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追録7の目録
暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。
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追録7-No.2714 斉興、重豪の法事を修す
重豪公御譜中の記事。冒頭は五月九日から十九日まで、福昌寺で大信公の三十五日・四十九日・百日法事を合わせて修したと記す。初日、太守斉興は家老島津但馬久風を代拝させ、斉宣・斉彬も久風に各白銀五枚を献じさせた。十一日、斉興は若年寄菱刈木工之介隆觀を代拝させ、同夜の頓寫は島津啓之助忠剛が代わり、斉興が硯水を…
追録7-No.2715 諏訪武兼書状
諏訪治部が調所笑左衛門・猪飼央へ送った、重豪の三十五日・四十九日・百日法事を合わせた執行報告。寺社奉行の調べにより、九日から昨日十三日まで福昌寺で五日間行った。初日、太守の家老が代参し、御隠居・若殿は各白銀五枚、御前は三枚、淑姫・御内證は各一枚、隨姫・幸姫は各金子百疋を代参で納めた。左近・虎之助から…
追録7-No.2716 蓮金院・龍松院、大信廟に経典を献ず
重豪公御譜中の記事。高野山蓮金院の代僧花王院が薩府へ来て、五月二十二日に福昌寺へ至り、大信廟に経文を献じ、焼香・拝礼したと記す。続く別条では、南都の龍松院が大乗妙典一部を贈り、大信公の霊前へ献じたと述べる。その礼として寺社奉行へ命じ、尺素を龍松院へ送り、白銀三枚を贈らせた。高野山の代僧の来訪・参拝と…
追録7-No.2717 島津久風外三名連署知行目録
白木御文書九番箱中三拾番の知行目録。高五百斛について、山野・小林・樋脇・指宿をはじめ、加世田・末吉・大崎・財部・串木野・日置・鹿児島・飯野・野尻・諸縣・市来・國分・伊集院・谷山などにわたる村・門・浮免・屋敷の内を列挙する。土地名の全文は精読記録に保持し、個々の土地に五百斛ずつあるとは扱わない。名寄帳…
追録7-No.2718 諏訪武兼申渡書
重豪公御譜中に収められた、治部署の申渡書。大信院の遺髪について思召の趣旨があり、高野への御登山には及ばない旨が仰せ出されたため、これを承知し、関係先へ申し渡すよう伝える。朱書天保四年、六月、治部署。宛先名と具体的な日付は本文にない。控えの正文は文庫にあるとの表示と、原書が白木御文書九番箱三十一番にあ…
追録7-No.2719-1 中山王尚育ら、重豪霊前に祭物を献ず(祭文前置き)
重豪公御譜中の、後続祭文の前置きとなる記事。重豪の凶報が月を経て琉球に届き、中山王尚育と前中山王尚灝が悲哀を抑えられず、その夏に圓覺寺の白翁と大淳の僧、弔使金武按司を薩府へ送ったと記す。秋九月四日に福昌寺へ至り、大信公の霊前へ祭物を献じた。中山王は法花経一部の写経、大官香十把、白銀三十枚を、前中山王…
追録7-No.2719-2 中山王尚育祭文
中山王尚育が重豪の尊霊へ告げる祭文。冒頭は天保四年癸巳二月三日に薩隅日三州牧兼領琉球国大信院殿榮翁如證大居士が東武高輪邸で逝去し、訃報が月を経て届いたと叙述する。尚育は哀悼・思慕し、六月に僧俗二員を薩府へ航海させ、福昌で書写した七軸の妙典全部と祭儀を備えて昭告したと述べる。韻文は三品に位を登り、四方…
追録7-No.2720 近衛忠熙等の香奠銀・即宗院の献経
重豪公御譜中の記事。近衛内大臣忠熙の香奠銀三枚、圓臺院宮一枚、尾張中納言斉温七枚、尾張前中納言斉朝三枚、水戸宰相斉昭三枚、甘露寺一位國長二枚、松平備前守斉清一枚、松平出羽守斉貴一枚、鎌倉相承院一枚を記す。重豪の在世中の贈り物を懐かしみ、それぞれ薩府へ香奠銀を送り、九月に福昌寺で霊前へ献じたと述べる。…
追録7-No.2721 重豪の木主供養と瑞聖寺への祠堂金二百両
