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追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 601~700件・7 / 30ページ

  1. 追録7-No.452 島津重豪・同斉宣明細書(目録452)

    包紙に御明細書二枚とある、重豪・斉宣の二枠の表。重豪は本国・生国薩摩、故薩摩守重年嫡子、従四位上中将松平上総介、53歳、天明7年正月29日隠居とする。斉宣は重豪嫡子、松平豊後守、従四位上中将、29歳、本国薩摩・生国武蔵、居城薩州鹿児島。薩摩・大隅各一円と日向国内、高60万5000石余、外12万370…

  2. 追録7-No.453 市田盛常申渡書(目録453)

    西丸へ明細書短冊を各一通提出するよう水野出羽守から命じられ、大目付池田筑後守が触れたので、去る3日に両殿の明細書各一枚を留守居付役が筑後守宅へ持参したが、追って報告せよと指示されたという経緯を伝える。別紙明細書写二枚を添え、御記録奉行へ渡すよう求める。4月16日市田勘解由署、四名宛。外包には寛政9年…

  3. 追録7-No.454 斉宣、帰国す(目録454)

    4月15日、家斉が上使を遣わして物を賜り、世子家慶も上使を遣わして物を賜った。18日斉宣が登城して二公へ謝し、両者から懇命を受け、馬も賜ったとする。斉宣は22日に江府を発ち、6月19日巳刻に鹿城へ着いた。出典は斉宣公御譜中。拝領・登城謝礼・江府発・鹿城着を分け、拝領物の品名や馬の数量、巳刻の現代時刻…

  4. 追録7-No.455 水野忠友書状(目録455)

    大納言様へ使者で献じた菖蒲御兜1飾を首尾よく披露したと忠友が返す書状。4月28日忠友署判、寛政9年朱注、口裏水野出羽守忠友・上総介宛。大納言は献上の受け手、本書の宛先は上総介。旧家斉御内書・5月2日の属性は次456であり、本書には混ぜない。

  5. 追録7-No.456 徳川家斉御内書(目録456)

    端午祝儀として帷子・単物が到来し歓覧したと伝える家斉の御内書。委曲は太田備中守が述べるとする。5月2日付、寛政9年朱注、家斉公墨印、上総介宛。太田は説明担当で、差出人ではない。品目は帷子・単物、数量記載なし。次457の忠友署判返書と形式・差出人を分ける。

  6. 追録7-No.457 水野忠友書状(目録457)

    端午祝儀として使者で献じた帷子・単物を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が伝える返書。5月2日水野出羽守忠友署判、寛政9年朱注、上総介宛。品目の数量は記さず、若君・大納言への献上とも明記しない。旧幸地起請文標題・5月12日は次458に属する。

  7. 追録7-No.458 幸地良篤起請文前書(目録458)

    幸地親方良篤が六項を誓う起請文前書。若輩ながら前年三司官に命じられた恩を謝し、国許への奉公を入念に務めること、御三殿様へ毛頭疎意を抱かないこと、国許からの条書を堅く守ることを誓う。悪意・邪義を企てる者があれば披露し、国王へ別心なく忠勤し、国中の掟・諸事は賢愚や親疎にかかわらず沙汰するとする。末尾は神…

  8. 追録7-No.459 菱刈実祐申渡書(目録459。本文大炊署)

    お隣殿の御名順を心鏡院殿の次とする命令が出たので、帳面に記し置くよう御記録奉行へ命じる。五月大炊署。包紙には寛政9年巳5月25日、お隣殿の御順を心鏡院殿の次に命じられた書付一通と記し、103の朱番号を付す。これは名前の順序に関する指示であり、お隣本人が順心鏡院という院号に改称したとの文面にしない。本…

  9. 追録7-No.460 太田資愛書状(目録460)

    端午の御内書を渡すので明日五半時に家来を御城へ差し出すよう、太田備中守が上総介へ知らせる。6月24日付、寛政9年朱注、太田備中守署名と宛名は次頁へ続く。御内書の受取方法の通知と、御内書そのものを区別し、品目数量は補わない。旧信成・6月27日の属性を次461と分離する。

  10. 追録7-No.461 安藤信成書状(目録461)

    今朝献じた鰹節1箱を披露したところ、一段の御仕合であったと信成が上総介へ返す。6月27日信成署判、寛政9年朱注、口裏安藤対馬守信成・上総介宛。原官途対馬守に含まれる馬を用件へ採らず、若君等への献上先も本文にないため補わない。旧水野忠友標題は次462の別返書に属する。

  11. 追録7-No.462 水野忠友書状(目録462)

    今朝献じた鰹節1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す書状。6月27日忠友署判、寛政9年朱注、下段口裏に水野出羽守忠友・上総介宛を記す。前461は信成の同日返書であり、二通の署判・官途を分ける。

  12. 追録7-No.463 前田左兵衛書状(目録463)

    上総介の暑中献上物について、水野出羽守から渡した返礼の奉書の表現に書き損じがあったことを前田左兵衛が詫びる。誤記は此段候補と読める文字を含み、先例通りの文字として心得るよう求め、控えも直しておくとする。本文七月、前田左兵衛署名、寛政9年朱注。訂正文字の細字は確定できないため、誤記の訂正依頼という中心…

