春2月13日に享和へ改元し、江府で令を伝え、薩府へ告げた。3月13日以後の簿籍は享和の年号を用いて年を繋ぐと記す。出典は重豪公御譜中、斉宣公御譜中にもあるとの注。改元そのものの日と、薩府側の簿籍使用開始日を分ける。

  63. 追録7-No.614 戸田氏教書状(歳暮御内書受取通知)(目録614)

    歳暮の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう戸田采女正が求める。享和元年2月20日の朱注、采女正署名、松平栄翁宛。目録614は戸田氏教書状。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。改元後の年次と通知日・翌日の指定を区別する。

  64. 追録7-No.615 斉宣帰国(目録615)

    3月13日、大樹家斉が上使を遣わして告と例の通りの品物を賜った。世子家慶も上使を遣わし品物を賜い、15日に斉宣が登城して二公に拝謁・謝礼した。二公の懇命もあり諸事は先例通り。斉宣は27日に江府を発ち、5月16日に鹿城へ到着した。出典は斉宣公御譜中。本文は十三年の表記を用いるため、改元後の享和元年とい…

  65. 追録7-No.616 立姫重豪養女系譜抄(目録616)

    大信公御養女の女子、於並・立姫の系譜。享和元年3月23日生、父忠厚に今和泉家・即嶋津山松の注、母は家臣市田出雲盛常の娘。文化13年12月に重豪の養子となり、水野壱岐守忠昭の養子水野甲斐守忠貫夫人となったと記す。忠昭に安房北条城主の注。文政3年7月12日卒、法号了源院殿静譽慧光貞珠大姉候補と読み、院号…

  66. 追録7-No.617 立姫重豪養女系譜抄(近秘野帥)(目録617)

    近秘野帥の重豪公御子の女子、於並・立姫、水野壱岐守忠貫夫人を記す。享和元年3月23日江戸生、父島津市正忠厚、母市田出雲盛常女。文化13年12月12日に大信公が養女に命じ、22日府城に入る。翌14年3月27日水野伊織へ許嫁、伊織の後の官途と実竹井忠器弟との注がある。15年2月3日府を発ち4月3日江戸着…

  67. 追録7-No.618 斉宣が犬追物故事を幕府へ呈する(目録618)

    前年12月、幕府大目付井上美濃守が、島津家に伝わる犬追物の台覧故事について記録があれば写して呈するよう命を伝えた。寛陽公の世、正保中に武州王子村で行った顛末が諸譜牒・簿籍に載っていたため写し、享和元年5月に留守居附役を介して美濃守宅へ提出した。底本は記録館に残し後日の考証に備えた。出典は斉宣公御譜中…

  68. 追録7-No.619 斉宣が参勤時期を伺う(目録619)

    この年、翌年の参覲時期を幕府へ問い、3月中とするのがよいとの令を受けたと記す。出典は全御譜中。年次は同巻の記事から享和元年を承け、翌年3月中という回答を当年の帰国行程や翌年の実際の出発日へ転用しない。

  69. 追録7-No.620 文書所在書上(目録620)

    三資料の所在・用件を列記する。白木六番箱84号は犬追物の台覧備記、同85号・元年11月は家老の供を止める件の記録奉行への達書、正文在諏方甚六・同年12月9日は諏方甚六の加冠書付とする。所在番号・年月と各資料の内容を分け、列挙された正文が本紙面にあるように扱わない。

  70. 追録7-No.621 島津氏家伝犬追物旧記呈上一件(目録621)

    白木御文書六番箱84号、一冊蓋紙に正保4年松平豊後守斉宣家伝来犬追物備上覧式大概と記す。正保4年は旧行事の時代、斉宣はこの提出一件を扱う当代の人物として分け、斉宣自身が正保4年に行事をしたとはしない。後続の旧記大概と提出関係書状を案内する表紙。

  71. 追録7-No.622 徳川家斉端午御内書(目録622)

