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追録6の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,127件中 1601~1700件・17 / 32ページ

  1. 追録6-No.1428-7 宗信と妹菊の縁組時の献上例―種数と荷数

    公方へ二種一荷、大御所・大納言へ一種一荷宛という献上例を掲げる。これは寛延二年巳、故薩摩守宗信の妹菊の縁組が命じられた時に宗信から献上した例とする。続いて、公方へ一種一荷、大御所・大納言へ一種宛という別の欄を掲げ、菊から献上した例と記す。

  2. 追録6-No.1429 虎寿丸の縁組御礼の口上を申し上げた旨の返事

    御口上書を受け、公方・大納言がますます機嫌よく、種姫君も機嫌よくおられることをめでたく思う旨を述べる。昨日、虎寿丸と有馬上総介方の縁組が願い通りに仰せ出されたことをありがたく思うという御礼の口上書について、よろしく申し上げたと返答する。大納言・種姫君へも申し上げたことを記し、追而書でそのほかのことも…

  3. 追録6-No.1430 蜜柑二箱・炙鮎一箱の献上を披露―田沼意次の返書

    今朝、蜜柑二箱と炙鮎一箱を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。十二月十五日、意次判、松平薩摩守殿宛。田沼主殿頭意次の表示は在口裏の朱記を含む。

  4. 追録6-No.1431 蜜柑二箱・炙鮎一箱の献上を披露―阿部正允の返書

    今朝、蜜柑二箱と炙鮎一箱を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。十二月十五日、正允判、松平薩摩守殿宛。阿部豊後守正允の表示は在口裏の朱記を含む。原の日付は十二月であり、二月へ短縮しない。前の田沼意次の返書と、品目と箱数を別の献上実績として足し合わせず、阿部からの披露の返答として整理する。

  5. 追録6-No.1432 歳暮の小袖一重到来への御内書

    歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは松平周防守が述べると伝える。十二月二十七日、薩摩中将殿宛。円内に家治公墨印の表示がある。正文は前頁下段から続き、後頁に結語・日付・宛所・墨印表示を置く。小袖の原単位である重を枚数へ換算せず、取次の周防守と差出・宛所を分ける。次の老中返書と小袖…

  6. 追録6-No.1433 歳暮の小袖一重献上を披露―阿部正允の返書

    歳暮の祝儀として使者をもって小袖一重を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。十二月二十七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。原の日付は十二月であり、二月へ読み替えない。使者に個人名はなく、他件の使者を借用しない。前の御内書と同じ祝儀への返答として対応させ、一重を二重の献上へ合算しない。

  7. 追録6-No.1434 若菜の鯛一折献上を披露―松平武元の返書

    若菜の祝儀として鯛一折を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。正月七日、武元判、松平薩摩守殿宛。松平右近将監武元の表示は在口裏の朱記を含む。原の品名・一折という数量と単位を保持し、次の阿部正允の返書と二折の献上へ合算しない。

  8. 追録6-No.1435 若菜の鯛一折献上を披露―阿部正允の返書

    若菜の祝儀として鯛一折を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。正月七日、正允判、松平薩摩守殿宛。阿部豊後守正允の表示は在口裏の朱記を含む。原の一折を保持し、松平武元と阿部の二つの披露の返書を、二度の献上又は数量の増加として数えない。

  9. 追録6-No.1436 神社仏閣・勧農・年貢の三条を命じる吉書と保管の付記

    吉書として、神社仏閣の修造興行、専ら勧農すること、国々の年貢を徴納することの三条を掲げ、この三箇条の趣旨に任せて沙汰するよう命じる。安永六年正月十一日、重豪御判。包紙の付記は八十一という表示を持ち、この上包を主馬殿から二月二十八日に黒田嘉右衛門へ渡して納め置いたこと、白木御文書五番箱入とあることを記…

  10. 追録6-No.1437 重豪への御鷹の鶴の賜与と秋月種茂の代受

    安永六年丁酉正月十八日、大家が使者建部荒次郎廣般を芝邸へ遣わし、御鷹之鶴を賜ったと記す。この日、重豪は病気であったため、秋月山城守種茂を代わりに受けさせ、その後、老中それぞれの邸へ赴いて礼謝したという経緯を載せる。

  11. 追録6-No.1438 歳暮の御内書受取のため、翌日五半時に家来を差し出す指示

    歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう指示する。二月二十日、松平周防守、松平薩摩守殿宛。原の明日・五半時という指示を保持し、現代の固定時刻へ換算しない。前年の歳暮の内書について受取のための差出を求める書状として対応させ、家来がすでに登城して受領したという実績へ読み替えない。

  12. 追録6-No.1439 眞含院の将軍霊前参拝への謝意と、御前への取成の依頼

    上々様がますます機嫌よくおられることを喜び、一筆申し上げるとする。常憲院と有徳院の霊前へ参拝したいと眞含院から願い出たところ、願い通りに命じられ、昨日拝礼したとの報せを受け、自分としてもありがたく思うと述べる。このことを申し上げたいので、折を見て御前へよろしく取り成すよう六宛に頼む。前の追而書にも、…

  13. 追録6-No.1440 鉄炮場の多人集合・矢先争い・口論を戒め、稽古の出精を命じる

    この頃、鉄炮場へ多人数が集まり、郷中を分けたり上下に相掛けたりして矢先を争うとの聞こえがあると記す。こうした多人数の集まりが口論などに及ぶこともあり、かねて重ねて申し渡した趣旨があるところ、そのようなことはよくないので一切ないよう申し渡すことを命じる。一方、稽古については先に申し渡した通り、油断なく…