  13. 追録7-No.464 松平信明書状(目録464)

    生見玉祝儀として献じた黄金10両を披露し、一段の御仕合だったと信明が上総介へ伝える返書。7月6日信明署判、寛政9年朱注、口裏松平伊豆守信明・上総介宛。生見玉は原語を保持し、具体的な儀礼内容を補わない。若君への献上は本書に明記されず、他の生見玉返書から受け手を補充しない。

  14. 追録7-No.465 水野忠友書状(目録465)

    生見玉祝儀として献じた黄金10両を披露し、一段の御仕合だったと忠友が返す。7月6日忠友署判、寛政9年朱注、次頁の口裏水野出羽守忠友・上総介宛まで記す。前464の信明返書と同日同用件だが別の署判文書。生見玉の原語を保持し、献上の受け手や儀礼内容を推定しない。

  15. 追録7-No.466 重豪、御鷹の雲雀を拝領す(目録466)

    同年閏7月18日、家斉が小菅猪右衛門を遣わして御鷹の雲雀を賜り、島津淡路守忠持が重豪に代わって恩旨を承った。後に老中各邸へ拝謝したとする。小菅には正容の人物注。雲雀の数量・使者派遣場所・代受の理由は本文にないため、他の御鷹拝領記事から補わない。

  16. 追録7-No.467 徳川家斉御内書(目録467)

    重陽祝儀として小袖1重が到来し歓覧したと伝える家斉の御内書。委曲は松平伊豆守が述べるとする。9月7日付、寛政9年朱注、家斉公墨印、上総介宛。伊豆守は詳しい説明の担当者で差出人ではない。旧水野忠友書状標題は次468と分ける。

  17. 追録7-No.468 水野忠友書状(目録468)

    重陽祝儀として使者で献じた小袖1重を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が上総介へ返す。9月7日水野出羽守忠友署判、寛政9年朱注、上総介宛。前467の家斉御内書と署判返書を区別し、旧信明・10月20日を次469と分離する。

  18. 追録7-No.469 松平信明書状(目録469)

    重陽の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ差し出すよう伊豆守が上総介へ通知する。10月20日付、寛政9年朱注、松平伊豆守署。御内書本文の差出人や重陽贈答の品目・数量をこの通知へ補わない。五半時は原記載を保持する。

  19. 追録7-No.470 太田資愛書状(目録470)

    今朝献じた一箱の品を披露し、一段の御仕合だったと資愛が返す書状。魚偏の品名は鯣候補として留保し、一箱の数量を保持する。12月6日資愛署判、寛政9年朱注、口裏太田備中守資愛・上総介宛が次頁へ続く。水野の書状はNo.471に対応し、本書の献上品は金属の品として断定できない。

  20. 追録7-No.471 水野忠友書状(目録471)

    今朝献じた一箱の品を披露し、一段の御仕合だったと忠友が伝える返書。魚偏の品名は前470と同型で鯣候補を留保する。12月6日忠友署判、寛政9年朱注、口裏水野出羽守忠友・上総介宛。前470は資愛署判、本書は忠友署判であり別件。旧犬追物標題は次472の記事で、本書本文にはない。

  21. 追録7-No.472 斉宣晴厄の犬追物(目録472)

    演武館内の場で犬追物を行い、斉宣が臨観した記事。前年に斉宣が厄を受けたため、除厄を祈って2月朔日に稲荷社前で鏑流馬を行ったことを先に述べ、今年は晴厄に当たるので酬願として犬追物を行ったとする。前年の除厄行事と本年12月15日の晴厄行事を分けて記録する。出典は斉宣公御譜中。

  22. 追録7-No.473 重豪・斉宣が頼朝六百年忌を修する(目録473)

    翌戊午年正月13日に頼朝の六百年忌を迎えるが、事情があって今12月、花尾山社頭で3日間法会を修した。小注は16日から18日までと記す。斉宣が自ら拝礼し、重豪も初日に家老伊勢播磨貞矩を遣わし、白銀2枚を献じて拝礼した。白銀の数量と拝礼を記す末尾は、同頁下段右端へ続く。出典は重豪公御譜中、斉宣公御譜中に…

  23. 追録7-No.474 御鷹の捕らえた鶴を拝領(目録474)

    家斉が柳原左衛門(職序の注)を芝邸へ遣わし、御鷹が捕らえた鶴1隻を賜った。島津淡路守忠持が記事の語り手に代わって恩旨を奉じ、老中各邸へ赴いて謝恩したと記す。出典は全上。使者の姓は原本の柳原を採り、隣接する歳暮書状と分ける。代受の理由は本文にない。

  24. 追録7-No.475 徳川家斉歳暮御内書(目録475)

    歳暮の祝儀として小袖1重が到来したことを歓覧し、詳しくは安藤対馬守が述べるとする御内書。家斉の墨印、上総介宛、寛政9年12月27日の朱注がある。安藤は委曲を伝える担当者で、御内書の発給者は家斉。重豪公御譜中、正文在文庫と記す。

