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追録6の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,127件中 2501~2600件・26 / 32ページ

  1. 追録6-No.2300 藤崎へ御縁女様の初御歯黒祝儀と進上品を伝える

    重豪は、御縁女様が初めて御歯黒をした祝いを喜び、その祝儀として縞十巻と読める品を進上したので内々に披露してほしいと藤崎に頼む。原文には「天明五年」とあるが月日はない。

  2. 追録6-No.2301 藤崎へ御縁女様の初御歯黒祝儀と拝領品への礼を述べる

    重豪は、御縁女様の初御歯黒を祝って品を差し上げたところ、先ほど拝領品を受けたことへの謝意を藤崎に伝える。祝儀の取次と礼の伝達を頼む。朱書は天明五年のみで月日はない。

  3. 追録6-No.2302 藤崎へ御縁女様の初御歯黒と三郎・けいからの礼を述べる

    重豪は御縁女様の初御歯黒を祝う品を進め、先ほど三郎・けいにも拝領物を頂いたことに礼を述べる。藤崎に取次と礼の伝達を頼む。本文末の朱書は天明五年のみ。

  4. 追録6-No.2303 藤崎へ湯治出立前の礼と干菓子・鯛の拝領を伝える

    重豪は湯治の願いが済み近く出立することを伝え、御縁女様から干菓子一箱と鯛一折を頂いたことに礼を述べる。藤崎に挨拶の取次を頼む。朱書は天明五年のみで月日はない。

  5. 追録6-No.2304 藤崎へ湯治願いの許可と御縁女様からの品への礼を伝える

    重豪は、湯治の願いが昨日認められ近く出立することを藤崎へ知らせる。御縁女様から頂いた品をありがたく思い、その礼を伝えてほしいと頼む。朱書は天明五年のみで月日はない。

  6. 追録6-No.2305 藤崎へ湯治先への到着と御縁女様の安泰を願う

    重豪は御縁女様の安泰を願い、自分は湯治のため今日現地に到着したことを藤崎へ知らせる。藤崎に御縁女様への挨拶を頼む。朱書は天明五年のみで月日はない。

  7. 追録6-No.2306 藤崎へ相州塔之沢への到着と御縁女様への挨拶を伝える

    重豪は相州塔之沢へ無事到着したことを藤崎に知らせ、御縁女様の安泰を喜ぶ。藤崎に書状の取次と御縁女様への挨拶を頼む。原文の朱書は天明五年のみで月日はない。

  8. 追録6-No.2307 藤崎へ塔之沢の湯治と御縁女様の安泰を伝える

    重豪は御縁女様の安泰を喜び、自身も塔之沢で湯に入り、ありがたく養生していることを藤崎へ伝える。御縁女様への挨拶の取次を頼む。朱書は天明五年のみで月日はない。

  9. 追録6-No.2308 重豪、米永村農夫の母への孝養を賞する

    桑原郡栗野郷米永村の農夫は早く父を失い、貧しいため妻を迎えず母と暮らした。長年懸命に孝養を尽くし、八十余歳の母はなお健やかであった。天明五年冬、重豪が品を与えてその孝行を褒賞した。

  10. 追録6-No.2309 塔之沢到着と湯治に関する重豪の書付を承知する

    田沼意次は、重豪が前月二十五日に相州塔之沢に着いたことと、湯治・御暇に関する書付の趣旨を承知したと返答する。天明五年十二月朔日付。正文は文庫にあるとの注記を伴う。

