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追録6の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,127件中 1301~1400件・14 / 32ページ

  1. 追録6-No.1175 中山王尚穆書状―中城王子の上国待遇への礼と贈物

    謹んで書状を奉り、去年の中城王子の上国について、願いどおり御目見が叶い、料理を頂戴し、能を見物させられたことを述べる。仮屋へも二度御入があり、御筆の御字を拝領し、城を拝見し、屋敷へ召し呼ばれて御懇意を受けたこと、滞在中に諸所へ出かける際にも配慮を受けたことなど、多くの厚遇への謝意を伝える。馬鞍置と品…

  2. 追録6-No.1176 中城王子尚哲書状―上国待遇と帰着の礼・謝礼進上

    まず中将の機嫌よい参府を祝う。自身は去年上国して、願いどおり御目見、料理の頂戴、能見物、仮屋への二度御入、御筆の御字拝領、城や屋敷での厚遇を受けたと述べる。滞在中には諸所への配慮があり、時宜よく暇を下され、馬鞍置と品々も拝領したこと、末々まで配慮を受けたことを重ねて謝し、極めて難有いとする。海路無事…

  3. 追録6-No.1177 重豪登営記事―参府慰問と方物献上・老中各邸への謝礼

    同年夏四月十三日、上使松平右京大夫輝高が芝邸へ来て参府を慰した。十五日には教えに応じて登営し、先格の方物を献じ、黒書院で大樹家治公に見え、懇篤の命を受けた。続いて西営へ登り、そこでも品物を献じて退いた。その後、老中各邸へ赴いて拝謝した。この日、随行した家老山岡齋宮久澄・喜入主馬久福も贄を執って台顔を…

  4. 追録6-No.1178 老中連署奉書―翌日五半時の登城と参勤御礼

    明日五半時に登城し、参勤の御礼を申し上げるよう伝える。末尾は四月十四日、田沼主殿頭・板倉佐渡守・松平周防守・松平右京大夫・松平右近将監の五名、松平薩摩守宛、朱に安永三年。正文は文庫にある。五名は本文では官名を列記し、目録は松平武元ほか四名の連署状とする。翌日の登城時刻と御礼を命じる奉書で、この書自体…

  5. 追録6-No.1179 登城令書―御目見を許された家来二人の同行

    家来二人に御目見を仰せ付けられたので、その二人を召し連れて罷り出るよう命じる。朱には安永三年とあるが、本文に月日や署名・宛書はない。前の奉書と同じ出典を示す仝上の記載を伴う。

  6. 追録6-No.1180 重豪公御譜記事―増上寺救火使の任命と翌年の交代

    同年夏四月、老中が奉書をもって、増上寺の救火使となり松平大膳大夫重就に代わるよう命じたと記す。翌年夏四月には任が満ち、上杉弾正大弼治憲が自分の勤めに代わったとする。出典は同じ御譜中。重豪への任命、前任者と後任者、任満と交代を記す記事で、火災が起きて出動した事実を記すものではない。

  7. 追録6-No.1181 老中連署奉書―増上寺火之番の勤仕命令

    増上寺火之番を松平大膳大夫の代わりに仰せ付けられたので、その意を心得て勤仕するよう命じる。末尾は四月十八日、田沼主殿頭・板倉佐渡守・松平周防守・松平右京大夫・松平右近将監の五名、松平薩摩守宛、朱に安永三年。正文は文庫にある。火之番の任命と勤仕命令を記す奉書で、火災の発生や出動を記した書状ではない。

  8. 追録6-No.1182 松平薩摩守請書―増上寺火之番の任命を承知

    増上寺火之番を松平大膳大夫の代わりに仰せ付けられ、勤めるよう命じられた旨を承知したと返答する。末尾は四月十九日、松平薩摩守、朱に安永三年。宛所は右近将監・右京大夫・周防守・板倉佐渡守の四名に続き、次の下段に田沼主殿頭様とあるため、五名全員を宛先として記す。扣正文は文庫にある。前日の勤仕命令に対する請…

  9. 追録6-No.1183 増上寺火之番心得―登城時の処置・出動待機・火事の合図

    増上寺辺で出火した際の処置と、屋敷の合図による出動・待機を定める。登城中に御霊屋へ心遣いが必要な火事となったときは、御目付と間合いを相談して退出し、直接増上寺へ向かう。大目付・御目付への連絡には屋敷からの人数を追って差し出すので、自分が退城する旨は大目付へ直に伝え、御目付へは留守居をもって届ける。下…

  10. 追録6-No.1184 本府創建医学院記―良医の学び・救人の理念と神農殿

    本府の医学院を設けた理由を述べる記。世には医学は経書を本とするだけでは世の実際に合わず、古を根とするだけでは今に合わないと論じる者がいるが、それは庸医を見て立てた議論で、良医の術を論じたものではないとする。良医の処方・用薬には異説に見えても効験があり、その理由を尋ねれば経を考え古を考えるものである。…

  11. 追録6-No.1185 島津久金申渡―医学院の講習・討論会読と参加者

    神農殿を造立し、医学院を建てて医書を講じ、医術を精密にして領国内の療養に役立てるよう命じられたことを述べる。しかし医道を修行する者が専心して出精せず、当分の講談へ出席して聞くだけでは古書の意味を十分会得できないと戒める。今後は初心者の式日を定め、医学院で講習・討論・会読などを行う。その際、当分講談を…

  12. 追録6-No.1186 松平右近将監武元書状―香具一箱・丸熨斗一箱の奉献を披露

    今朝、御香具一箱と丸熨斗一箱を献じられたことにつき、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は四月廿五日、松平右近将監武元判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。正文は文庫にある。

  13. 追録6-No.1187 阿部豊後守正允書状―香具一箱・丸熨斗一箱の奉献を披露

    今朝、御香具一箱と丸熨斗一箱を献じられたことにつき、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は四月廿五日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。前件と同じ奉献についての別の返書である。

  14. 追録6-No.1188 徳川家治御内書―端午祝儀の惟子単物到来への礼

    端午の祝儀として惟子単物が到来したことを喜び、詳しくは田沼主殿頭が述べると伝える。末尾は五月二日、家治公墨印の枠記載、薩摩中将殿宛、朱に安永三年。正文は文庫、出典は重豪公御譜中。惟子単物の到来を喜ぶ家治の内書で、品を薩摩側へ下賜した書状ではない。数量は記されていない。墨印は原の枠内の記載を根拠とする…

