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追録7の目録
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追録7-No.1544 松平乘保書状(端午祝儀帷子・単物)
出典を全上と記す。端午の祝儀として使者をもって帷子・単物を献上されたことを披露し、一段の御仕合の旨を伝える。文化十四年の朱書、五月三日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。使者の実名や帷子・単物の数量は記されていない。前書1543の将軍御内書とは差出人・文書形式を分けて採録する。
追録7-No.1545 青山忠裕書状(石花菜献上)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。今朝、石花菜一箱を献上されたことを披露したと伝える。文化十四年の朱書、六月十一日、忠裕判、松平榮翁宛。口裏には青山下野守忠裕と記す。本文に一段の御仕合の文言はなく補わない。品名は石花菜、数量は一箱として保持し、次書1546と合算しない。
追録7-No.1546 松平乘保書状(石花菜献上の披露)
出典を全上と記す。今朝、石花菜一箱を献上されたことについて「可遂披露」と記し、披露する旨を伝える。文化十四年の朱書、六月十一日、乘保判、松平榮翁宛。口裏には松平能登守と記す。上段末の番号・全上から下段本文・署宛までを一通として確認した。前書1545の披露済の表現と本書の披露する旨を区別し、御仕合の文…
追録7-No.1547 斉興が重豪の訓諭を受け家老に命令する経緯記事(前置)
斉興公御譜中。大父公は告老して江府高輪邸に退隠したが、斉興が年若であったため、なお国政を聴くことにあずかったと記す。県官が帰国する際、一門・重役等を戒め、風俗を改め用を節するよう求めていたが、なお効果を見なかった。今茲夏六月、その事について在府家老新納内蔵久命へ親書を送り強く責めた。久命が斉興へ伝え…
追録7-No.1548 定穀系譜抄(斉興男)
御系図中、斉興の男女十九人の枝に定穀を掲げる。初久博、勝之進、千松、刑部大輔、隠岐守の名・官称を記す。文化十四年丁丑六月二十九日生、母は島津樺嵐久尹の養女。松平隠岐守定通の養子となったと記す。本文は冊子五百六頁から次頁の卒日・法名へ続き、安政三年丙辰八月十一日卒、法名は隆聖院殿仁譽忠穆良温大居士。母…
追録7-No.1549 定穀系譜抄(近秘野抄・斉宣公御子)
近秘野抄、見出しは斉宣公御子。定穀にヨシの傍記があり、初名久博、勝之進、千松、刑部大輔、隠岐守を掲げる。文化十四年丁丑六月二十九日江戸生、母は島津樺嵐久迅の養女、実は橘川次郎兵衛時吉の女と記す。天保三年壬辰正月に久博と名づけ、七月二十日に松平隠岐守定通の婿養子となり、八月二十八日愛宕下邸へ入る。十月…
追録7-No.1550 重豪の訓諭と斉興の家老命令の経緯記事(前置)
重豪公御譜中。重豪は告老して江府高輪邸に居たが、なお国政を聴いたと記す。県官が国へ赴く際、一門以下の有司を戒め、風俗を改め用を節するよう求めていたが、なお効果を見なかった。今茲夏六月、その事について在府家老新納内蔵久命へ親書を送り強く責め、久命が太守斉興に伝えた。斉興も政務を深く憂慮し、筆を執って家…
追録7-No.1551 島津重豪諭達(六月、役儀・勝手向・介助)
正文は文庫。以下六月・七月二通は白木御文書八番箱十五番にあるとの注。文化十四年六月、内蔵(新納久命注)宛。去酉、公辺への申立を伴い年老を国元へ遣わし、万事を任せる方針を一門・重役以下に細かく伝えたが、役への召呼時の様子も註立もなく、前年は上野善兵衛・堀殿衛(愛染注)に委細伝達したのに、難渋を直す見通…
追録7-No.1552 島津斉興諭達(七月、訓諭徹底・介助・精勤)
出典は全上、正文は文庫。文化十四年七月、家老中宛の諭達。今回の大御隠居の自筆の仰出について、去酉、公辺への申立を伴う下向の際の思召を一門・重役へ伝えたが、受け止め方が薄く、その後度々の仰出も十分に通じなかったとする。今回の委曲を承り、今後も趣旨が立たなければ介助を断るほかないという仰出は誠に恐れ入る…
追録7-No.1553 川上久芳外二名家老連署申渡(訓諭受止・精勤・請書)
重豪公御譜中、写正文は文庫。去酉、大御隠居が公辺へ願い出た上で下向し、一門を始め沙汰があったこと、その後江戸で役へ召呼し、去年は上野善兵衛・堀殿衛を遣わすなど仰出を重ねたが、趣意通りに取扱いが行き届かなかったと記す。第一に大御隠居が公辺へ心を致し、このたび別紙の通り御筆で仰せ出され、その趣意を太守が…
追録7-No.1554 酒井忠進書状(端午御内書の受取)
出典を全上と記し、正文は文庫にあるとする。端午の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう求める。文化十四年の朱書、七月四日、酒井若狭守署、松平榮翁宛。目録では酒井忠進書状と確認する。上段の出典から下段本文・日付・署宛を一通として確認した。用件の端午と本書日付の七月を分け、重豪本人の登城…
追録7-No.1555 青山忠裕書状(生見玉祝儀)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。生見玉の祝儀として黄金十両を献上されたことを披露し、一段の御仕合の旨を伝える。文化十四年の朱書、七月六日、忠裕判、松平榮翁宛。口裏には青山下野守忠裕と記す。黄金は十両と明記される。次書1556とは独立した書状として品数を保持する。
