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追録6の目録
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追録6-No.906 松平武元書状
今朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上したことを披露したところ、一段の御仕合いであったと知らせる。六月二十五日付、年は明和九年の朱注、正文は武元の判を備え、松平薩摩守殿へ宛てる。在口裏の朱注として松平右近将監武元の名を掲げる。
追録6-No.907 阿部正允書状
今朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上したことを披露したところ、一段の御仕合いであったと知らせる。六月二十五日付、年は明和九年の朱注、正文は正允の判を備え、松平薩摩守殿へ宛てる。在口裏の朱注として阿部豊後守正允の名を掲げる。
追録6-No.908 樺山久智申渡書
名遠慮を申し渡した際、諸座の一旦の寄筆者が改名を願う場合は、与へ申し出るよう定める。また、各座で差し支えがあり改名願を申し出る場合には、その一旦の寄筆者の支配頭へ願い出るよう求める。今後そのように心得る旨を与頭に申し渡し、諸座にも伝えるよう命じる。ただし一旦の寄役についても、すべて右の扱いに準ずると…
追録6-No.909 喜入久福申渡書
町家が繁華になれば商人が多く帰り入り、自然に賑わうとして、今後は城下で稼ぐために入る他国人を見込んで居付けさせることを認め、縁組も勝手次第とする。上方その他の国の奉公人も、男女を問わず抱え入れることを認める。これは町家に限らず、奉公人を諸人が抱えることも勝手次第とする。町家の者が当分、上方や長崎など…
追録6-No.910 喜入久福・小松清香連署申渡書
諸外城で「曖」の差し支えにより寄役を願い出て、そのとおり命じられた者は、高帳その他の書付にも「曖連名」として申し出る扱いであると記す。一方、地頭前にある与頭の内から一往「曖方に差寄」せて勤めるよう命じられた者については、寄曖と同じように連名する扱いと取り違える事例があると聞いたため、今後はその者の書…
追録6-No.911 板倉勝清書状
生見玉の祝儀として黄金十両を献上したことを披露したと知らせる。一段の御仕合いであったと述べる。七月六日付、年は明和九年の朱注。正文の判と松平薩摩守殿宛、在口裏の朱注による差出人の官名を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.912 阿部正允書状
生見玉の祝儀として黄金十両を献上したことを披露したと知らせる。一段の御仕合いであったと述べる。七月六日付、年は明和九年の朱注。正文の判と松平薩摩守殿宛、在口裏の朱注による差出人の官名を備える。
追録6-No.913 阿部正允書状
今朝、干菓子一箱を献上したことを披露したと知らせる。七月十九日付、年は明和九年の朱注。正文の判と松平薩摩守殿宛、在口裏の朱注による差出人の官名を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.914 重豪、加治木郷の市人銀右衛門を褒賞す
始羅郡加治木郷村の市人銀右衛門は、歳饑の際に私蔵の米・粟を出し、窮民数百人を賑救した。そのため今茲秋七月に青銅千匹を与えて褒賞したと記す。
追録6-No.915 松平輝高書状
八朔の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上したことを披露したと知らせる。一段の御仕合いであったと述べる。八月四日付、年は明和九年の朱注。正文の判と松平薩摩守殿宛、在口裏の朱注による差出人の官名を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.916 阿部正允書状
八朔の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上したことを披露したと知らせる。一段の御仕合いであったと述べる。八月四日付、年は明和九年の朱注。正文の判と松平薩摩守殿宛、在口裏の朱注による差出人の官名を備える。
追録6-No.917 小松清香申渡書
太守様の御舎弟分とされ、加治木家跡の相続を命じられた嶋津太郎次郎について、兵庫殿と名を改め、座席を嶋津備前殿の次と命じられたので、その旨を御記録奉行へ申し渡すよう求める。嶋津備前殿に垂水家との注がある。本文末は八月・帯刀。白木御文書五番箱の写しで、包紙には辰八月二十二日、嶋津太郎次郎が加治木家跡を相…
