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追録6の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,127件中 2001~2100件・21 / 32ページ

  1. 追録6-No.1822 御縁女御目見の際に女中方へ贈る銀の枚数を伺う書状と指図

    御縁女への御目見を命じられた際、御本丸などに附属する女中方への贈物をどうするべきか伺う。九月二十九日付。付紙は、本丸・西丸の老女へ銀三枚宛、本丸表使へ銀二枚宛、御縁女附の中年寄へ銀一枚宛、御部屋附の老女へ銀二枚宛を贈ってよいと指図する。人数は記されないため総枚数は計算できない。原本の単位「枚」を保持…

  2. 追録6-No.1823 御縁女の安否と当日の祝儀取次ぎを大さき・高はしへ頼む書状

    御縁女が無事に過ごしていることを喜び、当日の祝儀を申し上げたいので適当な折に取り次いでほしいと、大さき・高はしへ頼む仮名交じりの書状。日付はない。後の朱書は、月並みの祝儀を申し上げるよう老女衆の指示があり、案文を相談して承認を受け、内証方の白濱助右衛門へ渡した経過を記す。宛先を西丸の老女衆と定め、そ…

  3. 追録6-No.1824 御縁女への御目見がかなったことを老女衆へ謝する重豪書状

    丁重な書状を受け取ったことに礼を述べ、願いどおり当日御縁女に御目見できたことをありがたく思うと、老女衆へ伝える。本文は仮名交じりで、高をか・たき川・いさ野・大さきへの返事として記す。朱書付記は、御目見当夜に詰合の老女衆から書状を受け、島津登を通じて返書の取扱いを聞き、吟味して付札の返書とともに提出し…

  4. 追録6-No.1825 茂姫の西丸移居と十月朔日の重豪拝謁・賀礼の記事

    茂姫が九月二十三日に一橋邸から城へ入り西丸へ移ったことを記し、十月朔日に重豪が登城して賀礼を行った経過を述べる。まず西丸で茂姫に会い、御譜記事は紗十巻(紅・白、品名の先頭字は判読留保)と二種一荷を献じ、酒菓を賜ったと記す。その後、本丸と西丸で謝礼・拝謁し、本丸の久世大和守廣明と西丸の鳥居丹波守忠意へ…

  5. 追録6-No.1826 御縁女御目見の伝達・献上・謝礼巡回と女使の取扱いを記す覚書

    十月朔日、定刻に登城した重豪へ、久世大和守が御縁女への御目見を直接伝え、白書院の縁に老女衆が列座していたと記す。献上品は縮緬十巻・二種一荷とし、留守居澁谷五郎右衛門が高井土佐守を通じて差し出した。御目見後は大広間の奏者番や老中方・月番留守居へ礼を述べ、公方・若君・種姫および御縁女・御部屋へは内証から…

  6. 追録6-No.1827 馬二疋の献納を披露した久世廣明の受領書状

    献じられた馬二疋を披露し、たいへん喜ばれたと薩摩守へ知らせる。十月六日付、廣明判。裏面に久世大和守廣明の名があるとの朱書注記を伴う。実際の馬の献納であり、馬代の金銀を記した書状ではない。本文には披露した相手の名と馬の毛色・年齢・性別は記載しない。

  7. 追録6-No.1828 馬一疋の献納を披露した鳥居忠意の受領書状

    献じられた馬一疋を披露し、たいへん喜ばれたと薩摩守へ知らせる。十月六日付、忠意判。裏面に鳥居丹波守忠意の名があるとの朱書注記を伴う。正文は文庫にあるとする見出しに続く収録で、披露した相手の名と馬の毛色・年齢・性別は本文にない。同日の久世廣明書状は馬二疋と記すため、本文の数量が異なる。

  8. 追録6-No.1829 島津與十郎に加冠を命じる仮名書出

    「加冠 宜為」と記して加冠を命じる短い書出。天明元丑十月十五日付、御判とある。末尾には「嶋津萬助」「與十郎」が二列に記され、見出しは「正文在島津與十郎」とする。二つの名の関係は本文だけで断定しない。

  9. 追録6-No.1830 仙次郎に加冠を命じる仮名書出

    「加冠 宜為」と記して仙次郎に加冠を命じる。天明元丑十月十五日付、御判とある。見出しは「全上」、所在注記は「正文在頴娃織部」で、前件1829と同じ形式の別文書として収録する。頴娃織部を本文の宛名と混同しない。

  10. 追録6-No.1831 畠山賀發之助・平太の名を記す加冠書出

    「加冠 宜為」と記す天明元丑十月十五日付の短い書出で、御判とある。末尾に「畠山賀發之助」「平太」を二列に掲げ、見出しは「正文在畠山數馬」とする。列記された名の同一性や改名関係は本文から補わない。

  11. 追録6-No.1832 末川金之丞・織衛の名を記す加冠書出

    「加冠 宜為」と記す天明元丑十月十五日付の書出。丸囲みの「御印」表示があり、末尾には「末川金之丞」「織衛」を二列に記す。見出しは「正文在末川主水」。この二つの末尾名と所在先の関係は、本文を超えて確定しない。

  12. 追録6-No.1833 諏訪仲太郎・仲五の名を記す加冠書出

    「加冠 宜為」と記す天明元丑十月十五日付の書出。丸囲みの印の表示があり、末尾には「諏訪仲太郎」「仲五」を二列に掲げる。見出しの「正文在諏訪仲右衛門」は原本所在を示す。仲太郎と仲五の関係は本文だけで断定しない。

  13. 追録6-No.1834 松平周防守が御内書の受渡しのため翌日家来を差し出すよう薩摩守へ求める書状

    御内書を相渡すので、翌日五半時に家来を城へ差し出すよう伝える。十月二十日付で松平周防守から松平薩摩守に宛てた短い伝達文書。見出しは「全上」「正文在文庫」とし、本文の日付と所在注記を区別する。

