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追録6の目録
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追録6-No.2022 大坂城の雷火焼失に際する機嫌伺いに安全を伝える
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、公方様・大納言様の御勇健を伝える。十月十一日夜、大坂城の追手大御門と御多門が雷火で焼失したことを聞いて御機嫌を伺った書面に対し、御安全なので安心するよう答える。書面の趣旨は言上したと記す。天明三年十二月十八日付、鳥居丹波守忠意判。重豪公御譜所収、正文は文庫にあるとの注記を…
追録6-No.2023 寒中の機嫌伺いに安全を答え琉球紬十端・鰹節一箱の献上披露を報じる
松平康福が松平薩摩守に宛て、寒中に使者を遣わして公方様・大納言様の御機嫌を伺った件に対し、御安全なので安心するよう答える。琉球紬十端と鰹節一箱を献上したことについて、各申談のうえ披露し、一段の御仕合であったと報じる。天明三年十二月十八日付、松平周防守康福判。前掲と同じ出典の独立した書状として収録する…
追録6-No.2024 寒中の機嫌伺いに安全を答え琉球紬十端・鰹節一箱の献上披露を報じる
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、寒中に使者を遣わして公方様・大納言様の御機嫌を伺った件に対し、御安全なので安心するよう答える。琉球紬十端と鰹節一箱を献上したことについて、披露し、一段の御仕合であったと報じる。天明三年十二月十八日付、鳥居丹波守忠意判。前掲と同じ出典の独立した書状として収録する。
追録6-No.2025 大坂城の雷火焼失に際する機嫌伺いに安全と上聞を伝える
松平康福が松平薩摩守に宛て、公方様・大納言様の御勇健を伝える。十月十一日夜、大坂城の追手大御門と御多門が雷火で焼失したことを聞いて御機嫌を伺った件に対し、御安全なので安心するよう答える。書面の趣旨は各申談のうえ上聞に達したと報じる。天明三年十二月十八日付、松平周防守康福判。前掲と同じ出典の独立した書…
追録6-No.2026 歳暮の祝儀として届いた小袖一重を喜び詳細を松平周防守に託す
家治が薩摩中将に宛て、歳暮の祝儀として小袖一重が届き、喜ばしく思うと伝える。詳しいことは松平周防守が述べるとして、伝達を託す。天明三年十二月廿七日付、家治公の墨印を示す御内書。重豪公御譜所収、正文は文庫にあるとの注記を伴う。
追録6-No.2027 歳暮祝儀の小袖一重献上を披露したと報じる
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、歳暮の祝儀として使者を介して小袖一重を献上したことを披露し、一段の御仕合であったと報じる。天明三年十二月廿七日付、鳥居丹波守忠意判。前掲と同じ出典の独立した書状として収録する。
追録6-No.2028 中山王の謝恩書を継使者で差し上げ奉書を送付する
重豪が中山王に宛て、御養君の祝儀献上を済ませ拝領物を受けた礼として謝恩の書翰が届けられた件を述べる。その書翰を継使者により差し上げたところ披露され、奉書が渡されたので送付すると伝える。天明三年十二月廿八日付、中将重豪御判。重豪公御譜所収、正文は琉球国司にあるとの注記を伴う。
追録6-No.2029 若菜祝儀の鯛一折献上を披露したと報じる
田沼意次が松平薩摩守に宛て、若菜の祝儀として鯛一折を献上したことを披露し、一段の御仕合であったと報じる。天明四年正月七日付、田沼主殿頭意次判。重豪公御譜所収、正文は文庫にあるとの注記を伴う。
追録6-No.2030 若菜祝儀の鯛一折献上を披露したと報じる
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、若菜の祝儀として鯛一折を献上したことを披露し、一段の御仕合であったと報じる。天明四年正月七日付、鳥居丹波守忠意判。前掲と同じ出典の独立した書状として収録する。
追録6-No.2031 太守の参勤・帰国道中の支障除去の沙汰と御礼・御請の相談を記す
田沼主殿頭の用人武田織右衛門から、家老のうち一人が当日中に出向くよう切紙が届き、渋谷五郎右衛門が出向いて承った経緯を記す。太守の参勤・帰国とも宿々・川々で滞りがないよう、道中筋の御料・私領へ仰せ渡したこと、御縁女様の沙汰を受けて取り扱い、道中奉行にも命じた旨を伝えられた。渋谷は承知して家老方に報告し…
追録6-No.2032 風俗・言語・服装・勤務姿勢を改める口頭内意と家老らの承知を記す
御休息所で重豪が家老らに語った領国内の風俗・勤務の心得を記録する。浄国院以来の取締りと当代の申渡しが再び緩み、喧嘩・夜行・辻立が生じたことを挙げ、頭役が書付を伝えるだけで済ませず、日夜心に留めて末々まで実行させるよう求める。古い悪習を捨て、服装・容貌・言語を心得るべきだが、華美な新調や奇異な若者の様…
