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追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 1801~1900件・19 / 30ページ

  1. 追録7-No.1634 斉興公御譜記事(従四位上・左近衛中将)

    斉興公御譜中の記事。十二月十六日、斉興が従四位上に叙せられ、左近衛中将に任じられたと記す。年は目録・前後記事の文政元年による。短い叙任記事で、理由や奉者は記さない。官名は本記事では左近衛中将、続く正式文書1636・1637では左近衛権中将とする。両者の原表記を区別して示す。

  2. 追録7-No.1635 斉興官位昇進記録(系図記載・写しの伝達)

    白木御文書五番箱百十六中。文政元年寅十二月、太守の官位昇進は専ら勤労をもって台命を蒙ったことなので、系図にその趣を書き載せるよう沙汰があり、左にその趣意の写し一通を付すとする。野村主禮から渡され、国元へ申し越すよう八郎右衛門が承知した記録である。写しは十二月十六日、将軍が老中を通じ斉興を召し、従四位…

  3. 追録7-No.1636 島津斉興任左近衛権中将敕書

    旧御番所御文書三番箱中。左近衛権少将源朝臣斉興について、正二位行権大納言藤原朝臣経久が宣し、敕としてこの者を左近衛権中将へ転任させるよう命じる。文政元年十二月十六日、大外記兼掃部頭造酒正中原朝臣師徳奉。右一通と記す。斉興の従前官名、転任後の官名、宣者と奉者の役割・官職をそれぞれ示す。本文は任官の敕で…

  4. 追録7-No.1637 島津斉興任左近衛権中将口宣案

    上卿は大炊御門大納言。文政元年十二月十六日の宣旨として、左近衛権少将源斉興朝臣を権中将へ転任させる旨を記す。蔵人頭左中辨藤原経則奉、右一通。口裏に口宣案とあることも採録されている。上卿、任官対象、奉者を区別した宣旨の伝達文書であり、前書1636の敕書とは書式・奉者が異なる。従四位上の叙位そのものを直…

  5. 追録7-No.1638 島津斉興叙従四位上口宣案

    上卿は中山大納言。文政元年十二月十六日の宣旨として、従四位下源斉興朝臣を従四位上に叙するよう命じる。蔵人右中辨兼左衛門権佐中宮大進藤原光成奉、右一通。口裏に口宣案とある旨を記す。上段の上卿・日付と下段の叙位対象・奉者を連結した文書である。転任権中将を命じた1637とは、対象となる官位の変化と上卿・奉…

  6. 追録7-No.1639 従四位上・中将の上卿職事書立

    従四位上の欄に松平豊後守を記し、同上卿を中山大納言、職事を廣橋右中辨とする。中将の欄には上卿大炊御門大納言、同職事勧修寺頭左中辨を掲げ、右一通とする。斉興の叙位と任官について、担当する上卿・職事を組み合わせて示す一覧である。本文そのものには日付や各公家の実名を記さない。文政元年十二月は目録・前後文書…

  7. 追録7-No.1640 島津斉興叙従四位上位記

    従四位下源朝臣斉興を従四位上に叙する位記。兵欄・羽衛に勤め、精誠に懈りなく昼夜公に奉じたことを称え、位階を進め寵章を用いるとして、担当者に施行を命じる。文政元年十二月十六日、朱印の表示を伴う。三品行中務卿紹仁親王宣、正四位下行中務大輔藤原朝臣師光奉、従四位下行中務少輔藤原朝臣維長行。公修以下、権大納…

  8. 追録7-No.1641 大久保忠眞書状(鰹節一箱披露)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。今朝献じられた鰹節一箱を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文政元年の朱書、十二月十九日、忠眞判、松平榮翁宛。差出者は大久保加賀守忠眞と書き添えられている。数量は一箱、品目は鰹節であり、披露済みを知らせる書状である。贈答の名目は本文に明記しない。

  9. 追録7-No.1642 酒井忠進書状(鰹節一箱披露)

    出典は全上。今朝献じられた鰹節一箱を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文政元年の朱書、十二月十九日、忠進判、松平榮翁宛。口裏に酒井若狭守忠進とある旨の朱注を伴う。同日付の1641とは差出者が異なる各通で、数量はいずれも鰹節一箱と記す。二通の記載を一件の贈品二箱とはしない。

  10. 追録7-No.1643 川上右近ほか三名連署書状(重豪への年首祝儀)

    出典は全上、正文は琉球国司にあるとする。国王の書状を拝見し、国王から大御隠居へ年首の祝儀として目録のとおり差し上げられた品を、江府に到着して披露したところ、満足に思し召したと伝える。この旨を洩れなく伝えるよう求める。十二月十九日、鎌田典膳・新納内蔵・島津安房・川上右近の四署に各實名判、宜野灣王子・三…

  11. 追録7-No.1644 四名連署書状(河川普請勤労・御用捨の祝儀)

    国王の書状を拝見したとする。太守斉興がこの年の参勤を勤めていたが、先般の河川普請の勤労につき御用捨となり、七月中に参府するよう仰せがあったことへの祝儀として、国王から大御隠居重豪へ宮平親方を通じ太刀一腰・馬代白銀百両と目録を差し上げたと記す。江府で披露したところ満足であったと伝え、洩れなく伝達するよ…

  12. 追録7-No.1645 四名連署書状(斉宣の総髪・改名祝儀)

    出典は全上。国王の書状を拝見し、御隠居斉宣が願いのとおり総髪にし溪山へ改名したことについて、国王から大御隠居重豪へ祝儀を差し上げる旨を江府で披露したと記す。御隠居には島津斉宣の傍注を伴い、大御隠居と区別する。文政元年の朱書、十二月十九日、鎌田典膳・新納内蔵・島津安房・川上右近の各實名判、宜野灣王子・…

