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追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 201~300件・3 / 30ページ

  1. 追録7-No.無番号_0100 水野壱岐守続書(1462の1、実名忠韶候補)

    1462の1、壱岐守様御続書。内室はお八重で、伯耆守の曽祖父溝口古浩軒の娘と記す。嫡子は周防守(忠実注)、松平大膳太夫の実弟とする。弟は水野内記(壱岐守の御手前にいた旨の注)、書院御番頭水野遠江守(忠善注)、交代寄合溝口摂津守(富静注)。甥欄は内田近江守(正肥注)、寄合長五郎(壽隆注)の惣領小濱徳太…

  2. 追録7-No.101 重豪、斉宣ノ参勤延期ヲ謝ス

    島津斉宣の参勤時期を延ばす特命に対する重豪の御礼を記す記事。前年寛政3年5月に斉宣が帰国の告を賜って今年の朝覲時期を伺ったところ、琉球使節を率いた特例として通常の時期を延ばし、秋7月に江都へ到着するよう老中奉書で命じられたとする。斉宣は使者を遣わして謝恩し、寛政4年正月18日には重豪も留守居を老中各…

  3. 追録7-No.無番号_0101 水野忠実続書(1462の2、養家・実方と保管追記)

    1462の2、周防守(水野忠実注)の続書。養父は壱岐守、養母はその奥方。叔父欄に水野内記・書院番頭水野遠江守・交代寄合溝口摂津守・内田近江守を掲げる。従弟欄は長五郎の惣領小濱徳太郎、内記の惣領藤五郎、その男安五郎、従弟女は同娘お喜代。養母方は伯母に南部伊勢入道(左衛門尉の養父)の内室、叔母に池田山城…

  4. 追録7-No.102 島津重豪覚書

    豊後守の当年の参勤時期を去る11日に伺ったところ、去々年に琉球人を召し連れて参府したため特例が認められ、7月中に参府するよう奉書が届いたことを記す覚書。豊後守は国元から使者を遣わして御礼を述べ、記録の主体も留守居使者を通じて老中へ御礼を伝え、伊木喜兵衛が取り扱ったとする。年次は朱注。本文に独立の署名…

  5. 追録7-No.無番号_0102 志岐正左衛門書状(近衛基前薨去・忌掛り)

    印刷枝番号「の1」。近衛前左府の薨去について、一昨日の急飛脚で申し上げたとおりと述べ、別紙のとおり各人の忌掛りを提出する。都君は大納言に準じ、五十日・十三箇月の忌服を請うとし、大覺寺・實相院の両御門跡は法中であるため三十日の慎みとなる旨を知らせる。江戸へは別に差し上げるとの但書がある。四月廿一日、京…

  6. 追録7-No.103 島津斉宣吉書

    島津斉宣の花押を伴う寛政4年正月11日付の吉書。神社・仏閣の修造興行、農事への専念、国々の年貢徴納を三箇条に掲げ、その趣旨に従って沙汰するよう命じる。外包紙には正月12日に雅楽殿から東郷浅之丞へ渡され、御文書六番箱へ納置されたとある。本文日付と受渡日、出典番号と外包紙の番号が別々に記される。

  7. 追録7-No.無番号_0103 近衛基前親類名書(印刷の2)

    印刷「の2」の別紙。近衛基前の親族を区分別に並べる。御母は圓臺院宮(経熙室・嶺子王女)、御簾中は維君(徳川氏・泰子)、御嫡は大納言(忠熙)、御縁女は都君(斉興養女)、御弟は大覺寺門跡(充深)と實相院門跡(義海)、御妹は大樹御臺所と享君(東本願寺門主室)とする。御外甥の列には西丸右大将家慶、峯姫(家斉…

  8. 追録7-No.104 斉宣参府ス

    島津斉宣の入来温泉行きと参府を記す記事。寛政4年2月8日に入来温泉へ行き、3月9日に戻った。4月21日に首途と記し、5月28日に府城を発ち木曽路を経て、8月朔日に芝邸へ到着したとする。12日に将軍が松平和泉守を遣わして邸で慰労し、15日に朝覲の礼を行った。出発日は本条では5月28日で、No.109の…

  9. 追録7-No.無番号_0104 志岐正左衛門書状(法号中陰別紙・入棺葬送予定)

    印刷「の3」の書状。別紙に御法号・御中陰御日割を掲げ、近衛家から届いたので差し上げると記す。入棺は明廿三日戌刻、葬送は五月六日酉刻に決まったとの知らせを受けたため、その旨を報告する。江戸へは別に差し上げるとの但書がある。本文末は辰四月廿二日、京都志岐正左衛門から御家老中へ。年は近衛基前薨去一件の文政…

  10. 追録7-No.105 島津久親外四名家老連署証状

    市来稲荷社別当大明寺へ宛て、鎧一領の奉納・保存を伝える五名連署の証状。古来稲荷社へ奉納されていた鎧は古製の珍器だが損傷し、製形を失いつつあるため、兵具方に格護させる指示が出たと述べる。その引替えとして掲げる鎧一領を納め、後年も疎略にせず格護するよう求める。名越右膳恒当・山岡雅楽久容・伊勢播磨貞矩・菱…

  11. 追録7-No.無番号_0105 近衛基前法号(印刷の4)

    印刷「の4」の別紙。近衛基前の法号として「證常樂院大圓正覺禪定殿下」と記す。法号の全文と「別紙」の表示を保持する。独立した日付・署名・宛名は記されず、御法号・御中陰日割を添える無番号_0104の書状に続く法号書として整理する。法号の記載だけから授与日や葬送実施日を補わない。

  12. 追録7-No.106 松平信明書状

    松平伊豆守(目録は信明)が島津重豪に、歳暮の御内書を渡すため、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう求める書状。宛名は松平上総介殿で、家来の氏名は本文に記されない。年次は朱注による。

  13. 追録7-No.無番号_0106 近衛基前中陰日割書(印刷の5・写)

