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追録7の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,939件中 401~500件・5 / 30ページ

  1. 追録7-No.252 松平信明書状

    松平信明が重豪へ、若君様に使者をもって献じた菖蒲御兜一飾を首尾よく披露したと伝える書状。4月28日付、信明署判、口裏に松平伊豆守信明と松平上総介殿の宛名を記す。年次は寛政6年の朱注による。菖蒲御兜の贈答先は若君、返書の受け手は重豪である。

  2. 追録7-No.253 徳川家斉御内書

    家斉が重豪へ、端午の祝儀として到来した帷子単物を喜んで受け取ったことを伝える御内書。詳しいことは戸田采女正が述べると記す。5月2日付、家斉公の墨印、松平上総介殿宛で、寛政6年の年次は朱注による。本文は品名を帷子単物とし、個数・重数を記さない。戸田は委曲を伝える役割の文中人物である。

  3. 追録7-No.254 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪へ、端午の祝儀として若君様に使者をもって献じた御帷子単物を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。5月2日付、戸田采女正氏教署判、松平上総介殿宛、寛政6年の年次は朱注による。家斉の御内書No.253とは別の、若君への贈答についての返書である。

  4. 追録7-No.255 戸田氏教書状

    戸田采女正が重豪へ、端午の御内書を渡すため、翌日の五半時に御城へ家来を差し出すよう通知した書状。6月24日付、戸田采女正の官途署名、松平上総介殿宛で、寛政6年の年次は朱注による。目録は戸田氏教書状とする。登城を求めるのは家来であり、重豪本人の御目見を命じる文面ではない。御内書自体の全文は載せない。

  5. 追録7-No.256 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪へ、今朝献じられた鰹節一箱を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える短い返書。6月27日付、氏教署判、口裏には戸田采女正氏教と松平上総介殿の宛名を記す。寛政6年の年次は朱注による。本書は若君への献上を明記せず、No.257の若君宛贈答の返書とは区別する。

  6. 追録7-No.257 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪へ、今朝若君様に献じられた鰹節一箱を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。6月27日付、氏教署判、口裏には戸田采女正氏教と松平上総介殿の宛名を記す。年次は寛政6年の朱注による。No.256と同日・同品目の書状だが、本書は若君への献上を明記し、返書は重豪へ宛てる。

  7. 追録7-No.258 安藤信成書状

    安藤信成が重豪へ、生見玉の祝儀として献じられた黄金十両を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。7月6日付、信成署判、口裏には安藤對馬守信成と松平上総介殿の宛名を記す。年次は寛政6年の朱注による。冒頭は「為生見玉之御祝儀」とあり、生見玉という語の具体的な意味や祝儀の由来はこの短文では説明さ…

  8. 追録7-No.259 安藤信成書状

    安藤信成が重豪へ、生見玉の祝儀として若君様に献じられた黄金十両を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。7月6日付、信成署判、口裏には安藤對馬守信成と松平上総介殿の宛名、年次は寛政6年の朱注を記す。本書は若君への献上を明記しており、若君を明記しないNo.258と区別する。生見玉という語の意…

  9. 追録7-No.260 重豪御鷹ノ雲雀ヲ拝領ス

    同年8月9日、家斉が曽根内匠を芝邸へ遣わし、御鷹の雲雀を重豪へ賜ったと記す記事。曽根には次武の人物注を伴う。重豪はその時微恙があり、織田筑前守秀綿が代わって恩旨を奉じ、さらに老中邸へ赴いて拝謝したという。御鷹の獲物の雲雀の拝領であり、鷹自体を賜ったとしない。本文は雲雀の数を記さない。

  10. 追録7-No.261 斉宣、若君家慶ノ宮参ヲ賀ス/斉宣、拝借金ヲ請ヒ幕府コレヲ許ス

    斉宣公御譜に、若君の宮参への賀礼と財政難による幕府借財の許可を続けて記す記事。秋9月、若君が宮参の儀を行い、若君には徳川家慶・敏次郎の人物注がある。斉宣は登城して御座之間で家斉へ謁し、懇詞を受け、酒と吸物を賜った。別段落は、内外の国用の費用が多く、先に幕府へ貳拾萬金を納めて皇城営築の資としたため、財…

  11. 追録7-No.262 徳川家斉御内書

    家斉が重豪へ、重陽の祝儀として到来した小袖一重を喜んで受け取ったと伝える御内書。詳しいことは太田備中守が述べると記す。9月7日付、家斉公の墨印、松平上総介殿宛で、寛政6年の年次は朱注による。太田は委曲を伝える文中人物で、御内書の宛先ではない。

  12. 追録7-No.263 太田資愛書状

    太田資愛が重豪へ、重陽の祝儀として若君様に使者をもって献じた御小袖一重を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。9月7日付、太田備中守資愛署判、松平上総介殿宛で、寛政6年の年次は朱注による。No.262の家斉御内書とは別に、若君への献上を明記した老中の返書である。

  13. 追録7-No.264 伊勢貞矩申渡書

    亡くなった年月や法号が不知であった七霊について追号を与え、寺の祭引次に附祭とし、位牌・厨子・仏具等の安置を済ませたので帳面に記すよう命じる申渡書。忠昌公夫人を天眞妙幸大姉、久豊公後夫人を無染了心大姉、立久公先夫人を鏡堂妙圓大姉、立久公三人目夫人を芳雲慈光大姉、忠治公夫人を玉蓮元香大姉、勝久公夫人を天…

