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追録6の目録
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追録6-No.1080 松平康福書状―惇信院十三回忌と六月十二日御霊前参詣の上聞
書札を披見し、公方がますます機嫌よくあると知らせる。このたび増上寺で惇信院様の十三回忌法事が執行済みであることと、六月十二日に御霊前へ参詣した旨を承知したと述べる。その心意を喜び、紙面の趣を各々申し談じて上聞したと伝える。末尾は八月十五日、松平周防守康福判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。法事と参詣の実…
追録6-No.1081 中城王子尚哲の薩府来聘と対面・献物・饗応
是歳、中山王尚穆の世子で十五歳の中城王子尚哲が薩府へ来聘したと記す。王名の字には「穆カ」の注がある。八月十九日に府城へ赴き、世子は琉服で轎に乗り、摂政読谷山王子朝恒は兼務使者として唐冠服で轎に乗る。三司官宮平親方以下の従者は琉冠服で歩行し、路次で楽を奏する。尚哲は楼門際で下轎し、朝恒は橋涯で下轎、虎…
追録6-No.1082 造士館・演武館創建―施設・教学・初釈菜・寄付者と後の学舎増設
安永二年癸巳、有司に造士館・演武館の創建を命じ、城下南方の荒れた土地を整え、二月に着工して八月に落成したと記す。文宣王・顔・曽・思・孟を廟に祀り、南門の外門を仰高門と称し、中華の爵位を持つ者の扁額を掲げる。講堂の門右に学規数十条を掲げ、学徒が日々来て講書する。本府副史知学事山本傳蔵正誼を教授とし、座…
追録6-No.1083 造士館・演武館折込絵図―聖堂・講堂・武芸稽古所と犬追物場の配置
「造士館・演武館絵図折込み」とする題記に続く施設配置図。垣で区切った敷地の中に、聖堂と門・杏壇、講堂や御座の間などの諸室、文庫二棟、供所などを描く。文教施設に隣接して剣術稽古所二棟、鎗術稽古所、射手屋と射場、犬追物稽古場、周囲の馬乗場、馬見所・御膳所・目附詰所などを配する。中門・小門、石橋を伴う門、…
追録6-No.1084 造士館学規―程朱を主とする教材・礼義・問難と修学上の定
講書には四書・五経・小学・近思録などを用い、注解は程朱の説を主とし、みだりに異説を交えて論じないことを定める。読書は経伝から歴史・百家の書に及ぶが、不正の書は読まないとする。礼義を正しくして学業に励み、みだりに戯言・戯動をしないこと、疑問は互いに問難して相手の言葉をよく聞き、自分の意を捨てて従うこと…
追録6-No.1085 山本正誼「本府学宮講堂記」―創建・教学運営・程朱学と読書論
「本府学宮講堂記」。安永二年癸巳、本府に文宣王廟を創建したのは公命によるもので、二月に始め八月に落成し、正殿から斎庖の廬まで備わったと述べる。講堂は仰高門の内にあり、学官十余人を命じて学政を見させて諸生を率い、八歳以上の子弟を選び、灑掃・応対と容儀礼節などを教えたとする。学ぶ諸生が日々来て四書六経を…
追録6-No.1086 聖堂の平日参詣者定―刀・履物・拝礼位置・拍子木と案内
「聖堂に平日諸人参詣之次第」の写し。参詣者は誰でも入徳門小門の外に刀を持ち置き、小門入口で履物を脱いで参詣できる。一門は小門入口に刀を持ち置けると付記する。一門以下の諸士は堂内の拝席で拝礼し、外城衆も同様とする。士以外は杏壇門外に脇差を召し置き、堂外の唐戸涯で拝礼でき、大小を帯びる者の刀は門番所へ置…
追録6-No.1087 釈菜親祭次第―家督内一度の参詣・拝礼・献盃・寄付展示
「釈菜御親祭之次第」の写し。家督内に一度ずつ親祭し、四本御道具で参詣し、拝礼の服装は直垂と定める。仰高門涯で下乗し、直接座の間へ入る。熨斗、茶、多葉粉盆、菓子、煎茶を順に上げ、聖堂東の唐戸涯で半刻座して堂内の規式を見、刀持などは外に待つ。拝礼前に座の間へ戻って支度を替え、釈菜執役のうち祝と掌儀二人が…
追録6-No.1088 釈菜親祭次第―前日準備・供の配置・服装替え・神農堂未完成の注
釈菜親祭の詳しい次第。前日に側の茶道を聖堂へ差し越し、座の間周辺を掃除し、床飾りその他を手当てする。前晩七つ時から当日の参詣が済むまで触れを伝え、当日早天から側廻と先番を置く。寄付品・脇の寄付品と書籍目録を座の間に備える。参詣に際す太刀・金馬代の献納のため、朝六つ時に番頭の使者を差し越し、仰高門で太…
追録6-No.1089 中城王子の聖堂参詣次第―随行者・三跪九叩・座席・饗応と係配置
九月三日四時に中城王子が聖堂へ参詣する次第。献納物は五時比を刻限として講堂執役が受け取り、聖堂へ備える。路次では持道具を節のとおり立てるが、先備の対道具・手鎗・長刀などは駒寄の外の新小路土手涯に置き、駒寄と仰高門の中程で下轎し、道楽はその間の左右に列する。講堂の日勤二人が門外へ迎え、聖堂唐戸涯へ案内…
追録6-No.1090 徳川家治御内書―重陽祝儀の小袖一重到来への謝意
重陽の祝儀として小袖一重が到来し、喜んで見たと伝える。詳しいことは松平周防守が述べるとする。末尾は九月七日、家治公の墨印、薩摩中将宛、朱に安永二年。重豪公御譜中に収録され、正文は文庫にある。小袖の奉献に対する将軍家治からの返書で、品名・単位と取次を記す。
追録6-No.1091 阿部正允書状―重陽の小袖一重奉献の披露通知
重陽の御祝儀として使者によって御小袖一重を献上したことについて、逐一披露したところ、一段の御仕合であったと伝える。末尾は九月七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。重陽の御祝儀奉献を取り次いだ返書で、小袖の品名・一重の単位・使者による奉献と披露を記す。
追録6-No.1092 板倉勝清書状―機嫌伺と魚物一箱献上の披露