    端午の祝儀として帷子単物が到来したことを歓覧し、詳しくは松平伊豆守が述べるとする家斉御内書。家斉公墨印、栄翁宛、享和元年5月2日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。数量は明記されず、伊豆守は委曲担当で発給者は家斉。

  72. 追録7-No.623 水野忠友端午祝儀返書(目録623)

    端午の祝儀として使者により献上された帷子単物を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、水野出羽守・栄翁宛、享和元年5月2日の朱注。出典は全上。前622の御内書と次624の鰹節返書を分け、数量は補わない。

  73. 追録7-No.624 松平信明鰹節献上返書(目録624)

    今朝献上された鰹節1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す。署判、口裏に松平伊豆守信明・栄翁宛、享和元年6月15日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。同日同品でも発給者を分ける。

  74. 追録7-No.625 水野忠友鰹節献上返書(目録625)

    今朝献上された鰹節1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。署判、口裏に水野出羽守忠友・栄翁宛、享和元年6月15日の朱注。出典は全上。本文は前頁下段から次頁上段へ続く。同日同品でも発給者を分ける。

  75. 追録7-No.626 松平信明書状(端午御内書受取通知)(目録626)

    端午の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう松平伊豆守が求める。享和元年6月14日の朱注、伊豆守署名、栄翁宛。目録626は松平信明書状。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。通知日と翌日の指定を区別する。

  76. 追録7-No.627 松平信明生見玉祝儀返書(目録627)

    生見玉の祝儀として献上された黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す。署判、口裏に松平伊豆守信明・栄翁宛、享和元年7月6日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。祝儀名の制度的意味は既存の留保を引き継ぎ原語と金額を保持する。

  77. 追録7-No.628 水野忠友生見玉祝儀返書(目録628)

    生見玉の祝儀として献上された黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。署判、口裏に水野出羽守忠友・栄翁宛、享和元年7月6日の朱注。出典は全上。祝儀名の制度的意味は既存の留保を引き継ぎ原語と金額を保持する。

  78. 追録7-No.629 随姫斉宣系譜抄(目録629)

    御系図中。図に斉興・男女六人・女子を並べ、女子は祀姫・随姫・随眞院、島津飛騨守忠徹夫人と記す。享和元年7月23日生、母は操姫と同じ、実母は忠公と同じとの注。明治9年7月17日卒、法名随眞院殿圓諦妙觀大姉を記す。図の斉興を父と読み替えず、母の参照注と生卒・夫名・院号を分ける。

  79. 追録7-No.630 随姫斉宣系譜抄(近秘野帥)(目録630)

    近秘野帥の斉宣公御子の女子、随姫の記事。初名祀姫、夫は島津飛騨守忠徹で、小字護之助・中改筑後守の注。享和元年7月23日芝邸生、母は丹羽長貴女、実母中根半平正房女とする。享和3年12月随姫へ改名、文化2年7月蓮亭夫人(斉宣継室)の養子となる。4年5月11日伊達兵五郎へ許嫁、遠江守村寿嫡子・伊予宇和島1…

  80. 追録7-No.631 重豪御鷹の雲雀拝領(目録631)

    大家が蜂屋七兵衛を遣わし、御鷹の雲雀を賜った。島津淡路守が代わって恩旨を奉じ、各老邸へ赴いて謝恩したと記す。淡路守に忠持の注。出典は重豪公御譜中。雲雀下賜の後に曾有志候補と読める短句があり、意味・字形を留保する。鳥数や代受理由は補わない。

  81. 追録7-No.632 徳川家斉重陽御内書(目録632)

    重陽の祝儀として小袖1重が到来したことを歓覧し、詳しくは安藤対馬守が述べるとする家斉御内書。前頁上段から下段へ続き、家斉公墨印、栄翁宛、享和元年9月7日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。安藤は委曲担当、発給者は家斉。

  82. 追録7-No.633 水野忠友重陽祝儀返書(目録633)