追録6-No.918 重豪、塔之沢・熱海で湯治す
江府にいる重豪はこの頃寒温の疾があり、相州塔之沢で温泉に浴して治したいと願い、大家が許した。九月六日に江戸を発ち、八日に相州塔之沢へ到着して二十余日湯治した。十月二日に塔之沢を去り、豆州熱海へ向かって二日浴湯し、五日に熱海を発ち、八日に江府芝邸へ戻った。その後も痾はまだ癒えず、朝へ出ることができなか…
追録6-No.919 島津重豪願書
近頃、疝積気が強く時々発し、そのほか持疾もあって難儀していると述べる。湯治がよいと武田長春院が申したので、相州塔之沢で湯治したく、もし適さなければ豆州熱海へ向かって入湯したいとして、三廻の休暇を願う。九月二日付、年は明和九年の朱注、署は御名。控正文は右筆所にあるという。
追録6-No.920 田沼意次書状
なお、病気ならば名代を差し越すよう求める。申し伝えることがあるので、ただ今、自分の宅へ来るよう知らせる。九月四日付、年は明和九年の朱注、田沼主殿頭と署し、松平薩摩守殿へ宛てる。正文は文庫にあるという。
追録6-No.921 幕府指図書
病気のため相州塔之沢で湯治する休暇を願ったので、願いのとおり入湯三廻の休暇を与える。塔之沢が適さなければ、豆州熱海へ入湯することも勝手次第と知らせる。松平薩摩守を宛先とし、在口裏の朱注にも松平薩摩守にと記す。独立の年月日・署名は記さない。
追録6-No.922 幕府指図書
願いのとおり湯治の休暇を与えたことに伴い、留守中の増上寺火之番について、出火などの際には人数だけを差し出すよう心得ることを求める。九月付、年は明和九年の朱注、松平薩摩守を宛先とし、在口裏にも松平薩摩守にとの朱注がある。正文に日は記さず、目録は九月七日とする。
追録6-No.923 島津重豪伺書
願いどおり湯治休暇を与えられ、近日中に当地を出発するため、塔之沢へ到着すれば両御丸へ飛札で届けたいと伺う。また、入湯中の御機嫌伺いをどうすればよいか指図を求める。御附札は伺いのとおりにするよう指示している。九月四日付、年は明和九年の朱注、松平薩摩守の名を記す。控正文は右筆所にあるという。
追録6-No.924 徳川家治御内書
重陽の祝儀として小袖一重が到来し、歓覧したと伝える。詳しいことは松平右近将監が述べるという。九月七日付、年は明和九年の朱注、家治公の墨印を備え、薩摩中将殿へ宛てる。正文は文庫にあるという。
追録6-No.925 島津重豪書状
年始の嘉儀のため差し渡された使簡と、別録の表どおり贈給された品について、入念であることを喜んだと知らせ、今後の喜ばしい時を期すると結ぶ。九月十一日付、年は明和九年の朱注、中将重豪の御判を備え、謹上中山王と宛てる。正文は琉球国司にあるという。
追録6-No.926 島津重豪書状
芳簡を披見し、御鷹の鶴を拝領した祝儀として具志川親方を差し渡され、とりわけ太刀・馬代黄金十両と目録のとおりの品を贈られたことを、入念であると喜んだ旨を伝える。九月十一日付、年は明和九年の朱注、中将重豪の御判を備え、謹上中山王と宛てる。
追録6-No.927 島津重豪書状
芳簡を披見し、唐用物の調方その他「龜抹」と記す筋について、去歳の許しへの謝礼として読谷山王子を差し渡され、目録の表どおり贈物を受けたことは過分であると伝え、恐惶不宣と結ぶ。九月十一日付、年は明和九年の朱注、中将重豪の御判を備え、謹上中山王と宛てる。
追録6-No.928 島津重豪書状
芳翰を披見し、去る年に女子が出生した祝儀として名護按司を差し渡され、太刀・馬代黄金十両と目録のとおりの品を贈られたことを、入念で過分であると伝え、恐惶不宣と結ぶ。九月十一日付、年は明和九年の朱注、中将重豪の御判を備え、謹上中山王と宛てる。
追録6-No.929 島津重豪書状
芳札を披見し、いっそう平安との報を喜ぶとともに、自分たちも無事なので安心するよう伝える。さらに紬・縮緬五巻を贈給されたことを懇篤の至りとして謝し、恐惶不宣と結ぶ。九月十一日付、年は明和九年の朱注、薩摩守重豪の御判を備え、中山王回章という付記がある。
追録6-No.930 阿部正允書状
重陽の祝儀として使者をもって小袖一重を献上したことを披露したところ、一段の御仕合いであったと知らせる。九月十三日付、年は明和九年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.931 田沼意次書状
御札を披見し、公方・大納言ともいっそう機嫌よく過ごしているとの恐悦の申し出はもっともであると伝える。願いのとおり湯治休暇を与えられたことへの謝意を受け、去る八日に相州塔之沢へ到着したことを承知したと知らせる。九月十三日付、年は明和九年の朱注、田沼主殿頭意次の判を備え、松平薩摩守殿へ宛てる。