  14. 追録6-No.1441 帰国の暇への御礼と、営中での直答の旧例復帰

    同年四月十六日、大家が老中板倉佐渡守勝清を芝邸へ遣わし、重豪に帰国の暇を与え、先規通りの賜物を与えたと記す。儲后も老中阿部豊後守正允を通じ、同様に先規通り賜物を与えた。十九日には命に応じて登城し、黒書院で家治へ帰国の暇の御礼を申し上げ、懇ろな命を受けて御馬一疋を賜り、拜命之辱という直答を述べた。退い…

  15. 追録6-No.1442 在所の暇と拝領物、近々の御目見を伝える達

    松平薩摩守に在所への暇を下し、拝領物を命じ、近々御目見を命じるという達の案文である。安永六年の朱表示がある。

  16. 追録6-No.1443 帰国の暇に伴う大納言からの拝領物の通知

    暇に伴い、大納言から拝領物を命じられたことを伝える案文で、松平薩摩守の対象表示を置く。安永六年の朱表示がある。

  17. 追録6-No.1444 翌日五半時に登城し、暇の御礼を申し上げる指示

    明日五半時に登城し、暇の御礼を申し上げるよう指示する。四月十八日、田沼主殿頭・板倉佐渡守・松平周防守・松平右京大夫・松平右近将監の五名連署、松平薩摩守殿宛。後ろの二名の署と宛所は次頁に続く。原の五半時を現代の固定時刻へ換算せず、指示の書状と十九日の実際の登城次第を分ける。次の家来一人の御目見の指示へ…

  18. 追録6-No.1445 家来一人の御目見のため、召し連れて出る指示

    家来一人の御目見が命じられるので、その者を召し連れて出るよう指示する。安永六年の朱表示を添える。この短い令書自身には月日・差出の署・宛所の独立記載はない。原の一人という人数を保持し、前件の四月十八日と五名連署を借用しない。御目見のための差出指示であり、家来がすでに御目見を済ませたとする実績には換えな…

  19. 追録6-No.1446 御機嫌伺いを含む御直御請の次第を在所へ伝える

    太守は去年の参府の御礼を申し上げた時から御直御請を述べるようになっていたが、この節は御機嫌のことまで申し上げる上意があり、御直御請を述べた次第が別紙の御書附写の通りであると伝える。其元で承るべき面々へ、この趣旨をもって申し渡すことを何分取り計らうよう求める。四月二十一日、二階堂主計。島津左中・喜入主…

  20. 追録6-No.1447 暇の御礼時の御機嫌伺いと御直御請を旧格に従いたい旨の届

    去年の参府の御礼では上意を受け、直接御請を申し上げたことを踏まえ、旧記には御前へ召し出され取合の上で御機嫌を伺い、懇ろな上意を受けて直接御請を申し上げた例があると述べる。それゆえ、この節から暇の御礼を申し上げる時にも、前格通り御機嫌を伺い、上意を受けて直接御請を申し上げたいとして届ける。四月十八日、…

  21. 追録6-No.1448 暇の御礼登城―黒書院での座次・直答と西丸・老中への御礼

    四月十九日、今日暇の御礼を申し上げるよう求める老中の奉書が昨日到来し、今朝六半時に出て本丸へ登城したと記す。黒書院で公方・大納言が出御し、井伊兵部少輔が奏者となり、御縁頬下の右一畳目で暇の御礼を述べた。夫ニという上意があり、御閾の内の一畳目へ着座した。御用番松平周防守が取り合って御機嫌を伺い、上意を…

  22. 追録6-No.1449 重豪の帰国行程と、小松相馬清行の帰国謝礼使

    同月二十一日に重豪が江戸を発して帰国したと記す。同月は前条の四月の文脈で、家老山岡市正久澄、側用人川上頼母久品、側用人格佐久間九十九村央、近習役市田勘解由貞英、そのほかの諸有司が随行した。美濃路・東海道を経て五月六日に大坂へ着き、二日滞留し、九日に大坂を発して中国の道を取り、二十三日に長州赤間関へ至…

  23. 追録6-No.1450 端午の帷子・単物到来への御内書

    端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、詳しいことは松平右近将監が述べると伝える。五月二日、薩摩中将殿宛。円内に家治公墨印の表示がある。

  24. 追録6-No.1451 端午の帷子・単物献上を披露―阿部正允の返書

    端午の祝儀として使者をもって帷子・単物を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。五月二日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。使者は無名で、原の帷子・単物には数量の記載がない。前の御内書と同じ祝儀への返答として対応させ、原にない一重や二度の献上を加えない。

  25. 追録6-No.1452 公方の増上寺霊前参詣についての恐悦を上聞に達した返書

    書札を拝見し、公方がますます機嫌よくおられることを伝える。去月晦日に増上寺の霊前へ参詣したことを聞いて恐悦を述べた趣旨について、もっともであり、紙面の内容を各々相談して上聞に達したと返答する。五月二十八日、田沼主殿頭意次判、松平薩摩守殿宛。