  11. 追録6-No.2310 塔之沢到着と湯治に関する重豪の書付を承知する

    井伊直幸は、重豪が前月二十五日に相州塔之沢に着いたことと、湯治・御暇に関する書付の趣旨を承知したと返答する。天明五年十二月朔日付。

  12. 追録6-No.2311 重豪の塔之沢到着と湯治許可を承知する

    鳥居忠意は、公方様と大納言様の息災を喜び、重豪が願いどおり湯治の暇を得て前月二十五日に相州塔之沢に到着したとの知らせを承知したと返答する。

  13. 追録6-No.2312 塔之沢入湯の近況を承知する

    井伊直幸は、公方様と大納言様の機嫌・息災を喜び、重豪が塔之沢で緩やかに入湯しているとの書面を承知したと返答する。

  14. 追録6-No.2313 塔之沢入湯の近況を承知する

    水野忠友は、公方様と大納言様の息災を喜び、重豪が塔之沢で緩やかに入湯しているとの知らせと書面の趣旨を承知したと返答する。

  15. 追録6-No.2314 塔之沢入湯の近況を承知する

    鳥居忠意は、公方様と大納言様の安泰を喜び、重豪が塔之沢で緩やかに入湯していることを承知し、書面の趣旨も言上すると返答する。

  16. 追録6-No.2315 重豪の塔之沢からの機嫌伺いへの返札調整の不行届を詫びる

    柴村盛方は、重豪が塔之沢から差し出した機嫌伺いへの返札について、上聞に付す文言を先例に照らして調整すべきところ調整せず、御右筆も同様に不調法だったと詫びる。処置を仰ぎ、事が無事に収まるよう願う。

  17. 追録6-No.2316 藤崎へ湯治からの帰府と御縁女様への挨拶を伝える

    重豪は御縁女様の安泰を喜び、自身が湯治から前日に帰府したことを知らせる。御縁女様の機嫌を伺い、藤崎に挨拶の取次を頼む。朱書は天明五年のみで月日はない。

  18. 追録6-No.2317 富田へ御部屋様への献上品に伴う下賜の礼を伝える

    重豪は上様の安泰を喜ぶ。御部屋様への献上品について玉澤殿を通じた取次があり、御肴一折を拝領したことに礼を述べ、富田に取次を頼む。朱書は天明五年のみで月日はない。

  19. 追録6-No.2318 富田へ寒中の見舞いと菓子拝領の礼を伝える

    重豪は上様の安泰を喜び、御部屋様から寒中の見舞いとして菓子一折を拝領したことに礼を述べ、富田に取次を頼む。朱書は天明五年のみで月日はない。

  20. 追録6-No.2319 琉球紬十端・鰹節一箱の献上を披露したと知らせる

    水野忠友は、重豪がこの朝に献上した琉球紬十端と鰹節一箱を披露したと伝え、その手配を謝意とともに知らせる。天明五年十二月十八日付。

  21. 追録6-No.2320 琉球紬十端・鰹節一箱の献上を披露したと知らせる

    鳥居忠意は、重豪がこの朝に献上した琉球紬十端と鰹節一箱を披露したと伝え、その手配を謝意とともに知らせる。天明五年十二月十八日付。

  22. 追録6-No.2321 炙鮎一箱の献上を披露したと知らせる

    水野忠友は、重豪がこの朝に献上した炙鮎一箱を披露したと伝え、その手配を謝意とともに知らせる。天明五年十二月十八日付。

  23. 追録6-No.2322 炙鮎一箱の献上を披露したと知らせる

    鳥居忠意は、重豪がこの朝に献上した炙鮎一箱を披露したと伝え、その手配を謝意とともに知らせる。天明五年十二月十八日付。

  24. 追録6-No.2323 歴代関係者の忌日と御精進日等の取扱いを通達する

    喜入久福の申渡書写は、得佛の毎月十八日の忌日と、貞嶽院・信證院・靈龍院・瑞仙院・月桂院・智光院・慈照院・玉貌院・妙心院らの正忌日を列挙する。九霊の正忌日は御精進日等として扱い、それ以外の儀礼は従前どおりとし、表方と奥掛御勝手方へ伝えるよう命じる。天明五年十二月で日付はない。

