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追録6の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,127件中 1801~1900件・19 / 32ページ

  1. 追録6-No.1623 松平輝高外三名幕府老中連署状

    八朔の祝儀として使者を通じ御太刀一腰と御馬代の黄金十両を献じられたことについて、披露したところ一段の御仕合であったと松平薩摩守へ伝える。八月四日、朱書年記は安永八年。田沼主殿頭意次・板倉佐渡守勝清・松平周防守康福・松平右京大夫輝高が判を添えて連署する。御馬代は黄金十両と記す金額で、実馬の献上頭数は記…

  2. 追録6-No.1624 松平康福書状

    書状を拝見し、公方の機嫌がますますよいので、六月十二日に増上寺の霊前へ参詣したことを承知して恐悦を述べた旨はもっともであると返す。書状の内容をそれぞれ申談して上聞に達したと記す。八月十五日、朱書年記は安永八年。松平周防守康福の判がある。六月十二日は参詣した日、八月十五日は本書の差出日である。

  3. 追録6-No.1625 松平輝高書状

    書状を拝見し、公方の機嫌を伺った件について、ますます安全なので安心してよいと答える。併せて献じられた「干鯛殘魚」一箱をそれぞれ申談して披露したところ、一段の御仕合であったと記す。九月三日、朱書年記は安永八年。松平右京大夫輝高の判がある。品名には「干鯛殘魚」とあり、「殘魚」の語義は不詳である。箱数は一…

  4. 追録6-No.1626 水野忠友書状

    書状を拝見し、公方の機嫌がますますよいので恐悦を述べた旨はもっともであるとする。御暇の際に白銀・巻物を頂戴し、更に御馬を下されたことを重ねてありがたいという申出も承知したと述べる。六月二十八日に国許へ到着した礼として、頴娃左京を通じて目録どおり献じられた件を承知したと記す。九月五日、朱書年記は安永八…

  5. 追録6-No.1627 松平輝高書状

    国許到着の礼の使者である頴娃左京を、明日四時に御城へ差し出すよう留守居へ指示する。九月六日、朱書年記は安永八年。差出表示は「松 右京」で、目録は松平輝高書状とする。使者の出向く時刻・場所を定めた書で、謁見の実施結果や献上物の品目・数量は記されない。

  6. 追録6-No.1628 徳川家治御内書

    重陽の祝儀として小袖一重が到来し、歓覧した旨を薩摩中将へ伝える。詳しくは板倉佐渡守から述べるとする。九月七日、朱書年記は安永八年。墨印に家治公と記す。小袖の数量は一重と記され、枚数や金額は記されない。

  7. 追録6-No.1629 松平輝高外三名幕府老中連署状

    書状を拝見し、公方の機嫌がますますよいので恐悦を述べたことをもっともとする。御暇の際に白銀・巻物を頂戴し、更に御馬を下されたことを重ねてありがたいという申出を承知したと記す。国許到着の礼として頴娃左京を通じて献じられた琉球芭蕉布二十端と御樽肴を披露したところ、頴娃左京が御前に召し出され、念の入った旨…

  8. 追録6-No.1630 阿部正允書状

    書状を拝見し、公方の機嫌がますますよいので恐悦を述べたことをもっともとする。御暇の際に白銀・巻物を頂戴し、更に御馬を下されたことを重ねてありがたいという申出を承知し、国許到着の礼として頴娃左京を通じ目録どおり献じられた件も承知したと返す。九月七日、朱書年記は安永八年。阿部豊後守正允の判がある。白銀・…

  9. 追録6-No.1631 松平輝高書状

    書状を拝見し、松平右近将監の死去を聞いて言葉に尽くせぬ悲しみを述べた旨を承知したと返す。それに伴う機嫌伺いには安全なので安心してよいと答え、書状の内容をそれぞれ申談して上聞に達したと記す。九月十七日、朱書年記は安永八年。松平右京大夫輝高の判がある。死去者の諱・没日や贈物の品目・数量は本文に記されない…

  10. 追録6-No.1632 甑島農民・末吉郷農夫を褒賞す

    御譜記事の二例。甑島郡上甑島平良村の農民彌兵衛は、飢饉の年に私財を先に出して村中の貧しい者を救い、この時も同様にしたため、秋九月、官に命じて丁役を五年免じたと記す。小注には以前にも褒賞があり、その後も同様に続けた旨を付す。曽於郡末吉郷田尻村の農夫山助は、村中の二町ほどの険峻地と川床の渡りを余力で修め…

  11. 追録6-No.1633 桜島炎上記

    桜島池田氏蔵年代記による記録。安永八年亥九月十九日夜入五ツ時分に地震があり、十月朔日四時分まで止まらず、四ツ半過ぎに嶽白水の後ろで権現宮に当たる方向に煙を認め、八ツ時分から有村上の燃ノ頭辺に黒煙、続いて高免村上の瓶掛辺から燃え出たとする。高免沖に島二つ、十一月六日夜に島一つ、十二月十一日晚に島一つが…

  12. 追録6-No.1634 島津重豪伺書

    重豪公御譜中の控えで、正文は右筆所にあるとする。松平薩摩守は、参府の御礼には供の家老二人を召し連れ、その際に御目見を仰せ付けられるところ、病気ややむを得ない差合いにより、来年は一人を召し連れる心得であると述べる。そのため当年留守に置いた家老を、来年の在府中に直ちに詰めさせたいという。この家老は当年す…

  13. 追録6-No.1635 桜島地震噴火す

    重豪公御譜中の記事。同年十月朔日、桜島で地震が起きて火を発し、たちまち盛んになって烈焔が空に満ち、砂石が谷を埋めたと記す。「余」はただちに有司に命じ、舟数十艘を用意して島民を載せ、城下へ運んだ人数を「数十百人」とする。仮に粥廠若干間を設けて収容し、衣食を与え、さらに庫銭数千緡を出し、一人につき銭若干…