  26. 追録6-No.1453 献上の蓋物を肥前染付焼から薩州製宋胡録手焼へ替える伺い

    暑気中の御機嫌伺いとして、両御丸へ薩摩守から毎年献上してきた砂糖漬天門冬を入れる蓋物と赤貝塩辛を入れる蓋物について伺う。去年までは肥前染付焼を用いていたが、当年から薩州製の宋胡録手焼を今後献上したいので、指図を得るよう旅中から申し付けられたと述べる。その焼物を内見に入れるとし、六月二日、松平薩摩守内…

  27. 追録6-No.1454 惇信院殿十七年忌の法事へ香奠銀十枚を献じる

    同年夏六月、大家が増上寺で惇信院殿の十七年忌法事を営んだと記す。これに当たり十四日、重豪が組頭兼用人比志島要人範章を遣わし、香奠銀十枚を献納して拝礼した。惇信院殿には徳川家重の注がある。十七年忌という法事の回数、六月の法事と十四日の遣使、使者の兼務役と名、銀十枚という数量・単位をそれぞれ保持する。銀…

  28. 追録6-No.1455 酷暑の御機嫌伺いと四品献上を披露―松平武元の返書

    書札を拝見し、酷暑に当たり使者で公方・大納言の機嫌を伺ったことについて、ますます安全であるので安心するよう伝える。合わせて、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上されたことを各々相談して披露し、一段の仕合であると返す。六月二十二日、松平右近将監武元判、松平薩摩守殿宛。公方・…

  29. 追録6-No.1456 酷暑の御機嫌伺いと四品献上を披露―阿部正允の返書

    書札を拝見し、酷暑に当たり使者で公方・大納言の機嫌を伺ったことについて、ますます安全であるので安心するよう伝える。琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上されたことを披露し、一段の仕合であると返す。六月二十二日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。正文は前頁下段の御札令披見から…

  30. 追録6-No.1457 聖堂奉行・講堂学頭の設置と毎月の講経、後の補助職追加

    先に安永癸巳の秋、宣成殿を創建して講堂とし、この年の夏六月に聖堂奉行と講堂学頭を置いて諸生を教育させたと記す。癸巳は安永二年に当たる。聖堂奉行の注は山本傳藏正韶を補し、後に教授と改称したとし、講堂学頭の注は長崎鐵之丞通喬を補し、後に助教としたことを付す。毎月望日に聖堂奉行を府城へ召し、座之間で経書を…

  31. 追録6-No.1458 聖堂奉行の設置―直触・順・拾人賦の申渡

    聖堂奉行という役を掲げ、但書で中通直触であること、順は納殿役人の次であることを定める。別項として拾人賦を掲げ、この通りに役を立てたので、その旨を承知し各役へ通達するよう命じる。六月、左中。島津久金の注がある。役の設置と直触の区分、順、拾人賦という原の表示、通達の指示を分ける。拾人賦を聖堂奉行十名とい…

  32. 追録6-No.1459 講堂学頭の設置と、中通・座順の申渡

    講堂学頭という役を立て、一中通を掲げ、但書で座順は御右筆稽古の次であることを定める。この役を立てた旨を承知し、各役へ通達するよう命じる。六月、左中。目録は島津久金の申渡書とする。

  33. 追録6-No.1460 毎月十五日の講釈と聴講・代講・在府の取扱い

    毎月十五日を今後の定日とし、御礼の後、座之間へ出座して聖堂奉行に講釈を命じるので、大目付以上は出て拝聞するよう申し渡す。聖堂奉行が差し支える時には学頭が勤めること、在府の時にも梅之間で同様に扱うことを記す。在府・在国のどちらでも御側御用人・御近習役は詰めるとし、この通り仰せ出されたので役人に限って通…

  34. 追録6-No.1461 生見玉の黄金十両献上を披露―四名の返書

    生見玉の祝儀として黄金十両を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。七月六日、田沼主殿頭意次・板倉佐渡守勝清・松平周防守康福・松平右京大夫輝高の四名連署、松平薩摩守殿宛。

  35. 追録6-No.1462 生見玉の黄金十両献上を披露―阿部正允の返書

    生見玉の祝儀として黄金十両を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。七月六日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。正文は上段から下段の結語・日付・署名宛所へ続く。前の四名連署の返書と同じ献上への返答として対応させ、二通を二度の献上や倍の黄金額として足し合わせない。

  36. 追録6-No.1463 惇信院の十七回御忌法事への香奠奉納を言上した返書

    惇信院の十七回御忌法事の執行に当たり、使者で香奠を献上され、増上寺へ奉納したこと、その趣旨を言上したことを伝える。七月十二日、松平右近将監武元判、松平薩摩守殿宛。

  37. 追録6-No.1464 枯骨・金鈴・香炉を納めた大甕の発見と、再埋・記銘の取扱い

    安永三年春、此地を数尺掘って大甕を得、その中に枯骨・金鈴・香炉が納められていたと記す。銘誌が残らず、誰の枯骨であるか分からないため、元の場所へ埋め戻すよう命じ、太史川上親敷にその状を石へ記させ、墳上に立てる取扱いを載せる。

  38. 追録6-No.1465 穆佐の出土骸骨を納めた大甕の蓋石銘書を彫刻する指示

    穆佐で掘り出した骸骨を納めた大甕の蓋石の銘書について、別紙草案の通りに仰せ付けられたので、その通り彫刻するよう寺社奉行へ申し渡すことを命じる。七月、帯刀。小松清香の注がある。

