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追録6の目録
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追録6-No.412 松平輝高書状
公方・大納言の機嫌を尋ねる書札を拝見し、ますます健やかであるため心配しないよう伝える。それに伴い「干鱠残魚一箱」を献上したことについて、各々と相談して披露したところ一段の御仕合であったと報じる。九月六日付、年は明和四年の朱注。松平右京大夫輝高の判と松平薩摩守殿宛を備える。同日付No.413も同じ品目…
追録6-No.413 板倉勝清書状
公方・大納言の機嫌を尋ねる書札を拝見し、ますます無事であるため心配しないよう伝える。それに伴う「干鱠残魚一箱」の献上を披露したところ一段の御仕合であったと報じる。九月六日付、年は明和四年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.412と同日・同品目の返書だが、本書は安否を「益御安全」…
追録6-No.414 徳川家治御内書
重陽の祝儀として小袖一重が到来し、喜ばしく思うと薩摩中将へ伝える。委細は松平周防守が述べると記す。九月七日付、年は明和四年の朱注。家治公墨印の表示と薩摩中将殿の宛記があり、正文は文庫にあるという。No.415は同日付で使者による小袖一重の献上を披露したと報じる板倉勝清の書状である。
追録6-No.415 板倉勝清書状
重陽の祝儀として使者をもって小袖一重を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。九月七日付、年は明和四年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛は次の段に続く。No.414の小袖一重到来に対する御内書と対応するが、本書は使者による献上とその披露を伝える別書状である。
追録6-No.416 松平輝高書状
書札を拝見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの恐悦をもっともとする。また暑気を尋ねる見舞いとして妻女に拝領物があり、ありがたく思うとの趣旨を承知したと伝える。紙面の趣旨は各々が一覧したと記す。九月九日付、年は明和四年の朱注。松平右京大夫輝高の判と松平薩摩守殿宛を備え、正文は文庫にあるという。妻女の実…
追録6-No.417 板倉勝清書状
書札を拝見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの恐悦をもっともとする。また暑気を尋ねる見舞いとして、公方から妻女に拝領物があり、ありがたく思うとの趣旨を承知する。紙面の趣旨を承知したと返答する。九月九日付、年は明和四年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と、次頁に続く松平薩摩守殿の宛記を備える。No.416と同…
追録6-No.418 島津重豪請書
御奉書を拝見し、薩摩国鹿児島城下東口番所通「艮方外東北之間」で土居六箇所が崩れたため、修補について絵図朱引のとおりに願ったところ、元のように修補することを許可された旨を承知したと請ける。九月廿一日付、年は明和四年の朱注。松平薩摩守の名と、松平右近将監様・松平右京太夫様・松平周防守様・阿部伊豫守様への…
追録6-No.419 島津重家加冠仮名書出
加冠に際し、仮名を源十郎とすることを「宜爲」と書き出す。明和四年亥九月廿八日付で、重豪公墨印の表示と源十郎の名を備える。正文は川上源十郎のもとにあるという。目録は島津重家加冠仮名書出として掲げるが、本文の命名は源十郎であり、重家という諱の命名文言は記されていない。
追録6-No.420 久金・久智連署書状
樺山左京・島津左中が、城下の堀浚いと北郷主膳方の岸修補について相談する。吉野橋堀築地・入來院石見殿前の堀・南泉院下の堀が埋まったため、元祿十六年の願いどおり元に戻す浚いを命じられたが着手せず延引し、寶永三年に差し置かれた経緯を記す。淨國院の代に次第に浚う指示があったとの書留はあるものの、届出や他家の…
追録6-No.421 久中外四名連署返書
No.420の城下堀浚いと北郷主膳方の岸修補の相談に対し、行間の朱返答で承知したと記す。当地で詳しく聞き合わせ、留守居の申出を含む経緯を報告した原書について、示された二様の先例のとおりに差し置き、改めて届出等を命じるには及ぶまいという趣旨を、なお相談して伝えたと返す。主膳方の土手修補は国許から申し越…
追録6-No.422 佐久間村央書状
国許の城下の堀浚いは元祿年中の奉書による指示がある一方、その後は埋まるたびに届出や沙汰を要せず目立たぬように浚ってきたため、奉書と取扱いの相違を踏まえ、今後の方針を定めるよう命じられたと報告する。同格の各家留守居に照会したところ、加賀は数日の浚いを中止・再開し、越前・大膳も同様で大破の場合には届け、…
追録6-No.423 島津重豪届書
相良源次郎内の米良七郎左衛門家来で、源次郎支配の米良主膳領分に居住していた男女百七拾人が、私領日向国諸縣郡須木へ逃散した件を届ける。先に命じられたとおり囚人の取扱いとして、一昨廿三日に領内の境で此方家来から源次郎家来へ、人数に誤りなく全員を引き渡し終えたと報告する。閏九月廿五日付、年は明和四年の朱注…
