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追録6の目録
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追録6-No.1343 重豪の吉書―神社仏閣、勧農、国々年貢の三箇条と翌日の受渡し
吉書と題し、神社佛閣修治造興行事、可専勸農事、可徴納國々年貢事の三箇条を列記する。すなわち神社仏閣に関わる修治造興行、農事を専ら奨励すること、国々の年貢を徴納することを示し、この三箇条に従って沙汰する旨を命じる。末尾は安永五年正月十一日、重豪御判との表示がある。続く包紙には二七十八と記し、申正月十二…
追録6-No.1344 松平右京大夫輝高書状―改年・年始規式への祝意と樽肴奉献への返答
書札を披見し、改年の慶賀がますます重なり、公方・大納言の機嫌よくしている旨を述べる。年始御規式可相済として、めでたく思う旨を承知し、さらに樽肴を献じられたことについて、各々申し談じて披露したので、一段の仕合であると返答する。末尾は二月四日、松平右京大夫輝高判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永五年。
追録6-No.1345 阿部豊後守正允書状―改年・年始規式への祝意と樽肴奉献への返答
書札を披見し、改年の慶賀がますます重なり、公方・大納言の機嫌よくしている旨を述べる。年始御規式可相済として、めでたく思う旨を承知し、さらに樽肴を献じられたことについて、披露したので、一段の仕合であると返答する。末尾は二月四日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永五年。
追録6-No.1346 大目付廻状―老中書付の写を同列在府者・嫡子へ順達し答を対馬守へ伝える
松平右京大夫から渡された書付の写一通を送るので、その趣旨を承知し、同列中の在府者と嫡子方へ、行き渡るよう滞りなく早く通達するよう命じる。答については元の方へ各々の挨拶は不要とし、各々松平対馬守方へ申し聞かせるよう指示し、末尾は二月十四日、大目付。松平陸奥守殿・松平大膳大夫殿の右留守居宛で、年は朱に安…
追録6-No.1347 大目付廻状の添書―家臣・嫡子方への連絡と各留守居の受領注
嫡子がいる方は、その付衆へも知らせるよう求める。大目付から廻状と書付の写一通を渡され、陸奥守・大膳大夫に各方への通達を申し付けられたため、数通の廻状を相認めて回すことを伝える。二月十四日、松平陸奥守内諏訪九郎左衛門・田坂源太左衛門を記し、次頁には菅野勝三郎・齊藤源次・吉田隼太の名と、御次第不同の宛書…
追録6-No.1348 諸大名の往来・登城に伴う茶弁当と道中薬用・火元用の携行を規制する触書
諸大名の往来の際、茶弁当を持たせる者がいると聞いたので、以後は一統に無用とする。道中の薬用などのために持たせたい場合は、別段に届け、供立を離して一行の後から間を置いて持たせるよう命じる。また道中の火元のために辛領と記すものを付けることに触れ、登城の節には途中に残し、下馬まで持たせないよう命じる。末尾…
追録6-No.1349 松平右京大夫輝高書状―歳暮祝儀として時服・御香を拝領した礼に返答
書札を披見し、公方・大納言の機嫌よくしていることを聞いて喜ぶ旨は尤もとする。旧臘の歳暮の祝儀として公方から時服と御香を拝領し、有り難く思う旨を述べられたことについて、紙面の趣旨を各々申し談じ上聞したと返答する。末尾は二月十五日、松平右京大夫輝高判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永五年。
追録6-No.1350 阿部豊後守正允書状―歳暮祝儀として時服・御香を拝領した礼に返答
書札を披見し、公方・大納言の機嫌よくしていることを聞いて喜ぶ旨は尤もとする。歳暮の祝儀として公方から時服と御香を拝領し、有り難く思う旨を述べられたことについて、紙面の趣旨を言上したと返答する。末尾は二月十五日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永五年。
追録6-No.1351 六月参勤の遠国大名は日光社参後に国元発足するよう通達
六月に一同参勤する者のうち、国元が遠く、例年早く国元を出立する者がいると聞いたので、この年は日光御社参が済んでから国元を発足するよう通達する。本文は安永五年二月、朱年の表示がある。続く大目付の廻状は松平右京大夫から渡された書付の写一通を送り、趣旨を承知して滞りなく順達し、最後から松平対馬守方へ返すよ…
追録6-No.1352 島津左中久金、日光社参の出御・還御時の勤向と内証勤向を照会する
公方の日光御社参について、太守の勤向の先例を調べたところ、享保十三年申四月には、社参時は在国中で出御の知らせを承知してから飛札で申し上げ、還御時には礼の使者を勤め、御用人諸良善助を差し越した書留があると述べる。出御・還御の勤向を廻状で仰せ渡す見込みと聞くが、在国側への知らせは用人・使者で先例通りにす…
追録6-No.1353 山岡市正久澄の返書―出御・還御勤向の資料取調と御書判三十八枚の送付
吟味の通りに仰せ付ける旨を仰せ出されたと伝え、出御・還御の両条の勤向について、連署、格書、書面などをそちらで調べ、京都・大坂の役場と長崎に関わる書面も取り調べるよう求める。使者を川上頼母に仰せ付ける件はその手当をするよう指示する。こちらでは中途調の書面が同じ日付では作れない見込みなので、その考えを勤…
