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追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 2501~2600件・26 / 30ページ

  1. 追録7-No.2318 松平乗寛書状

    松平和泉守乗寛が松平榮翁へ、徳川家斉女で一橋斉匡室の永姫の結納祝儀として、使者により目録どおりの品を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十一月二十九日付、文政十二年は朱注。隣接する牧野忠精書状とは差出人を異にする別書状として保持する。

  2. 追録7-No.2319 牧野忠精書状

    牧野備前守忠精が松平榮翁へ、永姫の結納祝儀として、使者により目録どおりの品を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十一月二十九日付、文政十二年は朱注。2318と同趣旨だが差出人を異にする別書状として保持する。

  3. 追録7-No.2320 川上久芳外三名連署書状

    川田信濃・島津丹波・島津但馬・川上久馬が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見した旨を伝える連署書状。種姫の婚姻祝儀として、大御隠居様へ太刀一腰・馬代白銀百両を目録どおり献上し、江戸府到着後に披露して満悦したことを述べる。十二月十五日付。尊書、婚姻対象、贈答品と数量、四名の署判を保持する。

  4. 追録7-No.2321 川上久芳外三名連署書状

    川田信濃・島津丹波・島津但馬・川上久馬が羽地王子・三司官へ、琉球前国王の尊書を拝見した旨を伝える連署書状。米姫が近く嫁ぐ件に関する祝儀について、大御隠居様の機嫌を含め、江戸府到着後に披露して満悦したことを述べる。十二月十五日付。前国王尊書、米姫の婚姻、四名の署判を保持する。

  5. 追録7-No.2322 川上久芳外三名連署書状

    川田信濃・島津丹波・島津但馬・川上久馬が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見した旨を伝える連署書状。島津重豪の娘知姫が死去した件について、大御隠居様の機嫌を含め、江戸府到着後に披露したことを述べる。十二月十五日付。弔事の対象、尊書、四名の署判を保持する。

  6. 追録7-No.2323 川上久芳外三名連署書状

    川田信濃・島津丹波・島津但馬・川上久馬が羽地王子・三司官へ、琉球前国王の尊書を拝見した旨を伝える連署書状。大御隠居様の年頭祝儀として目録どおりの品が差し上げられ、江戸府到着後に披露して満足したことを述べる。十二月十五日付。年頭祝儀、目録、四名の署判を保持する。

  7. 追録7-No.2324 川上久芳外三名連署書状

    川田信濃・島津丹波・島津但馬・川上久馬が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見した旨を伝える連署書状。大御隠居様の年頭祝儀として目録どおりの品が差し上げられ、江戸府到着後に披露して満足したことを述べる。十二月十五日付。2323と同趣旨だが国王の尊書に対する別書状として保持する。

  8. 追録7-No.2325 川上久芳外一名家老連署書状

    川田信濃・島津丹波が羽地王子・三司官へ、琉球前国王の尊書を拝見した旨を伝える家老連署書状。種姫の婚姻が首尾よく整った祝儀として、大御隠居様へ伊是名親方を通じ太刀一腰・馬代白銀五十両と目録記載の品を献上し、江戸府で披露したところ満悦であったと述べる。十二月十五日付。

  9. 追録7-No.2326 川上久芳外三名家老連署書状

    川田信濃・島津丹波・島津但馬・川上久馬が羽地王子・三司官へ、琉球前国王の尊書を拝見した旨を伝える家老連署書状。米姫が逝去したため、大御隠居様の機嫌伺いとして伊是名親方から申し上げた書面の趣旨を江戸府で披露したと述べる。十二月十五日付。弔事の対象、尊書、取次者、四名の署判を保持する。

  10. 追録7-No.2327 川上久芳外三名家老連署書状

    川田信濃・島津丹波・島津但馬・川上久馬が羽地王子・三司官へ、琉球前国王の尊書を拝見した旨を伝える家老連署書状。知姫が死去したため、大御隠居様の機嫌伺いとして伊是名親方から申し上げた書面の趣旨を江戸府で披露したと述べる。十二月十五日付。2326とは弔事の対象を異にする別書状として保持する。

  11. 追録7-No.2328 水野忠成書状

    水野出羽守忠成が松平榮翁へ、同朝に鰹節一箱を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十二月十六日付、文政十二年は朱注。重豪公御譜中・正文在文庫の出典、品名・数量、披露、忠成の署判・口裏を保持する。

