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追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 1601~1700件・17 / 30ページ

  1. 追録7-No.1444 牧野備前守忠精書状(生見玉祝儀黄金十両の披露)

    重豪公御譜中・正文在文庫。牧野備前守忠精から松平榮翁へ、生見玉の祝儀として黄金十両を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと伝える。恐々謹言で結び、七月六日、文化12年は朱年注。忠精判、口裏に牧野備前守忠精を記す。同日同名目の別書状で、金額を二十両へ合算しない。生見玉を馬代等の別名…

  2. 追録7-No.1445 松平能登守乘保書状(生見玉祝儀黄金十両の披露)

    全上。松平能登守乘保から松平榮翁へ、生見玉の祝儀として黄金十両を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと伝える。恐々謹言で結び、七月六日、文化12年は朱年注。乘保判、宛名・口裏の松平能登守乘保は下段に続く。同日同名目の別書状で、金額を二十両へ合算しない。生見玉を馬代等の別名目へ置き…

  3. 追録7-No.1446 郁姫系譜抄(郁君、斉興養女・斉宣実女)

    御系図中、斉興公御養女の女子として郁君を掲げ、近衛右大臣忠熙公簾中と記す。文化12年乙亥七月八日に斉興が養って子としたが、実は斉宣の女子であると明記する。嘉永3年庚戌三月二十九日に死去し、法名は常興善院翠樹満溪大姉。養女になった日と没日を分け、斉興を実父とせず、近衛家との関係は簾中との原記載に基づく…

  4. 追録7-No.1447 川上久芳問合書(大御前流産児の法号・石塔等)

    白木御文書七番箱中七十一番。表紙は大御前の流産した子の納所等に関する江戸詰家老衆の問合書写。川上右近(久芳注)が四人へ照会する。子は納所の一所へ納めたが、法名と石塔を設けるかについて当時吟味があったことを踏まえ、流産であるためそれらには及ばず、後年混同の恐れもあるので法号の沙汰・石塔建立はしない方が…

  5. 追録7-No.1448 新納久命証状(千眼寺を幸善寺次とする通知)

    重豪公御譜中・正文在千眼寺。内蔵(新納久命は目録)が千眼寺へ、門首として幸善寺に次ぐものと仰せ付けられたことを通知する。右の通り、大御隠居の思召により仰せ付けたと記す。八月、文化12年は朱年注で独立日はない。門首・寺班の通知として、六月の寿国寺着座門主・大龍寺次の証状とは対象寺・位置・年月を混同しな…

  6. 追録7-No.1449 重豪、御鷹ノ雲雀ヲ拝領ス

    重豪公御譜中。同年秋八月九日、大家が稲垣兵庫を芝邸へ使者として遣わし、重豪に御鷹の雲雀を賜ったと記す。島津筑後守忠徹が恩旨を代わって奉じ、老中の邸へ赴いて礼謝した。下賜、使者、受領者、恩旨・謝礼を代行した者を分ける。雲雀の数量や稲垣の実名、重豪本人の登城は記さない。

  7. 追録7-No.1450 徳川家斉御内書(重陽小袖一重)

    重豪公御譜中・正文在文庫。家斉公の墨印を伴う御内書で、松平榮翁へ重陽の祝儀として小袖一重が到来し、歓覧したと伝える。委曲は牧野備前守が述べるとする。九月七日、文化12年は朱年注。使者披露を伝える次の乘保書状とは別に保持し、小袖の数量を合算しない。

  8. 追録7-No.1451 松平乘保書状(重陽小袖一重の披露)

    全上。松平能登守乘保から松平榮翁へ、重陽の祝儀として使者をもって小袖一重を献上されたため披露したところ、一段の御仕合との意向だったと伝える。恐々謹言で結ぶ。九月七日、乘保判、文化12年は朱年注。本文は二頁に続き、宛名・署名まで確認する。同日同品の家斉御内書とは別の文書として記録する。

  9. 追録7-No.1452 祝姫・定姫系譜抄(斉興女子、出生と生日注)

    御系図の斉興公御子・男女五人のうち女子二人を掲げる。祝姫・候姫は智鏡院・常候とも記し、松平土佐守豊熙夫人。文化12年乙亥九月十四日生、十一月九日を生日としたとの注がある。母は「同斉彬」との参照表記。明治13年十一月十六日卒で、神道祭のため別に諡号を用いたとの注を付す。定姫・知姫は文化12年乙亥十二月…

  10. 追録7-No.1453 島津久備申渡書(祝姫の出生公表と帳面記置)

    白木御文書八番箱中七番。安房から御記録奉行へ申し渡す。去る酉十一月十六日(文化10年の注)、御前の安産で女子が出生したが、その時は治五郎出生の筋で御二男として届けたため、女子の件はそれまで内分扱いだったと記す。大御隠居の思召により、当九月十四日の出生という筋で両御丸の老中へ太守の産穢の届が済み、名を…

  11. 追録7-No.1454 祝姫・定姫系譜抄(近秘野、慶誕注と婚姻経過)

    近秘野卿、斉興公御子の女子二人。祝姫・候姫は松平対馬守豊熙(初政太郎、土佐高二十四万二千石の注)の夫人。文化12年乙亥九月十四日生、十一月四日を慶誕とし、後に四日を九日に改めたとの注がある。母は松平相摸守治道の女。文政5年壬午十二月十五日、政太郎(土佐守豊資嫡子)との許嫁、七年甲申六月二十八日に土佐…

  12. 追録7-No.1455 郁姫、近衛辰君ト婚約ス

    重豪公御譜中。斉興が女郁姫を近衛左大臣基前の世子辰君の妻とすることを請い、秋九月二十三日、大家が許可した。郁姫には斉宣の女子を斉興が子としたとの注がある。二十四日、重豪が女使を城へ遣わして婚命の辱に謝し、また留守居を老中各邸へ遣わして同じく謝礼した。斉興公御譜中にも載るとする。婚約の請願・許可と翌日…