追録6-No.1354 登城・江戸往還・大名往還の供廻人数と騎馬・供鎗を制限する定書
下馬より下乗橋まで召し連れる人数を身分別に示す。四品および十万石以上、国持の嫡子は侍六人・草履取一人・挟箱持二人・六尺四人、雨天は傘持一人。一万石以上は侍五人または四人を分限に応じて召し連れ、草履取一人・挟箱持一人・六尺四人、雨天は傘持一人とする。下乗より内では、四品・十万石以上と国持の嫡子は侍三人…
追録6-No.1355 田沼意次書状―公方の正月十日東叡山御霊前参詣への祝意に返答
書札を披見し、公方の機嫌よくしていることを述べる。正月十日に東叡山御霊前へ参詣したことを承り、喜ぶ旨は尤もとし、紙面の趣旨を各々申し談じ上聞したと返答する。末尾は三月十一日、田沼主殿頭意次判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永五年。
追録6-No.1356 重豪の女厚姫―芝邸での出生と後の天亡・法号・墓
安永五年丙申三月十五日、市田氏が芝の邸で女子を産み、厚姫と称したと記す。続いて七年戊戌六月十三日に天亡したこと、法号を翠黛院殿松屋惠吟大禪童女とすること、惠燈院と江府大圓寺に墓を建てたことを記す。
追録6-No.1357 虎寿丸の約婚相手の死去と有馬頼貴の女への新たな婚姻請願
五年丙申春三月、虎寿丸が約婚していた佐竹義敦の女が没したので、そのことを告げたと記す。その後、父公が虎寿丸のために幕府へ、有馬中務大輔頼僮の嫡子上総介頼貴の女との婚姻を改めて請願した。有馬中務大輔には筑後久留米城主の注、父公には重豪の注がある。冬十一月二十七日、幕府が父公を召したが、病気があったため…
追録6-No.1358 爪折に紛らわしい長柄傘と乗物の日覆を規制する触書
諸大名の長柄傘のうち、爪折に紛らわしい物を持つ者がいると聞いたとして、爪折は国持・溜詰・御三家庶流・越前家など従来から持つ者に限って従前の扱いを保ち、四品以下は、たとえ前から持っていても以後無用とする。爪折に紛らわしい長柄傘も無用とする。また乗物の日覆は、前から羅紗を使う者は別格とし、近来新たに使う…
追録6-No.1359 日光社参後の祝儀献上―石高別の種・荷と御部屋への進上を定める
日光御社参が済み還御した後の祝儀について、石高別に献上の種・荷を指図する。三十万石以上は公方へ三種三荷・大納言へ三種二荷、十万石以上は公方へ三種二荷・大納言へ二種一荷、五万石以上は公方へ二種一荷・大納言へ一種一荷、一万石以上は公方へ一種一荷・大納言へ一種一荷とする。後段には十万石以上について大納言へ…
追録6-No.1360 島津左中久金、日光社参に伴う内証勤向・大納言と種姫への礼を照会する
日光御社参に伴う内証の勤向について、享保十三年申四月の社参では表向の勤向だけで内証の勤向がなかったが、御守殿の御入興以後は、表向の勤向に加えて女御使または御文による祝儀・機嫌伺いがあるかもしれないとして、この度、発駕から還御までの間にどのような勤品をすべきかを問う。大納言と種姫への勤品もどうすべきか…
追録6-No.1361 山岡久澄の短い朱書返答―四月二十一日
前の家老書状の本文間に、朱書で本文達、貴聞候、以上という短い記載があり、別に四月二十一日の朱日付を示す。目録はこの部分を山岡久澄返書として立項している。返答の本文はこの短文にとどまり、独立した署名や具体的な勤品の数量・許否は記さない。
追録6-No.1362 有川勇馬の届書―佐竹息女の死去と虎寿丸の縁組に関わる届出
佐竹右京大夫の息女と、薩摩守の嫡子虎寿丸との縁組が仰せ出されていたが、息女が死去したので、原文の未祝儀之取替不仕候という事情を届ける。末尾は三月二十九日、松平薩摩守内有川勇馬。朱注は、この届書一通を同日、留守居有川勇馬を介して御用番田沼主殿頭へ差し出したと記す。
追録6-No.1363 小松清香・山岡久澄の申渡―弓鉄砲稽古の賭勝負を禁じる
弓・鉄砲の稽古で賭勝負をする者がいると聞いたとして、稽古の本意に背き、風俗も悪くなるので、以後は賭勝負を無用とする。稽古は専心して出精し、実儀を取り失わないようにする趣旨で、去る丑年に既に何事によらず賭勝負を禁じる旨を申し渡していたのに、近頃また行われていると聞いたため、その指示を堅く守り、稽古には…
追録6-No.1364 板倉佐渡守勝清書状―御香具一箱・丸熨斗一箱奉献の披露を伝える
御香具一箱と丸熨斗一箱を献じられたことにつき、披露したところ一段の仕合であると返答する。末尾は四月七日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永五年。
追録6-No.1365 阿部豊後守正允書状―御香具一箱・丸熨斗一箱奉献の披露を伝える
御香具一箱と丸熨斗一箱を献じられたことにつき、披露したところ一段の仕合であると返答する。末尾は四月七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永五年。
追録6-No.1366 重豪の参勤―鹿城発駕から江戸到着と芝邸での労問
安永五年丙申四月二十一日、重豪が江戸へ向かって鹿城を発駕した。家老山岡市正久澄、側用人関山軍兵衛金郷、側用人格兼留守居佐久間九十九と諸有司が従う。肥筑諸州を経て豊前州大里で乗船し、長門州赤間関で上陸、山陽道を通って大坂へ至り、仮邸に二日滞在した。枚方から山城州伏見の仮邸を経て美濃路・東海道の諸駅を通…
