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追録6の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,127件中 901~1000件・10 / 32ページ

  1. 追録6-No.806 阿部正允書状

    末川織衛を明日九時に「我等宅」へ差し出すよう命じる。十一月四日付、年は明和八年の朱注、署は「阿豊後」の略記で、松平薩摩守殿留守居宛を備える。正文は文庫にある。

  2. 追録6-No.807 松平武元外三名幕府老中連署状

    御札を披見し、公方・大納言はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともと伝える。帰国の暇に白銀・巻物を頂戴し、さらに馬を賜り、大納言からも拝領物があって重ね重ねありがたいとする意向を理解したと述べる。国許到着の礼として末川織衛をもって琉球芭蕉布二十端・樽肴を献上した件を披露し、「御前に召し出され」、…

  3. 追録6-No.808 田沼意次書状

    御札を披見し、公方・大納言はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともと伝える。帰国の暇に白銀・巻物を頂戴し、さらに馬を賜り、大納言からも拝領物があって重ね重ねありがたいとする意向を理解したと述べる。国許到着の礼として末川織衛をもって目録のとおり献上したことを含む紙面の趣旨を承知したと知らせる。十一…

  4. 追録6-No.809 板倉勝清書状

    御札を披見し、公方・大納言の御機嫌を伺った件には、ますます御安全なので安心するよう伝える。小熬海鼠一箱を献上した件を、各々申し談じて披露し、一段の御仕合であると知らせる。十一月十三日付、年は明和八年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。

  5. 追録6-No.810 阿部正允書状

    御札を披見し、公方・大納言の御機嫌を伺った件には、ますます御安全なので安心するよう伝える。小熬海鼠一箱を献上した件を披露し、一段の御仕合であると知らせる。十一月十三日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  6. 追録6-No.811 田沼意次書状

    御札を披見し、公方・大納言の御機嫌を伺った件には、ますます御勇健なので安心するよう伝える。肴一種を献上したことを含む紙面の趣旨を承知したと知らせる。十一月十五日付、年は明和八年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。御譜中の文書で、正文は文庫にある。

  7. 追録6-No.812 島津重豪加冠仮名書出

    澁谷文次郎の加冠に際し、仮名を三四郎とするよう定めた書出。明和八年卯十一月十五日付で、重豪公の墨印を備える。正文は澁谷四郎左衛門にある。

  8. 追録6-No.813 田沼意次書状

    御札を披見し、公方・大納言はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともと伝える。参勤時分について使者をもって伺ったことを含む紙面の趣旨を承知したと知らせる。十一月十八日付、年は明和八年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。御譜中の文書で、正文は文庫にある。

  9. 追録6-No.814 島津重豪書状

    去月二十日に心観院の遺物が浄岸院へ贈られたことを承知し、自分にとってもありがたいと述べる。その御礼を申し上げたいので、萬壽姫君にも伝え、機会のよい折に御前でしかるべく取りなしてほしいと依頼する。年は明和八年の朱注で、独立した月日と姓名の署名はなく、まつ嶋・高をか・たき川・清はし・うら田の五名へ宛てる…

  10. 追録6-No.815 島津重豪書状

    去月二十日に心観院の遺物が浄岸院へ贈られたことを承知し、自分にとってもありがたいと述べる。その御礼を申し上げたいので、機会のよい折に御前でしかるべく取りなしてほしいと依頼する。年は明和八年の朱注で、独立した月日と姓名の署名はなく、岩はし・はつ崎の二名へ宛てる。

  11. 追録6-No.816 重豪、家臣を訓諭する記事

    同年十一月十九日、家老以下の諸役吏を敷舞臺に召し、士黎はそれぞれ高下の礼節を守るべきであると命じた記事。その趣旨は左に見えるとして、後続の訓諭へつなぐ。出典は重豪公御譜中。

  12. 追録6-No.817 島津重豪訓諭書

    当国では以前から役人の軽重の区別が薄く、他国の風義と異なると指摘し、家老など重い職分には相応の礼節を尽くすよう命じる。一方で、重役が権威を誇ることも許されないとする。奉行のうち一、二段上の役へ転じた者には、旧同役や無役の諸士がすみやかに相応の礼を尽くすべきで、役替後の扱いが不十分な現状を改めるよう求…

