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追録6の目録
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追録6-No.606 板倉勝清書状
御札を披見し、妻女の死去に際して公方様からの御意を奉書で伝えたことについて、ありがたいとの意向を理解したと述べる。その礼として使者を差し越した件について、紙面の趣旨を大納言様へ言上したと知らせる。十一月二十七日付、年は明和六年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.607 島津重豪加冠仮名書出
種子嶋鶴袈裟の加冠に際し、「弾正」とするよう指定する書出。明和六年丑十一月二十八日付、重豪公御判を備える。正文は種子島伊勢にあるという。仮名の指定を示すもので、本書だけで加冠の実施済みまでは記さない。
追録6-No.608 島津重豪加冠仮名書出
伊勢彌九郎の加冠に際する書出で、「宜為」の下に「亘」の一字を記す。明和六年丑十一月二十八日付、花押に島津重豪・No.2との注がある。正文は伊勢兵部にあるという。目録は加冠仮名書出として掲げるが、指定される一字は原記載のまま示し、通常の官途名へ置き換えない。
追録6-No.609 田沼意次書状
御札を披見し、妻女の死去に際する御意を奉書で伝えたことについて、ありがたいとの意向を理解したと述べる。その礼として使者を差し越した件について、紙面のとおり承知したと知らせる。十一月二十九日付、年は明和六年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。本書は承知を伝え、前…
追録6-No.610 樺山久智証状
大龍寺の文書十通の写に関する証状で、白木御文書五番箱にある覚写として掲げる。列挙するのは、将軍義稙公の延徳三年二月二十二日付公文一通、将軍義澄公の文亀二年十一月二十日・同年十二月二十一日付公文二通、将軍義昭公の天正六年八月十六日・同年十月十七日付公文二通、家久公の寛永六年四月八日・同年四月二十二日付…
追録6-No.611 板倉勝清書状
国許到着の礼の使者義岡左平太を、明朔日五時に御城へ差し出すよう命じる。あわせて義岡自身の礼も申し上げるようにし、その趣旨を承知するよう伝える。十一月晦日付、年は明和六年の朱注、板佐渡の署と松平薩摩守殿留守居宛を備え、義岡の名に久賢との注がある。正文は文庫にあるという。
追録6-No.612 田沼意次書状
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。帰国の暇に際して白銀・巻物を頂戴し、さらに御馬を賜り、大納言様からも拝領物があったことを重ねてありがたいとする意向を理解したと述べる。国許到着の礼として義岡左平太をもって目録どおりに献じた件について、紙面の趣旨…
追録6-No.613 松平康福書状
国許到着の礼の使者義岡左平太を、明日四時に御城へ差し出すよう指図する。十二月六日付、年は明和六年の朱注、松周防の署と松平薩摩守殿留守居宛を備える。
追録6-No.614 板倉勝清書状
義岡左平太を、明日五半時に我等宅へ差し出すよう指図する。十二月七日付、年は明和六年の朱注、板佐渡の署と松平薩摩守殿留守居宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.615 松平武元外三名連署状
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。帰国の暇に際して白銀・巻物・御馬を賜り、大納言様からも拝領物があり、重ねてありがたいとする意向を理解したと述べる。国許到着の礼として義岡左平太をもって琉球芭蕉布二十端および御樽肴を献じた件を披露したところ、御前…
追録6-No.616 板倉勝清書状
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。帰国の暇に際して白銀・巻物・御馬を賜り、大納言様からも拝領物があり、重ねてありがたいとする意向を理解したと述べる。国許到着の礼として、大納言様へ義岡左平太をもって目録どおりに献じた件を披露したところ、御喜色があ…
追録6-No.617 重豪、谷山郷仲兵衛を褒賞し家基の西丸移徙を賀す
谿山郡谷山郷の仲兵衛が私財を出して道路を修め、さらに私蔵の米銭を出して村中の困窮者を賑救したので、この年の冬十二月、若干の品を与えて褒賞したことを記す。続く記事は、同月九日に大納言家基公が西丸へ移ったことに対し、重豪が西城へ使者を遣わし、三種二荷を献じて移徙を祝ったとする。付注は、その使者と月日が欠…
追録6-No.618 島津重豪加冠仮名書出
入來院九十九の加冠に際し、「隼人」とするよう指定する書出。明和六年丑十二月十五日付、重豪公御判を備える。正文は入来院平次にあるという。仮名の指定を示すもので、本書だけで加冠の実施済みまでは記さない。
追録6-No.619 松平康福書状
