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追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 301~400件・4 / 30ページ

  1. 追録7-No.153 斉宣若菜ノ朝賀ヲ命ゼラル

    斉宣が若菜節の朝賀も行うよう命じられ、実際に朝賀したことを記す記事。寛政5年正月5日、大家が松平伊豆守信明を通じて斉宣に若菜節にも朝賀するよう伝えたとする。斉宣は老中の各邸を訪ねて恩に謝し、7日に例のとおり朝賀したと記す。命令の5日と実施の7日、御礼に訪問した行動を分けて示す。

  2. 追録7-No.154 松平信明書状

    松平信明が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と若君の初めての御表出御について返答する書状。公方様・若君様はますます機嫌よく過ごしていると述べ、去る11月1日に若君が初めて御表へ出御したことを聞いて重豪が目出度く思っている旨を承知したとする。その書状の趣旨を関係者で相談し、上聞に達したと伝える。正月…

  3. 追録7-No.155 松平信明書状

    松平信明が重豪の書状に返答し、将軍・若君はますます機嫌よく、重豪が目出度く思っている旨を承知したと伝える書状。さらに、去る11月4日夜に御曲輪内で出火したが早く鎮まったことを聞いて重豪が恐悦している旨を受け、その書状の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと述べる。正月5日付、松平伊豆守信明の署名、松平…

  4. 追録7-No.156 松平信明書状

    若菜の祝儀として重豪から鯛一折が献じられたことへの謝意を、松平信明が伝える書状。披露したところ一段の御仕合であったと述べる。正月7日付、松平伊豆守信明の署名、松平上総介殿宛で、年次は朱注による。この書状の本文には献上相手を若君様と特定する語はなく、続くNo.157の若君宛贈答とは分ける。

  5. 追録7-No.157 松平信明書状

    若菜の祝儀として若君様へ鯛一折を贈ったことに、松平信明が重豪へ謝意を伝える書状。披露したところ一段の御仕合であったと述べる。正月7日付、松平伊豆守信明の署名、松平上総介殿の宛名を伴い、年次は朱注による。若君様は贈り物の相手であり、この返書の宛先は重豪である。

  6. 追録7-No.158 松平定信外四名老中連署状

    年頭祝儀として重豪が使者を通じて献じた太刀一腰・御馬代黄金十両について、老中五名が謝意を伝える連署状。披露したところ一段の御仕合であったと述べる。正月11日付で、戸田氏教・松平乗完・松平信明・鳥居忠意・松平定信が連署し、松平上総介殿に宛てる。年次は朱注による。本文には献上先を若君様と特定する語はなく…

  7. 追録7-No.159 松平信明書状

    年頭祝儀として若君様へ贈った太刀一腰・御馬代黄金十両について、松平信明が重豪に謝意を伝える書状。使者を通じて献じられ、披露したところ一段の御仕合であったと述べる。正月11日付、松平伊豆守信明の署名、松平上総介殿の宛名を伴い、年次は朱注による。前の五名連署状と同日・同じ数量の贈答だが、献上先を若君様と…

  8. 追録7-No.160 島津斉宣吉書

    島津斉宣の御判を伴う正月11日付の吉書。神社仏閣の修造興行、農事への専念、国々の年貢徴納を三箇条に掲げ、その趣旨に従って沙汰するよう命じる。包紙には寛政5年丑正月の御吉書一通とあり、2月22日に求馬殿から児玉祝人へ渡され、白木御文書六番箱へ納置されたと記す。本文の発給日と、その後の受渡し・保存の日付…

  9. 追録7-No.161 松平信明書状

    松平信明が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と斉宣への褒賞について返答する書状。公方様・若君様はますます機嫌よく、旧冬に斉宣が召され、先に差し上げた金が御用途に用いられたため、御刀・時服を拝領し、さらに御目見・上意を受けたことを重豪が有難く思う旨を承知したと述べる。その書状の趣旨を関係者で相談して…

  10. 追録7-No.162 松平信明書状

    松平信明が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と若君の色直への祝意について返答する書状。両者はますます機嫌よく、去る11月15日に若君の色直祝儀が済んだことを聞いて重豪が目出度く思い、使者を遣わした旨を承知したとする。その書状の趣旨を関係者で相談し上聞に達したと伝える。正月21日付、信明の署名、松平…

  11. 追録7-No.163 松平信明書状

    若君の色直に伴う贈品を拝領した謝意について、松平信明が重豪へ返答する書状。公方様・若君様はますます機嫌よく、去る11月19日に若君から色直祝儀として斉宣と重豪へ上使を通じた拝領物があり、重豪が重ねて有難く思う旨を承知したと述べる。その書状の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと伝える。正月21日付、松…

  12. 追録7-No.164 島津久金外四名家老連署申渡書

    山田司を造士館に掛け置き、山本傳藏の役を替えたことに伴い、造士館の教育目的と学問への取組を示す家老五名の連署申渡書。両人への措置は身分上の個人的取分ではなく、厚い思召により学校を建立し、諸生が出精しているだけで満足せず、人材を輩出して国家の御用に役立たせる趣旨だと述べる。家老らも造士館を緩疎にせず、…

  13. 追録7-No.165 松平乗完書状

    松平乗完が重豪の改年の祝意を受け、将軍・若君の安否と樽肴の献上について返答する書状。公方様・若君様はますます機嫌よく、年始の規式が済むことを重豪が目出度く思っている旨を承知し、併せて献じられた樽肴を披露したところ一段の御仕合であったと述べる。2月6日付、松平和泉守乗完の署名、松平上総介殿宛で、年次は…

