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追録7の目録
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追録7-No.1924 花町消息(榮翁への御返事・神田橋邸拝謁)
花町が榮翁の書状を受け、御臺様の機嫌はよく、榮翁のことも気に掛けていると返す消息。御臺様が神田橋御屋形へ立ち寄る折に榮翁が伺候して対面することは光栄な計らいであり、老年の礼儀や体調を過度に心配せず、いつもどおり拝礼してよいと励ます。御文の趣を承知し、神田橋での御目見や御出席について取り成す旨を伝え、…
追録7-No.1925 島津斉興伺書(重豪の神田橋伺候時の献上物・服装)
島津斉興の伺書。御臺様が二十八日に吹上御庭から兵部卿殿の神田橋屋敷へ立ち寄る旨と、同氏榮翁が同屋敷へ出向くことを受け、献上物の扱いと着服の作法を尋ねる。本文では表向きの献上物は不要とされ、内々の献上物は大奥の扣所を通じて留守居柳生主膳正に問い合わせ、着服は服紗小袖と十徳とする旨が記される。朱書の日付…
追録7-No.1926 島津重豪書状(神田橋伺候と御臺様らへの御礼・六宛)
重豪が六名へ送った書状。御臺様が二十八日に吹上御庭から兵部卿殿の神田橋御屋敷へ立ち寄ることになり、自分も出向いて機嫌を伺うよう命じられたと喜ぶ。御臺様への礼を伝え、御簾中様と内府様にも折を見て謝意を申し上げるよう頼む。宛先はあすか井・はなその・せかわ・八十せ・むめた・野むらで、「名申給へ」の小注を伴…
追録7-No.1927 島津重豪神田橋邸伺候次第(三月二十八日の道筋・御目見)
文政六年三月二十八日の重豪の神田橋邸伺候を道筋と手順に沿って記す。七時に供揃えを整え、朝六時過ぎに屋敷を出発し、高輪表門から片町・三田・西久保・虎ノ門・霞ヶ関外・桜田門・西丸下・和田倉門を経て神田橋裏門へ向かう。裏門で下乗し、御徒目付組頭樋淵太左衛門、御徒目付平田伊八郎、御小人目付鈴木卯三郎・栗原辰…
追録7-No.1928 献上物并拝領物等品書上
重豪の神田橋伺候に伴う献上品・拝領品と、後日の進物を列挙した書上。伺候当日、御臺様から文臺硯箱一揃と鯛一折を拝領し、重豪側は御小筆筒・石臺・塗重・檜重などを献上した。公方様には敷物一幅を贈り、御城で調達した代金六十五両を大奥に回したと注記する。四月朔日には内府様へ鯛、御臺様へ煙草盆と鯛を献じ、御臺様…
追録7-No.1929 島津重豪書状(神田橋伺候の御礼と進物)
重豪が飛鳥井・瀬川・花町・梅園・むめ溪・花崎の六名へ送った書状。前日の御臺様の神田橋屋形への立寄りに際し、重豪自身も伺候して御目見を許され、長年望んでいた御臺様への御礼を直接申し上げられた喜びを伝える。幼年からの折々の恩顧を振り返り、老後も厚く遇されたことを有り難く思う一方、最初は恐縮して十分に言葉…
追録7-No.1930 早川兼備伺書(榮翁・豊後守の御礼勤め)
松平豊後守の家中、早川が御臺様への御礼の勤め方を伺った文書。前日、御臺様が吹上御庭から兵部卿様の神田橋屋敷へ立ち寄り、松平榮翁が同屋敷へ出て御目見を許され、拝領物を賜ったと報告する。このため、榮翁の御礼勤めと、旅中の豊後守が知らせを受けた後の御礼勤めについて、どのように心得るべきか指示を求める。文政…
追録7-No.1931 島津重豪書状(佐川宛・御臺様伺候の御礼)
重豪が佐川へ送った書状。佐川からの返事を受け、毎度の取りなしと、梅崎殿を介して御臺様へ御礼を申し上げたことを喜ぶ。神田橋での御臺様との御目見では恐縮のあまり礼を尽くせなかったのではないかと案じ、拝領した品々と親しく声をかけられたことへの感謝を重ねて伝える。自分の献上品も心に留めていただいたと知り、退…
追録7-No.1932 斉興の帰国に先立つ在国家老への訓戒記事
文政六年春三月、江戸に長く滞在した島津斉興が近く帰国するにあたり、在国家老へ諭達を送ったことを記す導入記事。一門以下の諸役人が礼儀を怠らないこと、役人や領民が狩猟・田畑の荒らし・農事への妨げなどを起こさないことを前もって厳しく戒め、その具体的な文面を次に掲げる。後続のNo.1933の一・二の諭達を導…
追録7-No.1933-1 島津斉興諭達(一・役儀と藩政)
斉興が帰国を控え、在国家老へ政務と迎接の心得を諭す文書の第一段。一統の風俗を見聞きしてきたことを踏まえ、一門と島津但馬の扱いを重くし、それぞれの勤めに気を配るよう求める。年始・五節句・月次の勤めを怠らず、分限に応じた出仕を励行し、重要な政務は互いに相談して私心や見栄で処断しないよう戒める。帰国時には…
追録7-No.1933-2 島津斉興諭達(二・留守中の狩猟と領民保護)