  13. 追録7-No.1646 四名連署書状(諸之助の出生・三男届済み祝儀)

    出典は全上。国王の書状を拝見し、去歳に御前様が安産で男子を生み、諸之助と称し、三男の届けも済んだことへの祝儀として、国王から大御隠居へ宮平親方を通じ太刀一腰・馬代白銀百両と目録を差し上げたと記す。江府で披露したところ満悦であったと伝え、この旨を洩れなく伝達するよう求める。文政元年の朱書、十二月十九日…

  14. 追録7-No.1647 四名連署書状(普之進出生・命名祝儀)

    出典は全上。国王の書状を拝見し、去歳に太守の男子が出生して普之進という名を付けたことについて、国王から大御隠居へ祝儀を差し上げる旨を江府で披露したと記す。文政元年の朱書、十二月十九日、鎌田典膳・新納内蔵・島津安房・川上右近の各實名判、宜野灣王子・三司官宛。本文と上段の三署に下段右端の川上右近署・宛名…

  15. 追録7-No.1648 四名連署書状(普之進養子縁組の祝儀)

    出典は全上。国王の書状を拝見し、普之進が種子島蔵人の養子となることを仰せ出された祝儀として、国王から大御隠居へ宮平親方を通じ太刀一腰・馬代白銀二十両と目録を差し上げたと記す。江府で披露したところ満悦であったと伝え、この旨を洩れなく伝達するよう求める。文政元年の朱書、十二月十九日、鎌田典膳・新納内蔵・…

  16. 追録7-No.1649 四名連署書状(立姫縁組の祝儀)

    出典は全上。国王の書状を拝見し、立姫の縁組について願いのとおり仰せ出された祝儀として、国王から大御隠居へ宮平親方を通じ目録のとおり贈品を差し上げたと記す。江府で披露したところ満悦であったと伝え、この旨を洩れなく伝達するよう求める。文政元年の朱書、十二月十九日、鎌田典膳・新納内蔵・島津安房・川上右近の…

  17. 追録7-No.1650 四名連署書状(豊姫縁組の祝儀)

    出典は全上。国王の書状を拝見し、豊姫の縁組について願いのとおり仰せ出された祝儀として、国王から大御隠居へ宮平親方を通じ目録のとおり贈品を差し上げたと記す。江府で披露したところ満悦であったと伝え、この旨を洩れなく伝達するよう求める。文政元年の朱書、十二月十九日、鎌田典膳・新納内蔵・島津安房・川上右近の…

  18. 追録7-No.1651 四名連署書状(孝姫縁組の祝儀)

    出典は全上。国王の書状を拝見し、孝姫の縁組について願いのとおり仰せ出された祝儀として、国王から大御隠居へ宮平親方を通じ目録のとおり贈品を差し上げたと記す。江府で披露したところ満悦であったと伝え、この旨を洩れなく伝達するよう求める。文政元年の朱書、十二月十九日、鎌田典膳・新納内蔵・島津安房・川上右近の…

  19. 追録7-No.1652 徳川家斉御内書(歳暮祝儀の小袖一重)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、委曲は水野出羽守が述べると伝える。文政元年の朱書、十二月廿七日、家斉公墨印、松平榮翁宛。祝儀の名目は歳暮、到来品の数量は小袖一重である。水野出羽守は詳しい事情を伝える者で、御内書の署名者や宛先ではない。直前の琉球国王…

  20. 追録7-No.1653 松平乘保書状(歳暮祝儀の小袖披露)

    出典は全上。歳暮の祝儀として使者によって小袖一重が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると伝える。文政元年の朱書、十二月廿九日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。前書1652が小袖到来への家斉の御内書であるのに対し、本書は献上品の披露を乘保が報告する。祝儀の数量は小袖一重、書状の日付は二十九日で、二…

  21. 追録7-No.1654 松平乘保書状(若菜祝儀)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。若菜の祝儀として鯛一折が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると伝える。文政二年の朱書、正月七日、乘保判、松平榮翁宛。口裏に松平能登守乘保とある旨の朱注が下段に続く。祝儀名は若菜、品目は鯛、数量の単位は一折であり、一尾や一箱へ置き換えない。

  22. 追録7-No.1655 阿部正精書状(若菜祝儀)

    出典は全上。若菜の祝儀として鯛一折が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると伝える。文政二年の朱書、正月七日、正精判、松平榮翁宛。口裏に阿部備中守正精とある旨の朱注を伴う。同日付の1654は乘保から、本書は正精からの報告で、それぞれ鯛一折と記す。二通の記載を一件の贈品二折という数量にはしない。

  23. 追録7-No.1656 島津斉興吉書(文政二年)

    白木御文書八番箱中二十六。吉書として、神社仏閣の修造・興行、農事を専ら勧めること、国々の年貢を徴納することの3条を掲げる。右の3箇条の趣旨について沙汰すべきことを命じる。文政二年正月十一日、斉興御判。本文は年頭の指示であり、社寺修造や農業振興、年貢徴収が実施・完了したことを報告するものではない。独立…

  24. 追録7-No.1657 阿部正精書状(年頭祝儀)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。年頭の祝儀として使者によって太刀一腰・馬代黄金十両が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると伝える。文政二年の朱書、正月十一日、正精判、松平榮翁宛。口裏に阿部備中守正精とある旨の朱注を伴う。太刀の数量一腰、馬代の黄金十両をそれぞれ記し、若菜祝儀の鯛一折とは名…

  25. 追録7-No.1658 松平乘保書状(年頭祝儀)

    出典は全上。年頭の祝儀として使者によって太刀一腰・馬代黄金十両が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると伝える。文政二年の朱書、正月十一日、乘保判、松平榮翁宛。口裏に松平能登守乘保とある旨の朱注を伴う。同日付の1657は正精から、本書は乘保からの報告で、各通が記す太刀一腰・黄金十両を保持する。二…