書札を披見し、公方・大納言の機嫌を伺った旨を承知し、ますます安泰であるから心配ないと伝える。これに随えて献上した「干鯩残魚」と読める魚物一箱について、各々申し談じて逐一披露したところ、一段の御仕合であったと述べる。魚偏の細字の読みは留保する。末尾は九月九日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守宛、朱に安永二…
追録6-No.1093 阿部正允書状―機嫌伺と魚物一箱の披露通知
書札を披見し、公方・大納言の機嫌伺を承知したことと、ますます安泰なので心配ないことを伝える。随えて献上した「干鯩残魚」と読める魚物一箱を逐一披露したところ、一段の御仕合であったと知らせる。魚偏の細字の読みは留保する。末尾は九月九日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。同日同内容の板倉書状と…
追録6-No.1094 板倉勝清書状―下屋敷の相対替許可への謝意を承知
書札を披見し、公方・大納言がますます機嫌よくあると伝える。下屋敷の内の相対替を願いのとおり命じられたことへの謝意を承知し、紙面の趣を各々一覧したと記す。末尾は九月九日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。屋敷交換を許されたことへの礼状に対する返答。
追録6-No.1095 阿部正允書状―下屋敷の相対替許可への謝意に返答
書札を披見し、公方・大納言がますます機嫌よくあると知らせる。下屋敷の内の相対替を願いのとおり命じられたことへの謝意を承知し、紙面の趣を受け止めたと述べる。末尾は九月九日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。同日同主題の板倉書状とは別の通知で、許可への御礼に対する返答を記す。
追録6-No.1096 重豪の加冠仮名書出―島津富之助を權五郎とする
加冠に際して島津富之助の仮名を「權五郎」とする書出。「加冠」「宜為」と記し、島津富之助と權五郎を並べる。末尾は安永二巳九月十五日、重豪公の様印との注があり、正文は島津登にあると付記する。加冠に伴う仮名の指定、対象者、印と原本の所在を記す。
追録6-No.1097 板倉勝清書状―心観院三回忌の香奠を東叡山へ奉納した旨を言上
心観院様の三回忌法事を執行したことに際し、使者によって香奠を献上して東叡山へ奉納したことについて、その趣を言上したと伝える。心観院には徳川家治の室・五十宮との注がある。末尾は九月二十日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。重豪公御譜中に収録され、正文は文庫にある。三回忌の対象、使者による香…
追録6-No.1098 佐久間九十九届―浄岸院一回忌の福昌寺法事
浄岸院様の当十二月五日の一回忌に伴い、薩州の福昌寺で法事を執行することを申し上げる届書。浄岸院には「継豊継室・綱吉養女」との注が付く。末尾は十月三日、松平薩摩守内佐久間九十九に留守居・村央の注、朱に安永二年。重豪公御譜中に収録し、正文は家老座にあると付記する。十二月五日の法事に先立つ届出として、予定…
追録6-No.1099 浄岸院一回忌への賻銀三十枚・二十枚拝領と謝恩使
是歳十二月五日に浄岸院殿の第一回忌を迎えるため、それに先立つ十月二十三日、上使松平周防守康福が芝の邸へ来て賻銀三十枚を賜ったと記す。大納言家基公からも同じく二十枚を賜る。そこで小松相馬清行を江府へ遣わし、執政に赴いて厚遇への謝恩を述べたとする。末注は、その後の三回忌と七周忌にも賻銀を賜ったことを記す…
追録6-No.1100 樺山助之進伺書―浄岸院一回忌の香奠拝領に伴う国元の勤向と付札
浄岸院様の当十二月の一回忌に伴い、上使をもって香奠を拝領する旨を命じられたことを記す。国元で薩摩守が承知したうえで、勤向をどのようにすべきか伺う。朱の御付札には「使札差越候様可仕候」と記す。末尾は十月二十三日、松平薩摩守内樺山助之進に留守居・資孫の注、朱に安永二年。正文は家老座にある。香奠拝領への対…
追録6-No.1101 剣術修練の心得―礼譲・他流非議の禁止と稽古場の管理
剣術の修練に出精することを第一条とする。大人数の稽古では礼譲を守り、若年の者は師匠家だけに教えを受けるのではなく、年長の者も流儀に限らず指導し、行儀を正しくして風俗をよくする。他流を非議し、他人の芸を「さみす」ことを禁ずる。日々の稽古を終えた後は座席と囲内を取り散らさず、少しの破損に気付いた段階で御…
追録6-No.1102 鎗術・長刀修練の心得―礼譲・他流非議の禁止と稽古場の管理
鎗術・長刀の修練に出精することを第一条とする。大人数の稽古では礼譲を守り、若年の者は師匠家だけに教えを受けるのではなく、年長の者も流儀に限らず指導し、行儀を正しくして風俗をよくする。他流を非議し、他人の芸を「さみす」ことを禁ずる。日々の稽古を終えた後は座席と囲内を取り散らさず、少しの破損に気付いた段…
追録6-No.1103 射術修練の心得―礼譲・他流非議の禁止と稽古場の管理
射術の修練に出精することを第一条とする。大人数の稽古では礼譲を守り、若年の者は師匠家だけに教えを受けるのではなく、年長の者も流儀に限らず指導し、行儀を正しくして風俗をよくする。他流を非議し、他人の芸を「さみす」ことを禁ずる。日々の稽古を終えた後は座席と囲内を取り散らさず、少しの破損に気付いた段階で御…
追録6-No.1104 馬乗修練の心得―礼譲・他流非議の禁止と稽古場の管理
馬乗の修練に出精することを第一条とする。大人数の稽古では礼譲を守り、若年の者は師匠家だけに教えを受けるのではなく、年長の者も流儀に限らず指導し、行儀を正しくして風俗をよくする。他流を非議し、他人の芸を「さみす」ことを禁ずる。日々の稽古を終えた後は座席と囲内を取り散らさず、少しの破損に気付いた段階で御…