追録6-No.932 田沼意次書状
御札を披見し、公方・大納言ともいっそう機嫌よく過ごしているとの恐悦の申し出はもっともであると伝える。願いのとおり湯治休暇を与えられたことへの謝意と、去る八日に相州塔之沢へ到着したとの報を受け、書面の趣旨をそれぞれ一覧したと知らせる。九月十三日付、年は明和九年の朱注、田沼主殿頭意次の判を備え、松平薩摩…
追録6-No.933 西丸奉書差出所名書注記
阿部豊後守が病気であるため、西丸御奉書は田沼主殿頭の名で出され、前に見えるという注記である。独立の年月日・宛所・署名は記さない。
追録6-No.934 島津重豪願書
湯治休暇を与えられて入湯したところ、痛所に適しているため、さらに入湯したいと願う。先に申し上げた三廻の日数は来る二十八日までであるので、今一廻の入湯を望むと述べる。九月十九日付、年は明和九年の朱注、松平薩摩守の名と塔之沢からの記載を備える。御附紙は願いのとおりにするよう認めている。正文は右筆所にある…
追録6-No.935 重豪、有邦院十三年忌を修す
同年九月二十日、有邦院殿の十三年忌法事を福昌寺で三日間修したと記す。三日は十八日から二十日までで、十八日は島津左衛門久健を代参とし、十九日の頓写も久健を名代とした。二十日の施餓鬼は島津備前貴儔を代参とし、満散の寄合の式は島津玄蕃貴澄に代行させた。有邦院には島津継豊との注がある。
追録6-No.936 田沼意次書状
御札を披見し、公方・大納言の機嫌を伺っていることを受け、両者ともいっそう勇健であるので安心するよう伝える。書面の趣旨をそれぞれ相談して上聞に達し、塔之沢でゆっくり入湯することを承知したと知らせる。九月二十二日付、年は明和九年の朱注、田沼主殿頭意次の判を備え、松平薩摩守殿へ宛てる。正文は文庫にあるとい…
追録6-No.937 阿部正允書状
御札を披見し、公方・大納言の機嫌を伺っていることを受け、両者ともいっそう安全であるので安心するよう伝える。書面の趣旨を言上し、薩摩守が塔之沢でゆっくり入湯することを承知したと知らせる。九月二十二日付、年は明和九年の朱注、阿部豊後守正允の判を備え、松平薩摩守殿へ宛てる。
追録6-No.938 樺山資孫書状
松平薩摩守の湯治休暇の増日数が願いのとおりに命じられたことを承知し、その旨を湯元へ知らせたいので報告すると述べる。また御礼勤をどのようにすればよいか尋ねる。御付紙は飛札を差し越すよう指示している。九月二十三日付、年は明和九年の朱注、松平薩摩守内の樺山助之進の名があり、資孫との注を伴う。控正文は文庫に…
追録6-No.939 島津重豪書状
有邦院の十三回忌に際し、御尋として浄岸院へ贈られた物があったと承知し、自分としてもありがたく思うと伝える。その御礼を申し上げたいので、機会をみて御前へ取りなすよう頼む。明和九年の朱注があり、月日と個人署名は記さない。公方様御方計と記し、まつ嶋・たか岡・はなその・飛鳥井・たき川・清はし・うら田の各さま…
追録6-No.940 島津重豪書状
公方・大納言とも機嫌よく過ごしていることを喜ぶ。自分の湯治が適しているため、今一廻の入湯を願ったところ願いどおりに命じられ、ありがたく思うと伝える。その御礼を申し上げるため飛札を差し出し、機会をみて御前へ取りなすよう頼む。九月二十八日付、年は明和九年の朱注、松平右近将監・松平右京大夫・松平周防守・板…
追録6-No.941 松平武元書状
御札を披見し、公方・大納言ともいっそう機嫌よく過ごしているとの恐悦の意向はもっともであると伝える。湯治が適しているため今一廻入湯したいという願いが願いどおりに済んだことへの謝意を受け、書面の趣旨をそれぞれ一覧したと知らせる。十月四日付、年は明和九年の朱注、松平右近将監武元の判を備え、松平薩摩守殿へ宛…
追録6-No.942 阿部正允書状
御札を披見し、公方・大納言ともいっそう機嫌よく過ごしているとの恐悦の意向はもっともであると伝える。湯治が適しているため今一廻入湯したいという願いが願いどおりに命じられたことへの謝意を受け、書面の趣旨を承知したと知らせる。十月四日付、年は明和九年の朱注、阿部豊後守正允の判を備え、松平薩摩守殿へ宛てる。
追録6-No.943 島津重豪伺書
湯治から帰った御礼を申し上げる際、公方へ干鯛一箱、大納言へ干鯛一箱を献上してよいか伺う。御付札は、伺いのとおりに献上するよう指示している。十月十一日付、年は明和九年の朱注、松平薩摩守の名を記す。控正文は文庫にあるという。
追録6-No.944 松平武元ほか四名連署状
翌十五日五時に登城し、湯治から帰った御礼を申し上げるよう命じる。追って箱着で出向くよう指示している。十月十四日付、年は明和九年の朱注、田沼主殿頭・板倉佐渡守・松平周防守・松平右京大夫・松平右近将監の五官名を連署し、松平薩摩守殿へ宛てる。正文は文庫にあるという。