  14. 追録6-No.1636 桜島炎上記

    正文在文庫とする櫻嶋炎上記。安永八年己亥九月廿九日夜から十月朔日にかけて、本府城下と東南北数十里の間で地震が頻発し、当日の未剋を過ぎると城下東方対岸の桜島が大いに炎上したと記す。地震と炎上が互いに応じたり激したりするようで、煙は万条に結び、怒濤や霊峰のように盛り上がり、光が空と海を赤く照らし、飛石・…

  15. 追録6-No.1637 山岡久澄書状

    山岡市正から五名へ送った、早い参府に伴う御鷹の鶴拝領についての照会。去る春、願いによって早く参府した際、宿次の御奉書による鶴拝領が「御順年」でも「御流」となるか、内々に承合うよう申し越されたので、有川勇馬を通じ松平右近将監方へ内意を申し、詳しい指示はその節に主計から伝えるとしていた。再び早春の国元発…

  16. 追録6-No.1638 島津久金書状

    行間朱書の返信。本文を承知したところ、この節の鶴拝領は旅中で頂戴することになるので、御礼使には赤松造酒が命じられ、鹿児島の発駕前に差し立てて大坂で待ち受けるよう申し渡したという。下の道中で頂戴する場合には早く造酒へ申し越して直ちに勤めさせ、大坂に着くまでに頂戴がなければ後から差し越すようにする。御頂…

  17. 追録6-No.1639 喜入久福外三名連署返書

    行間朱書の四名連署返書。付記には、当分「田布施御光越」があったため問い合せ書を添えて左仲へ申し越し、朱書のとおり指示が届いたので江戸へ返答したという経緯がある。本文は、赤松造酒に礼使を仰せ付けた件を承知し、国元の頂戴の式にはならないと思い、先に申し渡しておいた旨を述べる。発駕前に届かず旅中で頂戴する…

  18. 追録6-No.1640 佐久間村央首尾書

    佐久間九十九が市正様へ報じた、宿次での御鷹の鶴拝領についての内談の首尾書。去る春の願いによる三月の早い参府に際し、宿次の鶴拝領が「御順年」でも「御流」となるかを承合うよう言われたが、有川勇馬が松平右近将監方へ用人松倉左仲を通じて尋ねたところ、在国年は従前「格年」に拝領するものの、早春に国許を発つ場合…

  19. 追録6-No.1641 重豪、吉貴公の三十三回忌を修す

    重豪公御譜中の記事。同年冬十月十日に淨國公の三十三年忌法事を淨光明寺で修したと記し、淨國公に島津吉貴との注を付す。法事は八日から十日までの三日間で、八日は島津兵庫久徴を代参、九日夜の頓写には島津又四郎貴品を名代、十日の施餓鬼には島津備前貴澄を代参とした。同十日の満散寄合の式には島津若狭忠救を重豪の代…

  20. 追録6-No.1642 板倉勝清書状

    板倉佐渡守勝清が松平薩摩守へ送った返書。書状を披見し、公方様の機嫌がいよいよよいことへの恐悦の意はもっともであると応じる。続いて、宛先の翌年の参勤時期について、暖気の時節になると気分に障るため二月中に参府したいという願いが願いどおり仰せ出されたこと、そのありがたさを述べた趣旨を承知したとする。この許…

  21. 追録6-No.1643 島津重豪書状

    重豪公御譜中に収める中将重豪から中山王への書状で、出典注は正文在琉球國司とする。年始の嘉儀のため使簡を差し渡し、殊に別録の表を贈ったことについて、その入念な配慮に祝着すると伝え、なお後の喜びの時を期すと結ぶ。十月廿二日、中将重豪御判、謹上中山王と記し、朱注は安永八年。使簡の実名、別録の品目・数量は本…

  22. 追録6-No.1644 島津重豪書状

    中将重豪から中山王への書状。芳翰を披閲し、去る申年に大清国へ差し渡した進貢使永山親雲上が北京での勤めを済ませ、当年四月に帰帆した由を記した紙面の趣旨を承知したと伝える。この節に永山をもって別録の表を贈られたことについて、入念な配慮に過量の謝意を述べ、恐惶不宣と結ぶ。十月廿二日、中将重豪御判、謹上中山…

  23. 追録6-No.1645 島津重豪書状

    薩摩守重豪から中山王への回章。芳札を披見し、大清からの賜物である金入龍紋緞子一巻と色緞子一巻を贈られたことを受け、入念な配慮に欣然の至りであると伝え、恐惶不宣と結ぶ。十月廿二日、薩摩守重豪御判、朱注は安永八年で、冒頭の全上は前項の出典を受ける。宛名の中山王、回章の表示は次頁冒頭に続く。二種の織物はそ…

  24. 追録6-No.1646 島津重豪書状

    薩摩守重豪から中山王への回章。芳札を披見し、いよいよ平安であるとの知らせを珍重すると伝える。自分たちも無事であるので安心するよう述べ、さらに縮布五端を贈られたことについて、懇篤な配慮であると謝意を示し、恐惶不宣と結ぶ。十月廿二日、薩摩守重豪御判、中山王、回章と記し、朱注は安永八年。冒頭の全上は前項の…

  25. 追録6-No.1647 佐久間村央届書

    重豪公御譜中に収める届書で、出典注は正文在江戸家老座とする。松平薩摩守の領内、大隅国大隅郡の桜島で九月廿九日夜に地震が頻繁に起き、翌朔日から島内の各所が燃え出したと報じる。火勢が強く砂石や灰が降り、昼夜鳴動し、次第に盛んに燃え立って夥しい様子が見られたが、ようやく火勢は薄くなってきたものの、まだ止ん…