追録6-No.1105 島津久金申渡写―犬追物の形稽古の復興
犬追物は近来、形の稽古がなくなっているが、当家に伝来したものであるから捨て置くべきでないとする。新たに稽古場ができたので、まず専ら形を稽古し、修練のうえ式を取りまとめ、御覧になり得るよう整えることを求める。以後も稽古を続けるよう命じ、川上庄八郎に出精して指導させ、この趣を稽古人へ申し渡すよう指示する…
追録6-No.1106 島津久金申渡写―役人の講釈・武芸稽古への参加
聖堂と諸武芸の稽古場が新たにできたことを受け、役人は御用の空いた折に講堂の講釈席へ出席し、武芸の稽古場でも師匠家に付いて稽古するよう命じる。この趣を伝達するよう求める。末尾は朱の安永二年十月、左中。写で、正文は文庫にある。役務の合間の学問・武芸参加を定める申渡。
追録6-No.1107 島津久金申渡写―来月朔日からの武芸稽古開始
武芸の稽古場ができたので、来月朔日から別紙の日積に従って、それぞれ師匠家に付いて稽古するよう命じる。外城衆中で稽古を望む者も同様に師匠家に付いて参加するよう求め、組中と諸外城へ漏れなく伝えるよう指示する。末尾は朱の安永二年十月、左中。稽古開始日と日割、城下・外城の参加者への周知を定める。
追録6-No.1108 藤野良記通達―武芸師範の前後稽古所日割
師範を日順に列記する。冒頭の剣術は、初日に川上庄八郎、二日に川田彦七と菱刈新五兵衛、三日に川上庄八郎、四日に町田佐次右衛門。鎗は梅田九左衛門、長刀は佐久間勘左衛門で、両家は隔日とする。馬は初日に東郷長左衛門と平田平右衛門、二日に高田茂太夫、三日に伊集院理安。弓は初日に東郷藤右衛門、二日に田由喜助、三…
追録6-No.1109 中城王子等の饗応・能見物次第―席配置・料理・盃と翌日の御礼
中城王子らを招いて料理と能見物を行う次第を定め、墨「己九月廿二日」と、九月・十一月十五日・明後十七日等の朱書を含む。朝六ツ打後の登城を記し、御能「拝見」を「見物」に直す一方、太守が自身同席するなら「拝見」と書くべきと注する。読谷山らへ通知し、唐門内で御目付が迎え、家老が出会う。大番十五人を虎之間に置…
追録6-No.1110 重豪御譜中の覚書五件―共通出典・構成見出し
番号1110に「仝御譜中」「扣正文在家老座」と記す共通出典の見出し。続いて、御筆写の覚、側用人嶋津登の首尾書、御取次二階堂の覚書、琉球方への饗応手配の申渡、中城王子の寺院参詣に関する覚書の五枝を収める。目録は親を島津重豪覚書とする。見出し自体に独立の正文・年月・署名・宛書はなく、各用件はそれぞれの枝…
追録6-No.1110-1 島津重豪日次記―中城王子らの御扣・料理と能見物の予定
「御筆写」「覚」と題し、十一月十三日に「尾畔」で中城王子をはじめ琉人を御扣とすること、同十八日に中城王子から料理を振る舞うこと、同二十一日に中城王子らへ此方から料理を振る舞い、能見物を行うことを列記する。原語「尾畔」の場所・制度の細義は留保する。朱の引札は本文を承知したとし、今日主馬が御代参を勤め登…
追録6-No.1110-2 島津久連首尾書―御膳進上と料理頂戴の順序・手配
御本文を左中・齊宮へ伝え承知されたことを記す。別紙の先例と朱書によって、御膳の拝領は初めとなること、御膳の進上を先に、料理の頂戴を後に行う順序がよいことを確認し、家老中とも相談したとする。十八日に中城王子から御膳を進上し、二十一日に読谷山王子から進上、二十七日に御料理を頂戴する手配を左中から承った。…
追録6-No.1110-3 二階堂行旦覚書―饗応の吟味を認め御膳進上・料理頂戴を命じる
朱書の張紙に記した本文を伝え伺ったところ、その元の吟味の趣は尤もとする思召を受けた旨を記す。十一月十八日に中城王子から御膳を進上し、同二十一日に読谷山王子から進上させる。二十七日には中城王子をはじめ読谷山王子その他に御料理を下す旨の御意を伝える。末尾は十月二十二日、御取次二階堂に行旦の注。先の吟味・…
追録6-No.1110-4 喜入久福申渡書―御膳進上・料理頂戴の手配を琉球方へ伝達
十一月十八日に中城王子から御膳を進上し、同二十一日に読谷山王子から進上すること、二十七日には中城王子をはじめ読谷山王子その他へ料理を頂戴させるよう命じられたことを記す。その首尾を整えるため、この旨を琉球方へ伝達するよう指示する。朱には「己十月十三日」と、本文のとおり琉球方へ申し達し、承るべき役人にも…
追録6-No.1110-5 家老座覚書―中城王子の福昌寺・浄光明寺参詣願と泊而の指示
中城王子が福昌寺と浄光明寺へ参詣したい旨を、琉球仮屋守の在番親方から申し出たと記す。朱は本文の日について一日・十四日には差支えがあるため、「泊而」参詣すべき旨を例のとおり申し渡すよう求める。「泊而」の原語はそのまま保持する。末尾は十月、主馬。さらに朱に「己十月十九日」、右のとおり琉球仮屋守へ申し渡し…
追録6-No.1111 琉人饗応料理器具覚書―六十三の器具と物受の寸法・新作手配
十月晦日付の記載を二組収める。第一組は白木片キ六十三枚、扇子形六十三、杉箱六十三、杉片キ六ツ、杉重六ツを列記する。琉人に料理を下すため、親雲上以下の料理を御奉屋で仕出すよう命じられたので、この器具が必要だと御地物役から申し出たことを記し、御奉屋役が新しく作るよう命じてほしい旨を申し出る。第二組は杉の…
追録6-No.1112 琉人饗応献立―五く三と引替・台引・後段の料理、器と菓子
琉人饗応の献立を、料理・器・添える食材の配置を対応させて記す。冒頭は「五く三」。塩引、蒲鉾と、雁・松茸・小かふ・せりの汁を置き、金磨土器輪有、金磨小角、亀足等の器の記載を添える。和交には削鰹・花よし・栗・せうか・岩たけ・きんかん、手鹽と箸之臺を配する。香之物、海鼠桶、飯、焼物、半弁・椎茸・竹の子・春…