追録7-No.1556 松平乘保書状(生見玉祝儀)
出典を全上と記す。生見玉の祝儀として黄金十両を献上されたことを披露し、一段の御仕合の旨を伝える。文化十四年の朱書、七月六日、乘保判。次頁に松平榮翁宛と、口裏の松平能登守乘保を記す。本文から宛所・口裏までを一通として確認した。前書1555と同日・同額だが差出人の異なる書状として整理し、黄金二十両とは集…
追録7-No.1557 不断光院住職等の贈答書導入記事
斉興公御譜中。七月、不断光院の住職等の件について、大父公とその本山である江府増上寺の方丈との贈答書を以下に掲げると記す。本項は贈答書を収録するための導入で、住職の姓名・任命完了日や再建の具体的内容を独立には記さない。目録の「重豪、斉興ニ増上寺僧ノ書ヲ与」と、正文の大父公と本山方丈の贈答書という記述を…
追録7-No.1558 島津重豪内意書(不断光院再建・住職等)
重豪公御譜中、正文は文庫。右院宛で、清揚院霊屋の造営・荘厳が手薄なため、崇敬する榮翁が不本意であると伝える。不斷光院は宗門を深く仰ぐため霊屋との兼帯を相談したが時節に至らず延引した。再建計画を一同が喜び、宿坊源壽院看住圓成に相談の上、国元へ遣わして霊屋・供所等を再建修復し、完成後帰山させる旨を方丈へ…
追録7-No.1559 新納久命伺書(不断光院寺格・寺禄・住職)
正文は文庫。右若を「二張紙本文」とする朱注付きで、清揚院霊屋等の再建に源壽院を派遣し帰山させる件、増上寺との住職人選・弟子の関東修学掛錫・寺禄格式の相談を掲げ、割注の応答を付す。不断光院は京都知恩院末寺・領内浄土宗一本寺で、正徳二年に清揚院位牌を造立し、大御隠居の思召により寺家を造替した由来を述べる…
追録7-No.1560 伊集院兼当書状(不断光院書付・返答の処理)
出典を全上とし、扣正文は家老座にあると記す。別紙張紙の通り仰出があったため申し越す。増上寺方丈から使僧をもって伝えられた不断光院一件について、別紙案文どおりの手扣書を添え、留守居使をもって増上寺へ返答するよう命じる。両日中に使者を勤めさせるよう留守居へ渡し、留守居の誰が何日に使者を勤めるか知らせるこ…
追録7-No.1561 伊集院兼当書状(不断光院寄附額の訂正)
出典は全上、扣正文は家老座にあるとする。昨日、不断光院一件の仰出書付を差し上げた中では、従前の寺高の外に二百石を寄附する旨を申し置いたが、従前の高二十石余に今百八十石を重ね、都合二百石とする内容であるため、その通り取り計らうよう早く申し上げると記す。文化十四年の朱書、七月七日、伊集院隼衛署、新納内蔵…
追録7-No.1562 近藤隆左衛門口上手扣書并案文(不断光院一件)
出典は全上、扣正文は文庫。口上手扣に案文の引札があり、国元不断光院の再興について榮翁に詳しく伝えて了承を得たとする。清揚院位牌安置への崇敬と再興計画を述べ、住持が別当職を兼ねること、寺格の不都合を整える相談を具に承知したと返す。寺社奉行・国元一派寺院への伝達を求め、住職等は豊後守への申越後に了解・返…
追録7-No.1563 早川兼備伺書(御即位祝儀献上物・付札)
重豪公御譜中、扣正文は家老座にあるとする。当秋の「御即位」に付く祝儀として、豊後守に公方様・右大将様への献上物が仰せ渡されたため、隠居榮翁・修理大夫からの献上物をどうすべきか伺う。朱の御付札には「不及献上物候」とあり、献上物に及ばずという回答を付す。文化十四年の朱書、七月廿七日、本文末尾は松平豊後守…
追録7-No.1564-1 不断光院取立条書(1564の1)
重豪公御譜中、扣正文は家老座。清揚院霊前の水引華蔓付葵紋・打鋲を本堂からの宜方とし寄附する。本堂の仏具・水引・打鋲等は檀家祠堂等の寄附銀で寺が取り計らい、水引華蔓・打鋲には十文字紋とする。霊屋・本堂・鎮守春日社・大門表通は今後も修用、春日社は近衛の由緒があり永代近衛から修復するが僧の手当だけでは行き…
追録7-No.1564-2 伊集院兼当書状(不断光院住職・隠居願・転住)
不断光院再興に付き、住職を清揚院霊屋別当として国家繁栄の祈禱に相応しい僧にしたいと記す。宗門法例により本山で人選して任命し、以後国許出生の堪能な僧があれば評議の上任命する件を、先に増上寺方丈が使僧をもって伝え、その返答は使者から報告され、家老衆へも詳しく伝えてあるとする。現住持には隠居願の内存がある…
追録7-No.1564-3 伊集院兼当書状(内沙汰添書・圓成遣国手配)
別紙二通の通り大御隠居の内沙汰があったため、家老衆へ申し出て万端宜しく取り計らうよう求める。允許へ向けた件は家老衆が取り調べ伺い、国元の家老衆と内蔵殿との間で一件をまとめるよう申し出ることを命じる。さらに源壽院圓成は明後十二日にここを出立する予定なので、国元へ連絡し、道中の人馬・泊宿等が都合よくなる…
追録7-No.1564-4 寺社奉行届書(不断光院一件取計依頼)
不断光院再興について、清揚院霊前・本堂仏具水引等の寄附、霊屋・本堂・鎮守春日社・大門の今後の修用、書院・玄関の寺社方修繕、ほか八箇条の取立と福昌寺次の格式を挙げる。さらに住職一件の仕向・現住持の隠居願、不断光院内芳樹庵の本誓寺転住と役僧分担等について、大御隠居内沙汰を受け伊集院隼衛から別紙で申し越さ…
追録7-No.1565 不断光院昇格・田禄給付・下馬札の記事
重豪公御譜中。同年九月朔日、不断光院を着座門首へ昇格し、その席を福昌寺の次としたと記す。寺へ田禄百七十九石六斗七升一合八勺八撮を給付し、元からの附田禄二十石三斗二升八合一勺二撮と合わせ二百石とする。冬十月、柵門表に下馬牌坊を建てたと記し、皆余意によると述べる。寄附の新高・従前高・合計を区別し、156…
追録7-No.1566 島津久備証状(不断光院寺格・席順)
