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追録6の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,127件中 2301~2400件・24 / 32ページ

  1. 追録6-No.2114-2 敷地・家屋の坪数と増築計画を口上書で示す

    島津家の品川領大井村抱屋敷について、惣地面一万八千四百六十八坪、囲い済み一万五千三百二十二坪、家坪四百四坪と示したうえで、本家十九坪の増築、東の物置二棟各二坪五合、西の物置一棟三坪五合を願う。絵図を添え、現場の見分と願いの取次ぎを求めた九月二日付の口上書。

  2. 追録6-No.2114-3 大井屋敷作事願を承知した旨を返答する

    大井屋敷の作事願いについて使者から伝えられた趣旨を承知したと名主貫蔵が返答する短い書状。宛先に安部次郎兵衛・鵜殿新三郎の名がある。独立した『の3』であり、作事許可の裁定そのものではない。

  3. 追録6-No.2114-4 大井抱屋敷の造作をめぐる許可・見分・取次の経緯を記す

    大井抱屋敷の本家・物置の造作について、根元政右衛門が九月七日付で、願書・絵図の取次ぎ、代官所の見分、隣接する抱屋敷との調整などの経緯を申し出る。未許可の新規作事や見分をめぐる懸念を記し、作事方に意向を確かめて改めて願い出る必要を述べる。続く渋谷五郎右衛門の九月十一日付申出は、屋敷方・代官所・取次役の…

  4. 追録6-No.2115 登城時に大廊下下の休息所を用いるよう命じられる

    九月十五日、島津重豪が江戸城大広間へ登城した際、老中牧野越中守貞長が大目付久松筑前守定愷を介して、今後は毎月の朔望その他の登城日に大廊下下の休息所を用いるよう命を伝えた。重豪は休息所に入った後、老中らに謝意を表し、西丸でも老中鳥居丹波守忠意に謝した。十月一日には、年始と五節供の登城時にも朔望と同様に…

  5. 追録6-No.2116 朔望などの登城時に大廊下下の休息所を用いるよう達する

    松平薩摩守は由緒ある家柄であるため、朔望その他の登城の際、今後は大廊下下の休息所に控えるよう達する。年始と五節句については、ひとまず従来どおり心得るよう付記した天明四年九月付の大目付達書。

  6. 追録6-No.2117 田沼意次側から伝えられた休息所使用法と謝礼不要の旨を記す

    田沼主殿頭の用人大竹三左衛門から切紙で呼び出された渋谷五郎右衛門が、朔望・二十八日などの登城時に大廊下下の休息所内で障子際へ控え、場所は大目付・目付に問い合わせること、年始・五節句にも同じ休息所を用いることを口達された。渋谷が礼勤めの要否を尋ねると、先の命令を補う達しであるため表向きの謝礼は不要と説…

  7. 追録6-No.2118 年始・五節句にも大廊下下の休息所を用いるよう追加して達する

    朔望その他の登城時には大廊下下の休息所を用い、年始・五節句は従来どおりとするとの先の達しを改め、年始・五節句にも同じく御礼前は同休息所に控えるよう松平薩摩守へ伝える。御礼席そのものは従来どおりとし、薩摩守の登城時に伝達するよう大目付に命じた天明四年九月付の達書。

  8. 追録6-No.2119 城下士の大番変更や作事奉行・尾畔奉行の設置などを記す

    天明四年九月十七日に城下士へ大番に関する変更を命じ、二十三日に復命があったこと、年始・五節句は先例に従うこと、この月に作事奉行を置いたことを記す。さらに十月一日に二丸へ赴いて縁女君へ謁し銅門を開いたこと、十一月一日に尾畔奉行を置いたことを列記する公辺記事。

  9. 追録6-No.2120 大廊下下休息所での控え方と達書写の由来を記す

    朔望・二十八日などの登城時には大廊下下の休息所から桜之間内の障子際に控え、場所は大目付・目付へ問い合わせること、年始・五節句にも同じ休息所を用いることを記した右筆所の控。朱書は、九月二十三日に渋谷五郎右衛門が田沼主殿頭留守居へ出向き、用人から口達を受け、田沼主殿頭自筆の口達控を借りて写し取って帰った…

  10. 追録6-No.2121 浄岸院十三回忌法事を福昌寺で行う旨を届ける

    島津重豪が、浄岸院の十三回忌法事を十二月五日に国許の福昌寺で執行する旨を届ける。九月二十三日付で、朱書により御用番牧野越中守へ留守居渋谷五郎右衛門を介して提出したことが分かる。

  11. 追録6-No.2122 登城時の坊主部屋・挟箱持込み手続を先例に照らして協議する

    島津重豪の在府中に坊主部屋を借り受け、登城の際に挟箱を城内の所定の口まで通し、御小納戸奥御小姓を付ける手続について、安永四年の疱瘡後に弁当を持参した先例を参照して御目付側へ届けようとした経緯を記す。六月晦日に山川下総守方の用人海老原平左衛門へ先例を説明したが、近年は取扱いが変わり担当も交替しているた…

  12. 追録6-No.2123 登城時の控所変更への謝意を藤崎へ伝える

    島津重豪が、今後の登城時には大廊下下の休息所から桜之間内へ控え、年始・五節句にも同休息所に詰めるよう前日に改めて仰せ渡されたことを有難く受けたと述べ、その礼を適当な折に取り成すよう藤崎へ頼む書状。