  14. 追録7-No.265 太田資愛書状

    太田資愛が重豪へ、若君様の宮参が済んだ祝儀として使者をもって目録の通りに献じられた品物を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。10月朔日付、資愛署判、太田備中守の署名と松平上総介殿宛の記載を伴う。年次は寛政6年の朱注による。献上品は目録通りとだけ記し、種類・数量をこの返書から推測しない。

  15. 追録7-No.266 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪へ、若君様の宮参が済んだ祝儀として、若君へ使者をもって目録の通りに献じられた品物を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。10月朔日付、氏教署判、戸田采女正の署名と松平上総介殿宛を記し、年次は寛政6年の朱注による。本文は「如目録」と記し、献上品の具体的な品名は示さない。No.…

  16. 追録7-No.267 せかわ外四名連署消息

    常盤井ほか五名が、若君の宮参後の豊後守の登城・御目見に対する祝意と謝意を伝える返事。上ミ様が機嫌よくお過ごしであることへの喜びを受け、若君の宮参が済んだので豊後守が登城し、御座之間で御目見を命じられ、懇意の上意と吸物・酒を頂いたという書面の趣旨を、ありがたいことと思っていると述べる。御文の趣をよろし…

  17. 追録7-No.268 せかわ外四名連署消息

    常盤井ほか五名が、若君の宮参に伴って豊後守が登城し、御座之間で御目見と懇意の上意を受け、吸物・酒を頂いたことへの祝意を伝える返事。書面の趣旨をありがたいことと思い、御礼を御臺様へ申し上げたところ満足の意があったと述べ、淑姫君様にもよろしく申し上げると伝える。No.267が若君への謝意取次を記すのに対…

  18. 追録7-No.269 太田資愛書状

    太田備中守が重豪へ、重陽の御内書を渡すため、翌日の五半時に御城へ家来を差し出すよう通知した書状。10月20日付、太田備中守の官途署名、松平上総介殿宛、年次は寛政6年の朱注による。目録では太田資愛書状とする。御内書交付のための家来登城通知であり、御内書自体の本文や重豪本人の御目見は記さない。

  19. 追録7-No.270 せかわ外四名連署消息

    常盤井ほか五名が、上総介と同氏の豊後守の拝借願が認められたことに対し、ありがたいことと思う旨を伝える返事。昨日召された際、米壹萬石と金貳萬両の拝借を仰せ付けられたという書面を受け、御文の趣をよろしく伝えること、若君にもよろしく申し上げることを記す。寛政6年の朱注、月日なし。常盤井・飛鳥井・野村・峯野…

  20. 追録7-No.271 せかわ外四名連署消息

    常盤井ほか五名が、同氏の豊後守の拝借願が認められた旨の書面へ返答する消息。昨日召された際、米壹萬石と金貳萬両の拝借を仰せ付けられ、ありがたいことと思っているという知らせを受け、その御礼を御臺様へ申し上げたところ、満足の意があったと述べる。御文の様をよろしく伝えること、淑姫君様にもよろしく申し上げるこ…

  21. 追録7-No.272 島津久親申渡書

    為次郎の母方祖父に当たる有川十右衛門の死去に際し、為次郎の忌服の扱いを帳面に記すよう命じる申渡書。実母が先年有川十右衛門の養女と命じられていたため、十右衛門は母方祖父の続柄になると記す。一方、為次郎は御部屋様の御養と命じられており、祖父の半減の忌服を受ける扱いだが、まだ七歳未満なので忌服には及ばない…

  22. 追録7-No.273 島津斉宣拝借金請取状并老中裏書

    斉宣が拝借金二万両のうち一万両を請け取った旨を記す請取状と、その金を渡すことを認める老中裏書。残る一万両は大坂御金蔵から請け取る積りとする。多額の用費が重なり、先頃上納金をした後は手当が難儀になるとして拝借を命じられたため、書面の通り受領し、返納は来る巳年から十ヶ年賦で上納すると約する。寛政6年寅閏…

  23. 追録7-No.274 島津斉宣拝借金請取状并老中裏書

    斉宣が拝借金二万両のうち一万両を請け取った旨を記す請取状と老中裏書。外の一万両は江戸御金蔵から請け取る積りとし、No.273とは請取場所と宛先を分ける。用費の重なりと先頃の上納金後の難儀を理由に拝借を命じられ、書面の通り受領し、来る巳年から十ヶ年賦で上納する旨を約する。寛政6年寅閏11月、松平豊後守…

  24. 追録7-No.275 島津斉宣拝借米請取状并老中裏書

    斉宣が拝借米一万石のうち三千五百石を請け取ったとする請取状と、米を渡すことを認める老中裏書。多額の用費が重なり、先頃の上納金後の手当が難儀になるため拝借を命じられ、書面の通り受領し、来る巳年から十ヶ年賦で返納すると約する。寛政6年12月、松平豊後守御印、御蔵奉行九名宛。裏書は表書の米三千五百石を渡す…

  25. 追録7-No.276 太田資愛書状

    太田資愛が重豪へ、今朝献じられた一箱の贈品を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。魚偏に易・昜に似た旁の品名字形は鯣の候補を留保する。12月3日付、資愛署判、口裏には太田備中守資愛と松平上総介殿の宛名を記す。寛政6年の年次は朱注。本書は若君への献上を明記しない。

  26. 追録7-No.277 太田資愛書状

    太田資愛が重豪へ、今朝若君様に献じられた一箱の贈品を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。品名はNo.276と同じ魚偏の字で、鯣の可能性を留保する。12月3日付、資愛署判、口裏に太田備中守資愛と松平上総介殿の宛名、年次は寛政6年の朱注。若君は贈答の受け手であり返書の受け手ではない。

