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追録6の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,127件中 2401~2500件・25 / 32ページ

  1. 追録6-No.2200 御縁女の本丸逗留と塗重一組の拝領に礼を伝える

    無事を喜ぶ挨拶に続き、書状を拝見して相手の無事を喜び、御縁女が一昨日に本丸へ逗留に入ったことを祝う。そのことに関連して、塗重一組と読める品を内々から拝領したことをありがたいと述べ、この趣旨をよろしく取り成してほしいと頼む。末尾に藤さきさま御返事と記す。

  2. 追録6-No.2201 御縁女の本丸逗留に伴う拝領を礼し藤さきに取次ぎを頼む

    無事を喜ぶ挨拶に続き、御縁女が本丸へ逗留に入ったことに関連して、昨日「御ちう一くミ」と読める品を内々に拝領し、ありがたく思うと述べる。この礼を申し上げたいので、折を見てよろしく取り成してほしいと藤さきへ頼む。末尾は「右申給へ」で、藤さきを通じた伝言の依頼である。

  3. 追録6-No.2202 御縁女逗留に際し御部屋へ献上し拝領した品を礼する

    藤崎の文を拝見して無事を喜び、御縁女がこの間逗留に入ったので、内々に御部屋様へ献上物をしたと述べる。取次ぎを通じた返答に加え、「御たはこたん笥」と「御さかな一おり」を拝領したことをありがたく思い、この趣旨をよろしく取り成してほしいと頼む。末尾に藤崎さま御返事と記す。

  4. 追録6-No.2203 御部屋への献上に伴う煙草容器・肴の拝領を礼する

    無事を喜ぶ挨拶の後、御部屋様へ内々に献上物をしたところ、昨日「御たはこたん笥」と御肴を拝領したことをありがたく思うと述べる。その礼を申し上げたいので、藤さきへよろしく取り成すよう依頼する。末尾に「右申給へ」とあり、取次ぎによる伝言を求める。

  5. 追録6-No.2204 重豪が帰国の暇を賜り登城して謝恩する

    四月十六日、家治は老中牧野貞長を芝邸に遣わして重豪に帰国の暇を許し、恩賜は先例どおりとした。家斉も西丸老中鳥居忠意を遣わし紗綾二十巻を与えた。重豪は島津忠持を大老・老中邸への謝恩に遣わし、若年寄邸へは留守居、側衆邸へは表方使者を遣わした。十八日に老中奉書で翌日の登城が告げられ、重豪は黒書院で家治・家…

  6. 追録6-No.2205 翌日五半時に登城して帰国暇の礼を述べるよう告げる

    四月十八日付の老中四名の連署状。松平薩摩守へ、翌日五半時に登城し、帰国の暇を賜った礼を申し上げるよう命じる。署名は水野出羽守、牧野越中守、田沼主殿頭、松平周防守の順。No2204の記事に記す老中奉書の具体文面にあたる。

  7. 追録6-No.2206 家来一人の御目見を許し召し連れて登城するよう命じる

    家来一人に御目見を仰せ付けるので、召し連れて罷り出るよう命じる。原本は「正文在文庫」の所在注とこの短い本文のみを載せ、発給者・宛所・月日・家来の氏名は記さない。

  8. 追録6-No.2207 重豪が鷹二羽を賜り吹上役所で受け取る

    四月二十一日、家治が重豪に俊鷹二羽を与えた。二十三日、側役市田勘解由教国、留守居本城源七郎輝承、鷹匠頭肥後藤右衛門と鷹匠二人を吹上役所へ遣わした。幕府側の戸田五助と組頭水谷善兵衛が鷹二羽を渡し、一同はこれを受けて芝邸へ戻った。記事末尾の「其儀如左」は次のNo2208の受領作法書へ続く。

  9. 追録6-No.2208 翌日の御鷹頂戴に備える役人配置と受領作法を定める

    四月二十二日、翌二十三日の御鷹頂戴に備える二通の手順を記す。遠見を置いて鷹の到着を知らせ、張番所・本門・玄関には物頭、中小姓、小番らを配置する。使者の取次ぎ、床飾り、家老・大目付格・側表御用人・留守居・使番・目付の出迎え、御座敷での受領と謝礼、鷹を受けた後の扱いを順に定める。別紙では鷹匠頭・鷹匠と鷹…

  10. 追録6-No.2209 御縁女の願いを受けた鷹拝領を祝う

    新年からの息災を祝ったうえで、重豪が鷹を拝領したいと望むことを御縁女が願い出て、内々に鷹が与えられたと述べる。拝領が実現したことを重ねて祝う。天明五年との朱書、原本署名「高岳」、宛所「松平さつまの守様人々御中」を記す。

