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追録6の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全3,127件中 401~500件・5 / 32ページ

  1. 追録6-No.312 島津重豪公帖

    島津重豪が玄隆西堂に対し、廣濟寺の住持職について、先例に従って執務するよう命じる公帖。明和三年五月十一日付で、中将重豪の御判を備える。重豪公御譜中に収められ、正文は伊集院廣濟寺にあると注記する。

  2. 追録6-No.313 松平武元書状

    今朝、琉球布一箱・砂糖漬天門冬一器・赤貝塩辛一器・琉球泡盛酒二壺を献上したので、披露したところ一段の御仕合であったと松平武元が知らせる。六月十八日付で、年は朱注の明和三年。正文に武元の判がある。口裏には松平右近将監武元と松平薩摩守殿宛の記載及び〆があり、口裏の記載であることを朱注で示す。重豪公御譜中…

  3. 追録6-No.314 秋元涼朝書状

    今朝、琉球布一箱並びに砂糖漬天門冬一器・赤貝塩辛一器・琉球泡盛酒二壺を献上したので、披露したところ一段の御仕合であったと秋元涼朝が知らせる。六月十八日付で、年は朱注の明和三年。正文に涼朝の判がある。口裏には秋元但馬守涼朝と松平薩摩守殿宛の記載及び〆があり、口裏の記載であることを朱注で示す。出典は「全…

  4. 追録6-No.315 松平康福書状

    生見玉の祝儀として黄金十両を献上したので、披露したところ一段の御仕合であったと松平康福が知らせる。七月六日付で、年は朱注の明和三年。正文に康福の判がある。口裏には松平周防守康福と松平薩摩守殿宛の記載及び〆があり、口裏の記載であることを朱注で示す。重豪公御譜中に収められ、正文は文庫にあると注記する。

  5. 追録6-No.316 秋元涼朝書状

    生見玉の祝儀として黄金十両を献上したので、披露したところ一段の御仕合であったと秋元涼朝が知らせる。七月六日付で、年は朱注の明和三年。正文に涼朝の判がある。口裏には秋元但馬守涼朝と松平薩摩守殿宛の記載及び〆があり、口裏の記載であることを朱注で示す。出典は「全上」とされる。

  6. 追録6-No.317 大磯荘内稲荷社新建棟札

    大磯荘内に稲荷社一宇を新建した際の棟札。中央に上棟と新建稲荷社一宇、右に従四位上左近衛中将源朝臣重豪、左に明和三年龍集丙戌七月廿二日と記す。家老菱刈藤馬、側用人兼近習役伊地知新太夫、普請奉行喜入佐司右衛門、検者伊東勘助・磯永團七・牧市兵衛、総大工副役荒田甚兵衛を、それぞれの氏・諱とともに列記する。図…

  7. 追録6-No.318 某覚書

    雲雀拝領に伴う上使迎接・頂戴の名代について、松平右近将監の用人宮川古仲太へ昨廿八日に訪問し照会した経緯を記す。太守は積気で登城を断り、頼んだ名代に差し支えがあったため、島津又吉郎を名代として上使を迎え、頂戴などを済ませてよいか尋ねた。旗本がこの役を勤める先例が分からない旨に対し、間柄や心寄せのある大…

  8. 追録6-No.319 明和三年間公辺記事

    明和三年の公辺と芝邸での交流を記す。八月二日、「大家」の使である御使番安部平吉が雲雀を携えて来て、公に邸で賜った。鷹が捕らえた雲雀であるとする。八月廿五日には松平安藝守・伊達遠江守・松平式部太輔・井伊兵部太輔・松平内蔵頭・松平大学頭を芝邸へ招いて共に楽しんだ。巳から申までという注がある。十月五日には…

  9. 追録6-No.320 重豪、御鷹の雲雀を拝領する記事

    同年八月二日、上使安部平吉信富を通じて重豪が御鷹の雲雀を賜った記事。恩旨を奉じた後、ほどなく微恙があったため、島津又吉郎が重豪に代わって老中の各邸へ赴き礼謝したと記す。重豪公御譜中に収められる。礼謝について、末尾に「始於此云」とする小字注がある。

  10. 追録6-No.321 島津久般口上書

    今日、上使安部平吉を通じ、公方から松平薩摩守が御鷹の雲雀を拝領してありがたく思うが、薩摩守は積気のため、名代の島津又吉郎が御礼を申し上げる口上書。八月二日付で、年は朱注の明和三年。老中四人へは墨書のとおり、西丸老中秋元但馬守へは朱書のとおりとする注がある。朱追記では、上使来訪時には太守自身が出迎えて…

  11. 追録6-No.322 阿部正右書状

    八朔の祝儀として、使者によって御太刀一腰及び御馬代黄金十両を献上したので、披露したところ一段の御仕合であったと阿部正右が知らせる。八月四日付で、年は朱注の明和三年。正文に正右の判がある。口裏には阿部伊豫守正右と松平薩摩守殿宛の記載及び〆があり、口裏の記載であることを朱注で示す。正文は文庫にあると注記…

