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追録6の目録
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追録6-No.512 徳川家治御内書
端午の祝儀として帷子・単物が到来し、喜ばしく思うと知らせる。委細は松平右近将監が述べるとする。五月二日付、年は明和五年の朱注、家治公墨印と薩摩中将殿宛を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。
追録6-No.513 板倉勝清書状
端午の祝儀として使者をもって帷子・単物を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。五月二日付、年は明和五年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備え、年月日・署宛は次の段に続く。No.512と同じ祝儀を扱う献上披露の返書である。
追録6-No.514 重豪、八朔御礼の席を先格に復す
大家の例式で八朔の礼の席が先格と違っていたため、松平右近将監武元を介して願い出た件を記す。今年五月四日、武元が願書に小簡を添えて送り届け、以下に掲げるとする。目録は八朔御礼の席を先格に復すという表題である。願書と回答の具体的な畳位置は続くNo.515~516に収められる。
追録6-No.515 島津重豪願書
八朔の礼では二畳目に太刀を備え一畳目で礼を申し上げるよう前年冬に命じられた件について、代々の家格のとおりにするよう内々に願う。中将に任じられて以後、年頭・八朔とも御下段から四畳目に太刀を置き三畳目で礼をし、その他の節句も三畳目で礼をしてきたが、自分の代から八朔の席を引き下げられたことを残念とし、後代…
追録6-No.516 幕府達書
明和四年十二月十二日、池田筑後守からの達の写しとして、大広間で礼をする際の持参太刀の置所と礼位置を示す。年始は中将が御下段下から四畳目に太刀を置き三畳目で礼、少将は三畳目に置き二畳目で礼、侍従は二畳目に置き一畳目で礼、四品は御下段敷居内の一畳目に置き板縁で礼をする。八朔は中将・少将・侍従の区別なく御…
追録6-No.517 松平武元書状
御馬二疋を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。五月二十七日付、年は明和五年の朱注、武元の判を備える。口裏には松平右近将監と松平薩摩守殿宛の表示がある。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。
追録6-No.518 板倉勝清書状
御馬一疋を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。五月二十七日付、年は明和五年の朱注、勝清の判を備え、口裏には板倉佐渡守と松平薩摩守殿宛が記される。No.517は二疋、本書は一疋と記される。
追録6-No.519 阿部正右書状
今朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。六月十一日付、年は明和五年の朱注、正右の判を備える。口裏には阿部伊豫守正右と松平薩摩守殿宛が記される。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。
追録6-No.520 板倉勝清書状
今朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。六月十一日付、年は明和五年の朱注、勝清の判を備え、口裏には板倉佐渡守勝清と松平薩摩守殿宛の表示がある。No.519と同じ四品を扱う別差出の返書である。
追録6-No.521 重豪、正覚院殿の霊牌を福昌寺へ遷す
六月十三日、正覺院殿の霊牌を福昌寺の霊屋へ遷したことを記す。正覺院殿には重年室・貞範妙雅大姉の号と重豪の真母の付注があり、以前はその霊牌を恵燈院へ安置していたという。同日、川上久馬久致を代参とし、恵燈院への歳給廩米五石を附して、正覺院殿の齋食に充てる。重豪公御譜中の記事で、供養に用いる米は五石と記さ…
追録6-No.522 松平武元書状
端午の御内書を渡すため、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう命じる。六月二十四日付、年は明和五年の朱注、松平右近将監の署と松平薩摩守殿宛を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。家来の実名は記されず、御内書授受の準備を命じる内容である。
追録6-No.523 島津重豪訓諭書
御筆による仰せとして、表方役人の交替や新たな役入りの際の人選を吟味するよう命じる。各人には得手・不得手があるため、それぞれの仕事に適した者を選ぶことが肝要であり、筆者・小役人を任じる際にも、奉行・頭人がこの心得により吟味するとする。御役人に限って承知するよう申し渡すことを伝える。明和五年六月付、左京…