  12. 追録7-No.2329 水野忠邦書状

    水野越前守忠邦が松平榮翁へ、同朝に鰹節一箱を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十二月十六日付、文政十二年は朱注。2328と同趣旨だが差出人を異にする別書状として保持する。

  13. 追録7-No.2330 たき山外三名連署消息

    たき山・花町・梅その・梅たにが松平榮翁の近習へ、上々様方の機嫌を祝い、寒中の贈り物として御臺様から八丈五反が内々に遣わされたことを伝える連署消息。受領して心得るよう求め、四名が連署する。朱注は文政十二年、本文月日なし。品名・数量と贈答関係を保持する。

  14. 追録7-No.2331 佐川消息

    佐川が濱江へ、上々様方と館方の機嫌を祝い、寒中の贈り物として御臺様から榮翁へ品々が送られたことを伝える消息。品書は八丈一反、紅羽二重一疋、「御わた」二百目、「御鉢つミ」一鉢、「御干肴」一鉢で、長久繁昌を祝い受領を求める。朱注は文政十二年、本文月日なし。判読できる原表記を保持する。

  15. 追録7-No.2332 野むら外三名連署消息

    野むら・瀬川・花その・飛鳥井が松平榮翁の近習へ、歳暮を祝い、両御所様・大納言様・御臺様・御簾中様の機嫌と賑やかな祝儀の様子を伝える連署消息。歳暮祝儀として目録どおりの品を拝領するよう求め、付属する目録写には時服三、干鯛一箱を記す。朱注は文政十二年、本文月日なし。消息本文、四名の署名、目録写を一件とし…

  16. 追録7-No.2333 徳川家斉御内書

    徳川家斉が松平榮翁へ、歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しくは松平和泉守乗寛から述べさせると伝える御内書。十二月二十七日付、文政十二年は朱注。家斉公墨印、歳暮祝儀、小袖一重、取次者を保持する。

  17. 追録7-No.2334 水野忠邦書状

    水野越前守忠邦が松平榮翁へ、歳暮の祝儀として使者により小袖一重を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。十二月二十七日付、文政十二年は朱注。2333の将軍御内書に対応する老中側の披露返書として保持する。

  18. 追録7-No.2335 水野忠邦書状

    水野越前守忠邦が松平榮翁へ、大納言様に破魔弓一飾を使者により献上した件を披露し、首尾よく、たいへん結構であったと伝える返書。十二月二十八日付、文政十二年は朱注。大納言様、破魔弓一飾、使者、忠邦の署判・口裏を保持する。

  19. 追録7-No.2336 青山忠裕書状

    青山下野守忠裕が松平榮翁へ、若菜の祝儀として鯛一折を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月七日付、文政十三年は朱注。若菜祝儀、鯛一折の品名・数量、忠裕の署判・口裏を保持する。

  20. 追録7-No.2337 牧野忠精書状

    牧野備前守忠精が松平榮翁へ、若菜の祝儀として鯛一折を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月七日付、文政十三年は朱注。2336と同趣旨だが差出人を異にする別書状として保持する。

  21. 追録7-No.2338 青山忠裕書状

    青山下野守忠裕が松平榮翁へ、年頭の祝儀として使者により太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月十一日付、文政十三年は朱注。太刀と馬代の品名・数量、忠裕の署判・口裏を保持する。

  22. 追録7-No.2339 牧野忠精書状

    牧野備前守忠精が松平榮翁へ、年頭の祝儀として使者により太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。正月十一日付、文政十三年は朱注。2338と同趣旨だが差出人を異にする別書状として保持する。

  23. 追録7-No.2340 島津重豪の千眼寺観音堂造営記事

    重豪が前年七月十日に江戸高輪邸から千眼寺住持別峯へ、国家報恩のため観音堂を修め祝国開堂するよう命じた経緯を記す。別峯は江戸から京都へ行き、万福寺に許可を求め、九月二十五日に発江戸、十二月三日に千眼寺へ入った。文政十三年正月二十三日に起工し、同年五月六日に祝国開堂の法を行う計画とするが、観音堂はなお完…

  24. 追録7-No.2341 千眼寺仏殿造替棟札

    千眼寺に伝わる薩州鹿児島郡鹿児島万徳山千眼寺仏殿造替の棟札。従四位上中将源朝臣斉興を掲げ、文政十三年庚寅正月に起工し、天保二年辛卯八月に完成したと記す。城代兼家老川上久馬藤原久芳をはじめ、奉行・寺社方・作事方・棟梁・工匠・僧衆の名列と役割を含む。二つの年次を同一日にまとめず、原本の横向きの全二頁を一…