正文は不断光院にあるとする。不断光院の寺格を着座門首とし、席順を福昌寺の次にしたことを、大御隠居の思召によって仰せ付けたと記す。九月、安房署、不断光院宛。目録で島津久備証状とする。本書は寺格・席順の証状であり、前書1565の田禄数量や十月下馬札の記事は本書に記載がなく移さない。
追録7-No.1567 寺社奉行申渡書(不断光院寄附高)
正文は不断光院にあるとする。冒頭に高百七十九石六斗七升一合八勺八撮、不断光院と掲げる。清揚院位牌を建立し、先に再建を命じたため、当分の寄附高二十石三斗二升八合一勺二撮と、この節の取揚高からの冒頭高を重ね、都合二百石を召し付けた旨を安房から仰せ渡されたので、その旨を申し渡す。文化十四年の朱書、九月、寺…
追録7-No.1568 徳川家斉御内書(重陽祝儀)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは酒井若狭守から述べる旨を伝える。文化十四年の朱書、九月七日、家斉公墨印、松平榮翁宛。小袖の数量は一重。重陽の祝儀と書状の日付を区別し、九月九日付へ置き換えない。
追録7-No.1569 松平乗保書状(重陽祝儀)
島津重豪が重陽の祝儀として、使者を通じ小袖一重を献上したことについて、松平乗保が披露済みと重豪へ報告する返書。「一段之御仕合」と述べる。年は文化14年の朱書、日付は9月7日。松平能登守乘保判、宛名は松平榮翁。1568号の家斉御内書と同じ祝儀一件に関わる。
追録7-No.1570 重豪公御譜(重豪・斉興の家老告諭に先立つ記事)
重豪公御譜中。夏六月に家老へ国政を任せるに当たり戒めたことを受け、この時、重豪と斉興がさらに自ら筆をとり、丁寧に家老を告諭したと記す。「若干寄・大日附・如左」と続き、以下に書付を掲げる前置きである。この範囲には告諭の具体的な条項本文はなく、後続1571等の内容をここへ移さない。目録は文化十四年の記事…
追録7-No.1571 島津重豪達書(一門・重役の規律と狩場取締)
正文は文庫にあり、白木御文書八番箱中十六番にあると注記する。先年国元下向時、五本松一門方を始め重役一統へ直接伝えた趣旨を再説。一門方は格別として別段に申聞し、世間徘徊の供立差別、下屋敷・鷹野等の供廻の身分違いは家老から差図して追って伝えるよう命じたが、その後、家名に関わる世間の風俗へ関与するなど配慮…
追録7-No.1572 島津斉興達書(一門の規律遵守)
正文は文庫にあり、白木御文書八番箱中十六番にあると注記する。大御隠居が先年下向の際、一門方を始め重役へ直接伝え、一門方は格別として別段に申し聞かせた趣旨があることを述べる。世間徘徊等の次第について、先年の詳しい申聞にもかかわらず程を過ぎ、間知(ママ)の猥な向もあると聞く。今回、御筆による仰出を承知し…
追録7-No.1573 斉興公御譜(重豪の戒めと斉興の告諭に先立つ記事)
斉興公御譜中。九月、大父公がさらに厳しく命じ、一門の行いを慎み重職に勉める事を戒め、その言は丁寧で反復されたと記す。これを受け斉興も旨を奉じ、一門及び重職へ告諭したとして「如左」と続く。次の達書等へ導く前置きであり、ここには告諭の具体的な条項本文はない。謹按は、重豪公譜にも載るが国政の重要事で後世へ…
追録7-No.1574 島津重豪達書(一門・重役への再示諭)
重豪公御譜中。正文は文庫にあり、白木御文書八番箱中十六番の包内にあると注記する。先年下向時、一門方を始め段々に申し聞かせた趣旨が、追年兎角に弛み緩疎となったと聞くのは甚だ不行届とする。重役は国中の目当となるので入念にし、無益の企てや世間徘徊等まで十分勘弁すること、既に命じた趣旨を毛頭閑にせず熟談し、…
追録7-No.1575 島津斉興達書(重豪御筆を受けた精勤指示)
重豪公御譜中。正文は文庫にあり、白木御文書八番箱中十六号の一包内にあると注記する。今回、大御隠居の御筆で其方共に仰せ出された御紙面の趣旨を承知し、一々尤もとする。先年下向時の細かい指示と、それ以前に下知された旨を皆承知しながら、追年緩疎となるのは宜しくないと戒める。大御隠居の手厚い介助は第一に国家の…
追録7-No.1576 川上久芳外三名家老連署申渡書(重豪・斉興の御意伝達)
出典は全上、写正文は文庫にあるとする。今回の重豪御筆を受け、先年下向時の申聞に対して一門が弛むのは不行届で、重役は入念にし、無益の企てを避け、世間徘徊等まで勘弁し、所帯向を含め巨細に心を配ること、公辺への取締申立は軽事ではなく、今後小事でも不束なら済まないので精勤すべきことを伝える。差出者共と大目付…
追録7-No.1577 酒井忠進書状(重陽御内書の交付案内)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。重陽の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう求める。文化十四年の朱書、十月廿日、酒井若狭守署、松平榮翁宛。差出者の実名忠進は目録による。本文は家来の派遣を求める案内であり、家来が登城して受け取ったとの完了報告ではない。重陽の御内書の交付案内という…
追録7-No.1578 久光系譜抄(御系図・斉興公御子)
御系図、斉興公御子、男女九人のうち久光を記す。初忠教、普之進、又次郎、山城、周防、和泉、三郎の名乗りを掲げ、従四位下左近衛少将・大隅守、従四位上左近衛中将、参議、従三位、従二位、内閣顧問、左大臣、正二位勲一等、従一位大勲位を列記する。文化十四年丁丑十月二十四日生、母は岡田小藤次利武の妹。島津山城忠公…
追録7-No.1579 久光系譜抄(近秘野抄・忠教)