    印刷「の5」、別紙・写、「略御中陰」の日割。初七日五月十二日、二七日同十六日、初月忌同十九日、三七日同廿日、四七日同廿三日、五七日同廿七日、六七日六月二日、盡七日同八日、百ヶ日七月廿九日と記す。各儀礼名と日付を原記載どおり並べる。末尾の朱書は、文政三年辰五月十六日に安房殿から本書を下され、帳留してお…

  14. 追録7-No.107 徳川家斉御内書

    徳川家斉が島津重豪に、端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、詳しいことは鳥居丹波守(人物注は忠意)が述べると伝える御内書。宛名は松平上総介殿で、家斉公の墨印を伴う。年次は朱注による。

  15. 追録7-No.無番号_0107 志岐正左衛門添状(近衛家用人通知の取計らい)

    印刷「の6」。別紙写のとおり近衛家の御用人から知らせがあったので、その趣を送ると述べる。家老衆へは別に申し上げないため、適切に取り計らうよう求める。江戸の同役へは別に申し送ったとの但書がある。四月廿七日、京都志岐正左衛門から御国元御使番衆へ。年は文政三年の近衛基前薨去一件の表紙による。近衛家用人の通…

  16. 追録7-No.108 島津斉宣諭達

    島津斉宣が家老・若年寄・大目付に、留守中の領内取締りを念入りに行うよう命じる諭達。去々年の発足前に細かく申し付けた趣旨を引き継ぎ、二之丸造立が成就して中将様の下向を願っていたところ、当秋中との返答を受けたと述べる。心配はなお残り、一統の風俗を見聞した際に思わしくない点があれば迷惑となるとして、役々に…

  17. 追録7-No.無番号_0108 木村左兵衛尉・立野丹後守連署書状写(維君薙髪)

    印刷「の7」、写。維君が昨夜薙髪し、維學心院と称したので心得のため知らせると記す。四月廿三日、立野丹後守と木村左兵衛尉が連署し、志岐正左衛門に宛てる。維學心院の維には「イ」の傍注を伴う。年は文政三年の一件表紙による。続く朱書は、文政三年辰五月廿一日に安房殿から本書を下され、帳留しておくよう命じられた…

  18. 追録7-No.109 斉宣参勤ス(斉宣郡元一宮ヲ修補ス)

    斉宣公御譜中の記事で、参勤と社の修補の二事項を収める。寛政4年5月27日の午上刻に鹿城を発ち、秋8月朔日に江府へ到着し、幕府上使から懇命を伝えられたこと、登城して参覲の礼を述べる等のことは例どおりであったが月日を失って記せないとする。6月には鹿南の郡元村の一條之宮を修補し、匾額を献じたと記す。宗高の…

  19. 追録7-No.無番号_0109 新納久命申渡書(元服の帳面記載・1795の1)

    印刷の「の一」に当たる文書。若殿が先月4日、太守の加冠で家伝の元服式を行い、又三郎へ改称し、実名を忠方と称した旨を記す。忠方には「カタ」の読みを付す。作法の万端が先格の通り首尾よく済み、祝いの次第は別冊の通りであると申し来たので、帳面に記しておくよう記録奉行へ求める。本文は4月、内蔵と記し、内蔵には…

  20. 追録7-No.110 鎌田政詮覚書

    鹿児島郡郡元村の一條之宮を修覆し、三十六歌仙の額を掲げたことを伝える鎌田政詮の覚書。額は三十六面で、但書に三十六歌仙を御右筆が調えたとある。島津斉宣が谷山へ遠馬した際に宮を見て、社頭などが古くなっていたため修覆を命じ、神前に額を掛けるよう指示したとする。この時に修覆が成就し、寺社奉行に掲額を申し付け…

  21. 追録7-No.無番号_0110 早川兼備届書(本文署名・早川千竃、1795の2)

    印刷の「の二」に当たる文書。松平邦丸が昨日4日に家伝の元服式を行い、又三郎と改名したので、その旨を届けると記す。3月5日付、松平豊後守の使者として早川千竃が署名する。文政四年は同冊表紙と元服関連記事による。本文には届け先の名を示さず、次の「の三」の添書が御用番水野出羽守への提出経緯を記す。昨日の元服…

  22. 追録7-No.111 鳥居忠意書状

    島津重豪が今朝の鰹節一箱を献上したことについて、鳥居忠意が披露済みである旨を重豪に知らせる返書。「一段之御仕合」と述べる。6月4日付で、忠意の署名、松平上総介殿の宛名と鳥居丹波守忠意の包紙表示を伴う。年次は朱注による。

  23. 追録7-No.無番号_0111 早川兼備首尾書(本文署名・早川千竃、1795の3)

    印刷の「の三」に当たる首尾書。「書付一通」として、若殿が昨日4日に元服式を行い又三郎と改名したことを届けるため、自分の名前で提出する書付を掲げる。この書付を御用番水野出羽守の用人五十川左司馬へ持参し、説明の上で差し出したところ、受け取った旨をその用人から聞いたと記す。今朝出向いた次第を報告する、3月…

  24. 追録7-No.112 斉宣、重豪居館ノ二丸ヲ建築ス

    島津斉宣が父・重豪の在国中の居館として二丸を建築した経緯を記す記事。天明7年に家老二階堂主計行旦を工事の惣宰に命じ、11月に着工し、翌年8月24日までに広間・書院などが粗成したとする。その後、京都の大火で大内と二條城が焼け、幕府の再建費が大きかったため、斉宣は献金を願い出て許され、20万金を納めた。…

  25. 追録7-No.無番号_0112 市田義宜申渡書(元服準備・1795の4)

    印刷の「の四」に当たる準備の申渡書。大御書院の格式に従い、座之間で家伝の元服式を行うための手当を定める。座之間の床には掛物・寿老人・立松・棚飾を用意し、別項に「草之仁重瓶子」と記して「金カ」の注を付す。座之間と小座敷の床にも掛物・寿老人・立松・棚飾を施し、ほかの座向きの絵様・活花・棚飾も準備する。式…

