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追録6の目録
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追録6-No.2735 島津重豪書状
姫君から懇ろな見舞いの言葉を賜り、内々に塗重一組を拝領したことについて、重豪が藤崎へ受領の礼を伝える書状。心遣いをありがたく存じる旨を述べる。
追録6-No.2736 島津斉宣伺書
松平豊後守が、自分と同氏上総介の端午祝儀の献上物、および蓮光院への差上物は忌中のため控えていたが、忌が明けたので、献上の日取りを指図されたいと伺う。五月十五日付。付札は翌十六日に献上すべき旨を回答する。朱注によれば、御用番鳥居丹波守へ本城源七郎を使者として差し出し、即日付札による指示を受けた。
追録6-No.2737 徳川家斉御内書
端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、詳しくは鳥居丹波守から述べると、家斉が松平上総介へ伝える御内書。五月十六日付で、家斉公の墨印が掲げられている。
追録6-No.2738 島津久邦外三名家老連署申渡書
諸向の窮迫を受け、特別の配慮により重出米を免除するとしたうえで、財政は依然逼迫し、厳しい倹約を命じても支払米が大きく不足していると伝える。係役の繰回しが難しくなることを考え、御隠居の高五万石のうち二万石を表方へ返し、金三万両も差し出すこととした。残る不足分は係役が尽力して財政を立て直し、諸士末々まで…
追録6-No.2739 島津重豪書状
当日が姫君の誕生日の祝いであることに伴い、肴一折を拝領した礼を、重豪が藤崎へ伝える。上々様の機嫌を喜び、心遣いをありがたいと述べ、取成しを依頼する。誕生日に関わる朱注には、安永二年六月十七日生とある。
追録6-No.2740 島津久邦外三名家老連署申渡書
諸向の窮迫を聞き、特別の配慮から重出米を免除するが、財政は逼迫し、厳しい倹約のもとでも支払が大きく不足しているとする。係役の繰回しを助けるため、御隠居高五万石のうち二万石を表方へ返し、金三万両を差し出すと伝える。残る不足を補って財政を立て直すよう係役の尽力を求め、諸士末々まで倹約して奉公に勤めるべき…
追録6-No.2741 牧野貞長書状
当朝に献上された鰹節一箱を披露したところ、一段の御仕合であった旨を、牧野貞長が松平上総介へ伝える。六月十九日付、貞長判。
追録6-No.2742 鳥居忠意書状
端午の御内書を渡すので、翌日五半時に家来を御城へ差し出すよう、鳥居丹波守が松平上総介へ求める。六月二十四日付。
追録6-No.2743 松平信明書状
生見玉の祝儀として献上された黄金十両を披露したところ、一段の御仕合であった旨を、松平信明が松平上総介へ伝える。七月六日付、信明判。
追録6-No.2744 島津重豪書状
当日の祭礼に際して姫君から肴一折を拝領したことについて、重豪が藤崎へ礼を伝える。上々様の機嫌を喜び、心遣いをありがたいと述べ、よろしく取成しを依頼する。
追録6-No.2745 斉宣、御鷹ノ雲雀ヲ拝領ス
八年七月二十一日、川崎縫殿を再び使者として、雲雀三十八匹を斉宣の邸へ持参させ、斉宣に賜ったと記す。これも使っている鷹が捕らえたものという。川崎の崎には「勝カ」の注がある。
追録6-No.2746 重豪、御鷹ノ雲雀ヲ拝領ス
七月二十八日、家斉は川勝縫殿広当を芝邸へ遣わし、御鷹が捕らえた雲雀を重豪に賜った。重豪は病気のため、斉宣が代わって恩旨を受け、各老中の邸へ赴いて礼を述べたと記す。
追録6-No.2747 島津重豪書状
月見に際し、内々に青め籠の肴を拝領したことについて、重豪が藤崎へ礼を伝える。上々様の機嫌を喜び、心遣いをありがたいと述べ、よろしく取成しを依頼する。
追録6-No.2748 徳川家斉御内書
重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しくは松平越中守から述べると、家斉が松平上総介へ伝える御内書。九月二日付で、家斉公の懸印が掲げられている。