  13. 追録7-No.1456 牧野忠精書状(重陽御内書の受取家来差出)

    重豪公御譜中・正文在文庫。牧野備前守から松平榮翁へ、重陽の御内書を渡すため、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう指示する。十月廿日、文化12年は朱年注。時刻は原表記五半時を保持し、家来の氏名や受取完了は記さない。六月の端午御内書とは名目と日付を分ける。

  14. 追録7-No.1457 牧野忠精書状(峯姫婚礼祝儀の披露)

    重豪公御譜中・正文在文庫。牧野備前守忠精から松平榮翁へ、峯姫君様の婚礼に際して祝儀として目録の通り献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと通知する。恐々謹言で結び、十一月廿三日、忠精判、文化12年は朱年注。口裏にも牧野備前守忠精を記す。祝儀の品名・数量は本文に列挙されず、婚礼そのも…

  15. 追録7-No.1458 淑姫系譜抄(定姫・豊姫・眞華院)

    大信公御子の女子として、定姫・豊姫・淑姫(マス)・眞華院を掲げる。文化12年乙亥十二月三日生、母は家臣田上荘司則照の女。大和郡山城主松平甲斐守保興の夫人となった。元治元年甲子十一月二十三日卒、法号眞華院殿慈芳妙淑大姉。複数の姫名・院号を同じ人物の表記として採録し、斉興女子の定姫・智姫と混同しない。婚…

  16. 追録7-No.1459 淑姫系譜抄(近秘野、改名と許嫁・婚儀経過)

    近秘野卿・重豪公御子の女子。定姫・豊姫(トヨ)・淑姫(マス)は、和州郡山城主十五万千二百八十八石の松平造酒正保興夫人。文化12年乙亥十二月三日、高輪邸に生まれ、母は田上荘司則照の女。十五年戊寅正月、松平喜代丸(甲斐守保泰嫡子、久菊丸へ改名の注)との許嫁、豊姫へ改名。文政6年癸未十二月に再び淑姫へ改名…

  17. 追録7-No.1460 斉興、邦丸ノ婚約ヲ請フ(英姫の入邸・高輪滞留)

    重豪公御譜中。これより先、斉興が嫡子邦丸に徳川民部卿斉敦の女を聘することを請い、許可されたため納幣したと記す。女には英姫の注がある。冬十二月六日に女が芝邸へ入り、礼が済むと即日高輪邸に入って滞留した。細注は「未成婚期」によって旨があり余の高輪邸に入って逗留したとする。婚約請願・許可・納幣と、十二月六…

  18. 追録7-No.1461 神事犬追物手組(各組配列表・役名と保管追記)

    白木御文書八番箱中三十二。包紙に神事犬追物手組とある、文化12年十二月六日の各組配列表。犬追物の上手組・下手組、神事犬追物の上手組、犬追物の次手組、神事の下手組、「論之犬手組」と記す表、神事の次手組を順に掲げ、各表に名前・疋数・検見・喚次を配する。最初の上手組は島津又六郎二疋・相良満十郎一疋・新納十…

  19. 追録7-No.1462 続書二通(白木御文書八番箱八番・蓋紙)

    白木御文書八番箱中八番、文化12年亥十二月、御続書貳通、御記録所と記す蓋紙。「右一冊ノ蓋紙ニアリ」の注がある。後続の1462の1・の2に壱岐守・周防守の続書があり、表紙には二通の所在・年月・通数が記される。続書の本文の亥十月と、この蓋紙の十二月は別に保持する。

  20. 追録7-No.1463 町田久視ほか三名連署書状(大御隠居年首祝儀の披露)

    重豪公御譜中・写正文在琉球國司。琉球国王の尊書を拝見したことを述べ、大御隠居への年首祝儀として目録の通り差し上げられた品を江府で披露したところ、満足の思召だったと伝え、その旨を伝達するよう求める。文化12年朱注、十二月十五日。鎌田典膳・新納内蔵・嶋津安房・町田監物が各實名判で連署し、讀谷山王子・三司…

  21. 追録7-No.1464 町田久視ほか三名連署書状(啓之助七男届の祝儀披露)

    全上。琉球国王の尊書を拝見し、啓之助が御隠居の七男として届出済みであることへの祝儀を、大御隠居へ湧川親方をもって進めた件を述べる。品は太刀一腰・馬代白銀百両と目録の通りの品。江府に到着して披露したところ満悦だったことを伝え、その旨の伝達を求める。御隠居の七男届と大御隠居への祝儀を区別し、出生の実年月…

  22. 追録7-No.1465 町田久視ほか三名連署書状(虎之助十男届の祝儀披露)

    全上。琉球国王の尊書を拝見し、去る歳に男子が出生して虎之助と称し、十男の届が済んだことへの祝儀を述べる。湧川親方をもって大御隠居へ太刀一腰・馬代白銀百両と目録品を進め、江府に到着して披露したところ満悦だったと伝え、その旨の伝達を求める。正文は出生を去歳とするが、実月日はない。啓之助七男届の前書とは別…

  23. 追録7-No.1466 町田久視ほか三名連署書状(儔姫逝去の紙面披露)

    全上。琉球国王の尊書を拝見し、儔姫君様の逝去に伴い大御隠居の機嫌を伺うため、湧川親方が差し上げた紙面の趣を江府到着後に披露したことを伝え、その旨の伝達を求める。逝去の実年月日、贈品名・数量、満悦の返答はこの書状には記さない。紙面の披露と出生祝儀の贈答を混同しない。文化12年朱注、十二月十五日。鎌田典…

  24. 追録7-No.1467 町田久視ほか三名連署書状(種姫命名・女子出生祝儀の披露)

    全上。琉球国王の尊書を拝見し、去る歳に女子が出生して種姫と称したことに伴い、大御隠居へ祝儀を差し上げた件を江府到着後に披露したと伝える。品名・数量、使者の名や満悦との返答は本文にない。去歳の出生・種姫の呼称と、今回の祝儀披露を区別し、前二書の湧川親方・太刀一腰・白銀百両をこの書状へ補わない。文化12…

