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追録6の目録
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追録6-No.1251 城下の門・邏所・柵門と番の設備の築造
この年、非常に備えるため、城下の西田橋口と原注でタンタトとする場所の西北二か所に門と邏所を建てたと記す。さらに升形口、新橋、吉野橋に柵門を建て、各所に番の設備を置いたとする。春正月に起工し、三月に完成したという。出典は重豪公御譜中。是歳は安永四年の文脈に置き、正月の着工と三月の完成を分ける。西田橋口…
追録6-No.1252 島津久健申渡書―五か所の御門名の使用と伝達
枡形御門、新橋御門、吉野橋御門、西田橋口御門と、前記事の原注タンタトに対応する御門の五か所を列挙する。この節、御門ならびに番所が建てられたので、今後は右の通りに呼称するよう仰せ付けられた旨を述べ、承知すべき面々へ申し渡すよう命ずる。末尾は朱の安永四年三月、仲、注に島津久健。写の正文は文庫とする。門・…
追録6-No.1253 定山公師久の四百年忌と香奠銀の減額の注
同年春三月二十一日、薩摩郡隈之城の稱名寺で、定山公の四百年忌の法事を修したと記す。定山公には島津師久の注があり、使番頭鎌田蔵人正方を遣わし、香奠銀三枚を献じて拝させたという。仝上は重豪公御譜中の出典を受ける。小字の注は、これまで祖先の遠忌法事では寺へ香奠銀五枚を納めていたが、ここで初めて減額し、銀三…
追録6-No.1254 虎寿丸誕生を祝う国中の赦の記事
以前に男子虎壽丸が生まれたので、これを祝うため、この年四月六日に有司に命じ、国中で赦を行わせたと記す。出典は重豪公御譜中。本文の今茲は安永四年の文脈に置くが、虎壽丸の出生自体をこの年四月六日の出来事としない。出生を回顧する先是の句、誕生を祝う趣旨、赦を行う命とその日を分けて整理する。赦の対象者、罪名…
追録6-No.1255 斉宣御譜の虎寿丸誕生に伴う大赦の記事
夏四月六日、虎壽丸の誕生を祝うため、国中で大赦を行ったと記す。出典は斉宣公御譜中。年は安永四年の文脈に対応するが、この本文の年月表記は夏四月六日である。虎壽丸の出生を祝う大赦の実施日と、出生そのものの日を分け、四月六日に生まれたとはしない。赦の対象者・人数・罪名や手続の細目は記されない。重豪御譜の有…
追録6-No.1256 島津久健達書―後家の茶筅髪と例外・髪形の通達
茶筅髪にする後家が多く見られるが、茶筅髪は重い事柄であり、公辺向で官位のある人の後家を除き、そのような格式がないと述べる。他方、今までの仕来りによって御一門家の後室が茶筅髪にすることは格別とし、そのほかは一切無用とする。その上で、原に二ッ可折くと記す髪形を勝手次第にするよう仰せ付けられた旨が江戸から…
追録6-No.1257 重豪の帰国と島津久邦の江府謝恩使往復
同年四月十五日、上使板倉佐渡守勝清が芝邸へ来て帰国の暇を賜り、恩賚は先規の通りと記す。同日、大納言家基も阿部豊後守正允によって恩旨を伝え、先例により饗応し、老中各邸にも礼謝した。十九日に登営して家治に謁し、懇ろな旨を受け、西城と老中各邸で御礼をしたと続ける。芝邸の留守家老島津左中久金による太刀・馬代…
追録6-No.1258 幕府老中四名連署状―帰国暇の御礼のため翌日五半時に登城
明日五半時に登城し、帰国の暇を与えられたことへの御礼を申し上げるよう伝える。末尾は四月十八日、田沼主殿頭・板倉佐渡守・松平周防守・松平右京大夫の四官名連署、松平薩摩守殿宛。朱に安永四年。仝上、正文在文庫とする。署は原の官名を保持し、目録が輝高外三名とすることと区別する。御礼登城の指示で、これだけで御…
追録6-No.1259 御目見を仰せ付けた家来一人の同道指示
家来一人に御目見を仰せ付けたので、召し連れて罷り出るよう指示する。正文は文庫とする。本文には独立した年月日、差出人、宛先の名前が記されない。目録の登城令書として安永四年の記事の位置に置かれるが、前の四月十八日付連署状の日付・署名をこの短文へ転用しない。一人は御目見を仰せ付けた家来の数で、同道の実施や…
追録6-No.1260 安永四年の重豪の行動・家老交替と犬追物復興の記事
安永四年乙未、重豪が疱瘡を患ったことと、この年から目附を二年交承で三都へ遣わすようになったことを記す。四月二十一日に芝邸を発ち、六月四日に府城へ到着、十六日に玉松二山へ帰着を告げ、十八日に山下・築地と注す両館を訪れた。二十日は南泉廟、二十一日は垂水第、二十二日は尾畔、二十四日は花城第に赴き、七月十五…
追録6-No.1261 留守居の会合席順を主人の官位へ改める照会の記事
以前から江戸に留守居を置くのは諸国とも同じで、京都・大坂の藩邸にも同様の者がいて旧称蔵奉行とする小字注を伴う。公用の会合では主人である諸侯の爵位に従わず、留守居自身の年功で席次を決めていたが、その由来は明らかでなく、次第にそうなったのだろうと述べる。自家と大廣間で同列となる諸侯として、仙臺の松平陸奥…
追録6-No.1262 留守居寄合席順の示問書―主人の官位・服装と諸所の例
諸御役場や寄合の席順が主人の官順に従うのは以前からのことだが、留守居仲間の寄合では家来自身の年功で座配を決めていると述べる。これでは公辺の取扱いに相当せず、主人が重い官位を蒙って列席するのに家来が互いの官位を蔑む筋にも見え、よろしくないとして、今後は家来個人の年功を沙汰せず、主人の官位に従い座配を改…
追録6-No.1263 久健・国福・清香連署状―浄岸院仏餉料の年々支給と諸用・勤行