追録6-No.1367 小松清香の犬追物書状―上覧照会への備えと稽古不足
家伝の犬追物について、江戸で上覧の沙汰があったり、他から照会されたりした時の答え方に備え、享保七年寅十一月の問合せの書留を別紙写で送る。先に犬追物稽古場を設けて稽古を命じ、去年十一月には御代初の犬追物の式を御覧に入れたので、公辺に伝わり、万一上覧の沙汰がある場合を考える。生類憐の仰渡以来実施せず、書…
追録6-No.1368 犬追物書状への返答―留守居への伝達と帳面作成
前書の本文間に、朱書で本文を承知したこと、留守居へ申し聞かせておいたこと、帳面作成を申し付け別紙を控え置いたことを記し、以上と結ぶ。朱日付は六月六日。目録は島津久金・島津久寿連署返書として立項するが、この朱短文自体には独立した署名・宛名はない。
追録6-No.1369 家治の日光社参還御を賀す―留守居による三者への祝儀献上
同年夏四月十三日、家治が日光山へ行って神廟を拝し、二十一日に江戸へ還御したと記す。あらかじめ在国・在邑の諸侯へ、守邸の臣僕を使って樽肴を献じ還御を賀すよう告げていたので、重豪は二十五日に守邸家老へ命じ、留守居を城へ遣わした。大家へ三種三荷、儲后へ三種二荷、儲后生母津田氏へ一種一荷を献じ、いずれも大家…
追録6-No.1370 日光社参後の祝儀樽肴について五老中が披露を伝える
日光山御社参が済んだ祝儀として、使者をもって樽肴を献じられたことを披露し、一段の仕合であると返答する。四月二十五日付、年は朱の安永五年。上段の田沼意次・板倉勝清と続く下段の松平康福・輝高・武元の計五名が署判し、松平薩摩守に宛てる。本文は樽肴の奉献と披露を記すが、種・荷や食品の内訳の数量は記さない。同…
追録6-No.1371 阿部正允、日光社参祝儀の樽肴奉献について披露を伝える
公方の日光山御社参が済んだ祝儀として、使者をもって樽肴を献じられたことを披露し、一段の仕合であると返答する。末尾は四月二十五日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年。樽肴の具体的な種類や種・荷の数量は書かれていない。五老中の同日付連署書状と差出人を分ける。
追録6-No.1372 久金の日光社参首尾書―機嫌伺い・還御と祝儀献上の報告
公方が去る十三日朝六半時に日光へ発興した際、留守居が板倉佐渡守へ機嫌伺いに出て、御用人を通じて無事の出発を聞いたと報告する。その後も留守居は毎日板倉へ伺い、大納言方へは阿部豊後守を通じ、十三・十六・十九日の三度機嫌伺いをした。二十一日八時過に還御した時も板倉へ伺い、無事と聞いた。発興に伴う飛札と還御…
追録6-No.1373 家治の御内書―端午祝儀の帷子・單物到来を謝す
端午の祝儀として帷子・單物が到来したことを喜び、詳しくは板倉佐渡守が述べると伝える。五月四日付、年は朱の安永五年、薩摩中将殿宛。円内に家治公墨印と示す。
追録6-No.1374 阿部正允、端午祝儀の帷子・單物奉献の披露を伝える
端午の祝儀として、使者をもって帷子・單物を献じられたことを披露し、一段の仕合であると返答する。五月四日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年。
追録6-No.1375 板倉勝清、公方の日光山社参出御を祝う書状の上聞を伝える
書状を拝見し、公方・大納言ともますます機嫌がよいと記す。公方が日光山へ社参するため去月十三日に江戸を出御したことを承知し、めでたく思うとの書面の趣旨について、各と相談して上聞したと返答する。末尾は五月二十三日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年。去月十三日の出御と五月二十三日の返書を…
追録6-No.1376 阿部正允、公方の日光山社参出御を祝う書状の言上を伝える
書状を拝見し、公方・大納言ともますます機嫌がよいと記す。公方が日光山へ社参するため去月十三日に江戸を出御したことを承知し、めでたく思うとの書面の趣旨を言上したと返答する。末尾は五月二十三日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年。四月十三日の出御と五月二十三日の返書を分け、公方の社参を大…
追録6-No.1377 松平右近将監武元、日光社参還御を祝う使者の書面の伝達を返答する
書状を拝見し、公方・大納言ともますます機嫌がよいと記す。公方の日光山御社参が済み、去月二十一日に還御したことを承知してめでたく思い、そのため使者を差し越された件について、書面の趣旨を各と相談して上聞したと返答する。末尾は五月二十八日、松平右近将監武元判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年。去月二十一日…
追録6-No.1378 阿部豊後守正允、日光社参還御を祝う使者の書面の伝達を返答する
書状を拝見し、公方・大納言ともますます機嫌がよいと記す。公方の日光山御社参が済み、去月二十一日に還御したことを承知してめでたく思い、そのため使者を差し越された件について、書面の趣旨を言上したと返答する。末尾は五月二十八日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年。去月二十一日は四月二十一日…
