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追録7の目録
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追録7-No.1145 川上久芳・鎌田政與連署証状(斉興先判のとおり寺領等を処理)
今、添書は左のとおりとの注。嶋津家の宿坊は中納言家久の代から興隆し寺領も寄附されたことを述べ、今回少将斉興の先判の旨を証書として遣わすので、諸事を先例どおり怠らず沙汰するよう求める。文化8年5月朔日、川上右近久芳判・鎌田典膳政與判、高野山蓮金院宛。包紙に高野山蓮金院と二署名。1144太守判証状を受け…
追録7-No.1146 典膳申渡(蓮金院証書受領と写二通・三通包紙)
右二通の添書は左のとおり。蓮金院は先般の家督に際して御判物を頂戴するよう先規により願い出た。今回江府で御発駕前に御判物と添書の認めがあり、持ち越して滞坂中5月廿八日、御判物を拙者から渡し、御家老連名の添書を御側御用人により頂戴して一件を済ませたので、後年見合用に別紙2通の写を渡すと記す。9月、典膳署…
追録7-No.1147 徳川家斉御内書(端午帷子単物到来)
重豪公御譜中・正文在文庫。端午祝儀として帷子単物が到来したことを喜び、委曲は青山下野守が述べると伝える。5月2日、家斉公墨印の表示、松平榮翁宛、文化8年朱注。数量は本文に記されず一重などを補わず、同日1148献上披露返書と文型・差出人を分ける。
追録7-No.1148 松平乘保書状(使者帷子単物献上)
全上。端午祝儀として使者により帷子単物を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。上段の本文を次頁の結び・5月2日付・松平能登守乘保判・松平榮翁宛へ連結する。文化8年朱注。使者が献上したという構造と数量不記載を保ち、1147家斉内書到来と別に整理する。
追録7-No.1149 青山下野守忠裕書状(今朝鰑一箱献上)
重豪公御譜中・正文在文庫。今朝、鰑1箱を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。6月4日、忠裕判、松平榮翁宛、朱口裏に青山下野守忠裕、文化8年朱注。品名の魚偏に昜という掲載字形を保ち、現代品名へ補充しない。差出人自身を贈り手とせず、端午祝儀返書と混ぜない。
追録7-No.1150 松平能登守乘保書状(今朝鰑一箱献上)
全上。今朝、鰑1箱を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。6月4日、乘保判、松平榮翁宛、朱口裏に松平能登守乘保、文化8年朱注。品名の魚偏に昜という掲載字形を保ち、現代品名へ補充しない。差出人自身を贈り手とせず、端午祝儀返書と混ぜない。
追録7-No.1151 重豪御譜(内証千万の死去と芝・福昌寺の墓)
重豪公御譜中。堤氏は千万と称し格式は内証、堤前中納言代長の女で斉宣の生母との注を付す。以前から舊腦と記す持病を患い医薬が効かず、今茲6月14日、江戸高輪邸で卒、65歳。後に13日を忌日としたとの注も掲げ、死亡日を13日に書き替えない。法名春光院殿心月清涼大姉。17日芝大圓寺で葬り、家老川上右近久芳が…
追録7-No.1152 花町等四署消息(修理大夫の実母死去への御臺弔慰)
全上・写正文在右筆所。松平修理大夫殿の実母が死去したことを御臺様が聞き、痛ましく感じ、悲傷のことであると思し召すので、その旨を心得て伝えるよう申し付けられたと知らせる。かしくと結び、文化8年朱注、まつ平榮翁様・人々御中宛。正文署名は花町・花その・梅その・花崎の四人。目録標題は花崎外二名なので人数差を…
追録7-No.1153 花まち等四署消息(暑中見舞と此塗重一組)
全上。たいへん暑さが強いが今も障りなく過ごしているかと御臺様がお尋ねになり、此塗重1組を遣わし、何もよく伝えるようとの旨を知らせる。かしくと結ぶ。文化8年朱注、松平榮翁さま・人々御中宛、署名は花まち・はなその・むめその・はな崎の四人。前頁見出しと次頁の本文・署宛を連結する。1152実母死去への弔慰と…
追録7-No.1154 斉宣御譜(千万死去と重豪譜の丹羽氏記事への編者按)
斉宣公御譜中。文化8年辛未夏6月14日、斉宣の生母堤氏が江府高輪邸で卒。千万と称し生母なので内証とも呼ぶこと、中納言代長卿の女であるとの注を付す。去年12月から持病で臥し医薬に効がなく、65歳で卒、後に忌日を13日としたとの注。法号春光院殿心月清涼大姉、17日芝大圓寺で葬り川上右近久芳が木主を奉じ安…
追録7-No.1155 青山忠裕書状(翌日五半時に家来を御城へ)
重豪公御譜中・正文在文庫。端午の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ差し出すよう知らせる。6月廿四日、青山下野守署、松平榮翁宛、文化8年朱注。目録標題は青山忠裕書状。書状日と翌日の出頭予定を分け、先の5月2日祝儀内書を受け取った結果と断定しない。
追録7-No.1156 将監久泰申渡(千眼寺へ寺社奉行所から直接触達)
重豪公御譜中・扣正文在家老座。宇治黄檗山の直末寺なので寺社奉行所の触達等を直接申し渡すべきところ、これまでは壽国寺へ伝え、同寺から千眼寺へ伝えていた。今後は寺社奉行所から直接申し渡すよう大御隠居様が沙汰したので、そのとおり取り扱う旨を寺社奉行へ通知し関係先へ伝える。千眼寺に鹿児島の注。目録は文化8年…
追録7-No.1157 土井大炊頭利厚書状(生見玉黄金十両献上)