  15. 追録6-No.1189 阿部正允書状―端午祝儀の惟子単物奉献を披露

    端午の祝儀として使者をもって惟子単物を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は五月二日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。前件の御内書と同じ品目についての返書だが、この書は使者による奉献と披露を記す。惟子単物の数量は本文にない。内書の到来礼と本書の披露通知を別…

  16. 追録6-No.1190 島津久金申渡―公辺向けの「様」の字と藩主家の呼称

    禁裏・公方・大納言の呼称を掲げ、今後は右のように様の字を用いるよう定める。太守・御前・御前孫虎寿丸にも当分この様の字を用いてきたが、公辺向の帳留では公方・大納言がこの様の字を用いるため、こちら側の御三方には別に掲げた様の字を用いるよう命じる。その字形も原の表記として保持する。敬姫・於篤・妙心院・嶺松…

  17. 追録6-No.1191 重豪公御譜記事―国史館の火災後の移転と府城南での改築

    国史館は初め府城本丸内にあったが、元禄九年丙子四月二十三日、府城回禄の際に烏有となったと記す。宝永三年丙戌十月二十三日に府城の使殿四配邸と記す場所へ仮置きした。図籍を掌るにも出入りが不便だったため、正徳三年癸巳閏五月十五日に願いによって府城北の御厩内の旧屋へ移し、三十年を経た。明和八年辛卯冬十一月十…

  18. 追録6-No.1192 島津久金申渡―櫻田・芝屋敷の公辺向け呼称

    芝と櫻田の御屋敷について、公辺向けには櫻田御屋敷を上御屋敷、芝御屋敷を御居屋敷と呼ぶよう命じる。ただし御内輪では、すべて去年に申し渡して置いたとおりに呼ぶ。以上を表方に通達し、御側方・御勝手方へは写しをもって伝えるよう求める。末尾は朱の安永三年五月、左中に島津久金の注、写正文は文庫、出典は重豪公御譜…

  19. 追録6-No.1193 重豪公御譜記事―虎寿丸の嫡子成立と届出年齢の注

    同年五月二十九日、男子虎寿丸を嫡子として立て、執政田沼主殿頭意次へ伝えたと記す。出典は同じ御譜中。付注は虎寿丸が生まれたことと、前夫人徳川氏をもって子とする扱いを述べ、実際には弐歳であるが歳を加えて六歳と告げたことを記す。前夫人徳川氏を実母とする記載はない。

  20. 追録6-No.1194 虎寿丸嫡子・慈照院養子の届書六件―共通出典・構成見出し

    番号1194に正文が右筆所にある旨を記す共通出典の見出し。続いて、薩摩守の口上覚、一橋への内談と取次経過、公義向け届書文案と出生年月の引札、薩摩守の届書と取次注、五月十九日と六月五日の佐久間九十九の首尾書という六枝を収める。出典欄の冒頭字に欠けがあり、「正文在右筆所」と読める。見出し自体には独立の正…

  21. 追録6-No.1194-1 松平薩摩守口上覚―虎寿丸の嫡子届と慈照院養子の届を併せる願い

    松平薩摩守口上の覚。前年に生まれた虎寿丸が当年六歳になったとする届出の文言を記す。慈照院には実子がなかったため、男子が生まれれば嫡子の届を出す際に慈照院の養子としたい旨を存生中に承り、約束していたことを述べる。虎寿丸がこのたび丈夫になったので嫡子の届をするに当たり、慈照院養子の届も一緒に申し上げたい…

  22. 追録6-No.1194-2 一橋への内談経過―慈照院養子の約束と届書提出の取次

    五月十九日の条。山岡齋宮を使者として一橋へ差し越し、末吉善左衛門へ内談して口上書を渡したところ、家老二人をもって何分か返答するとの答えがあり、追って伝えられることになった。五月十八日には善左衛門から山岡へ手紙が来て、先日の使者に関する公辺御内慮の相談を整えたので、この間の挨拶のため使者に参上してほし…

  23. 追録6-No.1194-3 一橋側の公義向け届文案―虎寿丸養子と出生年月の引札

    薩摩守が前年生まれた虎寿丸の丈夫になった旨を届けたことに続き、慈照院に実子がなく、養子の約束をして置いたので、民部卿に以前内談したところ異存がない旨を挨拶されたとする。薩摩守側から慈照院養子の届を出すとの報知があったため、申し上げ置くよう民部卿が命じた旨を記す文案。末尾は五月、設楽兵庫頭・新庄能登守…

  24. 追録6-No.1194-4 松平薩摩守届書―虎寿丸の届と亡妻養子の約束・取次方

    前年生まれた虎寿丸が当年六歳となって丈夫になったので届けると記す。亡妻に実子がなく、養子にしたいと約束していたため民部卿へ内談したところ、異存がない旨を承知したので、聞き置いてほしいと求める。末尾は五月十九日、松平薩摩守、朱に安永三年。取次注では、五月十八日にこの届書を佐久間九十九をもって右近将監へ…

  25. 追録6-No.1194-5 佐久間九十九首尾書―届書一通の差出しと請取

    届書一通を掲げ、前年生まれた虎寿丸が当年六歳で丈夫になったこと、慈照院に実子がなく養子を約束したため民部卿へ内談したところ異存がない旨を承ったことを但書にまとめる。この届書を持参して差し出したところ、御用番田沼主殿頭の御用人倉見金太夫をもって請け取られたので、今朝勤めた首尾を申し上げると伝える。末尾…

  26. 追録6-No.1194-6 佐久間九十九首尾書―田沼の御用人による口達と返答の指示

    これまでの伝達に関し、今、一人が参上したとの切紙が御用人中から御式台へ到来したので、矢野清右衛門に持たせ、自分も罷り出たところ、田沼主殿頭の御用人高木俊藏から虎寿丸が丈夫になったという届書のとおりを同列の者も承知した旨を伝えられたと報告する。これについて別段の指示はなく、御用人の口達で心得るよう承知…