斉興の帰国に先立つ諭達の第二段。留守中の狩猟について、重役や多人数が安易に催し、狩立てで田畑を踏み荒らして百姓を困らせないよう命じる。実施する場合にも重役同士で相談し、領民の迷惑を避けるよう求める。側役や奥掛家老にも同じ趣旨を伝え、上記の箇所を勘弁して心配のないよう取り計らうこととする。本文末は三月…
追録7-No.1934 島津斉宣の和歌百首詠進記事
斉宣公御譜中の記事。文政六年四月、飛鳥井参議雅光卿が自ら選んだ和歌百首の題を斉宣に示し、詠歌を求めた。斉宣は自分を浅学で才が足りないと考えながらも固辞し難く、歌を作って贈り、求めに応えたと記す。自筆の一巻を家に蔵したとの注が続く。本文に百首の歌そのものは掲載されていない。
追録7-No.1935 九鬼隆徳書状(榮翁名代の御礼)
九鬼靱負が榮翁の名代として御礼を申し上げた書状。先月二十八日に御臺様が吹上御庭から兵部卿殿の神田橋屋敷へ立ち寄り、榮翁も出向いて御目見を許され、品物を拝領したと記す。御立寄り・拝領を重ねてありがたい仕合せとし、その御礼を榮翁の名代である自分が申し上げると結ぶ。末尾は朱書の文政六年四月朔日と九鬼靱負署…
追録7-No.1936 上野帯刀書状(御臺様伺候の御礼勤めの相談)
上野帯刀が御臺様の神田橋屋敷立寄り後の御礼勤めを相談する書状。先月十四日の老中水野出羽守からの御留守居呼出しを踏まえ、二十八日に御臺様が神田橋屋敷へ立ち寄り、重豪が御目見して拝領品を受けた経過を伝える。御本丸・西丸、大奥、隠居に関係する礼の申上げ先、名代や使者、進物の取次、帰宅後の御礼などを列挙し、…
追録7-No.1937 川上久芳外二名連署返書(上野帯刀書状への朱書)
上野帯刀の四月二日付書状と同じ紙面に記された朱書返答。御臺様の神田橋立寄りと重豪の御目見・拝領を受け、本丸・西丸、大奥、隠居方などへの御礼の出し方、名代・使者による取次、進物と通知先について、本書の各問いに添って了承や指示を記す。末尾の朱書は五月二十九日付で、川上美濃守・島津安房守・新納内蔵の三名が…
追録7-No.1938 島津久備申渡書(継目願の提出)
島津久備(安房)の申渡書。継目願は五日中に延引なく差し出すべきで、事情なく遅らせた者には名跡を立てないという享保五年の申渡しを引く。直子がないなどの理由で跡職の延願を申し出る者については、厳密に事情を調べるとする。親類との相談や願書の差出し、病気を口実にすることなどの取扱いを述べ、不都合のないようそ…
追録7-No.1939 島津重豪書状(佐川宛)
島津重豪(松平榮翁)が佐川へ送った書状。帰宅の折に渓山を初め一同が揃い、互いの健康や近親の祝い事、昔の交わりを喜ぶ。目見の節に丁寧な取扱いを受け、御座への案内や拝領品まであったことを謝し、恐れ入った心情を重ねて述べる。渓山初子と孫のことにも触れ、幼年からの厚い世話を振り返り、相手の威光や厚情を忘れな…
追録7-No.1940 島津重豪招宴囃子組書上
重豪公御譜中の記事に付く、四月六日の招宴と囃子組の書上。備前守殿・奥方・純殿らが田町屋敷へ参り、高輪屋敷で九時前に西門から茶屋へ招いた。養子の儀の後に御目見を付け、料理を出し、亀之舞の囃子を催したと記す。氷室・六浦・源氏供養・春日龍神の組ごとに役者名を列挙し、囃子が済んだ後は休息所へ招いて饗応したと…
追録7-No.1941 島津重豪招請客名書
重豪公御譜中の招請客・来客記録。四月十六日に客来と掲げ、先月二十八日の御臺様神田橋立寄りと御目見・拝領への祝意を述べる訪問者、および堀本一甫・杉本仲温らの来訪を列記する。四月二十一日には官兵衛事先達の養子済後、初めて御目見を受けた者やお操・お隨・お壽事の招候を記す。五月二十二日、同二十八日、六月三日…
追録7-No.1942 徳川家斉御内書(端午祝儀品への礼)
徳川家斉が松平榮翁(島津重豪)へ宛てた御内書。端午の祝儀として帷子と単物を献じたことを受け取り、喜ばしい旨を伝え、詳しいことは松平和泉守が述べると記す。末尾に朱書の文政六年五月二日、家斉公の墨印と松平榮翁の宛名がある。
追録7-No.1943 松平乗保書状(端午祝儀への御礼)
松平能登守乗保が、端午の祝儀として使者を通じ帷子と単物を献じられたことについて、披露した旨を伝える書状。受け取った段の御仕合せを恐れ入り謹んで言上すると記す。朱書は文政六年五月二日、末尾に松平能登守乗保の判がある。本文に宛名は記されない。
追録7-No.1944 羽地朝美起請文前書
羽地王子朝美の「霊社神文前書」。かつての宜野湾王子跡役を命じられたことについて、誠実に勤めると誓う。斉興・重豪・斉宣・忠方らに対する逆意を抱かず、国王を疎略にせず、国中が正道を申し立てる際には私意なく従うと述べる。また、国法を乱す取計らいをせず、自分に悪逆の者が出た場合も同意・隠蔽しないとし、召問を…
追録7-No.1945 夙之丞系譜抄