重豪公御譜中・正文在文庫。生見玉祝儀として黄金10両を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。7月6日、利厚判、松平榮翁宛、朱口裏に土井大炊頭利厚、文化8年朱注。祝儀名と金額・日付を保持し、本文にない奉祝対象の実名を補わない。
追録7-No.1158 松平能登守乘保書状(生見玉黄金十両献上)
全上。生見玉祝儀として黄金10両を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。7月6日、乘保判、松平榮翁宛、朱口裏に松平能登守乘保、文化8年朱注。祝儀名と金額・日付を保持し、本文にない奉祝対象の実名を補わない。
追録7-No.1159 斉興御譜(初入部の賀・太刀手捧げ)
秋7月22日、斉興が初入部の賀を受けた。重家の輩と記す者たちが手に太刀を捧げて謁したと述べ、年頭の儀と同じとする。上段の見出しを下段の賀儀本文へ連結する。太刀の個別数量や参加者全員の氏名は記されず補わない。重家という掲載表記を出典別に残し、これを新しい官職名や特定家の実名へ置換しない。
追録7-No.1160 重豪御譜(田中市郎左衛門の雲雀・久留島通嘉代礼)
同年秋7月25日、大家が使者田中市郎左衛門を芝邸へ遣わし重豪へ御鷹の雲雀を賜った。使者には実名闕の注。久留島伊豫守通嘉が重豪に代わり恩旨を奉じ、即座に老中各邸へ謝礼したと記す。斉興本人の初入部賀と、本件の重豪宛拝領・通嘉の代礼を分け、雲雀の数量を補わない。
追録7-No.1161 斉興願書(榮翁の持病・脚痛と有馬三廻御暇)
全上・扣正文在右筆所。同氏榮翁の持病(疝積と読む候補)のため脚痛にも難儀すると述べ、既往の湯治を説明する。明和9年・天明5年の二度、願い出て相州塔之澤・豆州熱海で湯治したが快方は得ても十分に治らず、天明7年・寛政4年には国元温泉に入り追々快方に向かった。その後老年となり持病が再発したため、摂州有馬温…
追録7-No.1162 斉興伺書(榮翁有馬湯治の往来と近衛訪問の指図)
扣正文在右筆所。同氏榮翁の持病・脚痛に伴う摂州有馬湯治三廻の御暇願が許されたら、往来時に相州鎌倉鶴岡の先祖廟所へ参詣し、京都に立ち寄り2・3日逗留したいと伺う。由緒があるので近衛殿にも伺候したい件を併せて願う。文化8年7月25日、松平豊後守署。朱付札は一般の往来・参詣は勝手次第とし、近衛殿へ越す件は…
追録7-No.1163 斉興御譜(家督後初めて五社に詣でる)
9月朔日、斉興が襲封後初めて五社に詣でたと記す。本文に五社の個別名・行程・献物は掲載されないため補わない。家督後初の参詣という行為を、初入部の賀儀や重豪の湯治往来とは別件として整理する。
追録7-No.1164 重豪御譜(有馬五日入湯と京都・大津・膳所経由帰府)
重豪は近年江府で宿疾を患い、今茲秋7月、斉興が重豪のため摂州有馬温泉での湯治を願い、大家が許した。9月15日江府を発ち、21日信州善光寺に詣でる。10月7日大坂着、4日滞坂し、10日大坂を発って有馬に至り温泉に浴したが僅か5日と記す。14日有馬を去り翌日伏見、16日宇治萬福寺で拝礼、17日京都着、中…
追録7-No.1165 花町等四署消息(榮翁見舞・塗重一組と鯛一折)
重豪公御譜中・写正文在右筆所。時候がまだ整わないが、どのように過ごしているか尋ね、上々様方の機嫌がよいことを知らせる。榮翁が少しすぐれないと聞いて、どのような様子か心配している旨を伝え、此御塗重1組・たい1折を内々に遣わし、何もよく申し伝えるよう命じられたと知らせる。文化8年朱注、まつたいら榮翁様・…
追録7-No.1166 重豪書状(酒井讃岐守の取扱いを六宛へ謝す)
全上。なお何ほどもよろしく御沙汰を願う旨から次頁へ続き、上々様方の機嫌がよいことを喜ぶ。自分の湯治御暇が願いどおりになり、往来の際に相州鎌倉鶴岡の先祖廟所へ参詣し、京都に2・3日逗留し、近衛殿へ伺候する件は酒井讃岐守殿が先方と同じように申し渡したので、ありがたいと礼を述べる。酒井に忠進の人物注。その…
追録7-No.1167 重豪書状(萬里小路等三宛への取成依頼)
全上。なお何ほどもよく取り計らうよう願う前頁の冒頭から次頁へ続き、上々様の機嫌を喜ぶ。湯治の御暇が願いどおりになり、往来時に相州鎌倉鶴岡の先祖廟所へ参詣し京都へ2・3日立ち寄り、近衛殿に伺候する件を酒井讃岐守殿が先方と同じように指示したことをありがたく思い礼を述べる。折々御前でよく取り成すよう求め、…
追録7-No.1168 斉興願書(桑山仲太夫、榮翁三廻御暇と善光寺参詣)
重豪公御譜中・扣正文在文庫。松平榮翁の持病(疝積と読む候補)・脚痛を理由に摂州有馬温泉で湯治したいと述べ、三廻の御暇願を許されたなら赴く際に東海道の川々が差し支えるので、木曽路を通行させてほしいと願う。その道順で信州善光寺にも参詣したいとの件は豊後守から申し付けられたとする。8月廿九日、松平豊後守内…
追録7-No.1169 斉興家中伺書(榮翁の旅中飛札・帰府礼・献上不要注)
扣正文在文庫。四項を伺う。第一は榮翁が今朝湯治のため有馬へ越すと述べ、到着後に飛札で届けること。第二は湯治中の機嫌も飛札で報告し、帰府後の礼として公方・大納言へ肴各1箱を献上してよいかという件。第三は京都に立ち寄る時に所司代へ使者で届けること。第四は湯治が相応しない場合は届出せず帰府してよいかという…
追録7-No.1170 旅中諮問例書(天明5年塔之澤湯治の届と帰府献上)