  39. 追録6-No.1466 旅行中の不調を述べ、翌年早春発・三月中着府を願う

    翌年の参勤時節は定式通りに伺う心積りでいたが、この度の帰国では、長い旅行で駕籠だけだったためか、逆上し眼気に障りがあり、持病の痔疾などが再発し、さらに暑中になったため積気が甚だしく難儀したと述べる。翌年も暖気の時節に長途の旅行をすると再び気分に障るおそれがあるので、早春に国元を発ち、保養して三月中に…

  40. 追録6-No.1467 八朔の太刀一腰・馬代黄金十両献上を披露―五名の返書

    八朔の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。八月四日、田沼主殿頭意次・板倉佐渡守勝清・松平周防守康福・松平右京大夫輝高・松平右近将監武元の五名連署、松平薩摩守殿宛。

  41. 追録6-No.1468 八朔の太刀一腰・馬代黄金十両献上を披露―阿部正允の返書

    八朔の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。八月四日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。原の一腰・十両と馬代という用途を保持し、前の五名連署の返書と、太刀二腰・黄金二十両の献上として足し合わせない。無名の使者へ別件の名を借用しない。

  42. 追録6-No.1469 公方の惇信院十七回御忌法事・増上寺参詣への恐悦を上聞に達した返書

    書札を拝見し、公方がますます機嫌よくおられることを伝える。惇信院の十七回御忌法事が増上寺で執行を終え、六月十二日に公方が御霊前へ参詣したと聞いて恐悦を述べた趣旨について、もっともであり、紙面の内容を各々相談して上聞に達したと返す。八月十三日、松平右京大夫輝高判、松平薩摩守殿宛。

  43. 追録6-No.1470 大納言の増上寺御霊前参詣への恐悦を言上した返書

    書札を拝見し、大納言がますます機嫌よくおられることを伝える。惇信院の十七回御忌法事が増上寺で執行を終え、六月十三日に大納言が御霊前へ参詣したと聞いて恐悦を述べた趣旨について、もっともであり、紙面の内容を言上したと返す。八月十三日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。

  44. 追録6-No.1471 帰国御礼使小松相馬を明十五日五時に登城させる指図

    国許到着の御礼使小松相馬を、明十五日五時に御城へ差し出すよう命じる。小松相馬には清行の注がある。続けて、自分の御礼も申し上げるのでその趣旨を承知するよう伝える。八月十四日、略署は松右京、宛所は松平薩摩守殿留守居。御礼使の登城予定を指示する文書として扱い、十五日に実際に登城したという報告へ換えない。原…

  45. 追録6-No.1472 公方の六月二十日東叡山参詣への恐悦を上聞に達した返書

    書札を拝見し、公方がますます機嫌よくおられることを伝える。六月二十日に東叡山の御霊前へ参詣したと聞いて恐悦を述べた趣旨について、もっともであり、紙面の内容を各々相談して上聞に達したと返す。八月二十一日、松平右近将監武元判、松平薩摩守殿宛。

  46. 追録6-No.1473 帰国暇の拝領物と六月六日帰着御礼の献上を承知した水野忠友の返書

    御札を拝見し、公方・大納言がますます機嫌よくおられ、恐悦の旨はもっともであると返す。このたびの御暇に白銀・巻物を頂戴し、その上御馬を賜り、大納言からも拝領物があったことを重ね重ねありがたく思う趣旨を承知したと述べる。六月六日に国許へ到着したことに付き、御礼として小松相馬を通じて目録の通り献上した趣旨…

  47. 追録6-No.1474 帰国御礼使小松相馬を明日四時に登城させる指図

    国許到着の御礼使小松相馬を、明日四時に御城へ差し出すよう命じる。八月二十六日、略署は松右京、宛所は松平薩摩守殿留守居。

  48. 追録6-No.1475 帰国御礼の琉球芭蕉布二十端・御樽肴を披露した五名連署の返書

    書札を拝見し、公方・大納言がますます機嫌よくおられることを伝え、恐悦の趣旨はもっともであると返す。このたびの御暇に白銀・巻物を頂戴し、その上御馬を賜り、大納言からも拝領物があったことを重ね重ねありがたく思う趣旨を承知したと述べる。国許到着の御礼として小松相馬を通じて琉球芭蕉布二十端と御樽肴を献上され…

  49. 追録6-No.1476 帰国御礼の目録通りの献上を披露した阿部正允の返書

    書札を拝見し、公方・大納言がますます機嫌よくおられることを伝え、恐悦の旨はもっともであると返す。このたびの御暇に白銀・巻物を頂戴し、その上御馬を賜り、大納言からも拝領物があったことを重ね重ねありがたく思う趣旨を承知したと述べる。国許到着の御礼として小松相馬を通じて目録の通り献上されたことを披露したと…

  50. 追録6-No.1477 小松相馬を明日九時に阿部豊後の宅へ差し出す指図

    右の小松相馬を明日九時に我等宅へ差し出すよう命じる。小松相馬には清行の注がある。八月二十八日、略署は阿豊後、宛所は松平薩摩守殿留守居。我等宅という差出本人の宅への指図であり、御城への登城指図と行先を区別する。

  51. 追録6-No.1478 公方・大納言の御機嫌伺いと干鱠残魚一箱の献上への返書

    書札を拝見し、公方・大納言の御機嫌を伺ったことについて、ますます安全なので安心するよう伝える。合わせて干鱠残魚一箱を献上されたことを各々相談して披露し、一段の仕合であると返す。九月三日、松平周防守康福判、松平薩摩守殿宛。