  14. 追録6-No.1835 御縁女への縮緬・紗綾各三巻の贈物に関する指図

    御縁女の本丸入りと西丸への引移りを受け、贈物として縮緬三巻と紗綾三巻を列記する。喜入主馬殿と赤松造酒を末尾に掲げ、品目・巻数と宛先を分けて記す。続く1836は贈物の差出し方と御礼について照会する別書状である。日付は目録の十月二十四日による。

  15. 追録6-No.1836 御縁女への贈物の差出し方と御礼を照会する書状

    御縁女の本丸入り・西丸引移りに際して、一般の贈物がどのように扱われるかを問い合わせる。使番を通じて品を同役へ差し越し、頂戴の相済み方を確かめたうえで、嘉兵衛殿への書状による御礼や、右付の者の参上などを相談する。本文中には有川勇馬・小倉喜藤太への拝領物、嘉兵衛殿御宅への御礼も記される。十月二十四日付。…

  16. 追録6-No.1837 重豪の二男昌高の出生・奥平家への養子入り・没年を記す略記事

    重豪の二男昌高は天明元年辛丑十一月四日に江府で生まれ、母については「母同茂姫」と記し、傍注に実母と家臣鈴木家の関係を掲げる。富之進・九八郎・大膳大夫・左衛門尉などの名・称を掲げ、奥平大膳大夫昌男の養子となったことを記録する。安政二年乙卯六月十日の卒去と法号を載せる。次の1838は出生から叙位・任官・…

  17. 追録6-No.1838 昌高の出生、奥平家相続、叙位任官、隠居をたどる記事

    重豪の二男昌高について、天明元年十一月四日に芝邸で出生したこと、母を市田氏とすることを記す。富之進と称し、奥平大膳大夫昌男の養子・後嗣として取り扱われた経緯を、天明六年三月二十八日の知らせ、八月二日の昌男病気と三日の卒去、九月二十日の後嗣命令などの日付を挙げて述べる。寛政三年に九八郎と改称し、同六年…

  18. 追録6-No.1839 目録に載る島津久金書状の見出し・正文所在注記

    目録は天明元年十一月二十二日付の島津久金書状とする。原本647頁下段の当該番号には「重豪公御譜中」と「扣正文在家老座」の見出し・所在注記があるが、書状の本文、署名、宛名は掲載されない。したがって用件を隣の1840から補うことはできない。1840は十二月十三日付の別の連署返書として扱う。

  19. 追録6-No.1840 琉球の献上物手当と御縁女への祝儀をめぐる返書

    御両公への祝儀献上物や御縁女への献上物について、琉球へ品目・数量の手当を命じる時期と方法を相談する。中山王からの祝儀使者と献上物の申入れを、御縁女の西丸への引移りに合わせてどう扱うかを記し、先月十八日の田沼主殿頭への伺いにも触れる。朱書の返答は「本文致承知、献上物御手当差留候」として当面の手当を止め…

  20. 追録6-No.1841 母への孝養を尽くした永田半左衛門に銀五枚を与えた記事

    府下士永田半左衛門は貧しい暮らしのなかで母を養い、蚊帳の代用、暑さ寒さへの備え、食事の用意に心を砕いた。母が病むと職務を辞して看病し、回復を祈った。十一月に有司がその孝行を報告し、銀五枚を与えて褒賞したと記す。褒賞の原単位は「銀五枚」であり、半左衛門の扶持高や母の氏名は本文にない。

  21. 追録6-No.1842 御縁女への寒中の献上物・羽子板と老女宛の書状を伺う文書

    寒中の御縁女への献上物と羽子板の献上を願い、御表へ伺うよう指示されたため、別紙を添えて品目と差上げ方の許可を求める。本丸・西丸の老女へ書状を差し上げるべきか、年中の献上物をさらに調べて伺うべきかも問う。本文は十二月十五日付。後続の記載には田沼主殿頭の取次や、松平周防守からの切紙で留守居渋谷五郎右衛門…

  22. 追録6-No.1843 御縁女への年中献上品・時節別の品目と数量を列挙する例書

    御縁女に差し上げる品を時節別に列挙する。紋縮緬十巻と干鯛一箱を掲げ、寒中の炙鮎、冬中・歳暮・十二月中・年頭の鯛、歳暮の羽子板一対などをそれぞれの欄に配する。鯛は複数の時節に繰り返して挙がるため、一件の総数としてまとめない。末尾に「本文例書に無之品も御書加得共、其節演説も無之被差出、其通にて相済候」の…

  23. 追録6-No.1844 炙鮎一箱の献上を披露した松平康福の返書

    今朝炙鮎一箱が献じられたので披露したところ、喜ばれたと伝える。天明元年十二月十八日付、松平周防守康福から松平薩摩守への返書で、「正文在文庫」の注記を伴う。本文は649頁上段左端の冒頭から同頁下段右端の日付・署名まで続く。同日に同じ炙鮎一箱を扱う1845とは別の返書として区分する。

  24. 追録6-No.1845 炙鮎一箱の献上を披露した鳥居忠意の返書

    今朝炙鮎一箱が献じられたことを披露し、喜ばれた旨を松平薩摩守へ知らせる。十二月十八日付、鳥居丹波守忠意判。「全上」とあり、末尾に朱書の「在口裏」注記がある。前件1844と同日・同品目だが、署名者が異なるため独立した受領返書として保持する。

  25. 追録6-No.1846 歳暮祝儀の小袖一重到来を伝える家治の御内書

    歳暮の祝儀として小袖一重が届いたことを喜び、久世大和守に申し述べさせるという御内書。天明元年十二月二十七日付で、家治公の黒印表示を伴う。本文に品目・数量を「小袖一重」と記す。印表示と本文を持つ独立文書であり、次の鳥居忠意返書1847の本文とは分ける。

