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追録6の目録
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追録6-No.213 阿部正右書状
重陽の祝儀として松平薩摩守が使者を通じて小袖一重を献上したことに対し、阿部伊豫守正右が、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。九月七日付で、年は朱注に明和二年とある。正右の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。献上先の固有名はこの書状には記されていない。
追録6-No.214 重豪、琉球王の献品を幕府に届ける
去歳、中山王尚穆が家重から家治への譲位を賀し、読谷山王子を江戸へ遣わして献上し、将軍からも数品を賜った経緯を記す。その謝恩のため、この年六月廿七日に尚穆が称覇親方を鹿児島の本府へ送り、書と献品を託した。九月九日の条に、新納権左衛門時高を継使、大迫源助貞休・澁谷甚八國般をその宰として江戸へ送ることを記…
追録6-No.215 島津重豪書状
重豪が、公方・若君の機嫌を喜び、前年に琉球中山王の使者を差し上げた際、首尾よく御目見を許され、懇ろな上意を受け、公方・御台・若君から品々を賜り、使者の従者まで拝領物を与えられたことへの重ねての謝意を述べる。その御礼として、中山王はこの度、称覇親方を通じて書翰と献上物を鹿児島まで送った。使節は留め置き…
追録6-No.216 藩主在国年頭規式覚書
藩主が着城した時の年頭御礼を受ける規式について、古帳と記録奉行への照会で先例を調べた覚書。古帳は断片的で、古来の作法を定めた記録や書留は見当たらないとする。宝永元年、大玄院(綱貴)の家督中に浄国院(吉貴)が着城して諸地頭の年頭太刀を受け、同年七月十一日に二日組の諸士の御目見を命じた記録を挙げる。宝永…
追録6-No.217 島津重豪伺書
重豪が参勤時期について内意を伺う。先年、琉球人を連れて参府し、その後の参勤を伺った際には従来どおり三ヶ月の御用捨を命じられたので、この度も先例と変わらない取扱いを願う。一方、持病の積気が近頃は暑い時も寒い時も強く発し、猶予後の暑中の旅行は心もとないと述べる。御用捨の時期に病に障る場合は、定式どおり四…
追録6-No.218 幕府指図書
佐々木文次郎に新暦調御用を命じ、水間喜八にその手伝いをするよう先に達していた件について、この度喜八が出府したので、御用向は文次郎方から伝えると知らせる。その差図に従うよう喜八に申し付けることを求める。本文は松平薩摩守の家来水間喜八の名を掲げ、十月の日付と朱注の明和二年を載せる。出府を急がせた先の指図…
追録6-No.219 島津久健申渡書
城下士の末子から願いにより座付士の養子となった者について、格式が下がるため養子を遂げ難い事情が生じ、違変した場合の取扱いを定める。今後は城下士への帰参を命じず、本家の家内に置き、帳面等には「本何方座付士何某先養子」と記して、その後は座付士と同様の奉公をさせる。再び座付士の養子を願い出ることは任意とす…
追録6-No.220 幕府指図書
来月四日、万寿姫君の深曽幾祝儀に際する献上物と取扱いを指図する。献上先に公方・御台・若君・万寿姫君を掲げ、十万石以上は一種一荷ずつ、五万石以上は一種五百疋ずつ、一万石以上は一種ずつ、十万石以上の嫡子・隠居は一種五百疋ずつと定める。祝儀の当日に使者を通じて献上し、若君への品は西丸御玄関から差し上げる。…
追録6-No.221 島津重豪書状
照雲院の死去に際して、中山王が仲里親雲上を差し渡し、書翰と別録どおりの品々を贈ったことについて、重豪が入念な取扱いと受け止めて礼を述べる。照雲院には重豪の女・悟姫との注が付く。十月廿六日付、年は朱注に明和二年。「中将重豪御判」と記し、中山王へ謹上する書状である。別録の品名・数量は本文には記されていな…
追録6-No.222 島津重豪書状
中山王が年始の嘉儀として使者と書簡(原文「使簡」)を差し渡し、さらに別録どおりの品々を贈ったことについて、重豪が入念な取扱いを喜んで礼を述べる。今後の喜びの時を期する旨を添える。十月廿七日付、年は朱注に明和二年。「中将重豪御判」と記し、中山王へ謹上する。別録の品名・数量と使者の個人名は本文に記されて…
追録6-No.223 島津重豪書状
中山王の書翰を見て、御代替に際して使者を差し上げ、拝領物等を得たことをありがたく思うという趣旨を、もっともであると受け止める。その御礼として勝連親方を差し越し、別幅どおりの品を贈ったことについて、重豪が入念な取扱いを喜んで礼を述べる。十月廿七日付、年は朱注の明和二年。署名は中将重豪御判、宛所は謹上中…
追録6-No.224 島津重豪書状
前年の中将任官の祝儀として、中山王が東風平按司を差し越し、太刀・馬代黄金十両に加えて別録どおりの品を贈ったことに対し、重豪が入念な取扱いを喜んで礼を述べる。十月廿七日付で、年は朱注に明和二年。「中将重豪判」と記し、次頁に続く宛所は謹上中山王である。太刀の数量と別録の品名・数量は記されていない。
追録6-No.225 島津重豪書状