御家図中の夙之丞に関する系譜抄。斉興の「男女二十三人」の系図に置かれ、島津石見の嫡子播磨の養子となったとの注を伴う。文政六年五月二十三日生まれで、母を島津氏の養女と記す。文政十年九月十一日に夭亡したが、忌日は九月十日とする注があり、法名を観壽院殿實相如幻大禅童子と記す。
追録7-No.1946 松平乗寛書状(鯛一箱献上の披露)
松平乗寛が松平榮翁へ送った書状。今朝、鯛一箱が献じられ、披露したところ、結構な御仕合せであると伝える。朱書は文政六年六月十八日。本文末尾に乗寛判、口裏に松平和泉守乗寛の名と松平榮翁の宛名がある。
追録7-No.1947 酒井忠進書状(鯛一箱献上の披露)
酒井忠進が松平榮翁へ送った書状。今朝、鯛一箱の献上を受けて披露し、結構な御仕合せであると伝える。朱書は文政六年六月十八日。忠進判があり、口裏に酒井若狭守忠進と松平榮翁の名が記される。
追録7-No.1948 松平乗寛書状(御内書の受取り通知)
松平乗寛が松平榮翁へ送った通知。端午の御内書を渡すので、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう伝える。朱書は文政六年六月二十四日で、末尾に松平和泉守の署名と松平榮翁の宛名がある。御内書本文はこの文書には載らない。
追録7-No.1949 青山忠裕書状(生見玉祝儀への返答)
青山忠裕が松平榮翁へ送った書状。生見玉の祝儀として黄金十両が献じられたことを披露し、ありがたい御仕合せであると伝える。本文の末尾朱書は文政六年七月六日、忠裕判があり、口裏には青山下野守忠裕と松平榮翁の名がある。目録の日付は七月八日で本文と異なる。
追録7-No.1950 松平乗保書状(生見玉祝儀への返答)
松平乗保が松平榮翁へ送った書状。生見玉の祝儀として黄金十両が献じられたことを披露し、結構な御仕合せであると伝える。朱書は文政六年七月六日。乗保判があり、口裏に松平能登守乗保と松平榮翁の名がある。
追録7-No.1951 重豪御鷹の雲雀拝領記事
重豪公御譜中の記事。八月二日、大家が使番永井大之丞直常を遣わし、重豪へ御鷹の雲雀一つを賜った。島津筑後守忠徹が重豪に代わって受け取り、同日に本丸・西丸へ赴いて御礼を申し上げたと記す。
追録7-No.1952 徳川家斉御内書(重陽祝儀への礼)
徳川家斉が松平榮翁(島津重豪)へ宛てた御内書。重陽の祝儀として小袖一重を献じたことを受け取り、喜ばしい旨を述べる。詳しいことは青山下野守が伝えると記す。末尾の朱書は文政六年九月七日で、家斉公墨印と松平榮翁の宛名がある。
追録7-No.1953 酒井忠進書状(重陽祝儀への返答)
酒井忠進が松平榮翁へ送った書状。重陽の祝儀として、使者を通じ小袖一重が献じられたことを披露し、ありがたい御仕合せであると伝える。朱書は文政六年九月七日。末尾に酒井若狭守忠進判と松平榮翁の宛名がある。
追録7-No.1954 青山忠裕書状(御内書の受取り通知)
青山忠裕が松平榮翁へ送った書状。重陽に関する御内書を渡すので、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう知らせる。朱書は文政六年十月二十日で、青山下野守の署名と松平榮翁の宛名がある。この書状は受渡しの通知で、御内書の正文を載せない。
追録7-No.1955 橋口今彦覚書(四巻の書付保管)
白木御文書八番箱中の橋口今彦の覚書。当家軍術一巻書、当家軍術三略守書、雲気書、雲気図の計四巻について、以前から手元に置かれていたものを吉井七之丞から樺山休兵衛へ渡し、白木御文書八番箱に納めるよう記す。原文は「未十一月十七日・橋口今彦」で、巻物の写し方が一致しない旨の朱注を伴う。書物の名称と保管経路を…
追録7-No.1956 御鷹拝領次第・員数書
重豪公御譜中に載る御鷹拝領の次第。十二月九日、神田橋御用人の新安右衛門からの掛合せを受け、翌日の御鷹御本丸への取次と鷹匠への引渡しを調える。神田橋で鷹匠支配や受渡しの順を確認し、田上主司へ物数書を渡すこと、表門からの出入りや礼服の扱いを記す。別掲の員数書には黒鴨・真鴨・鷹・小鴨・五位鷺・黒ときなどを…
追録7-No.1957 水野忠成書状(鰹節献上の披露)
水野忠成が松平榮翁へ送った書状。今朝、鰹節一箱が献じられたことを披露し、結構な御仕合せであると伝える。朱書は文政六年十二月十八日。忠成判があり、口裏に水野出羽守忠成と松平榮翁の名がある。
追録7-No.1958 酒井忠進書状(鰹節献上の披露)
酒井忠進が松平榮翁へ送った書状。今朝、鰹節一箱を献じられたことを披露し、結構な御仕合せであると伝える。朱書は文政六年十二月十八日。忠進判があり、口裏に酒井若狭守忠進と松平榮翁の名がある。
追録7-No.1959 島津久豊(義天公)四百年忌法事記事