  13. 追録6-No.818 島津久金外五名家老連署達書

    領国の風俗についての命令をもっともとして承知し、礼義と高下の区別を守るよう伝える。これまで自然に粗礼となっていたためこのたび趣旨が詳しく示されたが、長年染み込んだ風俗は急に改まらず、一度通達するだけでは十分でないとする。諸士は与頭の宅で命令の趣旨を聞き、各小与頭が申し合わせ、小与中の人柄を見ながらさ…

  14. 追録6-No.819 島津重豪書状

    年始の嘉儀として使簡を差し渡し、特に別録にある品を贈られたことについて、入念であると祝着を述べ、後の喜びの時を期すと結ぶ。十一月十九日付、年は明和八年の朱注、中将重豪の御判と中山王への謹上宛を備える。御譜中の文書で、正文は琉球国司にある。

  15. 追録6-No.820 島津重豪書状

    芳翰を披見し、去る子年に大清国へ派遣された進貢使仲里親雲上が北京での勤めを終え、去歳十二月に帰帆した旨が書面で伝えられたことを述べる。そのためこのたび仲里をもって別録のとおり贈られたことについて、入念の意向は過分であると謝意を示す。十一月十九日付、年は明和八年の朱注、中将重豪の御判と中山王への謹上宛…

  16. 追録6-No.821 島津重豪書状

    芳札を披閲し、自分の再縁が整った祝儀として波平親方を差し渡し、太刀一腰・馬代白銀百両および目録にある品を贈られたことについて、入念であると祝着を述べる。十一月十九日付、年は明和八年の朱注、中将重豪の御判と中山王への謹上宛を備える。

  17. 追録6-No.822 島津重豪書状

    芳札を披見し、中山王がいよいよ平安であると聞いて喜び、自分も無事なので安心するよう伝える。また縮布五端を贈られたことに謝意を述べる。十一月十九日付、年は明和八年の朱注、薩摩守重豪の御判を備え、中山王への回章と表示する。

  18. 追録6-No.823 島津重豪書状

    芳札を披見し、大清からの賜物である金入龍紋緞子一巻・色緞子一巻を贈られたことについて、入念であると謝意と喜びを述べる。十一月十九日付、年は明和八年の朱注、薩摩守重豪の御判を備え、中山王への回章と表示する。

  19. 追録6-No.824 松平武元外三名幕府老中連署奉書

    御札を披見し、公方・大納言はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともと伝える。参勤時期を使者をもって伺った件を上聞したところ、来年四月中に参府するよう命じられたので、その旨を心得るよう通知する。十一月二十一日付、年は明和八年の朱注、板倉勝清・松平康福・松平輝高・松平武元の四名の判と、次頁に続く松平…

  20. 追録6-No.825 阿部正允書状

    御札を披見し、公方・大納言はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともと伝える。参勤時期について使者をもって伺ったことを含む紙面の趣旨を承知したと知らせる。十一月二十二日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  21. 追録6-No.826 板倉勝清書状

    御札を披見し、公方はますます御機嫌よいと伝える。このたび心観院の法事が東叡山で執行されたことを聞いて恐悦とする意向はもっともであると述べ、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。十一月二十七日付、年は明和八年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。御譜中の文書で、正文は文庫にある。

  22. 追録6-No.827 阿部正允書状

    御札を披見し、大納言はますます御機嫌よいと伝える。このたび東叡山で心観院の法事が執行されたことを聞いて恐悦とする意向はもっともであると述べ、紙面の趣旨を言上したと知らせる。十一月二十七日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  23. 追録6-No.828 島津重豪加冠仮名書出

    嶋津勝袈裟の加冠に際し、仮名を又五郎とするよう定めた書出。明和八年卯十一月二十八日付で、重豪公の御判を備える。御譜中の文書で、正文は島津圖書にある。

  24. 追録6-No.829 田沼意次書状

    御札を披見し、公方はますます御機嫌よいと伝える。このたび心観院の法事が東叡山で執行されたことを聞いて恐悦とする意向はもっともであると述べ、紙面の趣旨を承知したと知らせる。十一月二十八日付、年は明和八年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。

  25. 追録6-No.830 樺山久智申渡書

    この日、嶋津又五郎が家格どおりの進上物を差し上げ、御直元服を命じられ、土器・盃を頂戴したほか刀の拝領を命じられたことを記す。寛保二年戌に、今は亡き嶋津圖書が元服した際には土器・盃と肴を与えられたが、このたび又五郎には肴を与えず、今後は一門以外へ肴を下賜しない旨が命じられたので、帳面へ記録するよう申し…