追録6-No.424 重豪府城で聴訴
同四年十月二十六日、府城本丸書院で獄訟を聴き、裁断した旨を記す短い記事。「重豪公御譜中」に収め、目録は重豪が府城で聴訴した記事として掲げる。具体的な訴訟当事者、争点、裁断内容、人数はこの本文には記されない。
追録6-No.425 島津重豪書状
中山王が年始の祝儀として使簡を差し渡し、ことに別録に記す品を贈ったことについて、その心遣いを喜ばしく思うと伝える。さらに後の喜びの時を期すると結ぶ。十月廿八日付、年は明和四年の朱注。中将重豪の御判と中山王への「謹上」の宛記を備える。正文は琉球国司にあるという。使簡の実名及び別録の具体的な品目・数量は…
追録6-No.426 島津重豪書状
中山王の書状を拝見し、去申年に大清国へ差し渡した進貢使山川雲親が、北京での勤めを終え去歳十二月に帰帆したとの知らせを受けたことを記す。これに伴い、この節に山川を介して別録のとおり贈物を届けた心遣いを過分にありがたく思うと伝える。十月廿八日付、年は明和四年の朱注。中将重豪の御判と中山王への「謹上」の宛…
追録6-No.427 島津重豪書状
中山王の書状を拝見し、ますます平安であることを喜ばしく思うと伝え、自身も無事であるので心配しないよう知らせる。また縮布五端を贈ったことについて、懇篤な心遣いに謝意を示す。十月廿八日付、年は明和四年の朱注。薩摩守重豪の御判と中山王への回酬の表示を備え、正文は琉球国司にあるという。
追録6-No.428 島津重豪書状
中山王の書状を拝見し、大清からの賜物である金入龍紋緞子一巻・色緞子一巻を贈ってくれたことについて、その心遣いを喜ばしく思うと伝える。十月廿八日付、年は明和四年の朱注。薩摩守重豪の御判と中山王への回章の表示を備える。大清の賜物を中山王が重豪へ贈る二段階の贈与であり、重豪へ大清が直接下賜したとの文言では…
追録6-No.429 田沼意次書状
田沼意次が書札を拝見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの恐悦をもっともとする。また参勤の時期を使者によって尋ねたことについて、その趣旨を承知したと返す。十一月五日付、年は明和四年の朱注。田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備え、正文は文庫にあるという。本書には参府の具体的な時期を命じる文言はなく、同…
追録6-No.430 板倉勝清書状
板倉勝清が書札を拝見し、公方・大納言が機嫌よく過ごしていることへの恐悦をもっともとする。参勤の時期を使者によって尋ねた件について、紙面の趣旨を承知したと返答する。十一月五日付、年は明和四年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.429と同日・同じ問い合わせへの別差出の返書であり、本…
追録6-No.431 松平武元外三名連署奉書
書札を拝見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの恐悦をもっともとする。使者によって参勤の時期を尋ねたことを上聞に達したところ、来年四月中に参府するよう命じられたので、その旨を承知するよう伝える。十一月五日付、年は明和四年の朱注。阿部伊豫守正右・松平周防守康福の署判に続き、次頁の松平右京大夫輝高・松平右…
追録6-No.432 松平輝高書状
公方・大納言の機嫌を尋ねる書札を拝見し、ますます健やかであるため心配しないよう伝える。それに伴って「小敖海鼠一箱」を献上したことについて、各々と相談して披露したところ一段の御仕合であったと報じる。十一月十三日付、年は明和四年の朱注。松平右京大夫輝高の判と松平薩摩守殿宛を備え、正文は文庫にあるという。…
追録6-No.433 板倉勝清書状
公方・大納言の機嫌を尋ねる書札を拝見し、ますます無事であるため心配しないよう伝える。「小敖海鼠一箱」の献上を披露したところ一段の御仕合であったと報じる。十一月十三日付、年は明和四年の朱注。年月日・板倉佐渡守勝清の判・松平薩摩守殿宛は次の段に続く。No.432と同日・同品目の返書だが、本書は安否を「益…
追録6-No.434 島津重豪加冠仮名書出
嶋津長袈裟の加冠に際し、仮名を又六郎とすることを「宜爲」と書き出す。明和四年亥十一月廿八日付。花押の表示に島津重豪の注とNo.2の番号を付す。正文は島津但馬のもとにあるという。命名を行う重豪と、書出しの対象である嶋津長袈裟及び与えられる仮名又六郎を区別する。
追録6-No.435 島津重豪加冠仮名書出
赤山正二郎の加冠に際し、仮名を九郎とすることを「宜爲」と書き出す。明和四年亥十一月廿八日付で、重豪公墨印の表示を備える。正文は島津但馬のもとにあるという。No.434と同日付の加冠書出だが、対象人物と仮名が異なり、本書は重豪公墨印、No.434は重豪の花押表示を備える別文書である。
追録6-No.436 松平康福書状
寒中に公方・大納言の機嫌を使者によって尋ねた書札を拝見し、ますます健やかであるため心配しないよう伝える。それに伴い琉球紬十端と鰹節一箱を献上したことについて、各々と相談して披露したところ一段の御仕合であったと報じる。十二月二日付、年は明和四年の朱注。松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備え、正文は文…