  25. 追録7-No.2342 宜野湾朝昆起請文前書

    宜野湾親方朝昆の起請文前書。これまでの三司官役や御奉公に言及し、斉興・重豪・斉宣・斉彬への忠勤を誓う。私儀や縁故による偏りを戒め、国政・勤務に関わる事柄を公正に扱い、悪意や邪儀があれば披露して、国王への別心や不忠勤をしない旨を列挙する。神文を伴う誓約で、文政十三年庚寅四月十九日付、宜野湾親方朝昆判。…

  26. 追録7-No.2343 島津斉興の千眼寺代拝記事

    夏五月六日、島津斉興が家老の川田信濃・佐模を千眼寺へ代拝に遣わし、祝国開堂の法を行ったと記す。重豪の寿像を拝して疏文を奉る旨も記すが、疏文そのものは残っておらず、原本注記も考拠がないため本文を欠くとする。記事の行為と欠けた疏文を区別して保持する。

  27. 追録7-No.2344 島津重豪の拝領鶴記事

    同年二月十三日、将軍家の使者である山田佐渡守利教が重豪へ鷹の鶴一羽を賜ったと記す。斉彬が重豪の名代として受領し、同日に老中の屋敷へ赴いて謝恩したことを記す。原本は「謝恩、」でこの項を閉じており、後続文言を補わない。文政十三年の配列中にある二月の記事として扱い、続く2345の御内書とは分ける。

  28. 追録7-No.2345 松平乗寛書状

    松平和泉守乗寛が榮翁へ、歳暮の御内書を渡すため翌日五半時に家来を登城させるよう通知した書状。二月二十日付、文政十三年は朱注である。授受するのは歳暮の御内書であり、翌日の時刻と家来差出の指示を保持する。

  29. 追録7-No.2346 島津斉興の帰国記事

    文政十三年庚寅春二月二十一日に斉興が江戸を出発し、閏三月六日に鹿児島へ着いたと記す帰国記事。出立日と到着日を分け、閏月であることを保持する。

  30. 追録7-No.2347 牧野忠精書状

    牧野備前守忠精が榮翁へ、大納言様に菖蒲御兜一飾を使者により献上した件を披露し、首尾よく、たいへん結構であったと伝える返書。四月二十八日付、文政十三年は朱注。品名・数量、使者、献上先、忠精の署宛を保持する。

  31. 追録7-No.2348 徳川家斉御内書

    徳川家斉が松平榮翁へ、端午の祝儀として帷子・単物が届いたことを喜ぶ御内書。五月二日付、文政十三年は朱注。家斉公墨印、贈答品二種と榮翁宛を保持する。

  32. 追録7-No.2349 牧野忠精書状

    牧野備前守忠精が榮翁へ、端午の祝儀として使者により帷子・単物を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。五月二日付、文政十三年は朱注。直前の家斉御内書と同じ贈答に関わるが、忠精署名の別書状として保持する。

  33. 追録7-No.2350 青山忠裕書状

    青山下野守忠裕が榮翁へ、溶姫君の御七夜の祝儀として鯛一折を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。五月十一日付、文政十三年は朱注。次の水野忠邦書状と同趣旨だが差出人を異にする別件。

  34. 追録7-No.2351 水野忠邦書状

    水野越前守忠邦が榮翁へ、溶姫君の御七夜の祝儀として鯛一折を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。五月十一日付、文政十三年は朱注。前項と同趣旨でも忠邦署名の独立した書状として保持する。

  35. 追録7-No.2352 佐川消息

    佐川が濱江へ、長久繁昌を祝う消息。上様・御臺様の機嫌を尋ね、御文庫の内として浅黄越後縮一反・牡丹紋付一反・白晒一反・小鯛一箱などの贈答品を列挙する。御臺様から榮翁様への贈物として相応の取り計らいを願う趣旨を述べる。年次は文政十三年の朱注のみで月日は記さない。

  36. 追録7-No.2353 佐川消息

    佐川が濱江へ、上様の庭の梅一籠を届ける件と、上様の機嫌を伝える消息。梅を受け取り、返書を差し出すよう求めるほか、相変わらぬ祝意と御前での取次・願いを述べる。直前2352の品書とは別の消息で、朱注の文政十三年以外に月日は見えない。

  37. 追録7-No.2354 松平乗寛書状

    松平和泉守乗寛が榮翁へ、今朝鰯一箱を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。六月四日付、文政十三年は朱注。献上品の一箱、披露と返答、乗寛の署宛を保持する。

