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追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 2001~2100件・21 / 30ページ

  1. 追録7-No.1827 大久保忠真書状(若菜祝いの鯛一折)

    大久保加賀守忠真から松平榮翁(島津重豪)への書状。若菜の祝儀として鯛一折を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。正月七日付で、文政五年は朱注。忠真の判があり、朱記「在口裏」に官名・実名を添える。宛名の松平榮翁には重豪の注があり、入力概要の松平薩摩守宛を訂正する。重豪公…

  2. 追録7-No.1828 酒井忠進書状(若菜祝いの鯛一折)

    酒井若狭守忠進から松平榮翁(島津重豪)への書状。若菜の祝儀として鯛一折を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。本文は上段の「全上」から下段へ続く。正月七日付、忠進の判があり、朱記「在口裏」に酒井若狭守忠進の官名・実名を添える。前項No.1827の大久保忠真書状と同趣で…

  3. 追録7-No.1829 大久保忠真書状(年頭祝いの太刀・馬代)

    大久保加賀守忠真から松平榮翁(島津重豪)への書状。年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。正月十一日付、忠真の判があり、朱記「在口裏」に大久保加賀守忠真の官名・実名を添える。重豪公御譜中に収め、正文は文庫にあるとの所在…

  4. 追録7-No.1830 酒井忠進書状(年頭祝いの太刀・馬代)

    酒井若狭守忠進から松平榮翁(島津重豪)への書状。年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。本文を「全上」とし、正月十一日付で忠進の判がある。次頁に松平榮翁の宛名と、朱記「在口裏」、酒井若狭守忠進の官名・実名が続く。同日付…

  5. 追録7-No.1831 花町ほか三名連署消息(御臺様の三百両通知)

    花町・梅その・梅溪・はな崎から、まつ平榮翁様人々御中への連署消息。幾久しく年祝いを述べ、上々様方も御機嫌よくあることを伝える。そのうえで、榮翁が老年であることについて、御臺様の思召しにより、御納戸金のうちから内々に金三百両を例年どおり遣わすと知らせ、めでたくかしくで結ぶ。年は朱注の文政五年で、月日は…

  6. 追録7-No.1832 島津重豪書状(御納戸金三百両拝領への返事)

    まつ平榮翁(島津重豪)から花町・梅その・梅溪・はな崎への御返事。引き続きよろしく取り計らうよう頼み、便りを拝見したと述べ、上々様方の御機嫌がよいことを恐悦する。そのうえで、自分が老年であるため、御臺様の思召しにより御納戸金のうちから内々に御金三百両を例年どおり拝領することになり、誠にありがたい仕合せ…

  7. 追録7-No.1833 島津重豪書状(昨日の三百両拝領への謝礼)

    まつ平榮翁(島津重豪)から花町・梅その・むめ溪・はな崎への書状。引き続きよろしく取り計らうよう頼み、一筆申し上げると述べ、上々様方がますます御機嫌よくあることを恐悦する。自分が老年であるため、昨日、御臺様の思召しにより、御納戸金のうちから内々に御金三百両を例年どおり拝領することになり、誠にありがたい…

  8. 追録7-No.1834 花町ほか三名連署消息(三百両拝領への謝意の受領)

    花町・梅その・梅溪・はな崎から、まつ平榮翁様人々御中への御返事。便りを受け取り、上々様もいよいよ御機嫌よくあることをめでたく思うと述べる。榮翁が老年であるため、昨日、御臺様の厚い思召しにより御納戸金のうちから御金三百両を例年どおり遣わした件を、非常にありがたく思い、厚く礼を申し上げたいとの便りの趣を…

  9. 追録7-No.1835 島津重豪、御鷹の鶴を拝領(忠徹が代理受領)

    重豪公御譜の記事。文政五年壬午閏正月十九日、大家(将軍)が使番の稲生七郎右衛門正興を芝邸へ遣わし、重豪に御鷹の鶴を賜った。島津筑後守忠徹が重豪に代わって受け取ったと記し、忠徹には佐土原藩主の注を添える。使番・芝邸・鶴の下賜・忠徹による代理受領の順序を保持する。本文に鶴の羽数は記されず、入力概要の「一…

  10. 追録7-No.1836 久珍系譜抄(斉興子・母の記載差・法名)

    御系図中の斉興の項で、男女二十二人の枝とともに久珍を掲げる系譜抄。久珍の通称として報七郎・弾正を記す。文政五年壬午二月四日に生まれ、母は島津樵嵐久井の養女と記す一方、近秘野抄には銀邸で生まれ、母を藤川時吉の女とするとの注を添える。二つの母の記載を残し、生母・養母などの関係を推測して統一しない。種子島…

  11. 追録7-No.1837 斉興公譜抄(泰清院殿百五十年忌・将軍家等の昇任)

    斉興公御譜の抄録。文政五年壬午二月十九日、福昌寺で泰清院殿(綱久と注記)の百五十年忌法事を修した。二十七日に勅使の広橋一位胤定・山科前大納言忠言、院使の日野大納言資慶が江府へ到着し、三月朔日に、家斉が正二位右大臣から従一位左大臣へ、家慶が従二位大納言から正二位内大臣へ昇任した。斉興には拝賜と献物があ…

  12. 追録7-No.1838 重豪公譜抄(将軍家昇任・贈答先別の献品と返礼)

    重豪公御譜。二月二十七日に勅使広橋胤定・山科忠言、院使日野資慶が江府へ入り、三月朔日に家斉が従一位左大臣、家慶が正二位内大臣へ昇任した。五日、重豪は四本孫左衛門兼房を物頭として本丸へ遣わし、家斉の転任と家慶の任槐に各太刀一腰・馬代金一枚を献じた。同日、池田次郎兵衛貞眞を西丸へ遣わし、家慶の任槐へ同品…

  13. 追録7-No.1839 青山忠裕書状(転任・任槐祝儀の披露)

    青山下野守忠裕から松平榮翁(島津重豪)への書状。今回の御転任・御任槐の祝儀として、使者をもって太刀・馬代を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。三月五日付で、文政五年は朱注。忠裕の判があり、次頁に松平榮翁の宛名、朱記「在口裏」、青山下野守忠裕の官名・実名が続く。正文在…