  52. 追録6-No.1479 御機嫌伺いと干鱠残魚一箱の献上を披露した阿部正允の返書

    書札を拝見し、公方・大納言の御機嫌を伺ったことについて、ますます安全なので安心するよう伝える。合わせて干鱠残魚一箱を献上されたことを披露し、一段の仕合であると返す。九月三日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。

  53. 追録6-No.1480 重陽祝儀の小袖一重到来への御内書

    重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは田沼主殿頭が述べると伝える。九月七日、薩摩中将殿宛。円内に家治公墨印の表示がある。小袖一重という品名・数量・単位を保持し、取次を田沼主殿頭として差出・宛所と区別する。次の阿部の書状は同じ祝儀の献上への別の返答として対応させ、二通を二重の献上と…

  54. 追録6-No.1481 重陽の小袖一重献上を披露した阿部正允の返書

    重陽の祝儀として使者をもって小袖一重を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。九月七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。使者の名前は本文に記されない。正文は冊子五三二頁下段、日付・署名・宛所は五三三頁上段へ続く。小袖一重という数量・単位を原のまま保持し、前の御内書と合わせて二重と数えない…

  55. 追録6-No.1482 来春参府の途中で御鷹の鶴を拝領する場合の御礼使を問い合わせる

    当冬は宿次御奉書による御鷹の鶴を拝領する順年であるが、来早春に出発し三月中に参府するよう申し渡されたとして、それでも差し支えなく拝領があるかを尋ねる。参府の途中で頂戴することになる場合、御礼使などをその場所から差し越す扱いとなるのか、それとも御流れとなるのかを聞き合わせ、何分の儀か知らせるよう依頼す…

  56. 追録6-No.1483 武元への内意伝達と、当年の鶴拝領延期・手配の未確定を返答する

    元書状の趣旨を承知し、松平右近将監のもとへ有川勇馬を遣わして別紙の内容を内意として申し置いたと返答する。御しらへ方などがあるためか、まだ何分の儀かは分からないが、勇馬が申し出た趣旨によれば、当年は延期になっている面もあるのかもしれず、後に分かれば知らせるという。朱書の日付は十月十四日。目録は二階堂行…

  57. 追録6-No.1484 心観院七回御忌の香奠を東叡山へ奉納し言上した返書

    このたび心観院の七回御忌法事が執行されることに付き、使者をもって献じられた香奠を東叡山で奉納し、その趣旨を言上したと伝える。心観院には家治室の注がある。九月二十日、松平右京大夫輝高判、松平薩摩守殿宛。

  58. 追録6-No.1485 市田勘解由へ三村内の知行高五十斛を与える六名連署目録

    知行目録として高五十斛を掲げ、市来湯田村の内、谷山上福元村の内、蒲生漆村の内を記し、名寄帳は別冊にあるとする。この通り拝領を命じるので、所務をすべき旨を伝える。安永六年丁酉九月二十八日。赤造酒則正・嶋仲久健・山市正久澄・小帯刀清香・喜主馬久福・嶋左中久金の六名が署し、市田勘解由殿宛。村名は三つだが、…

  59. 追録6-No.1486 今村政十郎へ三村内の知行高三十斛を与える六名連署目録

    知行目録として高三十斛を掲げ、市来長里村の内、谷山上福元村の内、蒲生漆村の内を記し、名寄帳は別冊にあるとする。この通り拝領を命じるので、所務をすべき旨を伝える。安永六年丁酉九月二十八日。赤造酒則正・嶋仲久健・山市正久澄・小帯刀清香・喜主馬久福・嶋左中久金の六名が署し、今村政十郎殿宛。三十斛は目録全体…

  60. 追録6-No.1487 菱刈源藤治の加冠に際し藤馬介の名を定める

    加冠に際して藤馬介とすべき旨を記す。安永六年酉十月朔日。菱刈源藤治の名が記され、花押には島津重豪の注がある。

  61. 追録6-No.1488 小熬海鼠の損傷に付き琉球熬海鼠への引替献上を伺う

    在国の際、十一月中の御機嫌伺いとして西御丸へ小熬海鼠を献上してきたが、当年は損傷して献上し難いので、当年は琉球熬海鼠に引き替えて献上したいと述べ、指図を求める。十月十一日、松平薩摩守。島津重豪の注がある。朱書の御附紙は、伺いの通り琉球熬海鼠を献上すべき旨を返す。

  62. 追録6-No.1489 早春参府に伴う御鷹の鶴の拝領順年・旅中拝領についての内々の照会報告

    来年の参府が早く、宿次御奉書による御鷹の鶴を拝領する順年が御流れになるのではないかを内々に聞き合わせるよう命じられたことから、その折衝を報告する。まず右近将監方で、正月中旬頃に国元を出発するなら来年の拝領はない筋かもしれないと聞いたが、右近将監本人へはまだ内々の問い合わせをしておらず、断定し難いとす…

  63. 追録6-No.1490 大納言の心観院七回御忌・東叡山参詣への恐悦を言上した返書

    書札を拝見し、大納言がますます機嫌よくおられることを伝える。東叡山で心観院の七回御忌法事が執行を終え、八月二十一日に大納言が御霊前へ参詣したと聞いて恐悦を述べた趣旨について、もっともであり、紙面の内容を言上したと返す。十月十九日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。心観院には家治室の注がある。

