← 史料目録へ

ARCHIVE DIRECTORY

追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 1901~2000件・20 / 30ページ

  1. 追録7-No.1731 御系図記事(唯七郎)

    御系図、斉興公御子の項。図の上段に久光・珍之助・唯七郎を並べる。唯七郎は文政三年庚辰四月二十二日生、「母同智姫」と記す。母は智姫と同じという相対的記述であり、母の実名は示さない。四年辛巳四月五日に夭亡し、法名は光臨院殿浮玉幻藻大禪童子とする。一方、夭亡記事の脇に四月七日を忌日とする注がある。出生・夭…

  2. 追録7-No.1732 徳川家斉御内書(端午帷子・単物)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、詳しいことは青山下野守が述べると伝える。朱書の文政三年、五月二日、家斉公墨印、松平榮翁宛。帷子と単物の到来を伝える御内書で、本文は数量を示さない。前後の小袖一重などの数量を本件へ移さず、端午の贈品名と日付を記録する…

  3. 追録7-No.1733 松平乘保書状(端午帷子・単物の披露)

    前条と同じく端午の祝儀に関する書状。使者をもって帷子・単物が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると知らせる。朱書の文政三年、五月二日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。帷子と単物の披露済みを知らせる書状で、本文には数量を記さない。同日の家斉御内書の到来報告と本書の披露報告を併記し、各一重などの数量…

  4. 追録7-No.1734 近衛基前薨去一件(表紙・記録概要)

    白木御文書八番箱中三十六番、文政三年辰五月の表紙・記録概要。近衛前左府基前の薨去に伴う各人の忌掛り、法号、中陰の日割について、京都御留守居からの申越書付を留めると記す。また御簾中の維君が薙髪して維學心院と称した旨につき、同家の御用人の手紙を添え、京都御留守居へ申し送った書付を留めるとする。この記録内…

  5. 追録7-No.1735 大久保忠眞書状(鰑と読める魚品一箱)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。今朝魚品一箱が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると知らせる。品名の原字は鰑と読めるが、魚種の同定は留保する。朱書の文政三年、六月十三日、忠眞判、松平榮翁宛。口裏に大久保加賀守忠眞とある旨の朱注がある。数量は一箱で、魚の尾数や祝儀の具体的名目は本文に示さな…

  6. 追録7-No.1736 松平乘保書状(鰑と読める魚品一箱)

    前条と同じく、今朝魚品一箱が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると知らせる。品名の原字は鰑と読めるが、魚種の同定は留保する。朱書の文政三年、六月十三日、乘保判、松平榮翁宛。口裏に松平能登守乘保とある旨の朱注を伴う。同日の大久保忠眞書状と同じ献上に関する通知で、一箱の二通の記載を合算して二箱とは…

  7. 追録7-No.1737 重豪、貴久ノ遠忌法事ヲ修ス(南林寺・代参)

    重豪公御譜中、斉興公御譜にもあるとする。今年夏六月二十三日の記事で、大中公の二百五十年忌法事を南林寺で三日間、二十一日から二十三日まで修したと記す。大中公には貴久の傍注がある。重豪は島津安房久備を遣わし、香奠金二百疋を献じて拝させた。年は前後の文政三年の配列による。対象者・法事の場所と期間、代参者、…

  8. 追録7-No.1738 青山忠裕書状(端午御内書の交付案内)

    前条と同じ出典で、正文は文庫にあるとする。端午の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう求める。朱書の文政三年、六月廿四日、青山下野守署、松平榮翁宛。忠裕の実名は目録による。端午は交付する御内書の用件で、書状の日付は六月二十四日である。家来の登城を求める交付案内として扱い、本人登城や受…

  9. 追録7-No.1739 土井利厚書状(生見玉祝儀・黄金十両)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。生見玉の祝儀として黄金十両が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると知らせる。朱書の文政三年、七月六日、利厚判、松平榮翁宛。口裏に土井大炊頭利厚とある旨の朱注を伴う。名目は生見玉、金額は黄金十両で、献上品の披露済みを知らせる書状である。本文には使者名や追加の…

  10. 追録7-No.1740 酒井忠進書状(生見玉祝儀・黄金十両)

    前条と同じく、生見玉の祝儀として黄金十両が献じられ、披露したところ一段の御仕合であると知らせる。朱書の文政三年、七月六日、忠進判、松平榮翁宛。口裏に酒井若狭守忠進とある旨の朱注を伴う。同日の土井利厚書状と同じ生見玉祝儀に関する通知として整理し、二通の黄金十両を合算して二十両とはしない。本文にない使者…

  11. 追録7-No.1741 重豪老年ニ及ビ国政介助ヲヤム(重大事の関与・諭達前置)

    斉興公御譜中。大父重豪が斉興の国政を助けて十三年余りとなったが、今年庚辰秋八月、老齢による衰えと多病で心を労することに耐えがたく、斉興も成長して事情を聞き知る機会があるため、国政の介助を辞したと記す。ただし重大な事にはなお関与する余地を残す。斉興は江府にいたので、叔父の奥平大膳大夫と左近へ相談させ、…

  12. 追録7-No.1742 春姫系譜抄(親子図と養子記述に疑義)

    御系図中。図に斉興、男女二十一人、女子と示し、その女子として春姫を記す。文政三年庚辰八月十九日生、母は「島津権嵐久尹女」と読める記載がある。翌四年辛巳の記述は「斉興養以為子」とする。一方、目録は春姫の斉宣系譜抄とするため、図の親子関係と本文の養子記述・目録表題を無注で統一しない。出生年月日を保持し、…

  13. 追録7-No.1743 春姫斉宣系譜抄(春姫・幸姫・晴姫)

    近秘野抄、斉宣公御子の女子の項。春姫・晴姫を、有馬上総介頼永の室とし、頼永に筑後久留米二十一万石の注を付す。文政三年庚辰八月十九日に銀邸で生まれ、母は橘川時吉の女子と記す。四年辛巳八月に斉宣の養女となり、祝姫の次に列する旨の注を伴い、有馬仙太郎(即ち上総介)を許嫁とする。九年丙戌五月に幸姫と改名し、…