御札を披見し、亡妻の法事中に御香奠を拝領したことについて、ありがたいとの意向を理解したと述べる。その礼として使者を差し越した件について、紙面の趣旨を各々一覧したと知らせる。十二月十五日付、年は明和六年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.620 松平康福書状
御札を披見し、亡妻の法事中に公方様から御香奠を拝領したことについて、ありがたいとの意向を理解したと述べる。その礼として使者を差し越した件について、紙面の趣旨を承知したと知らせる。十二月十五日付、年は明和六年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.621 松平康福書状
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。あわせて蜜柑二箱・炙鮎一箱を献じた件について、各々申し談じて披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。十二月十八日付、年は明和六年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.622 松平康福書状
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。大納言様へ蜜柑二箱・炙鮎一箱を献じた件について、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。十二月十八日付、年は明和六年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.623 松平康福書状
寒中につき使者をもって公方様・大納言様の御機嫌を尋ねたことに対し、ますます御安全なので安心するよう伝える。あわせて琉球紬十端・鰹節一箱を献じた件について、各々申し談じて披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。十二月十九日付、年は明和六年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.624 松平康福書状
寒中につき使者をもって公方様・大納言様の御機嫌を尋ねたことに対し、ますます御安全なので安心するよう伝える。大納言様へ琉球紬十端・鰹節一箱を献じた件について、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。十二月十九日付、年は明和六年の朱注、松平周防守康福の判を備え、宛所の松平薩摩守殿は次の段へ続く。
追録6-No.625 田沼意次書状
御札を披見し、亡妻の法事中に御香奠を拝領したことについて、ありがたいとの意向を理解したと述べる。その礼として使者を差し越した件について、紙面の趣旨を承知したと知らせる。十二月二十一日付、年は明和六年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.626 田沼意次書状
寒中につき使者をもって公方様・大納言様の御機嫌を尋ねたことに対し、ますます御安全なので安心するよう伝える。あわせて琉球紬十端および肴一種を献じた件について、紙面の趣旨を承知したと知らせる。十二月二十二日付、年は明和六年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.627 田沼意次書状
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。あわせて蜜柑二箱・肴一種を献じた件について、紙面の趣旨を承知したと知らせる。十二月二十二日付、年は明和六年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.628 重豪、元久等の廟室を修復し福昌寺を再建す
この年、恕翁公元久・大中公貴久・一唯公久保・心應慶安大姉・曹源院殿の廟室を重修し、石塔を移したことを記す。十二月二十四日、組頭島津直衛久中を福昌寺と恵燈院へ遣わし、それぞれ代拝させた。続く記事は、享保乙卯の年に福昌寺が「池魚の災」に遭い、その後も寺宇が整わず殿屋を仮設していたため、この年、旧制に従っ…
追録6-No.629 徳川家治御内書
歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは板倉佐渡守が述べると伝える。十二月二十七日付、年は明和六年の朱注、家治公の墨印と薩摩中将殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.630 松平康福書状
歳暮の祝儀として、大納言様へ使者をもって小袖一重を献じた件について、披露したところ一段の御仕合であったと伝える。十二月二十七日付、年は明和六年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.631 重豪、幕府からの拝借金を完納す