  27. 追録6-No.1195 齊宣公記事―実二歳を六歳として告げた年齢届出

    朱の出典「近秘野艸 齊宣公」を伴う短い記事。安永三年甲午に甫二であるが、五月二十九日に六歳として告げたと記す。その注は明和六年己丑八月六日を出生としたことを述べる。また慈照夫人が在世の時に養子にしたいと望んだため、併せて告げたと注する。「在世」は慈照夫人が望んだ時の説明で、この届出時点に存命だったと…

  28. 追録6-No.1196 齊宣公御譜記事―徳川氏養子の経緯と佐竹義敦息女との縁談許可

    安永三年甲午夏五月二十九日に嫡子として立て、用番老中田沼主殿頭意次へ告げたと記す。付注は生まれて実二歳であるが、幕府には明和六年己丑八月六日生まれで六歳になったと告げ、この扱いによって徳川氏の養子としたと説明する。本文は、かつて徳川氏に子がなく、父君へ、他腹で先に男子が生まれたなら養子にしたいと願っ…

  29. 追録6-No.1197 萬里小路承房書状―准后御方の安否と帰着御礼使者の書面への返答

    貴札を披見し、堅固である旨を喜び、准后御方もますます安泰であると伝える。先般暇を仰せ出され、去ル四月廿五日に国元へ到着したことに伴い、御礼の使者を差し出すとの紙面の趣を御念に入れて承ったので、宜しく申し伝えるようとの言葉を取り次ぐ。末尾は六月十日、萬里小路大進承房判、朱に安永三年。正文は文庫、出典は…

  30. 追録6-No.1198 松平周防守康福書状―御馬一足の奉献を披露

    御馬一足を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は六月十一日、康福判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。在口裏の朱注を伴う差出人の官名は松平周防守康福。品目の単位は原の一足を保持し、一匹・一頭へ置き換えない。奉献に対する披露通知で、馬を下賜する書状ではない。同日の別の返書と合わ…

  31. 追録6-No.1199 阿部豊後守正允書状―御馬一足の奉献を披露

    御馬一足を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は六月十一日、正允判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。在口裏の朱注を伴う差出人の官名は阿部豊後守正允。品目の単位は原の一足を保持し、一匹・一頭へ置き換えない。奉献に対する披露通知で、馬を下賜する書状ではない。同日の別の返書と合わ…

  32. 追録6-No.1200 松平周防守康福書状―琉球布と食品・泡盛酒の奉献を披露

    今朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は六月十八日、康福判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。在口裏の朱注に差出人の官名・名を付す。正文は文庫、出典は重豪公御譜中。本文の品目は前頁下段から次頁上段へ続く。奉献した…

  33. 追録6-No.1201 阿部豊後守正允書状―琉球布と食品・泡盛酒の奉献を披露

    今朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は六月十八日、正允判、松平薩摩守宛、朱に安永三年。在口裏の朱注に差出人の官名・名を付す。同じ品目・数量を記す別の返書。奉献した品と原の箱・器・壺の単位を保持し、二つの返…

  34. 追録6-No.1202 田沼主殿頭書状―端午御内書引渡しのため翌日家来を差し出す指示

    端午の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう伝える。末尾は六月廿四日、田沼主殿頭、松平薩摩守宛、朱に安永三年。正文は文庫、出典は重豪公御譜中。この書は御内書そのものではなく、御内書の引渡しと受取りのための家来差出を指示する書状。

  35. 追録6-No.1203 虎寿丸縁組願の三件―共通出典・構成見出し

    番号1203に重豪公御譜中・扣正文在右筆所と記す共通出典の見出し。続いて、薩摩守の口上扣、佐竹右京大夫の口上扣、双方の取次による連署縁組願書の三枝を収める。見出し自体に独立の正文・年月・署名・宛書はなく、虎寿丸と佐竹右京大夫息女の縁組に関する各用件はそれぞれの枝に属する。正文の保管先と文書群の構成を…

  36. 追録6-No.1203-1 松平薩摩守口上扣―虎寿丸と佐竹息女の縁組願・願書手配

    松平薩摩守口上扣と題する。嫡子虎寿丸と御息女との縁組について内談し、聞き済まされたことを喜び、縁談を進めたいので、早速双方から御用番へ願書を差し出したいと申し入れる。朱の年月は安永三年六月廿七日。続く手配注は、この口上扣書を御先手の内用御頼である織田圖書をもって佐竹右京大夫方へ伝え、縁談の件について…

  37. 追録6-No.1203-2 佐竹右京大夫口上扣―虎寿丸への娘縁組の返答と願書差出

    佐竹右京大夫口上扣と題する。娘を嫡子松平虎寿丸へ縁組する件について、織田圖書を通じて伝えられ、喜ばしく思うと述べる。その節の返答のとおり縁組を進めたいので、早速双方から御用番へ願書を差し出したいと申し入れる。続く注は、佐竹方からも口上書により、御先手戸田五助をもって返答があったとする。朱の年月は安永…

  38. 追録6-No.1203-3 両家取次の連署願書―佐竹息女と虎寿丸の縁組願・御用人の請取

    佐竹右京大夫娘を薩摩守嫡子松平虎寿丸へ縁組することを願う旨を記す。朱の年月は安永三年六月廿八日。双方の取次は、佐竹右京大夫の取次戸田五介、松平薩摩守の取次方織田圖書と記され、戸田には勝便、織田には信方の注がある。両家名と虎寿丸の名は願う縁組の当事者・関係を示すもので、取次二人の宛先ではない。付注は御…

  39. 追録6-No.1204 左中申渡書―開地等の希望と取込拝借を御物に差し障りない場所で認める

    朱の出典「雑抄中」を伴う一条の申渡。城下士、近名はもちろん、外城に関係する者が開地等を希望し、取込拝借を願う場合、御物に差し障りない場所であれば勝手次第に免じると定める。対象は城下士だけに限らず、近名・外城に関係する者にも及ぶが、御物に差し障りがない場所という条件を伴う。本文には「開地等致度所郷(本…

