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追録7の目録
暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。
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追録7-No.847 赤松則決申渡書(千眼寺礼物・触下)(原本・目録847)
千眼寺が本山直末となり寺格を御目見寺に命じられたので、月船寺と同様に年頭は茶5袋、住職の御礼の節は中紙3束を進上するよう命ずる。また寿国寺の触下とし、その旨を寺社奉行と関係先へ申し渡すよう指示する。文化3年3月の朱注、市正署、出典は重豪公御譜中、扣正文在家老座。本文は同頁上段左端から下段右端へ続く。…
追録7-No.848 高輪車町失火・芝三邸へ延焼(原本・目録848)
同年春3月4日、高輪車町で火が起こり、南風がますます強まり、瞬く間に芝邸と西向・南向邸へ延焼したと記す。出典は重豪公御譜中、斉宣公御譜中にもあるとの付記。同年は前後・目録の文化3年に対応する。失火・風・延焼先を採録し、原因や被害数量を本文以上に補わない。
追録7-No.849 江戸芝屋敷類焼一件(849の3返答・包紙)(原本・目録849)
無番号0059と同じ849の3の本書を共用する。本書は薩摩守名代の豊後守登城、三屋敷類焼に伴う1万両拝借の命、薩摩守の承知と公方・大納言・御臺への謝礼献上物の伺いを記す。3月27日・桑山仲太夫署。返答張紙は使札を差し越すよう指示し、献上物は及ばないとする。包紙は江戸屋敷類焼につき公儀から1万両を拝借…
追録7-No.850 安藤信成書状(歳暮奉書受取通知)(原本・目録850)
歳暮の奉書を渡すので、明日の四時に西丸へ家来を差し出すよう安藤対馬守が求める。安藤対馬守署、松平栄翁宛、文化3年4月4日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。本文は同頁上段左端から下段右端へ続く。通知日と翌日の受取指定、歳暮奉書と御内書の呼称を分ける。
追録7-No.851 赤松則決申渡書(千眼寺寿像安置取扱い)(原本・目録851)
御隠居の寿像を思召しによって千眼寺へ納め、この安置に当たり先例を考えて表立つ取計いをする余地があっても、そのような儀は行わないよう命ずる。万歳の後に検討する場合は子孫の思召し次第とするが、御在世中は従前どおりとする。像に添える逆牌は、万歳の後の年月等を書き入れるためのもので、間違いなく取り計らうよう…
追録7-No.852 赤松則決申渡書(千眼寺材木寄進)(原本・目録852)
この節の千眼寺再興は大幻が願って自力で取り計らう件であるが、思召しがあって諸材木をすべて寄進するので、その旨を寺社奉行へ申し渡し、御勝手方にも達するよう指示する。文化3年4月の朱注、市正署、出典は全上、扣正文在家老座。自力再興という原則と材木寄進の許容を併記し、材木の種類・数量や実際の搬入完了は補わ…
追録7-No.853 徳川家斉端午御内書(原本・目録853)
端午の祝儀として帷子単物が到来したことを歓覧し、詳しくは牧野備前守が述べるとする家斉御内書。家斉公墨印、松平栄翁宛、文化3年5月2日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。数量は本文にないので補わず、発給者と委曲担当を分ける。
追録7-No.854 安藤信成端午祝儀返書(原本・目録854)
端午の祝儀として使者により献上された帷子単物を披露したところ、一段の御仕合だったと安藤信成が返す。安藤対馬守信成判、松平栄翁宛、文化3年5月2日の朱注、出典は全上。前853家斉御内書と独立の返書として、献上・披露・署宛を記し、品数や使者の名は補わない。
追録7-No.855 與那原良應起請文前書(原本・目録855)
敬白・天罰霊社起請文前書之事と題する五箇条。若輩ながら昨年三司官役を命じられ冥加が浅からずありがたいので、国許の奉公を一層入念に勤めると誓う。斉宣・重豪・斉興へ毛頭疎意を抱かず、国許から命じられる諸事御条書を堅く守り、悪意や邪儀を企てる者があれば直ちに披露する。国王に別心なく忠勤を抽んで、国内の掟と…
追録7-No.856 青山忠裕鯛献上返書(原本・目録856)
今朝献上された鯛1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと忠裕が返す。忠裕判、口裏に青山下野守忠裕・松平栄翁宛、文化3年6月11日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。魚は鯛と記され、数量を伴う。
追録7-No.857 安藤信成鯛献上返書(原本・目録857)
今朝献上された鯛1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと信成が返す。信成判、口裏に安藤対馬守信成・松平栄翁宛、文化3年6月11日の山括弧による朱注表示。出典は全上。魚は鯛と記され、数量を伴う。
追録7-No.858 牧野忠精書状(端午御内書受取通知)(原本・目録858)
端午の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう牧野備前守が求める。牧野備前守署、松平栄翁宛、文化3年6月24日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。通知日と翌日の受取指定を分け、実名は目録の忠精を表示する。