  25. 追録6-No.2324 重豪の歳暮祝儀の小袖一重を受けたと伝える

    家治は、重豪から歳暮の祝儀として小袖一重が届いたことを喜び、詳しいことは牧野越中守が述べると伝える。天明五年十二月二十七日付で家治の墨印を伴う。

  26. 追録6-No.2325 歳暮の小袖一重の献上を披露したと知らせる

    鳥居忠意は、重豪が使者を通じて歳暮の祝儀として小袖一重を献上し、これを披露したと知らせる。天明五年十二月二十七日付。

  27. 追録6-No.2326 渋谷五郎右衛門に知行五十石を与える

    内用向の勤めにより、蒲生白男村・伊集院下神殿村・蒲生漆村永作浮免の内から知行五十石を渋谷五郎右衛門に与える。名寄帳は別冊とし、宮主膳ら五名が連署する。

  28. 追録6-No.2327 亀山長太夫に知行百石を与える

    家筋を重んじ、伊集院郡・河辺郡山田上山田村・曽木永野村・大村北方村の浮免などの内から知行百石を亀山長太夫に与える。名寄帳は別冊とし、宮主膳ら五名が連署する。

  29. 追録6-No.2328 山田八郎右衛門に知行百石を与える

    家筋を重んじ、谷山下福元村・伊集院下谷山村・河辺郡山田中山田村・曽木永野村などの内から知行百石を山田八郎右衛門に与える。名寄帳は別冊とし、宮主膳ら五名が連署する。

  30. 追録6-No.2329 市田勘解由に知行五十石を与える

    内用向の勤めにより、市来養母村と鹿児島郡吉田本城村などの内から知行五十石を市田勘解由に与える。名寄帳は別冊。続く注記は同日の四通の知行目録が渡された経緯を説明する。

  31. 追録6-No.2330 頼朝遺骨を遊城院へ移し供養する件を伝える

    遊城院は、日光山常行三昧堂に安置されてきた源頼朝の遺骨一壺について、重豪の願いを受けて遊城院へ移し、島津家歴代の法号とともに永く供養する意向を記す。輪王寺一品大王の許しを得たとして、歴代住僧に祭祀と報恩の継続を求める。天明五年十二月で日付はない。

  32. 追録6-No.2331 頼朝遺骨の安置と供養料五十金の寄付を承知する

    遊城院は、源頼朝の遺骨を同院へ安置するにあたり、重豪が供養料五十金を寄付するとの知らせを承知したと返答する。遺骨安置の手配を言上し、歴代の規則を怠らず忠誠を尽くすよう求める。天明五年十二月で日付はない。

  33. 追録6-No.2332 虚空蔵尊像を新調し内道場へ安置して祈祷する旨を伝える

    佛頂院覚謙と乙葉文郷は、重豪の内願を遊城院が言上し、日光門主がこれを嘉したと述べる。虚空蔵尊像を指定寸法で新調し内道場へ安置して、天下泰平・家運繁栄・護国安民を長く祈祷するよう求める。天明五年十二月で日付はない。

  34. 追録6-No.2333 虚空蔵尊像の新調・開眼・内道場安置を記録する

    重豪の内意により、輪王寺門主後延法親王の内道場へ安置する虚空蔵尊像を山下佐平次が彫刻した。遊城院を通じて上野へ納め、門主が開眼し、長日の祈祷を行う。経緯と契約文書を記録所に保存するよう命じる。

  35. 追録6-No.2334 頼朝分骨の遊城院移座と関連文書の保存を記録する

    日光山の三昧堂に安置されていた頼朝の分骨を、重豪の意向により遊城院境内へ移した経緯を記す。歴代の掛物等を納め、以後の取扱いを定め、遊城院と日光役院の書付草案二通を記録所へ保存するよう命じる。