  11. 追録6-No.2210 御縁女の願いで鷹を拝領した礼を高をかへ頼む

    高をかの文を拝見し、無事を喜ぶ挨拶に続いて、御縁女の願い出により内々に鷹の拝領を仰せ付けられたことをありがたく思うと述べる。この件についてよろしく取り成してほしいと高をかに依頼する。末尾に「高をかさま御返事」と記す。

  12. 追録6-No.2211 重豪の国元帰国の暇を祝い八丈十反の内々の贈与を伝える

    年頭の挨拶を述べた後、重豪に国元への帰国の暇が仰せ出されたことを祝う。内々から重豪の手元へ八丈十反を遣わしたので受け取ってほしいと伝え、重ねて祝いを述べる。天明五年との朱書、差出人「大さき」、宛所「松平薩摩守様人々御中」を記す。

  13. 追録6-No.2212 帰国の暇と八丈十反の拝領を大さきに礼する

    大さきの文を拝見して無事を喜び、自分に国元への帰国の暇が仰せ出されたことをありがたく思うと述べる。これに伴い、内々から八丈十反を拝領したことを重ねて礼し、この趣旨をよろしく取り成してほしいと大さきに頼む。末尾に「大さきさま御返事」と記す。

  14. 追録6-No.2213 大納言からの八丈織十反の拝領に礼を伝える

    無事を喜ぶ挨拶に続き、一昨日、大納言様から内々に八丈織十反を拝領したことをありがたく思うと述べる。その礼を御前へ申し上げたいので、機会を見てよろしく取り成してほしいと高をかに頼む。宛所に「公方様御方高をかさま」、末尾に「右申給へ」と記す。

  15. 追録6-No.2214 国許への暇に伴う白羽二重十疋の拝領を礼する

    高をかと瀧川への返書。国許への帰国の暇を仰せ出されたことをありがたく思い、これに伴い御縁女様から内々に白羽二重十疋を拝領したことを礼する。この趣旨をよろしく取り成してほしいと二人に頼む。末尾に両名への「御返事」と記す。

  16. 追録6-No.2215 御縁女からの羽二重拝領の礼を本丸の二人へ伝える

    無事を喜ぶ挨拶に続き、先ごろ御縁女様から羽二重を拝領したことをありがたく思うと述べる。その礼を申し上げたいので、機会を見てよろしく取り成してほしいと本丸の高をかと瀧川に頼む。結びは「右申給へ」で、二人を通じた伝言の依頼である。

  17. 追録6-No.2216 御縁女から羽二重十疋を拝領した礼を藤崎へ頼む

    重豪は無事を喜ぶ挨拶に続き、先ごろ御縁女様から内々に羽二重十疋を拝領したことへの礼を述べる。その礼を申し上げたいので、機会を見て取り成してほしいと頼み、結びに「御縁女様御方藤崎さま」「右申給へ」と記す。

  18. 追録6-No.2217 前日拝領した羽二重十疋の礼を高をかに取り次がせる

    重豪は昨日、御縁女様から羽二重十疋を拝領したことをありがたく思うと述べる。その礼を公方様に申し上げたいので、御前へよろしく取り成してほしいと高をかに頼む。朱書「天明五年」、宛所「高をかさま」を記す。

  19. 追録6-No.2218 端午の帷子・単物の献上に謝意を示す

    家治は、端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、詳しいことは水野出羽守が述べると伝える。天明五年五月二日付で、家治の黒印を伴い「薩摩中将殿」に宛てる。

  20. 追録6-No.2219 端午の帷子・単物献上を披露したと伝える

    鳥居丹波守忠意は、端午の祝儀として使者に帷子・単物を献上した件を披露したところ、一段の御仕合せであると伝える。天明五年五月二日付で松平薩摩守に宛てる。

  21. 追録6-No.2220 登城時の休息所・礼席の取り扱いを記す

    太守の登城と月次の礼を機に、田沼主殿頭からの伝達や大広間での沙汰を記す。今後の登城時、大廊下下の休息所を使用できること、年始・五節句などは扱いが異なること、白書院・黒書院での礼や席次、田沼からの呼び出しと先例との関係を詳述する。冒頭に「九月十五日」、末尾に「天明五年五月十五日」と記され、日付が一致し…

  22. 追録6-No.2221 琉球の凶作・飢饉と救米の必要を届ける

    薩摩守領分の琉球国は凶年が続き、前年の長雨で作物が実らず、島々では大風もあり飢饉に至った。年貢米船の破損・行方不明で蔵米が減る中、飢える者数万人への配米や薩州へ送る予定の囲米による救済を行ったが行き届かない。琉球から飛船で救米の要請があり、国元役人の報告を受けて幕府に申し出る。五月十六日付の届書は留…

  23. 追録6-No.2222 脚病・疝積により国元への出発を延期すると届ける

    重豪は国元への帰国の暇を得て当地から出発する予定だったが、脚病に加え持病の疝積が発したため、長旅が難しいと届ける。しばらく養生し、回復したら早速出発すると述べる。五月十七日付で、留守居渋谷五郎右衛門を通じ御用番松平周防守へ提出され、受理された旨を小村平之丞が伝えた。

