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追録6の目録
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追録6-No.992 年頭規式の御請・吉書勤を行わなかったことの記録命令
年頭の規式について、葬式がまだ済んでいなかったため御請を行わず、吉書勤等もなかった旨が伝えられたので、御記録奉行へ知らせて聞き置くよう指示する書付の写し。末尾は朱の安永二年二月、左京の署。出典は重豪公御譜中で、正文は文庫にあると記す。年頭儀礼を行わなかった理由と、その事実を記録担当へ伝える指示を収め…
追録6-No.993 下屋敷空地の聖堂敷地・諸稽古場指定と境界寸法
下屋敷の空地のうち、聖堂敷地と諸稽古場を指定する申渡の写し。まず聖堂屋敷一囲を挙げ、下屋敷下通り六十五間、南泉院通り四十七間余、枡形から新橋通りへ折り回る部分を二十五間余・十一間余・三十九間余、稽古場境通り五十八間余と、境界ごとの寸法を記す。右の範囲を聖堂の地面として命じ、同じ空地の内、聖堂屋敷境か…
追録6-No.994 嶋津式部書状―早期下国願が認められたことへの名代の礼
嶋津式部から薩摩守への書状。浄岸院の遺骸を国元へ移すに際して格別の取り扱いを受けたが、太守は移送のことが気掛かりで、廟に参詣したいため早く暇を賜り、閏三月中に当地を発ちたいと松平薩摩守から願い出たところ、願いどおり命じられたことはありがたいと述べる。その件について、自分が名代として礼を申し上げたこと…
追録6-No.995 樺山左京申渡―年頭松の期限短縮と火用心の周知
年頭の松飾りについて、諸国では「当明之七日」までとなっているが、国元では十五日までとされており、火用心のうえでよろしくないので、七日までの松とするよう命じられたことを伝える申渡。松を取り去った後にも小さな枝を残すことがあるため、家々の仕向もこの指示のとおりとするよう命じられたという。江戸でこのことが…
追録6-No.996 重豪から中山王への書状―猶子祝儀の太刀・馬代黄金の礼
中将重豪から中山王への書状。芳簡をいま披見したと述べ、「於敬事奥方被致猶子候為祝儀」と記された祝儀について、読谷山王子を遣わされ、太刀一腰・馬代黄金十両と目録どおりの品を贈られたことを喜び、謝意を示す。末尾は二月十一日、中将重豪の御判で、朱に安永二年とある。重豪公御譜中の収録で、正文は琉球国司にある…
追録6-No.997 浄岸院守殿の借地千五百余坪が副地として賜られた記事
重豪公御譜中の記事。宝暦十二年四月から借りていた千五百余坪の宅地について、重ねて将軍に願い出た。二月十五日に登営して賀儀を述べ、白書院の縁頬で老中松平右近将監武元から、その地を副地とする旨を伝えられたので、その賜与を拝受した。退出して西営にも登って恩に謝し、さらに老中各邸へ赴いて礼謝したという。末尾…
追録6-No.998 浄岸院守殿の借地を薩摩守の拝領地とする指図
浄岸院の御守殿の土地が狭いことに関し、すでに借りている地について願い出られていたので、その借地を受取人の拝領地として命じると記した指図の写し。「其方」に拝領地として命じる旨を述べ、松平薩摩守宛。朱に安永二年とあり、月日はない。正文は家老座にあると記す。借りていた地と、その地を拝領地へ変える指図を収録…
追録6-No.999 重豪の織田信方慰労と三汁七菜の饗応・贈物
重豪公御譜中の記事。同月二十五日、織田信方を客屋で慰労し、膳食を饗したと記す。膳食には三汁七菜との注がある。信方の留滞中には贈物が多く、一門一族と大目附格以上の者もそれぞれ品物を贈ったという。饗応の内容と、重豪以外の者による贈物もあわせて記録する。本文に贈物の品名・数量は記載しない。
追録6-No.1000 田沼意次書状―干菓子一箱献上の披露
田沼主殿頭から松平薩摩守への書状。今朝、干菓子一箱が献上されたので披露したことを伝える。末尾は二月二十六日、意次の判。重豪公御譜中の収録で正文は文庫にあり、朱の在口裏には田沼主殿頭意次とある。朱に安永二年とある。献上品と箱数、披露した旨を簡潔に記録する。
追録6-No.1001 阿部正允書状―干菓子一箱献上の披露
阿部豊後守から松平薩摩守への書状。今朝、干菓子一箱が献上されたので披露したことを伝える。末尾は二月二十六日、正允の判で、阿部豊後守正允の署名。朱に安永二年とある。献上品と箱数、披露した旨を簡潔に記録する。
追録6-No.1002 浄岸院の七日間の中陰法要・代参と織田信方の名代焼香・帰路
重豪公御譜中の記事。二月二十七日から浄岸院の中陰梵儀を七日間行い、小注に二十七日から三月三日までとある。初日は島津備前貴儔、晦日は島津兵庫久徴、三月三日の満散は島津貴儔が代参し、祭文を上げた。四日に織田信方が福昌寺の浄岸院廟主へ参詣し、将軍家治と大納言家基の名代として焼香・伝拝した。同日、備前貴儔が…
追録6-No.1003 小松帯刀・山岡斎宮書状―守殿借地拝領と御礼・祝儀・通知の三条
小松帯刀・山岡斎宮から五名へ送った三ヶ条の書状。御守殿の借地千五百五十坪余を直接太守の「御拝借地」としたいと、浄岸院が以前から別紙のとおり願っていたところ、去る十五日の月次登城の際、用番松平右近将監に用事があり、出仕後に居残るよう大目付萩原主水正・目付柘植三蔵から知らされた。白書院の縁頬で、右近将監…
追録6-No.1004 家老五名の朱返答―借地拝領三条の承知・祝儀・通知相談