  38. 追録7-No.2355 牧野忠精書状

    牧野備前守忠精が榮翁へ、今朝鰯一箱を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。六月四日付、文政十三年は朱注。前項2354と贈答・日付は同じだが、忠精署名の別書状として保持する。

  39. 追録7-No.2356 花町・梅その・梅溪・たき山連署消息

    花町・梅その・梅溪・たき山が榮翁へ、暑中の機嫌を尋ね長久を祝う消息。御臺様から内々に越後縮五反を贈ったことを告げる。本文には年次の朱注のみで月日は見えず、四名の連署と贈答品の数量を保持する。

  40. 追録7-No.2357 佐川消息

    佐川が濱江へ、御嘉祥の祝儀をめぐる上様方の機嫌と長久を伝える消息。御臺様から榮翁様へ菓子・小盃などを贈る旨を記し、本文末に「御菓子」「御小盃たい」「御さかつき添」の品書を付す。月日はなく、年次は文政十三年の朱注である。

  41. 追録7-No.2358 島津斉興の娘・濤姫系図記事

    御系図に、斉興の娘で久光公の男女三人のうち女子に位置づく濤姫を記す。近衛家の呼称に関する注では初名を波姫とし、天保元年庚寅六月十九日生、母は西良岱成駿の娘、天保二年辛卯六月十日夭亡とする。法名は松濤院殿夢悠了吟大禅童女。夭亡日と忌辰の扱いに関する傍注もあるため、出生・夭亡・法名を分けて保持する。

  42. 追録7-No.2359 青山忠裕書状

    青山下野守忠裕が榮翁へ、端午の御内書を渡すため翌日五半時に家来を登城させるよう通知した書状。六月二十六日付、文政十三年は朱注。御内書の種類、翌日の時刻と家来差出の指示を保持する。

  43. 追録7-No.2360 水野忠成書状

    水野出羽守忠成が榮翁へ、生見玉の祝儀として黄金十両を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。七月六日付、文政十三年は朱注。次項の水野忠邦書状と同趣旨でも、忠成署判の別書状である。

  44. 追録7-No.2361 水野忠邦書状

    水野越前守忠邦が榮翁へ、生見玉の祝儀として黄金十両を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。七月六日付、文政十三年は朱注。前項と同趣旨だが忠邦署判の独立書状として保持する。

  45. 追録7-No.2362 島津斉興の参府延期願記事

    斉興はこの秋に琉球使を伴って参府する予定だったが、その件が壬辰年まで延ばされ、単独での参府を要することになった。しかし痔疾のため急に出発できず、七月十日に参府期限の延期を願う書付を老中水野出羽守忠成へ提出し、忠成が受領したと記す。延期された使節随行と斉興自身の病による延期願を区別する。

  46. 追録7-No.2363 佐川消息

    佐川が濱江へ、先に「御肴一箱」と伝えた品は鯖の子だと訂正する消息。榮翁様への祝儀品として延命酒一箱、御小盃たい、御小重一箱、鯖の子一箱、地紙形、御なます等を列挙する。御硯蓋・御小重の品や地紙形の品を召し上がらないよう注意を添える。月日はなく、年次は文政十三年の朱注である。

  47. 追録7-No.2364 花町・梅その・梅溪・たき山連署消息

    花町・梅その・梅溪・たき山が榮翁へ、上様方の機嫌を伝え、御生身玉の祝儀を祝う消息。御臺様から祝儀の御肴一折を遣わしたことを告げ、榮翁の長久繁昌を祈る。四名の連署と贈り手・品名・数量を保持し、月日は記載がない。

  48. 追録7-No.2365 佐川消息

    佐川が濱江へ、榮翁様の長久繁昌と生身玉の祝儀を述べ、御臺様からの贈答を取り次ぐ消息。御文庫之内として白晒一反・越後縮一反を列挙し、続いて御箱肴一箱を榮翁様への祝儀品として記す。各品の数量、贈り手、文政十三年の朱注を保持する。

  49. 追録7-No.2366 花町・梅その・梅たに・滝山連署消息

    花町・梅その・梅たに・滝山が榮翁へ、上様方の機嫌を伝え、今晩の月見に際して御臺様から交肴一折を内々に贈ったことを告げる消息。月日の記載はなく文政十三年の朱注のみ。四名の連署と品名・数量を保持する。