  26. 追録6-No.1847 歳暮祝儀の小袖一重献上を披露した鳥居忠意の返書

    歳暮祝儀として使者が小袖一重を献じたことを披露し、その扱いを知らせる。「全上」として収録され、天明元年十二月二十七日付、鳥居丹波守忠意判。前件1846の家治御内書と同じ歳暮祝儀を扱うが、差出人・文書形式が異なる別の返書である。

  27. 追録6-No.1848 御縁女への年頭挨拶の取次を頼む大さき宛仮名書状

    新春の祝意を述べ、御縁女の機嫌がよいことを喜ぶ。年頭の御祝儀を御縁女へ申し上げたいので、しかるべき折に取り次ぐよう大さきへ頼む仮名書状。冒頭は「あら玉より春の御よろこび」と記し、末尾に「大さきさま」を掲げる。朱書の年次は天明二年で、本文に月日はない。前件1847の歳暮返書と切り離して本文全域を採る。

  28. 追録6-No.1849 御縁女への年頭祝儀取次を頼む高橋ら宛仮名書状

    新春を祝い、上様の機嫌と年始の御規式が滞りなく済むことを喜ぶ。御縁女へ年頭の祝儀を申し上げるため、目録のとおり献じ、適宜取り次いでほしいと高はし・花その・あすか井・瀧川・野むら・いさ野の各人へ依頼する仮名書状。原本の朱書年次は天明二年で、月日は記されない。1848の大さき宛書状とは宛先・本文が異なる…

  29. 追録6-No.1850 若菜の祝儀として鯛一折を献じた際の久世廣明返書

    若菜の祝儀として鯛一折が献じられたことを披露し、喜ばれたと伝える。天明二年正月七日付、久世大和守廣明判、松平薩摩守宛。「正文在文庫」の注記を伴う。1851は同日・同品目についての鳥居忠意の別返書である。

  30. 追録6-No.1851 若菜の祝儀として鯛一折を献じた際の鳥居忠意返書

    若菜の祝儀として鯛一折が献じられたことを披露し、喜ばれた旨を松平薩摩守へ伝える。天明二年正月七日付、鳥居丹波守忠意判。末尾には朱書の「在口裏」注記がある。同日の1850久世廣明返書とは差出人の異なる別文書として区分する。

  31. 追録6-No.1852 年始拝謁と御鷹の鶴拝領の御礼を西丸へ取り次ぐ仮名書状

    上様の機嫌を喜び、年始の祝儀に伴って平野が公方様・種姫君に拝謁し、上意と料理を受け、御鷹の鶴を拝領したことへの謝意を述べる。その御礼を御縁女へ申し上げ、西丸の大崎・高橋に取次を依頼する仮名書状。朱書年次は天明二年で、本文に月日はない。末尾の朱書は御縁女への御礼を別段に行う経緯を補う。

  32. 追録6-No.1853 神社仏閣修造・勧農・年貢徴納の三箇条を命じる吉書

    神社仏閣の修造興行、農事の奨励、諸国の年貢徴納を三箇条として挙げ、その旨を沙汰すべきことを命じる吉書。天明二年正月十一日付、重豪御判。包紙の記録には、主計殿から寅三月朔日に黒田嘉右衛門へ渡し、白木御文書五番箱に納めたとある。本文の命令と包紙の伝達・保存注記を分けて読む。

  33. 追録6-No.1854 江戸芝邸で重豪が御鷹の鶴を拝領し在府を続けた記事

    天明二年正月十八日、使番初鹿野傳右衛門が江戸の芝邸へ遣わされ、重豪に御鷹の鶴が賜られた。重豪は前年から江戸におり、朝覲の時期ではないが祝賀・謁見などのため芝邸に数か月滞在した。遠隔の藩への往復は容易でないとして、帰国を急がせずこの月も江戸にいたと記す。拝領の事実と滞在事情を伝える記事で、次の1855…

  34. 追録6-No.1855 御鷹の鶴拝領の御礼を御縁女へ取り次ぐ大崎・高橋宛書状

    公方様から上使を通じて御鷹の鶴を拝領したことをありがたく思い、その御礼を御縁女へ申し上げたいので、大さき・高はしに取り次ぎを頼む仮名書状。冒頭で上様の機嫌を喜び、末尾に両名を掲げる。朱書年次は天明二年で本文に月日はない。前件1854の拝領記事と同じ出来事に関わるが、御礼の取次を依頼する独立書状である…

  35. 追録6-No.1856 国老以下の拝礼・痘癒・世子料三万斛下賜の記事

    天明二年二月朔日、公が座間に臨み国老以下の拝礼を受けた。同年九月三日に痘が癒え、十二月六日に親翰によって世子料三万斛を賜ったと続ける。複数月にわたる三事項を一つの年中記事として採り、三万斛は世子料の額である。原本の見出しから人物を特定することは留保する。

  36. 追録6-No.1857 武具奉行職設置と東御殿竣工・移居・開慶宴の記事

    天明二年二月七日、御鑓奉行・御弓奉行・御鐵炮奉行・御小納戸頭取を置いた。同年、東御殿を造営し、十二月十八日に移居、二十七日に散楽を奏して開慶宴を行ったと記す。職制設置と御殿造営・移居・宴を時系列にまとめた記事であり、書状の差出人・宛先はない。記事中の「公」の人物特定は留保する。

  37. 追録6-No.1858 御縁女への御目見に伴う献上物の扱いを伺う重豪書付

    年始に御縁女への御目見を命じられた際、献上物をどのように扱うべきか差図を求める重豪の書付。天明二年二月十四日付、松平薩摩守名。御付札には巻物を差し上げる旨が示されるが、数量と読める箇所は判読を留保する。後記によれば留守居有川勇馬が田沼主殿頭に内見し、異存なしとの回答を受け、付札どおりに扱った。書付本…

  38. 追録6-No.1859 若君への慰めの品を取り次ぐよう依頼する書状

    若君の機嫌がよいことを喜び、覚書に記した品を若君の慰めとして内々に献じたいと伝える。品を取次相手の手元まで差し上げるので、適宜取り次いでほしいと頼む仮名書状。原本の朱書年次は天明二年で、本文に月日はない。次の1860は具体的な品目・数量と手続きを記す別の伺書として区分する。