例書。天明5年巳11月、榮翁が家督中に湯治御暇を願い、相州塔之澤へ越す際に伺い、到着届と湯治中の機嫌を飛札で知らせ、帰府後の御礼に公方・大納言へ干鯛各1箱を使者によって献上したという例を記す。文化8年8月朱注。現行1169に関連する過去の参考例として採録し、今回の献上不要回答を、旧事例の献上済品へ置…
追録7-No.1171 徳川家斉御内書(重陽小袖一重到来)
重豪公御譜中・正文在文庫。重陽祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、委曲は牧野備前守が述べると伝える。9月7日、家斉公墨印の表示、松平榮翁宛、文化8年朱注。品と数量を保持し、同日1172献上披露返書と文型・差出を分ける。
追録7-No.1172 松平乘保書状(使者による小袖一重献上)
全上。重陽祝儀として使者により小袖一重を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。9月7日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛、文化8年朱注。1171の内書到来と本件の献上披露を別に保持する。
追録7-No.1173 重豪書状(近日有馬出発・目録どおりの拝領礼)
重豪公御譜中・扣正文在文庫。なおよく取り成すよう願い、御意の手紙を拝見したこと、御臺の機嫌がよいことを喜ぶ。有馬温泉への入湯のため近く出発するに当たり、内々に目録どおりの品を拝領したことをありがたく述べ、この旨をよく取り成すよう依頼する。文化8年朱注、花町・花園・梅その・花崎の四宛、御返事表示。本文…
追録7-No.1174 重豪書状(今日当地を湯治へ発つ旨)
全上。なおよく取り計らうよう願う前段冒頭から次段へ続き、御臺が安全に過ごしていることを喜ぶ。自分は今日、湯治のため当地を立つので、今後も機会に機嫌を伺い、よいように取り成すよう依頼する。文化8年朱注、花町・花園・梅その・花崎の四宛。今日出発の文言と年月日不記載を分け、1169の8月29日や1164の…
追録7-No.1175 重豪書状(御杉重一組・くしと一はこ拝領礼)
全上。御意の手紙を拝見し上々様の機嫌を喜ぶ。御臺から道中見舞として、御杉重1組・くしと一はこと書かれた品を内々に拝領したことをありがたく述べ、何分にもよく取り成すよう願う。前段本文を次頁の文化8年朱注・四宛・御返事表示へ連結する。くしと一はこの仮名表示は保持し、品名の確定や櫛・薬・肴等への置換は留保…
追録7-No.1176 重豪書状(御杉重・御肴拝領と取成依頼)
全上。上々様の機嫌を喜び、御臺から道中の見舞いとして御杉重・御肴を拝領したことをありがたく述べ、その礼を申し上げたいので、機会に取り成すよう願う。文化8年朱注、花町・花その・梅その・花崎の四宛。本文は杉重・肴の数量を記さないため、1175の一組・一はこを本件へ補充せず、原品名表示を出典別に保つ。
追録7-No.1177 島津重豪書状(有馬到着を老中等へ報告)
全御譜中・扣正文在右筆所。公方・大納言の機嫌がよいことを喜び、自分の湯治御暇が願いどおりになった恩をありがたく述べる。昨日、摂州有馬に到着したため報告するとする。文化8年朱注、10月11日、伊豆・牧野備前・土井大炊・青山下野・西丸能登の五宛。独立した署名はなく目録の島津重豪書状を採る。昨日到着を10…
追録7-No.1178 島津重豪書状(道中無難・有馬到着)
全上。なおよく取り計らうよう願う冒頭に続き、御臺の機嫌がよいことを喜ぶ。自分は道中差し障りなく摂州有馬に着いたと報告し、この機会に機嫌を伺うため、よく取り成すよう求める。前頁の冒頭・機嫌伺から次頁の到着報告、文化8年朱注、花まち・花その・梅その・花さきの四宛、申し給へ表示までを連結。月日・独立署名は…
追録7-No.1179 島津重豪書状(入湯と御前取成依頼)
全上。公方・大納言が健勝であることを喜び、自分は有馬に入湯してありがたいと述べる。機嫌を伺うため飛札を送り、機会に御前で適宜取り成すよう依頼する。文化8年朱注、10月13日、上段末の伊豆・牧野備前・土井大炊の三宛に、下段冒頭の青山下野・松平能登の二宛が続くため、五宛を一件の宛先として採録。目録は島津…
追録7-No.1180 島津重豪書状(有馬入湯の礼と機嫌伺)
全上。なおよく御沙汰するよう願い、御臺が安全に過ごすことを喜ぶ。自分は有馬へ入湯してありがたく思い、そのため機嫌を伺いたいので、機会によく取り成すよう依頼する。文化8年朱注、花まち・はな園・梅その・花さきの四宛、申し給へ表示。年月日は年注だけで独立署名もなく、目録の島津重豪書状を採る。1178の道中…
追録7-No.1181 斉興初入部に付肴を賜わる記事(初就国祝・島津久風謝使)
斉興公御譜中、10月19日の見出しから次頁本文へ続く。大家が斉興の襲封後初めて国に就いたことを祝い、宿次により書状を送り肴を賜ったため、島津又六郎久風を謝使として鹿児島から出発させたと記す。久風には置家との割書注。目録は文化8年の初入部に付肴を賜わる記事だが、本文に独立年はない。肴の種類・数量、大家…
追録7-No.1182 青山忠裕書状(湯治御暇と10月10日有馬到着了承)
重豪公御譜中・正文在文庫。来状を拝見し、公方・大納言の機嫌はよく、機嫌伺の意をもっともとする。願いどおりの湯治御暇への謝意と去る10日摂州有馬到着の件は、書面の趣旨をそれぞれ承知したと返す。文化8年朱注、10月12日、青山下野守忠裕判、松平榮翁宛。1177の10月11日到着報告に対する回答に対応し、…
追録7-No.1183 松平乘保書状(湯治御暇と有馬到着了承)
