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追録6の目録
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追録6-No.1922 虎寿丸の部屋料三万石分与と祝儀の首尾を伝える
島津大進(久起)が、虎寿丸へ部屋料として高三万石を去る六日に分け与えた際の首尾を記す。島津左中が判物を虎寿丸の部屋へ運び、虎寿丸は礼を述べ、左中への拝領物や重豪への対面・礼、部屋での吸物・銚子などが続いた。判物を記録方掛へ渡すこと、御女中方や担当役へ申し伝えることも記す。本文は十二月十五日付で喜入主…
追録6-No.1923 琉球中山王の祝儀献上に対する贈答と使者への下賜を指示する
御養君に関する祝儀として琉球中山王が使者を薩州へ差し越し、品々を献じたことについて、幕府が松平薩摩守に、国王へ目録に従う贈答を伝え、使者浦添王子への下賜を申し渡すよう命じる。添付の目録には、中山王へ白銀百枚・綿百把、浦添王子へ白銀五十枚の組と、大納言から中山王へ白銀百枚・綿二百把、浦添王子へ白銀二十…
追録6-No.1924 琉球中山王と使者への拝領物の受渡・返礼手順を伺う
島津重豪が松平薩摩守の名で、御養君の祝儀として琉球中山王が公方・大納言に献じた品への拝領物と、使者浦添王子への下賜品について、その受渡と返礼の手順を伺う。中山王分は琉球で頂戴し、使者を通じて礼を申し上げ、浦添王子分は薩州で頂戴して重豪から礼を申し上げる案を示す。朱の御付札は「可為書面之通候」と応じる…
追録6-No.1925 琉球中山王の使者と祝儀への拝領に対する謝意を伝える
島津重豪が、御養君の祝儀として琉球中山王が使者浦添王子を薩州まで遣わして献上したこと、公方・大納言から中山王へ拝領物、浦添王子へ白銀が下されたことを述べ、謝意を伝える書状。相手の機嫌を問い、礼を申し上げたい旨と、名を挙げた人々への伝言を記す。末尾の朱記は、中山王と使者への拝領物・返翰を十二月十三日に…
追録6-No.1926 炙鮎一箱の献上を披露した旨を重豪へ知らせる
松平康福(周防守)が松平薩摩守に、今朝炙鮎一箱を献じたことを披露したところ、よい取り計らいを得た旨を知らせる書状。天明二年十二月十八日付、康福判。正文は文庫にあるとの注記を伴う。同日・同件の鳥居忠意書状1927とは別文書。
追録6-No.1927 炙鮎一箱の献上を披露した旨を重豪へ知らせる
鳥居忠意(丹波守)が松平薩摩守に、今朝炙鮎一箱を献じたことを披露したところ、よい取り計らいを得た旨を知らせる書状。天明二年十二月十八日付、忠意判。上段の「全上」および番号から、下段の本文・宛先へ続く。1926の松平康福書状とは同日・同件の別文書。
追録6-No.1928 御縁女様への歳暮祝儀の贈進と取次を依頼する
上々様の安泰を慶び、御縁女様へ歳暮の祝儀として目録の品を進上したいので、機会を見て取り次ぐよう頼む書状。献上品として鯛一折を記す。天明二年との朱記があるが、月日と自署は掲載範囲に記されない。高をかさま・はなそのさま等の名が684頁下段から685頁上段右端へ続き、いさ野さまへ申し給うよう記す。
追録6-No.1929 中山王の若君祝儀と江府献上に返答する
島津重豪が中山王に、前年に御養君が仰せ出され若君様と称することへの祝儀として浦添王子を差し渡し、二通の書状と別録の品を贈られたことに謝意を伝える。江府への献上物は首尾よく済み、目録の品を下すので受領するよう告げる。天明二年十二月廿三日付、中将重豪御判。正文は琉球国司にあるとの注記を伴う。
追録6-No.1930 増上寺両御霊屋修復に伴う献備燈籠の洗磨を申し出る
島津重豪(松平薩摩守)が、増上寺の有章院・惇信院両御霊屋と御廟向等の修復に伴い、献備した御燈籠の洗磨を命じられたため、御取替金を用いて行いたいと申し出る届書。天明二年十二月廿四日付。朱書には当日大進殿へ差し上げた旨、事前の廻状や問い合わせの経緯が付記される。
追録6-No.1931 歳暮の祝儀として届いた小袖一重に謝意を伝える
徳川家治が薩摩中将重豪に、歳暮の祝儀として小袖一重が届き喜ばしく思うと伝え、詳しいことは松平周防守が述べるとした御内書。天明二年十二月廿七日付で、家治公の墨印を伴う。
追録6-No.1932 歳暮の小袖一重の献上を披露した旨を知らせる
鳥居忠意(丹波守)が松平薩摩守に、歳暮の祝儀として使者を通じて献じた小袖一重について、披露の結果、よい取り計らいを得たと知らせる書状。天明二年十二月廿七日付、忠意判。前番号1931の家治御内書と同日の贈答を扱う別文書。
追録6-No.1933 若菜の祝儀として鯛一折を献じた件の披露を知らせる