  14. 追録7-No.1840 松平乗保書状(転任・任槐祝儀の披露)

    松平能登守乗保から松平榮翁(島津重豪)への書状。本文を「全上」としたうえで、今回の御転任・御任槐の祝儀として、使者をもって太刀・馬代を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。三月五日付で、文政五年は朱注。乗保の判があり、朱記「在口裏」に官名・実名を添える。宛名は松平榮翁…

  15. 追録7-No.1841 重豪公譜抄(御臺様・御簾中昇任祝賀・位階記載差)

    重豪公御譜。三月二日、御臺様が従三位から従二位へ昇任し、御簾中が従三位に叙されたと記す。九日、重豪は物頭町田平實盈を本丸へ遣わし、大家へ二種・五百疋を献じた。物頭中村黑人義祇を西丸へ遣わして儲后へ同じ二種・五百疋、留守居助本田孫右衛門親惠を本丸へ遣わして御臺様へ二種・五百疋、留守居助町田孫太夫俊智を…

  16. 追録7-No.1842 水野忠成書状(御臺様・御簾中昇任祝儀の披露)

    水野出羽守忠成から松平榮翁(島津重豪)への書状。今回の御臺様の位階昇進と御簾中の叙位の祝儀として、使者をもって樽肴を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。三月九日付で、文政五年は朱注。忠成の判があり、朱記「在口裏」に官名・実名を添え、正文在文庫の所在注を持つ。宛名は松…

  17. 追録7-No.1843 松平乗保書状(御臺様・御簾中昇任祝儀の披露)

    松平能登守乗保から松平榮翁(島津重豪)への書状。本文を「全上」としたうえで、今回の御臺様の位階昇進と御簾中の叙位の祝儀として、使者をもって樽肴を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。三月九日付で、文政五年は朱注。乗保の判があり、次頁に松平榮翁の宛名、朱記「在口裏」、松…

  18. 追録7-No.1844 島津重豪書状(御臺様からの文臺・硯拝領への返事)

    重豪公御譜中に収め、扣の正文は右筆所にあるとの注を持つ、はな町・むめその・梅たに・はな崎への御返事。引き続きよろしく取り計らうよう頼み、便りを拝見して上々様方がますます御機嫌よくあることを恐悦する。今回の御臺様の位階昇進の祝儀に伴い、御臺様から御文臺・御すゞり一はこを内々に拝領し、ありがたい仕合せで…

  19. 追録7-No.1845 重豪公譜抄(節山公立久三百五十年忌・香奠)

    重豪公御譜の記事で、斉興公御譜にもあるとの注を持つ。今茲夏四月朔日、市来龍雲寺で節山公(立久と注記)の三百五十年忌法事を修した。重豪は家老の川上美濃久芳に香奠金二百疋を献じて拝するよう命じたと記す。年は文政五年の配列による。法事の対象と年忌数、市来龍雲寺、四月朔日、重豪の指示と久芳を介した献上、香奠…

  20. 追録7-No.1846 斉興、東叡山火番を代勤(近秘野抄)

    近秘野抄中の斉興公の記事。五年壬午四月二十日、斉興が松平阿波侯に代わって東叡山の鎮火事を領したと記し、阿波侯には徳島侯の注を付ける。年は文政五年、目録題は斉興が寛永寺火番を勤める記事とする。本文の東叡山・鎮火事と、目録の火番という表現を区別して記し、誰に代わって任務を担当したかを保持する。本文に実際…

  21. 追録7-No.1847 徳川家斉御内書(端午祝いの帷子・単物)

    家斉公の墨印を持つ、松平榮翁(島津重豪)宛の御内書。端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、詳しくは水野出羽守が述べると記す。五月二日付で、文政五年は朱注。重豪公御譜中に収め、正文は文庫にあるとの所在注を持つ。原本の宛名は松平榮翁であり、入力概要の松平薩摩守宛を訂正する。本文に帷子・単物の数…

  22. 追録7-No.1848 酒井忠進書状(端午祝いの帷子・単物献上)

    酒井若狭守忠進から松平榮翁(島津重豪)への書状。本文を「全上」としたうえで、端午の祝儀として使者をもって帷子・単物を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。五月二日付で、文政五年は朱注。酒井若狭守忠進の署名と判を持つ。宛名は松平榮翁で、入力概要の松平薩摩守宛を訂正する。…

  23. 追録7-No.1849 伊舎堂盛元起請文前書(五か条・納置記録)

    白木御文書八番箱中四十六番の、天罰霊社への敬白で始まる起請文前書。伊舎堂親方盛元は、若輩でありながら去歳三司官役を命じられたありがたい仕合せを述べ、五か条を誓う。第一に御国許の奉公へ念を入れて勤めること、第二に斉興・重豪・斉宣・忠方へ少しも疎意を持たないこと、第三に御国許から命じられた諸事の御条書を…

  24. 追録7-No.1850 島津久備証状(焼失文書三通の写し交付)

    白木御文書八番箱中四十五番の覚。家にあった三通の文書として、文和二年五月十一日付の尊氏将軍による知覧院宛行の下文一通、その付属の執達状一通、応永四年九月二十日付の渋川右兵衛佐満頼による本領佐多安堵の御教書一通を列記する。これら三通を焼失したため写しを願い出たところ、町田監物久視・新納内蔵久命と相談し…

  25. 追録7-No.1851 島津重豪書状(松平富八郎誕生の祝意)

    重豪公御譜中に収め、扣の正文は右筆所にあるとの注を持つ書状。引き続きよろしく取り計らうよう頼み、一筆申し上げ、上々様方の御機嫌がよいことを恐悦する。男子が誕生し、松平富八郎殿と称することを承知して、誠にめでたいと祝う。富八郎には家斉の男との注を添える。その祝意を内府様・御臺様・御簾中様へ申し上げ、機…

  26. 追録7-No.1852 青山忠裕書状(鰹一箱献上の披露)

    青山下野守忠裕から松平榮翁(島津重豪)への書状。今朝、鰹一箱を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。六月七日付で、文政五年は朱注。忠裕の判がある。重豪公御譜中に収め、正文は文庫にあるとの所在注を持ち、宛名と朱記「在口裏」、官名・実名は下段へ続く。原本の宛名は松平榮翁で…

