KY-P-0001
島津義久
しまづ よしひさ / 島津氏当主
島津義久(1533–1611)は、薩摩・大隅・日向の統一から豊臣・徳川政権下への移行まで島津氏を率い、軍事・外交・領国経営・信仰・文芸を通じて家の存続を支えた第十六代当主。
PEOPLE DICTIONARY
『旧記雑録』を人物から読み解くための入口です。略伝・別名・年表・関係文書を人物ごとにまとめています。
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KY-P-0001
しまづ よしひさ / 島津氏当主
島津義久(1533–1611)は、薩摩・大隅・日向の統一から豊臣・徳川政権下への移行まで島津氏を率い、軍事・外交・領国経営・信仰・文芸を通じて家の存続を支えた第十六代当主。
KY-P-0002
いしだ みつなり / 豊臣政権の奉行・島津氏との取次
石田三成(1560–1600)は、『旧記雑録』では島津氏に対する豊臣政権の命令を一方的に伝える人物としてだけでなく、降伏後の処分、上洛・人質、知行・検地、朝鮮出兵、忠恒の家督相続を実務的に結ぶ取次として現れる。
KY-P-0003
しまづ よしひろ / 島津氏一門・軍事指揮官・豊臣政権下の大名
島津義弘(1535–1619)は、初名忠平、官途名兵庫頭、のち惟新・維新と記された島津貴久の二男。兄義久のもとで日向・肥後方面の軍事を担い、豊臣政権への服属後は軍役・上洛・朝鮮出兵に継続して対応した。関ヶ原では少数の在陣勢を率いて西軍側に置かれ、敗戦後は帰国し、義久・忠恒らの交渉とともに島津家の存続に関わった。
KY-P-0004
しまづ ただつね / 島津氏当主・薩摩藩初代藩主/琉球出兵の命令者
島津忠恒(1576–1638)は島津義弘の子。兄久保の死後、豊臣政権との調整を経て後継となり、朝鮮出兵、伊集院忠棟殺害と庄内合戦、関ヶ原後の家存続交渉をくぐり抜けた。慶長11年に徳川家康から『家』の一字を受け家久と改名し、琉球出兵と戦後統治を進め、近世薩摩藩の枠組みを形成した。
KY-P-0006
しまづ いえひさ / 島津貴久四男/日向佐土原城主/島津氏の軍事・外交担当者
島津家久(1547–1587)は島津貴久の四男で、義久・義弘・歳久の弟。大口・大隅・日向から肥後・肥前・豊後へ活動域を広げ、文書では戦闘指揮だけでなく、城の受取、人質交換、使者、船、兵站、豊臣政権への弁明と服属後の所領安堵に関わる。沖田畷・戸次川の名将像に限定せず、同時代書状と譜・覚書・軍記の性格差を明示して読む。
KY-P-0005
とよとみ ひでよし / 天下人・関白・太閤/九州平定と島津氏の豊臣政権編入を主導
豊臣秀吉(1537–1598)は、『旧記雑録』では、九州停戦命令と天正十五年の島津氏降伏、領国・人質・知行の再編、琉球への服属要求、朝鮮出兵の軍役・兵站統制、そして死去後の撤兵までを貫く政治的主体として現れる。秀吉本人の判物・朱印状だけでなく、島津側書状、奉行の取次、家譜・自記・軍記を史料種別ごとに分けて読む必要がある。
KY-P-0007
とくがわ いえやす / 豊臣政権五大老・征夷大将軍・大御所
『旧記雑録』に現れる家康は、五大老の一人として朝鮮撤兵と海上統制を担い、庄内の乱と関ヶ原後には取次を介して島津家の存続・家督・所領を裁定する存在である。ここでは一般通史ではなく、島津氏との文書の往復からその役割をたどる。
KY-P-0008
このえ さきひさ / 近衛家当主、関白、左大臣、太政大臣、歌人・有職故実家
戦国期の摂関家当主。若年で関白となり、上杉謙信・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らと交渉し、天正3~4年には薩摩へ下向した。『旧記雑録』には政治・歌学・家領だけでなく、猫・鳥犬・鷹・馬を介した島津義久・義弘・忠恒との長い交流が残る。
島津義久・島津義弘・島津家久(貴久四男)・島津忠恒(のち家久)・石田三成・豊臣秀吉・徳川家康を掲載しています。今後も同じURL構造と共通AI検索基盤で人物を追加します。