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追録6の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,127件中 2801~2900件・29 / 32ページ

  1. 追録6-No.2568 隠居の趣意を若年寄配下へ知らせ各人から請けを申し上げさせる

    太守が深い考えにより近く隠居し、侍従へ政務を譲ると命じたことについて、先に矢野男吏が派遣され配慮の趣旨は知らされたが、老年でないため事情を十分理解できず人々に不安があったと述べる。そのため岩下佐次右衛門も派遣され、深意を理解するよう伝えられ、家老中も特に承知したという。家を長く保つために早い時期に隠…

  2. 追録6-No.2569 隠居の趣意を配下へ伝え支配頭から請けを出すよう大番頭らへ命じる

    太守が近く隠居して侍従へ政務を譲るとの仰せについて、矢野男吏が趣旨を伝えたが、老年でないため詳しい事情が理解できず不安が残ったので、岩下佐次右衛門も派遣され、家老中も特に深意を承知したと記す。早い時期に家の長久を考え隠居を決意した厚い配慮に感謝して安心し、その意図をくみ取るよう支配下へ伝えることを求…

  3. 追録6-No.2570 家の格式継承のための隠居を説明し形式的でない理解と請けを求める

    隠居の趣旨は先に矢野男吏が伝えたものの、まだ老年でないのになぜ隠居するのかと人々が不安に思っているため、さらに使者を派遣し深意を説明させることを示す。家の規定・領国内の統制について先代の遺意を継いで細かく命じても行き届かず心を痛める一方、公儀での特別な由緒により、侍従の初めての御目見や月次礼の休息所…

  4. 追録6-No.2571 若年隠居の深意を承知し家の長久を願う配慮に感謝する

    太守が深い考えにより近く隠居し、侍従へ政務を譲ると命じたことについて、先に矢野男吏が派遣され配慮の趣旨は知らされたが、まだ老年ではないため詳しい事情を理解できず人々に不安があったと述べる。そこで岩下佐次右衛門も派遣され、深い趣意を理解するよう説明され、家老中も特に承知したという。早い時期に家の長久を…

  5. 追録6-No.2572 斉宣の襲封と謝恩登城・家臣献上・少将任官を記す

    「近秘野帥 斉宣公」の出典表示を伴い、天明七年の公辺関係の出来事を記す。正月二十九日に世子が封を受けたとし、二月十五日には斉宣が登城して太刀一腰・御刀一腰(濃州兼定)・縮緬二十巻・白銀百枚・御馬二疋を献上し、襲封の恩を謝したという。あわせて家臣九名が進物を献上する。島津兵庫久徴・島津伊賀久金・市田勘…

  6. 追録6-No.2573 隠居の礼のため翌十五日五時に名代を登城させるよう命じる

    翌十五日に隠居の礼を行うよう命じられたので、名代を五時に登城させるよう松平上総介へ伝える。二月十四日付で鳥居丹波守・水野出羽守・牧野越中守・松平周防守の四名が連署する。宛名の松平上総介には島津重豪の傍注がある。

  7. 追録6-No.2574 斉宣と重豪名代の本多助受の登城・献上・隠居贈答を記す

    春二月十四日に老中の奉書があり、翌日、斉宣と本多助受が登城し、白書院で家斉に謁したと記す。斉宣は襲封の恩を謝し、助受は重豪に代わって太刀一腰・馬代金十両・縮緬十巻を献上して隠居の礼を述べた。その後、執政や諸役人、親戚・知己へ太刀・絹帛・酒肴などを贈り、隠居に際する贈物としたという。

  8. 追録6-No.2575 重豪の隠居礼の名代登城と家督礼・幕府役人への贈答手順を記録する

    二月十五日の隠居の礼について、前日到来した老中連名の奉書により名代を五つ時に登城させるよう命じられ、本多豊後守を名代として出した次第を記す。豊後守自身も家督の礼を命じられていたため、当朝六つ半時に早く出宅した。石川榮阿彌を介して直の御請と居残りの礼の扱いを御用番水野出羽守へ照会すると、両人とも同様に…

  9. 追録6-No.2576 隠居後も持病の重豪に国元での温泉療養と約一年の滞在を願う

    同氏上総介が願いによって隠居を許された後も持病がすぐれず登城が難しいため、国元に病状に合う温泉があるので入湯させ、領国の仕置等の助けにもなるよう、およそ一年の暇を与えてほしいと願う。許可されれば三月中に体調次第で当地を発ち、ゆっくり道中を進ませたいとし、快方に向かえば暇の期間内でも参府させたいと申し…

  10. 追録6-No.2577 重豪の龍越温泉での療養と約一年の暇を許し快方なら早期参府を認める

    同氏上総介が国許の龍越温泉に入湯して病気の養生をしたいとの願いについて、願いのとおり暇を与えると伝える。およそ一年滞在したうえで参府するよう命じるとともに、快方に向かって暇の期間内に参府したい場合は、本人の都合に任せてよいとする。松平豊後守を名宛人とする指図である。

  11. 追録6-No.2578 重豪の療養帰国願いと帰途・鹿児島到着、久宅の謝恩出府を記す

    二月十八日、斉宣が重豪は隠居後も持病が癒えないため領国へ帰って温泉で治療し、あわせて国政にあたることを願い出たと記す。二十六日に老中奉書が出され、翌日斉宣が登城すると、白書院で大老・老中が列座し、水野出羽守忠友が重豪の帰国を許す旨と羽織三領の下賜を伝えた。斉宣は重豪に代わって命を受け、同日大老・老中…