  14. 追録7-No.166 島津重豪書状

    重豪が常盤井さまへ送った書状。上み様がますます機嫌よく過ごしていることを恐悦していると述べ、同氏豊後守が若菜の祝儀を申し上げるため正月7日に初めて登城し、御黒書院で御目見を許されたと聞き、ひそかに重ねて有難く思っていると伝える。その御礼を若君様にも申し上げたいので、折を見て御前へ取り次ぐよう頼み、追…

  15. 追録7-No.167 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の改年の祝意を受け、将軍・若君の安否と若君への樽肴献上に返答する書状。両者はますます機嫌よく、年始の規式が済むことを重豪が目出度く思う旨を承知し、併せて若君へ贈った樽肴を披露したところ一段の御仕合であったと述べる。2月21日付、戸田采女正氏教の署名、松平上総介殿宛で、年次は朱注による。…

  16. 追録7-No.168 松平乗完書状

    松平乗完が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と歳暮祝儀の拝領への謝意について返答する書状。両者はますます機嫌よく、歳暮祝儀として時服と肴を拝領して有難く思う旨を承知し、その書状の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと述べる。2月23日付、松平和泉守乗完の署名、松平上総介殿宛で、年次は朱注による。本文…

  17. 追録7-No.169 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と将軍からの歳暮贈品について返答する書状。両者はますます機嫌よく、歳暮祝儀として公方様から時服と肴を拝領して有難く思う旨を承知し、その書状の趣旨を若君様へ言上したと述べる。2月23日付、戸田采女正氏教の署名、松平上総介殿宛で、年次は朱注による。本文に贈品…

  18. 追録7-No.170 松平乗完書状

    松平乗完が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と御臺様からの歳暮贈品への謝意について返答する書状。両者はますます機嫌よく、歳暮祝儀として御臺様から拝領物があり、有難く思っている旨を承知し、その書状の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと述べる。本文には贈品の種類・数量はない。2月23日付、松平和泉守乗…

  19. 追録7-No.171 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と御臺様からの歳暮贈品について返答する書状。両者はますます機嫌よく、歳暮祝儀として御臺様から拝領物があり、有難く思う旨を承知し、その書状の趣旨を若君様へ言上したと述べる。2月23日付、戸田采女正氏教の署名、松平上総介殿宛で、年次は朱注による。贈品の種類・…

  20. 追録7-No.172 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、将軍の安否と正月10日の東叡山霊前参詣について返答する書状。公方様はますます機嫌よく過ごしており、参詣を聞いて重豪が恐悦している旨を承知し、その書状の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと伝える。3月7日付、戸田采女正氏教の署名を記し、宛名の松平上総介殿は次頁右側に続く。…

  21. 追録7-No.173 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と斉宣の若菜祝儀登城について返答する書状。両者はますます機嫌よく、斉宣に若菜祝儀を申し上げるよう伝えられ、正月7日に初めてそのため登城し御目見を許されたことを重豪が有難く思う旨を承知したと述べる。その書状の趣旨は関係者一同も承知していると伝える。3月7日…

  22. 追録7-No.174 松平信明書状

    松平信明が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と斉宣の若菜祝儀登城について返答する書状。両者はますます機嫌よく、斉宣に若菜祝儀を申し上げるよう伝えられ、正月7日に初めてそのため登城し、公方様への御目見を許されたことを重豪が有難く思う旨を承知したと述べる。その書状の趣旨を承知したと伝える。3月7日付、…

  23. 追録7-No.175 重豪、竹千代髪置ニ賀品ヲ献ズ

    竹千代君の髪置を祝う重豪の献上と、竹千代からの返礼贈品を記す記事。3月11日に大家が髪置の儀を行うことについて、あらかじめ老中の命を受け、この日に物頭を登営させ、家斉公・竹千代君へ各一種千匹、御臺所へ一種五百匹を献じて祝ったとする。13日には竹千代君から重豪へ筐肴一が賜られ、4月11日に薩府へ届いた…

  24. 追録7-No.176 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、将軍の安否と正月24日の増上寺霊屋参詣について返答する書状。公方様はますます機嫌よく、参詣を聞いて重豪が恐悦している旨を承知し、その書状の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと伝える。3月25日付、戸田采女正氏教の署名、松平上総介殿宛で、年次は朱注による。参詣の日付と返書…

  25. 追録7-No.177 島津斉宣届書

    斉宣が、国元で入湯していた重豪の痛所が快方に向かったため、当年秋に参府へ向けて出発する旨を届ける書。去年申し上げたとおり弟の島津雄五郎もその際に召し連れる予定であるとの知らせを受けたので届け出るとする。4月18日付、松平豊後守名義で、雄五郎には忠厚の人物注がある。朱注には、当日に御用番松平伊豆守の御…

  26. 追録7-No.178 島津斉宣伺書并献上物例書

    重豪の参府御礼を申し上げる際、御臺様・若君様へも献上したいが先例がないため、差図を願う斉宣名義の伺書と献上物例書。4月18日付、松平豊後守署名で、年次は朱注による。朱の付紙は御臺様へ白銀五枚、若君様へ御太刀一腰・白銀三十枚を記し、このとおり献上するよう命じる。首尾注には御用番松平伊豆守の御用人へ留守…