追録6-No.2033 参勤・御暇時の道中便宜について御縁女様への御礼取次ぎを頼む
重豪が大崎・高橋に宛て、上々様の御機嫌を喜び、自身の参勤・御暇のたびに宿々・川々で滞りがないよう道中筋へ仰せ渡されたと承知し、ありがたく思うと述べる。その礼を御縁女様へ申し上げたいので、折をみてよく取りなすよう頼む。追って何事もよろしく取り計らうよう重ねて依頼する。日付・署名を欠き、天明四年の朱書を…
追録6-No.2034 御縁女様への道中御礼の取次ぎに応じる
大崎・高橋の連署で重豪の書翰に返答し、上々様方の御機嫌良好を重豪が喜んでいる旨を承知したと記す。参勤・御暇ごとに宿々・川々が滞らないよう道中筋へ仰せ渡されたことへの礼を御縁女様へ申し上げたいとの書翰の趣旨は、よろしく申し上げると答える。宛所は薩摩守様人々御中。月日の記載はなく、天明四年の朱書を伴う。…
追録6-No.2035 寺社修造興行・勧農・年貢徴納の三箇条に従って沙汰するよう命じる
重豪が神社仏閣の修造興行、専ら農業を勧めること、国々の年貢を徴納することの三箇条について、その旨に従って沙汰するよう命じる。天明四年正月十一日付、重豪御判の吉書。同日、大進から黒田嘉右衛門へ渡され、白木御文書五番箱へ納めたと上包に記す。重豪公御譜所収、正文は文庫にあるとの注記を伴う。
追録6-No.2036 年頭の太刀一腰・馬代黄金十両の献上披露を報じる
久世広明・田沼意次・松平康福が松平薩摩守に宛て、年頭の祝儀として使者を介して太刀一腰と馬代黄金十両を献上したことを披露し、一段の御仕合であったと報じる。天明四年正月十一日付、久世大和守広明・田沼主殿頭意次・松平周防守康福判の三名連署状。前掲と同じ出典の独立した書状として収録する。
追録6-No.2037 年頭の太刀一腰・馬代黄金十両の献上披露を報じる
鳥居忠意が松平薩摩守に宛て、年頭の祝儀として使者を介して太刀一腰と馬代黄金十両を献上したことを披露し、一段の御仕合であったと報じる。天明四年正月十一日付、鳥居丹波守忠意判。前掲と同じ出典の独立した書状として収録する。
追録6-No.2038 妙心院の病没・重豪への凶報・葬送・中陰法要・寄附分配を記す
宗信の実母妙心院が前年臘月から病み、薬療も効かず、天明四年正月二十一日に本府山下邸で七十四歳で死去したことを記す。於嘉といい、継豊の次妃で、継豊没後に妙心院と称したとの原注を伴う。法名は妙心院殿実法道徹大禅定尼。参勤途上の重豪へ、同日急使二人を防州花岡駅に追遣して凶報を伝えた。二十四日に遺体を棺に納…
追録6-No.2039 妙心院の病状・医師側役の手配を報告し容体書と薬方三通を送る
大進久起が左中に、妙心院が旧冬から不快で、最近の疲労は老病と見られるため、薬用などの別紙と容体書を送る旨を記す。軽い容体との知らせでも老人なので、御附医師に念を入れさせ、奥御医師のうち二人を付け、時々診察し服薬などに配慮させる。用人・側役も日々参上して様子を承知し、相談するよう命じた。太守の見舞いな…
追録6-No.2040 妙心院病報への保養・見舞い・連絡の扱いを返答する
左中久金の返書で、本書を承知して上へ伝えたところ、当分のことではあっても老体なので心配しており、手抜かりなく保養を取り計らうよう沙汰された旨を答える。見舞いを遣わすことはかえって気障りにもなるため控え、その後の知らせに応じて扱うとする。山下の広敷の者や随行側役の同役へも申し聞かせるよう求める。急便を…
追録6-No.2041 妙心院の病状推移・医師の診療・看病・飛脚と見舞いの手配を報じる
妙心院が旧冬から不快で最近も疲労があり、十六日に容体書を添えて飛脚で知らせたことを踏まえ、その後の療養と手配を報じる。医師を詰めさせ、老体なので図師長益・中村瑞伯にも伺わせたい旨を申し出た。於千萬も時々訪れているため医師同様に詰めるよう求めた。昨夜は暫く眩暈があり、薬用の記述には人参三分を加える旨が…
追録6-No.2042 南泉院の加持を格別に許し奥医師二人の詰番を知らせる
大進久起が左中・二階堂主計に、妙心院の不快について於千萬や女中方から南泉院の加持を求める意向があったと伝える。南泉院の大奥への通行等は通常容易に許さないが、この時は格別として相談し、加持を許したこと、側役も詰めるよう命じたことを知らせる。奥御医師のうち二人を付けた件は先便で伝えており、平田長淳・左近…
追録6-No.2043 妙心院の容体悪化を容体書二通付きの急飛脚で報じる
宮之原主膳・嶋津仲・嶋津大進の連署で左中に、妙心院の病気がよくならず、昨夜から当日にかけ疲労が増し、特に大切な容体になったと医師が別紙の通り申し出たことを急報する。於千萬が世話をし、女中方・家老ら・用人・側役も詰めて、時々容体を見て医師に療養を尽くすよう伝えている。太守の見舞いについて昨日知らせたが…