  36. 追録6-No.2335 若菜の祝儀として献上された鯛一折を披露したと知らせる

    松平康福は、重豪が若菜の祝儀として献上した鯛一折を披露したと知らせ、その手配を謝意とともに伝える。天明六年正月七日付。

  37. 追録6-No.2336 若菜の祝儀として献上された鯛一折を披露したと知らせる

    鳥居忠意は、重豪が若菜の祝儀として献上した鯛一折を披露したと知らせ、その手配を謝意とともに伝える。天明六年正月七日付。

  38. 追録6-No.2337 年頭祝儀の太刀一腰・馬代黄金十両を披露したと知らせる

    松平康福・牧野貞長・水野忠友は、重豪が使者を通じて年頭の祝儀として太刀一腰と馬代黄金十両を献上し、これを披露したと連署して知らせる。

  39. 追録6-No.2338 年頭祝儀の太刀一腰・馬代黄金十両を披露したと知らせる

    鳥居忠意は、重豪が使者を通じて年頭の祝儀として太刀一腰と馬代黄金十両を献上し、これを披露したと知らせる。

  40. 追録6-No.2339 重豪が嶋津金次郎の加冠に際し仮名を小平太と定める

    嶋津金次郎の加冠に際し、仮名を小平太とする旨を「加冠 宜為」と書き出す。天明六年正月二十八日付で御判の表示を備える。正文は島津縫殿のもとにあると記す。

  41. 追録6-No.2340 重豪が嶋津善熊の加冠に際し仮名を助之丞と定める

    嶋津善熊の加冠に際し、仮名を助之丞とする旨を「加冠 宜為」と書き出す。天明六年正月二十八日付で御判の表示を備える。正文は島津助之丞のもとにあると記す。

  42. 追録6-No.2341 重豪が嶋津直熊の加冠に際し仮名を右平太と定める

    嶋津直熊の加冠に際し、仮名を右平太とする旨を「加冠 宜為」と書き出す。天明六年正月二十八日付で御墨印の表示を備える。正文は島津右平太のもとにあると記す。

  43. 追録6-No.2342 重豪が樺山佐三袈裟の加冠に際し仮名を采女と定める

    樺山佐三袈裟の加冠に際し、仮名を采女とする旨を「加冠 宜為」と書き出す。天明六年正月二十八日付で重豪公御墨印の表示を備える。正文は樺山伊織のもとにあると記す。

  44. 追録6-No.2343 芝田町の薩摩守屋敷・番家・物置などの類焼を届ける

    高崎藤次郎は、正月二十三日に芝田町一丁目裏通の松平隼人屋敷から出火し、薩摩守所持の番家一棟(四坪五合)、物置一棟(十五坪五合)と表通三か所の町並屋敷・町家が類焼したため、別紙絵図を添えて届ける。

  45. 追録6-No.2344 芝田町屋敷類焼後の見分・再建・居付役をめぐる折衝を記す

    渋谷貫富は、芝田町屋敷類焼後の届書・絵図提出、渡辺忠四郎・安部次郎兵衛らとの見分や先例の確認、町並屋敷の地面配分と再建、御留守居付役の扱いを記す。高崎・長友らの往復書面と絵図を収める。

  46. 追録6-No.2345 今朝献上された御鷹肴を披露したと知らせる

    牧野貞長は、重豪が今朝献上した御鷹肴を披露し、まことに結構なことであると知らせる。天明六年二月三日付。

  47. 追録6-No.2346 鰹一箱・昆布一箱・御樽一荷を披露したと知らせる

    鳥居忠意は、重豪が今朝献上した鰹一箱・昆布一箱・御樽一荷を披露し、まことに結構なことであると知らせる。天明六年二月三日付。

  48. 追録6-No.2347 市比野村の忠僕渡辺八五郎を賞する

    重豪は、戸田七郎太の僕で樋脇郷市比野村に住む渡辺八五郎が、農耕の余資で長年主人の生計を助けたことを賞し、若干の品を与える。

  49. 追録6-No.2348 御右筆頭を新設し役格・賄料を定める

    喜入久福は、御右筆頭を新設し、役格を直触で聖堂奉行の次とし、十八人分の賄料を与えると申渡す。この旨を承知して関係諸役へ通達するよう命じる。

  50. 追録6-No.2349 病気のため参勤出立を延期したいと願う

    重豪は、前年春に国元への暇を許されたが病気のため江戸に滞在して養生しており、参勤の時期となっても痞積・気痛が治らず出立できないため、さらに滞府して療養することを願い出る。留守居渋谷五郎右衛門が牧野越中守方へ提出した。

  51. 追録6-No.2350 年賀祝儀として鮮鯛一折を献上したいと伺う

    重豪は、御年賀の祝儀として献上品を差し上げたいと伺う。御附紙は、鮮鯛一折を表向から差し上げてよいと回答する。留守居が翌三月朔日に御用番方へ提出した経緯を朱書する。