追録6-No.1379 松平右近将監武元、大納言の御袖被為留を祝う書面の伝達を返答する
書状を拝見し、公方・大納言ともますます機嫌がよいと記す。当月二日に大納言の御袖被為留があったことを承知し、めでたく思うとの書面の趣旨を各と相談して上聞したと返答する。末尾は五月二十九日、松平右近将監武元判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年。
追録6-No.1380 阿部豊後守正允、大納言の御袖被為留を祝う書面の伝達を返答する
書状を拝見し、公方・大納言ともますます機嫌がよいと記す。当月二日に大納言の御袖被為留があったことを承知し、めでたく思うとの書面の趣旨を言上したと返答する。末尾は五月二十九日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年。
追録6-No.1381 松平周防守康福、禁裏の麻疹快然と酒湯を召したことへの祝意を伝える
書状を拝見し、公方・大納言ともますます機嫌がよいとして、恐悦の旨を述べた書面を受ける。さらに禁裏の麻疹が快然となり、酒湯を召したことを承知してめでたく思い、そのため使者を差し越された件につき、書面の趣旨を各と相談して上聞したと返答する。末尾は六月二日、松平周防守康福判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五…
追録6-No.1382 阿部豊後守正允、禁裏の麻疹快然と酒湯を召したことへの祝意を伝える
書状を拝見し、公方・大納言ともますます機嫌がよいとして、恐悦の旨を述べた書面を受ける。さらに禁裏の麻疹が快然となり、酒湯を召したことを承知してめでたく思い、そのため使者を差し越された件につき、書面の趣旨を言上したと返答する。末尾は六月二日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年。
追録6-No.1383 松平周防守康福、大納言の麻疹が軽いことへの祝意を伝える
書状を拝見し、大納言が麻疹を患ったが軽い様躰であると承知し、恐悦の旨を述べた書面を受ける。なお機嫌は変わらず、ますます快然であると聞けることを安心し、書面の趣旨を各と相談して上聞したと返答する。末尾は六月二日、松平周防守康福判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年。
追録6-No.1384 阿部豊後守正允、大納言の麻疹が軽いことへの祝意を伝える
書状を拝見し、大納言が麻疹を患ったが軽い様躰であると承知し、恐悦の旨を述べた書面を受ける。なお機嫌は変わらず、ますます快然であると聞けることを安心し、書面の趣旨を言上したと返答する。末尾は六月二日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年。
追録6-No.1385 重豪の供立伺い―旧例の供を召し連れる願いと六月六日の口達
先に供人数・騎馬供・茶辨当その他の品々について触書があり、その指示を承知したと述べる。ただし供立は古来定めて代々守ってきたもので、家格に関わり、外向の召し連れを従前通りにしなければ甚だ差し支える事情があるという。これについて陸奥守から申し上げてあると聞いたので、代々の供立の通り従前の供を召し連れたい…
追録6-No.1386 六月十一日の参勤御礼登城を命じる三老中連署書状
明日五半時に登城して参勤の御礼を申し上げるよう命じる。末尾は六月十日、年は朱の安永五年、板倉佐渡守・松平周防守・松平右京大夫の三名を並べ、松平薩摩守殿に宛てる。
追録6-No.1387 家来二人の御目見と召連を許す登城令書
家来二人に御目見を仰せ付けるので、召し連れて出るよう命じる短文。正文在文庫と記すが、この短文自身には独立した日付・署名・宛名は記さない。二人という当初の許可人数を保ち、当日病気で一人欠けた結果とは分ける。重豪自身が差し出した書状とはせず、前の三老中連署書状の署宛をこの短文の署名として転記しない。
追録6-No.1388 重豪の参勤朝礼と島津仲久健の御目見
同年六月十一日、重豪が従行家老島津仲久健を携えて朝礼を行った。前に当日の朝見を許されていたが、その日は親しく対面して命の辱を拝し、俗にこれを直請というと記す。退いた後、久健が大家にまみえ、旧例の通りの扱いを受けたとする。小字の説明では、従行家老二人が大家にまみえる例で、この日も島津仲久健と山岡市正久…
追録6-No.1389 重豪、上意への御請を陸奥守と同様に行う旨を届ける
何かにつき御前へ召し出され上意を受ける時の御請などについて、陸奥守から申し上げた事情があり、以来その通りにするよう御達があったと承知したので、自分も同様にする旨を申し置く。六月十日、末尾は御名という表示。陸奥守の申上・御達の伝聞と自分も同様にするという届出を分ける。本文中の御名は実名署名ではなく、差…
追録6-No.1390 竹姫入興の御礼で継豊が吸物・盃を受け上意への礼を述べた先例
享保十四年酉十二月十五日、竹姫の入興が済んだ御礼として松平大隅守が登城した時、御前で吸物を下され、盃を頂戴し、蒙った上意への御礼を述べたことを記す。松平大隅守には継豊の注がある。参勤御礼の直御請を考えるための先例として、享保の出来事とこの年の参勤を区別する。
追録6-No.1391 有川貞厚の首尾書―参勤御礼の直御請をめぐる先例調査と折衝