  12. 追録6-No.2579 豊後守の袖留祝と諸礼完了の祝宴・能、父子間と家中の贈答を記す

    二月十九日、豊後守の袖留の祝いにあたり、その招きで休息所へ出向き、二汁五菜の料理と寄合盆などが行われたと記す。翌二十日には、御目見・元服・隠居・家督の礼まで済んだことを合わせて祝う豊後守からの招きがあり、休息所で同じく二汁五菜の料理と寄合盆などが行われ、能もあった。豊後守からは島津伊賀を使いとして太…

  13. 追録6-No.2580 歳暮の御内書受領のため翌日五半時に家来を登城させるよう伝える

    歳暮の御内書を渡すので、翌日五半時に家来を登城させるよう松平上総介へ伝える。二月二十日付、鳥居丹波守の書状である。

  14. 追録6-No.2581 襲封謝恩の登城と父重豪を招く祝宴、帰国許可と父の祝宴を記す

    二月十四日に老中奉書を受け、翌十五日斉宣は斗目・長袴で登城し、白書院で家斉に謁して襲封の恩を謝したと記す。奏者番は稲葉丹後守で、太刀一腰と美濃国兼定の刀一腰を献じ、父重豪の隠居謝恩については父公譜に詳しいとする。十九日には袖留を祝い、父を休息所へ迎え、二汁五菜の料理と酒宴を設け、献酬したと記す。二十…

  15. 追録6-No.2582 重豪療養帰国の願書内見と正式提出の経過を国元の家老らへ知らせる

    中将が隠居後も持病がすぐれず、国許には病状に合う温泉があるので入湯し、領国の仕置の助けにもなるよう、およそ一年の暇を願い、許可されれば三月中に体調次第で出立したいという太守の願書について、その提出経過を知らせる。二月十七日、留守居が願書案文を御用番水野出羽守と松平周防守へ持参して内見を求めたところ、…

  16. 追録6-No.2583 斉宣を招く隠居祝宴と奥平富之進の家督後の初招待・大奥への訪問を記す

    二月二十七日、隠居が滞りなく命じられたことを祝い、豊後守を縁亭に招き、二汁七菜の料理と寄合盆などを設けたと記す。それより早く大奥でも対面所で寄合盆などを行い、服装は斗目・半袴と注記する。豊後守から側役の使いを通じて肴一折・樽一荷が届き、家中からも各々使者を通じて祝物が到来した。家老をはじめ奥向・大奥…

  17. 追録6-No.2584 重豪の湯治帰国許可と羽織拝領に対し父子同道で謝礼する旨を届ける

    同氏上総介には病気があり、国元での湯治のための暇を願いどおり許され、そのうえ羽織を拝領したことを重ねてありがたく思うと述べる。礼のため、上総介と自分が同道して伺う旨を届ける。二月二十七日付、松平豊後守の届書である。

  18. 追録6-No.2585 重豪帰国後の到着礼と在国中の勤めを先例どおりにする旨を伺う

    同氏上総介が国元への暇を与えられたので、到着の礼と在国中の勤め向きは従来の例どおりに行い、不時の事柄はその都度伺いたいと申し出て、指示を願う。二月二十八日付、松平豊後守の伺書である。朱書の御付紙には「可為伺之通候」とあり、伺いどおりでよいと認められている。

  19. 追録6-No.2586 重豪の帰国途上の伊勢参宮を願い承認を得る

    同氏上総介が今回暇を与えられて国元へ赴くにあたり、その道中で伊勢参宮をしたいと言っているので、この件を伺うと申し出る。二月二十八日付、松平豊後守の伺書である。朱書の御付紙には「可為伺之通候」とあり、願いどおりの参宮が認められている。

  20. 追録6-No.2587 斉宣の袖判の書を国元へ送り家老連名で国中へ伝える

    天明七年三月、斉宣の袖判の書が国元に達し、家老が連名で国中へ命令を伝えたと記す。記事はこの伝達の事実を記すのみで、袖判の書の条文や家老の姓名は掲げていない。

  21. 追録6-No.2588 重豪の療養帰国許可と羽織拝領・謝礼・各所通知を家老らへ報告する

    中将が隠居後も持病がすぐれず、国許の温泉での入湯と仕置の補佐のため、およそ一年の暇を願い、許可されれば三月中に体調次第で出立したいとの願書を太守が差し出した件は前便で知らせたと述べ、その後を報告する。前月二十七日、用件があるため四時に登城するよう命じる老中連名の奉書が前日に到来し、請けを伝えた。当日…

  22. 追録6-No.2589 重豪の龍越温泉療養のための暇と羽織三領の下賜を申し渡す

    白書院縁頬における申渡しとして、出羽守が申し渡し、掃部頭と老中が列座したこと、松平上総介の名代が松平豊後守であることを記す。国許の龍越温泉で病気を養生したいという願いを認め、およそ一年滞在して参府するよう命じる。快方に向かって暇の期間内に参府したい場合は本人の都合に任せるとし、これに伴う拝領物を命じ…

  23. 追録6-No.2590 重豪の龍越入湯のための一年ほどの暇と快方時の早期参府を認める

    御用番水野出羽守から直接渡された書付の写しとする。同氏上総介が国許の龍越に入湯して病気を養生したいとの願いを認め、およそ一年滞在して参府するよう命じる。快方に向かえば暇の期間内でも都合に任せて参府してよいとする。宛所部分は「御名」とのみ記される。

  24. 追録6-No.2591 帰国前の首途・餞別・斉宣への助力依頼と羽織拝領を記す

    三月四日、帰国に向けた首途として四時に供を揃え、熨斗目半袴で本行列を立てて神明宮へ参詣し、帰宅後に熨斗・茶で祝った。隠居後初めての首途に市田勘解由が供をしたので縁亭で盆を与え、大奥でも対面所の寄合盆で三ツ肴三献の祝儀を行った。豊後守から肴代二百疋・肴一折が届き、大奥からも同様に祝いを受けた。出立が間…

