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追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 1201~1300件・13 / 30ページ

  1. 追録7-No.1045 斉彬系譜(呼称・官位・実生日と対外誕生日、母の系譜)

    御系図中、斉彬を掲げ、初忠方、邦丸、又三郎、兵庫頭、豊後守、修理大夫、薩摩守の呼称と、従四位下侍従、従四位上左近衛中将、贈権中納言・従三位・贈従一位の官位を列記する。実際は文化6年己巳9月28日江府芝邸に生まれ、文化9年に邦丸を当年3歳として大家へ告げ世子としたとの注。続く注は内外には文化7年庚午2…

  2. 追録7-No.1046 土井大炊頭書状(重陽御内書の翌日五半時受取)

    重陽の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう通知する。10月廿日、土井大炊頭、松平榮翁宛、文化6年朱注、重豪公御譜中・正文在文庫。通知日・受取予定・家来登城を分け、重豪本人の登城済みとしない。

  3. 追録7-No.1047 安藤對馬守書状(重陽西丸奉書の翌日四時受取)

    重陽の奉書を渡すので、明日四時に西丸へ家来を差し出すよう通知する。11月3日、安藤對馬守、松平榮翁宛、文化6年朱注、重豪公御譜中・正文在文庫。1046の御城五半時・御内書とは受取先・時刻・文書種を分ける。

  4. 追録7-No.1048 大信公の女子寿姫・孝姫系譜(母・婚姻・死去・法号)

    大信公御子・女子の見出し、寿姫・孝姫・柔正院と掲げる。文化6年己巳11月21日江府に生まれ、母は松平藤十郎家臣谷周右衛門政相の女。松平越中守定和の夫人となり、夫には初奥州白河城主・後勢州桑名城主との注。文久2年壬戌5月16日死去、法号は柔正院殿通響端相慈好大姉と記す。出生・母の関係、夫と城主移動、死…

  5. 追録7-No.1049 近秘記事の寿姫・孝姫(改名・許嫁・入氏と婚礼を分ける)

    寿姫・孝姫、松平近江守定和夫人と掲げ、定和には越中守定永嫡男・小字永太夫郎・勢州桑名城主十一万石の注を付す。文化6年己巳11月21日高輪邸に生まれ、母は谷周右衛門政相の女。文化12年乙亥12月に孝姫と改名、15年戊寅正月に松平永太郎主への許嫁を記す。文政4年辛巳12月朔日、松平氏に適し、同10年丁亥…

  6. 追録7-No.1050 松平信明書状(大納言婚礼後の祝儀献上)

    大納言の婚礼が済んだので祝儀として使者により目録どおり献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。12月2日、信明判、文化6年朱注。次頁の松平榮翁宛と朱口裏松平伊豆守信明を連結する。本文にない献品の明細数量は別記事から補わず、同日の1051安藤返書と分ける。

  7. 追録7-No.1051 安藤信成書状(大納言婚礼後の祝儀献上)

    大納言の婚礼が済んだので祝儀として使者により目録どおり献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。12月2日、信成判、松平榮翁宛、朱口裏安藤對馬守信成、文化6年朱注、全上。1050と同日同用件でも署判・口裏が異なる独立書状として保持し、目録明細を推測転記しない。

  8. 追録7-No.1052 家慶・御簾中からの干鯛と樽拝領、斉興の代奉謝礼

    同年冬12月4日、家慶が使者松平壱岐守定剛を、御簾中が使者萩原金十郎を芝邸へ遣わし、重豪へそれぞれ干鯛1箱・御樽1荷を賜った。定剛には奏者、金十郎には実名闕・広敷用人との注。斉興が代わって恩旨を奉じ、ただちに老中の各邸へ謝礼した。家慶の婚儀が整ったためこの賜物があったと結ぶ。贈り手二人別の同品・同量…

  9. 追録7-No.1053 青山忠裕書状(今朝鰹節一箱献上)

    今朝、鰹節1箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。12月15日、忠裕判、松平榮翁宛、朱口裏に青山下野守忠裕、文化6年朱注。前頁重豪公御譜中の見出しと次頁正文在文庫・本文を連結する。鰹節を鰹1尾へ変えず、同日の別差出人の書状と分ける。

  10. 追録7-No.1054 安藤信成書状(今朝鰹節一箱献上)

    今朝、鰹節1箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。12月15日、信成判、松平榮翁宛、朱口裏に安藤對馬守信成、文化6年朱注。全上の出典表示。鰹節を鰹1尾へ変えず、同日の別差出人の書状と分ける。

  11. 追録7-No.1055 家老四名返書(操姫縁組祝儀の江府披露と満悦伝達)

    國王の尊書を拝見し、操姫の縁組が命じられた祝儀として、知念親方から目録どおり大御隠居へ差し上げた品を江府で披露したところ、大いに満悦されたので伝達するよう求める。12月15日、文化6年朱注、全上・写正文在琉球国司。島津登(久兼注)・頴娃信濃(久喬注)・島津安房(久備注)・島津将監(久泰注)、各実名判…

  12. 追録7-No.1056 家老四名返書(隨姫の縁組願いへの祝儀)

    國王の尊書を拝見し、隨姫の縁組が願いどおり命じられたことへの祝儀として、知念親方から目録どおり大御隠居へ差し上げた品を江府で披露したところ、大いに満悦されたので伝達するよう求める。12月15日、文化6年朱注、全上。前頁の本文・登と信濃の署表示、次頁の安房・将監と讀谷山王子・三司官宛を連結する。各署に…

  13. 追録7-No.1057 家老四名返書(於寶と肝付米鶴の縁組祝儀)

    國王の尊書を拝見し、於寶が肝付米鶴へ縁組を命じられたことへの祝儀として、知念親方から目録どおり大御隠居へ差し上げた品を江府で披露したところ、大いに満悦されたので伝達するよう求める。12月15日、文化6年朱注、全上。登・信濃・安房・将監の四署、各実名判の表示、讀谷山王子・三司官宛。於寶と米鶴の縁組申渡…