田沼意次(主殿頭)が松平薩摩守に、若菜の祝儀として鯛一折を献じた件を披露し、よい取り計らいを得た旨を知らせる書状。天明三年正月七日付、意次判。正文は文庫にあるとの注記を伴う。同日・同件の鳥居忠意書状1934とは別文書。
追録6-No.1934 若菜の祝儀として鯛一折を献じた件の披露を知らせる
鳥居忠意(丹波守)が松平薩摩守に、若菜の祝儀として鯛一折を献じた件を披露し、よい取り計らいを得た旨を知らせる書状。天明三年正月七日付、忠意判。1933の田沼意次書状と同日・同件の別文書。
追録6-No.1935 神社仏閣の修造・勧農・年貢徴納の三箇条を命じる
島津重豪が、神社・仏閣の修造と興行、勧農、諸国の年貢徴納について、この三箇条の趣旨に従って沙汰するよう命じた吉書。天明三年正月十一日付、重豪御判。右白木御文書五番箱九十中にあるとの保管注記を伴う。
追録6-No.1936 重豪に下された鶴一隻を忠持が代理で拝領する
天明三年正月十六日、上使谷頼母衛門が芝邸を訪れ、御鷹が捕らえた鶴一隻を重豪に賜った。重豪は微恙のため、島津淡路守忠持が代理で拝領し、のち老中各家を訪ねて謝意を表したと記す記事。
追録6-No.1937 御鷹の鶴拝領の礼を御縁女様へも伝えるよう頼む
上々様の安泰を喜び、公方様から上使を通じて御鷹の鶴を拝領したことをありがたく思うと述べ、御縁女様へも礼を伝えるよう頼む書状。天明三年との朱書があるが、月日と自署は掲載範囲に記されない。末尾に大さきさま・高はしさまへ申し給うよう記す。前番号1936の鶴拝領記事と同件に関わる。
追録6-No.1938 福昌寺住職の御目見・独礼・乗輿の願いが許された経緯を記す
福昌寺の住職が浄岸院の位牌前に勤仕する際、住職ごとに一度、御目見・御礼の機会と独礼・乗輿の格式を与えられるよう願い出た件を記す。古来の勅願所で九州・中国の古本寺という由緒を記した願書・由緒書を添えて御用番久世大和守へ提出し、前年十二月廿四日に願いの通り申し渡されたため、家譜等に記載するよう求める。天…
追録6-No.1939 重豪が茂姫に目見え歳首を賀す
天明三年二月四日、重豪が三丸に登り縮緬十巻を献じ、茂姫に目見えて歳首を賀した。すべて前年の例に従ったと記す記事。
追録6-No.1940 歳暮の御内書を渡すため翌日家来を御城へ差し出させる
松平周防守(康福)が、歳暮の御内書を渡すため、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう伝えた書状。朱書の日付は天明三年二月廿日。
追録6-No.1941 福昌寺住職の出府と御礼手続きを指示する
福昌寺住職が浄岸院の御牌前を勤めるに際し、住職ごとの御目見・御礼と独礼・乗輿の格式を願い出た件について、久世大和守から前年十二月廿四日に願いの通り申し渡されたことを受け、支度ができ次第出府するよう命じた。御礼の献上物や供廻りは追って申し渡すとし、この旨を寺社奉行に伝えるよう指示する。二月付、主馬(喜…
追録6-No.1942 伏見から西之宮まで山崎道を通人馬で旅行する許可を求める
島津重豪が国元への暇を与えられたのを受け、伏見から西之宮まで山崎道を通人馬で旅行したいと伺った。付札には「勝手次第」と回答された。天明三年三月九日、留守居有川勇馬が御用番松平周防守へ伺書を差し出し、同日呼出しを受けて本城源七郎が出向き、付札で回答を受けたことを注記する。
追録6-No.1943 重豪が帰国の告と贈物を受け、十五日に登城して謝礼する
天明三年三月十三日、老中久世大和守広明が芝邸に派遣され、重豪に帰国の告と例に従う賜物を伝えた。儲君家斉も鳥居丹波守忠意を遣わして贈物を届けた。十五日、重豪は登城して謝礼を述べ、家老二階堂主計行旦も従い、いずれも先例どおりに行われたと記す。
追録6-No.1944 翌十五日五時の登城と暇の御礼を指示する
久世大和守・田沼主殿頭・松平周防守の三名が、翌三月十五日の五時に登城し、暇の御礼を申し上げるよう重豪へ伝えた連署状。日付は天明三年三月十四日。
追録6-No.1945 家来一人の御目見のため召し連れて出るよう命じる
家来一人に御目見が命じられたため、その者を召し連れて出るよう松平薩摩守に伝える登城令書。年記は天明三年のみで、月日と差出人は本文に記されない。
追録6-No.1946 重豪が俊鷹一翼を賜り芝邸書院で拝戴する
天明三年三月十八日、将軍家が年寄女を宮中に召し、老女を介して重豪に俊鷹一翼を賜った。重豪は芝邸書院で拝戴したと記し、儀礼の次第は続く独立番号No1947に記す。
追録6-No.1947 御鷹拝領時の通報・使者取次ぎ・拝戴順序・装束・飾りを定める