追録6-No.524 幕府廻状
大目付宛に、寺社の神事・仏事・開帳や平生の葵紋付き寄附品の扱いを命じる。今後、御女中様方からは容易に寄附せず、御三家その他大名の菩提所などは別として、それ以外へは寄附しないことを原則とする。これまで寄附された品については寺社奉行へ伺い、指図に従い、それ以外の寄附分は什物として置き、平生及び神事・仏事…
追録6-No.525 松平輝高書状
生見玉の祝儀として黄金十両を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。七月六日付、年は明和五年の朱注、輝高の判を備える。口裏には松平右京大夫輝高と松平薩摩守殿宛が記され、表示は次の段に続く。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。
追録6-No.526 板倉勝清書状
生見玉の祝儀として黄金十両を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。七月六日付、年は明和五年の朱注、勝清の判を備え、口裏には板倉佐渡守勝清と松平薩摩守殿宛の表示がある。No.525と同じ祝儀・献上額を扱う別差出の返書である。
追録6-No.527 重豪、雲雀を拝領し義弘百五十年忌を修す
七月十九日、上使渡邊圖書貞綱によって御鷹の捕えた雲雀を賜り、先格のとおり恩旨を拝受したことを記す。続けて二十一日、松齡公の百五十年忌法事を伊集院郷の妙円寺で修した記事を掲げる。松齡公には島津義弘の付注があり、法事は十九日から二十一日までの三日。番頭畠山數馬国通を寺へ遣わし、香奠銀十枚を納めて代拝させ…
追録6-No.528 松平康福書状
八朔の祝儀として使者をもって太刀一腰と馬代黄金十両を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。八月四日付、年は明和五年の朱注、康福の判を備え、口裏には松平周防守康福と松平薩摩守殿宛の表示がある。本文は前の段から続く。
追録6-No.529 板倉勝清書状
八朔の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。八月四日付、年は明和五年の朱注、勝清の判を備える。口裏には板倉佐渡守勝清と松平薩摩守殿宛の表示がある。No.528と同じ献上への別差出の返書である。
追録6-No.530 近衛内前書状
相国宣下のことを畏れ喜び、その祝意を述べた賀札と、目録のとおり贈られた品を受けて、丁寧で満足したと返す。八月十日付、年は明和五年の朱注。花押No.1には近衛内前の付注があり、薩摩中将とのへ宛を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。贈物の品目・数量、相国宣下の日は本書には記されない。
追録6-No.531 樺山久智・菱刈実詮連署申渡書
厳しい倹約について先に出された書付の「万端の御事を差し欠く」という趣旨が、格式を問わず支出さえ減ればよいと取り違えられ、利欲に惑い風俗を乱すようになることは思し召しに合わないと伝える。第一の目的は驕費をなくすことで、各事をできるだけ工夫して節減しても、格式を守るべき事を取り混ぜず吟味し、将来困窮に至…
追録6-No.532 樺山久智申渡書
江戸居付士の二男以下の者には御番入りを仰せ付けないという先年の命令は現在も続くが、初回の御目見は許されると伝える。今後、御目見を済ませた者は従来どおり与帳へ載せ、与頭へ申し渡して、該当する面々へ知らせておくよう命じる。明和五年九月付、左京の署を備え、正文の写しは文庫にある。包紙の記録では九月二十九日…
追録6-No.533 徳川家治御内書
重陽の祝儀として小袖一重が到来し、喜ばしく思うと知らせる。委細は阿部伊豫守が述べるとする。九月七日付、家治公墨印と薩摩中将殿宛を備え、正文は文庫にあるという。年は目録の明和五年に対応する。No.534は同じ小袖献上についての披露報告である。
追録6-No.534 板倉勝清書状
重陽の祝儀として使者をもって小袖一重を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。九月七日付、年は明和五年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.533の御内書と同じ祝儀を扱う勝清の返書である。
追録6-No.535 島津久柄、麑府を訪う
九月、島津淡路守久柄が居城佐土原を発ち、九日に初めて麑府へ来て十五日に登城したことを記す。重豪は江府にいたため、家老らに接待させ、贈惠を行い、久柄の願いに応じて宗家伝来文書のうち鎌倉以降の将軍家下文・教書・感牘などを見せた。久柄はおよそ三旬留まり、その間に府下の寺院へ参り、宗室の祖廟を拝し、親戚・故…
追録6-No.536 島津重豪書状