  50. 追録7-No.2367 佐川消息

    佐川が濱江へ、上様方の機嫌と月見の祝儀を伝える消息。御臺様が榮翁様へ祝儀を贈る旨を述べ、御文庫之内の品として御造臺・御重之内一を掲げる。祝儀品と月見の趣旨を保持し、月日は記されず年次は文政十三年の朱注とする。

  51. 追録7-No.2368 佐川消息

    佐川が濱江へ、御臺様から榮翁様に月見の祝儀として「御小盃臺・御盃添」一組を贈った件を伝える消息。御臺様と榮翁様の長久を祝う。署宛・朱注までで本書が完結する。

  52. 追録7-No.2369 徳川家斉御内書

    家斉が榮翁へ、重陽の祝儀として小袖一重が届いたことを喜ぶ御内書。九月七日付、文政十三年は朱注。贈答品の小袖一重、家斉公墨印、榮翁宛を保持する。原本は巻158表紙の左側に独立して掲載される。

  53. 追録7-No.2370 牧野忠精書状

    牧野備前守忠精が榮翁へ、重陽の祝儀として使者により小袖一重を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝える返書。九月七日付、文政十三年は朱注。直前の家斉御内書と同じ贈答に関わるが、忠精署判の独立書状として保持する。

  54. 追録7-No.2371 佐川消息

    佐川が濱江へ、御臺様が榮翁様に重陽の祝儀を贈ることと、上様方の機嫌を伝える消息。御文庫之内に「御重之内」を掲げ、重陽の祝儀品として取り次ぐ。月日は記されず年次は文政十三年の朱注とする。直前の家斉御内書・牧野返書とは差出人と贈答の経路を分ける。

  55. 追録7-No.2372 花町・梅その・梅たに・たき山連署消息

    花町・梅その・梅たに・たき山が榮翁へ、上様方の機嫌を伝え、今晩の月見に際し御臺様から交肴一折を内々に贈ることを告げる消息。四名の連署、月見、品名・数量を保持する。月日はなく年次は文政十三年の朱注。

  56. 追録7-No.2373 佐川消息

    佐川が濱江へ、御臺様から榮翁様への月見祝儀と、上様方の機嫌を伝える消息。御文庫之内の品として御造臺・御重之内一を掲げる。御臺様の贈答と榮翁様への祝意を保持し、月日は記されず年次は文政十三年の朱注とする。

  57. 追録7-No.2374 佐川消息

    佐川が濱江へ、御臺様から榮翁様への月見の祝儀として「御小盃・御さかつき添」一組を贈った件を伝える消息。榮翁様の長久を祝う。本文は142頁上段で完結し、同頁の次項2375と分ける。月日はなく年次は文政十三年の朱注。

  58. 追録7-No.2375 佐川消息

    佐川が濱江へ、御臺様から榮翁様への贈答を知らせ、長久繁昌を祝う消息。御文庫之内として縮緬一反を掲げ、続く品書に紅縮緬一反・白羽二重一疋を記す。品名・数量と御臺様からの贈答経路を保持する。月日はなく、年次は文政十三年の朱注。

  59. 追録7-No.2376 佐川消息

    佐川が濱江へ、御臺様から榮翁様への贈物の取計らいを頼む消息。御玄猪・御手からん・御紙包・小御三方つみたい・御重之内などの品書を伴い、長久の祝意を述べる。品名の原表記と御重之内二を保持し、月日はなく年次は文政十三年の朱注とする。

  60. 追録7-No.2377 佐川消息

    佐川が濱江へ、上様方の機嫌を伝え、榮翁様へ贈る御手からん一包・小御三方つみたい二・御重之内を列挙する消息。御玄猪の拝領・祝儀にも触れ、濱江に伝達を頼む。月日はなく、年次は文政十三年の朱注。直前2376と似た品名でも独立した消息として保持する。

  61. 追録7-No.2378 佐川消息

    佐川が濱江へ、御臺様から榮翁様への品書を知らせる消息。御三方積一重と鮭一尺を掲げ、御植鉢五つ・御鉢つみなど折々の品を贈る趣旨も述べる。長久の祝意と贈答品の数量を保持し、月日はなく年次は文政十三年の朱注。

  62. 追録7-No.2379 佐川消息

    佐川が濱江へ、御臺様から榮翁様へ植木を贈る消息。松・南天・おもとの御鉢植三を列挙し、寒気で傷まぬよう気遣いながら届ける旨を述べる。品書の三鉢と植物名、贈り手、長久の祝意を保持する。月日はなく年次は文政十三年の朱注。