1003番の三ヶ条に対する行間朱書の返答。三ヶ条の趣旨を承知し、女中方へ伝えて聞かせたと述べる。祝儀については享保十四年の添屋敷拝領時の例を用い、月次に出仕する者が太守・御前へ祝儀を申し上げ、ほかの者も今日、使者を通じて祝儀を申し上げた旨を記す。川田伊織が湯治へ出る前に書状を認めて置いたとの注もある…
追録6-No.1005 嶋津左中ほか二名書状―織田図書の幕府名代拝と翌日の出立
嶋津左中・喜入主馬・嶋津仲から小松帯刀・山岡斎宮へ送った書状。織田図書が今日、公方と大納言の名代として浄岸院の位牌前と廟所で代拝を勤め、嶋津備前の案内により滞りなく済んだことを報じる。明五日に当地を出立し、別紙の宿賦のとおり通行する予定なので、このことを伝えるよう求める。末尾は三月四日、三名の連署で…
追録6-No.1006 小松帯刀・山岡斎宮の朱返答―代拝報告と休泊付の控え
1005番の織田図書による代拝と出立・通行予定の報告に対する、短い行間朱書の返答。「本文達貴聞」と記し、御休泊付を控え置いたことを述べる。朱の日付は閏三月六日。元書状の小松帯刀・山岡斎宮という二宛名を朱下で差出側へ、嶋津左中・喜入主馬・嶋津仲の三署を朱上で宛先へ転用する。本文の報告への返答と、休泊に…
追録6-No.1007 浄岸院霊前の代香・祭文・献贈と中山王の贈物
重豪公御譜中の記事。同年三月五日、夫人と真合院殿、諸翁主・側室等がそれぞれ代香を行った。真合院には故松平修理大夫重政の夫人との注がある。嶋津備前貴儔・若狭忠救・兵庫久徴・因幡忠温・淡路守久柄等は各々祭文を献じた。左衛門久健・駿河久敦・又五郎久当・筑後久倫等と家老・若年寄・大目付・側用人・近習役・添用…
追録6-No.1008 島津重豪祭文―浄岸院の死去・帰葬と養育の恩への哀悼
正文が福昌寺にある浄岸院への祭文。冒頭に安永元年壬辰仲冬と記し、浄岸院殿信譽清仁祐光大禅定尼が病を得て寝食も安らかでなく、医薬・祈祷に効なく、十二月五日乙丑に東武芝の邸で死去したことを述べる。書き手は曾孫源朝臣重豪と称し、幼く孤弱であった自身を親しく養育した恩を、須弥山や滄海にも比べる。十二月二十日…
追録6-No.1009 樺山左京申渡―聖堂・講堂・稽古場の造立と学問芸術の奨励
聖堂・講堂と諸稽古場を建てたのは、諸人が学問・芸術に一層励んで御用に立ち、風俗を正すためであり、早く領内の教学を行うという意向によると伝える。この造立をありがたく承知するよう求める。表方の役人に限って直接通達し、側方・勝手方へは写しをもって伝える扱いを指定する。末尾に安永二年巳三月六日、左京とあり、…
追録6-No.1010 郡山遜志による島津世家二十七巻・十一冊の編纂と収蔵
寛陽公の時に平田清右衛門純正を文書奉行とし、得佛公から慈眼公までの事跡を集めて「島津氏世録系図」を編纂したことを述べる。その後も史官が相続して編纂したが、譜牒はあって史伝がなかったので、明和六年己丑十一月十五日に太史郡山次郎左衛門遜志へ史伝を作るよう命じた。遜志は譜牒を根拠に新しく構成して起草し、記…
追録6-No.1011 島津重豪願書―浄岸院召使の終身居住と仏殿残置
浄岸院に召し使われ、このたびすでに剃髪の願いを許された者について、別紙名書のとおり薩摩守の屋敷内に一生住居させたいと願う。また御守殿に以前からある仏殿を残し、朝夕の用事を頼みたいという。末尾は三月十五日、松平薩摩守、朱に安永二年とある。朱の御付紙には「可為願之通候」とあり、願いのとおりとする回答を収…
追録6-No.1012 浄岸院召使の剃髪者五名と願書・別紙の提出及び回答伝達
浄岸院の召使で剃髪した者の別紙名書。大年寄の清崎は榮樹院、御中臈頭の森江は稱林院、御中臈のさえは念成院、同役のもせは林勝院、御次のたよは貞教と記す。役職、以前の名、剃髪名を対応させた五名の一覧で、貞教に院号の末字はない。朱注には、右の書付と別紙を御用番松平右近将監へ、留守居樺山助之進を通じて御日附当…
追録6-No.1013 浄岸院百日忌の福昌寺法事
同月十五日、浄岸院の百日忌辰に当たり、福昌寺で先規のとおり法事を行ったと記す。先規に付く小注は三十五日・四十九日の仏事に触れ、十三日から十五日まで凡三日と示す。百日忌の当日と、先規として示した法事の日程を収録する。
追録6-No.1014-1 家老座申渡―万寿姫死去に伴う十日の停止と五日の普請差留
萬寿姫が先月二十日に死去したため、殺生・鳴物・遊興を今十五日から来二十四日まで十日間停止すると申し渡す。普請は今日から十九日まで五日間差し留める。支配中の者へこの旨を伝えるよう命じる。末尾に安永二年巳三月十五日、御家老座印とある。萬寿姫には徳川家治の娘との注があり、雑抄中に収録する。停止対象によって…
追録6-No.1014-2 樺山左京申渡―万寿姫の御牌号乘臺院の通知
萬寿姫の御牌号を乘臺院様と称する旨の知らせが届いたので、役人に限って通達するよう申し渡す。末尾は安永二年巳閏三月五日、左京。死去後の御牌号と通達範囲を記した短い申渡。
追録6-No.1014-3 樺山左京申渡―御守殿借地拝領と翌日の登城祝儀
御守殿の借地を直接太守の御拝借地としたいと浄岸院が以前から願っていたところ、先月十五日に御城で松平右近将監から太守の拝領地として命じられたとの知らせが届いたと伝える。明十九日の四時、月次の御礼に登城する者は本丸で祝儀を申し上げるよう指示する。表方へ直接通達し、側方・勝手方へは写しで伝達する。末尾は安…