  26. 追録7-No.1659 重豪公御譜記事(島津忠国三百五十年忌)

    重豪公御譜中、斉興公御譜にもあるとする。文政二年己卯春正月二十日、大岳公の三百五十年忌法事を深固院で修した。大岳公には島津忠国の傍注を伴う。重豪は若年寄二階堂伊豆行典を遣わし、この日は仮に家老として、香奠金二百疋を献じ拝させた。年忌の対象、法事の場所、代参者の役職と当日の仮家老注記をそれぞれ記す。香…

  27. 追録7-No.1660 御系図記事(珍之助)

    御系図、斉興公御子の項。上に久光と珍之助を並べ、珍之助は文政二年己卯二月十三日生、母は斉彬と同じと記す。三年庚辰八月十六日に死去し、法名は麗苗院殿秋質幻香大禪童子とする。近秘野の大禪童子への注では、亡くなった子を普公子の弟と告げたが、普公子の時には未告朝だったため、今あわせて告げ、大家が第四子とした…

  28. 追録7-No.1661 重豪公御譜記事(久暱の養子離縁・寿姫養女)

    重豪公御譜中、斉興御譜にもあるとする。以前、重豪の男子島津左近久暱は、越前国丸岡城主有馬左兵衛佐譽純の養子となっていた。この春二月六日に高輪邸へ来たが発病して帰れず、翌日に月直老中へ告げて滞在を許された。この日、久暱が病気を抱えたまま丸岡邸へ帰る記事が続く。十四日に病気を理由に有馬家を辞する願状を出…

  29. 追録7-No.1662 有馬肥前守の止宿・養子離縁願届一件

    出典は全上、扣正文は文庫にあるとする。松平豊後守斉興の叔父有馬肥前守は、持病の疝症があり、二月六日に用向で高輪の下屋敷の祖父榮翁方へ来たが発病し帰宅できず療養した。七日付の届書を留守居が御用番青山下野守へ持参して内見・提出し、御用人の受取りを確認した。のち止宿願を承知したうえで早く帰宅するよう指示さ…

  30. 追録7-No.1663 水野忠成書状(歳暮御内書の交付案内)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう求める。文政二年の朱書、二月廿日、水野出羽守署、松平榮翁宛。忠成の傍注を伴う。本文の前半は前頁下段、登城指示と日付・署宛は次頁上段に続く。歳暮は用件名で、書状日付は翌年二月二十日である。家来による受取を…

  31. 追録7-No.1664 島津重豪願書(財政難と豊後守の帰国願)

    重豪公御譜中、扣正文は文庫にあるとする。世帯向が極めて切迫し、大坂銀主が出銀を一切断り、国元の産物の不振・災殃が続き、繰方が整わないと訴える。豊後守に暇を与えて帰国させるにも、旅費の手当が差し支え、役人と何度相談しても未だ手当や今後の返弁の見通しがなく、術計がないとする。家老も国家の傾廃には換えられ…

  32. 追録7-No.1665 佐川消息(財政難・榮翁と溪山の帰国意見)

    出典は全上、正文は文庫にあるとする。内々の書付で、世帯向が極めて詰まり繰合が整わず切迫する事情を聞き、その困難を尤と受け止める。榮翁の旅行は従来差し留めていたが、今回の事情はやむを得ず、榮翁が国元へしばらく引越すことには同意すると述べる。榮翁は老年で、近頃の旅行ももはや手切となっているので、沙汰があ…

  33. 追録7-No.1666 重豪公御譜記事(国政費用の節減・斉興への伝達)

    重豪公御譜中の記事。重豪は江戸高輪邸にいて国政を助けていたが、費用が多く、近年の朝覲を憂慮したとする。側用人向井十郎太夫友益と側役堀殿衛愛衆を国元へ遣わし、費用を省き財を生ずることを命じ、手ずからその趣を書いた。家老町田監物久視に命じて斉興へその内容を伝え、久視が斉興へ報告した。斉興は、老年の重豪が…

  34. 追録7-No.1667 島津重豪達書(財政難の取扱い・伝達)

    正文は文庫にあるとする。所帯向が難渋しているため、向井十郎太夫・堀殿衛を大坂および国元へ差し下すことは軽くない時節の事であり、既に勤向に差し支えるほどの事情なので、格外の仕向を申付け越すと記す。去年来の趣意はまだ治定していないが、その通りに取り扱い、精細に勤弁し、繰合が整うよう国元の同席中で相談して…

  35. 追録7-No.1668 斉興公御譜記事(重豪の節費指示と家老中への副書)

    斉興公御譜中の記事。この年三月、祖父重豪は江府高輪邸にいて国政を助けていたが、内外の費用が甚だ多く、参覲往来の費用を憂慮していたとする。側用人向井十郎太夫友益と側役堀殿衛愛衆を国元へ遣わし、費用を省き財を生ずることを命じ、さらにその内容を親書にした。家老町田監物久視に命じて斉興へ知らせ、久視が報告し…

  36. 追録7-No.1669 仁孝天皇女房奉書(斉興の昇進御礼)

    旧御番所御文書三番箱中。さつまの中将から、この度の昇進の御礼として黄金百両・絹三十疋が進上されたことを披露したところ、おもしろく思し召した旨をよく心得て伝えるよう求める。御いまの御局宛、申し給へという付記を伴う。口裏に仰文政二・三七、箱蓋に斉興公御転任女房奉書とあると採録する。目録は仁孝天皇女房奉書…

  37. 追録7-No.1670 島津斉興達書(財政難の取計い)

    出典は全上、正文は文庫にあるとする。所帯向がたびたび切迫し、特別な難渋となり、勤向にも支障があると監物から聞いたと記す。先年以来、取締等に手を尽くしても格別の方策が立たないため、大御隠居から向井十郎太夫・堀殿衛を差し下す旨を仰せ出されたことを承知したという。その趣を精細に吟味して方策を立て、取計うよ…