追録7-No.859 松平信明生見玉祝儀返書(原本・目録859)
生見玉の祝儀として献上された黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す。信明判、口裏に松平伊豆守信明・松平栄翁宛、文化3年7月6日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。祝儀名と金額を採録し、馬代や実馬など本文にない品目へ置き換えない。
追録7-No.860 安藤信成生見玉祝儀返書(原本・目録860)
生見玉の祝儀として献上された黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと信成が返す。信成判、口裏に安藤対馬守信成・松平栄翁宛、文化3年7月6日の朱注。出典は全上。日付・署宛は冊子267頁上段へ続く。祝儀名と金額を採録し、馬代や実馬など本文にない品目へ置き換えない。
追録7-No.861 西覚兵衛覚書(南泉院太刀引替)(原本・目録861)
備前国吉平の太刀1腰、御拵書添と掲げる。南泉院の御宮造営に当たり、宝永7寅年4月17日に吉貴が参詣し、その節、一文字則宗の太刀1腰を持参して拝礼し、そのまま御宮へ納めていた。今節、斉宣の思召しでこれを右の吉平の太刀へ引き替えて納めたので、後年紛失なく格護するよう寺社奉行へ仰せ渡しており、その経緯を帳…
追録7-No.862 重豪御鷹の雲雀を拝領する(原本・目録862)
同年秋7月23日、大家が使小笠原政之助を桜田邸へ遣わし、重豪に御鷹の雲雀を賜った。斉興が代わって恩旨を奉じ、また老中の各邸へ礼謝したと記す。政之助には直信の注と実名闕表示があり、桜田邸にはこの年の芝邸の池魚之災によるとの注が付く。出典は重豪公御譜中。同年は前後・目録の文化3年。桜田邸での下賜・斉興の…
追録7-No.863 斉興袖留をなす(原本・目録863)
文化3年丙寅8月28日に斉興が袖留をしたことを記す。出典は斉興公御譜中。本文は日付・人物・袖留の短い記事であり、具体の手順、婚姻の実施や関係者、贈物は記されないため補わない。
追録7-No.864 島津久泰申渡書(因幡家の二男以下に和泉家号)(原本・目録864)
嶋津因幡殿について、二男以下の家号が未定だったところ、今節三男が出生したので家号を見合わせて拝領を命じられたいと願い出た。今後は二男以下が右に掲げる和泉の家号を拝領することを命じるので、その旨を帳面へ記置くよう通知する。因幡に忠厚、将監に島津久泰の注、8月・将監署、御記録奉行宛、白木御文書七番箱中2…
追録7-No.865 徳川家斉重陽御内書(原本・目録865)
重陽の祝儀として小袖1重が到来したことを歓覧し、詳しくは松平伊豆守が述べるとする家斉御内書。家斉公墨印、松平栄翁宛、文化3年9月2日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。本文は冊子268頁上段へ続く。家斉を発給者、伊豆守を委曲担当として分け、小袖の数量を保持する。
追録7-No.866 安藤信成重陽祝儀返書(原本・目録866)
重陽の祝儀として使者により献上された小袖1重を披露したところ、一段の御仕合だったと安藤信成が返す。安藤対馬守信成判、松平栄翁宛、文化3年9月2日の朱注、出典は全上。前865家斉御内書と独立の返書として献上・披露・署宛を記し、使者の名は補わない。
追録7-No.867 西覚兵衛覚書(斉宣御筆伏波額の寄進)(原本・目録867)
斉宣公御筆の額1面で、伏波の二字、御名・御印章・年月があると掲げる。これを今節、伊集院妙円寺の松齢様の御影前へ寄進したので承知しておくよう申し達する。松齢には島津義弘の注。文化3年寅9月4日、西覚兵衛署、御記録奉行宛、白木御文書七番箱中27番。額に年月があるとの表示と本覚書の日付を分け、額の制作日そ…
追録7-No.868 松平信明書状(重陽御内書受取通知)(原本・目録868)
重陽の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう松平伊豆守が求める。松平伊豆守署、松平栄翁宛、文化3年10月20日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。通知日と翌日の受取指定を分け、前867の妙円寺寄進覚書と9月4日署宛を除外して本通知だけを採用した。
追録7-No.869 頴娃久喬書状(啓之助出生祝儀)(原本・目録869)
国王様からの尊書を拝見し、当春に男子が出生して啓之助殿の名を進めたことにつき、御隠居へ祝儀を申し上げた書面の趣旨を、江府に到着して披露したと返す。文化3年11月4日の朱注、頴娃信濃実名判、三司官宛。出典は重豪公御譜中、写正文在琉球国司。信濃に久喬の注がある。出生祝いの書面と披露・返信を区別し、具体の…
追録7-No.870 頴娃久喬書状(謙次郎出生祝儀)(原本・目録870)
国王様からの尊書を拝見し、当春に男子が出生して謙次郎殿の名を進めたことにつき、御隠居へ祝儀を申し上げた書面の趣旨を、江府に到着して披露したと返す。文化3年11月4日の朱注、頴娃信濃実名判、三司官宛。出典は全上。出生祝いの書面と披露・返信を区別し、具体の出生日時や祝儀品目は本文にないため補わない。