  40. 追録6-No.1205 板倉佐渡守勝清書状―生見玉祝いの黄金十両奉献を披露

    「生見玉」の御祝儀として黄金十両を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は七月六日、勝清判、松平薩摩守殿宛、朱に安永三年。在口裏の朱注を伴う差出人の官名・名は板倉佐渡守勝清。出典は重豪公御譜中、正文は文庫。生見玉の原語を保持し、誕生祝いなどへ置き換えない。黄金十両の奉献に…

  41. 追録6-No.1206 阿部豊後守正允書状―生見玉祝いの黄金十両奉献を披露

    「生見玉」の御祝儀として黄金十両を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は七月六日、正允判、松平薩摩守殿宛、朱に安永三年。在口裏の朱注を伴う差出人の官名・名は阿部豊後守正允。冒頭の「仝上」は前書の出典・正文所在を受ける。生見玉の原語を保持し、誕生祝いなどへ置き換えない。黄…

  42. 追録6-No.1207 松平薩摩守伺書―虎寿丸の縁組許可に伴う献上物の指図願と朱の訂正

    佐竹右京大夫の娘を虎寿丸に縁組する願いのとおり仰せ付けられ、ありがたいことであるとして、公方様と大納言様へ先規のとおり献上物をしたいので、指図を願う。末尾は七月十八日、松平薩摩守、朱に安永三年。出典は重豪公御譜中。公方様・大納言様の箇所には朱の「御付紙」の表示があり、指図を願う結語には「不及此儀候」…

  43. 追録6-No.1207-1 献上物例書(一)―過去の縁組御礼と虎寿丸が御目見以前であることの申上

    例書の第一の欄は松平大隅守(島津継豊の注)について、公方様へ二種一荷、大納言様へ一種一荷とする。第二の欄は前々松平薩摩守(島津宗信の注)について、公方様へ一種一荷、大納言様へ一種と記す。付記は、元文五年申に尾張宰相殿御息女が前々松平薩摩守に縁与を仰せ付けられた際、そのとおり御礼として使者をもって献上…

  44. 追録6-No.1207-2 献上物例書(二)―寛延二年の縁組御礼と記録焼失後の先例照会

    例書の前々松平薩摩守の欄は、公方様へ二種一荷、大御所様と大納言様へそれぞれ二種一荷とする。松平大隅守の欄は、公方様へ一種一荷、大御所様・大納言様へ一種宛と記し、「一種宛」には一荷の記載はない。付記は寛延二年己巳三月、松平薩摩守(島津重年の注)の妹菊が故松平修理大夫へ縁組を仰せ付けられた際、御礼は大隅…

  45. 追録6-No.1208 幕府老中五名連署状―翌日四時の登城と病気の場合の名代差出

    御用の儀があるため、明日四時に登城するよう伝える。なお、もし病気であれば名代を差し出すよう付記する。末尾は七月十七日、朱に安永三年。署は上段の田沼主殿頭・板倉佐渡守・松平周防守・松平右京大夫から、下段の松平右近将監へ続き、下段に松平薩摩守殿の宛書もある。正文は文庫、出典は重豪公御譜中。御用の具体的な…

  46. 追録6-No.1209 佐竹義敦女於梅の縁組許可と未成婚での死亡届の記事

    佐竹右京大夫義敦の娘(字於梅の注)を嗣嫡虎寿丸の妻にと請うた経緯を述べる。その夏七月十八日、召しに応じ登営し、白書院で縁願について老中が列座する中、用番板倉佐渡守勝清が幕府の許可を伝えたので、拝して退出したと記す。続いて西営で御礼をし、老中各邸へも礼謝したとする。後段は同五年三月に於梅が「未成婚」の…

  47. 追録6-No.1210 左中申渡書―虎寿丸の嫡子・慈照院養子の届と敬姫の呼称

    第一条は、虎寿丸を当午六歳として丈夫であるため嫡子の届をしたこと、慈照院には実子がなく、存生中に養子にしたいと約束していたことから、民部卿と内談の上で五月十九日に御用番へ申し出、聞き置かれた経緯を述べる。虎寿丸の嫡子届が済んだので、敬姫・於篤が御姉として取り持つよう仰せ出されたことを、各々承知するよ…

  48. 追録6-No.1211 重豪御譜記事―御鷹の雲雀拝領と微恙による代理・拝謝

    同年秋七月二十二日、一色源次郎(実名闕の注)を芝邸へ遣わし、御鷹の雲雀を賜ったと記す。恩旨を奉じたが、軽い病(微恙)があり、島津式部久般が代わったと述べ、続いて老中各邸への拝謝を記す。原の同年は安永三年の文脈に対応する。雲雀の数、使者の実名、現代の時刻や病名は記さない。御鷹の雲雀を賜った記事で、雲雀…

  49. 追録6-No.1212 櫻島池田氏蔵年代記記事―鹿児島下町大火の範囲と焼失数量

    安永三年七月晦日、夜八ツ過に鹿児島下町で大火が起き、菩薩下小路から門前の船津寺に至り、寺を残らず、夜明けまで焼いたと記す。町家については原に「四百七八十余」、全体については「都合千竈余焼失」とある。出典は朱の櫻島池田氏蔵年代記。四百七八十余を特定の一つの戸数へ改めず、竈の単位を戸・軒に置き換えない。…

  50. 追録6-No.1213 松平右京大夫輝高書状―八朔の太刀一腰・馬代黄金十両奉献を披露

    八朔の御祝儀として、使者をもって御太刀一腰・御馬代黄金十両を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は八月四日、輝高判、松平薩摩守殿宛、朱に安永三年。在口裏の朱注を伴う差出人の官名・名は松平右京大夫輝高。出典は重豪公御譜中、正文は文庫。品目の本文は上段から下段へ続く。奉献品…

  51. 追録6-No.1214 阿部豊後守正允書状―八朔の太刀一腰・馬代黄金十両奉献を披露

    八朔の御祝儀として、使者をもって御太刀一腰・御馬代黄金十両を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は八月四日、正允判、松平薩摩守殿宛、朱に安永三年。在口裏の朱注を伴う差出人の官名・名は阿部豊後守正允。冒頭の仝上は前書の出典・正文所在を受ける。奉献品を下賜品とせず、御馬代を…