  64. 追録6-No.1491 来年三月中参府の願いが認められたことへの御礼使を受けた田沼意次の返書

    書札を拝見し、公方・大納言がますます機嫌よくおられ、恐悦の旨はもっともであると返す。来年の参勤時期について、暖気の時節になると気分に障るため三月中に参府したいという願いの通り仰せ出され、ありがたく思う趣旨を承知したと述べる。その御礼として差し越された使者と紙面の趣旨を各々一覧したと伝える。十月二十七…

  65. 追録6-No.1492 来年三月中参府の許願への御礼を承知した阿部正允の返書

    書札を拝見し、公方・大納言がますます機嫌よくおられ、恐悦の旨はもっともであると返す。来年の参勤時期について、暖気の時節になると気分に障るため三月中に参府したいという願いの通り仰せ出され、ありがたく思う趣旨を承知したと述べる。その御礼として差し越された使者と紙面の趣旨を承知したと返す。十月二十七日、阿…

  66. 追録6-No.1493 年始祝儀の使簡と別録通りの贈答を謝す中山王への返書

    年始の祝儀として使簡を差し渡され、さらに別録の通り贈られたことについて、念を入れられたことを喜び、なお後の喜びの時を期すと伝える。十月二十七日、中将重豪御判、謹上中山王宛。

  67. 追録6-No.1494 於敬の奥平美作守との縁組祝の贈答を謝す中山王への返書

    芳墨を拝見し、於敬が奥平美作守へ縁与を仰せ出されたことの祝儀として、小禄親方を通じて目録の通り贈られたことを、念を入れられたこととして喜ぶ。十月二十七日、中将重豪御判、謹上中山王宛。於敬には重豪女、奥平美作守には昌男の注がある。

  68. 追録6-No.1495 茂姫の縁組・名拝領祝に対する太刀一腰・馬代黄金十両等の贈答を謝す

    芳簡を拝見し、茂姫が豊千代殿へ縁組を仰せ出され、名を拝領したことの祝儀として、與那城按司を差し渡され、太刀一腰・馬代黄金十両と目録の通り贈られたことを、念を入れられたこととして喜ぶ。十月二十七日、中将重豪御判、謹上中山王宛。茂姫には重豪女、豊千代には徳川家斉の注がある。

  69. 追録6-No.1496 進貢使国頭親雲上の宮古島漂着・帰着報告と贈答を受けた返書

    芳翰を拝見し、去午年に大清国へ差し渡された進貢使国頭親雲上が、北京での勤めを終えて帰帆する途中、宮古島へ漂着し、当四月に其地へ帰着したとの紙面の内容を承知したと述べる。そのためこのたび国頭を通じて別録の通り贈られたことについて、念を入れられたことを謝す。十月二十七日、中将重豪御判、謹上中山王宛。

  70. 追録6-No.1497 清国からの賜物の金入龍紋緞子・色緞子各一巻を贈られたことへの返書

    芳札を拝見し、大清からの賜物のうち、金入龍紋緞子一巻と色緞子一巻を贈られたことについて、念を入れられたことを喜ぶと伝える。十月二十七日、薩摩守重豪御判。末に中山王回章と記されるが、署名は重豪であり、中山王への返書として区別する。

  71. 追録6-No.1498 平安を伝える書札と紕縮緬五巻の贈答への返書

    芳札を拝見し、ますます平安であるとの趣旨を喜び、自分も無事なので安心するよう伝える。合わせて紕縮緬五巻を贈られたことについて、懇ろなことと受け止め謝意を述べる。十月二十七日、薩摩守重豪御判、末に中山王回章と記す。

  72. 追録6-No.1499 虎寿丸の縁組祝に対する太刀一腰・馬代白銀百両等の贈答を謝す

    芳翰を拝見し、虎寿丸が有馬上総介の息女へ縁与を仰せ出されたことの祝儀として、小禄親方を差し渡され、太刀一腰・馬代白銀百両と目録の通り贈られたことを喜ぶと伝える。有馬上総介には久留米城主男・頼貴の注がある。十月二十七日、中将重豪御判、謹上中山王宛。息女の名前は本文に記されない。

  73. 追録6-No.1500 伊集院亀太郎の加冠に際し半之丞の名を定める

    加冠に際して半之丞とすべき旨を記す。安永六年酉十月二十八日、重豪公御判。伊集院亀太郎の名と半之丞の名を記す。

  74. 追録6-No.1501 太夫人島津氏の墓表と、山本正誼の碑陰文

    題は太夫人島津氏墓表で、題の八字は本文の列にまたがって大字で掲げられる。既に葬ってから三十三年として、子の懋昭が墓表を立てたと記す。太夫人は諱都美、島津氏、右馬頭忠将の後裔で、家は代々垂水を領し麑府に居住した。父の名は貴儔、自称備前、老いて自号靜山翁、太夫人はその嫡女とする。先君に嫁いで二年で没し、…

  75. 追録6-No.1502 正覺院殿墓道の側に公が置いた石盥盤の記

    正覺院殿の墓道の側に石盥盤を設け、公が置いたものと記す。安永六年歳次丁酉十一月七日、臣山本正誼謹記。

  76. 追録6-No.1503 斉宣の着袴に際して慶宴を開く

    安永六年丁酉十一月十五日に着袴し、皆が慶宴を開いたと記す。朱書の出典表示に斉宣公とある。

  77. 追録6-No.1504 御機嫌伺いと琉球熬海鼠一箱献上を披露した板倉勝清の返書

    書札を拝見し、公方・大納言の御機嫌を伺ったことについて、ますます安全なので安心するよう伝える。合わせて琉球熬海鼠一箱を献上されたことを各々相談して披露し、一段の仕合であると返す。十一月十八日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守殿宛。