追録6-No.437 板倉勝清書状
寒中に公方・大納言の機嫌を使者によって尋ねた書札を拝見し、ますます無事であるため心配しないよう伝える。琉球紬十端と鰹節一箱を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。十二月二日付、年は明和四年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.436と同日・同品目の返書…
追録6-No.438 重豪、家臣宅で聴訴
同年十二月四日、府下の島津鐵熊宅に仮の評席を設け、獄訟を裁断する場に臨んだことを記す。関係する法官や役人が座下に並んだという。「重豪公御譜中」の記事で、目録は重豪が家臣宅で聴訴したこととして掲げる。No.424の府城本丸書院での聴訴とは日付と場所を異にする。具体的な訴訟当事者、争点、裁断内容及び役人…
追録6-No.439 松平武元書状
徳川民部卿の婚姻が済んだことに伴い、祝儀として鯛一折を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。十二月五日付、年は明和四年の朱注。松平右近将監武元の判と松平薩摩守殿宛を備え、正文は文庫にあるという。民部卿には一橋治済の小字注がある。婚姻の相手や婚姻実施日は本書には記されない。
追録6-No.440 板倉勝清書状
徳川民部卿の婚姻が済んだことに伴う祝儀として、鯛一折を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。十二月五日付、年は明和四年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。同日付の松平武元によるNo.439と同じ献上を扱うが、別差出の独立した返書である。
追録6-No.441 幕府老中達書
大廣間で御礼を申し上げる者が持参する太刀の置場と、御礼をする位置を、年始と八朔に分けて定める。年始は、中将が御下段下から四畳目に太刀を置き三畳目で御礼、少将が三畳目に置き二畳目で御礼、侍従が二畳目に置き一畳目で御礼とする。四品は御下段の敷居内一畳目に置き、板縁で御礼する。八朔は、中将・少将・侍従を区…
追録6-No.442 松平康福書状
松平康福が書札を拝見し、公方の機嫌がよく、十月十四日に増上寺の御霊屋へ参詣したことを聞いて恐悦するとの趣旨をもっともとする。紙面の趣旨は各々と相談して上聞に達したと報じる。十二月十三日付、年は明和四年の朱注。松平周防守康福の判と、次の段に続く松平薩摩守殿宛を備え、正文は文庫にあるという。
追録6-No.443 松平康福書状
書札を拝見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの恐悦をもっともとする。それに伴って蜜柑二箱・炙鮎一箱を献上したことについて、各々と相談して披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。十二月十三日付、年は明和四年の朱注。松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.444も同日・同品目の献上を扱う…
追録6-No.444 板倉勝清書状
書札を拝見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの恐悦をもっともとする。蜜柑二箱・炙鮎一箱の献上を披露したところ一段の御仕合であったと報じる。十二月十三日付、年は明和四年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.443と同日・同品目の返書だが、本書は披露に先立つ各々との相談を明記しない。
追録6-No.445 重豪、忠良二百年忌法会
この年十二月十三日が日新公の二百年忌に当たるため、日新寺で十二日から十四日まで三日間の法会を修したと記す。香奠として白銀十枚を進納し、家老高橋此面種寿が代参した。日新公には島津忠良、日新寺には加世田の小字注がある。「御譜中」の記事であり、忌日と法会期間及び香奠・代参を記録する。
追録6-No.446 島津重豪加冠仮名書出
仁禮彦袈裟の加冠に際し、仮名を仲太郎とすることを「宜爲」と書き出す。明和四年亥十二月十五日付で重豪公墨印の表示を備える。正文は仁禮小吉のもとにあるという。命名者の重豪、書出しの対象である仁禮彦袈裟、仮名仲太郎、正文所在の仁禮小吉をそれぞれ区別する。
追録6-No.447 松平武元外三名連署状
公方・大納言が機嫌よく過ごしているため心配しないよう知らせる。また「御鷹之鶴」の拝領に伴い、宿次を通して差し送る旨を伝える。十二月十九日付、年は明和四年の朱注。阿部伊豫守正右・松平周防守康福の署判に続き、次の段にある松平右京大夫輝高・松平右近将監武元の署判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあると…
追録6-No.448 幕府老中宿継証文
状箱と鶴壹を、江戸から薩摩国鹿児島の松平薩摩守のもとへ届けるよう指示する。返札が来るので、江戸の月番老中へ必ず持参するよう命じる。亥十二月十九日付、年は明和四年の朱注。周防印を備え、松平康福の小字注と右宿中の宛記がある。正文は文庫にあるという。No.447の拝領・差送り通知と対応する宿継の証文であり…