  52. 追録6-No.1215 徳川家治御内書―重陽の小袖一重到来への返答

    重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、委曲は板倉佐渡守が述べると伝える。末尾は九月七日、朱に安永三年。「家治公墨印」とする円形の表示を伴い、宛書の薩摩中将殿は次頁上段に続く。正文は文庫、出典は重豪公御譜中。贈られた小袖への到来礼を記す御内書で、家治から小袖を下賜するとの方向に改めない。小袖一…

  53. 追録6-No.1216 阿部正允書状―重陽の小袖一重奉献を披露

    重陽の御祝儀として使者をもって御小袖一重を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は九月七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、朱に安永三年。冒頭の仝上は前書の出典・正文所在を受ける。正允は奉献の披露を通知する差出人で、小袖を下賜する者ではない。同日、家治の御内書は同じ小袖…

  54. 追録6-No.1217 左中申渡書―聖堂の程朱学・偽学への戒めと人才選抜・報告指示

    去年の聖堂創建の趣旨は各人が承知しており、学問は究理により知識を開発することで、程朱の学よりほかにないとする。ところが近頃「偽学」の者がいると聞いたとして、表向き程朱の学を講じながら心中に尊崇がなく、聖堂の禄を受け孔孟程朱の祭祀にあずかりながら聖賢を戯弄するのは大きな罪だと戒める。講釈人はもちろん入…

  55. 追録6-No.1218 松平薩摩守届書―浄岸院三回忌を国許の福昌寺で執行する旨の届出

    浄岸院の三回忌法事を、当十二月五日に国許の福昌寺で執行する旨を申し上げる。末尾は九月廿二日、松平薩摩守、朱に安永三年。浄岸院には継豊継室・綱吉養女の注を付し、扣正文は右筆所と記す。九月に、来る十二月の法事執行を届ける文書で、この届の日に法事を行ったとの記録や、法事の許可を求める文言に置き換えない。供…

  56. 追録6-No.1219 蒲生郷村の市人磯右衛門夫妻に廩米各十五苞を与えた褒賞記事

    大隅州始羅郡蒲生郷村の市人磯右衛門が、よく義父に仕えて力を尽くし、妻もそれに感化されたと述べる。親族に対してもとりわけ恩意を尽くして隣邑が称えたため、今茲秋九月に賞し、夫妻へ廩米を各十五苞与えたと記す。出典は重豪公御譜中。

  57. 追録6-No.1220 中将重豪書状―中山王からの虎寿丸誕生祝儀への謝意

    芳墨を今披見し、虎寿丸の誕生に伴う祝儀として、豊見城王子をもって太刀一腰・馬代黄金十両、並びに目録のとおりの品を贈られたことを喜び、謝意を伝える。末尾は十月九日、中将重豪御判、謹上中山王、朱に安永三年。正文は琉球国司に在ると記す。中山王側から贈られた祝儀への重豪の返書で、重豪から中山王へ太刀・黄金を…

  58. 追録6-No.1221 浄岸院三回忌に先立つ賻銀の下付と福昌寺への帰納記事

    是歳冬十二月五日が浄岸院の三回忌に当たるため、先期の十月十日、大家と儲君が老中松平右近将監武元を芝邸へ遣わして賻銀を賜ったと記す。原注は大家が銀三十枚、儲君は同二十とする。そこで新番岸良貞右衛門兼平と歩行士有馬伊平次純意に携えさせて帰し、鹿児島の福昌寺へ納めたと述べる。出典は重豪公御譜中。年は安永三…

  59. 追録6-No.1222 板倉佐渡守書状―重陽御内書引渡しのため翌日家来を差し出す指示

    重陽の御内書を渡すため、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう伝える。末尾は十月廿日、板倉佐渡守、松平薩摩守殿宛、朱に安永三年。出典は重豪公御譜中、正文は文庫。本文の署は官名のみで、勝清の名は目録による。重陽御内書そのものの文面ではなく、その引渡しに伴う家来差出の指示である。家来の名・人数、御内書の受…

  60. 追録6-No.1223 道義公四百五十年忌と浄岸院三年忌の法事記事

    同年冬十一月十二日、浄光明寺で道義公(島津忠宗の注)の四百五十年忌法事を修したと記す。使番頭喜入善之助久量が香奠銀五枚を進献して拝した。さらに同年冬十二月五日、福昌寺で浄岸院の「三年忌」の法事を修し、十二月三日から五日までという注を付す。礼拝等は先規のとおりとする。年は安永三年の文脈に対応する。道義…

  61. 追録6-No.1224 松平薩摩守届書―持病発作で増上寺火之番へ出馬しがたい際の家来差出願

    増上寺の火之番を仰せ付けられているが、先年以来、痔疾の痛みがあると申し上げる。持病が寒湿のため不時に発し、その折には出馬しがたいので、家来を差し出すようにしたいとして、聞き置くよう願う。末尾は十二月五日、松平薩摩守、朱に安永三年。扣正文は右筆所、出典は仝上。持病が発した際の家来差出を願う文書で、火之…

  62. 追録6-No.1225 重豪公御譜中・正文在文庫―乗物等規定と関連文書十三枝の共通出典

    重豪公御譜中、正文は文庫に在るという共通出典の記載。大目付へ伝える規定、廻状と送付書、薩摩側の伺・届、用人による受取の首尾、届書名義に関する覚書が続く。共通出典の箇所には独立した正文・年月・署宛はなく、「大目付に」以下は最初の枝文書の宛所・本文に当たる。

  63. 追録6-No.1225-1 幕府達書―乗物・虎革鞍覆・茶弁当・供廻の旧例維持と新規の禁止

    諸大名の乗物について、近頃「打揚ヶ腰網」(本ママ)の類に紛らわしいものが見えるとして取扱いを定める。打揚腰網代は国持・溜詰・御三家の庶流・越前家が古来使用した分に限り引き続き使用でき、その他の国持も近来新規のもの、古来使用していても中絶後に再開したものは今後無用とし、前々の例の乗物を使い、打揚腰網代…