  24. 追録6-No.2223 家督継承時の参詣と年頭・年忌等の代参を定める

    鎌倉の白旗大明神・鶴岡八幡宮、頼朝公の廟、忠久公の廟を挙げ、家督継承に際しては一度参詣し、毎年の年頭、年忌、官位昇進などの際には家老を代参させる規定を示す。今後この通り定めるので承知して申し渡すよう命じる。天明五年五月付、喜入久福(安房)の申渡書。

  25. 追録6-No.2224 病気回復を試すため下屋敷への移動を願う

    重豪は国元への帰国の暇を得たが、体調不良で出発できず、養生しても全快しないため、歩行を試すべく下屋敷へ移ることを願う。六月二日付の願書は留守居本城源七郎から御用番水野出羽守へ提出され、同日呼び出しのうえ、付札で願いの通り許された。

  26. 追録6-No.2225 御縁女の誕生日に肴一折を拝領した礼を藤崎に頼む

    重豪は御縁女様の誕生日を祝うため、内々に肴一折を拝領したことをありがたく思い、その礼をよろしく取り成してほしいと藤崎に頼む。末尾は「藤崎さま御返事」。本文に日付はないが、編者注は御縁女の誕生日を安永二年六月十七日と照合し、この書状を六月十七日のものと推定する。

  27. 追録6-No.2226 御縁女の誕生日に肴一折を拝領した礼を藤崎に託す

    重豪は御縁女様の誕生日祝いに肴一折を拝領したことをありがたく思い、その礼を申し上げたいので、機会を見て取り成してほしいと藤崎に頼む。結びに「藤崎さま」「右申給へ」と記す。朱書は天明五年のみで、月日は本文にない。

  28. 追録6-No.2227 重豪が老いた祖母を介抱した萬鶴に米二十苞を賜う

    諸県郡野尻郷紙屋川内村の農夫武左衛門の娘・萬鶴は、同郷瀬崎村の農夫喜左衛門に嫁いだ。舅姑が相次いで病没し、老病の祖母を昼夜側で介抱して心を慰めた。天明五年夏、重豪はその孝行を褒め、米二十苞を賜ったと記す。

  29. 追録6-No.2228 琉球布・泡盛酒などの献上披露を伝える

    牧野越中守貞長は、今朝献上された琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を披露したところ、一段の御仕合せであると重豪に伝える。天明五年六月十八日付の書状。

  30. 追録6-No.2229 琉球布・泡盛酒などの献上披露を別途伝える

    鳥居丹波守忠意は、今朝献上された琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を披露したところ、一段の御仕合せであると伝える。天明五年六月十八日付で重豪に宛てた、牧野貞長の書状とは別の通知である。

  31. 追録6-No.2230 脚痛・疝積による帰国出発の延期と秋までの養生を願う

    重豪は国元への帰国の暇を得ながら脚痛と持病の疝積で出発できず、下屋敷で歩行を試して養生しても回復しないと述べる。療治中の河野仙寿院は暑中の長旅を避けるよう進言しており、秋までの養生を願い、先に快復すれば出発すると申し出る。六月二十三日に御用番牧野越中守へ提出され、二十五日に付札による回答が伝えられた…

  32. 追録6-No.2231 御部屋様から重豪への暑中見舞いの瓜・肴を伝える

    藤崎は、御部屋様から暑中の見舞いとして瓜一かごと肴一折を重豪の手元へ内々に贈る意向を伝え、受け取りと謝意の取次ぎを頼む。天明五年との朱書があり、末尾に「松平薩摩守様人々御中」、差出人「藤崎」と記す。

  33. 追録6-No.2232 御部屋様からの瓜一かご・肴一折の拝領を藤崎に礼する

    重豪は藤崎の文を受け、暑中に御部屋様から内々に瓜一かごと肴一折を拝領したことをありがたく思うと述べる。その謝意をよろしく取り成してほしいと藤崎に頼み、末尾に「藤崎さま御返事」と記す。朱書は天明五年のみである。

  34. 追録6-No.2233 前日拝領した瓜一かご・肴一折の礼を藤崎に頼む

    重豪は、昨日、御部屋様から暑中の瓜一かごと肴一折を拝領したことをありがたく思い、その礼を申し上げたいので藤崎に取り成しを頼む。天明五年との朱書、宛所「藤崎さま」を記す。

  35. 追録6-No.2234 重豪が父母を養った源兵衛の孝行を褒める

    始羅郡帖佐郷餅田村の農夫・源兵衛は幼い頃から父母を世話し、社の集まりで得た食べ物も持ち帰って父母に差し出した。郷里の人々はその孝行を知り、集まりのたびに父母へ分ける品も用意した。父幸左衛門が安永九年に病没した後も、老いた母を世話し続けたため、天明五年夏に重豪が若干の品を賜って褒めた。