  14. 追録7-No.1744 島津重豪諭達(介助停止・家政堅持)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあり、御筆仰は白木御文書八番箱三十八号にあるとする。去る巳年から介助したが、老年で気力が衰え近年は病気もあり、精々心掛けても思い通りに行き届かないため、今回介助を断ると告げる。昨年登城時の重い上意により、介助が整わないという世評を生じさせず豊後守のためにも心得を合わせる必要…

  15. 追録7-No.1745 島津重豪諭達(左近・安藝との相談。前頁記載に留保)

    正文は文庫にあり、白木御文書八番箱三十八号の四通のうち一通とする。介助停止に際し、江戸では左近に内談するよう申し渡したと述べる。安藝については先年以来拙者の趣意をよく理解する者で、国元で相談するよう申し渡してあるため、各々心得のため知らせるとする。朱書の文政三年八月、家老中へ。前頁には嶋津安藝忠厚の…

  16. 追録7-No.1746 島津重豪諭達添書(奥平大膳大夫への相談)

    正文は文庫にあるとし、口裏には添書とある旨の朱注を伴う。別紙の趣意に関わることは他の事柄ではないため、奥平大膳大夫へは軽微な事柄でも、事柄に応じて相談するよう求める。豊後守と大膳大夫にも別に伝えてあるので、互いに気付いたことや懸念がある時は遠慮なく相談し、各々その心得を持つよう申し聞かせる。朱書の文…

  17. 追録7-No.1747 島津斉興諭達(介助辞退受入・趣法遵守・重豪保養)

    正文は文庫にあり、御筆仰出は白木御文書八番箱三十八番にあるとする。大御隠居がこれまで介助したことに感謝し、老年と近年の痛所により介助辞退を望んだため再びお願いしたが、従来と同様の趣意を示され、辞退後も心添えはして下さるとの意向を受けたと述べる。やむを得ず思召しどおり辞退を受け入れたうえで、従前に命じ…

  18. 追録7-No.1748 島津斉興諭達(介助辞退後の左近との相談)

    正文は文庫にあり、白木御文書八番箱三十八号の一包にあるとする。今回の大御隠居の介助辞退に際し、政事に関することその他すべてについて左近と相談するよう、家老中へ申し聞かせる。朱書の文政三年八月、家老中宛。介助辞退後に家老が相談する相手を示す短い諭達で、左近へ家督や政務の全権を委譲したとする記載はない。…

  19. 追録7-No.1749 島津斉興諭達(奥平大膳大夫への相談)

    正文は文庫にあり、前と同じく八番箱にある旨の注を伴う。今回の大御隠居の介助辞退に関することは他の事柄ではないため、奥平大膳大夫にも、軽微な事柄でも事柄に応じて相談するよう、家老中へ申し聞かせる。朱書の文政三年八月、家老中宛。No.1748の左近への相談指示に続き、奥平大膳大夫も相談先として示す。相談…

  20. 追録7-No.1750 島津斉興諭達(国元相談・安藝の前置記載)

    前と同じ出典で、この書も同包にある旨の注を伴う。本文に先立ち嶋津安藝の記載がある。今回の大御隠居の介助辞退に際して、国元で何事も相談するよう家老中へ申し渡す。朱書の文政三年八月、家老中宛。前後の左近・奥平大膳大夫への相談指示に続く国元での相談指示として整理する。安藝の前置記載は相談先に関わる記載とし…

  21. 追録7-No.1751-1 島津重豪届書(介助辞退・1751の1)

    重豪公御譜中、白木御文書八番箱三十八号にもあるとする。天明七年未に隠居を願い、国政筋は病中に介助する心得を申し上げておいたと述べる。その後溪山へ政事を任せ、文化六年巳に溪山が隠居して豊後守へ家督を命じられてからも介助した。溪山には斉宣の傍注がある。老年で気力が衰え、近年は病身となり、これ以上の介助が…

  22. 追録7-No.1751-2 島津斉興届書(介助辞退・1751の2)

    斉興が、榮翁の国政介助辞退と今後の心添えを届ける文書。榮翁が天明七年未に隠居を願い、国政筋は病中に介助する心得を申し上げ、その後溪山へ政事を任せた経緯を述べる。文化六年巳に溪山が隠居して斉興へ家督を命じられてからも、榮翁は介助を続けた。次第に気力が衰え近年は病身となり、これ以上の介助が思い通りになら…

  23. 追録7-No.1752 早川兼備首尾書(本文署名・早川千竃)

    白木御文書八番箱中三十八番にある御書附二通の提出経緯を、早川千竃が長門へ報告する。内訳は、大御隠居の介助辞退届一通と、それに付く太守の届一通。去る10日に御用番阿部備中守の勝手へ持参し、用人阿部小助と面会した。先例のない事柄なので心得を尋ね、まず内見を求めたところ、備中守の聞届の上で得と吟味し追って…

  24. 追録7-No.1753 幕府沙汰書(重豪の介助辞退)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあり、白木御文書八番箱三十七番の包にもあるとする。松平榮翁へ、隠居後の国政介助を今回断ると届けた件を聞き届け、老年まで格別に心添えしたことも一段の事とする旨の御沙汰。朱書に文政三年と辰九月朔日を記す。同日の伝達記録では、太守が登城し、大目附石谷周防から居残るよう伝えられ、御…

  25. 追録7-No.1754 島津斉興伺書(重豪の礼勤)

    前と同じ出典で、控の正文は右筆所にあるとする。斉興が、榮翁の隠居後の国政介助を今回断り、老年までの格別の心添えも一段の旨とする上意をありがたく承ると述べ、これに伴う榮翁の御礼勤向をどのように心得ればよいか指図を求める。御付札の朱書には、老中若狭守・能登守へ名代を差し越すことができる旨を記す。文政三年…