重豪公御譜中の記事。島津久豊(義天公)の四百年忌に向け、文政六年十一月二十一日に恵燈院で法事を前倒しで営んだ。重豪は家老町田監物久視を使者として香奠金二百疋を供え、拝礼させた。注記は義天公が応永三十二年正月二十一日に亡くなり、正忌は文政七年正月二十一日となるが、事情により今回先に修したと説明する。
追録7-No.1960 川上久芳外三名連署書状(重豪への年首祝儀)
琉球国王からの書状を拝見したことを四名の家老が羽地王子・三司官へ伝える。国王が大御隠居(島津重豪)に年首の祝儀として目録記載の品を差し上げたことは、江戸に届いて披露され、重豪も満足したと記す。署名は新納内蔵・島津安房・町田監物・川上美濃の四名で、朱書は文政六年十二月二十四日。
追録7-No.1961 川上久芳外三名連署書状(御庭拝見・祝儀品)
琉球国王の書状を拝見した四名の家老の返書。大御隠居(重豪)の御庭を拝見し料理を頂戴したことに触れ、伊野波親方を通じて太刀一腰・馬代白銀五十両などの祝儀品を差し上げた件は江戸で披露され、重豪も喜んだと伝える。文政六年十二月二十四日付で、新納内蔵・島津安房・町田監物・川上美濃が連署し、羽地王子・三司官へ…
追録7-No.1962 川上久芳外三名連署書状(御臺様従二位祝賀)
琉球国王の書状を拝見した四名の家老が、御臺様の従二位叙許を祝う意向について返答する。祝いの紙上の趣旨を、伊野波親方を通じて大御隠居(重豪)へ伝えたところ、江戸に届いて披露され、重豪も喜んだと記す。文政六年十二月二十四日付、新納内蔵・島津安房・町田監物・川上美濃連署で、羽地王子・三司官宛。
追録7-No.1963 川上久芳外三名連署書状(太守の御暇祝賀)
琉球国王の書状を拝見した四名の家老の返書。太守の三月中の御暇・参府に関する願いが認められた件を祝うため、国王が伊野波親方を通じて大御隠居(重豪)へ伝えた紙上の趣旨が江戸に届き、披露されたと知らせる。文政六年十二月二十四日付で、新納内蔵・島津安房・町田監物・川上美濃の四名が連署し、羽地王子・三司官へ宛…
追録7-No.1964 川上久芳外三名家老連署書状(琉球の祝儀・献上)
四家老が羽地王子と三司官へ連署した書状。国王の尊書を拝見したと伝え、桃次郎について松平備前守家への養子願が聞き届けられた祝意を述べる。大御隠居重豪から伊野波親方を通じて贈る太刀一腰・馬代白銀百両、目録にある品を江戸府で披露する旨も知らせ、用件を琉球側へ伝える。朱書に文政六年十二月二十四日、四家老の実…
追録7-No.1965 徳川家斉御内書(歳暮の小袖到来)
家斉が重豪へ送った歳暮の祝儀に対する御内書。歳暮の祝儀として小袖一重を受け取り、委細は水野出羽守に伝えさせる旨を述べる。朱書は文政六年十二月二十七日で、家斉公の雲印と松平榮翁の宛名がある。小袖の到来に対する礼状であり、次の松平乗保の書状とは差出人が異なる。
追録7-No.1966 松平乗保書状(歳暮祝儀の取次)
松平乗保が松平榮翁へ送った歳暮祝儀の取次書状。歳暮の御祝儀として使者を通じ小袖一重が献じられたことを披露し、その段を取り計らったと知らせる。朱書は文政六年十二月二十七日。家斉の御内書と同日・同じ歳暮祝儀に関係するが、こちらは乗保の書状である。
追録7-No.1967 松平乗寛書状(若菜の祝儀)
松平乗寛が松平榮翁へ送った年始の祝儀書状。若菜の御祝儀として鯛一折を献じ、披露したところよい仕合せである旨を伝える。朱書は文政七年正月七日、乗寛判である。同文趣旨の次の乗保書状とは署名が別である。
追録7-No.1968 松平乗保書状(若菜の祝儀)
松平乗保が松平榮翁へ送った年始の祝儀書状。若菜の御祝儀として鯛一折を献じ、披露したところよい仕合せである旨を伝える。朱書は文政七年正月七日、乗保判である。前の乗寛書状と内容・日付はほぼ同じだが、差出人を別件として記録する。
追録7-No.1969 島津斉興吉書(三箇条の年頭政務)
島津斉興の吉書。神社・仏閣の修造興行、農事の奨励、諸国の年貢徴納の三箇条について、その趣旨に従って沙汰すべきことを命じる。文政七年正月十一日の日付と斉興の御判があり、白木御文書八番箱中五十三番から採録される。三箇条の命令本文で、修造対象の個別名や年貢額は示さない。
追録7-No.1970 島津斉興諭達(帰国後の家中勤仕)
太守島津斉興の筆による諭達。先年やむを得ず滞府し、久しぶりに帰国して風俗を見聞したところ意にかなわない点があったと述べる。大御隠居重豪の介助と、取締りに関する従来の指示を振り返り、去辰年にその介助が断られた後も旧来の趣意を守って万事を取り計らうよう求める。一門・重役には日頃の行状、年中の出仕、家格に…
追録7-No.1971 松平乗寛書状(年頭の太刀・馬代)
松平乗寛が松平榮翁へ送った年頭祝儀の書状。使者を通じて太刀一腰と御馬代黄金十両を献じ、披露したところよい仕合せであると伝える。朱書は文政七年正月十一日で、松平和泉守乗寛の判と松平榮翁の宛名がある。次の乗保書状と同日・同内容に近いが、差出人は乗寛である。