中山王からの書翰を見て、先の午年に大清国へ差し渡した進貢使与那原親雲上が北京の務めを終え、去歳七月に帰帆したとの知らせを承知したと返答する。この度、与那原を通じて別録どおりの品を贈ったことについて、重豪は入念な贈与を過量の至りとして礼を述べる。十月廿七日付、年は朱注に明和二年。中将重豪御判を記し、中…
追録6-No.226 島津重豪書状
中山王の書札を見て、大清からの賜物である金入龍紋緞子一巻・色緞子一巻を王から贈られたことについて、重豪が入念な贈与を喜び、欣然の至りと返答する。十月廿七日付、年は朱注に明和二年。署名は薩摩守重豪御判で、「中山王 回章」と記す。二品をそれぞれ一巻とし、大清から王への賜物と、王から重豪への贈与を伝える書…
追録6-No.227 島津重豪書状
中山王の書札を見て、王がますます平安であることを珍重とし、重豪自身も無事なので安心するよう伝える。あわせて縮布五端を贈られたことを、懇篤の至りと受け止めて礼を述べる。十月廿七日付、年は朱注に明和二年。署名は薩摩守重豪御判で、「中山王 回章」と記す。王の平安への返答と、重豪自身の無事の知らせを、縮布贈…
追録6-No.228 島津重豪加冠仮名書出
肝付左門の加冠に当たり、仮名を弾正とする旨を書き出す。「加冠」「宜為」と弾正の名を配置した短文で、明和二年酉十月廿八日付、重豪公御判と記す。出典注には正文が肝付主殿のもとにあると記される。弾正は目録の分類どおり加冠の仮名で、実際の官職任官を告げる内容とはしていない。
追録6-No.229 佐久間村央伺書
中山王が御代替に際して差し上げた使者への取扱いに謝恩し、薩州へ書翰と献上物を送った件を、留守居佐久間新左衛門が伺い出る。公方・御台・若君への献上は伺いどおりに命じられ、江戸では薩摩守の家来を通じて差し上げることとなっていた。しかし御台への品のうち色繻子が琉球から渡海する際、船中で損じて献上できないと…
追録6-No.230 佐久間村央届書
御台へ中山王から献上する色繻子が損じたため、その対応を説明する演説の写し。薩州と江戸で地合等を調べて品替え献上を伺う案も考えられるが、王の献上品には例格があるので、そのまま代品に替えることは難しいとする。改めて送る案とし、すでに当年の渡海季節を過ぎているため、来春に琉球へ伝え、献上に適する色繻子を来…
追録6-No.231 阿部正右書状
阿部伊豫守正右が松平薩摩守の書札を見たことを伝える。公方・若君がますます機嫌よく過ごしていることへの恐悦をもっともであると受け止め、使者を通じて参勤時期を伺った書面の趣旨を承知したと返答する。十一月三日付、年は朱注に明和二年。正右の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。この書状は参勤時期の伺いを承知したこ…
追録6-No.232 松平康福書状
万寿姫君の御深曽幾の祝儀として、松平薩摩守が使者を通じて目録に記す品を献上したことに対し、松平周防守康福が、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。十一月四日付、年は朱注の明和二年。康福の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。献上品の具体的な品名・数量及び献上先の固有名は本文に記されていない。
追録6-No.233 阿部正右書状
万寿姫君の御深曽幾の祝儀として、松平薩摩守が使者を通じて目録に記す品を献上したことに対し、阿部伊豫守正右が、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。十一月四日付で、年は朱注に明和二年とある。正右の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。献上品の具体的な品名・数量及び献上先の固有名は本文に記されていない。
追録6-No.234 松平武元外三名(幕府老中)連署奉書
松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の御機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。参勤の時期を使者を通じて伺った趣旨を上聞に達したところ、前年に琉球人を召し連れて参府したため参勤を猶予し、来年七月中に参府するよう命じられたとして、その旨を心得るよう伝える。十一月十三日付、年は朱注の明和二年…
追録6-No.235 板倉勝清書状
板倉佐渡守勝清が松平薩摩守の書札を拝見し、公方・若君の御機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。参勤の時期を使者を通じて伺った趣旨を承知したと返答する。十一月十六日付、年は朱注の明和二年。勝清の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。参府の具体的な月や許可の条件は本書状に示されていない。
追録6-No.236 松平康福書状
松平周防守康福が松平薩摩守の書札を披見する。公方・若君の機嫌を伺ったことに対し、両者ともますます御安全であるので安心するよう知らせる。あわせて献上された小熬海鼠一箱について、各々申し談じて披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。十一月十八日付、年は朱注に明和二年。康福の判と松平薩摩守宛の宛所を備え…
追録6-No.237 阿部正右書状