重豪公御譜中の記事。文化二年、重豪が千眼寺へあらかじめ木主を納め、側役黒田嘉右衛門清躬に死後も忌日と位階を記すよう命じた経緯を記す。天保四年、寺主となった清躬が官へ願い、忌日・位階を記し、十一月二十八日に点眼供養を行い神主として崇めた。その日斉興は家老島津但馬久風を使い、大官香一把を献じ拝礼させた。…
追録7-No.2722 猪飼尚敏書状(斉興加階の通知・口達)
猪飼央が三人へ送った、太守の位階昇進と達振りの通知。別紙書取の通り承知し、役人へ申し渡して取り計らうよう求め、記録奉行にも別途伝達済みとする。閏十一月三日付。包内の口達は、琉球国が近年の凶歳続きで困難な折に厚く扶助したこと、今回代替使者を連れて参府したことを賞し、加階として正四位下を命じ、書付を渡し…
追録7-No.2723 島津斉興吉書
白木御文書九番箱中三十五番の、斉興御判を伴う吉書。第一条に神社・仏閣の修造を興行すること、第二条に農事を勧め励むこと、第三条に国々の年貢を徴納することを挙げ、この三箇条の趣旨に従って沙汰すべき旨を命じる。天保五年正月十一日付。祭祀施設の修造、勧農、年貢徴収を並列する施政の命令として整理する。本文に宛…
追録7-No.2724 重豪の遺物を配る
重豪公御譜中の記事。天保五年、重豪の遺物を公家・宮家、将軍家の女性、水戸等の諸家、奥平・戸田・本多等の親戚、島津忠徹とその男子、幕閣・医師・御臺附役へ配ったと記す。近衛忠熙への堆錦料紙箱、御臺への文臺、都君主への玉掛床、甘露寺國長への中央(本文品名)、水戸齊昭への料紙硯箱などを挙げ、手鑑・花入・硯屏…
追録7-No.2725 佐川書状
重豪公御譜中に収められた、佐川署の書状。相手の手紙を拝見したとし、大信院が以前から所持していた品が御内々に御臺様から大隅守へ贈られた件について応じる。思いがけずそのような品についての思召があったこと、去る方が年来愛でて長く大切に秘蔵していたことを述べ、よいこととして早速その趣旨を申し上げるよう頼む。…
追録7-No.2726 佐川書状
重豪公御譜中に収められた、佐川署の返書。相手の手紙を拝見し、名前を挙げられた者どもが一同よろしく申し上げたいと申し出た旨を伝える。大信院が所持していたとされる品について、覚書の通り花町殿をはじめ大隅守様から送り回されたことは思いがけない贈り物で、皆がかたじけなく思っているため、有り難く存じる旨を先方…
追録7-No.2727 島津久風申渡書(家号拝領)
白木御文書九番箱中三十六番に収められた申渡書。二男を出生した者が家号を願い出た場合、家号を見合わせたうえで拝領を仰せ付けるよう求め、以後も二男以下には同様に家号拝領を命じ、その旨を帳面へ記録するよう指示する。二月、但馬署。天保五年二月六日に丹波殿へ坂元金十郎を通じて渡されたとの付記があり、記録奉行と…
追録7-No.2728 島津久風申渡書(京・大坂居付者の帰国)
白木御文書九番箱中三十八番に収められた申渡書。京・大坂に住み付いている者のうち勤め方のない者は、以後国元へ下るよう命じる。幼少者については別段の吟味を命じる場合もあると留保し、この旨を両御留守居へ申し越して関係者へ申し渡すよう求める。四月、但馬署、朱書天保五年。対象者の氏名・人数、帰国期限、幼少者の…
追録7-No.2729 重豪廟への石燈籠奉献・高輪福寿亭造営
重豪公御譜中の記事。太守斉興・老君斉宣・儲君斉彬が石燈籠三対を福昌寺の大信公廟前へ奉献し、松平斉溥・斉敏、奥平昌高、島津久命、島津報七郎らが拝礼した。楽人が廟内で奏楽し、供奉人も拝礼し、在邸の城代・家老・大目付・諸役人は身分に応じて金銀を献じ、棟札三枚を廟内へ納めた。奥女中らもそれぞれ石燈籠を廟前へ…
追録7-No.2730 高輪福寿亭神殿棟札