宝暦十二年壬午春に芝第が類焼した際、将軍家の恩恵により府金二万両を借用したことを記す。当初は明和元年甲申から同五年戊子まで五年を限り、毎年返納するよう命じられたが、甲申の琉球使者参府により開始を翌乙酉年へ延ばした。この年から毎年「伴金」四千両を官府へ年賦納し、明和六年己丑に全納を終えたので、官から借…
追録6-No.632 桂久中・島津久健連署申渡書
名印のある証文一通に、高橋縫殿から差し出されていた証文一通を添え、御記録方添役へ渡す申渡書。去る午年、御守殿と御本宅の類焼につき金二万両を借用し、この丑年までにすべて返上を終えたため証文が返されたと記す。御老中の裏書・消印まで渡すので、御番所に置かれている御文書箱の中へ納め置くよう命じる。明和六年丑…
追録6-No.633 明和七年間公辺記事
明和七年庚寅の公辺・家中儀礼を月次に記す記事。正月元旦は首途に当たり朝賀を受けず、三日に玉・松両山の先廟へ参り、四日に福引、六日に散楽を始めて諸有司に観覧させた。十日、それまで御小姓に預けていた御道具の事を御小納戸の管掌に改めた。二十七日に府城を発ち、家老島津久金・樺山左京久倫、赤松則正、関山金暉、…
追録6-No.634 松平輝高書状
若菜の祝儀として鯛一折を献じた件について、披露したところ一段の御仕合であったと伝える。正月七日付、年は明和七年の朱注、松平右京大夫輝高の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.635 阿部正允書状
若菜の祝儀として鯛一折を献じた件について、披露したところ一段の御仕合であったと伝える。正月七日付、年は明和七年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.636 松平武元外三名連署状
年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献じた件について、披露したところ一段の御仕合であったと伝える。正月十一日付、年は明和七年の朱注、板倉勝清、松平康福、松平輝高、松平武元の四名の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.637 阿部正允書状
年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献じた件について、披露したところ一段の御仕合であったと伝える。正月十一日付、年は明和七年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.638 島津重豪加冠仮名書出
島津壯之助の加冠に際し、「若狭」とするよう指定する書出。明和七年寅正月十八日付、重豪公御判を備える。正文は島津山城にあるという。目録と前後の文書配列により本項に対応するが、本文見出しの番号は「633」と印字されている。
追録6-No.639 島津重豪加冠仮名書出
小松吉次郎の加冠に際し、「仙十郎」とするよう指定する書出。明和七年寅正月十八日付、重豪公御判を備える。正文は小松帯刀にあるという。仮名の指定を示すもので、本書だけで加冠の実施済みまでは記さない。
追録6-No.640 重豪参勤す
正月二十七日、重豪が薩府を発ち、江都へ参勤した記事。島津久金・樺山久智、赤松則正、関山金郷・二階堂行旦、村上範村らが随従し、九州の駅路を経て二月十一日に豊前大里へ着いた。十二日は風波で滞留し、十三日に乗船して大里を発ち、二十七日に播州坂越へ着いた。ここから陸路で三月二日に大坂へ着き、三・四日は滞留、…
追録6-No.641 重豪、甘露寺氏女於綾を正室とす
曾祖大母の浄岸院主が甘露寺前大納言規長の娘を宮へ迎えて侍らせ、重豪の側室となったのち薩府へ送られた経緯を記す。当時は於綾と称し、格式は皇考圓徳公の実母嶺松院と同じで班位はその次であったとの注を伴う。前年九月二十六日に元妃徳川氏が没したため、浄岸院主の命により甘露寺氏の娘を元妃に立て、官への願いと有司…
追録6-No.642 島津久金外三名家老連署首尾書
於綾を直ちに御前様へ立てるよう御守殿へ申し上げていたとの旧臘二十三日の使便を承知し、申し上げたところ、太守様は現状のまま於綾を直ちに御前様へ立てることに異存がないと理解したと報告する。御守殿にも得心して決着するよう申し上げ、甘露寺家には御守殿から伝え、幕府への願いなどを都合よく進めるよう、去る十六日…
追録6-No.643 島津重豪諭達書
在国中に行跡を正すよう繰り返し申渡していたが、このごろ度々喧嘩をする者があると聞き、許されないとする諭達。喧嘩・口論の禁止は公義の法令でも明らかであり、短慮で理不尽な行為をする者には成敗と所帯没収を命じる旨を毎朔の条目に載せていたので、親兄弟からも厳しく戒めるべきだと述べる。若気で無益な死傷者が多い…
追録6-No.644 小松清香・樺山久智家老連署条書