追録6-No.1015 板倉佐渡守書状―歳暮御内書受取のため家来差出を命じる
板倉佐渡守から松平薩摩守への書状。歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう命じる。末尾に三月十八日、板倉佐渡守、朱に安永二年とある。重豪公御譜中に収録し、正文は文庫にある。御内書の受取手配と、家来を出す日時・場所を記した通知。
追録6-No.1016 島津重豪届―浄岸院の福昌寺葬送完了
浄岸院の葬送が先月二十四日夜に菩提所福昌寺で済んだことを申し上げる短い届。末尾は三月二十日、松平薩摩守、朱に安永二年とある。重豪公御譜中に収録し、正文は江戸家老座にある。目録では島津重豪伺書と題するが、本文は葬送を終えた旨の報告。
追録6-No.1017 島津重豪の帰国と謝恩使島津久前の江戸往還
同年三月二十二日、上使松平周防守康福が帰国許可を告げ、同日、大納言家基も阿部豊後守正允を芝の邸へ遣わして旨を伝えた。拝領品物は先例どおりで、重豪は老中の邸を廻って礼を述べた。二十五日に命により朝見し、黒書院で将軍家治から懇命を受け、馬を賜る。西城では奏者仙石越前守政辰へ謝し、同日、小松帯刀清香も先格…
追録6-No.1018 松平右京大夫ほか三名書状―帰国の暇の御礼を命じる
明日五半時に登城し、帰国の暇を賜った御礼を申し上げるよう命じた書状。三月二十四日付で、田沼主殿頭・板倉佐渡守・松平周防守・松平右京大夫の四名が署し、松平薩摩守に宛てる。年は朱に安永二年とあり、正文は文庫にある。御礼の登城日時を指定した通知で、登城の完了を報じる書ではない。
追録6-No.1019 家来一人の御目見に伴う召連登城の命令
家来一人の御目見を仰せ付けられたので、その者を召し連れて出るよう命じた短い書付。朱に安永二年とあるが、独立した月日、差出署、宛書はない。目見を許された家来の人数と、召連登城の指示を収録する。
追録6-No.1020 重豪の年寄女召出と家治からの葵紋道服一領拝領
同年三月二十七日、将軍家治が葵の御紋を付けた道服一領を賜ったと記す。家治が年寄女を本丸大奥へ召し、老女松島が取り次いで伝えた。詳細は左に載せる書付に示すとして、次件の拝領羽織に関する記録へつなぐ。賜与品の原称・紋・数量と、召出・取次の経路を記した記事。
追録6-No.1021 葵紋付き黒縮緬綿入羽織の拝領と大奥の伝言・記録所への納置
葵の御紋付き羽織一と記し、黒縮緬の綿入りとの但書を付す。三月二十七日、本丸の大奥年寄に用事があるとして平野が出向き、老女松嶋の取次を通して将軍家治から重豪へ伝言があった。浄岸院の病中に重豪が丁寧に心を尽くしたことと、帰国の出発が近いことに関し、道中召し用いるよう上意によって拝領したという。末尾は安永…
追録6-No.1022 島津重豪願書―在国中の不慮に備える従弟島津兵庫の養子・跡職
帰国の暇を許され国元へ移るに当たり、男子がまだいないので、在国中に不慮のことがあった場合には、国元にいる従弟嶋津兵庫を養子として命じ、跡職に相違のないよう願う。兵庫は当年二十二歳と記す。末尾は閏三月四日、松平薩摩守御書判、朱に安永二年とあり、五名の老中に宛てる。男子のない状態と、不慮に備える養子・跡…
追録6-No.1023 島津重豪届―亡大叔父島津杢の仮相続に従弟兵庫を仮養子とする
去年、帰国の暇を許された際に大叔父嶋津杢の仮相続を願ったところ、杢が去年病死したため、国元にいる従弟嶋津兵庫を、このたび初めて仮養子に願うと申し出る。この旨を承知して置かれるよう求める。末尾は閏三月四日、松平薩摩守、朱に安永二年とある。正文は右筆所にある。亡大叔父の仮相続に関する事情と、兵庫の仮養子…
追録6-No.1024 樺山左京申渡―江戸聖堂へ寄附する六書の冊数・箱分けと献備
江戸聖堂への太守の寄附書を列挙した申渡。周易述義四冊・詩義折中八冊・春秋眞解八冊を一箱、礼記八十二冊・儀礼五十冊・周官四十九冊を一箱に入れると記す。以前から「御合表」をしていたところ、公儀から寄附物についての通知があり、しかるべく扱うよう命じられた。去年三月に寄附する予定だったが、火災で聖堂を焼失し…
追録6-No.1025 樺山左京申渡―佐久間新左衛門の御側御用人格と役順
佐久間新左衛門に御側御用人格を仰せ付けたので、その役順は追って申し渡すと記す。また、御側御用人次に仰せ付けた旨の申出があったため、このことを承知する面々へ伝えるよう命じる。末尾は閏三月、左京。佐久間新左衛門には村央との注があり、白木御文書五番箱六十中の写しと示す。役の格と役順に関する伝達。
追録6-No.1026 樺山左京申渡―甘露寺家・敬姫の御続提出と江戸への伝達
京都の諸司代御用付から、堂上方の家の御続を順次書き出すよう命じられ、伝奏衆から甘露寺家について知らせがあったので、御続を書き出すよう求める。敬姫が御前の猶子に仰せ付けられるに当たり、甘露寺前大納言の孫の御続を書き出す必要があるという。藩側には懸合があったので江戸へ知らせ、この御続は追って書き出す旨を…
追録6-No.1027 板倉勝清書状―禁裏の疱瘡快然と祝意使者・紙面の上聞
板倉佐渡守勝清から松平薩摩守への書状。書札を見たとして、公方と大納言がますます機嫌よくあることへの祝意に触れる。禁裏の疱瘡が快然となり、御酒湯を召したことを承知し、これを喜ばしく思っている旨を理解したという。そのため差し越した使者と紙面の趣旨を、それぞれ申し談じて上聞したと伝える。末尾は四月朔日、板…