追録6-No.449 重豪、参勤発着式を嘉例とす
同年十二月十九日に首途の式を行ったことを記す。翌年の参勤は二月六日発駕とする小字注があり、儀式の日と実際の出発予定を区別する。従来、東行のたびに吉日を選んで出発の式を予行し、西帰の際にもそれに倣ってきたことを嘉例とし、次条の式次第を記して今後の先例とする。「重豪公御譜中」の記事。本文の同年は目録の明…
追録6-No.450 島津重豪参勤首途規式次第
十二月十九日の首途式について、対面所から出て城下吉野橋筋を行列し、請笠・竪笠・鉄炮二挺・弓台二肩・旗竿・鎧一領・道具四本を伴い、四時に諏方へ参詣する次第を定める。山伏金藏院が先に控えて海陸の安全を祈り、安養院が供し、祇園前から召船に乗る。供の家老は羽織袴で乗馬、用人以下は駕籠廻りを勤め、馬廻新番・歩…
追録6-No.451 松平康福書状
松平康福が書札を拝見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの恐悦をもっともとする。妻女が御鷹之鴈を拝領してありがたく思うとの趣旨を承知し、紙面の趣旨は各々が一覧したと伝える。十二月廿二日付、年は明和四年の朱注。康福の判と松平薩摩守殿宛を備え、正文は文庫にあるという。拝領の日付・贈与者・具体的数量と妻女の…
追録6-No.452 板倉勝清書状
書札を拝見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの恐悦をもっともとする。十月廿二日に公方から妻女が御鷹之鴈を拝領し、ありがたく思うとの趣旨を承知したと伝える。紙面の趣旨を承知したと返答する。十二月廿二日付、年は明和四年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.451と同じ話題だが、本書は…
追録6-No.453 幕府触書并家老座副状
雑抄中の公儀触書と、それを伝達する御家老座の副状を収める。触書は、諸国百姓の強訴・徒党・逃散を禁じ、寛延三年の達しでも吟味して事件を差繰る者等を処罰するよう命じたが、西国筋では代官・預所役人・領主・地頭の申付けを拒んで他領へ逃散し、仕置をしないなら帰村するなどと難渋する例があると批判する。今後は早急…
追録6-No.454 徳川家治御内書
歳暮の祝儀として小袖一重が到来し、喜ばしく思うと薩摩中将へ伝える。委細は松平右京大夫が述べると記す。十二月廿七日付、年は明和四年の朱注。家治公墨印の表示と薩摩中将殿宛を備え、正文は文庫にあるという。No.455は同日付で使者を通した小袖一重献上の披露を報じる別書状である。
追録6-No.455 板倉勝清書状
歳暮の祝儀として使者によって小袖一重を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。十二月廿七日付、年は明和四年の朱注。本文は次頁へ続き、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.454の小袖一重到来への御内書と対応するが、本書は使者による献上とその披露を伝える。
追録6-No.456 板倉勝清書状
大納言へ破魔弓一飾を使者によって献上したことについて、首尾よく披露したと知らせる。十二月廿八日付、年は明和四年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。献上先の大納言、献上品の破魔弓一飾、使者を介した献上、披露の結果を伝える返書である。
追録6-No.457 明和五年間公辺記事
明和五年の年次記事。元日は既に首途を済ませたため賀正を受けず、御座間で公族と三官に会い、外庭稲荷を拝した。正月十三日は護摩所・福迫・稲荷、二十日は大雄・松峯・玉龍を訪れ、鷹が捕えた鶴の賜りを十八日に拝受したことも記す。二月六日に府城を発ち、家老川田伊織国福・仲久健、用人・納戸奉行・使番らが同行する。…
追録6-No.458 重豪、種子島の孝子褒賞
大隅国種子島現和村の漁戸彌五郎がよく母を養い、その娘もまた孝順であったため、その名が官へ伝わったと記す。明和五年戊子の春、正月四日に、父子へそれぞれ米三石を与えて褒賞した。本文は娘を記した後に褒賞対象を「父子」と表現しており、子を男児とは限定しない。「重豪公御譜中」の記事で、目録は重豪による種子島の…
追録6-No.459 松平武元書状
若菜の祝儀として鯛一折を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。正月七日付、年は明和五年の朱注。松平右近将監武元の判と松平薩摩守殿宛を備え、正文は文庫にあるという。No.460も同日・同品目の献上を扱う別差出の返書である。
追録6-No.460 板倉勝清書状
若菜の祝儀として鯛一折を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。正月七日付、年は明和五年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.459と同日・同じ献上への返書だが、差出人が異なる独立文書である。
追録6-No.461 松平武元外三名連署状