与頭宛の連署条書。与中の者が喧嘩して相手を打ち果たした際は、近辺の横目へ申し越し、親類を差し添えて意趣の次第を聴き届けた上で切腹させること、手続きを経ず切腹させれば親類の越度となるとの従前の命令を厳守させる。喧嘩をする者はいないはずだが、万一心得違いがあってもこの手順を守るよう伝達させる。学文・武芸…
追録6-No.645 松平武元書状
御札を披見し、改年の慶賀を珍重と述べ、公方様・大納言様はますます御機嫌よいと伝える。年始の御規式が済むことをめでたいとする意向を理解し、御樽肴を献じた件について、各々申し談じて披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。二月四日付、年は明和七年の朱注、松平右近将監武元の判と松平薩摩守殿宛を備える。…
追録6-No.646 阿部正允書状
御札を披見し、改年の慶賀を珍重と述べ、公方様・大納言様はますます御機嫌よいと伝える。年始の御規式が済むことをめでたいとする意向を理解し、御樽肴を献じた件について、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。二月四日付、年は明和七年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.647 田沼意次書状
御札を披見し、改年の慶賀を珍重と述べ、公方様・大納言様はますます御機嫌よいと伝える。年始の御規式が済むことをめでたいとする意向を理解し、御樽肴を献じた件について、紙面の趣旨を承知したと知らせる。二月九日付、年は明和七年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.648 阿部正允書状
大納言様の西丸移徙を祝う祝儀として、使者をもって目録どおりに献じた件について、披露したところ一段の御仕合であったと伝える。二月十三日付、年は明和七年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。品名・数量は本書では目録参照とする。
追録6-No.649 松平武元書状
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よいと伝える。旧臘九日に大納言様が西丸へ移ったことを聞き、めでたいとする意向を理解したと述べ、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。二月十三日付、年は明和七年の朱注、松平右近将監武元の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.650 阿部正允書状
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よいと伝える。旧臘九日に大納言様が西丸へ移ったことを聞き、めでたいとする意向を理解したと述べ、紙面の趣旨を言上したと知らせる。二月十三日付、年は明和七年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.651 田沼意次書状
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よいと伝える。旧臘九日に大納言様が西丸へ移ったことを聞き、めでたいとする意向を理解したと述べ、紙面の趣旨を承知したと知らせる。二月十五日付、年は明和七年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.652 松平武元書状
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。旧臘、歳暮の祝儀として時服と肴を拝領したことをありがたいとする意向を理解し、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。二月二十三日付、年は明和七年の朱注、松平右近将監武元の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は…
追録6-No.653 阿部正允書状
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。歳暮の祝儀として公方様から時服と肴を拝領したことをありがたいとする意向を理解し、紙面の趣旨を言上したと知らせる。二月二十三日付、年は明和七年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.654 重豪、蒲生郷士の僕市右衛門を褒賞す
始羅郡蒲生郷士嶺崎平左衛門の僕市右衛門を褒賞した記事。市右衛門はもと他国の産で、九歳の時に平左衛門の僕となり、ますます慎んで仕え、吉凶を問わず私財を出して主人を給養した。この年の春二月、その勤めを褒賞し、廩米十五苞を与えたとする。
追録6-No.655 島津久金・樺山久智家老連署書状