  14. 追録7-No.1058 家老四名返書(大御隠居への年首祝儀目録品)

    國王の尊書を拝見し、大御隠居へ年首祝儀として目録どおり差し上げた品を江府で披露したところ、満足に思われたので伝達するよう求める。12月15日、文化6年朱注、全上。登・信濃・安房・将監四署、各実名判の表示、讀谷山王子・三司官宛。12月の年首祝儀返書である原日付を保ち、翌年正月に作成されたと推定変更しな…

  15. 追録7-No.1059 家老四名返書(櫻田屋敷長屋焼失への見舞紙上)

    國王の尊書を拝見し、舊臘に櫻田屋敷の長屋が焼失したことについて、大御隠居の機嫌を伺う見舞いとして知念親方から差し上げた紙上を江府で披露した旨を返し、伝達するよう求める。12月15日、文化6年朱注、全上。登・信濃の署表示と次頁の安房・将監、讀谷山王子・三司官宛を連結し、各署の実名判表示を確認。火災の具…

  16. 追録7-No.1060 家老四名返書(去年出生の於寶の命名・出生祝儀)

    國王の尊書を拝見し、去歳女子が出生して於寶と名付けられたことについて、大御隠居へ祝儀として差し上げた紙上を江府で披露した旨を返す。12月15日、文化6年朱注、全上。登・信濃・安房・将監の四署、各実名判の表示、讀谷山王子・三司官宛。出生・命名が去歳、返書が文化6年であることを分け、1057の縁組祝儀と…

  17. 追録7-No.1061 家老四名返書(櫻田長屋火災に伴う差扣・遠慮解除)

    國王の尊書を拝見し、櫻田屋敷の長屋焼失により御隠居が差扣、その上に遠慮を命じられたが、ほどなく免じられたので、大御隠居へ祝意として差し上げた紙上を江府で披露した旨を返す。12月15日、文化6年朱注、全上。登・信濃・安房・将監の四署、各実名判の表示、讀谷山王子・三司官宛。処置を受けた御隠居と、紙上を披…

  18. 追録7-No.1062 重豪御譜(斉興少将任官と重豪の進上・女使謝礼)

    同年12月16日、斉興が命を受け登営し、老中から左近衛少将任官を伝えられ拝礼して退出、西営と老中各邸でも礼を行った。重豪も老中・若年寄の各邸へ使者を遣わした。28日、斉興が登営して白書院で大家にまみえ、品物を献じ任官を謝した。重豪も志岐休之進を城へ遣わし、檜之間で大家へ巻物5・二種一荷、御臺へ一種一…

  19. 追録7-No.1063 斉興任官宣旨(上卿六条・藤原隆純奉)

    旧御番所御文書三番箱中。上卿六条大納言、文化6年12月16日宣旨と掲げ、侍従源斉興を左近衛権少将に任じる旨を記す。蔵人頭右近衛権中将藤原隆純奉。口裏に口宣案、右一通の表示。任官対象・任官名・上卿と奉者を分け、日付を後日の謝礼日へ移さず、次の有庸宣・中原奉者の命令文と独立に保持する。

  20. 追録7-No.1064 斉興任官命令文(源有庸宣・中原師賛奉の表示)

    侍従源朝臣斉興と掲げ、正二位行権大納言源朝臣有庸が宣し、勅を奉じて件人を左近衛権少将に任じるよう命じる。文化6年12月16日、大外記兼掃部頭造酒正中原朝臣師賛奉との表示を原表記で採録する。1063と同日の任官関係文だが、宣する者・奉者と文型を別に保持し、1063の藤原隆純を本件奉者へ移さない。

  21. 追録7-No.1065 上卿職事等書付(六条大納言・鷲尾頭中将・薩摩少将)

    印刷1065には上卿六条大納言、職事鷲尾頭中将、薩摩少将と、左右に右一通の注記を掲げる。本文の任官命令や署年月日は掲載しない。原本右端にも注記がある。1063・1064の正文とは別の取扱人・外題表記として記録し、外題だけで新たな任官日や正文を作らない。

  22. 追録7-No.1066 青山下野守忠裕書状(虎千代の紀伊殿養子祝儀鯛一折)

    虎千代が紀伊殿の養子と命じられたことへの祝儀として鯛1折を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。12月廿七日、忠裕判、松平榮翁宛、朱口裏青山下野守忠裕、文化6年朱注。重豪公御譜中・正文在文庫。養子命令の祝儀を婚礼や出生祝いへ変えず、差出人を献上主体としない。

  23. 追録7-No.1067 安藤對馬守信成書状(虎千代の紀伊殿養子祝儀鯛一折)

    虎千代が紀伊殿の養子と命じられたことへの祝儀として鯛1折を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。12月廿七日、信成判、松平榮翁宛、朱口裏安藤對馬守信成、文化6年朱注。全上、次段の宛名と口裏を連結。養子命令の祝儀を婚礼や出生祝いへ変えず、差出人を献上主体としない。

  24. 追録7-No.1068 徳川家斉内書(歳暮小袖一重到来)

    歳暮祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、委曲は青山下野守が述べると伝える。12月廿七日、家斉公墨印の表示、松平榮翁宛、文化6年朱注。重豪公御譜中・正文在文庫。将軍内書と同日1069安藤返書の役割を分ける。

  25. 追録7-No.1069 安藤信成書状(歳暮小袖一重献上)

    歳暮祝儀として使者により小袖一重を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。12月廿七日、安藤對馬守信成判、松平榮翁宛、文化6年朱注、全上。差出人が自分で献上したとしない。

  26. 追録7-No.1070 重豪進上品明細(公方・大納言・御臺・御簾中)