  38. 追録7-No.1671 土井利厚書状(重豪への相談・介助)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。先達て有馬左兵衛佐を通じて申し述べた件は厚く承知し、その後ほどなく家政の折合が整った由を聞いて重畳に思うと伝える。ただし以前からの趣意を貫き、琉球国に関することなど万端を榮翁に相談するよう求める。従来の深い心添えによって物事が行き届いてきたため、格段の事情とする…

  39. 追録7-No.1672 斉興公御譜記事(御鷹の鶴拝領)

    斉興公御譜中の記事。三月十九日、上使能勢惣右衛門によって、斉興に御鷹の鶴を賜ったと記す。下賜品は本文の御鷹の鶴であり、鷹そのものとは区別する。能勢惣右衛門は上使という役割で記される。年は目録・前後記事の文政二年による。鶴の羽数や下賜後の扱いは本文に記さない。

  40. 追録7-No.1673 斉興公御譜記事(下賜・登営・鹿児島帰着)

    斉興公御譜中の記事。夏四月十五日、上使大久保加賀守忠眞を通じて告げられ、例のとおり品を賜ったと記す。右大将家慶からも、上使松平能登守乘保を通じて例のとおり品を賜った。十八日、斉興は登営して拝謝し、懇命と馬を賜ったとする。別の丸印記事は二十二日に江府を発ち、五月九日に鹿児島へ着いたと記す。年は目録・前…

  41. 追録7-No.1674 玉城親方盛林起請文前書(本文四月二十一日)

    白木御文書八番箱中二十九番。天罰霊社起請文の前書として、若輩の自分が去歳三司官役を仰付けられた恩に深く感じ、国許への奉公を入念に勤めると記す。5条は、御二殿・若殿への疎意を毛頭抱かないこと、国許から下された諸事の条書を堅く守り悪意・邪な企てをする者を披露すること、国王に別心なく忠勤すること、国中の掟…

  42. 追録7-No.1675 島津重豪御筆達書(規定の永続遵守)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとし、大御隠居の御筆とする。先年豊後守が入部した折、大炊頭殿から重い口達があり、現在も同所から達があったと記す。介助以来立て置いた規定には理由があるので、厚い口達の趣意を重く受け、後年に少しも緩んで背くことのないよう一同が心得るべきだと戒める。自分が生きている間は堅く守…

  43. 追録7-No.1676 御系図記事(瑞姫)

    御系図中、斉興の男女二十八人の女子瑞姫。文政二年己卯四月二十三日生、母は「島津権嵐久尹養女」と記す。近秘野の注は白金邸で四月二十三日に生まれ、母は橘川時吉の女とする。母について養縁の記述と出生家の注記をそれぞれ保持し、久尹の呼称原字の読みは留保する。三年庚辰六月十九日に死去し、六月十七日を忌日とする…

  44. 追録7-No.1677 島津斉興御筆内意書(重豪の規定遵守)

    出典は全上、正文は文庫、太守の御筆とする。先年大炊頭殿から達があり、現在も別紙のとおり達があったことは軽くない沙汰とする。重豪が介助して立て置いた規定には理由があり、老年にもかかわらず種々心を尽くしていることをありがたく受け止める。今回も重豪の自筆の別紙のとおり仰せがあったので、その趣意を家老をはじ…

  45. 追録7-No.1678 島津重豪御筆内意書(任官・転役の人物吟味)

    出典は全上、正文は文庫、大御隠居の御筆とする。大炊頭殿からの達について添書で述べ、後年に任官・転役させる際にも、人柄を入念に取り調べ、他の重役・側役から内外の評判を聞き、その実情を密かに吟味するよう戒める。本性が判っても底意を知り難い者があり、表裏の言葉を重ねて、表は慎み深く器量があるように見えても…

  46. 追録7-No.1679 斉興公御譜記事(重出米の二年延長と返済負担)

    斉興公御譜中の記事。財政が難しく府庫が空で、四年前の河流修築の幕府命令による費用のため、三都の巨商から借金し国中士民にも負担を求め、五年で返償する約定とした。家老の議により士家の世禄から米を多く出させ、返済の期間を三年とした。今年その期限となり、さらに二年継続する議が出た。斉興は士民の貧困が甚だしい…

  47. 追録7-No.1680 島津重豪内意書(重出米免除・借財返済)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。去る子年の河川普請御用金を、三都の借入と諸人の出金で補い、五年の約定で漸次返金するが、手当の見当がなく領内重出米が行われたと記す。去る丑年に指示したうえ、来る辰年までさらに二年引続き重出米を願う趣を聞いたが、領国一統の困窮を考え当年から重出米を免除し、諸人を安心…

  48. 追録7-No.1681 島津斉興御筆達書(返金取計い・重豪の五百石拠出)

    出典は全上、正文は文庫、太守の御筆とする。先年の普請御用金を借入等で補ったが返金の手当が整わず、家老の願により重出米を三年間出した。期限が満ちても返金を全部備えられず、さらに二年間同様に願ったという。国中が続けて困窮するため、重豪は心配して吟味したが、他の手段で埋め合わせる見通しがなく、事情を考慮し…

  49. 追録7-No.1682 徳川家斉御内書(端午祝儀)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、委曲は大久保加賀守が述べると伝える。文政二年の朱書、五月二日、家斉公墨印、松平榮翁宛。本文は前頁下段、日付・墨印・宛名は次頁上段に続く。品目は帷子・単物と記すが、重数や数量は本文に示さない。大久保加賀守は詳しい事情…

  50. 追録7-No.1683 酒井忠進書状(端午祝儀の披露)