  64. 追録6-No.1225-2 大目付副廻状―書付写一通の順達と留松平対馬守への返付

    右の趣旨を触れるよう求め、松平右近将監から渡された書付の写一通を送るので、趣旨を得て遅滞なく順達し、留の松平対馬守方へ返すよう伝える。末尾は十二月七日、大目付。宛は松平薩摩守から松平陸奥守、有馬中務大輔、伊達遠江守、真田伊豆守、次頁の鍋嶋常丸、秋月山城守、大田原出雲守、毛利政次郎、織田丹後守、堀田左…

  65. 追録6-No.1225-3 佐久間九十九書状―有馬方からの到来書を順達し主馬へ写を送る

    書面がただ今有馬中務大輔から到来したので、本書は松平陸奥守方へ順達し、写を差し上げると報告する。当番御近習役へは別段申し出たことも述べる。末尾は十二月七日、佐久間九十九、主馬様宛。副廻状の黒本文の列間に朱で付された書状で、幕府の大目付の差出と、佐久間による本書の順達・主馬への写送付を区別する。

  66. 追録6-No.1225-4 松平薩摩守伺書―従前使用の乗物・鞍覆・茶弁当の取扱いと朱答

    打揚腰網代乗物、虎革鞍覆、茶弁当の三項を掲げ、これらは従前から使用してきたが、仰せ渡された趣旨により、今後いかがすべきかを伺う。末尾は十二月十二日、松平薩摩守、朱に安永三年。本文に朱で「是迄之通可被相心得候」とする回答を付し、これまでどおりと心得るよう伝える。伺の日付と、別の日付のない朱答を分け、朱…

  67. 追録6-No.1225-5 佐久間九十九首尾書―三品の御伺書を持参し御用人から請取を聞く

    御伺書一通として、従前使用する打揚腰網代乗物、虎革鞍覆、茶弁当について、仰せ渡された趣旨により今後どうすべきかという内容を記す。その書を持参して差し出したところ、請け取った旨を御用番松平右近将監の御用人久松寛兵衛から聞いたので、昨夕相勤めた首尾を報告すると述べる。末尾は十二月十三日、佐久間九十九、主…

  68. 追録6-No.1225-6 佐久間九十九首尾書―乗物の使用時期の詳記と鞍覆・茶弁当の書出の要否

    御用人から参上するようとの切紙が到来し、出頭したところ、打揚腰網代乗物を何頃から使用したかについて、詳しく認めて差し出す趣旨を御用人から伝えられたと述べる。虎革鞍覆と茶弁当も書き出すべきかを、その場の御用人に尋ねると、その儀には及ばないが、打揚腰網代乗物は前文のように詳しく認めるようにと答えられたの…

  69. 追録6-No.1225-7 松平薩摩守届書―祖先からの打揚・引戸の使用と病身・家格の経緯

    打揚腰網代乗物を何頃から使用したか委細を申し上げるよう承知したとして、家の使用の経緯を説明する。原の続柄で、曾祖父大隅守の入輿後まで打揚腰網代を使用したが、病身で風寒などの際に難儀があったため引戸に替え、祖父・亡父の代には打揚を使用したと述べる。亡父も病身となり曾祖父と同じ事情があったため、再び引戸…

  70. 追録6-No.1225-8 矢野清右衛門首尾書―乗物の詳記書付を持参し佐々木五藏から請取を聞く

    書付一通として、打揚腰網代乗物を何頃から使用したか委細を申し上げるよう仰せ渡された件を記す。これを今夕持参して差し出したところ、請け取った由を松平右近将監の御用人佐々木五藏から聞いたので、自分が相勤めた首尾を報告すると述べる。末尾は十二月十六日、矢野清右衛門、主馬様宛、清香の注。詳記を求められたこと…

  71. 追録6-No.1225-9 矢野清右衛門伺書―三品の指図が済み次第届け出る旨の申上

    打揚腰網代乗物等について書付をもって仰せ達せられ、御用番へ伺い申し上げる趣旨があるため、指図が済み次第届け出るので聞き置くよう求める。追書には当番御近習役へ別段首尾を申し上げる旨を付す。末尾は十二月廿三日、松平薩摩守内矢野清右衛門、朱に安永三年。指図後の届出を予告する申上であり、この時点で指図・使用…

  72. 追録6-No.1225-10 喜入主馬覚書―未沙汰の乗物届の照会と御用番への書付・御受手配

    矢野清右衛門が大御目付正木志摩守に参上し、用人坂田東馬を通じて、先達て仰せ渡された乗物の件を御用番へ伺っているが、まだ何分の沙汰もないことを述べる。仰せ渡された時には届け出るのが相応であるとの返答を受け、趣旨を書付にしておくよう言われたので、一通を認め差し出し、志摩守が聞き置いた旨を用人から聞いたと…

  73. 追録6-No.1225-11 渋谷五郎右衛門届書―従前三品の使用について御付紙による仰渡を受け届出

    覚として打揚腰網代乗物、虎革鞍覆、茶弁当の三項を掲げる。これらは従前から使用してきたところ、仰せ渡された趣旨があるため御用番へ伺い、御付紙によってこれまでどおりと心得るよう仰せ渡されたので、今後も使用する旨を届け出る。末尾は十二月廿七日、松平薩摩守使者渋谷五郎右衛門、留守居貫富の注、朱に安永三年。

  74. 追録6-No.1225-12 渋谷五郎右衛門届書―御用番の御付札による従前使用の届を大御目付へ差出

    朱で御届書一通と記し、打揚腰網代乗物、虎革鞍覆、茶弁当を従前から使用している旨を記す。御用番へ相談したところ、御付札をもってこれまでどおりとする旨を仰せ渡されたので、今後も使用する件について届ける。宛は大御目付正木志摩守殿。本文には独立の日付・差出署がなく、目録は十二月廿七日の渋谷貫富届書として掲げ…

  75. 追録6-No.1225-13 山岡市正覚書―届書の御家来・御使者の名義と正木志摩守の受領首尾

    渋谷五郎右衛門が届を持参して用人吉田彦右衛門と会い、名義の儀を内談したところ、御家来の名で届けている場合は御使者の名で書面を認めるよう挨拶した旨を聞いたと述べる。そこで御使者と片書のある渋谷自身の名の届を直に差し出すと、志摩守が承知し、書面を受け取った旨を彦右衛門から聞いたとする。この首尾を十二月廿…