    重豪公御譜中・扣正文在文庫、進上。公方へ縮緬5巻・干鯛1箱・昆布1箱・御樽1荷、大納言へ干鯛1箱・昆布1箱・御樽1荷を掲げ、松平榮翁重豪署を付す。仮名書きの進上は干たい1はこ・御たる1かを記し、次段の御臺様にの宛先表示へ続く。御簾中様へは干たい1はこ、松平榮翁しけ豪と記す。朱注は太守の任官御礼の際、…

  27. 追録7-No.1071 重豪生鯛進上明細(公方大納言各一折・女使贈品)

    扣正文在文庫、進上。公方・大納言へ鯛各1折を掲げ、松平榮翁重豪署。仮名書きはしん上・たい各1おりと記し、次頁の御臺様・御簾中様に、松たいら榮翁しけ豪署へ連結する。朱注は御内証から同様の贈品を女使により献上したことを記し、末尾に文化6年朱注を付す。1070の表向き使者による干鯛・樽等と、本件の生鯛各折…

  28. 追録7-No.1072 重豪続書并公辺届振一巻帳(親族忌服・嫡子届と文化6年の再吟味)

    白木御文書七番箱72番。文化6年、御記録所の「御隠居様御事瑤林院江之御続合、於江戸御吟味之上以後公邊御届振被究置一巻帳」の蓋紙を付す。文化4年4月2日、榮翁の母方叔父嶋津美作(貴澄・垂水家)が国元で先月5日に死去したため、続半減の忌服を届ける。忌5日・3月5~9日、服15日・3月5~19日、日数が過…

  29. 追録7-No.1073 土井大炊頭利厚書状(若菜祝儀鯛一折)

    若菜の祝儀として鯛1折を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える。正月7日、利厚判、松平榮翁宛。朱口裏に土井大炊頭利厚、文化7年朱注。重豪公御譜中・正文在文庫。差出人が鯛の贈り手であるとせず、披露に対する返書として整理する。

  30. 追録7-No.1074 安藤對馬守信成書状(若菜祝儀鯛一折)

    若菜の祝儀として鯛1折を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える。正月7日、信成判、松平榮翁宛。朱口裏に安藤對馬守信成、文化7年朱注。全上の見出しは上段、正文・署宛は下段に続く。差出人が鯛の贈り手であるとせず、披露に対する返書として整理する。

  31. 追録7-No.1075 斉興伺書(鹿児島城板橋を石橋へ掛替)

    白木御文書七番箱48番。薩摩国鹿児嶋城の橋1か所は長8間・横3間3尺の板橋で、度々朽損するため修復の際に石橋にしたいと絵図を添えて伺う。正月9日、松平豊後守(斉興注)署。張紙は勝手次第に致すべき旨を示し、御書附1通には国元の御城の橋が朽損し修復時に石橋としたい件を御用番土井大炊頭用人河村理兵衛から申…

  32. 追録7-No.1076 斉興御譜(芝邸で初の吉書式を行う)

    文化7年庚午正月11日、江府芝邸で初めて吉書式を行う。斉興は襲封後初めての年首を迎え、右筆に書かせ自ら花押を作り、父祖の例に従った。以来、国元・江戸のどちらにいても毎年年首のこの日に行い、後にも倣ったと記す。式の実施・花押・年々の継続を記す御譜記事として整理し、次1077の三条正文と分ける。

  33. 追録7-No.1077 斉興吉書(社寺修造・勧農・年貢)

    白木御文書七番箱中、吉書。神社佛閣の修造興行、農事に専ら励むこと、国々の年貢の徴納の三条を掲げ、この三条の旨に従って沙汰するよう命じる。文化7年正月11日、斉興御判。上包は斉興公御吉書1通・47番、文化7午3月朔日に安房から白尾齊藏へ渡し七番箱収納の表示。本文の日付と後日の受渡・収納を分け、1076…

  34. 追録7-No.1078 土井大炊頭利厚書状(年頭太刀一腰・御馬代黄金十両)

    年頭祝儀として使者により太刀1腰・御馬代黄金10両を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。正月11日、利厚判、松平榮翁宛。朱口裏に土井大炊頭利厚、文化7年朱注。重豪公御譜中・正文在文庫。太刀・馬代の数量と書状日を保持し、1073・1074の若菜祝儀鯛1折と区別する。

  35. 追録7-No.1079 安藤對馬守信成書状(年頭太刀一腰・御馬代黄金十両)

    年頭祝儀として使者により太刀1腰・御馬代黄金10両を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。正月13日、信成判、松平榮翁宛。朱口裏に安藤對馬守信成、文化7年朱注。全上。太刀・馬代の数量と書状日を保持し、1073・1074の若菜祝儀鯛1折と区別する。

  36. 追録7-No.1080 斉興御譜(楼門前橋の石橋掛替許可と貫明公法事)

    文化7年庚午正月、従来鹿児島城楼門前の橋は板で架けていたが、度々壊れるため石に替えたいと幕府に申し出て允許を得たと記す。次の丸印以下は別件で、同月、貫明公(島津義久注)の200年忌法事を妙谷寺で3日間、19~21日に修したと述べる。細字の法事説明は、先に寛政5年に祖宗の祭祀法を議定し、五十年忌以後の…

  37. 追録7-No.1081 斉興御譜(千眼寺へ田禄百五十石を付す)

    先に大父公が千眼寺を再建し、金若干を付したものの資用が足りなかった。そこで本月26日、斉興がさらに田禄150石を付して寺費に充てたと記し、大父公の意向によると説明する。上段の見出しと不足事情を下段の追加田禄・日付・意向へ連結する。金若干の金額は不記載で補わない。1082重豪御譜にも同月26日・田禄1…

  38. 追録7-No.1082 重豪御譜(貫明公二百年忌香奠と千眼寺再建援助)

    文化7年庚午正月21日、妙谷寺で貫明公200年忌法事を3日、19~21日に修した際、重豪も家老頴娃信濃久喬を遣わし、香奠金200疋を献じ代拝させた。割書は祖先遠忌の費用について、官庫から祭費を出す場合と寺主が寺役法事を行う場合、1日又は3日などの違いを説明する。重豪は記録奉行に論じさせ、大中公・貫明…