追録6-No.2044 大乗院の二夜三日祈祷と御札守の送付・各方面への祈願依頼を伝える
大進久起が左中に、妙心院の病気がよくならないため、太守が大乗院で二夜三日の祈祷を命じたことを伝える。御札守と肴を添え、奥向の使いで送る予定の手配を申し渡したと記す。明姫・嶺松院・於千萬には意向に応じ御札守を差し上げること、一門その他からも誓願があるよう通達したことを述べる。江戸の内輪と当地の大御目付…
追録6-No.2045 妙心院の死去と忌服・慎み・葬儀・飛脚の手配を報じる
二十一日に病状の急報を送った後も養生を尽くしたが衰弱し、本文は今日午ノ刻に妙心院が死去したと報じる。忌服について用人・記録奉行が調べ、別紙四通を提出した。本文では太守を御曾孫之御続とし、服忌令に従い忌掛は不要とする一方、信解院の死去の例により五日間、殺生・鳴物・遊興を止め、普請は差し支えないとし、京…
追録6-No.2046 死去の急報を受けた太守の反応と代香・随行者の慎み・急飛脚を返答する
久金の返書で、今暁に本書の飛脚が花岡駅へ着き、当日の宿泊先関戸駅で太守へ知らせたことを記す。太守は残情を思うものの御機嫌に障りはなく、本書の伺いの通り手配するよう命じた。先に病気見舞いとして大野休之丞を吉田駅から遣わしたが、行き違いになるため中陰法事詰めと代香を命じ、本人が途中で出立する場合も代香に…
追録6-No.2047 太守の忌服について先例を挙げ江戸への再照会を求める
妙心院の死去に際し、太守に忌服がないことを別紙で知らせたが、堤前中納言の死去時には虎寿丸が半減の忌服を受けた先例があるとして再検討を求める。当地で調べたところ、江戸で問い合わせた上で定式の忌服を受けたという。この先例によればこのたびの太守にも忌服があるように思われるものの、もう一度照会して確定する必…
追録6-No.2048 妙心院の入棺・入寺・葬送と代香・供役・法事の手配を報告する
妙心院が二十三日に死去したことを同日飛脚で知らせ、月桂院・信解院の死去時の先例により葬儀を相談して整えたと報告する。二十四日夜五時から四時の間に入棺、二十六日暮六時から五時の間に福昌寺へ入寺、二十九日夜六半時に葬送を済ませ、直ちに良英寺へ移すよう申し渡した。二十六日の出棺前には仲が代香を務め、明姫・…
追録6-No.2049 四民に家業・分限・収支を守らせ驕奢を戒める
長く在府している間も国中が静謐で、先代から数年続く引方などの難儀をいとわず勤仕したことに満足すると述べる。一方、年初の入国で勝手向きの支障と国中の深刻な困窮を聞いたため、所見を示す。民は国の本であり、士農工商の四民が礼を知れば国が治まり政が整うが、礼が乱れれば政も乱れ、不時の課役が繁くなって四民が安…
追録6-No.2050 持留屋敷・持留高の名称と抱屋敷所持数・囲い・植栽の許可条件を定める
持留地・持留屋敷を以後抱屋敷と呼び、家来・家番を置かず田畠のみの地面として持留高と呼んでいたものも抱地と改め、当面の仕向きは従前のままとして所持などの規定を定める。抱屋敷は持高の多少にかかわらず、寄合並以上は二ヶ所、その他は一ヶ所とし、従来所持していた分はそのまま認める。一門、役柄、人柄などによって…
追録6-No.2051 改年祝賀への返答と樽肴の披露を知らせる
改年の祝賀状を披見し、年賀を祝う。公方と大納言が機嫌よく、年始の規式が滞りなく済んだことを喜ぶ旨を承知したと返答する。献上された樽肴について、関係者で相談して披露したところ、結構な仕合せであったと伝える。天明四年閏正月二日、久世大和守広明から松平薩摩守へ宛てた書状。重豪公御譜中に収められ、正文は文庫…
追録6-No.2052 改年祝賀への返答と樽肴の披露を知らせる
改年の祝賀状を披見し、年賀を祝う。公方と大納言が機嫌よく、年始の規式が滞りなく済んだことを喜ぶ旨を承知したと返答する。献上された樽肴を披露したところ、結構な仕合せであったと伝える。天明四年閏正月二日、鳥居丹波守忠意から松平薩摩守へ宛てた書状。重豪公御譜中に収められる。
追録6-No.2053 将軍らの安泰を知らせ拝領の鶴を宿次で送る
公方と大納言が機嫌よく過ごしているので安心するよう知らせる。あわせて、将軍から拝領した御鷹の鶴を宿次で送ると伝える。天明四年閏正月七日、久世大和守広明・田沼主殿頭意次・松平周防守康福から松平薩摩守へ宛てた連署書状。重豪公御譜中に収められ、正文は文庫にある。
追録6-No.2054 妙心院死去後の山下屋敷付人の服忌・暇と初忌の手配を報告する
妙心院の死去後、山下御屋敷付の者は死去当日から五十日間月代を剃らず、女中も五十日慎むよう申し渡したと報告する。御本丸勤の頃から付け置かれた役々などは、用務と首尾掛が済んだ段階で申し出させ、先例によって処置する。山下御屋敷の片付けと、妙心院一人に付け置かれた女中・役々は、五十日を過ぎてから順次暇を与え…
追録6-No.2055 妙心院の中陰法事を福昌寺で執行し代参・供物・慎みを報告する