追録6-No.1113 島津重豪書状―中山王の年始祝儀と別録の贈物への礼
年始の嘉儀として使簡を差し渡し、別録の品を贈ったことを祝着とし、心を尽くしたことへの礼を述べる。後の慶喜の時を期す旨で結ぶ。末尾は十月二十八日、中将重豪の御判、謹上中山王、朱に安永二年。重豪公御譜中に収め、正文は琉球国司にある。中山王からの年始祝儀と贈物に対する重豪の礼状で、別録の内容は本文に列記し…
追録6-No.1114 島津重豪書状―進貢使佐渡山親雲上の帰帆通知と贈物への礼
来書を披見し、去寅年に大清国へ差し渡した進貢使佐渡山親雲上が北京の勤めを終え、当三月に帰帆した旨を紙面から了承したと述べる。佐渡山をもって別録の品を贈られたことは、心を尽くした過分の厚意だとして礼を述べる。末尾は十月二十八日、中将重豪御判、謹上中山王、朱に安永二年。進貢使の派遣と帰帆の報知、使者を通…
追録6-No.1115 島津重豪書状―浄岸院逝去の問慰使と来書への礼
浄岸院様の逝去に伴い、本部按司と圓覺寺を差し渡されたことについて、紙面の趣に心を尽くした厚意を感じる旨を述べる。末尾は十月二十八日、中将重豪御判、謹上中山王、朱に安永二年。逝去に対する使者の派遣と来書への礼を記す。正文の品名・数量は記されていない。
追録6-No.1116 島津重豪書状―浄岸院逝去の尋問使本部按司と別録の品への礼
浄岸院様の逝去に伴う尋問のため本部按司を差し渡し、来書と別録の品を贈られたことについて、厚い心遣いを感じる旨を述べる。末尾は十月二十八日、中将重豪御判、謹上中山王。逝去の問慰使と来書・贈物への礼状で、年は目録の安永二年に基づく。別録の品名と数量は本文に記されていない。
追録6-No.1117 島津重豪回章―平安の報知と縮布五端への礼
来書を披見し、ますます平安である旨を承知し、重豪側も無事なので安心するよう伝える。さらに縮布五端を贈られた厚意への礼を述べる。末尾は十月二十八日、薩摩守重豪御判、中山王回章、朱に安永二年。双方の安否と、縮布の五端という数量・単位を記す返書。
追録6-No.1118 島津重豪回章―大清賜物の金入龍紋緞子・色緞子各一巻への礼
来書を披見し、大清からの賜物である金入龍紋緞子一巻と色緞子一巻を贈られたことについて、心を尽くした厚意を喜ぶ旨を述べる。末尾は十月二十八日、薩摩守重豪御判、中山王回章、朱に安永二年。中山王から重豪への贈物と、その品が大清の賜物であったという由来を記し、二種類の緞子をそれぞれ一巻とする。
追録6-No.1119 幕府老中五名連署奉書―安否への返答と来年四月中の参府指示
御札を披見し、公方・大納言がますます機嫌よくあると知らせ、喜ぶ旨を尤もとする。また参勤時分について使者を差し遣わして上聞に及んだところ、来年四月中に参府するよう命じられたので、その旨を承知するよう伝える。末尾は十一月九日、田沼意次・板倉勝清・松平康福・松平輝高・松平武元の五名判、松平薩摩守宛、朱に安…
追録6-No.1120 阿部正允書状―公方・大納言の機嫌と参勤時分の紙面を承知
御札を披見し、公方・大納言がますます機嫌よくあると知らせ、喜ぶ旨を尤もとする。また参勤時分について使者を差し遣わしたことに関し、紙面の趣を承知したと伝える。末尾は十一月九日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。同日付の老中連署奉書と主題を同じくする別の返書で、本書には来年四月中に参府する命…
追録6-No.1121 松平武元書状―機嫌伺と小熬海鼠一箱献上の披露
御札を披見し、公方・大納言の機嫌伺を承知し、ますます健やかであるから安心するよう伝える。随えて小熬海鼠一箱を献上したことについて、各々申し談じて逐一披露したところ、一段の御仕合であったと知らせる。末尾は十一月十三日、松平右近将監武元判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。機嫌伺への返答と、重豪側の小熬海鼠献…
追録6-No.1122 阿部正允書状―機嫌伺と小熬海鼠一箱献上の披露
御札を披見し、公方・大納言の機嫌伺を承知し、ますます健やかであるから安心するよう伝える。随えて小熬海鼠一箱を献上したことについて、逐一披露したところ、一段の御仕合であったと知らせる。末尾は十一月十三日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。機嫌伺への返答と、重豪側の小熬海鼠献上を取り次いだ通…
追録6-No.1123 重豪の加冠仮名書出―桂長熊を織部とする
「加冠」「宜為」と記し、桂長熊の仮名を織部とする書出。末尾は安永二巳十一月十五日、重豪公の御判との注。重豪公御譜中に収め、正文は桂宇右衛門にある。加冠に際する仮名の指定、対象者、印と原本の所在を記す。
追録6-No.1124 中城王子尚哲らの饗応と薩隅・日州への参詣巡遊
同年十一月十八日、中城王子尚哲を招いて再び登城させ、膳食を許す。尚哲は太刀・馬代黄金十両と方物一式を備えて書院に謁し、著客居に膳を出す。膳は四汁十一菜との小注。琉人が座楽と唐躍を奏し、杯を尚哲へ伝え、食後に尚哲が拝謝して退いたと記す。二十一日には摂政朝恒への膳を用意し、次第は中城王子の例による。二十…
追録6-No.1125 島津重豪諭達―城下の繁栄策と武士の風儀・役務を戒める
当夏以来の繁栄策として芝居や茶屋の設置、他国男女の入込みを許したところ、上下の風俗が惰弱になり、役者・茶屋女を呼び、町家を徘徊するなど風儀が乱れたと聞く旨を述べる。近年の困窮で売買が減り町家が衰えたため、城下の体面にふさわしく救済し、生計と家宅を相応に立て直すことを意図した許可だったと説明する。取違…
追録6-No.1126 浄岸院一周忌法事と芝邸の男子出生・虎寿丸命名