追録7-No.1972 松平乗保書状(年頭の太刀・馬代)
松平乗保が松平榮翁へ送った年頭祝儀の書状。使者を通じて太刀一腰と御馬代黄金十両を献じ、披露したところよい仕合せであると伝える。朱書は文政七年正月十一日で、松平能登守乗保の判と松平榮翁の宛名がある。前の乗寛書状と本文・日付はほぼ同じだが、別の差出人による一通として扱う。
追録7-No.1973 島津重豪八十歳賀宴の記事
文政七年正月十五日に設けられた島津重豪八十歳の寿宴についての重豪公御譜中の記事。大家および御臺様から祝いの品が届き、近衛大納言忠熙、郁君主、円臺院君、維學心院宮、徳川兵部卿斉礼、一橋治済卿、紀州侯、水戸侯、細川侯など近親・幕府士らからも品物や詩歌が寄せられたと記す。贈答の詳細を左に掲げるとし、この年…
追録7-No.1974 島津重豪八十寿祝賀詩歌
重豪八十歳の賀宴に寄せられた祝賀詩歌を集めた記録。冒頭に一橋民部治済の「寄松祝」があり、千代の春を松に寄せて寿ぐ。続いて「契松千歳」「奉寿」などの漢詩・寿文と、松・鶴・亀・常盤・若菜・八十の春を詠む和歌や消息体の歌を載せる。清水御簾中の斉明、源斉脩、余風・左近、惟温、いよ子・たか子・ます子・貞子・み…
追録7-No.1975 島津重豪八十寿賀拝領物・諸贈答書上
重豪八十歳の賀祝に伴う拝領物・献上品と諸方からの贈答を集めた記録。正月十五日の祝賀を起点に、公方・御臺から拝領した作り物や能組などを記し、青籠、扇、羽衣、紅白の羽、水晶玉、硯箱、短冊箱、花生け、手火鉢、縮緬、鯛、寿餅、寿盃などの品名と数量を別紙・品書に列挙する。返礼・献上の品には御寿餅・御寿盃・鯛な…
追録7-No.1976 島津重豪八十歳年賀祝贈答品書上
重豪八十歳の年賀祝に際する品物の到来を記した書上。正月十五日の祝賀について、中山王から品々が送られたこと、同年三月十九日に仕出された品、十二月に届いた品を別記する。寿盃、羽二重、鰹、千歳酒、扇、石の人形、玉の硯屏、茶碗、廣東焼の手水鉢、掛子、夜食膳、錦・緞子・大床掛などを、箱・足・枚・本の員数ととも…
追録7-No.1977 花町外三名連署消息(重豪八十歳祝い)
花町・梅その・むめ溪・花崎の四名が松平榮翁へ宛てた消息。高齢となっても機嫌よく過ごすよう祝意を述べ、御臺様の思召しにより、御納戸金から内々に金三百両が遣わされたことを知らせ、例年どおり過ごされるよう願う。本文は敬語の重なる私信で、金三百両は内々の贈り物の取次として記される。朱書は文政七年のみで月日は…
追録7-No.1978 斉興参勤に際する家老への訓戒命令
島津斉興の御譜中にある参勤出立前の記事。文政七年甲申の春正月、斉興は江戸府へ向かうため、家老に対して家中を戒め、風俗を正して上下を厳しく取り締まる旨を宣達させると記す。印刷本文は「如左」と結ぶ導入文で、具体的な訓戒条文はこの印刷箇所には続かず、次の印刷1979は参府日程の記事となる。
追録7-No.1979 島津斉興参府の記事
斉興公御譜中に記す参府の経過。正月二十一日に斉興が鹿児島城を発し、三月五日に江戸府へ着いたと記す。別条では二月十一日に重豪から御鷹を賜ったことを記す。二月二十三日には斉興が参府に伴う事例に従い重豪へ対面し、上使青山下野守忠裕からの伝達を受ける。二十七日には幕府の召命を受け、使者を通じた礼品の献上と御…
追録7-No.1980 島津重豪年賀祝能組明細
重豪公御譜中の年賀祝能興行の記録。二月四日に年賀の祝いや拝領物があり、客を迎えたため翌日に本丸大奥へ差し上げると述べ、能組の明細を続ける。翁・老松・間狂言・羽衣などの曲目と、シテ・ワキ・囃子方・地謡・小鼓・大鼓・笛・太鼓・後見などの役、須磨長次郎・甲斐守ら出演者の名を列挙する。末尾には御くわし・御樽…
追録7-No.1981 重豪御鷹の鶴拝領記事
重豪公御譜中の記事。同年二月九日、将軍側の使番永田幾太郎直道が重豪へ御鷹の鶴を届け、島津筑後守忠徹がこれを受け取った。重豪は城に登り、御奏者高木主水正正剛を通じて鶴の下賜に対する礼を述べる。本文は授受と謝恩の経路を示し、鶴の員数や飼養の詳細は記さない。
追録7-No.1982 水野忠成書状(歳暮御内書の受取通知)
水野出羽守忠成が松平榮翁へ送った御内書の受取通知。歳暮の御内書を渡すため、翌日の五半時に家来を城へ差し出すよう求める。朱書は文政七年二月二十日で、水野出羽守の署名と松平榮翁の宛名がある。掲載するのは受渡しの知らせで、御内書そのものの文面は収めない。
追録7-No.1983 島津重豪八十歳年賀祝贈答品書上(京都到来分)
重豪八十歳の年賀祝に際し京都から到来した品々の書上。三月十五日の町便で近衛殿・円臺院殿・維樂心院殿らから掛物、盃、錫花入、緋代、硯屏、花台、鯛、望遠鏡、東道盆などが届き、品目ごとに箱・足・枚の数量を記す。三月十九日には居里村藤十郎を介した到来と、町便による取次も付記する。差出人と運搬・取次経路を区別…