妙心院の中陰法事を閏正月八日・九日に福昌寺で執行したと報告する。八日は島津図書が代参し、九日の施餓鬼は島津又六郎久良、同日の満散に伴う半斎の代参と寄合の名代は島津玄蕃が務めた。明姫・嶺松院・千萬からの香奠を寺へ納め、一門・大身分・女中方・久起らの献納物も納めた。法事中は鹿児島中へ慎みを申し渡した。妙…
追録6-No.2056 歳暮祝儀として時服と肴を拝領した旨を上聞したと返答する
書状を披見し、公方と大納言が機嫌よく過ごしていることを喜ぶ旨を承知したと返答する。また、旧臘の歳暮祝儀として時服と肴を拝領しありがたく思うとの内容について、関係者で相談して上聞に達したと知らせる。天明四年閏正月十一日、久世大和守広明から松平薩摩守へ宛てた書状。重豪公御譜中に収められ、正文は文庫にある…
追録6-No.2057 歳暮祝儀として時服と肴を拝領した旨を上聞したと返答する
書状を披見し、公方と大納言が機嫌よく過ごしていることを喜ぶ旨を承知したと返答する。また、歳暮の祝儀として公方から時服と肴を拝領しありがたく思うとの内容を上聞に達したと知らせる。天明四年閏正月十一日、鳥居丹波守忠意から松平薩摩守へ宛てた書状。
追録6-No.2058 重豪参勤途次ニ御鷹ノ鶴拝領ス
天明四年正月十三日、重豪は江戸参勤のため鹿児島を発ち、家老島津左中久金、大目付川上頼母久品、側役岩下佐次右衛門方恭、側役格愛甲蔵記廉盛・児玉祝人実門らが供奉した。九州路を進み、二十三日に筑前木屋瀬、二十四日に豊前大里へ渡り、中国路を経て閏正月十一日に大坂、十二日夜に大坂を発して淀川を遡り伏見に一泊、…
追録6-No.2059 御鷹の鶴拝領の礼を内証からも取り成すよう依頼する
上々様が機嫌よく過ごしていることを喜ぶ。宿次奉書により公方から御鷹の鶴を拝領し、ありがたく思って表向きへ御礼の使者を送ったので、内証からも礼を申し上げたいとする。種姫君の部屋にも伝え、機会をみて御前へよく取り成すよう頼む。高丘・花園・飛鳥井・滝川・野村・いさ野へ伝えるよう結ぶ。天明四年、月日を欠く。…
追録6-No.2060 御鷹の鶴拝領の礼を西丸からも取り成すよう依頼する
上々様が機嫌よく過ごしていることを喜ぶ。宿次奉書により公方から御鷹の鶴を拝領し、ありがたく思って表向きへ御礼の使者を送ったので、西丸の内証からも礼を申し上げたいとする。機会をみて御前へよく取り成し、西丸の大崎・高橋へ伝えるよう頼む。天明四年、月日を欠く。正文控は右筆所にある。
追録6-No.2061 御鷹の鶴拝領の礼を御縁女へ伝え取り成すよう大崎に依頼する
上々様が機嫌よく過ごしていることを喜ぶ。宿次奉書により公方から御鷹の鶴を拝領し、ありがたく思って表向きへ御礼の使者を送ったので、内証からも礼を申し上げたいとする。御縁女へこの旨を伝え、機会をみて御前へよく取り成すよう大崎に頼む。天明四年、月日を欠く。正文控は右筆所にある。
追録6-No.2062 御鷹の鶴拝領の謝恩使と目録どおりの献上を老中三名へ依頼する
公方と大納言が機嫌よく過ごしていることを喜ぶ。宿次奉書により御鷹の鶴を拝領したため、御礼を申し上げる使者として平田平太左衛門位就を江戸へ差し上せ、これに伴って目録どおりの品を献上するので、しかるべく取り成すよう求める。天明四年閏正月十六日、島津重豪から松平周防守・田沼主殿頭・久世大和守へ宛てた書状。
追録6-No.2063 御鷹の鶴拝領の謝恩使と目録どおりの献上を水野出羽守へ知らせる
公方と大納言が機嫌よく過ごしていることを喜ぶ。宿次奉書により御鷹の鶴を拝領したため、御礼を申し上げる使者として平田平太左衛門位就を江戸へ差し上せ、これに伴って目録どおりの品を献上すると知らせる。天明四年閏正月十六日、島津重豪から水野出羽守へ宛てた書状で、宛所に朱書で「御老中格」と注記する。
追録6-No.2064 高宮駅で御鷹の鶴拝領奉書を受け御請と取成を老中三名へ依頼する
今月七日付の宿次奉書が十六日に近江国高宮駅へ到来したので拝見し、公方と大納言が機嫌よく過ごしていることを喜ぶ。御鷹の鶴を拝領したことをありがたく思い、その請けを申し上げるため書状を送り、この趣旨をしかるべく取り成すよう求める。天明四年閏正月十六日、島津重豪から松平周防守・田沼主殿頭・久世大和守へ宛て…
追録6-No.2065 東叡山御霊前参詣の報告を上聞に達したと返答する
書状を披見し、公方が機嫌よく過ごしていること、去月十日に東叡山の御霊前へ参詣したとの報告を承知して喜ばしく思うと返答する。書面の趣旨は関係者で相談して上聞に達したと知らせる。天明四年閏正月十八日、久世大和守広明から松平薩摩守へ宛てた書状。正文は文庫にある。
追録6-No.2066 真含院の大奥参上・上意・拝領物の礼を取り成すよう依頼する
上々様が機嫌よく過ごしていることを喜ぶ。真含院が先月十九日に大奥へ参上した際、公方・大納言・種姫君の部屋への御目見を命じられ、懇ろな上意と拝領物を受けたと聞き、ありがたく思うと述べる。その礼を申し上げたいので、機会をみて御前へよく取り成すよう頼む。天明四年、月日を欠く。正文控は右筆所にある。