於綾を御前様に立てたいとの浄岸院様の意向を太守様が承知した旨を先月十九日に江戸へ知らせたため、御守殿が京都への使者澁谷半左衛門を去る十三日に差し立て、甘露寺家へ申し上げる内容を別紙のとおり言い含め、さらに浄岸院様からの文をもって伝えることを記す。届出には及ばないとの指図があるので、甘露寺家が決着すれ…
追録6-No.656 喜入久福外二名家老連署返書
船中の備前出崎から到来した書状への返答として掲げる。二月十三日に江戸から差し立てた極急飛脚がいつ船中へ届いたか、本紙が見えず計りがたいが、本紙が間に合う前のように考え、甘露寺家の返答後に江戸で願書を差し出す日取りが決まれば、その到来後に当地を延引なく出立する意向を承知したと述べる。書付到来は今月十四…
追録6-No.657 重豪、東郷村の救済者を褒賞す
薩摩郡東郷村の仲右衛門と弟太左衛門・太郎右衛門が、明和中に年が饑えた際、それぞれ私蔵の米穀を出し、窮民百余人を二度賑救したため褒賞した記事。仲右衛門・太左衛門は耳順を超える年齢だったので、その子の丁役を各十年免じたとする。付注は、仲右衛門・太左衛門が宝暦七年にも窮民を救い、すでに褒賞を与えられていた…
追録6-No.658 与那原良矩起請文前書
天罰霊社起請文前書として五箇条を誓う。若輩ながら去歳に三司官役を命じられたことをありがたく思い、いっそう国許への奉公に心を尽くして勤めること、重豪様へ少しも疎意を抱かないこと、国許から命じられた諸事・条書を堅く守り、悪意・邪儀を企てる者があれば披露すること、国王に対して別心なく忠勤を尽くすこと、国中…
追録6-No.659 田沼意次書状
御札を披見し、公方様・大納言様はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともであると伝える。旧臘、歳暮の祝儀として時服と肴を拝領したことをありがたいとする意向を理解し、紙面の趣旨を承知したと知らせる。三月朔日付、年は明和七年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.660 板倉勝清書状
御札を披見し、公方様はますます御機嫌よいと伝える。正月二十四日に増上寺の御霊屋へ参詣したことを聞いて恐悦とする意向はもっともであると述べ、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。三月六日付、年は明和七年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.661 田沼意次書状
御札を披見し、公方様はますます御機嫌よいと伝える。正月二十四日に増上寺の御霊屋へ参詣したことを聞いて恐悦とする意向はもっともであると述べ、紙面の趣旨を承知したと知らせる。三月九日付、年は明和七年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.662 島津久金・樺山久智家老連署書状
浄岸院様の意向で於綾を太守様の御前様に立てたいとして、甘露寺家へ使者澁谷半左衛門を差し遣わした件を知らせる。半左衛門は去る二日に使いを務め、口上を申し上げて文を差し上げたところ、甘露寺家は委細承知し、満悦との返答を寄せた。双方の縁組願書は、当月二十六日以後晦日までの間にこちらが差し出す日取りを甘露寺…
追録6-No.663 喜入久福外二名家老連署返書
旅の途中の岡崎駅から江戸方へ差し立てた使便への返答。近日中に諸事の決定を知らせるとのことで、今月末に使便の日を延ばして待っていたところ、去る十六日に掛川駅から差し立てた飛脚が、昨日二十九日の昼過ぎに到着したという。別紙の問い合わせには返答したとおりとし、関所通行につき相手方から手判を申請するのかを尋…
追録6-No.664 島津久金・樺山久智家老連署書状
於綾の縁組願書を差し出す日は江戸方から知らせるはずと去る十三日に伝えたが、御守殿から来る二十七日に提出するのがよいとの指図があったと知らせる。参勤の礼をまだ申し上げていないうちでも願書を受け取ってもらえるかを、相手方と松平右近将監・板倉佐渡守へ内々に確かめ、差支えないと聞いたので、二十七日に願書を提…
追録6-No.665 喜入久福外二名家老連署返書
旅の途中の掛川駅から来た極急飛脚便への返答として掲げる。参勤の礼を申し上げる前でも願書提出の内意が整い、去る二十七日に提出したなら間もなく願いのとおり命じられるだろうとの喜びに同意する。於綾の当地出立は願書提出の時節に行うのがよいとの浄岸院様の意向で、日取りは今月五日より後になるとの京都から江戸への…
追録6-No.666 板倉勝清書状
御札を披見し、公方様はますます御機嫌よいと伝える。去月二十六日に東叡山の至心院様の御霊前へ参詣したことを聞いて恐悦とする意向はもっともであると述べ、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。三月十八日付、年は明和七年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。至心…
追録6-No.667 田沼意次書状