追録6-No.2749 重豪、徳川家治三回忌ニ香奠ヲ献ズ
九月八日から九日まで、大家が寛永寺で浚明院の三回忌法事を営んだと記す。その翌日、重豪は物頭平田孫太郎位叔を使者として、白銀二枚を献じ、拝礼させた。
追録6-No.2750 島津重豪書状
当時多忙である様子を受けて費用負担の役に立ちたいと、先ごろ同氏豊後守が願い出た件について、当日召し出され、近年中の琉球人参府や領内の凶作続きに配慮した御用捨と御用金に関する仰せを受けたと述べる。重豪も重ねてありがたく存じており、礼を申し上げたいので、機会を見て御前へよく取り成してほしいと、高をか・常…
追録6-No.2751 島津久邦証状
「千枝杉三析」について、前太守重豪が天明七年の下国途上に伊勢を参詣した際、御炊太夫から進上されたものであると記す。このたび造替した神明宮左社へ安置して御神体として崇めるので、決して疎略にせず、永く厳重に奉護するよう、嶋津和泉久邦が抱真院へ命じる。天明八年九月十三日付、久邦判。
追録6-No.2752 島津重豪書状
月見に際して内々に青め籠の肴を拝領したことをありがたいと述べ、重豪が藤崎へ礼を伝える。上々様の機嫌を喜び、よろしく取成しを依頼する。
追録6-No.2753 島津斉宣内意書
公辺の多忙な事情に応じ、相応の御用を勤めたいと願ったところ、御用捨の配慮と上納金に関する仰せを受けたことを知らせる。財政難と近年の凶作続きに加え、琉球人を召し連れるため多額の入費が重なり、国中が困窮することを深く憂慮していると述べる。中将が援助のため尽力し、勘解由を大坂と国元へ派遣して詳細を伝えるの…
追録6-No.2754 幕府指図書
浄岸院の十七回忌が当年十二月五日に当たるため、香奠銀三十枚を、当日上使水野壱岐守によって豊後守に拝領させたと記す。銀は白木箱入りで、付紙には台白木とある。この拝領について、表方の使者をもって年寄衆へ礼を申し達するよう指示する。十月十日付。人物注は浄岸院を継豊の継室竹姫とする。
追録6-No.2755 松平定信書状
重陽の御内書を渡すので、翌日五半時に家来を御城へ差し出すよう、松平越中守が松平上総介へ求める書状。十月二十二日付。
追録6-No.2756 嶺松院卒去、福昌寺ニ葬ル
円徳公の実母嶺松院は、祈祷・医療が効を奏さず、十一月二十日に薩府築地邸で没し、二十六日に福昌寺の円徳公廟側へ葬られたと記す。法号は嶺松院殿寒心貞操大姉。二十七日から二十九日まで福昌寺で中陰法事を行い、十二月二十日には四十九日と百日の法事を併せて営んだ。続く記事は、十二月五日が浄岸院の十七年忌に当たり…
追録6-No.2757 重豪、芝大円寺ニ嶺松院ノ冥福ヲ修シ、斉宣、福昌寺ニ浄岸院ノ法事ヲ修ス
祖母嶺松院が十一月二十日に城下築地邸で没し、二十六日に福昌寺の円徳公廟側へ葬られたこと、二十七日から二十九日の中陰法事と十二月二十日の四十九日・百日法事に、市田勘解由貞英が重豪の代香・代参を勤めたことを記す。重豪は病状を江戸で聞き、側用人鎌田愛太夫政詮を国元へ遣わした。幼くして父母と離れ、祖母の深い…
追録6-No.2758 島津重豪内意書
岩下佐次右衛門が中将の意向を二階堂主計・市田勘解由へ伝える。嶺松院の病気見舞いには通常小納戸などを遣わすところ、中将は幼時に父母を失い、嶺松院の深い慈愛を受けながら恩に報いることができず、今回も自ら看病に赴けないことを残念に思っているという。病状が心配なため、来春出立を命じてあった鎌田愛太夫を直ちに…
追録6-No.2759 二階堂行旦・市田貞英連署首尾書
嶺松院への厚い配慮を記した書面を承知し、千萬へ伝え、二人でも趣旨を汲んで相談したことを報告する。見舞いの使者愛太夫は死去後に到着し、意向どおりに見舞えなかったため、両殿から牌前へそれぞれ生花二筒・大宮香三把を供え、愛太夫に代香を勤めさせたという。御請と併せてこの処置を知らせ、よろしく取り成してほしい…
追録6-No.2760 島津斉宣忌服届書