追録6-No.1028 阿部正允書状―禁裏の疱瘡快然に対する祝意使者と紙面の言上
阿部豊後守正允から松平薩摩守への書状。書札を披見し、公方・大納言がますます機嫌よくあることへの祝意に触れる。禁裏の疱瘡が快然となり御酒湯を召した旨を承知し、これを喜ばしく思っている趣旨を理解したと述べる。そのため差し越した使者と紙面の趣旨を言上したことを伝える。末尾は四月朔日、阿部豊後守正允判、朱に…
追録6-No.1029 島津立久の三百年忌法事と鎌田正方の代参・香奠銀五枚
同年夏四月朔日、市来龍雲寺で節山公の三百年忌法事を行ったと記す。節山公には島津立久との注がある。番頭鎌田蔵人正方を使者として赴かせ、香奠銀五枚を奉じて参拝させた。法事の対象・寺院と、代参者・香奠の数量を記録する。
追録6-No.1030 島津重豪願書―下高輪の一部・芝新堀端・六本木鳥居坂・白銀の四方替
四つの屋敷を相対替したいと願う書。片桐石見守の芝新堀端拝領下屋敷二千九百九坪余を松平薩摩守へ、薩摩守の下高輪拝領下屋敷一万六千二百六十三坪余のうち千三百五十八坪半を片桐石見守へ渡す。中山大隅守の麻布六本木鳥居坂拝領屋敷千八百坪を嶋津淡路守へ、嶋津淡路守の麻布白銀拝領下屋敷九百坪余を中山大隅守へ渡すと…
追録6-No.1031 島津重豪願書―下高輪拝領記録の焼失事情と四方替・願通の伝達
相対替を願う下高輪下屋敷は先祖代々の拝領屋敷であるが、先年、居屋敷が類焼した際に書留等も焼失したと事情を述べる。このたび、嶋津淡路守の麻布白銀下屋敷、片桐石見守の芝新堀端下屋敷、中山大隅守の麻布六本木鳥居坂屋敷と相対して四方替したいと願う。末尾は四月三日、松平薩摩守、朱に安永二年。朱注には、この一通…
追録6-No.1032 喜入主馬申渡―江戸諸屋敷の呼称と交換屋敷の命名
江戸の屋敷の呼称を列挙する申渡。芝御屋敷は上御屋敷、櫻田御屋敷は櫻田御屋敷、高輪御屋敷は高輪御下屋敷、田町御屋敷は田町御下屋敷とする。御取添御屋敷は南向御屋敷・西向御屋敷の二つの呼称を示す。上御屋敷に隣接する片桐石見守の屋敷との相対替が済み、藩の屋敷となったので、このように呼ぶよう命じたという。表方…
追録6-No.1033-1 島津仲申渡―諸筋の事柄を今後の閏書等に記載する扱い
小倉筋・出水筋・東目・高岡筋・大口筋に関する事柄を、今後は閏書等に載せるよう命じたことを伝える。この旨は先に申し渡していたが、公辺その他へ書き出す際には、そのような呼称では難しい場合もあるため、九州筋・日州筋の扱いと、その時の吟味に従って記すよう担当の御役へ申し渡す。末尾は安永二年巳四月八日、仲、島…
追録6-No.1033-2 御目付木脇権一兵衛口達―登城随伴の家来・下人の無礼を禁じる
近ごろ御城勤の者が召し連れる家来・下人の中に粗礼の者がいると聞いたので、そのようなことがないよう主人から申し聞かせることを求める。下人らが集まって行う振舞いについても述べ、このようなことが一切ないよう制することを申し聞かせ、大目附衆へ伝えるよう仰せ付けたと記す。末尾は安永二年巳四月十二日、御目付木脇…
追録6-No.1034-1 島津左中・喜入主馬申渡―長刀の無用と若者・百姓の髪の整え
出水の若者が長刀を帯びることは、このたびから無用と命じられたと伝える。今後、差し留めることはないが、何事も質素に守るよう求め、出水だけでなく諸外城でも心得るよう指示する。出水その他の衆中や百姓の髪の具合に見苦しい者がいるので、急いで髪を整え、見苦しいことがないようにすることも命じる。道中に仰せ出され…
追録6-No.1034-2 温泉来訪・指南事と鹿児島の遊興・華火等の扱い
国元のどの温泉へ他国の者が来ても差し支えなく、他国の女性が指南事のために来ることも同様とする。鹿児島で華火や舟遊山等へ出ることも差し支えなく、随意にするよう示す一方、いずれも「別る呉様成儀」は無用とし、以前に仰せ付けた扱いはなくなったが、その心得を持って暮らすよう求める。また、州崎や人家に放海上する…
追録6-No.1035 重豪造立の聖堂棟札―宣成殿上棟・助造者・造営諸役
聖堂の棟札。「従四位上中将源朝臣重豪造立」と記し、「上棟 宣成殿」、安永二年癸巳四月十五日と示す。総営の家老は嶋津左中源久金・樺山左京藤原久智。助造として、入徳門及び座之間は琉球国中山王尚穆、仰高門及び供屋外繋は島津因幡源忠温、講堂及び打座は島津筑後藤原久倫、文庫及び張番所は種子島左内平久芳を対応さ…
追録6-No.1036 林信言撰―薩州鹿児島先聖殿の上梁と教学・風俗への祈願
「薩州鹿児島先聖殿上梁文」。冒頭で文教が人を和し国を支えることを讃え、河山に囲まれた西藩の永い安寧を願う。豊かな年に、富んだ上へ教えを加えるため大きな建物を開き、聖容を奉じること、古の制度を考え現状を吟味し、資材を度り役を整えたことを述べる。吉日を占って梁を修め架け、落成功を共に聴くとして、東・西・…
追録6-No.1037 重豪の後桃園帝疱瘡平復への慶賀使と太刀・馬代献上
今上皇帝が痘瘡を病んだが、日を経て御酒湯を用いるまでに平復したので、今茲四月十八日に使者を京師へ遣わし、太刀一腰と馬代白銀三十を献じて禁裏へ慶賀を申し上げたと記す。皇帝には御諱英仁との注がある。この奉献は「大家」が諸侯へ予め命じ、使者に来献させたものだと説明する。皇帝の平復、使者派遣、慶賀の品と数量…
追録6-No.1038 土井利里書状―主上の平復慶賀の献上・使者勤めの取次