上意を受けた時に直接御請を申し上げる先例は御家の先代からある一方、惇信院の代から御前では御隙取なしとされ、その後直御請を申し上げていなかったため、陸奥守と同様の取扱いを相談した首尾を詳しく報告する。陸奥守がその趣旨を内々に承知し、取次からも以後は陸奥守の仕向の通りにするよう話があったので、九日に陸奥…
追録6-No.1392 黒書院の参勤御礼での直御請と西丸登城―御筆写の次第書
六月十一日、黒書院で参勤の御礼をするに際し、献上物を備えて御礼と献上の手続を行い、上意を受けたと記す。敷居の内へ進んで着座し、周防守の取合で息才であることを喜ぶ上意を受け、この時に直接御請を申し上げて退出した。前日周防守へ届書を出し受け取られていたが、当日の御礼前にも原田順阿から直御請の筋を心得るよ…
追録6-No.1393 六月十一日の参勤御礼と家老御目見―登城・廻勤・山岡病気の取扱い
六月十一日、参勤の御礼のため、今朝六半時に御供を揃え、四本の御道具をもって表から出た。本丸へ登城して御礼を申し上げ、懇意の上意を受け、万端は先格通りに済んだ。家老二人の御目見を仰せ付けられていたが、山岡市正が病気になったため島津仲久健一人となり、御居残で御目見を済ませて下がった。その後西丸へ登城し、…
追録6-No.1394 重豪、山岡市正の病気で登城できないことを届ける
今日参勤の御礼を申し上げるので、家来二人を召し連れて出ることになっていたが、山岡市正が今暁から病気になり登城できないので、そのことを届ける。六月十一日、松平薩摩守。二人を召し連れる当初の指示と一人の不登城を分け、病気の主体を重豪本人へ取り替えない。病名や療治の詳細は記されていない。
追録6-No.1395 重豪、家来御目見の召連予定に対し山岡市正の病気を届ける
今日家来二人の御目見を仰せ付け、召し連れて出るよう命じられていたが、山岡市正が今暁から病気になり登城できないので、そのことを届ける。六月十一日、松平薩摩守。
追録6-No.1396 御目見の献上物例と、川田伊織が病気で不登城となった先例
家来の御目見に際する献上物の例として、公方へ御太刀・御馬代銀一枚宛と巻物二宛、大納言へ御太刀・御馬代銀一枚宛を挙げる。御太刀の具体的な数・単位は記されていない。続いて明和三年丙四月、薩摩守の参府に伴って川田伊織・高橋比面を召し連れ参勤の御礼を申し上げ、御目見を願ったので、自分の献上物を先規に従って出…
追録6-No.1397 伊集院四郎、山岡市正の不登城と献上物の取扱いを伺う
御目見を仰せ付けられた薩摩守の家来二人の内、山岡市正が今暁から病気となり登城できないので、そのことを届けたと記す。自分の献上物は本丸の中之口へ持参して置いているため、どのように指示されるかと伺う。六月十一日、松平薩摩守内伊集院四郎。朱注は、右書付四通を即日、留守居伊集院四郎を介して御用番松平周防守へ…
追録6-No.1398 忠久の五百五十年忌法事―浄光明寺での修法と重豪の代拝
同年夏六月十八日、得佛公の五百五十年忌法事を浄光明寺で修したと記す。得佛公には島津忠久の注があり、法事は小字で十七日から十八日までの二日と示す。十七日に島津備前貴澄を使者として遣わし、十八日に施餓鬼と満散寄合の式を行い、島津兵庫久徴が重豪に代わって拝した。二日の修法、十七日の遣使、十八日の施餓鬼・満…
追録6-No.1399 松平右近将監武元、琉球布・砂糖漬天門冬・赤貝塩辛・泡盛酒の奉献を披露する
今朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献じられたことを披露し、一段の仕合であると返答する。六月十八日、松平右近将監武元判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年。朱の在口裏にも差出の役名・人名を記す。
追録6-No.1400 阿部豊後守正允、琉球布・砂糖漬天門冬・赤貝塩辛・泡盛酒の奉献を披露する
今朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献じられたことを披露し、一段の仕合であると返答する。六月十八日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年。朱の在口裏にも差出の役名・人名を記す。
追録6-No.1401 板倉勝清、端午の御内書を渡すため家来の差出を求める
端午の御内書を渡すので、明日五半時に城へ家来を差し出すよう命じる。六月十四日、板倉佐渡守、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年。
追録6-No.1402 伊勢貞矩、他国からの芝居役者の召呼禁止を徹底する
芝居へ他国から来ている役者類の者を召し呼ぶことを、武士はもちろんそのほかの者も停止するので、支配中へ漏れなく伝えるよう命じる。去る午年にも申し渡していたが、近頃緩んでいると聞いたのはよろしくないとして、先年の申渡通り、なお堅く守るよう再度申し渡す。末尾は安永五年申七月、兵部、伊勢貞矩・大目付の注があ…
追録6-No.1403 松平右京大夫輝高、生見玉の祝儀として黄金十両を献じたことを披露する
生見玉の祝儀として黄金十両を献じられたことを披露し、一段の仕合であると返答する。七月六日、松平右京大夫輝高判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年、朱の在口裏にも差出を記す。