  26. 追録7-No.113 斉宣、重豪ノ政務介助ヲ請フ

    島津斉宣が参勤を前に、父・重豪に引き続き国政を介助するよう請い、重豪が辞退を重ねた末に承諾した経緯を記す記事。前年辛亥5月に斉宣が帰国の告を賜って次の朝覲時期を伺うと、琉球使節を率いた特例として時期を延ばし、翌年秋7月に江府へ到着するよう老中奉書で命じられたとする。記事の壬子年には斉宣が夏5月に参勤…

  27. 追録7-No.無番号_0113 島津斉彬元服次第(1795の5)

    印刷の「の五」に当たる家伝の元服式次第。大御書院が未成のため、その格式で座之間にて行う。理髪役は川上美濃久芳、打乱は奥小姓有川勇四郎。南方二畳目障子際に若殿を置く。当日の吉時、太守が上段へ出座し、乱箱に筝刀(原表記)・押板、打乱を添えて持参する。若殿は元服髪・熨斗目長袴を整え、美濃が付添って南縁頬か…

  28. 追録7-No.114 島津久親外三名家老連署申渡書

    重豪の政務介助の名目を継続するよう願い、家老らがその意向を説明する申渡書。重豪は深い思召と持病の疝痛・脚痛を理由に未年に隠居を願い、斉宣の家督相続が認められたが、斉宣が若年で初めて政務に当たるため重豪が介助し、5年に及んだと述べる。斉宣も成人したので重豪は前年の出発前に介助を断る意向を示したが、国政…

  29. 追録7-No.無番号_0114 吹上拝見指図書(附書一・須田與左衛門口達写)

    掛御目付須田與左衛門の口達を書き取った写しで、No.1875吹上庭観遊一件の附書一。道筋は坂下御門・紅葉山下御門・吹上矢来御門とし、坂下から内へは許された供だけを召し連れる。挟箱一つは紅葉山下御門に残し、御徒目付・御小人目付が先導する。内供は矢来門から吹上半蔵口へ、外供は外桜田御門経由で同所へ案内し…

  30. 追録7-No.115 鳥居忠意書状

    端午の御内書を渡すため、翌日の五半時に御城へ家来を差し出すよう島津重豪に通知する書状。6月24日付で松平上総介殿宛、鳥居丹波守の表示を伴い、末尾には右膳と記す。目録は鳥居忠意書状とする。御内書の伝達予定と家来の登城時刻を伝えたもので、本文には御内書自体の内容は載せない。年次は朱注による。

  31. 追録7-No.無番号_0115 吹上観遊覚書(附書二・11日の連絡と13日の観遊)

    No.1875一件の附書二。十月十一日に御小人目付春日井忠次郎から留守居へ、服紗包持・杖持を別に召し連れてよいこと、曇天時の傘、替草履の受渡しについて連絡した記録に続く。十三日は朝六時に供を揃え、羽織で広敷玄関から出宅し、坂下・冠木門で下乗する。御徒目付一人・御小人目付二人が先立ち、城内の供は刀番三…

  32. 追録7-No.116 松平乗完書状

    島津重豪が「生見玉」の祝儀として黄金十両を献上したことについて、松平乗完が披露済みである旨を重豪に知らせる返書。「一段之御仕合」と述べる。7月6日付で乗完の署名、松平上総介殿の宛名を記し、包紙表示は松平和泉守乗完。年次は朱注による。本文は祝儀の数量を示すが、祝儀の対象者の名は記さない。

  33. 追録7-No.無番号_0116 吹上観遊道順書(附書三・御道書写)

    「御道書写」と題する、No.1875吹上庭観遊一件の附書三。吹上御門から花壇・馬見所・瀧見茶屋を経て、井戸屋形、孟宗竹脇、鳥籠、泉水端胡桃山下道、白鳥堀織殿の鷹部屋、庭入口の門へ至る経路を記す。さらに葡萄棚下・弁天社・八ツ橋・瀧見茶屋前・沢渡・瀧壺前・木屑山鳩腰掛・菩提樹山・地主山高台・なだれ坂・石…

  34. 追録7-No.117 重豪御鷹ノ雲雀ヲ拝領ス

    将軍徳川家斉が村瀬平四郎を芝邸へ遣わし、御鷹の雲雀を重豪に賜ったことを記す記事。村瀬には俊総の人物注を伴う。本多豊後守が重豪に代わって恩旨を奉じ、その後、老中の各邸を訪れて拝謝したとする。本文の本多の名は助受と記す。年次は目録によるもので、本文に具体的な月日はない。

  35. 追録7-No.無番号_0117 吹上諸御家屋飾付覚(附書四・覚写)

    「覚写」と題する、No.1875吹上庭観遊一件の附書四。花壇・瀧見・諏訪・紅葉・楠木屋・御構・新茶屋の飾付を、床・棚・附床などの区分ごとに配列する。花壇茶屋には床の象略図、水晶玉の置物、棚の舞楽巻物に続き、鉄刀木軸盆・鶴丸硯・珊瑚珠を掲げる。瀧見茶屋は床の「御物敷」「志津」や養川院筆、白鳥の置物、棚…

  36. 追録7-No.118 戸田氏教書状

    若君様の七夜を祝う贈り物について、戸田氏教が島津重豪に謝意を伝える書状。重豪から使者を通じて公方様・若君様へ目録どおりの品が献じられ、披露したところ一段の御仕合であったと述べる。7月19日付、氏教の署名、松平上総介殿の宛名と戸田采女正氏教の包紙表示を伴う。贈答品の具体的な品目や数量は本文に載せない。…

  37. 追録7-No.無番号_0118 吹上拝領物覚(附書五・拝領物覚写)

    「拝領物覚写」と題する、No.1875吹上庭観遊一件の附書五。花壇の馬見所では虫喰花生を掲げ、「演御庭橋杭」と由来を記す。橋杭による品物として採録し、御庭名の同定は留保する。吹上御庭には鶴香合、鳥籠には本丸で生まれた浅黄鳩一番、地主山の亭には提重、田舎楠木屋茶屋には吹上御庭の竹による煙草盆を列記する…