追録7-No.871 頴娃久喬書状(江戸上屋敷類焼見舞)(原本・目録871)
国王様からの尊書を拝見し、江戸上屋敷の類焼に伴う御隠居の御機嫌伺いとして、幸地親方をもって目録どおりの品を差し上げた件を、江府に到着して披露したと返す。文化3年11月4日の朱注、頴娃信濃実名判、三司官宛、出典は全上。類焼見舞・使者・目録品の差上と返信を分け、具体の品目数量は補わない。
追録7-No.872 頴娃久喬書状(重豪年首祝儀)(原本・目録872)
国王様からの尊書を拝見し、御隠居へ年首の祝儀として目録どおりの品を差し上げた件を、江府に到着して披露したところ御満足の思召しだったので、その旨を洩達するよう返す。文化3年11月4日の朱注、頴娃信濃実名判、三司官宛、出典は全上。日付・署宛は同頁下段右端へ続く。年首の祝儀と返信日を区別し、別紙目録の具体…
追録7-No.873 頴娃久喬書状(啓之助養子祝儀)(原本・目録873)
国王様からの尊書を拝見し、啓之助殿が嶋津美濃聟養子と仰せ出されたことへの祝儀として、幸地親方をもって御隠居へ太刀1腰・馬代白銀20両および目録どおりの品を差し上げた件を、江府に到着して披露したところ御満悦だったので、その旨を洩達するよう返す。文化3年11月4日の朱注、頴娃信濃実名判、三司官宛、出典は…
追録7-No.874 頴娃久喬書状(謙次郎養子祝儀)(原本・目録874)
国王様からの尊書を拝見し、謙次郎殿が嶋津玄蕃殿養子と仰せ出されたことへの祝儀として、幸地親方をもって御隠居へ太刀1腰・馬代白銀20両および目録どおりの品を差し上げた件を、江府に到着して披露したところ御満悦だったので、その旨を洩達するよう返す。文化3年11月4日の朱注、頴娃信濃実名判、三司官宛、出典は…
追録7-No.875 頴娃久喬書状(太守鶴拝領祝儀)(原本・目録875)
国王様からの尊書を拝見し、太守が宿次の奉書によって御鷹の鶴を拝領したことへの祝儀として、幸地親方をもって御隠居へ太刀1腰・馬代白銀100両および目録どおりの品を差し上げた件を、江府に到着して披露したところ御満悦だったので、その旨を洩達するよう返す。文化3年11月4日の朱注、頴娃信濃実名判、三司官宛、…
追録7-No.876 島津斉宣伺書(琉球使者の高輪下屋敷訪問)(原本・目録876)
この節、琉球中山王の使者が出府するので、同氏栄翁が滞在する高輪下屋敷へその使者を差し越すと申し出る。下屋敷へ使者を差し越す先例があるので、その旨を聞き置いてほしいとし、実際に来る際には家来から届けを申し上げるとする。文化3年11月8日の朱注、松平薩摩守署、出典は全上、扣正文在文庫。使者の訪問方針・先…
追録7-No.877 重豪御鷹の鶴を拝領する(原本・目録877)
同年冬12月16日、大家が使石野新左衛門を芝邸へ遣わし、重豪へ御鷹の鶴を賜った。斉興が代わって恩旨を奉じ、その後老中の各邸へ礼謝したと記す。新左衛門に広通の注と実名闕の表示、出典は重豪公御譜中。同年は前後・目録の文化3年に対応する。下賜・代受・謝恩を分け、鳥数は補わない。
追録7-No.878 牧野忠精鰹節献上返書(原本・目録878)
今朝献上された鰹節1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと牧野忠精が返す。忠精判、口裏に牧野備前守忠精・松平栄翁宛、文化3年12月16日の朱注、出典は全上、正文在文庫。品名数量・署判・宛先を記し、旧入力の安藤信成を発給者として残さない。
追録7-No.879 安藤信成鰹節献上返書(原本・目録879)
今朝献上された鰹節1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと安藤信成が返す。信成判、口裏に安藤対馬守・松平栄翁宛、文化3年12月16日の朱注、出典は全上。前878牧野返書と品目・日付は同じでも、発給者と署判を分ける。
追録7-No.880 徳川家斉歳暮御内書(原本・目録880)
歳暮の祝儀として小袖1重が到来したことを歓覧し、詳しくは土井大炊頭が述べるとする家斉御内書。家斉公墨印、松平栄翁宛、文化3年12月27日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。発給者と委曲担当を分け、品数を保持する。
追録7-No.881 安藤信成歳暮祝儀返書(原本・目録881)
歳暮の祝儀として使者により献上された小袖1重を披露したところ、一段の御仕合だったと安藤信成が返す。安藤対馬守信成判、松平栄翁宛、文化3年12月27日の朱注、出典は全上。正文は冊子271頁で完結する。次巻147の表紙に記された文化4年正月から同6年12月は本書の日付・本文ではないため、別文書の内容とし…
追録7-No.882 青山忠裕若菜祝儀返書(原本・目録882)
若菜の祝儀として献上された鯛1折を披露したところ、一段の御仕合だったと忠裕が返す。忠裕判、口裏に青山下野守忠裕・松平栄翁宛、文化4年正月7日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。若菜という祝儀名と鯛の品目数量を区別する。
追録7-No.883 安藤信成若菜祝儀返書(原本・目録883)
若菜の祝儀として献上された鯛1折を披露したところ、一段の御仕合だったと信成が返す。信成判、口裏に安藤対馬守信成・松平栄翁宛、文化4年正月7日の朱注。出典は全上。本文は同頁上段左端から下段右端へ続く。若菜という祝儀名と鯛の品目数量を区別する。