  25. 追録7-No.1468 牧野備前守忠精書状(鰹節一箱の献上披露)

    全御譜中・正文在文庫。牧野備前守忠精から松平榮翁へ、今朝鰹節一箱を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと通知する。恐々謹言で結び、十二月十六日、文化12年は朱年注。忠精判、口裏に牧野備前守忠精を記す。同日同品の二書を別々に保存し、数量を二箱へ合算しない。

  26. 追録7-No.1469 松平能登守乘保書状(鰹節一箱の献上披露)

    全上。松平能登守乘保から松平榮翁へ、今朝鰹節一箱を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと通知する。恐々謹言で結び、十二月十六日、文化12年は朱年注。乘保判、口裏に松平能登守乘保を記す。同日同品の二書を別々に保存し、数量を二箱へ合算しない。

  27. 追録7-No.1470 重豪、蓄財節倹・習俗取締ヲ命ズ

    重豪公御譜中。重豪が江都にあって費用の甚だ繁いことを懸念し、この冬十二月、家老へ財を生じ用を省く道を命じ、さらに邸中習俗を改めるよう命じたと記す。「如左」として後続の仰出へ接続する短い導入記事。文化12年は目録・一件による。本文には日付・金額・実施結果はなく、後続1471の財政指示と1472の屋敷取…

  28. 追録7-No.1471 島津重豪諭達(江戸続料七万両の基準と財政取締)

    正文在文庫。御筆仰出二通が白木御文書八番箱十番にあると注する。所帯の難儀に対し先年来省略趣法を繰返し、勝手方の仕向を替えて取縮を命じたが効果が見えず、入用が増し当年は五万両余の不足になったと述べる。産物料・江戸続料・三都借財利分を三ヶ年分並べて調べ、一年の産物料総高は約十四万両余、江戸続料は臨時を含…

  29. 追録7-No.1472 島津重豪諭達(屋敷内の酒宴・外出・勤務取締)

    全上・正文在文庫。屋敷内の風俗・容貌・言語と取締は繰返し申し聞かせているので緩めないよう指示し、このたび別紙で命じた省略措置に伴い、さらに取締を行き届かせるよう求める。近頃外方で参会を催す者があると聞くが、所帯が極めて難儀な折の心構えに反するとする。度々の外出が末には不勘弁・難儀の申立、他借の増長、…

  30. 追録7-No.1473 徳川家斉御内書(歳暮小袖一重)

    重豪公御譜中・正文在文庫。家斉公の墨印を伴い、松平榮翁へ歳暮祝儀として小袖一重が到来し歓覧したことを伝える。委曲は酒井讃岐守が述べるとする。十二月廿七日、文化12年は朱年注。翌条の乘保による使者披露書状とは別文書として記録し、一重を二重へ合算しない。

  31. 追録7-No.1474 松平乘保書状(歳暮小袖一重の披露)

    全上。松平能登守乘保から松平榮翁へ、歳暮の祝儀として使者をもって小袖一重を献上されたため披露したところ、一段の御仕合との意向だったと通知する。恐々謹言で結ぶ。十二月廿七日、乘保判、文化12年は朱年注。上段の本文から下段の日付・署名・宛名まで一件として確認する。

  32. 追録7-No.1475 島津重豪書状(近衛左府改年の太刀・馬代白銀三十両)

    重豪公御譜中・扣正文在右筆所。改年の吉慶を述べ、近衛左府の勇健と重なる長寿を祈念する。祝儀として太刀・馬代白銀三十両を進上したので、予めその旨を伝えるよう求める。正月二日、文化13年は朱年注。宛名には近衛様と齋藤若狭守殿を記す。太刀の数量は本文に独立数字がなく、他の年首書状の一腰を補わない。

  33. 追録7-No.1476 島津重豪書状(近衛辰君の太刀・馬代白銀二十両)

    全上。改年の吉慶を述べ、辰君の勇健と重なる長寿を祈念し、祝儀として太刀・馬代白銀二十両を進上したので、その旨を予め伝達するよう求める。辰君には近衛基前の男、忠熙とする注がある。正月二日、文化13年は朱年注。宛名は齋藤若狭守。次頁朱注は、当年から書状を進める旨を仰せ出され、右の通り進めたことを明記する…

  34. 追録7-No.1477 土井利厚書状(若菜の鯛一折)

    重豪公御譜中・正文在文庫。土井大炊頭利厚から松平榮翁へ、若菜の祝儀として鯛一折を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと通知する。恐々謹言で結ぶ。正月七日、利厚判、文化13年は朱年注。口裏にも土井大炊頭利厚を記す。品目は鯛、単位は一折として保持する。

  35. 追録7-No.1478 松平乘保書状(若菜の鯛一折)

    全上。松平能登守乘保から松平榮翁へ、若菜の祝儀として鯛一折を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと通知する。恐々謹言で結ぶ。正月七日、乘保判、文化13年は朱年注。口裏にも松平能登守乘保を記す。同日同品の土井利厚書状とは別文書として保持し、鯛を二折へ合算しない。

  36. 追録7-No.1479 島津斉興吉書(三箇条)

    白木御文書八番箱中九。吉書として三箇条を掲げる。第一は神社・仏閣の修造興行、第二は専ら農事を勧めること、第三は国々の年貢を徴納すること。右三箇条の旨を沙汰するよう命じ、文化13年正月十一日、斉興御判を記す。入力の表題「士口書」を吉書へ修正し、三箇条を指示として整理する。工事完了・農業成果・年貢の実収…

  37. 追録7-No.1480 土井大炊頭利厚書状(年頭太刀・馬代黄金)

    重豪公御譜中・正文在文庫。土井大炊頭利厚から松平榮翁へ、年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと通知する。恐々謹言で結ぶ。正月十一日、文化13年は朱年注。利厚判、口裏に土井大炊頭利厚を記す。同日同品の別書状として保持し、太刀二腰・…