  36. 追録6-No.2235 秋までの滞府養生許可の礼を本丸・西丸の女性たちに伝える

    重豪は国元への帰国の暇を得たが痛みがあり、秋まで府にとどまって養生したいとの願いが許されたことをありがたく思う。その礼を御前に伝え、種姫君様・御部屋様にも申し上げてほしいと、本丸・西丸の高をかほか複数の女性に取り成しを頼む。朱書は天明五年のみである。

  37. 追録6-No.2236 秋までの滞府養生許可を奥向きに礼する別書状

    重豪は帰国の暇を与えられたものの痛所があり、秋まで府にとどまり養生したいとの願いを許されたことに謝意を述べる。御縁女様への礼の取次ぎを頼み、宛所として梅の井・大さき・高はしを列記する。朱書は天明五年のみで月日はない。

  38. 追録6-No.2237 生見玉祝儀の黄金十両献上を披露し重豪に伝える

    重豪の生見玉の祝儀として黄金十両を献じた件は披露され、よい仕合であると伝える。朱書は天明五年七月六日で、水野出羽守忠友・牧野越中守貞長・田沼主殿頭意次・松平周防守康福の四名が判を据える。

  39. 追録6-No.2238 生見玉祝儀の黄金十両披露を重豪に伝える

    鳥居丹波守忠意は、重豪が生見玉の祝儀として黄金十両を献じたことを披露し、よい仕合であると書き送る。朱書は天明五年七月六日で、末尾に「松平薩摩守殿」と宛てる。

  40. 追録6-No.2239 生見玉祝いの肴一折拝領を藤崎へ礼する

    重豪は書状を拝見し、御生見玉の祝いとして肴一折を内々に拝領したことをありがたく思うと述べる。謝意をよろしく取り成すよう藤崎に頼み、次頁に続く末尾に「藤崎さま」「御返事」と記す。朱書は天明五年のみである。

  41. 追録6-No.2240 前日拝領の生見玉祝い肴一折を藤崎へ礼する

    重豪は、昨日、御生見玉の祝いとして肴一折を拝領したことをありがたく思うと述べる。その礼を申し上げたいので藤崎に取り成しを頼む。朱書は天明五年のみで、末尾に「藤崎さま」と記す。

  42. 追録6-No.2241 御縁女様の祭礼祝いの肴一折拝領を藤崎へ礼する

    重豪は藤崎の文を読み、御縁女様が祭礼を賑やかに祝われたことを喜ぶ。これに伴い肴一折を内々に拝領したので、その謝意を御縁女様へ取り成してほしいと藤崎に頼み、末尾に「藤さきさま御返事」と記す。朱書は天明五年のみ。

  43. 追録6-No.2242 前日拝領した御縁女様の祭礼祝いの肴一折を礼する

    重豪は、昨日の祭礼に際して御縁女様から肴一折を拝領したことへの礼を述べる。御縁女様に謝意を伝えてほしいと取り成しを頼む。天明五年との朱書はあるが月日は記されない。

  44. 追録6-No.2243 御鷹野の意義と御鷹部屋・鷹方の作法を伝達する

    御鷹野は慰みだけではなく、領内の地理や農事を見分する機会でもあると述べる。先代の尾畔御鷹部屋と当代の山下御鷹部屋を同様に扱い、鷹方の作法を当分の定めとして守るよう命じる。先年からの鷹の拝領・捕飼、鶴雁の献上を踏まえ、今後も従来どおり運用し、漏れなく伝達せよとする。朱書は天明五年八月で日付はない。

  45. 追録6-No.2244 八朔祝儀の太刀一腰・馬代黄金十両献上を披露する

    重豪が八朔の祝儀として使者を立て、太刀一腰と馬代の黄金十両を献じた件を披露し、よい仕合であると伝える。天明五年八月四日付で、水野忠友・牧野貞長・田沼意次・松平康福の四名が判を据え、「松平薩摩守殿」と宛てる。

  46. 追録6-No.2245 八朔祝儀の太刀一腰・馬代黄金十両献上を伝える

    鳥居丹波守忠意は、重豪が八朔の祝儀として使者を立て、太刀一腰と馬代の黄金十両を献じたことが披露されたと伝える。天明五年八月四日付で、末尾は「松平薩摩守殿」宛である。

  47. 追録6-No.2246 月見祝いの「青め籠御さかな」拝領を藤崎へ礼する

    重豪は藤崎の文を読み、月見の祝宴が賑やかに行われたことを喜ぶ。これに伴い、原文に「青め籠御さかな」と記す品を内々に拝領したことに謝意を述べ、藤崎に取り成しを頼む。末尾に「ふち崎さま御返事」と記し、朱書は天明五年のみである。