  26. 追録7-No.1755 島津斉興書状(重豪の御礼名代)

    前と同じ出典で、控の正文は右筆所にあるとする。斉興が、榮翁の隠居後の国政介助を今回断り、老年までの格別の心添えも一段の旨とする御沙汰の趣を伝えられたことをありがたく承ると述べる。榮翁の御礼名代として自分が申し上げる旨を記す。文政三年九月三日、松平豊後守署。No.1754の礼勤方法の伺いと名代を認める…

  27. 追録7-No.1756 島津重豪書状(御礼取次ぎ依頼・人名列記)

    重豪公御譜中、控の正文は右筆所にあるとする。御表からも御礼を申し上げるが、よろしく取り計らってほしいとして一筆差し上げる。上さ様がますます機嫌よく過ごすことを恐悦に思い、自分が隠居後に行ってきた国政介助を今回断る件で、老年までの格別の心添えも一段の旨との沙汰を伝えられ、ありがたく承ると述べる。その御…

  28. 追録7-No.1757 島津重豪書状(御臺様への御礼取次ぎ)

    前と同じ出典とする書状。よろしく取り計らってほしいと述べ、一筆差し上げる。上さ様がますます機嫌よく過ごすことを恐悦に思い、自分の隠居後の国政介助を今回断る件で、老年までの格別の心添えも一段の旨とする公方様からの御沙汰の趣を伝えられたことをありがたく承るとする。その御礼を御臺様へ申し上げたいので、機会…

  29. 追録7-No.1758 徳川家斉御内書(重陽・小袖一重)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜んで覧たと榮翁へ伝える。詳しいことは水野出羽守が述べる旨を記す。朱書に文政三年、九月七日付、家斉公の墨印、松平榮翁宛。No.1759の酒井忠進書状と同日の贈答に関わるが、この御内書に記された品名・数量は小袖一重として扱う…

  30. 追録7-No.1759 酒井忠進書状(重陽・小袖一重の披露)

    前と同じ出典とする。重陽の祝儀として使者をもって小袖一重を献上した件は披露を遂げたと伝え、一段の御仕合であると述べる。朱書に文政三年、九月七日付、酒井若狭守忠進判、松平榮翁宛。No.1758の家斉御内書に続く同日付の書状であり、この本文の使者による献上と披露の通知を整理する。品名・数量は小袖一重。

  31. 追録7-No.1760 花さき外三名連署消息(三百両の通知)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。万事を幾久しく、年を重ねて祝う挨拶と、上さ様の機嫌がよい旨を述べる。榮翁が老年であることに付き、御臺様の思召によって御納戸金の中から内々に金三百両を遣わしたと知らせる。朱書に文政三年。次頁にまつ平榮翁様人々御中の宛名と、花町・梅その・梅たに・華さきの四名を列記す…

  32. 追録7-No.1761 島津重豪書状(三百両拝領への返書)

    前と同じ出典で、控の正文は文庫にあるとする。よろしく取り計らってほしいと述べ、御意の旨の書状を拝見したことと、上さ様が機嫌よく過ごすことを恐悦に思う旨を記す。自分が老年であることに付き、御臺様の思召で御納戸金の中から内々に御金三百両を確かに拝領し、ありがたく承るとする。年々拝領するようにとの御付けも…

  33. 追録7-No.1762 島津重豪書状(三百両への御礼・花町と梅その宛)

    前と同じ出典とする。よろしく取り計らってほしいとして一筆差し上げ、上さ様がますます機嫌よく過ごすことを恐悦に思う旨を述べる。昨日、老年であることに付き、御臺様の思召によって御納戸金の中から内々に御金三百両を確かに拝領し、ありがたく承るとする。年々拝領するようにとの知らせも重ねて感謝すると述べる。その…

  34. 追録7-No.1763 花崎外三名連署消息(三百両拝領への返事)

    前と同じ出典とする。榮翁の書状を受け、上さ様の機嫌がよいことを祝い、榮翁が老年であることに付き、一昨日、御臺様の思召で御納戸金の中から御金三百両を拝領したことを思いがけなくありがたいと受け止めた旨を喜ぶ。年々拝領するとの知らせも重ねてありがたく思い、その礼を申し上げた書状の様子に満足したと伝える。朱…

  35. 追録7-No.1764 島津重豪書状(年々の金子への感謝・佐川宛)

    前と同じ出典とする。幾重にも御礼を申し上げ、取次ぎを頼み、上さ様方の機嫌がよいことを恐悦に思うと述べる。御臺様から思いがけず結構な沙汰があり、自分が老年であることへの憐愍によって、内々に年々御金を拝領するよう付けられた旨を花町から聞いたことを、ありがたく承るとする。長久の繁昌を祝うとともに、厚い思召…

  36. 追録7-No.1765 島津重豪書状(御礼席の沙汰・佐川宛添書)

    前と同じ出典とする。自筆で礼を申し上げたいが老眼が殊の外で執筆できないため、代筆で申し上げると述べる。上さ様方の機嫌を祝い、昨日、豊後守が登城したところ、思いがけず「御礼席」について結構な沙汰があったことを、ありがたく承るとする。御臺様の厚い恩恵による御付けと上様の威光による思いがけない恩恵は、当人…

  37. 追録7-No.1766 島津重豪書状(右大将の床上げ祝い・拝領品への礼)

    前と同じ出典とする。幾久しく万年の祝いを述べ、御礼のため佐川へ申し上げ、上さ様方の機嫌がよいことを恐悦に思うと記す。昨日、右大将の床上げ祝いがめでたく行われ、疱瘡後にすらすらと勇しく出座し、御臺様にも対面して満足されたと聞き、ありがたく祝う。その祝いに付き、思いがけず内々に目録の通り、右大将から御料…

  38. 追録7-No.1767 斉興公御譜抄(白書院・黒書院などでの礼)