  39. 追録6-No.1860 若君への植物・鳥類の献上品と差出方法を伺う書付

    若君への献上品として、毛植ゑのころ一箱、櫻一鉢、桃白紅二鉢、若大鷹一居、鴛鴦一番を挙げ、献上と取扱いを内々に伺う。大鷹は松前に由来し、鴛鴦は唐国産を琉人が持ち渡ったとの出所注記がある。天明二年二月十五日付、松平薩摩守名。後記では同日田沼主殿頭へ差し出し、翌十六日に口達を受け、十九日朝の目録差出と吹上…

  40. 追録6-No.1861 御縁女への二丸御目見の時刻・着服・礼勤めを伺う書付

    来る二十一日に二丸で御縁女へ御目見を命じられたので、何時に参上し、どの服装をし、御目見後の御礼をどのように勤めるか差図を求める。天明二年二月十八日付、松平薩摩守名。御付紙には熨斗目・半袴を着用して五半時に二丸へ参上し、済んだ後に月番老中宅へ御礼に出向く旨を示す。原本の印刷見出しは「861」と見え、前…

  41. 追録6-No.1862 歳暮御内書受渡しのため翌日の家来出頭を促す書状

    歳暮の御内書を渡すので、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう松平薩摩守へ通知する。久世大和守の書状で、原本の朱書には「天明三年」に「ママ」を添え、二月二十日と記す。周辺文書と年次が合わない可能性はあるが、原本の記載をそのまま採り、年の補正は行わない。

  42. 追録6-No.1863 重豪が二丸で茂姫に御目見し縞紗十巻を献じて歳首を賀した記事

    同年二月二十一日、重豪が二丸へ登って茂姫君に御目見し、縞紗十巻を献じて歳首を賀した。その後、老中久世大和守廣明の邸へ赴いて謝意を述べたと記す。本文の年は「同年」であり、目録の天明二年に照らして年次を補う。前件1861の御目見準備の伺書と対応する実施記事だが、別件として保持する。

  43. 追録6-No.1864 御縁女への年中献上品を、時節と在府・在国に応じて伺う書付

    御縁女への冬から年頭にかけての献上品は先に伺って定めたので、以後の年中献上品も調べ、添えた例書に従ってよいか差図を求める。天明二年二月二十二日付、松平薩摩守名。御付紙には初雪の温飩について指示があり、その他は伺書の通りとする。別紙には在国・在府、参勤・帰国や上巳・端午・七夕・八朔・重陽・初雪などの時…

  44. 追録6-No.1865 伊江朝慶が三司官就任後の奉公・忠勤・公平な裁きを誓う起請文前書

    前年に琉球の三司官に任じられた伊江朝慶が、国許への奉公と御両殿様への忠勤、国許から命じられた条書の遵守、邪儀を知った際の披露、国王への忠勤、国中の掟と諸事を親疎・贔屓なく裁くことを誓う起請文前書。神文は原本で省略される。天明二年二月二十二日付、伊江親方朝慶判。朱書の後記には、琉球三司官伊江親方の誓詞…

  45. 追録6-No.1866 多人数が集まる相撲を禁じ、口論や騒動を防ぐよう申し渡す書付

    多人数が集まって相撲を取ることは以前から禁じていたが、近ごろ諸所で集まって相撲を企てると聞く。人が多数集まれば口論のもとにもなるため、今後はこのようなことがないよう厳しく申し渡し、従わない者があれば役々が注意して届け出るよう命じる。天明二年二月付、喜入主馬・二階堂主計の連署。本文は原本657頁下段左…

  46. 追録6-No.1867 重豪が家斉の元服・叙任を祝い太刀一腰と馬代金十両を献じた記事

    同年四月三日に儲后家斉が元服して従二位権大納言に任じられ、五日に営中で勅使をもてなす散楽が催された。重豪は病気で五日には登城できず、十五日に諸侯の賀礼を受ける機会に登城し、太刀一腰と馬代金十両を献じた。大広間で将軍家治と儲后家斉に面会し、元服・任官を祝う。原本は「同年」と記すため、天明二年の年次は目…

  47. 追録6-No.1868 家斉の元服・任官を祝う御能への登城と翌日の礼回りを知らせる連署状

    元服・官位を祝うため、明後五日に勅使・院使・女院使・新女院使・大宮使をもてなす御能が催されるので、五時に登城して見物するよう松平薩摩守へ知らせる。さらに、御能見物の翌日には各宅へ礼に出向くよう追記する。天明二年四月三日付で久世大和守・田沼主殿頭・松平周防守が連署。原本では本文と署名が658頁下段右側…

  48. 追録6-No.1869 祝いの御折一合の献上を受け取った旨を伝える礼状

    今朝、御折一合が献じられたことにつき、その旨を承知したと松平薩摩守へ伝える短い書状。天明二年四月五日付、田沼主殿頭意次の名で記す。御折の内容やこれに先立つ祝儀の詳細は本文に記されない。

  49. 追録6-No.1870 香具一箱と丸熨斗一箱の献上を受け取った旨を伝える礼状

    今朝献じられた香具一箱と丸熨斗一箱について、受け取った旨を松平薩摩守へ伝える。天明二年四月九日付、田沼主殿頭意次の書状。原本658頁下段左端には「全上」と番号があり、本文・署名は次の659頁上段右側に続く。同日同品目を記す1871は鳥居忠意名の別書状として保持する。

  50. 追録6-No.1871 香具一箱と丸熨斗一箱の献上を受け取った旨を伝える礼状

    今朝献じられた香具一箱と丸熨斗一箱について、受け取った旨を松平薩摩守へ伝える。天明二年四月九日付、鳥居丹波守忠意の書状。本文の品目・数量は前件1870に近いが、差出人が異なり原本番号も独立するため別の書状として扱う。同日同品目を二通に記すことを直ちに二回の献上実績とは数えない。