追録7-No.884 島津斉宣吉書(原本・目録884)
神社仏閣の修造・興行、勧農を専らにすること、国々の年貢を徴納することの三箇条を掲げ、その旨に任せて沙汰するよう命ずる吉書。文化4年正月11日、斉宣御判、白木御文書七番箱中28番、右包紙は吉書。三つの施政項目と沙汰の指示を採録し、実際の事業・徴納完了の報告とはしない。
追録7-No.885 青山忠裕年頭祝儀返書(原本・目録885)
年頭の祝儀として使者により献上された太刀1腰・馬代黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと忠裕が返す。忠裕判、口裏に青山下野守忠裕・松平栄翁宛、文化4年正月11日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。日付署宛は冊子273頁上段へ続く。太刀と馬代の数量を記録し、実馬の献上へ置き換えない。
追録7-No.886 安藤信成年頭祝儀返書(原本・目録886)
年頭の祝儀として使者により献上された太刀1腰・馬代黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと信成が返す。信成判、口裏に安藤対馬守信成・松平栄翁宛、文化4年正月11日の朱注。出典は全上。太刀と馬代の数量を記録し、実馬の献上へ置き換えない。
追録7-No.887 重豪園室公三百年忌へ香奠・代拝(原本・目録887)
文化4年丁卯春2月15日、興国寺で園室公の三百年忌法事を二日間修した。重豪も家老島津将監久美を遣わし、香奠金200疋を献じ代拝させたと記す。園室公に島津忠昌、久美に泰カの注、出典は重豪公御譜中、斉宣公御譜中にもあるとの付記。法事の開始日・期間、香奠の数量・代拝を分ける。代拝者は原文の久美と校注泰カを…
追録7-No.888 土井利厚書状(歳暮御内書受取通知)(原本・目録888)
歳暮の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう土井大炊頭が求める。土井大炊頭署、松平栄翁宛、文化4年2月20日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。本文は同頁上段左端から下段右端へ続く。通知日と翌日の受取指定を区別する。
追録7-No.889 於都・郁姫系譜抄(原本・目録889)
御系図中、斉興・男女十三人の表示に続き女子於都・郁姫を掲げる。文化4年丁卯3月5日生、母は青木盛旻候補の女、文化12年乙亥7月8日に斉興が養って子としたとする。出生と後年の養子を分け、通知書の作成日とは扱わない。母の父の名は同系譜の字形を保持して候補とし、ほかの母附表記と無断統一しない。
追録7-No.890 市田盛常書状(高輪同居・御内證様出府)(原本・目録890)
高輪御殿では以前子女が天亡し、慈光院も卒去して御隠居が徒然に過ごし、随姫を引き取り世話し、昨年御前様の子女も来たが、追って芝へ残らず移り今は御隠居一人だと述べる。御内證様との高輪同居について太守の思召しどおりにされれば安心し、芝御殿からも余程隙ができ、平生の心配も軽くなるとして、遠路の出府を何卒願う…
追録7-No.891 斉宣病により帰国延期を許される(原本・目録891)
文化4年丁卯3月13日、大樹家斉が上使土井大炊頭利厚を遣わして告と物を賜い、世子家慶も上使安藤対馬守信成を遣わし物を賜った。15日に斉宣が登城して二公に拝謝し、懇命を受け、諸事は先例どおりとする。斉宣は速やかに帰国の途へ就く予定だったが、病があったので暫く江府に留まり治癒を待つことを幕府へ願い、許さ…
追録7-No.892 島津久泰申渡書(於都と省之進縁組)(原本・目録892)
この節出生した女子於都について、兵庫殿養子嶋津省之進殿との縁組が今日仰せ出されたので、その旨を帳面へ記置くよう命ずる。3月15日、将監署、御記録奉行宛、白木御文書七番箱中29番。包紙は文化4年卯3月15日に将監殿から渡された書付とする。出生と縁組仰出、相手の兵庫養子という関係、帳面登録指示を分け、当…
追録7-No.893 島津久泰申渡書(随姫と伊達兵五郎縁組内談)(原本・目録893)
随姫と遠江守の嫡子伊達兵五郎との縁組内談があり、先月22日に双方の家老使者をもって引き結び、3月12日に双方の祝物取遣いも済み、両敬の旨が届いたので承知するよう関係先へ申し渡す。遠江守に伊達村候、兵五郎に村寿の注。3月・将監署、全七番箱中30番。口裏は将監殿から渡された書付の写、張札は御記録奉行江。…
追録7-No.894 島津重豪忌服半減届書(原本・目録894)
同氏栄翁の母方叔父嶋津美作が国元で先月5日に死去したので、栄翁の当時の続による半減忌服を届ける。忌は3月5日から9日まで5日、残日数がないため遠慮1日、服は3月5日から19日まで15日と掲げる。文化4年4月2日の朱注、松平薩摩守署、出典は重豪公御譜中、扣正文在右筆所。死亡日と届の日、忌・服・残日数な…
追録7-No.895 島津重豪忌服半減の続柄説明書(原本・目録895)
栄翁の父故薩摩守重年は大隅守継豊の二男で、家中嶋津兵庫の名跡を相続していた間に嶋津美作の姉と縁組し、栄翁が出生した。その後重年が当薩摩守の曾祖父薩摩守宗信の養子を命じられ、栄翁は残され、追って願いのうえ重年の実子となり家督を相続したため、母方叔父として半減忌服があると説明する。朱注は、前項の届を当日…