  27. 追録7-No.179 斉宣帰国ス

    斉宣の帰国許可、帰路、謝恩使者の差遣と帰国後の巡歴を記す記事。4月23日に本多弾正大弼が来て帰国の告を賜り、恩賞は例のとおりで、儲君からの贈品も同様とする。25日に拝辞して馬と恩諭を賜り、5月4日に邸を発ち、国老菱刈大炊隆邑が従って6月25日に府城へ到着したと記す。川田伊織国通を遣わして謝恩した後、…

  28. 追録7-No.180 松平信明書状

    若君様へ菖蒲御兜一飾を贈ったことについて、松平信明が重豪へ謝意を伝える書状。使者を通じて献じられ、首尾よく披露したと述べる。4月28日付、松平伊豆守信明の署名、松平上総介殿宛で、年次は朱注による。若君様は献上先であり、この返書の宛先は重豪である。

  29. 追録7-No.181 徳川家斉御内書

    徳川家斉が重豪から端午の祝儀として届いた帷子・単物を喜び、詳しくは太田備中守が述べると伝える御内書。5月2日付で、家斉公墨印の表示を伴い、松平上総介殿に宛てる。年次は朱注による。本文に衣類の数量や太田からの説明の具体的な内容は記されない。

  30. 追録7-No.182 斉宣帰国ス

    島津斉宣が帰国の告を賜り、5月4日に江府を発ち、6月25日に鹿城へ着いたと記す短い記事。本文は寛政5年癸丑と明記する。帰国許可の具体的な日や道中の詳細は、この短文には記されない。No.179と同じ出発日・到着日を別の出典表示で記す独立記事である。

  31. 追録7-No.183 重豪参府ニ当リ長寿ノ士民ヲ褒賞ス

    重豪が秋の参府を控え、藩内の高齢者に長寿祝いを贈ったことを記す記事。天明丁未の帰国、前年の再度の帰国許可、当年秋の江都参府の経緯を述べ、身分ごとに高齢者を選ぶよう有司に命じる。大身分から無役近習通までは70歳以上、小番から郷士・与力・僧侶・社人までは80歳以上、足軽から農商層などは90歳以上とし、男…

  32. 追録7-No.184 授与賀品目録

    長寿祝いの賀品を、身分・男女・特例に分けて列挙する目録。大身分以上の諸役人には吸物・酒、同身分の妻女等には紗綾二巻ずつ・真綿三把を記し、吸物・酒の引合せに関する但書を伴う。小番・新番は男に金子二百疋ずつ、女に百疋ずつ、御小姓組は男女とも金子百疋ずつとする。諸与の郷士・与力は男女とも銀三両ずつ、御城下…

  33. 追録7-No.185 太田資愛書状

    太田資愛が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と若君の髪置への祝意について返答する書状。両者はますます機嫌よく、3月11日に若君の髪置祝儀が済んだことを聞いて重豪が目出度く思い、使者を遣わした旨を承知したとする。その書状の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと伝える。5月16日付、太田備中守資愛の署名…

  34. 追録7-No.186 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と若君の髪置への祝意について返答する書状。両者はますます機嫌よく、3月11日に髪置祝儀が済んだことを聞いて重豪が目出度く思い、使者を遣わした旨を承知し、その書状の趣旨を若君様へ言上したと述べる。5月16日付、戸田采女正氏教の署名を記し、松平上総介殿の宛名…

  35. 追録7-No.187 太田資愛書状

    太田資愛が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と若君からの髪置贈品への謝意について返答する書状。両者はますます機嫌よく、3月13日に若君から髪置祝儀として斉宣と重豪へ上使を通じた拝領物があり、重豪が重ねて有難く思う旨を承知したと述べる。その書状の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと伝える。5月16日…

  36. 追録7-No.188 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と若君からの髪置贈品について返答する書状。両者はますます機嫌よく、3月13日に若君が斉宣と重豪へ上使を通じて賀品を賜り、重豪が重ねて有難く思う旨を承知したと述べる。その書状の趣旨を若君様へ言上したと伝える。5月16日付、戸田采女正氏教の署名、松平上総介殿…

  37. 追録7-No.189 松平信明書状

    松平信明が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と若君の髪置への祝意を承知したと返答する書状。両者はますます機嫌よく、3月11日に若君の髪置が済んだことを聞いて重豪が目出度く思い、祝儀のため使札を送った旨を承り、その書状の趣旨を受け届けたと述べる。5月18日付、松平伊豆守信明の署名、松平上総介殿宛で、…

  38. 追録7-No.190 松平信明書状

    松平信明が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と若君からの髪置贈品への謝意を承知したと返答する書状。両者はますます機嫌よく、3月13日に若君から斉宣・重豪へ上使を通じた賀品があり、重豪が重ねて有難く思って御礼の飛札を送った旨を承り、その書状の趣旨を受け届けたと述べる。5月18日付、松平伊豆守信明の署…

  39. 追録7-No.191 前田左兵衛書状

    若君の髪置に伴う拝領物への御礼と、髪置が済んだことへの恐悦という二件について、返札の形式を内々に取り計らうよう求める前田左兵衛の書状。老中へ御自分勤の書状を出したところ、伊豆守殿からの返札が御奉書の文段となってしまったと記す。同役の佐野郷蔵と御右筆が気付かず、取扱いが行き届かなかったとして、この点を…