浄岸院の仏餉料として、高百石の所務をもって、銀・米ならびに品物を年々相渡す旨が仰せ出されたので、御霊前の諸用や勤行などを怠りなく執行するよう伝える。仍って執達は件の如しと結び、末尾は安永四年未五月朔日、嶋津仲久健判・川田伊織國福判・小松帯刀清香判、福昌寺宛。浄岸院には継豊継室竹姫の注がある。出典は重…
追録6-No.1264 家治御内書―端午の惟子単物到来を喜ぶ
端午の祝儀として惟子単物が到来したことを喜び、詳しいことは松平周防守が述べると伝える。末尾は五月二日、薩摩中将殿宛。朱に安永四年、円内には家治公墨印と記した表示がある。正文は文庫。
追録6-No.1265 阿部正允書状―端午の惟子単物奉献を披露
端午の御祝儀として、使者をもって御惟子単物を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は五月二日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。朱に安永四年、冒頭は仝上。
追録6-No.1266 島津久健申渡書―菩提寺領の所務と寄付文書の交付・伝達手順
高百五十石ずつ、浄國院・有邦院・慈德院・圓德院の菩提のため、それぞれの名で寄付し、その所務を年々福昌寺・浄光明寺へ相渡すことを述べる。各法号には吉貴・継豊・宗信・重年の注がある。また寛陽院・大玄院の寄付高も同前と仰せ付けられたとし、光久・綱貴の注を伴う。近日、御判物・御書付は大御目付の御使者によって…
追録6-No.1267 松平武元書状―公方の機嫌・増上寺参詣をめぐる書札への返答
書札を披見したと述べ、公方はますます機嫌よくしていると伝える。去月十九日の増上寺御霊前参詣の件を聞いて喜ぶ旨は尤もであり、書面の趣旨は各々申し談じて上聞したと返答する。末尾は五月二十七日、松平右近将監武元判、松平薩摩守殿宛。朱に安永四年。出典は重豪公御譜中、正文は文庫。公方の機嫌・御霊前参詣について…
追録6-No.1268 菩提寺領の付与と旧田禄の銀への切替・五廟祭祀の趣旨
この年夏五月二十九日、浄國公・有邦公・慈德公・圓德公の福を資するため、浄光明寺・福昌寺へ田禄各百五十石を付したと記す。続く四通の内訳は浄國分を浄光明寺、有邦・慈德・圓德分を福昌寺宛とし、それぞれ総高百五拾斛を掲げるため、二寺へ均等に百五十石ずつと集計しない。他方、慈眼公・寛陽公・泰清公・大玄公につい…
追録6-No.1269 久健・国福・清香連署証状―浄國院菩提の寺領内訳と仏前諸用
総高を高百五拾斛と記し、浄國院の菩提のための寺領の所在と内訳を列挙する。内訳7項目は、隅州始羅郡蒲生郷北村の田平門=30石1斗3升7合5夕5才;薩州鹿児島郡吉田郷宮之浦村の奥門=28石1斗6升8合5夕1才;隅州囎唹郡清水郷川北村の山下門=22石8斗9升2合8夕6才;薩州谿山郡山田郷五箇別府村の東川口…
追録6-No.1270 久健・国福・清香連署証状―有邦院菩提の寺領内訳と仏前諸用
総高を高百五拾斛と記し、有邦院の菩提のための寺領の所在と内訳を列挙する。内訳7項目は、隅州始羅郡帖佐郷山田村下名村(原の表記)の新薗門=30石;隅州始羅郡帖佐郷中津野村の富中門=27石8斗1升5合2夕1才;薩州日置郡満家院東俣村の札之本門=27石;薩州鹿児島郡吉田郷佐多之浦村東佐多浦村(原の表記)の…
追録6-No.1271 久健・国福・清香連署証状―慈德院菩提の寺領内訳と仏前諸用
総高を高百五拾斛と記し、慈德院の菩提のための寺領の所在と内訳を列挙する。内訳9項目は、隅州始羅郡帖佐郷大山村の佃門=22石6斗1升5夕2才;隅州始羅郡帖佐郷餅田村西餅田村の新門=22石9斗9升2合7夕1才;隅州囎唹郡囎唹郷大窪村の狩川門=22石1斗5升1合2夕7才;薩州谿山郡山田郷山田村の内門=32…
追録6-No.1272 久健・国福・清香連署証状―圓德院菩提の寺領内訳と仏前諸用
総高を高百五拾斛と記し、圓德院の菩提のための寺領の所在と内訳を列挙する。内訳6項目は、隅州始羅郡帖佐郷邊川村の大宮路屋鋪=24石9斗5升3合4夕5才;隅州始羅郡帖佐郷餅田村西餅田村の岩下門=23石7升;薩州河邊郡河邊郷兩添村の大坪屋敷=20石;隅州囎唹郡清水郷川北村の下脇門=29石7斗5升;薩州伊佐…
追録6-No.1273 島津久健申渡書―他家養子の男子を本家へ戻す相続条件
以前から二男・三男などを他家へ養子に出した後、本家の跡相続の男子が死去又は病身となり、ほかの男子も幼稚で相続が難しい場合、願いにより養子に出した男子の本家帰を許してきたことを述べる。しかしその家に籠居の男子がいるなら、幼稚であってもその男子に相続させるべきところ、本家帰を願い出て相続させるのは自由ヶ…
追録6-No.1274 浄岸院の遺命による娘の縁組先容と治済・公方の承諾
浄岸院の遺命は、後に重豪の娘を従三位中将徳川治済の適子に配するよう求めるものであったと記す。娘には字於篤・後に茂姫と称する注があり、治済の適子には童名豊千代・後に君となり大統を承けた旨の注がある。この年、縁組の先容を行い、六月十三日に治済へ意向を伝え、治済が聞いて承諾したため、これを上に書いて請い、…
追録6-No.1275 重豪女の縁組一件書留―新庄直有の口上と覚書受領
安永四年乙未六月十三日、太守が在国している時の経過を記す。浄岸院の仰せ置かれた事情により、徳川豊千代へ娘於篤の縁組を取り組みたい旨を、先に徳川民部卿へ内意として申し入れていた。今日、その返答のため一橋から使者新庄能登守が芝の屋敷に来て、口上を述べた。嶋津左中が取り次ぎ、口上覚書を受け取ったとする。新…
追録6-No.1275-1 新庄直有口上覚―次女縁組の取組方と養育・装具の希望