  51. 追録6-No.1872 大納言の元服祝儀における礼席の位置と太刀の礼式を伺う書付

    大納言の元服に伴う祝儀の礼席について伺う。重豪は、大広間の中段に出る際、伊達陸奥守と同席で少将の儀に準じた例や、年始の礼席での太刀・席次の先例を挙げる。一方、今度の祝儀では三畳目に太刀の礼を申し上げるよう言われたため、かつての二畳目での礼や官位・席順との関係を含め、どの席次を取るべきか差図を求める。…

  52. 追録6-No.1873 大納言と御縁女に献ずる慰めの品の取次を頼む書状

    大納言と御縁女の機嫌がよいことを喜び、覚書にある品を内々の慰めとして両人に献じたいと伝える。品を相手方の手元まで差し上げるので適宜取り次いでほしいと頼む仮名書状。原本の朱書年次は天明二年で、本文に月日はない。続く1874は大納言・御縁女それぞれに向けた具体的な品目と四月九日の献上注記を持つ別の覚書で…

  53. 追録6-No.1874 大納言へ白象一・金魚一桶、御縁女へ金魚一桶を献じる品書

    大納言へ白象一と金魚一桶、御縁女へ金魚一桶を献じる旨を、相手ごとに分けて記した品書。末尾には、この覚書を右筆書の文箱に入れ、四月九日に御内々から献上したとの朱書注記がある。前件1873の書状が言及する「覚書にある品」に対応する。白象の品目頭の「一」は箇条書き符号で、これとは別に数量欄にも「一」がある…

  54. 追録6-No.1875 御縁女への香具品々と丸熨斗の献上取次を頼む書状

    御縁女の機嫌がよいことを喜び、香具の品々と丸熨斗を御縁女へ内々に献じたいので、取次相手の手元へ届ける品を適宜取り次いでほしいと頼む仮名書状。原本は天明二年の朱書年次を付すが、本文に月日はない。1876は大納言への初めての御目見と種姫君・御部屋様への礼を述べる別書状であり、本書の御縁女への品の取次と分…

  55. 追録6-No.1876 大納言への初御目見と種姫君らへの礼を取次相手に伝える書状

    昨日登城した際に大納言への初めての御目見を許されたことを喜び、あわせて種姫君と御部屋様への礼も申し上げた旨を取次相手へ伝える。今後も懇意に取り成してほしいと頼む仮名書状。原本右側の注記には、先例に照らして御覧に入れ、この形でよいとされたことや、この節から初めて献上したことを記す。本文は天明二年の朱書…

  56. 追録6-No.1877 大納言への初御目見の礼と御縁女への礼を取次相手に伝える書状

    大納言・御縁女の機嫌がよいことを喜び、昨日登城した際に大納言への初めての御目見を許されたことを感謝する。御縁女へも礼を述べたので、しかるべき折に取り次いでほしいと頼む仮名書状。次頁に大納言方・御縁女方それぞれ宛の控を記し、御縁女への礼を適宜伝えるよう求める。朱書は天明二年で、本文に月日はない。続く巻…

  57. 追録6-No.1878 端午祝儀の帷子・単物を受け取った旨を薩摩中将に伝える返書

    端午の祝儀として帷子・単物が届いたことを喜び、詳しいことは松平右京大夫が述べると薩摩中将へ伝える。天明二年五月二日付、家治公の墨印を伴う返書。原本の差出人は家治、宛先は薩摩中将であり、既存整理の「重豪書状」という標題による役割の逆転を改める。品目に数量は明記されない。

  58. 追録6-No.1879 端午祝儀の帷子・単物献上が取り次がれた旨を伝える書状

    端午の祝儀として使者から帷子・単物が献じられたので、その旨を披露したと松平薩摩守へ伝える。天明二年五月二日付、鳥居丹波守忠意の書状。同日の1878は徳川家治から薩摩中将への返書であり、本書は献上を取り次いだ側の別文書として区分する。

  59. 追録6-No.1880 御縁女への端午の品の献上取次と差出先を伝える書状

    御縁女の機嫌がよいことを喜び、端午に当たり目録の通りの品を内々に献じたいので、取次相手の手元へ届ける品を御縁女に取り次いでほしいと頼む仮名書状。後記には、端午の献上物と目録の差出先について大奥から指示を受け、御文と目録を御本丸へ、鯛一折を西丸へ差し上げて済ませたことを記す。本文に月日はなく、後記は五…

  60. 追録6-No.1881 御縁女への暑気前の機嫌伺いと色絹縮十反の献上取次を願う書状

    上様の無事を喜び、暑気に向かうに当たって御縁女の機嫌を伺いたいので、目録の通りの品を献上し、しかるべき折に取り次いでほしいと頼む仮名書状。末尾の記録は、暑気前の機嫌伺いとして御縁女へ色絹縮十反を献上したこと、この節の初面の儀につき案文を御覧に入れ、吟味を経て大嶋休左衛門の取次で了承を得て、清書を御内…

  61. 追録6-No.1882 御本丸・西丸への登城時の先立と御付上りの取扱いを報告する首尾書

    重豪の登城時に下乗所や御門が混み合うため、百人組同心・御徒目付・御小人目付と相談し、御本丸と西丸で御先立および御付上りをどのように勤めるか調整した経過を報告する。新たな特例を目立たせず、従来の仕来りに沿う形で担当者を定め、御本丸・西丸それぞれの御徒目付二人と御小人目付四人、計十二人の名を列挙する。西…

  62. 追録6-No.1883 西丸の御付上りと御目付への取次を追って報告する書状

    西丸への御付上りを御本丸と同様に扱うよう命じられたため、御徒目付小尾清兵衛と相談する。西丸には当分手寄の御目付がいないため、筆頭御目付の新庄与惣右衛門へ頼むよう求められ、市田勘解由を通じた指示を受けて取次と御供の支障がないよう手配した経過を報告する。追記では翌日までの手配と当番御側役への別途申出を述…