  38. 追録7-No.119 重豪帰国ス

    重豪の帰国許可、療養を含む道中、帰府後の謝恩を記す記事。8月5日、斉宣は父・上総介が藩内温泉で入浴して脚の宿病は軽快したものの再発の苦しみがあるため、9月初旬から江戸を発ち帰国療養する期限の猶予を願う。17日に斉宣が奉書で召され、白書院廂下で老中松平伊豆守信明から重豪の帰国許可と道服三領の下賜を伝え…

  39. 追録7-No.無番号_0119 吹上献立写(附書六・茶屋別料理と書付受渡し)

    「御献立写」と題する、No.1875吹上庭観遊一件の附書六。瀧見茶屋の本膳には煎酒、紅白のかき鱠・さより細作り・花形のたひらきなどの膾、海老しんしょの汁、香物、山吹たい・竹の子・三つ葉セリの煮物、食を掲げる。二の膳には杉箱の濃醤、白魚の汁、梅干入り菊味、小たいの焼物、澄し吸物、するめや骨抜き甘鯛、酒…

  40. 追録7-No.120 斉宣、重豪ノ帰国療養ヲ願フ

    島津斉宣が父・重豪の帰国と温泉療養を幕府に願い、その許可と帰国の実行を記す記事。8月5日に幕府へ上書して父の帰国・入浴を請い、17日に老中奉書によって城へ召された斉宣に許可が伝えられたとする。重豪は9月1日に江府を発ち、雄五郎を伴って10月22日に府城二丸へ入ったと記す。編者の按語は、帰国する重豪が…

  41. 追録7-No.無番号_0120 桃次郎養子成一件附一(上野帯刀書状・許可後の取扱い)

    上野帯刀が三家老へ、桃次郎の松平備前守への聟養子許可と後の取扱いを報告する。十五日に表向きの引結びを済ませ、十八日に願書を提出、用番阿部備中守へ先手奥山主税助を使者に出した。二十一日に備前守が登城し、桃次郎は風邪で同座できず名代を相談したが不要の指図があり、願いどおり聟養子が命じられた。同日、御三殿…

  42. 追録7-No.121 島津斉宣願書

    島津斉宣が父・重豪の持病再発を理由に、国元の温泉療養のため約1年の御暇を願う願書。重豪は去る未年に願い出て国元で入湯し、快復して出府したが、その後も時々再発して難儀しているため、再び温泉療養を求めるとする。許可されれば当年9月初旬に江戸を発ち、御暇の期間中でも快復した時は届け出て参府する意向を記す。…

  43. 追録7-No.無番号_0121 桃次郎養子成一件附二(本田久米右衛門の進達取次報告)

    本田久米右衛門が監物へ、桃次郎の聟養子届書の進達取次を報告する。阿部備中守の勝手へ出向いて用人岩原市之丞と会い、備前守から翌朝の進達を願っていると伝えたところ、備中守も承知しており、勝手の都合に応じて提出してよいと告げられたという。備中守方から先手奥山主税助を通じた依頼もあり、翌朝届ける希望を用人と…

  44. 追録7-No.122 幕府指図書

    重豪の温泉療養のための帰国御暇を、願いどおり認める幕府の指図書。持病のため国許へ戻って入湯したいとの願いを許し、約1年滞在して参府するよう命じる。快復した場合には御暇の期間内でも本人の意向により参府してよいとし、拝領物も申し付ける。朱注には8月16日に奉書が到来し、翌17日に斉宣が登城して白書院御縁…

  45. 追録7-No.無番号_0122 桃次郎養子成一件附三(野崎良右衛門の添書・届書受領報告)

    野崎良右衛門が帯刀へ、養子届に伴う添書・届書の受領経緯を報告する。今朝、用番阿部備中守へ奥山主税助を通じて出した添書の件で備中守門前に出向き、主税助が口合せに来た後、備中守はまもなく退出したという。添書は備中守へ差し出され、主税助から既に受領したと聞いたため、備中守へ直接会い、届書を受け取って挨拶の…

  46. 追録7-No.123 島津斉宣伺書

    斉宣が、弟の島津雄五郎も痛所があるため、帰国入湯を許された重豪に同行して温泉療養することを伺う書。雄五郎は先年届け出てある者であり、重豪が参府する時には雄五郎も再び召し連れて戻る予定とする。8月23日付で松平豊後守名義、雄五郎に忠厚の人物注を伴う。朱の付札は「可為伺之通候」として願いどおりを認める。…

  47. 追録7-No.無番号_0123 桃次郎養子成一件附四(翌日四時の登城奉書・名代不要)

    野崎良右衛門が帯刀へ、阿部備中守から備前守へ桃次郎と同道して翌二十一日四時に登城するよう奉書が届いた旨を報告する。桃次郎が風邪のため、名代を差し出してよいか備前守が相談したところ、名代は不要との指図があり、その旨を備前守の留守居から知らせてきたという。十二月二十日付。左右の届書が御譜中にもあるため、…

  48. 追録7-No.124 菱刈実祐・山岡久容家老連署書状

    山岡市正・菱刈大炊が在国側の島津求馬・伊勢播磨・市田勘解由・名越右膳へ送った9月1日付の連署書状。先月25日、御本丸の老女から重豪側の御年寄が呼び出され、重豪の湯治御暇と出発に際して将軍が召した羽織を拝領し、女性の使者が御礼を済ませたことを報告する。一門や外様へも知らせ、使番は先例どおり取り扱うよう…

  49. 追録7-No.無番号_0124 桃次郎養子成一件附五(住居整備までの滞留届受領)

    野崎良右衛門が帯刀へ、桃次郎の当面の居住に関する届書が受け取られたと報告する。桃次郎を備前守方へ引き移す予定だったが、住居の普請を後日に行うため、しばらく従来のまま滞留させたいという届である。阿部備中守の用人岩原市之丞へ自ら出向いて提出し、受領されたことを同人から聞いたと記す。十二月二十六日付。末尾…