  27. 追録7-No.278 徳川家斉御内書

    家斉が重豪へ、歳暮の祝儀として到来した小袖一重を喜んで受け取ったと伝える御内書。委曲は松平伊豆守が述べると記す。12月27日付、家斉公の墨印、寛政6年の朱注年次を伴い、松平上総介殿へ宛てる。宛名は同じ原本頁の下段右端へ続く。

  28. 追録7-No.279 松平信明書状

    松平信明が重豪へ、歳暮の祝儀として若君様に使者をもって献じた御小袖一重を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。12月27日付、松平伊豆守信明署判、松平上総介殿宛で、年次は寛政6年の朱注による。No.278の家斉御内書とは別に、若君への献上を明記した返書である。

  29. 追録7-No.280 太田資愛書状

    太田資愛が重豪へ、若君様に使者をもって献じた御破魔弓一飾を首尾よく披露したと伝える書状。12月28日付、資愛署判、口裏に太田備中守資愛と松平上総介殿の宛名、年次は寛政6年の朱注を記す。贈答先の若君と、この返書の宛先重豪を分ける。

  30. 追録7-No.281 島津斉宣吉書

    斉宣が三箇条の方針を掲げ、その趣旨に従って沙汰するよう命じる吉書。神社・仏閣の修造と興行、勧農を専らにすること、国々の年貢を徴納することを列記する。寛政7年正月11日付、斉宣御判を伴う。外包には寛政7年卯2月28日に久馬から平山五郎右衛門へ渡され、白木御文書六番箱へ納め置いたことを記し、御吉書・五十…

  31. 追録7-No.282 安藤信成書状

    安藤信成が重豪へ、年頭の祝儀として若君様に使者をもって献じた御太刀一腰・御馬代黄金十両を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。正月11日付、信成署判、口裏には安藤對馬守信成と松平上総介殿の宛名、年次は寛政7年の朱注を記す。若君は献上の受け手で、この返書の受け手は重豪。

  32. 追録7-No.283 せかわ外四名連署消息

    常盤井ほか五名が上総介方の書面へ答え、上ミ様の機嫌への喜びに続いて、同氏豊後守が上使を通じて御鷹の鶴を拝領したことをありがたいことと思っていると伝える返事。御礼を申し上げたことを受け、書面の趣旨をよろしく伝え、若君様にもよろしく申し上げると記す。寛政7年の朱注、月日なし。常盤井・あすか井・野むら・峯…

  33. 追録7-No.284 重豪御鷹ノ鶴ヲ拝領ス

    寛政7年乙卯正月23日、家斉が興津内記を芝邸へ遣わし、貴鷹が捕らえた鶴一隻を重豪へ賜ったと記す記事。興津には忠明の人物注がある。斉宣が重豪に代わって恩旨を奉じ、その後各老中邸へ赴いて拝謝したという。鷹自体の拝領でなく、その獲物の鶴の拝領である。この記事は代受した理由として重豪の病気を明記していないの…

  34. 追録7-No.285 とみ田外三名連署消息

    花まちほか四名が、上ミ様方の機嫌がよいことと、石たひ・串海鼠一はこを内々に贈ることを伝える消息。粗末なものだが手前様へ御内々として差し遣わし、何も心得てよろしく伝えるよう求める。なお余寒が強い時節だが障りなく過ごしているかと尋ね、何もよく伝える旨を添える。寛政7年の朱注、月日なし。花まち・花園・つほ…

  35. 追録7-No.286 松平信明書状

    松平伊豆守が重豪へ、歳暮の御内書を渡すため、翌日の五半時に御城へ家来を差し出すよう通知する書状。2月26日付、松平伊豆守の官途署名、松平上総介殿宛で、寛政7年の年次は朱注による。目録は松平信明書状とする。家来の登城通知であり、重豪本人の御目見を命じる文面ではない。御内書本体の全文は載せない。

  36. 追録7-No.287 富田外三名連署消息

    花町ほか四名が上総介方へ、上ミ様方の機嫌がよく、今日は御臺様が御庭へ渡られたことを喜び、肴一桶を贈ると伝える消息。御庭で取らせて遊ばれた肴を、手前様へ御内々として差し遣わすので、何もよく伝えるよう記す。前置きは幾久しく万々年を祝う言葉を添える。寛政7年の朱注、月日なし。花町・華園・つほね・富田の四名…

  37. 追録7-No.288 操姫斉宣系譜抄

    御系図中から、操姫が本多下総守康禎の夫人であること、生年月日・母と実母・卒年月日・法名を抄録する記事。寛政7年乙卯2月28日生、母は丹羽加賀守長祥の妹、実母は須山和太夫則勝の娘と記す。天保5年甲午4月8日卒、法名は蓮臺院殿操譽西眞妙香大姉。系図の親字は斉興と印刷されているように読める一方、目録表題は…

  38. 追録7-No.289 操姫斉宣系譜抄

    近秘野帥の斉宣公御子の記事から、操姫の出生・養子・婚姻・年給・卒年を抄録する。操姫は江州膳所城主六万石の本多下総守康禎夫人で、寛政7年乙卯2月28日に芝邸で生まれたとする。母は丹羽加賀守長祥の妹、実母は須山和太夫則勝の娘で名は喜代との注を伴う。文化2年乙丑9月6日に夫人が己子として養い、文化6年己巳…