亡祖父薩摩守の実母が十一月二十日に国元で病死したことに伴う忌服を届ける。松平豊後守は忌二十日を十一月二十日から十二月十日までとし、残日数がないため遠慮一日、服九十日を十一月二十日から翌二月二十日までとする。松平上総介は忌三十日を十一月二十日から十二月二十日まで、服百五十日を十一月二十日から翌四月二十…
追録6-No.2761 島津重豪書状
嶺松院が死去したことを姫君が聞き、懇ろな言葉を寄せた旨の書状を受け、重豪が藤崎へ承知の旨と礼を伝える。
追録6-No.2762 島津重豪書状
姫君から懇ろな見舞いの言葉を賜り、内々に塗重一組を拝領したことについて、重豪が藤崎へ受領の礼を伝える。心遣いをありがたく存じる旨を述べる。
追録6-No.2763 市田貞英書状
中将への年首の祝儀として目録のとおり差し上げられた品が江戸に届き、披露したところ満足された旨を、市田勘解由が三司官へ伝える。受領した書状を拝見したと述べ、この旨を伝達するよう求める。十二月二十一日付、実名判。
追録6-No.2764 市田貞英書状
太守の少将任官祝いとして、勝連按司を通じ中将へ太刀一腰・馬代黄金十両および目録に記す品が差し上げられ、江戸に届いたので披露したところ、大いに喜ばれた旨を伝える。市田勘解由が三司官へ、この旨を伝達するよう求めた書状。十二月二十一日付、実名判。
追録6-No.2765 市田貞英書状
御縁女を近衛右大臣の養女とする願いが認められ、姫君と称することになった祝儀として、真玉橋親方を通じ中将へ目録のとおり品が差し上げられたと述べる。江戸到来後に披露して大いに喜ばれたことを、市田勘解由が三司官へ伝え、この旨を伝達するよう求める。十二月二十一日付、実名判。
追録6-No.2766 市田貞英書状
雄五郎を三男とする届出が済んだ祝儀として、喜屋武親方を通じ中将へ太刀一腰・馬代白銀百両および目録に記す品が差し上げられ、江戸に届いたので披露したところ、大いに喜ばれた旨を伝える。市田勘解由が三司官へ、この旨を伝達するよう求める。十二月二十一日付、実名判。
追録6-No.2767 市田貞英書状
明姫の縁組を命じられた祝儀として、豊見山親方を通じ中将へ目録のとおり品が差し上げられたことについて、江戸到来後に披露して大いに喜ばれた旨を伝える。市田勘解由が三司官へ、この旨を伝達するよう求める。十二月二十一日付、実名判。
追録6-No.2768 鳥居忠意書状
今朝、鯛一箱を献上されたので披露したところ、一段の御仕合であった旨を、鳥居丹波守忠意が松平上総介へ伝える。十二月二十三日付、忠意判。
追録6-No.2769 島津久邦申渡書
来年中に婚礼を調える旨が先に命じられたものの、京都火災後の造営も整わず、国用の支出が多い時節でもあるため、遠慮して来年の婚礼を延期する旨の沙汰があったと伝える。しかし御三家から、趣旨はもっともであるが年齢のこともあるので婚礼を調えるよう申し上げられ、老中も同様に願ったため、浅宮入輿の内祝の例に準じ、…
追録6-No.2770 斉宣・重豪、茂姫ノ婚装調ヲ賀ス
翌春二月に大家と茂姫の婚儀が行われることになり、親戚の侯伯があらかじめ命を受けて婚礼調度を献じたと記す。戊申十二月五日、斉宣は食籠五荷、重豪は重一組を、それぞれ留守居を本丸へ登らせ、老中牧野備後守貞長・奏者土屋能登守泰直を介して茂姫へ献じた。また斉宣は綢紗五巻、重豪は綢紗十巻を女使によって宮中へ献じ…
追録6-No.2771 牧野貞長書状
姫君の婚礼に際して重一組を献上されたことについて、各々相談して上聞に達した旨を、牧野備後守貞長が松平上総介へ伝える。十二月二十五日付、貞長判。
追録6-No.2772 島津重豪書状
歳暮の祝儀として、姫君から内々に肴一折を拝領したことをありがたく存じる旨を、重豪が藤崎へ伝える。受け取った書状を拝見し、上々様の機嫌を喜ぶとともに、折をみてよろしく取り成してほしいと依頼する。
追録6-No.2773 出水郷米津天神由来記
天明丁未の秋、東都へ向かう前太守中将が九月三日に出水郷へ宿泊した夜、郷吏が訪れて米津村での鏡拾得を報告したという由来を記す。郷吏によれば、風雨で暗い中、東北数十里の方から一条の光が飛来して地に落ち、その鏡の背に「南無天満大自在天神」の銘があったという。村の旧天満宮は久しく荒廃し、東北には筑前太宰府が…