  12. 追録6-No.323 秋元涼朝書状

    八朔の祝儀として、使者によって御太刀一腰及び御馬代黄金十両を献上したので、披露したところ一段の御仕合であったと秋元涼朝が知らせる。八月四日付で、年は朱注の明和三年。正文に涼朝の判がある。口裏には秋元但馬守涼朝と松平薩摩守殿宛の記載及び〆があり、口裏の記載であることを朱注で示す。出典は「全上」とされる…

  13. 追録6-No.324 島津重豪願書

    薩摩国鹿児島城下の東口番所通、「艮方外東北之間」の土居二箇所が当五月廿三日の大雨の際に崩れたため、元どおり修補を命じたいと願う書。八月廿五日付で、年は朱注の明和三年。松平薩摩守の署を備える。重豪公御譜中に収められ、扣正文は家老座にあると注記する。

  14. 追録6-No.325 島津重豪願書

    絵図面に書き記して差し出した願書の文面を示す。薩摩国鹿児島城下の土居が当五月廿三日の大雨で崩れた覚として、東口番所通「艮方外東北之間」の土居二箇所の崩壊を記す。朱引のとおり崩れたため、元どおり修補を命じたいと願う。明和三丙戌年八月廿五日付で、松平薩摩守の御書判を記す。

  15. 追録6-No.326 松平武元外三名連署奉書

    薩摩国鹿児嶋城下の東口番所通「艮方外東北之間」で崩れた土居二箇所の修補について、絵図の朱引の趣旨を了承し、願いどおり元のように命じてよいと松平薩摩守へ伝える連署奉書。明和三年戌九月二日付で、阿部伊豫守正右・松平周防守康福・松平右京大夫輝高・松平右近将監武元の四名が判を付す。正文は文庫にあると注記する…

  16. 追録6-No.327 徳川家治御内書

    徳川家治が薩摩中将に対し、重陽の祝儀として小袖一重が到来し、喜ばしく思う旨を伝える。詳しいことは松平右京大夫が述べるとする。九月七日付で、年は朱注の明和三年。家治公の墨印と薩摩中将殿宛の宛所を備える。重豪公御譜中に収められ、正文は文庫にあると注記する。

  17. 追録6-No.328 秋元涼朝書状

    重陽の祝儀として、使者によって御小袖一重を献上したので、披露したところ一段の御仕合であったと秋元涼朝が知らせる。九月七日付で、年は朱注の明和三年。秋元但馬守涼朝の判と松平薩摩守殿宛の宛所を備える。出典は「全上」とされる。

  18. 追録6-No.329 島津重豪書状

    中将重豪が中山王へ送った返書。年始の祝儀として使簡を差し渡し、さらに目録のとおりの品を贈与したことについて、配慮を喜ばしく思う旨を伝える。後の喜びの時を期すると結ぶ。九月十三日付で、年は朱注の明和三年。中将重豪の御判と「進上 中山王」の宛所を備える。重豪公御譜中に収められ、正文は琉球国司にあると注記…

  19. 追録6-No.330 島津重豪書状

    中将重豪が中山王の書状を披閲し、当年の参府が願いどおり命じられたため、仲田親方を差し渡したこと、太刀・馬代白銀百両並びに目録のとおりの品を贈ったことを欣然と喜び、配慮を謝する。九月十三日付で、年は朱注の明和三年。中将重豪の御判と「謹上 中山王」の宛所を備える。出典は「全上」とされる。

  20. 追録6-No.331 島津重豪替紋章

    重豪の替紋章を示す図。円輪の内側に、上下左右へ配した葉状の意匠が中央で交差する形を描く。重豪公御譜中に収められ、正文は文庫にあると注記する。「白木御文書五番箱中三十七ノ小箱入也」という収納注記がある。年月日・発給署名・宛所の記載はない。関連する申渡書には、竹之丸御紋の贈進と記録所での取扱いが記される…

  21. 追録6-No.332 二階堂行旦申渡書

    竹之丸御紋についての覚。宝暦十四年甲申五月廿二日に、淨岸院から替御紋として太守へ贈進されたので、各々承知し、記録所への書留はこれに準ずる先例によって取り扱うよう申し渡す。明和三年戌九月十五日付で、二階堂蔀の署と行旦の注があり、御記録奉行に宛てる。正文は文庫にあると注記する。

  22. 追録6-No.333 重豪、継豊七回忌法事を修する記事

    同年九月二十日、宥邦院殿の七回忌法事を福昌寺で修した記事。宥邦院には継豊の注があり、法事期間を自十六日至二十日と注記する。十六日には入來院石見定勝、十八日には島津播磨久敦を代参とした。同夜の頓写には島津備中貴儔を名代とし、二十日の施餓鬼には島津図書久濃を代参とした。満散寄合の式にも、島津杢久峯を重豪…

  23. 追録6-No.334 島津重豪書状

    上々様の機嫌がよいことを祝うとともに、昨日妻が大奥へ上がった際の厚遇を謝する書状。妻は懇ろな上意を受け、公方・大納言・御臺・萬壽姫君から拝領物を命じられたという。家来にも料理が下され、連れた女たちは御目見をして拝領物と料理を賜り、重ね重ねありがたく思うと述べる。これらの御礼を申し上げたいので、御臺・…

  24. 追録6-No.335 島津重豪書状

    上々様の機嫌がよいことを祝うとともに、昨日妻が大奥へ上がった際の厚遇を謝する書状。妻は懇ろな上意を受け、公方・大納言・御臺・萬壽姫君から拝領物を命じられたという。家来にも料理が下され、連れた女たちは御目見をして拝領物と料理を賜り、重ね重ねありがたく思うと述べる。これらの御礼を申し上げたいので、折に触…