  13. 追録6-No.2124 虎寿丸の元服・又三郎への改名と進上物を藤崎へ知らせる

    島津重豪が、虎寿丸が当日家伝のもとで元服の式を祝い、又三郎と改名したことを知らせる。これに伴い重豪と又三郎から目録どおりの品を進上したので、適当な折に御縁女へ取り成すよう藤崎へ頼む書状。

  14. 追録6-No.2125 虎寿丸元服の祝儀に御縁女から肴を贈る

    藤崎が松平薩摩守の側近へ、虎寿丸の元服を祝う。御縁女から内々に薩摩守へ肴一折を贈り、虎寿丸へも同じく肴一折を進めるので伝えるよう頼み、末永い祝福を述べた消息。

  15. 追録6-No.2126 虎寿丸元服祝いの肴拝領を藤崎へ謝する

    島津重豪が藤崎の書状を拝見し、虎寿丸の元服祝いとして御縁女から内々に重豪と虎寿丸へ肴を下されたことに謝意を述べる。虎寿丸からも同様に礼を申し上げているので、取り成すよう藤崎へ頼む返書。

  16. 追録6-No.2127 又三郎元服祝いの肴拝領を藤崎へ謝する

    島津重豪が、又三郎の元服祝いに際し、前日に御縁女から内々に重豪と又三郎へ肴を下されたことを有難く受けたと述べる。重豪と又三郎からの礼を適当な折に取り成すよう藤崎へ頼む書状。

  17. 追録6-No.2128 島津斉宣が芝邸で元服し又三郎忠堯と称する

    天明四年九月二十七日、島津斉宣が江戸の芝邸大書院で元服したことを記す。父島津重豪が自ら加冠し、島津伊賀久金が理髪を務め、又三郎忠堯と名乗らせて宝刀一振を与えた。家伝の元服式を基礎としつつ、重豪が幕府諸侯の家法を広く調べて典礼を定め、進物も折十一合・樽三荷から折十六合・樽五荷へ増したという。

  18. 追録6-No.2129 虎寿丸元服の会場設営・式次第・役割・進物を定める

    九月二十七日に予定する虎寿丸の家伝来元服式について、大書院・御座之間・休息所などの床・掛物・棚飾・褥の配置、午刻の加冠、理髪役島津伊賀、奥小姓大橋銀次郎ほかの役割、刀・乱箱・装束の受渡し、着座と退出、太刀・馬代・黄金・肴・吸物等の進物、御家老・大奥・敬姫らへの挨拶を詳細に定める。翌二十八日の月次御礼…

  19. 追録6-No.2130 虎寿丸の元服と又三郎への改名を届ける

    松平虎寿丸が前二十七日に家伝来の元服式を済ませ、又三郎と改名した旨を届ける。九月二十八日、御名使者を務めた渋谷五郎右衛門貫富による簡潔な届書。

  20. 追録6-No.2131 公辺照会後に改めた虎寿丸元服式の次第を定める

    虎寿丸の家伝来元服式について、公辺その他への照会後に整えた会場設営と式次第を列記する。大書院・御座之間・休息所・大奥等の飾付け、午刻の加冠、島津伊賀の理髪、大橋銀次郎らの奉仕、刀・乱箱・装束の受渡し、着座・退出・祝儀披露、太刀・馬代・黄金・肴・吸物等の進物を定める。翌二十八日には月次御礼後に両殿・御…

  21. 追録6-No.2132 改訂した又三郎元服次第を帳面へ記録するよう命じる

    又三郎の元服式次第は、先に写して帳面へ記すよう渡していたが、公辺その他への照会後に段々と改訂されたため、別紙どおり改めて書き留めるよう御記録奉行へ命じる。包紙には、天明四年十二月三日に仲(島津久金)から川上平右衛門へ渡され、白木御文書五番箱へ納めたと記す。

  22. 追録6-No.2133 虎寿丸元服次第の改訂と記録保存を記録奉行へ伝える

    又三郎の元服次第は先に帳面へ写すよう命じていたが、公辺への照会後に改訂されたため、次第書一通と仲殿から記録奉行へ渡す横切書付一通を添える。添書は、虎寿丸が九月二十七日に大書院で重豪の加冠を受け、又三郎、実名忠堯と称し、家伝の作法どおり滞りなく元服した旨と、別紙の祝儀次第を帳面へ記すよう十一月に命じる…

  23. 追録6-No.2134 中剃・元服を家伝来の元服式と称して記録するよう命じる

    今後、中剃・元服のことは『御家御伝来之御元服之御式』と称し、書付等にもそのように記すよう命じる。今回の元服について御用番と西丸御老中へ届けた別紙写しを示し、帳面へ記録するよう御記録奉行へ申し渡す。

  24. 追録6-No.2135 又三郎の元服・鎧着初を祝い芝神明宮へ白銀を献じる

    十二月二十七日、又三郎の元服と鎧着初を祝い、小納戸を代参させて産神の芝神明宮へ白銀二枚を献じた。さらに父島津重豪、敬姫、内證君を招いて宴を開き、家老以下の役人へも酒肴を与えたことを記す。