  26. 追録6-No.831 松平輝高書状

    御札を披見し、公方・大納言はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともと伝える。蜜柑二箱・炙鮎一箱を献上した件を各々申し談じて披露し、一段の御仕合であると知らせる。十二月十五日付、年は明和八年の朱注、松平右京大夫輝高の判と松平薩摩守殿宛を備える。御譜中の文書で、正文は文庫にある。

  27. 追録6-No.832 松平輝高書状

    御札を披見し、公方はますます御機嫌よいと伝える。十月十四日に公方が増上寺の御霊屋へ参詣したと聞いて恐悦とする意向はもっともであると述べ、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。十二月十五日付、年は明和八年の朱注、松平右京大夫輝高の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  28. 追録6-No.833 阿部正允書状

    御札を披見し、公方・大納言はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともと伝える。蜜柑二箱・炙鮎一箱を献上した件を披露し、一段の御仕合であると知らせる。十二月十五日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。御譜中の文書で、正文は文庫にある。

  29. 追録6-No.834 田沼意次書状

    御札を披見し、公方・大納言はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともと伝える。蜜柑二箱・肴一種を献上したことを含む紙面の趣旨を承知したと知らせる。十二月十八日付、年は明和八年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。御譜中の文書で、正文は文庫にある。

  30. 追録6-No.835 田沼意次書状

    御札を披見し、公方はますます御機嫌よいと伝える。十月十四日に公方が増上寺の御霊屋へ参詣したと聞いて恐悦とする意向はもっともであると述べ、紙面の趣旨を承知したと知らせる。十二月十八日付、年は明和八年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  31. 追録6-No.836 阿部正允書状

    寒中に公方・大納言の御機嫌を使者で伺った件について、ますます御安全なので安心するよう伝える。琉球紬十端・鰹節一箱を献上した件を披露し、一段の御仕合であると知らせる。十二月十八日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  32. 追録6-No.837 松平輝高書状

    寒中に公方・大納言の御機嫌を使者で伺った件について、ますます御安全なので安心するよう伝える。琉球紬十端・鰹節一箱を献上した件を各々申し談じて披露し、一段の御仕合であると知らせる。十二月十八日付、年は明和八年の朱注、松平右京大夫輝高の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  33. 追録6-No.838 重豪、孝子を褒賞する記事

    原文の大隅郡佐多郷伊座敷村の農民清右衛門は、早くに父を失い、母に孝養を尽くした。母は足を患っており、清右衛門と弟三右衛門が背負ったり肩輿に乗せたりして、母の望むところへ連れて行き、このように約二十年支えた。この年冬十二月、官に命じて清右衛門へ廩米十五苞を与え、褒賞した記事。出典は重豪公御譜中。

  34. 追録6-No.839 田沼意次書状

    寒中に公方・大納言の御機嫌を使者で伺った件について、ますます御安全なので安心するよう伝える。琉球紬十端・肴一種を献上したことを含む紙面の趣旨を承知したと知らせる。十二月二十二日付、年は明和八年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。

  35. 追録6-No.840 松平武元外三名幕府老中連署状

    公方・大納言はますます御機嫌よいので安心するよう伝える。また「御鷹之鶴」を拝領したので、宿次をもって差し越したと知らせる。十二月二十七日付、年は明和八年の朱注、板倉勝清・松平康福の判に続き、下段に松平輝高・松平武元の判と松平薩摩守殿宛を備える。御譜中の文書で、正文は文庫にある。

  36. 追録6-No.841 幕府老中宿継証文

    この状箱と鶴(原「鶴壹」)を江戸から薩摩国鹿児島の松平薩摩守の所へ継ぎ送る証文。返札が来るので、江戸の月番の老中へ必ず持参するよう指示する。卯十二月二十七日付、年は明和八年の朱注で、右京印と右宿中の表示を備え、裏の端にあるとの朱注を伴う。写しで、正文は右筆所にある。

  37. 追録6-No.842 徳川家治御内書

    歳暮の祝儀として小袖一重が到来し、歓覧したと伝える。詳しいことは松平周防守が述べるとする。十二月二十七日付、年は明和八年の朱注、家治公の墨印と薩摩中将殿宛を備える。正文は文庫にある。

  38. 追録6-No.843 阿部正允書状

    歳暮の祝儀として使者をもって小袖一重を献上した件を披露し、一段の御仕合であると知らせる。十二月二十七日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  39. 追録6-No.844 松平武元書状