全上。来状を拝見し、公方・大納言の機嫌はよく、機嫌伺の意をもっともとする。今回願いどおりの湯治御暇が許された恩への謝意と、去る10日摂州有馬に到着したことを承知したと返す。文化8年朱注、10月12日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。同日1182青山忠裕返書と送り手・表現を分け、日付と到着日も分けて保持…
追録7-No.1184 島津重豪書状(文昭院百回忌法事と御霊屋参詣)
重豪公御譜中・扣正文在文庫。公方の機嫌がよいことを喜び、今回増上寺で文照院(照に昭注)の百回忌法事が執行されたこと、去十四日に御霊屋へ参詣したと承知したことをありがたく述べ、この旨を報告するため飛札を送る。原表記の文照院の照に昭との注を付す。文化8年朱注、10月12日、松平榮翁署、伊豆・牧野備前・土…
追録7-No.1185 青山忠裕書状(公方大納言勇健・有馬入湯了承)
重豪公御譜中・正文在文庫。来状を拝見し、公方・大納言の機嫌は同様によく、いっそう健勝であるから安心するよう伝える。書面の趣旨をそれぞれ相談して上聞したこと、また有馬での入湯をありがたく思うという旨を承知したことを返す。前頁の機嫌・安心・申談から次頁の上聞、入湯了承、文化8年朱注、10月17日、青山下…
追録7-No.1186 松平乘保書状(公方大納言勇健・有馬入湯了承)
全上。来状を拝見し、公方・大納言の機嫌は同様によく、いっそう健勝であるので安心するよう伝える。書面の趣旨を言上し、有馬での入湯をありがたく思う旨も承知したと返す。文化8年朱注、10月17日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。1185青山返書の各申談上聞と本件の言上を各文面のとおり分ける。本書日付を榮翁が…
追録7-No.1187 土井利厚書状(増上寺法事と去月十四日参詣了承)
重豪公御譜中・正文在文庫。来状を拝見し、公方の機嫌はよいと伝える。増上寺で文昭院百回忌法事が執行され、去月十四日の御霊屋参詣を承知して喜ぶ旨はもっともとし、書面の趣旨をそれぞれ相談して上聞したと返す。文昭院に徳川家宣との割書注。上段末の申談及上聞から下段の年表示・11月2日・土井大炊頭利厚判・松平榮…
追録7-No.1188 松平乘保書状(増上寺法事と去月十六日参詣了承)
全上。来状を拝見し、大納言の機嫌はよいと伝える。今回増上寺で文昭院百回忌法事が執行され、去月十六日の御霊屋参詣を承知して喜ぶ旨はもっともとし、書面の趣旨を言上したと返す。文化8年朱注、11月2日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。1187土井返書の公方・申談上聞・去月十四日と本件の大納言・言上・去月十六…
追録7-No.1189 種子嶋次右衛門届書(榮翁鎌倉参詣不実行)
全上・扣正文在文庫。松平榮翁が摂州有馬温泉へ湯治のため行く際、往来時に相州鎌倉鶴岡の先祖廟所へ参詣したいと先に願い、勝手次第と指示されたため、帰路に参詣するつもりであった。ところが持病の積気(疝積と読む候補)が発したため、参詣せず帰府したと届ける。湯治罷候の罷には越脱カとの校訂注。前頁本文から次頁の…
追録7-No.1190 島津重豪書状(昨日湯治より帰府)
全上・扣正文在文庫。なおよく取り計らうよう願い、御臺が安全に過ごすことを喜ぶ。自分は湯治から昨日帰府したため機嫌を伺いたく、機会によく取り成すよう求める。文化8年朱注、花町・花園・梅その・花崎の四宛、申し給へ表示。目録は島津重豪書状、独立月日・署名はない。1164御譜の11月4日帰府や1189届の1…
追録7-No.1191 島津久泰外三名家老連署書状(国王年首目録品)
重豪公御譜中・寫正文在琉球國司。国王の尊書を拝見し、大御隠居への年首祝儀として目録どおりの品が差し上げられ、江府到着後に披露したところ満足したという旨を伝達するよう求める。前頁の出典表示から次段本文、文化8年朱注、12月6日、鎌田典膳・頴娃信濃・嶋津安房・嶋津将監の四署各實名判、讀谷山王子・三司官宛…
追録7-No.1192 島津久泰外三名家老連署書状(玉城親方・太刀と馬代)
全上。国王尊書を拝見し、太守初入部の祝儀として玉城親方を通じ、大御隠居に太刀1腰・御馬代白銀100両と目録どおりの品を差し上げた件を記す。江府到着後に披露したところ満悦したため、この旨を伝達するよう求める。文化8年朱注、12月6日、鎌田典膳・頴娃信濃・嶋津安房・嶋津将監の四署各實名判、讀谷山王子・三…
追録7-No.1193 島津久泰外三名家老連署書状(寛二郎養子・白銀三十両)
全上。国王尊書を拝見し、寛二郎が嶋津若狭の養子になると仰せ出された祝儀として、玉城親方を通じ大御隠居へ太刀1腰・御馬代白銀30両と目録どおりの品を差し上げた件を記す。寛二郎に島津斉宣男、若狭に忠貫の割書注。江府到着後に披露したところ満悦した旨を伝えるよう求める。文化8年朱注、12月6日、鎌田典膳・頴…
追録7-No.1194 島津久泰外三名家老連署書状(富姫天亡・国王紙上)
全上。国王尊書を拝見し、富姫の天亡に伴い、大御隠居の機嫌を伺うため玉城親方を通じて申し上げられた紙上の趣旨を、江府到着後に披露したと返す。文化8年朱注、12月6日、鎌田典膳・頴娃信濃・嶋津安房・嶋津将監の四署各實名判、讀谷山王子・三司官宛。富姫の命日・享年・法名や贈品は記載しない。1195の寿姫誕生…
追録7-No.1195 島津久泰外三名家老連署書状(去々歳女子誕生・寿姫)