  26. 追録6-No.1648 後桃園天皇崩御

    安永八年十一月九日、後桃園院が崩御したと記す一文の記事。朱書の出典注を付すが、崩御の場所・原因・使者・その後の儀礼や喪の取扱いは記していない。独立の署名・宛名はなく、前後の書状の署宛を当記事へ付けない。

  27. 追録6-No.1649 田沼意次書状

    重豪公御譜中に収める田沼主殿頭意次の書状で、正文在文庫とする出典注がある。書状を披見し、公方様の機嫌を伺ったことに対して、いよいよ安全であるので安心するよう答える。あわせて小熬海鼠一箱を献じたことについて、各々と申し談じて披露したところ、一段の仕合であったと伝え、恐々謹言と結ぶ。十一月十三日、田沼主…

  28. 追録6-No.1650 重豪、孝子を褒賞す

    重豪公御譜中の記事。揖宿郡指宿郷拾貳町村の浦人兵右衛門に、佐左衛門・善藏・兵左衛門の三人の男子と四人の女子があり、皆が力を尽くして父母に仕え、佐左衛門の妻もよく従って奉仕したと記す。父は老いて病み、手足が不仁であったため、出入りや起居では互いに助け、代わる代わる抱き支えた。指宿郷には温泉があり、背負…

  29. 追録6-No.1651 島津重豪伺書

    重豪公御譜中に収める松平薩摩守の伺書で、扣正文在右筆所とする出典注がある。例年十二月中に桜島の蜜柑と炙鮎を献上してきたが、先に届けたとおり桜島が燃え、蜜柑が損なわれて献上できなくなったと述べる。そのため炙鮎一種だけを献上したいので、差図を下さるよう願い、以上と結ぶ。十一月十六日、松平薩摩守の署があり…

  30. 追録6-No.1652 重豪、明時館を創建す

    重豪公御譜中の記事。今茲有司に命じて明時館を創建したとし、その来歴として、鎌倉の源頼朝が太祖得佛公、島津忠久を薩隅日三州の守護とした際、頒朔授時の令が国へ届かず農桑が時候を失うことがあったため、暦官を特に賜り、歳暦を自作して境内へ頒つことを許された、その術は宣明暦法を伝えたと述べる。四百余年後、常憲…

  31. 追録6-No.1653 明時館記

    薩州麑島明時館記。安永八年、本府に治暦の館を創建して明時館と名づけ、公が知学事臣山本正誼に記を命じたと述べ、正文は明時館にあるとする。著者は、先君得佛公を鎌倉右大将の側室の子とし、文治二年に薩隅日三州へ封じられたが、頒朔授時の政が届かず農桑が時候を失ったため、暦官を特賜され、代々歳暦を自作して境内へ…

  32. 追録6-No.1654 重豪、諸社に祈願して鶴を獲る

    重豪公御譜中の記事。同年十一月十八日に加世田郷へ行き、益山村で鶴一隻を得たと記す。この行きの意は鶴を獲ることにあったが、鶴は獲り難い鳥なので、城下五社と田布施郷・加世田郷の神廟に祈って助けを借り、獲ったため、各廟へ扁額一枚ずつを謹んで献じて謝したという。額の裏に事の詳細を記したので、その一つを次に挙…

  33. 追録6-No.1655 鶴捕獲祈願記

    正文在諏方社とする記。安永八年冬十一月、田布施郷へ行って放鷹し、鳧や鴈を数百隻得、さらに加世田郷の益山村で鶴一隻を獲ったと記し、その日は同月十八日だったという。画師にその様子を板へ描かせて扁額とし、加世田郷諏方大明神廟の壁に掛けた。初めから鶴を獲ることを意図していたが、鶴は形が大きく性が警戒深いため…

  34. 追録6-No.1656 伴其輪届書

    重豪公御譜中に収める伴其輪の届書で、正文在江戸家老座とする出典注がある。先に届けた薩摩守領内、大隅国大隅郡の桜島が燃えた件は、次第に弱くなってきたものの、まだ止まっていないと伝える。そのため損失等を改めることが難しく、届出が延びているので、その旨を申し上げて置くよう国元から申し付けられたと述べ、以上…

  35. 追録6-No.1657 島津重豪届書(桜島噴火損亡書)

    松平薩摩守が届けた損失の覚。先に申し上げた私領大隅国大隅郡の桜島が燃えたことによる損亡に加え、同国の囎唹郡・肝属郡および日向国諸県郡の諸所の損失を掲げる。損失高は二万三千五百六十二石余で、内訳を永損一万五百二十石余、当損一万三千四十一石余と記す。潰家五百軒、堂社十一宇、寺二軒、米雑穀七万石余、小船十…

  36. 追録6-No.1658 重豪、出水郷士の忠僕を褒賞す

    重豪公御譜中の記事。出水郡出水郷の郷士肱黒助兵衛の僕は平八といい、畳刺を業としていた。助兵衛の家が甚だ貧しかったため、平八はその業をやめて力耕し、手厚く助兵衛を養ったという。助兵衛はその志に感じ、二、三年の歳入を与えようとしたが、平八は固く辞して受けなかった。そこで冬十二月に廩米十五苞を与えて褒賞し…

  37. 追録6-No.1659 松平康福書状

    重豪公御譜中に収める松平周防守康福の書状で、正文在文庫とする出典注がある。書状を披見し、寒中に使者をもって公方様の機嫌を伺ったことに対して、いよいよ安全であるので安心するよう答える。あわせて琉球紬十端と鰹節一箱を献じたことについて、各々と申し談じて披露したところ、一段の仕合であったと伝え、恐々謹言と…