  52. 追録6-No.2351 年賀祝儀として祈祷札守・香一種を内証から献上したいと伺う

    重豪は、御年賀の祝儀として祈祷の御札守と香一種を内証から献上したいと伺う。御附紙は大奥老女へ伺うよう回答し、後に御札守・干鯛一箱を女使経由で献上したと付記する。

  53. 追録6-No.2352 幕府諸役人への贈物を減らしたいと伺う

    重豪は、大老井伊掃部頭、老中、所司代・大坂城代、若年寄、御側衆への金馬代と、両御丸女中への別段の贈物は従来どおりとし、そのほかの幕府役人への贈物を相応に減らしたいと伺う。

  54. 追録6-No.2353 災害・琉球救済に伴い返済期間中の贈物節減を願う

    重豪は、領内の凶作、屋敷類焼、浄岸院遺骸の国元移送、桜島噴火による数万石の損毛、琉球国の大凶作への救米・金米拝借などで財政が窮迫したと説明し、借用金米の返済年限中は幕府役人への贈物を減らし、献上物などは従来どおりとすることを願う。

  55. 追録6-No.2354 上巳祝儀の南部酒・人形拝領を藤崎に謝す

    重豪は、藤崎の書状を読み、上様の機嫌がよいことを喜ぶ。上巳の祝儀として御縁女から又三郎へ南部酒一樽と人形一箱を内々に拝領したことを謝し、礼を取り成すよう藤崎に頼む。

  56. 追録6-No.2355 上巳祝儀の御重・御肴拝領を藤崎に謝す

    重豪は、上様の機嫌がよいことを喜ぶ。上巳の祝儀として前日に御縁女から御重と御肴を拝領したことを謝し、折を見て礼を取り成すよう藤崎に頼む。

  57. 追録6-No.2356 真含院の大奥入りへの謝意を梅の井らに伝える

    重豪は、上様の機嫌がよいことを喜び、真含院が前日に大奥へ上がるよう命じられたことを有難く思うと述べる。梅の井・大崎・高橋へ謝意を伝え、折を見て礼を取り成すよう頼む。

  58. 追録6-No.2357 真含院の大奥入りを謝し御縁女への取次を頼む

    重豪は、上様の機嫌がよいことを喜び、真含院が前日に大奥へ上がるよう命じられたことを有難く思うと述べる。御縁女へ謝意を伝え、梅の井・大崎・高橋にも礼の取次を頼む。

  59. 追録6-No.2358 持病のため夏秋にも足袋を用いたいと伺う

    重豪は、持病が発して下半身の冷えと関節の症状があるため、その年の夏から秋にも足袋を用いたいと願い出る。御附紙は足袋の使用を許す。

  60. 追録6-No.2359 足袋着用許可を老中方の使者が伝える

    田沼主殿頭方は、重豪が持病による下冷・関節症状のため足袋着用を願った件について、着用を許す旨を同役中へ伝えるよう使者を派遣した。二宮藤太左衛門ら使者が各々書付を差し出した経緯を記す。

  61. 追録6-No.2360 真含院の将軍・大納言らへの御目見と拝領を謝す

    重豪は、真含院が前日に大奥へ上がり、将軍・大納言・種姫君・御部屋様へ御目見を許され、懇切な上意と拝領物を受けたことを有難く思うと述べる。高岡・花園・常盤井・万里小路・滝川・野村・伊佐らへ謝意を取り成すよう頼む。

  62. 追録6-No.2361 真含院の御目見・拝領への謝意を梅の井らに伝える

    重豪は、真含院が前日に大奥へ上がり、将軍・大納言・種姫君・御部屋様へ御目見を許され、懇切な上意と拝領物を受けたことを謝す。梅の井・大崎・高橋へ礼を取り成すよう頼む。

  63. 追録6-No.2362 真含院の御目見・拝領への礼を女中方に頼む

    重豪は、真含院が前日に大奥へ上がり、将軍・大納言・種姫君・御部屋様へ御目見を許され、懇切な上意と拝領物を受けたことを謝す。御縁女へ申し上げ、梅の井・大崎・高橋にも礼の取次を頼む。