追録6-No.2067 真含院の大奥参上・拝領物の礼を御縁女へ伝え取り成すよう依頼する
上々様が機嫌よく過ごしていることを喜ぶ。真含院が先月十九日に大奥へ参上した際、公方・大納言・種姫君の部屋への御目見を命じられ、懇ろな上意と拝領物を受けたと聞き、ありがたく思うと述べる。その礼を御縁女へ申し上げたいので、機会をみてよく取り成し、西丸の大崎・高橋へ伝えるよう頼む。天明四年、月日を欠く。
追録6-No.2068 増上寺御霊屋参詣の報告を上聞に達したと返答する
書状を披見し、公方が機嫌よく過ごしていること、去月二十四日に増上寺の御霊屋へ参詣したとの報告を承知して喜ばしく思うと返答する。書面の趣旨は関係者で相談して上聞に達したと知らせる。天明四年閏正月二十一日、久世大和守広明から松平薩摩守へ宛てた書状。正文は文庫にある。
追録6-No.2069 参勤途上の重豪が定月より一、二日早く江戸着予定である旨を久世家へ口達する
参勤のため国元を出立した重豪は道中を順調に進み、去る十一日に大坂へ着いた。支障がなければ来る二十八日か二十九日頃に江戸へ着く見込みだが、道中の進み具合を調整しにくく、定月より早い到着となる旨をあらかじめ届けるよう命じられた。渋谷五郎右衛門が久世大和守家の用人山田惣右衛門へ口頭で伝えたところ、定月より…
追録6-No.2070 諸大名下乗場達書・先例・廻状(四枝)
諸大名の下乗場所をめぐる四通の一括見出し。第一枝は丹後守の命による達書写・別紙の送達、第二枝は先年の下乗規定が守られないため百人組与力・同心へ取締を命じる達書、第三枝は享保三年五月十二日に大手・内桜田の下乗境界を定めた先例書付写、第四枝は天明四年二月朔日の松平駿河守の下乗位置逸脱と関係役人の差控・同…
追録6-No.2070-1 大名下乗場に関する書付写しの送達
丹後守からの命により、この節達せられた書付写しと別紙一通を百人組当番中・当番目付中へ届ける。
追録6-No.2070-2 諸大名の下乗場に関する先年触れの遵守命令
諸大名の下乗場所が先年の触れと違って乱れているため、百人組の与力・同心へ先年の規定を厳しく申し付け、下乗場所に乱れが生じないよう十分に制することを命じる。
追録6-No.2070-3 国持大名以下の下乗境界を大手・内桜田で定める
諸大名の下乗場所が以前と違い乱れたため、国持大名でも大手側は張御番所東角、内桜田側は張御番所向いの堀端南角を境として下乗するよう定める。大目付からの触れに従い万石以下へも伝達し、大久保市郎右衛門から書付を届ける。享保三年五月十二日、堀田孫太郎名義の先例書付写。
追録6-No.2070-4 駿河守の下乗場所逸脱を受け諸家の供方へ規定周知を求める廻状
去る朔日の公家衆対顔の登城時、松平肥後守の嫡子駿河守が桜田方から定めより高い場所で下乗し、大手方から登城した松平周防守に見咎められた。取締の与力・同心や目付らは不念として差控になったが、四日には差控不要とされた。下乗場の取締は百人組に達せられていた一方、諸向にはまだ触れが出ていないため、供方の心得違…
追録6-No.2071 御鷹の鶴拝領の礼使札に対する奉書不渡しの通達
御鷹の鶴を拝領した礼として使札を差し越したが、参府に関する事情により奉書は渡さない旨を、松平薩摩守の留守居に通達する。朱書の年記は天明四年、本文の日付は二月七日。
追録6-No.2072 御鷹の鶴拝領の御礼使者に対する御目見・奉書不許の通達
宿次の奉書により御鷹の鶴を拝領したため御礼使者を差し越したが、参府に関する事情から御目見は仰せ付けられず、奉書も渡さない旨を留守居に通達する。朱書の年は天明四年、月は二月までで日を欠く。
追録6-No.2073 琉球国使者登城時の下乗場所の差別を願う書状
琉球国の使者を召し連れて登城する際、松平薩摩守自身が通常の自分の下乗場所より上方で下乗してきたとして、今後の使者同伴時には自身の下乗場所を区別してほしいと願う。朱書は、使者の下乗場所付近で下乗し、その都度御目付へ照会するよう示す。二月十三日付の願書に対し、同月二十日、田沼主殿頭が留守居を呼び、用人を…
追録6-No.2074 参勤の礼の献上物と家来二人の登城を伺う
翌日の登城を断ることになった松平薩摩守が、参勤の礼の献上物を使者に持たせて差し上げてよいか、家来二人を翌日登城させ献上させてよいかを伺う。留守居勝谷五郎右衛門が周防守家の用人高濱直右衛門へ書付を出し、先例を問われたため松平加賀守・陸奥守の近例を伝えた。周防守は、使者による献上と家来二人の登城・献上を…
追録6-No.2075 重豪の参府を労問する上使田沼意次の芝邸来訪
二月十一日、上使田沼主殿頭意次が芝邸を訪れ、重豪の参府を労問した。島津淡路守忠持の名と重豪が命を聴く記事が続く。十四日に老中奉書が出たが、重豪は病気で登城できないため、翌日に番頭有川勇馬貞厚を使者として先格どおり献上物を差し出すことになった。