  27. 追録7-No.1853 酒井忠進書状(鰹一箱献上の披露)

    酒井若狭守忠進から松平榮翁(島津重豪)への書状。今朝、鰹一箱を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。六月七日付で、文政五年は朱注。忠進の判がある。本文を「全上」とし、朱記「在口裏」に官名・実名を添える。原本の宛名は松平榮翁であり、入力の松平薩摩守宛を訂正する。二通は署…

  28. 追録7-No.1854 水野忠成書状(端午御内書の引渡し通知)

    水野出羽守から松平榮翁(島津重豪)への通知。端午の御内書を渡すので、家来を江戸城へ差し出すよう求め、以上で結ぶ。六月二十四日付で、文政五年は朱注。署名は水野出羽守の官名のみで、忠成の実名は目録題名による。重豪公御譜中に収め、正文は文庫にあるとの所在注を持つ。原本の宛名は松平榮翁であり、入力の松平薩摩…

  29. 追録7-No.1855 大久保忠真書状(直七郎の尾張家養子祝い)

    大久保加賀守忠真から松平榮翁(島津重豪)への書状。直七郎を尾張殿の養子とする仰出があったことへの祝儀として、鯛一折を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。六月二十八日付で、文政五年は朱注。直七郎には家斉の男との注を添える。重豪公御譜中に収め、正文は文庫にあるとの所在注…

  30. 追録7-No.1856 酒井忠進書状(直七郎の尾張家養子祝い)

    酒井若狭守忠進から松平榮翁(島津重豪)への書状。直七郎を尾張殿の養子とする仰出があったことへの祝儀として、鯛一折を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。六月二十八日付で、文政五年は朱注。本文を「全上」とし、忠進の判がある。朱記「在口裏」に官名・実名を添える。原本の宛名…

  31. 追録7-No.1857 水野忠成書状(生誕祝いの黄金十両献上)

    水野出羽守忠成から松平榮翁(島津重豪)への書状。生誕の御祝儀として黄金十両を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。原文の祝儀名は「生見玉」で、祝いの対象者の名は記されない。上段から下段へ本文・日付・署宛が続き、七月六日付で文政五年は朱注。忠成の判があり、水野出羽守忠成…

  32. 追録7-No.1858 松平乗保書状(生誕祝いの黄金十両)

    松平能登守乗保から松平榮翁(島津重豪)への書状。本文を「全上」とし、生誕の御祝儀として黄金十両を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。七月六日付で、文政五年は朱注。乗保の判があり、朱記「在口裏」に松平能登守乗保の官名・実名を添える。原文の祝儀名は「生見玉」で、出生者の…

  33. 追録7-No.1859 重豪、御鷹の雲雀を拝領(山内豊武が代理受領)

    重豪公御譜の記事。今茲夏七月二十五日、大家(将軍)が使番の佐橋甚兵衛桂富を芝邸へ遣わし、重豪に御鷹の雲雀を賜った。山内遠江守豊武が重豪に代わって受け取ったと記す。年は文政五年の配列による。使番の名は原本の桂富に従い、入力の柱富を訂正する。本文に雲雀の羽数は記されず、入力概要の「一羽」は除く。七月二十…

  34. 追録7-No.1860 重豪公譜抄(吹上庭観遊の特恩と代謝)

    重豪公御譜。今茲秋九月朔日、斉興が登城して当日の賀儀を述べ、三日に礼が終わった後、書院杉戸前で老中大久保加賀守忠真から命を伝えられた。重豪は既に老年で、年を追って歩行が思うようにならないので、将軍の特恩により、今年は吹上庭を遊観させるべきだとの内容で、斉興が承った。吹上庭は本丸にあるとの注を持つ。同…

  35. 追録7-No.1861 斉興公譜抄(重豪の吹上庭観遊・十月十三日実施)

    斉興公御譜。文政五年秋九月朔日、斉興が登城して月次の賀儀を述べ、三日に礼が終わると書院杉戸前で大久保加賀守忠真から命を伝えられた。老年の重豪は歩行が思うようにならないため、将軍の特恩で今年は本丸にある吹上庭を遊観させるという内容で、斉興は命を承り、同日重豪に代わって本丸・西丸と老中各邸へ謝恩した。留…

  36. 追録7-No.1862 重豪公譜抄(吹上庭観遊当日の行程と随員)

    重豪公御譜。冬十月十一日、水野忠成が留守居を召し、十三日は重豪が登城せず直接吹上へ来るよう伝えた。卯刻に高輪邸を出た重豪は坂下門を過ぎ冠木門で下乗し、留守居一人・刀番三人・草鞋役二人だけを随伴させ、他は入場を許さなかった。草鞋役二人は草履取・草履持各一人との注を持つ。御徒目附・御小人目附に案内され紅…

  37. 追録7-No.1863 幕府指図書(榮翁の吹上御庭見物許可・直渡注)

    全御譜中に収め、正文は文庫にある、松平榮翁宛の書付。老年となり、遠方を歩くことも心に任せられないだろうとの思召しにより、別段の扱いとして当年のうちに吹上御庭を見物するよう仰せ付けるとの沙汰を記す。壬午九月朔日の注には、太守が登城して居残るよう大目附岩瀬伊豫守から伝達があり、御礼後、白書院の黒鷺の御杉…

  38. 追録7-No.1864 島津斉興書状(榮翁の吹上御庭拝見許可への謝礼)

    全上の収録・扣の正文在右筆所の所在注を持つ、松平豊後守の書状。榮翁が老年となり遠方を歩くことも心に任せられないだろうとの思召しにより、別段の扱いとして当年中に吹上御庭を拝見するよう仰せ付けたとの沙汰を伝えられたことをありがたく思い、榮翁の礼名代として自分が申し上げ、併せて自分からも礼を述べる。九月朔…

  39. 追録7-No.1865 島津斉興伺書并例書(礼勤向・名代・女性への礼不要)

    扣の正文は右筆所にある伺。榮翁の吹上御庭拝見が済んだ際、公方様・内府様・御臺様・御簾中様への榮翁の礼勤向をどう心得るべきか、斉興自身の礼勤向と併せて問う。文政五年九月二日、松平豊後守署。御付札は、斉興自身が老中若狭守・能登守へ出向くことと名代差越の指示を区別し、御臺様・御簾中様へ礼品は不要とする。名…