全上。国王尊書を拝見し、去々歳に女子が誕生して御名を寿姫と称したため、大御隠居に祝儀を申し上げられた件を、江府到着後に披露したと返す。前頁の去々歳・女子誕生・寿姫の冒頭から次頁の祝儀披露、文化8年朱注、12月6日、鎌田典膳・頴娃信濃・嶋津安房・嶋津将監の四署各實名判、讀谷山王子・三司官宛へ連結。本文…
追録7-No.1196 松平信明書状(今朝鰹節一箱献上)
重豪公御譜中・正文在文庫。今朝鰹節1箱を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化8年朱注、12月9日、信明判、松平榮翁宛。口裏に松平伊豆守信明との表示と在口裏の朱注を付す。本文署は信明、口裏の官名・姓も併せて送り手欄へ採録する。献上品の鰹節1箱を保持し、翌1197に相当する返書は本件へ…
追録7-No.1197 松平乘保書状(鰹節一箱献上・原印刷1179)
全上。今朝鰹節1箱を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化8年朱注、12月9日、乘保判、松平榮翁宛、口裏に松平能登守乘保と記し在口裏の朱注を付す。目録・入力固定番号は1197だが原本本文の番号は1179と印刷されており、その差を保持する。既に精読した1179有馬入湯の飛札とは別文書で…
追録7-No.1198 島津重豪書状(豊後守初帰国・御肴拝領への礼)
重豪公御譜中・扣正文在文庫。なおよく取り計らうよう願い、上々様の機嫌を喜ぶ。同氏豊後守が初めて帰国したことに際し、見舞いとして宿次の奉書で肴を拝領するよう仰せ付けられ、自分にもありがたいと述べる。その礼を申し上げたいので機会に御前でよく取り成すよう依頼する。前頁本文から次頁の文化8年朱注、歌はし・飛…
追録7-No.1199 島津重豪書状(萬里小路等三宛・御肴拝領への礼)
全上。なおよく取り計らうよう願い、上々様の機嫌を喜ぶ。同氏豊後守が初めて帰国したことに際し、見舞いとして宿次の奉書で肴を拝領するよう仰せ付けられ、自分にもありがたいと述べる。その礼を申し上げたいので、機会に御前でよく取り成すよう依頼する。文化8年朱注、まず萬里小路宛。原本は次段右端のはまをか・梅た二…
追録7-No.1200 徳川家斉御内書(歳暮小袖一重到来)
重豪公御譜中・正文在文庫。歳暮祝儀として小袖1重が到来したことを喜び、委曲は松平伊豆守が述べると伝える。文化8年朱注、12月廿七日、家斉公墨印表示、松平榮翁宛。同日1201の使者による献上披露返書と、本件内書の到来・委曲の指示を分ける。品・数量を保持し、伊豆守の実名は本件にはなく本文外の実名を補わな…
追録7-No.1201 松平乘保書状(使者小袖一重献上)
全上。歳暮祝儀として使者により小袖1重を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化8年朱注、12月廿七日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。本件は使者による献上と披露返書であり、1200の家斉内書の到来・伊豆守委曲と送り手・文型を分けて保持する。
追録7-No.1202 閑姫貞鏡院勝姫系譜抄(御系図・斉興子女見出し)
御系図中。斉興・男女17人の見出しから次頁の女子記事へ続き、閑姫・貞鏡院・勝姫を記す。文化9年正月4日生、12月28日を生日とする割書注、母は佐藤氏女。松平左近将監康壽に嫁し、後に絶昏大帰と記す。天保14年癸卯に斉興が養って子としたという後年記事を付す。出生見出しの斉興と養子となった後年を区別し、1…
追録7-No.1203 閑姫貞鏡院勝姫系譜抄(近秘野呂・斉宣公御子)
近秘野呂・斉宣公御子の女子。閑姫は松平左近将監康壽に嫁し、康壽没後貞鏡院と号し、後に勝姫と改める。文化9年壬申正月4日江戸生(実2日との注)、母佐藤氏。文化10年癸酉11月に4日を生日とする命があり、松平弾正少弼光庸への婚約を許す。光庸に或久五郎・信州松本城主6万石・丹波守光年養子の割書注。文政2年…
追録7-No.1204 牧野忠精書状(若菜鯛一折献上)
重豪公御譜中。前段の出典見出しから次段の正文在文庫・本文へ続き、若菜祝儀として鯛1折を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化9年朱注、正月7日、忠精判、松平榮翁宛、口裏に牧野備前守忠精と記し在口裏の朱注を付す。本文署と口裏の官名・姓を併せて送り手欄に採録。1205乘保返書と同品同日で…
追録7-No.1205 松平乘保書状(若菜鯛一折献上)
全上。若菜祝儀として鯛1折を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化9年朱注、正月7日、乘保判、松平榮翁宛。口裏に松平能登守乘保と記し在口裏の朱注を付す。送り手・宛先・品と数量を保持し、1204牧野返書と統合しない。
追録7-No.1206 牧野忠精書状(年頭太刀一腰・馬代黄金十両)
重豪公御譜中・正文在文庫。年頭祝儀として使者により太刀1腰・御馬代黄金10両を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。前頁の本文から次頁の文化9年表示・正月11日・忠精判・松平榮翁宛、口裏の牧野備前守忠精と在口裏朱注へ連結。黄金10両の馬代と太刀を保持し、実馬の献上や白銀に置換しない。年頭…
追録7-No.1207 松平乘保書状(太刀一腰・馬代黄金十両)