年頭の祝儀として使者によって太刀一腰・馬代黄金十両を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。正月十一日付、年は明和五年の朱注。正文は上の段、年月日・阿部正右・松平康福・松平輝高・松平武元の四署判及び松平薩摩守殿宛は下の段に続く。正文は文庫にあるという。No.462は同日・…
追録6-No.462 板倉勝清書状
年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。正月十一日付、年は明和五年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.461の四名連署状と同日・同品目であるが、本書は勝清単独の返書である。
追録6-No.463 重豪、御鷹の鶴拝領
前年十二月十九日、大樹家治公が宿次奉書をもって御鷹之鶴一隻を賜った件を記す。康福が家臣中村與太夫種曉へ鶴と奉書等を託し、新番本田甚右衛門親香・汾陽茂右衛門盛庸に歩行士二人・足軽六人を添えて薩府へ送った。親香・盛庸はその夜芝邸を発ち、東海・山陽・西海を経て、明和五年正月十八日に薩府へ到着し、重豪は対面…
追録6-No.464 清はし外六名連署消息
正月四日付の書札を受け、公方・大納言・御臺がますます機嫌よく、めでたく思うとの趣旨を承知する。旧臘四日に徳川民部様の婚姻が済んだことを知って喜び、祝儀を申し上げた書札について、よく取り次ぐ旨を返す。大納言へもよろしく申し上げると記す。まつ嶋・高をか・うら尾・いは瀬・たき川・むめた・清はしの七名署と、…
追録6-No.465 清はし外六名連署消息
正月四日付の書札を受け、公方・大納言・御臺がますます機嫌よく、めでたく思うとの趣旨を承知する。旧臘四日に徳川民部卿の婚姻が済んだことを聞いて喜び、御臺へ差し上げた祝儀の書札について、その趣旨をよく申し上げると返す。七名の署と松たいらさつまの守様御返事・人々御中の表示があり、年は明和五年の朱注。本書は…
追録6-No.466 清はし外六名連署消息
正月四日付の書札を受け、公方・大納言・御臺の機嫌がよいことへの喜びを承知する。旧臘四日に徳川民部卿の婚姻が済んだ祝儀として、公方・大納言・御臺から上使上田能登守を介して淨岸院へ贈物があったことを知り、薩摩守もありがたく思うとの趣旨を受ける。その礼を申し上げた書札を取り次ぎ、御臺へもよろしく申し上げる…
追録6-No.467 清はし外六名連署消息
正月六日付の書札を受け、公方・大納言・御臺がますます機嫌よく、めでたく思うとの趣旨を承知する。徳川民部卿の婚礼が済み、旧臘六日に御二方様が御膝直しの登城をしたことを知って喜び、祝意を申し上げた書札をよく取り次ぐ旨を返す。大納言へもよろしく申し上げると記す。松しま以下七名署と松平薩摩守様御返事・人々御…
追録6-No.468 清はし外六名連署消息
正月六日付の書札を受け、公方・大納言・御臺の機嫌がよいことへの喜びを承知する。徳川民部卿の婚姻が済み、旧臘六日の御二方様の御膝直し登城を聞いて喜び、御臺へ祝意を申し上げた書札の趣旨をよく披露すると返す。松しま・高をか・うら尾・いわせ・たき川・むめた・清はしの七名署と松平薩摩守様御返事・人々御中を備え…
追録6-No.469 松平武元書状
書札を披見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを承知する。前年冬、公方から寒中見舞として妻女が御肴を拝領したことについて、ありがたいという趣旨を受け、書札の内容を各々一覧したと返す。正月二十七日付、明和五年の朱注があり、松平右近将監武元の判と松平薩摩守殿宛を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は文…
追録6-No.470 板倉勝清書状
書札を披見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを承知する。公方から妻女へ寒中見舞として御肴を賜った件について、ありがたいという趣旨を受け、書札の内容を承知したと返す。正月二十七日付、明和五年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.469と同じ拝領謝意を扱う別差出の返書である。
追録6-No.471 近衛内前書状
年始の賀章と、目録に記された贈物を受け取って喜び、平安に年を越したことをめでたいとする。こちらも無事で、後の音信を待つと返す。正月二十九日付、年は明和五年の朱注、差出には近衛内前の付注と花押No.1、宛には薩摩中将とのへがある。重豪公御譜中に掲げられ、正文は文庫にあるという。贈物の品目・数量は本書に…
追録6-No.472 清はし外六名連署消息
正月十一日付の書札を受け、公方・大納言・御臺及び萬壽姫君が機嫌よく、めでたく思うという趣旨を承知する。歳暮の祝儀として公方・御臺から石渡四郎三郎を介し、前年十二月十一日に御をくさまが贈物を拝領したことを薩摩守もありがたく思い、その礼を申し上げた件をよく取り次ぐと返す。大納言・御臺・萬壽姫君へもよろし…
追録6-No.473 清はし外六名連署消息
正月十一日付の書札を受け、公方・大納言・御臺及び萬壽姫君の機嫌がよいことへの喜びを承知する。前年十二月十一日、歳暮の祝儀として公方から時服及び御肴を拝領し、ありがたく思うという趣旨を受け、その礼をよろしく申し上げると返す。大納言・御臺・萬壽姫君へもよろしく伝えると記す。まつしま以下七名署と、まつ平さ…