翌十八日の御鷹拝領に備え、大進が到着の通報、張番所の物頭・本門の中小姓・玄関の小番の配置、使者の取次ぎを定めた手順書。家老・側役・留守居・使番らの出迎え、御鷹と随行者が通る門、式台から座の間での捧持と拝戴の順序、太守や役人の服装、床の寿老人・立松などの飾りまで指示する。
追録6-No.1948 御鷹拝領の礼として進上する品の取次ぎを藤崎に頼む
重豪が藤崎に宛て、御縁女様の息災を喜ぶとともに、暇の際に願い出た御鷹拝領を許されたことへの謝意を伝えた。御礼として目録に記した品を進上したいので、よい機会に取り次いでほしいと頼む書状。年記は天明三年のみ。
追録6-No.1949 脚気による帰国延期を四月に届け、五月に秋までの再延期を願う
重豪は老中久世広明を通じて帰国を命じられたが、脚気で長旅に直ちに出られず、天明三年四月十二日に江戸に留まって療養する旨を届けた。その後も回復しなかったため、五月十六日に涼しい秋まで出発を待つよう再び願い、許されたと記す。
追録6-No.1950 脚痛のため保養し快復後に帰国へ出発すると届ける
重豪は国元への暇を与えられたが、脚痛により長途の旅行が難しいため、しばらく保養し、快復したら早速出発すると届けた。天明三年四月十二日付。注記によれば、同日、留守居本城源七郎を通じて御用番田沼主殿頭へ提出した。
追録6-No.1951 種姫結納の祝儀献上を披露したことを伝える
田沼意次が松平薩摩守に宛て、種姫の結納祝儀として使者を通じ目録の品を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝えた書状。天明三年四月十六日付、田沼主殿頭意次判。
追録6-No.1952 種姫結納の祝儀献上を披露したことを伝える
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、種姫の結納祝儀として使者を通じ目録の品を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと伝えた書状。天明三年四月十六日付、鳥居丹波守忠意判。
追録6-No.1953 久経五百年忌を浄光明寺で営み香奠銀三枚を献じる
天明三年四月二十一日、重豪が道忍公(島津久経)の五百年忌法事を浄光明寺で営み、当番頭北郷権五郎久馮を遣わして香奠銀三枚を献じ、拝礼させたと記す記事。
追録6-No.1954 脚痛療養中に歩行を試すため下屋敷へ移る許可を求める
重豪は帰国の暇を与えられたが脚痛で出発できず、養生しても全快しないため、歩行を試す目的で下屋敷へ移ることを願った。天明三年四月廿七日付。付札には願いの通りと許可され、注記は同日矢野清右衛門を通じて田沼主殿頭へ提出し、呼出しに応じた留守居本城源七郎が付紙の回答を受けた経過を記す。
追録6-No.1955 端午祝儀の帷子・単物の到来を喜び詳細を田沼に委ねる
徳川家治が薩摩中将に宛て、端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、詳しくは田沼主殿頭が述べると伝えた御内書。五月二日付、家治公の印を伴う。年記は原本・目録とも「天明二年(ママ)」で、周辺の天明三年文書との相違を留保する。
追録6-No.1956 端午祝儀の帷子・単物献上を披露したことを伝える
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、端午の祝儀として使者により献上された帷子・単物を披露し、一段の御仕合であったと伝えた書状。天明三年五月二日付、鳥居丹波守忠意判。
追録6-No.1957 脚痛が快復しないため秋まで滞府療養する許可を求める
重豪は三月に帰国の暇を与えられたが脚痛で出発を延期し、下屋敷で歩行を試して養生しても回復しなかった。医師も暑中の長旅は無覚束ないとしたため、秋まで滞府して療養し、途中で快復すれば早速出発すると願った。天明三年五月十六日付。本城源七郎を通じ久世大和守へ提出し、同廿一日、矢野清右衛門が出向いて願いどおり…
追録6-No.1958 御縁女様の誕生日祝儀に鯛一折を継続献上する手続きを伺う
重豪が御縁女様の六月十八日の誕生日祝儀として鯛一折を以後献上したいと願い、在府・在国とも年中の献上物と同じ手続きでよいかを伺った。天明三年六月五日付。付紙は伺いの通りと許可し、注記は本城源七郎を通じ松平周防守へ提出した後、同九日に矢野清右衛門が出向いて回答を受けた経過を記す。
追録6-No.1959 家重二十三回忌と吉宗三十三回忌に使者を遣わし各銀十枚を献じる