  25. 追録7-No.476 水野忠友歳暮祝儀返書(目録476)

    歳暮の祝儀として使者により献上された小袖1重を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛、朱注に寛政9年12月27日を記す。前475の家斉御内書と、次477の12月28日付破魔弓返書を区別する。出典は全上。

  26. 追録7-No.477 水野忠友破魔弓献上返書(目録477)

    大納言様への祝儀として使者により献上された破魔弓1飾を、首尾よく披露したと忠友が返す書状。忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛、寛政9年12月28日の朱注がある。前476の小袖献上返書とは献上対象・品物・日付が異なる。

  27. 追録7-No.478 安藤信成若菜祝儀返書(目録478)

    若菜の祝儀として献上された鯛1折を披露したところ、一段の御仕合だったと信成が返す。信成署判、口裏に安藤対馬守信成と上総介宛を記し、宛名には島津重豪の注がある。朱注は寛政10年正月7日。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。第2分冊冒頭の巻145表紙を本文から分け、隣479の忠友同日返書と混同しない。

  28. 追録7-No.479 水野忠友若菜祝儀返書(目録479)

    若菜の祝儀として献上された鯛1折を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。同頁上段末尾から下段右側へ続き、忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛、寛政10年正月7日の朱注を記す。同日同じ品物の前478とは署判・発給者が異なる別書状。出典は全上。

  29. 追録7-No.480 斉宣吉書(目録480)

    斉宣署判の吉書で、神社仏閣の修造興行、勧農、国々の年貢徴納の3箇条を掲げる。上包紙に吉書、外包紙に寛政10午正月とあり、白木六番箱68の注がある。外包紙の正月11日注は、久馬が得能正助へ渡し、六番箱に納め置いたことを記す。吉書本文の政策条項と、包紙が伝える受渡・収納情報を分け、久馬を本文の宛先にしな…

  30. 追録7-No.481 安藤信成年頭祝儀返書(目録481)

    年頭の祝儀として使者により献上された太刀1腰・馬代黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと信成が返す。信成署判、口裏に安藤対馬守信成・上総介宛、寛政10年正月11日の朱注がある。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。同日の忠友返書482とは別文書として扱う。

  31. 追録7-No.482 水野忠友年頭祝儀返書(目録482)

    年頭の祝儀として使者により献上された太刀1腰・馬代黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、口裏に水野出羽守・上総介宛、寛政10年正月11日の朱注がある。同日同品の信成返書481とは別書状で、次483の日新寺再建記事とも分ける。出典は全上。

  32. 追録7-No.483 斉宣が焼失した日新寺を再建させる(重豪御譜)(目録483)

    正月15日に加世田日新寺が焼け、寺主寂禅は梅岳公・大中公の木主と仏像・重器を常潤院へ避難させた。寺宇・山門は焦土となり、斉宣が家老菱刈大炊隆邑を総宰として再建させ、国中の士民も私財を寄附した。同年9月着工、翌己未春3月落成。衆寮・禅堂も復旧し、12日に梅岳公木主を日新寺客殿へ戻し、寺社奉行・営作諸司…

  33. 追録7-No.484 斉宣が焼失した日新寺を再建させる(斉宣御譜)(目録484)

    前年正月15日、加世田郷日新寺の火災で殿堂・門廡が全焼し、寺主寂禅が梅岳公・大中公の木主と仏像・重器を常潤院へ避難させた経緯を記す。斉宣は菱刈大炊隆邑を総宰として新造させ、その秋9月に着工、今己未春3月落成。13日に梅岳公木主を客殿へ奉還し、衆僧が法儀を行った。斉宣が隆邑に大官香5把の献納・代拝を命…

  34. 追録7-No.485 斉宣参勤出発(目録485)

    寛政10戊午年春2月朔日、斉宣が参覲のため鹿城を発したと記す。着府その他の事は月日を欠くとの小注を付すため、江戸到着日や道中経過は補わない。出典は斉宣公御譜中。

  35. 追録7-No.486 安藤信成書状(歳暮御内書の受取通知)(目録486)

    歳暮の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう安藤対馬守が求める書状。本文は御内書の受取時刻・場所・使者差出の指示で、差出人は安藤対馬守、宛名は上総介殿。寛政10年2月20日の朱注がある。目録486は安藤信成書状。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。

  36. 追録7-No.487 剛之進系譜抄(目録487)

    御系図中の剛之進の記事。図には斉興・女子二人・剛之進を並列に表示し、本文は寛政10戊午年3月19日生、母は島津仲久建女、29日夭亡、法名は幻住院殿真如浄空大禅童子と記す。図の並列表示と母の記載をそのまま区別し、斉興を剛之進の父と読み替えない。

  37. 追録7-No.488 水野忠友菖蒲兜献上返書(目録488)

    大納言様へ使者により献上された菖蒲御兜1飾を、首尾よく披露したと忠友が返す書状。上段本文から同頁下段の末尾・日付・署宛へ続く。忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛、寛政10年4月28日の朱注がある。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。次489の端午御内書と区別する。