  25. 追録6-No.2592 二丸の家作未完成のため重豪の帰着先を本丸とする旨を周知させる

    中将が下向するにあたり、二丸の家作などが完成していないので、直接本丸へ入るよう命じられたと伝える。この地では承知すべき面々へ申し渡したので、国元でも関係する向きへ申し渡すよう求める。三月九日付、市田勘解由から喜入安房・川上頼母・嶋津仲・二階堂主計・宮之原主膳へ送る。

  26. 追録6-No.2593 重豪の発駕前・着城時・参府時に祖先への代参を行うよう伝達する

    中将からの指示として、大雄山・御宮南泉院・御位牌殿、ならびに江戸と国元で年中の代参を命じられている先祖方へ、発駕前・着城時・参府時に代参を行うよう命じられたと伝える。この趣旨を若年寄へ知らせ、申し渡すべき事項を取り計らうよう求める。三月九日付、市田勘解由から喜入安房・川上頼母・嶋津仲・二階堂主計・宮…

  27. 追録6-No.2594 代参の指示を承知し若年寄へ取り扱いを申し達したと返答する

    正文の内容を承知したと述べ、そのとおり取り扱うよう若年寄へ申し達したと返答する。四月二十六日付、嶋津和泉から嶋津伊賀・嶋津登への首尾書である。正文は発駕前・着城時・参府時の祖先への代参を命じた市田勘解由の三月九日付申渡書に当たる。

  28. 追録6-No.2595 旅行中の重豪へ自身の少将任官を知らせる

    重豪がますます機嫌よく旅行していることを喜び、こちらは皆別状なく過ごしていると伝える。自分は今日少将を命じられ、ありがたいことであるとして、その旨を知らせる。三月十八日付、松平豊後守斉宣の御判を記し、中将へ送る。

  29. 追録6-No.2596 斉宣が左近衛権少将へ転任し位階は従前のままと記す

    この月十八日、斉宣が左近衛権少将へ転任し、位階は従前のままであると記す。

  30. 追録6-No.2597 典故を調べ大雄山と祖宗諸廟の儀礼を定めるよう命じる

    この月、担当の役人に典故を調べさせ、大雄山および祖宗の諸廟に関する儀礼を定めるよう命じたと記し、その内容を以下に掲げるとする。

  31. 追録6-No.2598 家督・隠居に伴う祖先祭祀の書付二通と張紙を収める

    祖先への参詣・代参・精進日を定めた書付二通と、麗珠院・天苗院の忌日等を帳面へ記すよう命じる張紙を収める。第一通は祖先一般、第二通は七霊を扱う。各文書の内容と年月日は三枝に分けて記す。

  32. 追録6-No.2598-1 家督交替後の祖先参詣・代参・精進日と先代からの継続措置を定める

    隠居・家督交替に伴う祖先祭祀の規定を、参詣・代参・精進に分けて掲げる。毎月の忌日の朝夕は精進し、年回・正忌日・盆と歳暮・参府時と発駕前には参詣すること、正月・五月・九月の参詣、月次の忌日等における家老の代参を列記する。十八日の得佛、十日の浄國院・慈徳院、二十日の有邦院、十六日の圓徳院、五日の浄岸院、…

  33. 追録6-No.2598-2 七霊の正忌日の精進と代参を斉宣一代も従前どおりとする

    照雲院・翠黛院・蓮心院・芙蓉院・青林院・香樹院・義光院の七霊を列記する。中将の代には正忌日と年回に当番頭を代参させ、別に参詣・精進日等の定めはなく、他の祖先に参詣する折に拝礼していたと記す。ただし兄弟の関係にあるため、太守一代については正忌日に限って精進日を定め、代参等を従前どおりとする旨を命じたの…

  34. 追録6-No.2598-3 麗珠院と天苗院の正忌日・精進日を帳面へ記すよう命じる

    麗珠院の七月五日、天苗院の三月七日を掲げ、正忌日および精進日として定められたので帳面へ記しておくよう命じる。閏七月付で縫殿の名を記し、御記録奉行に宛てた張紙である。

  35. 追録6-No.2599 重豪の参詣・代参の伝達書と江戸・国元の別紙二通を収める

    重豪の隠居後の参詣・代参について、安房から若年寄衆への伝達書と、参詣および代参を定める別紙二通を収める。巻頭は天明七年三月十二日とするが、代参の別紙末尾には十二月とある。三枝の文書を収め、日付にこの差がある。

  36. 追録6-No.2599-1 江戸と国元の寺社への重豪の参詣・代参を別紙どおりに取り扱わせる

    中将が江戸・国元の寺方と神社へ参詣し、また代参を行わせる件について、別紙二通のとおり命じられたので、そのとおり取り扱うよう伝える。三月付、安房から若年寄衆へ送る。

  37. 追録6-No.2599-2 江戸・国元で重豪が参詣する寺社と祖先の廟を定める

    隠居後の参詣を江戸表と国許に分けて掲げる。江戸では芝神明宮と御庭の諸堂社へ年頭に一度参詣し、得佛・圓徳院・正覺院へは年頭・年回・正忌日に参詣する。年頭の機会にはすべての廟と霊前を拝し、正忌日の機会には得佛および浄國院以来の廟・霊前を拝する。国許では浄岸院の位牌殿は屋敷内にあるため格別として年頭に一度…