天明三年六月十二日、増上寺で惇信廟(家重)の二十三回忌法事が営まれ、翌十三日、重豪は大島休左衛門を遣わして香奠銀十枚を献じ拝礼させた。同月二十一日には東叡山で有徳廟(吉宗)の三十三回忌法事が営まれ、島津登久連を遣わして銀十枚を献じ拝礼させたと記す記事。
追録6-No.1960 琉球布・天門冬・赤貝塩辛・泡盛酒の献上を披露したことを伝える
松平康福が松平薩摩守に宛て、今朝献上された琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を披露し、一段の御仕合であったと伝えた書状。天明三年六月廿三日付、松平周防守康福判。
追録6-No.1961 琉球布・天門冬・赤貝塩辛・泡盛酒の献上を披露したことを伝える
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、今朝献上された琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を披露し、一段の御仕合であったと伝えた書状。天明三年六月廿三日付、鳥居丹波守忠意判。
追録6-No.1962 生見玉祝儀の黄金十両献上を披露したことを伝える
久世広明・田沼意次・松平康福が松平薩摩守に宛て、生見玉の祝儀として献上された黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝えた書状。天明三年七月六日付。久世大和守広明・田沼主殿頭意次・松平周防守康福の三名の判を伴う。
追録6-No.1963 生見玉祝儀の黄金十両献上を披露したことを伝える
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、生見玉の祝儀として献上された黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝えた書状。天明三年七月六日付。鳥居丹波守忠意判を伴う。
追録6-No.1964 惇信院二十三回忌の香奠を増上寺へ奉納した旨の言上を伝える
久世広明が松平薩摩守に宛て、惇信院の二十三回忌法事に際して使者により献上された香奠を増上寺に奉納した件を言上したと伝える書状。天明三年七月十二日付、久世大和守広明判。
追録6-No.1965 芝本宅大奥祀堂の安置・祭祀を記録所に保存し後代へ引き継ぐ
江戸芝本宅の大奥造替に際し、内々の祀堂を建て、先祖の位牌、遠祖の法名掛軸、その他の位牌を安置した件を記す。安置・祭祀の次第、位牌面・掛軸面や書付の写しを記録所で詳しく保存し、後年の照会に間違いなく答えるよう直接命じられたため、後代の参考として記録する覚書。天明三年癸卯七月十三日付、児玉祝人(実門)。
追録6-No.1966 芝本宅祀堂の位牌・掛軸配置と代替わり時の祭祀継承を定める
重豪が江戸芝本宅大奥の祀堂における位牌・掛軸の安置順と祭祀方針を記した一巻。五廟の位牌として忠久・吉貴・継豊・宗信・重年らの法名と忌日を配置図に記し、五廟外の月桂院・妙心院・智光院・慈照院・玉貌院などの位牌、忠時以下歴代と配偶者の法名・忌日を記した三幅の掛軸を続ける。礼記等の五廟説に基づき、忠久夫妻…
追録6-No.1967 有徳院三十三回忌の香奠を東叡山へ奉納した旨の言上を伝える
水野忠友が松平薩摩守に宛て、有徳院の三十三回忌法事に際して使者により献上された香奠を東叡山に奉納した件を言上したと伝える書状。天明三年七月廿日付、水野出羽守忠友判。
追録6-No.1968 福昌寺住持円山の御目見・格式許可、登営と拝領、帰薩を記す
前年十一月、重豪が福昌寺の住職交替時の江戸参府・将軍への御目見と独礼・乗輿の格式を願い、許可を得た。天明三年五月に住持円山を江戸へ召し、七月には献上品と朱網代輿等も許された。十月十五日、円山は白書院で家治に目見え、二束一巻・官香五袋を献じ、家斉にも同品を献上して老中・寺社奉行を訪ねた。十九日、阿部正…
追録6-No.1969 福昌寺の御目見時に別紙の祝儀品を献上させる指図を求める
重豪が、福昌寺の御目見に際して別紙の通り献上させたいので指図を求めた伺書。別紙「福昌寺自分献上」は公方様・大納言様へ各二束一巻、官香五把を献上する案を列記する。天明三年七月廿一日付、松平薩摩守。
追録6-No.1970 福昌寺の毎年の御札献上と御暇時の申し渡し・拝領扱いを願う
重豪が福昌寺の御目見後の扱いについて二箇条を願った。福昌寺は薩州で毎年公儀の祈祷を行い重豪へ御札を差し出してきたが、今後は毎年御札を献上させたいとする。また御暇の際は柳之間で老中から申し渡し、拝領物を広蓋で受け取る扱いを求めた。天明三年七月廿一日付、松平薩摩守。
追録6-No.1971 福昌寺が永平寺から譲り受けた朱網代乗物の使用を伺う