追録7-No.896 徳川家斉端午御内書(原本・目録896)
端午の祝儀として帷子単物が到来したことを歓覧し、詳しくは青山下野守が述べるとする家斉御内書。家斉公墨印、松平栄翁宛、文化4年5月2日の朱注、出典は重豪公御譜中、正文在文庫。発給者・委曲担当と宛先を分け、品数は補わない。
追録7-No.897 安藤信成端午祝儀返書(原本・目録897)
端午の祝儀として使者により献上された帷子単物を披露したところ、一段の御仕合だったと安藤信成が返す。安藤対馬守信成判、松平栄翁宛、文化4年5月2日の朱注、出典は全上。本文日付署宛は同頁下段右端へ続く。前896家斉御内書とは独立の返書として扱い、使者の名や品数は補わない。
追録7-No.898 市田盛常書状(御内證出府の宿札等)(原本・目録898)
御内證様の出府に伴い宿札等を同様にする旨の返答を受けたが、吟味なしでは済まないので関係先で調べて伺い、決まった分を条書きで申し越す。宿札は薩州大奥と認め、休泊附についても定める。道中で名目を詳しく問われたら御隠居様の御内證様と答え、太守様の実母を問われた場合はそのとおり答えるよう命じられている。形あ…
追録7-No.899 島津久泰外二名家老連署返書(出府取扱いの朱答)(原本・目録899)
898本書に対する行間朱答。本返答の趣旨を承知し、御内證様へ御聴に達し、関係先にも申し渡したとする。6月19日の朱日付を伴う。共用紙面には文化4年5月24日・市田勘解由の本書と、朱上/下、嶋津将監殿・頴娃信濃殿・新納内蔵殿の列がある。目録は島津久泰外二名家老連署返書。本書の宿札薩州大奥、道中名目、紫…
追録7-No.900 斉興文化4年6月記事(除前髪・彌姫入邸)(原本・目録900)
文化4年丁卯6月16日に斉興が前髪を除き、28日に縁女彌姫が我邸へ入ったと記す。彌姫に池田治道女の注。出典は斉興公御譜中。除前髪と縁女の入邸を別日の出来事として採録し、我邸を本文にない地名へ補わず、記載のない婚礼日を作らない。
追録7-No.901 土井利厚鯛献上返書(原本・目録901)
今朝献上された鯛1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと利厚が返す。利厚判、口裏に土井大炊頭利厚・松平栄翁宛、文化4年6月19日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。口裏は同頁下段右端へ続く。鯛と数量・発給者を保持する。
追録7-No.902 安藤信成鯛献上返書(原本・目録902)
今朝献上された鯛1箱を披露したところ、一段の御仕合だったと信成が返す。信成判、口裏に安藤対馬守信成・松平栄翁宛、文化4年6月19日の朱注。出典は全上。鯛と数量・発給者を保持する。
追録7-No.903 青山忠裕書状(端午御内書受取通知)(原本・目録903)
端午の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう青山下野守が求める。青山下野守署、松平栄翁宛、文化4年6月24日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。通知日と翌日の受取指定を区別する。
追録7-No.904 松平信明生見玉祝儀返書(原本・目録904)
生見玉の祝儀として献上された黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと信明が返す。信明判、口裏に松平伊豆守信明・松平栄翁宛、文化4年7月6日の朱注。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。本文日付署宛は冊子279頁上段へ続く。祝儀名と金額を保持し、実馬や馬代へ置き換えない。
追録7-No.905 安藤信成生見玉祝儀返書(原本・目録905)
生見玉の祝儀として献上された黄金10両を披露したところ、一段の御仕合だったと信成が返す。信成判、口裏に安藤対馬守信成・松平栄翁宛、文化4年7月6日の朱注。出典は全上。祝儀名と金額を保持し、実馬や馬代へ置き換えない。
追録7-No.906 子女出生の実母御暇一件(冊子表紙)(原本・目録906)
白木御文書七番箱中32番の一冊の表紙で、収録文書を三項目掲げる。子様出生の実母へ暇を下す一件について内沙汰があり、江戸詰家老から国許家老へ往返した書付1通、これに関する当座調書の扣2通、年寄格蘭へ永の暇を下す件について江戸詰家老から国許家老へ問合せた書1通とする。末に御記録所、右一冊の表紙との表示。…
追録7-No.907 蘭永暇関係書類の表紙(白木御文書七番箱三十三番)
白木御文書七番箱三十三番の表紙にある文言。文化4年卯8月27日、中根若水(正房の注)の娘蘭に永の暇を下したことにつき、若水・中根傳七郎・蘭から後年訴詔等を申し出ない旨の手切り証文二通を右に添付し、江戸詰家老市田出雲から国元家老衆への問合書写一通を収めると記す。末に御記録所、右表紙ニアリの表示がある。…
追録7-No.908 重豪、御鷹の雲雀を拝領(斉興代奉)
同年秋8月3日、大家が使者根野織部を芝邸へ遣わし、重豪に御鷹の雲雀一を賜った。根野織部には実名弘篤の注がある。斉興が代わって恩旨を奉じ、ただちに老中の各邸で礼謝したことを記す。出典は重豪公御譜中。拝領主体は重豪、代奉・礼謝の主体は斉興として区別する。
追録7-No.909 斉宣生母堤氏、鹿児島から江戸へ赴く