  40. 追録7-No.192 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、徳川刑部卿の逝去とそれに伴う機嫌伺いについて返答する書状。逝去を聞いて重豪が言葉を失う思いであった旨を承知し、御機嫌を伺われた方には変わりがないので安心するよう伝える。その書状の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと述べる。刑部卿には治国の人物注を伴う。6月1日付、戸田采…

  41. 追録7-No.193 松平信明書状

    松平信明が重豪の書状を披見し、徳川刑部卿の逝去と機嫌伺いについて返答する書状。逝去を聞いて重豪が言葉を失う思いであった旨を承知し、御機嫌を伺われた方に変わりはないので安心するよう伝える。その書状の趣旨を若君様へ言上したと述べる。6月1日付、松平伊豆守信明の署名、松平上総介殿宛で、年次は朱注による。N…

  42. 追録7-No.194 重豪、淑姫ノ結納ヲ賀ス

    家斉公の女・淑姫君の結納を重豪が祝ったことを記す記事。淑姫はすでに尾張宰相治行卿の男・徳川五郎太主との婚約を許され、6月3日に家臣成瀬隼人正正典を遣わして大城へ結納を納めたとする。翌4日、重豪は留守居を登営させ、家斉公・儲君竹千代君へ一種千匹、御臺所・淑姫君へ一種三百匹を献じて結納の儀を祝ったと記す…

  43. 追録7-No.195 太田資愛書状

    淑姫君の結納を祝う贈り物について、太田資愛が重豪へ謝意を伝える書状。使者を通じて目録どおりの品を献じられ、披露したところ一段の御仕合であったと述べる。6月4日付、太田備中守資愛の署名、松平上総介殿宛で、年次は朱注による。本文に贈品の種類・数量は記されない。

  44. 追録7-No.196 重豪、家重三十三回忌ニ献銀ス

    徳川家重の三十三回忌法事に際する重豪の献銀を記す記事。6月12日に大家が増上寺で惇信廟の三十三回忌法事を営み、翌日に重豪が高田猛太夫利公を遣わし、白銀二枚を献じて拝礼したとする。惇信廟には徳川家重の人物注を、高田には使番をこの時は物頭として行かせた旨の役職小注を伴う。江戸の法事と重豪の献銀を記す独立…

  45. 追録7-No.197 斉宣、家重ノ法事ヲ南泉院ニ修ス

    家重の三十三回忌に当たり、南泉院で6月10日から12日まで3日間法事を営んだことを記す短い記事。出典は斉宣公御譜中で、目録は斉宣による法事とする。本文は法事の場所と期間を明記するが、供物の種類・数量や個々の奉仕者の名は載せない。増上寺での法事と重豪の白銀献上を記すNo.196とは別の独立記事。

  46. 追録7-No.198 松平乗完書状

    酷暑に公方様・若君様の機嫌を尋ねた重豪の書状に、松平乗完が返答する書状。両者はますます安全であるので安心するよう伝え、併せて献じられた鰹節一箱を関係者で相談して披露したところ、一段の御仕合であったと述べる。6月15日付、松平和泉守乗完の署名、松平上総介殿宛で、年次は朱注による。本文の印刷番号は193…

  47. 追録7-No.199 松平信明書状

    松平信明が重豪の書状を披見し、将軍・若君はますます勇健であると伝える書状。酷暑に際して重ねて若君の機嫌を尋ねたことに、いよいよ安全であるので安心するよう答える。また、若君へ鰹節一箱を献じ、披露したところ一段の御仕合であったと述べる。6月15日付、松平伊豆守信明の署名、松平上総介殿宛で、年次は朱注によ…

  48. 追録7-No.200 島津久金養女一件

    中根半平の息女を島津伊賀の養女とする件について、関連する諸書付の保存先を記す短い記録。寛政5年丑6月15日の日付を伴い、養女を命じられたことによる諸書付が御記録所にある旨を記す。中根半平には正房、島津伊賀には久金の人物注を伴い、出典表示は白木御文書七番箱三十一番。蓋紙についての小注もある。娘の実名や…

  49. 追録7-No.201 松平乗完書状

    松平乗完が重豪の書状を披見し、公方様はますます機嫌よくお過ごしであると伝える返書。4月20日の東叡山御霊前参詣を承って重豪が恐悦を述べたことをもっともとし、その書面の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと記す。6月19日付、松平和泉守乗完の署名、松平上総介殿宛で、寛政5年の年次は朱注による。東叡山参詣…

  50. 追録7-No.202 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、公方様はますます機嫌よくお過ごしであると伝える返書。4月晦日の増上寺御霊前参詣を承って重豪が恐悦を述べたことをもっともとし、書面の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと記す。7月2日付、戸田采女正氏教の署名、松平上総介殿宛で、寛政5年の年次は朱注による。No.201の東叡…

  51. 追録7-No.203 松平定信外四名幕府老中連署状

    幕府老中五名が、重豪からの祝儀献上に対して返答した連署状。「生見玉」の御祝儀として黄金十両を献じたことを記し、披露したところ一段の御仕合であったと伝える。7月6日付で、太田備中守資愛、戸田采女正氏教、松平和泉守乗完、松平伊豆守信明、松平越中守定信の五名が署判し、松平上総介殿へ宛てる。年次は寛政5年の…

  52. 追録7-No.204 重豪、中古ノ諸夫人ニ追諡ス

    重豪が、位牌の廃失や忌日・諡号の失伝を伴う中古の正統夫人について、神主の復興・追号を行った記事。始祖得佛公の受封以来、二十六世・六百余年にわたり三州で祭祀が続いているが、治乱によって夫人の祭祀に欠落が生じたと述べる。重豪は寺社奉行に、神主を再興し、忌日や諡号の失われたものは浮屠の法に従って補い、墳寺…