  38. 追録7-No.1481 松平能登守乘保書状(年頭太刀・馬代黄金)

    全上。松平能登守乘保から松平榮翁へ、年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと通知する。恐々謹言で結ぶ。正月十一日、文化13年は朱年注。乘保判、宛名と口裏の松平能登守乘保は次頁へ続く。同日同品の別書状として保持し、太刀二腰・黄金二十…

  39. 追録7-No.1482 重豪、俊鷹ヲ拝領ス

    重豪公御譜中。文化13年丙子春二月五日、大家が徳川大納言治済の一橋邸へ俊鷹一翼を贈らせ、重豪へ賜ったと記す。治済がすぐに使者をもって重豪へ届け、重豪が拝して受領した。贈り主、経由した治済、受領者重豪と数量一翼を区別する。俊鷹に付された種別説明の小注は読字を留保し、既知の現代鳥名へ断定して置き換えない…

  40. 追録7-No.1483 斉興参勤ス(途中の御鷹鶴拝領と都姫出発を併記)

    斉興公御譜中。文化13年丙子二月十五日、斉興が鹿児島を発ち、四月朔日に江府へ到着したと記す。二月二十七日には、大家が宿次奉書によって御鷹の鶴を斉興へ賜り、参府途中の斉興が播州姫路駅で受領した。別項に都姫が二月二十一日に鹿児島を発ったことを付記する。斉興の出発・到着と途中の下賜、都姫の出発を区別し、都…

  41. 追録7-No.1484 酒井忠進書状(歳暮御内書の受取家来差出)

    重豪公御譜中・正文在文庫。酒井若狭守(忠進注)から松平榮翁へ、歳暮の御内書を渡すため、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう指示する。二月廿日、文化13年は朱年注。名目は歳暮を保持し、二月なので別祝儀に置き換えることはしない。家来の名や受取完了は記さない。

  42. 追録7-No.1485 重豪、御鷹ノ鶴ヲ拝領ス

    重豪公御譜中。今二月二十二日、大家が使者夏目内膳(実名闕の注)を芝邸へ遣わし、重豪へ御鷹の鶴を賜ったと記す。重豪は病があったため、久留島伊豫守通嘉が恩旨を代わって奉じ、即日、老中各邸へ赴いて礼謝した。年は文化13年の一件・目録による。鶴の数量、重豪の病名や使者の実名は補わず、斉興が姫路で受けた鶴の前…

  43. 追録7-No.1486 重豪、清揚院殿廟室ヲ重修ス

    重豪公御譜中。清揚院殿の廟室は先に正徳2年秋、不断光院に創建されたとする。清揚院殿には文昭の父・贈正一位大相国の注がある。今文化13年、重豪の旨で廟室と不断光院を重修したが費用が大きく、衆人に銀・銭若干の寄附を命じた。二月二十九日に経始し、明年二月廿三日に落成、寺宇は六月二十五日完成の注を付す。規模…

  44. 追録7-No.1487 島津重豪書状(辰君元服、左府への白銀三十両)

    重豪公御譜中・扣正文在右筆所。一筆を啓上し、左府の勇健を祝し、今回辰君の元服が済んだことを承知して喜ぶ。祝儀として太刀一腰・馬代白銀三十両と目録の通りの品を進上し、その旨を予め伝達するよう求める。三月十五日、文化13年は朱年注、宛名は齋藤若狭守。元服の実施日自体はこの書状に記されず、次書の辰君宛白銀…

  45. 追録7-No.1488 島津重豪書状(辰君元服、白銀五十両)

    全上。一筆を啓上し、辰君の勇健を祝し、今回元服が済んだことを承知して喜ぶ。祝儀として太刀一腰・馬代白銀五十両と目録の通りの品を進上し、その旨を予め伝達するよう求める。三月十五日、文化13年は朱年注。宛名は辰君様と齋藤若狭守殿。入力年月の一月を原画像の三月へ修正し、前書の白銀三十両と別の祝儀額として保…

  46. 追録7-No.1489 重豪・斉興、将軍父子ノ転任ニ賀礼(返礼巻物を併記)

    重豪公御譜中。今夏四月二日、大樹家斉が内大臣から右大臣へ遷り、儲君家慶が右近衛大将に任じられ、大納言・従二位は従前どおりと記す。七日に諸侯の朝賀があり、斉興は賀儀を献じた。重豪は廣敷用人大窪源吾知紀(仮物頭注)を登城させ、檜の間で奏者松平伯耆守宗發を通して大家へ太刀一腰・馬代金一枚を献じた。蘇鉄の間…

  47. 追録7-No.1490 青山下野守忠裕書状(転任・兼任祝儀の披露)

    正文在文庫。青山下野守忠裕から松平榮翁へ、今回の転任・兼任にあたり祝儀として使者をもって太刀・馬代を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと伝える。恐々謹言で結ぶ。四月七日、文化13年は朱年注。忠裕判。口裏は青山下野守と記し、本ノマの注がある。太刀の数量・馬代の金額は本文にはない。…

  48. 追録7-No.1491 松平能登守乘保書状(転任・兼任祝儀の披露)

    全上。松平能登守乘保から松平榮翁へ、今回の転任・兼任にあたり祝儀として使者をもって太刀・馬代を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと伝える。恐々謹言で結ぶ。四月七日、文化13年は朱年注。乘保判、口裏に松平能登守乘保を記す。太刀の数量・馬代の金額は本文にはない。同日同名目の別書状と…

  49. 追録7-No.1492 徳川家斉御内書(端午帷子・単物)

    重豪公御譜中・正文在文庫。家斉公墨印の御内書で、松平榮翁へ端午の祝儀として帷子・単物が到来し、歓覧したと伝える。委曲は松平伊豆守が述べるとする。五月三日、文化13年は朱年注。本文から次段の日付・墨印・宛名まで確認する。帷子・単物の枚数・重数は記されておらず、数量を補わない。