  38. 追録6-No.1660 重豪、後桃園院帝の霊前に献銀す

    御譜の記事。同年冬十一月九日に天皇が崩じたと記し、後桃園院、御諱英仁との注を付す。そのため十二月廿二日に重豪が使者を京師へ遣わし、香奠銀二十枚を泉涌寺の霊牀前に献納したと述べる。これは大家が諸侯へ伝令して来献させたものだと説明して結ぶ。崩御日と使者派遣・献銀の日、献納先の霊牀前と通達による諸侯の来献…

  39. 追録6-No.1661 松平康福書状

    重豪公御譜中に収める松平周防守康福の書状で、正文在文庫とする出典注がある。書状を披見し、公方様の機嫌がいよいよよいことに対する恐悦の意はもっともであると応じる。あわせて炙鮎一箱を献じたことについて、各々と申し談じて披露したところ、一段の仕合であったと伝え、恐々謹言と結ぶ。十二月廿三日、松平周防守康福…

  40. 追録6-No.1662 徳川家治御内書

    歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを歓び、詳しいことは松平右京大夫が述べると伝える御内書。十二月廿七日の朱日付と安永八年の朱年注があり、薩摩中将殿宛、家治公墨印とする印の表示を付す。目録は徳川家治御内書とする。正文在文庫の出典注があり、小袖の色・材質や金額は本文にない。松平右京大夫は詳しい内容を…

  41. 追録6-No.1663 重豪、甑島浦人と大島の孝行者を褒賞す

    重豪公御譜中に収める二つの褒賞記事。最初は甑島郡下甑島手打村の浦人長左衛門・彌八・善六について、島民はもとから釣魚を生業としていたが、安永中に魚の獲れが少なく、さらに時疫が加わって甚だ困ったため、長左衛門らが私蔵の米と銭を出して救ったと記す。そのため今冬十二月に長左衛門・彌八へ各々青銅千匹を与えて賞…

  42. 追録6-No.1664 松平輝高書状

    重豪公御譜中に収める松平右京大夫輝高の書状で、正文在文庫とする出典注がある。若菜の祝儀として鯛一折を献じたことについて、披露したところ一段の仕合であったと伝え、恐々謹言と結ぶ。正月七日、松平右京大夫輝高判、松平薩摩守殿宛で、朱注は安永九年。鯛一折という贈答の数量を記す書状で、尾数や重量、価格は記して…

  43. 追録6-No.1665 重豪、参勤の途次に御鷹の鶴を拝領す

    御譜の記事。安永九年庚子春正月九日、重豪は本府を発って江戸へ向かい、家老島津仲久健、側用人川上頼母久品、近習役市田勘解由盛常ら諸司が供奉した。九州の驛路を通り、二十日に豊前大里へ着き、翌日に長州赤間関へ渡り、中国路を取って晦日に備前片上驛へ着いた。先に正月十八日、大樹家治公が宿次奉書をもって御鷹の鶴…

  44. 追録6-No.1666 松平輝高外三名連署状(老中)

    年頭の祝儀として使者をもって御太刀一腰と御馬代の黄金十両を献じたことについて、披露したところ一段の仕合であったと伝える四名連署の返書。恐々謹言と結び、正月十一日の自己月日と安永九年の朱年注を付す。差出の判署は田沼主殿頭意次・板倉佐渡守勝清・松平周防守康福・松平右京大夫輝高、宛名は松平薩摩守殿。正文在…

  45. 追録6-No.1667 参勤途次鶴拝領覚書

    重豪公御譜中に収め、写正文在文庫とする覚書。安永九年子正月十八日、宿次の奉書によって御鷹の鶴を拝領したと記し、但書には正月九日に国元を発駕、二月朔日に備前片上の驛で頂戴したとする。願いによる早春の発駕に伴い、安永六年酉年の例に準じた拝領の取計らいが可能か、後年に差し障りはないと聞いたが、以後早春に出…

  46. 追録6-No.1668 松平輝高外二名連署状

    三名連署の一筆。公方様の機嫌はいよいよよいので安心するよう伝え、さらに御鷹の鶴を拝領するので宿次をもって差し越すと述べ、恐々謹言と結ぶ。正月十八日の自己月日と安永九年の朱年注があり、田沼主殿頭意次・松平周防守康福・松平右京大夫輝高の判署、松平薩摩守殿の宛名を付す。正文在文庫とする出典注がある。鶴の拝…

  47. 追録6-No.1669 幕府老中宿継証文

    この状箱と鶴壱を、江戸から薩摩国鹿児島までの道中にいる松平薩摩守の所へ届けるよう定めた宿継の証文。返札が来るので、江戸の月番老中へ必ず持参するよう命じ、可持参者也と結ぶ。子正月十八日の自己月日、右京印、右宿中の宛が下段に続き、朱注は安永九年。写正文在家老座とする出典注がある。道中の松平薩摩守への送達…

  48. 追録6-No.1670 松平輝高書状

    松平右京大夫輝高の返書。書状を披見し、公方様の機嫌はいよいよよく、恐悦の意はもっともであると応じる。さらに、日光山の御宮・御霊屋の修復ができ、正遷宮・正遷座が済んだことを聞いてめでたく思うとの趣旨を承知したと述べる。そのため差し越した使者について、紙面の趣旨を各々と申し談じ、上聞に達したと伝え、恐々…

  49. 追録6-No.1671 松平輝高書状

    松平右京大夫輝高の返書。書状を披見し、先帝が崩御したと聞いて言葉を失ったとの趣旨を承知したと述べる。そのため使者をもって御機嫌を伺ったことに対し、変わりはないので安心するよう答え、紙面の趣旨を各々と申し談じて上聞に達したと伝え、恐々謹言と結ぶ。正月十九日、松平右京大夫輝高判、朱注は安永九年で、松平薩…