    斉興公御譜中の記事。冬10月15日、大家の命によって特に許され、歳首・五節句・八朔の慶賀の席は白書院、月次は黒書院で礼を行うとする。月次には「謂朝望二十八日」の注を伴う。以来、若菜の賀儀を献じ、朝望その他の登営日には先に大廊下左側第二房へ入り、その後に進んで上見する旨を記す。御臺所が平生請うところが…

  39. 追録7-No.1768 近秘野抄(斉興の白書院・黒書院などでの礼)

    近秘野抄中の斉興公の記事。三年庚辰10月15日に斉興が朝謁した際、閣老水野出羽守忠成らが旨を承けて列座し、大監察水野主殿頭に命じて斉興を留めたとする。斉興が退こうとして白書院へ至ると、出羽守が命を伝え、今後、朝官の歳首・五節句・八朔には白書院、月次には黒書院で礼を行い、朝望にも大廊下の休息所へ就くよ…

  40. 追録7-No.1769 水野忠成書状(重陽御内書の受取案内)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。重陽の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ差し出すよう榮翁へ通知する。朱書に文政三年、十月廿日付、水野出羽守署、松平榮翁宛。家来の登城と御内書の受取を翌日に行うよう求める案内であり、受取完了を記す書状ではない。

  41. 追録7-No.1770 幕府指図書(珍之助の忌服届・監物の書付写)

    白木御文書八番箱中三十九号にある、監物から渡された御書付の写。珍之助の死去に付き、公辺へ忌服の届を申し上げた際の続柄を記す。珍之助には斉興男の注、普之進には久光の注がある。内実は五男で、普之進の舎弟に当たるが、普之進にはまだ公辺への届などがないため、別段の思召によって四男として届けた旨が申し来たとす…

  42. 追録7-No.1771-1 幕府指図書(礼席の場所・1771の1)

    白木御文書八番箱中四十一号にある、松平豊後守宛の一通。御臺様のかねてからの厚い願いに付き、以後の礼席について、年始は御白書院、月次は御黒書院、五節句・八朔は御白書院で礼を申し上げるよう指示する。若菜の礼にも登城するよう命じる。口裏には大目附とある旨の注を伴う。本文に年月日と差出署名はなく、文政三年は…

  43. 追録7-No.1771-2 幕府指図書(礼の手順・1771の2)

    松平豊後守宛の六か条の指図。以後、年始は正月2日に白書院で礼を申し上げ、父溪山の時の通り出向く。月次は黒書院の敷居の内へ出て、奏者番の披露により礼を申し上げ、直ちに退座する。ただし松平越前守の次に出ると記す。五節句は白書院の敷居の内へ出て同様に披露の上で礼を申し上げ、直ちに退座する。ここにも右同断の…

  44. 追録7-No.1771-3 幕府指図書(大廊下の休息所・1771の3)

    松平豊後守へ、朝望その他の登城の際、大廊下の「下之休息所」にいるよう命じる。松平加賀守・松平越前守の方には、この趣旨を心得として伝えておく旨の但書があり、右一通とする。三通の包紙に、文政三年辰11月12日、監物から木場源七へ渡し、白木御文書八番箱へ納置した旨を記す。三通はNo.1771-1~1771…

  45. 追録7-No.1772 土井利厚書状(鰹節一箱の披露)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。今朝献上された鰹節一箱について、披露を遂げ、一段の御仕合であると榮翁へ伝える。朱書に文政三年、12月11日付、利厚判、松平榮翁宛。宛名付近の朱書は右上裏とし、土井大炊頭利厚の名を記す。本文の品名・数量は鰹節一箱で、使者の名や別の献上名目は示さない。

  46. 追録7-No.1773 松平乘保書状(鰹節一箱の披露)

    前と同じ出典とする。今朝献上された鰹節一箱について、披露を遂げ、一段の御仕合であると榮翁へ伝える。朱書に文政三年、12月11日付、乘保判、松平榮翁宛。宛名付近の朱書は右上裏とし、松平能登守乘保の名を記す。同日付のNo.1772の土井利厚書状と同じ品名・数量を記すが、この書状の差出者と披露通知を独立し…

  47. 追録7-No.1774 新納内蔵外三名連署書状(重豪への年首祝い)

    重豪公御譜中、正文は琉球国司にあるとする。国王の尊書を拝見し、大御隠居への年首祝いとして目録の通り差し上げられた件を、江府へ到着した後に披露したところ、重豪は満足しているので、その旨を国王へ伝えるよう三司官へ通知する。朱書に文政三年、12月15日付。新納内蔵・嶋津安房・町田監物・川上美濃の四名にそれ…

  48. 追録7-No.1775 新納内蔵外三名連署書状(太守の官位昇進祝い)

    前と同じ出典とする。国王の尊書を拝見し、去る歳の太守の官位昇進の祝いとして、玉城按司をもって大御隠居へ太刀一腰・馬代黄金十両と目録の通り差し上げられた件を記す。江府へ到着して披露したところ、重豪は満悦しているので、その旨を国王へ伝えるよう三司官へ知らせる。朱書に文政三年、12月15日付。新納内蔵・嶋…

  49. 追録7-No.1776 新納内蔵外三名連署書状(重豪の御目見・上意への祝い)

    前と同じ出典とする。国王の尊書を拝見し、大御隠居が去る歳、公方と右大将に御目見して格別の懇ろな上意を受けたことへの祝いとして、伊志嶺親方をもって太刀一腰・馬代白銀五十両と目録の通り差し上げられた件を記す。公方には家斉、右大将には家慶の注がある。江府へ到着して披露したところ、重豪は満悦しているので、そ…

  50. 追録7-No.1777 新納内蔵外三名連署書状(苗姫の縁組願いへの祝い)

    前と同じ出典とする。国王の尊書を拝見し、苗姫の縁組について願いの通り仰せ出されたことへの祝いとして、伊志嶺親方をもって大御隠居へ目録の通り差し上げられた件を記す。苗姫には斉宣の女子・阿部正筠の室との注がある。江府へ到着して披露したところ、重豪は満悦しているので、その旨を国王へ伝えるよう三司官へ知らせ…