年始の嘉儀として使簡を差し渡し、目録のとおり贈物を寄せたことについて、入念な心遣いを喜び、恐縮する旨を中山王へ返す。十月四日付、中将重豪御判と謹上中山王の表示を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は琉球国司にあるという。年は目録の明和五年に対応し、使簡の送り手は中山王、返書の送り手は重豪である。
追録6-No.537 島津重豪書状
御鷹の鶴を拝領したことへの祝儀として、中山王が宮城親方を遣わし、太刀・馬代白銀百両及び目録に記した品を贈った件について、芳簡を披見し、入念な心遣いを喜び、恐縮する旨を返す。十月四日付、年は明和五年の朱注、中将重豪御判と謹上中山王の表示を備える。本文・年月日・署宛は次の段に続く。
追録6-No.538 島津重豪書状
王子付き医師が剃髪して赴く件を許可したことへの謝礼として、中山王がこのたび宮城親方を遣わし、別録の品を贈ったことについて、芳墨を披見し、入念な心遣いが過分で恐縮する旨を返す。十月四日付、年は明和五年の朱注、中将重豪御判と謹上中山王の表示を備える。No.537も宮城親方と贈物を扱うが、本書は医師の剃髪…
追録6-No.539 島津重豪書状
芳札を披見し、ますます平安であることをめでたいとし、こちらも無事なので安心するよう伝える。紺縮緬五巻を贈られたことについて、懇ろな心遣いに謝意を述べる。十月四日付、年は明和五年の朱注、薩摩守重豪御判と中山王回章の表示を備える。贈物の送り手は中山王、返書の送り手は重豪である。
追録6-No.540 重豪、孝子を褒賞す
大隅の高山郷宮下村の農民作次郎がよく父母に仕え、隣邑でも称賛されていたことを記す。今年十月十五日、その孝行を賞して米三石を与えた。重豪公御譜中の記事で、賞の対象は作次郎、父母はその孝行の相手である。
追録6-No.541 阿部正右書状
重陽の御内書を渡すため、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう命じる。十月二十二日付、年は明和五年の朱注、阿部伊豫守の署と松平薩摩守殿宛を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。御内書授受の準備を命じる内容で、家来の実名は記されない。
追録6-No.542 幕府指図書
大納言へ破魔弓・菖蒲御兜を今後献上する必要はなく、とくに破魔弓は当年の歳暮から献上不要とする。献上している面々へ、このとおり伝えるよう命じる。明和五年十一月付、大目付宛の指図で、正文の写しは江戸家老座にあるという。
追録6-No.543 幕府大目付廻状
松平右近将監殿から渡された書付の写し一通を伝達し、順達の最後から本書を大井伊勢守方へ返すよう指示する。十一月十二日付、大目付の表示、松平薩摩守殿宛、外御連名略・右留守居の記載を備える。朱注は、大目付の廻状と書付写しが大井伊勢守方から届き、松平陸奥守様衆へ順達し、写しを差し上げた旨を佐久間新左衛門が申…
追録6-No.544 小松清香・河野通古連署申渡書
惠燈院へ仏詣した際に住持が拝領する定めであった、年頭の初回仏詣の青銅三十疋と、帰国時の初回仏詣の青銅二十疋について記す。正覺院様の位牌が福昌寺の位牌所へ遷座したため、この支給の定めを規模帳から除き、承知しておくよう記録奉行へ申し渡すとする。明和五年十一月付、帯刀・外記の署があり、帯刀には小松清香、外…
追録6-No.545 重豪、御鷹の鶴を拝領す
十二月十六日、大樹家治公が興津左京忠央を使者として、御鷹の捕えた鶴一隻を賜ったことを記す。重豪にはこの頃寒疾の憂いがあったため、名代として相良越前守福将に恩旨を受けさせ、その後老中の宅へ赴いて拝謝させた。興津には使番の付注があり、重豪公御譜中の記事である。
追録6-No.546 板倉勝清書状
今朝、蜜柑二箱・炙鮎一箱を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。十二月十八日付、年は明和五年の朱注、勝清の判を備える。口裏には板倉佐渡守勝清と松平薩摩守殿宛が記される。正文は文庫にあるという。
追録6-No.547 松平康福書状
今朝、蜜柑二箱・炙鮎一箱を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。十二月十八日付、年は明和五年の朱注、康福の判を備え、口裏には松平周防守康福と松平薩摩守殿宛の表示がある。No.546と同じ二品・数量を扱う別差出の返書である。
追録6-No.548 重豪、吾平山陵神殿を造立す
大隅国肝属郡姶良郷の鵜戸権現を古い神陵とし、葺不合尊を葬ると伝える。吾平山陵と呼び、神迹が甚だ奇しいと記す。神殿は長く荒廃していたため、明和五年に再造営し、秋八月に工事を起こして冬十月に完成した。十二月十八日の夜に神霊を勧請し、翌十九日に安鎮の法を修め、番頭小松仙十郎清行を代参とした。小字注は薩摩・…
追録6-No.549 徳川家治御内書
歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは松平周防守が述べると伝える。十二月二十七日付、年は明和五年の朱注、家治公の墨印と薩摩中将殿宛を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。