重豪が、福昌寺が越前永平寺から譲り受けた朱網代乗物を今回使用したいと伺った文書。天明三年七月廿一日付、松平薩摩守。
追録6-No.1972 御縁女様の誕生日祝儀を進上するため六名に取次ぎを頼む
重豪が上々様の御機嫌を喜び、御縁女様へ誕生日祝儀として目録の通り進上するため、よい機会に取り次いでほしいと頼む書状。高をか・花その・あすか井・たき川・野むら・いさ野の六名に宛てる。年記は天明三年のみで、月日と目録の品目は本文に記されない。
追録6-No.1973 八朔祝儀の太刀一腰・馬代黄金十両献上を披露したことを伝える
久世広明・田沼意次・松平康福が松平薩摩守に宛て、八朔の祝儀として使者により献上された太刀一腰と馬代黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝えた書状。天明三年八月四日付。久世大和守広明・田沼主殿頭意次・松平周防守康福の三名の判を伴う。
追録6-No.1974 八朔祝儀の太刀一腰・馬代黄金十両献上を披露したことを伝える
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、八朔の祝儀として使者により献上された太刀一腰と馬代黄金十両を披露し、一段の御仕合であったと伝えた書状。天明三年八月四日付。鳥居丹波守忠意判を伴う。
追録6-No.1975 脚痛が少し快方となり近日帰国へ出発すると届ける
重豪は脚痛のため秋まで江戸に滞在することを許されていたが、少し快方に向かったので近日出発すると届けた。天明三年八月廿日付。注記によれば、同日、留守居本城源七郎を通じて御用番久世大和守へ提出した。
追録6-No.1976 江戸から東海道・中国道・九州を経て麑島へ帰着する
天明三年八月二十八日、重豪が江戸を発ち帰国した。島津大進久起、寺社奉行兼側用人島津登久連、側役岩下佐次右衛門方恭が供奉し、東海道を進み九月十二日に伏見へ着いて二日滞宿、十五日から中国道を通り、二十九日に赤間関、翌晦日に豊前大里へ渡った。九州の駅路を経て十月十三日に麑島へ還り本丸に入った。同日、関山軍…
追録6-No.1977 公方・大納言の機嫌を伝え献上品一箱の披露を報じる
久世広明が松平薩摩守に宛て、書札を読み、公方様・大納言様の御機嫌を伺った件について、健やかであるので安心するよう伝えた。また「干鱠残魚」と読める献上品一箱を披露し、一段の御仕合であったと記す。天明三年九月六日付、久世大和守広明判。献上品名の字形は留保する。
追録6-No.1978 公方・大納言の機嫌を伝え献上品一箱の披露を報じる
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、書札を読み、公方様・大納言様の御機嫌を伺った件について、健やかであるので安心するよう伝えた。また「干鱠残魚」と読める献上品一箱を披露し、一段の御仕合であったと記す。天明三年九月六日付、鳥居丹波守忠意判。献上品名の字形は留保する。
追録6-No.1979 尚穆の謝恩使・緞子補送と薩摩継使の江戸往復・返書を記す
前年、尚穆が家治による豊千代君の養子・継嗣の件を祝うため浦添王子を遣わし、返礼を受けたことを受け、天明三年七月に野里親方を謝恩使として薩府へ送った。前年の目録にあったが献上できなかった緞子三十巻も補送した。九月六日、薩摩は野元源右衛門盛昌を継使、武元八太郎を宰領として王の書と緞子を江戸へ送り、盛昌ら…
追録6-No.1980 重陽祝儀の小袖一重の到来を喜び詳細を久世に委ねる
徳川家治が薩摩中将に宛て、重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しくは久世大和守が述べると伝えた御内書。天明三年九月七日付、家治公の印を伴う。
追録6-No.1981 重陽祝儀の小袖一重の献上を披露したことを伝える
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、重陽の祝儀として使者により献上された小袖一重を披露し、一段の御仕合であったと伝えた書状。天明三年九月七日付、鳥居丹波守忠意判。
追録6-No.1982 病後の重豪の帰国を早めるため宿駅の人馬・川の差滞り解消を求める
薩摩守が病所のため秋までの江戸滞在を願った後、帰国へ出発した件について、翌二月には参府するため在国期間が短く、領国の政務や用向きに支障が生じると述べる。病後で脚痛が残り、長旅の宿駅の人馬継立や川での滞りによって到着が遅れるので、道中奉行から宿々へ声を掛け、人馬等の差滞りがないよう取り扱う沙汰を求める…
追録6-No.1983 薩摩守帰国の人馬・川の支障を防ぐ指示を宿々へ急送させる