  40. 追録7-No.1866 島津斉興伺書(献上物不要・玄関と大廊下休息所・羽織)

    扣の正文は右筆所にある伺。榮翁が老年で遠方歩行も心に任せられないため、別段の扱いとして当年中に吹上御庭を拝見する沙汰を受けたことをありがたく思い、拝見時の献上物を内証から献じたい旨と、どこから登城すべきか、着服・控席を問う。文政五年九月二日、松平豊後守署。朱の御付札は、献上物は不要とし、登城時は御玄…

  41. 追録7-No.1867 徳川家斉御内書(重陽祝いの小袖一重)

    家斉公の墨印を持つ、松平榮翁(島津重豪)宛の御内書。重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しくは大久保加賀守が述べると記す。九月七日付で、文政五年は朱注。重豪公御譜中に収め、正文は文庫にあるとの所在注を持つ。入力概要で略されていた小袖一重の数量を記し、松平薩摩守宛を原本の松平榮翁宛へ訂正す…

  42. 追録7-No.1868 松平乗保書状(重陽祝いの小袖一重献上)

    松平能登守乗保から松平榮翁(島津重豪)への書状。正文在文庫の所在注を持ち、重陽の祝儀として使者をもって小袖一重を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。九月七日付で、文政五年は朱注。松平能登守乗保の署名と判を持つ。入力概要で略されていた使者と小袖一重を記し、松平薩摩守宛…

  43. 追録7-No.1869 島津斉興書状(榮翁の歩行不自由・小用への配慮)

    重豪公御譜中・扣の正文在右筆所の所在注を持つ、松平豊後守の書状。榮翁が今回吹上御庭の拝見を許されたことをありがたく思う一方、老年で当時とりわけ歩行が不自由であり、小用も頻繁なので、何かと心配していると述べ、この事情を取り計らってほしいと内々に願う。九月十一日付で、文政五年は朱注。朱注には書面の趣を承…

  44. 追録7-No.1870 島津斉興届書(榮翁の城内杖使用)

    「全上」・扣の正文在右筆所の所在注を持つ、松平豊後守の届書。榮翁が今回吹上御庭の拝見を許された件について、かねて歩行が不自由なので、城内で特別に杖を使用したいと述べ、聞き置いてほしいと願う。九月十一日付で、文政五年は朱注。朱書の御付札には「承置候」とある。当日、御用番大久保加賀守へ留守居早川千竃を介…

  45. 追録7-No.1871 一橋治済芝邸訪問一件(迎接次第・贈答品立)

    九月十四日に一橋治済が芝屋敷へ立ち寄る際の迎接と贈答を記す、重豪公御譜中の記録。正文は文庫、末尾の文政五年は朱注。六半時の出宅、紗小袖・十徳の着用、豊後守・溪山・又三郎・大膳大夫らの出迎え、座之間での挨拶、家老・若年寄格各一人の御目見、料理、大奥への案内を列記する。龍田・吉野静・桜川・邯鄲・實盛・芦…

  46. 追録7-No.1872 上野帯刀書状(目録表題・本文は家老座所在表示のみ)

    原本No.1872は「重豪公御譜中」「扣正文在家老座」という出典・正文所在の二列のみを掲げ、書状本文・署名・宛名・日付を掲載しない。原目録には文政五年九月二十九日、上野帯刀書状とあるため、その日付と表題を目録情報として整理する。入力の家老座を宛先とは扱わず、正文の所在として明記する。本文の用件、上野…

  47. 追録7-No.1873 上野帯刀書状(吹上見物許可・御礼/目録は三家老連署返書)

    上野帯刀から川上美濃・嶋津安房・新納内蔵への書状。太守が去る朔日に月次登城して居残った際、大御目附岩瀬伊豫守の伝達を受け、白書院の黒鷺杉戸際で老中大久保加賀守から重豪の御庭見物について仰せられたと述べる。大御隠居の老年と歩行への心配から、特別に当年内の吹上見物を許す書付が下され、本人の西丸登城、出仕…

  48. 追録7-No.1874 幕府指図書(榮翁の坂下御門から吹上への直通)

    重豪公御譜中・正文在文庫の所在注を持つ、松平榮翁宛の指図書。明後十三日に吹上御庭の見物を仰せ付けるので、登城するには及ばず、五半時に坂下御門から直接吹上へ来るよう指示する。案内等は御目付に伝えてあると記す。十月十一日付で、文政五年は朱注。朱注の「在口裏」にも松平榮翁宛とある。本文に差出人の署名はなく…

  49. 追録7-No.1875 吹上庭観遊一件(目録表題・正文文庫所在表示のみ)

    原本No.1875は「全御譜中」「正文在文庫」という二列の出典・正文所在表示のみで、本文・人物・署宛・年月日を掲載しない。原目録では「吹上庭観遊一件」として掲げ、次に「の一」から「の六」までの指図書・観遊覚書・観遊道順書・諸御家屋飾付覚・拝領物覚・献立覚を列記する。附書一件の親題を掲げる所在表示で、…

  50. 追録7-No.1876 早川千竃書状(吹上観遊の供奉・退出・水野方への口上)

    全御譜中・扣の正文在家老座の所在注を持つ、早川千竃(兼備の小注)から監物への書状。十月十四日付、文政五年は朱注。前日十三日に大御隠居が六時に供を揃え吹上御庭へ向かい、坂下・冠木門で下乗したと報告する。早川自身と刀番三人、草履取一人・草履持一人が供をし、挟箱一つを携え、御徒目付・御小人目付に案内されて…

  51. 追録7-No.1877 松平榮翁御礼書付(名代九鬼靭負)

    全御譜中・扣の正文在右筆所の所在注を持つ、松平榮翁の名代九鬼靭負による御礼の書付。昨日、吹上御庭を拝見し、料理を頂戴したうえ、鷹羽合を仰せ付けられ、品々の拝領もあり、重ね重ねありがたい仕合せであると述べ、以上の御礼を名代をもって申し上げると結ぶ。十月十四日付で、文政五年は朱注。末尾には松平榮翁・名代…