  38. 追録6-No.2599-3 重豪の代参を年頭・盆・歳暮・忌日等に行い寺社祭日の慣例を保つ

    隠居の代参として、大雄山・御宮および位牌殿、青揚院を掲げ、年頭に一度の代参と、従来毎月代参を命じていた分の年頭・盆・歳暮・正忌日の代参を定める。年回の時も従前どおりとする。圓徳院・正覺院については従来の代参を維持する。その他に年頭等の代参が行われていた諸神社は年頭に一度の代参とするが、祭日に限って代…

  39. 追録6-No.2600 斉宣と重豪の参詣・代参を定める書付二通を収める

    隠居・家督交替に伴う参詣・代参について、太守斉宣のための規定と中将重豪のための規定を収める。それぞれ三月付で安房から若年寄衆に伝え、二枝に分けて記す。

  40. 追録6-No.2600-1 斉宣の大雄山・御宮と将軍家九霊等への参詣・代参を定める

    大雄山・御宮への参詣を、四月十七日、年頭、発駕前と着城時、年忌に行うと定める。台徳院・大猷院・厳有院・常憲院・文昭院・有章院・有徳院・惇信院・浚明院の九霊について、正忌日には家老が代参するとする。惇信院は中将が一字を賜った方なので、中将の代には正忌日に参詣し月次の忌日に家老の代参を命じていたが、今後…

  41. 追録6-No.2600-2 重豪の大雄山・御宮への代参と惇信院の祭祀を従前どおりとする

    四月十七日の大雄山・御宮への代参と、惇信院への参詣・代参は従前どおりとする。右のとおり中将の参詣・代参を命じ、これ以外の事項は先に命じたとおりに扱うとする。代参は家老が務めるので、そのように取り計らうよう命じる。三月付、安房から若年寄衆への書付である。

  42. 追録6-No.2601 盆の供物を吟味した御使番の覚二通を収める

    家督交替・隠居後の盆の供物について、御使番が吟味した七月九日付の覚二通を収める。第一通は南泉院・浄光明寺・福昌寺の位牌殿、第二通は貞嶽院の位牌殿を扱う。各通の具体的な供物と使者の規定は二枝に分けて記す。

  43. 追録6-No.2601-1 三寺の位牌殿への盆の供物と使者について家督交替後の扱いを申し上げる

    南泉院の惣位牌殿、浄光明寺の得佛・浄國院、福昌寺の有邦院・正覺院・慈徳院・智光院・圓徳院・慈照院・浄岸院・玉貌院の位牌殿への盆の供物を吟味する。南泉院には官香二把、浄光明寺・福昌寺の各位牌殿には官香二把ずつを掲げる。家督を継いだ側が燈籠二つを献納する規定であるため、中将は今後、御側役を使者として右の…

  44. 追録6-No.2601-2 貞嶽院の位牌殿へ太守は燈籠二つ、中将は官香二把を納める扱いを申し上げる

    貞嶽院の位牌殿への盆の供物として燈籠二つを掲げ、今後は太守から御番頭を使者として納める扱いになるものと吟味する。これまでは盆に使者を立てて燈籠を納める定例がなかったが、下国の際の参詣時に今後は金二百疋を納める旨が前年十二月に命じられていたこと、今回の隠居・家督に伴っては特別の進納物があることを踏まえ…

  45. 追録6-No.2602 重豪の隠居に伴う宗廟・諸社への金銀・香・青銭の献納を記す

    重豪の隠居に際し、宗廟・神社へ敬意を表して供物を納めた経過を記す。三月二十一日、家老島津久邦を遣わし、鹿児島五社(諏方・稲荷・祇園・春日・若宮)と福ヶ迫諏方社へ金二百疋ずつを献納する。二十二日には喜入久福を南泉院へ遣わし、神祖廟へ銀二枚、台徳・大猷・厳有・常憲・文昭・有章・有徳・惇信・浚明の各廟へ銀…

  46. 追録6-No.2603 浚明院遺物の脇差について証状と別紙拵書を収める

    重豪が拝領した浚明院の遺物である備前清真の脇差について、御納戸への収納を命じる家老七名の連署証状と、別紙の拵書を収める。本文と仕様を二枝に分けて記す。外包紙には、天明七年三月二十六日に安房から東郷浅之丞へ渡して納め置いた旨がある。

  47. 追録6-No.2603-1 重豪が拝領した浚明院遺物の脇差を御納戸で厳重に保管させる

    備前清真の脇差一腰を掲げ、拵書は別紙にあるとする。この脇差は浚明院の遺物として、天明六年十月二十六日に上使の太田備後守を通して重豪が拝領したものである。御納戸へ渡しておくので、いささかも怠慢・疎漏なく納め置くよう命じる。天明七年三月二十六日付で宮之原通直・二階堂行旦・嶋津久健・川上久品・菱刈實祐・喜…

  48. 追録6-No.2603-2 備前清真の脇差の寸法・評価と拵の仕様を列記する

    備前清真の脇差一腰について、長さ九寸六分半、表裏に刀樋があると記し、代金二十枚の折紙を添えるとする。鎺は上下金、二所物は色絵で「橘裏哺」と記し、柄鮫は白、星目釘は金、鞘は蠟色、鵐目は金、小刀は美濃守藤原政常と列記する。下緒は紫、袋は純子と記す。

  49. 追録6-No.2604 隠居・家督に伴う両殿の明細書を提出し受領されたと報告する

    今回の隠居・家督に伴い、大目付松平対馬守から明細書を提出するよう指示があったため、両殿の明細書を別紙のとおり御留守居が持参して差し出したところ、受け取られた旨の報告があったと伝える。なお道中へは別途申し上げると付記する。四月二日付で島津伊賀が喜入安房・川上頼母・嶋津仲・二階堂主計・宮之原主膳の五名に…