近秘野抄、斉興公御子、忠教。初字普之進、又次郎と称す。文化十四年丁丑十月二十四日、府城に生まれ、母は岡田利武の妹、名山良とする。十五年戊寅三月朔日、種子島蔵人幡時に命じて養子とした。文政八年乙酉三月、前命により彼家から還ったとし、当時なお府城にいて、かつて適いたことがないとの注記がある。四月に島津又…
追録7-No.1580 鎌田政與書状(不断光院下馬札)
重豪公御譜中、扣正文は家老座にあるとする。この節、不断光院に下馬札を建てる旨、先達て御内沙汰があり、御役人へ吟味を申し渡していたところ、別紙絵図面の通り仰せ付けたいとの申出があったため、その通り申し渡したと述べる。この件を申し越すので伝達を求める。文化十四年の朱書、十一月三日、鎌田典膳署、新納内蔵殿…
追録7-No.1581 新納久命返書(不断光院下馬札・絵図面返却)
前書1580の不断光院下馬札に関する十一月三日付書状上に、朱書で返答が記されている。朱書には「御聴絵図面相返候、以上」とあり、絵図面を返す旨を述べる。日付の傍らに朱「十二月十九日」、新納内蔵殿の側に朱「下」、鎌田典膳の側に朱「上」の表示がある。目録は新納久命返書、十二月十九日とする。原文の十一月三日…
追録7-No.1582 松平乗保書状(重陽奉書の交付案内)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。重陽の奉書を渡すので、明日四時に西丸へ家来を差し出すよう求める。文化十四年の朱書、十一月十二日、松平能登守署、松平榮翁宛。乗保の実名は目録による。本文は翌日の家来派遣を求める案内であり、受取済みの報告ではない。1577の御内書交付案内とは書状日付・時刻・場所・奉…
追録7-No.1583 斉宣総髪・改号記事(近秘野抄)
近秘野抄、斉宣公。文化十四年丁丑十二月九日、総髪とし、号を溪山へ改めたと記す。本文の号は溪山であり、入力の湊山を修正する。総髪・改号の記載範囲にとどめ、出家の儀礼や理由、誰の許可を受けたかなどは補わない。別資料1526にある文化十三年の総髪・溪山号の記事とは、本文の日付が異なるため各原記載を保持する…
追録7-No.1584 重豪による日新公二百五十年忌法事の記事
重豪公御譜中、斉興公御譜中にもあると注記する。今年冬十二月十三日、日新公二百五十年忌の法事を加世田郷日新寺で修したと記し、二日間に「自十二日・至十三日」の注がある。重豪も家老島津安房久備を同寺へ遣わし、香奠金二百疋を進献して代拝させた。法事の記事日付十三日と、二日間の開始十二日・終了十三日を区別する…
追録7-No.1585 川上久芳外三名家老連署書状(国王年首祝儀)
出典は全上、写正文は琉球国司にあるとする。国王の尊書を拝見し、年首の祝儀として大御隠居へ目録の通り差し上げた品が江府へ到来したので披露したところ、御満足の思召であったことを述べ、この旨を洩達するよう求める。文化十四年の朱書、十二月十五日、鎌田典膳・嶋津安房・町田監物・川上右近署、各實名判表示、三司官…
追録7-No.1586 川上久芳外三名家老連署書状(若殿痘瘡回復祝儀)
出典は全上。国王の尊書を拝見し、若殿が痘瘡を経て御酒湯まで済ませたことへの祝儀として、伊舎堂親方をもって大御隠居へ目録の通り差し上げた品が江府へ到来したので披露したことを述べ、この旨を洩達するよう求める。文化十四年の朱書、十二月十五日、鎌田典膳・嶋津安房・町田監物・川上右近署、各實名判表示、三司官宛…
追録7-No.1587 川上久芳外三名家老連署書状(太守の普請御用金上納祝儀)
出典は全上。国王の尊書を拝見し、太守が去歳、川々の御普請御用金を命じられ、上納を済ませたことへの祝儀として、伊舎堂親方をもって大御隠居へ太刀一腰・御馬代白銀五十両および目録の通り差し上げた品が江府へ到来したので披露したことを述べ、この旨を洩達するよう求める。文化十四年の朱書、十二月十五日、鎌田典膳・…
追録7-No.1588 川上久芳外三名家老連署書状(太守時服拝領祝儀)
出典は全上。国王の尊書を拝見し、太守が去年十二月朔日に召されて登城した際、川々の御普請御用を勤めたことにより御目見・御懇の上意を受け、時服を拝領したことへの祝儀として、伊舎堂親方をもって大御隠居へ申し上げた御紙上の趣旨が江府へ到来したので披露したことを述べ、この旨を洩達するよう求める。文化十四年の朱…
追録7-No.1589 川上久芳外三名家老連署書状(都姫入輿祝儀)
出典は全上。国王の尊書を拝見し、都姫が去歳、近衛様御方に入輿し、君号を進められ、御式向も滞りなく済んだことへの祝儀として、伊舎堂親方をもって大御隠居へ申し上げた御紙上の趣旨が江府へ到来したので披露したことを述べ、この旨を洩達するよう求める。文化十四年の朱書、十二月十五日、鎌田典膳・嶋津安房・町田監物…
追録7-No.1590 川上久芳外三名家老連署書状(種姫縁組祝儀)
出典は全上。国王の尊書を拝見し、種姫の縁組が願いの通り仰せ出されたことへの祝儀として、伊舎堂親方をもって大御隠居へ目録の通り差し上げた品が江府へ到来したので披露したことを述べ、この旨を洩達するよう求める。文化十四年の朱書、十二月十五日、鎌田典膳・嶋津安房・町田監物・川上右近署、各實名判表示、三司官宛…
追録7-No.1591 川上久芳外三名家老連署書状(定姫出生祝儀)
出典は全上。国王の尊書を拝見し、去歳女子が出生し、定姫と称することになった件への祝儀として、大御隠居へ申し上げたものが江府へ到来したので披露したことを述べる。文化十四年の朱書、十二月十五日、鎌田典膳・嶋津安房・町田監物・川上右近署、各實名判表示、三司官宛。出生と命名を祝儀の理由として採録するが、本文…