阿部伊豫守正右が松平薩摩守の書札を披見する。公方・若君の機嫌を伺ったことに対し、両者ともますます御安全であるので安心するよう知らせる。あわせて小熬海鼠一箱の献上について、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。十一月十八日付、年は朱注に明和二年。正右の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。献上先の固有名…
追録6-No.238 島津重豪伺書
日光山の御法会に際して妻から献納物を差し上げることを先に伺ったところ、服明になってから伺うよう指示があったとして、来正月の服明にあたり献納物をどのように扱うか伺う。十二月四日付、松平薩摩守の署名があり、朱注に明和二年とある。朱書の指図は、白銀三枚を使者により東叡山本坊へ奉納するよう命じる。追記によれ…
追録6-No.239 島津重豪書状
中山王が公方の御代替の祝儀として読谷山王子を差し上げたことについて、国が旧規を失わず、遠境まで渡って奉祝したため将軍が感悦し、会釈なども厚く取り計らわれたと伝える。重豪自身もありがたく思う旨を王に伝えるとともに、国中の政務を引き続き正道に沿うよう申し付けるのがよいと述べる。詳しい内容は家老共から伝え…
追録6-No.240 阿部正右書状
阿部伊豫守正右が松平薩摩守の書札を披見する。寒中、公方・若君の機嫌を使者を通じて伺ったことに対し、両者ともますます御安全であるので安心するよう知らせる。あわせて琉球紬十端・鰹節一箱の献上について、各々申し談じて披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。十二月十三日付、年は朱注に明和二年。正右の判と松…
追録6-No.241 松平康福書状
松平周防守康福が松平薩摩守の書札を披見する。寒中、公方・若君の機嫌を使者を通じて伺ったことに対し、両者ともますます御安全であるので安心するよう知らせる。あわせて若君に琉球紬十端・鰹節一箱を献上したことについて、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。十二月十三日付、年は朱注に明和二年。康福の判と松…
追録6-No.242 島津重豪書状
島津重豪が、公方・御臺・若君・万寿姫君の機嫌がよいことを喜ぶ。参勤の時期を伺ったところ上聞に達し、前年に琉球人を召し連れて参府したため猶予され、来年七月中に参府するよう命じられたことへの謝意を述べる。一方、持病の積氣が近頃は暑寒ともに時々発し、暑中の旅行に不安があるため、定式どおり四月に参府したいと…
追録6-No.243 島津重豪書状
島津重豪が、公方・御臺・若君・万寿姫君の機嫌がよいことを喜ぶ。参勤の時期を伺ったところ上聞に達し、前年に琉球人を召し連れて参府したため猶予され、来年七月中に参府するよう命じられたことへの謝意を述べる。一方、持病の積氣が近頃は暑寒ともに時々発し、暑中の旅行に不安があるため、定式どおり四月に参府したいと…
追録6-No.244 島津重豪加冠仮名書出
島津徳次郎の加冠に際し、仮名を吉十郎とするよう定めた書出。「加冠宜爲」に続いて吉十郎を掲げ、明和二年酉十二月十五日付で重豪公の御判を備える。重豪公御譜中に収められ、正文は島津求馬にあると注記する。
追録6-No.245 阿部正右書状
阿部伊豫守正右が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。蜜柑二箱・炙鮎一箱の献上について、各々申し談じて披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。十二月十五日付で、年は朱注の明和二年。正右の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。正文は文庫にあると注記する。…
追録6-No.246 松平康福書状
松平周防守康福が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。若君への蜜柑二箱・炙鮎一箱の献上について、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。十二月十五日付、年は朱注の明和二年。康福の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。
追録6-No.247 阿部正右書状
阿部伊豫守正右が松平薩摩守の御札を披見する。公方の機嫌がよいこと、及び十月十四日に増上寺御霊屋へ参詣したことを聞いて恐悦した旨をもっともであると受け止める。書面の趣旨を各々申し談じて上聞に達したと返答する。十二月十六日付で、年は朱注の明和二年。正右の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。
追録6-No.248 島津重豪加冠仮名書出
村森正之進の加冠に際し、仮名を右平太とするよう定めた書出。「加冠宜爲」に続いて右平太を掲げ、明和二年酉十二月廿二日付で重豪公の墨印を備える。重豪公御譜中に収められ、正文は島津遠江にあると注記する。
追録6-No.249 徳川家治御内書
歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは阿部伊豫守が述べると伝える徳川家治の御内書。十二月廿七日付、薩摩中将に宛て、家治公の墨印を備える。重豪公御譜中に収められ、正文は文庫にあると注記する。本文に年の記載はなく、目録は明和二年とする。
追録6-No.250 秋元涼朝書状
歳暮の祝儀として松平薩摩守が使者を通じて小袖一重を献上したことに対し、秋元但馬守涼朝が、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。十二月廿七日付で、年は朱注に明和二年とある。涼朝の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。献上先の固有名は本書状に記されていない。
追録6-No.251 松平武元外三名(幕府老中)連署状
松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。前年、琉球中山王の使者が渡来して無事に御目見を遂げ、品々を賜り、さらに従者まで拝領物を命じられたことを重ねてありがたく思う旨を承知したとする。その御礼として、王が称覇親方に書翰及び目録どおりの品を託して公方・御…
追録6-No.252 阿部正右書状
阿部伊豫守正右が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。前年、琉球中山王の使者が渡来し、無事に御目見を遂げて品々を賜り、従者まで拝領物を命じられたことを重ねてありがたく思う旨を承知したとする。その御礼として、称覇親方を通じて王の書翰及び目録どおりの献…
追録6-No.253 板倉勝清書状
板倉佐渡守勝清が松平薩摩守の御札を拝見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。前年、琉球中山王の使者が渡来して無事に御目見を遂げ、品々を賜り、従者まで拝領物を命じられたことを重ねてありがたく思う旨を承知しているとする。その御礼として、称覇親方に王の書翰及び目録どおりの品を…
追録6-No.254 秋元涼朝書状
若君に御破魔弓一飾を使者によって献上したことについて、秋元但馬守涼朝が、首尾よく披露を遂げたと返答する。十二月廿八日付、年は朱注の明和二年。涼朝の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。
追録6-No.255 幕府指図書
来正月の若君の袴着祝儀に関する献上物の指図。公方・御臺・若君を献上先に掲げ、二種二荷、二種一荷、二種一荷の数量と、十万石以上・五万石から九万石・一万石から四万石の区分を記す。おちを御方に関する欄には、十万石以上の嫡子・隠居の二種一荷、十万石以上の一種三百疋、五万石以上の一種二百疋を掲げる。岩橋・御乳…
追録6-No.256-1 小松清香申渡書
年頭に在府する際、家老及び家格によって太刀を進上する者、並びに地頭持の江戸詰合の者は持参太刀を献ずるとする。国許では大御目付以上及び家格によって太刀を進上する者は名代による納太刀とし、在国年の江戸詰のうち従来参府時に太刀を進上する者は、今後は留守詰の者も国許の名代を通じて年頭の納太刀を行うよう定める…
追録6-No.256-2 小松清香申渡書
在国する年の江戸詰合の者による年頭の太刀進上について、正徳二辰年に命じられた趣旨があるとする。年頭に不在の者は、どこからの登着でも太刀進上を願い出るよう、去酉正月にも申し渡したと述べる。この節は通達によって重ねて申し渡すので、今後はそのとおり心得て帳面にも記録するよう、小松式部が正月付で指示する。後…
追録6-No.257 松平輝高書状
松平右京大夫輝高が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。あわせて妻女が御鷹の鴈を拝領したことをありがたく思う旨を承知し、書面の趣旨を各々一覧したと知らせる。正月六日付、年は朱注の明和三年。輝高の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。重豪公御譜中に収められ…
追録6-No.258 秋元涼朝書状
秋元但馬守涼朝が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。去十月廿八日に公方から妻女が御鷹の鴈を拝領したことをありがたく思う旨を承知し、書面の趣旨を承知したと返答する。正月六日付、年は朱注の明和三年。涼朝の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。
追録6-No.259 松平輝高書状
若菜の祝儀として松平薩摩守が鯛一折を献上したことに対し、松平右京大夫輝高が、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。正月七日付、年は朱注の明和三年。輝高の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。献上先の固有名は本文に記されていない。
追録6-No.260 秋元涼朝書状
若菜の祝儀として松平薩摩守が鯛一折を献上したことに対し、秋元但馬守涼朝が、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。正月七日付、年は朱注の明和三年。涼朝の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。献上先の固有名は本文に記されていない。