  39. 追録7-No.1083 頴娃信濃久喬申渡(千眼寺百五十石と代官受渡)

    全上、扣正文在家老座。高150石、千眼寺。従来付け置かれた御銀では年々の入料に足りず寺務等が難渋するため、今回取揚高の内から右の高を付けると記す。従来の御銀利足に加え、今後継続できるよう計らうこと、これ以上の上訴や訴えがましい申出は取り上げないことを指示する。高の所務は壽国寺続料の所務を渡す仕向と同…

  40. 追録7-No.1084 重豪御譜(芝邸で御鷹の鶴を拝領)

    今茲春2月15日、大家が使者横田源太郎を芝邸へ遣わし、重豪へ御鷹の鶴を賜った。源太郎の実名は闕との注。斉興が恩旨を代奉し、ただちに両営へ登って拝恩、老中各邸にも謝礼したと記す。拝領者重豪と代奉・謝礼をする斉興を分け、次1085の斉興自身の拝領記事と混同しない。鶴の数量は記されない。

  41. 追録7-No.1085 斉興御譜(石野新左衛門が御鷹の鶴を届ける)

    2月18日、上使石野新左衛門によって御鷹の鶴を賜った。斉興が襲封後初めて賜ったことを記す。1084の2月15日重豪宛拝領・斉興代奉謝礼と、本件の2月18日斉興自身の拝領を別に扱う。鳥の数量や本件の具体の受取場所は本文に記されず補わない。

  42. 追録7-No.1086 青山忠裕書状(翌日五半時に家来を御城へ)

    重豪公御譜中・正文在文庫。歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ差し出すよう知らせる。文化7年朱注、2月廿日、青山下野守(忠裕注)署、松平榮翁宛。上段の出典表示から下段正文へ連結する。書状日2月20日と翌日の受取予定を分け、歳暮という用件を年頭に書き替えない。

  43. 追録7-No.1087 光格天皇女房奉書(薩摩少将の黄金百両・御きぬ三十疋)

    旧御番所御文書三番箱中。さつまの少将から、今回の昇進の御礼として黄金100両・御きぬ30疋を進上したことを披露したところ、面白く思し召した旨を伝える。よく心得て申し伝えるようにとの指示を受け、御いまの御つほねへ知らせる形の奉書で、かしくと結ぶ。口裏に文化7年3月15日の表示。目録は光格天皇女房奉書と…

  44. 追録7-No.1088 斉彬系譜抄(忠方・邦丸・又三郎・兵庫頭と出生注)

    近秘野呂中、斉彬公。世子、名斉彬、初名忠方、小字邦丸、又三郎と称し、さらに兵庫頭と改めたと記す。上段の名乗りを次頁の豊後守へ連結する。文化7年庚午3月28日、芝邸で生まれたとする本文に、実は前年9月28日との分注を付し、母は因州鳥取の松平相模守治道の女、名は弥姫と記す。本件の対外日付は3月28日で、…

  45. 追録7-No.1089 安房久備申渡(寛二郎を嶋津若狭の養子とする)

    白木御文書七番箱49番。寛二郎が今日、嶋津若狭(忠貫注)の養子に仰せ付けられたので、その旨を帳面に記しておくよう御記録奉行へ命じる。4月、安房(島津久備注)署。包紙は文化7午4月廿七日、興倉孫右衛門へ渡し、白木御文書七番箱に収納と記す。正文の4月・今日と包紙27日を別に保持し、寛二郎の出生家や実父・…

  46. 追録7-No.1090 中山王尚灝起請文前書(三条、神文略)

    白木御文書七番箱57。敬白・天罰霊社起請文之事。第一条は先国王の跡職を仰せ付けられ、筋目を変えずこの国を相続できることへの厚恩を生涯忘れないと誓う。第二条は琉球安泰が貴国の恩によると述べ、たとえ親子兄弟がその恩を忘れ逆意を企てても、自分たちは貴国の下知を堅く守り、毛頭別心を持たないと誓う。第三条は霊…

  47. 追録7-No.1091 徳川家斉御内書(端午帷子単物到来)

    重豪公御譜中・正文在文庫。端午祝儀として帷子単物が到来したことを喜び、委曲は牧野備前守が述べると伝える。5月2日、家斉公墨印の表示、松平榮翁宛、文化7年朱注。到来品の数量は記されず一重などを補わない。次1092の大納言宛献上披露と、こちらの家斉内書を別に保持する。

  48. 追録7-No.1092 牧野忠精書状(大納言宛帷子単物献上)

    全上。端午祝儀として大納言様へ使者により帷子単物を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。下段の冒頭から次頁の結び・5月2日付・牧野備前守忠精判・松平榮翁宛へ連結する。文化7年朱注。献上先大納言と差出人牧野・宛先榮翁を分け、1091家斉内書の贈品と同じ献上先だとしない。品の数量は不…

  49. 追録7-No.1093 讀谷山王子朝救起請文前書(摂政職と忠義の誓約)

    白木御文書七番箱50番、霊社神文前書之事。第一条は摂政役に仰せ付けられたことへの謝意。第二条は斉興・重豪・斉宣へ毛頭逆意を抱かず忠義に励むこと。第三条は国王への疎略な志を持たず、国中・附嶋に至るまで政道を正しく行い、邪欲で国法を乱さないこと。第四条は悪逆の者が出た時は国中が同調しても自分は同意せず披…

  50. 追録7-No.1094 與那原親方良應起請文前書(三司官奉公・国法遵守)

    白木御文書七番箱52番。敬白・天罰霊社起請文前書之事。三司官役に仰せ付けられたので、御国許への奉公をいっそう心掛けて勤めると誓う。斉興・重豪・斉宣へ毛頭疎意を抱かないこと、御国許から下された諸事の条書を堅く守り、悪意・邪儀を企てる者があれば披露することを述べる。国王へ別心なく忠勤すること、国中の掟・…