  50. 追録7-No.1493 松平乘保書状(端午帷子・単物の披露)

    全上。松平能登守乘保から松平榮翁へ、端午の祝儀として使者をもって帷子・単物を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと通知する。恐々謹言で結ぶ。五月三日、乘保判、文化13年は朱年注。帷子・単物の数量はなく、同日同品の家斉御内書とは別文書として保持する。

  51. 追録7-No.1494 伊江朝安起請文前書(天罰霊社、五箇条)

    白木御文書八番箱十一番。敬白・天罰霊社起請文前書として五箇条を誓う。自身は若輩ながら去歳に三司官役を仰せ付けられた恩に感謝し、国許への奉公に入念に勤めること、御三殿様・若殿様に疎意を持たないこと、国許から下された諸事条書を堅く守り悪意・邪な企てをする者があれば披露すること、国王に別心なく忠勤すること…

  52. 追録7-No.1495 斉興男子系譜抄(蓮珠院殿夢幻實如大禅童子)

    御系図、斉興公御子男女七人のうち男子を掲げる。文化13年丙子五月二十九日生、母は關根常忠の女、六月三日に天亡し、法名は蓮珠院殿夢幻實如大禅童子と記す。出生の細注は、近秘野卿に五月二十日或二十九日、府城に生まれたとある旨を示す。本文の二十九日と注の二十日或二十九日を併存させ、没日は六月三日として保持す…

  53. 追録7-No.1496 重豪、徳川斉順紀州家嗣養子ヲ賀ス

    重豪公御譜中。同年六月三日、大樹家斉の七男徳川式部斉順が紀伊大納言治寶の嗣養子となったと記す。同十三日、重豪は留守居を城へ遣わし、大家・亜相公・御臺・御簾中へ佳肴各一種を献じて祝った。年は文化13年の一件・目録による。嗣養子決定と十日後の祝儀献上を分け、佳肴の内訳や太刀・馬代などの追加品を補わない。

  54. 追録7-No.1497 酒井若狭守忠進書状(紀伊嗣養子祝儀の鯛一折)

    全上・正文在文庫。酒井若狭守忠進から松平榮翁へ、徳川式部卿が紀伊殿の嗣養子と仰せ出されたことへの祝儀として、鯛一折を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと伝える。恐々謹言で結ぶ。六月十三日、文化13年は朱年注。忠進判、口裏に酒井若狭守忠進を記す。同日同品の別書状として保持し、鯛を…

  55. 追録7-No.1498 松平能登守乘保書状(紀伊嗣養子祝儀の鯛一折)

    正文在文庫との挟注。松平能登守乘保から松平榮翁へ、徳川式部卿が紀伊殿の嗣養子と仰せ出されたことへの祝儀として、鯛一折を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと伝える。恐々謹言で結ぶ。六月十三日、文化13年は朱年注。乘保判、口裏に松平能登守乘保を記す。同日同品の別書状として保持し、鯛…

  56. 追録7-No.1499 松平信明書状(端午御内書の受取家来差出)

    重豪公御譜中・正文在文庫。松平伊豆守から松平榮翁へ、端午の御内書を渡すため、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう指示する。六月廿四日、文化13年は朱年注、信明の実名は目録による。次頁まで続く本文・日付・署名・宛名を一件として確認した。時刻は原表記五半時を保持し、家来の名や受取完了は補わない。

  57. 追録7-No.1500 牧野備前守忠精書状(鰑一箱の献上披露)

    重豪公御譜中・正文在文庫。牧野備前守忠精から松平榮翁へ、今朝鰑一箱を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと伝える。恐々謹言で結ぶ。六月廿七日、文化13年は朱年注。忠精判、口裏に牧野備前守忠精を記す。鰑一箱の品名・数量を保持し、鰯や鯛へ置き換えず、同日同品の別書状を二箱の献上として…

  58. 追録7-No.1501 松平能登守乘保書状(鰑一箱の献上披露)

    全上。松平能登守乘保から松平榮翁へ、今朝鰑一箱を献上されたので披露したところ、一段の御仕合との意向だったと伝える。恐々謹言で結ぶ。六月廿七日、文化13年は朱年注。乘保判、口裏に松平能登守乘保を記す。鰑一箱の品名・数量を保持し、鰯や鯛へ置き換えず、同日同品の別書状を二箱の献上として合算しない。

  59. 追録7-No.1502 島津重豪内意書(都君の実母記録変更)

    白木御文書八番箱中十二。都君には斉宣の女との注がある。青木休右衛門の娘琴の腹に出生したが、林権太夫の妹伊尾の腹に出生した筋でそれまで取り扱っていたと記す。大御隠居から、以後は内実の通り青木休右衛門娘ことを実母とするよう仰せ出されたことを伝える。六月、御取次伊集院隼衛(兼当注)から内蔵(新納久命注)へ…

  60. 追録7-No.1503 伊集院兼当書状(都君実母の記録変更・近衛方への申進)

    都君の実母について、近衛方から実母を聞かれたため、別紙の通り仰せ出があったと伝える。この御方の目見以上の家中・青木氏女こと(琴注)の腹に都君が出生したが、林氏女いを(伊尾注)を実母とする筋で従来取り計らっていたと説明する。林に子細があり、当分国許の御本丸への出入り等を差し留めたため、以後は内実どおり…

  61. 追録7-No.1504 新納久命申渡(都君実母の記録)

    都君の実母について、別紙の通り仰せ出があり、また御沙汰があったため、後年に間違いのないよう帳面に記し置くことを命じる。六月、内蔵から御記録奉行への申渡。目録では新納久命の申渡書とする。本書自体には実母の姓名や別紙本文はなく、その具体的内容は前書1502・1503と続く1505で確認する。帳面記載の指…

  62. 追録7-No.1505 町田久視申渡(都君実母の帳面記録・包紙)