豊千代への次女の縁組について、先の申入れに民部卿は大いに喜び、取組を進める旨を述べる。縁女をいったん一橋へ引き取り、その後正式な縁組を仰せ出すよう内意を申し上げたいとする。一橋からの口上を承知した挨拶、使者の応対、縁女の引取、縁組取調、民部卿の願う品を列挙する。願う品は襷・日傘、大奥登城の件(ただし…
追録6-No.1275-2 末吉利隆口上覚―普請入用・籠中扶助と手伝課役への備え
末吉善左衛門の口達の趣旨を留める。普請手当として入用金二万両ほど、籠中一代の扶助として一年に金三千両・餅米五百俵ずつを進めたいとする。この二条の費用は公儀の構いがない筋で、こちら側から進めたい旨を述べる。今後の御手伝等に対する備えは、松平陸奥守などが二、三度手伝を命じられる時にはこちらへも一度命じる…
追録6-No.1275-3 島津久金口上覚―一橋側返答への謝意と今後の縁組取調
先に申し上げた豊千代への次女縁組の件を聞き入れ、取組を進める旨を新庄能登守から仰せ下されたことについて、承知して喜び、心安く思うと述べる。また次女を一橋へ引き取っておき、後に縁組を仰せ出すことや、その他の願いの趣旨を内向に聞き届けられ、丁寧な扱いに感謝する。この旨は国許から申し付けられたため、使者と…
追録6-No.1275-4 新庄直有・設楽貞好連署伺書―縁組の内意を老中へ伝える手順
縁組の請への返答に際し、こちら側の事情を理解して差し控えを願ったことに丁寧な礼を述べ、初めにこちらから起こした件なので直に受け、なお厚く申し上げるよう伝えたとする。付記では八月十七日、於篤縁組が一橋側から済んだ段を新庄が左中へ手紙で知らせ、内向の書面二通を添えて送ったと記す。本書面は、松平薩摩守娘が…
追録6-No.1275-5 新庄直有・設楽貞好連署書状―参府後の引取と縁組公示の内意
別紙の通り豊千代の縁組の内意が済んだとする。来年松平薩摩守が参府した後、縁女を民部卿へ引き取り、その後、豊千代との婚姻を整えたい段を老中方へ内意として申し上げる予定と記す。来年の参府時の状況を先例の通り仰せ出したい旨を述べ、その趣旨を相手側の手前へ内々に申し上げておくよう伝える。末尾は八月、設楽兵庫…
追録6-No.1275-6 縁組内約の整いと礼品・香代及び内意書送付の記録
包紙に口上覚とある。豊千代への次女縁組について内意伺を差し出したところ、その通り取り結ぶよう内向に整ったので、その旨を申し達すとする。八月十一日、於篤の縁組内約が整ったことへの太守の礼として鮮鯛一折を左中の使者で民部卿へ進め、同日民部卿の答礼として鯛一折を末吉の使者で受けた経過を付す。ただし太守が在…
追録6-No.1275-7 重豪内意書―浄岸院の仰置による娘と豊千代の縁組取結願
浄岸院の仰せ置かれた事情により、自分の娘を豊千代へ縁組として取り結びたい旨を民部卿へ内意として申し込んだところ、取り結ぶ旨となったため、自分としても取結を進めたいと先に内意を申し上げる。末尾は七月十一日、松平薩摩守。年は朱の安永四年。本文は私娘と記し、この書面自体には於篤・茂姫の名を記さないため、関…
追録6-No.1275-8 縁組許可の御書付と茂姫の名・装具拝領及び礼の贈答
安永五年丙申、太守が在府している七月十九日、登城して白書院で縁組の御書付を受けた。老中が列座し、板倉佐渡守から直に渡され、浄岸院が在世中に世話した、薩摩守の娘と豊千代の縁組について、その心得で取り扱うよう命じる内容で、宛所は松平薩摩守。御用番松平右京太夫は不快のため板倉が代わり、引進の目付は山川下総…
追録6-No.1276 重豪、徳川吉宗二十五年忌に香奠銀十枚を献納
この年夏六月、大家が東叡山で有徳院の二十五年忌の法事を営んだと記す。有徳院には徳川吉宗の注がある。その際、二十一日に重豪は組頭兼用人比志嶋要人範章を遣わし、香奠銀十枚を献納して拝礼したとする。出典は重豪公御譜中。
追録6-No.1277 松平輝高書状―酷暑の見舞と琉球布・天門冬・赤貝塩辛・泡盛奉献への返答
書札を披見したと述べ、酷暑の折、公方・大納言の機嫌を使者によって問い合わせられたことにつき、両者はますます安全にしているので安心するよう伝える。さらに、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献じられたことについて、各々申し談じて披露したので一段の仕合であると返答する。末尾は六月…
追録6-No.1278 阿部正允書状―酷暑の見舞と琉球布・天門冬・赤貝塩辛・泡盛奉献への返答
書札を披見したと述べ、酷暑の折、公方・大納言の機嫌を使者によって問い合わせられたことにつき、両者はますます安全にしているので安心するよう伝える。さらに、琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると返答する。末尾は六月二十五日、阿部…
追録6-No.1279 喜入久福申渡書―足軽以下の無礼に対する打果の乱用を戒める
近頃、足軽・家来・下人・町人などが士に対する式礼・触礼に反し、法外な振舞をした時、その事情に応じて打果に至る筋があったとしても、取るに足りないことを疎忽に扱って安易に打果に及んではならないとする。以前にも繰り返し申し渡したのに、近頃、末々の者が理不尽に人を打果す例が少しずつ現れているのは、末々の者も…
追録6-No.1280 幕府老中五名連署状―生見玉の祝儀黄金十両奉献を披露
生見玉の御祝儀として黄金十両を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると返答する。末尾は七月六日、田沼主殿頭意次判・板倉佐渡守勝清判・松平周防守康福判・松平右京大夫輝高判・松平右近将監武元判、松平薩摩守殿宛。年は朱の安永四年。生見玉は原文の表記を保持し、別の字や行事名へ一律に直さない。黄…