  52. 追録7-No.1878 重豪の香奠献上(勝久公三百五十年忌・二百疋)

    重豪公御譜中に収め、斉興公御譜にもあるとの出典注を持つ記事。今年冬十月十五日、修三大翁公の三百五十年忌法事が隆盛院で営まれ、重豪が家老新納内蔵久命を遣わし、香奠金二百疋を拝上したと記す。修三大翁には勝久の人名注があり、目録も重豪が勝久の遠忌法事を修す記事として掲げる。法事の場所・使者・香奠の数量を明…

  53. 追録7-No.1879 町田久視書状(目録表題・正文家老座所在表示のみ)

    原本No.1879は「重豪公御譜中」「扣正文在家老座」という二列の出典・正文所在表示のみを掲げ、本文・署宛・日付を掲載しない。原目録には文政五年十月十七日・町田久視書状とあるため、日付と表題を目録に基づく情報として採録する。家老座は正文所在として扱い、書状の宛先にはしない。両版各一頁を全頁確認し、当…

  54. 追録7-No.1880 町田監物書状(吹上観遊首尾/目録は三家老返書)

    町田監物から川上美濃・嶋津安房・新納内蔵への書状で、本文各所に朱書の応答注を持つ。水野出羽守が十一日に留守居を呼び出し、明後十三日の吹上見物は登城せず直に吹上へ来るよう伝えた経緯から、御庭見物・料理・鷹羽合・拝領が滞りなく済み、暮方に退いたことを述べる。両御丸老中へは九鬼靭負が名代として御礼に回り、…

  55. 追録7-No.1881 大久保加賀守通知(榮翁宛・重陽御内書)

    重豪公御譜中・正文在文庫の所在注を持つ、大久保加賀守から松平榮翁への通知。重陽の御内書を渡すので、明日五半時に家来を城へ差し出すよう求め、以上で結ぶ。十月二十日付で、文政五年は朱注。宛名を原本の松平榮翁へ訂正し、松平薩摩守斉興宛という入力の記載は採用しない。差出人の本文署名は官名、目録表題は大久保忠…

  56. 追録7-No.1882 左近の実名久昵への変更書付(白木八番箱四十七)

    白木御文書八番箱中の四十七とする文書。「左近様」の実名を久昵と替えた旨の申来に対し、この旨を承り置くよう御記録奉行へ伝える。本書に具体的な月日はなく、久昵にはチカの読み注がある。右の包紙には文政五年午十月二十七日、内蔵殿から図師崎良四郎へ渡し、白木御文書八番箱へ納め置くことを記す。実名変更の通知と後…

  57. 追録7-No.1883 家老座申渡書(重豪公御譜中・正文は家老座所在)

    「重豪公御譜中」の出典見出しと「扣正文在家老座」の所在注を掲げ、申渡しの正文は掲載しない。目録は文政五年十一月二十九日の家老座申渡書として立項するが、掲載箇所に日付・申渡内容・宛名の記載はない。

  58. 追録7-No.1884 町田久視書状(吹上拝見後の恩赦先例照会・家老朱返答)

    町田監物が、大御隠居による吹上御庭拝見後の恩赦取扱いについて、川上美濃・嶋津安房・新納内蔵へ先例を照会する。料理を頂戴し、鷹の羽合を命じられ、品々を拝領するなど一連の行事が滞りなく済んだことを述べ、これまで同様の例がなく格別の慶事なので恩赦を行うべきか、前年卯年に公方・右大将が御目見した際の取扱いを…

  59. 追録7-No.1885 川上久芳外二名家老連署書状(国王の年首祝儀・三司官宛)

    川上美濃・嶋津安房・新納内蔵が、三司官へ琉球国王の年首祝儀を受け取った旨を通知する。国王の尊書を拝見し、大御隠居への年首祝儀が目録のとおり差し上げられたので、江府到着後に披露したところ満足されたと伝え、これを国王へ申し伝えるよう求める。十二月九日付、文政五年は朱注。出典は重豪公御譜中、正文は琉球国司…

  60. 追録7-No.1886 川上久芳外二名家老連署書状(若殿の元服・又三郎から忠方への改名祝儀・三司官宛)

    川上美濃・嶋津安房・新納内蔵から三司官への書状。国王の尊書を拝見し、若殿の元服式が済み、又三郎から実名忠方へ改名したことへの祝儀について述べる。大御隠居へ松川親方を介して太刀一腰・馬代黄金十両および目録の品が差し上げられ、江府到着後に披露したところ満悦されたと伝え、国王への伝達を依頼する。若殿には斉…

  61. 追録7-No.1887 川上久芳外二名家老連署書状(勝之進出生の祝儀・三司官宛)

    川上美濃・嶋津安房・新納内蔵から三司官への書状。国王の尊書を拝見し、前年丑年に「御隠居様」の男子が生まれ、勝之進と名付けたことへの祝儀について述べる。大御隠居へ祝儀が差し上げられ、江府到着後に披露した旨を伝え、国王への伝達を依頼する。「御隠居様」と披露先の「大御隠居様」を別の表記として記す。十二月九…

  62. 追録7-No.1888 川上久芳外二名家老連署書状(春姫出生の祝儀・三司官宛)

    川上美濃・嶋津安房・新納内蔵から三司官への書状。国王の尊書を拝見し、前年に「御隠居様」の女子が生まれ、春姫と名付けたことへの祝儀について述べる。大御隠居へ祝儀が差し上げられ、江府到着後に披露した旨を伝え、国王への伝達を依頼する。春姫には「斉興養女」の人物注があり、正文の出生記事と人物注による養女関係…

  63. 追録7-No.1889 川上久芳外二名家老連署書状(貢姫の縁組祝儀・三司官宛)

    川上美濃・嶋津安房・新納内蔵から三司官への書状。国王の尊書を拝見し、貢姫の縁組の願いのとおり命じられたことへの祝儀について述べる。大御隠居へ松川親方を介して目録の品が差し上げられ、江府到着後に披露したところ満悦されたと伝え、国王への伝達を依頼する。貢姫には重豪の娘とする人物注がある。縁組相手の名前や…

  64. 追録7-No.1890 川上久芳外二名家老連署書状(春姫の縁組祝儀・三司官宛)