  38. 追録7-No.489 徳川家斉端午御内書(目録489)

    端午の祝儀として帷子単物が到来したことを歓覧し、詳しくは戸田采女正が述べるとする家斉の御内書。家斉公墨印、上総介宛、寛政10年5月2日の朱注がある。品物の数量は明記されない。戸田は委曲を伝える担当者。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。

  39. 追録7-No.490 水野忠友端午祝儀返書(目録490)

    端午の祝儀として使者により献上された帷子単物を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、署宛欄に水野出羽守忠友・上総介宛、寛政10年5月2日の朱注がある。数量は明記されない。前489の家斉御内書とは発給者・形式を分ける。出典は全上。

  40. 追録7-No.491 重豪が慈徳公五十年忌法事を修する(目録491)

    同年6月8日から10日まで、福昌寺で慈徳公の五十年忌法事を3日間修した。慈徳公には島津宗信の人物注があり、重豪が家老伊勢播磨貞矩を遣わして香奠銀3枚を献じ拝礼させたと記す。出典は重豪公御譜中、斉宣公御譜中にもありとの注記。次492・493の6月15日付鰹節返書とは日付・用件を分ける。

  41. 追録7-No.492 松平信明鰹節献上返書(目録492)

    今朝献上された鰹節1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す書状。信明署判、口裏に松平伊豆守信明・上総介宛、寛政10年6月15日の朱注を記す。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。同日同品の忠友返書493とは署判と発給者を分ける。

  42. 追録7-No.493 水野忠友鰹節献上返書(目録493)

    今朝献上された鰹節1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、寛政10年6月15日の朱注、上段末尾の水野出羽守と下段右端に続く上総介宛・忠友の口裏を記す。出典は全上。前492の信明返書とは別書状。

  43. 追録7-No.494 蓬之進重豪系譜抄(目録494)

    寛政10戊午年6月21日に蓬之進君が生まれたと記し、島津重豪男の人物注を付す。同年11月13日には大納言一橋治済卿が高輪邸に来訪したことを記す。出典は朱注の近秘野帥中。出生記事と後日の来訪を分け、来訪目的は補わない。

  44. 追録7-No.495 蓬之進系譜抄(目録495)

    大信公御子と掲げる蓬之進の系譜。寛政10戊午年6月21日に江府で生まれ、母は浪人杉浦作左衛門政信の娘と記す。翌11己未年7月20日に夭亡、法号は蓬窓院殿惠旭秀光大禅童子候補と読み、院号首部の字形を留保する。墓は惠燈院および江府大圓寺に建てたと記す。出生と翌年の夭亡、母の出自、法号・二か所の墓所を分け…

  45. 追録7-No.496 戸田氏教書状(端午御内書受取通知)(目録496)

    端午の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう求める通知。差出人は戸田采女正、宛名は上総介殿。寛政10年6月24日の朱注がある。目録496は戸田氏教書状。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。通知日と翌日の指定時刻を分ける。

  46. 追録7-No.497 戸田氏教生見玉祝儀返書(目録497)

    生見玉の祝儀として献上された黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと氏教が返す書状。氏教署判、口裏に戸田采女正氏教・上総介宛、寛政10年7月6日の朱注がある。生見玉という祝儀の原語を保持し、制度的な意味を推定で補わない。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。

  47. 追録7-No.498 水野忠友生見玉祝儀返書(目録498)

    生見玉の祝儀として献上された黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛、寛政10年7月6日の朱注を記す。前497の氏教同日返書とは別文書。祝儀名の制度的な意味は留保し原語を保持する。出典は全上。

  48. 追録7-No.499 重豪が御鷹の雲雀を拝領(目録499)

    家斉が曽根五郎兵衛(次彰の注)を芝邸へ遣わし、御鷹の雲雀を賜った。斉宣が記事の語り手に代わって恩旨を奉じ、老中各邸へ赴いて謝恩したと記す。出典は重豪公御譜中で、目録499も重豪の拝領記事。鳥数や代受理由は明記されないため補わない。

  49. 追録7-No.500 徳川家斉重陽御内書(目録500)

    重陽の祝儀として小袖1重が到来したことを歓覧し、詳しくは松平伊豆守が述べるとする御内書。家斉公墨印、上総介宛、寛政10年9月3日の朱注がある。松平伊豆守は委曲を伝える担当者で、御内書の発給者は家斉。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。

  50. 追録7-No.501 水野忠友重陽祝儀返書(目録501)

    重陽の祝儀として使者により献上された小袖1重を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、水野出羽守・上総介宛、寛政10年9月3日の朱注がある。前500の家斉御内書と、次502の重陽御内書受取通知を分ける。出典は全上。

  51. 追録7-No.502 松平信明書状(重陽御内書受取通知)(目録502)

    重陽の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう松平伊豆守が求める。本文は同頁下段から次頁上段へ続き、上総介宛、寛政10年10月20日の朱注を記す。目録502は松平信明書状。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。祝儀献上返書501と受取通知を分ける。