  25. 追録6-No.2136 年始使者と別録の贈物に対して中山王へ礼を述べる

    島津重豪が中山王へ、琉球国司から年始の賀儀として使者が派遣され、別録どおりの品も贈られたことを丁重に謝し、後日の再会を期す旨を述べた天明四年十月十一日付書状。

  26. 追録6-No.2137 鷹狩の初鶴雁献上を祝う琉球の進物に礼を述べる

    島津重豪が、前年に拝領した鷹で捕らえた鶴・雁の初献上を祝うため、渡嘉敷親方を介して太刀・馬代白銀百両と目録どおりの品が贈られたことに、過分の厚意として礼を述べる天明四年十月十一日付書状。

  27. 追録6-No.2138 鶴拝領祝儀の使者・進物に対して中山王へ礼を述べる

    当春の御鷹の鶴拝領を祝うため、中山王から亀川親方が派遣され、太刀・馬代白銀百両と目録どおりの品が贈られたことに対し、島津重豪が丁重に礼を述べる。天明四年十月十一日付の中山王宛書状。

  28. 追録6-No.2139 中山王の安否と紕縮緬五巻の贈物に返礼する

    島津重豪が中山王の書状を読み、平安であることを喜ぶとともに、自分も無事なので安心するよう伝える。紕縮緬五巻を贈られた厚意に謝する天明四年十月十一日付の返信。

  29. 追録6-No.2140 浄岸院十三回忌法事と各方面からの香奠を記す

    天明四年十二月三日から五日まで福昌寺で浄岸院の十三回忌法事を行い、江戸在府中の重豪に代わり島津兵庫久徴が参拝したことを記す。又三郎や島津久柄一家の香奠、十月十日の将軍・儲君側からの香奠銀三十枚・二十枚および儲君生母からの五枚、十八日の渋谷甚八・八木源四郎義兼による輸送、十一月十三日の鹿児島到着と福昌…

  30. 追録6-No.2141 浄岸院十三回忌の香奠輸送と先例による取扱いを命じる

    浄岸院十三回忌法事の届出を受け、十月十日に西尾隠岐守が将軍から白銀三十枚、大納言から二十枚を香奠として伝えたことを知らせる。江戸側の取持ちは先例どおり済ませたので、国許でも京都・長崎・隣国への通知や法事準備を先例に従って整えるよう命じる。金山奉行渋谷甚八と小小姓八木源四郎を急ぎ派遣し、出水方面の通行…

  31. 追録6-No.2142 香奠到着と十三回忌法事準備の処置を返信する

    前月十三日に香奠が到着したので、当日に手当と警護を先例どおり命じ、長崎奉行・隣国への通知、明姫の女中への報告も済ませたと返信する。十二月三日に御牌前へ備えた品等は主計殿の照会どおりとし、香奠銀入箱は安房の切封のまま送る旨を伝える。十二月六日付で、2141号文書の行間朱書として掲載される家老側の返書。

  32. 追録6-No.2143 御部屋からの香奠銀五枚を国許へ送り取扱いを命じる

    浄岸院十三回忌に際し、御部屋から附用人小笠原外記を使者として香奠銀五枚が贈られ、附紙臺と目録が添えられたことを知らせる。江戸側の取持ちは表向・内証とも先例どおり済ませたので、将軍からの香奠等と同じ箱に入れて国許へ送る。御牌前への供備と国許への通知も先例どおり整えるよう命じる十月十八日付の家老連署書状…

  33. 追録6-No.2144 御部屋からの香奠の警護と供備を報告する

    御部屋からの香奠銀は西丸からの香奠と同じように警護するよう命じ、明姫の女中にも報告したと返信する。法事に際して十二月三日に御牌前へ供え、滞りなく済んだことは主計殿の報告どおりと述べる十二月六日付返書。2143号文書の行間朱書として掲載される。

  34. 追録6-No.2145 香奠輸送の道中触書の交付・返納と別経路を伝える

    香奠輸送を滞らせないため、三回忌時のように道中奉行の触書を出すのがよいと留守居から提案があったことを伝える。七回忌には同様の扱いがなかったものの吟味を認め、大屋遠江守へ付役を遣わして前例と必要な人馬数を申し入れ、十月十六日に触書を交付された。返納方法は品川問屋にも確認し、先例と別紙二通に沿って処理す…

  35. 追録6-No.2146 道中触書の到着と返納継送を報告する

    道中触書が前月十一日に出水の米之津へ継送されてきたことを受け、返納は御使番を通じて調えたと報告する。三回忌の前例に従い、米之津人馬改から水俣問屋まで継送するよう命じ、送られた別紙二通は控え置いたと述べる十二月六日付返書。2145号文書の行間朱書として掲載される。

  36. 追録6-No.2147 香奠輸送に人足六人・馬二疋を滞りなく供するよう命じる

    浄岸院十三回忌の香奠を松平薩摩守方から薩州へ急送するため、人足六人・馬二疋を滞りなく出し、所定の賃銭を受けて迅速に継送するよう命じる。薩摩守家来の申出に従い往来の先後を問わず供給し、川越・船渡でも停滞させないこと、触書を各宿へ急ぎ回し、承知の請書を添えて末端の宿から伊豫役所へ宿送りで返すことを定める…

  37. 追録6-No.2148 薩摩・大隅・日向の風水害損失を幕府へ届ける

    薩摩・大隅・日向の領内で六月二十五日と七月の大風洪水により生じた損失を届ける。被害高は九万一千二百五十六石余で、当損九万五百九十九石余・永損六百五十六石余を内訳とする。潰家四百十四軒、堤三万七千九百三十三間、井手四百七十七か所、道三千九百九十七間、橋百七十六か所、小船二艘、死者一人、死馬五疋を列記す…