  50. 追録7-No.125 島津久親外三名在国家老連署返書

    在国家老の島津求馬ら四名から、山岡市正・菱刈大炊の9月1日付書状に答えた10月10日付の返書。大字の本書に小字の朱文を挟む形式で、本文を承知したことをまず述べ、御内證様からの祝儀の扱いは従来のとおり、今日の便で申し上げるよう求める。一門や月次御礼に出た者についての扱いを答え、御両殿様への祝儀は先月2…

  51. 追録7-No.無番号_0125 小納戸役書状

    鶴首茶入の献上に関する由緒、ほかに知られている由緒等を急ぎ確認するため、今日八時過ぎの間に細かく書き認め、申し出るよう御小納戸が御記録奉行へ求める書状。十月十四日付、急御用の表示と磯註を伴う。急ぎの由緒照会という用件と時限を保持する。

  52. 追録7-No.126 徳川家斉御内書

    徳川家斉が、重陽の祝儀として重豪から小袖一重が届いたことを喜び、詳しくは松平越中守が述べると伝える御内書。9月2日付で家斉公の墨印表示を伴い、松平上総介殿に宛てる。年次は朱注による。贈り物の到来を述べた返答で、重陽当日の儀式や越中守からの説明内容そのものは本文に載せない。

  53. 追録7-No.無番号_0126 鍋倉固阿弥書状

    鍋倉固阿弥が三名へ、鶴首茶入献上の由緒と付属道具を調べた結果を詳しく伝える書状。享保六年六月二十八日、浄国院の隠居礼に吉宗から茶入一箇が贈られた旨の系図・証書を挙げ、茶入を唐物とも利休鶴首とも記す。元の献上前に池島立佐が調査し、のち国元から取り寄せて書院役が鑑定を依頼したが由緒記録がなかったため、原…

  54. 追録7-No.127 島津忠厚恩礼使ヲ終へ帰府ス

    寛政4年9月1日に雄五郎君を伴って芝邸を発ち、10月22日に府城二丸の館へ到着したと記す短い記事。本文は移動の両端の日付と場所だけを示し、途中の道程や謝恩使者の使命終了を述べない。目録標題は「島津忠厚恩礼使ヲ終へ帰府ス」とするが、本文の記述は芝邸から府城への移動であり、標題との対応は留保する。関連す…

  55. 追録7-No.無番号_0127 愛甲嘉阿弥・鍋倉固阿弥連署書

    鍋倉固阿弥・愛甲嘉阿弥が三名へ伝える鶴首茶入と献上品の覚。鶴首茶入は利休鶴首と銘書調べがあるとし、袋三つを古金襴・沼鳩萬字切・古日野かいき、蓋三つを利休好形・小堀遠江守好形新作・古田織部好形と列挙する。公方へ五福神軸二巻を挙げ、去月二十八日に総州(斉彬の注)が献上して首尾よく納まり、一位様も大慶した…

  56. 追録7-No.128 重豪、浚明院徳川家治ノ七回忌ニ献銀

    徳川家治の七回忌法事への重豪の献銀を記す記事。9月8日に大家が寛永寺で浚明廟の七回忌法事を営み、9日までと記す。その翌日に重豪は物頭の北條加之助守道を使者として白銀二枚を献じ、拝礼したとする。浚明廟に徳川家治の人物注を伴う。法事の開催期間と重豪の使者による献銀の時点を区別する。

  57. 追録7-No.無番号_0128 島津久常書状

    島津将監久常が、献上する鶴首茶入は二千枚程で調達したもので、家に長く伝えられた道具であるから、由緒を官で調べてほしいと述べる書状。利休鶴首とし、利休作の蓋や袋に日野かんとう・利休の扱いを記すが、それを伝承として採録する。六月十五日の便で隼人からの報告があり、書院役へ伝えるよう求める。天保六年七月朱注…

  58. 追録7-No.129 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、公方様・若君様の機嫌を尋ねられたことへ返答する書状。両者はますます勇健であるので安心するよう伝え、併せて献じられた干鯛一箱を皆で相談して披露し、一段の御仕合であったと述べる。9月18日付、戸田采女正氏教の署名で松平上総介殿に宛てる。年次は朱注による。安否伺いへの返答と贈…

  59. 追録7-No.無番号_0129 奥医師秘抄目録書(の1)

    重豪の前年夏以来の病状を概説し、辰十二月十五日から巳正月十日まで、脈状・舌や口の乾燥・食欲・睡眠・寒気の影響・気力・排便などを日別に記した高輪詰奥医師の記録。高齢による陽気の衰弱と説明し、杉本宗春院の診察、熊参湯の継続、寒気を防ぐ薬、建中湯加減・調中益気湯の兼用などを記す。正月には食量の減少と疲労が…

  60. 追録7-No.130 重豪、宥邦院島津継豊ノ三十三回忌ニ献銀ス

    宥邦公の三十三回忌法事に際する重豪の香奠を記す記事。9月18日から20日まで3日間、福昌寺で法事を営み、重豪が家老の伊勢播磨貞矩を使者として香奠銀三枚を献じ、拝礼したとする。宥邦公には島津継豊の人物注がある。出典表示には斉宣公御譜中にも同じ記事がある旨を記す。

  61. 追録7-No.無番号_0130 奥医師食量目録書(の2)

    高輪詰奥医師が重豪の食量を日別に列記した添付表。十二月十五日から正月九日までの二十五項目に、三度の食事の合計を匁・分で記す。初日の合六十六匁五分に別枠の蕎麦十二匁を加え、十二月二十二日には合四十一匁五分のほか夜五ツ半時の粥十二匁を記す。正月に入っても増減があり、元日は四十五匁、六日は二十一匁八分、八…

  62. 追録7-No.131 重豪、一唯君島津久保ノ二百年忌ニ献銀ス

    一唯君の二百年忌法事に際する重豪の香奠を記す記事。閏9月7日から8日まで、谷山郷の皇徳寺で法事を営み、重豪が家老伊勢播磨貞矩を使者として香奠金二百匹を献じ、拝礼したとする。一唯君には島津久保の人物注がある。斉宣公御譜中にも記事があると記す。目録題は献銀とする一方、本文の数量表記は香奠金二百匹であり、…