    出典は全上。端午の祝儀として、使者によって帷子・単物が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると伝える。文政二年の朱書、五月二日、酒井若狭守忠進判、松平榮翁宛。品目は帷子・単物と記すが、重数や数量は本文に示さない。同日付の1682は家斉が到来への謝意を伝える御内書、本書は酒井忠進による献上品の披露…

  51. 追録7-No.1684 町田監物書状(御目見願の案文取扱い)

    重豪公御譜中、扣正文は家老座にあるとする。この見出しに続く御目見願の一件には、朱書で、案文を御右筆頭へ渡し、快復したうえで御目見願を差し出すよう仰せがあり、恐悦・同意すると伝える本文が採録されている。通常文字の本文は、水野出羽守の留守居呼出、重豪の快復を受けた御目見願、願書の内見・受取を報告する。末…

  52. 追録7-No.1685 川上右近ほか返書(御目見願の経過)

    出典は重豪公御譜中、扣正文は家老座にあるとする。去る十六日、水野出羽守が留守居を呼び出し、重豪が快復していれば御序をもって御目見を申し出るよう、御用人を通じ伝えたと記す。承知のうえ受けた礼を伝え、別紙の案文による御目見願を水野出羽守が内見し、御用番阿部備中守へ留守居が持参して、受取済みと知らされた。…

  53. 追録7-No.1686 松平榮翁御目見願(快復後)

    出典は全上、扣正文は家老座にあるとする。病気が本復し、ようやく歩行できるようになったので、何卒御序をもって御目見したいと願い、その取計いを求める。文政二年の朱書、五月十八日、松平榮翁。朱注は御序のある時を前日に知らせ、その際登城したい旨を補い、登城の城字を補っている。快復と歩行可能になったこと、御目…

  54. 追録7-No.1687 御目見後の御礼勤向伺い書

    出典は全上。今回御目見が済んだ際、公方・右大将、御臺・御簾中への御礼と勤向をどのように心得るべきか記し、差図を求める案文である。朱注では、御礼のため西丸への登城は不要で、老中若狭守・能登守を名代として御礼を申し上げること、御臺・御簾中へは御礼品不要との取扱いを記す。御目見後の御礼の問いと、それに対す…

  55. 追録7-No.1688 松平榮翁足袋使用願

    出典は全上。持病による下冷えがあるため足袋を用いたいとし、その旨を伺う。五月晦日、松平榮翁。朱書で足袋を用いてよいという回答を伴う。持病・下冷えという願いの理由、足袋使用の希望と、それを認める朱注を区別して示す。年は目録・前後文書の文政二年による。具体的な病名、使用日、独立した宛名は本文に示さない。

  56. 追録7-No.1689 松平榮翁登城時の献上・着服・席伺い

    出典は全上。御目見を願い、御序のある時に登城してよいと仰せがあったことをありがたく受け止め、その際の献上品を用意したいとして、御内證より献上する品と、着服・席について伺い、差図を求める。朱書の付札は献上品不要、十徳着用、大廊下の下の休息所に控える取扱いを記す。本文の希望・問いと付札の回答を区別し、献…

  57. 追録7-No.1690 水野忠成書状(魚品一箱披露)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。今朝献じられた魚品一箱(原字は鰑と読める)を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文政二年の朱書、六月三日、忠成判、松平榮翁宛。口裏に水野出羽守忠成とある旨の朱注を下段で採録する。本文・日付・署名と次段の宛名・口裏をつなぐ。数量は一箱、披露済みを記す書状で…

  58. 追録7-No.1691 松平乘保書状(魚品一箱披露)

    出典は全上。今朝献じられた魚品一箱(原字は鰑と読める)を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文政二年の朱書、六月三日、乘保判、松平榮翁宛。口裏に松平能登守乘保とある旨の朱注を伴う。魚品の品種同定は1690と同じく留保する。同日付の1690は忠成から、本書は乘保からの報告で、それぞれ魚品一箱と…

  59. 追録7-No.1692-1 御目見登城案内(明七日四時過ぎ)

    重豪公御譜中、写正文は文庫にあるとする。明七日、御本丸へ右大将が入る御序があるので御目見を命じ、四時過ぎに登城するよう伝える。右大将には徳川家慶の傍注を伴う。文政二年の朱書、六月六日、松平榮翁宛。発給日の六日と翌七日の登城予定、場所の本丸、御目見の相手である右大将を区別する。四時過ぎは原文の時刻を保…

  60. 追録7-No.1692-2 御目見登城・御礼の経過記録

    御用番青山下野守が留守居を呼び、翌七日の本丸で右大将への御目見と四時過ぎの登城を命じた書付を伝えたことから始まる。七日は朝五時早目に出宅し、染帷子・十徳を着け、四時前に登城して大廊下下の休息所へ入る。半田丹阿彌を呼び脇差の取扱いを相談し、耳目・立居の不自由を伝えて同人の待機を手配する。目附・若年寄の…

  61. 追録7-No.1693 松平榮翁御目見・御礼勤向伺い

    出典は全上。明日登城するよう仰せがあり、右大将が入る御序に御目見を命じられたことをありがたく受け止める。その際、まず御目見したうえで御礼勤向をどう心得るべきか伺う。また西丸への登城は不要で、老中へは名代によって御礼を申し上げるよう仰せがあるので、その取扱いを尋ねる。文政二年の朱書、六月六日、松平榮翁…

  62. 追録7-No.1694 重豪公御譜記事(登城・御目見と名代御礼)

    重豪公御譜中の記事。この夏五月、重豪の病気が癒え、登城を願い出られる旨の命が老中から伝えられ、二十八日に願状を出し、付札で許されたと記す。六月七日、染帷子・十徳を着て登城し、大廊下下の休息所へ入った。鎖口から小笠原近江守貞温が先導し、御座の間で大樹家斉公と儲君家慶公へ御目見し、青山下野守忠裕が奏者と…