  50. 追録6-No.1672 板倉勝清書状

    重豪公御譜中に収める板倉佐渡守勝清の書状で、正文在文庫とする出典注がある。書状を披見し、改年の慶賀をいよいよ珍重すると伝える。公方様の機嫌がいよいよよく、「年始御規式可相済」とめでたく思う趣旨を承知したと述べ、あわせて御樽肴を献じたことについて、各々と申し談じて披露したところ、一段の仕合であったと知…

  51. 追録6-No.1673 島津重豪願書

    松平薩摩守の願書。参府の節には供の家老二人を連れ、御礼を申し上げる際に御目見を仰せ付けられてきたと述べる。前年に伺った趣旨があり、留守に置いた家老は前年に御目見を仰せ付けられた者であったが、先格のとおり供の家老と一緒に御目見するよう、去冬の伺いどおりに仰せ渡されていた。しかしその家老がこの節に病死し…

  52. 追録6-No.1674 板倉勝清書状

    重豪公御譜中に収める板倉佐渡守勝清の書状で、正文在文庫とする出典注がある。書状を披見し、公方様の機嫌がいよいよよいことに対する恐悦の意はもっともであると応じる。さらに旧臘、歳暮の祝儀として時服と御肴を拝領したことについて、ありがたいと述べた趣旨を承知し、紙面の趣旨を各々と申し談じて上聞に達したと伝え…

  53. 追録6-No.1675 板倉勝清書状

    板倉佐渡守勝清の返書。書状を披見し、公方様の機嫌がいよいよよいことに対する恐悦の意はもっともであると応じる。さらに紅葉山の御宮の修復ができ、正遷宮が済んだことを聞いてめでたく思う趣旨を承知したと述べ、紙面の趣旨を各々と申し談じて上聞に達したと伝え、恐々謹言と結ぶ。二月九日、板倉佐渡守勝清判、朱注は安…

  54. 追録6-No.1676 島津重豪願書并献上物例書

    松平薩摩守使者赤松造酒を掲げ、家老・則正の注を付した願書と例書。薩摩守が旅中に宿次奉書によって御鷹の鶴を拝領したため、使者をもって御礼を申し上げ、献上物を差し上げると述べる。その使者には御目見を仰せ付けられ、使者自身の御礼を申し上げ、御太刀・銀馬代・紗綾二巻を献上してきたので、この節も先格のとおり仰…

  55. 追録6-No.1677 板倉勝清書状

    板倉佐渡守勝清の返書。書状を披見し、公方様の機嫌がいよいよよいこと、先月二十四日に増上寺の御霊屋へ参詣したことを聞いて恐悦した趣旨はもっともであると応じる。紙面の趣旨を各々と申し談じて上聞に達したと伝え、恐々謹言と結ぶ。二月十五日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守殿宛、朱注は安永九年で、正文在文庫とする…

  56. 追録6-No.1678 松平輝高外三名老中連署状

    翌朔日の五時に登城して参勤の御礼を申し上げるよう告げ、以上と結ぶ四名連署状。二月晦日の自己月日と安永九年の朱年注を付す。田沼主殿頭・板倉佐渡守・松平周防守・松平右京大夫の四署があり、松平薩摩守殿の宛名は次頁に続く。正文在文庫とする出典注がある。告知の二月晦日と登城を指示する翌朔日、登城と参勤礼の用件…

  57. 追録6-No.1679 登城令書

    家来二人に御目見を仰せ付けるので、召し連れて出るよう命じた短い令書。原文は「家来二人御目見被仰付候間、召連可被罷出候」とする。安永九年の朱年注を付すが、独立の月日・差出署名・宛名、家来二人の実名は記さない。人数二人と御目見の指示を保持し、前項の二月晦日を当令書の自己日付として転記しない。

  58. 追録6-No.1680 重豪、家老二人を朝見せしむ

    重豪公御譜中の記事。同年三月朔日、重豪が従行家老島津仲久健と菱刈大炊実祐を伴って大家に朝し、旧例どおり朝礼を行ったと記す。注は、従行家老二人が大家へ奉見するのは先例であり、この年の重豪の江戸行きには従行家老を一人減らして前年の留任家老をその数に充て、大家へ見えることを願い、すでに許可が下っていたと説…

  59. 追録6-No.1681 幕府指図書

    松平薩摩守の留守居へ宛てた指図。宿次奉書による御鷹の鶴の拝領の礼として使者を差し越したが、参府の事であるため使者への御目見は仰せ付けず、奉書も渡さないので、その旨を心得るよう伝え、以上と結ぶ。本文の朱年記は安永九年三月、写正文在家老座とする出典注がある。朱注は、この書付一通を安永九年子三月朔日に、二…

  60. 追録6-No.1682 松平康福書状

    重豪公御譜中に収める返書で、正文在文庫とする出典注がある。今朝、御香具一箱と丸熨斗一箱を献じたことについて、披露したところ一段の仕合であったと伝え、恐々謹言と結ぶ。四月九日の自己月日と安永九年の朱年注、康福判があり、松平薩摩守殿の宛名と、在口裏とする注の松平周防守康福の署を備える。二つの品名とそれぞ…

  61. 追録6-No.1683 重豪、参勤の例に従って馬を献ず

    重豪公御譜中の記事。同年四月二十九日、重豪が参勤の例に従い、御馬二匹を大樹家治公へ献じたと記す。馬の注は、栗毛、四歳、三寸五分、隅州末吉牧立と、黒栗子毛、四歳、六寸、薩州吉野牧立を列記する。二匹それぞれの毛の表示・年齢・寸法の原表記・牧の記載を区別し、同じ四歳であっても寸法や牧を一つにまとめない。三…

  62. 追録6-No.1684 松平康福書状

    重豪公御譜中に収める返書で、正文在文庫とする出典注がある。「御馬二足」を献じたことについて、披露したところ一段の仕合であったと伝え、恐々謹言と結ぶ。四月廿九日の自己月日と安永九年の朱年注、康福判があり、松平薩摩守殿の宛名と、在口裏とする注の松平周防守康福の署を備える。馬の数に付く原単位の足を保持し、…