追録6-No.945 島津重豪届書
翌十五日に登城して湯治帰の御礼を申し上げるよう命じられたが、痰症が起こって登城し難いため、お断りを申し上げる。十月十四日付、年は明和九年の朱注、松平薩摩守の名を記す。控正文は文庫にあるという。
追録6-No.946 島津重豪伺書
翌日に登城して湯治帰の御礼を申し上げるよう命じられたが、痰症が起こり、今もなお当分の出勤が難しいので、御礼の献上物をどのようにすればよいか伺う。十月十四日付、年は明和九年の朱注、松平薩摩守の名を記す。
追録6-No.947 重豪、大翁公の二百年忌を修す
同年冬十月十五日、隆盛院で大翁公の二百年忌法事を修したと記す。番頭の鎌田蔵人正方を遣わし、香奠銀五枚を献じて拝上させた。大翁公には島津勝久との注がある。
追録6-No.948 島津重豪届書
去る十五日に登城して湯治帰の御礼を申し上げるよう命じられたが、痰症が起こり断りを申し上げたと述べる。全身に寒湿の痛みがあり、すぐに軽快する見込みもなかったため御礼が延びたので、無理をして出勤すると届ける。十月二十九日付、年は明和九年の朱注、松平薩摩守の名を記す。控正文は文庫にあるという。
追録6-No.949 松平武元ほか四名連署状
明朔日の五時に登城し、湯治から帰った御礼を申し上げるよう命じる。追って箱着で出向くよう指示している。十月晦日付、年は明和九年の朱注、田沼主殿頭・板倉佐渡守・松平周防守・松平右京大夫・松平右近将監の五官名を連署し、松平薩摩守殿へ宛てる。正文は文庫にあるという。
追録6-No.950 小松清香申渡書
琉球仮屋へ用事のない者が出入りして琉人と交わることがあるため、用事のない者の出入りを禁じる旨を先年命じていたと述べる。近頃も仮屋へ出入りして琉人の話などを見聞きし、招く者もいると聞いたため、今後は先の命令どおり、用事のない者は一切出入りしてはならないと改めて命じる。何かの稽古のため指南に立ち入る者は…
追録6-No.951 島津重豪伺書
先月十五日に湯治帰の御礼と献上物を申し上げるよう命じられたが、痰症が起こって参れず、全身の寒湿の痛みも容易に軽快しないため御礼が延びたと述べる。その後無理をして出勤する旨を届け、去る朔日に御礼を申し上げるよう命じられたが、今朝再び痰症が起こり、積気もあるため登城を断る。なお御礼を申し上げるよう命じら…
追録6-No.952 聖堂献備書目録
聖堂へ献備する唐本六通を二箱に収めた目録。礼記義疏八十二冊、儀礼義疏五十冊、周官義疏四十九冊を一箱十八帙とし、周易述義四冊、詩義折中八冊、春秋直解八冊を一箱三帙と記す。松平薩摩守の献備で、明和九年十一月の朱注があり、箱銘を金泥で調え、年月日は明和九年十一月廿一日と記すという。二箱に鍵二通と書銘覚書一…
追録6-No.953 島津重豪内意書(山岡久容・島津久金連署)
加賀守の妾腹の男子直江が新家を立てたいと願ったことについて、太守から、家の小名字として會小川を与え、直江の家号もそのとおりに認めるとの命令があったと伝える。直江家では代々嫡子に限り久の字を名乗ることを許し、紋所も絵形のとおりに認め、その他も願いのとおりとする。これを自分たちから申し上げるよう太守に命…
追録6-No.954 島津久金書状
加賀守の妾腹の男子直江が新家を立て、知行を与えられ、番頭格を命じられたいと願ったことについて伝える。家号・実名の見合いをもって命じられ、紋所絵形のとおりの使用も望んだところ、願いの趣旨は淡路守を通じて伝えられたとする。今後の家の小名字に會小川を与え、直江の家号もそのとおりに認め、代々嫡子に限り久の字…
追録6-No.955 小松清香申渡書
嶋津加賀守の妾腹の男子直江が新家に取り立てられ、知行百石を与えられたことを記す。番頭格を望んだことは認められ、家号・実名の見合い、紋所絵形の使用についても淡路守から願いが出され、江府で伝えられて別紙のとおりに命じられたと御記録奉行へ知らせる。先月十三日、彼方の家老名代伊集院吉左衛門を呼び、佐久間九右…
追録6-No.956 安永改元
この年に安永へ改元し、十一月二十五日に江府でその命令を受け、十二月十八日に薩府へ伝わったと記す。重豪公御譜中を出典とする記事である。
追録6-No.957 島津重豪届書
以前に湯治帰の御礼を申し上げるよう命じられたが、痰症と積気が起こって登城を断っていたと述べる。快気したので出勤したと届ける。十一月二十五日付、年は安永元年の朱注、松平薩摩守の名を記す。控正文は文庫にあるという。
追録6-No.958 佐久間村央留守居届書