    都君は青木休右衛門娘琴の腹に出生したが、林権太夫妹伊尾の腹に誕生した筋で従来取り扱ってきたと説明し、以後は内実の通り琴を実母とするよう命じたので、後年に間違いのないよう帳面に記し置くことを命じる。七月、監物(町田久視注)から御記録奉行への申渡。包紙には、都君の実母についての御書付一通を文化十三年子七…

  63. 追録7-No.1506 松平信明書状(生見玉祝儀)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。生見玉の祝儀として黄金十両を献上されたことを披露したところ、御仕合の旨を伝える。七月六日、信明判、松平榮翁宛。文化十三年の朱書があり、口裏には松平伊豆守信明と記す。黄金は十両と明記される。次の1507とはそれぞれ独立した書状として数量を保持する。

  64. 追録7-No.1507 松平乘保書状(生見玉祝儀)

    前書同様の出典を「全上」と記す。生見玉の祝儀として黄金十両を献上されたことを披露したところ、御仕合の旨を伝える。七月六日、乘保判。文化十三年の朱書がある。続く頁に松平榮翁宛を掲げ、口裏には松平能登守乘保と記す。本文から宛所・口裏までを一通として確認し、前書1506の十両と合算しない。

  65. 追録7-No.1508 斉興御鷹之鶴拝領記事

    斉興公御譜中。秋七月十五日、大家が上使岡野孫一郎をもって斉興へ御鷹之鶴を賜ったと記す。年は目録・一件の文化十三年に置く。御鷹之鶴は鷹狩による鶴として整理し、鷹そのものを贈ったとはしない。数量は記されていない。

  66. 追録7-No.1509 重豪御鷹之雲雀拝領記事

    重豪公御譜中。同年秋八月十五日、大家が使岡部孫一郎(「野カ」と実名闕の注)を芝邸へ遣わし、重豪へ御鷹之雲雀を賜ったと記す。斉興が代わって恩旨を奉じ、即日老中各第へ赴いて謝恩した。本文の使者姓は岡部、注は野カで、前書1508の岡野孫一郎と無注で統一しない。鷹狩による雲雀の下賜として整理し、数量は記載な…

  67. 追録7-No.1510 新納久命書状(順姫誕生日・閑姫生母の記録)

    白木御文書八番箱中十三番。蓋紙は文化十三年子八月、御記録所宛で、順姫誕生月日と閑姫生母の仰出の問い合わせを標題とする。朱書は「順姫様御誕生月日・閑姫様御生母被仰出付而之事」、八月十八日到来、肝付孫兵衛ほか二人便と記す。本書では順姫の誕生日を文化十年酉十二月十二日と掲げ、但し御内実は同年十月十二日と区…

  68. 追録7-No.1511 徳川家斉御内書(重陽祝儀小袖)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。重陽の祝儀として小袖一重が到来し、歓覧したことを伝える。委曲は土井大炊頭が述べるとしている。本文の次頁に文化十三年の朱書、九月十五日、家斉公墨印の表示と松平榮翁宛がある。頁をまたぐ本文・日付・印・宛所を一通として確認し、小袖は一重と採録する。

  69. 追録7-No.1512 松平乘保書状(重陽祝儀小袖)

    出典を全上と記す。重陽の祝儀として使者をもって小袖一重を献上されたことを披露し、一段の御仕合の旨を伝える。文化十三年の朱書、九月十五日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。使者の実名は記されていない。前書1511と同日・同品でも別の差出人による書状として保持し、小袖を二重と集計しない。

  70. 追録7-No.1513 土井利厚書状(重陽御内書の受取)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。重陽の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう求める。文化十三年の朱書、十月廿二日、土井大炊頭署、松平榮翁宛。目録で土井利厚書状と確認する。本書の日付は十月二十二日で、九月十五日付の前二書状と区別する。家来を出す指示であり、重豪本人の登城や受領の完…

  71. 追録7-No.1514 川上久芳外三名家老連署書状(国王年首祝儀)

    重豪公御譜中、写正文は琉球国司にあるとする。国王の尊書を拝見し、年首の祝儀として大御隠居へ目録の通り差し上げた品が江府へ到来した件を披露したところ、御満足の思召であったので、その旨を洩達するよう求める。文化十三年の朱書、十二月朔日、鎌田典膳・島津安房・町田監物・川上右近各實名判表示、讀谷山王子・三司…

  72. 追録7-No.1515 川上久芳外三名家老連署書状(太守の御鷹之鶴拝領祝儀)

    出典を全上と記す。国王の尊書を拝見し、当春、太守が宿次の御奉書によって御鷹之鶴を拝領したことへの祝儀として、阿波根親方をもって大御隠居へ太刀一腰・御馬代白銀百両および目録の通り差し上げた品が江府へ到来した件を披露したところ、御満悦であったので、その旨を洩達するよう求める。文化十三年の朱書、十二月朔日…

  73. 追録7-No.1516 川上久芳外三名家老連署書状(都君縁組祝儀)

    出典を全上と記す。国王の尊書を拝見し、都君の縁組が願いの通り仰せ出されたことへの祝儀として、阿波根親方をもって大御隠居へ目録の通り差し上げた品が江府へ到来した件を披露したところ、御満悦であったので、その旨を洩達するよう求める。文化十三年の朱書、十二月朔日、鎌田典膳・島津安房・町田監物・川上右近各實名…

  74. 追録7-No.1517 川上久芳外三名家老連署書状(随姫結納婚姻祝儀)

    出典を全上と記す。国王からの件を拝見し、随姫(原表記隨姫)の結納・婚姻が整ったことへの祝儀として、阿波根親方をもって大御隠居へ太刀一腰・御馬代白銀百両および目録の通り差し上げた品が江府へ到来した件を披露したところ、御満悦であったので、その旨を洩達するよう求める。文化十三年の朱書、十二月朔日、鎌田典膳…

  75. 追録7-No.1518 川上久芳外三名家老連署書状(順姫出生・縁組祝儀)