追録6-No.550 板倉勝清書状
歳暮の祝儀として使者をもって小袖一重を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。十二月二十七日付、年は明和五年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.551 明和六年重豪公辺記事
朱注に引書名を掲げた明和六年の重豪公辺記事。正月元旦に御庭三社を詣で守宮を訪れ、二日に東帯へ造朝賀正、三日に家老、大野多宮・新納次郎四郎らの献太刀を受け、親しく酒を与えた。四月二十七日の賜告、翌日の朝拝・賜馬、小疾のための出行願と大閤の許可、八月十三日の守宮の餞、十九日の夫人の餞、二十五日の芝邸出発…
追録6-No.552 松平武元書状
若菜の祝儀として鯛一折を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。正月七日付、年は明和六年の朱注、武元の判と口裏の松平右近将監武元・松平薩摩守殿宛を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。
追録6-No.553 板倉勝清書状
若菜の祝儀として鯛一折を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。正月七日付、年は明和六年の朱注、勝清の判を備え、口裏には板倉佐渡守勝清と松平薩摩守殿宛が記される。No.552と同じ献上を扱う別差出の返書である。
追録6-No.554 島津重豪吉書
神社仏閣の修造・興行、勧農に専念すること、国々の年貢の徴納という三箇条を掲げ、この趣旨に従って沙汰するよう命じる吉書。明和六年正月十一日付、重豪御判を備える。正文は文庫にあるという。朱注は、包紙に丑二月十五日に左京殿から郡山主右衛門へ渡し、白木御文書五番箱へ納めたとの記録があることを伝える。
追録6-No.555 重豪、忠国の三百年忌を修す
明和六年正月二十日、深固院で大岳公の三百年忌法事を一日修めたことを記す。大岳公には島津忠国との付注があり、番頭頴娃波江久喬を遣わして香奠銀五枚を納め、代拝させた。重豪公御譜中の記事である。
追録6-No.556-1 幕府触書
上方筋で百姓が強訴などのために集まっているとの報告があるため、できる限り鎮め、なお鎮め難い場合には召し捕るよう命じる。一領分だけでは処置が行き届き難いこともあるので、幕府領・私領とも協力し、幕府領や他領の者であっても最寄りの場所から人数を出して召し捕り、その後に御代官または領主・地頭へ引き渡すよう求…
追録6-No.556-2 幕府触書追加
上方筋の百姓が強訴などのために集まっているとの報告に対し、できる限り鎮め、困難であれば召し捕るよう命じる。領分だけでは行き届かないこともあるので幕府領・私領で協力し、幕府領・他領の者にも最寄りから人数を出して召し捕り、御代官または領主・地頭へ引き渡すとする。先に江戸で飛道具などの使用を無用とする触れ…
追録6-No.556-3 幕府触書
遠国の百姓が含所で寄合を企て廻状を出し、外村の者まで集め、村役人や遺恨のある者の家・道具を打ち損じたうえで、数箇条の願いを申し立てる事例を挙げる。これは公儀を軽んじ領主を侮る行為であり、百姓の不用意な行動や狼藉・不法を防ぐため、穏便に鎮めることを専らとする。百姓を憐れむことは当然であるが、徒党を結ん…
追録6-No.557 松平康福書状
歳暮の御内書を渡すため、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう命じる。三月六日付、年は明和六年の朱注、松平周防守の署と松平薩摩守殿宛を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。授受の準備を命じる書状で、家来の実名は記されない。
追録6-No.558 島津重豪願書
先例どおり国許への暇を与えられたことに伴い、帰国の際は少人数で程ヶ谷駅から相州鎌倉へ立ち寄り、先祖の廟所に仏詣したうえ、その日のうちに藤沢駅へ宿泊したいと伺う願書。四月十一日付、年は明和六年の朱注、松平薩摩守の署を備え、控の正文は江戸家老座にあるという。御附紙の朱記は願いのとおりとしてよいとの許可を…
追録6-No.559 重豪、帰国の暇を賜るを謝す
四月二十七日、家治公が阿部伊豫守正右を芝邸へ遣わして重豪に帰国の暇を与え、縮緬三十巻・白銀百枚を賜ったことを記す。同日、儲君家基公も板倉佐渡守勝清を芝邸へ遣わし、紗綾二十巻を賜り、これは先例とする。重豪は即日、老中各位の宅へ赴いて拝謝した。翌二十八日には登城し、黒書院で家治公に拝謁して暇を賜ったこと…
追録6-No.560-1 年季者抱并拝借銀案文
年季者を召し抱える際の案文。外城・村・門、奉公人の子・弟・娘の別、姓名・年齢、百姓の持主、奉公年数を空欄にし、奉公の希望があるので、許可を得たうえで雇銀を相対で渡して抱え置きたいと願う。雇用中に諸外城や本在所へ遣わすこと、抱の名代にすることはしないと誓い、法に背いた場合はどのような沙汰でも受けるとす…