追録6-No.261 松平武元外三名(幕府老中)連署状
年頭の祝儀として松平薩摩守が使者を通じて太刀一腰・馬代黄金十両を献上したことに対し、披露を遂げ、一段の御仕合であると知らせる。正月十一日付、年は朱注の明和三年。阿部伊豫守正右・松平周防守康福・松平右京大夫輝高・松平右近将監武元の四名が判を据え、松平薩摩守に宛てる。重豪公御譜中に収められ、正文は文庫に…
追録6-No.262 秋元涼朝書状
年頭の祝儀として松平薩摩守が使者を通じて太刀一腰・馬代黄金十両を献上したことに対し、秋元但馬守涼朝が、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。正月十一日付、年は朱注の明和三年。涼朝の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。献上先の固有名は本文に記されていない。
追録6-No.263 松平輝高書状
松平右京大夫輝高が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。旧冬に万寿姫君の御深曽幾の祝儀が済んだことを聞き、めでたく思う旨を承知したと知らせる。書面の趣旨について各々申し談じて上聞に達したと返答する。正月十一日付、年は朱注の明和三年。輝高の判と松平薩…
追録6-No.264 秋元涼朝書状
秋元但馬守涼朝が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。旧冬に万寿姫君の御深曽幾の祝儀が済んだことを聞き、めでたく思う旨を承知したと知らせる。書面の趣旨を言上したと返答する。正月十一日付、年は朱注の明和三年。涼朝の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。
追録6-No.265 松平輝高書状
松平右京大夫輝高が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。参勤の猶予を命じられたところ、持病の積氣が暑寒ともに時々発し、暑中の旅行に不安があるため、定式どおり四月に参府する願いがそのとおり済んだことをありがたく思う旨を承知したとする。そのために使者を…
追録6-No.266 秋元涼朝書状
秋元但馬守涼朝が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。参勤の猶予を命じられたところ、持病の積氣が暑寒ともに時々発し、暑中の旅行に不安があるため、定式どおり四月に参府する願いがそのとおり済んだことをありがたく思う旨を承知したとする。そのために使者を差…
追録6-No.267 近衛内前書状
近衛内前が薩摩中将の書状を披閲し、ますます壮健であることを喜び、こちらも変わりなく過ごしていると知らせる。参勤の時期を伺ったところ、時宜もよくなり、さらに願いどおりに厳命を受けたことを重ねて喜ばしく思うと伝える。詳しい事情を知らせてもらったことは丁寧の至りで、欣然としていると結ぶ。正月廿二日付、年は…
追録6-No.268 重豪参勤・将軍世子家基着袴始祝賀の記事
明和三年丙戌正月二十三日、重豪が参勤のため国を発し、大口筋を通った記事。家老の川田伊織国福・高橋此面種寿、側用人の山岡斎宮久澄・二階堂蔀行旦、近習役の関山新左衛門金郷らが供奉した。二十四日に山箇野金山を周覧し、二十六日に肥後州へ出て西海道を経由、二月四日に豊前大里に到着して同日乗船した。十八日に播州…
追録6-No.269 松平武元書状
若君の御着袴の祝儀として、松平薩摩守が使者を通じて目録どおりの品を献上したことに対し、松平右近将監武元が、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。正月廿八日付、年は朱注の明和三年。武元の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。重豪公御譜中に収められ、正文は文庫にあると注記する。具体的な品目・数量及び献上先…
追録6-No.270 秋元涼朝書状
若君の御着袴の祝儀として、松平薩摩守が使者を通じて目録どおりの品を献上したことに対し、秋元但馬守涼朝が、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。正月廿八日付、年は朱注の明和三年。涼朝の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。具体的な品目・数量及び献上先の固有名は本書状に記されていない。
追録6-No.271 島津重豪書状
前年に江府へ差し上げた使者が帰国したことに対する御礼として、中山王が称覇親方を通じて目録どおりの品を公方・御臺・若君へ献上し、それを使者によって差し上げたところ、披露を遂げて御奉書が渡されたので送付すると伝える。ありがたく承知するよう王に求める。正月廿八日付、年は朱注の明和三年。中将重豪の御判があり…
追録6-No.272 松平武元書状