追録6-No.1281 阿部正允書状―生見玉の祝儀黄金十両奉献を披露
生見玉の御祝儀として黄金十両を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると返答する。末尾は七月六日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。年は朱の安永四年。生見玉は原文の表記を保持し、別の字や行事名へ一律に直さない。黄金十両は奉献された額で、幕府側から重豪へ下賜した額にはしない。同日の五名連署…
追録6-No.1282 先祖の仏餉高各百五十石と旧高の銀への切替・六代目の申出手順
先祖の仏餉高について江戸へ伺ったところ、別紙の通り返答があったとする。五代目に当たる先祖の仏餉高を百五十石ずつ付す扱いとし、浄國院・有邦院・慈德院・圓德院にそれぞれ百五十石ずつ、都合六百石を御判物により寄付したと記す。法号には吉貴・継豊・宗信・重年の注がある。他方、かつて中納言に三百石を付していた分…
追録6-No.1283 旧仏餉高を銀元手へ替え、年々の利足で仏餉・掃除を行う申渡
冒頭に御高三百石、右者と記す。中納言の仏餉料としてこれまで付していた高を、銀三百枚の元手へ替え、利足として銀一貫五百目ずつを年々相渡すとする。寛陽院・大玄院の仏餉料はそれぞれ高百五十石を銀百五十枚ずつへ替え、同様に年々銀一貫目ずつを相渡す。泰清院の仏餉料は高百石を銀百枚へ替え、年々銀八百目を相渡すと…
追録6-No.1284 松平康福書状―有徳院二十五回忌への使者香奠奉納を披露
有徳院の二十五回御忌の法事が営まれることについて、使者をもって香奠を献じられ、東叡山へ奉納した旨を上に申し上げたと返答する。末尾は七月二十日、松平周防守康福判、松平薩摩守殿宛。年は朱の安永四年。出典は仝上・正文在文庫。香奠の具体的な品・額・単位はこの書状自体には記されず、関連する六月の御譜記事の銀十…
追録6-No.1285 幕府老中五名連署状―八朔の太刀一腰・馬代黄金十両奉献を披露
八朔の御祝儀として、使者をもって太刀一腰と馬代黄金十両を献じられたことにつき、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は八月四日、田沼主殿頭意次判・板倉佐渡守勝清判・松平周防守康福判・松平右京大夫輝高判・松平右近将監武元判、松平薩摩守殿宛。朱に安永四年。出典は重豪公御譜中、正文は文庫で、この表示だ…
追録6-No.1286 阿部正允書状―八朔の太刀一腰・馬代黄金十両奉献を披露
八朔の御祝儀として、使者をもって太刀一腰と馬代黄金十両を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると返答する。末尾は八月四日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。年は朱の安永四年、出典は仝上。同日の老中五名連署状とは、同じ祝儀奉献への別の返書として扱う。太刀一腰・馬代黄金十両の原数量と方向を…
追録6-No.1287 重豪公帖―廣済寺の住持職を先例に任せて執務させる
廣済寺の住持職について、先例に従って執務するよう命じる状を記す。末尾は安永四年八月六日、中将重豪御判の表示、玄弓西堂宛。正文所在は阿久根蓮花寺と記される。任職先の廣済寺と、正文が置かれる寺を区別し、阿久根蓮花寺の住持任職状と改めない。同じ文言・日付のもう一通とは、宛名が玄弓西堂/玄無西堂で異なる。両…
追録6-No.1288 重豪公帖―廣済寺の住持職を先例に任せて執務させる
廣済寺の住持職について、先例に従って執務するよう命じる状を記す。末尾は安永四年八月六日、中将重豪御判の表示、玄無西堂宛。正文所在は伊集院善福寺と記される。任職先の廣済寺と、正文が置かれる寺を区別し、伊集院善福寺の住持任職状と改めない。同じ文言・日付のもう一通とは、宛名が玄弓西堂/玄無西堂で異なる。両…
追録6-No.1289 阿部正允書状―帰国の暇・拝領への礼の奉献を披露
書札を披見したと述べ、公方・大納言はますます機嫌よくしているので、喜ぶ旨は尤もであると伝える。このたびの暇と、白銀・巻物を頂戴し、その上に馬を下されたこと、さらに大納言から拝領物があって重ね重ねありがたく思う旨を承知したとする。国許到着に伴う礼として、嶋津杢をもって目録の通り品物を献じられたので、披…
追録6-No.1290 幕府老中五名連署状―帰国・拝領への礼の芭蕉布二十端と樽肴奉献
書札を披見したと述べ、公方・大納言の機嫌を伝える。帰国の暇、白銀・巻物の頂戴、馬の下賜、大納言からの拝領物を重ね重ねありがたく思う旨を承知したとする。国許到着に伴う礼として、嶋津杢をもって琉球芭蕉布二十端と樽肴を献じられたので、披露したところ御前へ召し出され、入念な礼を喜ぶ御気色であったと返答する。…
追録6-No.1291 松平康福書状―公方の増上寺御霊前参詣をめぐる書札への返答
書札を披見したと述べ、公方はますます機嫌よくしていると伝える。六月十二日に増上寺の御霊前へ参詣した件を聞いて喜ぶ旨は尤もであり、書面の趣旨は各々申し談じて上聞したと返答する。末尾は八月十三日、松平周防守康福判、松平薩摩守殿宛。年は朱に安永四年。出典は重豪公御譜中、正文は文庫で、冒頭の御札今披見は出典…
追録6-No.1292 松平康福書状―有徳院二十五回忌法事と公方の東叡山参詣への返答
書札を披見したと述べ、公方はますます機嫌よくしていると伝える。有徳院の二十五回御忌の法事が東叡山で執行済みとなり、六月二十日に御霊前へ参詣した件を聞いて喜ぶ旨は尤もとする。書面の趣旨は各々申し談じて上聞したと返答する。末尾は八月十二日、松平周防守康福判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。