  51. 追録7-No.1095 嵩原親方安執起請文前書(三司官奉公・国法遵守)

    全上包内。敬白・天罰霊社起請文前書之事。三司官役に仰せ付けられたので、御国許への奉公をいっそう心掛けて勤めると誓う。斉興・重豪・斉宣へ毛頭疎意を抱かないこと、御国許から下された諸事の条書を堅く守り、悪意・邪儀を企てる者があれば披露することを述べる。国王へ別心なく忠勤すること、国中の掟・諸事を親疎によ…

  52. 追録7-No.1096 重豪御譜(伊能忠敬・坂部貞兵衛の二班測量)

    天文方伊能勘解由(忠敬注)・坂部貞兵衛(惟道注)が諸国を測量しており、各御目見以下の注を付す。今茲夏5月8日、領内の志布志に入り、福山に至って二班となって各所を測量した。9月2日、貞兵衛が加久藤から肥後人吉へ向かい、同18日、勘解由が長島から出境して去ったと記す。詳細は斉興譜を見よとし、斉興公譜は全…

  53. 追録7-No.1097 佐渡山親方安春起請文前書(三司官奉公・国法遵守)

    白木御文書七番箱51番。敬白・天罰霊社起請文前書之事。三司官役に仰せ付けられたので、御国許への奉公をいっそう心掛けて勤めると誓う。斉興・重豪・斉宣へ毛頭疎意を抱かないこと、御国許から下された諸事の条書を堅く守り、悪意・邪儀を企てる者があれば披露することを述べる。国王へ別心なく忠勤すること、国中の掟・…

  54. 追録7-No.1098 牧野忠精書状(翌日五半時に家来を御城へ)

    重豪公御譜中・正文在文庫。端午の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ差し出すよう通知する。6月廿四日、牧野備前守署、松平榮翁宛、文化7年朱注。目録標題は牧野忠精書状。書状日と翌日出頭予定、端午という内書の用件を分け、五月の献上返書と混同しない。

  55. 追録7-No.1099 松平伊豆守信明書状(今朝鰑一箱献上)

    重豪公御譜中・正文在文庫。今朝、鰑1箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。6月廿七日、信明判、松平榮翁宛、朱口裏に松平伊豆守信明、文化7年朱注。品名は魚偏に昜の鰑という掲載字形で採録し、外部の品名知識から別字や現代名へ置換しない。差出人自身が献上したという主体の取り違えを避け…

  56. 追録7-No.1100 松平能登守乘保書状(今朝鰑一箱献上)

    全上。今朝、鰑1箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。6月廿七日、乘保判、松平榮翁宛、朱口裏に松平能登守乘保、文化7年朱注。品名は魚偏に昜の鰑という掲載字形で採録し、外部の品名知識から別字や現代名へ置換しない。差出人自身が献上したという主体の取り違えを避け、1098内書受取通…

  57. 追録7-No.1101 牧野備前守忠精書状(生見玉御祝儀黄金十両)

    重豪公御譜中・正文在文庫。生見玉の御祝儀として黄金10両を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。7月6日、忠精判、松平榮翁宛。本文脇の文化7年の表示と目録の年を照合。朱口裏に牧野備前守忠精。祝儀名生見玉と金額・日付を保ち、本文に記されない祝儀対象の実名や奉祝理由を補わない。

  58. 追録7-No.1102 松平能登守乘保書状(生見玉御祝儀黄金十両)

    全上。生見玉の御祝儀として黄金10両を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。7月6日、乘保判、松平榮翁宛。文化7年朱注、次頁に続く宛名・朱口裏の松平能登守乘保を連結。祝儀名生見玉と金額・日付を保ち、本文に記されない祝儀対象の実名や奉祝理由を補わない。

  59. 追録7-No.1103 重豪御譜(雲雀拝領と恕翁公法事香奠)

    同年秋8月6日、大家が榊原左衛門を芝邸へ遣わし重豪へ御鷹の雲雀を賜った。使者の実名は闕との注。斉興が恩旨を代奉し、即日老中各邸へ謝礼した。丸印以下は別件で、同日、恕翁公(島津元久注)400年忌法事を福昌寺で3日、4~6日に修し、重豪も家老頴娃信濃久喬を遣わし香奠金200疋を献じ代拝させた。割書は桃蘭…

  60. 追録7-No.1104 斉興御譜(桑山十郎左衛門から雲雀を拝領)

    8月7日、上使桑山十郎左衛門によって斉興へ御鷹の雲雀を賜ったと記す。1103の前日・榊原左衛門による重豪宛拝領と、本件の斉興本人への拝領を別に保持する。使者の実名・鳥の数量・具体の受取場所は本件に記されず補わない。

  61. 追録7-No.1105 斉興御譜(若年の斉興を重豪が助けるよう幕府が配慮)

    斉興が襲封後初めて下国するとの記述に続き、なお若年なので大父公が斉興の聴政を助けるべきで、深く注意すべきだと幕府老中が議した旨を記す。御用番老中土井大炊頭利厚がその意向を有馬左兵衛佐譽純へ通じ、譽純が大父公へ伝えたと述べ、幕府側の配慮が厚いと評する。本文に具体の月日がなく、実際の帰国日や重豪の介助許…

  62. 追録7-No.1106 徳川家斉御内書(重陽小袖一重到来)

    重豪公御譜中・正文在文庫。重陽祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、委曲は松平伊豆守が述べると伝える。9月2日、家斉公墨印の表示、松平榮翁宛、文化7年朱注。目録は1106徳川家斉御内書だが、原本下段の印刷見出しは1105。上段の斉興聴政記事も1105とされ番号が重複するため、入力1106を保持して…

  63. 追録7-No.1107 松平乘保書状(重陽小袖一重献上)