追録7-No.1592 川上久芳外三名家老連署書状(姫君逝去の機嫌伺)
出典は全上。国王の尊書を拝見し、姫君が逝去したことに際して、大御隠居への機嫌伺として伊舎堂親方をもって申し上げた御紙上の趣旨が江府へ到来したので披露したことを述べる。文化十四年の朱書、十二月十五日、鎌田典膳・嶋津安房・町田監物・川上右近署、各實名判表示、三司官宛。姫君の実名・逝去日や、贈品・数量は本…
追録7-No.1593 川上久芳外三名家老連署書状(智姫天亡の機嫌伺)
出典は全上。国王の尊書を拝見し、智姫が天亡したことに際して、大御隠居への機嫌伺として伊舎堂親方をもって申し上げた御紙上の趣旨が江府へ到来したので披露したことを述べ、この旨を洩達するよう求める。文化十四年の朱書、十二月十五日、鎌田典膳・嶋津安房・町田監物・川上右近署、各實名判表示、三司官宛。上段の本文…
追録7-No.1594 青山忠裕書状(鰹節一箱披露)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。今朝献じられた鰹節一箱について披露を遂げたところ、一段の御仕合であると伝える。文化十四年の朱書、十二月十九日、忠裕判、松平榮翁宛。口裏に青山下野守忠裕とある旨の朱注も採録する。本文の数量は鰹節一箱であり、続く書状にある右大将への献上記事は本書へ移さない。披露済み…
追録7-No.1595 酒井忠進書状(右大将への鰹節披露)
出典は全上。今朝、右大将へ鰹節一箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文化十四年の朱書、十二月十九日、忠進判、松平榮翁宛。口裏に酒井若狭守忠進とある旨の朱注を、次頁上段で確認した。右大将への献上という対象を1594の青山忠裕書状と区別して保持し、本書の数量を一箱とする。二通を…
追録7-No.1596 島津重豪書状(女御入内祝意・御前への取成依頼)
重豪公御譜中、扣正文は右筆所にあるとする。一筆申し上げ、上々様がますます機嫌よくお過ごしであることを恐悦と述べる。このたび女御入内が首尾よく済んだのはめでたいので、その祝儀を申し上げたいとし、序の折に御前へよいように取り成してほしいと頼む。追書でも、何卒よろしく御沙汰を頼む旨と祝意を述べる。文化十四…
追録7-No.1597 島津重豪書状(女御入内祝意・御臺様への取成依頼)
出典は全上。一筆申し上げ、上々様がますます機嫌よくお過ごしであることを恐悦と述べる。このたび女御入内が首尾よく済んだことを祝い、その祝儀を申し上げたいので、序の折に御臺様へよいように取り成してほしいと頼む。追書でもよろしく御沙汰を頼む旨と祝意を述べる。文化十四年は朱書、月日はない。末尾は歌はし・あす…
追録7-No.1598 島津重豪書状(女御入内祝意・御簾中様への取成依頼)
出典は全上。一筆申し上げ、上々様がますます機嫌よくお過ごしであることを恐悦と述べる。女御入内が首尾よく済んだことを祝い、その祝儀を申し上げたいので、序の折に御簾中様へよいように取り成してほしいと頼む。追書でも、何卒よろしく御沙汰を頼む旨と祝意を述べる。文化十四年は朱書、月日はない。末尾は萬里小路・山…
追録7-No.1599 徳川家斉御内書(歳暮祝儀)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは阿部備中守から述べる旨を伝える。文化十四年の朱書、十二月廿七日、家斉公墨印、松平榮翁宛。本文の贈品数量は小袖一重。委曲を述べる阿部備中守の実名は本書に記されていないため補わない。先の重陽祝儀書状とは日付と…
追録7-No.1600-1 御記録所問合書留(公辺の産穢・忌服中代参取扱)
御記録所の問合書留。白木八番箱二十一番、文化十五年の前置を持ち、産穢・忌服中の代参を江戸留守居経験者に照会し、返答を引札に記す。朱張紙は、産穢中の代参は流れ、御正統方年回法事で穢明け後の代参を命じる場合は祭主のない事として区別する。忌中の法事は延期も申し付けないが、芳蓮院等格別の年回は法事延期の筋、…
追録7-No.1600-2 篠原善助照会書状と得能正助返答留(慈光院法事代参)
慈光院年回の浄光明寺法事に当たり、太守が産穢中で代参を命じない取扱について、文化三年寅二月の指示を受けつつ、当座吟味書では代参を命じ法事を済ませるべきとするので再吟味・先例調査を求める照会。指示は宝永・正徳年鑑に準じるようだが、産穢中の代参なし・穢明け後の代参という取扱の始末が詳らかでなく、文化三年…
追録7-No.1601 酒井忠進書状(若菜祝儀)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。若菜の祝儀として献じられた鯛一折を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文化十五年の朱書、正月七日、忠進判、松平榮翁宛。口裏に酒井若狭守忠進とある旨の朱注を採録する。本文の贈品は鯛一折で、若菜という祝儀名を別の贈品として数えない。次書1602の右大将への鯛…
追録7-No.1602 阿部正精書状(右大将への若菜祝儀)
出典は全上。若菜の祝儀として右大将へ献じられた鯛一折を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文化十五年の朱書、正月七日、正精判、松平榮翁宛。口裏に阿部備中守正精とある旨の朱注を、次頁上段の署宛部分で確認した。右大将への献上という対象と鯛一折の数量を保持し、若菜を別の品として補わない。披露済みの…
追録7-No.1603 島津斉興吉書