追録6-No.2076 翌十五日五時の登城と参勤御礼を命じる連署書状
翌十五日五時に登城し、参勤の礼を申し上げるよう松平薩摩守へ知らせる。天明四年二月十四日付で久世大和守・田沼主殿頭・松平周防守の三名が連署する。
追録6-No.2077 家来二人の御目見と同伴登城を命じる
家来二人に御目見を仰せ付けるので、二人を召し連れて登城するよう命じる。本文に年月日は記されず、目録では天明四年二月十四日の登城令書として掲げられる。
追録6-No.2078 歳暮の御内書受領のため家来を翌日登城させるよう命じる
歳暮の御内書を渡すため、翌日五半時に家来を登城させるよう松平薩摩守へ通知する。天明四年二月二十日付で松平周防守が署名する。
追録6-No.2079 重豪の四男亀五郎と五男の出生・夭折・葬所を記す
重豪の四男亀五郎は天明四年二月二十八日に江府で生まれ、同年七月二十九日に亡くなった。法号を香樹院殿秋露幻清大禅童子とし、恵燈院および江府大円寺に葬る。五男は天明五年八月十七日に江府で生まれ、母は亀五郎と同じと記され、天明六年四月十一日に亡くなった。法号を義光院殿天真祐明大禅童子とし、墓は前と同じと記…
追録6-No.2080 南林寺火災・再建と島津貴久像の還座
前年癸卯の正月十一日に南林寺で火災が起き、客殿まで焼けた。来訪中の蒲生郷士大脇孫六と住持泰禅は島津貴久(大中公)の影像を持ち出し、火災後は福昌寺に移した。その年七月二十六日に南林寺の再建工事を始め、翌春三月十日に落成した。十五日に影像を福昌寺から南林寺へ戻し、重豪は島津又六郎久良を、虎寿丸は大島休左…
追録6-No.2081 藤崎が薩摩守の初賀を祝い御縁女からの御香・色羽二重を伝える
藤崎が松平薩摩守へ、上々様と御縁女の機嫌がよいことを知らせ、薩摩守の初賀を祝う。御縁女から内々に御香一折・色羽二重十疋を贈るので、祝いの趣旨をよく伝えるよう求める。今後幾久しく年賀を迎えられるよう祝意を述べる。天明四年の朱年記があり、本文に月日を記さない。宛所は松平薩摩守様の取次の人々で、藤崎本人の…
追録6-No.2082 重豪が初賀の色羽二重十疋・御香一折の拝領を藤崎へ謝す
重豪が藤崎の書状を拝見し、上々様の機嫌を喜ぶ。自身の初賀に際して御縁女から色羽二重十疋と御香一折を内々に拝領したことをありがたく存じ、御礼をよろしく取り次ぐよう頼む。右筆所の控えには、三月十九日、年賀祝儀の到来した日にこの返事を文箱へ入れて遣わしたとの書き込みがある。三月十九日は送達に関する注記の日…
追録6-No.2083 病中の登城に際して足袋を用いる許可を伺う
松平薩摩守は病気で冷えがあるため、夏秋でも足袋を用いる旨を伺う。三月二十一日付の伺書に「足袋用可被申候」との許可が付く。附書には、留守居渋谷五郎右衛門が田沼主殿頭の用人山崎藤五郎へ書付を差し出し、主殿頭からの仰せで本城源七郎と武田織右衛門を介して許可が伝えられた経緯を記す。
追録6-No.2084 足袋使用許可を西丸老中へ届ける
松平薩摩守は持病で下半身が冷えるため、病状が出た際の足袋使用を御用番田沼主殿頭へ伺い、許可を得た旨を届ける。三月二十二日付で「御名」と記した書付は、同日、留守居本城源七郎を通じて西丸御老中鳥居丹波守へ差し出された。前件の伺い・許可を受けた届書である。
追録6-No.2085 足袋使用許可を大目付・目付へ使者で伝える
松平薩摩守の持病による冷えと、発症時の足袋使用を御用番田沼主殿頭に伺って許可された旨を、使者を通じて大目付・目付へ伝え、同役中にも申し伝えるよう求める。三月二十二日付で千田七右衛門・中嶋直八・有川與左衛門を使者として記し、附書に各使者が書付を届けた先を列挙する。
追録6-No.2086 重豪が母を養う孝子助左衛門を褒賞する
助左衛門は本府の士池水源右衛門の僕で、貧しく妻を迎えられず母と暮らし、雇われ仕事で得たものを母の衣食に充てていた。重豪は天明四年春正月、その孝行を賞して若干の品を与えた。
追録6-No.2087 琉球假屋を琉球館、假屋守を琉球館聞役に改称する
従来の「琉球假屋」を「琉球館」と呼び、建物内も「假屋内」ではなく「館内」と称するよう命じる。また役名「琉球假屋守」を「琉球館聞役」に改め、関係先へ通達するよう申し渡す。天明四年三月、島津久起(大進)の名がある。
追録6-No.2088 御香具・丸熨斗の献上を披露した旨を伝える
久世大和守廣明が松平薩摩守に、今朝献上された御香具一箱と丸熨斗一箱を披露したことを伝える。天明四年四月十一日付。続くNo2089は同じ品について別人からの書状である。
追録6-No.2089 御香具・丸熨斗の献上を披露した旨を伝える
鳥居丹波守忠意が松平薩摩守に、今朝献上された御香具一箱と丸熨斗一箱を披露したことを伝える。天明四年四月十一日付。No2088は同じ献上品について久世廣明が出した別書状である。