  38. 追録6-No.2149 重陽内書受取のため翌日家来を登城させるよう命じる

    重陽の御内書を渡すので、翌日五半時に家来を江戸城へ遣わすよう松平薩摩守へ命じる、十月二十二日付牧野越中守貞長書状。

  39. 追録6-No.2150 登城時の休息所変更と追加口達を記録するよう命じる

    九月十五日の登城時に、大目付久松筑前守を介して大廊下下休息所の使用を伝えられ、本丸・西丸で礼を述べた経緯を記録させる。九月二十三日には田沼主殿頭から留守居へ、休息所から桜之間内の障子際に控えること、場所は大目付・目付に問い合わせることが伝えられた。先達では年始・五節句を従来どおりとしていたが、追加口…

  40. 追録6-No.2151 尾畔奉行を新設し職務・役順・役宅を定める

    尾畔奉行を新設し、役順を御庭奉行の次、奥支配と定める。従来鷹匠頭が受け持っていた用向のうち関係分を引き受けさせ、宮内源内が住んでいた居宅を尾畔奉行役宅として移転・勤務を命じる。表方へ通達し、奥掛御勝手方へも写しを送る十一月付島津近江久起の達書。

  41. 追録6-No.2152 唐学見習を唐学掛と改称するよう申し渡す

    唐学見習の名称を唐学掛へ改める旨の命令を受け、関係者へ伝達するよう申し渡す。十一月付、仲(島津久健)の申渡書。

  42. 追録6-No.2153 元服式の名称と幕府への届出を帳面へ記録するよう命じる

    中剃・元服を今後は家伝来の元服式と称し、書付にもそのように記すよう命じる。今回の元服について御用番と西丸御老中へ届けた別紙写しの内容を、帳面へ記録するよう御記録奉行へ申し渡す。十一月付、仲の申渡書。

  43. 追録6-No.2154 虎寿丸の元服と又三郎への改名を届ける

    松平虎寿丸が前二十七日に家伝来の元服式を祝い、又三郎と改名した旨を、御名使者渋谷五郎右衛門が九月二十八日に届けた書面の写し。

  44. 追録6-No.2155 元服の進物を増し以後の式にも新数量を用いるよう命じる

    家伝来の元服式では折十二合・樽三荷を進める先例だったが、今回の又三郎元服には太守の意向で折十六合・樽五荷・白木弓二十張・征矢二百筋へ増したと伝える。今後も歴代の元服式にこの数量を用いるよう、関係役人へ申し渡す。包紙には十一月三日に島津十太右衛門の取次で本田文藏が承知して納めたことを記す。

  45. 追録6-No.2156 徳川一門等からの香奠銀二十三枚を国許へ送る

    浄岸院十三回忌への香奠として、民部卿・宮内卿から白銀各三枚、宮内卿御簾中・田安寶蓮院・安祥院から各一枚、尾張大納言・紀伊中納言から各三枚、紀伊前中納言・紀伊中将から各二枚、水戸宰相から三枚、俊祥院から一枚、合計二十三枚を列記する。披露後、当日の使便で国許へ送るよう承知したので紙張箱に入れて送り、報告…

  46. 追録6-No.2157 尾張中将から追加された香奠銀二枚を別包で送る

    尾張中将から浄岸院法事の香奠として白銀二枚が贈られたことを伝える。他の香奠の荷造りが済んだ後だったため、銀だけを別包にして送るので、一連の取扱いどおり処理するよう頼む。十一月晦日付村上静馬の申送状。

  47. 追録6-No.2158 浄岸院十三回忌法事と諸方面の香奠・寺納を報告する

    浄岸院十三回忌法事を十二月三日から五日までの三日間、福昌寺で執行し、太守の名代が参拝したことを報告する。又三郎・敬姫・内證・明姫側からの香奠、島津久柄・忠持一家や一門等の寺納、将軍・大納言・御部屋からの香奠の御牌前供備と寺での取扱い、眞含院の附法事、中山王使者の献納と接遇を列記する。先例に従って首尾…

  48. 追録6-No.2159 十三回忌法事の報告を受け幕府への届出等を済ませる

    前件の報告を承知し、関係方面へも伝えたことを述べる。法事終了の届出は御用番松平周防守へ留守居が赴いて口達で済ませ、溜池への返銀についても先例どおり申し渡したと返答する。2158の本文脇に載る小字朱書の返書。

  49. 追録6-No.2160 老女等からの香奠を御牌前へ供えるよう求める

    浄岸院十三回忌法事に際して御老女その他から別紙どおり香奠が贈られたと関山から申し越されたため、御側御用人の申出に従い御牌前へ供備し、挨拶も整えるよう求める。十二月六日付二階堂主計書状で、十二月三日の追記を伴う。

  50. 追録6-No.2161 香奠の挨拶済みと別紙の控え置きを返答する

    香奠に関する挨拶は先に済ませており、送られた別紙は控え置いたと返答する。2160の正文脇に付された小字朱書の返書。

  51. 追録6-No.2162 海辺新田の抱屋敷に長屋を建てた経緯と追願を説明する

    伊奈半左衛門の代官所西葛西領海辺新田にある三万三千三百八十七坪の抱屋敷で、長屋四十坪五合の建築を四月に願い、そのうち十三坪を家作し二十七坪五合は当年建て終えたため、国許からの申付けを踏まえて届出と後続の作事を取り計らうよう説明する。辰正月十二日の追記は、堀田相模守家来西淳甫の敷地隣接地での長屋と門の…