白木御文書八番箱中十七、吉書。第一条は神社仏閣の修造興行、第二条は専ら農事を勧めること、第三条は国々の年貢を徴納すべきことを掲げる。右の三箇条の旨に任せて沙汰するよう命じる。文化十五年正月十一日、斉興御判。各条は指示として採録し、社寺工事・勧農・年貢徴納が完了したという報告にはしない。本文には個別の…
追録7-No.1604 酒井忠進書状(年頭祝儀)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・御馬代黄金十両を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文化十五年の朱書、正月十一日、忠進判。口裏に酒井若狭守とある旨の朱注を採録する。宛名は松平榮翁で、同頁下段右端へ続く。太刀の数量一腰と馬代黄金十両を分…
追録7-No.1605-1 島津重豪達書(取調・吟味の迅速化)
白木御文書八番箱二十番。取調事や吟味を命じた際、手間がかかる事もあると認めつつ、国元で差し掛かる事は無油断に調べ、何としても長引かせないよう取扱を求める。所帯向に関わる取調を身辺の利として貯めるような意味があると戒め、以後はそのようなことをせず十分入念に取り調べるよう命じる。年勝の者は手向が不手操で…
追録7-No.1605-2 島津重豪達書(役人の勤功・器量による処遇)
重役はもちろん諸役向・書役・小役人の身分取扱について、先代から年数や勤功の沙汰で取り扱ってきたが、近来は専ら年数にとらわれ自然と勤功が薄くなると指摘する。以後は器量があり用立つ者なら年数に構わず差別して申し付けるべきとする。多年勤めても格別の勤功がない者は、その人に応じた差別を申し出る。身分を引き上…
追録7-No.1605-3 島津斉興添書(重豪仰出二通への添書)
今度、大御隠居から別紙二通をもって仰せ出された旨を承知し、一々尤もであるから、今後その趣意にかなうよう取り扱うことを求める。四月、家老中宛。包紙には太守様御添書一通とあり、文化十五年寅四月廿六日、伊豆殿から丸野直右衛門へ御渡となり、白木御文書八番箱へ納めたと記す。本文の四月と、包紙に記された四月二十…
追録7-No.1606 阿部正精書状(歳暮御内書の交付案内)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう求める。文化十五年の朱書、二月廿日、阿部備中守署、松平榮翁宛。差出者の実名正精は目録による。上段の出典と下段の本文・署宛を一通として確認した。歳暮という用件名を本書の日付二月二十日と区別し、十二月へ置き…
追録7-No.1607 松平乗保書状(歳暮祝儀の小袖一重)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。歳暮の祝儀として使者をもって小袖一重を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文化十五年の朱書、二月廿五日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。小袖の数量一重と、使者をもって献じたことを保持する。本文の歳暮祝儀という用件名から日付を十二月へ変更せず、…
追録7-No.1608 松平乗保書状(年頭祝儀)
出典は全上。年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・御馬代黄金十両を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文化十五年の朱書、二月廿七日、乘保判、松平榮翁宛。口裏に松平能登守とある旨の朱注を採録する。太刀一腰と馬代黄金十両を分け、実際の馬の頭数や使者の実名は補わない。二月二十七日の日…
追録7-No.1609-1 島津斉興願書(留守居早川渡による申上)
白木御文書八番箱中二十二番。甘露寺大納言は豊後守と由緒があるため、今回の参向に際し江戸逗留中に高輪・白金両屋敷へ招きたい旨を申し上げる。文化十二年に右大納言が参向した際、願いのうえで招いた先例があるので、それに奉倣するよう豊後守から申し付けられたとして申上する。二月廿七日、松平豊後守内早川渡殿。傍注…
追録7-No.1609-2 甘露寺国長続書(招待願添付の続柄説明)
甘露寺大納言について、豊後守の従弟達との続合がある旨を記す。前書1609-1の高輪・白金屋敷招待願に続く一通の続柄説明で、原文の「豊後守従弟達之續合」を保持する。別の「又一通左ノ如シ」の表示が次の1609-3へ導く。本文には差出・宛所・月日や、従弟達の個別姓名、続柄の具体的な経路が記されていないため…
追録7-No.1609-3 早川兼備届書(甘露寺招請書付の取次)
書附一通・御付札あり。当年参勤で西宮から伏見まで人馬を用い山崎道を通行する届の表示があり、同一通右同と続く。付記では甘露寺の参向に際し、江戸逗留中に高輪・白金両屋敷へ招請する件を、差出者名で当番阿部備中守方の用人町野多膳へ達したとする。今日中に差出す旨の切紙が用人から届き、出向いたところ、書付への付…
追録7-No.1609-4 早川兼備届書(甘露寺招待取りやめ)
甘露寺大納言の江戸逗留中、豊後守の高輪・白金両屋敷へ招待することは以前の通り申し付けていたが、差し掛かって榮翁・溪山が不快であるため、今回は招かないと届ける。三月六日、御名内早川渡殿。傍注は榮翁を島津重豪、溪山を島津斉宣とする。前の願いと張紙の承認を受けた招待予定に対し、今回の不快を理由に不招とする…
追録7-No.1609-5 早川兼備届書(不招届書の受領報告)