追録6-No.560-2 月限雇案文
江戸詰に伴う月限雇用の案文。外城・村・門、奉公人の子・弟・娘の別、姓名・年齢、百姓の持主を空欄にし、このたび江戸詰となるため十五か月の雇奉公を希望した者を、許可を得て雇銀を相対で渡し召し抱えるとする。江戸詰を重ねる場合には重雇銀も相対で渡すとする。雇用中に不要となった場合や「抱主人相直の儀」がある場…
追録6-No.560-3 先年抱案文
先年の年季御証文によって別の者に抱え置かれた百姓について、先の抱主には不要となり、残りの年季の満了まで新たな抱主のもとで奉公したいと申し出た場合の案文。許可を得て雇銀を相対で渡し召し抱えるとする。雇用中に諸外城や本在所へ遣わすこと、抱の名代にすることはしないと誓い、法に背いた場合はどのような沙汰でも…
追録6-No.560-4 抱者雇替返証文案文
前条の抱替えに関する返証文の案文。許可を得て自分のもとへ召し抱えていた百姓が不要となり、残りの年季の満了まで別の者のもとへ召し抱えたいという趣旨を承知したので、法に従って沙汰するよう求める。年季御免の年・季・月、百姓の姓名・年齢・持主、新たな抱主、年月・署名は空欄で、覚の形式と御郡方宛を備える。前条…
追録6-No.560-5 船手浦水主召抱案文
家計が差し迫った浦水主が、御船御免証文によって十年の年季で奉公したいと申し出た場合の召抱え案文。定められた雇銀を渡して召し抱え、定額以外の増銀を出して抱えることはしないとする。年季満了時には早く申し出て本浦へ返し、雇銀の返済は相対で処理する。私抱えの間、諸外城へ賃を取って日雇いに出すこと、抱の名代に…
追録6-No.561 仕登物積船難船之節心得書
他領で仕登物を積む船が難船した場合の心得。昨年の申渡しに従い穆佐・倉岡・綾からの役一人と高岡横目一人を派遣し、三か所の役に差し支えがあれば山之口から代替派遣する。難船の次第と御用物の損傷は品ごとに勝手方へまず概報し、詳細は追って報告する。急を要しなければ飛脚を特に立てず便宜による。正米は濡米と同じ入…
追録6-No.562 徳川家治御内書
端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜び、詳しいことは松平右京大夫が述べると伝える。五月二日付、年は明和六年の朱注、家治公の墨印と薩摩中将殿宛を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。品の数量は記されない。
追録6-No.563 板倉勝清書状
端午の祝儀として使者をもって帷子・単物を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。五月二日付、年は明和六年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。品の数量と使者の実名は記されない。
追録6-No.564 島津重豪願書
このたび帰国の暇を与えられて国元へ向かうが、まだ男子がいないため、在国中に不慮のことが起きた場合には、国元へ置いている島津杢に相続させ、跡職を相違なく与えるよう願う。杢には久峯との注があり、当年三十八歳とする。重豪との続柄は原文に「私大叔父、実叔父之続」と記す。五月六日付、年は明和六年丑の朱注、松平…
追録6-No.565 登城令書
松平薩摩守に国許への暇と拝領物を与えることになったため、翌日の五半時に登城し、暇の御礼を申し上げるよう命じる。あわせて家来一人の御目見を命じるので、召し連れて出るよう求める。写しの正文は右筆所にあるという。朱注は日付がないのが原本のままであることを示す。続く短い指図は、暇に伴い大納言から拝領物を与え…
追録6-No.566 重豪、福昌寺殿堂を修補す
この年、福昌寺の殿堂を修造して葺き上げるにあたり、五月十四日、城北の吉野邑から寺へ茅を送ったことを記し、これは先例によるとする。島津玄蕃貴澄を名代とし、家老島津左中久金が随従し、府下の士も多くそのことに従事した。続けて、重豪はすでに帰国の暇を与えられたものの、病気のため出発できず、しきりに期限の延期…
追録6-No.567 島津重豪届書
国元への暇を与えられたため江戸を出発するはずであったが、積気に加えて痔疾の痛みが起こり、暑さに向かって長途を旅行するのが難しいため、しばらく保養し、快くなれば早く出発すると届ける。五月二十一日付、年は明和六年の朱注、松平薩摩守の署を備え、控の正文は江戸家老座にあるという。朱注は届書一通を即日、留守居…
追録6-No.568 島津重豪願書
四月に帰国の暇を与えられたが、積気と痔疾の痛みのため長途の旅行が難しく、保養して快くなれば早く出発する旨を先月、用番松平右近将監へ届けたと述べる。武田長春院の薬を服用して養生したが回復せず、出立できる状態ではない。暑さに向かう遠い旅行はおぼつかないという長春院の意見により、可能であれば当年の秋中まで…
追録6-No.569 松平輝高書状
今朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。六月二十一日付、年は明和六年の朱注、輝高の判を備え、口裏には松平右京大夫輝高と松平薩摩守殿宛が記される。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。
追録6-No.570 板倉勝清書状
今朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。六月二十一日付、年は明和六年の朱注、勝清の判を備え、口裏には板倉佐渡守勝清と松平薩摩守殿宛が記される。No.569と同じ四品・数量を扱う別差出の返書である。
追録6-No.571 松平武元外二名連署状
生身玉の祝儀として黄金十両を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。七月六日付、年は明和六年の朱注、松平周防守康福・松平右京太夫輝高・松平右近将監武元の三判と松平薩摩守殿宛を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。
追録6-No.572 板倉勝清書状
生見玉の祝儀として黄金十両を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。七月六日付、年は明和六年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.571と同じ日・数量の献上を扱う別差出の返書で、祝儀名は本書では生見玉と記す。
追録6-No.573 福昌寺仏殿上梁銘
福昌寺仏殿の上梁銘で、正文は福昌寺にあるという。西面の銘は宝殿の修復と輪奐の壮麗な姿をたたえ、玉龍にそびえる三州の法窟が永く鎮まることを頌する。明和六年己丑の夷則吉辰と記し、夷則に七月との付注がある。末尾は源重豪敬白とする。東面の銘は高くそびえる大宝殿と護法の尊王公をたたえ、長く無量劫を経ること、仏…
追録6-No.574 重豪、佐土原久柄の胞弟大和の称号等を許す
同年初秋七月、日州佐土原城主島津淡路守久柄の胞弟大和が新しく家を立てようとして、島津の称号・諱名・家紋を願い、重豪が許したことを記す。あわせて庶子の称号・諱名なども定め、その詳細を以下に載せるとする。大和は本文では久柄の胞弟と記され、許可内容の具体的な家格・座席・諱字・紋所は後続文書で示される。
追録6-No.575 島津重豪内意書(家老三名連署)
舎弟大和に新地を与えて新家を立てたいという伺いを上聞した結果、島津の称号と久の字を許し、家格は島津敬次郎と同様、座席は敬次郎の次、紋所は十文字崩を用いるよう命じられたと伝える。大和には久武、敬次郎には忠就の長庶子久智との注がある。大和の嫡子には代々、島津の称号・久の字・十文字崩の紋所を許す。一方、二…
追録6-No.576 島津重豪内意書(敬次郎家の称号等改定)
島津敬次郎家では二男まで代々、島津の称号と久の字を名乗るよう正徳三年十月に命じられ、当時は一門家にも同様の家格があったと述べる。その後、先代が格式を改め、現在は二男まで称号を与える家筋がなくなっており、相手方の家中もこちらの格式に従う旨をすでに承知しているため、敬次郎家の従来の扱いを現行格式に合わせ…
追録6-No.577 樺山久智書状
挨拶に続け、舎弟大和に新地を与えて新家を立て、島津の称号と久の字、敬次郎と同じ家格、敬次郎の次席、十文字崩の紋所を求めた伺いについて、別紙の連名書付のとおり命じられたと報じる。また、敬次郎家には二男まで島津の称号と久の字を許していたが、現在の一門家以下にはその家格がないため、敬次郎家の二男についても…
追録6-No.578 樺山久智申渡書
御記録奉行へ、大和に新地二百石を与えて新家を立て、島津の称号と久の字、敬次郎と同じ家格、敬次郎の次席、十文字崩の紋所を求めた伺いについて、別紙のとおり命じられたことを伝える。敬次郎家には正徳三年、二男まで称号と久の字を許していたが、現在の格式に合わないため、今後は二男から称号・久の字を避け、差し障り…
追録6-No.579 松平武元外二名連署状
八朔の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。八月四日付、年は明和六年の朱注、松平周防守康福・松平右京大夫輝高・松平右近将監武元の三判と松平薩摩守殿宛を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。
追録6-No.580 板倉勝清書状
八朔の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。八月四日付、年は明和六年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.579と同じ品・数量を扱う別差出の返書である。
追録6-No.581 島津重豪届書