追録7-No.1984 重豪公御譜中(神田橋邸での御臺様謁見)
三月十六日、老中松平右京大夫輝延が留守居に、御臺様が二十七日に吹上庭を経て神田橋邸へ立ち寄る旨を伝えた。重豪も神田橋邸へ出て御臺様の起居を伺い、斉興も同所に至る。御臺様から慰問と物品の下賜があり、重豪は翌日に高輪・九鬼長門守隆国を介して謝恩したと記す。御臺様の来邸、重豪・斉興の対面、下賜と謝恩の順を…
追録7-No.1985 幕府指図書(御臺様の神田橋邸立寄り)
御臺様が来る二十七日、吹上御庭から兵部卿殿の神田橋屋敷へ立ち寄るとの指図を伝える。右の節には儀式に従って神田橋屋敷へ出て、御臺様の機嫌を伺うよう求める。本文は訪問予定と重豪側の応対を定める短い指図で、朱書は文政七年三月、日付は示さない。
追録7-No.1986 島津重豪神田橋邸伺候記
三月二十七日の御臺様神田橋邸立寄りに伴う応対記録。供揃の時刻を定め、廣敷玄関から表門へ出て、通町本札の辻、三田通、土器町、西之久保、虎之門、霞ヶ関、外櫻田、道三橋戸田家裏門などを経て屋敷へ向かった。屋敷内では座配・目付・行列、奥向きでの茶・吸物や家中寄合の有無を調整する。前月十六日の伝達と三月十七日…
追録7-No.1987 島津重豪書状(佐川宛)
重豪が佐川へ送った書状。歳を重ねた自身への気遣いに礼を述べ、御臺様が神田橋邸に立ち寄った際、御座・御手前・私儀の扱いまで配慮を受けたことを喜ぶ。近年は目の具合や衰えを気にかけているため、失礼のないよう願い、長く世話を受けていることへの謝意と今後の祝意を記す。宛名は「佐川さま人々申給へ」、朱書の年は文…
追録7-No.1988 島津重豪書状(花町宛)
重豪が花町へ送った書状。高齢になった自身への心遣いに礼を述べ、御臺様が神田橋邸に立ち寄った際に御座・御手前・私儀の扱いまで配慮されたことを喜ぶ。目や老齢による衰えを気にしながら、長年の世話への謝意とこれからの祝意を伝える。1987の佐川宛と内容が似るが、本文の語句と宛先は異なり、花町宛の一通として扱…
追録7-No.1989 島津重豪書状(花園・梅田・花町・花崎宛)
重豪が花園・梅田・花町・花崎の四名へ宛てた書状。長年の礼と御臺様が神田橋邸に立ち寄った際の厚い配慮に謝意を述べる。御殿や屋敷での応対に気遣いを受け、贈り物を賜ったことにも触れ、老齢に伴う不安を率直に記しながら、相手方の長寿と慶事を願う。1987・1988と同じ来邸を背景にするが、四名連名宛で贈物への…
追録7-No.1990 島津重豪神田橋邸伺候の節献上品書上
重豪公御譜中に収める、神田橋邸伺候時の献上品と後日の到来品の書上。三月二十七日には御石台・御紙台・御香爐卓・鯛などを御臺様へ献上した。翌二十八日以降、唐織、泛檜重、御塗重、葉子折、右同、徳利、交肴、島越後、嶋越後、八重山細上布、銀子などについて、豊後守、両隠居、右筆、花町殿、御家老や側用人など差出人…
追録7-No.1991 島津斉興伺書(御臺様立寄りの儀礼勤向)
御臺様が二十七日に吹上御庭から兵部卿殿の神田橋屋敷へ立ち寄るため、斉興が同屋敷へ出て伺候する件を申請した文書。家老・内府を介して、御臺様や御簾中様に対する礼勤の仕方を伺ったところ、支障はなく、私的な御礼勤向の儀は差図のとおりにするよう回答されたと記す。朱書は文政七年三月十八日。
追録7-No.1992 島津斉興伺書(本文省略・別記御書取)
斉興公御譜中、扣正文在右筆所。伺書本文は1991号文書と同文のため刊本では省略される。これとは別に「御書取」として、二十七日の行事が済んだ後、御礼品について伺うよう指示した一文を載せる。当号に独立した月日記載はない。文政7年3月18日の朱注は前号に付く。
追録7-No.1993 島津斉興伺書(神田橋邸立寄りの献上儀礼)
御臺様が前日に吹上御庭から兵部卿殿の神田橋屋敷へ立ち寄るとされた件について、斉興が同屋敷へ出て伺候し、何を献上すべきかを問う伺書。御機嫌伺いの場所、不奉存寄の御懇の儀、重疊難有仕合への奉存、榮翁の御礼勤と斉興自身の私的な御礼勤品をどのように扱うべきか、差図を願う。朱書は文政七年三月十八日。
追録7-No.1994 九鬼隆国書状
九鬼長門守隆国が、御臺様が前日に吹上御庭から兵部卿殿の神田橋屋敷へ立ち寄った際、松平榮翁が同屋敷に出て機嫌を伺い、思いがけない懇遇と拝領物を受けたことを報告する。榮翁は重ねてありがたく思い、名代として九鬼隆国を立てて御礼を申し上げるとする。朱書は文政七年三月二十八日。
追録7-No.1995 上野帯刀書状(目録表題・正文は家老座所在)