書附一通。甘露寺大納言の江戸逗留中に高輪・白金両屋敷へ招く件は、御二方が不快なので招かないとの届について、当番青山下野守方の用人山室九左衛門へ持参し、御勝手に差し出したところ、御落手となったとのことで、用人からその旨を聞いたと報告する。今夕私が勤めた旨を述べる。三月六日、早川渡殿、内蔵様宛。包紙に御…
追録7-No.1610 島津久備申渡書(普之進養子・呼称の取扱)
白木御文書八番箱中十八、御記録奉行宛。去年大奥で出生した男子を普之進様と称する思召があり、これまで内分扱いであったが、追って書状があり、この節、種子島蔵人の養子とする旨を申し渡す。以後は「殿」の文字を用い、御本丸にいる間は末子様に準じる扱いとし、彼方へ引越した後も家格の通り、一世は「殿」を用いるよう…
追録7-No.1611 松平乗保書状(歳暮奉書の交付案内)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。歳暮の奉書を渡すので、明日四時に西丸へ家来を差し出すよう求める。文化十五年の朱書、三月十日、松平能登守署、松平榮翁宛。乗保の実名は目録による。歳暮という用件名を、三月十日の本書日付と区別して保持する。本文は家来派遣の案内で、奉書を受け取ったという完了報告ではない…
追録7-No.1612 増上寺役者書状(不断光院住持の選任)
重豪公御譜中、正文は不断光院にあるとする。薩州不断光院住持交代は従前国主が命じ、同院に清揚院霊屋を造営したが、追年手薄となったことを榮翁が不本意として、去丑年、大僧正方と相談のうえ国主が霊屋・供所等を再建修復し、寺格と住持の仕向を改め、清揚院別当職を命じたと述べる。以後の住持交代には当山で別当職に相…
追録7-No.1613 重豪による忠隆三百年忌法事の記事
重豪公御譜中、斉興公御譜中にもあると注記する。文化十五年戊寅、夏四月四日、興岳公の三百年忌法事を鹿児島隆盛院で修したと記す。興岳公に島津忠隆との傍注がある。重豪は家老島津安房久備を遣わして、香奠金二百疋を献じ拝礼させた。出典表示から次段の法事本文までを連結して確認した。金の原単位は疋であり、両へ換算…
追録7-No.1614 徳川家斉御内書(端午祝儀)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、詳しいことは土井大炊頭から述べる旨を伝える。文化十五年の朱書、五月二日、家斉公墨印、松平榮翁宛。本文には帷子・単物の数量が記されていないため、小袖一重等の他書の数量を移さない。五月二日の書状日付を端午の日へ置き換え…
追録7-No.1615 松平乗保書状(端午祝儀)
出典は全上。端午の祝儀として使者をもって帷子・単物を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文化十五年の朱書、五月二日、松平能登守乘保判、松平榮翁宛。使者の実名や帷子・単物の数量は記されていないため補わない。1614の到来を喜ぶ家斉御内書と、披露済みを伝える本書の役割を区別し、二通…
追録7-No.1616 文政改元の記事
出典は全御譜中とし、斉宣公・斉興公御譜中にもあると注記する。この年に文政へ改元したことを記し、五月四日、大家が諸侯へ令を伝え、同二十五日に薩府へ達したと述べる。改元したという年の記述、諸侯への伝令日、薩府への到達日を区別して採録する。本文は通知の伝達を記した記事で、五月四日を改元そのものの実施日と断…
追録7-No.1617 斉興参勤記事(斉興公御譜)
斉興公御譜中。五月二十五日、斉興が鹿児島を発したと記し、江府着は不詳との注記がある。目録は文化十五年の参勤記事として位置付ける。本文で確実な鹿児島出発日を採録し、江府到着日は不詳のままとする。次書1618にある芝邸到着や朝覲の日付を本書の原記載として補わない。
追録7-No.1618 斉興参勤・従四位上左近衛中将叙任記事(近秘野抄)
近秘野抄中、斉興公。文政元年戊寅五月四日に首途、二十五日に府城を発し、七月十三日に芝邸へ至ったと記す。同月二十五日、大家が使者水野出羽守忠成を邸へ遣わして労い、二十八日に朝覲礼を行った。十二月十六日、従四位上左近衛中将に叙任されたと記す。首途の五月四日と実際に府城を発した二十五日、芝邸到着、使者の労…
追録7-No.1619 宜野湾朝祥起請文前書(霊社神文前書)
白木御文書八番箱中二十四番、霊社神文前書の事。第一条は去歳、読谷山王子の跡役を自分に命じられた厚恩を有難く思うこと。第二条は新義があっても御二殿様・若殿様に逆意を抱かず忠義に励むこと。第三条は国王に疎略の志があり国中の附鳴などで政道を正すよう命じる場合でも、邪欲で国法を猥に扱わないこと。第四条は悪逆…
追録7-No.1620 青山忠裕書状(魚品一箱披露)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。今朝献じられた魚品一箱(原字は鰑と読める)を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文政元年の朱書、六月廿一日、忠裕判、松平榮翁宛。口裏に青山下野守忠裕とある旨の朱注を採録する。魚品の数量一箱と披露済みを保持する。原字の品種同定は留保し、鰯・鯣など別の字へ無…
追録7-No.1621 酒井忠進書状(右大将への魚品披露)
出典は全上。今朝、右大将へ献じられた魚品一箱(原字は鰑と読める)を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文政元年の朱書、六月廿一日、忠進判、松平榮翁宛。口裏に酒井若狭守忠進とある旨の朱注を次頁上段で確認した。本文と署宛を連結し、右大将という献上先と一箱の数量を採録する。魚品の品種同定は1620…