浄岸院がこの間から病気で、医師を留め置くことになったと届ける。先に届けた内容は相違ないとし、この旨を聞き置くよう求める。十一月二十五日付、年は安永元年の朱注、松平薩摩守内の佐久間新左衛門の名があり、留守居・村央との注を伴う。浄岸院には島津継豊の継室・竹姫との注がある。控正文は文庫にあるという。
追録6-No.959 島津重豪伺書
昨日出勤する旨を届けた際、浄岸院の病気を内々に申し上げておいたが、昨晩から容体がすぐれないため、まだ湯治帰の御礼を申し上げていない件をどのように心得ればよいか伺う。御付札は、湯治帰の御礼と献上物を使者によって差し出すよう指示している。十一月二十六日付、年は安永元年の朱注、松平薩摩守の名を記す。朱注に…
追録6-No.960 礼物献上次第
湯治帰の御礼を使者によって献上した次第を記す。公方には干鯛一箱を佐久間九右衛門が使者として届け、本丸の檜の間で奏者番戸田長門守が出席し、使者から目録を差し上げたところ披露する旨を告げられ、目付本目隼人に尋ねられた。使者の着服は紗物麻袴と記す。大納言にも干鯛一箱を同じ使者が届け、西丸の蘇鉄の間で、奏者…
追録6-No.961 幕府指図書
浄岸院の病気につき、増上寺の火之番を当分免じると伝える。松平薩摩守を宛先とし、在口裏の朱注にも松平薩摩守にと記す。独立の年月日・差出人名は記さず、目録は安永元年十二月四日とする。正文は文庫にあるという。
追録6-No.962 佐久間村央留守居書状(覚・追書付)
松平右近将監の用人宮川古仲太宛の覚と、葬送の相談を報告する留守居書状・追書を収める。覚では、浄岸院の病状が日々悪くなり、万一の場合には遺骸を国許へ引き越したいと願う事情を述べる。眞含院のように当地で葬送すれば以後の廟参ができないと太守へ頼み、太守も内談したという。一方、これまで御正統様の遺骸は国許へ…
追録6-No.963 島津重豪届書
浄岸院の病状が昨夜からいっそう悪く、今朝になって重く危篤となったため、その旨を届ける。十二月五日付、年は安永元年の朱注、松平薩摩守の名を記す。控正文は江戸家老座にあるという。
追録6-No.964 浄岸院逝去・遺骸帰葬の記事
同年十一月、浄岸院が痰症を患い、河野仙寿院・森雲禎・武田長春院・吉田秀庵・井上良泉・橘隆庵・浅井休伯・武田宗安・坂幽玄らが交替で診療し薬を施したが、日々悪くなったと記す。同月二十七日に老中へ知らせたため、大家はたびたび病状を尋ね、贈物を与えた。十二月五日、芝の邸の正寝で逝去し、年六十八、浄岸院殿信譽…
追録6-No.965 松平定静届書
浄岸院の病気は養生がかなわず、今日五日辰の上刻に逝去したため、自分からその旨を届けると述べる。十二月五日付、年は安永元年の朱注、松平隠岐守の名に定静との注を伴う。控正文は江戸家老座にあるという。
追録6-No.966 島津重豪忌服届書
浄岸院が今日五日に逝去したので、曾祖母の続柄による忌服を届ける覚である。忌二十日は辰十二月五日から同月二十四日まで、服九十日は辰十二月五日から来る巳三月五日までと記す。十二月五日付、年は安永元年の朱注、松平薩摩守の名を備える。
追録6-No.967 島津重豪伺書
浄岸院の遺骸をこのたび国許へ引き越したいので指図を求める。御付紙は伺いのとおりにするよう認めている。十二月五日付、年は安永元年の朱注、松平薩摩守の名を記す。
追録6-No.968 有川貞厚首尾書(取次への覚付)
水野壱岐守の取次をする御側御用人荒木源右衛門へ示す覚と、交渉の首尾を左中へ報告する書状を収める。浄岸院の遺骸を国許へ送ることにつき、遠国への道中は火災その他の心配もあるので一日も早く当地を出棺し、国元での葬送を滞りなく済ませたいと願う。雲林院の仙台への引越の先例も引き合いに出し、幕府から附添の役人が…
追録6-No.969 幕府指図書
浄岸院の遺骸を薩州へ葬送するため、供として差し遣わすので心得るよう伝える。十二月付、年は安永元年の朱注、御留守居番織田圖書の名に信方との注があり、在口裏の朱注に松平薩摩守にと記す。原文に日はなく、目録は十一日とする。正文は文庫にあるという。
追録6-No.970 島津重豪届書
浄岸院の遺骸は来る二十日に当地を出棺する予定であると届ける。十二月十二日付、年は安永元年の朱注、松平薩摩守の名を記す。目録は十一日とする。控正文は江戸家老座にあるという。
追録6-No.971 島津重豪届書
浄岸院の病気により増上寺の火之番を当分免じると先に命じられたが、養生がかなわず逝去したため、遺骸を国許へ引き越すと述べる。重役から下々まで多数が附添として向かうので、再び火之番を命じられても勤めることが難しいと届ける。十二月十二日付、年は安永元年の朱注、松平薩摩守の名を記す。
追録6-No.972 島津久金・山岡斎宮家老書状