追録6-No.2090 重豪の子亀五郎の実母と石井家の親類・由緒を記す
亀五郎の実母の由緒を調べ、父石井新六は故石井四郎兵衛の養子で麻布下屋敷に勤め、母は四郎兵衛の娘、兄石井文蔵は新六の実子と記す。新六の娘は安永七年に牧姫付きの若女中に召し抱えられて「かち」と改名し、のちに御休息所付きとなり、天明四年二月二十八日に亀五郎を産んだ。四月十五日付の由緒書に加え、二十二日の追…
追録6-No.2091 御馬二疋の献上を披露した旨を伝える
久世大和守廣明が松平薩摩守に、献上された御馬二疋を披露したことを伝える。天明四年四月十九日付。No2092は同日、鳥居忠意が御馬一疋について記した別書状である。
追録6-No.2092 御馬一疋の献上を披露した旨を伝える
鳥居丹波守忠意が松平薩摩守に、献上された御馬一疋を披露したことを伝える。天明四年四月十九日付。No2091の久世廣明書状とは同日でも馬の頭数と差出人が異なる。
追録6-No.2093 端午祝儀の帷子・単物到来を謝す
徳川家治が薩摩中将に、端午の祝儀として帷子と単物が届いたことを喜び、詳しいことは田沼主殿頭が述べると伝える。天明四年五月二日付で、家治公の墨印を伴う御内書である。
追録6-No.2094 端午祝儀の帷子・単物献上を披露した旨を伝える
鳥居丹波守忠意が松平薩摩守に、端午の祝儀として使者を通じて帷子と単物が献上され、披露した旨を伝える。天明四年五月二日付。同日付No2093の徳川家治御内書と同じ端午祝儀に関わるが、別差出人の書状である。
追録6-No.2095 琉球布・食品・泡盛の献上を披露した旨を伝える
田沼主殿頭意次が松平薩摩守に、今朝献上された琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を披露した旨を伝える。天明四年六月六日付。
追録6-No.2096 田沼書状と同じ琉球産献上品の披露を伝える
鳥居丹波守忠意が松平薩摩守に、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺の献上と披露を伝える。冒頭の「全上」は前件No2095と同じ内容を指す。天明四年六月六日付で、田沼意次書状とは別の書状である。
追録6-No.2097 端午御内書受領のため翌日登城するよう求める
田沼主殿頭意次が松平薩摩守に、端午の御内書を渡すので、翌日の五半時に家来を御城へ差し出すよう知らせる。天明四年六月二十四日付。前件の六月六日付献上品披露書状とは用件が異なる。
追録6-No.2098 端午の飾りと御道具の支度・取扱いを申し渡す
端午の節句に用いる縮緬・紗綾・紙の幟、吹貫、菖蒲の甲や、御長柄・御弓台・御鉄炮・玉薬御箪笥などの道具を列挙し、御嫡子様と御末子様の五月五日の飾りを定める。七本御道具は作り物とし、それ以外の正規の道具は御兵具所から出すなど、以後の支度方法を関係役方へ申し渡す。六月、島津久健の名がある。
追録6-No.2099 島津重豪の病後の弁当持参と中之口通行を届ける
根元政右衛門が、島津重豪は持病の疝積気と脚痛気で河野仙寿院の薬を服用し快方に向かっているが、なお食が進まないため、登城時に弁当を持参し中之口まで通したいと届ける。安永四年の疱瘡後にも弁当を通した先例があることを挙げる。天明四年七月三日付。
追録6-No.2100 生見玉の祝儀として献上された黄金十両の披露を伝える
久世大和守廣明が松平薩摩守に、生見玉の祝儀として黄金十両が献上され、披露した旨を伝える。天明四年七月六日付。続くNo2101は同日・同趣旨の鳥居忠意書状で、差出人が異なる。
追録6-No.2101 生見玉の祝儀として献上された黄金十両の披露を伝える
鳥居丹波守忠意が松平薩摩守に、生見玉の祝儀として黄金十両が献上され、披露した旨を伝える。冒頭の「全上」はNo2100の久世廣明書状と同じ用件を示す。天明四年七月六日付で、独立した書状である。
追録6-No.2102 時疫薬方と諸国村々への配布命令(二枝)
時疫に用いる薬方と、その書付を諸国村々へ配布させる触書・家老添書の一括見出し。第一枝は享保十八年十二月の丹羽正伯・望月三英連署の薬方で、黒大豆・甘草などを用いる時疫対処や食物毒の対処を記す。第二枝は天明四年七月、諸国村々で疫病が流行するため、以前下された薬方書付を村々の領主・地頭から行き渡らせるよう…
追録6-No.2102-1 時疫の薬方と食物毒への対処を記す
時疫流行時に用いる薬方として、黒大豆を炒り甘草とともに煎じる方法、茗荷の根・葉や牛蒡の汁を用いる方法などを記す。食物の毒や中毒に対する草木・穀類の用法も列挙する。末尾に享保十八年十二月、望月三英・丹羽正伯の名がある。後の天明四年触書に再利用された薬方本文である。
追録6-No.2102-2 享保十八年の時疫薬方を諸国村々へ行き渡らせる