  63. 追録7-No.1695 町田監物書状(御目見・御礼の取扱い)

    重豪公御譜中、扣正文は家老座にあるとする。出典見出し1695に続く長文1696と朱書返答は、重豪の快復・御目見願・登城・御礼の経過、親類や京都・大坂への通知、太守と大奥の勤向、月次御礼などを収める。朱書の本文致承知達には、御目見・御礼の報告を承知し、案文や御使の取扱い、祝詞と女中方への差図、薩摩守へ…

  64. 追録7-No.1696 川上右近ほか返書(御目見・御礼と各方面の勤向)

    出典は重豪公御譜中、扣正文は家老座にあるとする。先月十六日の水野出羽守の内意、十九日の阿部備中守による御目見願・前日通知の取扱いに続き、六月六日に翌七日四時の登城を命じられたと記す。七日の行列は以前の近衛旅館の見舞い時の例とし、中小姓七人を列ね、染帷子・十徳で登城した。家斉・家慶へ御目見し、青山下野…

  65. 追録7-No.1697 島津斉興達書(財政難・節約と取締り)

    白木御文書八番箱中二十八番。所帯向が続けて不如意で、重豪は先年以来心配して趣法を変え精密に吟味したが、今はさらに難渋したと述べる。続料も表方へ出し、万端を省いて厳しく取り締まり、もう一人の御隠居も同様に居所まで改めていることを挙げる。格別の手段もないので年年来の精密な吟味を続け、一同相談し、勤向以外…

  66. 追録7-No.1698 大久保加賀守書状(端午御内書の交付案内)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。端午の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう求める。文政二年の朱書、六月廿四日、大久保加賀守署、松平榮翁宛。忠眞は目録による。端午は交付する御内書の用件名、書状の日付は六月二十四日であり、五月の祝儀書状へそろえない。家来を派遣して受け取るよう求め…

  67. 追録7-No.1699 水野忠成書状(生見玉祝儀)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。生見玉の祝儀として黄金十両が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると伝える。文政二年の朱書、七月六日、忠成判、松平榮翁宛。口裏に水野出羽守忠成とある旨の朱注を伴う。名目は生見玉、贈品は黄金十両であり、五月の端午贈品や六月の御内書交付案内とは区別する。披露済み…

  68. 追録7-No.1700 酒井忠進書状(生見玉祝儀)

    前条と同じく重豪公御譜中の書状。生見玉の祝儀として黄金十両が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると知らせる。文政二年の朱書、七月六日、忠進判、松平榮翁宛。口裏に酒井若狭守忠進とある旨の朱注を伴う。黄金十両の披露済みを伝える書状である。同日の水野忠成書状と同じ祝儀に関するため、二通の記載を合算し…

  69. 追録7-No.1701 町田久視書状(御目見上意の家譜掲載)

    重豪公御譜中、扣正文は家老座にあるとする。先月七日に大御隠居重豪が登城し御座之間で受けた上意の趣を、内密に脇坂中務大輔へ、水野出羽守へも知らせたと述べる。別紙の御意書を了承したので、そのとおり家譜等へ掲載するよう求め、御目見の記録も記録奉行へ渡すよう指示する。脇坂の書状中にある卯右衛門は、同家の御納…

  70. 追録7-No.1702 島津重豪目見之節、上意書并座席図

    正文は文庫にあるとする。六月七日、御座間で松平榮翁へ掛けられた上意を記す。御敷居内へ出座して、所労が快復してよかったと述べ、豊後守は若いが家政に心を配り静謐になった旨を挙げる。老人の世話は大儀だが、なお油断なく心を配るよう求め、暑中はとくにいたわるよう言葉を掛ける。同頁下段の座席図は、御床・御棚・御…

  71. 追録7-No.1703-1 脇坂安董書状(御目見上意書の取扱い・書付写)

    正文は文庫にあるとする。口裏には、高輪へ脇坂から送った手紙の末を切り取り渡した書付の写しとある。内談のとおり今朝出羽守へ赴き、一書を渡すよう頼んだところ直ちに取り計らわれ、昨日も内々に相談していたと述べる。確かな書面等に記された御意であれば異論はなく同意するが、御場所柄の上意であれば各人に分別がつか…

  72. 追録7-No.1703-2 町田久視書状写(上意の家譜掲載・四名宛)

    「写」として、先月七日に大御隠居重豪が登城し御座之間で受けた上意の趣を、内密に脇坂中務大輔と水野出羽守へ知らせたと記す。別紙の御意書を了承したので家譜等へそのとおり掲載するよう求め、御目見の記録も記録奉行へ渡すよう指示する。脇坂書状中の卯右衛門は、同家の御納戸頭の加集卯右衛門であると補足する。七月十…

  73. 追録7-No.1703-3 将軍上意書(重豪御目見・家譜掲載書類の外包注記)

    上意を二条に記す。第一条は、所労が快復してよかったとし、豊後守は若いが家政に心を配って静謐になった旨を挙げ、老人の世話は大儀だがなお油断なく心を配るよう求める。第二条は、暑中はとくにいたわるようにとの言葉である。外包の朱書番号は三十一。大御隠居の登城時の上意について、別紙の上意書と、家譜へ掲載するよ…

  74. 追録7-No.1704 島津重豪諭達(御目見上意と没後の家政)

    御譜中、正文は文庫にあるとする。思いがけず登城し御座之間で御目見・着座を仰せ付けられ、格別に懇意な上意を受けたことを、実にありがたい幸いと述べる。家政について、老人の世話は大儀でも心を配るようにとの上意と、以前に大炊頭から豊後守へ内達された趣を重く受け止める。先に自筆で書き送ったとおり、さらに深く承…