  78. 追録6-No.1505 御機嫌伺いと熬海鼠一箱献上を披露した阿部正允の返書

    書札を拝見し、公方・大納言の御機嫌を伺ったことについて、ますます安全なので安心するよう伝える。合わせて熬海鼠一箱を献上されたことを披露し、一段の仕合であると返す。十一月十八日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。

  79. 追録6-No.1506 在国の拝賜順年に当たるが翌春の早い参府のため鶴の賜物がなかった記事

    慈眼公以来、在国の時には隔年に大家が御鷹の鶴を国へ賜ったと記す。重豪は当年在国し、拝賜の年に当たるが、翌春に早く国を発して朝覲することにより、実際の賜物はなかったと結ぶ。本文には独立した月日や、重豪本人が辞退を申し出たという文言は記されない。小注は禁殺生に伴う鶴・雁・雲雀の賜物への言及、享保四年の雲…

  80. 追録6-No.1507 御鷹の鶴を拝領しない旨の内聞と別紙一通を六家老へ伝える

    宿次によって当年の御鷹の鶴を拝領することがあるかとの趣旨を、西下という原呼称の相手に御内意として申し上げておいたことは先便で知らせた通りと述べる。その後、早春に国許から出発することに付き、拝領はない旨を、右近将監の御用人松倉左中をもって内々に伝えられたと有川勇馬が申し出たので、別紙一通を添えてこの旨…

  81. 追録6-No.1508 鶴の不拝領の報告を貴聞へ達し、別紙を扣え置いた返答

    本文を貴聞に達し、別紙を扣え置いたと返答する。朱書の日付は十二月二十八日で、目録の日付とも一致する。元書状の行間に小字で書かれ、帯刀の脇に下、二階堂主計の脇に上の朱表示がある。目録では島津久金外五名の家老連署返書とするが、元書状に掲げられた六つの宛所を、この短い朱書返答の独立した六署名として書き換え…

  82. 追録6-No.1509 穆佐郷の古塚発見と義天公墓伝承の検討、木主修礼・廩禄給付

    穆佐郷古塚記として、安永三年甲午正月、日向州穆佐郷の悟性寺で地を掘った者が、七尺まで入って古塚を得たと記す。壙の四周に石を重ね、石䃭(石偏に感の原字)で覆い、中に大甕を置いていた。開いて見ると枯髏があり、金鈴一・香爐一もあったが、誌銘が失われ人物を識別できなかった。土地の人は以前、義天公の塚が寺にあ…

  83. 追録6-No.1510 寒中の御機嫌伺いと琉球紬十端・鰹節一箱を披露した武元の返書

    書札を拝見し、寒中に使者をもって公方・大納言の機嫌を伺ったことについて、ますます安全なので安心するよう伝える。合わせて琉球紬十端と鰹節一箱を献上されたことを各々相談して披露し、一段の仕合であると返す。十二月十五日、松平右近将監武元判、松平薩摩守殿宛。使者の名は記されない。琉球紬十端・鰹節一箱という品…

  84. 追録6-No.1511 寒中の琉球紬十端・鰹節一箱献上を披露した阿部正允の返書

    書札を拝見し、寒中に使者をもって公方・大納言の機嫌を伺ったことについて、ますます安全なので安心するよう伝える。合わせて琉球紬十端と鰹節一箱を献上されたことを披露し、一段の仕合であると返す。十二月十五日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。

  85. 追録6-No.1512 歳暮祝儀の小袖一重到来への御内書

    歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは板倉佐渡守が述べると伝える。十二月二十七日、薩摩中将殿宛。円内に家治公墨印の表示がある。小袖一重という品名・数量・単位、取次の板倉佐渡守、差出表示と宛所を分ける。次の阿部の書状は同じ歳暮祝儀への返答として対応させ、二通を小袖二重として加算しな…

  86. 追録6-No.1513 歳暮の小袖一重献上を披露した阿部正允の返書

    歳暮の祝儀として使者をもって小袖一重を献上されたことを披露し、一段の仕合であると返す。十二月二十七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。使者名は本文にない。小袖一重という数量・単位を保持し、前の家治御内書と贈答回数や数量を合算しない。次の蜜柑・炙鮎の献上返書も、この小袖の返書に混ぜない。

  87. 追録6-No.1514 蜜柑二箱・炙鮎一箱献上を披露した武元の返書

    書札を拝見し、公方・大納言がますます機嫌よくおられ、恐悦の旨はもっともであると返す。合わせて蜜柑二箱と炙鮎一箱を献上されたことを各々相談して披露し、一段の仕合であると伝える。十二月二十七日、松平右近将監武元判、松平薩摩守殿宛。正文は同じ冊子頁の上段、日付・署名・宛所は下段に続く。蜜柑二箱・炙鮎一箱を…

  88. 追録6-No.1515 蜜柑二箱・炙鮎一箱献上を披露した阿部正允の返書

    書札を拝見し、公方・大納言がますます機嫌よくおられ、恐悦の旨はもっともであると返す。合わせて蜜柑二箱と炙鮎一箱を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。十二月二十七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。