斉宣の生母堤氏は鹿児島田之浦亭に住んでいたが、秋8月14日薩府を発ち江都へ赴いた。堤氏には初称於千万、時に御内證の注がある。側役黒田嘉右衛門清が側用人の事を行い旅程を総裁し、広敷用人平島平八政峯、その他広敷番の頭・侍医・諸執事が随行した。九州・中国を経て9月20日大坂へ着き、5日滞在。帰国する斉宣と…
追録7-No.910 斉宣生母堤氏の江戸赴行と高輪邸の身辺事情
斉宣の生母堤氏(於千万・御内證の注)が鹿児島田之浦亭に住んで久しくなる一方、父公は江府高輪邸に住み、同邸の男女が前後して夭亡し、側室慈光院(重豪側室市田氏の注)も亡くなったこと、斉宣の娘随姫が同邸に住んでいたことを記す。前年芝邸が焼けたため斉宣夫人と諸子も高輪邸へ移り、近ごろ芝邸へ戻りたいとして邸内…
追録7-No.911 中山王尚灝の謝恩使と斉宣・忠温の登城
秋9月4日琉使を率いて鹿城を発ち江府へ向かったが、予定して幕府の許可を得た斉宣の出発が遅れ、途中先に琉使を行かせたため、斉宣は10月19日江府へ着いた。芝邸は新築され、9月9日に忠温(島津斉興の注)が斉宣に代わって移徙礼を行い、29日に家斉から使者を遣わす恩命があった。11月朔日斉宣が登城して参府礼…
追録7-No.912 徳川家斉内書(重陽小袖一重到来)
重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、委細は牧野備前守が述べると伝える内書。9月7日、家斉公の墨印表示、松平榮翁宛。文化4年の朱注があり、重豪公御譜中、正文在文庫の表示を付す。小袖の数量は一重であり、現行概要の二重を改める。
追録7-No.913 安藤信成書状(重陽小袖一重献上披露)
今上への重陽祝儀として使者に小袖一重を献じた件が披露されたので、ひときわ結構な仕合であると述べる。9月7日、安藤對馬守信成判、松平榮翁宛。文化4年の朱年注。献上主体の松平榮翁と披露結果を知らせる安藤信成を分け、小袖の数量は二重ではなく一重として整理する。
追録7-No.914 牧野備前守書状(重陽御内書受取り)
重陽の御内書を渡すので、明日五半時に家来を御城へ差し出すよう通知する。10月廿日、牧野備前守署、松平榮翁宛。文化4年の朱注があり、重豪公御譜中、正文在文庫の表示を付す。書状の日は20日で、家来を出すのは翌日と区別する。本文には忠精の実名表記はなく、署名は官名のまま採録する。
追録7-No.915 頴娃信濃申渡(千眼寺寺格・西田寺延命院改宗)
千眼寺へ、本山直末の御目見寺とし、隠居様の寿像を安置することにより、虎之間で寺社奉行が申渡す寺格を命じ、入院の礼には中紙三束を進上すること、年頭の御目見は従来どおりとし、順席は本誓寺の次とすると申し渡す。さらに弥勤院末寺西田寺と大乗院末寺延命院に、隠居様の寿像を安置する思召しにより、寺格は当分従前ど…
追録7-No.916 松平榮翁重豪明細書(官位・隠居・改名と再提出経緯)
明細書の枠内に、本国薩摩、生国薩摩、従四位上中将、故薩摩守重年の嫡子、上総介事、松平榮翁重豪、申五十六と記し、天明7年丁未正月廿五日隠居、寛政12年庚申11月14日改名を掲げる。申五十六は原表記として採録し、文化4年時点の年齢とは読み替えない。出典は全上、控正文在右筆所。下段の朱追記は、以前差し出し…
追録7-No.917 重豪、千眼寺を再建し西田寺・延命院を黄檗派へ改宗
先に重豪が千眼寺の再建を命じ、この年11月14日、弥勤院管下の西田寺と大乗院管下の延命院を千眼寺管下とし、宗を改めて黄檗派としたことを記す。出典は重豪公御譜中。先行する千眼寺再建の命令と、今回11月14日に行った末寺所属・宗派の変更を区別する。
追録7-No.918 嶋津将監・頴娃信濃連署書状(御女子於都出生祝儀)
琉球国王からの尊書を拝見し、当春御女子が出生して於都殿と名を進められたことへの祝儀を隠居様へ紙上で述べられた件を、江府へ到着後披露した旨を伝える。12月6日、嶋津将監・頴娃信濃連署、実名判の表示。次頁右端に讀谷山王子・三司官の宛名と実名判表示が続く。文化4年の朱年注があり、出典は重豪公御譜中、写正文…
追録7-No.919 嶋津将監・頴娃信濃連署書状(隠居への年首祝儀)
国王の尊書を拝見し、隠居様への年首祝儀として目録のとおり差し上げられたものを江府到着後披露したところ、隠居様が満足されたので、その旨を伝えるよう求める。12月6日、嶋津将監・頴娃信濃署に各実名判の表示、讀谷山王子・三司官宛。文化4年朱注。全上は前件の重豪公御譜中を承ける。年首祝儀の返書だが、本文に目…
追録7-No.920 嶋津将監・頴娃信濃連署書状(上屋敷類焼・御金拝借関係祝儀)
国王からの尊書を拝見し、昨年江府上屋敷が類焼したことに関して、太守様への宿次御奉書の御尋と御金拝借の仰出に対する祝儀として、隠居様へ奥平親方目録のとおり差し上げられたものを江府到着後披露した旨を伝える。隠居様は満悦されたので、その旨を伝達するよう求める。12月6日、嶋津将監・頴娃信濃署に各実名判、讀…
追録7-No.921 嶋津将監・頴娃信濃連署書状(於都と省之進の縁組祝儀)
国王の尊書を拝見し、於都殿が嶋津省之進殿と縁組するよう命じられたことへの祝儀として、隠居様へ奥平親方目録のとおり差し上げられたものを、江府到着後披露した旨を知らせる。隠居様は満悦されたので、この旨を伝達するよう求める。12月6日、嶋津将監・頴娃信濃署に各実名判、讀谷山王子・三司官宛、文化4年朱年注。…
追録7-No.922-1 牧野忠精書状(922の1・川上右近十五日五時登城)