追録6-No.474 清はし外六名連署消息
正月十一日付の書札を受け、公方・大納言・御臺の機嫌がよいことへの喜びを承知する。歳暮の祝儀として前年十二月十一日に、公方から上使清橋、御臺から御使とみを介して淨岸院へ贈物があったことを薩摩守もありがたく思うという趣旨を受け、その礼をよろしく申し上げると返す。御臺へもよろしく伝えると記す。七名署とまつ…
追録6-No.475 阿部正右書状
書札を披見し、新年を祝うとともに、公方・大納言の機嫌がよく年始の規式が済むことをめでたく思うという趣旨を承知する。樽肴を献上したことについて、各々相談して披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。二月三日付、年は明和五年の朱注、阿部伊豫守正右の判と松平薩摩守殿宛を備える。重豪公御譜中に掲げられ、…
追録6-No.476 板倉勝清書状
書札を披見し、新年を祝うとともに、公方・大納言の機嫌がよく年始の規式が済むことをめでたく思うという趣旨を承知する。樽肴を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。二月三日付、年は明和五年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.475と同じ献上についての別差出…
追録6-No.477 重豪、参勤する
明和五年二月六日、重豪が参勤のため国を発った行程を記す。家老川田伊織国福・島津仲久健、側用人山岡齊宮久澄、側用人近習役勤伊地知新太夫季周・關山新左衛門金郷・二階堂蔀行旦らが供奉した。小倉路を経て二月二十日に豊前大里へ着き、船で二十七日に播州坂越へ到着、翌二十八日に播磨路へ上がり、三月二日に大坂へ着い…
追録6-No.478 阿部正右書状
書札を披見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを承知する。徳川民部卿の婚姻が済んだことを聞いてめでたく思うという趣旨を受け、書札の内容を各々相談して上聞に達したと返す。二月十三日付、年は明和五年の朱注。阿部伊豫守正右の判と松平薩摩守殿宛を備え、重豪公御譜中に掲げられ、正文は文庫にあるという。
追録6-No.479 板倉勝清書状
書札を披見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを承知する。徳川民部卿の婚姻が済んだことを聞いてめでたく思うという趣旨を受け、書札の内容を言上したと返す。二月十三日付、年は明和五年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.478と同じ祝意についての別差出の返書であり、本書には各申談…
追録6-No.480 阿部正右書状
公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを承知する。前年十二月、歳暮の祝儀として時服と御肴を拝領し、ありがたいという趣旨を受け、書札の内容を各々相談して上聞に達したと返す。二月十五日付、年は明和五年の朱注、阿部伊豫守正右の判と松平薩摩守殿宛を備える。重豪公御譜中に掲げられ、正文は文庫にあるという。
追録6-No.481 板倉勝清書状
公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを承知する。歳暮の祝儀として公方から時服と御肴を拝領し、ありがたいという趣旨を受け、書札の内容を言上したと返す。二月十五日付、年は明和五年の朱注、板倉佐渡守勝清の判を備え、松平薩摩守殿宛は次の段に続く。No.480と同じ拝領謝意についての別差出の返書である。
追録6-No.482 阿部正右書状
公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを承知する。前年十二月、歳暮の祝儀として公方・御臺から妻女へ贈物があり、ありがたいという趣旨を受け、書札の内容を各々一覧したと返す。二月十五日付、年は明和五年の朱注、阿部伊豫守正右の判と松平薩摩守殿宛を備える。贈物の品目・数量、妻女の実名は本書には記されない。
追録6-No.483 板倉勝清書状
公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを承知する。歳暮の祝儀として公方・御臺から妻女へ贈物があり、ありがたいという趣旨を受け、書札の内容を承知したと返す。二月十五日付、年は明和五年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。No.482と同じ妻女の拝領謝意についての別差出の返書である。
追録6-No.484 近衛内前書状
平安であることをめでたいとし、こちらも無事であると伝える。大樹の放鷹で得た鶴を奉書とともに賜り、畏悦の旨を知らせてきた件について、喜ばしくめでたく思うと返す。二月二十二日付、年は明和五年の朱注、花押No.1と薩摩中将とのへ宛を備える。重豪公御譜中に掲げられ、正文は文庫にあるという。目録は近衛内前書状…
追録6-No.485 阿部正右書状
御鷹の鶴拝領への礼として遣わされた使者入來院大和を、翌朔日の五時に御城へ差し出すよう命じる。また、自分の礼についても申し上げるよう、趣旨を承知しておくことを伝える。二月二十九日付、年は明和五年の朱注、阿伊豫に阿部正右の付注があり、松平薩摩守殿留守居宛を備える。