  63. 追録7-No.2380 大久保忠実書状

    大久保加賀守忠実が榮翁へ、重陽の御内書を渡すため翌日五半時に家来を登城させるよう通知した書状。十月二十日付、文政十三年は朱注。御内書の受渡し時刻と家来差出の指示を保持する。

  64. 追録7-No.2381 佐川消息

    佐川が濱江へ、上様方と榮翁様の機嫌・全快を尋ね、榮翁様への慰めの贈物を取り次ぐ消息。品書には「青龍詰」一籠、梨子一籠のほか野菜・煎餅を掲げる。「青龍詰」は原字を保って品種の解釈を加えない。月日はなく年次は文政十三年の朱注。

  65. 追録7-No.2382 佐川消息

    佐川が濱江へ、上様方と御臺様の機嫌を伝え、榮翁様の体調全快を喜ぶ消息。御重之内として御菓子・御火とりふしを榮翁様へ贈る旨を述べ、取り計らいを頼む。贈答品と全快への祝意を保持し、月日はなく年次は文政十三年の朱注。

  66. 追録7-No.2383 佐川消息

    佐川が濱江へ、御臺様から榮翁様への贈答を取り次ぐ消息。御塗重一組と大こん一たいを品書として掲げ、榮翁様へ送った旨を伝える。本文の「大こん一たい」は原表記のまま保ち品物の細かな解釈は加えない。月日はなく年次は文政十三年の朱注。

  67. 追録7-No.2384 佐川消息

    佐川が濱江へ、御臺様から榮翁様へ寒中の用に贈る品々と長寿の祝意を伝える消息。御文庫之内として御かい巻二・塩から一壺を掲げ、さらに黄八丈・御小寝巻・おき上りを添える。かい巻にちなむ和歌を引き、榮翁の長寿と子孫の繁栄を祈る。三頁にわたる本文と署宛を一件として保持する。

  68. 追録7-No.2385 佐川消息

    佐川が濱江へ、上様方と御臺様の機嫌を伝え、御臺様から榮翁様へ鉢植の大こんを送る旨を知らせる消息。品書の「御鉢つミさかな」「御籠の内大こん」を区別し、榮翁の長久と繁昌を祝う。年次は文政十三年の朱注で月日はない。

  69. 追録7-No.2386 佐川消息

    佐川が濱江へ、上様方と御臺様の機嫌を伝え、御臺様から榮翁様へ御重の内の品を贈る旨を知らせる消息。品書は「御重の内一組折ふしのまゝ」と記し、榮翁の長寿を祝う。年次は文政十三年の朱注で月日はない。

  70. 追録7-No.2387 佐川消息

    佐川が濱江へ、榮翁様の長久繁昌を祝し、御臺様からの品を伝える消息。御文庫の内として琉球紅木綿子一反と御さかな一折を掲げ、御三所様からの拝領物への謝意にも触れる。147頁下段から148頁上段に続く独立した一件で、年次は文政十三年の朱注、月日はない。

  71. 追録7-No.2388 佐川消息

    佐川が濱江へ、御臺様と榮翁様の機嫌を伝え、榮翁様の長久繁昌を祝う消息。御禮御吹聴の伝達と、御臺様からの鉢植一つの贈答を記す。148頁上段の番号・全上から下段の本文・署宛までを一件とし、年次は文政十三年の朱注、月日はない。

  72. 追録7-No.2389 滝川・そのへ連署消息

    瀧川とそのへが濱江へ、榮翁様の機嫌を尋ね、例年どおり御臺様が御奉文を拝領したことを伝える連署消息。拝領品一つと御直文の返礼・取計らいに触れ、濱江に伝達を頼む。年次は文政十三年の朱注で月日はない。

  73. 追録7-No.2390 たき山外三名連署消息

    たき山・花町・梅その・梅溪が榮翁様へ、上様と御臺様の機嫌を伝え、当日の祭礼と御臺様からの贈物を知らせる連署消息。御内の品を届けた旨と、榮翁の長寿繁昌を祈る。四名の連署と贈答・祭礼の関係を保持し、年次は文政十三年の朱注、月日はない。

  74. 追録7-No.2391 牧野備前守書状(松平榮翁宛・重陽奉書受取通知)

    牧野備前守が松平榮翁へ、重陽の奉書を渡すので、翌日四時に家来を西丸へ差し出すよう通知する書状。十二月六日付で、文政十三年は朱注による。

  75. 追録7-No.2392 松平成任書状

    松平周防守康任が榮翁へ、同日朝に献上された鰹節一箱を披露したところ御仕合いとの返答があった旨を伝える書状。献上品の数量と披露・返答の経過を記し、十二月九日付、文政十三年は朱注。