    出典を全上と記す。国王の尊書を拝見し、太守(島津斉興注)の女子が出生して順姫と称し、本多千之助への縁組が願いの通り仰せ出されたことへの祝儀として、阿波根親方をもって大御隠居へ目録の通り差し上げた品が江府へ到来した件を披露したところ、御満悦であったので、その旨を洩達するよう求める。文化十三年の朱書、十…

  76. 追録7-No.1519 川上久芳外三名家老連署書状(祝姫出生祝儀)

    出典を全上と記す。国王の尊書を拝見し、去歳に御前が安産で女子を出生し、祝姫と称したことについて、大御隠居へ祝儀を差し上げた段を江府へ披露したと伝える。文化十三年の朱書、十二月朔日、鎌田典膳・島津安房・町田監物・川上右近各實名判表示、讀谷山王子・三司官宛。上段本文から下段日付・署宛へ連結して確認した。…

  77. 追録7-No.1520 川上久芳外三名家老連署書状(蓮亭院死去弔慰)

    出典を全上と記す。国王の尊書を拝見し、蓮亭院(斉宣継室・丹羽氏注)の死去について、阿波根親方をもって大御隠居へ御悔を申し上げた段を江府へ披露したので、その旨を洩達するよう求める。文化十三年の朱書、十二月朔日、鎌田典膳・島津安房・町田監物・川上右近各實名判表示。宛先は次頁上段右端の讀谷山王子・三司官ま…

  78. 追録7-No.1521 川上久芳外三名家老連署書状(蓮亭院死去機嫌伺)

    出典を全上と記す。国王の尊書を拝見し、蓮亭院の死去について、大御隠居の機嫌伺として阿波根親方をもって目録の通り差し上げた品が江府へ到来したので披露し、その旨を洩達するよう求める。文化十三年の朱書、十二月朔日、鎌田典膳・島津安房・町田監物・川上右近各實名判表示、讀谷山王子・三司官宛。前書1520の御悔…

  79. 追録7-No.1522 川上久芳外三名家老連署書状(お寶殿死去機嫌伺)

    出典を全上と記す。国王の尊書を拝見し、お寶殿(斉宣の女との注)の死去について、大御隠居の機嫌伺として阿波根親方をもって目録の通り差し上げた品が江府へ到来したので披露し、その旨を洩達するよう求める。文化十三年の朱書、十二月朔日、鎌田典膳・島津安房・町田監物・川上右近各實名判表示、讀谷山王子・三司官宛を…

  80. 追録7-No.1523 斉興時服五十領拝領記事

    斉興公御譜中。冬十二月朔日、大家が斉興へ時服五十領を賜ったと記す。それ以前に大家が美濃・尾張・伊勢三州の諸水を治め、斉興に金七万七千余両を献じさせてその役を助けたため、この下賜があったと説明する。下賜日は十二月一日、献金は先是とする別の段階であり、その具体的な日付はない。金額は七万七千余両、時服は五…

  81. 追録7-No.1524 青山忠裕書状(鰹節献上)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。今朝、鰹節一箱を献上されたことを披露し、一段の御仕合の旨を伝える。本文は冊子五百頁から次頁の日付・署宛へ続く。文化十三年の朱書、十二月九日、忠裕判、松平榮翁宛。口裏には青山下野守忠裕と記す。献上品は鰹節一箱で、次書1525と同日・同品でも独立した書状として保持す…

  82. 追録7-No.1525 松平乘保書状(鰹節献上)

    出典を全上と記す。今朝、鰹節一箱を献上されたことを披露し、一段の御仕合の旨を伝える。文化十三年の朱書、十二月九日、乘保判、松平榮翁宛。口裏には松平能登守乘保と記す。前書1524と同じ献上品・数量でも差出人が異なる一通として整理し、二箱という総量は推定しない。

  83. 追録7-No.1526 斉宣総髪・溪山号の記事

    斉宣公御譜中。十三年丙子の冬十二月九日、斉宣が総髪として溪山と号したと記す。目録も文化十三年の記事「斉宣溪山ト号ス」として対応する。総髪・号の記載をそのまま採録し、本文にない出家の儀礼・場所・宗派や、その理由は補わない。

  84. 追録7-No.1527 新納久命書状(屋敷移転の伝達・取計)

    重豪公御譜中、写正文は家老座にあるとする。拝領した「御鷹御下屋敷」への据越について、神田橋の御屋形まで高輪から願い置いたところ、勝手次第との承知があったと伝える。移転は格別重い事柄で、大御隠居について「御限御願済」と記し、軽からぬ事であるため、奥向・近習へ伝え、去る九日の席で当人にも恐悦の旨を申し上…

  85. 追録7-No.1528 徳川家斉御内書(歳暮祝儀小袖)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。歳暮の祝儀として小袖一重が到来し、歓覧したことを伝える。委曲は青山下野守が述べるとしている。文化十三年の朱書、十二月廿七日、家斉公墨印の表示、松平榮翁宛。小袖は一重と採録し、次書1529との共通する贈答内容を理由に合算しない。

  86. 追録7-No.1529 松平乘保書状(歳暮祝儀小袖)

    出典を全上と記す。歳暮の祝儀として使者をもって小袖一重を献上されたことを披露し、一段の御仕合の旨を伝える。文化十三年の朱書、十二月廿七日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。使者の実名は記されていない。前書1528の御内書とは差出人・文書形式を分けて整理する。第3冊末尾の本文・日付・署宛が一通として収録さ…

  87. 追録7-No.1530 酒井忠進書状(若菜祝儀鯛)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。若菜の祝儀として鯛一折を献上されたことを披露し、一段の御仕合の旨を伝える。文化十四年の朱書、正月七日、忠進判、松平榮翁(島津重豪注)宛。口裏には酒井若狭守忠進と記す。巻百五十一の表紙に続く文化十四年の記事であり、前冊の文化十三年歳暮書状とは年次を分ける。鯛は一折…

  88. 追録7-No.1531 松平乘保書状(若菜祝儀鯛)