  39. 追録7-No.290 島津重豪書状

    重豪が御意を伝える文を拝見し、御台所の御庭渡御に伴い肴一桶を拝領した礼を述べる仮名書きの返書。上ミ様がますます機嫌よくお過ごしであることへの恐悦を述べ、今日は御臺様が御庭へ渡られ、御庭で取らせて遊ばれた肴一桶を御内々に拝領したことを、ありがたい仕合とする。この旨をよろしく取り成してもらい、なお引き立…

  40. 追録7-No.291 とみた外三名連署消息

    花町ほか四名が、御臺様の御庭渡御に伴う肴一桶拝領への謝意を受け、御台所の満足を伝える返事。昨日御臺様が御庭へ渡られ、肴一桶を上総介側が拝領し、豊後守と御奥様も拝領したことへの御礼を申し上げたという書面を承知し、御文の様をよろしく伝えたところ、満足の意があったと述べる。寛政7年の朱注、月日なし。花町・…

  41. 追録7-No.292 島津斉宣拝借米請取状并老中裏書

    斉宣が拝借米一万石のうち六千五百石を請け取ったとする請取状と老中裏書。外の三千五百石は去る寅年に受領したと明記し、No.275の請取分と合わせて一万石になる。用費が重なり、先頃の上納金後の手当が難儀となるため拝借を命じられ、書面の通り請け取り、来る巳年から十ヶ年賦で上納すると約する。寛政7年卯3月、…

  42. 追録7-No.293 虎寿丸斉宣男、佐竹氏養子トナル/斉宣帰国ス

    斉宣の側室が鹿児島で生んだ憲之助について、改名・佐竹氏の養子・世子の届出と、一時鹿児島へ留める許可を記す記事。寛政7年に実年齢五歳で体が壮健となり虎寿丸と改称、佐竹氏が養子として世子に定め、幕府へは七歳と告げたとする。江府にいるべき虎寿丸が幼年で長途の旅に耐えられないため、用番老中にしばらく鹿児島に…

  43. 追録7-No.294 斉宣、虎寿丸ヲ薩府ニ居ラシム

    斉興公御譜から、憲之助が虎寿丸と改名して嫡子に定められ、薩府にしばらく居ることを幕府が許した経緯を記す記事。寛政7年4月、憲之助は生後五歳とし、父公が嫡子と定め、嫡母の佐竹夫人が己子として養い、幕府へは七歳として告げたと記す。虎寿丸は江府に居るべきだが幼年で長途に就けないため、用番老中へ書面で鹿児島…

  44. 追録7-No.295 虎寿丸斉宣名書

    虎寿丸の名を記す短い名書。正文は「虎寿丸」の名のみで、包紙に御名、外包紙に虎寿丸様という御名目録一通である旨を記す。朱注は斉興公が寛政7年乙卯4月に虎寿丸と改称し、五歳の時に当たると説明する。出典は白木御文書九番中三十三番。太田資愛が虎寿丸へ宛てた書状ではなく、独立の署名・宛名・月日も記さない。

  45. 追録7-No.296 太田資愛書状

    太田資愛が重豪へ、若君様に使者をもって献じた菖蒲御兜一飾を首尾よく披露したと伝える書状。4月28日付、資愛署判、口裏に太田備中守資愛と松平上総介殿の宛名、年次は寛政7年の朱注を記す。目録296は太田資愛書状であり、家斉御内書とする旧属性は本文の署判・文段に合わない。

  46. 追録7-No.297 徳川家斉御内書

    家斉が重豪へ、端午の祝儀として到来した帷子単物を喜んで受け取ったと伝える御内書。委曲は安藤對馬守が述べると記す。5月2日付、家斉公墨印、松平上総介殿宛、寛政7年の年次は朱注による。安藤は委曲を伝える文中人物で、発給者ではない。目録297も家斉御内書とする。

  47. 追録7-No.298 安藤信成書状

    安藤信成が重豪へ、端午の祝儀として若君様に使者をもって献じた御帷子単物を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。5月2日付、安藤對馬守信成署判、松平上総介殿宛、年次は寛政7年の朱注による。目録298は安藤信成書状であり、浦添の起請文前書は次のNo.299に対応する。

  48. 追録7-No.299 浦添朝央起請文前書

    浦添王子朝央が五箇条を誓う起請文前書。前年に読谷山王子の跡役を命じられたことへの謝意、斉宣・重豪に逆意を抱かず忠義を専らにすること、国王に疎略な志を持たず国内に付け鳴らし、政道に従って邪欲・国法の紊乱を起こさないことを記す。悪逆の者があり国内全体が同意しても自分は同意せず披露すること、自身について召…

  49. 追録7-No.300 安藤信成書状

    安藤信成が重豪へ、今朝献じられた鰹節一箱を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える短い返書。6月6日付、信成署判、口裏に安藤對馬守信成と松平上総介殿の宛名、年次は寛政7年の朱注を記す。本書は若君への献上を明記せず、No.301の若君宛贈答の返書と分ける。

  50. 追録7-No.301 安藤信成書状

    安藤信成が重豪へ、今朝若君様に献じられた鰹節一箱を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。6月6日付、信成署判、口裏に安藤對馬守信成と松平上総介殿の宛名、寛政7年の朱注年次を伴う。本書は若君への献上を明記し、返書の宛先は重豪である。旧年月日欄の6月24日は本文・目録と合わず、6月6日へ訂正…