  63. 追録7-No.無番号_0131 島津斉興祭文

    No.2704の附属資料「の1」に当たる斉興の祭文。天保四年癸巳夏四月、重豪を皇祖考・故従三位左近衛中将薩隅日三州主兼領琉球国源公、大信院殿栄翁如證大居士と称し、すでに国元福昌寺へ帰葬したと述べる。肖孫源朝臣斉興は東武にあって西方の祖父を思う悲哀に堪えず、四月十三日に族臣忠喬へ祭祀の供えを献じさせ、…

  64. 追録7-No.132 松平乗完書状

    松平乗完が重豪の書状を披見し、将軍の安否と浚明院の七回忌法事について返答する書状。公方様は機嫌よく過ごしていると述べ、東叡山で七回忌法事を執行し終え、去月8日に霊前へ参詣したことを聞いて重豪が恐悦している旨を承知したとする。その書状の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと伝える。10月7日付、乗完の署…

  65. 追録7-No.無番号_0132 島津斉彬祭文

    No.2704の附属資料「の2」に当たる斉彬の祭文。天保四年癸巳夏四月、重豪を皇曾祖考・故従三位左近衛中将、薩隅日三州主兼領琉球国源公・大信院殿栄翁如證大居士と称し、すでに国元玉龍山へ帰葬したと述べる。不肖曾孫源朝臣斉彬は東武にあって哀慕に堪えず、四月十三日に族臣忠剛へ供えを献じさせ、曾祖父の霊に告…

  66. 追録7-No.133 本多忠籌書状

    浚明院の七回忌法事に際して、重豪が使者を通じて献じた香奠を東叡山へ奉納したことを伝える本多忠籌の書状。法事が執り行われたことに伴う献上であり、奉納した旨を言上したと述べる。10月8日付、忠籌の署名、松平上総介殿の宛名を記し、包紙表示は本多弾正大弼。年次は朱注による。本文には香奠の数量は記されない。

  67. 追録7-No.無番号_0133 島津忠公祭文

    No.2704の附属資料「の3」、島津山城忠公が重豪を祭る文。天保四年の春、国主重豪が高輪邸で二月初三日に死去し、尊霊を国元へ戻して四月八日に法儀により福昌寺で葬ったと、祭文の表向きの経過を記す。中陰の日に族臣源忠公が悲哀に堪えず、山菜などの供えを備えて尊霊へ祭祀を行うと告げる。本文注は忠公を越前家…

  68. 追録7-No.134 島津久親書状

    島津求馬が琉球の三司官に、中将様への年首祝儀を目録どおり差し上げた旨の書状を受け、披露したところ満足されたと伝える書状。この趣旨を先方へ知らせるよう求める。11月3日付、嶋津求馬の署名、三司官の宛名を記し、實名判との表示を伴う。差出人の久親と年次は目録による。本文には祝儀の個別品目・数量はない。

  69. 追録7-No.無番号_0134 島津久徳祭文

    No.2704の附属資料「の4」、島津内匠久徳が献じた祭文。重豪を三州兼領琉球国源公・大信院殿栄翁如證大居士と称し、高輪邸で病に伏し医療が効かず二月三日に正寝で死去、翌日から執事が霊柩を奉じ、四月某日に薩府玉龍精舎へ帰葬したと述べる。中陰の日に族臣源久徳が追慕の情を告げ、領地の僧侶に供えを備えさせ尊…

  70. 追録7-No.135 島津久親書状

    次郎様の御五男について届が済んだことを祝う贈り物を、中将様へ披露したと三司官に伝える島津求馬の書状。祝儀のため喜屋武親方が差し上げられ、中将様へ太刀一腰・御馬代白銀五十両と目録どおりの品を進上したところ、満悦されたと述べる。この旨を先方へ知らせるよう求める。11月13日付、嶋津求馬の署名、三司官の宛…

  71. 追録7-No.無番号_0135 島津貴典祭文

    No.2704の附属資料「の5」、島津讃岐貴典が献じた祭文。国主重豪の不調と医療の効験がないことを嘆き、二月初三日に東武で死去したと述べる。千里を隔てて霊柩が国元へ戻り、四月初八日に仏式で葬って福昌寺に奉安されたと、祭文の経過を記す。中陰の日、族臣藤原貴典が悲哀に堪えず、領地の心翁禅寺の僧侶に福昌寺…

  72. 追録7-No.136 島津久親書状

    将軍の代替祝儀で差し上げられた宜野湾王子の登城・拝領に対する御礼と、その祝儀品の披露を三司官に知らせる島津求馬の書状。宜野湾王子は太守様に召し連れられて江府へ赴き、二度登城して御目見し、上意を受け、御暇を賜る際に御奉書と御目録記載の品を拝領したとする。従者たちにも拝領物があり、その御礼として喜屋武親…

  73. 追録7-No.無番号_0136 島津忠喬祭文

    No.2704の附属資料「の6」、島津安藝忠喬が献じた祭文。重豪を故従三位左近衛中将、薩隅日太守兼領琉球国大信院殿栄翁如證大居士と称し、天保癸巳の春二月三日に江戸邸で死去、夏四月八日に薩府福昌禅寺で葬ったと、祭文の経過を記す。法筵を数日営む中、族臣源忠喬が哀痛に堪えず、領地の光臺寺僧侶を伴ってその筵…

  74. 追録7-No.137 島津久親書状

    太守様が当年7月中に参府するよう命じられたことを祝う贈り物を、中将様に披露したと伝える島津求馬の書状。喜屋武親方を通じて中将様へ太刀一腰・御馬代白銀五十両と目録どおりの品を贈り、披露したところ満悦されたと述べる。この旨を先方へ知らせるよう求める。11月13日付、嶋津求馬の署名と實名判の表示があり、宛…