追録6-No.1404 阿部豊後守正允、生見玉の祝儀として黄金十両を献じたことを披露する
生見玉の祝儀として黄金十両を献じられたことを披露し、一段の仕合であると返答する。七月六日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱の安永五年、朱の在口裏にも差出を記す。
追録6-No.1405 御用による登城を命じ、病気なら名代を認める四老中連署書状
御用があるので明日四時に登城するよう命じ、もし病気なら名代を差し出すよう追記する。七月十八日、年は朱の安永五年、田沼主殿頭・板倉佐渡守・松平周防守・松平右近将監の四名を並べ、松平薩摩守殿に宛てる。御用の具体的内容はこの通知に書かれていない。
追録6-No.1406 浄岸院の意向に沿う重豪女の縁組許可と登城の御礼
同年七月十九日、大家が重豪を召し、老中板倉佐渡守勝清に伝えさせた。浄岸院がかねて願っていたため、重豪の女を徳川豊千代と縁組させ、その取扱いは浄岸院が在世の時に親しく相談した事柄に準じるようにとの趣旨である。豊千代には民部卿治済公の嫡子との注がある。重豪は命を拝謝して退出し、西城へ登城して奏者秋元摂津…
追録6-No.1407 重豪女と豊千代の縁組を命じ、浄岸院在世の世話に沿う取扱いを指示する
浄岸院が申し置いた事情があるので、薩摩守の娘を徳川豊千代と縁組する旨を伝える。浄岸院が在世の時に世話した心得に沿って取り扱うよう指示する。浄岸院には継豊継室・竹姫の注、宛名松平薩摩守には島津重豪の注がある。この指図書自体に独立した署名や日付はない。
追録6-No.1408 白書院縁かわでの申渡と書付受領、西丸・老中への御礼
七月十九日、白書院の縁かわに老中が列座する場で、当番の右京大夫が不快のため、その代わりに板倉佐渡守が別紙書付の通り申し渡し、書付も直接渡したと記す。その後西丸へ登城し、大広間で奏者番秋元摂津守に御礼を申し上げ、老中方を廻勤した。引進御目付として山川下総守貞幹を記す。御筆写・正文在文庫の表示がある。別…
追録6-No.1409 重豪、浄岸院の意向による縁組の命への御礼を老中六名に伝える
申七月十九日の登城に際する口上として、浄岸院が申し置いた事情により私の娘を豊千代殿と縁組する旨を仰せ付けられ、浄岸院が在世の時に世話した心得に沿って取り扱うよう命じられたことを、ありがたく受けたと述べる。御礼のため同公する旨を伝える。六名の老中宛に記し、末には、この通りに書いて御近習役へ差し出したと…
追録6-No.1410 鷹の雲雀の拝領と、茂姫の婚姻許可・賜名への御礼献上
同年秋七月二十二日、大家が使番建部荒次郎廣般を芝邸へ遣わして鷹の雲雀を賜り、恩命を受けた。その後、重豪は島津式部久般を代わりに老中各邸へ遣わし御礼した。続く記事は、大家が徳川民部卿治済の子豊千代と重豪の女茂姫の婚姻を許したと記し、茂姫には初於篤の小字を添える。同月二十七日、当番頭兼用人比志島要人範章…
追録6-No.1411 重豪、縁組許可への御礼献上を伺い、父娘の指図を受ける
浄岸院が申し置いた事情により、豊千代と私の娘の縁組を命じられ、浄岸院が在世の時に世話した心得に沿って取り扱うよう指示されたことを、ありがたく受けたと述べる。その御礼として公方・大納言へ献上物を出したいので、種姫君と御部屋への勤め方や、娘からの御礼をどう申し上げるかを伺う。七月十九日、松平薩摩守。朱送…
追録6-No.1411-1 万寿姫と菊の縁組・婚礼時の献上例と当年の調整注
冒頭に、公方へ二種一荷、大納言へ一種一荷、御簾中へ一種一荷の献上例を挙げる。これは宝暦九年卯、刑部卿宗尹の息女が薩摩守と縁組を仰せ付けられた時と、同十二年の婚姻の御礼の例とし、若君と万寿姫君への献上物も同様に考えたが不要と仰せ渡されたと記す。宗尹には一橋、薩摩守には重豪の注がある。続いて寛延二年巳、…
追録6-No.1411-2 公方・大納言への献上目録―重豪と茂姫の品と使者
公方への献上として干鯛一箱・昆布一箱・御樽一荷を掲げ、大納言には干鯛一箱・御樽一荷を記し、松平薩摩守の表示を持つ。続いて公方へ干鯛一箱・御樽一荷、大納言へ干鯛一箱を記す別の欄を掲げ、七月二十六日と茂の表示を添える。朱付記は安永五年申七月二十七日の献上使者を納殿役人市田喜内とし、茂姫の目録は奥で調え、…
追録6-No.1411-3 大納言への干鯛・御樽―薩摩守と茂の二つの目録欄
大納言への献上として、干鯛一箱・御樽一荷を記し、松平薩摩守の表示を添える。続いて大納言への干鯛一箱を掲げ、七月二十六日と茂の表示を添える。
追録6-No.1411-4 進上目録―干鯛一箱・昆布一箱・御樽一荷
進上と題して、干鯛一箱、昆布一箱、御樽一荷を並べ、以上と結ぶ。この目録自身には日付・差出人・献上先の独立記載はない。原の箱・荷の単位と三品を保持し、隣接する第三枝の七月二十六日や松平薩摩守・茂の署をこの目録へ借用しない。第五枝の公方宛の品目も転記せず、原記載と一件中の位置にとどめる。
追録6-No.1411-5 縁組御礼の干鯛・御樽と、大納言・種姫・御部屋への進上書式
公方への献上として、茂姫の縁組が済んだ御礼に干鯛一箱・御樽一荷を進上する目録を掲げる。安永五年申七月二十七日、使者は表御用人比志嶋要人範章、松平薩摩守重豪の表示がある。続いて大納言へ同断のため同日に、たい一おりを上げる進上書式を記し、使者は御側御用人嶋津登、久連の注を添える。署名欄はまつ平さつまの守…