  64. 追録6-No.2363 妾腹の二男・島津富之進が丈夫になったため出生を届ける

    重豪は、先年に妾腹から生まれた二男の島津富之進が当年十二歳となったこと、出生以来虚弱であったため届けを控えていたが、次第に丈夫になったため出生を届け出る。

  65. 追録6-No.2364 役職設置・又三郎初謁など天明六年の出来事を列記する

    天明六年三月に御抱守を置いて公子に給仕させ、七月に機奉行を置き、二十八日に世子又三郎が初めて登城して謁見したこと、九月の徳川家治薨去、十月の御小姓頭取・御側目付設置、十一月の小番・新番の謁見先を列記する。

  66. 追録6-No.2365 香具一箱・丸熨斗一箱を披露したと知らせる

    水野忠友は、重豪が今朝献上した香具一箱と丸熨斗一箱を披露し、まことに結構なことであると知らせる。天明六年四月十二日付。

  67. 追録6-No.2366 香具一箱・丸熨斗一箱を披露したと知らせる

    鳥居忠意は、重豪が今朝献上した香具一箱と丸熨斗一箱を披露し、まことに結構なことであると知らせる。天明六年四月十二日付。

  68. 追録6-No.2367 樋之間を竹之間と改め竹の絵の額を掲げるよう通達する

    島津久金は、重豪の意向により「樋之間」を「竹之間」と改称し、竹の絵の御額を掲げることになったため、その旨を通達する。天明六年四月。

  69. 追録6-No.2368 幸橋御門内屋敷の長屋焼失に伴う差控の要否を伺う

    重豪は、幸橋御門内の自邸西側にある表長屋が当日焼失したため、差控の要否を伺った。留守居の渋谷五郎右衛門が御用番水野忠友へ提出し、差控には及ばない旨が、同夜に御用人五十川武左衛門を通じて口頭で伝えられた。

  70. 追録6-No.2369 重豪の差控不要の裁許に病中の本人に代わって礼を述べる

    佐土原城主島津忠持は、重豪の幸橋御門内屋敷長屋焼失に伴う差控の伺いに対し、差控不要との裁許を受けたことを謝す。重豪が病中であるため、自ら代わって御礼を申し上げる。

  71. 追録6-No.2370 島津忠持の薩摩国往来を先例どおり認めるよう伺う

    重豪は、島津淡路守家では先祖以来、薩摩国に用事がある際はその都度伺わずに往来してきたため、家督した忠持にも先例どおり扱うよう願い出る。

  72. 追録6-No.2371 島津忠持が薩摩国への往来を先例どおり願い出る

    忠持は、先祖以来、用事の際にはその都度伺わず松平薩摩守の国元へ赴くことを許されてきたため、家督した自分にも先例どおり薩摩国への往来を認めるよう願い出る。

  73. 追録6-No.2372 佐土原島津家の薩摩国往来に関する宝暦期の先例を記す

    島津忠持は、佐土原島津家が薩摩国へ往来する際の先例として、宝暦四年に但馬守久柄が家督した際、西尾隠岐守から先格どおりとの付札を受けたこと、宝暦十年の代替わりにも松平右近将監から従前どおりとの付札を受けたことを示す。

  74. 追録6-No.2373 病中の参勤御礼を使者と家来二人に行わせることを伺う

    重豪は、二月に参勤時期となったが疝積・気痛が快癒せず、なお出勤できないため、参勤の御礼と献上物を使者に託し、先規どおり家来二人を登城させて献上させてよいか伺う。幕府は使者による献上を認め、前日の届出や家来の献上物の納戸納入方法を指示した。

  75. 追録6-No.2374 病中の参勤御礼を使者に行わせる裁許を承知する

    重豪は、病中のため参勤御礼の献上物を使者に託し、家来二人を登城させて献上させる伺いについて、水野忠友から許可を受けた旨を承知したと届ける。書付は留守居本城源七郎が西丸老中鳥居忠意へ提出し、承知された。