    重陽の祝儀として使者により献上された小袖1重を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、水野出羽守・栄翁宛、享和元年9月7日の朱注。出典は全上。前632の御内書と次634の受取通知を別文書として扱う。

  83. 追録7-No.634 安藤信成書状(重陽御内書受取通知)(目録634)

    重陽の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう安藤対馬守が求める。享和元年10月20日の朱注、対馬守署名、栄翁宛。目録634は安藤信成書状。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。通知日と翌日の受取指定を分ける。

  84. 追録7-No.635 登勢が江府で卒する(目録635)

    重豪の側室登勢が10月晦日に世子の江府高輪邸で卒し、慈光院と諡した。遺骸を江府芝大圓寺に葬り、帰って髪を本国浄光明寺に葬ったと記す。11月6日、御臺所が使者を遣わし銀50枚・伽羅1木・活花1對を賜ったのは、御臺所生母だったためと説明する。出典は重豪公御譜中。死去場所と二つの埋葬行為、贈物の日付・品目…

  85. 追録7-No.636 萩原龍右衛門届書(目録636)

    豊後守隠居の松平栄翁の妾が病気で療養していたが養生かなわず、今日の寅中刻に死去したことを萩原龍右衛門が届け出る。子共の出生があるため、栄翁は日数3日の遠慮をする旨を申し上げる。十月晦日、松平豊後守内・萩原龍右衛門署名、享和元年の朱注。出典は控、正文在文庫。前635は側室登勢の死去記事だが、本届書の妾…

  86. 追録7-No.637 幕府指図書(目録637)

    御臺様の御實母が今暁死去したため、定式のとおり50日・13ヶ月の御忌服を受ける旨を安藤対馬守から大目付へ伝える。朱注は享和元年10月晦日。末尾朱注は、この書付の写をもって大目付から太守様御名の留守居宛に申し渡されたとする。出典は写、正文在文庫。前636の栄翁3日遠慮と本書の御臺様忌服を区別する。

  87. 追録7-No.638 山田有儀申渡書(家老御供停止趣意)(目録638)

    御家老の御供停止の趣意を承知したいとの申出に対し、伯耆が御記録奉行へ説明する。格別に難渋する時節で、公儀の勤向と古来の家格にかかわる務めを従前どおり続け難いため、公儀に差障りのない事項を口成文で差し欠き、年限を設けた作略と勝手向の立直しにより国役の難儀を避けようとする。評議で脇方にも不都合がなく、参…

  88. 追録7-No.639 菱刈実祐外三名家老連署書状(年首祝儀)(目録639)

    国王の尊書を拝見したうえ、御隠居様に対する年首祝儀が目録のとおり差し上げられ、江府へ届いて披露したところ御満足とされたので、この旨を伝達するよう求める。12月9日、山田伯耆・高橋縫殿・川田伊織・菱刈下総の4名が実名判で連署し、義村王子・三司官宛。享和元年の朱注、出典は重豪公御譜中、写正文在琉球国司。…

  89. 追録7-No.640 菱刈実祐外三名家老連署書状(若殿縁組祝儀)(目録640)

    国王の尊書を拝見し、若殿様の縁組が仰せ出された祝儀として佐渡山親方を介し、御隠居様へ太刀1腰・馬代白銀50両並びに目録どおりの品を差し上げられ、江府到着後に披露して御満悦とされたため、この旨を伝達するよう求める。12月9日、山田伯耆・高橋縫殿・川田伊織・菱刈下総の実名判連署、義村王子・三司官宛、享和…

  90. 追録7-No.641 菱刈実祐外三名家老連署書状(御隠居総髪改名祝儀)(目録641)

    国王の尊書を拝見し、御隠居様の総髪・改名が願いどおりに仰せ出された祝儀として述べられた紙上の趣旨を、江府へ到着後に披露したので、その旨を伝達するよう求める。12月9日、山田伯耆・高橋縫殿・川田伊織・菱刈下総が実名判で連署。宛名の義村王子・三司官は次頁上段に続く。享和元年朱注、出典は全上。総髪改名の許…