  51. 追録7-No.302 安藤信成書状

    安藤對馬守が重豪へ、端午の御内書を渡すため、翌日の五半時に御城へ家来を差し出すよう通知する書状。6月24日付、安藤對馬守の官途署名、松平上総介殿宛で、寛政7年の年次は朱注による。目録302も安藤信成書状とする。家来の登城通知であり、系譜の記事ではない。御内書自体の全文は載せない。

  52. 追録7-No.303 乗之助重豪男系譜抄

    大信公の八男乗之助の出生・母・夭亡・法号・墓所を記す系譜抄。寛政7年乙卯6月29日に江府で生まれ、母は浪人杉浦作左衛門政信の娘とする。寛政9年丁巳3月7日に夭亡し、5日を忌日とする注を伴う。法号は天苗院殿玉質潤光大禅童子、墓は惠燈院と江府大圓寺に建てたと記す。目録は乗之助重豪男系譜抄で、独立宛名はな…

  53. 追録7-No.304 乗之助重豪男系譜抄

    近秘野帥の重豪公御子の記事から乗之助の出生・母・夭亡と法名を記す系譜抄。寛政7年乙卯6月29日に芝邸で生まれ、母は杉浦作兵衛政信の娘とする。母の名は於曽美で年寄上席、文化11年甲戌5月20日卒、法名柏寿院殿貞節如純大姉、今は殿字を用いる旨の注を伴う。乗之助は寛政9年丁巳3月7日に夭亡し、5日を諱辰と…

  54. 追録7-No.305 松平信明書状

    松平信明が重豪へ、生見玉の祝儀として献じられた黄金十両を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。7月6日付、信明署判、口裏に松平伊豆守信明と松平上総介殿の宛名を記す。年次は寛政7年の朱注による。生見玉の意味・祝儀の由来はこの短文に説明がなく、No.258などと同じ留保に従い人物名・行事名へ…

  55. 追録7-No.306 松平信明書状

    松平信明が重豪へ、生見玉の祝儀として若君様に献じた黄金十両を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。7月6日付、信明署判、口裏に松平伊豆守信明と松平上総介殿の宛名、寛政7年の朱注年次を伴う。若君への献上を明記し、No.305と区別する。生見玉の意味は同様に留保する。徳川重好の喪と御鷹の雲雀…

  56. 追録7-No.307 幕府、徳川重好ノ喪ニヨリ御鷹ノ雲雀ヲ下賜セズ

    同年7月13日、今年は御鷹の雲雀を賜らないと諸侯へ令を伝えたことを記す記事。理由は大家が徳川重好卿の喪に居るためとし、重好には清水の注を伴う。御鷹の雲雀という下賜慣行と服喪による停止を記した短文で、家斉発給の御内書本体ではない。記事に記された7月13日と、旧年月日欄の9月7日を区別して訂正する。

  57. 追録7-No.308 徳川家斉御内書

    家斉が重豪へ、重陽の祝儀として到来した小袖一重を喜んで受け取ったと伝える御内書。詳しいことは戸田采女正が述べると記す。9月7日付、家斉公の墨印、松平上総介殿宛、年次は寛政7年の朱注による。戸田は委曲を伝える文中人物で、発給者ではない。

  58. 追録7-No.309 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪へ、重陽の祝儀として若君様に使者をもって献じた御小袖一重を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。9月7日付、戸田采女正氏教署判、松平上総介殿宛、寛政7年の年次は朱注による。目録309は戸田氏教書状であり、瀬かわほかの連署消息は次のNo.310に対応する。

  59. 追録7-No.310 瀬かわ外四名連署消息

    ときわゐほか五名が、豊後守の帰国御礼献上品の取扱いについて上総介方へ答える消息。上ミ様の機嫌への喜びに続き、帰国御礼献上物の内によくない品があり、豊後守国元から差し控えて伺ったところ、その儀には及ばない旨が伝えられたことを、ありがたいことと思うと述べる。この御礼を申し上げ、書面の趣旨をよろしく伝え、…

  60. 追録7-No.311 せかわ外四名連署消息

    常盤井ほか五名が、豊後守の帰国御礼献上品の取扱いへの謝意を伝える消息。献上物の内によろしくない品があり国元から差し控えて伺ったところ、その儀には及ばない旨が仰せ出され、ありがたいことと思うという書面へ答える。御礼を御臺様へ申し上げて書面の様を披露したところ満足の意があり、淑姫君様にもよろしく申し上げ…

  61. 追録7-No.312 戸田氏教書状

    戸田采女正が重豪へ、重陽の御内書を渡すため、翌日の五半時に御城へ家来を差し出すよう通知する書状。10月20日付、戸田采女正の官途署名、松平上総介殿宛、寛政7年の年次は朱注による。目録312は戸田氏教書状で、川上久致外六名連署状はNo.313に対応する。

  62. 追録7-No.313 川上久致外六名家老連署書状

    七名が浦添王子・三司官の書状を拝見し、中将様から年首の祝儀として目録の通りに差し上げられた品物を江府で披露したところ、御満足の意があったので、その旨を洩達するよう伝える連署返書。10月27日付、山田伯耆・名越右膳・二階堂河内・市田勘解由・伊勢播磨・嶋津求馬・川上久馬の七署名に實名判と人物注を記す。年…

  63. 追録7-No.314 重豪、敏次郎殿家慶ノ髪置ヲ祝ス

    重豪が敏次郎の髪置を祝う献上をし、翌日に返礼を拝領した記事。同年11月2日、物頭を登営させ、家斉と敏次郎へ各一種千匹、御臺所へ一種五百匹を献じ、髪置を賀した。翌日、敏次郎が奏者番有馬左兵衛佐譽純を芝邸へ遣わして肴の器一つを重豪へ賜ったとする。器の単位字は筐と読む候補を留保する。重豪は微恙があり、久留…