御札を披見し、公方様はますます御機嫌よいと伝える。去月二十六日に東叡山の至心院様の御霊前へ参詣したことを聞いて恐悦とする意向はもっともであると述べ、紙面の趣旨を承知したと知らせる。三月二十一日付、年は明和七年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.668 島津久金・樺山久智家老連署書状
於綾を御前様に立てる件で、浄岸院様の使者澁谷半左衛門の勤めが済み、甘露寺家の返答一通が届いたことは先便のとおりとする。使いの際に直接返答があり、別紙写のとおりの請書を半左衛門へ渡したと記す。縁組願書提出や旅中の通路等は、細かなこともすべてこちらで取り計らう意向で、別紙の条書を渡して知らせる。於綾の京…
追録6-No.669 喜入久福外二名家老連署返書
於綾を御前様に立てる件について、書状の趣旨を承知し、御女中様方へ申し上げたと返答する。送られた別紙写は二階堂源太夫へ差し越し、於綾へ申し上げる件については伝えるよう申し越したという。送られた別紙はこちらに控え置き、この旨を返答すると結ぶ。朱書の日付は四月二十八日。668号書状の行間に記された返答で、…
追録6-No.670 松前一広願書
甘露寺前大納言の娘を松平薩摩守へ再縁させる縁組を願う書面。三月二十七日付、年は明和七年の朱注、松平薩摩守の取次として松前主馬を記し、一広との注を付す。控の正文は家老座にあるという。願書自体は再縁と縁組願を示すが、許可されたとの文言はない。
追録6-No.671 桂久中・島津久健家老連署書状
太守様の再縁願書を別紙写のとおり、昨日二十七日に取次を頼んだ松前主馬から御用番板倉佐渡守へ差し出し、滞りなく受け取られたと報告する。御守殿へ申し上げ、一門その他あらかじめ知らせていた人々への報知も済ませ、旅の途中へは別紙で伝え、当地の通達と京都・大坂留守居への知らせも行ったという。御女中様方へ申し上…
追録6-No.672 喜入久福外二名家老連署返書
江戸から急飛脚で差し越され、四月十五日朝に到来した書状への返答。趣旨を承知して御女中様方へ直接参上し申し上げたところ、それぞれ満悦と承知したため、一門・大身分・その身独礼の者・御女中方と役人まで通達したという。御守殿その他への祝詞は、願いのとおり命じられたとの知らせが来た時に、先例どおり一緒に申し上…
追録6-No.673 幕府触書
百姓が不宜な事で大勢申し合わせることを「ととう」、徒党を組んで強いて願い事を企てることを「こうそ」、申し合わせて村を立ち退くことを「てうさん」と定義し、以前から禁止されていると示す。居村・他村を問わず、そのような事があれば早く担当役所へ申し出るよう命じ、徒党・強訴・逃散の通報者にはそれぞれ銀百枚を褒…
追録6-No.674 松平武元書状
去年、暇を受けた際に差し出した当分相続願書を返し進めると知らせる。四月二日付、年は明和七年の朱注、松平右近将監の署と松平薩摩守様宛を備える。正文は文庫にあるという。願書を返す理由や、新たな許可の内容は記されていない。
追録6-No.675 松平武元外三名幕府老中連署状
明日五半時に登城し、参勤の礼を申し上げるよう命じる。四月十四日付、年は明和七年の朱注、板倉佐渡守・松平周防守・松平右京大夫・松平右近将監の四名連署と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.676 登城令書
家来二人に御目見を命じたので、召し連れて出るよう命じる。正文は文庫にあるという。本書には年月日、差出人の署名、宛所は記されておらず、四月十四日付の登城・参勤礼の連署状に続けて掲げられている。
追録6-No.677 松平康福書状
今朝、御香具一箱と丸熨斗一箱を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。四月二十五日付、年は明和七年の朱注、松平周防守康福の署・判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.678 阿部正允書状
今朝、御香具一箱と丸熨斗一箱を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。四月二十五日付、年は明和七年の朱注、正允の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に阿部豊後守正允を記すとの朱注を伴う。
追録6-No.679 骨折銀下賜状
松平薩摩守の家来水間喜八が新暦の調えを済ませ、その骨折りに対して銀十五枚を下すと記す。年は明和七年の朱注で、月日は記されていない。口裏は松平薩摩守宛との朱注を伴い、正文は文庫にあるという。銀を与えられる対象は水間喜八で、松平薩摩守への口裏の宛記とは区別される。
追録6-No.680 徳川家治御内書
端午の祝儀として帷子単物が到来したことを喜んだと伝え、委細は松平周防守が述べるとする。五月二日付、年は明和七年の朱注、家治公の墨印の表示と薩摩中将殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.681 阿部正允西丸老中書状