全上。年頭祝儀として使者により太刀1腰・御馬代黄金10両を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化9年朱注、正月11日、乘保判、松平榮翁宛。口裏に松平能登守乘保、在口裏の朱注を付す。前件1206牧野返書と同日同品でも送り手・文書を分け、馬代を実馬へ置換しない。
追録7-No.1208 島津久泰書状(目録)に付く系譜照会対象三名一覧
白木御文書7番箱中62番・寫の出典表示に続き、豹治郎様・富姫様・壽姫様の三名を列記する。目録は文化9年正月廿九日島津久泰書状とするが、この表示には独立した日付・署名・宛名や書状本文はない。続く1209照会文は右御三人と述べるため、本件はその対象三名一覧として採録し、1209本文を本件の独立署名本文と…
追録7-No.1209 川上久芳返書(目録。将監の実母調査照会を伴う)
御記録所の御系図取調べに際し、右三人の実母の親・姓と実名、実母が他人の養女になっている場合は養父の姓・実名も記録奉行へ申し出たいが手元では分からないので、調べて報告するよう求める。正月廿九日、上に嶋津将監・下に川上右近殿とする朱注、右近に久芳注。朱六月廿九日の注も付す。割書の返答は、内聴した実母等の…
追録7-No.1210 伊集院兼当届書(隼衛署・実母二系統の明細)
寫。別紙の趣旨を左のとおり申し上げるとして、乘之助・蓬之進・豹治郎の実母は浪人杉浦作左衛門源政信の娘、富姫・壽姫・桃次郎の実母は御旗本松平藤十郎殿家来谷周右衛門藤原政相の娘と記す。政相にはスケの音注。6月17日、伊集院隼衛署、兼当の人物注。正文に独立年はなく目録の文化9年を採る。次頁の二通包紙は右近…
追録7-No.1211 重豪御鷹の鶴を拝領する記事(牧助右衛門上使)
重豪公御譜中。文化9年壬申春2月2日、大家が牧助右衛門を使者として芝邸へ派遣し、重豪に御鷹の鶴を賜ったと記す。上使には実名闕の注。微志があったため久留島伊豫守通嘉が代わって恩旨を承り、同日に老中各第へ赴いて謝礼した。鶴の数量は記さず補わない。代わって恩旨を承った人と贈品受領者重豪を分け、久留島の前の…
追録7-No.1212 松平信明書状(翌日五半時家来登城)
重豪公御譜中・正文在文庫。歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ出すよう指示する。文化9年朱注、2月廿日、松平伊豆守署、松平榮翁宛。目録の松平信明書状を人物欄に注記して採録するが本文の署名には実名がない。翌日指示を保持し、既に登城して受領したという結果は補わない。五半時を根拠なく現代時刻へ…
追録7-No.1213 新納久武外二名連署証状(榮翁画像一幅の保管記録)
全上・正文在千眼寺。榮翁公の画像1幅、河嶋雪亭尚明筆、御副書もあると記す。開山若冲が瑞聖寺住職であった間に願いによって下されたため保管していると今回申し出たので、拝見の上、寺社奉行所に記録する。歴代住持による頽抹があるため錦候と記す処置の文言を保持し、語義は留保する。文化9年申2月、町田主馬久譜・小…
追録7-No.1214 寺社奉行申渡書(帖佐與代官方所務・千眼寺取納)
全上・正文在千眼寺。高150石・千眼寺と掲げ、帖佐與の御代官方によって所務を行うよう召し付け、以後は千眼寺に収納させると記す。次頁へ続き、今回大御隠居が右のとおり仰せ出した旨を信濃殿から伝えられたので申し渡すとする。文化9年朱注、2月、寺社奉行署、独立した日なし。150石の所務・収納の担当を記し、文…
追録7-No.1215 赤松則方申渡書(大幻・萬徳山・寺格月船寺次)
全御譜中・扣正文在家老座。千條山千眼寺は廃寺となっていたが願いにより再興し、寺地が下されたこと、御隠居の意向により続料等を付けられたことを述べる。大幻が黄檗山直末となり千條山を萬徳山へ改めたと申し出たので、そのとおり続料等を付け相談した結果、寺格を御目見寺とし順席を月船寺の次に仰せ付けたため、寺社奉…
追録7-No.1216 伊能忠敬等が屋久島・種子島を測量する記事
重豪公御譜中。この年、伊能勘解由・坂部貞兵衛が再び屋久島・種子島を測量したと記す。勘解由に忠敬、貞兵衛に惟道の注。春2月24日に一行を分け、貞兵衛が先に領内出水へ入り、26日に勘解由が大口へ入る。3月27日に山川から船に乗り屋久島・種子島へ至り、そのほか各所を測量した。上段本文から下段の後半へ連結し…
追録7-No.1217 斉興帰国に際し弟寛二郎を仮養子とする記事(願書返却)
斉興公御譜中。文化9年壬申4月の条で、前年に斉興が就国した際、邦丸の出生をまだ幕府へ届けていなかったため、不慮に備えて弟寛二郎を仮養子とし、その旨を書面で幕府へ告げたと説明する。今月4月5日、老中土井大炊頭利厚がその書面を返却したため併記するとする。1138の文化8年4月廿三日仮養子願と1139の4…
追録7-No.1218 徳川家斉御内書(帷子単物到来)
重豪公御譜中・正文在文庫。端午祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、委曲は土井大炊頭が述べると伝える。文化9年朱注、5月2日、家斉公墨印表示、松平榮翁宛。品の種類を保持し、数量は記載しない。1219の使者による献上披露返書とは送り手と文型を分ける。
追録7-No.1219 松平乘保書状(使者帷子単物献上)
全上。前頁の見出しから次頁本文へ続き、端午祝儀として使者により帷子・単物を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化9年朱注、5月2日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。数量は本文に記載しない。同日1218内書の到来と本件の献上披露を別に保持する。
