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追録6の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

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  1. 追録6-No.2822-3 本田親礼返書

    母付の件について送られた返書の内容を承知したとし、こちらでも調査に取り掛かっているので、事情が分かり次第、追って知らせると答える。七月九日付の朱書による返信。

  2. 追録6-No.2822-4 本田親礼書状

    於房を島津式部少輔の女として扱う件や、御子の誕生年月・母付の不明点について勘解由へ照会した経緯を知らせる。三人の実母を密子とする先の書付に誤りはないが、密子の件はかなり以前のことで、今から式部少輔の養女として公儀へ願い出ることは難しく、養女という事情は内輪で承知する扱いとされたという。ただし、そのま…

  3. 追録6-No.2822-5 本田親礼書状

    於房を島津式部少輔の女として扱うよう内々に承知した際、子女の実母についても問い合わせ、河口転の伝えた先の指示どおりと確認したと知らせる。口達と書面で意味が違うように見えた点も付札のとおり承知するという。明姫・富之進の実母に関する件は一切書面に記さず、奥向担当の家老とも相談して扱うよう求める。また、明…

  4. 追録6-No.2822-6 川上親敷外八名記録奉行連署返書

    実母の取扱いに関する問合せを承知し、送られた別冊と元日帳留の抜書も受け取って確認したと答える。家老へ内意を申し上げ、別冊等を渡したうえで、兵庫の家老座からの返答次第で追って知らせるとし、当面の帳留や御系図、付札のとおりの理解について回答する。末尾の記録は、九月十日の使便で朱書のとおり返答し、帳留の別…

  5. 追録6-No.2822-7 国元記録奉行問合書

    明姫を兵庫の実子として扱う指示と、出生前の旧指示との関係をめぐり、当時の照会・帳面処置・書付捜索の経緯を列記する。安永三年六月八日、江戸で山岡市正から、兵庫の奥女中が懐妊し男児なら養子として下す旨が伝えられた旧件や、その後は明姫を兵庫の直子として扱い、旧書付・帳留を不要とする指示が出たことを記す。加…

  6. 追録6-No.2822-8 江戸詰記録奉行首尾書

    明姫の身柄について、兵庫の直子とする指示と異なる旧件が帳留に残ると食い違いを生じるため、関係書付・帳留を取り寄せ、不要な旧記録を焼捨・消除する処置を伝えた経緯を朱書で記す。明姫は兵庫の本腹の子として扱う旨や、記録所から兵庫方へ内密に伝達したこと、加治木側の記録処置・捜索の首尾を補う。子女の母付につい…

  7. 追録6-No.2822-9 江戸詰記録奉行首尾書(子女の母付)

    若殿の母は浪人鈴木甚五郎の娘とし、甚五郎の家跡は断絶したと注記する。乗之助・蓬之進の母は浪人杉浦作兵衛の娘、操姫の母は浪人須山和太夫の娘、於隣殿・剛之進の母は島津仲の妹と記す。張紙は杉浦作兵衛政信・須山和太夫則勝の実名を補う。実名が分からなかったため留守居へ問い合わせ、右のとおり回答を得たので、心得…

  8. 追録6-No.2823 斉宣、初入部ノ謝使ヲ上ス

    家督相続後、初めて国元へ入った斉宣が、幕府から伝馬の使用を認める駅券を賜った礼として、一族の島津出雲久良を江戸へ派遣した記事。久良は九月三日に鹿児島を発ち、十月六日に江戸着、十五日に登城して家斉へ一種一荷を献じ、斉宣の拝領への礼を述べた。久良自身も初対面の礼として太刀一腰・馬一匹・馬代銀一枚・紗綾二…

  9. 追録6-No.2824 斉宣、初入部ヲ謝ス

    斉宣の家督相続後の初入部に際し、幕府から駅券を賜ったため、島津出雲久良を江戸へ遣わし、十月十五日に登城して献上し、拝領の恩を謝したと記す。同日、重豪も留守居の橋口与三次兼甫を老中・若年寄の邸へ遣わし、礼を述べさせた。

  10. 追録6-No.2825 松平乗完書状

    重陽の御内書を渡すので、翌日の五半時に家来を城へ差し出すよう、松平乗完が松平上総介へ知らせる。十月二十日付。

  11. 追録6-No.2826 島津久邦書状(年首祝儀)

    年首の祝儀として中将へ目録どおりの品を送られたことにつき、江戸に到着して披露したところ、中将は満足されたと知らせる。三司官に対し、この旨を伝えるよう求める。十一月二十八日、島津石見。

  12. 追録6-No.2827 島津久邦書状(隠居・家督祝儀)

    中将の隠居と太守の家督相続が願いどおり認められた祝儀として、大宜見王子をもって中将へ太刀一腰・馬一疋と目録どおりの品を送られたことについて、江戸で披露したところ大変喜ばれたと知らせる。その旨を三司官から伝えるよう求める。

  13. 追録6-No.2828 島津久邦書状(初入部祝儀)

    太守の初入部の祝儀として、小禄按司をもって中将へ太刀一腰・馬代白銀百両と目録どおりの品を送られたことにつき、江戸で披露し、中将が喜ばれたと通知する。その旨を三司官から伝えるよう求める。十一月二十八日、島津石見。