松平右近将監武元が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。旧臘朔日に若君に御名が進められたことを聞き、めでたく思う旨を承知したとする。それについて使者を差し越したことを受け、書面の趣旨を各々申し談じて上聞に達したと返答する。二月二日付、年は朱注の明和…
追録6-No.273 秋元涼朝書状
秋元但馬守涼朝が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。旧臘朔日に若君に御名が進められたことを聞き、めでたく思う旨を承知したとする。それについて使者を差し越したことを受け、書面の趣旨を言上したと返答する。二月二日付、年は朱注の明和三年。涼朝の判と松平…
追録6-No.274 松平武元書状
松平右近将監武元が松平薩摩守の御札を披見し、新年の慶賀を喜ばしく受け止める。公方・若君の機嫌がよく、年始の規式が済むであろうとめでたく思う旨を承知したとする。あわせて御樽肴の献上について、各々申し談じて披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。二月四日付、年は朱注の明和三年。武元の判と松平薩摩守宛の…
追録6-No.275 秋元涼朝書状
秋元但馬守涼朝が松平薩摩守の御札を披見し、新年の慶賀を喜ばしく受け止める。公方・若君の機嫌がよく、年始の規式が済むであろうとめでたく思う旨を承知したとする。あわせて御樽肴の献上について、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。二月四日付、年は朱注の明和三年。涼朝の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。
追録6-No.276 松平武元書状
松平右近将監武元が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。旧臘に公方から寒中の御尋として妻女が御肴を拝領し、ありがたく思う旨を承知したとする。書面の趣旨を各々一覧したと返答する。二月四日付、年は朱注の明和三年。武元の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。
追録6-No.277 秋元涼朝書状
秋元但馬守涼朝が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。公方から妻女が寒中の御尋として御肴を拝領し、ありがたく思う旨を承知したとする。書面の趣旨を承知したと返答する。二月四日付、年は朱注の明和三年。涼朝の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。
追録6-No.278 重豪、府下士の婢を褒賞する記事
府下士立石喜三兵衛の婢を賞した記事。この婢はもと始羅郡蒲生郷の郷士谷山甚兵衛の婢であり、甚兵衛の女が喜三兵衛に嫁ぐ際に随従したという。老いるまで力を尽くして仕えたため、この年の春二月、青銅五百匹を与えて賞したと記す。本人の名前や具体的な年齢は記されていない。重豪公御譜中に収められる。
追録6-No.279 松平武元書状
松平右近将監武元が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。旧臘に歳暮の祝儀として時服及び御肴を拝領し、ありがたく思う旨を承知したとする。書面の趣旨について各々申し談じて上聞に達したと返答する。二月廿一日付、年は朱注の明和三年。武元の判と松平薩摩守宛の…
追録6-No.280 秋元涼朝書状
秋元但馬守涼朝が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。歳暮の祝儀として公方・御臺から妻女への拝領物があり、ありがたく思う旨を承知したとする。書面の趣旨を承知したと返答する。二月廿一日付、年は朱注の明和三年。涼朝の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。
追録6-No.281 松平武元書状
松平右近将監武元が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。旧臘に歳暮の祝儀として公方・御臺から妻女への拝領物があり、ありがたく思う旨を承知したとする。書面の趣旨を各々一覧したと知らせる。二月廿一日付、年は朱注の明和三年。武元の判と松平薩摩守宛の宛所を…
追録6-No.282 秋元涼朝書状
秋元但馬守涼朝が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。歳暮の祝儀として公方から時服及び御肴を拝領し、ありがたく思う旨を承知したとする。書面の趣旨を言上したと返答する。二月廿一日付、年は朱注の明和三年。涼朝の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。
追録6-No.283 阿部正右書状
阿部伊豫守正右が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。旧臘に秋元但馬守が連判の列を命じられ、若君付になったことを聞き、喜ばしく思う旨を承知したとする。書面の趣旨について各々申し談じて上聞に達したと返答する。三月朔日付、年は朱注の明和三年。正右の判と…
追録6-No.284 阿部正右書状