    川上美濃・嶋津安房・新納内蔵から三司官への書状。国王の尊書を拝見し、春姫の縁組の願いのとおり命じられたことへの祝儀について述べる。大御隠居へ松川親方を介して目録の品が差し上げられ、江府到着後に披露したところ満悦されたと伝え、国王への伝達を依頼する。縁組相手の名前や婚礼の実施日、祝儀の具体的品目・数量…

  65. 追録7-No.1891 川上久芳外二名家老連署書状(元姫君死去の弔慰・三司官宛)

    川上美濃・嶋津安房・新納内蔵から三司官への書状。国王の尊書を拝見し、元姫君の死去に際して大御隠居の心情を気遣い、松川親方を介して書面で述べられた趣旨を、江府到着後に披露したと伝える。その旨を国王へ申し伝えるよう依頼する。元姫君には家斉の娘とする人物注がある。死去の月日や弔慰品の品目・数量は記さない。…

  66. 追録7-No.1892 川上久芳外二名家老連署書状(陽七郎死去の弔慰・三司官宛)

    川上美濃・嶋津安房・新納内蔵から三司官への書状。国王の尊書を拝見し、陽七郎の死去に際して大御隠居の心情を気遣い、松川親方を介して書面で述べられた趣旨を、江府到着後に披露したと伝える。その旨を国王へ申し伝えるよう依頼する。陽七郎には家斉の男子とする人物注がある。死去の月日や弔慰品の品目・数量は記さない…

  67. 追録7-No.1893 阿部正精書状(鰹節一箱献上の披露)

    阿部備中守正精から、口裏に松平榮翁と記された相手への書状。今朝献上された鰹節一箱を披露し、「一段之御仕合」と伝える。十二月十六日付、文政五年は朱注。出典は重豪公御譜中、正文は文庫所在。披露先の名前は本文中に明記されない。

  68. 追録7-No.1894 酒井忠進書状(鰹節一箱献上の披露)

    酒井若狭守忠進から、口裏に松平榮翁と記された相手への書状。今朝献上された鰹節一箱を披露し、「一段之御仕合」と伝える。十二月十六日付、文政五年は朱注。「全上」は前件の重豪公御譜中・正文在文庫を受ける。同日付の阿部正精書状と同じ品目・数量だが、差出人を異にする独立した書状である。

  69. 追録7-No.1895-1 島津斉興願書(桃次郎の聟養子願・本文署名松平豊後守)

    松平豊後守名の書付。松平備前守に男子がないため、豊後守の叔父である嶋津桃次郎について、前年の備前守の暇の際に仮養子を願い出ていたことを述べる。従来の由緒もあるため、正式に聟養子を願い出たいとの申出を承知し、そのとおり取り計らうよう伝える。十二月十八日付で、文政五年は注記。備前守に「黒田斉溥」、桃次郎…

  70. 追録7-No.1895-2 黒田斉清願書(松平備前守の桃次郎聟養子願)

    松平備前守が老中へ嶋津桃次郎を聟養子にしたいと願う。男子がなく、従来の由緒から前年に仮養子を願った桃次郎は娘との年齢の釣合いもよいと述べる。自身は若いものの近年しばしば眼病になり、重要な領地を受け持つ身分なので手厚く教え導き、長崎での勤向も将来に備えて見習わせたいとする。桃次郎は格別に幼いため、同姓…

  71. 追録7-No.1895-3 黒田斉清訳書并覚書(豊後守家との由緒説明)

    松平備前守が、松平豊後守家との由緒を説明して桃次郎の聟養子願に添える訳書。故筑前守継高の嫡子である故修理太夫重政の妻が、故松平大隅守継豊の娘であったと述べる。この縁故により、別紙のとおり嶋津桃次郎を聟養子にしたいと願っている旨を記す。十二月十八日付、文政五年は朱注。目録は黒田斉清訳書并覚書とし、掲載…

  72. 追録7-No.1895-4 島津重豪日次記(桃次郎養子許可・改名案・当用金)

    桃次郎の養子願から許可・改名・当用金に至る覚書。十二月二十日、備前守は翌二十一日四時に桃次郎と同道して登城するよう奉書で求められたが、桃次郎が風邪のため名代を出せるか照会し、名代不要との指図を留守居から受けた。願いどおり聟養子を命じられ、白書院縁頬の中列座で備中守から備前守と桃次郎へ達があったという…

  73. 追録7-No.1896 島津斉興并黒田斉清届書(桃次郎の当面の居住)

    松平豊後守は、松平備前守の養子となった叔父桃次郎を備前守方へ引き移すところ、住居の普請・繕いを後日に行うため、当分は従来どおり榮翁方に滞留させたいという届を承知し、そのとおりにするよう伝える。続けて備前守の届を掲載し、黒田桃次郎を引き取る予定だが住居の普請・繕いを後日に行うため、当分は里方に滞留させ…

  74. 追録7-No.1897 吹上御庭拝見内祝能組(能・狂言演目と名列)

    十二月十五日、吹上御庭拝見が滞りなく済んだ内祝として、亀之甲舞台で能を催し、有馬玄蕃・水野甲斐(忠実注)・有馬臺作を招いた記録。能組には岩船・俊成忠度・綾鼓・船弁慶・海士・乱を挙げ、虎之助・又三郎・玄蕃頭・桃次郎・甲斐守・豊後守などの名を各曲の下に配列し、狂言・間として末廣・宗八・福の神および船弁慶…

  75. 追録7-No.1898 島津重豪覚書(吹上拝見内祝の香贈答)

    十月十五日付の覚書。先日の吹上御庭拝見が滞りなく済んだ内祝として、豊後と溪山を招き、香一折が小納戸の使者によって届いたことを記す。芝から同様の例にならって返礼し、同日に小納戸の使者を通じ香一折を芝へ、白金にも同様として交香一折を贈った。翌十六日には、芝・白金から前日の挨拶が小納戸の使者によって伝えら…

  76. 追録7-No.1899 島津桃次郎養子成一件(留書表紙・蓋紙・口裏注)

    白木御文書八番箱中四十八番とする、桃次郎の松平備前守への聟養子願に伴う届書等をまとめた留書の表紙・蓋紙。表紙に文政五壬午年十二月と記し、蓋紙には桃次郎の一件について備前守への聟養子願に伴う届書等の諸書付を留める旨と御記録所を記す。口裏の朱注には、聟養子が済んだことの届、正月十八日到来、式日飛脚便とあ…