追録6-No.1293 重豪仰出写―借金増長と江戸続料不足による出銀米の事情を周知
家の世帯向きが苦しくなったため、先年から倹約を申し渡し、既定の用向きは相当に差し欠いて省略してきたが、その間に臨時の物入りが重なり、これまで対策が立たないと述べる。とくに江戸・上方の表借金が大きく増え、出金が日を追って難しくなり、江戸続料さえ大幅に不足したので、この状態では今後の参勤や公辺の勤向を整…
追録6-No.1294 田沼意次書状―公方・大納言の機嫌伺いと干鯩・残魚一箱奉献への返答
書札を披見したと述べ、公方・大納言の機嫌を問い合わせられたことにつき、両者はますます安全にしているので安心するよう伝える。さらに干鯩・残魚一箱を献じられたことについて、各々申し談じて披露したので一段の仕合であると返答する。末尾は九月三日、田沼主殿頭意次判、松平薩摩守殿宛。年は朱に安永四年。魚名は原の…
追録6-No.1295 阿部正允書状―公方・大納言の機嫌伺いと干鯩・残魚一箱奉献への返答
書札を披見したと述べ、公方・大納言の機嫌を問い合わせられたことにつき、両者はますます安全にしているので安心するよう伝える。さらに干鯩・残魚一箱を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると返答する。末尾は九月三日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。年は朱に安永四年。魚名は原の干鯩・残魚の表…
追録6-No.1296 家治御内書―重陽の小袖一重到来を喜ぶ
重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは松平右近将監が述べると伝える。末尾は九月七日、薩摩中将殿宛。年は朱の安永四年、円内に家治公墨印と記す文字表示があり、出典は重豪公御譜中、正文は文庫。小袖一重の到来を喜ぶ御内書として整理し、家治から重豪へ小袖を下賜する方向にはしない。同日の阿部…
追録6-No.1297 阿部正允書状―重陽の小袖一重奉献を披露
重陽の御祝儀として使者をもって小袖一重を献じられたことについて、披露したので一段の仕合であると伝える。末尾は九月七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛。年は朱に安永四年、出典は仝上。正允は奉献を披露したことを知らせる差出人で、小袖を下賜した者ではない。同日の家治御内書は同じ小袖一重の到来を喜ぶ別の返…
追録6-No.1298 小松清香伺書―代初犬追物の家号名乗と小者赦免・古例照会
代初の犬追物の際、射手の人数のうち御庶流の者が嶋津の家号を名乗り、手組の看板に書き記す古例があると川上十郎衛門から申し出たため、御記録奉行へ調べさせたとする。冒頭の川上の名には左脱カの注があり、後段は十郎左衛門と記す。記録を調べたところ、以前の犬追物では家号を名乗らない旨が別紙の通り示されたとして、…
追録6-No.1299 重豪書状―中山王の年始使簡と別録の贈品への礼
年始の嘉儀として使簡を送り、ことに別録の品を贈られたことについて、入念な志を喜び、後のよい時を期すると返答する。末尾は十月十八日、中将重豪御判の表示、謹上中山王。年は朱の安永四年、出典は重豪公御譜中、正文は琉球国司と記す。中山王からの年始の使簡・贈品を受けた重豪の返書として扱い、王が重豪の御判で返書…
追録6-No.1300 重豪書状―疱瘡が済んだ祝儀の稲福親方・太刀一腰・馬代白銀百両への礼
書状を拝見したと述べ、当春、疱瘡が済んだことへの祝儀として稲福親方を遣わし、太刀一腰・馬代白銀百両と目録の通りの品物を贈られたことを喜ぶと返答する。末尾は十月十八日、中将重豪御判の表示、謹上中山王、年は朱に安永四年。稲福親方は王が遣わした贈答の使者で、品物の方向は中山王から重豪へである。
追録6-No.1301 重豪書状―虎寿丸の嫡子届・慈照院養子祝の王贈答への礼
書状を拝見したと述べ、虎寿丸の嫡子の届が済み、また慈照院の養子となったことへの祝儀として大里按司を遣わし、太刀一腰・馬代黄金十両と目録の通りの品物を贈られたことを喜ぶと返答する。虎寿丸には重豪男斉宣の注、慈照院には重豪室徳川宗尹女の注がある。末尾は十月十八日、中将重豪御判の表示、謹上中山王、年は朱に…
追録6-No.1302 重豪書状―虎寿丸と佐竹義敦息女の縁組祝儀への礼
書状を拝見したと述べ、虎寿丸と佐竹右京大夫の息女との縁与が仰せ出されたことへの祝儀として、熱田親方を遣わし、太刀一腰・馬代白銀百両と目録の通りの品物を贈られたことを喜ぶと返答する。佐竹には義敦の注がある。末尾は十月十八日、中将重豪御判の表示、謹上中山王、年は朱に安永四年。
追録6-No.1303 重豪書状―進貢使津嘉山の北京勤め・大島漂着後帰着と贈品への礼
書状を拝見したと述べ、去辰年に大清国へ遣わされた進貢使津嘉山親雲上が北京の勤めを終え、当春の帰帆中に大島へ漂着し、五月にその地へ帰着した旨を承知したとする。このたび津嘉山をもって別録の品を贈られたことは、入念で身に余ると返答する。末尾は十月十八日、中将重豪御判の表示、謹上中山王、年は朱に安永四年。津…
追録6-No.1304 重豪の中山王回章―平安の知らせに返答し縮布五端を贈る
書状を披見したと述べ、中山王がますます平安であることを喜び、自分たちも無恙なので安心するよう伝える。さらに縮布五端を贈ると述べ、結びで敬意を表す。末尾は十月十八日、薩摩守重豪御判の表示、年は朱の安永四年。
追録6-No.1305 重豪の中山王回章―大清賜物に由来する緞子各一巻への礼