阿部伊豫守正右が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。旧臘に秋元但馬守が連判の列を命じられ、若君付になったことを聞き、喜ばしく思う旨を承知したとする。書面の趣旨を若君に言上したと返答する。三月朔日付、年は朱注の明和三年。正右の判と松平薩摩守宛の宛所…
追録6-No.285 阿部正右書状
阿部伊豫守正右が松平薩摩守の御札を披見する。前年の日光山御法会に伴う妻女の献納物について、この度伺ったところ献納するように取り扱われたことをありがたく思う旨を承知したとする。書面の趣旨を各々一覧したと返答する。三月朔日付、年は朱注の明和三年。正右の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。
追録6-No.286 松平康福書状
松平周防守康福が松平薩摩守の御札を披見する。公方の機嫌がよいこと、及び正月廿日に東叡山御霊前へ参詣したことを聞いて恐悦した旨をもっともであると受け止める。書面の趣旨について各々申し談じて上聞に達したと返答する。三月二日付、年は朱注の明和三年。康福の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。
追録6-No.287 松平康福書状
松平周防守康福が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。正月廿八日に若君の御着袴祝儀が済んだことを聞き、めでたく思う旨を承知したとする。それについて使者を差し越したことを受け、書面の趣旨を各々申し談じて上聞に達したと返答する。三月三日付、年は朱注の明…
追録6-No.288 秋元涼朝書状
秋元但馬守涼朝が松平薩摩守の御札を披見し、公方・若君の機嫌がよいことへの恐悦をもっともであると受け止める。若君の御着袴祝儀が済んだことを聞き、めでたく思う旨を承知したとする。それについて差し越した書面の趣旨を言上したと返答する。三月三日付、年は朱注の明和三年。涼朝の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。
追録6-No.289 松平康福書状
松平周防守康福が松平薩摩守の御札を披見する。公方の機嫌がよいこと、及び正月晦日に増上寺御霊前へ参詣したことを聞いて恐悦した旨をもっともであると受け止める。書面の趣旨を各々申し談じて上聞に達したと返答する。三月三日付、年は朱注の明和三年。康福の判を備え、松平薩摩守に宛てる。
追録6-No.290 松平康福書状
松平周防守康福が松平薩摩守の御札を披見する。水戸宰相殿の逝去を聞き、言葉を失った旨を承知したとする。それに伴って機嫌を伺ったことについて、御安全であるので安心するよう知らせる。書面の趣旨を各々申し談じて上聞に達したと返答する。三月十三日付、年は朱注の明和三年。康福の判と松平薩摩守宛の宛所を備える。重…
追録6-No.291 松平康福書状
松平周防守康福が松平薩摩守の御札を披見する。公方の機嫌がよいこと、及び前月廿六日に東叡山の至心院の御霊前へ参詣したことを聞いて恐悦した旨をもっともであると受け止める。至心院には家治生母の注がある。書面の趣旨を各々申し談じて上聞に達したと返答する。三月十五日付、年は朱注の明和三年。康福の判と松平薩摩守…
追録6-No.292 湧川朝喬起請文前書
湧川親方朝喬が三司官役への任命に際して立てた五箇条の起請文前書。第一に、若輩であるところ前年に三司官役を命じられたことをありがたく思い、御国許への奉公を入念に勤めると誓う。第二に、重豪に対して毛頭疎意を抱かないとする。第三に、御国許から命じられた諸事・御条書を堅く守り、悪意・邪儀を企てる者があれば披…
追録6-No.293 阿部正右書状
前年に御暇を受けた際に提出していた当分相続願書を返進すると伝える。三月廿日付、年は朱注の明和三年。本文署名は阿部伊豫守で、松平薩摩守様に宛てる。目録は阿部正右書状とする。重豪公御譜中に収められ、正文は文庫にあると注記する。
追録6-No.294 重豪の参府御礼・家基の元服叙任祝賀の記事
同年四月五日、上使松平康福が芝第に来て参府を慰労した記事。二十二日には指示を受けて先格の献上物を差し上げ、家治に拝謁して懇旨を賜った。続いて西営でも献上し、退出後は老中各邸へ赴いて拜謝した。同行家老二人も先例どおり拝謁するはずだったが、高橋此面種寿が病気で参上できず、川田伊織国福だけが拝謁したとの注…
追録6-No.295 松平武元書状
大納言の元服及び官位の祝儀として、松平薩摩守が使者を通じて太刀・馬代を献上したことに対し、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。四月十八日付、年は朱注の明和三年。正文署名は武元の判であり、口裏記載に松平右近将監武元の名と松平薩摩守宛がある。宛名には島津重豪の注が付く。正文は文庫にあると注記する。
追録6-No.296 秋元涼朝書状
大納言の元服及び官位の祝儀として、松平薩摩守が使者を通じて太刀・馬代を献上したことに対し、披露を遂げ、一段の御仕合であると返答する。四月十八日付、年は朱注の明和三年。正文署名は涼朝の判であり、口裏記載に秋元但馬守涼朝の名と松平薩摩守宛がある。
追録6-No.297 松平武元外三名連署状