  25. 追録6-No.336 重豪、平佐郷の市人庄助を褒賞する記事

    薩摩郡平佐郷村の市人庄助を褒賞した記事。庄助はかつて高山郷波見村へ赴いて住み、飢饉の年に私蔵の米穀を出して村中の困苦者を救済したという。この年の秋九月、青銅千疋を与えて賞したとする。出典は「全御譜中」とされる。

  26. 追録6-No.337 重豪、一橋治済を芝邸に招請する記事

    同年十月五日、重豪が徳川中将治済を芝邸へ招請した記事。当日治済が来訪すると、重豪は式台で自ら迎えて書院へ案内し、互いに祝して三献を進めた。礼を終えて内証へ迎え、夫人とも対面させて宴席を設け、晩景に治済は帰った。治済からは太刀・馬代・縮緬五巻・二種一荷を贈り、重豪からは太刀・馬代・縮緬五巻・三種二荷を…

  27. 追録6-No.338 一橋治済招請次第

    来る五日の民部卿招請について、準備から送迎・贈答・料理・供衆の手当までを定める次第。明和三年十月付、高橋此面の名と種寿の注がある。招請日を内々に定めた後、家老の使で表立って通知し、夫人の年寄・局が一橋へ赴く折に奥へも伝え、機会がなければ使を立てる。前日に来訪を再確認し、当日は出迎え役、門前・道中の立…

  28. 追録6-No.339 川田国福・高橋種寿連署書状

    川田伊織・高橋此面が民部卿招請の経緯と実施状況を報じる連署書状。去る午年の婚姻後、五ッ目の祝いの節に刑部卿を招くはずだったが、格別の相手を迎える座敷がなく、普請完成後に招くと伝えていた。去々年の在府中にも招く計画があったが、逝去により実現しなかったという。民部卿とは婚姻以来日が経ったため当年中の招請…

  29. 追録6-No.340 島津久金外四名連署返書

    No.339に併記された朱書の返答。申し越した趣旨を承知したとし、女中方へ伝えること、差出側から祝儀を申し上げる意向を記す。別紙の次第書・御節付はこの方に留め置くとする。朱記の十一月十八日と、共有名簿の「下」「上」の指示により、島津左中・樺山左京・菱刈藤馬・島津主鈴・島津仲の五名から川田伊織への返書…

  30. 追録6-No.341 島津重豪書状

    中将重豪が中山王へ送った書状。照雲院の卒去に伴い仲里親雲上を差し渡したこと、書状の趣旨及び別録のとおりに贈った品について、配慮を受け止める旨を伝える。照雲院には重豪の女・悟姫という小字注がある。十月廿六日付で、年は朱注の明和三年。中将重豪の判と「謹上 中山王」の宛所を備える。重豪公御譜中に収められ、…

  31. 追録6-No.342 島津重豪書状

    中将重豪が中山王の書状を披見する。御代替に伴って使者を差し上げ、拝領物等があってありがたく思う旨をもっともであると受け止める。そのため勝連親方を差し越し、別幅のとおりの品を贈ったことについて、配慮を喜ばしく思うと伝える。十月廿七日付で、年は朱注の明和三年。中将重豪の御判と「謹上 中山王」の宛所を備え…

  32. 追録6-No.343 島津重豪書状

    中将重豪が中山王の書状を披見する。去歳の中将任官の祝儀として東風平按司を差し越し、さらに太刀・馬代黄金十両並びに別録のとおりの品を贈ったことについて、配慮を喜ばしく思う旨を伝える。十月廿七日付で、年は朱注の明和三年。中将重豪の御判と「謹上 中山王」の宛所を備える。出典は「全上」とされる。

  33. 追録6-No.344 高橋種寿書状

    高橋此面が、太守の側に召し仕える女性を求める経緯を五名へ内々に報じる。太守は国元で妾を召し仕えず、子の早い誕生が肝要とする。去年江戸発駕前、淨岸院の意向を受けて国元で伺ったが、太守の思召により取り止めていた。当七月、淨岸院から家及び家中上下の安心のため、御前にも追々めでたいことはあり得るが国元での子…

  34. 追録6-No.345 島津久金外四名連署返書

    No.344に併記された朱書の返答。「本文被申越趣逐一致承知候、以上」とあり、元書状で申し越した趣旨を逐一承知した旨だけを記す。朱記の十二月三日、共有名簿の「下」「上」の指示によって、島津左中・樺山左京・菱刈藤馬・島津主鈴・島津仲の五名から高橋此面への返書に対応する。諱は同系列の名簿及び目録との対応…

  35. 追録6-No.346 高橋種寿書状

    高橋此面が、太守の側に女中を召し置く相談と甘露寺前大納言の娘綾姫の取次を詳しく報じる。去年までの思召で一度取り止めた後も希望はあったが、言い出す遠慮があったと内々に承知し、瀬川・川井を介して淨岸院へ申し上げた。淨岸院は喜び太守・御前へ伝えたが、御前の世話による人の話には差支があり、太守の思召に叶わず…