    若菜の祝儀として鯛一折を献上した件を披露し、一段の御仕合であると知らせる。正月七日付、年は明和九年の朱注、松平右近将監武元の判と松平薩摩守殿宛を備える。御譜中の文書で、正文は文庫にある。

  40. 追録6-No.845 阿部正允書状

    若菜の祝儀として鯛一折を献上した件を披露し、一段の御仕合であると知らせる。正月七日付、年は明和九年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  41. 追録6-No.846 喜入久福家老申渡書

    心観院の遺物として、前年十月二十日に御守殿から伝えられ、太守重豪が拝領した古今和歌集一箱が、去る四日に到来したので、記録しておくよう記録奉行へ申し渡す。古今和歌集には烏丸光廣卿御筆の表示があり、折紙入り小箱一つと目録一通を添える。正月付、年は明和九年の朱注で、主馬の署と喜入久福の注を備える。御譜中の…

  42. 追録6-No.847 松平武元外三名幕府老中連署状

    年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を披露し、一段の御仕合であると知らせる。正月十一日付、年は明和九年の朱注、板倉勝清・松平康福・松平輝高・松平武元の四名の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。

  43. 追録6-No.848 阿部正允書状

    年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件を披露し、一段の御仕合であると知らせる。正月十一日付、年は明和九年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  44. 追録6-No.849 重豪、孝子を褒賞する記事

    府下の士小倉喜藤太知常は幼少から父母に仕えて孝養を尽くした。父は老いて手足が不仁となり、出入りや起居の際は抱き支え、父の死後も母に同様に仕えたため、国人はこれを称賛した。明和九年壬辰春正月十一日、官に命じて銀十枚を与え、その孝を褒賞した記事。出典は御譜中。

  45. 追録6-No.850 島津久健家老申渡書

    小倉喜藤太が老母に平日とりわけ丁寧に仕え、孝養のことが聞き届けられたので、褒美として銀十枚を与える旨の申渡しを掲げ、ありがたく頂戴するよう伝える。続いて、褒美下賜の命令について左京からの申越しを承知した旨、この日格どおりに申し渡し、書挙で報告したと述べる。この件を貴聞に達するよう求め、国元へは別紙で…

  46. 追録6-No.851 島津久金・山岡久登家老連署返書

    朱書の「御返答」として、本文で申し越された趣旨を承知し、貴聞に達する旨を返答する。二月七日の朱日付と下の表示に対応し、島津左中殿・山岡齋宮殿の名と注を伴う。目録は明和九年の島津久金・山岡久登による家老連署返書として掲げる。独立した宛所の記載はない。

  47. 追録6-No.852 島津久金外五名家老連署達書

    口達之覚として、領国は辺鄙であっても言語が不適切で容貌も見苦しく、他所からの見聞や国の面目に関わるので、御上が気の毒に思っていると述べる。急に上方同様へ改めることは難しくても、九州一統の風儀とおおむね並ぶほどの言語・行跡にするべきとする。以前の沙汰を家老が承知したことをもっともとし、以後も容体と詞遣…

  48. 追録6-No.853 松平武元書状

    御札を披見し、公方・大納言はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともと伝える。去冬、公方から妻女へ御鷹之雁が下賜されたことへの謝意を理解し、紙面の趣旨を各々一覧したと知らせる。正月二十一日付、年は明和九年の朱注、松平右近将監武元の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。

  49. 追録6-No.854 阿部正允書状

    御札を披見し、公方・大納言はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともと伝える。去る十一月十九日に公方から妻女へ御鷹之雁が下賜されたことへの謝意を理解し、紙面の趣旨を承知したと知らせる。正月二十一日付、年は明和九年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  50. 追録6-No.855 重豪、御鷹の鶴を拝領する記事

    重豪が在国していた前年冬、家治が独り鷹狩りをして得た鶴一隻を国へ賜った経緯を記す。十二月二十七日、松平輝高が留守居樺山助之進資孫を召して鶴・奉書・駅券を授け、資孫は拝奉して芝邸へ帰った。その夜、川上八郎左衛門親方・米良弥平次則房を宰とし、歩行士二人・足軽六人で国へ護送した。正月二十二日、藩城へ到着し…

  51. 追録6-No.856 明和九年間公辺記事

    近秘野岫の朱書を伴う年間記事。正月以前に大家が閣老を命じ公へ鷹所で捕えた鶴を賜ったこと、二十二日府城で拝受し二十五日に府城を発ち三月五日芝邸へ至ったことを記す。四月二十三日に増上寺の鎮火事を領し、七月十九日には雲雀を賜り、これも鷹所で捕えたものとする。八月二十二日、公の介弟である島津太郎次郎久徴を花…