    出典を全上と記す。若菜の祝儀として鯛一折を献上されたことを披露し、一段の御仕合の旨を伝える。文化十四年の朱書、正月七日、乘保判、松平榮翁宛。口裏には松平能登守乘保と記す。上段末の番号・全上から下段の本文・署宛までを一通として確認した。前書1530と同日・同品だが差出人の異なる書状として保持する。

  89. 追録7-No.1532 島津斉興吉書(三箇条)

    白木御文書八番箱中十四。吉書の三箇条として、一、神社仏閣の修造・興行、一、専ら農事を勧めること、一、国々の年貢を徴納することを掲げる。右の三箇条の旨に任せ沙汰するよう命じる。文化十四年正月十一日、斉興御判。三箇条の命令内容と日付・御判を採録し、社寺修造や年貢徴納が完了したことを示す実績記事とは扱わな…

  90. 追録7-No.1533 酒井忠進書状(年頭祝儀太刀・馬代)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・御馬代黄金十両を献上されたことを披露し、一段の御仕合の旨を伝える。文化十四年の朱書、正月十一日、忠進判。続く頁に松平榮翁宛と、口裏の酒井若狭守忠進を記す。本文から宛所・口裏までを一通として確認した。使者名は記されておらず、次…

  91. 追録7-No.1534 松平乘保書状(年頭祝儀太刀・馬代)

    出典を全上と記す。年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・御馬代黄金十両を献上されたことを披露し、一段の御仕合の旨を伝える。文化十四年の朱書、正月十一日、乘保判、松平榮翁宛。口裏には松平能登守乘保と記す。使者の実名はなく、前書1533とは差出人の異なる一通として品数を保持する。

  92. 追録7-No.1535 清二郎系譜抄(斉興男)

    御系図中、斉興の男女十八人の枝に清二郎を掲げる。本文の出生は文化十四年丁丑正月十二日、母は早川安積兼備の女と記す。一方、近秘野には三月十二日江戸で出生とあるとの注があり、本文の日付と異なる。文政二年己卯正月二十五日に天亡し、正月二十七日を忌日とする注を付す。法名は陽臺院殿春岸幻明大禅童子。本文出生・…

  93. 追録7-No.1536 重豪御鷹之鶴拝領記事

    重豪公御譜中。文化十四年丁丑の春正月二十九日、大家が使番松田善右衛門(実名闕の注)を芝邸へ遣わし、重豪へ御鷹之鶴を賜ったと記す。斉興が代わって恩旨を奉じ、老中各第へ赴いて礼謝した。上段の出典から下段の全文を連結して確認した。鷹狩による鶴の下賜として整理し、鷹自体の贈与とはしない。鶴の数量や使番の実名…

  94. 追録7-No.1537 斉興鶴拝領・清揚院廟修復供養の記事

    斉興公御譜中。文化十四年丁丑春二月四日、上使遠藤新六郎をもって御鷹之鶴を賜ったと記す。数量はない。続く丸印の記事は、客年二月に大父公が不断光院中の清揚院殿廟を修復し、今茲二月二十三日に落成したため、清揚院殿神主を遷して供養したとする。清揚院殿には徳川綱重・文昭廟の父・贈正一位大相国、正徳二年秋に此廟…

  95. 追録7-No.1538 青山忠裕書状(歳暮御内書の受取)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう求める。文化十四年の朱書、二月廿二日、青山下野守署、松平榮翁宛。目録では青山忠裕書状とする。本文は前頁下段から次頁上段の指示末尾・日付・署宛へ連続する。用件が歳暮でも、本書の日付は文化十四年二月二十二日…

  96. 追録7-No.1539 貢姫桃齡院系譜抄(大信公御子)

    大信公御子・女子として貢姫、桃齡院を掲げる。文化十四年丁丑三月十六日とし、生字脱カとの注を付す。母は關金藏有富の女。出羽新庄城主の戸澤能登守正令の夫人となったと記す。明治二十四年一月四日卒、法名は桃齡院殿壽源貞操大姉。次の近秘野抄1540にある出生年の実注・田上氏という母の表記、婚約・婚姻日を本件へ…

  97. 追録7-No.1540 貢姫系譜抄(近秘野抄・重豪御子)

    近秘野抄・重豪公御子・女子。貢姫を戸澤能登守正令夫人と掲げ、出羽新庄城主六万八千二百石との注を付す。出生正文は文化十三年丙子三月十六日高輪邸、実は十四年丁丑との注がある。母は田上氏。文政五年壬午正月、戸澤千代鶴への許嫁を記し、千代鶴は大和守正胤嫡子、即ち能登守政令との注がある。天保三年壬辰二月二十五…

  98. 追録7-No.1541 諸之助・久光系譜抄(斉興公御子)

    御系図・斉興公御子、男女八人の枝に諸之助と久光を掲げる。諸之助には壯之助の名を付し、文化十四年丁丑三月十七日生、母は斉彬と同じと記す。近秘野には三月十七日芝邸で生まれ、第三公子として届けたとの注がある。文政二年己卯四月十八日天亡、四月十三日を忌日とする注を付す。法名は瑤池院殿緑臺浄慧大禅童子。久光の…

  99. 追録7-No.1542 斉興拝領・帰国記事

    斉興公御譜中。文化十四年夏四月十三日、上使酒井若狭守忠進をもって例の通りの賜品があったと記す。賜品の前の語は「告且」候補として字形・語義を留保する。右大将家慶からも上使松平能登守乘保をもって例の通りの賜品があった。十五日、斉興は登営して謝礼し、懇命を蒙り例の通り馬を賜った。丸印の後、二十一日に斉興が…

  100. 追録7-No.1543 徳川家斉御内書(端午祝儀帷子・単物)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。端午の祝儀として帷子・単物が到来し、歓覧したことを伝える。委曲は酒井若狭守が述べるとしている。文化十四年の朱書、五月三日、家斉公墨印の表示、松平榮翁宛。前頁下段本文から次頁上段の末尾・日付・印・宛所を一通として確認した。帷子・単物の数量は記されていない。