諸家大概
家・氏族記事
REFERENCE COLLECTION · PILOT
家・氏族・職掌・人物を調べるための検索補助資料
鹿児島県史料第6集所収の『諸家大概』『別本諸家大概記』『御家中諸家大概』『職掌紀原』『御家譜』を、家・氏族・職掌・人物ごとの検索補助資料として整理したものです。史料本文の主張と史実認定を区別し、判読できない人名・官職・年代は疑義として保持しています。
家系・職掌・人物関係を調べる入口として掲載します。第三次精読の101件は全件数ではなく、全432記事のうち概要具体化の候補として追加確認した記事です。内容は今後の確認で更新される場合があります。研究・引用時は原史料を確認してください。
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家・氏族記事
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島津氏歴代、人物関係、出来事
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432 件
1–30件を表示
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は酒匂氏を梶原氏流とし、刑部丞朝景が相模国酒匂を領したことを家号の由来とする。忠久誕生以来の近侍・御剣役奉仕を起点に、酒匂氏歴代の戦功、役職、所領と家の継続を列挙し、島津家への長期的奉公を説明する。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は猿渡氏の出自を系図上不明としつつ、猿渡藤四郎美信が忠久の入国に供奉して御剣役を務めたと伝える。貴久・義久代の人物を挙げ、朝鮮出兵時には猿渡越中らが使者として敵中を往復し、義弘・久保および石田治部少輔から感状・褒賞を受けたこと、帰朝時の戦死、地頭職の継承と帖佐の分家までを記す。
諸家大概(乾) / 家・氏族総説
本文は執印・国分・五代・平野・羽島を惟宗姓の同族とする。執印氏は康友を祖とし、康友が新田宮の執印職に補任され、その職名を家号としたと説明する。執印職については、上方から同職として下向し、神前で印を執ったことに始まるのではないかと推測する一方、古い事情は詳らかでないと断る。康友以後の職の継承、所領・伝…
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は友久を祖とする国分氏について、家号の由来を断定せず、安楽寺領の大隅国分寺の寺領を司ったためか、二宮大明神の社務司を務めたためか判然としないと考証する。国分氏歴代の軍役・在地職を記し、立久代に五百石の軍役を命じられたこと、戦闘・討死、左衛門家などの分流と後裔を述べる。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は康忠を祖とし、新田宮の五代院職・五代院政所を家号の起点とする。文永頃の五代院右衛門尉友清、島津立久代の五代筑前守をはじめ、中世の人物、役職、所領と島津家への奉仕を記す。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は友家を平野氏の祖とし、上世・中古の事情は不詳とする。義久代の平野丹後友治以後、御使役・地頭職を務めた系譜を記し、実子のない平野九郎から二男家の平野仁右衛門へ系図・文書を譲って嫡家を継承したこと、他の平野氏もこの嫡流に属することを述べる。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は友貞が羽島・向井周辺を領して羽島を称したことを家の起点とする。嫡家が羽島新兵衛家と羽島蔵人家に分かれて由緒文書を保存したこと、二男家が向井氏を称し、日新に仕えた向井和泉らへ続いたことを記す。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は市来の古い領主を大蔵姓とし、女子のみとなったため八文字氏系の人物を養子に迎えて市来氏を継がせたとする。外祖の譲りで市来を領しながら惟宗姓を維持した系譜、市来小四郎らの歴代、忠久以来の地頭職・奉公、各地での軍事行動、戦死および分家を長く列挙する。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は大寺氏の出自を不明としつつ、惟宗姓諸家の一族であろうとする。大寺弾正左衛門、大寺美作らを挙げ、元久・久豊・忠国・立久・勝久・貴久各代の家老奉仕、草牟田領有、地頭職、主家没落に伴う退転、豊後・馬越での戦死と嫡流の継承を記す。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は梶原氏を梶原景時の三男・平左衛門景高の後裔とし、上代の事情は不詳とする。忠昌の母を梶原三郎太郎弘純の娘とし、この縁によって一族が島津家に召し出され、立久・忠昌期には家老を務めたと説明する。以後の地頭職、軍事奉仕、分家と後裔を記すが、系図上の接続には不明を残す。
諸家大概(乾) / 家・氏族総説
本文は鮫島氏を起点に、阿多・指宿・加世田・知覧・谷山・是枝・益山・別府・頴娃・若松・宮原・片留などを列挙する。忠久下向以前から薩摩に在住したという伝承、阿多・鮫島方面の地頭職、南北朝期以後の奉公、所領・文書、各分流の系譜と後裔を長く記す。冒頭の列挙諸家をすべて鮫島氏の分流と断定せず、本書が一括して掲…