  50. 追録6-No.2605 重豪の本国・生国・官位・称号・年齢を記す

    松平上総介について、本国は薩摩、生国も薩摩、官位は従四位上中将、身分表示は薩摩守の嫡子とし、未年の年齢は四十三と記す。

  51. 追録6-No.2606 斉宣の少将任官を謝した重豪の書状と献上品を将軍へ披露したと伝える

    重豪の礼状を拝見し、将軍がますます機嫌よくあることを祝う旨を了承したと伝える。また、同氏豊後守が少将を命じられたことへの謝意も承知したとする。その礼として使者をもって目録のとおり品物が献上された件と、書状の趣旨を将軍へ申し上げたと伝える。四月十一日付、井伊直幸から松平上総介への書状である。

  52. 追録6-No.2607 斉宣の少将任官を受け重豪が道中から使者を遣わし献上して謝す

    先に春三月十八日、将軍が斉宣を城へ召し、老中が左近衛少将に任じる旨を命じたと記す。重豪は道中から使者を遣わし、樽肴と縮緬五巻を献上して恩を謝した。これに対して幕府の執政が差し出した奉書をここに載せるとする。

  53. 追録6-No.2608 斉宣の少将任官への謝礼として重豪が献じた縮緬と樽肴を披露したと伝える

    重豪の礼状を拝見し、将軍の機嫌がますますよいことへの祝意と、同氏豊後守が少将を命じられたことへの謝意を承知したと伝える。その礼として使者を通じ、縮緬五巻と樽肴が献上されたので、各々申し合わせて披露したところ、ひとしお喜ばしいことであったとする。四月十一日付、松平康福から松平上総介への書状である。

  54. 追録6-No.2609 自身の銅燈籠二基に加えて隠居重豪からも献納したいと伺う

    浚明院の霊前へ銅燈籠を献納する件は前年十二月に命じられていたが、その後、同氏上総介が隠居を命じられたので、自分から先例どおり二基を納めたいとする。さらに当時の由緒もあるため、上総介からも同様に献納させたいと伺う。四月十三日付、松平豊後守の名で記す。

  55. 追録6-No.2609-1 重豪からも銅燈籠二基を献上するよう認める

    上総介からも銅燈籠二基を献上するようにせよとする。斉宣の献納伺書に付された応答である。

  56. 追録6-No.2610 浚明院へ銅燈籠二基を奉献した重豪の称号と鋳物師を刻む

    東叡山の浚明院殿尊前へ銅燈籠二基を奉献する旨を記す。日付は天明六丙午年九月八日、奉献者は源朝臣重豪とし、薩摩・大隅・日向三国主兼領琉球国、致仕従四位上行左近衛中将兼上総介の称号を掲げる。鋳物師として大川吉右衛門・藤原吉兼の名を記す。

  57. 追録6-No.2611 伊勢の外宮・内宮を拝礼した行程と供の服装・到来物を記す

    四月十五日、小畑の駅の本亭で五つ時に供を揃え、御炊太夫の所へ立ち寄る。熨斗と茶が出され、熨斗目長袴に着替えて同所の神楽堂を拝礼する。前十四日に矢野男吏が代参し、大々神楽を済ませていたため、そのとおり拝礼したと付記する。その後、外宮四所と岩戸・内宮七所を拝礼し、再び御炊太夫の所へ立ち寄って神酒を頂き、…

  58. 追録6-No.2612 将軍宣下の祝儀として重豪が献じた太刀と馬代を披露したと伝える

    将軍宣下が済んだ祝儀として、重豪が使者をもって太刀と馬代を献上したことを披露したところ、ひとしお喜ばしいことであったと伝える。四月二十二日付で阿部正倫・鳥居忠意・水野忠友・牧野貞長・松平康福の五名が連署し、松平上総介に宛てる。

  59. 追録6-No.2613 将軍宣下を祝う斉宣の登城と能見物・饗応・礼参を記す

    天明七年四月二十二日、斉宣が将軍宣下を祝って登城する。松平周防守に導かれ白書院右に着座し、将軍が出御して尾張宰相・紀伊中将が進み出て拝謁した後、斉宣も続いて進み、着座して礼を行い退出する。二十五日には能が行われ、斉宣も登城して三家の次に着座し見物する。将軍が大広間へ出御すると三家に続いて拝謁し、菊の…

  60. 追録6-No.2614 重豪が西宮から伏見まで通し人馬で山崎を経由したいと伺う

    同氏上総介が国元で入湯し、相応の時期に休暇中でも御国廻りをして参府したいという希望は、願いどおり認められていると記す。その際、西宮から伏見まで通しの人馬を用い、山崎を通って旅行したい旨を上総介が伝えてきたので、この件を伺う。四月二十四日付、松平豊後守の名を記す。

  61. 追録6-No.2614-1 希望する旅行経路を重豪の意向に任せる

    伺いの件は本人の意向に任せると回答する。西宮から伏見まで通し人馬で山崎を経由したいという、重豪の旅行についての伺書に付された応答である。

  62. 追録6-No.2615 重豪の参宮を喜び将軍宣下の大礼と能見物が無事済んだと報告する

    重豪が機嫌よく旅行し、去る十五日の参宮も滞りなく済んだと承知して喜びを伝える。将軍宣下の大礼は万事首尾よく済み、一昨日二十五日の能見物まで残らず終了したので、安心したと報告する。四月二十七日付、斉宣の判を記し、中将に宛てた書状である。

  63. 追録6-No.2616 重豪が願いどおり十五日に参宮したとの報告を了承する

    重豪の礼状を拝見し、公方の機嫌がますますよいことを祝う旨を了承したと伝える。また、願いどおり去る十五日に参宮できたことへの謝意を承知し、書状の趣旨を一覧したとする。四月二十八日付、井伊直幸から松平上総介への書状である。