  48. 追録6-No.2247 前日の月見で拝領した品を藤崎へ礼する

    重豪は、昨日の月見で贈り物を拝領したことへの謝意を述べる。その礼を伝えるため藤崎に取り成しを頼み、末尾に「ふち崎さま」と記す。朱書は天明五年のみで月日はなく、本文も品目を明記しない。

  49. 追録6-No.2248 琉球の連年凶作に対する救米を幕府へ願う

    重豪は、領内の琉球国で凶年と大風雨が続き、作物が熟さず数万人が飢えかねないと訴える。中山王は蔵米だけでなく薩州へ送るはずの囲米まで配分したが行き届かず、国元からも米を送り続けるものの、凶作で蔵米に余裕がない。琉球は広く救済が難しいため、幕府の救米を願い、詳細は家来に説明させるとする。天明五年八月二十…

  50. 追録6-No.2249 琉球凶作の実情と救米・借米を詳述する

    渋谷貫富は、琉球国と島々で近年凶作が続き、前年の大風・霖雨で年貢米や諸収納が滞り、米船の破船・行方不明も生じ、数万人が飢えかねないと詳述する。中山王は蔵米と薩州への収納米・囲米を配り、薩摩も蔵米から二万石余を送ったが、国元も凶作で余力が乏しい。海上輸送と滞留、時節、在地の配分を考慮し、救米に加えて少…

  51. 追録6-No.2250 両殿の食事時刻に応じて出座時刻を前日に伺わせる

    御両殿様が出座する日の食事の時刻によって、出座が定刻の前後にずれることがある。このため、食事の予定に合わせた出座時刻を前日に伺うよう申し渡す。朱書は天明五年八月までで日付を欠き、末尾の署名は「安房」である。

  52. 追録6-No.2251 嫡子を他家の養子に遣わす願いを今後許さない

    嫡子を他家の養子に遣わすことは実家の系譜に関わるため、今後はその願いを許可しないと申し渡す。中支配へ伝え、諸郷へも漏れなく配布するよう命じる。朱書は天明五年八月までで、末尾に喜入久福・島津久起の通称「安房」「近江」が並ぶ。

  53. 追録6-No.2252 琉球飢饉を受けた米一万石・金一万両の拝借を記す

    天明五年八月二十九日、重豪の使者が老中水野出羽守忠友へ米一万石・金一万両の拝借を願い、琉球の飢饉を理由に認められた経緯を記す。本文には同年十一月十九日の「御側詰」に関する追記もあるが、拝借日や返済日と同一視しない。

  54. 追録6-No.2253 翌朔日五つ半時の登城を重豪に求める

    御用があるため、重豪が翌月朔日の五つ半時に登城するよう求める。天明五年八月二十九日付で、水野出羽守忠友・牧野越中守貞長・田沼主殿頭意次・松平周防守康福が連署し、松平薩摩守殿に宛てる。

  55. 追録6-No.2254 琉球飢饉に対し米一万石・金一万両の拝借を認める

    重豪の領分である琉球国の連年凶作と大風雨により飢餓の恐れがあるとして願い出た手当てについて、幕府が米一万石・金一万両の拝借を命じたことを伝える。末尾に「右九月朔日」、登城時に白書院の縁側で、老中の名代から書付を渡されたと記す。

  56. 追録6-No.2255 老病の平野に代わる小野嶋の使勤願と返答を報告する

    高齢で病気がちな平野は使勤に差し支えるため、小野嶋を代役に立てたいと願う。町田久輔の側用人首尾書は、御本丸御城使の願書と直文の提出、薩摩守を通じた問い合わせ、平野の申出への返答、種姫君様・御部屋様・御縁女様への礼の取次ぎを記す。朱書は天明五年九月五日。

  57. 追録6-No.2256 平野に小野嶋の御城使代役許可を伝える

    高齢の平野が御城使の勤めに差し支える場合、小野嶋を代わりに差し出す願いが許されたことを、別紙書付に従って伝える。五名は平野に承知を求め、御前の機嫌がよいことへの祝意も記す。

  58. 追録6-No.2257 平野に代わる小野嶋の使勤許可への礼を述べる

    平野が差し支える際に小野嶋を使いに立てたいという願いが許されたことに礼を述べる。大納言様・種姫君様・御部屋様にも伝え、機会を得て御前で取りなしてほしいと頼む。文末には天明五年とあり、月日は記さない。

  59. 追録6-No.2258 小野嶋の使勤許可について御縁女様への礼を頼む

    平野の使勤に差し支えるとき小野嶋を代役にする願いが許されたことへの礼を述べ、御縁女様へ礼の気持ちを伝えるよう頼む。御前への取次ぎも求める。別の取次ぎ先を掲げたNo.2257とは独立した書状である。