白木御文書七番箱中三十五番の書状。国許到着御礼の使者川上右近(久芳の注)を明15日五時に御城へ差し出すよう命じる。また自分としての御礼も申し上げるので、その旨を心得るよう伝える。12月14日、牧備前署に牧野忠精の注、松平薩摩守殿留守居宛。包紙にも同じ宛名がある。差出日は14日、指定は翌15日五時であ…
追録7-No.922-2 牧備前書状(922の2・川上右近翌日四時登城)
国許到着御礼の使者川上右近を、明日の四時に御城へ差し出すよう通知する。12月廿日、牧備前署、松平薩摩守殿留守居宛。包紙も同宛名。独立年記は本文にないので文化4年記事群と明示する。前の14日書状の翌15日五時指定と区別し、この書状は20日付・翌日四時指定として別枝番号を保持する。
追録7-No.922-3 安藤對馬書状(922の3・川上右近出頭と三通収納)
川上右近を明日四半時に我等の宅へ差し出すよう通知する。12月廿一日、安對馬署に安藤信成の注、松平薩摩守殿留守居宛。包紙にも同じ宛名がある。続いて右ノ三通外包ニの表示があり、文化5年辰2月廿三日に橋口善兵衛が承知し、白木御文書七番箱へ納め置いた旨を記す。正文の翌日出頭指定と、922の1~3の三通をまと…
追録7-No.923 牧野忠精書状(鰹節一箱献上披露)
今朝鰹節一箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える返書。12月18日、忠精判、松平榮翁宛。口裏に牧野備前守忠精の表示があり、文化4年の朱年注、重豪公御譜中、正文在文庫の表示を付す。献上品と数量、披露の結果、署判と口裏宛名を採録し、単なる受領謝意だけの書状へ縮めない。
追録7-No.924 松平信明書状(大納言への鰹節一箱献上)
今朝、大納言様へ鰹節一箱を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。12月18日、信明判。次頁に松平榮翁宛名、在口裏の朱表示と松平伊豆守信明を掲げる。文化4年の朱注。出典表示は全上で、前の重豪公御譜中・正文在文庫を承ける。前件923の献上披露と区別し、ここでは贈り先が大納言様であるこ…
追録7-No.925 徳川家斉内書(歳暮小袖一重到来)
歳暮祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、委細は松平伊豆守が述べると伝える内書。12月廿七日、家斉公墨印の表示、松平榮翁宛。文化4年の朱注、重豪公御譜中、正文在文庫の表示を付す。本文の数量は小袖一重である。次の安藤書状による献上披露報告と区別して、将軍の内書として整理する。
追録7-No.926 安藤信成書状(歳暮小袖一重献上)
歳暮祝儀として使者をもって小袖一重を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であると返す。12月廿七日、安藤對馬守信成判、松平榮翁宛、文化4年の朱年注。全上は前件の重豪公御譜中・正文在文庫を承ける。本文の数量は一重で、No.925の内書とこの老中返書の役割を区別する。
追録7-No.927 青山忠裕書状(若菜祝儀・鯛一折)
若菜祝儀として鯛一折を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える。正月7日、忠裕判、松平榮翁宛。口裏に青山下野守忠裕の表示。文化5年の朱注があり、重豪公御譜中、正文在文庫の表示を付す。年が文化4年から5年へ変わる位置を確認し、若菜という祝儀名と鯛一折の品目・数量、披露結果を採録する。
追録7-No.928 安藤信成書状(若菜祝儀・鯛一折)
若菜祝儀として鯛一折を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える。正月7日、信成判、松平榮翁宛、安藤對馬守信成の表示、文化5年朱年注。出典表示は全上で前件の重豪公御譜中・正文在文庫を承ける。同日同品目の927青山書状と別の差出人による返書として保持する。
追録7-No.929 青山忠裕書状(年頭太刀一腰・馬代黄金十両)
年頭祝儀として使者をもって太刀一腰と御馬代黄金10両を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。正月11日、忠裕判、松平榮翁宛。次頁の口裏表示に青山下野守忠裕を掲げる。文化5年の朱注、重豪公御譜中、正文在文庫の表示。太刀と馬代を別品目として採録し、黄金を実馬の献上へ置き換えない。
追録7-No.930 安藤信成書状(年頭太刀一腰・馬代黄金十両)
年頭祝儀として使者により太刀一腰と御馬代黄金10両を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であったと返す。正月11日、信成判、松平榮翁宛。口裏に安藤對馬守信成の表示、文化5年の朱注を付す。出典表示は全上で前件の重豪公御譜中・正文在文庫を承ける。929青山書状と同日同品目だが、差出人・署判・口裏の…
追録7-No.931 斉宣、翌年の参勤期を問う(六月中着府の許可)
今年、翌年の参勤時期を問い合わせたところ、幕府は、前年琉使を率いて参勤したので翌年の時期を緩め、6月中に江府へ到着すればよいと命じたことを記す。出典は斉宣公御譜中、目録・配置は文化5年の記事。琉使を率いた参勤が遅い着府を認める理由として記されていることを採録し、現在の参勤日や問合せ月日として6月を扱…