  36. 追録6-No.347 島津久金外四名連署返書

    No.346に併記された朱書の返答。申し越した趣旨を逐一承知し、女中様方へ内々に申し上げたと報じる。親類方の書付はこの方に扣え置き、その旨を返答する。朱記は正月廿八日で年の記載はない。共有名簿の「下」「上」の指示により、島津左中・樺山左京・菱刈藤馬・島津主鈴・島津仲の五名から高橋此面への返書として対…

  37. 追録6-No.348 甘露寺矩長女親類書

    「右ニ相添別冊」として甘露寺前大納言の姫の親類を列記した書付。母は黒田故甲斐守の姫、兄は甘露寺侍従、姉は鍋嶋摂津守奥方。同じ姉欄の世代姫には母が脇坂故淡路守の妹、清水御殿田鶴宮様御上臈との注がある。芳岡殿と妹阿喜姫の母にはそれぞれ家女房と記す。父方の叔母寶壽院には勧修寺故大納言高顕卿の奥方、母方の伯…

  38. 追録6-No.349 島津重豪伺書

    松平薩摩守内の佐久間新左衛門が、中山王から御臺への献上品のうち色繻子三十本を差し上げる方法について指図を求める。品が損じていたので目録だけを先に差し上げていたが、この節に品が届いたという。張紙の朱注は、去る酉年の留守居へ承り合わせて差し上げるようにとの指示である。さらに朱追記には、松平右京大夫へ伺っ…

  39. 追録6-No.350 重豪、貴鷹ノ鶴拝領ス

    同年十二月十八日、上使の安部助九郎信方を介して、貴鷹が捕らえた鶴一隻を重豪が賜ったと記す。恩旨に対する拝礼は先規のとおりとする。重豪公御譜中の記事で、年は「同年」とあるため前後の明和三年の配列に対応する。

  40. 追録6-No.351 阿部正右書状

    阿部正右が松平薩摩守へ、今朝献上した蜜柑二箱・炙鮎一箱を披露したところ、一段の御仕合であったと知らせる。十二月十八日付、年は明和三年の朱注で、正右の判がある。次頁の宛記は松平薩摩守殿、口裏にあるとする朱注には阿部伊豫守正右と記す。正文は文庫にあるとする。

  41. 追録6-No.352 秋元涼朝書状

    秋元涼朝が松平薩摩守へ、今朝献上した蜜柑二箱・炙鮎一箱を披露したところ、一段の御仕合であったと知らせる。十二月十八日付、年は明和三年の朱注。涼朝の判と松平薩摩守殿の宛記を備え、口裏の朱注に秋元但馬守涼朝とある。「全上」の出典指示を付す。

  42. 追録6-No.353 秋元涼朝書状

    秋元涼朝が松平薩摩守へ、大納言様に破魔弓一飾を使者によって献上したことについて、首尾よく披露したと知らせる。十二月廿八日付、年は明和三年の朱注。涼朝の判、松平薩摩守殿の宛記、口裏の秋元但馬守涼朝の注を備える。正文は文庫にあるとする。

  43. 追録6-No.354 徳川家治御内書

    歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜ばしく思い、詳細は松平右近将監が述べると伝える御内書。十二月廿七日付、年は明和三年の朱注。家治公の墨印位置を示す円形注と、薩摩中将殿の宛記を備える。重豪公御譜中に収められ、正文は文庫にあるとする。

  44. 追録6-No.355 秋元涼朝書状

    秋元涼朝が松平薩摩守へ、歳暮の祝儀として使者によって小袖一重を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。十二月廿七日付、年は明和三年の朱注。秋元但馬守涼朝の判と松平薩摩守殿の宛記を備え、出典は「全上」と記す。同日付のNo.354御内書は小袖一重の到来に対する返答で、本書は披…

  45. 追録6-No.356 明和四年間公辺記事

    明和四年の公辺行動を月日順に記す。正月元日に御座間へ出て寺で廟を謁し、三日に御座間・大御書院で賀正を受け、十日に増上寺・上野を訪れる。十三日は雨雪、散楽の講を始め、公が翁を舞い松山侯が小鼓を担う。十五日に造朝。三月十日には重さ七分の雹が降り、前夜に夫人が女児を流産したと記す。十八日に護摩所へ首途の礼…

  46. 追録6-No.357 島津重豪吉書

    重豪が明和四年正月元日に記した吉書。「長生殿裏春秋留、不老門前日月遲」という長寿を祝う漢詩句に続き、「君か代ハ千世にやちよにさゝれ石の巖となりて苔のむすまて」の和歌を記す。重豪御判を備え、正文は文庫にあるとする。上包の注は、亥二月十五日、白木御文書五番箱に入れ、江戸で関山新左衛門から渡された由があり…

  47. 追録6-No.358 松平輝高書状

    松平輝高が松平薩摩守へ、若菜の祝儀として鯛一折を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。正月七日付、年は明和四年の朱注。輝高の判と松平薩摩守殿の宛記を備え、次頁の口裏注に松平右京大夫輝高とある。「全上」の出典指示を付す。

  48. 追録6-No.359 秋元涼朝書状

    秋元涼朝が松平薩摩守へ、若菜の祝儀として鯛一折を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。正月七日付、年は明和四年の朱注。涼朝の判、松平薩摩守殿の宛記を備え、口裏に秋元但馬守涼朝とあることを注記する。No.358松平輝高書状と同日・同品を記すが、差出人が異なる独立の返答であ…