国許への暇を与えられ出発するはずであったが、積気と痔疾の痛みで出発が難しく、秋中まで江戸に滞在して養生する願いを申し上げ、願いどおり命じられたことへの謝意を述べる。療養に努めて少し快方に向かったので、近日中に押して出発する予定であることを聞き置くよう届ける。八月二十一日付、年は明和六年の朱注、松平薩…
追録6-No.582 島津重豪書状
年始の嘉儀として使簡を差し渡し、とくに目録のとおり贈物を寄せたことについて、心遣いを喜ぶと伝える。八月二十二日付、年は明和六年の朱注、中将重豪御判と謹上中山王の宛記を備える。正文は琉球国司にあるという。贈物の具体的な品名・数量は本書では目録参照とする。
追録6-No.583 島津重豪書状
芳墨を披見し、去戌年に大清国へ差し渡した進貢使知花親雲上が北京での勤めを終え、去歳十二月に帰帆したという書札の趣旨が伝わったと述べる。そのことにより、この節、知花をもって別録のとおり品を贈られたことについて、懇ろな心遣いに謝意を示す。八月二十二日付、年は明和六年の朱注、中将重豪御判と謹上中山王の宛記…
追録6-No.584 島津重豪書状
芳札を披見し、ますます平安であることをめでたいとし、こちらも無事なので安心するよう伝える。縮布五端を贈られたことについて、懇ろな心遣いに謝意を述べる。八月二十二日付、年は明和六年の朱注、薩摩守重豪御判と中山王回章の表示を備える。贈物の送り手は中山王、返書の送り手は重豪である。
追録6-No.585 島津重豪書状
芳札を披見し、大清からの賜物である金入龍紋緞子一巻・色緞子一巻を贈られたことについて、心遣いを喜び、謝意を述べる。八月二十二日付、年は明和六年の朱注、薩摩守重豪御判と中山王回章の表示を備える。清から賜った品を中山王が重豪へ贈った内容で、二種類それぞれ一巻の数量を記す。
追録6-No.586 重豪、帰国の途に鎌倉に詣ず
四月に帰国の暇を得た重豪が宿疾のため東都に数か月滞在し、少し回復したので八月二十五日に芝邸を押して出発したことを記す。川田国福、島津登久連・山岡久澄、伊地知季周・関山金郷らが随従した。先に許可を得た程ヶ谷から鎌倉への立寄りを実施し、頼朝・忠久の廟、白旗大明神、鶴岡八幡宮、相承院を詣でた。原文は程ヶ谷…
追録6-No.587 有川貞厚届書
松平薩摩守が去る二十五日に江戸を出発し、翌日に鎌倉へ仏参に向かったところ、大風雨による満水・橋の落下で藤沢駅へ通行できず、やむを得ず引き返して雪ノ下でその夜を過ごしたことを届ける。昨日二十七日の早朝に出発して藤沢駅へ到着した旨が旅中から届いたので、その内容を報告するとする。八月二十八日付、年は明和六…
追録6-No.588 重豪、「君道」を編ましむ
この春、重豪が郡山次郎左衛門遜志、山田司明遠、兒玉主左衛門實識に命じ、古の聖賢による修己・治人の大略を選ばせたことを記す。夏の六月に成立し、三巻からなり、題を君道として智・仁・勇で分編した。座右に置いて観省の用に備え、侍臣へ、子孫に伝えて亀鑑とすべきことを述べた。また一部を文庫へ収め、永久に伝えると…
追録6-No.589 二階堂行旦申渡書
君道の智・仁・勇の巻、三冊についての申渡書。重豪の意向で、この春、郡山次郎左衛門へ聖賢の行事・政道の類を山田司・兒玉主左衛門と相談して編集し提出するよう命じ、成立して差し上げたところ、常に御側へ置いて閲覧することになったと記す。さらに一部を御記録所へ渡し、子孫にも長く伝えて鑑戒としたいとの意向により…
追録6-No.590 徳川家治御内書
重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは松平右近将監が述べると伝える。九月七日付、年は明和六年の朱注、家治公の墨印と薩摩中将殿宛を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。
追録6-No.591 阿部正允書状
重陽の祝儀として使者をもって小袖一重を献じたことについて、披露したところ一段の御仕合であったと伝える。九月七日付、年は明和六年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。冒頭の「全上」は前掲文書と同じ出典を示す。
追録6-No.592 松平輝高書状
御札を披見し、公方様・大納言様の御機嫌を尋ねたことに対し、ますます御安全なので安心するよう伝える。あわせて干鱠残魚一箱を献じた件について、各々申し談じて披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。九月二十二日付、年は明和六年の朱注、松平右京大夫輝高の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるとい…
追録6-No.593 阿部正允書状
御札を披見し、公方様・大納言様の御機嫌を尋ねたことに対し、ますます御安全なので安心するよう伝える。あわせて干鱠残魚一箱を献じた件について、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。九月二十二日付、年は明和六年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。前掲の松平輝高書状と同じ献上品を扱う…