  76. 追録7-No.2393 水野忠邦書状

    水野越前守忠邦が榮翁へ、同日朝の鰹節一箱献上を披露した結果を知らせる書状。一段の御仕合いとの返答を伝え、十二月九日付、文政十三年は朱注。直前2392と同じ品・日付だが別人の署判による独立した書状として保持する。

  77. 追録7-No.2394 たき山外三名連署消息

    たき山・花町・梅その・梅溪が榮翁様へ、寒中の体調を案じ、上様と御臺様の機嫌を伝える連署消息。御臺様からの八丈五反の贈答を知らせ、榮翁の長寿を祝う。四名の署宛と品名・数量を保持し、年次は文政十三年の朱注、月日はない。

  78. 追録7-No.2395 川田信濃ほか三名連署書状

    川田信濃ら四名が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、大御隠居様への年首の祝儀が目録どおり献上されたと確認する連署書状。その旨が江戸府へ披露されるよう伝える。十二月十五日付、文政十三年は朱注。

  79. 追録7-No.2396 川田信濃ほか三名連署書状

    川田信濃ら四名が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、前年末の江戸上屋敷火事に伴って若殿様が差控書を出したが、その必要はないとの仰渡しがあったことを知らせる。大御隠居様への見舞いと安里親方を通じた書上げが江戸府へ披露される旨を記す。十二月十五日付、年次は朱注。

  80. 追録7-No.2397 川田信濃ほか三名連署書状

    川田信濃ら四名が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、観光院様の逝去に伴う大御隠居様への見舞いについて、安里親方が目録のとおり差し上げた旨を確認する。江戸府へ披露して伝達すると述べる。151頁上段から下段に続く一件で、十二月十五日付、年次は朱注。

  81. 追録7-No.2398 川田信濃・嶋津丹波連署書状

    川田信濃と嶋津丹波が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、前年末の江戸上屋敷の火事に伴う若殿様の差控書と、差控には及ばないとの仰渡しを伝える。大御隠居様への安里親方の書上げは江戸府へ披露される旨を記す。2396と近い内容だが二名連署の独立した書状。

  82. 追録7-No.2399 川田信濃ほか三名連署書状

    川田信濃ら四名が羽地王子・三司官へ、琉球国王の尊書を拝見し、観光院様の逝去に際して大御隠居様の機嫌を伺う安里親方の書上げが目録どおりであることを知らせる。江戸府へ披露する旨を記し、十二月十五日付、文政十三年は朱注。2397と類似しても独立した番号・署判を保持する。

  83. 追録7-No.2400 天保改元記事

    斉宣公・斉興公の御譜中にある改元記事。文政十三年冬十二月十六日に天保と改元されたこと、翌春正月十五日に薩府へ伝令が届いたことを記す。文政十三年と天保元年の境界を示す本文記事として保持する。

  84. 追録7-No.2401 瀧川・その江連署消息

    瀧川とその江が濱江へ、御臺様の機嫌と例年どおりの奉文を知らせ、大御隠居様へ干鯛一箱・御時服三つを贈る旨を伝える。拝領への謝意と御直書・御品の取計らいを頼む。年次は天保元年の朱注、月日はない。

  85. 追録7-No.2402 瀬山外四名連署消息

    飛鳥井・花その・瀬川・野むら・瀬山が榮翁様へ、御臺様をはじめ諸方の歳暮の儀を伝え、例年どおり御機嫌よく成されたことと榮翁からの歳暮祝儀の拝領を祝う。五名の署名を保持し、年次は天保元年の朱注、月日はない。

  86. 追録7-No.2403 徳川家斉御内書

    徳川家斉が松平榮翁へ、歳暮の祝儀として使者から小袖一重が届いたことを喜び、松平周防守を介して披露すると伝える御内書。十二月二十七日付で年次は天保元年の朱注。本文は153頁下段、番号・宛名は上段にあり、家斉公の墨印も一件として保持する。

  87. 追録7-No.2404 水野忠邦書状

    水野越前守忠邦が松平榮翁へ、歳暮祝儀として使者から小袖一重が献上されたことを披露した旨を伝える書状。十二月二十七日付で年次は天保元年の朱注。直前の家斉御内書と同じ贈答を扱うが、忠邦の署判を持つ独立した書状として保持する。

  88. 追録7-No.2405 水野忠邦書状

    水野越前守忠邦が松平榮翁へ、献上された破魔弓一飾を使者を通じて受け、首尾よく披露した旨を伝える書状。十二月二十八日付、天保元年は朱注。破魔弓の品名・数量と披露の経路を保持する。