追録6-No.1412 重豪、娘の名拝領への御礼献上を伺い、御文・女使の指図を受ける
豊千代と娘の縁組を命じられ、娘が名を拝領したことをありがたく受け、公方・大納言へ御礼の献上をしたいと伺う。種姫君と御部屋にはどのように勤め、娘からの御礼をどう申し上げるか、指図を願う。七月十九日、松平薩摩守。朱送達注は有川勇馬を介して御用番板倉佐渡守へ提出したと記す。朱の応答は、御内証からの御礼は女…
追録6-No.1412-1 公方・大納言への鯛一折宛―薩摩守と茂の差出表示
公方様・大納言様への献上と題し、鯛一折宛を記す。七月二十六日と、松平薩摩守・茂の二つの差出表示を添える。原の献上先と差出表示、鯛という品名、折という単位をそれぞれ保持する。父娘の表示から原記載以上の総数量を計算せず、次の大納言宛目録を別の献上回数として足し合わせない。二十六日は目録の記載日として扱い…
追録6-No.1412-2 大納言への鯛一折宛と、茂姫名拝領の前晩御伺
大納言様への献上として鯛一折宛を記し、七月二十六日と松平薩摩守・茂の表示を添える。左の付記は茂姫の名拝領につき前晩の御伺であるとする。
追録6-No.1412-3 茂姫の名拝領御礼―鯛一折宛と縁組御礼使者の兼務
進上と題して鯛一折宛を掲げ、以上と結び、御名・御名乗という署名書式の表示を添える。続頁に、公方様・大納言様への献上を安永五年申七月二十七日に行い、縁組の御礼と同日なので御使者を兼務とし、茂姫の名拝領への御礼であると付記する。二十七日の実献注と、前二枝の二十六日の目録を区別する。御名・御名乗を実人名と…
追録6-No.1413 跡乗・茶弁当の取扱いをめぐる附札と口達の確認経緯
茶辨当一件書として、公儀から当春一統に触れられた跡乗と茶辨当の取扱いをめぐる申立・附札・口達の確認を記す。陸奥守から申立があり、薩摩も御書附を出したところ、可為前々之通という附札を受けた。一方で三ヶ所下馬では遠慮するのがよいという口達があり、薩摩への同様の口達は御取次公用人が自分の覚書として一紙に記…
追録6-No.1414 茂姫の名拝領に伴う呼称と御名の文字の取扱い
於簾様について、豊千代との縁組が仰せ渡され、茂姫という名を拝領したことにより、一橋に対して格別に取り持つ扱いとなったと記す。御順は太守様・茂姫様・虎寿丸様と仰せ出され、様の字を進めて用いること、御名の文字を唱えるまで遠慮することを申し渡す。八月、嶋津左中。久金の注がある。表方への達しに加え、御側方・…
追録6-No.1415 御馬一疋の献上を披露―松平武元の返書
御馬一疋を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。八月十九日、松平右近将監武元判、薩摩守殿宛。差出の名は在口裏の朱表示を含む。御馬の原単位は疋であり、馬代金に置き換えない。同じ献上への次の返書と数量を合算せず、この返書の披露と差出・宛所を記す。
追録6-No.1416 御馬一疋の献上を披露―阿部正允の返書
御馬一疋を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。八月十九日、阿部豊後守正允判、薩摩守殿宛。差出の名は在口裏の朱表示を含む。
追録6-No.1417 重陽の小袖一重到来への御内書
重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは松平右京大夫が述べると伝える。九月七日、薩摩中将殿宛。円内に家治公墨印の表示がある。小袖の原単位である重を枚や箱へ換算せず、九月七日を祝儀の祭日へ読み替えない。取次の松平右京大夫の表示と、御内書の差出・宛所を区別する。
追録6-No.1418 重陽の小袖一重献上を披露―阿部正允の返書
重陽の祝儀として使者をもって小袖一重を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。九月七日、阿部豊後守正允判、薩摩守殿宛。
追録6-No.1419 中山王の年始使節と別録の贈物への返書
年始の嘉儀のために使節を差し渡し、さらに別録の通りに贈物を送られたことについて、念を入れた扱いを喜ぶと伝える。また後喜の時を期すと結ぶ。九月十三日、中将重豪御判、謹上中山王。原の出典表示には重豪公御譜中・正文在琉球國司とある。別録の品目・数量はこの正文に列挙されないため、隣接する弔問や漂着船の謝礼の…
追録6-No.1420 玉貎院の弔問と見舞への返書―真壁按司の使節
玉貎院の卒去につき弔問のため真壁按司を差し渡し、また見舞として同じ使者を通じ別録の品を贈られたことを述べる。二通の書翰にも念を入れた扱いがあるとして謝意を伝える。玉貎院には重豪継室の注がある。九月十三日、中将重豪御判、謹上中山王。
追録6-No.1421 志州・奥州に漂着した琉球船二艘の取計と謝礼への返書
書翰を拝見したと述べ、其国の船二艘が逆風に遭って志州と奥州へ漂着したこと、その取計を申し付けたことを記す。謝礼として豊永親雲上を通じ別録の贈物を送られたことを、過分の扱いとして受ける。九月十三日、中将重豪御判、謹上中山王。二艘という原の船数、逆風と二つの漂着先、取計とその謝礼を区別する。各地に一艘ず…
追録6-No.1422 中山王の平安と紕縮緬五巻への謝意