追録7-No.932 頴娃信濃申渡(嶋津安房の出府後の家老呼称)
白木御文書七番箱中三十四番の文書。嶋津安房(久備の注)が今節出府したうえは留守詰家老の場であるとして、御目見の御願を下される等の沙汰があったことを通知する。このため公辺はもちろん他所へ掛け合う際には、都の御家老と称するよう命じられたので、この旨を帳面に記して置くよう御記録奉行へ命ずる。信濃署、文化5…
追録7-No.933 松平伊豆守書状(歳暮御内書の翌日受取り)
歳暮の御内書を渡すので、明日の五半時に御城へ家来を差し出すよう通知する。2月廿日、松平伊豆守署、松平榮翁宛。文化5年の朱注、重豪公御譜中、正文在文庫の表示を付す。書状日と翌日の受取指定を分け、本文署名の官名と目録の実名信明を区別する。
追録7-No.934 斉宣の梅岳君影像・神主廟堂修復と重豪の代拝
加世田郷常潤院所納の梅岳君影像と神主の廟堂は、年を経て損壊があった。斉宣が重ねて修復しようとして、昨年8月に福昌寺白嚴和尚を遣わして取り扱わせ、そのとおり修理し、今年3月に完成した。13日に影像を日新寺へ遷し、斉宣は家老を寺へ遣わした。重豪も小姓組番頭兼当番頭伊勢雅楽貞皎を遣わし、大官香3把を献じて…
追録7-No.935 斉宣、修復した梅岳公影像を廟堂へ奉還
加世田郷常潤院の梅岳公影像と神主の廟堂は年を経て甚だしく損壊していたため、斉宣が修復を望み、昨年8月に福昌寺住持白嚴和尚を常潤院へ遣わして相談させた。影像と神主をいったん日新寺へ移して修理を進め、文化5年戊辰3月に完成。13日に影像を廟堂へ奉還し、斉宣はその日に家老を遣わして拝謁させたと記す。出典は…
追録7-No.936 菊姫真含院の死去と斉宣の中陰法事
有邦公(島津継豊の注)の女子で菊姫と称し、松平修理大夫重政(筑前福岡城主の注)へ嫁いだ人物を記す。重政の死後に髪を断ち真含院と称し、文化5年戊辰3月17日、江府溜池邸で病死した。諡は真含院殿實高慈清大禪定尼。26日に渋谷祥雲寺へ葬り、4月5日から7日まで3日間、同寺で中陰法事を行った。斉宣も大圓寺で…
追録7-No.937 重豪、菊姫真含院の葬送に久備を遣わし代拝
我曽祖父有邦公の女子で菊姫と称し、松平修理大夫重政へ嫁いだこと、重政死後に髪を断ち真含院と称したことを掲げる。文化5年戊辰春3月17日に江府溜池第で病死し、真含院殿實高慈清大禪定尼と諡し、26日に渋谷祥雲寺へ葬った。重豪は若年寄島津安房久備を寺へ遣わして香を焚き代拝させた。久備には、仮に家老となった…
追録7-No.938 重豪・斉宣の真含院中陰法事と香奠・代拝
4月5日から7日まで3日間、祥雲寺で真含院殿の中陰法事を営み、重豪も若年寄島津安房久備を寺へ遣わし、香奠銀10枚を進めて代拝させた。8日には斉宣の命令により大圓寺で1日の法事を行い、重豪はこの法事の助けとして寺へ銀10枚を納めた。この日島津久備を遣わし、大官香3把・活花2筒を仮置きの神主前へ献じ、焚…
追録7-No.939 嶋津安房公儀御目見不許可一件の表紙
白木御文書七番箱中56番の一冊の表紙。文化5年辰5月、江戸詰家老市田出雲が役を免じられ、若年寄嶋津安房を当年詰とするよう命じたため、家老の場として公儀御目見を願い出たが許可されない旨を申し渡された件を記す。江戸詰家老衆からの問合せと留守居の首尾書留を収めるとし、御記録所、右一冊ノ蓋紙也の表示。続く口…
追録7-No.940 徳川家斉内書(端午帷子単物到来)
端午祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、委細は土井大炊頭が述べると伝える内書。続く頁に5月2日、家斉公墨印の表示、松平榮翁宛を掲げ、文化5年の朱注を付す。出典は重豪公御譜中、正文在文庫。品目は帷子・単物であり、数量は本文にないため補わない。
追録7-No.941 安藤信成書状(端午帷子単物献上)
端午祝儀として使者により帷子・単物を献じられた件を披露したところ、一段の御仕合であると返す。5月2日、安藤對馬守信成判、松平榮翁宛、文化5年の朱注。全上は前件の重豪公御譜中・正文在文庫を承ける。940の将軍内書と差出人・役割を分け、本文にない数量を加えない。
追録7-No.942 嶋津安房・頴娃信濃書状本文(隠居介助と若殿御世話)
隠居様に関する当分の御介助は名目まで断ることとされていたが、かねて混雑する事情から彼是協議し、太守様から改めて願い出てほしいとして、江戸・国許双方へ知らせるよう求めていた件を述べる。昨3日、両人で高輪へ上がり隠居様に直に願ったところ、呼び入れられ、願いに応じ諸事心を添えるので太守へ申し上げるよう承知…
追録7-No.943 頴娃信濃・嶋津安房内用書状(前文二条願の取計い)
右申し越すので伝達を求め、前文の二ヶ条の願いについて何とか取り計らってもらいたいとして、内用で知らせる。6月4日、頴娃信濃・嶋津安房を上、嶋津将監・鎌田典膳宛を下に掲げる朱注付き署宛。文化5年の朱年注。正文内用の依頼に朱返答が重なり、本文之達の注を付して、今日便の書状で仰せ進めた件を承知した旨を記し…
追録7-No.944 重豪、退老後も江都で国政を聴き家老を諭す
重豪はすでに江都で退老していたが、再び国政を聴き、政治の教化が明らかでなく国用も足りないことを深く憂え、家老を重ねて誡めたと記し、如左として続く諭達へ導く。出典は重豪公御譜中。文化5年の記事配置であり、本文には独立の月日がない。政化不明・国用不贍は、この記事が掲げる重豪の懸念として採録し、後続945…