松平薩摩守の帰国に際し、宿駅の人馬や川で支障がないよう、道中筋の御料・私領の宿々から薩州まで申し送ることを命じる触書。薩摩守は既に出立しているため昼夜を限らず急送して途中で追い越すよう取り計らい、各宿の請書を求める。天明三年卯九月九日付、半左衛門役所印、品川宿の問屋・年寄の記載を伴う。
追録6-No.1984 帰国途上の継立支援依頼の交渉と特例扱い・書類提出経過を記す
重豪の帰国途上の差滞りを防ぐため、留守居付役桑山甚助を道中奉行大屋遠江守方へ遣わし内意を申し入れた交渉経過を記す首尾書。人馬継立等について勘定組頭・勘定方への取計いと規定の確認が必要であり、老中への内意申入れを経て松平周防守の承知を得た。九月九日の役人との面談で道中奉行から継立等の通達がある旨を聞き…
追録6-No.1985 心観院十三回忌の香奠奉納・言上を伝える
田沼意次が松平薩摩守に宛て、心観院(徳川家治室)の十三回忌法事に際して使者により献上された香奠を東叡山へ奉納した件を言上したと伝える書状。天明三年九月廿日付、田沼主殿頭意次判。
追録6-No.1986 島津千次郎(又八郎)の加冠仮名を定める
島津重豪が島津千次郎の加冠に際し、仮名を又八郎とするよう定めた書出。天明三年卯十月十九日付、御判。正文は島津遠江にあるとの保管注記を伴う。
追録6-No.1987 村森喜之助(織之介)の加冠仮名を定める
島津重豪が村森喜之助の加冠に際し、仮名を織之介とするよう定めた書出。天明三年卯十月十九日付、御墨印。正文は島津遠江にあるとの保管注記を伴う。
追録6-No.1988 川上犬五郎(転)の加冠仮名を定める
島津重豪が川上犬五郎の加冠に際し、仮名を「転」(原文「轉」)とするよう定めた書出。天明三年卯十月廿一日付、御判。正文は川上東馬にあるとの保管注記を伴う。
追録6-No.1989 加冠仮名を善之助とするよう定める
島津重豪が喜入鶴次の加冠に際し、仮名を善之助とするよう定めた書出。天明三年卯十月廿一日付、御判。正文は喜入多門にあるとの保管注記を伴う。
追録6-No.1990 加冠仮名を又七郎とするよう定める
島津重豪が島津三十郎の加冠に際し、仮名を又七郎とするよう定めた書出。天明三年卯十月廿二日付、御判。正文は島津主殿にあるとの保管注記を伴う。
追録6-No.1991 加冠仮名を藤次郎とするよう定める
島津重豪が島津愛二郎の加冠に際し、仮名を藤次郎とするよう定めた書出。天明三年卯十月廿二日付、御判。正文は島津主計にあるとの保管注記を伴う。
追録6-No.1992 加冠仮名を仙十郎とするよう定める
島津重豪が加冠に際し仮名を仙十郎とするよう定めた書出。対象者の旧名・姓は本文に記されない。天明三年卯十月廿八日付、御判。正文は鎌田藤馬にあるとの保管注記を伴う。
追録6-No.1993 加冠仮名を新左衛門とするよう定める
島津重豪が平田辰次の加冠に際し、仮名を新左衛門とするよう定めた書出。天明三年卯十一月朔日付、御墨印。正文は平田兵十郎にあるとの保管注記を伴う。
追録6-No.1994 加冠仮名を隼人とするよう定める
島津重豪が比志嶋彦一の加冠に際し、仮名を隼人とするよう定めた書出。天明三年卯十一月三日付、御判。正文は比志島静馬にあるとの保管注記を伴う。
追録6-No.1995 公方・大納言の機嫌を伝え小熬海鼠一箱の披露を報じる
久世広明が松平薩摩守に宛て、書札を読み、公方様・大納言様の御機嫌を伺った件について、御安全であるので安心するよう伝えた。また献上された小熬海鼠一箱を披露し、一段の御仕合であったと記す。天明三年十一月十三日付、久世大和守広明判。
追録6-No.1996 公方・大納言の機嫌を伝え小熬海鼠一箱の披露を報じる
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、書札を読み、公方様・大納言様の御機嫌を伺った件について、御安全であるので安心するよう伝えた。また献上された小熬海鼠一箱を披露し、一段の御仕合であったと記す。天明三年十一月十三日付、鳥居丹波守忠意判。
追録6-No.1997 二度の放鷹で捕った鶴・雁の江戸献上と免役・賞・祝宴を記す
安永九年に一翼、天明三年三月に二翼の鷹を賜った経緯を記し、重豪が帰藩後に鶴・雁を捕って将軍へ献上する件を述べる。三年十一月十二日に谷山で放鷹、十四日に田布施へ入り、二十八日に庚子年に賜った鷹で鶴を捕らえ、腹を割って塩詰めし、翌二十九日に志和屋左太夫良安らに江戸芝邸へ護送させた。十二月六日に田布施から…
追録6-No.1998 中山王謝恩の書を一覧し返翰の伝達を求める