  49. 追録6-No.360 島津重豪吉書

    重豪が正月十一日に記した吉書。神社仏閣の修造・興行、専ら勧農すること、国々の年貢を徴納することの三箇条を掲げ、その趣旨に従って沙汰するよう命じる。「右任三箇條之旨可有沙汰之状如件」と結び、明和四年正月十一日と重豪御判を備える。正文は文庫にあるとする。右の包紙注には、亥二月十五日に左京殿から郡山主右衛…

  50. 追録6-No.361 松平輝高書状

    松平輝高が松平薩摩守へ、年頭の祝儀として使者によって太刀一腰・馬代黄金十両を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。正月十一日付、年は明和四年の朱注。輝高の判、松平薩摩守殿の宛記と、口裏の松平右京大夫輝高の注を備える。本文は上段から下段へ続き、「全上」の出典指示を付す。

  51. 追録6-No.362 秋元涼朝書状

    秋元涼朝が松平薩摩守へ、年頭の祝儀として使者によって太刀一腰・馬代黄金十両を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。正月十一日付、年は明和四年の朱注。涼朝の判、松平薩摩守殿の宛記、口裏の秋元但馬守涼朝の注を備え、「全上」の出典指示を付す。No.361松平輝高書状と同日・同…

  52. 追録6-No.363 近衛内前書状

    近衛内前が薩摩中将へ、新年の賀章と目録どおりの品を送られたことを祝着に思うと伝える。平安に年を越したことを喜び、こちらも全く無事であるとし、さらに後音を待つ旨を記す。明和四年の朱注と、近衛内前の花押であることを示す注、「薩摩中将とのへ」の宛記を備える。月日の記載はなく、目録には一月とある。

  53. 追録6-No.364 近衛内前書状

    近衛内前が薩摩中将へ、営中へ使者を進めるついでに一翰を寄せる。青陽の賀儀を祝う言葉と、ますます平安であるようにとの意向を伝え、こちらには異状がないと知らせる。その上で目録のとおりに贈与する旨を記す。二月十五日付、年は明和四年の朱注。「薩摩中将とのへ」の宛記と花押を備え、差出人は「全上」による近衛内前…

  54. 追録6-No.365 島津久健申渡書

    綾の御方の格式を国元・江戸ともに嶺松院様と同格とし、着いた当日から「御名様」と唱えるように命じられたと知らせる。そのため調物等について変わることがあれば申し出るよう、納殿役人へ申し渡すことを指示する。四月付、年は明和四年の朱注。仲の名に島津久健の注がある。朱記には、亥四月廿六日に本文のとおり納殿役人…

  55. 追録6-No.366 重豪、帰国ノ告ヲ賜フヲ謝ス

    四月十六日、大家が松平右近将監武元を芝邸へ使者として遣わし、重豪に帰国を命じる。使者の接待は先格どおりとする。儲后家基公も松平周防守康福を遣わし、紗綾二十巻を賜った。同日老中の宅へ行って礼をし、女使によって大家・儲后・御臺・万寿姫君にも謝意を伝える。同十八日に登城し、黒書院で家治公に帰国許可の礼を申…

  56. 追録6-No.367 松平武元外三名連署状

    阿部伊豫守・松平周防守・松平右京大夫・松平右近将監の四名が松平薩摩守へ、明日五半時に登城し、御暇の礼を申し上げるよう通知する。四月十七日付、年は明和四年の朱注。松平薩摩守殿の宛記と四官名の連署を備え、正文は文庫にあるとする。目録の標題は松平武元外三名連署状である。翌十八日の礼はNo.366の記事にも…

  57. 追録6-No.368 登城令書

    家来一人について御目見を命じられたので、召し連れて出頭するよう指示する。「全上」の出典指示があるが、独立した年月日・署名・宛記はない。No.367の翌日登城・御暇の礼の通知に続いて記される家来同行の指示で、年は目録配列の明和四年に対応する。

  58. 追録6-No.369 島津重豪願書

    重豪が、御暇を与えられて国許へ帰るに際し、まだ男子がいないため、在国中に不慮のことがあった場合には国許に置く大叔父島津杢に相続を命じ、跡職を相違なく与えるよう願う。島津杢は当年三十六歳と記す。四月十九日付、年は明和四年の朱注。宛記は松平右近将監・松平右京太夫・松平周防守・阿部伊豫守の四名。扣正文は右…

  59. 追録6-No.370 重豪、帰国シ礼使ヲ上ス

    同月二十一日に芝邸を出て帰国し、家老高橋此面種寿、側用人山岡齋宮久澄・二階堂蔀行旦・関山新左衛門金郷、近習役川上龍衛親方らが同行した。東山道を経て五月七日に伏見、十日に舟で大坂、十三日に大坂を発ち播磨路を取り十六日に坂越へ至り、同日舟で諸港を経る。二十四日に日州細島へ着いたが風雨と満水で通津できず滞…