  64. 追録7-No.315 松平信明書状

    松平信明が重豪へ、若君様の髪置の祝儀として使者をもって目録の通りに献じられた品物を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。11月2日付、信明署判、口裏に松平伊豆守信明と松平上総介殿の宛名を記す。寛政7年の年次は朱注。本書では若君への献上とは明記せず、若君宛を明記するNo.316と分ける。

  65. 追録7-No.316 松平信明書状

    松平信明が重豪へ、髪置の祝儀として若君様に使者をもって目録の通りに献じた品物を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。11月2日付、信明署判、口裏に松平伊豆守信明と松平上総介殿の宛名、年次は寛政7年の朱注を記す。若君は祝儀の受け手で、返書の受け手は重豪。原文は如目録であり、旧引用の目銀を品…

  66. 追録7-No.317 瀬川外四名連署消息

    常盤井ほか五名が、昨日若君の髪置が済んだと聞いて祝意を述べた書面へ返答する消息。上ミ様の機嫌への喜びを受け、めでたい祝儀を御臺様へ申し上げたところ満足の意があったと述べ、淑姫君様にもよろしく申し上げると記す。淑姫には家斉女の人物注を伴う。寛政7年の朱注、月日なし。常盤井・飛鳥井・野むら・みねの・瀬川…

  67. 追録7-No.318 瀬川外四名連署消息

    常盤井ほか五名が、若君の髪置祝儀として若君から上使を通じて同氏豊後守へ拝領物を命じられたことへの謝意を受け、ありがたいことと思うと伝える返事。書面の趣旨をよろしく伝え、御礼を若君にも申し上げる旨を記す。寛政7年の朱注、月日なし。常盤井・飛鳥井・野むら・峯の・瀬川の五名、上総介様人々御中宛御返事。若君…

  68. 追録7-No.319 せかわ外四名連署消息

    ときわ井ほか五名が、若君の髪置祝儀として上使を通じて豊後守へ拝領物を命じられたことへの御礼を、御臺様へ申し上げたと伝える消息。御文の様をよろしく伝え、淑姫君様へも申し上げたところ満足の意があったと記す。No.318の若君への取次と、御臺様・淑姫への伝達を分ける。寛政7年の朱注、月日なし。ときわ井・あ…

  69. 追録7-No.320 虎寿丸斉興、福筒迫諏訪社ニ初詣ス/斉宣、騎射ノ法ヲ家臣ニ授ク

    斉宣公御譜に、虎寿丸の初詣と斉宣の騎射法伝授を続けて記す記事。寛政7年乙卯11月6日、虎寿丸が福筒迫諏訪神社へ初めて詣でたとし、虎寿丸に島津斉興の人物注がある。別段落は斉宣が家伝の犬追物の技芸のほか、小笠原平兵衛から小笠原流騎射・打毬などを学び、鹿府城南中村別荘の騎射場でしばしば講じたと記す。同年1…

  70. 追録7-No.321 虎寿丸斉興、福筒迫諏訪社ニ初詣ス

    斉興公御譜に、七年11月6日、虎寿丸が産神の福筒迫諏訪神社へ初詣したことを記す記事。父公から黒熊鎗一対、手鎗一本、長刀一本を賜ったと記す。年次は本文七年と周囲の配列から寛政7年に当たり、No.320の斉宣公御譜の記事とは出典と追加された贈品を分ける。書状の署名・宛名はない。

  71. 追録7-No.322 松平信明書状

    松平信明が重豪へ、献じられた御馬一疋を披露したところ、御喜色があったと伝える返書。12月13日付、信明署判、口裏に松平伊豆守信明と松平上総介殿の宛名、寛政7年の朱注年次を伴う。官途名の馬ではなく実際の御馬一疋の献上を記す。これに応じる重豪側の返書はNo.323に続く。

  72. 追録7-No.323 島津重豪書状

    重豪が馬一疋の献上を首尾よく披露したとの知らせを受け、かたじけない旨を伝える返書。12月13日付、松平上総介の署名と重豪御判、松平伊豆守様人々御中宛、寛政7年の朱注年次を記す。写正文は右筆所所在。付された注は、寛政2年5月4日の不時献上では翌日留守居を呼び出して納めた旨を伝え、御奉書の沙汰に及ばなか…

  73. 追録7-No.324 重豪、御台所ノ着帯ヲ祝賀ス

    同年12月15日、御臺所君の着帯賀儀があり、重豪が物頭を老中邸へ遣わして祝った記事。御臺所には茂姫の人物注がある。翌日、家斉へ一種三百匹、儲后敏次郎へ一種五百匹、御臺所へ一種五百匹を献じ、さらに女使をもって御臺所へ縮緬十巻・鯛一折を献じたと記す。御臺所からも重豪へ縮緬十巻・鯛一折を賜ったという。賀儀…

  74. 追録7-No.325 富田外三名連署消息

    花町ほか四名が、昨日の御臺様着帯祝儀に際して目録の通りに拝領し、同氏豊後守とその奥方へも拝領物が命じられたという謝意の書面に答える消息。これをまことにありがたいことと思い、御礼を御文の様に従って伝えたところ、御満足の意があったと記す。寛政7年の朱注、月日なし。花町・華その・つほね・富田の四名、上総介…