  53. 追録7-No.205 太田資愛書状

    太田資愛が重豪へ、惇信院様の三十三回忌法事に際して使者をもって献じた香奠を増上寺へ奉納し、その趣旨を言上したと知らせる書状。惇信院には徳川家重の人物注がある。7月12日付、太田備中守資愛の署判、松平上総介殿宛で、年次は寛政5年の朱注による。法事の執行を受けた香奠奉納の報告であり、この書状には香奠の数…

  54. 追録7-No.206 重豪、竹千代ノ薨去ヲ弔フ

    竹千代君の死去の知らせが薩府へ届き、重豪が弔書と将軍の機嫌伺いを出した記事。竹千代君は病気に医薬の効がなく、6月24日に薨去したと記し、孝順院殿と諡する。7月14日に訃音が薩府へ届いたので、重豪は老中へ弔書を呈し、大家の起居を伺ったという。死去日と訃報到着日を別に記す短い記事で、弔書の全文や個々の老…

  55. 追録7-No.207 太田資愛書状

    太田備中が、端午の御内書を渡すため、翌日に城へ出るよう重豪方の留守居へ通知した短い書状。時刻は「五半時」と指定し、御城へ罷り出るよう記す。7月17日付、署名は「太備中」、宛名は松平上総介殿の留守居で、年次は寛政5年の朱注による。目録では太田資愛書状とする。端午の御内書の交付通知であり、御内書自体の全…

  56. 追録7-No.208 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、公方様はますます機嫌よくお過ごしであると答える返書。さらに御男子様の誕生を聞いて重豪が祝意を述べたことを承知し、書面の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと記す。御男子様には敏次郎の人物注がある。7月18日付、戸田采女正氏教署判、松平上総介殿宛、年次は寛政5年の朱注による…

  57. 追録7-No.209 重豪、演武館ニ犬追物ヲ観ル

    重豪が演武館で犬追物を観覧し、その後に雄五郎を伴って府城を発ち芝邸へ着いたことを記す記事。寛政5年癸丑8月2日に公が演武館へ臨んで犬追物を観たとし、9月朔日に府城を発ち、雄五郎君が従い、10月13日に芝邸へ至ったと記す。雄五郎には島津忠厚の人物注がある。No.210の斉宣公御譜の記事は犬追物を8月1…

  58. 追録7-No.210 斉宣、演武館ニ犬追物ヲ講ズ

    斉宣公御譜に、8月12日、演武館内の場で犬追物を講じ、父公・斉宣・雄五郎が臨観したと記す記事。犬追物には手組の注記を伴う。続いて9月朔日、父公が弟雄五郎を伴って鹿城を発ち、10月13日に江府へ着いたと記す。犬追物の観覧者三名と、出発した父公・雄五郎の二名を区別する。No.209とは、犬追物が8月12…

  59. 追録7-No.211 松平信明書状

    松平信明が重豪の書状を披見し、公方様はますます機嫌よくお過ごしであると伝える返書。5月18日に徳川右衛門督殿の亭へおいでになったことを聞き、重豪が恐悦を述べたことをもっともとし、書面の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと記す。徳川右衛門督には斉匡の人物注がある。8月5日付、松平伊豆守信明署判、松平上…

  60. 追録7-No.212 松平信明書状

    松平信明が重豪の書状を披見し、公方様はますます機嫌よくお過ごしであると伝える返書。淑姫君様の結納の祝儀が済んだことを聞いて重豪が祝意を述べた旨を承知し、書面の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと記す。8月7日付、松平伊豆守信明署判、松平上総介殿宛で、年次は寛政5年の朱注による。この返書には結納の相手…

  61. 追録7-No.213 松平信明書状

    松平信明が重豪の書状を披見し、公方様はますます機嫌よくお過ごしであると伝える返書。惇信院様の三十三回忌法事が増上寺で済み、6月12日に御霊前へ参詣したことを承って重豪が恐悦を述べた旨をもっともとする。書面の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと記す。8月11日付、松平伊豆守信明署判、松平上総介殿宛で、…

  62. 追録7-No.214 松平信明書状

    松平信明が重豪の書状を披見し、公方様はますます機嫌よくお過ごしであると伝える返書。6月20日に東叡山の御霊前へ参詣したことを承って重豪が恐悦を述べた旨をもっともとし、書面の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと記す。8月18日付、松平伊豆守信明署判、松平上総介殿宛で、寛政5年の年次は朱注による。参詣日…

  63. 追録7-No.215 松平信明書状

    松平信明が重豪の書状を披見し、若君様の逝去に伴う機嫌伺いへ返答する書状。若君の病気が養生によっても回復せず逝去したことを聞き、重豪が言葉を失った旨を承知したと記す。これに伴い使者をもって御機嫌を伺われた方には変わりがないので、安心するよう伝える。書面の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと述べる。8月…

  64. 追録7-No.216 重豪参府ス

    重豪が末子の島津雄五郎と諸役を伴い、国を発って江戸へ向かった道程と、到着後の機嫌伺いを記す記事。同年9月朔日の夜明けに出発し、側用人矢野男吏清香、愛甲藏記廉盛、側役伊集院嘉盛兼甫ほか諸司が従った。九州の宿駅を経て13日に豊州大里で乗船し、19日に播州室へ上陸、23日に大坂へ着いて仮館に二日滞在し、淀…