  52. 追録6-No.857 重豪、参勤する記事

    同年春正月二十五日、参勤のため国を発ち、家老島津左中久金・山岡齋宮久澄、側用人島津登久連、事関山軍兵衛金暉、薬丸猪右衛門兼風らが従った記事。九州路を経て二月八日に豊前州大里へ着き、翌日の暁爽に船で発った。二十六日に播州坂越、二十七日に室港へ入り、陸に上がって三宿を経た。二十八日は播磨路を取り、晦日に…

  53. 追録6-No.858 幕府指図書

    山路彌左衛門・佐々木文次郎・淀川主水・佐々木靱負の暦作・推歩などを手伝うよう指示する。出府するには及ばず国許に留まり、四名から申し遣わされる次第に、書通をもって差し出すよう求める。正月付、年は明和九年の朱注、松平薩摩守家来水間喜八宛の表示があり、裏には松平薩摩守宛があるとの朱注を伴う。正文は文庫にあ…

  54. 追録6-No.859 松平康福書状

    御札を披見し、公方・大納言はますます御機嫌よく、改年の慶賀がめでたいとの意向を理解したと伝える。年始の御規式が済んだことをめでたいとする趣旨を理解し、樽肴を献上した件を各々申し談じて披露し、一段の御仕合であると知らせる。二月四日付、年は明和九年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。御譜…

  55. 追録6-No.860 阿部正允書状

    御札を披見し、公方・大納言はますます御機嫌よく、改年の慶賀がめでたいとの意向を理解したと伝える。年始の御規式が済んだことをめでたいとする趣旨を理解し、樽肴を献上した件を披露し、一段の御仕合であると知らせる。二月四日付、年は明和九年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  56. 追録6-No.861 重豪、綱久の百年忌法事に香奠を献ず

    この年二月十九日、福昌寺で泰清公の百年忌法事を一日修した。泰清公には島津綱久との注がある。重豪は番頭川上久馬久致を使者とし、香奠銀五枚を献じて拝したと記す。

  57. 追録6-No.862 松平康福書状

    御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。旧臘、歳暮の祝儀として時服と肴を拝領したことをありがたいとする意向を理解し、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。二月十九日付、年は明和九年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫…

  58. 追録6-No.863 阿部正允書状

    御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。歳暮の祝儀として公方様から時服と肴を拝領したことをありがたいとする意向を理解し、紙面の趣旨を言上したと知らせる。二月十九日付、年は明和九年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  59. 追録6-No.864 松平康福書状

    御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。旧臘、歳暮の祝儀として妻女に拝領物があったことをありがたいとする意向を理解し、紙面の趣旨を各々一覧したと知らせる。二月十九日付、年は明和九年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。妻女への拝領物の品…

  60. 追録6-No.865 阿部正允書状

    御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。歳暮の祝儀として公方様から妻女に拝領物があったことをありがたいとする意向を理解し、紙面の趣旨を承知したと知らせる。二月十九日付、年は明和九年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。拝領物の品目・数量…

  61. 追録6-No.866 重豪の女於敬、江戸芝邸に入る

    重豪の令愛於敬はこの年わずか三歳で、二月二十一日に鹿城を出発して東都へ向かった。大目附格赤松造酒則正、留守居佐久間新左衛門村央、納殿役人澁谷次郎太國房・折田清右衛門常武のほか、納殿役・侍醫など多くの従事者が同行し、則正が旅の事を総べた。則正には側用人のこととの注がある。九州の駅路を経て三月九日に豊州…

  62. 追録6-No.867 有川貞厚留守居届書

    薩摩守が当地で召し連れる駕の者は、以前はすべて羽織を着て脇差を帯びていたが、近頃それを差し留められていたと述べる。この節から棒頭の者一人については、以前のとおり羽織を着て脇差を帯び、召し連れたいとの意向を知らせる。下馬・下乗の御出役の方々にその旨を伝達しておいてほしいと求め、国許から自分が申し上げる…

  63. 追録6-No.868 下馬・下乗より内の供人数書

    下馬より下乗までの供人数として、上下を着る刀番三人、供目付二人、挾箱對持二人、右付之士一人、草履取一人、同持人一人、陸尺四人、雨天には得者長柄持一人、刀番相中草履取一人を挙げる。続いて下乗より内の供として、刀番三人、草履取一人、同持人一人、刀番相中草履取一人、雨天には得者長柄持一人、片挾箱を列記する…