江戸高輪福寿亭に置かれた神殿棟札の正文。正四位下行左近衛権中将兼大隅守源斉興朝臣と、従四位上前左近衛権中将兼薩摩守源斉宣朝臣の名を掲げ、武蔵国荏原郡高輪福寿亭神殿の上棟を記す。天保四年癸巳八月十五日起工、天保五年甲午四月十五日竣工。造営担当として当番頭格側用人新納四郎右衛門常善、監事家老猪飼央尚敏、…
追録7-No.2731 御臺・斉興ら、重豪廟へ奉献
重豪公御譜中の記事。御臺が額一面と銀鷹一置を高輪福寿亭の大信公廟殿前へ献じ、斉興・斉宣・斉彬・英姫らは石燈籠八基を献じたと記す。斉宣の額一面、古代鈴・短刀・硝子燈籠、唐銅香炉、木製の器物などを挙げ、島津久命・久昵・報七郎や孝姫・親姫・淑姫らの一族、奥平昌高、松平斉溥・定穀・斉敏らが石鳥居・石獅子等を…
追録7-No.2732 寺社奉行所申渡書(御臺供養料)
大信院一周忌法事に際し、御臺が供養料として江戸大奥で内々に下賜した白銀五十枚と伽羅一箱の扱いを福昌寺へ申し渡す文書。御臺の名代による焼香の際に伽羅を納め置き、時々の仕持から差し上げるよう命じ、後年の仕替えの際にも堅固に継承するよう求める。白銀五十枚は御祠堂銀と同様に取り扱うこととする。天保五年三月晦…
追録7-No.2733 猪飼尚敏書状(瑞聖寺祠堂金取扱)
重豪公御譜中、家老座に控正文を置く猪飼央尚敏の書状。前年二月に瑞聖寺へ寺納した御祠堂金二百両の取扱いを定め、月七分の利足を金十六両三歩と三匁と算定する。内訳として大信院の年中祭料六両を設け、毎朝の酒水・茶湯・仏餉、御霊屋僧の回向、忌日の菓子四盆・上供六味、祥月の菓子六盆・上供六味と住持焼香・大衆誦経…
追録7-No.2734 左近跡目内調書留
白木御文書拾番箱中六十三番。左近の卒去後、その跡を新たに立てるべきかについて中将が思案し、家格と連名の順位を極秘に相良甚太夫へ調べさせ、相良が提出した内調書を留めたもの。後続の無番号二文書が具体的な家筋・跡目の先例調査を展開するため、本号は調査命令と一件の表題部分として整理する。跡目設置の決定、後継…
追録7-No.2735 斉興、調所広郷の財政改革を賞す
斉興公御譜中の記事。藩財政が極度に困難であったため、領内産物を大坂へ運んで融通の利益を得ることを回復策としたが、前家老らが努力しても事業は損失を生じ、藩邸・家屋の破損修理にも困るほど逼迫したと述べる。調所笑左衛門広郷が斉興の側役となり、財政改革を任された。広郷は受任以来、年々手立てを進め、寝食も安ら…
追録7-No.2736 市田義宜ほか連署知行目録(調所広郷褒賞)
白木御文書九番箱中三十九番の知行目録。調所笑左衛門広郷に高五百石を与えるもので、伊集院春山村・麦生田村、蒲生白男村・米丸村、帖佐住吉村、姶良郡山田大山村、市来養母村・長里村・神之川村、飯野大明司村・杉水流村、加久藤榎田村・西郷村、大村上手村、志布志帖村・有明野村、山之口村、山崎二渡村、樋脇市比野村、…
追録7-No.2737 島津久風ほか連署知行目録(市田義宜城代就任)
白木御文書九番箱中四十番の知行目録。市田美作義宜に高五百石を与えるもので、蒲生漆村、帖佐豊留村、市来大里村、鹿児島郡吉田本城村、志布志原田村・月野村、山之口村、諸県郡高城穂満坊村、勝岡蓼池村、飯野今西村・池島村・原田村、東郷田海村、山崎久富木村、阿多宮崎村・白川村、樋脇市比野村、鰐田柏原村、薩摩郡山…
追録7-No.2738 斉興参府・登城
斉興公御譜中の記事。天保五年十二月二日、大御所が上使松平周防守康任を遣わして斉興の参府を問い、懇ろな命を伝えた。同月十五日、斉興が登城して参府の礼を述べ、さらに例のとおり懇ろな命を受けたことを記す。
追録7-No.2739 斉彬、左近衛少将に転任
近衛野御中・斉彬公の記事。天保五年十二月十六日、斉彬が左近衛少将に転任した。御台君から厚い請いがあったため特に命じられたもので、島津家では慈眼公の叙任が少将から始まった先例はあるが、その他の世子にはなかったと記す。