追録6-No.2774 徳川家斉御内書
歳暮の祝儀として小袖一重が到来し、喜んで受け取った旨を伝える。詳しくは松平伊豆守が申し述べるとし、十二月二十七日付で松平上総介へ宛てる。家斉公墨印。
追録6-No.2775 島津重豪書状
来春の婚礼に際し、姫君へ目録のとおり品を進上したい旨を述べ、折をみてよろしく取り成してほしいと依頼する。上々様の機嫌を喜ぶ言葉を添え、高をか・常盤井・萬里小路・梅の井・たき川・野むら・高はしの七名へ宛てた書状。
追録6-No.2776 牧野貞長書状
若菜の祝儀として鯛一折を献上されたので披露したところ、一段の御仕合であった旨を、牧野備後守貞長が松平上総介へ伝える。正月七日付、貞長判。
追録6-No.2777 島津斉宣御吉書
天明九年正月十一日の斉宣公御判を持つ御吉書について、編纂本文は書き方を省略すると記す。外包には、寛政元年三月六日に勘解由から黒田嘉右衛門へ渡され、白木御文書六番箱に収納した旨があるという。所蔵見出しは白木御文書六番箱中二十三号。
追録6-No.2778 牧野貞長書状
年頭の祝儀として使者により太刀一腰・馬代黄金十両を献上されたので披露したところ、一段の御仕合であった旨を、牧野備後守貞長が松平上総介へ伝える。正月十一日付、貞長判。
追録6-No.2779 幕府指図書
牧野備前守が留守居を呼び出し、書付を渡した旨を記す。姫君の婚姻の内祝が済んだ祝儀として、松平豊後守は一種一荷、松平上総介は一種五百疋を、来月五日に使者によって中之口へ差し上げるよう指示する。正月付。
追録6-No.2780 斉宣、家老ニ教令ヲ付ス
斉宣が自ら教令を書いて家老へ付し、名門・有力家から中士・下士に至るまで、学問と職務に励み、礼儀と廉恥を重んじる風を起こして国家に報いるよう勧めたと記す。本文は十二月とし、教令の文を次に掲げるとしている。
追録6-No.2781 島津斉宣訓諭書
大身・小身を問わず、幼いころから我意だけに任せて育てれば、成長後に国家の用に立たず不都合が生じるとして、貴賤とも心得て精励するよう説く。一門・名代を勤める家格は国中の手本であるため、身持ちを慎み家法を厳しくし、文武の芸だけでなく礼儀と威儀を整え、柔弱な風を避けるよう求める。大身は家柄に応じて大きな役…
追録6-No.2782 島津重豪訓諭書
従来から勤め方を申し付けてきたが、今回は豊後の初入部に当たり、まだ若年であるため一層申し聞かせるとする。万事に入念であり、細事にも気を配って不都合を生じさせず、特に重役は各自を慎み互いに励んで熟練し、器量を尽くすよう求める。下役に任せきりにして役の威を薄くし、上を軽くするような扱いを戒める一方、権威…
追録6-No.2783 斉宣、茂姫ノ婚儀ヲ賀ス
己酉二月の見出しに続き、幕府が茂姫の婚儀を調えようとして親戚の侯伯に婚礼調度の献上を命じたと記す。十二月五日、斉宣は留守居を本丸へ登らせ、老中牧野備後守貞長・奏者土屋能登守泰直を介して茂姫へ食籠一荷を献じ、女使によって茂姫の閨閤へ綢紗五巻を献じたという。
追録6-No.2784 斉宣、茂姫ノ御台所称ヲ賀ス
寛政元年二月四日、幕府で茂姫の婚儀を行い、茂姫を御台所と尊称したことを記す。翌五日、斉宣が登城して品を献じ、祝賀したという。詳細は父公の譜に記しているため、ここでは略すとしている。
追録6-No.2785 重豪、茂姫ノ成婚ヲ賀ス(宗久追善・改元記事を併載)
正月二十日に隈之城称名寺で宗久の四百五十年忌法事を行い、重豪が家老島津石見久邦を遣わして香奠金二百疋を献じたことを記す。二月三日の寛政改元を江戸から薩府へ伝え、同日以降の簿籍に寛政の年号を用いさせたという。二月四日に家斉と茂姫の婚儀が行われ、茂姫は御台所と称された。翌五日、斉宣は御座之間で家斉に祝賀…
追録6-No.2786 とみ田・つほね連署消息
御台の言葉として、上々の機嫌がよく、このたびの婚礼もよい日柄に滞りなく万端整ったことを喜び、千秋万歳のめでたさを述べる。これに伴い目録のとおり品を贈り、幾千歳・万代の先までも長久繁昌を願っている旨をよく伝えてほしいとする。とみ田・つほね連署、松平上総介の取次の人々宛。