  89. 追録7-No.2406 松平乗寛書状

    松平和泉守乗寛が松平榮翁へ、若菜の祝儀として鯛一折が献上され、披露したところ一段の御仕合いとの返答があった旨を伝える。正月七日付、天保二年は朱注。献上品・数量と披露結果を保持する。

  90. 追録7-No.2407 水野忠邦書状

    水野越前守忠邦が松平榮翁へ、若菜の祝儀として鯛一折を献上し、披露した結果を知らせる。正月七日付、天保二年は朱注。同日同品を扱う2406とは署判の異なる独立した書状として保持する。

  91. 追録7-No.2408 佐川消息

    佐川が濱江へ、御臺様と榮翁様の機嫌、年頭の挨拶と若菜の春の祝意を伝える消息。榮翁の長寿・繁昌を願い、御臺様からの品に関する取計らいにも触れる。154頁上段の番号・出典から下段の本文・署宛までを一件として保持する。年次は天保二年の朱注で月日はない。

  92. 追録7-No.2409 佐川消息

    佐川が濱江へ、御臺様から榮翁様への贈答と年頭の祝意を知らせる消息。品書にはかつらあめ御煮肴一たい、るひ一たい、梅御鉢植一、福寿草この外三鉢、七種御鉢植一たい、御廣ふた一組を記す。受領と返礼への取計らい、榮翁の長寿繁昌を願う。154頁下段から155頁上段に続く一件で、年次は天保二年の朱注、月日はない。

  93. 追録7-No.2410 たき山外三名連署消息

    たき山・花町・梅その・梅溪が榮翁様へ、年頭の挨拶、上様と御臺様の機嫌、年始の儀式を知らせる連署消息。御臺様からの年玉の品と長寿繁昌への祝意を述べる。155頁上段の番号から下段の本文・四名署宛までを一件として保持し、年次は天保二年の朱注、月日はない。

  94. 追録7-No.2411 松平乗寛書状

    松平和泉守乗寛が松平榮翁へ、年頭の祝儀として使者が太刀一腰と御馬代黄金十両を献上し、披露したことを伝える。正月十一日付、天保二年は朱注。品目・数量と受領・披露を保持する。

  95. 追録7-No.2412 水野忠邦書状

    水野越前守忠邦が松平榮翁へ、年頭の祝儀として使者から太刀と御馬代黄金が献上され、披露した結果を知らせる。正月十一日付、天保二年は朱注。2411と同じ祝儀を扱うが、忠邦の署判を持つ独立した書状として保持する。

  96. 追録7-No.2413 島津重豪書状

    松平榮翁が松平和泉守と水野出羽守へ、用事があるので翌十九日五半時に登城してよいか伺う書状。なお病気が続く場合には同氏兵庫頭を登城させる旨を述べる。正月十八日付、天保二年は朱注。本人登城と代理条件を区別して保持する。

  97. 追録7-No.2414 島津重豪書状

    松平榮翁が水野出羽守・松平和泉守・松平周防守の三名へ、用事があるため翌十九日五半時に登城してよいか伺う書状。正月十八日付、天保二年は朱注。直前2413と同日同時刻だが宛名三名の独立した文書として保持する。

  98. 追録7-No.2415 島津重豪届書

    松平榮翁が水野出羽守・松平和泉守・松平周防守へ、翌十九日五半時の登城を予定していたが、体調がすぐれず登城し難い旨を届ける。正月十八日付、天保二年は朱注。直前の登城伺い2413・2414に続く変更通知として、本人登城見合わせを明示する。

  99. 追録7-No.2416 島津斉彬請書

    松平兵庫頭が水野出羽守・松平和泉守・松平周防守へ、松平榮翁の病気の場合は翌十九日五半時に自身が登城せよとの指示を受け、了承した旨を返す。正月十八日付、天保二年は朱注。2415の本人登城見合わせに対応する代理登城の請書として保持する。

  100. 追録7-No.2417 島津重豪従三位叙任記事

    重豪公御譜の記事。天保二年正月十八日に老中の奉書を受け、翌日名代で登城し、重豪が従三位に叙された経過を記す。松平和泉守乗寛を介した命令、斉彬の名代、近衛家への謝礼、梅田九左衛門らへの贈物、二月二十六日の近衛側書状など後続の取計らいを続記する。上段から下段にわたる叙任経緯を一件として保持する。