  52. 追録7-No.503 川上久致外四名家老連署書状(年首祝儀)(目録503)

    尊書を拝見し、中将様へ年首の祝儀として目録通り差し上げた品々は、江府到着後に披露され、御満足の意を示されたと伝える。三司官にこの旨を伝達するよう求める。名越右膳・高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の五名に実名判と人物注がある。出典は重豪公御譜中、写正文在琉球国司。品々の内訳はこの書状にないため補…

  53. 追録7-No.504 川上久致外三名家老連署書状(前年年首祝儀)(目録504)

    前年、中将様へ年首の祝儀として目録通り差し上げた品々について、江府到着後に披露され、御満足だった旨を三司官へ伝え、伝達を求める。本文から見える連署は名越右膳・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の四名で、各実名判と記す。高橋縫殿の署名脱かとの注があり、目録も川上久致外三名とする。欠けた署名を推定で書き足さな…

  54. 追録7-No.505 川上久致外四名家老連署書状(御臺従三位祝儀)(目録505)

    前年、御臺様に従三位の勅許があった祝儀として、仲村親方を介して中将様へ目録通り差し上げた品々を、江府到着後に披露し、御満悦だった旨を三司官へ伝える。名越右膳・高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の五名に実名判、三司官宛。出典は全上。叙位祝儀の対象と品物の受け手・取次を分け、品目は補わない。

  55. 追録7-No.506 川上久致外四名家老連署書状(太守縁組祝儀)(目録506)

    太守様の縁組が仰せ出された祝儀として、仲村親方を介し中将様へ太刀1腰・馬代白銀50両および目録通りの品々を差し上げたことについて、江府到着後に披露され御満悦だった旨を伝え、三司官に伝達を求める。名越右膳・高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の五名実名判。出典は全上。独立宛名は同頁下段へ続く三司官で…

  56. 追録7-No.507 川上久致外四名家老連署書状(御隣出生・入輿祝儀)(目録507)

    前年の女子誕生、御隣殿との命名、入輿の仰せ出しと引越の完了に対する祝儀として、仲村親方を介して中将様へ目録通り差し上げた品々は、江府到着後に披露され御満悦だったと伝える。三司官にこの旨の伝達を求め、五家老が連署し各実名判と記す。出典は全上。出生・入輿の命令・引越済みという段階を分け、女子の親・相手・…

  57. 追録7-No.508 川上久致外四名家老連署書状(参勤時期許可祝儀)(目録508)

    去々年、大宜見王子を江府へ召し連れるため参勤時期の猶予があり、7月中に参府するよう仰せ出されたところ、願いにより定式通りとの仰せを得た経緯を述べる。この祝儀として仲村親方を介し中将様へ太刀1腰・馬代白銀50両および目録通りの品々を差し上げ、江府到着後の披露で御満悦だった旨を三司官へ伝達するよう求める…

  58. 追録7-No.509 川上久致外四名家老連署書状(御臺安産・男子出生祝儀)(目録509)

    去々歳、御臺様が安産され御男子様が誕生した祝儀として、田嶋親方を介して中将様へ目録通り差し上げた品々は、江府到着後に披露され御満悦だったと伝え、三司官に伝達を求める。名越右膳・高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の五名が連署し各実名判と記す。出典は全上。御臺・男子の実名や誕生日はこの書状では明記さ…

  59. 追録7-No.510 川上久致外四名家老連署書状(操姫出生祝儀)(目録510)

    女子が誕生し操姫様と命名されたため、中将様へ祝儀を申し上げたことは、江府到着後に披露したと伝える三司官宛書状。祝儀品の目録や取次親方は本文に記さない。名越右膳・高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊に続き、次頁の川上久馬署名と実名判があり、さらに氏名表示のない実名判表示を伴う。朱注年次は寛文十年と印刷されママ…

  60. 追録7-No.511 川上久致外四名家老連署書状(操姫縁組祝儀)(目録511)

    操姫様の縁組が仰せ出された祝儀として、田嶋親方を介して中将様へ目録通り差し上げた品々は、江府到着後に披露され御満悦だったと伝える。三司官にこの旨の伝達を求め、名越右膳・高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の五名に実名判を記す。出典は全上。前510の出生祝儀と分け、縁組相手や婚礼実施日を補わない。

  61. 追録7-No.512 川上久致外四名家老連署書状(芳蓮院弔慰)(目録512)

    芳蓮院様の逝去に際し、田嶋親方を介して中将様へ申し上げた悔みは、江府到着後に披露したと伝え、三司官へその旨の伝達を求める。芳蓮院には斉宣室・佐竹氏の人物注がある。名越右膳・高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の五名が連署し各実名判と記す。出典は全上。芳蓮院は弔慰の対象であり書状宛先ではない。日付は…

  62. 追録7-No.513 川上久致外四名家老連署書状(為次郎逝去後の機嫌伺)(目録513)

    為次郎様の逝去に際し、中将様の機嫌を伺うため田嶋親方を介して申し上げた書面の趣旨を、江府到着後に披露したと伝え、三司官へ伝達を求める。為次郎には重豪男との人物注がある。名越右膳・高橋縫殿に続き、次頁の伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の連署と各実名判、三司官宛を記す。次頁には氏名表示のない実名判もあるため…