浄岸院の逝去に際し、上使による香奠の給付があるとの先例をもとに手当をしていたところ、去る九日の昼過ぎに上使松平右京大夫が来たと知らせる。太守は先例どおり出迎えて案内し、大御書院で着座させた。公方から香奠白銀二百枚、大納言から白銀二十枚が遣わされ、逝去を愁腸とする上意をそれぞれ伝えられた。太守が少し不…
追録6-No.973 樺山久智ほか四名家老連署返書(朱書)
書状で申し越した趣旨を承知したと返答し、女中様方へ申し上げ、長崎奉行と隣国への知らせも済ませたことを伝える朱書の返書である。正月二十六日の朱日付があり、原書の五名宛を返信の差出へ、署名欄を返信の宛へ用いる上下の朱指示を伴う。五名は樺山左京・喜入主馬・小松帯刀・川田伊織・嶋津仲で、宛には山岡斎宮と上に…
追録6-No.974 家老座申渡書
年号を安永へ改めるとの命令が先月二十五日に江戸で伝えられた旨の報を受け、承知したと述べる。先月十五日から諸書などの年号を安永へ改めるよう、支配中へ申し渡すことを求める。原日付は明和九年辰十二月十八日、御家老座の印と雑抄中の朱注を備える。
追録6-No.975 島津重豪届書
浄岸院の遺骸を国許の菩提所福昌寺へ葬送し、当地では位牌を建てて置かない旨を届ける。十二月二十二日付、年は安永元年の朱注、松平薩摩守の名を記す。控正文は江戸家老座にあるという。
追録6-No.976 浄岸院様御由緒―見出し・出典
「浄岸院様御由緒」と題する資料集の見出し。出典は白木御文書五番箱六十四中。竹姫が常憲院の養姫となった由緒、家老の申渡、浄光院の法事、実母の忌服、浄岸院への改名、逝去と葬送の供、法号、出生・親類・婚姻等に関する文書を収める。見出し自体に独立の正文・年月・署名・宛書はなく、各文書の内容と日付はそれぞれの…
追録6-No.976-1 林大学頭覚書―竹姫の養姫由緒・久千代との縁組
林大学頭が記した、竹姫の出生側と常憲院の養姫となった由緒、松平肥後守の嫡子との縁組に関する覚書の写し。竹姫は清閑寺左少弁の娘で、常憲院の代、宝永五年戊子七月二十五日に御台の願いによって養子とされたという。竹姫を松平肥後守の嫡子久千代と縁組させるよう命じた旨を述べ、続けて「同年九月十三日」に肥後守を召…
追録6-No.976-2 平岡之品・伊集院久矩申渡―竹姫養姫由緒の系図記載
内匠・蔵人の連署で御記録奉行へ申し渡した書付の写し。竹姫が常憲院の養姫となった由緒について、何年に養姫となったか、実方の事情を詳しく知り、公儀の記録に基づいてこちらの系図等へ書き載せたいとして、肥後藤之丞を通じ林大学頭へ問い合わせた。これに対し大学頭が藤之丞を召し、取次用人の大塚平内を通じて別紙の書…
追録6-No.976-3 伊集院蔵人渡書―浄光院法事と御守殿の精進日
浄光院の法事と御守殿での精進日の扱いを伝える渡書の写し。浄光院の法事は来月六日を経揃とし、東叡山で執行するという。この法事に際して太守が本丸へ献上物をするため、御守殿へ沙汰し、御年寄から本丸の老女衆へ指図を届けるよう、向井十郎太夫へ伝える旨が申し聞かせられている。九日は浄光院の忌日であり、姫君に関わ…
追録6-No.976-4 竹姫実母玉勝院の死去・忌服届と記録への留置
宝暦八年寅九月十三日、高橋縫殿の用事で記録奉行児玉早門之丞が出向いた際、竹姫の実母死去について用人が小出信濃守へ届け出た書付の写しを、後年の照合に備えて記録へ留めるよう命じられた記録。内包する届書によれば、竹姫の実母玉勝院は「先清閑寺大納言殿家女」で、八月二十日に京都で死去し、今七日にその知らせが届…
追録6-No.976-5 菱刈藤馬申渡―姫君の浄岸院への改名
姫君の名を浄岸院へ改めたことについて、承知したうえで諸役人へ申し渡すよう指示した書付の写し。諸士に対しては、それぞれの支配頭から伝えるようにせよと命じる。末尾は宝暦十年辰十月、藤馬の署名で、菱刈実詮との注が付く。改名を役人・諸士へ周知する伝達経路を示す文書であり、死去の報告は記載しない。
追録6-No.976-6 島津左中申渡―浄岸院逝去と御機嫌伺・家老対面
浄岸院が病中、養生がかなわず今朝逝去したことを受け、太守への御機嫌伺と家老への対面を指示した書付の写し。諸役人は今日、太守の御機嫌を伺うようにし、家老と対面すべき諸士は今日から明六日までの間に御帳へ記し、対出するよう申し渡すことを命じる。末尾は安永元年辰十二月五日、左中の署名で、島津久金との注がある…
追録6-No.976-7 山岡斎宮書―浄岸院遺骸移送の供と翌年下国の供免除
山岡斎宮から島津左中へ送った書状の写し。浄岸院の遺骸を国元へ移す届をするよう命じられ、その供を今日直接命じられたことを伝える。そのため、来年の下国の供については免除する旨の命令が出たので、このことを通達するよう求める。末尾は安永元年辰十二月五日、斎宮の署名で、山岡久澄との注がある。遺骸移送の供と翌年…