  75. 追録7-No.無番号_0137 島津久風祭文

    No.2704の附属資料「の7」、島津但馬久風が献じた祭文。冒頭は天保四年歳次癸巳四月朔辛丑から乙卯に至る日を記す。干支の辛丑から乙卯は十四日後で、朔日を一日とすれば十五日相当になる。臣藤原久風が供えをもって故従三位左近衛中将大信公の霊を祭ると述べ、日置家との本文注を伴う。続く散文は、重豪の英明と絶…

  76. 追録7-No.138 重豪、竹千代ノ色直ヲ賀ス

    竹千代君の色直を祝う重豪の献上を記す記事。11月15日、物頭を使者として登城させ、家斉公・竹千代君・御臺所に献上して竹千代君の色直を祝ったとする。献上の数量表記は、それぞれ「一種千匹」とある。使者の氏名や献上品の具体的な品名は本文に記されない。

  77. 追録7-No.無番号_0138 島津久知祭文

    No.2704の附属資料「の8」、島津遠江久知が献じた祭文。重豪が東都高輪館で病に伏し、医療が効かず二月三日甲辰に死去したと、祭文の経過を記す。霊柩は国元へ戻り、玉龍精舎で仏儀を営んだと述べ、中陰の日に臣源久知が哀悼に堪えず、供えを献じ祭祀を行うと告げる。本文注の「花岡家カ」は疑問を付したまま保持す…

  78. 追録7-No.139 戸田氏教書状

    若君様の色直を祝う贈り物について、戸田氏教が重豪に謝意を伝える書状。重豪から使者を通じて公方様・若君様へ目録どおりの品が献じられ、披露したところ一段の御仕合であったと述べる。11月15日付、戸田采女正氏教の署名、松平上総介殿の宛名を伴い、年次は朱注による。本文には贈答品の個別品目・数量はない。

  79. 追録7-No.無番号_0139 島津久寶祭文

    No.2704の附属資料「の9」、島津圖書久寶が献じた祭文。重豪が二月三日に武江で死去し、国元玉龍山に帰葬して冥福を修める水陸法会を設けたと、祭文の経過を述べる。臣藤原久寶は、これまで教育を受けた末属として、領地の雲秀寺の僧徒を遣わして法筵に列させ、祭祀を行うとする。本年四月十五日を明記し、宮之城家…

  80. 追録7-No.140 幕府、斉宣ノ皇居新営ノ助勢ヲ賞ス・斉宣、竹千代色直ノ賀品ヲ拝戴ス

    島津斉宣の登城褒賞と、竹千代君の色直に伴う賀品の受領を併記する記事。11月11日、斉宣は召されて登城し、皇城新営の費用を助けるため20万両を献じた功として、家斉公から刀一腰と時服五十を賜ったとする。刀の小注には青江貞次、長弐尺三寸五部半、代金弐拾枚の記載がある。続く19日の条では、竹千代君が奏者番青…

  81. 追録7-No.無番号_0140 島津久長祭文

    No.2704の附属資料「の10」、島津丹波久長が献じた祭文。冒頭は天保四年四月八日、重豪の霊柩が本府城北玉龍山へ帰葬したことを記す。臣久長は国老の一員として一家とも大きな恩を受け、それを報いるすべが分からず永い悲しみを抱くと述べる。中陰の日に茶菓などの供えを備え、霊へ告げる。続く韻文は、清和の貴胄…

  82. 追録7-No.141 幕府、斉宣ノ皇居新営ノ助勢ヲ賞ス

    皇城新営への斉宣の献金と、それに関与した者への褒賞を記す記事。斉宣は工料を助けるため20万両の納入を願い、毎年5万両ずつ4年で終えるとの小注がある。11月11日に大家から御刀一腰・時服五十を賜り、その功を賞されたとする。刀には青江恒次の注を伴う。事業を担った家老島津伊賀久金・菱刈大炊隆邑には各銀五十…

  83. 追録7-No.無番号_0141 島津久輔祭文

    No.2704の附属資料「の11」、永吉邑主の島津主殿久輔が献じた祭文。天保四年歳次癸巳四月朔辛丑から十六日へ至る表記を付し、藤原久輔が祭祀の供えをもって大信公の霊を祭ると述べる。韻文は敏才、賢材の登用、宗廟と学校の建設、学風、武場、治政、民の安寧、琉球に及ぶ施しと、仁と礼による文武の徳を讃える。巡…

  84. 追録7-No.142 本多忠籌書状

    本多忠籌が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と、帰国御暇・御羽織拝領への御礼を承知したと伝える書状。公方様・若君様はますます機嫌よく、重豪が御暇と御羽織の拝領を重ねて有難く思っている旨を受け止める。国許到着後の御礼として谷村孫右衛門を通じて目録どおりの品を献じ、披露したことについて、書状の趣旨を承…

  85. 追録7-No.無番号_0142 島津久福祭文

    No.2704の附属資料「の12」、島津杢久福が献じた祭文。重豪が二月三日に東武高輪邸で死去し、霊柩を国元へ戻し、四月戊申日に福昌寺へ葬ったと、祭文の経過を記す。執事が霊柩を奉じ、公族が葬礼に従う際、世臣藤原久福が薄い供えを献じて霊へ告げる。本文注は佐多家とする。韻文は世の英雄、治績と教化、礼譲、宗…

  86. 追録7-No.143 戸田氏教書状

    谷村孫右衛門を翌6日の四時に御城へ差し出すよう、松平豊後守殿の留守居に通知する短い書状。12月5日付で、署名表示は戸采女。目録は戸田氏教書状とし、年次は朱注による。谷村の登城時刻を指定したもので、本文には登城後の拝謁や献上の結果は記されない。

  87. 追録7-No.無番号_0143 島津久統祭文

    No.2704の附属資料「の13」、島津石見久統が献じた祭文。天保四年二月三日甲辰、重豪が東都高輪邸で死去し、霊柩を国元玉龍精舎へ護送して葬ったと、祭文の経過を記す。中陰の日、世臣藤原久統が供えを備え、領地の僧の長城山主を遣わして金蓮宝位へ献じさせる。本文注は北郷家とする。韻文は鎌臺からの尊裔、薩隅…