掲載するのは「重豪公御譜中」と「扣正文在家老座」の出典・正文所在表示のみで、書状本文、日付、署名、宛名はない。目録は文政七年四月三日の上野帯刀書状として立項する。印刷1996に上野帯刀の四月三日付本書と五月二日付返答が載るが、本項には独立した正文が掲載されない。
追録7-No.1996 川上久芳外三名連署返書(上野帯刀本書を併載)
上野帯刀が川上美濃守らへ、御臺様の神田橋屋敷立寄りに際する重豪の伺候と拝領、斉興らの礼勤について問い合わせた書状。先月十六日の老中からの呼出し、二十七日の来邸、九鬼長門守が重豪の名代を務めたこと、御精進日・大奥への祝儀、翌二十八日の礼勤、鯛や反物などの献上を記す。末尾は四月三日付上野帯刀署、川上美濃…
追録7-No.1997 島津重豪覚書(八十歳祝賀の拝領・贈答品)
重豪の八十歳祝賀に関わる拝領物・贈答品を差出人や取次先別に記した覚書。四月二十二日の供揃と甲斐守邸への参向を記し、鯛、朱塗進物盆、輪子錦、帯地、手遊び、縮緬、金子、銀子、包物などを列挙する。甲斐守、おれい殿、幸橋、綾瀬、花岡、富貴、千佐、老女初表使、右筆等からの到来や、親族・奥向き・御家老を介した取…
追録7-No.1998 斉興慶賀の席の特恩を受く
四月二十八日、斉興が三月の慶賀儀礼のため登城した際、用番老中青山下野守忠裕を通じて特別の扱いを受けた記事。大目付松浦伊勢守から、慶賀の席で黒書院溜に着座するよう命が伝えられた。これは縁故による当座の措置で家例とするものではない旨も示され、老中が黒書院杉戸前に列座する中、斉興が特恩に拝謝し、さらに西城…
追録7-No.1999 徳川家斉御内書
徳川家斉が松平榮翁へ、端午の祝儀として帷子・単物が届き、喜んで見たことを伝える御内書。詳しい返答は松平右京大夫から述べさせるとする。朱書は文政七年五月二日で、家斉公黒印を伴う。品物の数量は本文に記さない。
追録7-No.2000 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、端午の祝儀として使者を通じ帷子・単物が献上され、披露されたことを伝える書状。「一段之御仕合」と述べ、謹言で結ぶ。朱書は文政七年五月二日。前の徳川家斉御内書と同じ贈答に関わるが、受理・披露を知らせる別書状である。
追録7-No.2001 池城安昆起請文前書
池城親方安昆の起請文前書。役職を命じられ御座近くに仕えるに当たり、私儀で公務を軽んじず、国法と御条書を堅く守り、悪意・邪儀を見つけた場合は披露し、国王へ分け隔てなく忠勤すると誓う。国中の諸事に私情や親疎を持ち込まず、違反すれば天罰・霊社の罰を受けるとする。文政七年甲申五月十三日、池城親方安昆判。
追録7-No.2002 松平輝延書状(端午御内書の受取通知)
松平右京大夫輝延が松平榮翁へ、端午の御内書を渡すため、翌日の五半時に家来を城へ差し出すよう知らせる書状。朱書は文政七年六月二十四日。掲載するのは受渡しの通知で、御内書そのものの文面や家来の氏名は記さない。
追録7-No.2003 大久保忠真書状
大久保加賀守忠真が松平榮翁へ、今朝献上された鶴一箱について披露を遂げたところ、格別によい結果となった旨を知らせる書状。恐々謹言で結び、朱書は文政七年六月二十七日。目録文字層の「害状」は画像上「書状」と読み、標題を訂正する。
追録7-No.2004 松平乗保書状
松平能登守乗保が松平榮翁へ、今朝鯛一箱が献上され、披露を遂げたところ格別によい結果となった旨を知らせる書状。恐々謹言で結び、朱書は文政七年六月二十七日。前の大久保忠真書状と同じ日付・定型を持つが、差出人と献上品が異なる別書状である。
追録7-No.2005 松平乗寛書状
松平和泉守乗寛が松平榮翁へ、生見玉の祝儀として黄金十両が献上され、披露を遂げたところ格別によい結果となった旨を知らせる書状。恐々謹言で結び、朱書は文政七年七月六日。正文は文庫所在と注記される。
追録7-No.2006 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、生見玉の祝儀として黄金十両が献上され、披露を遂げたところ格別によい結果となった旨を知らせる書状。恐々謹言で結び、朱書は文政七年七月六日。前項2005と内容・日付は同じだが、差出人が酒井忠進である別書状である。
追録7-No.2007 英人宝島の牛を奪取す(斉興公御譜中)
七月八日、薩摩国川辺郡宝島の北方沖へ黒塗り三檣・白帆の大型異国船が来航した記事。小艇で上陸した七、八人は水や食料を身振りで求め、酒・菓子・貨幣・衣服・刃物などを示して交易を試み、自らをイギリス人と称した。島民が小艇を留めると異人は銃撃し、牛を捕らえて肉を奪取したため、中村理兵衛らが番所門口を固めて応…
追録7-No.2008 英人宝島の牛を奪取す(近秘野抄中)