  60. 追録6-No.371 島津久金・川田国福連署書状

    太守発駕に伴う淨岸院への下賜と謝礼方法を、高橋此面へ報じる。公方から鯛一折・行器三荷・添重一組を、今日の発駕に付して上使瀧川を介して淨岸院へ給し、御臺からも肴一折を同人へ文をもって給したという。太守の出立後、御守殿に上使と文で給されたため、太守の謝礼を先例に従い御守殿へ伺った。太守が途中で承知して公…

  61. 追録6-No.372 高橋種寿返書

    No.371の行間に朱書された返答。申し越した趣旨を承知し貴聞に達したとし、公方への謝礼文は今日廿二日の日付とするよう命じられたと伝える。御臺への礼は公方宛の文に含め、大納言・万寿姫君への礼も書き入れて申し上げるので、日積をもって差し出すよう求める。淨岸院へ文で祝詞を伝えるため、その文も差し上げるよ…

  62. 追録6-No.373 阿部正右書状

    阿部正右が松平薩摩守へ、大納言様に菖蒲兜一飾を使者により献上したことについて、首尾よく披露したと知らせる。四月廿八日付、年は明和四年の朱注。阿部伊豫守正右の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。

  63. 追録6-No.374 徳川家治御内書

    端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜ばしく思い、詳細は阿部伊豫守が述べると伝える御内書。五月二日付、年は明和四年の朱注。家治公の墨印位置を示す円形注と薩摩中将殿の宛記を備える。正文は文庫にあるとする。

  64. 追録6-No.375 松平康福書状

    松平康福が松平薩摩守へ、端午の祝儀として大納言様に帷子・単物を使者によって献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。五月二日付、年は明和四年の朱注。松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  65. 追録6-No.376 幕府老中達書并大目付廻状

    大目付へ、松平の称号を名乗る惣領以外の者の扱いを達する。今後御目見以上となる見込みの者は従来どおりとし、御目見以下となる見込みの者は松平を名乗ることを無用とする。御目見以上の見込みで既に名乗っていた者が御目見以下となった場合は、その時に称号を改める。但し現在御目見以下の者や陪臣・浪人で、筋目によって…

  66. 追録6-No.377 松平輝高書状

    松平輝高が松平薩摩守の書札を披見したと知らせる。公方はますます機嫌よく、去月晦日の増上寺霊前参詣について承知して恐悦するという趣旨をもっともと受け止める。紙面の趣旨は各々と相談して上聞に達したと報じる。五月廿二日付、年は明和四年の朱注。松平右京大夫輝高の判と松平薩摩守殿宛を備え、正文は文庫にあるとい…

  67. 追録6-No.378 高橋種寿書状

    逃参者について求麻との懸合で処置を決めて届け出る筋が定まっても、江戸へ差し出すまで間があるため、その間に内沙汰を申し出ておき、江戸で吟味して公辺の模様次第で取り計らうよう命じてはどうかという国許からの申し来しを伝える。この件を貴聞に達したところ、須木への到来までの届出の扱いについての意向もあり、求麻…

  68. 追録6-No.379 島津久金返書

    国元からの逃参者に関する問合書を貴聞に達し、こちらで吟味して首尾を整えるとの意向を承知した返答。留守居に吟味を命じると、当三月の逃散が既に公辺へ伝わっているかは分からず、自然に尋ねられた後の処置では不都合があるので、一通り届け出る方がよいと申し出た。このため内沙汰を置く方針を相談し、留守居有川勇馬を…

  69. 追録6-No.380 献上馬目録

    「御馬一足」と列記する献上馬の目録。馬には栗毛・五歳の小字注があり、明和四年の朱注を付す。出典は「全上」、正文は文庫にあるとする。月日・署名・宛所・献上先の人名は記されない。

  70. 追録6-No.381 重豪、家重七回忌香奠献納

    今茲夏六月、大家が増上寺で惇信院殿の七回忌法事を修したため、十三日、重豪は用人伊集院伊膳久郷を遣わして香奠銀十枚を献納し拝礼させたという記事。惇信院には徳川家重の小字注がある。年は「今茲」として前後の明和四年配列に対応する。

  71. 追録6-No.382 幕府指図書

    壽賀宮の婚礼に付して、松平薩摩守と同人妻に、指定した道具を御臺へ献上するよう命じる。貝桶一対は村梨子地・若松唐草に葵紋と裏菊紋を散らし、覆は唐織で同紋、日覆は猩々緋で同紋とする。長文箱三対の内訳は、黒塗に葵紋・裏菊紋を散らす一対、村梨子地・若松唐草に同紋を散らす一対、黒塗蒔絵一対。献上の時節は追って…

  72. 追録6-No.383 圓徳院・吉宗法事記事

    同年六月十六日、福昌寺で圓徳院殿の十三年忌法事を修したと記し、十二日から十六日までとの日注がある。圓徳院には重年の小字注がある。十二日は島津播磨久敦、十四日は島津杢久峯を代参とし、同夜の頓写は島津玄蕃貴澄が代わり、十六日は島津大學久尚を代参とする。満散寄合の式もあり、久敦を「余」の代としたという。続…

  73. 追録6-No.384 松平康福書状

    松平康福が松平薩摩守の書札を披見し、酷暑の節に使者で公方・大納言の機嫌を伺ったことへ、ますます安全であるので心配しないよう伝える。併せて献上した琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺について、各々と相談して披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。七月二日付、年は明和四年の朱…