追録7-No.1220 小禄良和起請文前書(五条・神文略)
白木御文書7番箱中61番。敬白・天罰霊社起請文前書として、若輩の自分が去歳三司官役を仰せ付けられた恩をありがたく思い、御国許御奉公にいっそう心を尽くすと述べる。五条は、斉興・重豪・斉宣に少しも疎意を抱かないこと、御国許から仰せ付けられた御条書を堅守し悪意・邪儀を企てる者があれば披露すること、国王に別…
追録7-No.1221 伊能忠敬等が種子島・屋久島を測量する記事(斉興公御譜)
斉興公御譜中。この年、伊能勘解由と坂部貞兵衛が再来し種子島・屋久島の二島を測量したと記す。春2月24日に貞兵衛が先に領内出水へ入り、26日に勘解由が大口へ入る。3月27日に二人は山川から船に乗り二島へ至り、二島およびその他各所を測量した。6月5日に勘解由が綾から領外へ出、貞兵衛が加久藤から出境して去…
追録7-No.1222 土井利厚書状(今朝鰑一箱献上)
重豪公御譜中・正文在文庫。今朝鰑1箱を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化9年朱注、6月18日、利厚判、松平榮翁宛。口裏に土井大炊頭利厚、在口裏の朱注を付す。品名は魚偏に昜の原字として採録し、別の魚名や現代の品名へ無断で置換しない。数量1箱を保持する。
追録7-No.1223 松平乘保書状(今朝鰑一箱献上)
全上。今朝鰑1箱を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。前頁本文末の恐々から次頁の謹言、文化9年朱注、6月18日、乘保判、松平榮翁宛、口裏の松平能登守乘保と在口裏朱注へ連結。魚偏に昜の原字の品名・数量を保持し、1222土井返書と同じ日品であってもそれぞれの署宛を分ける。
追録7-No.1224 土井利厚書状(明日五半時家来登城)
重豪公御譜中・正文在文庫。端午の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ出すよう指示する。文化9年朱注、6月廿四日、土井大炊頭署、松平榮翁宛。目録の土井利厚書状を人物欄に注記するが、本件署名には実名がない。翌日登城の指示であり、受領完了を示す結果は記さない。
追録7-No.1225 重豪が貞久四百五十年忌を修する記事(浄光明寺一日法事)
重豪公御譜中。斉興公御譜にもあるとの付記。今秋7月3日、道鑑公(島津貞久注)の450年忌法事を浄光明寺で1日修し、重豪も家老島津安房久備を使者として香奠金200疋を献じ拝礼させたと記す。本文に独立年はなく文化9年の配列を採る。450年忌・1日・香奠金200疋・代拝者をそれぞれ保持し、他の遠忌の3日法…
追録7-No.1226 青山忠裕書状(生見玉黄金十両献上)
重豪公御譜中の出典見出しから次段の正文在文庫・本文へ続く。生見玉の祝儀として黄金10両を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化9年朱注、7月6日、忠裕判、松平榮翁宛。口裏に青山下野守忠裕、在口裏の朱注を付す。祝儀の名称・金額を保持し、生見玉の対象者の具体名や別の祝儀名を本件へ補わない…
追録7-No.1227 松平乘保書状(生見玉黄金十両献上)
全上。生見玉の祝儀として黄金10両を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化9年朱注、7月6日、乘保判、松平榮翁宛。口裏に松平能登守乘保、在口裏の朱注を付す。1226青山返書と同日同額でも差出人を分け、祝儀対象者の実名は補わない。
追録7-No.1228 重豪御鷹雲雀拝領・斉彬婚約謝礼記事
重豪公御譜中。文化9年の同年秋8月3日、大家が片桐長兵衛(実名闕注)を芝邸へ派遣し、重豪に御鷹の雲雀を賜り、斉興が代わって恩旨を承り老中各第で謝礼したと記す。雲雀の数量なし。次頁の同年8月25日記事は、斉興が令嗣邦丸(島津斉彬注)に徳川民部卿斉敦の女・英姫を配する婚約を願い、28日に大家が許したこと…
追録7-No.1229 斉興・斉彬の生辰変更と英姫婚約記事
斉興公御譜中。文化9年8月15日、夫人松平氏の生んだ邦丸は4歳となり健壮になったため世子と定め幕府へ届け、年3歳と申告したと記す。邦丸出生を当初届けた後、斉興と松平氏の婚姻を幕府に上げるまで数か月しか経ていなかったため、実際の出生をそのまま認められず、今回生年を告げ生辰を文化7年庚午3月28日に改め…
追録7-No.1230 徳川家斉御内書(小袖一重到来・青山委曲)
重豪公御譜中・正文在文庫の見出しから次段本文へ続く。重陽祝儀として小袖1重が到来したことを喜び、委曲は青山下野守が述べると伝える。文化9年朱注、9月7日、家斉公墨印表示、松平榮翁宛。同日1231の使者による献上披露返書と文型・差出人を分ける。
追録7-No.1231 松平乘保書状(使者小袖一重献上)
全上。重陽祝儀として使者により小袖1重を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化9年朱注、9月7日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。品数量を保持し、1230の内書到来と本件献上披露を別に採る。
追録7-No.1232 島津重豪述書(湯治延期と国元見聞)