京都所司代土井大炊頭利里から松平薩摩守への書状。書札を拝見し、主上の疱瘡が快然となり御酒湯を召す祝儀として、使者をもって目録のとおり献上したことを承知したと述べる。紙面の趣旨を理解し、使者も滞りなく勤めたことを伝える。末尾は四月十八日、土井大炊頭利里判、朱に安永二年。正文は文庫にあり、この二通は白木…
追録6-No.1039 広橋兼胤・姉小路公文返書―平復慶賀献上と主上の満悦
芳札を披見したと述べ、主上の疱瘡が快然となり御酒湯を召す祝儀として、使者をもって目録のとおり献上したので披露したことを伝える。主上が満悦であるとの仰せがあり、今日、使者へその旨を申し渡したという。末尾は四月十九日、姉小路公文・廣橋兼胤、松平薩摩守宛。朱に安永二年、右上包にも松平薩摩守殿、廣橋大納言・…
追録6-No.1040 家治御内書―端午祝儀の衣類到来と右京大夫への委曲
端午の祝儀として「惟子・單物」が到来したので、喜んで見たことを伝える御内書。詳しいことは松平右京大夫が述べると記す。末尾は五月二日、家治公墨印、薩摩中将殿宛、朱に安永二年。重豪公御譜中に収録し、正文は文庫にある。端午祝儀の衣類献上に対する将軍の返書と、委曲の取次役を示す。
追録6-No.1041 板倉勝清書状―大納言への端午祝儀衣類献上の披露
端午の祝儀として大納言へ「惟子・單物」を使者によって献上したので、披露したことを伝える。続けて「一段之御仕合」と述べて結ぶ。末尾は五月二日、板倉佐渡守勝清判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。大納言への衣類献上に対する披露通知。
追録6-No.1042 林信言撰―薩州鹿児島学の創建と教育の本旨・刻石の目的
「薩州鹿児島学記」。古の王が学校を設け、人才を育て国家の将来の用に備え、五典六徳を教え、上が行い下が倣うことで、成人は徳を備え、子供は成長し、家で孝悌を修めて上に忠順を移し得たと述べる。その教えが明らかに行われ、多くの俊才が育ったことを説く。後世も学校の設置は古と似ているが、人才・風俗が衰えた理由を…
追録6-No.1043 島津左中達―城下の下乗・下馬札と下馬不要の二通り
城下にこのたび下乗札・下馬札を建てたことを伝える。城下の金蔵通りでは下馬に及ばず、諸座長屋・南泉院の下通りでも下乗・下馬に及ばないとする。右のように命じられたので表方へ直接通達し、側方・勝手方へは写しで知らせる。末尾は五月、左中、朱に安永二年。正文は文庫にある。札の設置と、下馬等を要しない通りを列挙…
追録6-No.1044 島津仲申渡―加治木家の家来御目見願と一門三家の扱い・調書
加治木家の跡相続を命じられ、その御礼を申し上げる際、家来三人が太刀を進上して御目見を仰せ付けられる予定だったところ、差次三家の者にも御目見を願いたいとの申出があったので、調査を指示したことを述べる。願書と調書に延享三年寅三月の一門方家来の例を添え、三家の者とも格を考究した扱いを知らせたところ、願いの…
追録6-No.1045-1 島津仲申渡―衣服の倹約と手持ちの絹物着用
近年、費用が次第に増え、諸士にも負担が迫っているので、年限を定めて男女の衣服を一層倹約するよう命じていたことを述べる。絹物を多く持っている者がそれを置いたまま綿服等を新たに調えるのは、かえって迷惑になると聞いたため、手持ちの絹物は男女とも随意に着用できるとする。それ以外は先に示した扱いを心得るよう命…
追録6-No.1045-2 島津仲申渡―長袴等の支度と城下士医師の帯刀
無役の寄合・寄合並・小番で長袴を着用して御礼を申し上げる者について、御屋形で長袴に支度替えをしてよかったが、今後は自宅から長袴を着用して出るよう命じる。御礼が済んで御屋形で支度を替えることは随意とし、役人が御役席で支度する扱いもそのままとする。また、士医師は当分、脇差までを帯びて往来するが、無役の士…
追録6-No.1045-3 島津仲申渡―出発当日の股立と平日の御乗物の戸開け
御発駕当日、御一門が虎之間前の御庭へ出る際には、従来「股立」を取っていたが、今後はその必要はないとする。一方、平日に御中途へ参る時には、御乗物の戸を開けるよう命じられたので、従前のとおり申し渡すことを求める。末尾は安永二年巳五月、仲。出発当日と平日の扱いを分けた申渡。
追録6-No.1045-4 島津仲申渡―城下の下乗・下馬札と下馬不要の通り
城下にこのたび下乗札・下馬札を建てたと伝える。金蔵通りでは下馬に及ばず、諸座長屋・南泉院の下通りでは下乗・下馬に及ばないとする。このように仰せ付けられたので表方へ直接通達し、側方・勝手方へは写しによって伝える。末尾は安永二年巳五月、仲。札の設置と、下乗・下馬を要しない場所を列挙する。
追録6-No.1045-5 島津左中達―備前貴儔の老年・身分による御前での脇差
嶋津備前殿は格別の身分で、とりわけ老年であることを思し召し、今後は御前でも脇差を帯びるよう命じたと伝える。このことを役人に限って通達するよう求める。備前殿には吉貴の二男、貴儔との注がある。末尾は安永二年巳五月、左中。個別の身分・老年による帯刀の扱いと、通知範囲を示す短い達。
追録6-No.1045-6 山岡斎宮申渡―城下の煮売・酒類・湯水等の販売を許す
城下辺で煮売・酒類その他湯水等を売ることは差し支えないとする。この旨を町奉行に申し渡し、承知すべき面々へ伝えるよう求める。末尾は安永二年巳五月、齋宮、山岡久澄との注。販売を許す品・範囲と通知の経路を示す。
追録6-No.1046-1 島津仲申渡―非人の小屋居住と南林寺山辺等への配置