  52. 追録6-No.2163 幕府拝領物への礼と太守書状の到来を琉球側へ伝える

    琉球国王の書状を拝見し、前年の将軍・大納言からの拝領物への礼として、この夏に迄野里親方が江戸へ継使者を遣わし、奉書が到来したこと、太守の書状も届いたことを伝える。その旨を国王へ伝達するよう求める十二月十五日付家老連署書状。署名は宮之原主膳、二階堂主計、島津仲、島津近江の実名判。

  53. 追録6-No.2164 南林寺造立と唐門寄進への礼を琉球側へ伝える

    国王の書状を拝見し、前年の南林寺造立に際し寺家から寄進の願いがあり、御影堂前の唐門寄進を命じられたこと、その礼の趣旨を江戸まで伝え聞いたことを述べる。十二月十五日付宮之原主膳単署書状。

  54. 追録6-No.2165 浄岸院十三回忌の香奠銀配分を寺社方へ届ける

    浄岸院十三回忌の香奠銀四貫百七十五匁九分八厘九毛の配分を記す。内訳は、祠堂銀として寺社方へ二貫七百五十七匁三分二厘六毛、福昌寺住持へ一貫三百七十八匁六分六厘三毛、副司二人へ一人二十匁ずつ計四十匁である。三分の二を祠堂銀、三分の一を住持に与え、副司への二十匁ずつも申し渡すよう十二月十七日に届ける。

  55. 追録6-No.2166 本丸・西丸の女性役人等からの香奠を供備するよう命じる

    浄岸院十三回忌の香奠として、本丸御老女高岳・花園・常盤井・滝川・野村・砂野、西丸御上臈御年寄梅野井、西丸御老女大崎・高橋、御客応答岩城・滝山・富岡、本丸表御使富野・民野・菊野・岩野・小山、西丸同清川・中村・飯島、本丸勤松本・峯野・澤田、西丸同おりえ、栄嘉らの品を列記する。白銀一枚宛、金子二百疋宛およ…

  56. 追録6-No.2167 炙鮎一箱の献上を受けた礼を薩摩守へ伝える

    今朝献じられた炙鮎一箱を披露し、格別に喜ばれた旨を伝える十二月十八日付の礼状。意次の判があり、在口裏の宛所・差出人は松平薩摩守殿、田沼主殿頭意次と記す。

  57. 追録6-No.2168 炙鮎一箱の献上への礼を薩摩守へ伝える

    今朝献じられた炙鮎一箱を披露し、格別に喜ばれた旨を伝える十二月十八日付礼状。忠意の判があり、口裏に松平薩摩守殿・鳥居丹波守忠意と記される。

  58. 追録6-No.2169 妙心院家本の渋谷喜三左衛門へ知行を与える

    知行高百九十石四斗五升五合八勺八才を鹿児島武村・荒田村、谷山中村・五ヶ別府村、溝辺麓村、高山宮下村・野崎村、大崎神領村・持留村、綾北俣村、須木須木村、串良岡崎村、田布施大野村・尾下村、大村北方村、伊作入来村、末吉中之内村・諏訪方村・二之方村、百引百引村、横川下之村、庄内高城桜木村・穂満坊村・大井手村…

  59. 追録6-No.2170 転任祝儀のため各人を翌年二月の私宅宴へ招く

    転任の祝儀として各人を私宅へ招きたいので、来年二月中旬から下旬までの間に相談して出向いてほしいと求める。十二月二十二日付松平薩摩守の招請状。

  60. 追録6-No.2171 二月の支障日と招請書の提出・回答受取を記す

    二月二日・五日・七日・十一日・十六日を障日として挙げる。朱書は、本城源七郎が書付二通を土方宇源太の用人中村半助へ渡し、御用番の登城前に提出するよう頼んだこと、十二月二十二日に宇源太から御用番代牧野越中守へ提出して受領されたこと、二十四日に牧野が留守居を呼び出して次の書付を渡した経緯を記す。

  61. 追録6-No.2172 転任祝儀の振廻へ来月二十七日晩に赴くと答える

    転任祝儀の振廻には来月二十七日の晩に赴く旨を松平薩摩守へ伝える幕府老中の答書写し。前件の朱書に、十二月二十四日に牧野越中守が留守居へ書付を渡した経緯が記される。

  62. 追録6-No.2173 伊達重村からの香奠銀二枚を国許へ送る

    浄岸院十三回忌の香奠として松平陸奥守から銀二枚が贈られたことを伝える。去る二日に使者を通じて進められ、披露後、使便で送られた旨を承知したので国許へ転送し、報告と取扱いを整えるよう命じる。十二月二十六日付村上静馬申送状。

  63. 追録6-No.2174 又三郎の元服・鎧召初祝儀の進物・席・料理・翌日礼を定める

    又三郎が家伝来の元服式と鎧召初を済ませたことを祝う十二月二十七日の次第を定める。太守への使者、敬姫・内證への進物、神明宮への小納戸代参と白銀二枚の献納、両殿・諸役の装束、祝物・拝領物の受渡し、大奥対面所の床飾・着座と案内を指定する。白木の式三献に続く雑煮・肴・吸物・茶・料理三汁十菜、濃茶・薄茶・夜食…