  60. 追録6-No.2259 病気療養のため冬までの滞府延長を願う

    重豪は病気のため秋まで滞府して養生していたが、河野仙寿院が長途の旅行は難しいと診たため、冬中まで滞府を延ばしたいと願う。快復すれば出発すると記す。九月七日の願書は御用番に提出され、同月十日に願いどおり滞府を許す付札の返答を受けた。

  61. 追録6-No.2260 琉球救済の拝借に対する献上物の要否を伺う

    琉球の連年凶作と飢饉に対し米一万石・金一万両の拝借を命じられたため、重豪は公方様・大納言様への礼の献上物が必要か伺う。以前の火災後の金借用時には献上不要だったが事情が異なると説明する。九月七日の伺書に対し翌八日、朱付札で献上には及ばないと返答された。

  62. 追録6-No.2261 重陽の祝儀として受けた小袖に謝意を伝える

    重陽の祝儀として小袖一重が届いたことを喜び、詳細は松平周防守から伝えると記す。天明五年九月七日付の徳川家治御内書で、宛先は薩摩中将殿。

  63. 追録6-No.2262 重陽の小袖献上を披露したことを重豪に伝える

    重豪が使者を通じて重陽の祝儀として小袖一重を献上したことを披露し、首尾よく受け取られたと伝える。天明五年九月七日付で鳥居丹波守忠意が松平薩摩守に宛てる。

  64. 追録6-No.2263 琉球救済への謝礼献上と琉球使者派遣を伺う

    琉球飢饉に対する米・金の拝借を受け、重豪は中山王から公方様・大納言様へ礼の献上物を出し、前例はなくても琉球の使者を直接当地へ派遣して謝意を述べたいと伺う。朱付札は琉球使者の当地派遣は不要で、諸使者を通じた献上物とするよう命じる。九月十三日に提出し、十八日に返答を受けた。

  65. 追録6-No.2264 月見の賑わいと拝領品への礼を藤崎に託す

    上方の月見の賑わいを喜び、右に付いて「青め籠御さかな」などを拝領したことへの礼を述べる。藤崎に、機会を得て御前に礼意を取りなしてほしいと頼む。

  66. 追録6-No.2265 前日の月見の拝領物への礼を藤崎に託す

    前日の月見に際して拝領物をいただいたことを喜び、その礼を述べる。藤崎に、機会を得て御前へ礼意を取りなしてほしいと頼む。文末は天明五年のみで月日は記されない。

  67. 追録6-No.2266 滞府中の秋季献上品について伺う

    重豪は在国時には秋に公方様・大納言様・御縁女様へ魚の干物などを一種ずつ献上してきたが、現在は願いにより滞府中であるため、同じ献上をどう扱うか伺う。九月十四日の伺書に対し、付札は三者へ干鱠残魚・干甘鯛のうちを献上してよいとし、翌十五日に返答が伝えられた。

  68. 追録6-No.2267 今朝の干魚一箱献上を披露したと伝える

    重豪が今朝、干鱠残魚一箱を献上したことを披露し、首尾を伝える。天明五年九月十八日付の松平周防守康福の書状で、松平薩摩守に宛てる。

  69. 追録6-No.2268 今朝の干魚一箱献上を披露したと伝える

    重豪が今朝、干鱠残魚一箱を献上したことを披露し、その首尾を伝える。天明五年九月十八日付の鳥居丹波守忠意の書状で、松平薩摩守に宛てる。

  70. 追録6-No.2269 琉球救済の借金一万両受領と十年賦返納を記す

    重豪は琉球国の飢饉手当として幕府から拝借を命じられた金一万両(皆二朱判)を受領したと記し、未年から辰年まで十年賦で返納すると約する。九月二十四日付で御金奉行四名に宛て、裏書には金の引渡しを命じる老中の印、書付の折り方・勘定方印についての注記もある。

  71. 追録6-No.2270 中山王から御縁女様への献上物の可否を伺う

    琉球の飢饉に伴う米・金拝借への礼として中山王が公方様・大納言様に継使者を通じ献上することになったため、重豪は御縁女様にも献上物を出せるか伺う。十月五日の伺書に対し、十七日に付札でその必要はないと伝えられた。

  72. 追録6-No.2271 将軍・大納言に献上する鷹二据の出所を記す

    公方様に献上する鷹一据の出所を薩州甑島郡鷹嶋、大納言様に献上する一据を同郡宇治島の内の鷹嶋と記す。出所書二通のうち一通を老中へ、もう一通を吹上御役所へ提出したと付記する。

  73. 追録6-No.2272 春の鷹の鶴拝領を祝う中城王子の贈物に礼を述べる

    重豪は中城王子の書状を読み、春に御鷹の鶴を拝領した祝儀として、太刀・馬代白銀五十両と目録記載の品を贈られたことに謝意を示す。天明五年十月十一日付で中城王子に宛てる。