端午の祝儀として、使者をもって御帷子単物を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。五月二日付、年は明和七年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.682 島津久金・樺山久智家老連署書状
太守様の再縁願書を松前主馬が御用番板倉佐渡守へ差し出し、滞りなく受け取られた件は三月二十八日の桂織部・嶋津仲の便のとおりとする。今日、佐渡守から主馬が呼ばれ、別紙書付写のとおり命じられて太守様が承知したため、老中と田沼主殿頭へ礼に回る予定だったが、脚痛のため名代の島津式部から伝えた。若年寄へは左中を…
追録6-No.683 喜入久福外二名家老連署返書
書状の趣旨を承知して御女中様方へ申し上げ、一昨朔日の惣出仕で祝儀を申し上げたと返答する。今日、隣国へ先例どおり知らせる手続きを整え、淡路守殿にも伝えた。長崎奉行への知らせは、江戸詰の使番から同役へ申し越すと申し出たので、付人が使者を勤める件を知らせるよう使番へ命じた。御女中様方から浄岸院様その他へは…
追録6-No.684 幕府許可状
甘露寺前大納言の娘を松平薩摩守へ、願いのとおり縁組させるよう命じる。正文は文庫にあるという。本書には年月日、差出人の署名、宛所は記されていない。
追録6-No.685 島津重豪伺書
甘露寺前大納言の娘との縁組を願いどおり命じられたことをありがたく思い、公方様・大納言様・御臺様へ献上物をして礼を申し上げたいので、指図を願う。付紙は萬壽姫君様への献上をどうするかを記し、先例がないとの記載に、朱書で「不及此儀候」と付す。五月十三日付、年は明和七年の朱注、松平薩摩守の署を備える。控の正…
追録6-No.686 小松清香・川田国福家老連署申渡書
近名または外城から馬を牽いて鹿児島へ差し越す時は、通常脇差を差せる格式の者でもすべて無刀で来るよう命じ、常に脇差を差さない者はもちろんであるという以前の申渡しを再確認する。近頃、馬を牽く者が脇差を差し、通路への配慮なく馬を繋いで往還を妨げたり、大酒・法外な振舞いで徘徊したりするのは不適切とする。とく…
追録6-No.687 小松清香申渡書
足軽・御中間・御小者や家中以下の者が、道中で御直士に会った際、雨天に木履を履いたまま礼をして通ることがあり、無礼の至りとする。今後は御直士に会えば、鑓を持たせていない人でも必ず木履を脱ぎ、慇懃に礼をして通り、ほかの知り合いの士に近づいた時にも脱ぐこと、知り合いでなくても士と見れば慎んで通るよう命じる…
追録6-No.688 松平輝高書状
御馬二疋を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。五月二十七日付、年は明和七年の朱注、輝高の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に松平右京大夫輝高を記すとの朱注を伴う。正文は文庫にあるという。
追録6-No.689 阿部正允書状
御馬一疋を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。五月二十七日付、年は明和七年の朱注、正允の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に阿部豊後守正允を記すとの朱注を伴う。
追録6-No.690 重豪、貴久の二百年忌を修す
同年六月二十日、南林寺で大中公の二百年忌法事を三日間修したと記す。大中公には島津貴久との注を付す。これに際し、番頭島津内膳久丘を使いとして香奠の白銀十枚を納め、拝礼させたという。
追録6-No.691 島津重豪伺書
昨日婚姻が整ったので、機会のある時に礼を申し上げたいと願い、公方様・御臺様への献上物は別紙の先例に従って伺うとする。大納言様・萬壽姫君様への献上物をこの節どうするか、指図を求める。六月二十二日付、松平薩摩守の署を備える。朱書の付紙は、婚姻の礼を申し上げるには及ばないとする。控の正文は家老座にあるとい…
追録6-No.692 樺山久智書状
去る二十一日に結納・婚姻の祝いを行う予定と先便で伝えたとおり、二十一日巳刻、御中奥で太守様・御前様が着座し、別紙次第書に従って万端首尾よく済み、御機嫌よいと報告する。浄岸院様も入る予定だったが座が手狭なので、御守殿で次第書どおり料理等を進めたという。婚姻の日は十八日に御用番松平右近将監へ名書で届け、…
追録6-No.693 桂久中外四名家老連署返書
一昨十三日、太守様から側廻の使者、御前様から納殿役の使者をもって吹聴したことを、行間の朱書で返答する。委細は使番から江戸側の同役へ知らせるとし、物事は軽く扱って祝物の取替えには及ばないとする。御二方、御守殿・溜池への御女中様方からの祝詞も本日の便で伝え、ほかの人々の祝詞も先例どおり今日の便で送ると記…