  64. 追録6-No.2175 歳暮の小袖一重を受けた礼を薩摩中将へ伝える

    歳暮祝儀の小袖一重が到来し喜んで受け取ったことを伝え、詳細は田沼主殿頭から述べるとする十二月二十七日付御内書。家治公の墨印がある。

  65. 追録6-No.2176 歳暮の小袖一重献上を披露した旨を報告する

    歳暮祝儀として使者が献じた小袖一重を披露し、格別に喜ばれた旨を伝える。十二月二十七日付鳥居丹波守忠意判の書状。

  66. 追録6-No.2177 歳暮登城の残留・西丸御礼と以後の礼席を記す

    当日の登城時、礼前に大目付松平対馬守から居残るよう伝えられ、例年どおり歳暮の礼を述べた後、目付藤郷右衛門・曲淵勝次郎の案内で白書院黒鷲杉戸前の老中列座へ進んだ経緯を記す。田沼主殿頭から別紙どおりの達しを受け、西丸でも成瀬安次郎の案内により白書院縁頬に出席した鳥居丹波守へ歳暮祝儀と達しへの礼を述べた。…

  67. 追録6-No.2178 礼席変更を陸奥守へ知らせ同席衆との相談・又三郎への助力を頼む

    無事を喜ぶ挨拶に続き、年始は白書院で相伴し、月次は黒書院、五節句・八朔は白書院で御礼するよう命じられて大広間席を離れることを知らせる。これまで同席で意見を述べたり取り次いだりしたことはないが、島津家は古来他家と異なる事情があるため、今後一統にかかわる特別な相談があれば、従来どおり互いに遠慮なく相談し…

  68. 追録6-No.2179 礼席変更を弾正大弼へ知らせ又三郎への助力・同席衆への伝達を頼む

    無事を喜ぶ挨拶に続き、年始は白書院で相伴し、月次は黒書院、五節句・八朔は白書院で御礼するよう命じられ、大広間席を離れることを知らせる。これまで同席で特段の意見や取次ぎはしてこなかったと述べ、今後又三郎が御席に出る際も変わらぬ助力を頼む。同席衆にも一通伝えたが、松平陸奥守と相談してさらに伝達してほしい…

  69. 追録6-No.2180 重豪の年始・五節供・八朔と月次の御礼席を定める

    十二月二十八日、重豪が例年どおり登城して歳末の賀を述べた後、白書院黒鷲杉戸前に老中が列座し、田沼主殿頭意次から命が伝えられたと記す。以後の慶礼は歳首・五節供・八朔を白書院、月次を黒書院で述べると定められた。重豪公御譜の記事。

  70. 追録6-No.2181 溪山公の甲胄始と既済の元服を併せた慶宴を記す

    四年甲辰十二月二十七日に溪山公が初めて甲胄を着けたこと、それより前に既に元服を済ませており、この時併せて慶宴を催したことを記す。甲胄始と元服の前後関係を短く記した記事。

  71. 追録6-No.2182 正月七日の若菜祝儀登城を伺い不要との付札を受ける

    黒書院で御礼するよう命じられたことを受け、来る七日に登城して若菜祝儀を申し上げたいと伺う正月三日付伺書で、付札に不及此儀候と記される。注記によれば、三日に留守居渋谷五郎右衛門が御用番田沼主殿頭方へ持参し、御側御用人三浦庄二を介して先に内見を受けた。表向きに提出するよう伝えられたため、取次長嶋庄太夫へ…

  72. 追録6-No.2183 若菜祝儀の鯛一折献上を披露し喜ばれた旨を伝える

    若菜祝儀として献上された鯛一折を披露したところ、格別に喜ばれた旨を伝える正月七日付田沼意次判の書状。宛所は松平薩摩守で、日裏に田沼主殿頭意次とある。

  73. 追録6-No.2184 若菜祝儀の鯛一折献上への受領礼を伝える

    若菜祝儀として献上された鯛一折を披露したところ、格別に喜ばれた旨を伝える正月七日付忠意判の書状。次段に続く宛所は松平薩摩守で、日裏に鳥居丹波守忠意とある。田沼意次の礼状2183と同じ献上物を記すが、別の発給文書として整理する。

  74. 追録6-No.2185 神社仏閣修造・農事精励・年貢徴納の三条を命じる

    神社仏閣の修造興行、農事に専ら励むこと、国々の年貢を徴納することの三条を掲げ、その趣旨を沙汰するよう命じる正月十一日付吉書で、重豪の御判がある。注記には二月二十八日に近江殿から渡され、東郷浅之丞が納め置く旨を記す。

  75. 追録6-No.2186 御縁女からの年玉と又三郎・けいへの拝領物に礼を伝える

    無事を喜ぶ挨拶と年頭の祝意に続き、御縁女から年玉として御文庫のうち鯛一折を拝領し、又三郎とけいにも拝領物があったことをありがたいと述べる。又三郎・けいからも礼を申し上げる旨を伝え、機会をとらえてよろしく取り成してほしいと頼む。末尾に藤崎さまへこの趣旨を申し伝えるよう記す。

  76. 追録6-No.2187 年始の平野差上と目見・賜膳の礼を複数の取次役へ伝える

    無事を喜ぶ挨拶に続き、年始の祝儀として平野を差し上げた際、公方・大納言・種姫君への目見を命じられ、上意を受け料理を賜ったことへの礼を述べる。この礼を申し上げたいので、大納言・種姫君の御部屋にも伝え、機会をとらえて御前へ取り成してほしいと頼む。高をか・花その・常盤井・たき川・野むら・いさ野の各人へこの…