  51. 追録7-No.1778 新納内蔵外三名連署書状(貢姫の出生祝い)

    前と同じ出典とする。国王の尊書を拝見し、去る丑年に女子が出生して貢姫と称したことに付き、大御隠居へ祝いを申し上げられた件を記す。貢姫には重豪の女子との注がある。江府へ到着して披露した旨を三司官へ伝える。朱書に文政三年、12月15日付、新納内蔵の実名判と嶋津安房に続き、次頁に嶋津安房の実名判、町田監物…

  52. 追録7-No.1779 新納内蔵外三名連署書状(閑姫離縁の機嫌伺い)

    前と同じ出典とする。国王の尊書を拝見し、閑姫の縁組の離縁を届けたことに付き、大御隠居の機嫌を伺うため、伊志嶺親方をもって書状に述べられた趣を、江府へ到着して披露した旨を通知する。その旨を国王へ伝えるよう三司官へ求める。閑姫には斉宣の女子・松平康寿の室との注がある。朱書に文政三年、12月15日付、新納…

  53. 追録7-No.1780 新納内蔵外三名連署書状(諸之助死去の機嫌伺い)

    前と同じ出典とする。国王の尊書を拝見し、諸之助の死去に付き、大御隠居の機嫌を伺うため、伊志嶺親方をもって書状に述べられた趣を、江府へ到着して披露した旨を知らせる。その旨を国王へ伝えるよう三司官へ求める。諸之助には斉興の男子との注がある。朱書に文政三年、12月15日付、新納内蔵・嶋津安房・町田監物・川…

  54. 追録7-No.1781 徳川家斉御内書(歳暮・小袖一重)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜んで覧たと榮翁へ伝える。詳しいことは大久保加賀守が述べる旨を記す。朱書に文政三年、12月27日付、家斉公の墨印、松平榮翁宛。本文の品名・数量は小袖一重として保持する。

  55. 追録7-No.1782 松平乘保書状(歳暮・小袖一重の披露)

    前と同じ出典とする。歳暮の祝儀として使者をもって小袖一重を献上した件は披露を遂げたと伝え、一段の御仕合であると述べる。朱書に文政三年、12月27日付、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。先頭の出典注「全上」を次頁の本文へ接続して整理する。同日付のNo.1781の御内書とともに歳暮の小袖一重に関わるが、この…

  56. 追録7-No.1783 島津桃次郎仮養子縁組覚(黒田斉溥との相談)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。1月5日、備前守側の用人使者から、酒井左衛門尉の弟録之助との養子相談は年齢・縁辺の都合で断り、男子がないため、今春の休暇中に「國中達變」があれば桃次郎の家督相続願書を出したいので許容してほしいと相談があった。備前守には黒田斉溥、左衛門尉には庄内藩主忠器、桃次郎に…

  57. 追録7-No.1784 大久保忠眞書状(若菜・鯛一折の披露)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。若菜の祝儀として献上された鯛一折について、披露を遂げ、一段の御仕合であると榮翁へ伝える。朱書に文政四年、正月7日付、忠眞判、松平榮翁宛。宛名付近に右上裏との朱書があり、大久保加賀守忠眞の名を記す。品名・数量は鯛一折として保持し、魚の尾数や使者の名は補わない。

  58. 追録7-No.1785 酒井忠進書状(若菜・鯛一折の披露)

    前と同じ出典とする。若菜の祝儀として献上された鯛一折について、披露を遂げ、一段の御仕合であると榮翁へ伝える。本文は次頁の「仕合」へ続き、朱書に文政四年、正月7日付、忠進判、松平榮翁宛。右上裏との朱書に酒井若狭守忠進の名を記す。同日付のNo.1784の大久保忠眞書状と同じ品名・数量だが、この書状の差出…

  59. 追録7-No.1786 大久保忠眞書状(年頭・太刀と馬代の披露)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件は披露を遂げたと榮翁へ伝え、一段の御仕合であると述べる。朱書に文政四年、正月11日付、忠眞判、松平榮翁宛。右上裏との朱書に大久保加賀守忠眞の名を記す。本文に示す品名・数量と、使者による献上・披露の通知…

  60. 追録7-No.1787 酒井忠進書状(年頭・太刀と馬代の披露)

    前と同じ出典とする。年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件は披露を遂げたと伝え、一段の御仕合であると述べる。朱書に文政四年、正月11日付、忠進判。次頁に松平榮翁宛と、右上裏の朱書に酒井若狭守忠進の名を記す。本文と次頁の宛名・朱書を接続し、同日付のNo.1786の大久保忠眞書状…

  61. 追録7-No.1788 花町外三名連署消息(例年の三百両の通知)

    重豪公御譜中、写しの正文は文庫にあるとする。万事を幾久しく、万年の祝いを申し上げ、上さ様方の機嫌がよい旨を記す。榮翁が老年であることに付き、御臺様の思召によって御納戸金の中から内々に金三百両を遣わし、例年の通り支給することをめでたく伝える。朱書に文政四年、まつ平榮翁様宛。花町・梅その・梅溪・はな崎の…

  62. 追録7-No.1789 重豪御鷹の鶴拝領の記事(斉興が代受)

    全御譜中の記事。文政四年辛巳、春2月9日、大家が使番京極大學高貞を芝邸へ遣わし、重豪へ御鷹の鶴を賜ったとする。末尾は次頁へ続き、斉興が重豪に代わって受け取った旨を記す。御鷹の鶴の賜与先である重豪と、受取役の斉興を分けて整理する。本文に鶴の羽数は示さない。

  63. 追録7-No.1790 大久保忠眞書状(歳暮御内書の受取案内)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ差し出すよう榮翁へ通知する。朱書に文政四年、二月廿日付、大久保加賀守署、松平榮翁宛。歳暮の御内書についての翌日の受取案内であり、本文は受取の完了を記すものではない。