  76. 追録6-No.2375 端午祝儀の帷子・単物の到来を喜ぶ

    徳川家治は、端午の祝儀として帷子と単物が到来したことを喜び、詳しくは田沼主殿頭が述べると重豪へ伝える。天明六年五月二日付。

  77. 追録6-No.2376 端午祝儀の帷子・単物を披露したと知らせる

    鳥居忠意は、重豪が端午の祝儀として使者に託して献上した帷子と単物を披露し、まことに結構なことであると知らせる。天明六年五月二日付。

  78. 追録6-No.2377 御縁女の有卦入り祝儀で魚を拝領した礼を藤崎へ伝える

    重豪は、御縁女の有卦入りの祝儀に際し、前日に魚一折を拝領したことを喜び、藤崎へ礼を申し上げ、取り成しを頼む。

  79. 追録6-No.2378 黒書院御礼後の嘉祥出仕の要否を伺う

    重豪は、黒書院での御礼を命じられたことに伴い、嘉祥の日に出仕すべきか伺う。牧野貞長へ留守居渋谷五郎右衛門が提出し、嘉祥の節には登城不要との付札回答を受けた。

  80. 追録6-No.2379 御縁女の誕生日祝儀を進上し女中方に取り成しを頼む

    重豪は、御縁女の誕生日祝儀として目録どおりの品を進上したことを述べ、御縁女へ伝えるとともに、女中方に取り成しを頼む。

  81. 追録6-No.2380 御縁女の誕生日に魚一折を拝領した礼を藤崎へ伝える

    重豪は、藤崎の手紙を拝見し、御縁女の誕生日祝いに魚一折を内々に拝領したことを深く感謝し、御縁女へ礼を取り成すよう藤崎に頼む。

  82. 追録6-No.2381 御縁女の誕生日に魚一折を拝領した礼を藤崎へ頼む

    重豪は、六月十七日の御縁女の誕生日祝いに魚一折を拝領したことを喜び、御縁女へ礼を取り成すよう藤崎に頼む。

  83. 追録6-No.2382 献上馬一疋を披露したと知らせる

    牧野貞長は、重豪が献上した馬一疋を披露し、まことに結構なことであると知らせる。天明六年六月十八日付。

  84. 追録6-No.2383 献上馬一疋を披露したと知らせる

    鳥居忠意は、重豪が献上した馬一疋を披露し、まことに結構なことであると知らせる。天明六年六月十八日付。

  85. 追録6-No.2384 又三郎の初御目見後の礼式と席次を重豪同様にするよう願う

    在府中の重豪は、嫡子又三郎の初御目見に伴い、由緒により年頭・五節句・八朔には白書院、月次には黒書院で礼をし、大廊下下の休息所に詰める自分と同様の扱いを又三郎にも与えるよう内意を申し上げた。六月二十六日に同様の扱いを認める付札回答を受けた。

  86. 追録6-No.2385 端午の御内書受取りのため翌日五半時に家来を登城させるよう通知する

    田沼意次は、端午の御内書を渡すため、翌日五半時に家来を江戸城へ差し出すよう重豪へ知らせる。天明六年六月二十四日付。

  87. 追録6-No.2386 富之進の二男届・家内序列と同名使用の遠慮を申し渡す

    喜入久福は、丈夫になった富之進を重豪の二男として三月二十八日に幕府へ届け、家内の順を敬姫・明姫・富之進としたこと、富之進の名を用いる者は以後遠慮すべきことを記録奉行へ申し渡す。六月二十七日に比志島要人の取次で川上平右衛門へ渡され、白木御文書五番箱に収められた。

  88. 追録6-No.2387 琉球布・砂糖漬天門冬・赤貝塩辛・泡盛酒の献上を披露する

    牧野貞長は、重豪が献上した琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を披露し、まことに結構なことであると知らせる。

  89. 追録6-No.2388 琉球布・砂糖漬天門冬・赤貝塩辛・泡盛酒の献上を披露する

    鳥居忠意は、重豪が献上した琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を披露し、まことに結構なことであると知らせる。