  77. 追録6-No.2188 年始の平野差上・目見・賜膳の礼を御縁女へ取り成すよう頼む

    無事を喜ぶ挨拶に続き、年始の祝儀として平野を差し上げた際、公方・大納言・種姫君への目見を命じられ、上意を受け料理を賜ったことをありがたいと述べる。この礼を御縁女に申し上げたいので、機会をとらえてよろしく取り成してほしいと頼む。梅の井・大さき・高はしの各人へこの趣旨を申し伝えるよう列記する。

  78. 追録6-No.2189 数寄屋・数寄屋頭を御書院方・御書院方預に改める

    数寄屋を御書院方、数寄屋頭を御書院方預と改称したことを二条で示す。名称変更に準じて、従来御書院方何々と称してきた者は御数寄屋何々と改めるよう命じられた旨の申出を受け、この趣旨を承るべき各人へ申し渡すよう指示する。末尾は天明五年正月の朱書と署記仲。目録は島津久健申渡書とする。

  79. 追録6-No.2190 孝恭院法事の菓子一箱献上を伺い許可を受ける

    孝恭院の法事中のご機嫌伺いとして菓子一箱を献上したいこと、黒書院で御礼するよう命じられていることを述べて伺う二月十二日付伺書。朱書に同之通可有献上候との返答がある。注記には、伺書提出後の十四日に法事掛老中牧野越中守方から留守居が呼び出され、渋谷五郎右衛門が出向き、用人橋本六右衛門を介して付紙による許…

  80. 追録6-No.2191 今朝献上の菓子一箱を披露し喜ばれた旨を伝える

    今朝献上された菓子一箱を披露したところ、格別に喜ばれた旨を伝える二月二十一日付康福判の書状。宛所は松平薩摩守で、日裏に松平周防守康福と記す。

  81. 追録6-No.2192 孝恭院七回忌の香奠銀十枚献納と使者案内を報告する

    孝恭院七回忌法事の香奠銀十枚を、使者種子嶋雲治が上野本坊へ献納した経過を報告する。門主が出て、献納の付紙を台理閣の内横畳三畳目で役僧から取り扱い、二畳目で使者の礼を執当から披露した。老中牧野越中守、寺社奉行松平伯耆守その他の役人が出席したと記す。今朝献納を済ませ、自ら使者案内を勤めた首尾を、二月二十…

  82. 追録6-No.2193 歳暮の御内書受取のため翌日五半時に家来を登城させるよう伝える

    歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に家来を登城させて差し出すよう命じる二月二十六日付田沼主殿頭の書状。宛所の松平薩摩守は次段右端へ続く。

  83. 追録6-No.2194 将軍の右大臣転任を祝う芝邸の招宴・能楽・贈物を記す

    安永九年九月四日に家治が内大臣から右大臣へ転任したことを受け、天明五年二月二十七日に重豪が芝邸で老中・若年寄・奏者・諸奉行らを招宴したと記す。観世・宝生と幕府士数十人が猿楽を奏し、島津久金ら家臣が接待に当たった。招客へ盃酒を賜り檜重・鮮魚を献じ、使者から老中・若年寄の不参者にも檜重・茶・魚を贈った。…

  84. 追録6-No.2195 将軍転任祝儀一件

    将軍の右大臣転任祝儀に関する、書状と家老返書、老中・勝手之間・後日後々日の招宴次第、二月二十七日・三月四日・三月六日の招請人名書と能組をまとめた一件。各資料は枝ごとに整理する。

  85. 追録6-No.2195-1 将軍転任祝儀の招宴・献上・贈物の首尾を三家老へ伝える

    転任祝儀の先月二十七日招請について、老中・若年寄らの出席、能、盃と供食、招請先・贈物・不参者取扱い・後日四日六日の次第等を報告する。本書の署名は上島津伊賀、日付は三月十二日。

  86. 追録6-No.2195-2 転任祝儀の報告に先例と取扱いを項目別に返答する

    本書の報告・献上物・招請先等に項目別に返答する。初めに本文致承知、各項に御同意・先例・差図・後年見合書留等を朱書で対応させる。末尾は下島津近江・島津仲・宮之原主膳、五月七日の朱書。本書と返答を朱書で項目別に対応させた紙面。

  87. 追録6-No.2195-3 老中招宴の出迎え・席・料理・盃・能・退出を定める

    老中・若年寄・奏者番・諸役の出迎え、芙蓉之間から大書院への案内、座・刀の取扱いを指定。白木具三汁十菜の本膳、初能、銚子・盃・肴・吸物の順、上席老中からの盃受渡し、家老・御取持・坊主等の役割を詳記する。湯水・菓子・濃薄茶、能見物所・仕切屏風、退出の挨拶・贈物、不参老中等への茶・檜重・肴の贈送を定める。…

  88. 追録6-No.2195-4 勝手之間招宴の案内・供食・能見物・退出を定める

    勝手へ出る客を内玄関から通し、座之間を経て勝手之間辺の側用人の案内で揃える。三汁十菜・白木具の本膳、盃・銚子・肴・吸物、茶菓、書院での相伴と能見物、退出挨拶を定める。四品以上は鏡板、その他は拭縁に待ち、末家方・家老・側詰・若年寄・大目付格らの供食場所と担当を分ける。台引・引肴・挟肴の役目と留守居の取…