阿部伊豫守・松平周防守・松平右京大夫・松平右近将監の四名が松平薩摩守に対し、明日五半時に登城して参勤の御礼を申し上げるよう指図する。四月廿一日付で、年は朱注の明和三年による。翌日の登城時刻は五半時という原表現で記される。官名四署及び松平薩摩守殿宛の宛所を備え、重豪公御譜中に収められ、正文は文庫にある…
追録6-No.298 登城令書
家来二人に御目見を命じたので、召し連れて出るよう指図する令書。本文には家来二人とだけ記され、個人名・日付・発給者の署名・正式宛所はない。参勤御礼の登城指図と、家来の病欠を届ける文書の間に収められる。出典は「全上」とされる。
追録6-No.299 島津重豪届書
松平薩摩守が、今日の参勤御礼に家来二人を召し連れて出るよう命じられたところ、高橋此面が今暁から病気を発し、登城できない旨を届ける。四月廿二日付で、年は朱注の明和三年による。松平薩摩守の署を備える。朱注には、この届書を両御丸の老中に各一通差し出したと記される。写正文は文庫にあると注記する。
追録6-No.300 島津氏家臣御目見献上物例書
家臣の御目見に伴う自分献上物の先例を記す例書。島津兵庫について、公方へ太刀・馬代銀一枚と巻物五、大納言へ太刀・馬代銀一枚を示す。鎌田典膳について、公方へ太刀・馬代銀一枚と巻物二、大納言へ太刀・馬代銀一枚を示す。説明では、寛延元年辰十二月に「亡祖父薩摩守」(宗信の注)が参府し、供を召し連れて参勤御礼の…
追録6-No.301 有川貞厚伺書
有川勇馬が、今日御目見を命じられた松平薩摩守の家来二人のうち高橋此面が今暁発病して登城できないことを届けた上で、自分献上物は御本丸中の口へ持参してあるので、どのように仰せ付けられるか伺う。四月廿二日付、年は朱注の明和三年。朱追記によると、届書等三通を即日、留守居有川勇馬が御用番阿部伊豫守の公用人関平…
追録6-No.302 阿部正右書状
今朝、御香具一箱及び丸熨斗一箱を献上したので、披露したところ一段の御仕合であったと阿部正右が知らせる。四月廿五日付で、年は朱注の明和三年。正文に正右の判がある。口裏には阿部伊豫守正右と松平薩摩守殿宛の記載及び〆があり、口裏の記載であることを朱注で示す。正文は文庫にあると注記する。
追録6-No.303 秋元涼朝書状
今朝、御香具一箱及び丸熨斗一箱を献上したので、披露したところ一段の御仕合であったと秋元涼朝が知らせる。四月廿五日付で、年は朱注の明和三年。正文に涼朝の判がある。口裏には秋元但馬守涼朝と松平薩摩守殿宛の記載及び〆があり、口裏の記載であることを朱注で示す。出典は「全上」とされる。
追録6-No.304 秋元涼朝書状
大納言へ菖蒲御兜一飾を使者によって献上したので、首尾よく披露したと秋元涼朝が知らせる。四月廿八日付で、年は朱注の明和三年。正文に涼朝の判がある。口裏には秋元但馬守涼朝と松平薩摩守殿宛の記載及び〆があり、口裏の記載であることを朱注で示す。重豪公御譜中に収められ、正文は文庫にあると注記する。
追録6-No.305 徳川家治御内書
徳川家治が薩摩中将に対し、端午の祝儀として帷子単物が到来し、喜ばしく思う旨を伝える。詳しいことは松平周防守が述べるとする。五月二日付で、年は朱注の明和三年。家治公の墨印と薩摩中将殿宛の宛所を備える。重豪公御譜中に収められ、正文は文庫にあると注記する。
追録6-No.306 秋元涼朝書状
端午の祝儀として御帷子単物を使者によって献上したので、披露したところ一段の御仕合であったと秋元涼朝が知らせる。五月二日付で、年は朱注の明和三年。秋元但馬守涼朝の判と松平薩摩守殿宛の宛所を備える。出典は「全上」とされる。
追録6-No.307 松平輝高書状
御馬二疋を献上したので、披露したところ一段の御仕合であったと松平輝高が知らせる。五月四日付で、年は朱注の明和三年。正文に輝高の判がある。口裏には松平右京大夫輝高と松平薩摩守殿宛の記載及び〆があり、口裏の記載であることを朱注で示す。出典は「全上」とされる。
追録6-No.308 秋元涼朝書状
御馬一疋を献上したので、披露したところ一段の御仕合であったと秋元涼朝が知らせる。五月四日付で、年は朱注の明和三年。正文に涼朝の判がある。口裏には秋元但馬守涼朝と松平薩摩守殿宛の記載及び〆があり、口裏の記載であることを朱注で示す。出典は「全上」とされる。
追録6-No.309 重豪、将軍父子に拝賀する記事
重豪が同年五月五日に登城し、大樹家治及び儲君家基に拝謁して賀儀を献じた記事。この日は儲君が元服後初めて朝に臨んだため、拝謁できたとする。礼を終えて西営へ登って拝し、さらに老中の各邸へ赴いて拝した。重豪公御譜中に収められる。年は目録の明和三年と前後の同年記録による。
追録6-No.310 某覚書
五月五日の登城と御目見の勤め方を記す覚書。御礼前に大広間で秋元但馬守が出席し、御礼後に大納言が出御して御目見を命じる旨を一同へ伝えた。公方が大広間へ出御し、順番どおり御礼を済ませて入御した後、大納言が直垂で白書院へ出御し、国持大名及び表向侍従以上が一同に出座して御目見した。太守の初御目見の勤め方につ…
追録6-No.311 きよ橋外六名連署消息
きよ橋外六名が松たいら薩摩守に宛てた消息。近頃参勤の御礼を申し上げたことを祝う。御臺へ目録どおりの品を進上したので、すぐに披露したところ、御臺は満足して喜び、よろしく申し伝えるよう命じたと知らせる。「口上の覚」と掲げ、松たいら薩摩守様への口上という宛記を備える。きよ橋・むめた・たき川・いはせ・うら尾…