  64. 追録7-No.1791 斉彬元服の記事(邦丸・又三郎・忠方)

    斉興公御譜中の記事。文政四年辛巳、春3月4日、嫡子邦丸が家伝の元服式を江府本邸の座之間で行ったとする。邦丸には斉彬の注があり、年齢は十二歳と記して実十三歳との注を付す。大書院の営造がまだ完成していないため、その格式で座之間において式を行った旨の注がある。斉興が親しく冠を加え、家老川上美濃久芳が理髪し…

  65. 追録7-No.1792 斉彬元服の記事(近秘野抄)

    近秘野抄中の斉彬の記事。文政四年辛巳3月4日、公が世子を召して手ずから元服させ、川上美濃久芳に理髪を命じたとする。この時初めて忠方と名付け、又三郎と称したと記し、公室の古例によると説明する。忠方には「カタ」の読みを付す。右の内容は系図中の要儀である旨の末注がある。No.1791の斉興公御譜による元服…

  66. 追録7-No.1793 島津斉彬実名勘考(忠方・碇山久陽謹考)

    白木御文書五番箱百七十号にある実名の考書。冒頭に己巳・御歳十三、忠の字・本命木・帰納張を記し、実名「忠方」の意味を論じる。筆者は忠を火、本命を木、方を水に配し、水が木を生じ木が忠の火を生じるため、生生として窮まりなく吉であるとする。二字の点画を八卦数に配して震となり、「大命風」の讃も上吉とし、帰納の…

  67. 追録7-No.1794 水野忠成書状(元姫の婚礼祝い)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。元姫君の婚礼の祝いとして目録の通り献上した件は披露を遂げたと榮翁へ伝え、一段の御仕合であると述べる。朱書に文政四年、二月廿五日付、忠成判、松平榮翁宛。宛名付近の右上裏との朱書に、水野出羽守忠成の名を記す。先頭頁の出典を次頁の本文へ接続して整理する。本文は祝いの献…

  68. 追録7-No.1795 島津斉彬元服一件(表紙記録)

    白木御文書八番箱中四十一番の冊子について、若殿が文政四年3月4日に元服し、又三郎・忠方と称した旨を記す。内蔵から渡された御書付、その式の次第書、御用番への届書留を収めたとし、御記録所の記載を伴う。右の内容は一冊の表紙にある旨の注がある。後続の「の一」以下に個別の申渡し・届書・式次第等が続き、表紙には…

  69. 追録7-No.1796 松平乘保書状(歳暮奉書の受取案内)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。歳暮の奉書を渡すので、明日四時に家来を西丸へ差し出すよう榮翁へ通知する。朱書に文政四年、4月3日付、松平能登守署、松平榮翁宛。奉書の受取案内として、翌日の時刻と場所、家来を差し出す指示を保持する。

  70. 追録7-No.1797 重豪・忠久の忌法事の記事(淨光明寺)

    重豪公御譜中の記事で、斉興公御譜にもあるとする。この夏4月10日、道佛公の五百五十年忌法事を淨光明寺で修したと記す。道佛公には忠久の注がある。重豪は家老島津安房久備を遣わし、香奠金二百疋を献じたとする。年は前後の文政四年の配列による。法事の場所・忌年数と、重豪が派遣した使者・香奠の額を保持し、二百疋…

  71. 追録7-No.1798 斉宣・松平定信の田安邸会宴の記事

    斉宣公御譜の記事。文政四年辛巳4月23日、斉宣が招きに応じて田安邸へ赴いたと記す。前年庚辰11月、田安中納言斉匡が竹中定廬を遣わし、本文の田橋一位卿との親戚関係と、まだ招請の機会がなかったことに触れ、別日に招きたい旨を伝えた。田橋には一橋家の注がある。斉宣は謝意を述べ、定廬は帰った。翌年4月14日、…

  72. 追録7-No.1799 徳川家斉御内書(端午・帷子と単物)

    重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜んで覧たと榮翁へ伝え、詳しいことは阿部備中守が述べる旨を記す。朱書に文政四年、5月2日付、家斉公の墨印、松平榮翁宛。品名は帷子と単物で、本文に数量は示さない。

  73. 追録7-No.1800 酒井忠進書状(端午・帷子と単物の披露)

    前と同じ出典とする。端午の祝儀として使者をもって帷子・単物を献上した件は披露を遂げたと伝え、一段の御仕合であると述べる。朱書に文政四年、5月2日付、酒井若狭守忠進判、松平榮翁宛。先頭の出典注「全上」を次段の本文へ接続して整理する。同日付のNo.1799の御内書とともに端午の贈答に関わるが、この書状の…

  74. 追録7-No.1801 斉興の江府滞在と国元への命令の記事

    斉興公御譜中の記事。連年の国資の困難に加え、近年は大坂からの輸送の道も利益を得られず、その窮迫が参勤にまで及ぶとする。本年は国元にいる定期に当たるが、往来の諸費を省くため江府に滞在することを願いたいと述べる。自分が国に不在の期間が数年に重なっても、国元の家老はその意を体し、祖父と自分の命じるところに…

  75. 追録7-No.1802-1 島津斉興諭達(財政難・留守中の取締り・1802の1)

    白木御文書八番箱中四十二番にある、目録で斉興の諭達とする文書。連年やむを得ず「入價」が続き、所帯向きが難渋し、大坂表の繰合も極めて難しいと述べる。「重出米銀」も申し付け、領国中が困窮して一統の難儀が積もり、この二、三年は大坂への仕登せ・差繰も不都合で、係役が吟味しても積年の勤労に成果が見えないとする…

  76. 追録7-No.1802-2 島津斉興諭達(一門・家柄の勤向・1802の2)