  65. 追録7-No.217 徳川家斉御内書

    家斉が重豪へ、重陽の祝儀として到来した小袖一重を喜んで受け取ったことを伝える御内書。詳しいことは松平伊豆守が述べると記す。9月7日付で家斉公の墨印を伴い、松平上総介殿へ宛てる。年次は寛政5年の朱注による。伊豆守は委曲を伝える役割として文中に現れ、御内書の受取人ではない。

  66. 追録7-No.218 太田資愛書状

    太田資愛が重豪の書状を披見し、公方様の機嫌伺いに対して、ますます勇健であるので安心するよう伝える返書。あわせて献じられた干鯛一箱を関係者で相談して披露したところ、一段の御仕合であったと記す。9月15日付、太田備中守資愛署判、松平上総介殿宛、寛政5年の年次は朱注による。書状は安否・贈答への返答から署判…

  67. 追録7-No.219 重豪、敏次郎殿ノ立儲后ヲ賀ス

    敏次郎君の誕生・立儲を記し、参府途上の重豪が老中へ祝いを伝えた記事。5月14日に家斉の男子が誕生し敏次郎と称したこと、加納遠江守久周が蟇目の役、加納備中守久敬が矢取、曽我伊賀守助鑑が箆刀を奉じたことを記す。母は押田藤次郎敏勝の娘で、8月28日に御台所へ養子となったとの注がある。竹千代君の薨去後、9月…

  68. 追録7-No.220 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、尾張宰相殿の逝去と、それに伴う公方様への機嫌伺いについて返答する書状。逝去を聞いて重豪が言葉を失った旨を承知し、公方様は安全であるので安心するよう伝える。書面の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと記す。10月3日付、戸田采女正氏教署判、松平上総介殿宛で、寛政5年の年次は…

  69. 追録7-No.221 島津重豪書状

    敏次郎が若君と称されることになったとの知らせを受け、祝儀の意を御台所と淑姫へ取り次いでもらうよう頼む仮名書きの書状。上ミ様が機嫌よくお過ごしであることへの恐悦を述べ、敏次郎様を若君と称する旨が仰せ出されたと承知して、めでたいこととする。御祝儀を御臺様へ申し上げたいので、淑姫君様にも序の折によろしく取…

  70. 追録7-No.222 斉宣、祖先年忌祭ノ法ヲ定ム

    斉宣が祖先の年忌祭の区分と費用負担に関する制度を寛政5年10月に定めたことを記す導入記事。一周忌から三十三回忌までを近忌、五十年忌以後を遠忌とする。従前は祖先の年忌祭を営む際の費用が一定せず、官庫から出す場合と寺費による場合があったため、今ここで法を定めると述べる。寺費には平生付属された寺の資による…

  71. 追録7-No.223 川上久致申渡書

    祖先の遠忌法事について、御物と寺役の扱いが一様でなく不都合であったため、以後の執行方法を改める申渡書の写し。五廟の内に当たる祖先については、遠忌も御物から法事を命じる。それ以外の六代以前の祖先で当地の寺にいるものは、寺役での執行を命じる。六代以前について格別の功徳を積むための御物・寺役などの措置は、…

  72. 追録7-No.224 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、公方様はますます機嫌よくお過ごしであると伝える返書。去月8日の東叡山御霊前参詣を承って重豪が恐悦を述べたことをもっともとし、その書面の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと記す。10月5日付、戸田采女正氏教署判、松平上総介殿宛、年次は寛政5年の朱注による。参詣日は本文の去…

  73. 追録7-No.225 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪の書状を披見し、公方様はますます機嫌よくお過ごしであると伝える返書。先月15日に若君様の御弘があったことを承って重豪が祝意を述べた旨を承知し、書面の趣旨を関係者で相談して上聞に達したと記す。10月9日付、戸田采女正氏教署判、松平上総介殿宛、寛政5年の年次は朱注による。先月15日は9月1…

  74. 追録7-No.226 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪へ、若君様の御弘を仰せ出された祝儀として、公方様と若君様へ使者をもって献じた御太刀・御馬代について返答する書状。献上品を披露したところ一段の御仕合であったと述べる。10月9日付、戸田采女正氏教署判、松平上総介殿宛で、寛政5年の年次は朱注による。No.225が祝意の上聞を伝えるのに対し、…

  75. 追録7-No.227 島津重豪書状

    重豪が御意を伝える文を拝見し、参府に際して御台所から肴一折を頂いたことへの礼を述べる仮名書きの返書。上ミ様がますます機嫌よくお過ごしであることへの恐悦に続き、自分の参府により御臺様から肴一折を頂き、たいへんありがたい仕合であると記す。この旨をよろしく取り成してもらうよう頼み、なお引き立てを願う。末尾…

  76. 追録7-No.228 重豪参府シ賀品ヲ献ズ

    重豪の参府に対する将軍の上使派遣と、重豪が病気のため使者をもって謝礼・献上した経緯を記す記事。10月28日、大家が老中太田備中守資愛を芝邸へ遣わして参府を労った。重豪は恩旨を奉じて送迎の礼を尽くし、そのころ微恙が発したため、島津淡路守忠持を老中各邸へ遣わして拝謝した。病気のためまだ大家へ御目見できず…