  64. 追録6-No.2617 重豪の十五日の参宮と謝意を了承し書状を一同で読んだと伝える

    重豪の礼状を拝見し、公方の機嫌がますますよいことへの祝意を承知したと伝える。願いどおり去る十五日に参宮したことへの謝意を了承し、書状の趣旨を各々一覧したとする。四月二十八日付、松平康福から松平上総介への書状である。

  65. 追録6-No.2618 重豪から届いた端午の帷子・単物を喜び詳細は松平康福から伝えるとする

    端午の祝儀として帷子・単物が届いたことを喜ぶと伝える。詳しい事情は松平周防守が述べるとする。五月二日付、家斉の墨印を記す、松平上総介宛の御内書である。

  66. 追録6-No.2619 将軍の袖留祝賀登城と斉宣への内書・縮緬・宣旨の到来を記す

    天明七年五月三日、斉宣が登城し、御座間で将軍の袖留を祝うと、丁寧な言葉を賜る。五日には将軍から初めて内書を賜る。二十三日には水野壱岐守が縮緬二十巻を持って邸へ来て斉宣へ賜り、宣下が済んだことによるとする。六月六日には口宣・宣旨が京都から届き、斉宣が受け取る。

  67. 追録6-No.2620 将軍宣下の祝いに使者を遣わした重豪の書状を将軍へ伝えたとする

    重豪の礼状を拝見する。公方がますます機嫌よくあること、今回の将軍宣下の任槐が済んだことを承ってめでたく思う旨を了承したと伝える。そのために使者を差し越した件と書状の趣旨を、将軍へ申し上げたとする。五月十三日付、井伊直幸から松平上総介への書状である。

  68. 追録6-No.2621 将軍宣下・任槐を祝う重豪の書状を一同で相談し将軍へ伝える

    重豪の礼状を拝見し、公方の機嫌がますますよいこと、将軍宣下・任槐が済んだことをめでたく思う旨を了承する。そのため使者を差し越した件と書状の趣旨を、各々相談して将軍へ申し上げたと伝える。五月十三日付、牧野貞長から松平上総介への書状である。

  69. 追録6-No.2622 将軍宣下の御礼が済んだことを祝う重豪の書状を将軍へ伝える

    重豪の礼状を拝見し、公方の機嫌がますますよいこと、将軍宣下の御礼が済んだことを承ってめでたく思う旨を了承する。そのために使者を差し越した件と書状の趣旨を、将軍へ申し上げたと伝える。五月二十二日付、井伊直幸から松平上総介への書状である。

  70. 追録6-No.2623 将軍宣下の御礼を祝う重豪の書状を一同で相談して将軍へ伝える

    重豪の礼状を拝見し、公方の機嫌がますますよいこと、将軍宣下の御礼が済んだことをめでたく思う旨を了承する。そのために使者を差し越した件と書状の趣旨を、各々相談して将軍へ申し上げたと伝える。五月二十二日付、牧野貞長から松平上総介への書状である。

  71. 追録6-No.2624 重豪の将軍宣下祝賀と太刀・馬代の献上、縮緬十巻の拝領を記す

    四月十五日に家斉が征夷大将軍に任じられたと聞いた重豪は、旅の途中から岸喜右衛門章彬を江戸へ遣わす。二十二日に太刀一腰と馬代金一枚を献じて将軍宣下を祝う。二十三日、将軍は上使の水野壱岐守忠韶を芝邸へ遣わし、重豪に縮緬十巻を賜り、斉宣が代わって受け取る。斉宣にも同様の下賜があったと注記する。重豪は再び旅…

  72. 追録6-No.2625 将軍宣下の祝儀として拝領物を受けた重豪の謝意を将軍へ伝える

    重豪の礼状を拝見し、公方の機嫌がますますよいことへの喜びを了承する。将軍宣下の祝儀として四月二十三日に重豪と同氏豊後守が上使を通じて拝領物を受けたことへの謝意を承知し、その御礼に使者を遣わした件と書状の趣旨を将軍へ申し上げたと伝える。六月晦日付、井伊直幸から松平上総介への書状である。

  73. 追録6-No.2626 将軍宣下の祝儀を受けた重豪の謝意を一同で相談して将軍へ伝える

    重豪の礼状を拝見し、公方の機嫌がますますよいことへの喜びを了承する。将軍宣下の祝儀として四月二十三日に重豪と同氏豊後守が上使を通じて拝領物を受けたことへの謝意を承知する。その御礼に使者を差し越した件と書状の趣旨を、各々相談して将軍へ申し上げたと伝える。六月晦日付、牧野貞長から松平上総介への書状である…

  74. 追録6-No.2627 将軍家との婚姻に備え茂姫を近衛経熙の養女とした経緯を記す

    重豪が以前から実娘茂姫を近衛右大臣経熙の養女にすることを計画し、この年の夏に近衛家が茂姫を養女に迎えたと記す。将軍家との婚姻を結ぶための措置であった。重豪はすでに隠居していたため、交渉の往復書簡は多く斉宣に関係づけられているが、実際には重豪の意向から出たことなので、ここに載せると説明する。

  75. 追録6-No.2628 茂姫の近衛家養女縁組の届出方法と重豪の対応を内々に伺う

    御縁女を近衛家の養女とする件について、双方の取り決め後は届出だけで済むか、近衛家と双方一緒に届け出るべきかを伺う。また、前日に伝えられた内意を重豪が国元で承知した後の対応、および豊後守が縁組成立を届け出る際の重豪の対応を尋ねる。急ぐ事情がなければ、まず内意を国元へ伝え、重豪の了承後に近衛家との掛け合…