書状を披見したと述べ、大清の賜物のうち、金入龍紋緞子一巻・色緞子一巻を贈られたことについて、入念な志を喜ぶと返答する。末尾は十月十八日、薩摩守重豪御判の表示、年は朱に安永四年。別に中山王回章との表示がある。大清の賜物に由来する品を中山王から重豪へ贈られたことへの礼として整理し、大清から重豪への直接の…
追録6-No.1306 重豪夫人の没・芝大圓寺葬礼と福昌寺の遺髪・位牌
近頃、夫人が病床にあり、医薬を用いても効果が得られず、安永四年十月二十六日に高輪の邸で没したと記す。夫人には甘露寺前大納言規長卿の女との注がある。法号は玉貎院殿華山妙嚴大姉と記し、貎/貌の異体字形は原画像に従って保持する。同二十九日に芝の大圓寺へ移殯し、十一月二日に葬礼を行った。家老島津左中久金が位…
追録6-No.1307 幕府老中五名連署状―妻女死去への愁傷の御意を伝える
妻女が死去したことを上聞したところ、愁傷に思う旨の御意があったので、それを伝えるとする。末尾は十月二十九日、田沼意次・板倉勝清・松平康福・松平輝高・松平武元の五名判、松平薩摩守殿宛。年は朱の安永四年、正文は文庫。
追録6-No.1308 重豪、演武館で代始の犬追物を復講する
この年冬十一月十三日、重豪が演武館で犬追物を初めて講じ、射手の上班・次班・下班・論犬の班と、検見・喚次が、それぞれ定められた法に従ったと記す。これを代始の大追物とする。小字注は浄國公に触れて、長く講じられず犬追物場だけが残っていたが、この時再び講じたことを説明し、實予意也と結ぶ。重豪の代での復講とし…
追録6-No.1309 上手組の人名・付記と検見・喚次
安永四年十一月十三日の代初犬追物稽古手組と記し、上手組の名簿を示す。名簿の列記順は嶋津又六郎(二の付記)、入来院隼人、嶋津権十郎(一の付記)、蒲生正左衛門、肥後太郎右衛門、瀬川作平次、上村休之進、海江田半蔵、本田孫右衛門(一の付記)、伊勢亘、嶋津内膳である。検見・喚次欄には川上十郎左衛門、岡元千右衛…
追録6-No.1310 下手組の人名・付記と検見・喚次
前後の代初犬追物稽古の四手組に属し、独立した年月日はこの表には記さず、下手組の名簿を示す。名簿の列記順は嶋津又七郎(一の付記)、嶋津十太右衛門、伊勢新五郎、倉山藤覺(一の付記)、川上四郎(二の付記)、鎌田源八、後醍院八郎(一の付記)、喜入休兵衛、西左太郎(一の付記)、嶋津直衛、嶋津内匠である。検見・…
追録6-No.1311 次手組の人名・付記と検見・喚次
前後の代初犬追物稽古の四手組に属し、独立した年月日はこの表には記さず、次手組の名簿を示す。名簿の列記順は嶋津筑後、嶋津彌市郎(一の付記)、伊集院平治(一の付記)、上村茂兵衛、汾陽八右衛門、肝付郷右衛門、山澤十太夫、堀千次郎、木脇賀左衛門(二の付記)、新納次郎四郎、喜入善之助である。検見・喚次欄には嶋…
追録6-No.1312 論之犬稽古手組の人名・付記と検見・喚次
論之犬稽古手組之事と安永四年十一月十三日を記し、論之犬稽古手組の名簿を示す。名簿の列記順は嶋津又六郎(一の付記)、嶋津十太右衛門(一の付記)、本田孫右衛門、喜入休兵衛、鎌田源八、後醍院八郎、嶋津彌市郎、倉山藤覺(一の付記)、蒲生正左衛門(一の付記)、川上四郎(一の付記)、嶋津又七郎(一の付記)、西左…
追録6-No.1313 松平武元書状―機嫌伺いと小敖海鼠一箱奉献への返答
書札を披見したと述べ、公方・大納言の機嫌を問い合わせられたことについて、ますます勇健にしているので安心するよう伝える。さらに小敖海鼠一箱を献じられたことにつき、各々申し談じて披露したので一段の仕合であると返答する。末尾は十一月十八日、松平右近将監武元判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。原品名は小敖…
追録6-No.1314 阿部正允書状―機嫌伺いと敖海鼠一箱奉献への返答
書札を披見したと述べ、公方・大納言の機嫌を問い合わせられたことについて、ますます安全にしているので安心するよう伝える。さらに敖海鼠一箱を献じられたことにつき、披露したので一段の仕合であると返答する。末尾は十一月十八日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。原品名は敖海鼠と記し、二通で小…
追録6-No.1315 幕府老中五名連署状―来年の日光社参後の国許発足・五月中参府
書札を披見し、公方・大納言の機嫌よくしていることを聞いて喜ぶ旨は尤もとする。参勤の時分について使者によって問い合わせられたので上聞したところ、来年の日光御社参が済んでから国許を発足し、五月中に参府するよう仰せ出されたため、その趣旨を心得るよう伝える。末尾は十一月十九日、田沼意次・板倉勝清・松平康福・…
追録6-No.1316 阿部正允書状―参勤時分の照会への返答
書札を披見し、公方・大納言の機嫌よくしていることについて喜ぶ旨は尤もとする。参勤の時分を使者によって問い合わせられたことにつき、紙面の趣旨を承知したと返答する。末尾は十一月二十一日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。参勤の照会を承知した返書であり、この本文には具体的な発足日・参府月…
追録6-No.1317 来春の参勤期日・人馬差支と宿次鶴を問い合わせた留守居役覚書
来春参勤する大名の参勤時節について、当月初に伺いを出していたが、昨日まで期日の通達がなく、三月・五月の間に参府するとの風説を聞いたので、前夕に問い合わせたと記す。来年の日光御社参に際し、近国から多くの人馬が江戸へ出るため、四月参府では道中の人馬に差支が生じることを理由として、三月・五月の間の着府が検…