  89. 追録6-No.1516 御曲輪内の出火が早く鎮まったことへの恐悦を上聞に達した武元の返書

    書札を拝見し、公方・大納言がますます機嫌よくおられることをめでたいと思う趣旨を承知したと返す。去月二日夜に御曲輪内で出火したが、早く鎮まったと聞いて恐悦を述べた趣旨について、もっともであり、紙面の内容を各々相談して上聞に達したと伝える。十二月二十八日、松平右近将監武元判、松平薩摩守殿宛。

  90. 追録6-No.1517 御曲輪内の出火・早い鎮静への恐悦を言上した阿部正允の返書

    書札を拝見し、公方・大納言がますます機嫌よくおられ、恐悦の旨はもっともであると返す。去月二日夜に御曲輪内で出火したが、早く鎮まったと聞いたことについて、珍重する趣旨を承知し、紙面の内容を言上したと伝える。十二月二十八日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。

  91. 追録6-No.1518 若菜祝儀の鯛一折献上を披露した輝高の返書

    若菜の祝儀として鯛一折を献上されたことを披露し、一段の仕合であると伝える。正月七日、松平右京大夫輝高判、松平薩摩守殿宛。朱書の年は安永七年で、前年十二月の返書群と年を分ける。

  92. 追録6-No.1519 若菜祝儀の鯛一折献上を披露した阿部正允の返書

    若菜の祝儀として鯛一折を献上されたことを披露し、一段の仕合であると返す。正月七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。正文・日付・署名は冊子五四四頁の上段、宛所は同頁下段の右端に続く。朱書の年は安永七年。輝高の同趣旨の返書とは署名を分け、二通を鯛二折の別々の献上として加算しない。一折の中の尾数や使者名…

  93. 追録6-No.1520 年頭の太刀一腰・馬代黄金十両献上を披露した五名の返書

    年頭の祝儀として使者を通じて太刀一腰・馬代黄金十両を献上されたことを披露し、一段の仕合であると返す。朱書安永七年、正月十一日。田沼意次、板倉勝清、松平康福、松平輝高、松平武元の五名が判を付し、松平薩摩守殿へ宛てる。太刀の腰数、馬代の黄金・両という品目と単位を保持し、馬そのもの一疋の献上には置き換えな…

  94. 追録6-No.1521 年頭の太刀一腰・馬代黄金十両献上を披露した阿部正允の返書

    年頭の祝儀として使者を通じて太刀一腰・馬代黄金十両を献上されたことを披露し、一段の仕合であると返す。正月十一日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。年は朱書安永七年。

  95. 追録6-No.1522 於陽(牧姫の併記)の誕生、同母関係と夭亡・墓所

    齊宣公の妹女子として於陽を掲げ、その脇に牧姫と併記する。安永七年戊戌正月十四日に江府で生まれ、母は家臣市田氏、茂姫と同母と記す。続けて、天明四年甲辰七月二十九日に夭亡したと載せるが、小注では二十六日を忌日とするとあり、没日と忌日が異なる。法号は芙蓉院殿に続いて牧・知玉大禪童女を含むが、牧の次の一字の…

  96. 追録6-No.1523 重豪の宿疾と暑熱を避けた参府の前倒し、麑城発・江戸着

    安永七年戊戌正月二十一日、重豪が麑城を発って江戸へ向かったと記す。家老島津左中久金、側用人兼近習役川上頼母久品、側用人格留守居事佐久間九十九村央、近習役市田勘解由貞英その他の諸有司が同行した。西海・山陽二道の諸州を経て大坂に至り、例のとおり美濃路と東海道の諸駅を歴て、三月二日に江戸へ到着した。通常の…

  97. 追録6-No.1524 虚無僧・浪人等・旅僧等の不法取締りと触書の掲示・周知方法

    幕府触書三条と、それを領内へ周知する家老座添書を載せる。第一条は、虚無僧が村へ来て百姓にねだり、旅宿を村役人に手配させ、粗末な家では泊まれないと拒み、居合わせた者を尺八で打って傷を負わせた例を不届きとする。修行中の施物は相手の志次第とし、夜の一宿は相対で行うべきと定め、不法があれば村で差し押さえ、御…

  98. 追録6-No.1525 年始の御規式への祝意と御樽肴献上を披露した康福の返書

    書札を披見し、改年の慶賀を承ったことを珍重すると返す。公方・大納言がますます機嫌よく、年始の御規式が済むべきことをめでたく思うとの意を承知したとし、あわせて御樽肴を献上されたことを各々相談して披露し、一段の仕合であると伝える。二月四日、松平周防守康福判、松平薩摩守殿宛。年は朱書安永七年。「可相済」と…

  99. 追録6-No.1526 年始の御規式への祝意と御樽肴献上を披露した阿部正允の返書

    書札を披見し、改年の慶賀を承ったことを珍重すると返す。公方・大納言が機嫌よく、年始の御規式が済むべきことをめでたく思うとの意を承知し、御樽肴の献上を披露して、一段の仕合であると伝える。二月四日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。年は朱書安永七年。

  100. 追録6-No.1527 旧臘十一日夜の御曲輪内出火・早い鎮静への恐悦を上聞に達した康福の返書

    書札を披見し、公方・大納言が機嫌よくおられることをめでたく思うとの意を承知したと返す。旧臘十一日夜に御曲輪内で出火したものの早速鎮まったと聞き、恐悦を述べた趣旨はもっともで、紙面の内容を各々相談して上聞に達したと伝える。二月十三日、松平周防守康福判、松平薩摩守殿宛。年は朱書安永七年。出火の日は前年十…