  76. 追録6-No.2629 重豪の苗代川からの帰着、城内対面と社寺参詣を記す

    六月三日、朝六つ時に苗代川を出立し、横井で休んで九つ時に矢来門・櫻之間中門を通り着城する。休息所で熨斗・茶を受け、外庭の堂社と看経所へ参詣して盛塩・神酒を頂戴する。大奥で一同と対面し、再び休息所に出て市田勘解由に盃を遣わす。諸式を略し、その後は大奥で一同が集まり二汁五菜の料理と盃事を行う。帰着後の参…

  77. 追録6-No.2630 豊後守が初めて能見物を命じられ料理を頂戴した件の謝意を了承する

    重豪の礼状を拝見し、公方の機嫌がますますよいことへの喜びを了承する。将軍宣下に伴う能の際、同氏豊後守が初めて見物を命じられ、料理を頂戴したことへの謝意を承知し、書状の趣旨を各々一覧したと伝える。六月三日付、水野忠友から松平上総介への書状である。

  78. 追録6-No.2631 豊後守の初めての能見物と饗応への重豪の謝意を了承する

    重豪の礼状を拝見し、公方の機嫌がますますよいことへの喜びを了承する。将軍宣下に伴う能の際、同氏豊後守が初めて見物を命じられ、料理を頂戴したことへの謝意を承知し、書状の趣旨を一覧したと伝える。六月三日付、井伊直幸から松平上総介への書状である。

  79. 追録6-No.2632 茂姫の近衛家養女縁組の内意と手続を報じ国元からの指図を急ぐ

    茂姫の近衛家養女縁組をめぐる幕府の内意と手続を国元へ報告し、重豪の指図を急いで求める。先月二十九日、松平周防守の側用人から面談の依頼があり渋谷五郎右衛門が出向くと、太守の翌朔日登城の予定と近衛家一件の申渡しを内々に知らされる。太守は六つ半時供揃で登城し、御礼後に居残り、竹之御廊下から黒書院へ移って周…

  80. 追録6-No.2632-1 書状の内容を了承し別紙を控え置く旨を返答する

    「本文致承知別紙扣置候、以上」と返答し、書状の内容を了承したことと、別紙を控え置くことを伝える。六月二十七日の朱書日付を伴い、主書状の署宛列には朱の「上」「下」が付されている。

  81. 追録6-No.2633 近衛家と養女縁組を取り決め表向きに申し立てるよう指示する

    御縁女を摂家・宮家の養女にするのがよいとの意向があり、幸い豊後守家と近衛家に由緒があることは上総介隠居以前に申し聞かされていたので、近衛家養女とするのがよいと仰せ出された。近衛家と熟談して双方取り決め、表向きに申し立てるよう命じる。

  82. 追録6-No.2634 三司官として両殿への奉公と国王への忠勤、公平な政務を誓う

    若輩ながら三司官役を命じられた恩を謝し、御国許への奉公を念入りに務めること、斉宣・重豪に疎意を抱かないこと、御国許からの条書を厳守し悪意邪義を企てる者があれば披露すること、国王に別心なく忠勤すること、国中の掟と諸事を贔屓や親疎なく処理することを誓う。家督交替後も中将の代と同様に守るとし、違反時の神文…

  83. 追録6-No.2635 三司官として条書遵守と国王への忠勤、贔屓のない政務を誓う

    若輩ながら三司官役を命じられた恩を謝し、御国許への奉公に励み、斉宣・重豪に疎意を抱かず、御国許の条書を守って悪意邪義を企てる者を披露し、国王に忠勤し、国中の掟や諸事を贔屓・親疎なく処理すると誓う。今回の家督以後も中将の代と同様に守ると記し、違反時の神文は刊本で省略する。六月六日付で与那原親方良矩が署…

  84. 追録6-No.2636 伊江朝慶が前掲と同文の起請文を提出する

    伊江親方朝慶の六月六日付起請文。刊本は前書を「前文同断略ス」、神文を「略ス」とし、日付と署判を載せる。前掲の三司官起請文では、任命の恩に報いて御国許への奉公に励むこと、斉宣・重豪に疎意を抱かないこと、命じられた条書を守り悪意・邪義を知れば披露すること、国王に忠勤を尽くすこと、国中の政務を贔屓・親疎に…

  85. 追録6-No.2637 尚穆が王位継承の厚恩を謝し、下知の遵守と子孫への誓約継承を誓う

    中山王尚穆が少将に差し出した起請文前書。先国王の跡職を命じられ、筋目を変えずこの邦を相続できた厚恩を生涯忘れないと誓う。琉球の安泰は貴国の恩恵によるため、たとえ親子兄弟が高恩を忘れ逆意を抱いても、自らは貴国の下知を堅く守り、別心を持たないとする。この誓文を子や孫に譲り、末代まで相守るよう伝え、嫡々の…

  86. 追録6-No.2638 茂姫の養女縁組の手続回答と京都使者・贈物の再検討を国元へ伝える

    御縁女を近衛家の養女とし、熟談して双方で取り決めた後に表向きに申し立てるよう松平周防守から内意を受け、去る四日に急飛脚で報告した件の続報。両殿の勤め方、熟談後の申立方法、京都へ使者を送る時節などを渋谷五郎右衛門から周防守へ箇条書きで内々に伺い、九日に五郎右衛門が召され付札による回答を受けた。今朝、太…

  87. 追録6-No.2639 京都派遣の番頭に中将の使者を兼務させる案を伝え、国元からの返答を求める

    No.2638の報告を承知して上聞に達したと述べる。この件の贈物等は先便で通知したが、宛先側の御使番から申し出があったため再び送るとする。中将の使者について、国元から物頭を差し越す案は承知したものの、そちらから上京させる番頭に兼務させるよう、派遣する家老との内談が済んでいると伝える。この案を中将に申…