同年冬十二月五日の浄岸院一周忌に、福昌寺で三日から五日まで法事を行う。初日は島津左衛門久健が代参、四日夜の頓写は島津玄蕃貴澄が名代、五日は重豪自身が焼香し、施餓鬼と満散寄合の式は島津兵庫久徴が代わって務めたとする。貴戚・親しい者もそれぞれ賻銀を贈る。次の記事は同月六日、堤氏が江戸芝邸で男子を産み、こ…
追録6-No.1127 齊宣の出生と虎寿丸賜名・七夜祝儀、実母に関する注
齊宣公御譜中の出生記事。冒頭に初名忠堯、小名虎寿丸、又三郎、豊後守・薩摩守、従四位下侍従・左近衛少将、従四位上左近衛中将、修理大夫、溪山、正四位上という名・称・官位を掲げる。安永二年冬十二月六日、江府芝邸に誕生し、時刻は不詳とする。母は同悟姫、実母は堤中納言代長の卿女と記し、生母なので内証と称した旨…
追録6-No.1128 齊宣略歴―名・称・官位、芝邸出生と内証・実母の後年注
初名忠堯、後に齊宣、小字虎寿丸、又三郎、豊後守・薩摩守、従四位下侍従・左近衛少将、従四位上中将、後に修理大夫、号溪山とする略歴。安永二年癸巳十二月六日に芝邸で生まれ、母を堤前中納言代長女と記す。朱に「近秘野卿」との注がある。細注は浄岸君が守宮にあったこと、君の逝去後に父公が代長女を得て虎寿君が生まれ…
追録6-No.1129 齊宣・齊興譜序文―家譜の編纂沿革、廃藩・戦乱と史料収集
齊宣公御譜初巻中の序文。得仏公島津忠久が文治中に三州の封を受けて以来、二十六世・六百余年を伝えた家の史乗を述べる。寛陽公光久の時に平田清右衛門純正を文書奉行にして家譜を集めたことを記す。得仏公から慈眼公家久初世まで十八世の正統系譜百十四冊、公中世以後の正統系譜続編七十九冊、支流系譜五十二家九十六冊が…
追録6-No.1130 田沼意次書状―寒中機嫌伺と琉球紬十端・鰹節一箱献上の披露
御札を披見し、寒中の公方・大納言の機嫌を使者によって伺った旨を承知し、ますます安全なので安心するよう伝える。随えて琉球紬十端と鰹節一箱を献上したことについて、各々申し談じて逐一披露したところ、一段の御仕合であったと知らせる。末尾は十二月十五日、田沼主殿頭意次判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。正文は文庫…
追録6-No.1131 阿部正允書状―寒中機嫌伺と琉球紬十端・鰹節一箱献上の披露
御札を披見し、寒中の公方・大納言の機嫌を使者によって伺った旨を承知し、ますます安全なので安心するよう伝える。随えて琉球紬十端と鰹節一箱を献上したことについて、逐一披露したところ、一段の御仕合であったと知らせる。末尾は十二月十五日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。同日付の田沼書状とは別の…
追録6-No.1132 田沼意次書状―公方の安否と十月十四日増上寺御霊屋参詣を上聞
御札を披見し、公方がますます機嫌よくあると伝える。十月十四日の増上寺御霊屋参詣を承知して喜ぶ旨を尤もとし、紙面の趣を各々申し談じて上聞に及んだと知らせる。末尾は十二月十六日、田沼主殿頭意次判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。参詣の日付と、それを承知した旨の取次返書の日付を分ける。
追録6-No.1133 板倉勝清書状―蜜柑二箱・炙鮎一箱献上の披露
御札を披見し、公方・大納言がますます機嫌よくあると知らせ、喜ぶ旨を尤もとする。随えて蜜柑二箱と炙鮎一箱を献上したことについて、各々申し談じて逐一披露したところ、一段の御仕合であったと伝える。末尾は十二月十八日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。贈物の品名とそれぞれの箱数、取次を記す返書。
追録6-No.1134 阿部正允書状―蜜柑二箱・炙鮎一箱献上の披露
御札を披見し、公方・大納言がますます機嫌よくあると知らせ、喜ぶ旨を尤もとする。随えて蜜柑二箱と炙鮎一箱を献上したことについて、逐一披露したところ、一段の御仕合であったと伝える。末尾は十二月十八日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。贈物の品名とそれぞれの箱数、取次を記す返書。
追録6-No.1135 虎寿丸出生・七夜祝儀の贈答、使者への下付と取替手配
虎寿丸の出生・七夜に関する贈答と使者の手配を列記する。虎寿丸から太守へ御太刀一腰・御馬代金一枚・二種一荷を進め、御近習役を使者とする。朱に正月二十一日、祝物の御取替を正月二十五日に命じる旨を受け、御使番へ首尾を伝え書付を渡したとの注。於篤・妙心院・嶺松院へは二種二百足宛を記す。御前様から太守へ一種三…
追録6-No.1136 角力興行の木戸札銭徴収を禁じる触書と国元への伝達
角力を生業とする者の興行では木戸を立て札銭を取ることがあるとする。その一方、国々の御料代官や私領の領主・地頭へ願い、素人が集まって角力を催す場合や、神事などで先年からの佳例として興行し見物人が集まる場合について、囲い・木戸を設けて札銭を請け取ることを今後は無用とする。勧進角力を催すために角力渡世の者…
追録6-No.1137 徳川家治御内書―歳暮の小袖一重到来を喜ぶ
歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、委細は松平右近将監が述べると伝える。末尾は十二月二十七日、家治公の墨印との注、薩摩中将宛、朱に安永二年。正文は文庫にある。重豪側から到来した歳暮祝儀の小袖を受けた御内書で、一重の数量・単位と取次を記す。
追録6-No.1138 阿部正允書状―歳暮小袖一重献上の披露