    一門と家柄の者が年中の出仕にとかく参らない場合があることを問題とし、今後は江戸・国元を問わず精勤するよう命じる。とりわけ年若い者は、いずれ家格の勤めを申し付ける必要があるため、常に万事を慎み心得違いのないようにし、今から勤向もできるよう指導するとして、この趣旨を伝えるよう家老中へ求める。本文は五月、…

  77. 追録7-No.1803 春姫・晴姫系譜抄(御系図・養親の記載差)

    御系図の「斉興公御子」の見出しの下に、久光・男二人・女子の枝を示す。女子の項は春姫、幸姫、晴姫、晴雲院の名を列記し、有馬上総介頼永の夫人と記す。文政四年辛巳に「斉興養以為子」とする注がある。各名の列記と夫人の記載、養子の年と原表記を保持する。No.1804の近秘野抄は斉宣の養女と記し、No.1742…

  78. 追録7-No.1804 晴姫系譜抄(近秘野抄・養女と許嫁)

    近秘野抄の斉興公御子の項に属する女子晴姫の系譜。晴姫を有馬上総介頼永の室とし、頼永には筑後久留米二十一万石の注を付す。文政四年辛巳8月に斉宣の養女となったためここへ繋ぐとし、「実妹也」との注も記す。天保六年乙未3月17日に頼永との許嫁が認められたとする。本文の養女の年月、系譜上の位置付けと実妹の注、…

  79. 追録7-No.1805 阿部正精書状(鰹一箱献上の披露)

    阿部備中守正精から松平榮翁(島津重豪)への書状。今朝、鰹一箱を献上した件を将軍に披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。日付は六月二十二日で、文政四年は朱注。正精の判、朱記「在口裏」と官名・実名を伴う。重豪公御譜中に収め、正文は文庫にあるとの所在注を持つ。同日付のNo.1806は松…

  80. 追録7-No.1806 松平乗保書状(鰹一箱献上の披露)

    松平能登守乗保から松平榮翁(島津重豪)への書状。本文を「全上」としたうえで、今朝、鰹一箱を献上した件を西丸に披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。六月二十二日付で、文政四年は朱注。乗保の判があり、宛名は前項と同じ松平榮翁を指し、朱記「在口裏」の傍らに松平能登守と記す。同日付のNo…

  81. 追録7-No.1807 阿部正精書状(端午の御内書受領の登城通知)

    阿部備中守から松平榮翁(島津重豪)への通知。端午の御内書を渡すので、明日の五半時に家来を江戸城へ差し出すよう求める。六月二十四日付で、文政四年は朱注。署名は官名の阿部備中守のみで、正精の名は目録題名による。重豪公御譜中に収め、正文は文庫にあるとの所在注を持つ。御内書を渡す予定と家来の登城指示を記す通…

  82. 追録7-No.1808 青山忠裕書状(生誕祝いの黄金十両献上)

    青山下野守忠裕から松平榮翁(島津重豪)への書状。誕生の御祝儀として黄金十両を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。七月六日付で、文政四年は朱注。忠裕の判があり、朱記「在口裏」に官名・実名を添える。重豪公御譜中に収め、正文は文庫にあるとの所在注を持つ。祝いの対象となる誕…

  83. 追録7-No.1809 酒井忠進書状(生誕祝いの黄金十両献上)

    酒井若狭守忠進から松平榮翁(島津重豪)への書状。前頁末に「全上」とし、次頁で誕生の御祝儀として黄金十両を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。七月六日付で、文政四年は朱注。忠進の判があり、宛名は松平榮翁、朱記「在口裏」に酒井若狭守忠進の官名・実名を添える。前項No.1…

  84. 追録7-No.1810 島津重豪、御鷹の雲雀を拝領(目録は鶴)

    重豪公御譜の記事。今茲八月十五日、大家(将軍)が使番の伊奈熊蔵忠寛を芝邸へ遣わし、重豪に御鷹の雲雀を賜った。島津筑後守忠徹が重豪に代わって受け取ったと記す。年は文政四年の配列による。本文の鳥名は「雲雀」で、羽数は記されない。目録題は「重豪御鷹ノ鶴ヲ拝領ス」であり、本文との記載差を残す。過去の鶴拝領記…

  85. 追録7-No.1811 徳川家斉御内書(重陽祝いの小袖一重)

    家斉公の墨印を持つ、松平榮翁(島津重豪)宛の御内書。重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しくは土井大炊頭が述べると記す。九月十一日付で、文政四年は朱注。重豪公御譜中に収め、正文は文庫にあるとの所在注を持つ。小袖一重の贈答への応答として整理する。同日付のNo.1812は酒井忠進による使者の…

  86. 追録7-No.1812 酒井忠進書状(重陽祝いの小袖一重献上)

    酒井若狭守忠進から松平榮翁(島津重豪)への書状。上段末の「全上」に続き、下段で重陽の御祝儀として使者をもって小袖一重を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。九月十一日付で、文政四年は朱注。酒井若狭守忠進の署名と判があり、松平榮翁宛。No.1811の家斉御内書とは署名・…

  87. 追録7-No.1813 土井利厚書状(重陽の御内書受領の登城通知)

    土井大炊頭から松平榮翁(島津重豪)への通知。重陽の御内書を渡すので、明日の五半時に家来を江戸城へ差し出すよう求める。十月二十日付で、文政四年は朱注。署名は官名の土井大炊頭のみで、利厚の実名は目録題名による。重豪公御譜中に収め、正文は文庫にあるとの所在注を持つ。九月十一日付の御内書とは作成日を分け、こ…

  88. 追録7-No.1814 貢姫縁組願一件(戸沢千代鶴との縁組・祝品・答礼)

    重豪公御譜中に収め、正文は文庫にある「お貢縁組願一件」。十一月二十三日付で、松平豊後守の叔母(重豪の女と注記)と、新庄藩主戸沢正胤と注す大和守の嫡子・戸沢千代鶴(能登守正令と注記)との縁組を願う。縁組のうえ大和守方へ差し遣わし、追って婚姻を整えたいとする願書であり、この日を婚礼実施日とはしない。年は…