城下及び鹿児島中で、非人が小屋を掛けて住むことについて、差し留めたり追い払ったりすることがあると聞いたが、南林寺山辺その他の差し障りのない場所に住まわせるのは差し支えないとの沙汰を伝える。右の趣旨によって首尾を整え、申し渡すよう求める。末尾は安永二年巳五月七日、仲。雑抄中の収録。居住を妨げる扱いと、…
追録6-No.1046-2 島津仲申渡―道筋の通行と日笠・着笠の例外
道筋を通る者は互いに本道をよけて通り、定めに従ってよけ合うよう求める。込み合う時には傍らの通行に支障が出るため、各人に心得させることを命じる。また、領国中の者は日笠を使っていたが、狭い小路で傍らの通行を妨げるので、着笠を用いるよう求める。ただし、人によって天候のため着笠では都合がつかない場合は、日笠…
追録6-No.1047 島津仲申渡―一門登城時の刀扱い・刀番二人と殿中作法
御一門が登城する際、敷舞臺入口の杉戸辺までは刀を帯び、表坊主が刀を受け取る。家老座へ通る場合は刀を座まで持ち、御近習へ通る時には鳴子之間で表御小姓へ渡す等の扱いを記す。刀番は以前から二人で勤めていたが、刀を坊主が取る際には刀番の仕向けがないので、二人を連ねて召し、一人は城内を先行し、一人は脇に付いて…
追録6-No.1048 小松清行申渡―笠を着けたままの式対と役・人による扱い
領国中の者は着笠を用いるよう先に申し渡していたが、直触以下と道中で出会う際、相手へ向けて笠を脱ぐことについて、寺社奉行から御近習役まで、及び無役の寄合・寄合並までは笠を脱ぐ必要はなく、式対をするよう命じる。寺社奉行以下の直触の者は、互いに笠を着けたまま式対してよいとする。また、直触以下の役については…
追録6-No.1049-1 小松相馬申渡―下馬札・下乗と供廻の笠の扱い
城下に下馬札と下乗の扱いを建てたことにより、諸人が下馬の時から笠を脱ぐことがあるが、下馬をするために笠を脱ぐ必要はないとする。供廻についても、下乗の際に笠を脱ぐ扱いを心得るよう求める。広く通知して承知させるよう命じ、末尾は安永二年巳五月十二日、小松相馬。下馬・下乗の場での本人と供廻の笠の扱いを区別し…
追録6-No.1049-2 小笠原郷左衛門申渡―立番足軽の式礼と礼を求める側の心得
立番の足軽が式礼をする際、殿勤めの礼を求める人がいるので、そのようなことがないよう、適切に礼を受けて通る扱いを心得させる。広く通知して承知させるよう求める。末尾は安永二年巳五月十八日、小笠原郷左衛門、長旧との注。足軽の式礼について、求める側にも留意を促す申渡。
追録6-No.1050-1 島津仲申渡―一門登城時の刀番一人と高欄上の自分刀
御一門が登城する際、刀番一人について「高欄上に自分刀持上儀御免」と記す。末尾は安永二年巳六月、仲。雑抄中の短い申渡。刀番の人数と、持参する自身の刀の扱いを記した文書。
追録6-No.1050-2 左中・斎宮申渡―武士・町方・諸外城の男女足袋着用
城下の武士・町方、さらに諸外城に至るまで、男女が夏冬ともに足袋を用いることは差し支えないので、随意にするよう命じる。末尾は安永二年巳六月二日、左中・齋宮。足袋の着用を許す対象と、男女・季節を問わない扱いを示す短い申渡。
追録6-No.1051 乗輿・馬上・歩行の行き合いにおける下馬下乗と式対の規定
「乗輿・馬上其外途中式対定」。備前・兵庫・因幡・若狭・玄蕃の五名は、大目付格以上の役人と独礼の者には下馬・下乗し、それ以外には下馬・下乗を要しないとする。組頭・番頭・一所持・一所持格・寄合・寄合並の中には、相手に応じて馬を留めて式対する扱いを定め、その他の士に会う時には乗輿の戸を開け、馬上でも自身で…
追録6-No.1052 水戸治保書状―帰国の暇と海陸無事到着への喜び
このたび首尾よく帰国の暇を得、海陸の道中も無事に当地へ到着した旨を承知し、心を配った書札を喜んで受け取ったと返す。末尾は六月九日、水戸宰相治保判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。重豪公御譜中の収録で正文は文庫にある。帰国と到着の知らせへの返書。
追録6-No.1053 宗信慈徳公二十五年忌の福昌寺法事・代参・施餓鬼
同年夏六月十日、福昌寺で慈徳公の二十五年忌法事を三日間行ったと記す。慈徳公には島津宗信との注がある。小注は八日から十日までの期間を示し、公の七月十日の薨去に触れて、事情により先期に修したと説明する。初日は島津玄蕃貴澄が代参し、九日夜は島津兵庫久徴が重豪に代わって参詣した。十日は施餓鬼を行い、島津左衛…
追録6-No.1054 山岡斎宮申渡―福昌寺黒門の群集時の通行と立番配置
福昌寺の黒門を開く場合について、法事などで群集する際には立番を付け、身分を問わず脇小門から通るよう立番足軽へ知らせることを命じる。他の寺についてもこの扱いに準じるよう求める。寺社奉行・物頭と承知すべき面々へ伝達する。末尾は安永二年六月十二日、齋宮。群集時の門の通行経路と立番による案内を示す申渡。
追録6-No.1055 松平武元書状―暑中の琉球布・天門冬・赤貝塩辛・泡盛酒献上
酷暑の時節に公方・大納言の機嫌を使者によって尋ねたことを承知し、さらに安泰であるから心配ないと伝える。これに添えて献上した琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺について、各々申し談じて披露した旨を述べ、「一段之御仕合」と結ぶ。末尾は六月十三日、松平右近将監武元判、松平薩摩守宛、朱…