田沼意次が松平薩摩守に宛て、公方様・大納言様の御機嫌を伝える。前年の御養君祝儀に際し琉球中山王と使者へ拝領物を与えた件の礼として、野里親方が薩州へ書翰を届け、使者を国元に留めたまま継使により江戸へ送られた書を一覧したと記す。返翰を遣わすので伝達するよう求める。天明三年十一月廿三日付、田沼主殿頭意次判…
追録6-No.1999 中山王謝恩の書を承知し返翰の伝達を求める
水野忠友が松平薩摩守に宛て、御礼の書を披見し、公方様・大納言様の御機嫌を伝える。前年、御養君の祝儀として琉球中山王の使者が薩州へ来て、継使で献上物を届け、公方様・大納言様から王と使者へ拝領物を与えた件を述べる。その礼のため、野里親方が薩州へ書翰を届け、使者を国元に留め、継使が書を届けた旨を承知したと…
追録6-No.2000 中山王謝恩の書を承知し返翰の伝達を求める
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、御礼の書を披見し、公方様・大納言様の御機嫌を伝える。前年、御養君の祝儀として琉球中山王の使者が薩州へ来て、継使で献上物を届け、公方様・大納言様から王と使者へ拝領物を与えた件を述べる。その礼のため、野里親方が薩州へ書翰を届け、使者を国元に留め、継使が書を届けた旨を承知したと…
追録6-No.2001 中山王から年始の贈物を受け取り厚意に礼を述べる
重豪が中山王に宛て、年始の嘉儀として使簡と別録の品々を贈られたことを受け、厚意を祝着に思うと述べる。猶、後喜の時と結ぶ。天明三年十一月廿八日付、中将重豪御判。重豪公御譜に収め、正文は琉球国司にあると注記する書状。
追録6-No.2002 虎寿丸の疱瘡快復祝いを受け取り礼を述べる
重豪が中山王に宛て、虎寿丸の疱瘡が済んだ祝儀として富川親方を遣わし、目録に記された品々を贈られたことを述べ、欣然の至りと礼を表す。十一月廿八日付、中将重豪御判。前掲と同じ出典の書状として収録する。
追録6-No.2003 進貢使の帰帆・病気と贈物使の交代を承知し中山王に礼を述べる
重豪が中山王に宛て、去る子年に大清国へ遣わした進貢使東風平親雲上が北京での勤めを済ませ、当年四月に帰帆したとの知らせを承知したと述べる。東風平が病気のため、このたび盛嶋親雲上に託して別録の品々を贈られた厚意に礼を表す。天明三年十一月廿八日付、中将重豪御判。
追録6-No.2004 幕府からの拝領物に対する中山王の謝恩と贈物を受け取る
重豪が中山王に宛て、御養君を仰せ出された祝儀として公方様・大納言様へ献上したことに対し、目録の通り下賜され、使者にも拝領物を与えられた厚恩を謝するのはもっともと述べる。そのため徳里親方を遣わし、別録の品々を贈られたことを祝着に思うと記す。天明三年十一月廿八日付、中将重豪御判。
追録6-No.2005 進貢勤勉により清から例格外に賜った五品を贈られた礼を述べる
重豪が中山王に宛て、進貢の勤めに懈怠がなかったため清から例格の外に賜った品々を贈られた厚意に礼を表す。品は青玉竹梅筆筒一、淡黄玻璃水碗一、老菊胡蘆花瓶一、菱花錦一巻、緞子一巻。天明三年十一月廿八日付、薩摩守重豪御判、中山王への回章。清の賜物が重豪へ贈られたことを記す書状。
追録6-No.2006 清の賜物である金入龍紋緞子・色緞子を贈られた礼を述べる
重豪が中山王に宛て、清の賜物である金入龍紋緞子一巻と色緞子一巻を贈られたことに対し、厚意を欣然の至りと礼を表す。天明三年十一月廿八日付、薩摩守重豪御判、中山王への回章。前掲と同じ出典の独立した書状として収録する。
追録6-No.2007 中山王の平安を喜び自身の無事を伝え縮布五端の贈与に礼を述べる
重豪が中山王に宛て、書札を披見して王の平安を珍重に思うと述べ、自身も無事なので安心するよう伝える。さらに縮布五端を贈られた懇篤な厚意に礼を表す。天明三年十一月廿八日付、薩摩守重豪御判、中山王への回章。
追録6-No.2008 嫡孫夭亡の尋問に対する謝礼使派遣を承知する
重豪が中山王に宛て、嫡孫の夭亡に際する尋問への謝礼として国頭親方を遣わした旨を承知し、書面の厚意に礼を表す。天明三年十一月廿八日付、中将重豪御判。前掲と同じ出典の独立した書状として収録する。
追録6-No.2009 中城王子から年始の書翰・贈物を受け取り礼を述べる
重豪が中城王子に宛て、年始の嘉儀として書翰と目録に記された品々を贈られた厚意を祝着に思うと述べ、猶、後喜の時と結ぶ。天明三年十一月廿八日付、中将重豪御判。写しを収録し、正文は琉球国司にあると注記する。
追録6-No.2010 中城王子から虎寿丸の疱瘡快復祝いを受け取り礼を述べる
重豪が中城王子に宛て、虎寿丸の疱瘡が済んだ祝儀の書翰と目録の品々を贈られたことに対し、欣然の至りと礼を表す。天明三年十一月廿八日付、中将重豪御判。写しを収録し、正文は琉球国司にあると注記する。