追録6-No.976-8 浄岸院の生前・逝去後の血脈法号と授与の事情
浄岸院の血脈法号を、生前と逝去後に分けて記した書出。生前の法号は「浄岸院殿信譽祐光大姉」で、祐天大僧正から差し上げられた血脈法号と注記する。逝去後の法号は「浄岸院殿信譽清仁祐光大禅定尼」で、増上寺の当住大僧正から差し上げられた血脈法号と注記する。最初は祐天から授与された血脈で済ませるはずであったが、…
追録6-No.976-9 浄岸院の出生・養姫となった年・幼名・年齢の照会回答
浄岸院の生年月日、常憲院の養姫となった年、幼名等について、記録の参考にもなるとして御前から指示があり、島津登を通じて御守殿へ問い合わせた記録。登が調べた回答として、宝永二年酉二月十九日に誕生したこと、四歳の時に下向して常憲院の養姫となったこと、幼名を千代姫といったこと、当辰年で六十八歳であることを列…
追録6-No.976-10 浄岸院生家の京都親類書と御守殿からの提出記録
浄岸院の京都の内縁を列挙した親類書。実父は清閑寺前大納言、伯母は寿光院で、寿光院を清閑寺前大納言の兄弟とし、常憲院の「御部屋」となって死去し、上野大慈院へ納められたと記す。伯父の万里小路権大納言は清閑寺家から万里小路家の養子となり、すでに死去したという。このほか清閑寺中納言、冷泉侍従宰相、藤波三位、…
追録6-No.976-11 児玉早之丞覚書―浄岸院親類関係の問いと御守殿の回答
浄岸院の親類について確認したい事柄を記し、付札の回答を朱書で残した覚書。寿光院は清閑寺前大納言の兄弟と聞くが、妹であったかを問い、付札には妹とある。冷泉侍従宰相と藤波三位については、浄岸院の兄弟のうち冷泉家・藤波家へ嫁いだ方々との続柄を尋ね、両人の「御懐様方」が浄岸院にとって姉か妹かを問う。付札は、…
追録6-No.976-12 知譜抽記と照合した清閑寺・万里小路・甘露寺の系図
知譜抽記を用いて照合し記録したと朱記する略系図。清閑寺熙房から熙定と尚房の二系統を分け、熙定の下に清閑寺治房と浄岸院を並べる。治房の下には清閑寺秀定、さらに綸房を置く。尚房には万里小路家への養子との注があり、その下に万里小路種房と、甘露寺家の養子である規長を並べる。種房の下に万里小路留房、規長の下に…
追録6-No.976-13 浄岸院の香奠―公方白銀二百枚・大納言白銀二十枚
安永元年十二月九日、上使の老中松平右京大夫を通じ、浄岸院の香奠として白銀を拝領した覚。公方から白銀二百枚、大納言から白銀二十枚を賜ったと、贈り主ごとの数量を分けて記す。記載は公方分の冒頭から次頁の数量と大納言分へ続く。贈り主・取次の上使・品物・単位が簡潔にまとめられている。
追録6-No.976-14 浄岸院の出生・養姫・婚姻と逝去・薩州への葬送履歴
浄岸院の出生から養姫・婚姻、家族の事蹟、逝去と葬送をまとめた履歴。宝永二年乙酉二月十九日、京都で千代姫として生まれ、実父は清閑寺前大納言熙定、母は「家之女房」で後に玉勝院と称した。四歳で江府へ下り、宝永五年戊子七月二十五日、御台の願いによって常憲院の養姫となり竹姫と称する。享保十四年己酉六月四日に継…
追録6-No.977 重豪の女御入内祝儀―京都への使者と献上物
重豪公御譜中の記事。女御の入内の礼が同年十二月四日に行われたので、重豪が京都へ使者を遣わし、禁裏御所に太刀一腰・馬代銀三枚、女御に白銀二十枚を献上して慶賀したと記す。女御には、近衛関白・太政大臣内前の娘であるとの注が付く。末尾に、祝儀の使者とその年月日の記録が欠け、今は考えることができないとの注記が…
追録6-No.978 重豪の忌明後の女御入内祝儀伺と月番老中への指示
松平薩摩守が女御入内の祝儀の方法を伺った書付。去る十三日の惣出仕に際し西丸へ出るよう命じられたが、自分は忌中のため登城しなかったという。忌が明けたので使者を通じて祝儀を申し上げてもよいかと問い、指図を求める。末尾は十二月二十五日、松平薩摩守の名で、朱に安永元年とある。朱付記には、月番の老中豊後守へ直…
追録6-No.979 松平康福書状―蜜柑二箱・炙鮎一箱献上の披露
松平周防守から松平薩摩守への書状。今朝、蜜柑二箱と炙鮎一箱が献上され、披露したところ「一段之御仕合」であったと伝える。末尾は十二月二十七日、康福の判。戸口裏の朱記にも松平周防守康福とある。出典は重豪公御譜中で、正文が文庫にあることを示す。朱に安永元年とあり、献上の品物・箱数と、披露後の反応を簡潔に報…
追録6-No.980 阿部正允書状―蜜柑二箱・炙鮎一箱献上の披露
阿部豊後守から松平薩摩守への書状。今朝、蜜柑二箱と炙鮎一箱が献上され、披露したところ「一段之御仕合」であったと伝える。末尾は十二月二十七日、正允の判。戸口裏の朱記には阿部豊後守正允とある。朱に安永元年とあり、献上の品物・箱数と、披露後の反応を簡潔に報じる。