  75. 追録7-No.1705 徳川家斉御内書(重陽小袖一重)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは阿部備中守が述べると伝える。年は山括弧の文政二年、九月七日、家斉公墨印、松平榮翁宛。受領を伝える御内書で、小袖は一重と記す。重陽の贈品であり、端午の帷子・単物や歳暮の小袖へ置き換えない。

  76. 追録7-No.1706 松平乘保書状(重陽小袖一重の披露)

    前条と同じく重陽の祝儀に関する書状。使者をもって小袖一重が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると伝える。朱書の文政二年、九月七日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。小袖一重の披露済みを報告する。No.1705の家斉御内書と同じ祝儀についての通知であり、二通の記載を足して小袖二重とはしない。

  77. 追録7-No.1707 大久保忠眞書状(嘉千代御弘め祝儀)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。嘉千代の御弘めが仰せ出されたため、その祝儀として使者をもって太刀・馬代が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると知らせる。嘉千代には家慶の男子との傍注がある。朱書の文政二年、十月廿一日、忠眞判、松平榮翁宛。口裏は大久保加賀守と朱注する。太刀の本数と馬代の金額…

  78. 追録7-No.1708 酒井忠進書状(嘉千代御弘め祝儀)

    前条と同じく嘉千代の御弘めに関する祝儀書状。御弘めが仰せ出されたため、右大将と嘉千代へ使者をもって太刀・馬代が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると知らせる。朱書の文政二年、十月廿一日、忠進判、松平榮翁宛。口裏に酒井若狭守忠進とある旨の朱注がある。右大将と嘉千代の双方を記すが、本文は太刀の本数…

  79. 追録7-No.1709 阿部正精書状(重陽御内書の交付案内)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。重陽の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう求める。朱書の文政二年、十月廿二日、阿部備中守署、松平榮翁宛。正精の実名は目録による。重陽は交付する御内書の用件で、書状の日付は十月二十二日である。御内書を受け取る家来の登城案内であり、本人登城や受取済…

  80. 追録7-No.1710 町田久視書状并有馬糺添状(左近の実名・久亮と一純)

    白木御文書八番箱中三十一。口裏朱書は左近の実名に付の事とし、十二月十四日に急飛脚便で到来した旨を記す。左近には重豪の男子との傍注があり、実名久亮にアキラの読みを付す。先年こちらにいた間は久亮と称し、有馬家への養子入り後は一純と称したが、事情が変わった後は先年通り久亮の実名を用いると知らせ、記録奉行へ…

  81. 追録7-No.1711 青山忠裕書状(浅姫婚礼祝儀)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。浅姫の婚礼に際する祝儀として目録のとおり献じられ、披露したところ一段の御仕合であると伝える。浅姫には家斉の女子との傍注がある。朱書の文政二年、十二月二日、忠裕判、松平榮翁宛。口裏に青山下野守忠裕とある旨の朱注を伴う。贈品は別の目録によるが、この本文は品名・数量や…

  82. 追録7-No.1712 大久保忠眞書状(鰹節一箱)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。今朝鰹節一箱が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると伝える。朱書の文政二年、十二月十一日、忠眞判、松平榮翁宛。口裏に大久保加賀守忠眞とある旨の朱注がある。本文に記された品名は鰹節、数量は一箱で、祝儀の具体的名目や使者名は示さない。献上品の披露済みを知らせる…

  83. 追録7-No.1713 酒井忠進書状(鰹節一箱)

    前条と同じく、今朝鰹節一箱が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると知らせる。朱書の文政二年、十二月十一日、忠進判、松平榮翁宛。口裏に酒井若狭守忠進とある旨の朱注を伴う。品名・数量は鰹節一箱であり、同日の大久保忠眞書状と同じ献上に関する通知として扱う。二通の記載を合算して二箱とはしない。本文にな…

  84. 追録7-No.1714 川上久芳外三名家老連署書状(国王の年首祝儀)

    重豪公御譜中、正文は琉球国司にあるとする。国王の尊書を拝見し、大御隠居への年首祝儀として目録のとおり差し上げた品が江府に到来したので披露したところ、御満足であると伝える。この旨を伝達するよう求める。朱書の文政二年、十二月廿五日、新納内蔵・市田長門・嶋津安房・川上美濃の四名が実名判で連署し、宜野灣王子…

  85. 追録7-No.1715 川上久芳外三名家老連署書状(立姫婚姻祝儀)

    国王の尊書を拝見したと述べる。立姫は水野壱岐守の養子である水野甲斐守との婚姻が整い、その祝儀として大御隠居へ喜屋武親方をもって太刀一腰・馬代白銀百両および目録のとおり差し上げたことを、江府到来後に披露したところ御満悦であると伝える。この旨を伝達するよう求める。立姫には重豪の女子、壱岐守には水野忠韶、…

  86. 追録7-No.1716 川上久芳外三名家老連署書状(左近の養子離縁)

    国王の尊書を拝見したと述べる。左近はかねて持病があり、養子離縁について願いのとおり仰せ出され、引取りも済んだことに関して、大御隠居の機嫌を伺い、喜屋武親方をもって届けられた書状の趣を江府到来後に披露したと知らせる。朱書の文政二年、十二月廿五日、新納内蔵・市田長門・嶋津安房・川上美濃が実名判で連署、宜…

  87. 追録7-No.1717 川上久芳外三名家老連署書状(達姫逝去)

    国王の尊書を拝見したと述べる。達姫の逝去について大御隠居の機嫌を伺い、喜屋武親方をもって届けられた書状の趣を江府到来後に披露したと知らせる。朱書の文政二年、十二月廿五日、新納内蔵・市田長門・嶋津安房・川上美濃が実名判で連署し、宜野灣王子・三司官に宛てる。達姫の逝去に関する国王書状の披露報告であり、姫…

  88. 追録7-No.1718 川上久芳外三名家老連署書状(清二郎夭亡)