追録6-No.594 重豪室徳川氏卒す
重豪の妻徳川氏が出産し、子はほどなく亡くなったこと、妻も腫満の病を発し、医療により一時少し快方に向かったことを記す。九月二十三日には胸膈に積塊が生じ薬餌が通らず病状が悪化し、二十六日に東都の芝邸で死去した。法諱は慈照院殿圓應靈珠大姉。二十七日の夜に納棺し、二十九日の夜、霊柩は芝邸東門を出て芝大円寺へ…
追録6-No.595 田沼意次書状
御札を披見し、公方様・大納言様の御機嫌を尋ねたことに対し、ますます御安全なので安心するよう伝える。あわせて肴一種を献じた件について、紙面の趣旨を承知したと知らせる。九月二十七日付、年は明和六年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.596 松平武元外三名連署奉書
妻女が死去したことを上聞したところ、愁傷であろうとの思召があったので、その旨を御意によって伝えるとする四名連署の奉書。九月二十八日付、年は明和六年の朱注、板倉勝清、松平康福、松平輝高、松平武元の四名の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.597 島津久金外二名家老連署申渡書
弓・鉄炮の稽古で賭勝負を企てる者があると聞き、稽古の本意に背き、自然に風俗もよくない方向へ進むため、以後の賭勝負を無用とするよう命じたことを伝える。稽古には専ら心を掛けて励み、実儀を失わないようにとの意向である。この趣旨を御家老・若御年寄・大御目付へ召し出して重豪が直接命じたので、謹んで承知して守り…
追録6-No.598 島津重豪加冠仮名書出
嶋津鐵熊の加冠に際し、「筑後」とするよう指定する書出。明和六年丑十一月十五日付、重豪公御判を備える。正文は島津播磨にあるという。仮名の指定を示すもので、本書だけで加冠の実施済みまでは記さない。
追録6-No.599 板倉勝清書状
御札を披見し、公方様・大納言様の御機嫌を尋ねたことに対し、ますます御安全なので安心するよう伝える。あわせて琉球熬海鼠一箱を献じた件について、各々申し談じて披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。十一月十五日付、年は明和六年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.600 阿部正允書状
御札を披見し、公方様・大納言様の御機嫌を尋ねたことに対し、ますます御安全なので安心するよう伝える。あわせて琉球熬海鼠一箱を献じた件について、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。十一月十五日付、年は明和六年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。前掲の板倉勝清書状と同じ献上品を扱…
追録6-No.601 田沼意次書状
御札を披見し、公方様・大納言様の御機嫌を尋ねたことに対し、ますます御安全なので安心するよう伝える。あわせて肴一種を献じた件について、紙面の趣旨を承知したと知らせる。十一月十八日付、年は明和六年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.602 松平武元外三名連署奉書
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。参勤の時期を使者によって尋ねたことを上聞したところ、来年四月中に参府すべき旨が命じられたので、その趣旨を承知するよう知らせる。十一月二十五日付、年は明和六年の朱注、板倉勝清、松平康福、松平輝高、松平武元の四名の…
追録6-No.603 板倉勝清書状
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。参勤の時期を使者によって尋ねた件について、紙面の趣旨を承知したと知らせる。十一月二十五日付、年は明和六年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。本書には翌年四月中に参府すべきとの具体的な命令は記され…
追録6-No.604 田沼意次書状
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。参勤の時期を使者によって尋ねた件について、紙面の趣旨を承知したと知らせる。十一月二十七日付、年は明和六年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.605 板倉勝清書状
御札を披見し、妻女の死去に際する御意を奉書で伝えたことについて、ありがたいとの意向を理解したと述べる。その礼として使者を差し越した件を、紙面のとおり各々申し談じて上聞したと知らせる。十一月二十七日付、年は明和六年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。