  63. 追録6-No.1884 重豪の二男忠厚の出生・養子・没年と久徳の記事

    重豪の二男忠厚について、初名久邦、天明二年五月十九日に鹿児島で出生し、母は島津式部少輔久般の娘であること、一門島津因幡忠温の後嗣となり、弘化四年三月十六日に没したことを記す。同じ番号の後段に久徳の記事が続き、寛政十年四月十四日の出生、島津兵庫久照の養子となったこと、嘉永三年正月十日の死去と法号を記す…

  64. 追録6-No.1885 忠厚の幼年期の経歴と忠温家への養子入りを記す系譜記事

    忠厚の初名久邦、雄五郎・因幡・安藝・市正などの称を掲げ、天明二年五月十九日に薩府で生まれたことを記す。寛政五年正月六日の前髪剃り、寛政七年の抱守・御小姓としての取扱い、寛政八年の橋本阿波守・村松四郎兵衛・柳生但馬守の門への入門を年次ごとに列記し、寛政十一年九月六日に島津因幡忠温の後嗣となったことを記…

  65. 追録6-No.1886 琉球産品四種の献上に応じる松平康福の書状

    島津重豪から今朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上されたことを記し、披露したところ「一段之御仕合」と述べる。六月二十一日付、松平周防守康福の判を伴う松平薩摩守宛書状。原本668頁下段から669頁上段へ続く本文・日付・署名・宛所を一件として読む。

  66. 追録6-No.1887 琉球産品四種の献上に応じる鳥居忠意の書状

    島津重豪から今朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上されたことを記し、披露したところ「一段之御仕合」と述べる。六月二十一日付、鳥居丹波守忠意の判を伴う松平薩摩守宛書状。1886と献上品・文面が近いが、差出人が異なる独立書状として扱う。

  67. 追録6-No.1888 御縁女様の機嫌伺いと目録に記した進上品の取次を依頼する書状

    上さ様の無事を喜び、七月中につき御縁女様の機嫌を伺いたいとして、目録の通り進上すると述べる。折を見て取り次ぐよう依頼し、末尾では「高をかさま」「花そのさま」など複数の女性にも伝えるよう頼む。朱書の天明二年を伴うが月日・宛名・署名はなく、差出人は目録標題に従う。「七月中」は本文の用件であって書状の日付…

  68. 追録6-No.1889 端午の御内書受渡しと翌日の登城時刻を指示する書状

    端午の御内書を渡すため、翌日の五半時に御城へ来て差し出すよう指示する。六月二十四日付、田沼主殿頭から松平薩摩守への書状。本文は原本669頁下段左端、日付・署名・宛所は670頁上段右端に続く。御城の具体的な城名は本文からは特定できない。

  69. 追録6-No.1890 生見玉の祝儀として献上された黄金十両への返書

    島津重豪から生見玉の祝儀として黄金十両を献上されたことを記し、披露したところ「一段之御仕合」と述べる。七月六日付、田沼主殿頭意次の松平薩摩守宛返書。続く1891は同じ祝儀を扱うが、鳥居忠意を差出人とする別書状である。

  70. 追録6-No.1891 生見玉の祝儀として献上された黄金十両への返書

    島津重豪から生見玉の祝儀として黄金十両を献上されたことを記し、披露したところ「一段之御仕合」と述べる。七月六日付、鳥居丹波守忠意の松平薩摩守宛返書。1890と同じ祝儀・近い文面であるが、差出人が異なる独立書状として扱う。

  71. 追録6-No.1892 御縁女様への七夕の祝儀進上と取次依頼の書状

    上さ様の機嫌を喜び、御縁女様への七夕の祝儀として目録の通り進上すると述べ、折を見ての取次を頼む。高をかさま・花そのさまらにも伝えるよう依頼し、末尾に「一種五百疋御献上也」と記す。朱書の年記は天明二年で、七夕をこの書状の作成日とは定めない。差出人は目録標題による。

  72. 追録6-No.1893 御縁女様への生見玉祝儀進上と御内證方の取次を記す書状

    上さ様の機嫌を喜び、御縁女様への生見玉の祝儀として目録の通り進上し、取次を頼む。本文に「一種千疋御献上」とあり、朱注は七月六日の御定日と十一日の献上、御内證方への文書受渡しを記す。別の朱注では、いさ野さまが忌中のため名前を除く。朱書の年記は天明二年だが、注記中の両日をこの書状の作成日とは定めない。

  73. 追録6-No.1894 重豪に代わり忠持が御鷹の雲雀を拝領した記事

    七月二十二日、「大家」の使者である使番福島左兵衛正紹が芝の邸を訪れ、御鷹の雲雀を賜った。重豪は軽い病のため、島津又之進忠持が代理で拝受した。さらに老中の各邸で謝意を述べたと記す。使者から重豪本人が直接受け取ったとはしない。

  74. 追録6-No.1895 御縁女様への八朔の祝儀進上と取次依頼の書状

    上さ様の機嫌を喜び、御縁女様への八朔の祝儀として目録の通り進上し、折を見ての取次を頼む。高をかさま・花そのさま・飛鳥井さまらへの伝言を添え、末尾に「一種千疋御献上也」と記す。朱書の年記は天明二年で、八朔をこの書状の作成日とは定めない。

  75. 追録6-No.1896 種子島の傳平の孝養と小林郷の善四郎の義行を顕彰する記事

    前半は種子島市人傳平が幼くして父を失い、母を養い続けた孝行を記す。母のための工夫や長寿までの奉養が評判となり、事績が府下に伝わって品を与えられた。後半は諸縣郡小林郷東方村の農夫善四郎が、困窮者を救い、私財で村の祠廟・道路・橋梁を修めた義行を記し、品を授けて顕彰した。同じ1896内の二人の事績を区別す…