  75. 追録7-No.326 富田外三名連署消息

    花町ほか四名が、御臺様の着帯祝儀として縮緬十巻・鯛一折を差し上げ、同氏豊後守からも差し上げたという書面へ答える消息。よろしく披露したところ、満足の意があったと伝える。寛政7年の朱注、月日なし。花町・華園・つほね・富田の四名、上総介様人々御中宛御返事。No.325の拝領御礼とは別に、差し上げた祝儀への…

  76. 追録7-No.327 安藤信成書状

    安藤信成が重豪へ、御臺様の着帯祝儀として使者をもって目録の通りに献じられた品物を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。12月16日付、信成署判、口裏に安藤對馬守信成と松平上総介殿の宛名、寛政7年の朱注年次を記す。本書では若君への献上を明記せず、No.328と区別する。品物は目録の通りとだ…

  77. 追録7-No.328 安藤信成書状

    安藤信成が重豪へ、御臺様の着帯祝儀として若君様に使者をもって目録の通りに献じた品物を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。12月16日付、信成署判、口裏に安藤對馬守信成と松平上総介殿の宛名、寛政7年の朱注年次を記す。若君への献上を明記し、返書は重豪へ宛てる。

  78. 追録7-No.329 せ川外四名連署消息

    常盤井ほか五名が、昨日御臺様の着帯祝儀を申し上げるため小野嶋を差し上げたところ、公方様と若君様からそれぞれ紗綾二巻を小野嶋へ拝領させるよう命じられ、ありがたいことと思っているという書面へ答える消息。御礼を御文の趣旨に従って伝え、若君へも同じことを申し上げると記す。寛政7年の朱注、月日なし。常盤井・あ…

  79. 追録7-No.330 せかわ外四名連署消息

    常盤井ほか五名が、昨日着帯の祝儀を申し上げるため小の嶋を差し上げ、御臺様から紗綾二巻を小の嶋へ拝領させるよう命じられたことへの謝意を受ける消息。御礼を御臺様へ申し上げ、御文の様をよろしく伝えたところ満足の意があったと述べる。No.329の公方・若君からの各二巻と若君への取次に対し、本書は御臺様からの…

  80. 追録7-No.331 菱刈実祐首尾書(目録標題。正文省略)

    原本の印刷番号331の下には、出典「重豪公御譜中」と「写正文在家老座」の表示だけがあり、正文・署名・宛名・日付は載せない。目録は菱刈実祐首尾書、寛政7年12月20日とするため、目録の属性として区別して保持する。次の印刷番号332から始まる中将の高輪下屋敷への移転に関する正文を、この番号の本文として推…

  81. 追録7-No.332 川上久致外六名家老連署返書(目録標題。菱刈首尾書に朱書返答)

    中将が来る2月朔日に時之丞・為次郎・乗之助を同道して高輪下屋敷へ移ることと、屋敷・役務の取扱いを報ずる書面。雄五郎は当分の通りとし、東御殿の引取と御膳所向を大奥御膳所へまとめる内定、御部屋様は当分現状とし大奥向の造作と後の移動を追って内定することを記す。表の軽い御用はもとより公の用務も当月限りで伺い…

  82. 追録7-No.333 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪へ、今朝献じられた一箱の贈品を披露したところ一段の御仕合であったと伝える返書。魚偏に易・昜形の品名は、前の同字形書状と同じく鯣候補を留保する。12月25日付、氏教署判、口裏に戸田采女正氏教と上総介宛、年次は寛政7年の朱注。

  83. 追録7-No.334 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪へ、今朝若君様に献じられた一箱の贈品を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。品名はNo.333と同じ魚偏の字で、鯣の可能性を留保する。12月25日付、氏教署判、口裏に戸田采女正氏教と上総介宛、寛政7年の朱注を伴う。旧家斉御内書・12月27日という属性を、原署判と目録により修…

  84. 追録7-No.335 徳川家斉御内書

    家斉が重豪へ、歳暮祝儀として到来した小袖一重を喜んで受け取ったと伝える御内書。委曲は松平伊豆守が述べると記す。12月27日付、家斉公墨印、上総介宛、寛政7年の朱注年次を伴う。伊豆守は委曲伝達者で発給者ではない。

  85. 追録7-No.336 松平信明書状

    松平信明が重豪へ、歳暮祝儀として若君様に使者をもって献じた御小袖一重を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。12月27日付、松平伊豆守信明署判、上総介宛、寛政7年の朱注を記す。若君は贈答の受け手で、返書の宛先は重豪。

  86. 追録7-No.337 戸田氏教書状

    戸田氏教が重豪へ、若君様に使者をもって献じた御破魔弓一飾を首尾よく披露したと伝える書状。12月28日付、氏教署判、口裏に戸田采女正氏教と上総介宛、寛政7年の朱注を伴う。次のNo.338の寛政8年正月7日付資愛返書とは別である。

  87. 追録7-No.338 太田資愛書状

    太田資愛が重豪へ、若菜祝儀として献じられた鯛一折を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。正月7日付、資愛署判、口裏に太田備中守資愛と上総介宛を記す。年次は寛政8年の朱注による。本書は若君への献上を明記せず、No.339と分ける。

  88. 追録7-No.339 太田資愛書状

    太田資愛が重豪へ、若菜祝儀として若君様に献じた鯛一折を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。正月7日付、資愛署判、口裏に太田備中守資愛と上総介宛、寛政8年の朱注を記す。若君は祝儀の受け手であり、本書の宛先ではない。吉書は次のNo.340に対応する。