歳暮の御祝儀として使者によって小袖一重を献上したことについて、逐一披露したところ、一段の御仕合であったと知らせる。末尾は十二月二十七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。同日付の家治御内書と関連する別の取次通知として、使者による奉献と披露を記す。
追録6-No.1139 島津重豪証状―聖廟講堂・演武場へ銀二百四十貫目を付属し利息を永久の用度とする
城下に聖廟講堂と演武場を創建したので、銀子二百四十貫目を付属すると記す。有司にその銀を管理させて利息を収め、今後子々孫々に至るまで元金を損なわず、利息を文武の場の一切の費用に充てるよう定める。それによって創建した施設が永代に廃れず、国中の風化の助けになるとし、この状を証として作る旨で結ぶ。末尾は安永…
追録6-No.1140 五名連署副状―永久用度銀と判形・印章証書の保管指示
聖廟講堂と諸稽古場を造立したことに伴い、銀二百四十貫目を永久に付置し、判形の証状と印章の証書を下された旨を記す。印章の原本は聖堂方へ納め、判形の原本は御記録所へ納めるよう命じられたので、そのように処置するよう伝える。後年も怠りなく保護するべきだとする。末尾は安永二年癸巳十二月二十八日、島津仲久健・山…
追録6-No.1141 島津重豪印章証書―聖廟講堂・演習場の創建と銀二百四十貫目の永久用度
本藩は雄鎮として庶民の暮らしが豊かになった一方、教えが十分に行き渡らず、鄙野・驕惰の風俗が残ると述べる。そこで嗣位十九年に先聖廟と講堂を創建して儒術と文道を明らかにし、その側に弓馬槍剣の演習場を設け、国中の民を感化して徳を新たにする意義を述べる。銀二百四十貫目を学に付し、永世に伝えるため、有司に利息…
追録6-No.1142 聖堂方宛の五名連署副状―判形・印章原本の別保管と納置注
聖廟講堂と諸稽古場の造立に伴い、銀二百四十貫目を永久に付置し、判形証状と印章証書を下された旨を記す。判形の原本は御記録所に、印章の原本は聖堂方に納めるよう命じられたので、後年も怠りなく保護するよう求める。末尾は安永二年癸巳十二月二十八日、仲久健・齋宮久澄・伊織國福・主馬久福・左中久金の五名判、聖堂方…
追録6-No.1143 造士館講釈定―開講・停講と釈菜・節句・盆の休講
正月六日を開講と定める。ただし開講を暫く止め置き、二月の釈菜から十日後より始めるとの但書を付す。二月・八月の釈菜には前二十日・後十日、講釈を休み、五節句と盆の両日も講釈を止める。十二月二十日を停講とし、以上を守るよう求める。末尾は安永二年十二月日で、日の数字は記されていない。正文は聖堂方にある。年間…
追録6-No.1144 島津久金・山岡久澄申渡―子供教授、会読・論文・詩会の規則
子供の素読指導は講釈のない日は四時、講釈日は九時と時を定め、指導者の座席も定めて諸事を厳正に扱う。素読が済めば手習に移し、毎月二度清書を係へ差し出させる。大字・小字は任意とする。童蒙須知と小学は講釈式日を定め、子供にできるだけ耳近くで聞かせ、講釈担当者だけでなく他の係も相談して講釈する。入学の子供は…
追録6-No.1145 喜入久福申渡―一門の家格に応じた座配と備前殿の一世上席
一門家の座席はその時々の御間柄によって定めることがあるとする。ただし座順が変わっても家格そのものは変わらないので、以後は家格に応じて座配するよう定める。備前殿はその身分が格別であるため、一世は上席とする。備前には忠貴の男子・貴儔との注。以上を命じられたと伝え、この旨を帳面に記して置くよう御記録奉行へ…
追録6-No.1146 島津重豪書状―中山王の年始祝儀と別録の贈物への礼
年始の嘉儀として使簡を差し渡し、別録の品を贈られたことを祝着とし、心を尽くした厚意に礼を述べ、後の慶喜の時を期す旨で結ぶ。末尾は正月三日、中将重豪御判、謹上中山王、朱に安永三年。正文は琉球国司にある。年始祝儀の使簡と贈物に対する重豪の礼状で、別録の品名・数量は本文に列記しない。
追録6-No.1147 島津重豪書状―中城王子の帰着報知と与那原親方による贈物への礼
来書を披見し、去年の中城王子の上国に関する話と、無事に帰着したことを承知して祝着とする。それに伴って与那原親方を差し渡し、太刀一腰・馬代黄金十両と目録に記した品を贈られたことについて、心を尽くした厚意を喜ぶと述べる。末尾は正月三日、中将重豪御判、謹上中山王、朱に安永三年。帰着の報知と、使者を通じた贈…
追録6-No.1148 島津重豪回章―平安の報知と紬縮緬五巻への礼
来書を披見し、ますます平安である旨を承知し、重豪側も無事なので安心するよう伝える。さらに紬縮緬五巻を贈られたことを過分の厚意として礼を述べる。末尾は正月三日、薩摩守重豪判、中山王回章、朱に安永三年。双方の安否と、紬縮緬という原の品名・五巻の数量単位を記す返書。
追録6-No.1149 島津重豪書状―中城王子帰着と謝礼の太刀・馬代等への返答
来書を披見し、去年の上国についての話と、無事に帰着した旨を承知して祝着とする。その謝礼として与那原親方を差し渡し、紙面の趣に加え太刀一腰・馬代黄金十両と目録記載の品を贈られたことについて、厚い心遣いへの礼を述べる。末尾は正月三日、中将重豪御判、謹上中城王子、朱に安永三年。王子自身宛の帰着報知・謝礼贈…
追録6-No.1150 松平康福書状―公方・大納言の安否と御鷹の雁拝領への謝意を承知
御札を披見し、公方・大納言がますます機嫌よくあると知らせ、喜ぶ旨を尤もとする。さらに去冬の「従公方様妻女御鷹之鴈拝領」と記す贈与への謝意を承知したこと、紙面の趣を各々一覧したことを伝える。妻女の所属・実名は明記されていない。末尾は正月五日、松平周防守康福判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。公方側からの御…
追録6-No.1151 阿部正允書状―安否と御鷹の雁拝領への謝意を承知