追録6-No.1056 阿部正允書状―暑中献上四品の披露通知
酷暑の時節の書札を披見し、公方・大納言の機嫌を使者で尋ねた旨を承知したことと、安泰なので心配ないことを伝える。随えて献上した琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を披露したと述べ、「一段之御仕合」と結ぶ。末尾は六月十三日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。暑中の機嫌伺…
追録6-No.1057 家重惇信院十三回忌への重豪の香奠銀十枚献上
同年夏六月、大家が増上寺で惇信院殿の十三回忌法事を行ったと記す。惇信院には徳川家重との注がある。これに際し、十三日に使者を遣わし、香奠銀十枚を納めて参拝させた。法事の対象と寺院、奉献の使者派遣日、香奠の数量を記す記事。
追録6-No.1058 紀伊重倫書状―帰国と海陸無事到着の知らせへの返答
芳翰を披見し、このたび帰国の暇を得て、海陸の道中も無事に国へ到着したとの知らせを承知したと述べる。心を配った書札を喜んで受け取ったとして返答する。末尾は六月十三日、紀伊中納言重倫判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。重豪公御譜中に収録し、正文は文庫にある。帰国の到着報告への返書。
追録6-No.1059 尾張治休書状―四月二十五日の国元到着報告への返答
書札を披閲し、首尾よく帰国の暇を得、道中も無事に四月二十五日に国元へ到着したとの知らせを承知したと述べる。心を配った知らせを喜ぶ旨を記す。末尾は六月十五日、尾張中将治休判、薩摩中将宛、朱に安永二年。国元到着の具体日を伴う返書。
追録6-No.1060 尾張治休書状―暑気の時節の安否を喜ぶ返書
書札を披閲し、暑気の時節にいよいよ無事であるとの知らせを承知したと記す。心を配った知らせを喜んで受け取ったと返答する。末尾は六月十六日、尾張中将治休判、薩摩中将宛、朱に安永二年。暑中の安否の知らせへの短い返書。
追録6-No.1061 重年圓徳院二十五年忌の福昌寺法事・代参・施餓鬼・満散
同年夏六月十六日、福昌寺で圓徳院殿の二十五年忌法事を三日間修したと記す。圓徳院には島津重年との注があり、期間の小注は十四日から十六日までを示す。初日は島津若狭忠救が代参し、十五日夜の頓写には島津又四郎貴品を遣わして代わらせた。十六日の施餓鬼は島津備前貴澄を代参とし、同日の満散寄合の式は島津兵庫久澄に…
追録6-No.1062 茂姫寔子系譜抄―出生・豊千代への縁組・家斉御臺所・叙位と廣大院
「大信公三女」として寔子・於篤・茂姫の名と大樹家斉公御臺所であることを掲げる。安永二年癸巳六月十七日に府城で生まれ、母は市田氏。三年甲午三月朔日に府城を発して江戸へ赴く。五年丙申七月十九日、大家が浄岸君のかつての請命を追念して徳川豊千代との縁組を許し、一橋からの使者により茂姫の名と日傘・袴を賜り、当…
追録6-No.1063 松平武元書状―四月二十日東叡山御霊前参詣の上聞
書札を披見し、公方がますます機嫌よくあると知らせる。四月二十日に東叡山の御霊前へ参詣した旨を承知したと述べ、その心意を喜び、紙面の趣を各々申し談じて上聞したと伝える。末尾は六月十九日、松平右近将監武元判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。重豪公御譜中の収録で正文は文庫にある。参詣の実施日とその知らせに対す…
追録6-No.1064 近衛内前書状―不幸への吊書に対する感謝
不幸の事に際して受けた吊書の趣を深く感謝したと述べ、なお早々の一翰を送ると結ぶ。末尾は六月二十二日、花押に近衛内前との注、薩摩中将宛、朱に安永二年。重豪公御譜中に収録され、正文は文庫にある。不幸に対する弔慰の書札への礼状。
追録6-No.1065 高輪邸の敷地交換許可と西向邸の呼称
同年夏四月、片桐石見守貞陳の宅地二千九百九坪余を重豪の私邸とし、あわせて高輪邸内の千三百五十有餘坪を島津但馬守久柄の邸にすることを幕府に請うたと記す。同六月二十九日、老中松平周防守康福が留守居佐久間九十九村央を召して許可した。これによりその邸を「西向邸」と名づけたと結ぶ。請願時と許可日、交換する二つ…
追録6-No.1066 幕府指図―四者の屋敷交換の面積・受取人と普請奉行への相談
片桐石見守拝領の芝新堀端下屋敷二千九百九坪余を松平薩摩守へ、松平薩摩守拝領の下高輪下屋敷一万六千二百六十三坪余のうち千三百五十八坪余を島津但馬守へ、中山大隅守拝領の麻布六本木鳥居坂屋敷千八百坪を片桐石見守へ、島津但馬守拝領の麻布白銀下屋敷九百坪余を寄合中山大隅守へ渡す対応を列記する。願いのとおり屋敷…
追録6-No.1067 板倉勝清書状―国許到着御礼使者の翌朝五時登城と「自分之御礼」
国許到着御礼の使者である島津助之丞を、明朝五時に御城へ差し出すよう指示する。また、「自分之御礼」も申し上げるので、その趣を承知するよう伝える。末尾は六月二十九日、板倉佐渡、松平薩摩守の留守居宛、朱に安永二年。正文は文庫にある。帰国到着への御礼使者の登城指示と、「自分之御礼」への言及を記す。
追録6-No.1068 田沼意次書状―国許到着御礼使者の翌日四時登城指示