  64. 追録6-No.869 松平康福書状

    御札を披見し、公方様はますます御機嫌よいと伝える。去月十日に東叡山の御霊前へ参詣したことを聞き、恐悦とする意向はもっともであると述べ、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。二月二十九日付、年は明和九年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。

  65. 追録6-No.870 江戸目黒行人坂の出火で桜田邸類焼す

    同年二月二十九日午牌、江都目黒行人坂で失火し、火は天台宗松林山大圓寺から出たとする。南風が強く飆風のようで、火勢はいよいよ盛んとなり、諸侯の邸宅と市屋敷万戸に延焼したと記す。晦日の暁旦には我が桜田邸も災いに遭い、塀を少し残すだけとなった。さらに翌朔日に至って鎮火したと記す。出火は二十九日、桜田邸類焼…

  66. 追録6-No.871 有川貞厚届書

    松平薩摩守の桜田屋敷が、昨日からの出火によって今暁類焼し、表通りの塀が少し残った旨を届ける。二月晦日付、年は明和九年の朱注、松平薩摩守内有川勇馬と記す。注によれば、この届書一通を同日、留守居有川勇馬をもって御用番松平周防守へ差し出した。控正文は江戸家老座にあるという。

  67. 追録6-No.872 松平康福書状

    御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。今度、田沼主殿頭が連判の列に加わるよう命じられたことを聞き、いっそう重ねてありがたいとする意向を理解し、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。三月朔日付、年は明和九年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩…

  68. 追録6-No.873 阿部正允書状

    御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。今度、田沼主殿頭が連判の列に加わるよう命じられたことを聞き、いっそう重ねてありがたいとする意向を理解し、紙面の趣旨を言上したと知らせる。三月朔日付、年は明和九年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える…

  69. 追録6-No.874 板倉勝清書状

    御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、めでたいとの意向を理解したと伝える。正月二十七日に御曲輪の内で出火したところ、早速鎮まった旨を聞き、恐悦とする意向はもっともであると述べ、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。三月五日付、年は明和九年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿…

  70. 追録6-No.875 阿部正允書状

    御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、めでたいとの意向を理解したと伝える。正月二十七日に御曲輪の内で出火したところ、早速鎮まった旨を聞き、恐悦とする意向はもっともであると述べ、紙面の趣旨を言上したと知らせる。三月五日付、年は明和九年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  71. 追録6-No.876 板倉勝清書状

    御札を披見し、公方様はますます御機嫌よいと伝える。正月二十四日に増上寺の御霊屋へ参詣した旨を聞き、恐悦とする意向はもっともであると述べ、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。三月五日付、年は明和九年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  72. 追録6-No.877 有川貞厚首尾書

    駕の棒頭一人を羽織着・脇差帯で召し連れたいとの意向と、下乗まで駕の者四人のほか棒頭一人を召し連れる件について、御目付山村十郎右衛門へ留守居付澁谷五郎右衛門から頼み、用人宮地又右衛門を介して申し入れた首尾を記す。以前は駕の者すべてが羽織を着て脇差を帯びたが、近頃は差し留められていたので、まず棒頭一人に…

  73. 追録6-No.878 家老座覚書

    近年は渡陸尺を交えて召し連れるため、諸事を示す棒頭一人に羽織を着せ脇差を帯びさせ、定めの陸尺のほかに下馬内から下乗まで召し連れたい旨を聞き、取り計らおうとした。しかし、新規の件で同役との間で成り立たないところ、命じられたとおりに決着したので、以後そのように心得るよう十郎右衛門が知らせ、御門などにも伝…

  74. 追録6-No.879 有川貞厚届書

    松平薩摩守は当四月の参勤のため、例年どおり国元を出立したが、海路が順調で二月晦日に大坂へ着き、中途で滞ることもなかったので、来る二十四、五日頃に当地へ着く見込みであると届ける。定めの月より早く出府することになるため、その旨を届けておくようにとの連絡を受けたとする。三月十三日付、年は明和九年の朱注、松…

  75. 追録6-No.880 板倉勝清書状

    御鷹の鶴を拝領したことに伴い、御礼のため差し越した使者嶋津太郎次郎を、明十五日五時に御城へ差し出すよう求める。また、自分自身の御礼も申し上げるので、その旨を心得るよう伝える。三月十四日付、年は明和九年の朱注、署は板佐渡、宛は松平薩摩守殿留守居。正文は文庫にあるという。