    全上。重陽祝儀として使者により小袖一重を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。9月2日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛、文化7年朱注。1106の内書到来と本件献上披露を、別の差出・文型の文書として保持する。

  64. 追録7-No.1108 松平信明書状(翌日五半時に家来を御城へ)

    重豪公御譜中・正文在文庫。重陽の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ差し出すよう通知する。10月廿四日、松平伊豆守署、松平榮翁宛、文化7年朱注。目録標題は松平信明書状。書状日と翌日の出頭予定、重陽という用件を分け、9月2日の献上返書と混同しない。

  65. 追録7-No.1109 将監久泰申渡(言動・尊卑作法と違背者の取締)

    当地に居住する郷士ら諸與・與力にふさわしくない言動、辻歌、尊卑のわきまえが薄い無礼があるとし、従来の申渡しをさらに慎むよう命じる。前文の件に関連する共同の会合はしないよう支配頭等からよく申し渡すこと。足軽・家来・寺門前の者等が異様な身なりで徘徊したり士に紛れたりする件も、先年来申渡したのに守らない者…

  66. 追録7-No.1110 嶋津家老四署返書(大御隠居への年首祝儀)

    重豪公御譜中・写正文在琉球国司。国王様の尊書を拝見し、大御隠居様へ年首祝儀として目録のとおり差し上げた品が江府へ到着して披露したところ、御満足の思し召しであったと伝える。この旨を国王側へ伝えるよう求める。11月9日、四署の各実名判表示、讀谷山王子・三司官宛、文化7年朱注。上段冒頭を下段の用件・署宛へ…

  67. 追録7-No.1111 嶋津家老四署返書(隠居家督と修理大夫改名祝い)

    全上。国王様の尊書を拝見し、去歳の御隠居・御家督が願いどおり命じられ、御隠居様(島津斉宣注)が修理大夫と改名したことへの祝儀を述べる。本部王子をもって大御隠居様へ太刀1腰・御馬1疋および目録のとおり差し上げた品が江府へ到着し、披露すると御満足であったと返す。11月9日、嶋津登の署は前頁、残る三署の各…

  68. 追録7-No.1112 嶋津家老四署返書(太守結納・婚姻祝い)

    全上。国王様の尊書を拝見し、太守様の結納・婚姻の首尾がよく整ったことへの祝儀として、當間親方をもって大御隠居様へ太刀1腰・御馬代白銀100両および目録のとおり品を差し上げた件を述べる。江府へ到着して披露すると御満悦であったので、この旨を伝えるよう返す。11月9日、四署の各実名判表示、讀谷山王子・三司…

  69. 追録7-No.1113 嶋津家老四署返書(太守少将任官祝い)

    全上。国王様の尊書を拝見し、太守様の少将任官祝いとして本部王子をもって大御隠居様へ太刀1腰・御馬代黄金10両および目録のとおり差し上げた品が江府へ到着し、披露したところ御満悦であったと返す。11月9日、四署の各実名判表示、讀谷山王子・三司官宛、文化7年朱注。贈品の太刀・馬代・未詳の目録品を分け、同日…

  70. 追録7-No.1114 嶋津家老四署返書(操姫婚姻祝い)

    全上。国王様の尊書を拝見し、操姫(斉宣女注)の婚姻の首尾がよく整ったことへの祝儀として、當間親方をもって大御隠居様へ太刀1腰・御馬代白銀100両および目録のとおり差し上げた品が江府へ到着したと述べる。披露すると御満悦であったので、この旨を伝えるよう返す。11月9日、四署の各実名判表示、讀谷山王子・三…

  71. 追録7-No.1115 嶋津家老四署返書(於幹夭亡への紙上弔慰)

    全上。国王様の尊書を拝見し、於幹殿が夭亡したことに伴い、大御隠居様への御機嫌伺として當間親方をもって申し上げた紙上の趣旨が江府へ届いたと述べる。披露し、この旨を伝えるよう返す。11月9日、嶋津登・頴娃信濃の署は上段、嶋津安房・嶋津将監の署と讀谷山王子・三司官宛は下段へ続く。文化7年朱注。紙上の弔慰と…

  72. 追録7-No.1116 嶋津家老四署返書(女子富姫誕生祝い)

    全上。国王様の尊書を拝見し、去歳に女子が誕生して富姫と名付けられたことへの、大御隠居様宛の祝意を申し上げた件を述べる。富姫には重豪女の注。江府へ届き披露したと返す。11月9日、四署の各実名判表示、讀谷山王子・三司官宛、文化7年朱注。去歳の誕生と現在の返書日を分け、富姫の掲載名を別の出生記事の名に黙っ…

  73. 追録7-No.1117 青山下野守忠裕書状(今朝鰹節一箱献上)

    重豪公御譜中・正文在文庫。今朝、鰹節1箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。12月16日、忠裕判、松平榮翁宛。朱口裏に青山下野守忠裕、文化7年朱注。差出人自身を献上主体とせず、歳暮御内書と同一文書にまとめない。

  74. 追録7-No.1118 松平能登守乘保書状(今朝鰹節一箱献上)

    全上。今朝、鰹節1箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。12月16日、乘保判、松平榮翁宛。朱口裏に松平能登守乘保、文化7年朱注。差出人自身を献上主体とせず、歳暮御内書と同一文書にまとめない。

  75. 追録7-No.1119 徳川家斉御内書(歳暮小袖一重到来)

    重豪公御譜中・正文在文庫。歳暮祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、委曲は土井大炊頭が述べると伝える。上段の正文を下段の結び・12月廿七日付・家斉公墨印の表示・松平榮翁宛へ連結する。文化7年朱注。同日1120の献上披露返書とは文型・差出人を別に保持する。

  76. 追録7-No.1120 松平乘保書状(使者による歳暮小袖一重献上)

    全上。歳暮祝儀として使者により小袖一重を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。12月廿七日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛、文化7年朱注。品と数量を保持し、1119家斉内書の到来と本件の披露返書を別に扱う。