  76. 追録6-No.1226 松平武元書状―蜜柑二箱・炙鮎一箱の奉献披露

    今朝、蜜柑二箱と炙鮎一箱を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は十二月十三日、武元判、松平薩摩守殿宛。朱に安永三年、在口裏に松平右近将監武元とある。出典は重豪公御譜中、正文は文庫。翌に置かれた阿部正允の返書も同じ朝の奉献を披露するため、二通分を足して蜜柑四箱・炙鮎二箱、…

  77. 追録6-No.1227 阿部正允書状―蜜柑二箱・炙鮎一箱の奉献披露

    今朝、蜜柑二箱と炙鮎一箱を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は十二月十三日、正允判、松平薩摩守殿宛。朱に安永三年、在口裏に阿部豊後守正允とある。冒頭の仝上は前文書の出典・正文所在を受ける。奉献品の方向は薩摩守からの献上で、正允はその披露を知らせる差出人である。同日の武…

  78. 追録6-No.1228 御鷹の鶴下付と微恙による島津久般の代理礼謝

    同年冬十二月二十一日、大家が使番渡邊喜右衛門を遣わし、御鷹の鶴を賜ったと記す。渡邊には実名闕の注がある。重豪は直ちに恩旨を奉じたが、少し後に微恙が起こったため、島津式部久般を老中各邸へ遣わして拝謝させたという。賜与、恩旨を奉ずること、微恙の発生、久般による代理の礼謝という順序を分ける。本文の「同年」…

  79. 追録6-No.1229 家治御内書―歳暮の小袖一重到来を喜ぶ

    歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは松平右京大夫が述べると伝える。末尾は十二月二十七日、薩摩中将殿宛。朱に安永三年、円内に家治公墨印と記した表示がある。重豪公御譜中を出典とし、正文は文庫とする。家治が贈られた小袖の到来に応じた御内書であり、家治から小袖を下賜する方向にはしない。…

  80. 追録6-No.1230 阿部正允書状―歳暮の小袖一重奉献を披露

    歳暮の御祝儀として使者をもって御小袖一重を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は十二月二十七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。朱に安永三年。冒頭の仝上は前文書の出典・正文所在を受ける。正允は奉献の披露を知らせる差出人で、小袖を下賜する者ではない。同日の家治御内書は同…

  81. 追録6-No.1231 重豪養女明姫の系譜抄―出生・養女・婚姻・死亡

    重豪の御養女として女子の系譜を抄記し、明姫と雅姫の名を併記する。安永三年甲午十二月二十七日に鹿児島で生まれ、実父は一門の島津兵庫久徴、母は島津采女久芳の女であると記す。天明元年辛丑閏五月に重豪が養って子とし、島津淡路守忠持の夫人となったとする。忠持には日州佐土原城主の注がある。文化九年壬申正月十一日…

  82. 追録6-No.1232 松平輝高書状―若菜祝儀の鯛一折奉献を披露

    若菜の御祝儀として鯛一折を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は正月七日、輝高判、松平薩摩守殿宛。朱に安永四年、在口裏に松平右京大夫輝高とある。重豪公御譜中を出典とし、正文は文庫とする。同日付の阿部正允の返書にも鯛一折の奉献披露が記される。二通は同じ贈答を述べる別返書で…

  83. 追録6-No.1233 阿部正允書状―若菜祝儀の鯛一折奉献を披露

    若菜の御祝儀として鯛一折を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は正月七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。朱に安永四年。冒頭の仝上は前文書の出典・正文所在を受ける。同日付の松平輝高の書状と同じ贈答を述べる別返書であり、鯛一折の記載が二度の奉献を示すとはいえない。正允は…

  84. 追録6-No.1234 重豪吉書―神社仏閣修造・勧農・国々年貢徴納の三条

    吉書と題し、第一に神社仏閣の修造・興行、第二に勧農を専らにすべきこと、第三に国々の年貢を徴納すべきことを掲げる。右の三箇条の旨に任せて沙汰があるべきこと、状は件の如しと結ぶ。末尾は安永四年正月十一日、重豪御判。出典は重豪公御譜中、正文は文庫。三条の方針・指示を記した文書として整理し、神社仏閣の修造、…

  85. 追録6-No.1235 重豪の痘瘡と芝邸への見舞・鮮干鱈下付・定国の代理礼謝

    安永四年正月、重豪が痘瘡にかかり、病床にあったと記す。同月二十七日、大家は御奏者戸田因幡守忠寛を芝邸へ遣わして病を問い、鮮干鱈一箱を賜った。大納言家基も忠寛によって見舞をしたと続ける。松平中務大輔定國が代わって恩旨を奉じ、直ちに登城して御奏者秋元攝津守永朝に就き、その恩に謝したと記す。二月二日に酒湯…

  86. 追録6-No.1236 重豪届書―疱瘡と河野仙寿院の薬の服用

    この節、疱瘡を煩い、河野仙壽院の薬を服用しているので、この段を聞き置いてほしいと届ける。末尾は正月二十五日、松平薩摩守。朱に安永四年とあり、右の届書二通を御用番松平右京大夫・阿部豊後守へ、留守居矢野清右衛門をもって差し出したとの注が続く。扣の正文は右筆所にあるとする。薬の処方内容や服用量、効能は記さ…

  87. 追録6-No.1237 松平定国口上書―痘瘡見舞・鮮干鱈拝領への名代礼と西丸への礼謝照会

    松平薩摩守が疱瘡を煩ったため、上使戸田因幡守による懇ろな見舞の上意を受け、さらに鮮干鱈を拝領し、大納言からも懇ろな上意を受けたことを、重ねてありがたいと述べる。名代である自分をもって御礼を申し上げるとし、末尾は正月二十七日、松平中務大輔、定國の注、朱に安永四年。別の朱注は、この口上書を中務大輔が廻動…

  88. 追録6-No.1238 伊勢貞矩申渡書―とみ・懸銭名目の多人集会の禁止

    近頃、諸所でとみ・懸銭などと名付けて多人が集まると聞いており、よくないので、このようなことが一切ないよう、与中・支配中へ漏れなく申し渡すよう命ずる。末尾は安永四年未正月、兵部、注に大目付伊勢貞矩。さらに外城にも申し渡すべき旨を付す。出典は朱記の雑抄中。とみ・懸銭の原語と、人数を多く集める行為への禁止…