追録6-No.486 松平輝高書状
入來院大和を、翌日の四時に御城へ差し出すよう指示する。三月四日付、年は明和五年の朱注。入來院大和には定救、松右京には松平輝高の付注がある。松平薩摩守殿留守居宛を備え、重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。本文は前の段から続く。
追録6-No.487 板倉勝清書状
入來院大和を、翌日の九時に我等宅へ差し出すよう指示する。三月四日付、年は明和五年の朱注、板佐渡に板倉勝清の付注があり、松平薩摩守殿留守居宛を備える。同日付のNo.486が御城への出頭を命じるのに対し、本書の行先は勝清の宅である。
追録6-No.488 松平武元外三名連署状
公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを承知する。宿次奉書によって御鷹の鶴を賜り、ありがたいという趣旨を受け、その礼として入來院大和を遣わして樽肴を献上した件を披露したと知らせる。御前へ召し出され、入念な礼であることに御喜色があったという。三月五日付、年は明和五年の朱注。阿部正右・松平康福・松平輝高・…
追録6-No.489 板倉勝清書状
公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを承知する。宿次奉書によって御鷹の鶴を拝領し、ありがたいという趣旨を受け、その礼として入來院大和を遣わして樽肴を献上した件を披露したと知らせる。入念な礼であることに御喜色があったという。三月五日付、年は明和五年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。N…
追録6-No.490 松平康福書状
歳暮の御内書を渡すため、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう命じる。三月六日付、年は明和五年の朱注、松平周防守の署と松平薩摩守殿宛を備え、年月日・署宛は次の段に続く。目録では松平康福書状とする。御内書の授受準備を命じる文書で、家来の実名は記されない。
追録6-No.491 松平輝高書状
公方の機嫌がよいことへの喜びと、正月十日に東叡山の御霊前へ参詣したことを聞いて喜ぶという趣旨を承知する。書札の内容を各々相談し上聞に達したと返す。三月七日付、年は明和五年の朱注、松平右京大夫輝高の判と松平薩摩守殿宛を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。目録の松平康福書状という表題と…
追録6-No.492 松平輝高書状
公方の機嫌がよいことへの喜びと、正月二十四日に増上寺の御霊屋へ参詣したことを聞いて喜ぶという趣旨を承知する。書札の内容を各々相談して上聞に達したと返す。三月十一日付、年は明和五年の朱注、松平右京大夫輝高の判と松平薩摩守殿宛を備え、宛記は次の段に続く。重豪公御譜中に掲げられ、正文は文庫にあるという。
追録6-No.493 近衛内前書状
営中へ使者を進める機会に一書を寄せ、春の賀儀を述べ、ますます平安であることを願い、こちらも無事であると伝える。目録に記した品を贈ると知らせる。三月十四日付、年は明和五年の朱注、花押No.1と薩摩中将とのへ宛を備える。重豪公御譜中に掲げられ、正文は文庫にあるという。贈物の品目・数量、使者の実名は本書に…
追録6-No.494 近衛内前書状
嗣息の元服を聞いて祝いの言葉を述べた芳牒と、目録に記された贈物を受け取り、満足したと返す。平安であることをめでたく思い、後喜を待つと結ぶ。三月十五日付、年は明和五年の朱注、花押No.1と薩摩中将とのへ宛を備える。贈物の品目・数量、嗣息の実名や元服した日は本書には記されない。
追録6-No.495 松平輝高書状
公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを承知する。妻女が登城して、公方・大納言・御臺・萬壽姫君に御目見し、さらに贈物を拝領したことについて、ありがたいという趣旨を受ける。その礼として使者を遣わした件について、書札の内容を各々一覧したと返す。三月十八日付、年は明和五年の朱注、松平右京大夫輝高の判と松平薩…
追録6-No.496 板倉勝清書状
公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを承知する。前月四日に妻女が大奥へ登城するよう仰せ出されたことを聞き、ありがたいという趣旨を受け、その礼として使者を遣わした件について、書札の内容を承知したと返す。三月十八日付、年は明和五年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。妻女の登城を命じられた…
追録6-No.497 松平輝高書状
公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを承知する。妻女が登城することになるという通知を聞き、ありがたいという趣旨を受け、その礼として使者を遣わした件について、書札の内容を各々一覧したと返す。三月二十二日付、年は明和五年の朱注、松平右京大夫輝高の判と松平薩摩守殿宛を備える。重豪公御譜中に掲げられ、正文は…