  77. 追録7-No.1121 土井大炊頭利厚書状(若菜鯛一折)

    重豪公御譜中・正文在文庫。若菜祝儀として鯛1折を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。正月7日、利厚判、松平榮翁宛。朱口裏に土井大炊頭利厚、文化8年朱注。文化7年歳暮に続く翌年の文書として記録し、年注を前件から転用しない。本書は冊子頁359に全文が載る。

  78. 追録7-No.1122 松平能登守乘保書状(若菜鯛一折)

    全上。若菜祝儀として鯛1折を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。正月7日、乘保判、松平榮翁宛。朱口裏に松平能登守乘保、文化8年朱注。文化7年歳暮に続く翌年の文書として記録し、年注を前件から転用しない。

  79. 追録7-No.1123 川上右近久芳申渡(寛二郎の若狭養子届受理)

    白木御文書七番箱53番、口裏に右近殿から渡された書付の写。寛二郎(斉宣男注)が嶋津若狭の養子と命じられた件は先に申し渡したとおりで、去年11月廿二日、御用番牧野備前守へ届書を出し、受取った旨が返ってきたので、御記録奉行その他の関係先へ通知する。正月、右近(川上久芳注)署。包紙は文化8未正月10日、二…

  80. 追録7-No.1124 斉興吉書(社寺修造興行・勧農・年貢徴納)

    白木御文書七番箱54番、吉書。神社佛閣の修造興行、農事に専ら励むこと、国々の年貢の徴納の三条を掲げ、これに従い沙汰するよう命じる。文化8年正月11日、斉興御判。上段の箱番号・吉書見出しを下段正文・署日へ連結する。外包は斉興公御吉書1通、文化8未閏2月15日、安房から三原次郎四郎へ渡し七番箱収納。本文…

  81. 追録7-No.1125 土井大炊頭利厚書状(太刀一腰・御馬代黄金十両)

    重豪公御譜中・正文在文庫。年頭祝儀として使者により太刀1腰・御馬代黄金10両を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。正月11日、利厚判、松平榮翁宛、朱口裏に土井大炊頭利厚、文化8年朱注。差出人自身が献上したとせず、若菜祝儀鯛1折の書状と区別する。

  82. 追録7-No.1126 松平能登守乘保書状(太刀一腰・御馬代黄金十両)

    全上。年頭祝儀として使者により太刀1腰・御馬代黄金10両を献じられた件を披露し、一段の御仕合であったと返す。正月11日、乘保判、松平榮翁宛、朱口裏に松平能登守乘保、文化8年朱注。正文から次頁の署日・署判・宛名へ連結する。差出人自身が献上したとせず、若菜祝儀鯛1折の書状と区別する。

  83. 追録7-No.1127 斉興御譜(小出助四郎による鶴拝領)

    文化8年辛未正月13日、上使小出助四郎をもって斉興へ御鷹の鶴を賜ったと記す。日付の正月を次1128の二月へ移さず、拝領者斉興を重豪へ変えない。使者の実名、鶴の数量、本件の具体の受取場所は記されず補わない。

  84. 追録7-No.1128 重豪御譜(大久保矢九郎の鶴・老中謝礼)

    文化8年辛未春2月11日、大家が使者大久保矢九郎を芝邸へ遣わして重豪へ御鷹の鶴を賜った。使者の実名は闕との注。斉興が恩旨を代奉し、即日老中各邸へ謝礼したと記す。1127の正月13日斉興拝領とは、拝領者・日付・使者を分ける。鶴の数量は記されず補わない。

  85. 追録7-No.1129 土井利厚書状(翌日五半時に家来を御城へ)

    重豪公御譜中・正文在文庫。歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ差し出すよう通知する。2月廿六日、土井大炊頭署、松平榮翁宛、文化8年朱注。目録は土井利厚書状。書状日と翌日の出頭予定を分け、二月であっても本文の用件は歳暮として保持し、年頭に替えない。

  86. 追録7-No.1130 長溥系譜抄(大信公御子九男・斉溥・黒田氏養子)

    大信公御子、御九男、長溥。白木七番箱62号の桃次郎様御九男届によるとの注。初長溥、斉溥、桃次郎、官兵衛、美濃守の名乗りと、従四位、宰相、従三位、従二位の表示を掲げる。文化8年辛未3月朔日、母は松平藤十郎家臣谷周右衛門政相の女、松平備前斉清(筑前福岡城主注)の養子となったと記す。明治20年3月7日卒、…

  87. 追録7-No.1131 長溥系譜抄(重豪御子・高輪出生と黒田氏継承)

    近秘野呂、重豪公御子。斉溥にヒロの注、桃次郎・官兵衛・長溥・美濃守の名乗りを掲げる。文化8年辛未3月朔日、高輪邸生、母谷氏。文政5年壬午12月21日、松平備前守斉清の嗣子となり、その女を娶り、いわゆる黒田氏と称するに至ったと記す。文政6年癸未4月官兵衛と改称、7年甲申6月廿七日霞ヶ関邸に入り、8年乙…

  88. 追録7-No.1132 重豪諭達(国政に妨げとなる徒党の禁止・学問武芸と処分)

    重豪公御譜中・写正文在文庫。領国では大小身分を問わず譜代旧臣が先代以来の禁制を堅く守るべきなのに、以前に実学と唱え徒党を結んだ件に続き、近頃も樺山主税(久言注)・秩父太郎(両名に「亡」の表記)が夜会を催し仲間を集めて国政を妨げ、国中に混雑を及ぼし、公辺にも内々に響いたので御賢慮による取扱いを命じたと…

  89. 追録7-No.1133 家老添書(重豪の仰出を忘れず遵守するよう通知)