七月八日、白帆の大型異船が宝島沖へ来航し、七人が小艇で前籠へ上陸した事件の別記録。言葉が通じないため身振りで応接し、焼酒・菓子・金銀・衣服などとの交換を求めた異人へ米や野菜を与えたが、島民が小艇を留めると異人は発砲して牛を奪った。番鎮は火縄銃や石火矢を整えて前籠へ進み、九助らが応戦し、異人一人が倒れ…
追録7-No.2009 重豪御鷹の雲雀を拝領す
八月十五日、幕府から使番堀田主馬正路が芝の重豪邸へ遣わされ、重豪に御鷹の雲雀が下賜された記事。重豪は当時わずかに病んでいたため、秋月筑前守種任が代理で受け取ったと記す。
追録7-No.2010 斉興御鷹の雲雀を拝領す(夫人死去記事を併載)
八月十五日以前、上使堀田主馬が斉興へ御鷹の雲雀を下賜したことに続き、翌十六日に斉興夫人松平氏が江戸芝の邸で三十四歳で死去したと記す。法号は宝章院殿玉輪慧光大姉で、江戸の大円寺に葬り、遺髪墓を福昌寺に建立した。目録は雲雀拝領だけを表題にするが、本文後半の死去・葬送記事も同じ印刷2010に含まれる。
追録7-No.2011 信八郎死す(斉興公御系図中)
斉興の男子信八郎について、文政七年甲申八月晦日に島津久尹の養女を母として生まれ、文政九年丙戌十月二十六日に夭亡したと記す系図記事。法名は天如院殿紅山玉露大禅童子。冒頭の系図表示では斉興の子女を男女二十四人とする。
追録7-No.2012 徳川家斉御内書
徳川家斉が松平榮翁へ、重陽の祝儀として小袖一重が届き、喜んで見たことを伝える御内書。詳しい返答は大久保加賀守から述べさせるとする。朱書は文政七年九月七日で、家斉公黒印を伴う。正文は文庫所在と注記される。
追録7-No.2013 松平乗保書状
松平能登守乗保が松平榮翁へ、重陽の祝儀として使者を通じ小袖一重が献上され、披露を遂げた旨を知らせる書状。恐々謹言で結び、朱書は文政七年九月七日。前項の徳川家斉御内書と同じ贈答に関わるが、献上・披露を通知する別書状である。
追録7-No.2014 島津斉興伺書并献上品例書
又三郎の御目見に際し、公方様・内府様・御臺様へ重豪と溪山から先例どおり礼物を献上し、御簾中様へも表向きの品を差し上げたいとして指図を求めた伺書。文化元年六月の初御目見と文政元年十二月の先例を引き、公方様、大納言様、御臺様、御簾中様へ二種一荷などを献上した組合せを列挙する。正文は家老座所在で、朱書は文…
追録7-No.2015 重豪、忠方元服の恩を謝す
十月十四日に重豪が老中へ書を呈し、翌十五日、曾孫又三郎忠方が父斉興に従って初登城し、白書院で先例の献上品を差し出して将軍家斉に御目見した記事。又三郎は「斉」の字を賜って斉彬と改名し、兵庫頭を称した。重豪は山口次右衛門通典らを使者として、公方様・御臺様・御簾中様へ品を献上し、元服の恩を謝した。十一月二…
追録7-No.2016 斉彬始めて登城す
斉興公御譜中の記事で、冬十月十四日、嫡子又三郎忠方が初めて登城したことを簡潔に記す。詳細は忠方譜にあると注記される。前項2015の詳しい御目見・元服記事と関係するが、本項は斉興譜側の短い記事である。
追録7-No.2017 大久保忠真書状(重陽御内書の受取通知)
大久保加賀守忠真が松平榮翁へ、重陽の御内書を渡すため、翌日の五半時に家来を城へ差し出すよう知らせる書状。朱書は文政七年十月十六日。掲載するのは受渡し通知で、御内書そのものの本文は記さない。
追録7-No.2018 重豪、忠宗五百年忌を修す
十一月二十二日、重豪が道義公島津忠宗の五百年忌法事を浄光明寺で営み、使者として家老町田監物久視を遣わして香奠金二百匹を奉った記事。目録表題は忠宗五百年忌の修法を示す。
追録7-No.2019 徳川家斉一字状
徳川家斉が松平兵庫頭へ「斉」の一字を与えた一字状。本文は授与字「斉」、文政七年申十一月二十一日の日付、家斉の花押、松平兵庫頭宛から成る。旧御番所御文書四番箱中に収められ、箱蓋に「斉彬公御譜」の文字があると注記される。
追録7-No.2020 島津斉彬実名勘考
斉彬の実名について、将軍家から賜った「斉」の字と、「彬」の字の成り立ち・意味を考証した書。彬を文質が備わり盛んなさまと説き、陰陽・五行、木と水の関係、神徳、長久・繁栄へ結び付けて、命名は大吉であると論じる。文政七年甲申十一月吉日、臣肥後成之謹撰。右外包には斉彬公御実名考書を折紙に認め、文政八年五月二…
追録7-No.2021 青山忠裕書状
青山下野守忠裕が松平榮翁へ、今朝鰹節一箱が献上され、披露を遂げたところ格別によい結果となった旨を知らせる書状。恐々謹言で結び、朱書は文政七年十二月六日。正文は文庫所在と注記される。
追録7-No.2022 酒井忠進書状
酒井若狭守忠進が松平榮翁へ、今朝鰹節一箱が献上され、披露を遂げたところ格別によい結果となった旨を知らせる書状。恐々謹言で結び、朱書は文政七年十二月六日。前項2021と内容・日付は同じだが、差出人が酒井忠進である別書状である。