追録6-No.498 板倉勝清書状
公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを承知する。前月四日、妻女が大奥へ登城したところ懇ろな上意があり、さらに公方・大納言・御臺・萬壽姫君から贈物を拝領した件について、ありがたいという趣旨を受ける。その礼として使者を遣わした件について、書札の内容を承知したと返す。三月二十三日付、年は明和五年の朱注、板…
追録6-No.499 阿部正右書状
前年に御暇を受けた際に差し出した当分相続願書を返進すると知らせる。四月朔日付、年は明和五年の朱注、阿部伊豫守の署と松平薩摩守様宛を備える。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。願書返還の通知であり、願書の具体的な内容や相続対象は本書には記されない。
追録6-No.500 重豪、忠昌二百五十年忌を修す
四月四日が興岳公の二百五十年周忌であるため、隆盛院で法会を一日開き、香奠として銀五枚を納め、番頭島津宋女久芳を代参としたことを記す。興岳公には島津忠昌の付注がある。重豪公御譜中に収められた記事で、隣の書状とは別の主番号である。
追録6-No.501 島津重豪書状
大納言がますます安全であり、昨日初めて飯田町辺へ赴き、機嫌よく還御したことを承知して喜ぶと伝える。その趣旨を御序の折に御前へよろしく取りなすよう、いは橋・はつ崎へ頼み、なお一層よく取り計らうことを願う。大納言様御方計、いは橋さま・はつ崎さま申給へという宛記を備え、年は明和五年の朱注。重豪公御譜中の文…
追録6-No.502 重豪、登営して将軍に見ゆ
四月十三日、上使松平右京大夫輝高が来て、参府の労をねぎらった。十五日、重豪は登営して参勤の礼として大将軍家治公に御目見し、旨を受けて退出した。献上物などは先格のとおりであったという。重豪公御譜中の記事で、献上物の品目・数量や、受けた旨の具体的な内容は列挙されない。
追録6-No.503 松平武元外三名連署状
翌日の五半時に登城し、参勤の礼を申し上げるよう指示する。四月十四日付、年は明和五年の朱注、阿部伊豫守・松平周防守・松平右京大夫・松平右近将監の四署と松平薩摩守殿宛を備える。No.502の記事に記された四月十五日の参勤御礼に先行する登城指示である。
追録6-No.504 登城令書
家来二人に御目見を仰せ付けたため、召し連れて出頭するよう命じる。年は明和五年の朱注で、月日・差出人・宛所・家来の実名は本文に記されない。目録は登城令書とする。御目見を命じられた家来二人を同行させる指示であり、実際の出頭完了を報じるものではない。
追録6-No.505 松平康福書状
今朝、御香具一箱と丸熨斗一箱を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。四月二十一日付、年は明和五年の朱注、康福の判を備える。口裏には松平薩摩守殿宛と松平周防守康福の表示がある。重豪公御譜中に掲げられ、正文は文庫にあるという。
追録6-No.506 板倉勝清書状
今朝、御香具一箱と丸熨斗一箱を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。四月二十一日付、年は明和五年の朱注、勝清の判を備え、口裏には板倉佐渡守勝清と松平薩摩守殿宛の表示がある。No.505と同じ献上についての別差出の返書である。
追録6-No.507 松平武元書状
萬壽姫君の結納の祝儀として、使者をもって目録に記した品を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。四月二十五日付、年は明和五年の朱注、武元の判を備える。口裏には松平右近将監武元と松平薩摩守殿宛の表示がある。重豪公御譜中に掲げられ、正文は文庫にあるという。
追録6-No.508 板倉勝清書状
萬壽姫君の結納の祝儀として、使者によって目録に記した品を献上した件について、披露したところ一段の御仕合であったと報じる。四月二十五日付、年は明和五年の朱注、勝清の判を備え、口裏には板倉佐渡守勝清と松平薩摩守殿宛が記される。No.507と同じ結納祝儀献上への別差出の返書である。
追録6-No.509 板倉勝清書状
大納言へ菖蒲御兜一飾を使者によって献上したことについて、首尾よく披露したと報じる。四月二十八日付、年は明和五年の朱注、勝清の判を備える。口裏に板倉佐渡守勝清と松平薩摩守殿宛の表示がある。重豪公御譜中の文書で、正文は文庫にあるという。
追録6-No.510 清はし外六名連署消息
口上の覚として、参勤の礼を申し上げ、御臺へ目録のとおり進上した件を披露したところ、めでたく満足したので、よく伝えるようにとの言葉があったと知らせる。松しま以下七名の署が上下段に分かれて続き、松たいら薩摩守さま口上の表示を備える。年は明和五年の朱注で、月日は記されない。進上品の品目・数量も本書には列挙…
追録6-No.511 島津重豪教令書
御筆の写しとして、衣服と倹約の心得を命じる。江戸詰の者は定めのとおりにし、晴れでない場所では綿服を用いる。国許の男女の衣服も定めがあるが、公界がないため、一門大身分には日の紬・木綿を用いさせ、一所持以下には木綿・紬類以外を禁じる。染色は無地又は小紋付きとし、模様を染め出すことをやめる。極老・幼少・病…