追録6-No.2787 松平信明書状
歳暮の御内書を渡すため、明日五半時に家来を城へ差し出すよう、松平伊豆守が松平上総介へ求める。二月二十日付。
追録6-No.2788 島津重豪訓諭書
豊後の初入部に当たり、まだ若年であるため、国元の家老・若年寄・大目付へ改めて勤め方を申し聞かせる。万事入念に、細かな点にも注意して不都合を生じさせず、特に重役は各自を慎み、互いに励んで精勤し、熟練と器量を尽くすよう求める。下役に任せきりにして役の威を薄くし、上を軽くすることを戒める一方、権威を振りか…
追録6-No.2789 西国巡検使城下ニ来ル
二月二十九日、大家の使いとして御使番小笠原主膳、御書院与土屋忠次郎、西丸御書院番竹田吉十郎が江戸を発って西国へ向かったと記す。六月二十日に城下へ到着し、二十一日に喜入へ赴いた。小笠原主膳は喜入で没したという。
追録6-No.2790 島津斉宣伺書
御台への自分と同氏上総介の年中献上物について、以後は別紙のとおり表向きから献上し、そのほかは内証から献上する扱いにしたいので指図を求める。二月二十九日付、松平豊後守。朱書の附札は、表向き献上も同意とし、内証からの品は大奥の老女へ申し合わせるよう指示する。続く朱注によれば、当日婚礼御用掛牧野備後守へ提…
追録6-No.2790-1 献上品例書
御台へ以後表向きから献上したい年中の品を列記する。端午・重陽・歳暮には白銀三枚ずつ、年頭には白銀五枚と干鯛一箱、在国時の節春の機嫌伺いには一種五百疋、暑気には鰹節一箱、生身玉の祝儀には一種五百疋、在国時の秋の機嫌伺いには干鯛一箱、寒中には鯛一箱を掲げる。末尾は二月、松平上総介。
追録6-No.2790-2 献上省略品書
御台が姫君であった時から内証で献上してきた品のうち、今回表向きの献上とした分を除いた残りの品を列記する。余寒には鯛一折、上巳には一種五百疋、暑気前には嶋織越後五端と干肴一籠、誕生日には鯛一折、七夕と八朔には各一種五百疋、八月十五日の月見には水菓子二籠、九月十三日の月見には水菓子一籠、初雪には糟漬鯛一…
追録6-No.2790-3 献上省略品書
御台から下される品が一定の年限中省略されることに伴い、献上する側の品も減らす旨を記す。松平豊後守は、生身玉の祝儀の一種五百疋から五百疋を除いて一種のみを献じ、冬中の炙鮎一箱は献上不要とする。松平上総介は、在国時の節春の機嫌伺いの一種五百疋を献上不要とし、生身玉の祝儀は五百疋を除き一種だけとする。切紙…
追録6-No.2791 市田貞英申渡書
今後、太守・中将から御台へ祝儀や礼を述べる場合、表立った事柄は本丸の老女衆へ書状で申し上げ、その他の事柄は御台付きの老女衆宛ての書状で申し上げることとし、式日の書状も同様に扱うよう定める。御台付き老女は華町・御つほね・富田、表御使は長瀬・瀧野と記す。また、格別の祝儀の場合に限って贈物をするよう指示さ…
追録6-No.2792 島津重豪書状
浄信院の一周忌に当たり、香奠として白銀五枚を内々に拝領したことを受け、心遣いをありがたく存じる旨と受領の礼を御つほねへ伝える。
追録6-No.2793 斉宣着座拝礼ヲ命ゼラル
従来、斉宣は五節句・八朔の朝礼を白書院で、朝望などの礼を黒書院で行っていたと記す。四月十五日、朝礼終了後に松平伊豆守信明を通じ、以後はその席に着座して拝礼するよう命じられた。二十一日には大家の使い鳥居丹波守が品を携えて賜り、斉宣の帰国を例のとおり認めた。二十八日に邸を発ち、閏六月朔日に府城へ到着し、…
追録6-No.2794 高野山蓮金院の判物・添書・受渡書三通の外包
斉宣の家督に伴い高野山蓮金院へ判物を下した際の記録三通をまとめる外包。判物の写一通、家老衆の添書の写一通、伊賀から御記録奉行へ渡した横切書付一通を収めると記す。閏六月十二日に伊賀から平山五郎右衛門へ渡され、白木御文書六番箱に収納された旨がある。
追録6-No.2794-1 島津斉宣判物
蓮金院は中納言家久の代から当家の宿坊であり、これに伴う寄附の荘園は当代に至っても相違ないと保証する。先祖の日牌や寺の施設の修補などを旧規どおりに行い、少しも怠慢・疎略がないよう求める。四月十五日付、少将斉宣御判。