追録7-No.2740 斉彬、左近衛少将に任ず
斉彬公御系図中の記事。天保五年甲午十二月十六日、島津斉彬が左近衛少将に任じられたことを記す。前号の任官記事を系図記事として確認する短文である。
追録7-No.2741-1 島津斉彬任左近衛権少将口宣案
旧御料所御文書三番箱中の口宣案。侍従源朝臣斉彬を左近衛権少将に任ずる旨を宣し、蔵人権右中弁兼右衛門権佐甘露寺愛長が奉じた。天保五年十二月十六日。
追録7-No.2741-2 島津斉彬任左近衛権少将宣旨
侍従源朝臣斉彬を左近衛権少将に任ずる宣旨。正三位行権大納言兼皇太后宮権大夫藤原朝臣実万が宣し、勅を奉じて任官を命じる。天保五年十二月十六日、大外記兼掃部頭造酒正助教中原朝臣師徳が奉じた。
追録7-No.2741-3 上卿・職事等書立
斉彬の左近衛権少将任官に伴う上卿・職事等の書立。上卿として転法輪大納言と薩摩少将を掲げ、職事として甘露寺権右中弁を記す。右二通として、前掲の口宣案・宣旨に関係する取扱者を示したものと整理する。
追録7-No.2741-4 幕府沙汰書(斉彬少将昇進)
島津斉彬の左近衛権少将昇進について伝える幕府沙汰書。御台様から厚い願いがあったため、格別の思召しをもってこのたび少将への昇進を命じたので、その趣旨を心得るよう通知する。松平豊後守の名を掲げ、「右二通」と記す。
追録7-No.2741-5 島津斉彬少将昇進官物書上
禁裏における松平豊後守源斉彬朝臣の少将成りの官物を書き上げた記録。御太刀折紙・黄金・白銀・銀子・御太刀代などを、上卿、職事、宣旨、両伝奏、宣旨副使、雑掌四人、上臈御局、長橋御局、大御乳人、仙洞、新大納言御局、権中納言御局、別当御局、大宮の万里小路御局・梅小路御局・御乳人、准后のお千萬御方・お登志御方…
追録7-No.2742 島津斉興吉書
白木御文書九番箱中四十二番の吉書。神社仏閣を修造・興業すること、農業を専らに勧めること、国々の年貢を徴納することの三箇条について、その旨に従って沙汰するよう命じる。天保六年正月十一日、斉興御判。
追録7-No.2743 斉興、御鷹の鶴を拝領
斉興公御譜中の記事。天保六年乙未春正月二十七日、大御所から上使安藤治右衛門を通じて、斉興へ御鷹の鶴が与えられたことを記す。
追録7-No.2744 市田義宜、斉彬嗣子について建議
斉興公御譜中の記事。天保五年甲午正月、江戸の城代市田美作義宜が、将軍家の男子初之丞君を斉彬の嗣子にするとの内々の話を受けた経緯を記す。話は侍女島沢から森山某の室を経て伝わったとされ、義宜は斉興へ密かに報告する。義宜は、御台所の縁が一段と厚くなることや主家の永続を願う意向に敬意を示しながらも、実子と養…
追録7-No.2745 仁孝天皇女房奉書(斉彬少将昇進の礼)
旧御番所御文書三番箱中にある、斉彬公少将任官に関する女房奉書。斉彬の少将昇進への礼として黄金百両と御衣三十疋を進上したことにつき、ありがたく思う旨を伝え、今後もいっそう誠意を尽くすよう述べる。天保六年三月十五日付で、御いまの御局への申給へと記す。原文の「さつまの少将」は斉彬を指す。
追録7-No.2746 御台所、大信院廟へ造花などを献ず
重豪公御譜中の記事。天保六年乙未夏四月、御台所が福昌寺の大信院廟前へ、御台様の御紋を施した造花一筥、唐金花建一筥、黒塗花台一脚を献じたことを記す。献供した品目と場所を示す短い記事で、次号の白銀五十枚の寺社奉行所申渡とは別に整理する。
追録7-No.2747 寺社奉行所申渡書(大信院三回忌供養銀)
重豪公御譜中に掲げ、正文は福昌寺にある「覚」。大信院の三回忌法事に際し、御台所の内々から福昌寺の廟所へ供養料として白銀五十枚が差し越されたことを寺社奉行所が伝える。御台所が廟所へ参拝したことを踏まえ、この銀五十枚は御詞堂と同様に扱い、後年に住職が交代する際にも確実に次へ引き渡すよう命じる。天保六年未…