  76. 追録6-No.881 屋敷改条目

    屋敷の替えや買取り後の移転、保有・分割、居住者と例外、検査の手続を定めた条目。元の屋敷の買手がなく自ら抱え持ったまま新居へ移る場合や、小身者が急に移れず持ち置く場合には、奉行まで事情を届けて期限を定めること、買取りから十二ヶ月を過ぎても移れない者の屋敷は法どおり取り上げ、やむを得ない理由による期限延…

  77. 追録6-No.882 阿部正允書状

    嶋津太郎次郎を、明日九時に我等の宅へ差し出すよう求める。三月十七日付、年は明和九年の朱注、署は阿豊後、宛は松平薩摩守殿留守居。正文は文庫にあるという。

  78. 追録6-No.883 板倉勝清書状

    嶋津太郎次郎を、明日四時に御城へ差し出すよう求める。三月十七日付、年は明和九年の朱注、署は板佐渡、宛は松平薩摩守殿留守居。

  79. 追録6-No.884 板倉勝清書状

    御札を披見し、公方様はますます御機嫌よいと伝える。去月十六日に東叡山で至心院様の御霊前へ参詣したことを聞き、恐悦とする意向はもっともであると述べ、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。至心院様には徳川家治の生母との注がある。三月十八日付、年は明和九年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛…

  80. 追録6-No.885 松平武元ほか四名幕府老中連署状

    御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。宿次の奉書による御鷹の鶴拝領をありがたいとする意向を理解し、御礼のため嶋津太郎次郎をもって樽肴を献上したことを披露したところ、御前へ召し出され、入念であるとの喜色があったと知らせる。三月十八日付、年は明和九年の…

  81. 追録6-No.886 阿部正允書状

    御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よいと伝える。宿次の奉書による御鷹の鶴拝領をありがたいとする意向を理解し、御礼のため嶋津太郎次郎をもって樽肴を献上したことを披露したところ、御前へ召し出され、入念であるとの喜色があったと知らせる。三月十八日付、年は明和九年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平…

  82. 追録6-No.887 板倉勝清書状

    御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、めでたいとの意向を理解したと伝える。去月二十九日の出火で御曲輪内が類焼し、そのうち桜田の御櫓が焼失したが、ほかに御城内に別条がないことを聞き、恐悦とする意向はもっともであると述べる。紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。三月十八日付、年は明…

  83. 追録6-No.888 阿部正允書状

    御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、めでたいとの意向を理解したと伝える。去月二十九日の出火で御曲輪内が類焼し、そのうち桜田の御櫓一ヶ所が焼失したが、ほかに御城内に別条がないことを聞き、恐悦とする意向はもっともであると述べる。紙面の趣旨を言上したと知らせる。三月十九日付、年は明和九年の…

  84. 追録6-No.889 板倉勝清書状

    御札を披見したと述べる。去月二十九日の出火により、東叡山の心観院様の御廟が炎上したことを聞き、申し越された趣旨を理解したと伝える。心観院様には徳川家治の室との注がある。紙面のとおり各々申し談じて上聞したと知らせる。三月二十二日付、年は明和九年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は…

  85. 追録6-No.890 阿部正允書状

    御札を披見したと述べる。去月二十九日の出火により、東叡山の心観院様の御廟が炎上したことを聞き、言葉を絶するとの意向を理解したと伝える。紙面の趣旨を言上したと知らせる。三月二十二日付、年は明和九年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  86. 追録6-No.891 重豪、参府の労いを受けて登営す

    同年四月十五日、大樹は老中板倉佐渡守勝清を芝邸へ遣わし、重豪の参府を労った。十八日、重豪は登営し、黒書院で大樹家治公に拝謁して先格どおり献品した。小出伊勢守英常が奏し、懇旨を受けたという。続いて西営へ登り、奏者太田備後守資愛を通して拝謁し、献品も同じように行った。以前に記したとおり老中各第へ礼謝し、…

  87. 追録6-No.892 松平武元ほか四名幕府老中連署状

    明日五半時に登城し、参勤の御礼を申し上げるよう求める。四月十七日付、年は明和九年の朱注、田沼主殿頭、板倉佐渡守、松平周防守、松平右京大夫、松平右近将監の五名連署で、松平薩摩守殿へ宛てる。正文は文庫にあるという。