諸国村々で疫病が流行しているため、享保十八年の飢饉後に下された薬方書付を、村々の領主・地頭から漏れなく行き渡らせるよう命じる幕府触書と、領内へ広く伝達させる島津久健の添書。触書本文の末尾は五月、家老添書は天明四年七月である。薬方自体は前枝2102の1に収める。
追録6-No.2103 娘の死去と三日間の遠慮を幕府へ届ける
島津重豪が、妾腹の娘が病死したため、七歳未満の先例に従い翌月朔日まで三日間遠慮すると届ける。七月二十九日早朝に留守居渋谷五郎右衛門を通じて御用番久世大和守へ提出し、牧姫の死去について西丸老中鳥居丹波守へも口頭で伝えた。西丸への届出は通常の先例にはないが、当時の縁女との関係から行ったと記す。
追録6-No.2104 遠慮中の八朔登城と太刀献上を差し控える
島津重豪が娘の死去による遠慮中のため八朔の登城をせず、太刀献上も差し控え、遠慮明け後に改めて伺うと届ける。七月晦日付。朱書には、この届書を含む二通を御用番へ提出しようとしたところ翌月の御用番へ回すよう言われ、松平周防守方で受け取られた経緯や、登城辞退の別紙の扱いを記す。
追録6-No.2105 西丸老中へ八朔の太刀献上差控えを届ける
島津重豪が遠慮中のため八朔の太刀献上を差し控え、遠慮明け後に改めて伺うと届ける。七月晦日付。朱書は、留守居渋谷五郎右衛門が西丸老中鳥居丹波守へ提出し、取次奥村十太夫を通じて受領を確認したと記す。前件2104の登城辞退を含む御用番宛届書とは宛先と文言が異なる。
追録6-No.2106 娘の死去による遠慮が明二日に明ける旨を届ける
島津重豪が娘の死去による遠慮は本日までで明二日に明けると記した八月朔日付の届書。朱書によれば、当初の遠慮届に期限を明記していたため、留守居渋谷五郎右衛門が御用番松平周防守方へ口頭で伝えれば足りると判断され、念のため持参したこの書付は使用されなかった。
追録6-No.2107 遠慮明け後の八朔太刀献上日を伺う
島津重豪が、遠慮中に差し控えた八朔の公方様・大納言様への太刀献上について、遠慮が明けたため献上日を指示してほしいと伺う。八月五日付。朱書には同日提出後、翌六日に使者をもって献上するよう付紙で指示された経緯を記す。
追録6-No.2108 八朔の太刀・馬代献上への返礼を伝える
松平周防守康福が島津重豪に、八朔の祝儀として使者に託された太刀一腰と馬代黄金十両を披露したところ、上首尾であったと伝える。八月六日付。前件2107の献上日伺いに続くが、この書状は康福からの独立した返礼である。
追録6-No.2109 八朔の太刀・馬代献上への返礼を伝える
鳥居丹波守忠意が島津重豪に、八朔の祝儀として使者に託された太刀一腰と馬代黄金十両を披露したところ、上首尾であったと伝える。八月六日付で、冒頭の『全上』は前件2108と同趣旨を示す。署判と差出人は異なり、独立書状として扱う。
追録6-No.2110 小林郷細野村の助市夫妻に孝養と善行の褒賞を与える
諸県郡小林郷細野村の農夫助市は、幼時に母を失い父の病死後、継母を夫婦で厚く養い、継母の娘の嫁入りも助けた。貧しい親族や困窮する村人を助け、農作業では他人の耕作も手伝った。天明四年秋、島津重豪が助市と妻に青銭千疋を賜ってこれらの孝行と善行を褒賞した記事。
追録6-No.2111 重陽の祝儀の小袖到来を喜ぶ
徳川家治が薩摩中将島津重豪に、重陽の祝儀として小袖一重が届いたことを喜び、詳しいことは牧野越中守から伝えると記す。九月七日付の御内書で、家治の墨印が載る。
追録6-No.2112 重陽の小袖献上が披露された旨を伝える
鳥居丹波守忠意が島津重豪に、重陽の祝儀として使者が献上した小袖一重を披露し、上首尾であったと伝える。九月七日付で、冒頭の『全上』は前件2111と同じ祝儀に関することを示すが、家治の御内書とは別の返礼書状である。
追録6-No.2113 大円寺の位牌に対する仏餉米・銀の支給を定める
島津家の位牌を大円寺に安置するにあたり、蓮心院・青林院・妙心院などを含む位牌の仏餉について、従来の支給に三十石を加えて年三百石とし、すべての位牌の仏餉に充てると申し渡す。今後の位牌安置には米を別に付けず、位牌の先例や位格に応じて銀二十枚・十枚・七枚の範囲で吟味して支給する旨も伝える。九月付の二階堂主…
追録6-No.2114 品川領大井村の抱屋敷作事をめぐる四文書
品川領大井村の島津家抱屋敷で行う本家・物置の増築と、その許可申請・受領・後日の説明をまとめた一件。第一枝は八月二十二日の作事願い、第二枝は九月二日の建物・敷地を具体化した口上書、第三枝は名主からの受領返答、第四枝は九月七日から十一日にかけての許可・見分・近隣調整をめぐる経緯書である。
追録6-No.2114-1 本家・物置の増築を代官所へ願い出る
品川領大井村にある島津家の抱屋敷について、既存の家屋に加えて本家十九坪、東に物置二棟、西に物置一棟を建てる作事を願い出る。別紙の絵図を示して許可を求めた八月二十二日付の文書で、松平薩摩守家来根元政右衛門の名がある。