  63. 追録7-No.514 川上久致外四名家老連署書状(乗之助逝去後の機嫌伺)(目録514)

    乗之助様の逝去に際し、中将様の機嫌を伺うため田嶋親方を介して申し上げた書面の趣旨を、江府到着後に披露したと伝え、三司官へ伝達を求める。乗之助には重豪男との人物注がある。名越右膳・高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の五名連署・各実名判。出典は全上。前513の為次郎の件と同じ形式でも逝去者を分け、機…

  64. 追録7-No.515 太田資愛献上返書(魚偏品名一箱)(目録515)

    今朝献上された魚偏品名1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと資愛が返す。品名は鯣候補と読み、字形を留保する。資愛署判、口裏に太田備中守資愛・上総介宛、寛政10年12月16日の朱注を記す。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。同日同品の忠友返書516とは発給者を分ける。

  65. 追録7-No.516 水野忠友献上返書(魚偏品名一箱)(目録516)

    今朝献上された魚偏品名1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。品名は鯣候補として留保する。忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛、寛政10年12月16日の朱注がある。出典は全上。前515の資愛返書と、次517の歳暮御内書は発給者・用件・日付を分ける。

  66. 追録7-No.517 徳川家斉歳暮御内書(目録517)

    歳暮の祝儀として小袖1重が到来したことを歓覧し、詳しくは太田備中守が述べるとする家斉の御内書。本文は同頁下段から次頁上段へ続き、家斉公墨印、上総介宛、寛政10年12月27日の朱注を記す。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。太田は委曲を伝える担当者で、御内書発給者は家斉。

  67. 追録7-No.518 水野忠友歳暮祝儀返書(目録518)

    歳暮の祝儀として使者により献上された小袖1重を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、水野出羽守・上総介宛、寛政10年12月27日の朱注を記す。出典は全上。前517の家斉御内書と、次519の12月28日付破魔弓返書を分ける。

  68. 追録7-No.519 水野忠友破魔弓献上返書(目録519)

    大納言様へ使者により献上された破魔弓1飾を、首尾よく披露したと忠友が返す。忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛、寛政10年12月28日の朱注がある。出典は全上。前518の小袖献上返書とは献上対象・品物・日付が異なる。

  69. 追録7-No.520 安藤信成若菜祝儀返書(目録520)

    若菜の祝儀として献上された鯛1折を披露したところ、一段の御仕合だったと信成が返す書状。本文は同頁上段左端から下段右側へ続き、信成署判、口裏に安藤対馬守信成・上総介宛、寛政11年正月7日の朱注がある。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。同日同品の忠友返書521とは発給者・署判を分ける。

  70. 追録7-No.521 水野忠友若菜祝儀返書(目録521)

    若菜の祝儀として献上された鯛1折を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛、寛政11年正月7日の朱注を記す。出典は全上。前520の信成返書および次522の忌日改一件を区別し、別件の標題を本書へ転用しない。

  71. 追録7-No.522 圓徳院・浄信院忌日改一件(目録522)

    白木御文書六番箱中71号の一件包紙。寛政11年未正月7日、圓徳院・浄信院の忌日を実際の日へ改める件として、播磨殿へ仰せ渡した書付1通と、変更趣意について江戸詰家老衆から国元家老衆へ問合せた書状の写1通があり、一冊の表紙にこの記載があると説明する。人物注は圓徳院を島津重年、浄信院を敬姫・重豪女、播磨を…

  72. 追録7-No.523 安藤信成年頭祝儀返書(目録523)

    年頭の祝儀として使者により献上された太刀1腰・馬代黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと信成が返す。信成署判、安藤対馬守信成・上総介宛、正月11日と寛政11年の括弧表示がある。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。長文の忌日変更問合書とは別書状である。

  73. 追録7-No.524 水野忠友年頭祝儀返書(目録524)

    年頭の祝儀として使者により献上された太刀1腰・馬代黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛。朱注は寛政十年正月十一日とあり、十一カの校注を付し、目録は寛政11年とする。年次異同を残し、前523の信成同日返書と分ける。出典は全上。

  74. 追録7-No.525 島津斉宣吉書(目録525)

    斉宣署判の吉書で、神社仏閣修造興行、専ら勧農すること、国々の年貢徴納の3箇条を掲げ、その旨に従い沙汰するよう命じる。本文は寛政11年正月11日。白木御文書六番箱中72号、上包に吉書、外包に寛政11年未正月・御吉書1通とある。包紙注は同年2月23日、久馬殿から橋口善兵衛へ渡し、白木御文書六番箱に納め置…

  75. 追録7-No.526 重豪御鷹の鶴拝領(目録526)

    家斉が松平源兵衛を芝邸へ遣わし、御鷹が捕らえた鶴1雙を賜った。斉宣が記事の語り手に代わって恩旨を奉じ、老中邸へ赴いて謝恩したと記す。出典は重豪公御譜中、目録も重豪の鶴拝領記事。本文の数量1雙を保持し、使者の実名や代受理由は補わない。