御札を披見し、公方・大納言が機嫌よくある旨を知らせ、それを喜ぶとの意を承知する。去十一月三日の「従公方様妻女御鷹之鴈拝領」について、難有い旨を承知し、紙面の趣を伝える。末尾は正月五日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。御鷹の雁を拝領した礼への返書で、妻女の所属・実名や雁の数量は明記されて…
追録6-No.1152 佐久間九十九伺―浄岸院香奠への御礼使者の勤日
去年の浄岸院一周忌に香奠を拝領した御礼のため、薩摩守の使者を差し越し、旧臘晦日に着いたと報告する。この旨を田沼主殿頭に申し上げたところ、当月の御用番へ申し上げるよう指示された。御用番は松平周防守と聞いたので、いつ御礼を勤めればよいか伺う。末尾は正月五日、松平薩摩守内佐久間九十九、留守居村央の注、朱に…
追録6-No.1153 松平周防守康福書状―若菜祝儀の鯛一折を披露
若菜の祝儀として鯛一折を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は正月七日、松平周防守康福判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。正文は文庫にある旨の出典を付す。献上品は鯛一折で、使者の名や奉献先の個人名は本文に記さない。献上を披露した旨を知らせる返書。
追録6-No.1154 阿部豊後守正允書状―若菜祝儀の鯛一折を披露
若菜の祝儀として鯛一折を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は正月七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。正文は文庫にある旨の出典を付す。献上品は鯛一折で、使者の名や奉献先の個人名は本文に記さない。献上を披露した旨を知らせる返書。
追録6-No.1155 老中連署書状―年頭祝儀の太刀・馬代を披露
年頭の祝儀として使者をもって御太刀一腰・御馬代黄金十両を献じられたことにつき、披露したので一段の仕合であると知らせる。末尾は正月十一日、意次・勝清・康福・輝高・武元の五名判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。正文は文庫にある。年頭祝儀の奉献に対する連署の返書で、品を下賜した書状ではない。隣の正允書状と品目…
追録6-No.1156 阿部正允書状―年頭祝儀の太刀・馬代を披露
年頭の祝儀として使者をもって御太刀一腰・御馬代黄金十両を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は正月十一日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛。年は原朱に「安永二年(ママ)」とあり、目録も同じ年記を載せる。前後の文書は安永三年であるが、この書の年を無断で三年に直さず、年記の相…
追録6-No.1157 義天公三百五十年忌―惠燈院での法事と香奠
義天公の三百五十年忌に当たり、安永三年甲午春正月二十一日、惠燈院で一日の法事を行ったことを記す。義天公には島津久豊の注がある。番頭高橋縫殿を下へ遣わし、香奠銀五枚を進献させ、一拝した。縫殿には種商の注を付す。法事の実施、使者の派遣と献奠を記す記事で、同じ日の浄岸院一回忌御礼返書とは別の法事である。
追録6-No.1158 松平康福書状―浄岸院香奠御礼の使者と上聞
浄岸院の一回忌について、公方・大納言から上使をもって香奠を下され拝領したことへの謝意を承知したと伝える。このため御礼の使者を差し越した旨について、紙面の趣を各々申し談じ、上聞に及んだと知らせる。末尾は正月廿一日、松平周防守康福判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。香奠の拝領、御礼使者の派遣、その礼状の趣を…
追録6-No.1159 阿部正允書状―浄岸院香奠御礼を言上
浄岸院の一回忌に、公方・大納言から上使をもって香奠を下され拝領したことにつき、難有いという旨を承知したと伝える。その御礼の使者を差し越したので、紙面の趣を言上したと知らせる。末尾は正月廿二日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。目録は西丸書状とするが、本文の呼称は公方・大納言のまま記す。香…
追録6-No.1160 佐久間九十九書状―柵門・番所取建の内談と首尾
国元の山田司から寄せられた御内用について、佐久間九十九が取建の相談経過と首尾を報告する。帯刀に相談したこと、御供方の関山軍兵衛・島津登・二階堂部へ国元に差し越す旨を申し越したとの注を伴う。中心となる計画は、新橋下方の橋詰に柵門と番所一か所を置き、さらに升形入口にも同じく一か所を設け、城周辺を締めるこ…
追録6-No.1161 安永三年公辺記事―久徴の首途・江戸到着と増上寺鎮火事
朱の出典「近秘野艸」を伴う年次記事。安永三年甲午二月朔日、公族兵庫久徴が攝位して首途につき、二日に玉松二山へ公謁して賀正と告別を行ったと記す。「攝位」の具体的な内容は明記されていない。十八日に府城を発し、四月朔日に芝邸へ至った。四月十八日には増上寺の鎮火事を領したと記し、この年に芝邸の護摩所を撤した…
追録6-No.1162 板倉佐渡守勝清書状―年始の樽肴を披露
御札を披見し、改年の慶賀を重ね、公方・大納言がますます機嫌よくある旨を知らせる。年始の御規式が済んだことを喜ぶという意を承知し、それに伴い御樽肴を献じられたので、各々申し談じて披露したところ一段の仕合であると伝える。末尾は二月四日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。樽肴の数量は本文にない…
追録6-No.1163 阿部豊後守正允書状―年始の樽肴を披露