  14. 追録6-No.2829 島津久邦書状(浄信院死去の見舞い)

    浄信院の死去に際し、中将の機嫌を伺うため、伊佐親雲上をもって目録どおりの品を送られたことについて、江戸に到着して披露したと知らせる。その旨を三司官から伝えるよう求める。十一月二十八日、島津石見。

  15. 追録6-No.2830 松平乗完書状

    今朝、鯛一箱を献上されたことについて、披露したところ一段の御仕合であったと、松平乗完が松平上総介へ伝える。十二月九日付、乗完判。

  16. 追録6-No.2831 献上覚書

    寒中の献上として鯛一箱を御台様へ差し出した覚書。この年から初めて表向きの献上とし、本丸の中之口で火之番与頭へ目録と品を渡したという。内証からは羽二重五疋・干鯛一箱を従来どおり献じた。同じ日に歳暮の白銀三枚を献上し、本丸槍之間で留守居年寄大屋遠江守が目録を受け取り、追って披露すると伝えた。白銀での献上…

  17. 追録6-No.2832 奥元平刀工名免許状(構成索引)

    奥元平に大和守を任じる宣旨と口宣案の写し二通をまとめる構成単位。白木御文書六番箱中三十二の所在を記し、上包に「勅許書附写弐通」とある。任官の宣旨と口宣案はそれぞれ別文書として収める。

  18. 追録6-No.2832-1 奥元平任大和守宣旨

    平朝臣元平を大和守に任じる宣旨の写し。従二位行権大納言藤原朝臣経逸が勅を奉じて宣し、寛政元年十二月一日、大外記兼助教中原朝臣師資が奉じたと記す。

  19. 追録6-No.2832-2 奥元平任大和守口宣案

    平元平を大和守に任じるよう宣した口宣案の写し。上卿を勧修寺大納言とし、蔵人頭右中弁藤原良顕が奉じる。寛政元年十二月一日付。

  20. 追録6-No.2833 伊地知正幸刀工名免許状(構成索引)

    伊地知正幸の伯耆守任官に関する宣旨・口宣案と、島津石見の申渡書をまとめる構成単位。後続の包紙は、伊地知平覚と奥孝左衛門の受領・勅許に関する書付四通と、石見から渡された書付一通を併せて収めたとする。寛政二年正月十一日、石見から渡され、東郷浅之丞が承知して六番白木箱へ納めたと記す。

  21. 追録6-No.2833-1 伊地知正幸任伯耆守宣旨

    平朝臣正幸を伯耆守に任じる宣旨の写し。従二位行権大納言藤原朝臣経逸が勅を奉じて宣し、寛政元年十二月一日、大外記兼助教中原朝臣師資が奉じたと記す。

  22. 追録6-No.2833-2 伊地知正幸任伯耆守口宣案

    平正幸を伯耆守に任じるよう宣した口宣案の写し。上卿は勧修寺大納言、蔵人頭右中弁藤原良顕が奉じ、寛政元年十二月一日付とする。

  23. 追録6-No.2833-3 島津久邦申渡書(刀工受領・朝臣称号)

    刀鍛冶の伊地知平覚と奥孝左衛門が、自力での手続ではなく御物・御計らいにより、上京せずに受領を仰せ付けられたと記す。勅許によって「朝臣」の二字を用いることも認められ、銘々へ口宣案等を渡したので、後年の参考に写しを渡しておくとして、帳面に記録するよう御記録奉行へ命じる。正月、石見。

  24. 追録6-No.2834 重豪、御台所ヨリ歳暮ヲ賜ハル

    十二月十一日、御台所が広敷番之頭大塚兵九郎を遣わし、重豪へ歳暮の祝儀を贈った。重豪に代わって島津淡路守忠持が拝受し、老中の各邸へ使いを出して礼を述べ、返書も送った。御台所から歳暮を賜るのはこの年が初めてで、以後は毎年の例となり、返書は送らなくなったと記す。

  25. 追録6-No.2835 浄光明寺ニ常念仏勤行ヲ命ス

    浄岸院は養子の慈徳公の冥福を修するため、寛延三年に浄光明寺へ阿弥陀像一躯を安置し、常念仏を行おうとしたが、果たさずに没したという。己酉十二月、斉宣の生母提氏がその志を継ぎ、念仏僧二人に絶えず念仏を誦するよう命じ、後世まで廃絶しないよう求めた。家老二階堂主計行旦がこの旨を浄光明寺へ告げたと記す。

  26. 追録6-No.2836 二階堂行旦証状

    慈徳院の菩提のため、浄岸院が寛延三年に浄光明寺へ阿弥陀仏一躯を安置し、常念仏の建立を望んでいたことを述べる。千万様がその意向を継ぎ、念仏僧二人を置いて当分は阿弥陀堂で常念仏を勤めるよう命じたので、将来の住持に至るまで怠慢や疎略がないよう求める。十二月七日、二階堂主計行旦から浄光明寺へ。包紙は十二月二…

  27. 追録6-No.2837 徳川家斉御内書(歳暮祝儀)

    歳暮の祝儀として小袖一重が到来し、喜んで受け取ったことを家斉が松平上総介へ伝える御内書。詳しいことは松平越中守から述べるとし、十二月二十七日付、家斉公懸印を載せる。