  90. 追録6-No.2389 磯奉行の新設を表方・奥掛・御勝手方へ通達する

    喜入久福は、磯奉行を新設したため、その旨を表方へ通達し、奥掛と御勝手方には写しをもって知らせるよう申し渡す。

  91. 追録6-No.2390 磯奉行に御庭奉行を兼務させ担当範囲を定める

    喜入久福は、磯奉行に御庭奉行を加役し、磯御屋敷・御茶屋・御庭などをすべて受け持たせること、平日は磯に常詰めせず、用事の際に出向くことを申し渡す。

  92. 追録6-No.2391 琉球飢饉救済への幕府援助に謝意を表す

    琉球では大風雨と凶作が続き、多数の飢民が出た。薩摩も凶作だったため、重豪が天明五年秋に幕府へ願い、米一万石・金一万両を拝借して琉球を救済した。中山王は天明六年夏、伊野波親方・新里親雲上を薩摩へ遣わして献品と書簡を贈り、重豪は四本長右衛門兼当・田村孝之助を江戸へ派遣した。中山王書簡は文句に問題があって…

  93. 追録6-No.2392 琉球救済の拝借と中山王の謝恩使を了承する

    老中六名は中山王の書簡を披見し、将軍が安泰であることを伝える。近年の凶作と飢饉に際し、松平薩摩守が願った米金の拝借が認められ、伊野波親方が薩州へ到着して目録の品を献上した件について、重豪の書簡と献品を将軍へ披露し、喜ばれたと回答する。詳細は松平豊後守から申し述べるとする。

  94. 追録6-No.2393 生見玉の祝儀として黄金十両を献上したことを披露する

    田沼意次は、生見玉の祝儀として重豪から黄金十両が献上され、これを披露したところ、まことに結構であると伝える。

  95. 追録6-No.2394 生見玉の祝儀として黄金十両を献上したことを披露する

    鳥居忠意は、生見玉の祝儀として重豪から黄金十両が献上され、これを披露したところ、まことに結構であると伝える。

  96. 追録6-No.2395 嘉祥参礼への登城不要を申し渡す

    宮之原通直は、御三家・松平加賀守・松平越前守には嘉祥の際に登城しない由緒があるため、重豪も六月十六日の嘉祥に登城すべきか伺ったところ、先に黒書院で御礼を済ませているので嘉祥には登城不要との回答を得たと申し渡す。

  97. 追録6-No.2396 凶作と琉球支配を理由に出金銀命令の猶予を願う

    重豪は、寺社・山伏・町人・百姓に出金銀を命じる触達を承知したが、領国が遠隔で、とりわけ琉球を支配しているため他国と違って金銀の融通が甚だ不自由であり、近年は凶作も続いて難渋しているとして、実施をしばらく延期したいと願う。書付は当日、留守居の渋谷五郎右衛門を通じて御用番田沼意次へ提出された。

  98. 追録6-No.2397 家格区分と役職・身分の呼称を改める

    宮之原通直は、寄合以上の総称を大身分としつつ、家格は従来どおり各家名で称することを示し、組頭・御小姓組番頭・御番頭・当番頭・御広敷頭・御広敷御用人・御供御目付・御広敷番・代官所・代官・大奥御小姓・大番・六興小興頭・与方取次・進達掛・郷士などについて、新旧の呼称を整理して通達する。

  99. 追録6-No.2398 又三郎忠堯の初御目見と献上への謝礼

    七月二十七日の老中奉書により、翌二十八日、重豪は又三郎忠堯を伴って登城した。忠堯は白書院で将軍家治と世子家斉に初めて御目見し、家治へ太刀一腰・白銀二十枚・巻物十・馬一匹、家斉へ太刀一腰・白銀二十枚・馬一匹を献上した。重豪も家治へ綿五十把、家斉へ綿三十把を献上し、忠堯の初御目見の恩を謝した。

  100. 追録6-No.2399 又三郎忠堯の御目見に伴う登城を命じる

    老中四名は、又三郎忠堯の御目見が仰せ付けられたので、翌二十八日五時に重豪が同道して登城し、重豪自身も表御礼を申し上げるよう命じる。