御札を披見し、改年の慶賀を重ね、公方・大納言がますます機嫌よくある旨を知らせる。年始の御規式が済んだことを喜ぶという意を承知し、それに伴い御樽肴を献じられたので、披露したところ一段の仕合であると伝える。末尾は二月四日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。樽肴の数量は本文にない。年始の儀礼が…
追録6-No.1164 重豪公御譜記事―中城王子帰国・医学院と神農殿の創建・重豪参府
同年春二月九日、中城王子を国界へ還すに当たり良馬数匹と数品を与え、十五日に王子が登城して恩を謝し帰ったと記す。三月十七日に船に乗ることになり、二階堂主計を遣わして檜重一組・美酒双樽を贈り、新番の二階堂八太夫行完に送らせて山川の交に滞泊させ、安否を尋ねさせた。同月二十一日に世子は山川を出帆し、二十六日…
追録6-No.1165 板倉佐渡守勝清書状―妻女の歳暮拝領物への謝意を承知
御札を披見し、公方・大納言が機嫌よくあると知らせ、そのことを喜ぶ旨を尤もとする。さらに旧臘の歳暮祝儀として妻女に拝領物があったことへの謝意を承知し、紙面の趣を各々一覧したと伝える。末尾は二月廿五日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。妻女の所属・実名、拝領物の品名・数量は本文に記されていな…
追録6-No.1166 阿部豊後守正允書状―妻女の歳暮拝領物への謝意を承知
御札を披見し、公方・大納言が機嫌よくあると知らせ、そのことを喜ぶ旨を尤もとする。さらに旧臘の歳暮祝儀として妻女に拝領物があったことへの謝意を承知し、紙面の趣を承知したと伝える。本書は「従公方様妻女江」と贈与の方向を記す。末尾は二月廿五日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。妻女の所属・実名…
追録6-No.1167 板倉佐渡守勝清書状―時服・御肴の拝領謝意を上へ伝達
御札を披見し、公方・大納言がますます機嫌よくある旨を知らせ、それを喜ぶとの意を尤もとする。旧臘の歳暮祝儀として時服と御肴を拝領したことについて、難有い旨を承知し、紙面の趣を各々申し談じて上聞に及んだと伝える。末尾は二月廿五日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。時服と御肴の数量は記さない。…
追録6-No.1168 阿部豊後守正允書状―時服・御肴の拝領謝意を上へ伝達
御札を披見し、公方・大納言がますます機嫌よくある旨を知らせ、それを喜ぶとの意を尤もとする。旧臘の歳暮祝儀として時服と御肴を拝領したことについて、難有い旨を承知し、紙面の趣を言上したと伝える。本書には公方から時服・御肴を拝領したことが明記される。末尾は二月廿五日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安…
追録6-No.1169 島津久金申渡―病気証文を御医師に限らず療治者から提出
諸人が病気の際には御医師の証文を差し出してきたが、以後は御医師に限らず、町医師も含め、実際に療治した者からの証文で申し上げるよう求める。末尾は安永三年午二月、左中、島津久金の注。朱に雑抄中の出典を記す。病気証文の作成者を御医師だけに限定せず、町医師など療治者へ広げる申渡で、証文を不要にするものではな…
追録6-No.1170 於篤出府記事―二歳の於篤の江戸への旅
重豪の令愛於篤は生まれて僅か二歳で、今三月朔日に府城を発し東都へ向かったと記す。「路称宮」の注を伴う。近習役川上龍衛親方、納頭役人町田孫七實卓、その他の納頭役・侍医・諸執吏が輿や馬に従った。納頭には戸カとの校注があり、原の役名と注を分けて保持する。九州・中国・美濃路・東海道の諸駅を経て、五月三日に江…
追録6-No.1171 松平輝高書状―公方の東叡山御霊前参詣を承知した礼への返答
御札を披見し、公方が機嫌よくある旨を知らせる。正月十日に公方が東叡山御霊前へ参詣したことを承知して喜ぶという意を尤もとし、紙面の趣を各々申し談じて上聞に及んだと伝える。末尾は三月十九日、松平右京大夫輝高判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。正文は文庫にあり、重豪公御譜中の出典を記す。公方の参詣日と返書の日…
追録6-No.1172 松平輝高書状―公方の増上寺御霊屋参詣を承知した礼への返答
御札を披見し、公方が機嫌よくある旨を知らせる。正月廿四日に公方が増上寺御霊屋へ参詣したことを承知して喜ぶという意を尤もとし、紙面の趣を各々申し談じて上聞に及んだと伝える。末尾は三月十九日、松平右京大夫輝高判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。本文は前頁下段から次頁上段へ続く。公方の参詣日と返書の日を区別し…
追録6-No.1173 大御目付申渡―「時」と称して多数で徘徊する行為の禁止
近頃、「時」と名付けて多人数で徘徊するようなことが聞こえていると述べる。このような行為をしないよう、先年以来度々申し渡してきたのに心得違いがあるのはよろしくないと戒め、今後は一切ないよう支配中へ申し渡すことを求める。末尾は安永三年午三月、大御目付、朱の出典は雑抄中。「時」という原の呼称と「多人數呉様…
追録6-No.1174 板倉勝清書状―当分養子願書と別紙書付の返進
去年の御暇の際に差し出された当分養子の願書と別紙書付を返進する、と簡潔に伝える。末尾は四月二日、板倉佐渡守、松平薩摩守様宛、朱に安永三年。重豪公御譜中の出典を記し、写正文は右筆所にある。願書と別紙を返す書状で、願いを許可したとも却下したとも明記しない。養子となる人物の名や別紙の内容は本文にない。署名…