  76. 追録7-No.527 太田資愛書状(歳暮御内書受取通知、目録527)

    歳暮の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう求める通知。差出人は太田備中守、宛名は上総介殿、朱注は寛政11年2月26日。目録は太田資愛書状。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。通知日と翌日の受取指定を分け、次528の斉宣帰国記事を本書へ転用しない。

  77. 追録7-No.528 斉宣帰国(目録528)

    3月13日、大樹公が上使を遣わして告を賜い、例の通り品物を賜った。世子家慶も上使を介して品物を賜い、15日に斉宣が登城して二公に拝謁・謝礼した。二公の懇命もあり、諸事は先例通りだったと記す。斉宣は25日に江府を発ち、5月15日に鹿城へ到着した。出典は斉宣公御譜中。発給の告、賜物、登城謝礼、出発・到着…

  78. 追録7-No.529 斉宣参勤の期を請問(目録529)

    この年、翌年の参覲の時期を幕府に問い合わせ、3月中にするのがよいとの令を受けたと記す。出典は全御譜中で、前528から年次寛政11年を承ける。翌年3月中という回答を、当年の参勤実施日や翌年の実際の出発日と混同しない。

  79. 追録7-No.530 忠公斉宣・英姫同系譜抄(目録530)

    御系図中。図に斉興・女子二人男子一人・忠公・女子を並べる。忠公は寛二郎、若狭、出雲、駿河、山城、楽水の名・称を掲げ、寛政11年3月29日生、母は操姫と同じと記し、実母中根半平正房女の注を伴う。島津山城忠貫の養子となり、明治5年8月13日卒、神号豊靈眞弓彦命とする。女子は英姫・籌姫と掲げ、寛政11年9…

  80. 追録7-No.531 忠公系譜抄(目録531)

    近秘野帥の斉宣公御子、忠公の系譜。忠高とも書き、小字寛次郎、若狭から出雲・駿河に改め今は山城と記す。寛政11年3月29日に芝邸で生まれたとするが、実は18日との注がある。母を丹羽長貴女と記し、実母中根半平正房女、その母の名曰於~の細字と寛政8年2月12日卒の注を付す。文化7年正月15日首途、2月9日…

  81. 追録7-No.532 文書所在書上(目録532)

    文書の所在・内容を五項目で書き上げる。白木六番箱74号・寛政11年4月は男子届振の家老問合せ・達書、同73号は若殿様その他子様方の母附書、同77号・同年5月8日は義村王子誓詞、七番箱6号・同日は与那原親方と嵩原親方の誓詞、六番箱78号・同年8月は有馬左兵衛佐へ旧記を御覧に入れた一条とする。所在番号・…

  82. 追録7-No.533 水野忠友菖蒲兜献上返書(目録533)

    大納言様へ使者により献上された菖蒲御兜1飾を首尾よく披露したと忠友が返す。上段の出典から下段本文・日付・署宛へ続き、忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛、寛政11年4月28日の朱注を記す。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。次534の母附書と区別する。

  83. 追録7-No.534 島津斉宣子女母書付(目録534)

    白木御文書六番箱73号の母附書。若殿様(斉興注)の母は浪人鈴木甚五郎娘、甚五郎家跡断絶と注す。乗之助・蓬之進の母は浪人杉浦作兵衛娘、操姫の母は浪人須山和太夫娘、於隣・剛之進の母は島津仲の妹、久建と女カの注を付す。貼紙は杉浦作兵衛政信・須山和太夫則勝という実名を留守居方に照会し、返答を心得書として送っ…

  84. 追録7-No.535 島津重豪男子出生届振一件(目録535)

    白木御文書六番箱74号、寛政11年未5月の男子届振一件の表紙。男子の届出順をめぐり、江戸詰家老市田勘解由から国元家老衆へ送った問合書と、そのほか諸書付の留で、詳しいものは御記録所にあると記す。後続の問合せ・別紙・通知・申渡書を案内する表紙であり、市田をこの包紙の独立宛先にしない。

  85. 追録7-No.536 徳川家斉端午御内書(目録536)

    端午の祝儀として帷子単物が到来したことを歓覧し、詳しくは安藤対馬守が述べるとする家斉の御内書。家斉公墨印、上総介宛、寛政11年5月2日の朱注を記す。数量は明記されない。安藤は委曲を伝える担当者で、発給者は家斉。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。

  86. 追録7-No.537 水野忠友端午祝儀返書(目録537)

    端午の祝儀として使者により献上された帷子単物を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、水野出羽守・上総介宛、寛政11年5月2日の朱注がある。品物数量は明記されない。前536の家斉御内書と次538の義村誓詞とは発給者・形式・用件を分ける。出典は全上。

  87. 追録7-No.538 義村朝宜起請文前書(目録538)

    白木御文書六番箱77号、霊社神文前書。義村王子朝宜が五箇条を誓う。前年、浦添王子の跡役を命じられたことへの謝意、御三殿様に逆意を抱かず忠義を尽くすこと、国王に疎略の志を持たず国中の末々まで政道を正し私欲で処置しないこと、悪逆を国中が一致しても自分は同意せず披露すること、自身の召出しがあれば速やかに参…