  74. 追録6-No.2273 前年拝領の鷹による初献上を祝う贈物に礼を述べる

    中城王子から、前年に拝領した鷹が捕らえた鶴を初めて献上した祝儀として、太刀・馬代白銀五十両と目録記載の品を贈られた。重豪はその書状を読み、贈物への謝意を述べる。天明五年十月十一日付。

  75. 追録6-No.2274 中城王子の年始祝儀の書状と目録に礼を述べる

    重豪は中城王子から年始の祝儀として届いた書状と目録記載の品を受け、その心遣いを喜んで謝意を述べる。返書の日付は天明五年十月二十五日。

  76. 追録6-No.2275 又三郎の元服・実名改めを祝う贈物に礼を述べる

    前年、又三郎の元服の式が済み実名を改めたことに対し、中城王子から祝儀として太刀・馬代白銀五十両と目録記載の品が贈られた。重豪は書状を読み、贈物への謝意を述べる。十月二十五日付。

  77. 追録6-No.2276 嫡子出生を祝う中城王子の贈物に礼を述べる

    重豪は中城王子の書状を読み、嫡子出生への祝物として太刀・馬代黄金十両と目録記載の品を贈られたことに礼を述べ、その心遣いを喜ぶ。天明五年十月二十五日付。

  78. 追録6-No.2277 中城王子からの紕縮緬三巻に礼を述べる

    重豪は中城王子の書状を読み、相手方の平安を喜び、自身も無事と伝える。贈られた紕縮緬三巻への謝意を述べる。天明五年十月二十五日付の回章。

  79. 追録6-No.2278 琉球の飢饉救済と中山王使者の献上・上納手続を指示する

    琉球国と島々の飢饉に対し救米が給付され、重ねて米・金の拝借も認められたことを受け、中山王の継使者による献上物と礼状の取扱いを指示する。御用番への書翰、差出人や進覧物、献上品を整え、伊豆守への米金受取・返上の手続きを説明する。御米一万石・御金一万両に触れ、御金一万両を二朱銀二十箱として受け取る手配や、…

  80. 追録6-No.2279 中山王使者の献上物と進上物の差出しについて回答する

    当夏、礼親方使者による献上物についての伺書を承知したと述べ、現地までの送付と継使者による差出しを指示する。御老中宛書翰と進覧物、太守からの献上品を整え、進上品を御使番から差し出す先例に沿う。特別な祝儀の際の進上物の扱い、御用書・御手形などを調えることも述べる。末尾は二月十二日付で年の記載はない。

  81. 追録6-No.2280 重豪、山崎郷の弥左衛門と姉妹三人の孝養を賞する

    伊佐郡山崎郷白男川村の農夫弥左衛門は、幼時に父を失って母を養い、結婚せず孝養を尽くした。同郷山崎村の農夫五郎左衛門の妻は弥左衛門の姉で、舅姑を孝養した。久富木村の農夫七左衛門の妻は弥左衛門の妹で、七十余歳の姑を孝養した。天明五年冬、重豪がそれぞれに品を与えて賞した。

  82. 追録6-No.2281 中山王からの年始祝儀に礼を述べる

    重豪は、年始の祝儀として中山王から使者を通じて贈られた別録記載の品を受け、後日の喜びの折を期して謝意を述べる。原文には「正文在琉球國司」との注記があり、十月二十五日付で中山王に宛てる。

  83. 追録6-No.2282 又三郎元服・実名改めを祝う中山王の贈物に礼を述べる

    重豪は、中山王の書状を読み、前年に又三郎が元服の式を済ませて実名を改めたことを祝う太刀・馬代黄金十両と目録記載の品を受けたと記し、贈物への謝意を述べる。十月二十五日付。

  84. 追録6-No.2283 清国進貢使豊永親雲上の帰帆報告と贈物に礼を述べる

    重豪は、前年に大清国へ渡った進貢使豊永親雲上が北京での勤めを終えて当年三月に帰帆したとの報告を受け、書面で事情が伝わったことを承知する。豊永から別録記載の品を贈られ、その心遣いに謝意を述べる。十月二十五日付。

  85. 追録6-No.2284 嫡孫出生を祝う中山王の贈物に礼を述べる

    重豪は、中山王の書状を読み、前年の嫡孫出生を祝う太刀・馬代白銀百両と目録記載の品を受けたことに謝意を述べる。十月二十五日付。

  86. 追録6-No.2285 清国からの龍紋緞子・色緞子の進上に礼を述べる

    重豪は、中山王の書状を読み、大清から贈られた金入龍紋緞子一巻と色緞子一巻を贈られたことを喜び、謝意を述べる。十月二十五日付の回章。

  87. 追録6-No.2286 中山王からの紕縮緬五巻に礼を述べる

    重豪は中山王の書状を読み、相手方の平安を喜び自身も無事と伝える。贈られた紕縮緬五巻を喜び、謝意を述べる。天明五年十月二十五日付。

  88. 追録6-No.2287 文庫の正文を伊賀殿へ渡し、右向へ連絡する

    重豪公御譜中に収めた申渡し。文庫にある正文を伊賀殿へ渡し、書付の写しを作るよう命じる。右向から後に申し立てがあれば、その旨を伝達できると記す。日付は天明五年十一月まで。