  63. 追録6-No.1685 徳川家治御内書

    端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを歓び、詳しいことは松平周防守が述べると伝える御内書。五月二日の自己月日と安永九年の朱年注、薩摩中将殿の宛名、家治公墨印の表示がある。重豪公御譜中に収められ、正文在文庫とする出典注を付す。目録も徳川家治御内書とする。差出の家治と宛先の薩摩中将を分け、委曲を伝え…

  64. 追録6-No.1686 松平康福書状

    重豪公御譜中に収める返書で、正文在文庫とする出典注がある。今朝、琉球布一箱と砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壷を献じたことについて、披露したところ一段の仕合であったと伝え、恐々謹言と結ぶ。六月廿一日の自己月日、安永九年の朱年注、康福判があり、松平薩摩守殿宛と、在口裏とする注の松平周防守康…

  65. 追録6-No.1687 松平康福書状

    端午の御内書を渡すので、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう告げ、以上と結ぶ書状。六月廿四日の自己月日と安永九年の朱年注、松平薩摩守殿の宛名、松平周防守の署があり、在口裏とする注に康福の名を記す。重豪公御譜中に収められ、正文在文庫とする出典注がある。御内書の受取のための家来差出しを指示する文書で、…

  66. 追録6-No.1688 島津重豪届書

    重豪公御譜中に収める松平薩摩守の届書で、扣正文在家老座とする出典注がある。先に届けた私領の桜島の燃え方は弱くなったものの、なお鎮まらず、近郡へ砂石や灰が降り、田畑が用立たず難儀しているため、早速砂揚の人夫を大勢掛けて置いたと述べる。馬草などにも灰がかかり、先の届出後から去月初めまでに死んだ牛馬が多い…

  67. 追録6-No.1689 桜島噴火損亡覚書

    私領大隅国大隅郡の桜島が燃えたことについて、先に届けた諸所の損失等を掲げる覚。高一万五千六百五十石七斗六升余、当損とし、枯蜜柑木二万千五百本、枯櫨木十二万九千五百本、死牛百三十五足、死馬千五百七十六足を列記する。海底五十尋から七十三尋ほどの海中に島が燃え出たとして、嶋壱流・同壱流の六条を挙げる。第一…

  68. 追録6-No.1690 島津重豪伺書

    重豪公御譜中に収める松平薩摩守の伺書で、扣正文在家老座とする出典注がある。例年十二月中に桜島蜜柑と炙鮎を献上してきたが、先に届けた桜島の燃えによって蜜柑が損なわれ、去る亥年は伺った上で炙鮎一種を献上したと述べる。この節も届けたとおり燃えはまだ止まらず、蜜柑木が甚だしく損亡して献上できないので、炙鮎一…

  69. 追録6-No.1691 田沼意次書状

    生見玉の祝儀として黄金十両を献じたことについて、披露したところ一段の仕合であったと伝え、恐々謹言と結ぶ返書。正文在文庫とする出典注がある。七月六日の自己月日と安永九年の朱年注、意次判、松平薩摩守殿の宛名、在口裏とする注の田沼主殿頭意次の署は次頁に続く。祝儀名の生見玉と黄金十両を原語・原数量として保持…

  70. 追録6-No.1692 松平輝高書状

    重豪公御譜中に収める返書で、正文在文庫とする出典注がある。八朔の祝儀として使者をもって御太刀一腰と御馬代の黄金十両を献じたことについて、披露したところ一段の仕合であったと伝え、恐々謹言と結ぶ。八月四日の自己月日、安永九年の朱年注、輝高判があり、松平薩摩守殿の宛名と、在口裏とする注の松平右京大夫輝高の…

  71. 追録6-No.1693 幕府指図書

    近く御能がある節には御折一合を献上するよう、松平薩摩守へ指図する短い書付。正文在文庫とする出典注、安永九年八月の朱年記、松平薩摩守の宛名を付すが、日付や差出署名、御能の会場名、御折の内容は記さない。一合という原単位を保持し、実際に献上を終えた報告として扱わず、近い御能の機会に対する献上指示として示す…

  72. 追録6-No.1694 重豪、御鷹の雲雀を拝領す

    御譜の記事。同年八月六日、家治公が土屋数馬を芝邸へ遣わし、御鷹が捕らえた雲雀を重豪へ賜ったと記す。土屋数馬には匡直との注がある。重豪は直ちに諸老中の各邸へ行き、拝謝したと結ぶ。賜物は鷹そのものではなく、鷹が捕らえた雲雀であり、羽数や生死の状態は本文に明記しない。使者による芝邸への授与と、重豪の老中各…

  73. 追録6-No.1695 重豪、参勤の期に付願状を上る

    重豪公御譜中の記事。今秋八月、宿疾がまだ癒えず、暑さに向かう時期の旅行はとりわけ苦に堪えないため、三月に御暇を賜り、二月に府へ到着する取扱いを願う状を上げたと記す。末は浮帖で允容されたと結ぶ。宿疾の具体的な病名は記さず、希望する参勤期と許可の記載を示す記事で、三月と二月を同じ年の連続した旅行行程に組…

  74. 追録6-No.1696 島津重豪参勤時期変更願書

    島津重豪が、近来は持病が暑気に障り、例年の暖気の時節に出発しても道中が甚だ難儀であるとして、全快するまでの間は三月中に暇を下され、二月中に参府したいと願う。安永九年八月九日、御名。朱の付札は願いの通りとする。別の朱書は、例書を添えた願書を八月九日に倉橋三左衛門を介して御用番松平右京大夫へ提出し、十一…