  76. 追録6-No.1897 八朔の祝儀で献上された太刀一腰・馬代黄金十両への返書

    島津重豪から八朔の祝儀として、使者を通じ太刀一腰と馬代黄金十両を献上されたことを受け、披露したところ「一段之御仕合」と述べる。八月四日付、久世大和守広明の松平薩摩守宛返書。1898は同じ祝儀に対する鳥居忠意の別書状である。

  77. 追録6-No.1898 八朔の祝儀で献上された太刀一腰・馬代黄金十両への返書

    島津重豪から八朔の祝儀として、使者を通じ太刀一腰と馬代黄金十両を献上されたことを受け、披露したところ「一段之御仕合」と述べる。八月四日付、鳥居丹波守忠意の松平薩摩守宛返書。1897と献上品・文面は近いが、差出人が異なる独立書状として扱う。

  78. 追録6-No.1899 琉球王尚穆が家斉の立儲を祝い浦添王子を派遣し、薩府・江戸での献上と返礼を経て帰着するまでを記す

    前年閏五月に徳川家治が徳川治済の子豊千代を儲君としたことを受け、琉球王尚穆は宝暦壬午の先例に従って浦添王子を賀慶使とした。王子は当年六月二十六日に薩府へ来て重豪に方物を贈る。重豪は町田新左衛門実員を継使とし、牧野喜平次惟興・塩津彦八らを添えて、尚穆の書と献上品を江戸へ運ばせた。一行は八月十三日薩府を…

  79. 追録6-No.1900 御縁女様への月見の進上品を女房衆に取り次ぐよう依頼する

    上様の機嫌を喜び、御縁女様へ月見に際して目録のとおり品を進上するので、機会を見て取り次いでほしいと女房衆に頼む書状写。末尾に高をかさま・花そのさま・あすか井さま・たき川さま・野むらさま・いさ野さまを列記し、「御檜重一組御献上」と付す。原本は右筆所にあるとの注記と天明二年の朱注があり、月日は書かれない…

  80. 追録6-No.1901 御縁女様への重陽の進上品を女房衆に取り次ぐよう依頼する

    上様の機嫌を喜び、御縁女様へ重陽に際して目録のとおり品を進上するので、機会を見て取り次いでほしいと女房衆に頼む書状写。末尾に高をかさま・花そのさま・あすか井さま・たき川さま・野むらさま・いさ野さまを列記し、「鯛一折御献上」と付す。原本は右筆所にあるとの注記と天明二年の朱注があり、月日は書かれない。1…

  81. 追録6-No.1902 重陽の祝儀に献上された小袖一重への返礼

    徳川家治は、島津重豪から重陽の祝儀として小袖一重が届いたことを喜び、詳しいことは久世大和守から伝えると記す。九月七日付の薩摩中将宛御内書で、家治の黒印を伴う。1903は同じ祝儀に対する鳥居忠意の独立した返書。

  82. 追録6-No.1903 重陽の祝儀に献上された小袖一重への返書

    島津重豪が重陽の祝儀として使者を通じ小袖一重を献上したことを受け、披露したところ「一段之御仕合」と述べる。九月七日付、鳥居丹波守忠意判の松平薩摩守宛書状。1902は同じ祝儀についての徳川家治御内書であり、差出人が異なる。

  83. 追録6-No.1904 琉球からの献上緞子が渡海中に損傷したため後日献上とする扱いを伺う

    御養君への祝儀として琉球中山王からの献上が認められ、書翰と献上品が薩州へ届いた。重豪は次使に江戸へ差し出させる予定だが、緞子が琉球からの渡海中に船内で損傷し、直ちに献上できないと報告を受けた。そこで目録と無事な品を先に献上し、緞子は改めて差し出すよう琉球側に伝えてよいか伺う。九月二十八日付で、付札に…

  84. 追録6-No.1905 重陽の御内書を渡すため翌日五半時に家来を登城させるよう通知する

    久世大和守は、重陽の御内書を渡すので、翌日の五半時に家来を登城させるよう松平薩摩守へ伝える。十月二十日付の書状。1902の重陽御内書と関係するが、ここでは御内書そのものではなく受渡しの日時を通知する。

  85. 追録6-No.1906 桜島蜜柑が災害で採れず、十二月の献上を炙鮎一種にすることを認められる

    例年十二月に炙鮎と桜島蜜柑を大家へ献じてきたが、安永己亥の桜島災害で柑木二万一千五百株が砂石・灰燼に傷み、その後も炎が収まらず柑実の献上が難しくなった。今冬十月二十一日に状を出して以後は炙鮎だけを献上したいと請い、付札は柑木が旧に復するまで炙鮎一種の献上を認めた。十月二十一日は記事中の請願日で、記事…

  86. 追録6-No.1907 桜島蜜柑の不作により十二月の献上を炙鮎一種とすることを伺う

    例年十二月に桜島蜜柑と炙鮎を献上してきたが、桜島の火災で柑木が損傷し、煙も続いて蜜柑の産出が少なく、先例どおりの献上が難しいと重豪が述べる。国産の代替品も見当たらないため、当面は炙鮎一種のみの献上を伺う。十月二十一日付。付札は蜜柑が再び出来るまで炙鮎一種の献上を認める。続く附記は、十月十八日に有川勇…

  87. 追録6-No.1908 中山王が茂姫の西丸移従を祝い、義村王子を派遣して重豪らに贈り物を届ける

    前年九月、茂姫は一橋邸から本丸に入り、西丸へ移って縁女と称された。琉球中山王尚穆はこれを聞き、当年六月二十六日に義村王子を薩府へ遣わして祝賀の礼を行い、島津重豪と虎寿丸にそれぞれ太刀・馬代ほかの方物を贈った。記事末尾はこの賀儀への報書を以下に載せると記す。前年九月と当年六月二十六日は記事中の出来事の…