追録6-No.2011 幕府の拝領物に対する中城王子の謝恩贈物を受け取り礼を述べる
重豪が中城王子に宛て、御養君を仰せ出された祝儀として国王から公方様・大納言様へ献上したことに対し、目録の通り下賜され、使者にも拝領物を与えられた厚恩を謝するのはもっともと述べる。その礼として別録の品々を贈られたことを祝着に思うと記す。天明三年十一月廿八日付、中将重豪御判。写しを収録し、正文は琉球国司…
追録6-No.2012 嫡子夭亡の尋問贈与に対する中城王子の謝礼を受け取る
重豪が中城王子に宛て、嫡子の夭亡に際して尋問のため一種を贈ったことに対し、謝礼として別録の品々を贈られた旨を述べ、書面の厚意に礼を表す。天明三年十一月廿八日付、中将重豪御判。前掲と同じ出典の独立した書状として収録する。
追録6-No.2013 中城王子の平安を喜び自身の無事と縮布三端への礼を伝える
重豪が中城王子に宛て、書札を披見し王子の平安を珍重に思うと述べ、自身も無事なので安心するよう伝える。縮布三端を贈られた厚意に、過量の至りと礼を表す。天明三年十一月廿八日付、薩摩守重豪御判、中城王子への回章。
追録6-No.2014 福昌寺の登城・献上・御目見と朱網代乗輿の当住一代許可を伝える
福昌寺が公辺の独礼乗輿の格式を許されて出府し、先月十五日に登城したことを伝える。御白書院に公方様・大納言様が出御し、二束一巻と官香五把ずつを献上し、奏者牧野備前守を介して御目見を許された。朱網代乗輿は願いにより当住一代限り許され、その旨を阿部備中守から申し渡されたとの報告を受け、寺社奉行へ伝え、承知…
追録6-No.2015 福昌寺の御暇・拝領物と江府出立を寺社奉行へ伝える
福昌寺が寺社奉行阿部備中守の指示により十月十九日に登城し、柳之間で御用番田沼主殿頭から御暇と拝領物を申し渡されたことを伝える。奏者松平右近将監から拝領物を受け取り、同月廿七日に江府を出立したとの報告を受け、寺社奉行へ伝え、承知すべき者にも申し渡すよう命じる。御時服三の記載を伴う。十二月付、主馬署名の…
追録6-No.2016 帰国後の拝領物謝恩として関山軍兵衛が届けた献上を承知する
水野忠友が松平薩摩守に宛て、公方様・大納言様の御機嫌を伝える。御暇に白銀・巻物を頂戴し、さらに馬と大納言様からの拝領物を受けた厚恩を謝する旨を承知したと述べる。国許到着後の礼として、関山軍兵衛を介して目録の通り献上した書面の趣旨も承知したと記す。天明三年十二月三日付、水野出羽守忠友判。重豪公御譜所収…
追録6-No.2017 帰国後の謝恩献上を披露し御喜色があったと伝える
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、公方様・大納言様の御機嫌を伝える。御暇に白銀・巻物を頂戴し、馬と大納言様からの拝領物も受けた厚恩を謝する旨を承知したと述べる。国許到着後の礼として関山軍兵衛を介して目録の通り献上したことを披露し、御喜色があったと伝える。天明三年十二月六日付、鳥居丹波守忠意判。重豪公御譜所…
追録6-No.2018 帰国後の芭蕉布二十端・樽肴献上について御前召出と御喜色を伝える
久世広明・田沼意次・松平康福が松平薩摩守に宛て、公方様・大納言様の御機嫌を伝える。御暇に白銀・巻物・馬を賜り、大納言様からも拝領物を受けた厚恩を謝する旨を承知したと記す。国許到着後の礼として、関山軍兵衛を介し琉球芭蕉布二十端と樽肴を献上したことを披露し、御前への召出があり厚意に御喜色があったと伝える…
追録6-No.2019 炙鮎一箱の献上を相談して披露したと伝える
松平康福が松平薩摩守に宛て、公方様・大納言様の御機嫌を伝える。炙鮎一箱を献上した件について、各申談のうえ披露し、一段の御仕合であったと報じる。天明三年十二月十三日付、松平周防守康福判。重豪公御譜所収、正文は文庫にあるとの注記を伴う。
追録6-No.2020 炙鮎一箱の献上披露を報告する
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、公方様・大納言様の御機嫌を伝える。炙鮎一箱を献上した件を披露し、一段の御仕合であったと報じる。天明三年十二月十三日付、鳥居丹波守忠意判。前掲と同じ出典の独立した書状として収録する。
追録6-No.2021 公方の増上寺御霊屋参詣への祝意を上聞に達したと伝える
松平康福が松平薩摩守に宛て、公方様の御機嫌を伝える。十月十四日に増上寺御霊屋へ参詣したことを聞いて恐悦するとの書面を受け、各申談のうえ上聞に達したと報じる。天明三年十二月十五日付、松平周防守康福判。重豪公御譜所収、正文は文庫にあるとの注記を伴う。