    重豪公御譜中。領国中で学問・文武の藝に励むこと、風俗等について繰り返し申し渡していることを忘れないよう述べる。今回も大御隠居様の配慮により別紙のとおり詳しく仰せ出されたので、趣意を汲んで各自心得て守り、この旨を申し渡すよう求める。文化8年4月朱注。目録は家老添書とするが本文に独立署名・宛名は掲載しな…

  90. 追録7-No.1134 将監・安房・信濃申渡(御両殿の仰出遵守と親族教育)

    全上・写正文在文庫。国中風俗についての別紙は次頁へ続き、御両殿様が詳しく、従来から重ねて仰せ出されたことと今回の趣意を我々も恐れ入り承知したと述べる。各人が律儀を守り風俗が立ち直るよう努め、尊慮を安んじるよう朝暮心掛けて堅く守ること。特に若年の者は父兄から油断なく教育し、違背者には当人のみならず身近…

  91. 追録7-No.1135 斉興御譜(初御暇・謝礼・江府出発と鹿児島入城)

    文化8年辛未夏4月16日、斉興は襲封後初めて御暇を賜った。上使松平伊豆守信明が命を伝え、銀100枚・巻物30を賜う。亜相家慶も上使松平能登守乘保を遣わし巻物20を賜った。19日、斉興が登営して大樹家斉に謝し、例どおり御刀1腰・馬1匹を賜い、懇命を加えられたと記す。次の丸印は旅程で、5月朔日に江府を発…

  92. 追録7-No.1136 鎌田典膳政與首尾書(川上右近の代人伊勢雅楽御目見)

    白木御文書七番箱55番。川上右近が病気で、御暇礼に際して代りの伊勢雅楽を御目見させたい件。昨日19日の御暇礼に関連し、留守居が別紙を御用番土井大炊頭の御勝手へ持参し内見したが、正式の願書提出は示されず、用人木次傳四郎へ出すよう言われた。先例書を求められ、病気で御目見しない場合は献上品も流れ、例書は返…

  93. 追録7-No.1137 重豪内意書(斉興初在国の政務相談・静謐と若年教育)

    重豪公御譜中・写正文在文庫。松平豊後守(斉興注)が御暇を得て初めて在国するに当たり、若年なので従来の政務を崩さず、万端を独断せず先方に相談すべきとする内意を記す。丸印以下は初帰国に伴う幕府老中の示談で、御用番土井大炊頭から有馬左兵衛佐を介して三殿へ伝えられた。先代に例のない親しい厚恩として、若年の政…

  94. 追録7-No.1138 斉興願書(在国中の不慮に備え弟寛二郎十三歳を養子に願う)

    白木御文書七番箱60番。今度御暇を得て国元へ越すに当たり、未だ男子がないという願書の自述を付し、在国中に不慮のことがあれば、国元に置く私弟島津寛二郎・当年13歳を養子として命じ、跡職を相違なく与えるよう願う。文化8未4月廿三日、松平豊後守花押No4表示、四宛。後継備えの願出として記録し、これ自体を養…

  95. 追録7-No.1139 土井大炊頭書状(前年御暇時の当分養子願を返す)

    全六拾番中。去年の御暇の際に出された当分養子願書を返すと伝える。4月5日、土井大炊頭署、松平豊後守様宛。外包は文化9申5月10日、安房から三原次郎四郎へ渡して白木御文書七番箱収納と記し、収納末尾は次段へ続く。正文に独立年はなく、外包年・去年御暇の文言と1138文化8願書を照合する。願書返進を養子許可…

  96. 追録7-No.1140 斉敏系譜抄(久寧・治五郎・文之助・伊豫守)

    御系図、斉興公御子。子女の並びに女子・斉彬・女子・斉敏を掲げ、斉敏に初久寧、治五郎、文之助、伊豫守の名乗りを付す。文化8年辛未4月8日生と本文に実生日を記す一方、分注は文化10年癸酉11月7日を生辰としていたが今その実を記すとする。母は斉彬と同母。松平上総介斉政(池田氏備前国注)の養子となる。天保1…

  97. 追録7-No.1141 将監久泰・安房久備・信濃久喬請書(国中静謐と規定遵守)

    重豪公御譜中・写正文在文庫。今回の初帰国に際して老中が示談した政務の別紙を、御用番土井大炊頭から有馬左兵衛佐を介して三殿が了承したことを承知する。先代にも例のない厚恩として謝意を述べる箇所は、掲載正文御不幸に不は大カとの注があるためその異同を保持する。太守・大御隠居の別紙の趣意を深く受け、万端を慎み…

  98. 追録7-No.1142 重豪規定判物(千眼寺・黄檗山規約と境内取締)

    重豪公御譜中・正文在千眼寺。定。第一条は本寺黄檗山が定めた規約を堅く守ること。第二条は当山境内で竹木をみだりに伐ることと売酒等を堅く停止すること。第三条は開山若沖禅師が定めた五件の規定を乱さないこと。これらを堅守し違背者には厳科を処すとする。文化8年4月、日は空欄、御判(島津重豪注)。右の取扱注は白…

  99. 追録7-No.1143 将監申渡(千眼寺御判物と後年見合用写一通)

    七番箱58番中、御記録奉行へ。千眼寺に大御隠居様の規定御判物を下されたことを申し渡し、御判物を送って、今日御対面所で頂戴するよう命じられたと伝える。後年の見合せのため別紙の御判物写1通を渡す。12月9日、将監署。1142の規定正文と、その授与・記録用写交付の取扱文を分け、写1通を判物原本の数量へ合算…

  100. 追録7-No.1144 斉興証状(高野山蓮金院の宿坊・寺領旧規を守る)

    白木御文書六番箱一百中。蓮金院は中納言家久の代から当家宿坊であり、これにより寄附された庄園を当代も相違なく保持する旨を記す。先祖の日牌・寺院建物の修補等は旧規どおり怠らないよう命じる。文化8年5月朔日、少将斉興御判。包紙も高野山。寺領の具体の地名・面積を補わず、1145添書と分ける。所在注は六番箱一…