  77. 追録7-No.229 幕府指図書

    松平上総介の参府が上聞に達し、上使を遣わされたこと、追って御目見を命じる旨を記した短い指図書の写し。冒頭に松平上総介と記し、参府を受けた幕府側の処置を伝える。寛政5年の朱注を伴うが、独立月日・差出人署名は載せない。正文の文庫所在注がある。翌日の登城時刻を指定するNo.230の老中連署状とは別に扱う。

  78. 追録7-No.230 松平信明外三名幕府老中連署状

    老中四名が重豪へ、明朔日の五時に登城し、参府の御礼を申し上げるよう通知した連署状。10月29日付で、安藤對馬守・太田備中守・戸田采女正・松平伊豆守の四名を列記し、松平上総介殿へ宛てる。寛政5年の年次は朱注による。日時指定は本文の「明朔日五時」を保持し、現代時刻へ推測換算しない。目録の代表人名は松平信…

  79. 追録7-No.231 とみ岡外三名連署口上書

    御台所への参勤御礼の贈答を披露し、御満足と謝意を重豪へ伝えた口上書の写し。参勤の御礼を述べ、御臺様へ目録の通りに品物を差し上げたので披露したところ、たいへん満足され、何もよく伝えるよう仰せられたと記す。末尾に花町・つほね・とみ田・と岡の四名を列記し、松たいら上総介さまへ口上とする。「と岡」は本ノママ…

  80. 追録7-No.232 川上久致外四名家老連署書状

    家老五名が三司官の書状を拝見し、中将様から年首祝儀として目録の通りに差し上げられた品物を旅中で披露したところ、御満足の意があったので、その旨を伝えるよう返答した連署書状。11月15日付で、名越右膳・市田勘解由・伊勢播磨・菱刈大炊・川上久馬の五名にそれぞれ實名判と記し、三司官へ宛てる。寛政5年の年次は…

  81. 追録7-No.233 川上久致外四名家老連署書状

    家老五名が三司官の書状を拝見し、太守の若菜御礼・初登城に対する祝儀を旅中で披露した満悦の旨を伝える返書。太守は若菜御礼のため登城するよう命じられ、当正月7日に初めて御礼を申し上げたと記す。その祝儀として伊舎堂親方を通じ、中将様から御太刀一腰・御馬代黄金十両および目録の通りに差し上げられたので、旅中で…

  82. 追録7-No.234 川上久致外四名家老連署書状

    家老五名が、中将の国元温泉への入湯許可と拝領物を祝う贈答について、三司官へ返答する連署書状。中将様は願いの通り国元温泉への入湯の暇を許され、拝領物があったので、その祝儀として伊舎堂親方を通じて御太刀一腰・御馬代白銀五十両と目録の通りに差し上げられたと記す。旅中で披露したところ満悦の意があり、その旨を…

  83. 追録7-No.235 川上久致外四名家老連署書状

    家老五名が、中将の国元への暇と羽織拝領を祝う贈答について、三司官へ返答する連署書状。中将様は国元への暇を仰せ出され、羽織を拝領したので、祝儀として伊舎堂親方を通じて目録の通りに差し上げられたと記す。旅中で披露したところ満悦の意があり、その旨を伝えるよう述べる。11月15日付、名越右膳・市田勘解由・伊…

  84. 追録7-No.236 重豪、覺陽公光久ノ百年忌法事ヲ修ス

    同年11月28日から29日まで福昌寺で百年忌法事を営み、重豪が家老川上久馬久致を遣わして香奠金二百匹を献じ、拝させたと記す記事。重豪公御譜中を出典とし、斉宣公御譜中にもある旨の注を伴う。法事対象の本文表記は寛陽公と読める一方、目録は覺陽公光久とするため、本文と目録の表記を区別して残す。年次は同年とあ…

  85. 追録7-No.237 斉興畜髪ス

    寛政5年癸丑12月6日に斉興が初めて髪を蓄えたと記す短い記事。本文は日付と始畜髪の一事のみを載せ、出典表示には斉興公御伝を伴う。畜髪に関する祝儀・儀式の詳細や関係者名は記さないため、髪置の具体的な挙行内容を補充しない。

  86. 追録7-No.238 安藤信成書状

    安藤信成が重豪へ、今朝献じられた一箱の贈品を披露したところ一段の御仕合であったと伝える返書。品名は魚偏に易・昜に似た旁を持つ字で、鯣の候補を留保する。12月19日付、信成の署判を記し、口裏には安藤對馬守信成と松平上総介殿の宛名を記す。年次は寛政5年の朱注による。本文は一箱の献上・披露への返答であり、…

  87. 追録7-No.239 徳川家斉御内書

    家斉が重豪へ、歳暮の祝儀として到来した小袖一重を喜んで受け取ったことを伝える御内書。委曲は安藤對馬守が述べると記す。12月27日付、家斉公の墨印、松平上総介殿宛で、寛政5年の年次は朱注による。安藤は委曲伝達を担う文中人物であり、馬という実物の贈答を記したものではない。

  88. 追録7-No.240 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪へ、若君様に使者をもって献じた御破魔弓一飾を首尾よく披露したと伝える書状。12月28日付、戸田采女正氏教署判、松平上総介殿宛で、寛政5年の年次は朱注による。贈品の受け手は若君、返書の受け手は重豪である。

  89. 追録7-No.241 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪へ、若菜の祝儀として献じられた鯛一折を披露したところ一段の御仕合であったと伝える返書。正月7日付、氏教署判、口裏には戸田采女正氏教と松平上総介殿の宛名を記す。年次は寛政6年の朱注による。本書では若君への献上を本文に明記せず、若君を明記するNo.242の返書と区別する。