  89. 追録6-No.1239 重豪伺書―酒湯後の鮮鯛一折拝領への御礼方法と御付紙の返答

    酒湯を浴したことに伴い、公方から御奉文をもって鮮鯛一折を拝領し、ありがたく存じるとして、その御礼をどのようにすべきか、指図を求める。末尾は二月四日、松平薩摩守、朱に安永四年。扣の正文は右筆所にあるとする。欄間の朱記は御付紙として不及此儀候と記し、御礼についての伺いに、その儀には及ばない旨の返答を付す…

  90. 追録6-No.1240 松平定国口上書―三番酒湯後の名代礼謝

    松平薩摩守が疱瘡を煩ったため、先月二十七日に上使戸田因幡守による懇ろな見舞の上意を受け、その上に鮮干鱈を拝領し、大納言からも懇ろな上意を受けたことを、重ねてありがたいと述べる。昨日、三番酒湯を浴したので、その御礼を名代である自分をもって申し上げると記す。末尾は二月七日、松平中務大輔、朱に安永四年。差…

  91. 追録6-No.1241 島津久金書状―虎寿丸誕生に伴う恩赦の先例照会

    虎寿丸の御誕生について、差し越す件なので、御恩赦を仰せ付けるべきかと以前の例を調べたが、誕生に伴う恩赦の書留は見当たらないと述べる。他方、隠居・家督・元服・官位などに伴う恩赦の先例はあり、誕生は別の重立った儀なので、元服・官位の節に準じて恩赦を仰せ付ける筋でもあろうかと、大御目付が吟味して申し出たと…

  92. 追録6-No.1242 喜入久福返書―虎寿丸誕生の恩赦仰出しと問合書四通の差送

    本文の伺いの通り、御恩赦を仰せ付ける旨が仰せ出されたことを伝え、別紙の問合書四通を差し越すと記す。付された日付は四月九日、署は喜入主馬で、目録は喜入久福返書とする。二月十七日付の嶋津左中書状が、虎寿丸誕生に伴う恩赦の先例を照会したことに対する、朱記の独立した返書として整理する。四通は添付・差送する問…

  93. 追録6-No.1243 松平輝高書状―歳暮の御内書引渡しに伴う家来差出指示

    歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう伝える。末尾は二月二十日、松平右京大夫、松平薩摩守殿宛。朱に安永四年。目録は松平輝高書状とし、本文の署名は官名のみである。出典は重豪公御譜中、正文は文庫。家来による御内書の受取りを指示する通知として整理し、薩摩守本人の登城命令や、受取りを済…

  94. 追録6-No.1244 虎寿丸の産神芝神明宮参詣と幕府への前日報告

    同年三月朔日、嫡子虎壽丸が初めて産神の芝神明宮へ赴き、拝したと記す。前日、留守居矢野清右衛門清香を月番老中板倉佐渡守勝清のもとへ遣わし、このことを告げたという。供奉を増やすため、初めてこれを告げたとの理由を付す。出典は重豪公御譜中。同年は安永四年の文脈にあり、朔日の参詣とその前日の報告を分ける。本文…

  95. 追録6-No.1245 虎寿丸の畜髪の記事

    同年十一月二十日、虎壽丸が畜髪したことを簡潔に記す。朱記には近秘野艸、齊宣公とある。同年は安永四年の文脈に置くが、本文の表記は同年である。具体的な髪形、元服の実施、年齢や理由は記されていない。続く斉宣御譜の産神参詣記事は三月朔日の別の記事で、十一月二十日の畜髪と同じ日へまとめない。

  96. 追録6-No.1246 斉宣御譜の虎寿丸産神芝神明宮参詣記事

    斉宣公御譜中の記載として、四年乙未春三月朔日、虎壽丸が初めて産神の芝神明宮に謁したと記す。前日に留守居矢野清右衛門清香を月番老中板倉佐渡守勝清の宅へ遣わして告げたと続け、供奉を増やすためであったと説明する。本文の四年乙未は安永四年に対応する。三月朔日の参詣と前日の報告を分け、報告先は板倉の宅として保…

  97. 追録6-No.1247 重豪袖判寄進状―浄国院殿菩提の百五十石を浄光明寺へ寄付

    高百五十石について、浄國院殿の菩提のため、延享四年卯十月から仏前諸料を相渡していたことを述べる。後に宗信の御判物でこの高を寄付しようと考えていたが、まだ整わないうちに宗信が卒したので、この度その高を寄付すると記す。御霊前の諸用を怠りなく行うよう求め、安永四年三月九日、浄光明寺宛とする。出典は重豪公御…

  98. 追録6-No.1248 重豪袖判寄進状―宥邦院殿菩提の百五十石を福昌寺へ寄付

    高百五十石を宥邦院殿の菩提のため寄付するとし、御霊前の諸用を怠りなく行うよう命ずる。末尾は安永四年三月九日、福昌寺宛。宥邦院殿には島津継豊の注がある。冒頭は仝上、正文在福昌寺とし、袖の花押No2の表示を付す。差出人は目録の重豪袖判寄進状に対応する。本文は寄付した高と菩提の対象・寺を明示するが、高の具…

  99. 追録6-No.1249 重豪袖判寄進状―慈徳院殿菩提の百五十石を福昌寺へ寄付

    高百五十石について、慈德院殿の菩提のため寛延二年巳七月から仏前諸料を相渡していたと述べる。後に重年の御判物でこの高を寄付しようと考えていたが、まだ整わないうちに重年が卒したので、この度その高を寄付すると記す。御霊前の諸用を怠りなく行うよう求め、末尾は安永四年三月九日、福昌寺宛、袖に御判とある。慈德院…

  100. 追録6-No.1250 重豪袖判寄進状―円徳院殿菩提の百五十石を福昌寺へ寄付

    高百五十石を圓德院殿の菩提のため寄付するとし、御霊前の諸用を怠りなく行うよう命ずる。末尾は安永四年三月九日、福昌寺宛、袖に御判の表示がある。圓德院殿には島津重年の注、正文は福昌寺とする。差出人は目録の重豪袖判寄進状に対応する。