追録6-No.2794-2 島津久金・菱刈実祐家老連署証状
蓮金院は島津家の宿坊として中納言家久の代に興隆し、寺領が寄附されてきたと述べる。今回、少将斉宣が先の判物に任せる旨の証書を遣わしたので、諸事を先例どおり怠りなく取り計らうよう求める。四月十五日付、菱刈大炊実祐・島津伊賀久金連署。
追録6-No.2794-3 島津久金申渡書
蓮金院が家督に伴う判物拝領について先例どおりに願い出たため、江戸出立前に判物と添書を整えて持ち越したと伝える。滞坂中に、判物は物抽者から渡し、家老連名の添書は御側御用人を通じて渡して拝領が済んだので、後年の参考として別紙二通の写を渡しておくとする。閏六月付、伊賀。
追録6-No.2795 斉宣帰国ノ暇ヲ賜ハル
四月二十一日、斉宣が襲封後初めて帰国の暇を賜り、二十三日に登城して将軍家斉へ謝恩したことを記す。旧例により刀一腰を賜った。注記は備前国師景の刀、長さ二尺三寸、代金二十枚とする。
追録6-No.2796 島津久邦外四名家老連署申渡書
太守の初入部に当たり、中将が万端を心配し、伊賀を召し出して直接細かく指示したうえ、家老・若年寄・大目付にも別紙の御筆をもって命じたことを伝える。役々はその趣旨を謹んで承知し、同役で申し合わせて勤めに励み、その風儀が下役にまで自然に伝わるよう心掛けることを求める。介助中に心配をかけたことを恐縮し、先年…
追録6-No.2797 島津重豪米津天神由来記
重豪が天明七年九月朔日に薩府を発ち、同四日に出水郷米津村の仮館へ入った際、村の長吏から、昨夜の激しい風雨と雷鳴の中で東北から光が飛来し、階に天満天神の銘を持つ鏡が現れたと聞いた由来を記す。太宰府の方角からの降臨とされ、その鏡の形状・裏文を写して新たに二鏡を鋳造し、延寿王院に頼んで飛梅の枝から尊像三体…
追録6-No.2798 島津重豪書状
同氏豊後守が初めて国元へ出発することに際し、御台から内々に塗重一組を拝領したため、心遣いをありがたく存じる旨と受領の礼を御つほねへ伝え、取成しを依頼する。
追録6-No.2799 徳川家斉御内書
端午の祝儀として帷子・単物が届いたことを喜び、詳しいことは鳥居丹波守が伝える旨を、松平上総介へ知らせる。五月二日付、印文は家斉。
追録6-No.2800 斉宣着座慶礼ヲ許サル
斉宣は先に特命を受け、五節句は白書院で、朔望の賀礼は黒書院で行っていたとする。五月十五日の朝賀後、老中が将軍の命を伝え、今後は慶礼の際、その席に着座して賀を述べるよう許された。重豪は留守居を各老中の邸へ遣わし、この優礼への謝意を伝えさせた。
追録6-No.2801 斉宣着座賀ヲ許サル
五月十五日、斉宣が月次の賀礼で登城した際、礼が済んだ後も待機するよう、用番老中松平伊豆守信明から大目付牧野大隅守を通じて命じられた。黒書院へ召され、老中が列座する前で、従来は五節句・八朔を白書院で、月次を黒書院で賀していたが、今後は特例として着座での賀礼を許す旨を伝えられた。斉宣は命を受け、記事はこ…
追録6-No.2802 着座御礼に関する幕府書付二通・家老書付一通の外包
五節句・八朔・月次の御礼を着座で申し上げるよう命じられた際の御書付二通と、それに関する家老衆の御書付一通をまとめる外包。寛政元年酉五月十九日と記し、白木御文書六番箱中二十五号の三通を構成する。
追録6-No.2802-1 幕府の着座御礼許可指図書写
先に命じた五節句・八朔の白書院、月次の黒書院での御礼について、今後はその際に着座して祝儀を申し上げるよう命じる。ただし、現在の由緒による特別の命令であり、家格にはならないことを明記する。
追録6-No.2802-2 松平豊後守の着座御礼手順書写
松平豊後守が御縁頬へ出て御奏者番の披露を受け、上意の後、御敷居の内の右方に着座することを定める。月番老中が祝儀を申し上げる旨を取り次ぎ、その後退去するという御礼の手順を記す。
追録6-No.2802-3 喜入久福申渡書