  91. 追録7-No.642 戸田氏教献上返書(目録642)

    今朝、魚偏の品名の品1箱を献上したものを披露し、一段の御仕合だったと氏教が返す。氏教判、口裏に戸田采女正氏教・松平栄翁宛。享和元年12月16日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。品名は鯣候補として留保し、数量1箱と今朝の献上・披露を保持する。本文に明記のない祝儀の種類を補わない。

  92. 追録7-No.643 水野忠友献上返書(目録643)

    今朝、魚偏の品名の品1箱を献上したものを披露し、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友判、口裏に水野出羽守忠友・松平栄翁宛。享和元年12月16日の朱注。出典は全上。品名は鯣候補として留保し、数量1箱と今朝の献上・披露を保持する。本文に明記のない祝儀の種類を補わない。

  93. 追録7-No.644 徳川家斉歳暮御内書(目録644)

    歳暮の祝儀として小袖1重が到来したことを歓覧し、詳しくは戸田采女正が述べるとする家斉御内書。家斉公墨印、栄翁宛、享和元年12月27日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。戸田は委曲担当で、発給者は家斉。

  94. 追録7-No.645 水野忠友歳暮祝儀返書(目録645)

    歳暮の祝儀として使者により献上された小袖1重を披露したところ、一段の御仕合だったと水野忠友が返す。12月27日、水野出羽守忠友判、松平栄翁宛、享和元年朱注。出典は全上。前644の家斉御内書とは発給者と文書の役割を区別する。

  95. 追録7-No.646 松平信明若菜祝儀返書(目録646)

    若菜の祝儀として献上された鯛1折を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す。正月7日、信明判、口裏に松平伊豆守信明・松平栄翁宛、享和2年の朱注。本文は冊子200頁下段、口裏は次201頁上段へ続く。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。若菜祝儀の品目数量と発給者を保持し、次の年頭祝儀と区別する。

  96. 追録7-No.647 水野忠友若菜祝儀返書(目録647)

    若菜の祝儀として献上された鯛1折を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。正月7日、忠友判、口裏に水野出羽守忠友・松平栄翁宛、享和2年の朱注。出典は全上。若菜祝儀の品目数量と発給者を保持し、次の年頭祝儀と区別する。

  97. 追録7-No.648 松平信明年頭祝儀返書(目録648)

    年頭の祝儀として使者により献上された太刀1腰・馬代黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す。正月11日、信明判、口裏に松平伊豆守信明・松平栄翁宛、享和2年の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。太刀と馬代の金額を分け、前646・647の若菜祝儀と区別する。

  98. 追録7-No.649 水野忠友年頭祝儀返書(目録649)

    年頭の祝儀として使者により献上された太刀1腰・馬代黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。正月11日、忠友判、口裏に水野出羽守忠友・松平栄翁宛、享和2年の朱注。出典は全上。太刀と馬代の金額を分け、前646・647の若菜祝儀と区別する。

  99. 追録7-No.650 斉宣財政窮乏につき諸事節倹する(目録650)

    近年、家の内外の費用が多岐にわたり、やむを得ない支出から財政が窮まり処置し難くなったとする斉宣公御譜の記事。幕府の公務はあえて欠くことができないため、他の事で用を節し費用を省いてその資に充て、参勤の際に家老を随従させることを廃したのもこの理由と説明する。民が困窮するなか出米銀によって国家の費用を補わ…

  100. 追録7-No.651 島津斉宣口達覚(目録651)

    白木御文書六番箱86号の口達覚。家老中へ、先年以来やむを得ない物入が続き勝手向が不如意でさらに難渋し、格外の省略を行い、困窮する下々にも気の毒ながら出米銀等を命じる時節なので、近年中に手抜きなく吟味して詮を立てるよう申し談じ、心を掛けることを求める。大身から若者まで文武への心掛けに怠慢・尤見躰の容貌…