追録7-No.1622 土井利厚書状(端午御内書の交付案内)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。端午の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう求める。文政元年の朱書、六月廿八日、土井大炊頭署、松平榮翁宛。差出者利厚は目録による。端午という用件名を六月二十八日の書状日付と区別し、五月へ置き換えない。家来を派遣して受け取るよう求める案内で、受取済…
追録7-No.1623 酒井忠進書状(生見玉祝儀)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。生見玉の祝儀として献じられた黄金十両を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文政元年の朱書、七月六日、忠進判、松平榮翁宛。口裏に酒井若狭守忠進とある旨の朱注を下段で確認した。本文の祝儀名は生見玉、数量は黄金十両であり、前の魚品一箱や端午の交付案内とは別件と…
追録7-No.1624 阿部正精書状(右大将への生見玉祝儀)
出典は全上。生見玉の祝儀として右大将へ献じられた黄金十両を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文政元年の朱書、七月六日、正精判、松平榮翁宛。口裏に阿部備中守正精とある旨の朱注を伴う。同日付の1623も生見玉の祝儀を伝えるが、本書には右大将への献上であることを記す。
追録7-No.1625 重豪公御譜記事(江戸藩邸への戒めの前置)
重豪公御譜中の記事。斉興が在国しているこの年、江戸藩邸の諸司に酒宴・奢侈やひそかな閑微行をする者があった。隠居して高輪邸にいた重豪はこれを聞いて悪み、自ら筆を執って奢りを禁じ法を守ることを書き、守邸家老町田監物久視に命じて邸中を警めたと記す。末尾は「如左」として次の諭達へ続く前置であり、具体的な条項…
追録7-No.1626 島津重豪諭達(江戸藩邸の取締・質素倹約)
正文は文庫にあるとする。重豪は監物に、従来の沙汰を忘れず屋敷取締を行き届かせ、万事を弛めないよう命じる。格別の省略に伴い着服も質素にし、近来の華美を戒め、特に重役は慎み、無益・遊興を抑え、客の取扱も手軽にする。日夜用向を取調べる時節なのに、他出が度々あり、内外の打寄り酒宴や屋敷内への婦人の入込みを聞…
追録7-No.1627 斉興公御譜記事(重豪の江戸藩邸諸司への禁令)
斉興公御譜中の記事。この年七月、斉興は在国しており、江府藩邸の諸有司には酒宴を行い、ひそかに閑微行をして遊惰の風を作す者があった。高輪邸にいた祖父重豪はこれを聞き、自ら筆を執って禁令を出し、守邸家老町田監物久視に命じて邸中を警めたと記す。その文は大父公譜に載せるとする。1625が重豪公御譜側の前置、…
追録7-No.1628 重豪公御譜記事(島津義弘二百年忌法事)
重豪公御譜中、斉興公御譜にもあるとする。この年秋七月七日、松齢公の二百年忌法事を伊集院妙圓寺で三日間、七月九日から十一日まで修したと記す。松齢公には島津義弘の傍注を伴う。重豪は大目附畠山式部義矩を遣わし、この日は仮に家老として、香奠金二百疋を献じ拝させた。記事の日付七月七日と法事期間九~十一日を区別…
追録7-No.1629 斉興公御譜記事(御鷹の雲雀拝領)
斉興公御譜中の記事。秋八月十三日、上使戸塚豊後守によって、斉興に御鷹の雲雀を賜ったと記す。下賜品は御鷹そのものではなく、本文で御鷹の雲雀とする鳥である。戸塚豊後守は上使という役割で記され、実名や贈品の羽数は本文に示さない。年は目録・前後記事の文政元年による。
追録7-No.1630 徳川家斉御内書(重陽祝儀の小袖一重)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、委曲は青山下野守が述べると伝える。文政元年の朱書、九月二日、家斉公墨印、松平榮翁宛。祝儀の名目は重陽、到来品の数量は小袖一重である。青山下野守は詳しい事情を伝える者で、本文の宛先や署名者ではない。
追録7-No.1631 酒井忠進書状(重陽祝儀の小袖披露)
出典は全上。重陽の祝儀として、使者によって献じられた小袖一重を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。文政元年の朱書、九月二日、酒井若狭守忠進判、松平榮翁宛。本文・日付・署名は上段、宛名は同頁下段の右端に続く。同日付の1630は家斉の御内書、本書は酒井忠進から献上品を披露した旨の報告である。いず…
追録7-No.1632 脇坂安董続書(目録。本文御續書)
目録は脇坂安董続書とする。本文の表紙は文政元年寅十月、御續書壱通、御記録所。脇坂の親族の続柄を、御娘・御妹・御弟・御孫・御孫女・御甥・御姪・御従弟・御従弟女・御分知と列記する。娘は秋月筑前守種任の奥、妹は北條相摸守の母正岸院と田村右京大夫の養母寶壽院、弟は六角桂ひ(原注ママ)、孫は秋月松之助、孫女は…
追録7-No.1633 青山下野守書状(重陽御内書の交付案内)
重豪公御譜中、正文は文庫にあるとする。重陽の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう求める。文政元年の朱書、十月十日、青山下野守署、松平榮翁宛。本文は上段、日付・署宛は下段に続く。差出者忠裕は目録による。重陽は交付する御内書の用件名であり、書状の日付を九月へ置き換えない。家来を派遣して…