太守が「先月十五日」の月次に登城した際、御礼後も留まるよう用番松平伊豆守から大目付牧野大隅守を通じて伝えられ、黒書院で老中列座のもと、今後は五節句・八朔の白書院、月次の黒書院における御礼を着座で行うよう伊豆守から言い渡されたと伝える。この件の御書付の写二通が別紙のとおり届いたため、帳面へ記録しておく…
追録6-No.2803 喜入久福申渡書
島津若狭の亡父肥前は吉貴の意向により越前島津家を継ぎ、領地一万石一所を賜ったが、二男の家号は未定であったと記す。若狭は、二男には将来相応の分地をして別家を立てる考えがあるため、島津の称号をあらかじめ許すよう願い出た。格別の家柄であることから特例として願いどおり二男の島津称号を認め、その他の家号につい…
追録6-No.2804 高橋種央外二名寺社奉行連署申渡書
中将が米津天満宮へ奉納する天満宮御神刀の模製一柄、御真蹟の臨写二幅、米津天満宮由来記一通、神号一通を、袋・包み・箱とともに列記する。参詣の時だけ箱から出して飾り、内宮で真蹟を掛けることが難しければそのままとし、神刀も同様に扱うよう指示する。社司が保管し、後年に粗末な扱いをしないよう入念に護ることを命…
追録6-No.2805 島津斉宣伺書
妹と島津淡路守の婚姻が整ったため、名代をもって礼を述べる際の献上品・贈物について、松平豊後守が指図を求める。豊後守からは公方へ肴物十、御台へ白銀五枚、蓮光院へ白銀三枚、同氏上総介からは公方へ肴物五、御台へ白銀三枚を献じたいとする。付札は記載どおりの献上を認める一方、贈物には及ばないと指示する。六月三…
追録6-No.2806 島津斉宣伺書
妹の婚姻への礼を述べる際、公方・御台へ内証で女使を遣わして献上品を届け、同氏上総介からも献上し、蓮光院にも差上物をしたいとして指図を求める。朱記は、大奥へ問い合わせたところ献上品は不要と付札で指示され、両殿から書状をもって礼を述べるよう命じられたため、そのとおり書状で御礼を申し上げたと記す。
追録6-No.2807 重豪出水郷米津天満宮ヲ再興ス
天明丁未の秋、重豪が参府の途中に出水で天満天神の銘を持つ神鏡一面を得たことを起点に、翌年に旧跡で天満宮を再興し、十一月に完成して米津天神と称した経緯を記す。伊東丹治祐久・西郷休太郎盛次を祠官とし、同郷の幸善寺に別当職を兼ねさせ、府学教授山本正誼に由来の撰文・石刻を命じた。重豪自筆の由来記と神号、太刀…
追録6-No.2808 久昵家系譜抄(男を含む)
重豪の子久昵について、初名久亮・一純・久亮、通称時之丞・諸之丞・蔵人、官称肥前守・左近を掲げ、寛政元年六月十九日に江府で生まれ、越前丸岡城主有馬誉純の養子となって有馬肥前守一純を称したと記す。文政二年二月六日、高輪邸で病気となり帰れず、老中への照会後いったん丸岡邸へ戻ったが、斉興と誉純が病気を理由に…
追録6-No.2809 久昵系譜抄
重豪の四男久昵について、寛政元年六月十九日に芝邸で生まれ、母は石井氏(於富・貴方)と記す。寛政二年十月六日に四男の出生を朝廷へ届け、同年十一月六日に蓄髪を神明へ告げ、五年十一月十五日に着袴した。文化元年四月十日に越前丸岡五万石の有馬誉純の嗣子となってその娘を娶り、二十七日に有馬邸へ入り蔵人を称し、十…
追録6-No.2810 鳥居忠意書状
端午の御内書を渡すため、明日の五半時に家来を城へ差し出すよう、鳥居丹波守が松平上総介へ求める。六月二十四日付。
追録6-No.2811 斉宣、妹於明ノ縁組ヲ謝ス
斉宣が幕府へ願い、妹於明と日州佐土原城主島津淡路守忠持との婚姻の許可を得たと記す。六月二十七日に江府三田邸で婚儀を行い、閏六月朔日には有馬左兵衛佐誉純を名代として、家斉へ巻物十、御台所へ白銀五枚を献じ、於明の婚姻への謝意を表した。
追録6-No.2812 花尾社額面文字(卜部良倶筆)
「花尾大権現」の大文字と、神祇道管領卜部朝臣良倶の名を記す額面文字。裏張紙があるとし、外包は卜部良倶が染筆した額文字一枚と記す。
追録6-No.2812-1 島津久宅添書
花尾権現に大権現号が許され、額を掛け替えるため、吉田家から卜部良倶の染筆による額文字一枚が送られたと伝える。写しの作成が済み、本書は御記録所で保管するよう命じられたので、今後紛失等の支障がないよう書留などを作っておくことを求める。勘解由の指図による旨を添え、酉六月二十八日、島津矢柄が御記録奉行へ宛て…