    国王の尊書を拝見したと述べる。清二郎の夭亡について、大御隠居の機嫌を伺い、喜屋武親方をもって届けられた書状の趣を江府到来後に披露したと知らせる。清二郎には斉宣の男子との傍注がある。朱書の文政二年、十二月廿五日、新納内蔵・市田長門・嶋津安房・川上美濃が実名判で連署し、宜野灣王子・三司官に宛てる。夭亡に…

  89. 追録7-No.1719 徳川家斉御内書(歳暮小袖一重)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは土井大炊頭が述べると伝える。朱書の文政二年、十二月廿七日、家斉公墨印、松平榮翁宛。歳暮の小袖一重の受領を伝える御内書である。重陽にも小袖一重の記載があるが、本件は歳暮という別の名目と十二月二十七日の日付で…

  90. 追録7-No.1720 酒井忠進書状(歳暮小袖一重の披露)

    前条と同じく歳暮の祝儀に関する書状。使者をもって小袖一重が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると知らせる。朱書の文政二年、十二月廿七日、酒井若狭守忠進判、松平榮翁宛。宛名は次頁冒頭に続く。小袖一重の披露済みを報告する。同日の家斉御内書と同じ祝儀についての通知であり、二通の記載を合算して小袖二重…

  91. 追録7-No.1721 松平乘保書状(嘉千代への破魔弓一飾)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。嘉千代へ破魔弓一飾が使者をもって献じられ、首尾よく披露したと知らせる。朱書の文政二年、十二月廿八日、乘保判、松平榮翁宛。口裏に松平能登守乘保とある旨の山括弧注記を伴う。贈品の相手は嘉千代、書状の宛先は榮翁であり、両者を区別する。数量は一飾と記し、弓一本や矢の本数…

  92. 追録7-No.1722 酒井忠進書状(若菜祝儀・鯛一折)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。若菜の祝儀として鯛一折が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると知らせる。朱書の文政三年、正月七日、忠進判、松平榮翁宛。口裏に酒井若狭守忠進とある旨の朱注を伴う。贈品は鯛一折であり、魚一尾や一箱へ数量単位を置き換えない。若菜祝儀の披露済みを知らせる書状である…

  93. 追録7-No.1723 水野忠成書状(若菜祝儀・鯛一折)

    前条と同じく若菜の祝儀として鯛一折が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると伝える。朱書の文政三年、正月七日、忠成判、松平榮翁宛。口裏に水野出羽守忠成とある旨の朱注を伴う。同日の酒井忠進書状と同じ若菜祝儀に関する通知で、鯛一折の二通の記載を合算して二折とはしない。本文にない使者名や魚の尾数も補わ…

  94. 追録7-No.1724 島津斉興吉書(三箇条の沙汰)

    白木御文書八番箱中三拾三の吉書。第一条に神社仏閣の修造興行、第二条に専ら農事を勧めること、第三条に国々の年貢を徴納することを掲げ、この三箇条の旨を沙汰するよう命じる。文政三年正月十一日、斉興御判。神社仏閣・農事・年貢の三方面に関する年始の指示で、修造や勧農の実施、年貢完納の成果を報告したものではない…

  95. 追録7-No.1725 水野忠成書状(年頭太刀・馬代黄金十両)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると伝える。朱書の文政三年、正月十一日、忠成判、松平榮翁宛。口裏に水野出羽守忠成とある旨の朱注を伴う。年頭祝儀の披露済みを知らせる書状で、太刀は一腰、馬代は黄金十両と記す…

  96. 追録7-No.1726 酒井忠進書状(右大将・嘉千代への年頭祝儀)

    前条と同じく年頭の祝儀に関する書状。右大将と嘉千代へ、使者をもって太刀・馬代黄金が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると知らせる。朱書の文政三年、正月十一日、忠進判、松平榮翁宛。口裏に酒井若狭守忠進とある旨の朱注がある。贈品の相手として右大将・嘉千代の二名を記すが、本書は太刀の本数、黄金の金額…

  97. 追録7-No.1727 重豪御鷹ノ鶴ヲ拝領ス(代受の記事)

    重豪公御譜中の記事。文政三年春二月九日、幕府から使番の新庄勝三郎を芝邸へ遣わし、重豪へ御鷹の鶴を賜った。島津筑後守忠徹が重豪に代わって受け取ったと記す。新庄勝三郎には実名闕との注記がある。将軍の賜物と使番の派遣、芝邸での代受を伝える記事で、鶴の羽数や重豪本人の直接受取は記さない。

  98. 追録7-No.1728 斉興出府ニ際シ家老ニ令ス(諭達の前置記事)

    斉興公御譜中、文政三年庚辰春二月の記事。斉興の参府出発の時期が近づいたため家老へ命令し、大父が政治を助けることに心を労し、老年に江戸の親族の家に滞在して、将軍から懇篤な言葉を受けたことを挙げる。その公意を奉じて節倹を主とし、国中の諸士も風俗を正し文武を勧めるべき旨を述べ、左に続く諭達を示す。参府前の…

  99. 追録7-No.1729 島津斉興諭達(参府前の節倹・風俗・文武)

    白木御文書八番箱中三十五。大御隠居が老年になお介助することに厚く感謝し、所帯向の難渋を特に心配しているため、面々にも時々申し聞かせていると述べる。先の大御隠居登城時に重い上意もあったので、以前に命じたとおり万事質素を守り、一門から諸士まで身分に応じて風俗を乱さず礼譲を守ることを求める。律儀を欠くこと…

  100. 追録7-No.1730 土井利厚書状(歳暮御内書の交付案内)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう求める。朱書の文政三年、二月廿日、土井大炊頭署、松平榮翁宛。利厚の実名は目録による。歳暮は交付する御内書の用件であり、書状の日付は翌年の二月二十日として保持する。御内書受取のための家来派遣案内で、本人登…