  88. 追録7-No.144 松平定信外三名老中連署状

    重豪の帰国御暇・御羽織拝領への御礼献上に返答する老中四名の連署状。重豪の書状を披見し、公方様・若君様はますます機嫌よく、重豪が御暇と御羽織拝領を重ねて有難く思っている旨を承知したと述べる。国許到着後の御礼として谷村孫右衛門を通じて縮緬五巻と樽肴を献じ、披露したところ、谷村は御前に召し出され、その念入…

  89. 追録7-No.無番号_0144 島津忠徹の代香

    No.2704の附属資料「の14」、佐土原藩主島津筑後守忠徹の代香についての記事。四月十六日、太安寺和尚仙長ら上下十人が来て、福昌寺中陰の法筵に参列し、水軒に宿したと記す。忠徹の弔使島津又七郎久典は香奠銀三枚を献じて焼香し、祭文を上げて稽首再拝した。仙長は従来の例により側で読経した。厚い弔意を示すた…

  90. 追録7-No.145 島津重豪書状

    はな町さま・御つほねさま・とみたさまへ送った重豪の返書。御意による書状を拝見し、上み様がますます機嫌よく過ごしていることを恐悦していると述べる。また、道中の見舞いとして御臺様から杉重一組・初鰤一箱を内々に贈られたことを有難く思い、その御礼を取り次ぐよう求める。追而書でもよろしく沙汰してほしいと頼む。…

  91. 追録7-No.無番号_0145 島津忠徹祭文

    No.2704の附属資料「の15」、島津筑後守忠徹が献じた祭文。重豪の病気と医療の効験がないこと、天保四年癸巳二月三日に高輪邸で死去し、四月八日に領国玉龍精舎へ帰葬したことを、祭文の経過として述べる。忠徹は別封を世襲していても公室の余裔として深い恩を受けたといい、四月十六日に太安寺主仙長らを遣わし、…

  92. 追録7-No.146 戸田氏教書状

    寒中に公方様・若君様の機嫌を尋ねた重豪の書状に、戸田氏教が返答する書状。両者はますます安全であるので安心するよう伝え、併せて魚の贈り物一箱を献じられ、関係者で相談して披露したところ一段の御仕合であったと述べる。品名は鯣を候補とするが、字形は留保する。12月15日付、戸田采女正氏教の署名、松平上総介殿…

  93. 追録7-No.無番号_0146 篠原善助・相良甚太夫吟味書(支族家格・跡目先例)

    左近の跡目と家格・連名順位を検討するため、篠原善助と相良甚太夫が支族諸家の成立・相続先例を調べた第一の吟味書。御誕生後ほどなく夭折した男子、御七男左近、御八男為次郎らの位置を示したうえ、大玄院在世中に行われた支族・諸士の家筋吟味以後の制度を参照する。一門方四家、準一門、豊州家・永吉家・佐多家・佐土原…

  94. 追録7-No.147 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、将軍の安否と増上寺霊屋への参詣について返答する書状。公方様はますます機嫌よく過ごしていると述べ、10月14日の増上寺御霊屋参詣を聞いて重豪が恐悦している旨を承知し、その書状の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと伝える。12月15日付で氏教が署名し、次の下段に続く松平上総…

  95. 追録7-No.無番号_0147 篠原善助・相良甚太夫追加吟味書(左近跡目)

    左近卒去後の家新設と家格をめぐり、九月二十日付吟味書を補う篠原善助・相良甚太夫の追加調書。中将の深い意向を受け、浄国院・大玄院・寛陽院らの男子から一所持家を立てた例、既存家へ養子に入った例、いったん断絶・処分された家を由緒や功績により再興した例、実子・養子・女子の縁組を介して家督を継いだ例を改めて比…

  96. 追録7-No.148 島津斉宣献上物伺書并首尾書

    翌年頭から若君様への献上を命じられたため、重豪の年中献上物と勤向きを別紙どおりにしたいと伺う斉宣名義の文書。署名は松平豊後守、日付は12月17日。御用番戸田からの文書を13日に市正殿から受け、太守側と若君への献上品が異なる点を申し出て、14日に留守居與三次が戸田家用人大屋勘兵衛と相談した経緯を記す。…

  97. 追録7-No.149 重豪、竹千代色直ノ賀品ヲ拝戴ス

    竹千代君の色直の賀儀を重豪が受け取り、老中へ謝恩したことを記す記事。先に11月19日、竹千代君が奏者番青山下野守忠裕を遣わして斉宣と重豪に賀儀を賜り、斉宣が併せて拝戴したとする。その品が12月18日に薩府へ届いたので、重豪は老中へ飛翰を送って恩に謝したと記す。江戸での拝戴日、薩府到着日、重豪の書状に…

  98. 追録7-No.150 島津斉宣伺書并首尾書

    若君様への菖蒲御甲・御破魔弓の献上を命じられた斉宣が、重豪からも自分と同様に献上したいと願う伺書と、その処理経緯を記した首尾書。12月24日付、松平豊後守名義。朱の付札は伺いどおり献上するよう認める。翌25日、御用番戸田采女正から付紙を留守居の橋口與三次へ渡したと記す。経緯書では、太守側への指示を受…

  99. 追録7-No.151 徳川家斉御内書

    徳川家斉が重豪から歳暮祝儀として届いた小袖一重を喜び、詳しくは戸田采女正が述べると伝える御内書。12月27日付で、家斉公墨印の表示を伴い、松平上総介殿に宛てる。年次は朱注による。小袖の到来と謝意を述べるもので、戸田からの説明内容自体は本文に記されない。

  100. 追録7-No.152 戸田氏教書状

    若君様へ破魔弓一飾を贈ったことについて、戸田氏教が重豪へ謝意を伝える書状。使者を通じて献じられ、首尾よく披露したと述べる。12月28日付、戸田采女正氏教の署名、松平上総介殿の宛名を伴う。年次は朱注で寛政4年とある。次巻の表紙に書かれた寛政5年から7年という範囲は、この書状の年次とは別である。