追録6-No.694 結納・婚姻次第書
結納・婚姻に向けた警固、支度、室内飾り、食事、祝いの手順を定める。時触は例どおり、表門押番二人、張番所物頭一人、兵具所肝煎、小番・大番・打込番は麻上下、足軽は羽織袴とし、御勝手御書院の掛物・生花・棚飾を整える。見舞客のため五、六人前を御末の仕出しで用意し、付使者があれば鳩之間で二汁三菜、菓子、薄茶を…
追録6-No.695 浄岸院へ進上物次第書
結納・婚姻の祝い当日、御守殿で浄岸院様へ祝いを進める次第を定める。前日に年寄をもって知らせ、当日にも重ねて伝える。熨斗、茶、雑煮、差味、塗三方の土器、挟肴、銚子、吸物・懸盃、簡の銚子を順に出し、意次第で二汁五菜の料理を出す。御肴は居付で出し、盃、銚子、肴、吸物、島臺、挟肴、銚子、湯、菓子、濃茶、後菓…
追録6-No.696 松平康福書状
端午の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう命じる。六月二十四日付、年は明和七年の朱注、松平周防守の署と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.697 うら田外五名連署消息
文を受け、公方様・大納言様・御臺様と萬壽姫君様の御機嫌がよいことを喜ぶ意向を承知したと述べる。奥様から年中の献上物を行う件について御守殿から伺ったところ、願いどおり済んだとの知らせを承知し、ありがたいとする意向を受けたという。その礼として、奥様から公方様・御臺様へ御肴を各一折献上したいと願う件も、文…
追録6-No.698 板倉勝清書状
今朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。閏六月五日付、年は明和七年の朱注、勝清の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に板倉佐渡守勝清を記すとの朱注を伴う。正文は文庫にあるという。
追録6-No.699 阿部正允書状
今朝、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二器を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。泡盛酒の「二器」にはママ注を付す。閏六月五日付、年は明和七年の朱注、正允の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に阿部豊後守正允を記すとの朱注を伴う。
追録6-No.700 うらた外三名連署消息
上々様方の御機嫌がよいことを喜ぶ意向を述べ、奥様からの年中献上物は願いどおり済み、ありがたく思うとの件を受ける。奥様から公方様・御臺様へ献上物を行いたいとの希望に従い、御肴を各一折献上するよう伺いが済んだと知らせる。年は明和七年の朱注で、月日はない。高をか・瀧川・清はし・うらたの四名連署と、まつ平薩…
追録6-No.701 明和七年間公辺記事
明和七年の閏六月から十二月まで、公辺の礼式・昇格・贈答・役職変更を記す。閏六月七日、正覺夫人主が御座間で謁し、芭蕉上下を着用した。毎月の淨國公・宥邦公・慈徳公・圓徳公・智光夫人・正覺夫人の諱辰には親しく謁して進香し、慈照夫人・照雲君については正辰に親しく進香、その他の期は「因進」とし、礼装の定式を命…
追録6-No.702 島津重豪伺書
毎年の夏中、高輪の私下屋敷で稽古鉄炮を打ちたいので、伺いを申し上げるとする。閏六月二十七日付、松平薩摩守の署を備え、年は明和七年の朱注である。付札には「可為勝手次第候」とある。朱注によると、伺書一通を当日、留守居佐久間新左衛門をもって御用番板倉佐渡守へ提出した。同七月朔日、板倉が留守居を召し呼び、付…
追録6-No.703 松平康福書状
生見玉の祝儀として黄金十両を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。七月六日付、年は明和七年の朱注で、康福の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に松平周防守康福を記すとの朱注を伴う。正文は文庫にあるという。
追録6-No.704 阿部正允書状
生見玉の祝儀として黄金十両を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。七月六日付、年は明和七年の朱注で、正允の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に阿部豊後守正允を記すとの朱注を伴う。
追録6-No.705 喜入久福・小松清香家老連署申渡書
英彦山七十五房の修験が従前、領国へ回檀に来ていたが、来る午年まで「御驗約付」(ママ注)のため年限中の回檀を断る旨を彦山三房へ知らせ、諸坊中へ伝えるとの返答を受け、回檀山伏が来ない旨を去年八月に申し渡していたと記す。その後、彦山からやむをえぬ願いがあり、「五銭三銭之半減勧物」を請け用いる予定とした。そ…