追録6-No.2813 重豪、女於明ノ婚姻ヲ謝ス
斉宣が願い出て、重豪の娘於明と島津淡路守忠持との婚姻の許可を得、六月二十七日に三田邸で婚儀を行ったと記す。閏六月朔日、斉宣は家斉へ巻物十、御台所へ白銀五枚を献じ、有馬誉純を名代として婚姻への礼を述べた。重豪も物頭今村政一郎貞胤を登城させ、家斉へ縮緬五巻、御台所へ白銀三枚を献じて謝意を表した。
追録6-No.2814 島津重豪書状
同氏豊後守の妹と島津淡路守の婚姻が整ったことへの礼を申し上げたいとして、花町・御つほね・富田へ取成しを依頼する。表からも申し上げるが、機会をみて御前へよろしく伝えてほしいと求める。
追録6-No.2815 松平信明書状
今朝、鰹節一箱を献上されたことを披露したところ、一段の御仕合であった旨を、松平信明が松平上総介へ知らせる。閏六月三日付、信明判。
追録6-No.2816 島津重豪書状
暑中の心遣いとして御台から内々に越後縮五端を拝領したことについて、重豪が御つほねへ受領の礼を伝え、取成しを依頼する。朱注は、今回の暑気から初めて拝領した品であり、翌四日に豊後守への晒三疋拝領の礼も合わせた礼状を御つほねへ差し出したと記す。
追録6-No.2817 重豪、御鷹の雲雀を拝領す
七月三日、家斉が大久保忠兵衛を芝邸へ遣わし、重豪に「御鷹の雲雀」を賜ったと記す。島津淡路守が代わって恩旨を受け、さらに老中の邸へ赴いて謝礼した。
追録6-No.2818 鳥居忠意書状
生見玉の祝儀として黄金十両を献上されたことを披露したところ、一段の御仕合であった旨を、鳥居忠意が松平上総介へ知らせる。七月六日付、忠意判。
追録6-No.2819 斉宣身辺記事
八月六日に閣老が命を受けて鮭十尺を急送し、斉宣が九月三日に拝領したことを記し、初めて封地へ帰ったことに伴う下賜と説明する。十月九日には市来温泉へ赴き、二十一日に帰った。十二月朔日に田布施へ行き、翌日、新寺で郷士踊を見物した。十六日には御台君の使い原田半兵衛が干鯛一箱を邸へ届け、年末の祝賀として斉宣へ…
追録6-No.2820 斉宣、花尾社ニ大権現号ヲ附ス
花尾権現社は太祖得仏公が建保年間に創建し、源頼朝を主祭神とし、丹後局と永金阿闍梨を左右に配祀して代々崇敬したと記す。寛政元年夏、父公が神祇道管領卜部朝臣良倶へ願い、大権現号を許され、良倶が「花尾大権現」の五文字を書き与えた。八月十五日にこれを額に写して掲げ、父公は府学教授山本正誼へ記文の作成を命じた…
追録6-No.2821 徳川家斉御内書
重陽の祝儀として小袖一重が届いたことを喜び、詳しいことは松平和泉守が伝える旨を、松平上総介へ知らせる。九月七日付、家斉公の墨印が示される。
追録6-No.2822 島津重豪子女問合書一巻(表紙・収納記録)
御子様方の母付と明姫の身柄について、江戸からの問合せと国元の取扱いを集めた一冊。表紙は寛政元年酉十月、白木御文書六番箱中三二六下とする。巻末は、本田孫九郎の江戸詰めから本田休兵衛への交替に当たり、四月九日の使便で書付を送り、以前から江戸で照合していた往復問合書とともに後年の参考として記録したと述べる…
追録6-No.2822-1 本田親礼記録奉行書状
雄五郎・亀五郎・感之介三人の実母を島津式部少輔の「密子」とする件で、大炊から於房の出自を尋ねられたため、先の指示に基づいて答えた経緯を伝える。江戸では密子という事情を承知しておらず、系図へそのまま母付を記すと後に疑義が生じるおそれがあると指摘した。留守居の照会にもまだ返答がなく、養女等の関係かもしれ…
追録6-No.2822-2 東郷実美外六名記録奉行連署返書
五月十三日の問合せに対し、御子三人の実母を島津式部少輔の密子とする旨は、前年七月の内意と翌申年三月の勘解由の書付によって承知したと答える。密子の事情や系図上の具体的な扱いまでは知らず、指示どおり記すつもりであったが、後日の疑義を避けるため再調査する必要を認める。一方、重ねて直接尋ねると差障りになる場…