  89. 追録7-No.340 島津斉宣吉書

    斉宣が神社仏閣の修造興行、勧農を専らにすること、国々の年貢徴納という三箇条を掲げ、その旨に従って沙汰するよう命じる吉書。寛政8年正月11日、斉宣御判を記す。上包は吉書、外包は寛政8年辰正月11日の御吉書一通とし、翌12日に伯耆から木場次右衛門へ渡され白木六番箱へ納め置いたことを記す。出典は六番箱中六…

  90. 追録7-No.341 太田資愛書状

    太田資愛が重豪へ、年頭祝儀として使者をもって献じた御太刀一腰・御馬代黄金十両を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。正月11日付、資愛署判、口裏に太田備中守資愛と上総介宛、寛政8年の朱注を記す。御馬代は金額として記し実馬としない。本書は若君への献上を明記しない。

  91. 追録7-No.342 太田資愛書状

    太田資愛が重豪へ、年頭祝儀として若君様に使者をもって献じた御太刀一腰・御馬代黄金十両を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。正月11日付、資愛署判、口裏に太田備中守資愛と上総介宛、寛政8年の朱注年次を記す。若君は献上の受け手、返書は重豪宛で、No.341と若君明記の有無を分ける。

  92. 追録7-No.343 近衛経熈書状

    近衛経熈が上総介へ、御臺所の着帯に際して祝辞を述べた芳牒が丁寧で満足したと伝える書状。ますます平安であることを祝い、こちらにも変わりがなく、後の喜びを期する旨を記す。正月18日付、花押と近衛経熈の人物注、松平上総介とのへ宛、寛政8年の朱注を伴う。

  93. 追録7-No.344 斉宣側室八百、鈴木氏ニ改姓(目録標題)

    斉宣公御譜に、虎寿丸の母八百の由緒に関する申立てと処置の導入を記す記事。寛政8年丙辰正月、八百は初め佐野氏として斉宣に仕えたが、近頃鈴木氏として訴える者があったので、以下の通り処置すると述べる。本文は「如左」として具体的な書類を予告し、白木六番箱六十三号・於八百事件四通の所在注を伴う。目録標題は鈴木…

  94. 追録7-No.345 八百斉宣側室身上由緒取札一件届書(目録標題・出典表示)

    原本の印刷番号345の下には白木御文書六番箱中六十三という出典表示があり、独立した正文・署名・日付・宛名はない。目録は八百の身上由緒取札一件届書とする。一件の個別文書は後の「の1」以降に配列されているため、この出典一列から斉宣内意書の本文を推測して概要を作らない。正文量はゼロとして記録する。

  95. 追録7-No.346 市田盛常書状(目録346標題・出典表示のみ)

    原本の印刷346は重豪公御譜中と、写正文在家老座という出典・所在の二列のみ。独立した正文、日付、署名、宛名はなく、目録346の1月27日付市田盛常書状の属性をこの二列から確認したとはしない。次の印刷347に移転費用の書状と朱返答が載る。

  96. 追録7-No.347 市田勘解由書状・菱刈大炊朱返答(目録346・347)

    中将が高輪御下屋敷へ移った費用について、すべて御表から取り計らうと命じられたことを嶋津将監へ伝える連署書状。諸事は御隠居方から差し遣わされたと承知するが、この移転は格別の事であり、他のこととは取扱いを変えて命令の趣旨を伝え、処理するよう指示する。本書は正月27日、寛政8年朱注。朱書に上・市田勘解由、…

  97. 追録7-No.348 斉宣、除厄の鏑流馬を張行す(目録348・原印刷348)

    斉宣公御譜に、厄年に当たる斉宣のため鏑流馬を行った経緯を記す。犬追物師家川上十郎左衛門親香と他の犬追物人員が、稲荷社前で鏑流馬を行って除厄を祈ることを請い、斉宣が許可した。寛政8年春2月朔日に実施し、17日には親香らに命じて城南中村別荘の騎射場でも再び行わせた。この日は斉宣が臨観し、騎馬・服装は朔日…

  98. 追録7-No.349 重豪、御鷹の鶴を拝領す(目録349・原印刷349)

    寛政8年春2月4日、家斉が渡邊喜右衛門を使わし、御鷹が捕えた鶴一隻を重豪に賜ったことを記す。重豪が微恙であったため、久留島出雲守通同が代わって恩旨を承り、その後老中各邸へ出向いて拝謝したとする。出典は重豪公御譜中。本文は鶴の拝領・代受・拝謝を記す。次の女中消息と独立した記事として整理する。

  99. 追録7-No.350 瀬川外四名連署消息(目録350・原印刷350)

    上総介からの文を受けた五名連署の返事。上ミ様が御機嫌よく、御めでたく思っていること、上使による御鷹の鶴拝領を有難く思い、その礼を申し上げたという文の趣旨を承知して、よろしく伝えると記す。御表からも礼を述べたとの追而書を伴い、末尾には若君様にもよろしく申し上げるとする。常盤井・飛鳥井・野村・峯野・瀬川…

  100. 追録7-No.351 瀬川外四名連署消息(目録351・原印刷351)

    上総介からの文を受け、上ミ様の御機嫌と、上使により御鷹の鶴を同氏豊後守が拝領したことを祝し、その礼を御臺様へ伝えたところ御満足であると返す五名消息。淑姫君様へもよろしく伝える旨を末尾に記す。寛政8年朱注、常わ井・飛鳥井・野むら・みねの・せかわの五名、松平上総介様人々御中宛、御返事。鶴拝領の主体は本文…