  77. 追録7-No.1900 徳川家斉御内書(歳暮の小袖一重到来)

    歳暮の祝儀として小袖一重が到来し、喜んで見た旨を松平榮翁へ伝える御内書。詳しい事情は阿部備中守が述べるとする。十二月二十七日付で、文政五年は朱注、家斉公の墨印を示す円形の表示がある。出典は重豪公御譜中、正文は文庫所在。

  78. 追録7-No.1901 酒井忠進書状(歳暮の小袖一重献上披露)

    酒井若狭守忠進から松平榮翁への書状。歳暮の祝儀として使者をもって献上された小袖一重を披露し、「一段之御仕合」と伝える。十二月二十七日付、文政五年は朱注。「全上」は前件の重豪公御譜中・正文在文庫を受ける。御内書とは差出人・文書形式を異にする独立した通知で、披露先の名前はこの本文に明記されない。

  79. 追録7-No.1902 島津重豪書状(桃次郎聟養子許可のお礼・あすか井ら五宛)

    宛先の機嫌を伺い、自身の九男嶋津桃次郎を松平備前守の聟養子にしたいとの願いが、そのとおり命じられたことを喜び、お礼を申し上げたいとする書状。御臺様へもお礼を伝えるため、都合のよい折に取りなしてほしいと五名へ頼む。末尾に、なおよろしく頼むとの追而書がある。文政五年は朱注で、月日と本文署名は記されない。…

  80. 追録7-No.1903 島津重豪書状(桃次郎聟養子許可のお礼・萬里小路ら五宛)

    宛先の機嫌を伺い、自身の九男嶋津桃次郎を松平備前守の聟養子にしたいとの願いが、そのとおり命じられたことを喜び、お礼を申し上げたいとする書状。御簾中様へもお礼を伝えたいので、都合のよい折に御前へ取りなしてほしいと五名へ頼む。末尾に、なおよろしく頼むとの追而書と「名申給へ」の小注がある。文政五年は朱注、…

  81. 追録7-No.1904 大久保忠真書状(若菜祝儀の鯛一折献上披露)

    大久保加賀守忠真から、口裏に松平榮翁と記された相手への書状。若菜の祝儀として献上された鯛一折を披露し、「一段之御仕合」と伝える。正月七日付で、文政六年は朱注。出典は重豪公御譜中、正文は文庫所在。披露先の名前はこの本文に明記されない。

  82. 追録7-No.1905 松平乗保書状(若菜祝儀の鯛一折献上披露)

    松平能登守乗保から、口裏に松平榮翁と記された相手への書状。若菜の祝儀として献上された鯛一折を披露し、「一段之御仕合」と伝える。正月七日付、文政六年は朱注。「全上」は前件の重豪公御譜中・正文在文庫を受ける。前件の大久保忠真書状と同日・同品目だが、差出人を異にする独立した通知である。

  83. 追録7-No.1906 島津桃次郎名字状請取書(名乗の相談・初挨拶と贈答)

    備前守から桃次郎へ名乗を遣わす相談がかねてあり、正月九日に日役方用人水野頼母を使者として芝へ来訪した記録。取附の間・二の間に案内し、留守居が会った後、側役野村主礼の口上を受ける。実名は箱入りとし、祝品一折を送ったことを記す。その後、帯刀が会い、桃次郎本人が表書院で今日の挨拶に直接答えるところ、痘瘡の…

  84. 追録7-No.1907 島津斉興吉書(三条の施政指示)

    白木御文書八番箱中四十九番の吉書。神社・仏閣の修造興行、農事に専念して励むこと、国々の年貢を徴納することの三条を掲げ、その旨を沙汰するよう命じる。文政六年正月十一日付で、斉興の御判を示す。四十九番は文書箱内の保管番号であり、条数とは別である。

  85. 追録7-No.1908 大久保忠真書状(年頭の太刀一腰・馬代黄金十両献上披露)

    大久保加賀守忠真から、口裏に松平榮翁と記された相手への書状。年頭の祝儀として使者をもって献上された太刀一腰・馬代黄金十両を披露し、「一段之御仕合」と伝える。正月十一日付、文政六年は朱注。出典は重豪公御譜中、正文は文庫所在。馬代は金額として記し、馬そのものを献上したとはしない。

  86. 追録7-No.1909 島津重豪覚書(高輪屋敷近火への御臺の問合せ)

    正月十二日、高輪屋敷の近くで火事があったため、御臺から様子を尋ねるための来訪があったことを記す覚書。御広敷添番西郷七左衛門、御広敷伊賀者井上主左衛門、御小人小菅興十郎・丸山吉兵衛の名と役職を列記する。続けて「右廣敷に向け被成下」とあり、後でそれぞれへ挨拶を申し出たこと、文使から引き渡したとの但書を記…

  87. 追録7-No.1910 松平乗保書状(年頭の太刀一腰・馬代黄金十両献上披露)

    松平能登守乗保から、口裏に松平榮翁と記された相手への書状。年頭の祝儀として使者をもって献上された太刀一腰・馬代黄金十両を披露し、「一段之御仕合」と伝える。正月十八日付、文政六年は朱注。出典は重豪公御譜中、正文は文庫所在。十一日付の大久保忠真書状と同じ品目・数量だが、署名と日付を異にする独立した通知で…

  88. 追録7-No.1911 島津桃次郎道具請取書(武具・衣服・馬・霞ヶ関初訪問)

    備前守から桃次郎へ道具を送り、初めて霞ヶ関邸を訪れた際の応接・盃事・贈答を記す。正月二十七日、用人田代半七を使者に安否の沙汰一通、腰物・行列道具等を送った。書類は口上書一通、目録一通、拵目録三通、馬覚書一通、道具類覚書一通で、重濱三十郎による道具の見締めを記す。品物は康光の刀・弘行の脇差・盛重の児刀…

  89. 追録7-No.1912 花さき外三名連署消息(老年の榮翁へ内々に三百両)