書札を拝見し、相手がいよいよ平安であることを喜び、こちらも無事なので安心するよう伝える。さらに紕縮緬五巻を贈られたことを過分の扱いとして受ける。九月十三日、薩摩守重豪御判。末尾の中山王回章は中山王への返書であることを示す。差出の重豪と宛先の王を取り違えず、五巻という品の数量を金銭や五箱へ換算しない。…
追録6-No.1423 重陽の御内書受取のため、翌日五半時に家来を差し出す指示
重陽の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう指示する。十月二十二日、松平右京大夫、松平薩摩守殿宛。宛所は次頁に続く。原の明日・五半時を保持し、現代の固定時刻へ換算しない。御内書の受取のための差出指示であり、家来が実際に登城し受け取ったとする完了記録や、九月の重陽当日の通知へ読み替えな…
追録6-No.1424 重豪の娘於克の出生・夭亡と福昌寺の墓
齊宣公御妹の於克について、安永五年丙申十一月十日に鹿児島で生まれ、母は堤代長卿の女と記す。於克にはカツという読みの注がある。七年戊戌五月三日に夭亡し、法号を蓮心院殿清質妙香大禪童女とし、福昌寺に墓を建てたことを載せる。
追録6-No.1425 虎寿丸と有馬頼貴の娘、重豪の娘と奥平九八郎の縁組許可
同年十一月二十七日、大家が重豪を召したが、重豪は病があって登城できず、松平中務太輔定國を名代として命を聞かせたと記す。大家は掌月老中松平周防守康福に命を伝えさせ、有馬中務太輔頼僮の嫡子上総介頼貴の娘を重豪の嫡子虎寿丸の妻とし、重豪の娘を奥平大膳大夫昌鹿の嫡子九八郎の妻とすることを許した。頼僮には筑後…
追録6-No.1426 虎寿丸の再縁と重豪の娘の縁組を願う二つの組合せ
冒頭から、有馬中務大輔の嫡子である有馬上総介の娘を、薩摩守の嫡子松平虎寿丸に再縁とする組合せを掲げる。有馬中務大輔の取次は戸田五介、松平薩摩守の取次は長谷川太郎兵衛とし、十一月十八日を記す。朱送達注は御用番松平周防守への用事を御先手長谷川太郎兵衛に頼み、日付当日に提出したとする。続いて松平薩摩守の娘…
追録6-No.1427 翌日四時の登城と、病気の場合の名代差出を指示
用事があるので明日四時に登城するよう求め、追而書で病気の場合は名代を差し出してよいと伝える。十一月二十六日、田沼主殿頭・板倉佐渡守・松平周防守・松平右京大夫・松平右近将監の五名連署、松平薩摩守殿宛。日付・五名の署・宛所は次頁に続く。四時は原時刻のまま保持する。この書状の病気の文言は条件の指示であり、…
追録6-No.1428 重豪子女の縁組と御礼一件―七枝の構成
目録に島津重豪子女縁与御礼一件と掲げられた一件で、親番号の部分には仝上と扣正文在右筆所の出典表示がある。その直後から第一枝の本文が始まる。第一・第二枝は登城通知への応答と病による名代の届、第三枝は名代による二つの縁組御礼と内証からの御礼の取扱い、第四枝は虎寿丸の縁組御礼献上の伺い、第五枝は佐竹の娘と…
追録6-No.1428-1 翌日四時登城と病気の場合の名代差出を承知する応答
御用があるので明日四時に登城するよう求められた旨を承知し、病気なら名代を差し出してよいとの指示も承知したと応答する。十一月二十六日、御名・御名乗御判という署名書式を置き、松平右近将監・松平右京大夫・松平周防守・板倉佐渡守・田沼主殿頭の五宛を掲げ、脇付なしと付す。御名・御名乗を実人名として扱わず、通知…
追録6-No.1428-2 風気で登城できないため松平中務大輔を名代とする届
御用のため明日四時に登城するよう命じられたが、自分は風気があって登城できないので、松平中務大輔を名代として差し出すと届ける。十一月二十六日、御名という署名欄を置く。末の送達注は留守居を介して松平周防守へ提出したとする。
追録6-No.1428-3 定國を名代とする二縁組の御礼と、内証からの御礼の指図
有馬上総介の娘と松平虎寿丸の縁組を命じられ、また奥平九八郎と松平薩摩守の娘の縁組も命じられたことを重ねてありがたく受けると述べる。薩摩守には風気があるため、自分を名代として御礼を申し上げるという口上である。十一月二十七日、松平中務大輔。定國の注がある。付記は御口上書六通を認めて御使番方へ渡し、御歩行…
追録6-No.1428-4 虎寿丸の縁組御礼献上を伺い、不及此儀候の附紙を受ける
有馬上総介の娘と嫡子松平虎寿丸の縁組が願い通りに命じられたことをありがたく受け、公方・大納言へ献上物を出して御礼を申し上げたいと伺う。種姫君と御部屋にはどのように扱うべきかも問う。一方、虎寿丸本人からの御礼献上物は、まだ御目見以前であるため伺わないと明記する。十一月二十七日、御名の署名書式がある。朱…
追録6-No.1428-5 佐竹の娘と虎寿丸の縁組時の献上不要の例
安永三年七月、佐竹右京大夫の娘と松平虎寿丸の縁組を命じられた時、献上物について伺ったところ、不及此儀という旨を申し渡されたと記す。十一月の表示と、例書とも記していないので本行の通り調えたという付記を添える。安永三年の先例と、この一件中で先例を調えた十一月を分ける。原の不相記という記載を保持し、帳面が…
追録6-No.1428-6 娘と奥平九八郎の縁組御礼献上を伺い、附紙の返答を受ける
娘と奥平九八郎の縁組が願い通りに命じられたことをありがたく受け、公方・大納言へ献上物を出して御礼を申し上げたいと伺う。種姫君・御部屋にはどのように扱うべきか、また娘からの御礼などについて指図を願う。十一月二十七日、御名の署名書式を置き、朱の御附紙は不及此儀候とする。付記は同日に同人を通じて提出し、同…