  74. 追録6-No.385 板倉勝清書状

    板倉勝清が松平薩摩守の書札を披見する。酷暑の節に使者で公方・大納言の機嫌を伺ったことへ、ますます安全なので心配しないよう返答する。献上の琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を披露したところ、一段の御仕合であったと知らせる。七月二日付、年は明和四年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平…

  75. 追録6-No.386 近衛内前書状

    近衛内前が書状を披見し、海陸とも難なく帰国したことを祝う。こちらには異状がないと知らせ、後音を待つと結ぶ。七月四日付、年の記載はない。近衛内前の花押であることを示す注と薩摩中将とのへの宛記があり、正文は文庫にあるとする。

  76. 追録6-No.387 松平武元外三名連署状

    生見玉の祝儀として黄金十両を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる四名連署の書状。七月六日付、年は明和四年の朱注。上段に阿部伊豫守正右・松平周防守康福、下段に松平右京大夫輝高・松平右近将監武元の署判があり、松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるとする。

  77. 追録6-No.388 板倉勝清書状

    板倉勝清が松平薩摩守へ、生見玉の祝儀として黄金十両を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。七月六日付、年は明和四年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  78. 追録6-No.389 松平康福書状

    松平康福が松平薩摩守の書札を披見し、公方・大納言がますます機嫌よく過ごしていることを喜んだという趣旨を承知したと知らせる。五月十一日夜の曲輪内出火が早速鎮まったと聞いて恐悦するとの言葉をもっともとし、紙面の趣旨は各々と相談して上聞に達したと報じる。七月九日付、年は明和四年の朱注。康福の判と松平薩摩守…

  79. 追録6-No.390 板倉勝清書状

    板倉勝清が松平薩摩守の書札を披見し、公方・大納言の機嫌がよいことを喜んだという趣旨を承知したと知らせる。五月十一日夜の曲輪内出火が早速鎮まったと聞いて恐悦するとの言葉をもっともとし、紙面の趣旨を言上したと報じる。七月九日付、年は明和四年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備え、出典は「全上」…

  80. 追録6-No.391 島津重豪願書

    薩摩国鹿児島城下東口番所通の「艮方外東北之間」にある土居六箇所が、当五月廿六日の大雨で崩れたため、元のとおり修補を命じたいと願う。七月十一日付、年は明和四年の朱注。松平薩摩守の名があり、扣正文は家老座にあるとする。

  81. 追録6-No.392 島津重豪願書(絵図面書記)

    絵図面に書記して差し出した願書として、薩摩鹿児島城下の土居が当五月廿六日の大雨で崩れた覚を記す。東口番所通の「艮方外東北之間」の土居六箇所が崩れたこと、朱引のとおりに崩れた箇所を元のとおり修補するよう命じたいことを願う。明和四丁亥年七月十一日と松平薩摩守御書判を備える。

  82. 追録6-No.393 阿部正右書状

    阿部正右が松平薩摩守へ、惇信院様七回忌法事の執行に付して使者をもって献上した香奠が増上寺へ奉納されたこと、その趣旨を言上したことを知らせる。七月十二日付、年は明和四年の朱注。阿部伊豫守正右の判と松平薩摩守殿宛を備え、正文は文庫にあるとする。

  83. 追録6-No.394 島津重豪伺書

    相良源次郎内の米良七郎左衛門の家来で、源次郎支配の米良主膳領分に住む男女百七十人が、当三月十九日から四月十五日までに薩摩領日向国諸県郡の須木へ次々に来てこちらを頼ったことについて伺う。源次郎家来と薩摩側家来が対談して再三帰参するよう伝えたが、帰郷の心底は全くなく、拒否しているという。須木に木屋を設け…

  84. 追録6-No.395 島津重豪伺書

    領内へ逃散してきた相良源次郎内の米良七郎左衛門家来たちが持つ鉄炮と刀大小について伺う。こちらに召し置いている者を引き渡すよう申し付けられ、鉄炮は預け置き、刀大小はそのままにして番人を付けているので、刀大小をどう扱うべきか指図を求める。七月十三日付、年は明和四年の朱注。付紙は別紙で達したとおり囚人の取…

  85. 追録6-No.396 松平輝高書状

    松平輝高が松平薩摩守へ、有徳院様十七回忌法事の執行に付して使者で献上した香奠が東叡山へ奉納されたこと、その趣旨を言上したことを知らせる。七月廿日付、年は明和四年の朱注。松平右京大夫輝高の判と松平薩摩守殿宛を備え、有徳院には徳川吉宗の小字注がある。正文は文庫にあるとする。

  86. 追録6-No.397 松平康福書状

    国許到着の礼を行う使者小松仙十郎を、明廿八日五時に城へ差し出すよう指示する。併せて自分の礼も申し上げるべきなので、その趣旨を承知するよう求める。七月廿七日付、年は明和四年の朱注。差出は松周防、宛先は松平薩摩守殿留守居。小松仙十郎には清行の小字注があり、正文は文庫にあるという。

  87. 追録6-No.398 阿部正右書状

    国許到着の礼を行う使者小松仙十郎を、明日四時に城へ差し出すよう指示する。八月四日付、年は明和四年の朱注。差出は阿伊豫、宛先は松平薩摩守殿留守居で、「全上」の出典指示を付す。