  90. 追録7-No.242 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪へ、若菜の祝儀として若君様に献じられた鯛一折を披露したところ一段の御仕合であったと伝える返書。正月7日付、氏教署判、口裏には戸田采女正氏教と松平上総介殿の宛名を記す。年次は寛政6年の朱注による。若君は祝儀の受け手で、この返書の宛先は重豪である。No.241と同日・同品目だが、本書は若君…

  91. 追録7-No.243 斉宣参府ス

    斉宣の参府に伴う日程と上野の鎮火事を記す記事。寛政6年甲寅正月21日に府城で首途、2月4日に発行、3月27日に芝邸へ至り、4月に上野の鎮火事を領したと記す。首途の日と実際の発行日、到着日を分けて記している。出典表示は近秘野帥・斉宣公を伴う。正月7日付氏教の署宛はNo.242返書の後半に属し、本記事に…

  92. 追録7-No.244 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪へ、年頭の祝儀として使者をもって献じられた御太刀一腰・御馬代黄金十両を披露したところ一段の御仕合であったと伝える返書。正月28日付、氏教署判、口裏に戸田采女正氏教と松平上総介殿の宛名を記す。寛政6年の年次は朱注による。本書は献上相手を若君と明記せず、若君への献上を明記するNo.245の…

  93. 追録7-No.245 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪へ、年頭の祝儀として若君様に使者をもって献じられた御太刀一腰・御馬代黄金十両を披露したところ一段の御仕合であったと伝える返書。正月28日付、氏教署判、口裏に戸田采女正氏教と松平上総介殿の宛名、年次は寛政6年の朱注を記す。若君は献上の受け手で、この返書の受け手は重豪。No.244とは若君…

  94. 追録7-No.246 名越恒中外四名家老連署申渡書

    斉宣が寛政4年11月11日の登城時、先に差し上げた金の御用途に関して家斉から拝領した刀を、御納戸の譲物の内に格護し、後年に紛れないよう記録することを命じる申渡書。冒頭の仕様覚は刀一腰、青江貞次、代金弐拾枚の折紙付き、長さ弐尺二寸五部半と記す。三所物は赤銅七子で批把の色絵、切羽・柄頭は鴉目金、鍔は鉄石…

  95. 追録7-No.247 名越恒中外四名家老連署申渡書

    斉宣が家督後初めて国元への暇を許され、寛政元年4月13日に登城して御礼を述べた際に家斉から拝領した刀を、御納戸の譲物の内に格護し後年の混同を防ぐよう記録する申渡書。仕様覚は刀一腰、備前國師景、代金弐拾枚の折紙付き、長さ弐尺三寸と記す。三所物は赤銅七子で根引の松の色絵、切羽は鴉目金、鍔は赤銅磨、縁は赤…

  96. 追録7-No.248-1 田布施亀城荒神祠碑銘書

    薩州田布施の邑金峰山麓の亀城と、城内の荒神祠を修めた由緒を記す碑銘。小石室は天和2年壬戌に邑人篠原佐左衛門政盈が建て、島津貴久の誕生地と記していたという。寛政6年正月に有司へ修祠・石欄設置を命じ、銀六百四十五銭を長生銭として邑吏に付け、祠事の資としたため、臣山本正公室に石へ事を記して傍らに建てさせた…

  97. 追録7-No.248-2 市田盛常申渡書

    田布施城跡内の大中公誕生所に当たる小祠を基に石囲垣を取り仕立て、碑銘を立てるよう命じる添書。亀石と大中公の年競の松もあるので、粗末にならないよう囲垣を置くことを指示する。誕生所荒神の祭料が毎年不足するため、銀十五枚を渡し置き、郷士年寄の支配で祭料・石碑・囲垣の修覆料に取り計らうよう田布施地頭へ申し渡…

  98. 追録7-No.249 斉宣参府シ将軍ニ謁ス

    斉宣が参府して将軍へ御礼を述べた日程を記す記事。寛政6年甲寅2月4日の辰刻に鹿城を発ち、3月27日に江府へ着いた。4月13日、幕府は上使戸田采女正氏教を邸へ遣わし、懇命を伝えた。15日に斉宣が登城して大樹家斉公へ参覲の礼を述べ、家慶公も親しく懇命を下し、諸事は先例によったと記す。欄外の白木六番箱五十…

  99. 追録7-No.250 安藤信成書状

    安藤對馬守が重豪へ、歳暮の御内書を渡すため、翌日の五半時に御城へ家来を差し出すよう通知する短い書状。2月20日付、安藤對馬守署名に信成の人物注、松平上総介殿宛、寛政6年の年次は朱注による。歳暮の御内書の交付通知であり、年頭の御内書と推測して言い換えない。登城を求められるのは家来で、重豪本人の御目見で…

  100. 追録7-No.251 重豪御鷹ノ鶴ヲ拝領ス

    寛政6年甲寅2月22日、家斉が朝比奈彌太郎を芝邸へ遣わし、貴鷹が捕らえた鶴一隻を重豪へ賜ったと記す記事。朝比奈には泰譜の人物注がある。重豪はその時微恙があり、九鬼長門守隆張が代わって恩旨を奉じた。その後、老中各邸へ赴いて拝謝したという。鷹そのものを拝領したのでなく、将軍の鷹が捕らえた鶴の拝領であり、…