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は忠久の家老・阿多加賀守時成が指宿を領したことを起点とし、元久上洛時の将軍義持への御目見、貴久が勝久の養子となる契約時の奉仕を記す。さらに阿多掃部・源左衛門・但馬らの系図をめぐる異説、日新への奉公、地頭職および阿波へ移った後裔までを載せる。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は旧頴娃氏が背反によって攻め取られ、頴娃領が一族の小牧氏に与えられた後、小牧氏の背反によって再び没収されたとする。久豊の子が頴娃を領して南殿と称したこと、のちに肝付河内守兼元の二男へ頴娃領・名字が移り、藤原姓を賜ったという伝承、婚姻・契約文書と諸分流の成立を記す。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は指宿氏が元弘・建武頃まで繁栄し、将軍家および島津家歴代などの証判文書を数十通所持したとする。高岡の指宿左近兵衛を嫡家とし、義久代に近侍した別流も文書を所持したことを記す。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は加世田氏の上世・中古の由緒を不詳とし、近代に存在が知られる加世田諸兵衛・加世田七右衛門などの同姓者を挙げる。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は元弘頃の知覧氏に足利直義の御教書が伝わる一方、その子孫は不明とする。また、越前島津氏庶流の同名の知覧氏を別系統として区別し、種子島家臣の知覧才兵衛や郡之城・田布施にいた末流を挙げる。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は谷山氏が元弘・建武頃に繁栄したとし、谷山入道覚禅・仏心らが道鑑公と敵対して鹿児島へ攻め寄せたことを記す。嫡家を谷山次郎右衛門家とし、中古以後の紀伊介・孫右衛門らの軍事奉公、平佐城での籠城、江戸長詰および諸分流を挙げる。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は是枝氏が肝付の是枝名を領したことを家名の由来とする。永禄頃の是枝周防、天正期に御使役・地頭職を務め泉坊に住持した是枝大膳坊を挙げ、国分への移住後も代々地頭職を務めたこと、嫡家の壽右衛門家、加治木の治部左衛門家およびその他の分流を記す。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は益山氏が加世田のうち益山を領したと諸記録に見えること、仁礼氏の子孫とされるが具体的な人物・系統は不明であることを記す。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は別府氏が加世田別府を領した家とするが、嫡家は不詳とする。忠久の初度下向に小左衛門光吉が供奉したとの伝承を載せる一方、その系図は確認できないと断る。後世に別府蔵人が別府から仁礼へ名字を改めた系統を中心に、家久代以後の小姓・御使役・地頭職・御犬役などの奉公、仁礼・別府間の名字相論を記す。さらに式部…
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は薩摩氏が元弘頃まで旧記に見えるものの、後裔は不明とする。現在の子孫は別府名字を称しているのではないかという推測も記す。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は吉利のうち岩松名を領したことを名字の由来と推定し、将軍家の御教書とその後の記録を挙げる。子孫は多いが嫡庶は不詳とし、文書の年号が合わないことから伊作家の岩松氏とは別系統と判断する。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は吉留氏が古文書に少し見える家とし、吉留為左衛門の曽祖父が蒲生付近に住んだ後、加治木へ移ったという伝承を記す。また、外城にも吉留氏が存在したとする。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒・系譜考証
本文は宮原氏が加世田のうち宮原を領したとし、仁礼覚左衛門の祖父・仁礼左近までは宮原を称したと記す。提出系図が惟香親王の後裔とする説について、平姓諸家との整合や中世以前の系図改変・祖先仮託の可能性を挙げて批判的に検討する。後半では仁礼氏諸流の戦死、御使役、地頭職、江戸勤めなどの奉公と分家を列挙する。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は富山氏を源姓の日向国御家人とし、『吾妻鏡』に見える富山次郎大夫義良を挙げる。北条義時から忠久への書状と富山刑部丞の子に関する記事、富山家の文書提出、県城主土持氏への随身、土持氏没落時の薩摩移住、近世の富山次郎右衛門と所持文書を記す。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は宮山氏を藤原姓の大隅国人とし、大姶良・浜田・志志目・横山・得丸・波見・山下などを同族として列挙する。宮山十兵衛家が島津家の判物二通を所持したこと、永林や宮山九右衛門の祖に関する記事、家久に召し出された系統、村田へ移った後裔を記す一方、各地の子孫関係には不明が多いとする。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒・系譜異説
本文は有馬氏に藤原純友流・有馬王子流・源姓・平姓など複数の系統があるとする。有馬次右衛門家の系図では足利氏の庶流が肥前国高来郡へ下って有馬を領したとし、祖先の地頭職、使者としての敵陣往復、高麗陣での戦功、延岡城主となった一流、福昌寺領地頭を務めた一流などを列挙する。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は長谷場氏を上世以来の藤原姓国人とし、忠久期の旧記に見える鹿児島郡司を同氏とみる。元久期の所領安堵、長谷場十郎らの奉公、福昌寺建立に伴う所領替え、長谷場六郎久純の系統、長谷場城・丸川筋や岳和・尚雲村などの所領、地頭職と軍事奉公、筑後での戦死を記す。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒
本文は長野氏について系図紛失のため詳らかでないとする。元久上洛時に大寺氏とともに騎馬供を務めたこと、凶徒討伐後に永吉を大寺氏と折半して与えられたこと、福昌寺奉加帳に長野氏二名が見えること、諏訪社役を担う八家の一つであったことを記し、指宿衆中の長野宮内左衛門家を嫡家とする。
諸家大概(乾) / 家・氏族由緒・諸流総説
本文は平山氏を紀姓とし、市成・平瀬・平松・松元などを一族として挙げる。石清水善法寺の一族が正宮御供領支配のため帖佐平山城に在城したという由緒、蒲生・吉田・帖佐・栗野の所領と古文書、元久期の社家・家司職、平山次郎右衛門家ほか諸流の系譜、地頭職・軍役・豊州での戦死、家の断絶と再興を記す。