追録6-No.981 徳川家治御内書―歳暮の小袖一重到来
歳暮の祝儀として小袖一重が届いたことについて、徳川家治が薩摩中将へ伝えた御内書。到来した品を喜び、詳しいことは板倉佐渡守が述べるであろうとする。末尾は十二月二十七日で、朱に安永元年、家治の墨印が示される。歳暮の小袖の受納と、詳しい伝達を担当する板倉佐渡守を記録する。
追録6-No.982 阿部正允書状―歳暮の小袖一重献上の披露
阿部豊後守正允から松平薩摩守への書状。歳暮の祝儀として使者を通じて小袖一重を献上されたため披露したところ、「一段之御仕合」であったと伝える。末尾は十二月二十七日、阿部豊後守正允の判で、朱に安永元年とある。献上者側の使者による提出と、それを披露した老中からの通知を記録する。
追録6-No.983 松平輝高書状―若菜祝儀の鯛一折献上披露
松平右京大夫から松平薩摩守への書状。若菜の祝儀として鯛一折が献上されたので披露したところ、「一段之御仕合」であったと伝える。末尾は正月七日、輝高の判。出典は重豪公御譜中で、正文が文庫にあることを示す。朱に安永二年とある。若菜の時期の祝儀について、鯛の容器単位と披露後の反応を簡潔に記録する。
追録6-No.984 阿部正允書状―若菜祝儀の鯛一折献上披露
阿部豊後守から松平薩摩守への書状。若菜の祝儀として鯛一折が献上されたので披露したところ、「一段之御仕合」であったと伝える。末尾は正月七日、正允の判。朱に安永二年とある。若菜の時期の祝儀について、鯛の容器単位と披露後の反応を簡潔に記録する。
追録6-No.985 浄岸院遺骸の伏見・大坂・薩州への送葬と玉龍山埋葬
重豪公御譜中に記された浄岸院の送葬と埋葬の記事。安永二年癸巳正月八日に遺骸が伏見へ着き、十日に大坂へ到着、一日滞在して十二日に大坂を発し、二月四日に豊前州大里へ到着した。先に派遣された一族島津左衛門久健と寺社奉行伊勢兵部貞矩が藩府から大里へ出向いて棺を迎え、両名が随行した。同月十五日に薩州出水へ着き…
追録6-No.986 山岡斎宮書状―太守の早期下国・浄岸院廟参詣の願いと船手配
山岡斎宮から国元側の五名へ送った書状。浄岸院の遺骸を国元へ移すに当たり、公儀が留守居番衆を付け、念を入れた役の手配をして移送したが、道のりが長く棺の輸送が心配なので、太守は早く国元へ下り、廟所に参詣したいと考えている。当年には閏三月があるため四月の暇を命じられるのを待たず、早期下国と参詣の願いを立て…
追録6-No.987 国元家老五名の朱返答―下国願への承知と船・交代人員の手配
986番書状への行間朱書の返答。本文の趣旨を承知し、当年に閏月があるため四月の暇を命じられるのを待たず願いを立て、早く下国して廟所へ参詣したいとの意向を聞いて、たいへんありがたく思うと応じる。御座船は願いのとおりに指示するつもりで、ほかの供船については、当月十八日から来月朔日までの潮時に出帆する積り…
追録6-No.988 重豪の早期下国・浄岸院廟参詣願と暇に関する付紙
浄岸院の遺骸を国元へ移すに際して格別の取り扱いを受けたことを述べ、早期下国と廟参詣を願う書付。移送は遠路にわたり諸事が心配で、できるなら早く暇を賜りたいという。閏三月中に当地を発ち、国元へ到着したうえで種々の指図を行い、廟へ参詣したいとして願い出る。末尾は正月二十五日、松平薩摩守の名で、朱に安永二年…
追録6-No.989 重豪の御鷹の鶴拝領と老中各邸への礼謝
重豪公御譜中の記事。春正月二十五日、上使長田甚左衛門繁達を通じて御鷹の鶴を賜った。重豪は拝受し、老中の各邸へ出向いて礼謝したと記す。上使の名には原表記を示す「ママ」の注があり、本文に鶴の数量は記載しない。拝領と、その直後の礼謝を短く記録する。
追録6-No.990 浄岸院の葬送・中陰・廟所を格別に厚く取り扱う指示
浄岸院について格別の尊敬を尽くすため、到着・滞棺・葬送・中陰法事を厚く取り扱うよう指示した家老連署の写し。先例にかかわらず荘厳等を整え、これまで法事の日数が次第に減り、近来はさらに作略されたことに対し、今度は当分の仕向を別にし、従前の格別に重い方へ準じて厚く取り計らうよう命じる。些細な物入りに拘って…
追録6-No.991 安永二年の聖廟・医学院・役職・琉球使節・重豪の行動記事
安永二年癸巳の行動・任命・施設・儀礼をまとめた記事で、出典に「近秘野帥」とある。二月に府下で聖廟を創建し工事を始めた。三月朔日の記載には「賀□□」の二字欠記があり、四日に図書が帰途についた。二十二日に山本傳蔵常行を御記録方添役、児玉早之丞実門を使番に任じ、児玉は御記録奉行を従前どおり勤めると記す。守…