  89. 追録6-No.2288 病気療養のため江戸滞在を続け、翌年の参府を延期したいと願う

    重豪は体調不良により冬も滞府して療養してきたが回復が十分でなく、遠国への旅行と翌年早期の参府は難しいとして、引き続き滞府療養を願い出る。十一月七日付の願書と、六日に御用番田沼主殿頭へ差し出し九日に主殿頭が留守居を呼び出して返したこと、御用人らへの通達を記す付札を含む。

  90. 追録6-No.2289 国許からの献上品が間に合わないため在国品の献上を伺う

    重豪は、在国時節に差し上げる干鯛・残魚について、国許からの品が到着しないため、在国にあった品を献上してよいか伺う。十一月八日付の伺書と、留守居矢野清右衛門の呼出し、別の留守居伊木喜兵衛による御取次大竹三左衛門への御用付札提出を記す。

  91. 追録6-No.2290 重豪、相州塔之沢で温泉療養する

    重豪は天明五年夏四月、帰国予定の時期に持病が治らず長旅を避けて引き続き江戸に滞在する許可を得た。冬にも回復しなかったため十一月十一日に相州塔之沢への湯治を願い、十三日に許可された。十九日に江戸を発ち、家老菱刈大炊実祐らが供をした。二十五日に塔之沢に着き三日間温泉に浴し、二十九日に出発、十二月四日に江…

  92. 追録6-No.2291 脚痛と持病のため相州塔之沢への三週間の湯治を願う

    重豪は脚痛と持病の痛みが重なり、引き続き滞府して養生しても回復しないため、河野仙寿の勧める相州塔之沢で三週間湯治する許可を願う。十一月十二日付の願書であり、付札には十日の提出、十一日の矢野清右衛門による御用番への取次、十三日の留守居呼出しと杉本平馬への書付返却を記す。

  93. 追録6-No.2292 小熬海鼠一箱の献上を承知したと重豪へ伝える

    田沼意次は、重豪から小熬海鼠一箱を献上した旨を承知し、そのことを伝える。天明五年十一月十三日付。正文は文庫にあるとの注記を伴う。

  94. 追録6-No.2293 小熬海鼠一箱の献上を承知したと重豪へ伝える

    鳥居忠意は、重豪から小熬海鼠一箱を献上した旨を承知し、そのことを伝える。天明五年十一月十三日付。正文は文庫にあるとの注記を伴う。

  95. 追録6-No.2294 塔之沢湯治を許された礼と女中方への挨拶を述べる

    重豪は相州塔之沢で湯治する許可を得たことを喜び、願いを取り次いだ相手への礼を述べる。御機嫌をうかがい、列記した女中方にもよろしく伝えるよう頼む。本文に「天明五年」の朱書はあるが月日は記されない。

  96. 追録6-No.2295 藤崎へ塔之沢湯治の許可と礼を伝える

    重豪は相州塔之沢で湯治する許可を得たことを藤崎へ伝え、取り計らいへの礼と御縁女様への挨拶を頼む。文末には「天明五年」とあるが月日はない。2294と趣旨は近いが宛先を示す独立の書状。

  97. 追録6-No.2296 藤崎へ御縁女様の初御鉄漿の祝儀を伝える

    重豪は、御縁女様が今日初めて御鉄漿をした祝いを喜び、自分からも祝儀を申し上げたいと藤崎に伝える。また三郎・けいからも目録のとおり差し上げた品について取り成しを頼み、御礼を述べる。原文の朱書は天明五年のみで月日はない。

  98. 追録6-No.2297 塔之沢湯治中の御機嫌伺いと使者・献上の扱いを伺う

    重豪は相州塔之沢での湯治中、現地へ着いた際や帰府後に御機嫌伺いの使者を出すこと、湯治中の御機嫌伺いと公方様・大納言様への献上の扱いについて伺う。留守居矢野清右衛門が御用番田沼主殿頭へ差し出し、翌十六日に呼び出されて書付を返されたことを付記する。

  99. 追録6-No.2298 琉球国王からの厄年守札と願文の進上を伝える

    宮之原通直は、琉球国王からの書を受けたと記し、太守の厄年に際して守札数巻と願文を進上するため江戸で披露するよう伝える。天明五年十一月十五日付で讃谷山王子・三司官に宛てる。

  100. 追録6-No.2299 中城王子からの厄年守札と願文の進上を伝える

    宮之原通直は、中城王子からの書を受けたと記し、太守の厄年に際して守札数巻と願文を進上するため江戸で披露するよう伝える。天明五年十一月十五日付で讃谷山王子・三司官に宛てる。