    花町・梅その・むめ溪・はな崎の四名による、松平榮翁様人々御中宛の消息。末永い年祝の挨拶と相手方の機嫌伺いに続き、相手方が老年であることから、御臺の思召により御納戸金のうちから内々に金三百両が例年どおり遣わされたと伝える。文政六年は朱注で、具体的な月日・年齢は記されない。出典は重豪公御譜中、写正文は文…

  90. 追録7-No.1913 花さき外三名連署消息(御返事・三百両への御礼取次)

    花町・梅その・梅溪・はな崎の四名が、松平榮翁様の人々御中へ返事を送る。相手からの書状を受け取り、機嫌よく過ごしていることを喜び、老年に達したため御臺の思召により御納戸金から内々に三百両が例年どおり遣わされた旨を昨日伝えたことに触れる。ありがたいとの相手の言葉を受け、お礼については受け取った書状のとお…

  91. 追録7-No.1914 島津重豪書状(御鷹の鶴拝領のお礼・六宛)

    相手方の機嫌を伺い、上使を通じて御鷹の鶴を拝領したことと、同氏の溪山にも同様に拝領を命じられたことをありがたいと述べる書状。表からもお礼を申し上げたいとし、都合のよい折に御前へ取り成すよう六名へ頼む。追而書では表からのお礼の希望を重ね、なおよろしくと結ぶ。あすか井・はなその・瀬川・八十せ・むめた・野…

  92. 追録7-No.1915 島津重豪書状(公方様の御鷹の鶴拝領・御臺と諸姫への御礼)

    島津重豪の書状。機嫌伺いの後、公方様から上使を通じて御鷹の鶴を拝領し、同氏の溪山にも同様に拝領を命じられたことを喜ぶ。御臺様に申し上げるよう頼み、文姫・盛姫・和姫・溶姫・末姫・喜代姫・永姫の各君へも謝意を伝えるよう求める。都合のよい折に御前へ取り成してほしいと結び、あすか井・はなその・瀬かわ・八十せ…

  93. 追録7-No.1916 重豪御鷹ノ鶴ヲ拝領ス(御譜中記事)

    文政六年二月九日の重豪公御譜中の記事。大家が使番の戸田七内光紹を芝邸へ遣わし、重豪に御鷹の鶴を賜る。重豪に代わって九鬼靱負隆徳が鶴を受けた。同日、隆徳は登城して桜の間で御目付鈴木九郎右衛門正英に会い、賜鶴の恩を謝して退朝し、さらに本丸・西丸の老中邸に赴いて礼を述べた。本文に重豪自身が登城したとは書か…

  94. 追録7-No.1917 阿部正精書状(歳暮御内書の受渡し)

    阿部備中守から松平榮翁への書状。歳暮の御内書を渡すため、翌日五半時に家来を城へ差し出すよう知らせる。署名は阿部備中守、宛名は松平榮翁。朱書の日付は文政六年二月二十二日で、本文の「明日」は二月二十三日を指すが、実際に家来が登城したことまでは記さない。「歳暮」と二月の組合せは原文どおり保持し、理由は確定…

  95. 追録7-No.1918 島津重豪日次記(二月二十二日・二十五日の訪問と進物)

    重豪公御譜中の二月二十二日・二十五日の日次記。二十二日には桃次郎の養子願が済み、桃次郎が初めて霞ヶ関屋敷へ赴き、左近らと同道して馳走を受け、七半時ごろ帰宅したと記す。続いて土産や進物として南蛮上下地、文臺・硯箱、鯛、羽二重、刻たばこ、板締縮緬、七子織、博多帯地、縞縮緬などの品と数量を列挙し、豊後守・…

  96. 追録7-No.1919 酒井忠進書状(歳暮の奉書を受け渡す通知)

    酒井若狭守から松平榮翁へ、歳暮の奉書を渡すので翌日四時に家来を西丸へ差し出すよう求める書状。朱書は文政六年三月十二日で、本文の「明日」は三月十三日を指す。署名は酒井若狭守、宛名は松平榮翁。受渡しや登城の実施結果は記されない。「歳暮」という文言と三月の日付の関係は本文から説明されず、原文どおり併記する…

  97. 追録7-No.1920 斉興帰国ス(拝領・謝恩と帰国の記事)

    斉興公に関する御譜の記事。文政六年三月十三日、大家の使いである松平和泉守を通じて恩賞が例のとおり賜られ、儲君の使いである酒井若狭守からも品物が賜られたと記す。十五日には朝謁して恩を謝し、大家から例のとおり馬を賜った。東叡山の鎮火の件にも触れ、二十一日に芝邸を出発し、五月五日に府城へ到着した。目録は斉…

  98. 追録7-No.1921 重豪神田橋邸ニテ御臺所ニ謁ス(御譜中記事)

    重豪公御譜中の記事。三月十四日に老中水野出羽守忠成が留守居を召し、御臺様が吹上庭から徳川兵部卿齊禮の神田橋邸へ立ち寄る旨を伝えた。二十八日には重豪が高輪邸を出て神田橋邸へ赴いた。経路は片町本札辻・三田・赤羽・土器町・西久保・虎ノ門・霞ヶ関外・桜田・西丸下・和田倉・辰之口を経る。裏門で下乗し、御徒目付…

  99. 追録7-No.1922 幕府老中指図書(御臺様の神田橋邸立寄り・榮翁出向)

    御臺様が来る二十八日に吹上御庭から兵部卿殿の神田橋屋敷へ立ち寄る旨を伝え、その折に松平榮翁が同屋敷へ出向いて御機嫌を伺うよう命じる指図書。本文には指図を出した老中の個人名・署名はなく、目録は「幕府老中指図書」とする。朱書は文政六年三月で、二十八日は本文中の予定日であり、この文書自体の日付の日ではない…

  100. 追録7-No.1923 島津重豪書状(神田橋邸での御目見と老年の謝意)

    重豪が榮翁の名で花町へ送った書状。年齢を重ね、寒さや眼力の衰えを感じる近況を述べつつ、御臺様の神田橋御屋形立寄りと自分への御目見の計らいを喜ぶ。先方の機嫌と無事を案じ、神田橋での対面を夢のようなありがたい出来事と受け止め、御臺様の言葉や心遣いに謝意を表す。高齢のため御会釈などで失礼があったのではない…