追録6-No.1318 矢野清右衛門、参勤の六月上旬着府を伺う―付札は四月二十一日頃の発足予定報告を指示
松平薩摩守の参勤時分を問い合わせたところ、来年の日光御社参が済んでから国元を発足し、五月中に参府するよう仰せ出されたと述べる。しかし御社参後の還御を待つと国元発足は四月二十二、二十三日頃となり、旅中の日数はおよそ四十五、四十六日と考えられるため、五月中の参府は難しいとして、六月上旬内の着府が可能かを…
追録6-No.1319 重豪、寒中献上の七嶋鰹節を干肴へ差し替えることを伺う
在国の節、寒中の機嫌伺いとして両御丸へ琉球紬と七嶋鰹節を献上する例であったが、この年は鰹節が損じ献上し難いので、干肴へ引き替えて献上したいと伺う。松平薩摩守名で、日付は十一月十八日、年は朱に安永四年。朱の御附紙は、伺いの通り干肴を献上してよいとする。末尾の朱記事は、この書面を即日、留守居有川勇馬を介…
追録6-No.1320 重豪の加冠仮名書出―諏訪甚四郎と甚六の記載
加冠と題し、仮名として甚六を宜為とする書出で、諏訪甚四郎の名を記す。安永四年未十二月朔日の日付があり、重豪公御判との表示を付す。正文在諏訪勘解由は正文の所在を示す記載として分ける。
追録6-No.1321 重豪の加冠仮名書出―鎌田万袈裟に源左衛門
加冠と題する書出で、鎌田万袈裟の名を記し、仮名として源左衛門を宜為とする。安永四年未十二月朔日の日付があり、円形の表示に重豪公墨印と注記する。正文在鎌田要人は正文の所在を示す記載で、鎌田万袈裟に対する仮名の書出とは分ける。
追録6-No.1322 板倉勝清書状―公方の増上寺御霊屋参詣を祝う書札への返答
書札を披見し、公方がますます機嫌よくしている旨を述べる。十月十四日に公方が増上寺御霊屋へ参詣したことを承って喜ぶ旨は尤もとし、紙面の趣旨を各々申し談じ上聞したと返答する。末尾は十二月十五日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。
追録6-No.1323 福昌寺の造替で茅を自ら運んだ重豪、十二月から丁夫に運送を担わせる
先に福昌寺を造り替えた際、重豪が自ら吉野邑で茅を刈り採り、堂宇を葺く用に充て、数百歩の行程を自身で寺へ持ち運び、府下の士もその役を担ったと記す。この年十二月にその事を止め、以後は丁夫に運送させたとする。
追録6-No.1324 板倉佐渡守勝清書状―妻女病気への公方の御尋についての礼を承知する
書札を披見し、公方・大納言の機嫌よくしていることを聞いて喜ぶ旨は尤もとする。妻女が病気の際、公方から御尋があったことを承り、有り難く思うとの意を述べられたことについて、紙面の趣旨を各々一覧したと返答する。末尾は十二月二十一日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。
追録6-No.1325 阿部豊後守正允書状―妻女病気への公方の御尋についての礼を承知する
書札を披見し、公方・大納言の機嫌よくしていることを聞いて喜ぶ旨は尤もとする。妻女が病気の際、公方から御尋があったことを承り、有り難く思うとの意を述べられたことについて、紙面の通り承知したと返答する。末尾は十二月二十一日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。
追録6-No.1326 板倉佐渡守勝清書状―妻女死去に際する公方の御意への礼に返答
書札を披見し、妻女が死去したことにつき公方の御意を奉書で伝えられたことを有り難く思う旨を承知したと述べる。その御礼として使者を差し越されたので、紙面の通り各々申し談じ上聞したと返答する。末尾は十二月二十七日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。
追録6-No.1327 阿部豊後守正允書状―妻女死去に際する公方の御意への礼に返答
書札を披見し、妻女が死去したことにつき公方の御意を奉書で伝えられたことを有り難く思う旨を承知したと述べる。その御礼として使者を差し越されたので、紙面の通り言上したと返答する。末尾は十二月二十七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。
追録6-No.1328 小松清香申渡書―上野道伯の合薬一手主取と旅人の販売・似せ銀取扱いの取締り
先祖代から上野道伯に領国内の合薬の一手主取を命じ、他の者の合薬商売を禁じ、先年からたびたび申し渡していたと述べる。ところが近頃、旅人の中に熊膽あるいは薬売りの体を装い、無調合薬などを諸外城で売り歩き、似せ銀などを扱う者があると聞いたので、以後は熊膽類を諸外城・私領で旅人が振り売りすることを一切差し止…
追録6-No.1329 田沼主殿頭意次書状―種姫を御養女とする仰出への祝意と使者に返答
書札を披見し、公方・大納言の機嫌よくしていることを聞いて喜ぶ旨は尤もとする。種姫を御養女とする仰出があったことを承り、めでたく思う旨を述べられ、使者を差し越されたので、紙面の趣旨を各々申し談じ上聞したと返答する。末尾は閏十二月三日、田沼主殿頭意次判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。
追録6-No.1330 阿部豊後守正允書状―種姫を御養女とする仰出への祝意と使者に返答
書札を披見し、公方・大納言の機嫌よくしていることを聞いて喜ぶ旨は尤もとする。種姫を御養女とする仰出があったことを承り、めでたく思う旨を述べられ、使者を差し越されたので、紙面の趣旨を言上したと返答する。末尾は閏十二月三日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。