国許到着御礼の使者である島津助之丞を、明日四時に御城へ差し出すよう指示する。末尾は七月三日、田主殿、松平薩摩守の留守居宛、朱に安永二年。重豪公御譜中に収録され、正文は文庫にある。到着御礼の使者の登城時刻を指定する短い通知。
追録6-No.1069 阿部正允書状―島津助之丞の翌日九時の宅出頭指示
右の者を明日九時に自分たちの宅へ差し出すよう指示する。その人物は島津助之丞と記し、「次前」との注が付く。末尾は七月三日、阿豊後、松平薩摩守の留守居宛、朱に安永二年。正文は文庫にある。御礼使者に関する出頭指示で、出頭先は御城ではなく差出人側の宅と記す。
追録6-No.1070 阿部正允書状―暇の白銀・巻物・御馬への謝意と到着御礼献物の披露
書札を披見し、公方・大納言がますます機嫌よくあることを伝える。このたびの暇に際して白銀・巻物を頂戴し、そのうえ御馬を賜り、大納言からも拝領物があったことへの重ねての謝意を承知したと述べる。国許到着の御礼として島津助之丞により目録のとおり献上した品々は、逐一披露したところ喜ばれたと知らせる。末尾は七月…
追録6-No.1071 田沼意次・板倉勝清・松平康福連署―到着御礼の芭蕉布二十端と樽肴献上
書札を披見し、公方・大納言がますます機嫌よくあることを伝える。このたびの暇に際して白銀・巻物を頂戴し、そのうえ御馬を賜り、大納言からも拝領物があったことへの重ねての謝意を承知したと述べる。国許到着の御礼として島津助之丞により琉球芭蕉布二十端と御樽肴を献上したことについて、逐一披露し、御前へ召し出した…
追録6-No.1072 田沼意次書状―五月八日東叡山御霊前参詣の上聞
書札を披見し、公方がますます機嫌よくあると知らせる。五月八日に東叡山の御霊前へ参詣した旨を承知したと述べ、その心意を喜び、紙面の趣を各々申し談じて上聞したと伝える。末尾は七月五日、田沼主殿頭意次判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。参詣を記す五月八日と、通知への返書の七月五日を区別する。
追録6-No.1073 田沼・板倉・松平輝高・松平武元連署―生見玉御祝儀の黄金十両献上
「生見玉」の御祝儀として献上した黄金十両を逐一披露したところ、一段の御仕合であったと伝える。末尾は七月六日、田沼主殿頭意次・板倉佐渡守勝清・松平右京大夫輝高・松平右近将監武元の判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。重豪公御譜中の収録で正文は文庫にある。御祝儀の原語、黄金の数量、四人の取次と宛所を記す。
追録6-No.1074 阿部正允書状―西丸方の生見玉御祝儀黄金十両披露
「生見玉」の御祝儀として献上した黄金十両について、逐一披露したところ、一段の御仕合であったと伝える。末尾は七月六日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。目録は西丸方の書状とする。黄金十両の御祝儀献上と、その披露への返答を記す。
追録6-No.1075 田沼意次書状―惇信院十三回忌の香奠奉納を言上
このたび惇信院様の十三回忌法事を執行したことに際し、使者によって香奠を献上し、増上寺で奉納したことについて、その趣を言上したと伝える。惇信院には徳川家重との注がある。末尾は七月十二日、田沼主殿頭意次判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。重豪公御譜中に収録され、正文は文庫にある。法事に伴う香奠奉納と、その報…
追録6-No.1076 島津久金・山岡久澄申渡―匿名の落書・作名文書の取締と領内伝達
近ごろ各所で謂われのない落書などがあると聞いたことを記す。江戸は人々が群集する場所で、尊貴を批判する落書がある由を述べる一方、領国では下々まで譜代筋の者であり、御上を大切にするはずだから、姓名を隠して不埒な落書などをしてはならないと命じる。今後、作名などで道路に捨て置く者があれば、詮議のうえ厳しく咎…
追録6-No.1077 田沼・板倉・松平康福・輝高・武元連署―八朔の太刀一腰・馬代黄金十両献上
八朔の御祝儀として使者によって献上した御太刀一腰と御馬代黄金十両について、逐一披露したところ、一段の御仕合であったと伝える。末尾は八月四日、田沼主殿頭意次・板倉佐渡守勝清・松平周防守康福・松平右京大夫輝高・松平右近将監武元の判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。重豪公御譜中の収録で正文は文庫にある。御祝儀…
追録6-No.1078 阿部正允書状―八朔の太刀一腰・馬代黄金十両の披露通知
八朔の御祝儀として使者によって献上した御太刀一腰と御馬代黄金十両を逐一披露したところ、一段の御仕合であったと伝える。末尾は八月四日、阿部豊後守正允判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。同日同品同量を記す五人連署状とは別の取次通知として、品名・単位・披露を記録する。
追録6-No.1079 松平康福書状―尾張治休逝去への悲嘆と機嫌伺への返答
書札を披見し、尾張中将の逝去を聞いて言葉を失うほどであるとの知らせを承知したと述べる。尾張中将には徳川治休との注がある。それに伴う機嫌伺に対し、安泰なので心配ないと伝え、紙面の趣を各々申し談じて上聞したと記す。末尾は八月十四日、松平周防守康福判、松平薩摩守宛、朱に安永二年。重豪公御譜中の収録で正文は…