  88. 追録6-No.2640 重豪が家重の二十七回忌に使者を遣わして香奠銀二枚を献ずる

    六月、増上寺で惇信廟すなわち徳川家重の二十七回忌法事が営まれ、十三日に重豪が使者を派遣し、香奠として銀二枚を献じて拝礼させたと記す。使者の姓名については、今は考証できないとの小注がある。

  89. 追録6-No.2641 将軍の増上寺総御霊屋参詣を喜ぶ重豪の書状を上聞に達したと伝える

    重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がますますよいこと、去月晦日に増上寺の総御霊屋へ参詣したことを聞いて喜んでいる旨を了承する。書状の趣旨は将軍へ申し上げたと伝える。六月十三日付、井伊直幸から松平上総介への返書である。 No.2657の六月二十九日付前田安敬詫状は、四月晦日の増上寺参詣について掃部頭返礼状…

  90. 追録6-No.2642 四月晦日の将軍の増上寺参詣を喜ぶ重豪の意向を一同で相談し上聞に達する

    重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がますますよいこと、および四月晦日の増上寺総御霊屋への参詣を聞いて喜んでいる旨を了承する。書状の趣旨は各々相談し、将軍へ申し上げたと伝える。六月十三日付、水野忠友から松平上総介への返書である。 No.2657の六月二十九日付前田安敬詫状は、四月晦日の増上寺参詣について掃…

  91. 追録6-No.2643 重年の三十三回忌法事に重豪が家老島津久邦を代拝させる

    六月十四日から十六日までの三日間、福昌寺で圓徳公すなわち島津重年の三十三回忌法事が営まれた。重豪は家老の島津和泉久邦を遣わして拝礼させたと記す。

  92. 追録6-No.2644 暑中見舞いと目録どおりの献上品について重豪へ返答する

    重豪の書状を拝見し、酷暑の折に公方の機嫌を尋ねたことに対して、公方はいよいよ安泰なので安心するよう伝える。あわせて目録のとおりの品が献上されたことと、書状の趣旨を将軍へ申し上げた旨を伝える。六月十五日付、井伊直幸から松平上総介への返書である。

  93. 追録6-No.2645 暑中見舞いと鰹節一箱の献上を一同で相談して披露したと伝える

    重豪の書状を拝見し、酷暑の折に公方の機嫌を尋ねたことに対して、公方はいよいよ安泰なので安心するよう伝える。あわせて鰹節一箱が献上されたことについて、各々相談して披露したところ、まことに結構なことであったと伝える。六月十五日付、水野忠友から松平上総介への返書である。

  94. 追録6-No.2646 将軍の袖留を喜ぶ重豪の意向を一同で相談し上聞に達する

    重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がますますよいこと、先月三日に袖留を行ったと聞いてめでたく思っている旨を了承する。書状の趣旨を各々相談し、将軍へ申し上げたと伝える。六月十六日付、水野忠友から松平上総介への返書である。

  95. 追録6-No.2647 将軍の袖留への重豪の祝意を上聞に達したと伝える

    重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がますますよいこと、先月三日に袖留を行ったと聞いてめでたく思っている旨を了承する。書状の趣旨を将軍へ申し上げたと伝える。六月十六日付、井伊直幸から松平上総介への返書である。

  96. 追録6-No.2648 雄五郎のお披露目と帰着後初の料理寄合、祝儀の贈物を記す

    六月十九日、先年生まれた男子島津雄五郎が丈夫に成長し、近く公辺へ届け出るため、一門方その他から祝儀があったと記す。重豪の帰着後初めての料理寄合に、雄五郎のお披露目の祝いもあわせて行う。雄五郎は牡丹の間に出座し、一門方が対面した後、大目付以上、側用人・側役、奥向の者も残らず対面する。一門方には牡丹二の…

  97. 追録6-No.2649 茂姫の養女縁組交渉と京都派遣使者の祝物手配について指示する

    御縁女を近衛家の養女とする件で、双方が相対して縁組を取り結ぶよう松平周防守から太守へ内密の指示があった。多少延びても差し支えなければ、まず中将への往復連絡後に近衛家と熟談したいと再度伺っているが、指図が急には定まらず、先に飛脚で報じられたという。もし中将との往復を待てなければ、家老を上京させて縁組の…

  98. 追録6-No.2650 書状の内容を了承し、京都留守居へ重ねて連絡したと返答する

    書状の内容を承知し、御使番からも申し出があったと返答する。京都へ伝達される予定であるが、当地の御使番から京都留守居へ今日の便でなお重ねて申し送ったとの報告があったと伝える。七月十三日の朱書日付を伴う返答で、主書状の署宛列には朱の「上」「下」が付されている。

  99. 追録6-No.2651 養女縁組の申立方法に関する幕府回答と、伊賀の京都出立予定を伝える

    御縁女を近衛家の養女とする内意に伴い、両殿の勤め方や熟談成立後の申立方法などを渋谷五郎右衛門名義で松平周防守へ伺い、その指図を十日の飛脚で伝えた件の続報。伊賀を内用のため京都へ派遣し十七日に当地を出立させる予定は、十一日の使者便で知らせていた。さらに、成立の報告は口上か書面か、近衛家からもこちらの書…

  100. 追録6-No.2652 隠居後の政務介助と家風の継承を説き、家中の規律と精勤を求める

    六月二十三日、座の間で家老たちへ渡した書付。隠居・家督交替について、かねて伝えた深い考えから政務を専ら介助し、そのため今回あえて隠居を願い出たと述べる。先年以来さまざまに指示してきたことを油断なく扱い、細事まで行き届くよう相談して判断することを求める。従来の式を正し、代々の作法に従って詳しく調べ、放…