  88. 追録6-No.399 板倉勝清書状

    小松仙十郎を明日九時に我等宅へ差し出すよう、松平薩摩守の留守居へ指示する。八月四日付、年は明和四年の朱注。板佐渡の略署と松平薩摩守殿留守居の宛記を備え、「全上」とする。同日付No.398の明日四時の登城指示とは別の時刻・訪問先である。

  89. 追録6-No.400 田沼意次書状

    田沼意次が松平薩摩守の書札を拝見し、公方・大納言が機嫌よく過ごしていることへの恐悦をもっともとする。御暇に際して白銀・巻物を頂戴し、さらに馬を賜り、大納言からも拝領物があって重ねてありがたく思うという趣旨を承知したと伝える。六月六日の国許到着に付して礼を行うため、小松仙十郎を介して目録どおり献上した…

  90. 追録6-No.401 板倉勝清書状

    板倉勝清が松平薩摩守の書札を披見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの恐悦をもっともとする。御暇に際して白銀・巻物を頂戴し、さらに馬を賜り、大納言からも拝領物があって重ねてありがたいという趣旨を承知する。国許到着の礼として小松仙十郎を介して目録のとおりに献上したことについて、披露したところ御喜色であっ…

  91. 追録6-No.402 松平武元外三名連署状

    八朔の祝儀として使者によって太刀一腰・馬代黄金十両を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。八月四日付、年は明和四年の朱注。阿部伊豫守正右・松平周防守康福・松平右京大夫輝高・松平右近将監武元の四署判と、松平薩摩守殿宛を備える。

  92. 追録6-No.403 板倉勝清書状

    板倉勝清が松平薩摩守へ、八朔の祝儀として使者によって太刀一腰・馬代黄金十両を献上したことについて、披露したところ一段の御仕合であったと知らせる。八月四日付、年は明和四年の朱注。板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備え、「全上」とする。

  93. 追録6-No.404 松平武元外三名連署状

    公方・大納言の機嫌がよいことへの恐悦をもっともとし、御暇時に白銀・巻物を頂戴し、馬の下賜と大納言の拝領物もあって重ねてありがたいという趣旨を承知する。国許到着の礼として小松仙十郎を介して琉球芭蕉布二十端及び釘樽肴を献上したことについて、披露後に「御前に被召出」の記載があり、入念であるとして御喜色であ…

  94. 追録6-No.405 阿部正右書状

    阿部正右が書札を披見し、公方は機嫌よく、惇信院様七回忌法事を増上寺で執行し終えたと聞いて恐悦するとの趣旨をもっともとする。差し越した使者及び紙面の趣旨は各々と相談して上聞に達したと報じる。八月十八日付、年は明和四年の朱注。正右の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  95. 追録6-No.406 松平武元外三名連署状

    薩摩国鹿児島城下東口番所通「艮方外東北之間」の土居六箇所が崩れたための修補について、絵図朱引の趣旨を承知し、願いのとおり元のように修補を命じてよいと許可する。明和四亥八月廿一日付。次頁の四署判は阿部正右・松平康福・松平輝高・松平武元で、松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。

  96. 追録6-No.407 阿部正右書状

    阿部正右が書札を披見し、公方は機嫌よく、有徳院様十七回忌法事を東叡山で執行し終え、六月廿日に霊前へ参詣したことを聞いて恐悦するとの趣旨をもっともとする。紙面の趣旨は各々と相談し上聞に達したと報じる。八月廿七日付、年は明和四年の朱注。正右の判と松平薩摩守殿宛を備える。

  97. 追録6-No.408 桂久中申渡書

    島津壮之助が明廿八日に名代をもって継目の礼を申し上げるに際し、家来三人の御目見を命じられたが、「三家之者」が差し支え、勘左衛門・鐵五郎は「差次三家之者」であるため御目見を願ったと記す。対象三人は肥後善助・梅元勘左衛門・中村鐵五郎。御書院で太刀を進上する際、善助は先格どおり脇差を帯び、勘左衛門・鐵五郎…

  98. 追録6-No.409 桂久中申渡書

    加治木家跡の島津因幡殿について、先年家来が御目見した際には「差次三家之者」が役人の場を勤めたため、指図により太刀進上時に脇差を帯びて御目見を許されたと記す。しかし延享三年寅四月に定めた御一門の家来格式どおり、今後は「三家外之者」が何事について御目見する場合にも脇差を帯びないよう命じる。その趣旨を相良…

  99. 追録6-No.410 松平輝高書状

    松平輝高が書札を拝見し、公方・大納言が機嫌よく過ごしていることへの恐悦をもっともとする。板倉佐渡守が「連判之列」に命じられ、大納言方に附けられたことを聞いて喜ぶとの趣旨を承知したと伝える。紙面の趣旨を各々と相談し、上聞に達したと報じる。九月六日付、年は明和四年の朱注。松平右京大夫輝高の判と、次の段に…

  100. 追録6-No.411 松平康福書状

    松平康福が書札を拝見し、公方・大納言の機嫌がよいことへの恐悦をもっともとする。板倉佐渡守が「連判之列」に命じられ大納言方に附けられたことを聞いて喜ぶとの趣旨を承知する。紙面の趣旨については大納言へ言上したと知らせる。九月六日付、年は明和四年の朱注。松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。同日付N…