  88. 追録6-No.893 登城令書

    家来二人の御目見を命じたので、召し連れて出るよう求める。独立の年月日、署名、宛所は記さない。

  89. 追録6-No.894 重豪、増上寺救火を命じられ冬十二月に免ぜらる

    同年夏四月二十三日、老中の奉書が重豪へ下り、松平陸奥守重村の勤めに代わって増上寺救火を命じた。冬十二月、浄岸院殿の病が重くなったためこれを免じ、有馬中務大輔がその勤めを代わったと記す。

  90. 追録6-No.895 松平武元ほか四名幕府老中連署奉書

    増上寺火之番として松平陸奥守の代わりを命じられたので、その旨を心得て勤仕するよう伝える。四月二十三日付、年は明和九年の朱注、田沼主殿頭、板倉佐渡守、松平周防守、松平右京大夫、松平右近将監の五名連署で、松平薩摩守殿へ宛てる。正文は文庫にあるという。

  91. 追録6-No.896 松平輝高書状

    今朝、香具一箱と丸熨斗一箱を献上したことを披露したところ、一段の御仕合いであったと知らせる。四月二十五日付、年は明和九年の朱注、正文は輝高の判を備え、松平薩摩守殿へ宛てる。在口裏の朱注として松平右京大夫輝高の名を掲げる。正文は文庫にあるという。

  92. 追録6-No.897 阿部正允書状

    今朝、香具一箱と丸熨斗一箱を献上したことを披露したところ、一段の御仕合いであったと知らせる。四月二十五日付、年は明和九年の朱注、正文は正允の判を備え、松平薩摩守殿へ宛てる。在口裏の朱注として阿部豊後守正允の名を掲げる。

  93. 追録6-No.898 徳川家治御内書

    端午の祝儀として帷子・単物が到来し、歓覧したと伝える。詳しいことは田沼主殿頭が述べるという。五月二日付、年は明和九年の朱注、家治公の墨印を備え、薩摩中将殿へ宛てる。正文は文庫にあるという。

  94. 追録6-No.899 阿部正允書状

    端午の祝儀として使者をもって帷子・単物を献上したことを披露したところ、一段の御仕合いであったと知らせる。五月二日付、年は明和九年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  95. 追録6-No.900 幕府指図書

    佐々木文次郎に新暦調を命じたことに伴って手伝っていたところ、その御用が済んだので、その旨を心得るよう知らせる。五月付、年は明和九年の朱注、松平薩摩守家来水間喜八を宛先とし、在口裏の朱注に松平薩摩守にと記す。独立の差出人署名は記さない。正文は文庫にあるという。

  96. 追録6-No.901 重豪、領国産の野駒を献ず

    同年六月五日、領国産の野駒二匹を家治公へ、同じく一匹を大納言家基公へ献じたと記す。家治公へ献じた二匹の注は、青毛五歳・二寸五部・隅州福山牧、栗毛四歳・二寸五部・隅州末吉牧とし、立具を附したという。家基公への一匹には、川原毛四歳・二寸・隅州福山牧、立具を附したとの注がある。

  97. 追録6-No.902 松平武元書状

    御馬二足を献上したことを披露したところ、一段の御仕合いであったと知らせる。六月五日付、年は明和九年の朱注、正文は武元の判を備え、松平薩摩守殿へ宛てる。在口裏の朱注として松平右近将監武元の名を掲げる。正文は文庫にあるという。

  98. 追録6-No.903 阿部正允書状

    御馬一足を献上したことを披露したところ、一段の御仕合いであったと知らせる。六月五日付、年は明和九年の朱注、正文は正允の判を備え、松平薩摩守殿へ宛てる。在口裏の朱注として阿部豊後守正允の名を掲げる。

  99. 追録6-No.904 島津重豪伺書

    暑中の御機嫌伺いとして両御丸へ献上する品のうち、琉球細布白地を各二巻、例年差し上げてきたが、当年は相損じて献上できないため、今年は琉球島織細布紺地を各二巻献上したいと伺い、指図を求める。御付札は、申し出のとおり献上するよう指示している。六月十八日付、年は明和九年の朱注、松平薩摩守の名を記す。注では、…

  100. 追録6-No.905 田沼意次書状

    端午の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう求める。六月二十四日付、年は明和九年の朱注、田沼主殿頭と署し、松平薩摩守殿へ宛てる。正文は文庫にあるという。