重豪公御譜中・正文在文庫。先に内々伝えた今秋国元入湯の御暇について、御臺様神田橋御差留・御厭の趣旨を受け、ありがたく請け、近年中は御暇を願わないとする。先年混雑後の老中方内沙汰と当時介助の事情から、今度は渡航して国元の様子を見聞したい意向もあり、国元からの詳しい願いも受けたが、再度の相談により御両方…
追録7-No.1233 島津重豪述書(一門四家・大目付以上・見聞役の心得)
全上・正文在文庫。一門と四家は格別の家柄であり、名代等から国中の目に触れる行状を注意させるべきところ、一般風俗を乱し交わりも不宜と聞くため、心得違いを改め家格相当の身持ち・容貌言語を守り、今後誤りのないよう伝達する。大目付以上の政事を預かる役人は格別の役柄で、万端を日夜取計らうべきだが、国家永久に無…
追録7-No.1234-1 家老座申渡書(徒目付・横目等の見聞職務)
全上。白木御文書7番箱67番に入るとの朱注。徒目付・横目・蔵方目付・廣鋪横目は各持場の見聞のため置き、以前は判断に迷い勤定を送ったが、重要な職務の意義が伝わらず役場に不相応な例があるとする。諸蔵・膳所・納戸方・廣鋪その他の持場の日用損費を見聞し、不正は小事でもその都度放置せず報告せよと命ずる。今後も…
追録7-No.1234-2 島津久泰外二名家老連署申渡書(取締・賄賂等の処分)
取締役が自分勝手に扱い、拂出を第一に考え損費を顧みないため、大御隠居が別紙写の御筆で仰せ出したとする。不宜な手筋は調べた上で咎め、旧来の慣行でも不筋をなくし、見聞役へ詳しく指示して今後厳しく勤めさせる。各自の利得を求め緩く勤めることは許さず、不守者は軽重を問わず咎める。倹約に心を尽くし功績を立てた者…
追録7-No.1235 青山忠裕書状(明日五半時家来登城)
重豪公御譜中・正文在文庫。重陽の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ出すよう指示する。文化9年朱注、10月廿四日、青山下野守署、松平榮翁宛。目録の青山忠裕書状を人物欄で注記し、署名本文にない実名は区別して採録。受取の指示であり登城・受領の完了は本件には記さない。
追録7-No.1236 松平信明書状(今朝鰹節一箱献上)
重豪公御譜中・正文在文庫。今朝鰹節1箱を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化9年朱注、12月11日、信明判。宛名松平榮翁と口裏の松平伊豆守信明、在口裏の朱注は次段へ続くため連結する。品・数量・送り手を保持し、1237乘保返書と別に採る。
追録7-No.1237 松平乘保書状(今朝鰹節一箱献上)
全上。今朝鰹節1箱を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。文化9年朱注、12月11日、乘保判、松平榮翁宛。口裏に松平能登守乘保と記し在口裏の朱注を付す。1236と同日同品でも各送り手の返書として保持する。
追録7-No.1238 島津久泰外三名家老連署書状(年首目録品)
重豪公御譜中・寫正文在琉球國司。国王の尊書を拝見し、大御隠居への年首祝儀として目録どおりの品を差し上げ、江府到着後に披露したところ満足したと返す。この旨を伝達するよう求める。文化9年朱注、12月15日、鎌田典膳・頴娃信濃・嶋津安房の三署に続き次頁に嶋津将監の署、各實名判、讀谷山王子・三司官宛。四署を…
追録7-No.1239 島津久泰外三名家老連署書状(去歳叙位・白銀百両)
全上。国王尊書を拝見し、太守が去歳御位を拝領した祝儀として、伊江親方を通じ大御隠居に太刀1腰・御馬代白銀100両と目録どおりの品を差し上げた件を記す。江府到着後に披露したところ満悦したため、この旨を伝えるよう求める。文化9年朱注、12月15日、鎌田典膳・頴娃信濃・嶋津安房・嶋津将監の四署各實名判、讀…
追録7-No.1240 島津久泰外三名家老連署書状(当春御鷹鶴・白銀百両)
全上の見出しから次段本文へ続く。国王尊書を拝見し、当春太守が御鷹の鶴を拝領した祝儀として、伊江親方を通じ大御隠居へ太刀1腰・御馬代白銀100両と目録どおりの品を差し上げた件を記す。江府到着後に披露したところ満悦したため伝達を求める。文化9年朱注、12月15日、鎌田典膳・頴娃信濃・嶋津安房・嶋津将監の…
追録7-No.1241 島津久泰外三名家老連署書状(御内證卒去・伊江親方)
全上。国王尊書を拝見し、御内證の卒去に伴って大御隠居の機嫌を伺うため、伊江親方を通じて目録どおりの品を差し上げた件を記す。江府到着後に披露したため伝達するよう求める。文化9年朱注、12月15日、鎌田典膳の署は前頁、頴娃信濃・嶋津安房・嶋津将監の三署と讀谷山王子・三司官宛は次頁へ続き、四署各實名判を連…
追録7-No.1242 島津久泰外三名家老連署書状(武五郎卒去・内間親雲上)
全上。国王尊書を拝見し、武五郎殿の卒去に伴い大御隠居の機嫌を伺うため、内間親雲上を通じて目録どおりの品を差し上げた件を記す。江府到着後に披露し、この旨を伝達するよう求める。文化9年朱注、12月15日、鎌田典膳・頴娃信濃・嶋津安房・嶋津将監の四署各實名判、讀谷山王子・三司官宛。武五郎の別名・命日・享年…
追録7-No.1243 幕府達書(日土圭・時計の御留通知)
重豪公御譜中・扣正文在文庫、御書付寫。榮翁所持の日土圭(時計の注)を上覧に供したところ珍敷品につき御留となったと伝え、そのため申し達すと記す。文化9年朱注、12月廿四日。右御用番松平伊豆守から留守居を呼び出して渡されたとの朱注があり、独立署名・宛名はない。日土圭の原表記と時計注、上覧と御留の伝達を分…