  75. 追録6-No.1696-1 参勤交代時期変更願例書

    持病として膝に病所があり、近年は暑気中に痛みが強くなって難儀するため、四月に暇を下されても六月末から七月にかかる暑中の旅行が難しく、とりわけ駕籠の中で難儀すると述べる。そこで三月の参勤交代を願い、暑気前に国元へ到着できるよう、全快までの間これを命じてほしいと請う。寛延二年巳正月、御名。願主の実名、病…

  76. 追録6-No.1697 中山王尚穆弔書幕府送達記事

    大納言家基公の凶報が前年九月に琉球へ届き、安永九年七月、中山王尚穆は渡嘉敷親方に弔書を持たせて薩府へ送った。重豪は新番の岸良貞右衛門兼平を継使、歩行士の遠矢金右衛門良起を宰領とし、軽卒二人を添えて八月二十七日に本府から江戸へ発たせた。一行は十月四日に江戸へ着き、十一日に兼平が月番老中阿部豊後守正允と…

  77. 追録6-No.1698 徳川家治右大臣転任祝賀記事

    安永九年九月四日、将軍徳川家治が右大臣へ転任し、十一日に諸侯の朝賀を受けた。重豪は病気で登城できず、番頭を使者として太刀一腰と馬代金十両を献じ、月番老中の邸へ赴いて賀詞を述べさせた。十三日には営中で散楽があり侯伯に観覧させたが、重豪は宿疾がまだ癒えず、この日も登城しなかった。馬代は金銭であり、馬一頭…

  78. 追録6-No.1699 松平康福書状(御折一合献上返書)

    松平康福が松平薩摩守へ、今朝献上された御折一合を披露したところ、格別の仕合であったと伝える返書。安永九年九月五日、康福判。口裏に松平周防守康福とある。御折の内容や容量、披露先の個人名は記されない。

  79. 追録6-No.1700 徳川家治御内書(重陽祝儀小袖到来)

    徳川家治が薩摩中将へ、重陽の祝儀として小袖一重が到来し、喜んで見たこと、詳しくは田沼主殿頭意次が述べることを伝える御内書。安永九年九月七日、家治公墨印。小袖は一重であり、一領・一着など別の単位へ置き換えない。

  80. 追録6-No.1701 松平康福書状(家治転任祝儀献上返書)

    松平康福が松平薩摩守へ、将軍家治の転任祝儀として使者を通じ太刀一腰と馬代黄金十両が献上され、披露したところ格別の仕合であったと伝える返書。安永九年九月十一日、康福判。口裏に松平周防守康福とある。馬代黄金は金銭であり、馬を献上したとの記載ではない。

  81. 追録6-No.1702 松平輝高外三名幕府老中連署状(転任祝賀御能見物触)

    阿部豊後守・田沼主殿頭・松平周防守・松平右京大夫の老中四名が松平薩摩守へ、将軍の転任が済んだ祝儀として翌日に御能が仰せ付けられるので見物するよう伝えた連署状。長袴を着用し、五時に登城するよう命じる。追而書では、今晩は御礼のため登城するに及ばず、周防守宅へ来るよう指示する。安永九年九月十二日。五時を現…

  82. 追録6-No.1703 島津重豪書状(中山王年始使簡・贈物返礼)

    島津重豪が中山王へ、年始の賀儀として使簡を差し渡し、別録の表に記された品々を贈った心遣いを祝着したと返答する書状。安永九年九月二十八日、中将重豪判。贈物の品目・数量は本文に記されない。

  83. 追録6-No.1704 島津重豪書状(中山王紕縮緬五巻贈答返礼)

    島津重豪が中山王へ、書状を披見し、平安であることを喜び、自身も無事なので安心するよう伝えた返書。さらに原文表記の「紕縮緬」五巻を贈られたことへ、過分であるとして謝意を述べる。安永九年九月二十八日、薩摩守重豪判、回章。

  84. 追録6-No.1705 島津重豪書状(御鷹之鶴拝領祝儀返礼)

    島津重豪が中山王へ、御鷹之鶴を拝領した祝儀として城間親方を差し渡し、太刀・馬代白銀百両と目録記載の品々を贈った心遣いを祝着したと返答する書状。安永九年九月二十八日、中将重豪判。馬代は白銀百両という金銭であり、実馬の贈呈とはしない。

  85. 追録6-No.1706 島津重豪書状(桜島燃見舞返礼)

    島津重豪が、桜島の燃焼に対する見舞いとして伊野波親雲上を差し渡し、別録の表に記した品々を贈った心遣いへ、過分であるとして謝意を述べる書状。安永九年九月二十八日、中将重豪判。本文には宛名が記されないため、内容上の相手を中山王とみるにとどめる。

  86. 追録6-No.1707 島津重豪孝子久米弥次郎褒賞記事

    出水郡出水郷の士久米弥次郎は、早く母を失って父一人に孝養を尽くした。家は貧しく、常に車海老を鹿児島城下で売り、わずかな余剰を蓄えて父の衣食を調え、望むものを得させた。外出・帰宅時の礼を怠らず、兄弟とは友愛を楽しみ、朋友から信義の厚さを認められた。評判が府下へ届き、安永九年九月、重豪が青蚨千匹を与えて…

  87. 追録6-No.1708 島津重豪書状(阿久根蓮花寺広済寺住持職任命)

    島津重豪が玄牛西堂へ、阿久根蓮花寺広済寺の住持職について、先例に従って執務するよう命じた任命状。安永九年十月四日、中将重豪判。蓮花寺と広済寺の関係は本文の連続表記以上に補わない。

  88. 追録6-No.1709 田沼意次書状(重陽御内書受領家来差出指示)

    田沼主殿頭意次が松平薩摩守へ、重陽の御内書を渡すので、翌日の四半時に家来を城へ差し出すよう指示した書状。安永九年十月二十二日。

  89. 追録6-No.1710 島津重豪届書(桜島燃焼損失追加報告)