  89. 追録6-No.2195-5 老中・若年寄・諸奉行等の招請人十名を列記する

    将軍転任祝儀の招請人名を10件列記する。老中水野出羽守、若年寄安藤対馬守、西丸若年寄井伊兵部少輔、奏者板倉左近将監・松平玄蕃頭、大目付大屋遠江守、作事奉行柘植長門守、普請奉行岩本内膳正、日光奉行井戸美濃守、佐渡奉行石野平蔵を官職・細字実名注とともに記す。

  90. 追録6-No.2195-6 二月二十七日の勝手招請人六十七名を列記する

    将軍転任祝儀の招請人名を67件列記する。二月二十七日の勝手の人名書で、松平伊豫守から伊勢萬助まで官途名・通称を原文順に記し、一部に断注を付す。掲載数は出席人数を表さない。

  91. 追録6-No.2195-7 二月二十七日の能組と御跡の曲目・配役を記す

    二月二十七日の能組。翁・三番叟に続き、弓八幡を観世太夫、羽衣を宝生太夫、祝言岩松を十太夫と記す。御跡として末廣かりを彌太夫、是界を金剛太夫、祝言金札を源五郎とする曲目を列記する。各曲の下に配役・囃子方の名を併記する。

  92. 追録6-No.2195-8 後日・後々日の招宴を客の格式と供食番ごとに定める

    後日・後々日の客の招宴次第。四品以上の出迎え、刀、拭縁獅子杉戸溜、大書院への案内・着座を定める。初番・二番・三番・四番の供食、盃・肴・銚子・吸物、三汁十菜の料理、能見物と仕切屏風・中入・退出を指定。万石以上/以下、上客と他の客、四日と六日の主居を区別する。末家方・御取持・家老等の供食場所と手当も記す…

  93. 追録6-No.2195-9 三月四日の招請人六十三記載を席の区分別に列記する

    将軍転任祝儀の招請人名を63件列記する。三月四日・御次第不同とし、大書院・表書院御取持・勝手之間・居間書院・居間・勝手の区分と各人の断注を記す。掲載数は出席人数を表さない。

  94. 追録6-No.2195-10 三月六日の招請人七十二記載を席の区分別に列記する

    将軍転任祝儀の招請人名を72件列記する。三月六日・御次第不同とし、大書院・表書院御取持・勝手之間・小書院・居間書院・居間・勝手の区分と各人の断注を記す。同名の再出を含む。掲載数は出席人数を表さない。

  95. 追録6-No.2195-11 三月四日の能・祝言・狂言と配役を記す

    三月四日の能組。翁・三番叟、佐保山(金春太夫)、知章(左織)、江口(金剛太夫)、飛雲(源五郎)、祝言養老(源之進)を列記する。続く狂言は文相撲を八十治、素袍落を八右衛門、井杭を武右衛門・直右衛門と記す。各曲の配役・囃子方の名を併記する。

  96. 追録6-No.2195-12 三月六日の能・祝言・狂言と配役を記す

    三月六日の能組。翁・三番叟、難波(宝生太夫)、田村(幾衛)、巻衣(金剛太夫、五段神楽)、石橋(彌五郎)、祝言高砂(左織)を列記する。続く狂言は八幡前を八右衛門、内沙汰を仁右衛門、悪坊を伊兵衛と記す。各曲の配役・囃子方の名を併記する。

  97. 追録6-No.2196 山下御屋敷・二丸等の呼称と門名の取扱いを申し渡す

    幕府に対して嫡子または隠居の居宅と届けている屋地を山下御屋敷と称するよう命じ、内々に二丸と呼んできた妙心院存生中の居住地について山下の名目を除き、地面を二丸一囲とする旨を伝える。当分の山下御應部屋の建置を含め呼称を改め、二丸御門、同裏御門、臺所御門、下屋敷御門、南口御門・矢来御門、役所御門・勘定所門…

  98. 追録6-No.2197 若君の髪置祝儀献上を披露し喜ばれた旨を伝える

    若君の髪置祝儀として、使者を通じ公方と若君へ目録どおり献上された物品を披露し、格別に喜ばれた旨を伝える三月十一日付戸田采女正氏教判の書状。原書の年紀は天明五年だが、重豪の上総介への改名は天明七年正月二十九日であるとして、編者が本文書の年紀に疑義を示している。

  99. 追録6-No.2198 持病の下冷により夏の出仕でも足袋使用を伺い許可を得る

    持病の下冷を理由に、出仕の際には当夏も足袋を使用したいと伺う三月二十三日付伺書で、足袋用可被申候との付紙による許可を記す。注記によれば当日留守居矢野清右衛門が田沼主殿頭方へ提出して受理され、翌日呼出しを受けて渋谷五郎右衛門が出向き、用人武田織右衛門から付紙を渡された。さらに西丸老中へも書付で届け、先…

  100. 追録6-No.2199 許可された足袋使用を田沼主殿頭の同役へ使者を通じ知らせる

    持病の下冷により出仕時の足袋使用を田沼主殿頭へ伺い、使用してよいとの指図を受けたため、使者を通じ同役中へ伝えておいてほしいと申し入れる三月二十五日の口上書。使者は四本長右衛門・山口佐左衛門。注記では御用の依頼先と使者を、目付山川下総守へ四本、末吉善左衛門へ山口と振り分け、二通を家老座で調えたことを記…