追録6-No.1331 田沼主殿頭意次書状―蜜柑二箱・炙鮎一箱奉献の披露を伝える
書札を披見し、公方・大納言の機嫌よくしていることを聞いて喜ぶ旨は尤もとする。蜜柑二箱・炙鮎一箱を献じられたことについて、各々申し談じて披露したので、一段の仕合であると伝える。末尾は閏十二月四日、田沼主殿頭意次判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。
追録6-No.1332 阿部豊後守正允書状―蜜柑二箱・炙鮎一箱奉献の披露を伝える
書札を披見し、公方・大納言の機嫌よくしていることを聞いて喜ぶ旨は尤もとする。蜜柑二箱・炙鮎一箱を献じられたことについて、披露したので、一段の仕合であると伝える。末尾は閏十二月四日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。
追録6-No.1333 田沼主殿頭意次書状―種姫の十一月七日本丸引取への祝意に返答
書札を披見し、公方・大納言の機嫌よくしていることを聞いて喜ぶ旨は尤もとする。十一月七日に種姫が本丸へ引き取られたことを承り、めでたく思う旨を述べられたので、紙面の趣旨を各々申し談じ上聞したと返答する。末尾は閏十二月九日、田沼主殿頭意次判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。
追録6-No.1334 阿部豊後守正允書状―種姫の十一月七日本丸引取への祝意に返答
書札を披見し、公方・大納言の機嫌よくしていることを聞いて喜ぶ旨は尤もとする。十一月七日に種姫が本丸へ引き取られたことを承り、めでたく思う旨を述べられたので、紙面の趣旨を言上したと返答する。末尾は閏十二月九日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。
追録6-No.1335 田沼意次書状―寒中の機嫌伺いと琉球紬十端・干鯛一箱奉献への返答
書札を披見し、寒中に公方・大納言の機嫌を使者によって問い合わせられたことについて、ますます安全にしているので安心するよう伝える。さらに琉球紬十端・干鯛一箱を献じられたことにつき、各々申し談じて披露したので、一段の仕合であると返答する。末尾は閏十二月九日、田沼主殿頭意次判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永…
追録6-No.1336 阿部正允書状―寒中機嫌伺いと琉球紬十端・干鯛一箱奉献への返答
書札を披見し、寒中に公方・大納言の機嫌を使者によって問い合わせられたことについて、ますます安全にしているので安心するよう伝える。さらに琉球紬十端・干鯛一箱を献じられたことにつき、披露したところ一段の仕合であると返答する。末尾は閏十二月九日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。
追録6-No.1337 徳川家治御内書―歳暮祝儀の小袖一重到来を喜ぶ
歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは田沼主殿頭が述べる旨を伝える。末尾は閏十二月二十七日、薩摩中将殿宛、年は朱に安永四年。円形内に家治公墨印との文字表示がある。家治からの御内書として、薩摩側の小袖奉献の到来に対する返答と、田沼による詳しい伝達を分ける。小袖一重の原単位を保ち、重…
追録6-No.1338 阿部正允書状―歳暮祝儀の小袖一重奉献を披露
歳暮の祝儀として、使者を介して小袖一重を献じられたことにつき、披露したところ一段の仕合であると返答する。末尾は閏十二月二十七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永四年。
追録6-No.1339 松平周防守康福書状―若菜祝儀の鯛一折奉献を披露
若菜の祝儀として鯛一折を献じられたことにつき、披露したところ一段の仕合であると返答する。末尾は正月七日、松平周防守康福判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永五年。
追録6-No.1340 阿部豊後守正允書状―若菜祝儀の鯛一折奉献を披露
若菜の祝儀として鯛一折を献じられたことにつき、披露したところ一段の仕合であると返答する。末尾は正月七日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永五年。
追録6-No.1341 幕府老中五名連署状―年頭祝儀の太刀一腰・御馬代黄金十両奉献を披露
年頭の祝儀として、使者を介して太刀一腰・御馬代黄金十両を献じられたことにつき、披露したところ一段の仕合であると返答する。末尾は正月十一日、田沼主殿頭意次、板倉佐渡守勝清、松平周防守康福、松平右京大夫輝高、松平右近将監武元判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永五年。田沼・板倉の二署が上段末、松平康福・輝高・…
追録6-No.1342 阿部正允書状―年頭祝儀の太刀一腰・御馬代黄金十両奉献を披露
年頭の祝儀として、使者を介して太刀一腰・御馬代黄金十両を献じられたことにつき、披露したところ一段の仕合であると返答する。末尾は正月十一日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守殿宛、年は朱に安永五年。阿部の単署の返書であり、前の五名連署状へ六人目として付け加えない。太刀の一腰と御馬代の黄金十両は品物と馬代の別…