    島津重豪が、領内桜島の燃焼について先に届け出た後も、近辺海中から燃え出た島が次第に大きくなり、海底からの強い火勢、大波、高汐によって近郡の田地・人家、城下の海辺士屋敷・町家に多くの損害が出ており、今後の損失も見通せないと報告した届書。六月の届出後から八月中までの損失を別紙で示し、安永九年十一月三日、…

  90. 追録6-No.1711 桜島燃焼諸所損失覚書

    桜島燃焼について先に届け出た後の諸所損失を列挙した覚書。永損は高六百七十五石余、当損は一万七千六百四十七石余、救米は米三千三百六石。汐揚屋敷四百十七か所、汐揚家七百九十八軒(潰家百六十八軒・半潰家六百三十軒)、土手・道一万千三百八十間余、石垣千二百三十七間余、川筋六百七十間余の損失を記す。人の怪我と…

  91. 追録6-No.1712 島津重豪伺書(大鷹献上差図願)

    島津重豪が、領内へ近年渡来のなかった大鷹が前年秋に渡来したものの、尾羽などを損じたため塒で飼い、羽が相応に整ったので献上したいと伺った書。遠路の持参で再び尾羽を損なうおそれがあるため、吹上御役所から田沼主殿頭方へ直接差し越す許可を求める。安永九年十一月八日、松平薩摩守名。付記は、有川勇馬を介した照会…

  92. 追録6-No.1713 献上大鷹出所書

    献上する片塒の大鷹一居について、薩摩国阿多郡田布施郷内の金峯山で捕獲したことを記す出所書。御内意書と一緒に差し出したとの付記がある。本文に独立年月日はない。

  93. 追録6-No.1714 将軍徳川家治による島津重豪への鶴捕り鷹下賜記事

    安永九年十一月十四日、将軍家治は老女を通じて重豪の年寄女を大奥へ召し、鶴をよく捕る俊鷹を重豪へ下賜した。重豪が薩摩国田布施郷金峯山で捕獲した優れた黐鷹を江戸へ運び、田沼主殿頭意次を通じて将軍へ内々に献上を願ったところ、将軍は遠国産ながら非凡な鷹であることを喜び、重豪が平素鷹を好むと聞いていたため返礼…

  94. 追録6-No.1715 鷹拝領・御礼勤め覚書

    茶筌林・鶴捉と記された御鷹一羽を松平薩摩守へ内々に下賜した際の覚書。十一月十四日、御年寄平野が大奥へ召され、老女高岡から上意と書付・奉書・切紙を受けて御鷹拝領を伝えられた。重豪は田沼主殿頭へ直接御礼を勤め、水野出羽守、稲葉越中守、横田筑後守へは使者を通じて礼を述べた。大奥への礼は翌十五日に女使を派遣…

  95. 追録6-No.1716 御鷹引渡し添書(鳥類二十五羽内訳)

    十一月七日に松前志摩守方から献上された茶筌林・鶴捉の鷹について、十一月十六日に重豪が拝領して引き渡された際の添書。内訳は黒鶴一羽、真鴨十五羽、黒鴨二羽、ひとり一羽、五位鷺三羽、小鷺一羽、雁二羽で、合計二十五羽。手代同心久保田茂兵衛、御鷹匠組頭松岡九八郎、御鷹匠村松惣七郎、内山七兵衛・山田伴六らの名を…

  96. 追録6-No.1717 御鷹頂戴次第覚書

    御鷹頂戴時の屋敷内儀礼を定めた次第。遠見を置いて御鷹到着を報告し、張番所には寄物頭一人と肝煎同心を配し、道具飾や服装を先例どおりとする。本門上番所には中小姓二人、本門内には手桶を置き、使者がある場合は内玄関へ回して小番二、三人が取り次ぐ。御鷹だけを本門から通し、随行者は小門を通す。太守の御座所・頂戴…

  97. 追録6-No.1718 幕府達書写(中山王孝恭院弔書返翰取扱)

    孝恭院の薨去について、琉球中山王が弔意を申し上げるため薩摩まで使翰を渡すので、その書翰が到来したら直ちに返札を遣わして幕府へ報告するよう、松平薩摩守へ命じた達書写。安永九年十一月。付記によれば、琉球宛返翰は田沼主殿頭が留守居を召し、国元からの使者岸良貞右衛門を同伴させた場で十一月十九日に渡し、島津久…

  98. 追録6-No.1719 島津重豪書状(孝恭院薨去見舞使節・贈物返礼)

    孝恭院の薨去に際して渡嘉敷親方が派遣され、紙面二通と別録に記した品々を贈られたことについて、島津重豪が心遣いへの謝意を述べた返書。安永九年十一月二十一日、中将重豪判。本文に独立宛名は記されないため、内容上の相手を中山王とみるにとどめる。

  99. 追録6-No.1720 有川貞厚首尾書・関源八返書(表向鉄炮飾設置)

    重豪が表向に鉄炮を飾る意向を示し、市田勘解由を通じて沙汰した件の首尾書と関源八の返書。従来、表向に飾った先例がなかったため、松平右京大夫へ内々に届け、差図に従うこととした。了承を得て十二月八日に実施し、首尾書と源八返答を勘解由へ提出して表向帳へ留めるよう求めた。関源八の返書は、鉄炮数十挺を表向御座敷…

  100. 追録6-No.1721 島津重豪届書(御即位祝儀惣出仕脚痛欠席)

    御即位が済んだ祝儀として当日の惣出仕を命じられたが、重豪は脚痛のため登城を断った届書。安永九年十二月十一日、松平薩摩守名。付記によれば、欠席者は月番老中へ使者を立てて祝儀を申し上げるよう廻状があったため、有川勇馬が祝儀使者を務めた。脚痛の病名や原因は記されない。