  88. 追録7-No.539 松平信明鰹節献上返書(目録539)

    今朝献上された鰹節1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す。本文は前頁下段から次頁上段の日付・署判・口裏へ続き、信明署判、松平伊豆守信明・上総介宛、寛政11年6月19日の朱注を記す。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。同日同品の忠友返書540とは別書状。

  89. 追録7-No.540 水野忠友鰹節献上返書(目録540)

    今朝献上された鰹節1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛、寛政11年6月19日の朱注を記す。出典は全上。前539の信明返書と、次541の端午御内書受取通知を区別する。

  90. 追録7-No.541 安藤信成書状(端午御内書受取通知、目録541)

    端午の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう安藤対馬守が求める通知。寛政11年7月2日の朱注、安藤対馬守署名、上総介宛がある。目録541は安藤信成書状。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。通知日と翌日の受取指定を分け、次542の生見玉返書の署判・日付を転用しない。

  91. 追録7-No.542 太田資愛生見玉祝儀返書(目録542)

    生見玉の祝儀として献上された黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと資愛が返す。資愛署判、口裏に太田備中守資愛・上総介宛、寛政11年7月6日の朱注を記す。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。生見玉の原語と金額を保持し、祝儀の制度的な意味は留保する。

  92. 追録7-No.543 水野忠友生見玉祝儀返書(目録543)

    生見玉の祝儀として献上された黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、口裏に水野出羽守忠友・上総介宛、寛政11年7月6日の朱注がある。出典は全上。前542の資愛同日返書と区別し、祝儀名の制度的な意味は既存の留保を引き継ぎ原語を保持する。

  93. 追録7-No.544 重豪御鷹の雲雀拝領(目録544)

    大家が玉虫八左衛門(千茂の注)を芝邸へ遣わし、御鷹の雲雀を賜った。島津淡路守忠持が記事の語り手に代わって恩旨を奉じ、各老邸へ赴いて謝恩したと記す。出典は重豪公御譜中、目録も重豪の拝領記事。鳥数や代受理由は明記されないため補わない。

  94. 追録7-No.545 伊勢貞矩申渡書(雄五郎の内輪会釈)(目録545)

    雄五郎様への内輪の会釈振りは、別段の沙汰通りにすることを御記録奉行へ命じる。比較対象の嶋津美作殿は御直子とされるが、出生時から現在の通りに扱ってきたため、本件の引合いにはならないとする。この旨を帳面へ記しておくよう求め、9月播磨署。白木御文書六番箱76号。本文に独立年・日はなく、次546の共通上包紙…

  95. 追録7-No.546 伊勢貞矩申渡書(雄五郎相続後の会釈)(目録546)

    雄五郎様が嶋津因幡殿の家跡を相続するので、表向きの関係は家格通りになるとする。一方、これまで本丸内で成長し江戸にも長く滞在、親類や大名らの応対も相応に受けてきたため、内輪の扱いは本人一代の間、従前の振合いに据え置くと命じる。家については同列の例にしてはならないことを帳面に記すよう求め、9月播磨署。因…

  96. 追録7-No.547 徳川家斉重陽御内書(目録547)

    重陽の祝儀として小袖1重が到来したことを歓覧し、詳しくは戸田采女正が述べるとする家斉の御内書。家斉公墨印、上総介宛、寛政11年9月7日の朱注を記す。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。戸田は委曲を伝える担当者で発給者は家斉。

  97. 追録7-No.548 水野忠友重陽祝儀返書(目録548)

    重陽の祝儀として使者により献上された小袖1重を披露したところ、一段の御仕合だったと忠友が返す。忠友署判、水野出羽守・上総介宛、寛政11年9月7日の朱注がある。出典は全上。前547の御内書と次549の受取通知とは発給者・形式・日付を分ける。

  98. 追録7-No.549 戸田氏教書状(重陽御内書受取通知)(目録549)

    重陽の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう求める。本文は前頁下段の出典から次頁上段へ続き、戸田采女正署名、上総介宛、寛政11年10月20日の朱注を記す。目録549は戸田氏教書状。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。通知日と翌日の受取指定を区別する。

  99. 追録7-No.550 松平信明淑姫入輿祝儀返書(目録550)

    淑姫様の入輿に際し祝儀として目録通り献上された品々を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す。信明署判、口裏に松平伊豆守信明・上総介宛、寛政11年11月16日の朱注がある。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。品々の内訳や入輿実施日をこの返書の日付から補わない。

  100. 追録7-No.551 川上久致外四名家老連署書状(年首祝儀)(目録551)

    中将様へ年首祝儀として目録通り差し上げた品々は、江府到着後に披露され御満足だったと伝え、その旨の伝達を求める。山田伯耆・高橋縫殿・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の五名連署・各実名判、義村王子と三司官宛。寛政11年11月28日朱注、出典は重豪公御譜中、写正文在琉球国司。品目内訳を補わず、連署者を宛名にし…