  88. 追録6-No.1909 中山王の年始嘉儀の書簡・贈り物への返答

    島津重豪が、琉球中山王から年始の嘉儀として使者に託された書簡と別録に記された贈り物を受け取ったことを喜び、後の便りを期すと答える。十一月十五日付、中山王宛の書状。正文は琉球国司にあるとの注記を伴う。同日付の1910は茂姫の西丸移従賀儀への別の返書である。

  89. 追録6-No.1910 茂姫の西丸移従祝賀と贈答への返答

    島津重豪が、茂姫(御縁女様)の西丸への移従を祝うため、中山王が義村王子を遣わし、太刀・馬代黄金十両と目録どおりの品を贈ったことに謝意を述べる。十一月十五日付、中山王宛の返書。1908の記事に記された賀儀に対応し、同日付の1909は年始嘉儀への別書状である。

  90. 追録6-No.1911 八重山島の災殃に関する謝礼と贈答への返答

    島津重豪が、八重山島の災殃に関する首尾の延引と前年の宥免への謝礼として、中山王が宮平親方を遣わし、別録に記した品を贈ったことを受け、謝意を述べる。十一月十五日付、中山王宛。宥免の具体的な対象は本文からは確定しない。

  91. 追録6-No.1912 中山王の安否の便りと縮緬五巻への返答

    島津重豪が中山王の書状を披見し、安否を慶び、自身も無恙であると伝える。さらに贈られた縮緬五巻に謝意を示す。十一月十五日付、中山王宛の回章。1911は八重山島の災殃に関する別の返書である。

  92. 追録6-No.1913 重豪、福昌寺住持の目見・独礼・乗輿の格を請い、認められる

    同年冬十一月、島津重豪は国許の玉龍山福昌寺が能州総持寺の系統に属し、浄岸院殿の神霊を安んじ冥福を修する寺であると述べる。住持が交替する際、寺主が江戸へ出て大家に拝謁し、独礼と乗輿の格式を得られるよう請うた。付された回答は請願のとおり認める。十一月は記事中の願状提出時期で、記事全体の作成日は記されてい…

  93. 追録6-No.1914 福昌寺住持の御目見・独礼・乗輿の格式を願う

    島津重豪は、浄岸院の尊骸を納めた国許の福昌寺住持が御牌前の勤めを担うため、住職就任時に御目見の礼を申し上げられるよう願う。あわせて一住一度の独礼と乗輿の格式を請い、福昌寺は古来の勅願所で九州・中国の古本寺であると述べる。十一月二十日付。朱書の御付紙は願いのとおり認める。1913はこの請願を伝える別記…

  94. 追録6-No.1915 玉龍山福昌寺来由書

    玉龍山福昌寺の由緒を、能州諸嶽山総持寺の末寺で峨山五哲に連なる通幻派石屋派の寺として記す。開基について応永元年の島津陸奥守元久と石屋和尚を挙げ、島津家の菩提所としての位置づけを述べる。歴代住持に与えられた勅号、寺領千三百五十石に仏餉料などを合わせて万石余とする記載、諸寺を管する寺格や能州総持寺の輪番…

  95. 追録6-No.1916 御縁女の機嫌伺いと「うんとん五くミ」の進上

    島津重豪が女房衆に宛て、寒中の安否を尋ねる。今朝雪を見たため御縁女様の機嫌を伺いたいと述べ、目録どおりの品を進上し、よい機会に取り次ぐよう頼む。添記には「うんとん五くミ」を献上するとあり、正文は右筆所にあるとの注記を伴う。朱記は天明二年のみで月日は記されていない。1917は似た用件ながら献上品が異な…

  96. 追録6-No.1917 御縁女の機嫌伺いと紋縮緬十端・干鯛一箱の進上

    島津重豪が女房衆に宛て、寒中の安否を尋ね、御縁女様の機嫌を伺いたいと伝える。目録どおりの品を進上し、よい機会に取り次ぐよう頼む。添記の献上品は紋縮緬十端と干鯛一箱。正文は右筆所にあるとの注記を伴う。朱記は天明二年のみで月日はなく、1916とは別の書状である。

  97. 追録6-No.1918 重豪、嗣嫡虎寿丸へ部屋料三万石を与える

    同年冬十二月六日、島津重豪は田三万石を嗣嫡虎寿丸の部屋料・資用に割り当て、家老島津左中久金を介して判物を与えた。虎寿丸は自ら重豪のもとへ来て謝礼を述べた。十二月六日は記事中の分与日で、記事全体の作成日は記されていない。1919は虎寿丸側の譜に記された別記事、1920は独立した判物本文。

  98. 追録6-No.1919 虎寿丸、部屋料三万石と判物を受ける

    天明二年十二月六日、父島津重豪が虎寿丸の部屋料として田三万石を分け、判物を与えた。家老島津大進久起と二階堂主計に会計の監督を命じ、島津左中久金が判物を虎寿丸の部屋に届けた。虎寿丸は重豪に拝謁して謝意を表し、部屋へ戻って祝った。記事末尾はその次第を以下に載せると記す。十二月六日は出来事の日で記事全体の…

  99. 追録6-No.1920 虎寿丸の部屋料三万石について担当役へ命じる

    島津重豪が松平虎寿丸に対し、この節に高三万石を部屋料として分与するので、所帯方が滞りなく続くよう諸事に注意し、担当の役々へ厳しく申し付けるよう命じる判物。天明二年十二月六日付、薩摩守の御書判を伴う。白木御文書五番箱に所在するとの注記がある。1918・1919はこの分与の経緯を伝える記事。

  100. 追録6-No.1921 虎寿丸の部屋料三万石の支配を家督方と分けて命じる

    島津重豪が島津大進と二階堂主計に、虎寿丸の部屋料として五万石方の内から高三万石を差し分けたことを受け、その支配に意を用い、家督方と混同しないよう命じる直書。虎寿丸は幼年なので掛役が万端に細心の注意を払い、遅滞なくこの旨を守って下知するよう求める。本文末尾は「十二月」のみで、年と日は記されていない。白…