  89. 追録7-No.1815 孝姫縁組覚書(婚姻届・翌朝の引越し・大奥寄合)

    重豪公御譜中に収め、正文は文庫にある孝姫の縁組覚書。十一月十九日、重豪の女と注す「お孝」の婚姻について双方からの届が済んだので、八丁堀の松平越中守屋敷へ引き移り、その後は折節の逗留などのためこちらへ遣わすと記す。松平越中守側からは、松平豊後守の叔母を翌朝自方へ引き取るとの届を出し、松平豊後守(島津斉…

  90. 追録7-No.1816 町田久視ほか三名連署書状(国王の年首祝い)

    新納内蔵・市田長門・嶋津安房・町田監物から三司官への連署書状。国王の尊書を拝見し、大御隠居への年首祝儀として目録のとおり差し上げた品が江府へ到着したので披露したところ、御満足の思召しであったと伝える。この旨を伝達するよう求め、謹言で結ぶ。十二月九日付で、文政四年は朱注。署名の官名に久命・義宜・久備・…

  91. 追録7-No.1817 町田久視ほか三名連署書状(太守礼席等の祝意)

    新納内蔵・市田長門・嶋津安房・町田監物から三司官への連署書状。国王の尊書を拝見し、太守が御礼席等について仰せを受けたことへの祝儀として、識名親方をもって大御隠居へ太刀一腰・馬代黄金十両および目録のとおりの品を差し上げた件を述べる。江府へ到着した献上物を披露すると御満悦であったので、この旨を伝達するよ…

  92. 追録7-No.1818 町田久視ほか三名連署書状(国政介助辞退と心添え)

    新納内蔵・市田長門・嶋津安房・町田監物から三司官への連署書状。国王の尊書を拝見し、大御隠居の国政介助を断った件が上聞に達したところ、老年まで格別に心を添える件も一段のことである旨の沙汰があったことへの祝儀を述べる。識名親方が申し上げた書状の趣を江府へ到着後に披露し、この旨を伝達するよう求め、謹言で結…

  93. 追録7-No.1819 町田久視ほか三名連署書状(苗姫の離縁届の機嫌伺い)

    新納内蔵・市田長門・嶋津安房・町田監物から三司官への連署書状。国王の尊書を拝見し、苗姫(斉宣の女と注記)の縁組の離縁を届けた件について、大御隠居の御機嫌を伺う書状の趣を、識名親方が申し上げたので江府で披露したと伝える。この旨を伝達するよう求め、謹言で結ぶ。本文は苗姫の離縁届に対する機嫌伺いを伝えるも…

  94. 追録7-No.1820 町田久視ほか三名連署書状(珍之助死去の機嫌伺い)

    新納内蔵・市田長門・嶋津安房・町田監物から三司官への連署書状。国王の尊書を拝見し、珍之助(斉興の男と注記)の死去について、大御隠居の御機嫌を伺う書状の趣を識名親方が申し上げたので江府で披露したと伝える。この旨を伝達するよう求め、謹言で結ぶ。死亡日、年齢、死因、弔問品や香奠の品目・数量は本文に記されず…

  95. 追録7-No.1821 町田久視ほか三名連署書状(瑞姫死去の機嫌伺い)

    新納内蔵・市田長門・嶋津安房・町田監物から三司官への連署書状。国王の尊書を拝見し、瑞姫(斉宣の女と注記)の死去について、大御隠居の御機嫌を伺う書状の趣を識名親方が申し上げたので江府で披露したと伝える。この旨を伝達するよう求め、謹言で結ぶ。開始部の瑞姫と斉宣女の注、次頁の大御隠居への機嫌伺い・識名親方…

  96. 追録7-No.1822 町田久視ほか三名連署書状(唯七郎死去の機嫌伺い)

    新納内蔵・市田長門・嶋津安房・町田監物から三司官への連署書状。本文を「全上」としたうえで、国王の尊書を拝見し、唯七郎(斉興の男と注記)の死去について、大御隠居の御機嫌を伺う書状の趣を識名親方が申し上げたので江府で披露したと伝える。この旨を伝達するよう求め、謹言で結ぶ。十二月九日付で、文政四年は朱注。…

  97. 追録7-No.1823 青山忠裕書状(鰹節一箱献上の披露)

    青山下野守忠裕から松平榮翁(島津重豪)への書状。今朝、鰹節一箱を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。十二月十六日付で、文政四年は朱注。忠裕の判があり、朱記「在口裏」の傍らに官名・実名を添える。重豪公御譜中に収め、正文は文庫にあるとの所在注を持つ。原本の宛名は松平榮翁…

  98. 追録7-No.1824 松平乗保書状(鰹節一箱献上の披露)

    松平能登守乗保から松平榮翁(島津重豪)への書状。本文を「全上」としたうえで、今朝、鰹節一箱を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。十二月十六日付で、文政四年は朱注。乗保の判があり、朱記「在口裏」に松平能登守乗保の官名・実名を添える。原本の宛名は松平榮翁であり、入力概要…

  99. 追録7-No.1825 徳川家斉御内書(歳暮祝いの小袖一重)

    家斉公の墨印を持つ、松平榮翁(島津重豪)宛の御内書。歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しくは青山下野守が述べると記す。十二月二十七日付で、文政四年は朱注。前頁末の重豪公御譜中の出典表示から次頁の正文在文庫注・本文・印・宛名までを一通として確認した。宛名は松平榮翁であり、入力概要の松平薩…

  100. 追録7-No.1826 松平乗保書状(歳暮祝いの小袖一重献上)

    松平能登守乗保から松平榮翁(島津重豪)への書状。本文を「全上」としたうえで、歳暮の祝儀として使者をもって小袖一重を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであったと伝え、謹言で結ぶ。十二月二十七日付で、文政四年は朱注。松平能登守乗保の署名と判があり、宛名は松平榮翁。入力概要の小袖二重を一重、松平薩…